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1月31日(月)

 今日は最高気温が5℃まで上がり、日中は日射しもあったので最近にしては過ごしやすかった。
 昨年末にモノブロック・ストロボ2灯によるライティングで撮影するため、久しぶりにミノルタのフラッシュメーターIV型(露出計)を使おうと思ってボタンを押したが反応しなかった。電池が切れたかな?と思い新しい電池を入れてみるが反応がない。フィルム時代は撮影の必需品だったが、最近は出番が少なくなった。
ミノルタのスラッシュメーター

 ストロボを何灯か使う時はバランスを測るためにメーターを使うが、デジカメになってからはシンプルなライティングでは2、3回テスト撮影して露出の確認をすれば事が足りるようになった。
  このメーターを買って30年以上は経つが、やはり機材(機械)は使わないと壊れるのだろう。

←ミノルタのフラッシュメーターIV型。シンプルで使いやすかった。

 今日、なにげにメーターの受光球を外して付け直すと復活し、ISO感度、シャッタースピード、F値が表示された。直ったかと喜んだが、また直ぐに反応しなくなった。買ってから何度か修理にも出したが、寿命と言えば寿命。よくここまで活躍してくれたと思う。
  使っていないといえば、最近はモノブロック・ストロボばかりでジェネ(電源部)と発光部が別々の大型ストロボの出番があまりない。家にあるのはコメットの製品だが、コメットのHPには<長期間ご使用にならなかったストロボ電源部は、通電または発光を繰り返すとコンデンサーが発熱し、発火、火災の恐れがあります>と書かれており、<3ヵ月以上(10ヶ月未満)の長期間ご使用にならなかったストロボ電源部は、出力をFULLにして最低4時間通電をしてください。この間は絶対に発光させないでください>と書かれている。
  家にあるのはCB-1200と後継機種のCB-1200iiiの2台4灯。この他にバッテリー充電式のPMT-1200がある。どちらも長く使っていないので、通電することにした。するとCB-1200の方が通電してしばらく経って「バチッ」という音と共に、電源が落ちた。逝った?CB-1200も30年以上前に購入したもので、メーカー修理の受け付けは20年ほど前に終了している。もう耐用年数を過ぎたのだろう。こちらもよくここまで現役で頑張ってくれたと思う。感謝!後継機のCB-1200iiiの方もやがて25年ほど使っているかもしれない。これからは時々通電し、なるべく撮影に使うようにしなければ。
大型ストロボの通電
ストロボの電源部

↑通電したコメットの大型ストロボ。左の1台2灯がCB-1200iii、右の1台2灯がCB-1200。どちらも買った時はセットで40〜50万円くらいだったと思う。

←左がCB-1200iiiの電源部、右がCB-1200の電源部。通電した時、CB-1200の方はチャージ時間が長くかかっていたので、様子がおかしいとは思ったのだが・・・。

 明日からは2月、早いな〜。
 Photo Diaryを更新。
*2014年1月5日のPhoto Diaryはこちら。(神里原社交街、与儀公園、借りてきた本)
*2014年1月6日のPhoto Diaryはこちら
1月6日のスナップ。水平線に沈む太陽
↑昼ご飯を食べた後、腹ごなしに自転車で小湾自治会館へ先日撮影したアギバーリーの写真を届けに行く。
 自治会館の中に嘗ての小湾集落の模型が展示してあった。個人が作られた物で、一軒一軒に屋号が書かれている。
 帰りは、小湾川に沿って河口まで自転車で行ってみた。河口まで行った後、自治会長さんから国立劇場おきなわの向かいにある浦添市産業振興センター1階の結の街にも小湾集落の模型があると聞いたので見学してきた。
 帰り道に泊漁港の横を通ると、空がオレンジに輝いている。魚市場の奥、防波堤に座って夕日を眺める。雲が多いので期待していなかったのだが、見事に太陽が水平線に沈んで行った。
 市場の傍にあったハーリー会館は、建て替えのために取り壊されている。写真は水平線に沈む夕日。
*2014年1月7日のPhoto Diaryはこちら。(県庁前広場での抗議行動、ムーチーの前日)
*2014年1月9日のPhoto Diaryはこちら
1月9日のスナップ。久部良集落で撮影した最近亡くなった方のお墓
↑今日から日本の最西端の島、与那国島へ。与那国島は、先月の20日から25日間に及ぶ長いマチリの期間に入っている。
 早めに起きてご飯一合炊いて、おにぎりを3個作る。昨日の内に荷物はまとめておいたが、最終確認をして6時前に部屋を出る。美栄橋まで歩き、6時13分のモノレールで那覇空港へ。日本航空のカウンターで手続きを済ませて、搭乗ロビーで出発を待つ。
 飛行機は那覇空港7時40分発の、琉球エアコミューターRACO721A便。想像していたより随分と小さな飛行機だが、乗客も15人ほどだった。沖縄は昨日から強風が吹いているが、覚悟していたほどには揺れずに到着。
 与那国空港でタラップを下りると強い横殴りの雨。係員が傘を渡してくれるが、空港の建物まで濡れながら歩いた。到着時刻は予定の9時20分頃だった。
 空港の出口で、今日一泊する民宿の迎えの車を待つ。今回は往復の飛行機だけより、宿泊付きのプランの方が安かったのでプランの中にある民宿の中から久部良集落にある宿を選んだ。那覇ー与那国島の往復チケットと、一泊2食付きの民宿で22300円だった。
 しばらく待っていると民宿の若い男性のスタッフが、ライトバンで迎えに来てくれた。後に荷物を入れて、島の西端に位置する集落へ向かう。
 宿帳に名前を記入し、部屋に案内してもらう。新館のツインだ。とりあえず荷物を置き、朝作ってきたおにぎりを食べて、テレビを観ながらベットで横になり、しばし休憩。
 空は曇りで小さな雨も降ったり止んだりしているが、このまま部屋で休んでいてもしょうがないので13時過ぎにカメラも持って外に出る。まずは宿から見える日本最西端の西崎灯台へ。距離にして1キロほどだろうか。緩い上り坂が続くが、それほど大変でもない。灯台の辺りから久部良集落を眺めたり、崖に打ち寄せる波しぶきを撮影したり。
 波しぶきは強い風に煽られて横殴りの雨のように身体を、カメラを濡らす。ちょっと撮影しては水滴が付いたレンズを拭かなくてはいけない。
 与那国空港に到着する寸前、飛行機の窓から島のどこかの崖近くに座礁した貨物船が見えた。昨年那覇で開催された離島フェアーで、荷物を積んだ船が座礁したとニュースで見たが、その船がまだそのままになっている。灯台に来る途中、競りの情報を聞こうと漁港に寄ったが今日は時化で船が出ていないから、明日の競りはないそうだ。
 西崎灯台から集落の中を少し歩き、それから久部良バリへ。久部良バリの少し先に与那国馬の牧場があり、馬小屋の手前に大小様々なお墓があった。お墓の写真を撮っていると、馬にエサをやりに軽トラックに乗った女性が。馬が好きで与那国島に来て、10年が経つという。ここにあるのは珊瑚を掘っただけのものや、それをコンクリートで固めたもののようだ。崩れるままになっているお墓も多く、それらは親族が島を離れて手入れができなくなったお墓のようだ。もう少し先には新しい墓地があるというので行ってみた。最近亡くなられた方がいて、旗が立っているという。しばらく歩くと、旗がまわりを囲むようにして立っているお墓があった。
 両側にお墓が並んだ道をまっすぐ歩いて行くと集落に出た。小学生の女の子が走って来たので、港に出る道を教えてもらう。教えられた道を歩いて行くと、港に出た。近くの商店で与那国の泡盛、どなんの30度、360ml550円を購入。ちょっと歩き疲れたが、部屋に戻るには早いので宿の前の久部良港をぐるっと散歩。
 4時間強の散歩を終え、17時半頃に宿に戻る。テレビをつけると、川崎で逃亡していた犯人が捕まったというニュース。6時過ぎに宿のスタッフから晩ご飯の準備ができたという室内電話。
 1階の食堂で晩ご飯を食べ、お風呂に湯をはり、ゆっくりと入る。撮影データのバックアップを取り、買って来た泡盛どなんをちびちび呑んで早めに就寝。
*本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇ー与那国空港往復チケット+民宿代22300円(事前に購入済み)、どなん550円。写真は久部良集落で撮影した、最近亡くなった方のお墓。旗に書かれた文字は、ペンキにお酒を混ぜたもので書くそうだ。
*2014年1月10日のPhoto Diaryはこちら
1月10日のスナップ。お供えのチンムイ
↑7時半に一階の食堂で朝ご飯。食べ終わり部屋に戻り、荷造り。9時40分頃にチェックアウト。久部良のバス停に行き、10時発の町営バスで祖納集落へ。町営バスは、本数は少ないが無料運行している。祖納に着いて、今日から4泊するゲストハウスへ。チェックインの手続きをしてから町役場の隣りにある教育委員会へ、明日、明後日行われるマチリの詳細を聞きに行く。明後日行われる西公民館主催のマチリは、公民館長さんがいらしたので、その場で撮影を申し込んで許可を貰った。明日の嶋仲公民館へは直接挨拶に行く事になった。
 教育委員会の建物を出たら、丁度消防出初め式が始まったので、しばらく見学させてもらう。出初め式の後、一旦宿に戻り自転車を借りて嶋仲公民館を訪ねて、明日のマチリの撮影許可をいただいた。
 公民館から宿に戻り自転車を置いて、バス停へ。島の大きさを掴もうと13時15分の町営バスで久部良、比川を回り、14時に祖納に戻って来た。それから明日の最初の祭場であるマイヌトゥニの場所を確認しに自転車で行ってみる。教えてもらった通りに走ると、間違えずに着いた。なだらかな坂道が少し続くが距離はなく、下り坂となる帰り道は宿まで10分ほどで戻って来れた。
 晩ご飯のオカズを探しに宿の隣りにあるスーパーへ。刺身を買おうと思ったが大きなブロックしかなくて断念。
 小雨が降って来たので傘をさして集落の外れにある浦野墓地へ。大きな破風墓や亀甲墓が並んだ有名な墓地の中を写真に撮りながら歩いてまわった。一通り墓地を歩いて集落に戻り、自転車で少し離れたスーパーで刺身を探すと刺身屋さんを教えて下さった。教えてもらった刺身屋さんでクロマチの刺身を500円分作ってもらう。
 刺身を宿の冷蔵庫に入れて、再び自転車で嶋仲公民館へ。チンムイや高膳、ミキなどの写真を撮らせていただいて集落の方に話しを聞かせ貰って宿に帰って来た。途中、隣りのスーパーで明日ンマナカマチリにお祝いで持って行く泡盛の一升瓶を購入。
 戻って来ると、ゆんたく場に宿泊客の方が3人座ってご飯を食べていた。このゲストハウスは白ご飯はただで食べられるので、買って来た刺身で晩ご飯にする。
 食べ終わって今日撮影したデータをバックアップしようと思ったら、撮影したデータが最後に撮影した15枚ほどを残して、消えていた...orz。
*本日の出費。宿泊費4日分6000円、ボンカレー200円、刺身500円、どなん30度1升瓶1480円。写真はチンムイ。カマボコ、厚揚げ、天ぷら、昆布巻き等を皿の上に立てて飾った供物。沖縄本島で言う、シンムイと同じだろう。芯には大根が使われていた。手前の大きな四角と半円筒形のカマボコを上に乗せ、木の枝を飾れば完成する。白とピンクと黄色のカラフルなものは、ナントゥと呼ばれる3色のお餅。

1月28日(金)

 富山では、身体の芯まで冷えるような寒い日が続いている。
  今日も東京都で1万7631人、大阪府で1万13人、愛知県で5267人など新型コロナ感染者数が各地で更新され、全国では8万人を超えた富山県内は昨日、今日と2日続けて200人を超えている
 昨夜、埼玉県ふじみ野市で人質立てこもり事件があり、弔問に訪れた医師が猟銃で撃たれて亡くなった。この家に住んでいた犯人の男は「(亡くなった)母の介護の対応に怒っていた」そうだが、昨年末に大阪市北区で起こった雑居ビル放火事件を思い出させるような事件だ。理不尽な出来事で昨日から今日、今日から明日へと続く筈だった日常が、またしても突然断ち切られてしまった。

 この他の気になった記事を備忘録として。
地元議員ら35人「起訴相当」河井元法相らの買収事件で、検察審査会
アベノミクスの“成果”はすべて虚構! 国交省不正統計13~19年度も巨額カサ上げの衝撃
相馬沖のクロソイから基準超の放射性物質 1キロ当たり1373ベクレル検出、県漁連は出荷を停止し、クロソイを回収

 Photo Diaryを更新。
*2014年1月1日のPhoto Diaryはこちら
1月1日のスナップ。新春北部闘牛大会

↑今日は今帰仁村営闘牛場で、新春北部闘牛大会が開催される。闘牛大会は13時からだが、12時から民謡ショーが行われるというので、最寄りのバス停を7時54分に発車する名護西線に乗車。名護バスターミナルで、10時20分発の本部半島線今帰仁廻りに乗り換える。
 闘牛場に一番近い仲宗根バス停で降りて、運転手さんに大まかに教えてもらった道を歩き、途中で見かけた集落のおばさんに尋ねて会場に着いた。バス停から徒歩20分ほどだったろうか。
 11時5分くらいに到着して、受け付けで入場料3000円を支払う。民謡ショーまで後1時間ほどあり客席には殆ど人は居ない。朝早く起きて作ってきたおにぎり、卵焼き、昨日の残りのてんぷらを食べたりして開演を待つ。
 民謡ショーを演っている間に、お客さんが少しずつ入場。家族連れ、カップル、若い女の子同士も多い。入口付近に物販コーナーが設けられて、おにぎりやアメリカンドック、金ちゃんヌードルが売られている。アチコチで金ちゃんヌードルを食べている人が居て、場内はタバコの匂いと金ちゃんヌードルの匂いがした。沖縄は何故か金ちゃんヌードルが大人気です。

 22頭による11取組(アトラクション一つ含む)が終了したのは、15時頃だった。闘牛場横の牛舎やトラックの荷台に乗せられた牛をしばらく撮影してから、仲宗根のバス停に歩く。
 真っ直ぐ帰るのも少し惜しくて集落の路地を散策。歩いて行くと道の正面に民家が。行き止まり?と思ったら縁側にいたご主人が抜けられますよ、と教えてくれる。庭を通って下さいと言われ敷地に入ると、床の間にトロフィーが並んでいるのが見えた。何のトロフィーか尋ねると、弟さんが嘗て闘牛が好きで大会に出場して貰った物だと言う。トロフィーの写真を撮ってもいいですか?と聞くと部屋に上がって好きに写して下さいと返事が返って来た。せっかくだけれど庭から見えたそのままの光景が撮りたくて、部屋に上がらず3カットほどシャッターを押す。お礼を言って庭を抜け、また仲宗根のバス停に向かって歩いて行く。
 昨年の元旦は祝賀の座開きとして踊られる祝いの舞い「かぎやで風」をリンクしましたが、今年はYou Tubeから「ワイド節」を。「ワイド節」誕生秘話がこちらに載っています。
*この日の対戦結果。沖縄タイムスの記事。写真は新春北部闘牛大会の様子。

*2014年1月2日のPhoto Diaryはこちら
1月2日のスナップ。夕暮れの国道58号
↑昨年5月に知り合った、泊の外人墓地を撮影されている新垣さんと、午後1時に新都心のマクドナルドで待ち合わせ。マックも近くのファミレスも人がいっぱいのようなので、新垣さんの車で少し離れたロッテリアへ。祭祀の行われている場所で何回かお会いすることはあったけれど、お互いに撮影していると、その時はゆっくりお話しをする時間もゆとりもないので、お正月2日目の今日になった。
 自分の持って行った奄美群島の写真をポストカードサイズにファイルしたものと、新垣さんが今年奄美大島と与論島で撮影した写真をノートパソコンに入れてスライドにしたものを見せ合いっこしながら、写真の話し、沖縄の話し、奄美群島の話しをしていると、あっという間に2時間半が経った。写真の話しができるのは楽しい。
 あまりに話しに夢中になって、飲みかけのコーラが乗ったトレーを床に落としてしまった。
 新垣さんに新都心のマックまで車で送ってもらい、自転車で部屋に戻る。ベランダから、のし烏賊のように空を覆う雲を撮影してから、初詣に。
 昨年は波上宮へ参拝しに行ったので、今年は護国神社へ。参拝を済ませて那覇港の方へ自転車を走らせると、太陽が沈んで行くところだった。那覇港の中にある波布食堂はシャッターが降りて、しめ縄が飾られている。北の波止場、西の波布と言われる?くらいこの店も大盛りで有名な食堂。今年は是非、波布食堂のカツ丼にチャレンジしたいと思う。
 那覇港から家に戻る途中、波上宮に寄ってみるが、人の多さに鳥居の手前まで行って帰って来た。写真は夕暮れの国道58号。
*2014年1月3日のPhoto Diaryはこちら
1月3日のスナップ。小湾のアギバーリー

↑昨年1月5日の琉球新報のweb版に掲載されていた「アギバーリー勇壮に 繁栄を願って集落練り歩く」という記事に興味を引かれ、今年は是非見てみたいとメモしておいた。昨年の暮れに主催している小湾自治会館に電話をして、詳しい時間と場所を教えていただいた。
 嘗て小湾集落のあった土地は、現在キャンプ・キンザーの中にある。戦後、軍用地として接収されたため、小湾集落の住民は国道58号(軍用道路1号)を挟んで反対側に位置する、宮城地区に移住した。昨年4月に三月あしびを撮影させていただいた、旧日本軍により小禄飛行場(現那覇空港)を造成するために土地を接収された鏡水地区とよく似ている。鏡水地区の場合は拝所の一つが陸上自衛隊基地の中にあるため、三月あしびの時は事前に自衛隊に連絡をして中に入り、御願をした。後で聞いたのだが、小湾地区は幾つかあった拝所を一つに纏めて宮城にある共同墓園の一角にお宮を作って奉っているそうだ。
  アギバーリーとは地バーリー、陸で行うハーリーのようだ。由来等は上にリンクした琉球新報の記事にある。地バーリーは那覇市泊地区の他、大嶺地区でもあるようだが、小湾のように道ジュネーを行うのは他にはないようだ。この道ジュネーをお正月にやるようになって今年が8回目だという。

 アギバーリーのスタート地点は、小湾自治会館。家から自転車でも行ける距離だが、天気予報は曇りのち雨。自治会長さんに教えていただいた99番の天久新都心線で向かうことにする。このバスを運行するバス会社に電話で確認したところ、下りは最寄りのバス停には停まらないようなので少し離れた泊高橋へ。帰りの上りは、最寄りのバス停を通る。国道58号を挟んだ上りと下りのバス停に距離があり、その途中に新都心へ行く三叉路があるので、バス路線によってはこんな変なことになっている。
 泊高橋を12時43分発の天久新都心線に乗車。集落の道ジュネーは15時からだが、14時半から共同墓園で御願があるという。14時頃に自治会館に行けば同行できるということだったので、少し早めに向かう。
 バスは国道58号から新都心に入り、また58号に戻りキャンプキンザーの前を右折して、パイプライン通りに入った。なんだか遠回りだが、もともと距離がそんなにないので13時8分頃に小湾のバス停に到着。バス停の向かいが自治会館だった。
 周辺を少し散歩してから、会館の中を見せていただく。旗頭やハーリー舟の組み立て、衣裳への着替えが行われている。出発前には「アギバーリー歌」の練習もあった。

(一) 小湾走(くわんは)る舟(ふに)ぬ 浦添村上(うらしぃむらのぶ)ティヨー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー
   *エーイ 小湾陸(くわんあぎ)ハーリーヌヨー
    ハーリー拝(うが)り シーリーラー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー 

(二) 今年物作(くとしむづく)イヤ アン清(ちゅ)ラサー
                   ユカティヨー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー
   *エーイ 世果報歳(ゆがふどうし) 浮(う)キティヨー
    ハーリー御祝(うゆえ) サビーラー
    ハーリー小湾ヌ ヘンサーヨー

(三) 石子( いしなぐ)ヌ 石(いし)ヌ 大石(うふしー)成ル
                      マディンヨー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー
   *エーイ 御掛(うか)キ 欲(ぶ)セミソリヨー
    ハーリー 御願(うにげ)サビラー
    ハーリー小湾(くわん)ヌ ヘンサーヨー

   *は全員で
 共同墓園での御願と旗頭演舞の奉納の後、集落を道ジュネー。天気予報の通り、雨が降り出した。昨日、一昨日の快晴とは打って変わって土砂降りの雨になった。
 ところどころで櫂を漕ぐ真似をし、アギバーリーの歌を唄いながら集落の中を進む。
 途中の公園では旗頭演舞の他、「かぎやで風」の舞や伝統芸能が披露された。この後、激しい雨に打たれながら自治会館へ。16時半頃に会館に着いて、着替えと道具の片付けをして直会となった。
 自治会館の講堂のような場所にテーブルやパイプ椅子が並ぶ。各自ヤギ汁、牛汁をチョイスして暖かい汁で冷えた身体を温める。一緒にどうぞと誘われて牛汁を1杯、ヤギ刺しを3切れほど食べて、おにぎりや子供達が搗いたお餅もいただく。せっかくなので牛汁の後に、ヤギ汁も少し食べてみた。
 帰り際にはお饅頭とミカンまでいただいて、ほろ酔い気分で帰りのバスに乗る。天久新都心線の上りは最寄りのバス停で停まる。行きは270円だったが、帰りは260円だった。写真は集落内を道ジュネーするアギバーリー。

1月25日(火)

 ちょっとした縁で、エプタという雑誌を何冊か送っていただいた。ヒノキ新薬が発行する企業文化誌で、毎号日本の伝統文化や風習、歴史の中から一つのテーマに絞り、掘り下げて記事にしている。
 下の写真の一番左は奄美を特集した号。ページを捲ると懐かしい人がたくさん登場していたが、既に亡くなられた方も何人か居られる。
エプタ
プリメイロ・カント
 杏里さんに差し上げて手放したドゥルス・ポンテスのアルバム『プリメイロ・カント』が120円+送料257円でアマゾンのマーケットプレイスに出品されていたので、19日の夜にポチった。
 CDは昨日届いたが、アマゾンの配送状況確認のページでは未だに<1月20木曜日に発送済み>のままだ。

 今日は東京都で新たに1万2813人の新型コロナ感染が確認され、全国では初の6万人越えを記録した。この感染爆発に、抗原検査キットが不足するなどの問題も起きている。また、厚労省は感染が拡大して受診や検査に時間を要する地域では、同居している家族などの濃厚接触者で発熱などの症状が出た場合、検査をしなくても医師の判断で新型コロナの感染を診断できるとの方針を示したという。検査をしなくても判断できる・・・とても先進国の医療ではないだろう。
 もう新型コロナ禍が始まって2年が経ち、オミクロン株の感染力が凄まじいという海外からの情報もありながら対応できる検査キットの数も用意できないというのは、この2年間ほとんど国は学習していなかったのか。
 富山県の新たな感染者は100人。このところの感染拡大を受けて、今日の午前0時に県独自の警戒レベルを「ステージ1」(小康期)から「ステージ2」(警戒期)に引き上げられた。
 昨日の琉球新報に「ギョーザに見るサンエーの経済学<サンエーその強さの秘密>1」という記事が載っていた。記事で紹介されている「お肉屋さんの餃子」は、那覇に住んでいた時によく買って食べた。一番安い時は18個入り180円くらいだった気がする。一つ一つが大きくてニンニクもたっぷり、焼かずに茹でて食べていた。

 この他の気になった記事を備忘録として。
伊藤詩織さんの訴え再び認める 「性行為の合意なかった」 山口敬之氏に330万円支払い命じる 東京高裁控訴審
ザ・ベンチャーズのギタリスト、ドン・ウィルソンが88歳で死去
<視点>「批判ばかり」の批判を恐れる野党に違和感…おとなしさは与党を利する 政治部・大野暢子

 Photo Diaryを更新。
*2013年12月24日のPhoto Diaryはこちら。(マグロのハラゴー)
*2013年12月25日のPhoto Diaryはこちら
12月25日のスナップ。県庁前広場でのデモ

↑朝から雨。今日の昼は、辺野古新基地建設反対を求める包囲行動が沖縄県庁で行われる。12時に県庁前広場に集まり、12時15分から30分間人間の鎖で県庁を囲む。
 12時に広場に行くつもりが、到着したら12時15分を過ぎていて既に始まっていた。
 包囲行動の際、高良副知事に渡す緊急宣言(案)のコピーを頂いたので、以下に全文を掲載。

       知事は政府に屈することなく、不承認を!県民行動

              緊急宣言(案)

 本日、我々は、辺野古への基地建設を断じて許さない決意でここに結集した。仲井眞弘多知事は、県民代表として、また行政の長として、政府に屈することなく、普天間基地の辺野古移設に向けた埋め立て申請に対し、確信をもって「不承認」の判断を下すときである。

 戦後68年、日米両政府は、米軍基地の過重な負担を沖縄県民に強いてきた。オスプレイ配備撤回と普天間基地の閉鎖・撤去、県内移設断念を求めた県民総意の「建白書」を易々と踏みにじり、挙げ句の果ては「辺野古さもなくば固定化だ」と二者択一の恫喝で我々をねじ伏せるつもりだ。

 しかし、沖縄県民は決して屈しない。ジュゴンが泳ぐ美しい大浦湾を大量の土砂で埋め立て、やんばるの森を爆音と熱風で破壊し、半永久的に基地との共存を押し付ける政府に正義はない。

 不誠実なアセス、情報隠しと裏切りでぬり固められた埋め立て申請書はそもそも承認基準を満たしておらず、承認するに値しないことは法的にも明らかだ。沖縄振興予算が基地受け入れの取り引きにはならないこと、条件付きの基地負担軽減策が何の担保にもならないことを、県民はとうに見抜いている。

 知事に対し、沖縄県民の誇りにかけて、歴史的審判に耐え得る判断を行うよう、重ねて「不承認」を求める。
 以上、宣言する。

                              2013年12月25日
     知事は政府に屈することなく、不承認を!県民行動実行委員会
 写真は県庁前広場を取り囲んだ抗議デモの様子。

*2013年12月27日のPhoto Diaryはこちら
12月27日のスナップ。県庁ロビーでの抗議デモ

↑昨日の午前、安倍首相が靖国神社を参拝。米国大使館は直ぐさま「日本の指導者が近隣諸国との緊張を悪化させるような行動を取ったことに、米国政府は失望している」と声明を発表した。また、今日予定されていた小野寺五典防衛相とヘーゲル国防長官の防衛相協議が延期された。中国を訪れていた超党派の国会議員団は昨日の午後以降の会談がほぼキャンセルされ、今日の朝、日程を早めて帰国した。
 安倍首相は昨日、「近年、その誤解がだいぶ増幅をされてきました。ですから、むしろこの機にですね、しっかり説明していくことによって誤解を解いていきたいと思います」と述べたそうだが、誤解を解いてから参拝したらどうか。大人なんだから。

 今日、仲井眞知事が辺野古の埋め立て申請を承認した。それに対し25日と同様、県庁を囲む抗議行動があったので参加。12時15分から30分間県庁を包囲した後、県庁ロビーへ。

*沖縄タイムスから『仲井真知事、辺野古埋め立て承認表明
*琉球新報から『知事が辺野古埋め立て承認 午後に会見、見解表明 普天間移設』『1500人以上が県庁を包囲 辺野古の「不承認」求め』『仲井真知事 辺野古埋め立て承認記者会見
*サンケイビズから『辺野古埋め立て承認 仲井真知事 「日本語能力」問うTBSキャスターに猛反論
 写真は県庁ロビーでの抗議行動の様子。

*2013年12月28日のPhoto Diaryはこちら。(県庁前広場での抗議行動)
*2013年12月30日のPhoto Diaryはこちら。(伊是名島のお米、本マグロの中トロ)
*2013年12月31日のPhoto Diaryはこちら
12月31日のスナップ。平和通り商店街の100円年越しそば

↑大晦日。今年撮影した写真は年内に現像したかったが、未現像の写真データがいっぱい残ってしまった。
 パソコン作業に使っている机のテーブルクロスを替えよう替えようと思いながら、机の上に資料やら文房具がたくさん乗っかっていて放っておいた。ようやく改心して机の上を片し(横に移動しただけ?)クロスを交換した。
 午後3時過ぎ、牧志公設市場の近くにある大平通りへ。昨年の大晦日にここで100円の年越しそばが振る舞われていたので来てみたら、今年もやっていました。大晦日の市場の様子を少し撮影し、ミカンと天ぷらを購入。市場から帰る途中、スーパーで蕎麦やお菓子を買う。

 午前中の情報番組「モーニングバード」を見ていたら、大滝詠一さんの訃報が飛び込んで来た。
 大晦日のテレビの特別番組も面白くないので、家に帰って来てから一人追悼コンサートのつもりで、はっぴえんど、シュガーベイブ、大滝さんのソロを流している。
 You Tubeから「大滝詠一/ナイアガラ・ヘッドフォンコンサート」。
 このヘッドフォンコンサートは1981年12月3日、渋谷公会堂で行われた。観客がヘッドフォンを持参して、客席に取り付けられた小型FMラジオに繋げてステージの演奏を聴くというコンサートだった。
 当時、ドラムのシマ(島村英二)さんのローディーをしていたので、このコンサートも見ているのだが、なにぶん30年以上前なので舞台の袖にいたのかドラムのブースの横にいたのかも記憶にない。
 この頃、シマさんは大滝さん関係のレコーディングも多かったので、ウォール・オブ・サウンドの現場を何回も見ることができた。大きなスタジオにミュージシャンが一堂に会して録音。アコースティック・ギターは4人くらいが一緒に鳴らす。それを何回か重ねていたように思う。
  リズムセクションは、ドラムがシマさんの場合は、ベースはSHOGUNのミッチー長岡さんが多かった。ドラムも何回かシマさんが重ねて録音していたと記憶している。
  今となれば、貴重なものを目撃していたな〜と思う。写真は平和通り商店街の100円年越しそば。

1月22日(土)

 今日の午前1時頃、大分、宮崎両県で最大震度5強の地震があり、転倒などでケガ人が出た他、水道管が破裂するなどの被害もあった。
 東京都で1万1227人、大阪府で7375人と各地で新型コロナの感染者が過去最多を記録。全国では初めて5万人を超えた富山県は昨日の72人から大幅に増えて132人の感染を確認した。

 この他の気になった記事を備忘録として。
400人が体育館で密集作業 日本原燃社長「話しやすくした」 使用済み核燃料再処理工場の審査難航で
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 Photo Diaryを更新。
*2013年12月17日のPhoto Diaryはこちら。(雨に煙る那覇市内)
*2013年12月19日のPhoto Diaryはこちら。(朝の那覇市内)
*2013年12月20日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市内の朝焼け)
*2013年12月21日のPhoto Diaryはこちら
12月21日のスナップ。備瀬のワリーバンタ

↑今日は、今年最後の山原のムラ・シマ講座。始発のバスに乗って、名護バスターミナルへ。2時間弱の車中は、ず〜っと寝て過ごした。名護BTで66番本部半島線の今帰仁廻りに乗り、今帰仁城趾入口で降りる。講座は9時からだが、バスを降りた時点で9時を過ぎていた。
 今帰仁城趾まで続く1キロほどの坂道をトボトボと歩いて行く。途中から道路の両側に緋寒桜の木が植えられている。
 緋寒桜は山から里へ、寒いところから開花して行く。見頃になるまで一カ月以上あるが、慌て者の緋寒桜は居ないかと探していると一つの枝に少し咲かせている木を見つけました。
 今帰仁城趾に隣接する歴史文化センターに入り、講座を受講。館長さんのレクチャーは既に始まっている。今日観察して歩く謝花集落についての話しの後、館長さんの運転するマイクロバスで謝花に向かう。
 ちなみに謝花はジャパナと呼ばれる。花をパナと発音する、P音が残る字(村)だそうです。花は、パナ→ファナ(F音)→ハナと変化した。奄美大島の佐仁も、今は使っているかわからないがP音の残る集落として知られている。与論島のパナウル王国(花と珊瑚の王国)もP音が残った方言だろう。

 10時少し前に謝花に到着。以下、今日の観察場所。1.キジキナガー(ニーガー)(下流港川) 2.謝花の神アサギとウドゥンとミキヤー 3.タンカーモー(?) 4.ウガン(ウタキ)・ヒチャヌウルングヮー・ウイヌウルングヮー 5.ヌルルンチ(謝花ノロ管轄村:謝花・備瀬) 6.ウーグスク(遥拝) 7.謝花小学校跡(奉安殿跡)(現:謝花団地) 8.山川の洞窟(垣内権現)や古墓(もとぶ元気村敷地内)
 12時過ぎに観察は終了。ムラ・シマ講座のスケジュールでは、来年の3月に講座のまとめが予定されていたが、謝花についてのレクチャーの前にまとめが行われたようで、この第21期のムラ・シマ講座は本日で終了となった。バスの乗り換え時間も含めれば片道3時間で、月に一度とはいえ大変だったが終了となると凄く寂しいですね。
 館長さんの運転するマイクロバスは歴史文化センターへ。バスを見送って、もとぶ元気村からCさんに電話。元気村まで迎えに来てもらう。

 Cさん一家を初めて見かけたのは、7月に八重山の豊年祭を見てまわった時だった。行く島々でCさんご夫婦と生まれたばかりの子供を見た。那覇に帰って来て8月4日に与那原の大綱曳きを撮影していたらCさん一家のご主人の方とバッタリお会いして、少しお話しをした。それから間もない8月14日に安田のシヌグを撮影に行ったら、またまたCさん一家と遭遇して連絡先をいただいた。
 9月末に節祭を観に西表島の祖納集落に行くと、民宿の入口付近でCさん一家にバッタリと会う。今度は宿も同じだった。そんなこんなですっかり顔なじみになって、今度は10月に行われるカジマヤー見学にお誘いして一緒に名護の東海岸側を見てまわった。
 Cさん達は育休の一年を沖縄で過ごそうと今年の春に来沖したそうで、来年の春頃まで居る予定だったが子供の保育園の関係で、急遽今月に沖縄を離れる事になった。沖縄を離れる前にお会いしましょうとメールで相談して、講座を受けに北部へ来る今日にセッティングをした。
 もとぶ元気村から歩いても近い場所に住んでいたようで、直ぐに車で迎えに来て下さった。とりあえず私のリクエストで名護にある宮里そばへ。店内はテーブルの他に座敷もあり広々としているが、土曜のお昼時とあって大混雑。券売機の前にも人が並んでいた。それでも回転が早く直ぐに座敷に座れた。
 宮里そばでお昼ご飯を食べた後、美ら海水族館近くの備瀬集落に車で連れて行ってもらった。せっかくならと集落から少し離れた備瀬の聖地と言われるワルミ、通称ワリーバンタを案内してもらった。ワルミは割る、バンタは崖。2つの大きな岩が割れて、その先に海が広がっている。
 しばらくワルミを歩いて集落に戻り、ここでCさん一家とお別れ。ありがとう。またどこかでお会いしましょう!
 備瀬のフクギ並木を歩き、バスの走っている大きな道路に出る。美ら海水族館の方へ歩いているとバス停があった。時刻表を見ていると丁度名護行きのバスが来たので乗車。70番の備瀬線だ。上り下りとも一日4本しかないのでラッキーかも。半島をぐるりとまわる65、66番の本部半島線は何回も乗っているが、備瀬線は初めてなので嬉しい。
 名護BTで那覇行きに乗り換えて家に向かう。行きは2時間弱、帰りは2時間半ほどかかる。乗車回数を重ねるうちに乗車時間は短く感じられるものだが、名護ー那覇間の距離はさすがに慣れない。
 家に帰りお腹が空いたので冷凍のうどんを茹で、冬至の日に食べようと買っておいたジューシー(沖縄風炊き込みご飯)の素を入れてご飯を炊いた。写真は備瀬のワリーバンタ。

*2013年12月22日のPhoto Diaryはこちら
12月22日のスナップ。那覇の朝焼け
↑今日は一年で最も昼の時間が短いと言われる冬至。沖縄では、冬至の日にジューシー(沖縄風炊き込みご飯)を食べる習慣がある。昨日炊いたフーチバージューシー(よもぎ入り炊込み御飯)でおにぎりを3個作り、みかん3つと一緒にバックに入れて家を出る。
 昨日から那覇市国場にある沖縄大学で、「沖縄・奄美の映像祭」が開催されている。自転車で那覇バスターミナルに行き、6番の那覇おもろまち線で沖縄大学前へ向かう。最初の上映は11時からだが、10時15分発に乗り遅れ、次の10時40分に乗車したため少し遅れて会場となる教室に入った。
以下、この日に観たプログラム。
「八重山の動物たち」「トゥバラーマの夜〜沖縄・八重山紀行〜」「島 豊饒の時」「イザイホー〜沖縄の神女たち〜」「戦争を笑え〜命の御祝事さびら!伝説の芸人ブーテン〜」「メディアの敗北〜沖縄返還をめぐる密約と12日間の闘い〜」。これら6つの映像を観た後、2時間ほど行われたシンポジウム「“沖縄”はなぜ報道されないか?」を聞く。
 那覇おもろまち線の下りで那覇バスターミナルへ。自転車に乗り換え、途中スーパーで野菜てんぷらと鶏の唐揚げ串を買って家に帰る。晩ご飯は天玉うどんと、唐揚げ丼。写真はベランダからの那覇市内の朝焼け。
*2013年12月23日のPhoto Diaryはこちら
12月23日のスナップ。パレットくもじ前広場のイヴェント

↑昨日に続き、沖縄大学で開催されている「沖縄・奄美の映像祭」へ。今日は那覇バスターミナルを10時15分発の那覇おもろまち線に乗れたので、11時からの上映まで余裕に着いた。
 昨日はおにぎりを持って来たが、今日は作るのが面倒臭かったので上映前に大学の前にあった牛丼チェーン店で牛丼並み盛りのセット450円を食べる。牛丼を食べるのは久しぶりで、こんなに美味しかったっけ?と思う。沖縄らしく並みでも量がありますね。
 以下、今日観たプログラム。
「星条旗と日の丸のはざまで〜沖縄戦後史 高等弁務官〜(途中まで)」「プチ探検に出かけよう!集落(シマ)ぬ宝再発見 久慈集落編(途中から)」、那覇高校の作品「母の戦争」「ブルーな制服」、那覇国際高校の作品「海辺の散歩」「八月三十一日」、「戦争を笑え〜命の御祝事さびら!伝説の芸人ブーテン〜」「消したい過去 消せない真実〜文科省 疑惑の教科書検定〜」「忘れたい 忘れてほしくない〜石川米軍機墜落事故から50年〜」。
 昨日、今日の2日間で地元の地上波放送局とケーブル局が過去に制作した映像作品をたくさん観ることが出来た。祭祀や芸能を扱った作品はとても貴重な物だし、先の戦争や基地問題を扱った作品はそのまま今の沖縄と日本が抱える問題に続いている。また、基本がテレビ放映される作品なので1時間前後の収録時間というのも、一日に何作品も観るのに適していたように思う。
 それにしても、大学で開催されたイベントなのに大学生が少なかった。映像作品よりも、そのことが個人的には衝撃的だった。
 大学の前から、那覇おもろまち線で那覇バスターミナルへ。自転車に乗り換えて、バスの車窓から見えたパレットくもじ前広場のイベントに立ち寄る。セビージャナス・フェスタと言うフラメンコの催しものだった。
 家に帰り冷凍してあった餃子を茹でて水餃子を作り、納豆ご飯と一緒に食べる。
 晩ご飯の後、アマゾンからの商品が届いた。一昨日、一度配達の連絡を貰ったのだが本部半島に居たので今日の配達にしてもらった。
 届いた商品はプリンターのインクが5本と、3TB(テラバイト)の外付けハードディスク。3TBが1万3880円で買える時代。何て言う名前にしようか。
 今日は天皇陛下の80歳の誕生日だった。こちら(リンク切れ)に陛下の記者会見における全文が掲載されているが、その中で「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」と仰っている。
 今月の初め、特定秘密保護法案に気を取られている間に「原発は引き続き重要なベース電源」としたエネルギー基本計画の素案や、武器輸出を原則として禁ずる武器輸出三原則に代わり禁止から管理とする新原則を提示してきた安倍政権は今日、武器輸出三原則の例外として南スーダンPKO=国連平和維持活動で活動している自衛隊の銃弾を国連を通じて韓国軍に提供した。写真はパレットくもじ前広場で行われていたセビージャナス・フェスタ。

1月19日(水)

 ヤフオクにポルトガルの女性歌手、ドゥルス・ポンテスの2枚組ライヴCD『ア・ブリーザ・コラサン〜心のそよ風〜』が500円で出品されていたので落札した。14日の夜に落札し、ようやく昨日届いた。早速iMacのiTunesに取り込み、3回ほど続けて聴いている。2枚組だけれど全然聴き飽きない。
ヤフオクで購入したドゥルス・ポンテス のCD
 ドゥルス・ポンテスのアルバムは1993年発売の『ラグリマス』と、1999年発売の『プリメイロ・カント』を持っていたが、2001年に杏里さんを撮影した時に、撮影中の雑談でポルトガルのファドに興味があると聞いたので、写真チェックで彼女の事務所に写真を届ける際に新世代ファドの女王と呼ばれた彼女のアルバムを一枚プレゼントすることにした。どちらを渡すか悩んだ末に『プリメイロ・カント』を差し上げて欲しいと担当者に渡した。なぜ『プリメイロ・カント』を選んだのか、今となっては思い出せないけれど。
ドゥルス・ポンテスのポートレート

 ドゥルス・ポンテスは2000年の5月に撮影している。18日にレコード会社でインタヴュー写真とポートレートを、そして翌々日の20日に渋谷のオーチャードホールでコンサートを撮った。
 ポートレートを撮影した時は、Tシャツにジーンズというラフな格好で、とても気さくな対応だった。”新世代ファドの女王”という彼女に付けられたキャッチフレーズの重さや堅苦しさはまるで感じなかった。
 けれど20日のコンサートでは、ガラリと印象が変わった。ファドを演奏するには楽器の種類も人数も多いグループを率いて歌う彼女の姿に圧倒されてしまった。見事な歌声と堂々とした立ち振る舞いでステージに立つ彼女は、やはり新世代ファドの女王だった。

←5月18日に撮影したポートレート。撮影用のバックドロップ(背景布)に穴が空いているのを見つけた彼女は、洋服を着るように穴から顔を出し「My dress!」とおどけてみせた。

ドゥルス・ポンテスのライヴ
↑5月20日のオーチャードホールでのコンサート。撮影は2階の端にあるテラスのような場所しか許可されなかった気がする。
YouTubeから「Dulce Pontes/Canção Do Mar」。

 今日は兵庫・京都・岡山・愛媛・石川・和歌山でも過去最多の新型コロナの感染者が確認された。東京都でも7,377人と過去最多を更新し、全国では初の4万人超えを記録した。
 この感染拡大を受け、政府は1都12県に「まん延防止等重点措置」を適用することを決定した。

 この他の気になった記事を備忘録として。
米5G新サービス、空港周辺の導入延期 「壊滅的影響」JAL・ANAも欠航
「福島第一原発事故の被ばくで甲状腺がんに」と主張 事故当時子どもだった6人が東電を提訴へ

 Photo Diaryを更新。
*2013年11月18日のPhoto Diaryはこちら。(朝の那覇市内、魚のアラ)
*2013年11月24日のPhoto Diaryはこちら
11月24日のスナップ。散歩中に出会った猫の親子
↑最低気温18℃、最高気温24℃。風は南から。こんな日を小春日和と言うんだろうか。
 お昼ご飯を食べてから、第34回 壺屋陶器まつりを見に行く。会場は、国際通りの裏手にある壺屋小学校。しょっちゅう横の道を通っていたが、こんなところに小学校があるとは気づかなかった。会場に着くと、旗頭演舞の真っ最中だった。
 グランドの周りを囲むようにテントが設営されて、壺屋にある窯元がお茶碗や皿、シーサー等を出品している。校舎の裏の方ではヤギふれあい広場が作られていて、餌をあげる事もできるようになっていた。
 会場を一通り見てから、自転車を小学校の横に置いて近所を散策。一時間ほど壺屋、桜坂のスージグヮーをのんびりと歩いてまわった。
 散歩の後、小学校まで自転車を取りに戻り、それから国際通りを抜けて波の上ビーチへ。さすがに泳いでいる人はいなかったが、日光浴をしている人が数人。しばらく眺めてからスーパーで買い物をして帰宅。
  晩ご飯は久しぶり(沖縄に来て初めて?)に麻婆豆腐。丸美屋の辛口に豚肉とネギ、唐辛子を1本加え、豆腐はちょっと固めの島豆腐を使用。島豆腐は炒めても崩れなくていいが、やっぱり絹ごし豆腐のツルンとした舌触りのほうが好きかな。
 明日は雨の予報だ。溜まっている写真データの現像をするか、それとも借りている本を読んで過ごそうか。
 本日の一曲。「千鳥橋渋滞/TULIP」 。写真は散歩の途中で出会った猫の親子。
*2013年11月26日のPhoto Diaryはこちら。(日清焼そば)
*2013年11月27日のPhoto Diaryはこちら。(夕日が当たる高層ビル)
*2013年11月30日のPhoto Diaryはこちら
11月30日のスナップ。栄町市場感謝祭で歌う前川守賢さん

↑今日で11月も終わり。管理会社へ来月分の家賃を払いに行き、そのまま栄町市場へ。今年の屋台祭りは先月で終了したが、今日は年に一度の感謝祭があるのでやって来た。
 スタートは17時からですが、少し早めに到着して八百屋でタマネギと人参、ミカンを購入。鮮魚店でイカ4つ、インゲン1つ入った天ぷらのパック200円を買って会場へ。
 プログラムは、松城太鼓、カメーおばぁと童ばぁたー、永楽、樺里美、栄町市場シンガーズ、テリーズバンド、大ちゃんバンド、栄町ダンサーズ、おばぁラッパーズ、マルチーズロックwith Cherry belly moon、特別ゲスト・前川守賢。
 途中、会場後方の屋台でオリオンビールと台湾チマキを一つ買って腹ごしらえ。
 トリを務めたゲストの前川守賢さんのステージは、50分ほどだった。最初から最後まで大盛り上がり。歌も喋りもお見事でした。沖縄に来て1年半ほどだが、守賢さんの唄う歌はほとんど耳にしたことのある曲ばかり。YouTubeから映像を拾ってみた→「遊び庭〜カチャーチドンドン」「かなさんどー」「遊び庭〜かなさんどー〜ゆがふーでーびる」。
 そして守賢さんのステージを見たら、守賢さんのお父さんで今年の7月に亡くなられた前川守康さんのステージも一度見て聴いてみたかったと思う。守康さんは沖縄の漫談家で、リンケンバンドの林賢さんの父である照屋林助さんと一緒にワタブーショーをやっていた。その頃の映像や音源をネットで探しているが、見当たらない。
 21時過ぎに感謝祭は終了。お客さんみんなでパイプ椅子の片付け。帰り際、屋台で2個500円のチーズケーキを買って帰る。寒くなると甘い物が食べたくなる。写真は栄町市場のステージに立つ前川守賢さん。

*2013年12月2日のPhoto Diaryはこちら。(泡盛・海人、夕日が当たる高層ビル)
*2013年12月4日のPhoto Diaryはこちら。 (オスプレイ、ベランダからの那覇市内)
*2013年12月6日のPhoto Diaryはこちら。(沖縄手帳2014、来夏世)
*2013年12月9日のPhoto Diaryはこちら。(茹で餃子)
*2013年12月11日のPhoto Diaryはこちら。(夕暮れの那覇市内、石油ファンヒーター、借りてきた本)
*2013年12月14日のPhoto Diaryはこちら。(波の上うみそら公園)
*2013年12月15日のPhoto Diaryはこちら
12月15日のスナップ。ウクレレピクニックでのKONISIKIさん
↑お昼ご飯を食べ、新都心で買い物を済ませてから、昨日場所を確認しておいた波の上うみそら公園へ、ウクレレ ピクニックを見に行く。
 15時半頃に着くと、小雨が降り出した。公園の売店へお菓子を買いに行くと、店先でTシャツの特売。しっかりした生地のシャツで500円なので一枚購入。
 伊禮俊一さんのステージの時が一番風雨が激しく、その後は雨も小さくなってきたがハーブオオタ・ジュニアさんとKONISIKIさんのライヴは物販用のテントの中で行われた。
 最後にステージでファイヤーダンスのパフォーマンスがあり、18時半頃に終了。天気の関係で30分ほど短縮されたのかな?
 夜、久しぶりに山内雄喜さんの「SLLACK KEY PARTY」を聴きながら寝る。このジャケットは代々木公園で撮影した。NHKの朝ドラ「さくら」に小錦バンドの一員として山内さんが出演していて、そのテレビ収録の合間に撮ったのではなかったか。2002年5月に撮影。
 今日はウクレレピクニックでしたが、 ハワイのもう一つの音楽、スラック・キー・ギター。You Tubeから「2012ハワイのSlackkey Festiva/山内雄喜」、「Raymond Kane (1925-2008)」。写真は物販用のテントで歌うKONISIKIさん。

1月16日(日)

 昨日の午後1時ごろ、トンガ諸島のフンガ・トンガーフンガ・ハアパイ火山という海底火山が噴火した。夕方のニュースでは、多少潮位の変動はあるが大きな影響はないだろうと言っていたが、夜になってヤフーのトップ画面に津波警報が発令されていて驚いた。奄美大島の小湊で1.2メートルの潮位の上昇があったようだ。小湊は太平洋側の集落で、東日本大震災の時も奄美大島で一番潮位が上がったと記憶している。
 高知で19隻、徳島で5隻の漁船などが転覆・沈没したそうだが、被害の全貌はもう少し後にならないと分からないのだろう。

 シニード・オコナーの17歳の息子、シェーン・オコナーが2度の自殺未遂の後に行方不明となり、その2日後の1月7日に遺体で発見された。シニード・オコナーは「息子の後を追うことにしました。彼なしで生きても意味がない」とツイッターに自殺をほのめかす投稿をしたが、その一時間後心配させるような投稿を謝罪し、警察と一緒に病院へ行き入院したことをファンに伝えたという。
 シニード・オコナーは、いつか撮影したいと思っていたミュージシャンの一人。このショッキングなニュースを見て、彼女が歌うニルヴァーナの「オール・アポロジーズ」を何故か思い出した。カートの歌う「オール・アポロジーズ」もその切実さに胸を衝かれるが、シニード・オコナーのヴァージョンも切なく美しい。YouTubeから「All apologies/Sinéad O'Connor」。

 27年前の今日は、レコード会社の仕事で中国のロックバンド・黒豹(ヘイバオ)を北京、南京、北京と撮影に行って東京に帰ってきた日だった。ハードスケジュールだったので、レコード会社のスタッフが気を使って成田から町田までタクシーを使わせてくれた。確か家に着いたのは夜中だったと思う。そして翌朝、阪神・淡路大震災が起こった。もっとも、当時は家にテレビを置いていなかったので、夕方デザイン事務所のテレビで大災害が起きたことを知ったのだが。
 明日で阪神・淡路大震災から27年だ。 YouTubeから「無地自容/黒豹」。

 この他の気になった記事を備忘録として。
東京湾の海底にプラごみの山 1964年東京五輪頃から堆積 魚介類や人への影響懸念
コロナ対策で弊害浮き彫りの地位協定 米軍の特権的地位を認める日本、では他国は…
豊作願って「成木責め」 福光の吉江干柿組合

 Photo Diaryを更新。
*2013年11月4日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダからの那覇市内)
*2013年11月6日のPhoto Diaryはこちら。(フダチミのラベルがついた泡盛、オスプレイ、ドラゴンフルーツ)
*2013年11月9日のPhoto Diaryはこちら
11月9日のスナップ。本部港から村営フェリーで伊江島に渡る米軍基地の隊員

↑今日は伊江島の村踊を観に伊江島へ。おにぎり3個、ウインナー6本とミカンをリュックに入れて最寄りのバス停へ。始発の名護西線で、名護バスターミナルへ。2時間弱でターミナルに着いた。
 名護BTで65番本部半島線の本部廻りに乗り換えて、本部港へ。本部港を9時に出航するフェリーで、伊江島に渡った。名瀬から那覇へ、那覇から与論島へといった旅で、フェリーから何回も眺めていた伊江島に初めて上陸する。
 一日4便のフェリーがあり、本部港から30分で渡れる伊江島。いつでも来れそうな感じだが、せっかくならイヴェントのある日にと思い今日にした。 今年の1月に沖縄タイムスの本社ビルで伊江島の芸能&物産フェアが開催されたが、その時に国の重要無形文化財となっている伊江島の村踊を観た。次はぜひ、村の中で行われているところを観たいと思っていた。
 村踊は、年に一度伊江村民俗芸能発表会で行われる。開演は14時半からだが、せっかくなら伊江島を自転車でアチコチ走ろうと早めに島に着いた。
 フェリーから降り、観光案内所で地図とパンフレットをもらい、案内所を出たところにあるレンタサイクルで自転車を借りた。地図を見ながら時計と反対回りに走り、道路に立っている案内板に書いてある観光名所を見てまわった。
 島の北西部にある米軍基地は抜かして、ぐるりと島を巡った後、伊江村民俗芸能発表会が開催される改善センターホールに向かった。改善センターはタッチューの麓にあり、緩やかな坂を汗をかきながら上る。 
 事前に電話で問い合わせたところ、芸能発表会は14時半に始まって、終わりは18時頃ではないかとの返答だった。伊江島から本部港への帰りのフェリーは16時が最終便なので途中までしか観られない。開演の1時間以上前に改善センターに到着して、その分リハーサルでも観れないかと思っていたが、会場では町の表彰式が行われていた。
 しょうがないので自転車でタッチューの下を少し走って、14時過ぎにセンターへ戻って来た。 
 伊江村民俗芸能発表会は、伊江島にある8つの字(東江前・川平・東江上・西江上・阿良・西江前・真謝・西崎)が毎年輪番で踊りを発表する。今年は、5巡目での川平地区担当だった。

プログラムから
○主催者あいさつ(教育長) ○功労者表彰 ○発表(川平区) 1.かぎやで風 2.今日の誇らしゃ 3.真河の上 4.上り口説 5.久高 6.見れば 7.前の浜 8.勝連節 9.鳩間節 10.あかきな 11.むんじゅる 12.組踊「伏山敵討」 13.城の前 14.湊くり節 15.四季口説 16.大中桃原 17.加那よ 18.浜千鳥 19.渡海ひざみ 20.扇吉田 21.高平良万才 22.真北 23.次郎が 24.揚作田 25.鶴亀 26.下り口説 27.宮古節 

 16時のフェリーに乗るため、少し余裕をみて15時半前に会場を出た。それでも一つ一つの踊りが短いので(中には一分もない演目もある)、11番のむんじゅるまで観ることができた。
 改善センターからフェリー乗り場までは下り坂もあって、あっという間に着いた。これなら12番目の組踊「伏山敵討」を少しでもいいから観てくればよかった。
 本部港に着いて通りに出たら、ちょうど名護BT行きのバスが停車していた。急いで乗り込んでターミナルへ。名護西線に乗り換えて、那覇へ向かう。行きは2時間弱だったが、帰りは2時間半近くかかった。
*本日の出費。土日祝1日限定フリー乗車券2000円、本部港〜伊江島往復乗船券1330円、レンタサイクル1000円、天然水100円、ミルクティー110円。写真は本部港から村営フェリーで伊江島に渡る米軍基地の隊員たち。

*2013年11月11日のPhoto Diaryはこちら
11月11日のスナップ。伊能大図がフロアに広げられた県立武道館
↑午後から、県立武道館で開催されている琉球国之図と完全復元伊能図フロア展へ。6日から始まっており、昨日と一昨日は沖縄県立博物館・美術館の安里進館長による「琉球国之図」について、完全復元伊能図全国巡回フロア展中央実行委員会の星埜由尚会長(元国土地理院長)による「伊能忠敬の生涯と測量行」と題した講演があった。一昨日は日帰りの伊江島旅行、昨日はその疲れで家から出られず聴講できなかった。残念。
 会場には一枚が一畳ほどの地図を214枚敷き詰めた伊能大図が、どーんと置かれている。この大図を含めて靴下を履いていれば地図の上を歩いて鑑賞することが出来る。また伊能忠敬が測量して歩いたルートや、測量に用いた道具のパネル展示もあった。
  奄美大島の地図を探したが、伊能忠敬は種子島、屋久島までは測量したが奄美群島には足を踏み入れていなかった。測量して歩いた期間は1800年〜1816年なので、奄美はもう琉球から薩摩の支配になっている。伊能忠敬が測量を始める4年前に完成していたという琉球国之図にも、奄美群島の地図はない。奄美群島が測量されて、地図が作られたのはいつ頃になってだろうか。
 武道館から家に帰る途中、スーパーで買い物。11月11日はポッキーの日らしく、商品がディスプレイされている。チョコレート食べたいな〜と思いながら、コストパフォーマンスの良いかっぱえびせんを購入。1111は、かっぱえびせんの日でもいいじゃないか。写真は伊能大図がフロアに広げられた県立武道館の様子。
*2013年11月15日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市内の朝焼け)
*2013年11月16日のPhoto Diaryはこちら
11月16日のスナップ。波止場食堂のかつ丼

↑始発の名護西線で、名護バスターミナルへ。1週間前と同じですが、先週は伊江島旅行、今日は山原のムラ・シマ講座です。
 名護BTで、本部半島線の今帰仁廻りに乗り換えて今帰仁城趾入口で下車。1kmほど続く緩やかな坂を上って、今帰仁村歴史文化センターに到着。講堂に入ると、レクチャーが始まっていた。
 館長さんが自ら運転するマイクロバスで、今日の観察地である比地集落へ向かう。今帰仁村から本島北部の国頭村比地に行く途中、屋我地島を経由した。屋我地島は本部半島にも本島にも橋で繋がっているので、近道のようだ。この島にはまだ足を踏み入れたことがなかったので、少し得した気分。
 10時半過ぎに、集落に到着。まずは集落の入口にある印部石(ハル石)を見学。「ゐ ひち原」と彫られている。その後、山全体が御嶽となっている小玉杜に上り神アサギや、住居跡、アカギの大木などを見学。

 小玉杜内に10件近い住居跡(火神の祠)がある。それは屋敷跡である。かつて小玉杜(ウタキ)内に人が住み、そこには神アサギがあり、また各門中のイビがある。集落の発生の古い形態をみせているのではないか。沖縄のグスクは高い所に築かれている。グスク以前はウタキ(杜)である場合が多い。その杜の内部に住居を構え、古琉球から近世にかけて次第に麓に住居が移動していく。国頭村比地は、戦後まで杜の斜面に住み、その痕跡として火神の祠が今に残し、移動したものの今でもお参りを続けている。

 小玉杜の観察後は山を下りて、カー(湧泉)や風呂屋跡を見学した。
 12時過ぎに、今日の講座は修了。マイクロバスは歴史文化センターに戻るが、久しぶりに辺土名にある波止場食堂のかつ丼が食べたくて、58号に出て直ぐに降ろしてもらった。少し歩くとバス停があった。横は道の駅「ゆいゆい国頭」で、中にある観光案内所で辺土名までの距離を尋ねると、歩いて15分ほどだそうだ。バスが来るまで時間があるので、途中の奥間集落の中を歩きながら辺土名まで歩くことにする。
 案内所でもらった地図を見ながら比地に隣接する奥間へ。この集落にも比地で見て来たような御嶽や神アサギがあるのだろうが、ただ通っただけではわからない。
 集落内から国道58号に戻ってしばらく歩いていると辺土名行きのバスが走って来た。観光案内所で15分と言われたが、もう少しあるかな?ちょっと歩き疲れたので手を上げたら、バス停から離れているのに止まってくれた。終点の辺土名バスターミナルの手前、村営バスが停車しているところで下車。ここから目的の波止場食堂へ。
 かつ丼を注文。来ていない間に50円値上がりして650円になっていた。
 注文する前はいつもより食べられる気がしていたが、目の前に置かれるとあまりの盛りに戦意を消失。格闘しましたが、半分以上お持ち帰りとなりました。惨敗です。
 辺土名バスターミナルを14時40分発のバスで名護BTへ。名護西線に乗り換えて那覇に戻る。最寄りのバス停に着いたのは18時半頃だった。朝が早かったので、行き帰りのバスの中ではほとんどウトウトとしていた。
 お持ち帰りしたご飯とカツに、昨日作ったカレールーをかけてカツカレーにして食べる。
 とりあえず撮影データをバックアップし、セレクトと現像をして早めに就寝。
*本日の出費。土日祝1日限定フリー乗車券2000円、かつ丼650円。写真は波止場食堂のかつ丼。

1月13日(木)

 北陸に暴風雪予報が出されている。富山地方気象台は午後4時過ぎに、富山市や魚津市、砺波市など県内10市町に大雪警報を発表した。高岡市も今晩から明日にかけて、まとまって雪が降りそうだ。
雪
ロニー・スペクター
「Be My Baby」などのヒット曲で知られる、ザ・ロネッツのリード・ボーカル、ロニー・スペクターが78歳で亡くなった。元夫でプロデューサーだったフィル・スペクターがほぼ一年前、昨年の1月16日に亡くなったばかりなので驚いている。
 1999年の来日時には、ライヴは撮影していないがポートレートを撮影している。もう23年も前で、この時彼女は55歳だろうか。
 ザ・ロネッツとして活動していた期間は1959年~1966年で、映像の彼女はとてもキュート。紛うことなきスター。この頃の彼女を撮影したかったと思うが、自分は小学校にも上がっていない。
 彼女が手にしているバカ殿の人形は、彼女が街中で見つけて気に入って買ったもの。
 彼女たちの代表曲で、彼女たちのプロデューサーだったフィル・スペクターの代表曲でもある「Be My Baby」をYouTubeから。「 Be My Baby-Live/The Ronettes」。

 今日の新型コロナ感染者数は、全国で1万8000人を超えた東京都で3124人富山でも31人

 この他の気になった記事を備忘録として。
コロナ時代の幸福論 趣味こそが人生の本業 作家・逢坂剛さん
数億年に及ぶ地球の歴史現れる辺戸岬 沖縄本島の最北端 本州からへ地質構造の境界
沖縄・辺野古で進む「既成事実化」 3割近く陸地化というけど、軟弱地盤で必要土砂の8% ー 反対派は徹底抗戦へ

 Photo Diaryを更新。
*2013年10月13日のPhoto Diaryはこちら。(沖縄県立博物館・美術館、那覇大綱引き)
*2013年10月15日のPhoto Diaryはこちら。(雨の那覇市内)
*2013年10月17日のPhoto Diaryはこちら。(レターパック、曇り空の那覇市内、キュウリと塩昆布の漬け物)
*2013年10月18日のPhoto Diaryはこちら。(水の逆流)
*2013年10月19日のPhoto Diaryはこちら
10月19日のスナップ。本部半島線のバスの車窓から
↑昨日の昼前、食器を洗っていると、後ろのバスルームからゴボゴボと音がする??変だな〜と思いながら食器を洗っていると、またゴボゴボ。ん???食器を洗う度に、便器から水が逆流しているのだ。ナンテコッタイ!ちょうど一週間前に配水管が詰まって直してもらったばかりなのに。急いで管理会社に電話。担当者に来てもらう。先日修理した業者も暫くして到着。今度は隣りの住人の部屋から機械を入れて、再度配管の掃除をすることになった。前回よりも時間をかけて掃除をしているようだった。
 配管が詰まるとキッチンの下の方から床に水が溢れてくるようなので、これも新しいゴムのパッキンと交換して直してもらう。やれやれだ。
 今日は今帰仁村歴史文化センターで、9時から山原のムラ・シマ講座。
 最寄りのバス停を6時13分に出る名護西線で、名護バスターミナルへ。名護BTで本部半島線の今帰仁廻りに乗り換えて、今帰仁城趾入口へ。そこから緩い上り坂を1kmほど歩く。センターに着いたのは9時20分ほどで、今日訪ねる我部祖河集落についてのレクチャーが終了する間際だった。
 レクチャーの後、館長さんの運転するマイクロバスで我部祖河に移動。我部祖河に到着したのは10時過ぎで、歩いて御嶽(ウタキ)を上がる。
 ウタキ内の祠やアサギの礎石、お宮を観察した後、ウタキを下りて集落の中を歩きながら説明を聞く。
 12時過ぎに集落の観察は終了。近くに河知農協前というバス停があったので、マイクロバスには乗らずに路線バスで名護に戻ることにする。待っている間に、雨がザーザー降り出した。バス停の小さな庇の下で、家から持って来たミカンを食べながら、バスを待つ。
 名護バスターミナルから名護西線に乗り換えて、嘉手納まで戻る。雨はやんで、青空が見えて来た。嘉手納で62番の中部線に乗り換えて、コザへ。
 朝が早かったので眠いのだけれど、せっかく1日乗り放題のチケットを買ったので遠征。名護BTから辺土名へ行き、波止場食堂のカツ丼を食べようかとも思ったが、あのカツ丼と向き合うには覚悟がいるので、今日はパス。でも無性に食べたくなる。
 コザは今月の初め、八重山から戻って那覇空港からそのままポートレートを撮りに行き、嘗ての白人街だった美里と、黒人街だった照屋で撮影をした。
 沖縄に来てから1年以上経ったが、この辺りはコザ十字路を挟んだ美里と照屋しか歩いていないので、今日は照屋の銀天街から胡屋、中の町を散策。
 1時間半ほどスナップを撮りながら散策して、中の町のバス停から那覇行きと書いてあったバスに乗車。乗ったバスの系統番号は忘れたが、普天間、野嵩、おもろまちを経由して自宅の最寄りのバス停に着いた。初めて乗るバスは車窓から眺める風景が新鮮で、疲れていても楽しい。
 バスを降りると、泊港の辺りが夕日でオレンジ色に輝いている。急いで自転車をとりに行って泊港の方へ駆けつけるが、着いた頃には厚い雲の中に沈んでいた。写真は本部半島線のバスの車窓からのスナップ。
*2013年10月21日のPhoto Diaryはこちら。(鮪の団子、刺身の盛り合わせ、じゅり馬と辻村女の里チージの研究)
*2013年10月26日のPhoto Diaryはこちら
10月26日のスナップ。栄町市場屋台祭り

↑さて寝ようと思いながら、ふとテレビのチャンネルをつけたら「朝まで生テレビ」が始まって、テーマが汚染水問題だったのでウトウトと半分眠りながらも朝まで観た。
 番組の途中に東北地方で地震があり、テロップで津波注意報が流されたが「生テレビ」と言いながら今回は放送直前に収録したものを流していたため、当然だがパネラーから地震や津波に対する反応はなし。 

 眠いな〜と思いながら割りと早くに起きて、夕方までパソコンに向かって写真の作成。
 今日は17時過ぎから、今年最後の栄町市場屋台祭りがあるので自転車で向かう。おばぁラッパーズは翁長市長と一緒に仙台へ出張しているらしく今日は出演していなかったが、祭りは大盛況で21時終演予定が22時頃になった。
 今年の屋台祭りはこれで終わったが、来月の30日に感謝祭が行われる。ゲストは、前川守賢さんを予定しているそうだ。生で「遊び庭」聴きたいな〜。
 4日ほど部屋に籠っている間に、郵便受けにせんべいを入れた封筒が届いていた。東京の友人に送った残暑お見舞いのお礼らしく、実家の高知の味だと言う土佐のかわえびせんべいに短い手紙が添えられていた。
 春にいただいた桜の香りのお茶がまだ残っているので、一緒に楽しもうと思う。ありがとう。写真は八重山芸能クラブOBのステージ。

*2013年10月30日のPhoto Diaryはこちら。(スニーカー、湿布薬、富山県産こしひかり)
*2013年10月31日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市内上空を飛行するオスプレイ)
*2013年11月1日のPhoto Diaryはこちら。(雨に煙る那覇市内)
*2013年11月3日のPhoto Diaryはこちら
11月3日のスナップ。泡瀬の大綱引き
↑3連休の中日。今日は沖縄市の泡瀬で、大綱引きがある。泡瀬村創設110周年・泡瀬復興期成会創立65周年記念事業として行われるもので、綱引き大会は10年ぶりだそうだ。泡瀬はゴールデンウイークに干潟を見に一度来ているが、せっかくの綱引き大会なのでバスに乗って見に行く事にした。
 綱引きの前に14時から道ジュネーがあるので、部屋を13時過ぎに出て最寄りのバス停へ。31番の泡瀬西線に乗り、泡瀬3区入口で下車。同じバス停で下りた方に綱引きが行われる泡瀬ビジュル大通りの場所を尋ねると、やはり綱引きを見にいらしたようで会場の近くまで道案内をしていただいた。
 泡瀬3区のバス停に着いたのが14時半頃、そこから会場の大通りまで10分ほど歩いた。大通りの名前にもなっている泡瀬ビジュルがあったので、先ずは参拝。
 参拝の後、大通りを人垣のある方へ歩いて行くと演舞が行われていた。大通りに面したビルの外階段に見物客が並んでいるので、便乗して暫く日米混合?の創作エイサーを見学する。
 以下、泡瀬大綱引プログラムから
14:00 道ジュネー(東方 泡瀬公民館出発、西方 マンタ公園)
14:00 カヌチグチ演舞
泡瀬わらべ太鼓 フラダンス フラダンス”プアヒヒ””ハナハナ” ニックス・ハマヤー太鼓 泡瀬トントンミー子ども会演舞 泡瀬第三婦人会集団演舞 沖縄市東部地域老人会連合集団演舞 琉球國祭り太鼓
17:00 開会式
開会の言葉/泡瀬大綱引副実行委員長 実行委員長あいさつ/泡瀬大綱引実行委員長 沖縄市長祝辞 沖縄市議会議長祝辞 審判長注意/綱引部会長 空手演武・棒術演武 東方 心治館/西方 誠武館 若者ガーエー 東方・西方 1番太鼓燈籠(テークドゥール)演舞・若者ガーエー 2番太鼓燈籠演舞・若者ガーエー 3番太鼓燈籠演舞 太鼓燈籠乱舞 綱寄せ カヌチヌチ(貫き) 支度(シタク)寄せ 子ども綱引(小学生以下の児童・園児)
19:00 綱引開始 
閉会あいさつ/泡瀬大綱引副実行委員長 
19:45 花火打ち上げ

 綱引きが終わった後、まだ熱気の残る通りの写真を撮りたくて、先ほどのビルの外階段に上る。俯瞰写真を撮影していると、隣りの人から声をかけられる。安田のシヌグでお会いして、先月「全琉秀作写真選抜展」を見に市民ギャラリーへ行って再会した祖慶さんだった。車で来ていて、これから那覇の方へ帰るということで乗せてもらうことになった。途中、58号沿いのレストランで晩ご飯までご馳走になってしまった。ありがとうございます。
 部屋に帰り撮影データを外付けのハードディスクにバックアップ。日記用に少し現像していると、机が揺れた。地震?沖縄近海でマグニチュード5.0だった。写真は泡瀬の大綱引きの様子。

1月10日(月)

 旧暦12月8日の今日は、ムーチー(鬼餅)。沖縄では健康と長寿を祈願して、月桃の葉に包んだ餅を食べる。ムーチーの日が近づくと、公設市場のまわりにムーチーを並べるお店が増えていた。
 餅といっても本土のお餅とは異なり、沖縄では餅粉に水を入れて捏ねて作る。それを月桃の葉に包んで蒸すのだが、ネチャネチャとした餅はなかなか月桃の葉から剥がれず、そのうち手の指にも餅がひっついて食べるのに難儀した。
 なぜ沖縄でムーチーを食べるようになったかを伝える民話がある。童話や民話の多くにはエロスとタナトスが秘められているが、このお話もそうなっている。興味があれば、検索して下さい。
ムーチー01

 ムーチービーサーという言葉がある。ビーサーは、寒いといった意味。沖縄ではムーチーの日が来ると寒さが厳しくなるという風に伝えられている。因みに今日の那覇の最低気温は17℃、最高気温は22℃だそうだ(笑)。でも沖縄に住んでいると、20℃を切ると寒く感じるのも事実。 
←黒糖を入れた黒ムーチー。
↓公設市場のまわりや商店街には、ムーチーを売る店が登場。

ムーチー02

 <五輪デモに金銭で動員は未確認 不適切字幕でNHK謝罪><NHK、事実確認せず不適切字幕「金もらって」「五輪反対デモ参加」><NHK大阪拠点放送局 河瀬直美監督に密着の「五輪ドキュメンタリー」で謝罪…捏造は否定><NHKの河瀬直美さんの五輪番組、字幕に不確かな内容 21年放送><NHK、番組の不適切字幕で謝罪
 NHK大阪放送局は昨年末に放送した「河瀬直美が見つめた東京五輪」という番組について、字幕の一部に不確かな内容があったと発表した。それを昨日から新聞各紙が取り上げている。
 不確かな部分とは、番組中に五輪反対デモに参加しているとした男性が証言する場面で、「実はお金をもらって動員されていると打ち明けた」との字幕。放送後に視聴者から指摘がありNHKが改めて確認したところ、男性は五輪反対デモに参加したかどうか記憶が曖昧だったという。なんでこういうボケた人にNHKは取材したんだろう?また、お金をもらったという部分について、男性は別のデモに参加した時に現金を受け取ったことがあると説明したというが、それはどんなデモだろうか。岸田首相の応援演説安倍元首相の応援演説で日当5,000円が支給されたことが昨年の衆院選で明らかになったが、なんどもデモの現場を撮影し、一緒に行進したりもしたがお金をもらった話など聞いたことがない。NHKは男性がお金をもらったという別のデモの話が本当かどうか、そこから確認するべきだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
マイナンバー事業費、2.6倍の1655億円超に膨張 異例の契約変更数と増額規模
米軍の「特権」でほころんだ水際対策…「まん延防止」適用の原因に? それでも岸田首相は「地位協定改定考えていない」
岸田氏vs高市氏 財政再建か、積極策か 対立で異例の事態に

新しいトップ画面

←松の内も明け(地域によっては15日まで)、お正月気分もすっかりなくなったのでトップ画面を更新しました。スペインのラ・マンチャ地方にある、カンポ・デ・クリプターナです。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面
 Photo Diaryを更新。
*2013年10月2日のPhoto Diaryはこちら
10月2日のスナップ。ウラヒカーでの奉納芸
↑節祭3日目は、ツヅミ。ツヅミとは、締めくくり、総まとめといった意味のようだ。
 祖納では、ムラグゥトゥ(共同作業)として祭場の掃除や、村内の井戸の掃除などが行われる。
 朝10時頃に公民館へ行くと、広場の雑草を刈っていた。海岸近くの作業所では、女性達がツヅミ用のうさい作りの真っ最中。昨日の主祭場である前泊浜は見事に片付けられていた。
 今日はミリク役を務めた人の家へ公民館長、役員、舟頭、年輩者が酒と料理を持ってお礼参りに行くので、同行させていただいた。11時に公民館に集合し、歩いて3分ほどのお家へ訪問。館長さんが仏壇に礼拝した後、ミリク役へのお礼をのべる。その後、お酒と料理をいただきながら1時間半近く歓談。
 お礼参りを済ませた後、一旦公民館に戻り、今度はウヒラカー(大平井戸)へ。ここに昨日の衣装で出演者が集まることになっており、13時頃に揃いだした。まず館長さんがカー(井戸)に祈願をし、その後、奉納芸が行われた(ミリクとフダチミは出ない)。祈願から、最後の演舞である獅子舞までおよそ1時間ほどだった。
 ウヒラカーでの儀式が終わると、旗頭を先頭に集落を練り歩き、主だった施設や家々をまわる。玄関から旗頭の先端を入れて家の祝福をし、そうして練り歩く事で集落を清めるという事のようだ。
 2時間ほど集落を練り歩き、最後は公民館に到着。途中、西表中学校と保育所では、少し演舞も披露した。
 公民館に到着し、旗頭が公民館の中に仕舞われた後、休む間もなく広場で芸能のツヅミ行事が始まった。一番最初は舟頭と舟子によるヤフヌ手(ピヨーン)で、男性達の迫力ある歌声が素晴らしい。なんとなく宮良で観たアカマタクロマタが登場した時の興奮を思い出す。
 ヤフヌ手の後、アンガー踊り、狂言、棒術、獅子舞と1時間半ほど演舞が続き、18時半頃に終了。この後、公民館の中で直会が行われるようなので、お礼を言って宿に戻る。
 昼間、宿の近くにある民家の庭にサガリバナを見つけた。今晩蕾みが開きそうな気配があったので、22時過ぎに見に行くと、ピンクの花を咲かせていた。
 台風23号の影響で、今日の上原ー石垣便は午後から欠航になった。明日も欠航が予想されるので、石垣に戻るには大原港へ出なくてならないだろう。
*本日の出費。おにぎりセット300円、パン240円、カップ麺200円、魚肉ソーセージ4本280円。写真はウヒラカーでの獅子舞演舞。
*2013年10月3日のPhoto Diaryはこちら
10月3日のスナップ。西表島の大原港にて
↑朝5時に携帯のアラームで起床。歯を磨き、顔を洗い、荷物をまとめる。
 上原港から石垣島への船は出ないだろうと思い、祖納を6時27分に出発する大原港行きの安栄観光の送迎バスに乗る。途中、上原港の受け付けで石垣港までの乗船券を購入。上原港から大原港まで、バスはノンストップで突っ走る。
 大原港から7時50分のフェリーに乗船。40分ほどで石垣港に着いた。離島ターミナルからバスターミナルまで歩き、石垣空港行きに乗車。
 空港に着き、スカイマークのカウンターで11時35分発の那覇行きのチケットを購入。搭乗手続きを済ませて、ロビーで出発を待つ。
 那覇空港に到着し、北のエレキガール・TOMOKOちゃんと合流。彼女の運転するレンタカーに旅の荷物を乗せて、撮影に出掛ける。当初は西表島か石垣島での撮影も考えていたが、台風23号が接近中なので急遽那覇に戻っての撮影となった。
 昨年は台風の合間に奇跡的に晴れた日の撮影だったが、今回は台風接近中の撮影。昨年は金武に行こうと思いながら時間がなくて普天間での撮影となったが、今回は那覇から高速に乗って金武町へ。キャンプハンセンの入口前に広がる社交街で撮り始める。
 社交街と近くの海岸で撮影した後、コザ十字路へ。閑散とし時間の止まったような吉原社交街、嘗ての黒人街である照屋を車でまわりながら撮影。
 無事撮影が終わったので、那覇へ戻る。お腹が空いたので車をコインパーキングに入れて、ハイウエイ食堂へ。2人だがアレコレ食べたくて、ヘチマの味噌煮定食(刺身・ポーク玉子付き)、くーぶいりちー定食、ゴーヤチャンプル定食を注文。西表島では、お弁当とパンとカップ麺ばかりだったのでご馳走だ。
 食べ終わり、家の前まで送ってもらう。とりあえず今撮影してきたポートレート、そして西表島の写真データをバックアップする。
 疲れているので、細かい荷物の片付けは明日にする。久しぶりにお酒も呑まずに就寝。
*本日の出費。祖納→大原港→石垣港2300円、バスターミナル→石垣空港520円、石垣空港→那覇空港5000円、ミルクティー150円。写真は西表島の大原港。

*2013年10月5日のPhoto Diaryはこちら。(台風通過中の那覇市内)
*2013年10月6日のPhoto Diaryはこちら。(壊れた接続端子L-05Aと新品のL-05A)
*2013年10月9日のPhoto Diaryはこちら。(雲が垂れ込めた那覇市内、新しく買ったリュック)
*2013年10月11日のPhoto Diaryはこちら。(朝焼け、排水管の詰まりを修理、借りてきた本)
*2013年10月12日のPhoto Diaryはこちら

10月12日のスナップ。久志区のカジマヤー

↑沖縄では旧暦の9月7日に、数え年で97歳の長寿を祝う行事・カジマヤーが行われる。この年齢になると、もう一度子供に帰ると言われ、玩具である風車(カジマヤー)を車に飾り付けてパレードをしたり祝賀会を開いたりと集落をあげて盛大に祝う。
 長寿の島・沖縄らしいこの行事を見たくて、昨年からず〜っとアンテナを張っていたが、なかなか情報がなくて今年も見れないのかと諦めかけていた。それでも思い出したようにネットで検索をしていたら、今月に入り名護市久志の広報誌「久志間切10月号」が引っかかり、10月12日(旧9月8日)に久志区で11時〜、瀬嵩区で16時〜カジマヤーのパレードがあると分った。それからは久志間切の編集をされている教育委員会や公民館、沖縄バスに問い合わせて、久志行きの準備を整えていた。

 朝7時頃に最寄りのバス停を出る名護西線で、名護バスターミナルへ。バスターミナルの入口で、Tさんご夫婦と待ち合わせ。Tさん達とは7月の八重山の豊年祭会場で何回か顔を合わせており、その後も与那原の大綱引き、安田のシヌグ、そして先日の西表島・祖納の節祭では祭り会場だけでなく宿泊した民宿でも一緒になった。そんな縁で今回のカジマヤー見学をお誘いしたところ、ご一緒することになった。
 小さなお子さんの具合が少し悪いようで、午前中は奥さんが家でお留守番に。旦那さんの運転する車で、久志に向かう。久志の公民館に着くと、既に飾り付けをした軽トラが一台停まっていた。
 パレードは11時からだが余裕をみて10時頃に到着したので、暫く集落内を散策する。沖縄北部の東海岸側の集落は琉球の面影をまだ残しており、神アサギやノロ殿内があって旧暦の神事も行われているようだ。
 10時半過ぎに公民館に戻ると、少しずつ集落の人が集まりだしていた。やがてカジマヤーを迎えた宜野座よしえさんと、比嘉ウタさんを乗せた軽トラックが到着。トラックの荷台には屋根が付いており、風車や花などがデコレーションされている。
 パレードの始まる11時直前に雨が降り出したが、まずは広場でお祝いの席で踊られる「かぎやで風」が披露され、続いてチョンダラーに仮装した人達によるカチャーシーが踊られた。
 雨はだんだん激しくなって来たが、ゆがふ雨(恵みの雨)ということでパレードは出発。カジマヤーのお二人を乗せたトラックの後ろを、傘をさして仮装した人達が着いて行く。公民館前の広場を含めて3カ所で、かぎやで風とカチャーシーが踊られた。途中、沿道で出迎えて下さる人達に風車を渡しながら、12時20分頃に公民館に戻りパレードは終了した。
 パレードの後、カジマヤーを迎えたお二人がそれぞれ親族と一緒に記念撮影。仮装でパレードを盛り上げた方々も記念撮影をして、祝賀会の行われる17時まで一旦解散となった。
 ところでパレードの前、チョンダラーの仮装をした男性に道順を尋ねたところ「集落内の七つの橋を渡り」と話された。七つの橋と聞いて、直ぐにイザイホーの行事を思い浮かべた。 
 イザイホーの本祭場は先に図示したとおりである。クバの葉でおおわれたハンアシャギの赤瓦の建物であり、その前面の出入り口には地面に埋めこまれた丸太製の七段の梯子、いわゆる七ツ橋がかけられている。この七ツ橋が現世と他界を結ぶかけ橋である。(「神々の古層 主婦が神になる刻 イザイホー」より)。
 また、こちら(リンク切れ)には異界への通路としての橋とし、
 梅原によると、久高島の女たちが神女になるための通過儀礼、イザイホーで行われる「七つ橋」を渡る儀式を、女が鳥になって異界を訪れる儀式である。鳥になるために女たちは髪を乱して「七つ橋」を渡る。命を懸けて渡る。そして「エーファイ、エーファイ」とまるで鶴の鳴き声のごとき悲鳴を上げるのである。そのとき、女たちは既に鳥になっている。七つ橋とはこの世とあの世(ニライカナイ)との間に架けられた橋であり、この橋を渡ることで、神女となる。
 現在のカジマヤーでは金赤の派手なちゃんちゃんこを身に着けているが、沖縄大百科のカジマヤーの項目によると、
 明治のころまでのカジマヤーは模擬葬式の儀式で、死に装束を着せ、集落の七つのカジマヤー(四辻)を回ったという。カジマヤーの名称も「風車」ではなく「四辻」からつけられたものという説もある。
 イザイホーの七ツ橋と絡めて考えるのも、強ち見当違いではないのかもしれない。
 久志のパレードが終わり、次の瀬嵩のカジマヤーまで時間があるので、Tさんと一緒に辺野古のアップルタウンに行ってみた。嘗ては米兵相手の社交街だった場所だが、昼間歩いてもほとんどのお店はシャッターを閉じていた。
 お腹が空いたので、営業中だったパーラーに入って沖縄ソバ(おにぎりとサラダ付き)500円を注文。大人数のお客さんが来た後だったようで、ソバが無くなったという。おばさんが、ソバを買ってくるから待っててと言ってスーパーへ買いに出て行った。
 ソーキとカマボコが乗ったソバに、小さなおにぎり、佃煮、パパイヤのスライスが入ったサラダ、それにオマケでゴーヤのピクルスも出して下さった。ご馳走さまです。お店を出る時に聞いてみると、夜は飲み屋も8軒ほど営業しているそうだ。
 アップルタウンに寄って昼ご飯にソバを食べて、瀬嵩の公民館に着いたのは14時半近くだった。瀬嵩のパレードは16時からだが、公民館の玄関にはパレード用に飾り付けされたオープンカーが待機していた。
 Tさんは、ここで一度家に戻り、奥さんと子供のお守役を交代。16時からのパレードに合わせて、今度は奥さんが瀬嵩に来るそうだ。
  集落を散歩した後、公民館に戻って始まりを待っていると、カジマヤーを迎えられた比嘉オトキさんが家族に付き添われて到着。16時になり、広場で青年団によるエイサーが踊られた後、オープンカーに乗ってパレードが開始された。オープンカーの後には、エイサー隊を乗せた大きなトラックも着いて行く。
 瀬嵩のパレードは集落内を巡らず、比嘉オトキさんの生まれ故郷である天仁屋へ真っ直ぐ向かった。30分ほど東海岸沿いの道を走って、天仁屋の集落に着いた。神アサギの前にある広場でエイサー隊が、踊りを披露。最後は97歳の比嘉さんもカチャーシーを踊られた。
 20分ほど故郷の天仁屋でお祝いをされて、来た道を戻って瀬嵩集落へ。この後、公民館で祝賀会が行われるようだ。オープンカーの飾り付けが外されたので、その中から風車を一ついただいて名護BT へ向かう。
 名護BTから18時30分発の名護西線で、那覇に。乗車して直ぐに、車窓の景色が暗くなる。日が暮れるのも早くなったな〜とこんな時に実感する。 今日はそれほど渋滞していなかったが、最寄りのバス停まで2時間かかった。
 疲れているが、撮影した写真データを外付けのハードディスクにバックアップ。 冷凍してあったご飯で、お茶漬けを作って食べた。
*本日の出費。土日祝1日限定フリー乗車券2000円、ガソリン代1000円、昼ご飯500円、缶コーヒー110円。写真は久志区のカジマヤー。

1月7日(金)

 年末と年始に遊郭に関する記事が2本流れてきた。一つは尼崎の歓楽街「かんなみ新地」が70年の歴史に幕を下ろしたという記事で、もう一つは大正時代の吉原遊郭が舞台の「鬼滅の刃」人気で、吉原が観光資源として注目されているという記事だった。同じ遊郭という場所を扱った記事だが、内容は天と地ほどの差がある。
 沖縄市にも吉原と呼ばれる地域がある。コザ十字路の近くで住所は美里一丁目だが、東京の吉原遊郭から名前を取った社交街で、いわゆる「チョンの間」と言われる部屋がゆるい山のような場所に並んでいる。
 普天間飛行場の近くにあった真栄原と共に沖縄の2大社交街と言われたそうだが、真栄原社交街は2010年頃から警察と市民団体の浄化運動で壊滅し、2012年に写真を撮りに行った時は人影のないゴーストタウンになっていた。吉原にもやはり2012年に撮影に行ったが、こちらも真栄原と同じく警察の取り締まりで空き家ばかりが目立っていた。
 吉原は思っていたより広い社交街で、路地も入り組んでいた。時折ゆっくりとタクシーや乗用車が道を流していた。廃墟のような、とまではいかないが閑散とした町を写真を撮りながら歩いていると、妙齢なお姉さんと目が合った。知らんぷりで通り過ぎるのも何なので、「こんにちは」と挨拶すると、「写真を撮ってるんですか?」と聞かれドキッとした。やばいかな、と思ったら「写真をいっぱい撮って残して下さい。貴重になりますから」と言われた。
 お姉さんは中の町の社交街でお店を出しているそうで少し立ち話をしたが、警察の取り締まりが多くて「みんな、たいへんサー」と嘆いていた。吉原は本来の商売ができず、空き店舗をアパートとして貸したりもしているようだった。
 下の写真は、間口の狭い同じような部屋が並ぶ吉原社交街の一角。角に石敢當と書かれた、魔除けの札があるのが沖縄らしい。
吉原社交街
 昨日の沖縄タイムスに<「島人のアクセントを実際の声で残したい」 伊是名島の方言、琉球大の協力を得て録音>という記事が掲載されていた。
多良間島
 これで思い出したのが、多良間島の言葉と発音だ。那覇に住んでいた時に、多良間島に関する本を読んでいるとパピプペポのように文字の右上に付いている○=半濁音が、イやムという文字に付いていた。最初は誤植だろうかと思っていたが、そうではないらしい。調べると多良間島独特の言葉の発音を表記しているそうだが、イやムに半濁音の○が付いた表記を眺めていても、その発音がイメージできなくて途方に暮れる。これこそ実際の声で残して欲しい。

 上の写真は、石垣島から那覇へ向かう飛行機から撮影した多良間島。行きたかったが行けなかった有人島が、多良間島だ。

 新型コロナ感染の第6波に入ったようだ。今日一日の全国の感染者数は6809人で、昨年9月以来の6000人越え。沖縄が過去最多となる1414人、東京は922人。富山も13人の感染者が出て、二桁の感染者は114日ぶりとなる。新田知事が記者会見を開いて、富山アラートを発令したそうだ。

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*2013年9月28日のPhoto Diaryはこちら
9月28日のスナップ。宮古島・平良
↑今日の午後の便で那覇へ帰る。9時頃に起きて、ドミトリーのベッドを片付け。これでチェックアウトの用意はできた。
 リビングのテーブルにパソコンを広げて、昨日の日記メモを書く。昨日の事を思い出しながら、写真を見ながら書くので時間がかかる。書き終わったのは10時半過ぎだったろうか。
 チェックアウトは11時なので鍵を返し、荷物を預かってもらい、11時少し前に宿を出る。散歩がてら空港行きのバスが出る、西里通り入口まで写真を撮りながら歩く。バス停の場所と出発時刻の確認をして、公設市場へ。公設市場の2階にあるお店で、お昼ご飯。宮古島に来てからお弁当やパン、カップ麺と寂しい食事が続いたので、奮発して1200円の刺身定食を注文。
 食べ終わり市場の横の道を港の方に下りて行き、フェリー待合所で連続テレビ小説の最終回を見る。待合所で暫くぼんやりと休憩してから、まだ営業していない閑散とした飲屋街を行ったり来たりと散策。
 散策に疲れたので市立平良図書館に寄り、1時間ほど椅子に座って写真集を2冊眺める。
 15時半過ぎに宿へ荷物を取りに行き、西里通り入口のバス停へ。バスを待つ時間は、いつもドキドキ。少しでも遅れると、何かの手違いでもうバスは行ってしまったんじゃないだろうかと不安になる。16時14分発のバスはほぼ定刻に到着して、空港に向かった。
 搭乗手続きを済ませて、ロビーで出発を待つ。30日から西表島の節祭を観に行くので、宮古島から石垣島に直接行こうかとも思っていたが、一旦那覇へ帰る事にして正解だった。明日一日部屋でゆっくりすれば、少しは疲れがとれるだろう。
 那覇行きの飛行機は満席で、出発時間はちょっと遅れた。那覇に近づくにつれて雲が多くなり、機体が少し揺れた。預けた荷物を受け取り、モノレールで美栄橋駅へ。駅を出ると道が濡れている。少し前まで雨が降っていたようだ。
 部屋に着いたのは20時頃。とりあえず撮影データを外付けのハードディスク2台にバックアップして就寝。
*本日の出費。宮古→那覇5000円(事前に購入済み)、刺身定食1200円、西里通り入口→空港ターミナル210円、那覇空港→美栄橋290円。写真は宮古島中心部のお散歩スナップ。
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*2013年9月30日のPhoto Diaryはこちら
9月30日のスナップ。祖納集落の節祭のウブシクミ
↑一昨日宮古島から帰って来たばかりですが、今日から西表島・租納と干立の節祭(シチ)を見に行く。
 7時半過ぎに部屋を出て、モノレールの美栄橋へ。いつもは昼ご飯用のおにぎりを作って持って行くが、お米が無くなったので今日はなし。早めに搭乗手続きを済ませて、いつものようにロビーで出発を待つ。席にゆとりがあるようで、窓側の席が簡単にとれた。
 10時丁度のスカイマークSKY561便で、石垣空港へ。ほぼ定刻に着いて、路線バスでバスターミナルへ。ターミナル近くの酒屋とコンビニで、泡盛とカップ麺やパンを買って行く。
 離島ターミナルに行き、13時30分発の西表島・上原港行きの切符を購入。出発までの間に売店で、お弁当を一つ購入。
 上原行きの船はちょっと小さめで、波が高かったこともあって揺れに揺れた。窓がないので、両端の席は波しぶきを被って大変な事になっていた。乗船時間は40分ほどだけれど、ちょっとぐったり。
 上原港についてフェリー会社の無料送迎バスで、租納集落へ。バス停の先に今日から3泊する宿があった。部屋を案内してもらい、3泊分の宿代6000円を支払う。宿の直ぐ裏にある公民館に行き、今日のウブシクミ、リハーサルの時間を尋ねると20時からだそうだ。一旦宿へ帰り買って来たお弁当を半分食べて、宿の自転車を借りて租納の節祭が行われる前泊浜へ。
 浜へ下りる手前で、人だかりが見えたので寄ってみると明日行われるユークイのお供えや来賓の方のためのうさい(料理)作りだった。
 海岸へ下りると舟漕ぎ用の舟が2隻、浜に並べられていた。舟の後部にはお米と塩、ウコーが供えられている。しばらく祖納の集落を自転車で走り、それから隣りの干立へ移動。集落の間は、自転車でゆっくり走って5分ほどか。
 干立ての公民館へ行くと、子供達が旗頭の練習をしている。公民館の隣りが祭りの主祭場となる干立ウガンで、その前が舟漕ぎが行われる前泊海岸。海岸では女性達が、珊瑚の欠片を拾っていた。この珊瑚を夜、家の周りに撒いて屋敷を祓い清めるそうだ。
 公民館でのウブシクミは20時からと聞いていたが、30分ほど前に行って様子を伺う。ウブは大きい、シクミは仕込みで総合リハーサルのようなものだろう。衣装は着けないが、明日のユークイで奉納される演目を順番通りに行う。
 ウブシクミが終了したのは22時少し前で、その後は公民館の中で館長さんや祭りの責任者の方が挨拶、そして明日のスケジュールの確認が行われた。
 公民館から歩いて2分もかからない宿に戻り、お弁当の残りを食べながら、撮影データのバックアップ。カメラのバッテリーを充電しながら日記用のメモを途中まで書いて就寝。
*本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇→石垣5000円(事前に購入済み)、石垣空港→バスターミナル520円、八重泉900ml650円、お弁当(?)、カップ麺258円、カップうどん195円、焼きそばドッグ99円、カレーコロッケドッグ105円、チーズパン247円、ミネラルウオーター98円、3泊分の宿代6000円。写真はウブシクミの様子。真ん中の男性はミリク役。
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*2013年10月1日のPhoto Diaryはこちら
10月1日のスナップ。フダチミの行列

↑朝7時に携帯電話のアラームを設定していたが、4時に鳴らされた銅鑼の連打で目が覚める。布団にくるまってウトウトしていたら6時に2回目の銅鑼が鳴らされ、その後は10分、20分おきに銅鑼が鳴る。
 7時少し前に着替えて公民館に行くと、広場に旗頭が3旗立っていた。主祭場である前泊浜に行くと、集落の男性達が舟漕ぎ用の舟を運んでいる。
 集落の中を少し自転車で走ると、昨日の夜の内に撒かれたのであろう、玄関に珊瑚の欠片が散らばっている。
 宿に戻り、カップうどんにお湯を注いで朝ご飯。スーパーの向かいにある食堂は、節祭の終わる2日までお休みのようだ。食事はパンとカップ麺が続きそうだ。
 今日はスリズ(公民館)でミリクおこしなどの儀式がある。10時頃に集合と聞いていたので、9時半頃に行って待っていた。10時少し前から人が集まりだし、まずは女性達が衣装の着付けをし、その後男性達が衣装に着替えた。
 11時になって、公民館長、総責任者の挨拶があり、11時15分頃に銅鑼の合図とともに1番旗が浜へ出発。続いて舞台ではミリクのお面を被るミリクおこしが行われ、2番旗を先頭にミリク行列が浜に向かう。その後3番旗と一緒に、フダチミを先頭にしたアンガー行列が浜に向かった。
平成25年度 西表島・祖納の節祭 行事日程から
12:00 船元行事開会宣言/12:05 舟浮かべの儀式/12:10 一番旗を先頭にヤフヌティにて船頭・舟子入場/12:10 二番旗を先頭にミリク節にてミリク行列入場、舟元の御座に着座/12:35 三番旗を先頭にユナハ節にて、アンガー行列入場、舟元の御座に着座/12:50 開会行事1、国の重要無形文化財指定建立の碑参拝 2、公民館長挨拶 3。神司祭祀 4、感謝状贈呈 5、来賓祝辞 6、乾杯/13:30 ミリク神の座トゥリムチ(舟元の御座)/13:45 男子狂言・棒芸/14:35 婦人アンガー巻き踊り/15:00 奉納舞踊・祝電披露/15:20 フニクイヌ儀式(舟くい)開始 1、館長激励挨拶 2、舟子代表挨拶 3、舟の紅白抽選 15:50 男子アンガー撒き踊り 16:05 獅子舞(船元の御座清め)、万歳三唱 16:10 ミリク節にて立座ふ・一番旗を先頭にミリク節にて全員スリズへ戻り、スリズの座トゥズミ儀式 ・神司、チジビは船元の御座にて船元の御座トゥズミ儀式を丁寧に済ませスリズでの「世乞いトゥズミ」を全員で行う
 前泊浜でのユークイ行事が終了した後、入場した順に船元を退場して、神道を通り公民館へと移動した。公民館の舞台ではミリク神が椅子に座っている。朝、ミリクの面を装着した男性が、今度は面を外して貰い大きな拍手が沸く。公民館長さんの挨拶があり、祖納のユークイは無事に終了した。
 祖納の公民館から歩いて干立の主祭場である干立ウガンへ向かうが、17時過ぎに到着すると既に奉納芸能が終わり、旗頭を先頭に神司一行が元屋(トゥリムトゥ)へと移動するところだった。
 海岸から集落の中に入り20分ほどでムトゥのフタベ家へ。神司が家に上がり御願をした後、庭で芸の奉納が行われた。
 ミリクとオホホは出ないが、それ以外は一通り演じられる。一番狂言、アンガマ踊り、ダードゥリッター、ハヤチカイ(早使い)、棒、獅子舞と続く。
 18時過ぎにフタベ家での奉納芸が終わり、もう一つのムトゥであるカイレ家に移動。同じように神司による御願、芸の奉納が行われてムトゥまわりが終了した。
 この後一行は公民館に移動。19時頃に公民館の広場に到着し、旗頭のまわりを踊った後に一番狂言が始まった。ダードゥリッターという醜女踊りまで見て祖納の宿に帰った。帰り道、見上げると満天の星空だった。
 宿に帰り、カップ麺を食べて晩ご飯にする。撮影データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。日記用のメモを書いていると遠くから銅鑼や掛け声が聞こえて来る。干立の芸能のツヅミ行事が、まだ続いているのだろうか。
*本日の出費。アイスクリーム110円、缶ビール200円、フダチミの絵柄の泡盛1000円。写真はフダチミを先頭にしたアンガー行列。

1月4日(水)

 多くの会社で仕事始めの今日、早朝に小笠原諸島の母島で震度5強の地震があった。このところ、大きな地震が続いている気がする。
 元旦の夜にアマゾンで購入したフランス人歌手、フランソワーズ・アルディの5枚組CDが、昨日届いた。早速iMacのiTunesに取り込んで聴いている。彼女の歌を最初に聴いたのは、1982年に発売された『Quelqu'un qui s'en va(邦題は、時の旅人たちへ)』で、ちょっとモゴモゴとした、でも妙に官能的なフランス語の響と洗練されたアレンジの曲に惹きつけられた。
 今回購入した5枚組は1967年から1972年に発売されたアルバムで、『Quelqu'un qui s'en va』ほど洗練された音作りではないが、ささやくような彼女の歌声が堪能できる。
 フランス語で思い出すのは、小学生の頃だと思うがテレビの連続番組か映画番組でフランキー堺が演じる大学の先生(?)が「世界で一番美しい言葉はフランス語です」というようなセリフを話していて、以来頭にこびりついている。フランス語が世界一美しい言葉かはわからないが、官能的な響の言葉だと思う。
 東北地方の発音とフランス語の類似が指摘されるが、宮古島の言葉「みゃーくふつ」も何だかフランス語に似ている気がする。
 YouTubeからフランソワーズ・アルディの「Mazurka」、下地勇のみゃーくふつで「おばぁ」。
フランソワーズ・アルディのCD
 昨年の暮れに、警視庁 区営住宅申し込み者情報記録 フロッピーディスク紛失という記事を読んで驚いた。紛失したことよりも、記録媒体としてまだ現役でフロッピーディスクが使われていることに。
ダンボール箱いっぱいのフロッピーディスク

 1990年代の終わりから2000年代の初めにかけて、フロッピーディスクに記録するソニーのマビカというカメラを持ち歩いて自分の日常を撮っていた。その頃のフロッピーディスクが、ダンボール1箱分ほどある。
 フロッピーディスク・ドライヴも持っているが、今使っているパソコンのOSでは対応しておらず画像を見ることができない。
 因みにフロッピーディスクの値段が高騰していて、更に驚いた。

 今日は沖縄で新たに225人東京で151人の感染が確認され、全国では3ヶ月ぶりに1,000人を超える感染者となった。新型コロナ感染の第6波は、もうそこまで来ているようだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
日本の防衛費、GDP比で1.24%と判明…「隠す必要ない」と専門家 本紙がNATO基準で試算
世界遺産拠点、今夏誕生へ 奄美大島 自然の価値、魅力を発信
「核戦争回避は責務」 核保有5大国が共同声明

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*2013年9月25日のPhoto Diaryはこちら

9月25日のスナップ。池間島のミャークヅツ
↑今日からミャークヅツを見に宮古島へ。
 朝起きてお米一合を炊き、おにぎりを3個作る。7時半過ぎに部屋を出て、美栄橋からモノレールで那覇空港へ。1階のスカイマークのカウンターへ行くと3階に引っ越していて、慌ててエスカレーターで3階へ。手荷物を預け、搭乗手続きを済ませて搭乗ロビーでおにぎりを食べながら出発を待つ。9時55分発の541便はそれほど遅れることなく宮古に向けて出発した。
 宮古に着いて飛行機を降りようとしたら後方の座席に、渡名喜島・粟国島でお会いした沖縄大学のSさんが。やはりミャークヅツを見にいらしたようだ。空港でレンタカーを借りて池間島まで行くそうで、便乗させていただいた。
  空港から平良へ行き、3泊予約してある宿に寄ってもらいチェックインの手続きを済ます。昼ご飯を食べましょうとなって、Sさんおすすめのお店でゆし豆腐そばを注文。 
 食べ終わり、お店を出て、まずは池間島に行く途中にある西原集落へ向かう。西原は、伊良部島の佐良浜と同じく池間島から分村した池間の人達が住んでいる集落だ。池間民族の最大の行事といわれるミャークヅツは、西原、佐良浜、池間島の3カ所で行われる。
 13時頃に西原集落のナカマ御嶽に着くと、道の端に敷かれたゴザの上には多数の空き瓶が転がり、既にかなりお酒の入った男性の集団が帰る用意をしていた。
 今日はミャークヅツの初日、あら日で、早朝から祭りの開始を祝い酒が酌み交わされていたようだ。
 西原から島尻集落の購買店に寄って、今年のパーントゥの日程が決まったか尋ねたところ、最近決定したようで教えていただいた。
 14時頃に池間島に着いて公民館の前にある水浜広場に行くと、広場の中央に棒が立てられ、てっぺんに日の丸の旗が上がり提灯をぶら下げた紐が四方に伸びていた。近くから歌が聴こえて来たので歩いて行くと前里ムトゥで、しばらく外から覗いていたら、どうぞ中に入って下さいと声を掛けられたので座って見させていただいた。会計などの事務報告が行われている最中で、その後長老の前で一人一人踊る余興に入った。座っていると泡盛をコンデンスミルクで割ったミルク酒が出て来て、ご馳走になる。
 せっかくなので池間島にある4つのムトゥ(元家)を見ようと、真謝ムトゥ、アギマスムトゥ、マイヌヤームトゥを回ってみた。部屋の大きさは大小あるが、どのムトゥにも万国旗が飾られカラオケが歌われ、ミルク酒が飲まれていた。
 マイヌヤームトゥから水浜広場に戻る途中ウハルズ御嶽の前を通ると、鳥居の前で靴を脱いで裸足で参道を御嶽の方に歩いて行く人が何人もいる。ウハルズ御嶽に入れるのはミャークヅツの2日目だけかと思ったが、今日から入れるようだ。せっかくなので裸足になり、御嶽の中に入ってみた。
 御嶽を出て広場に。15時40分頃から広場のまわりに設営された各ムトゥのテントを二人の神司が順番に周り、御願が行われた。その後、神司をインギョー(退役)された女性も交えて12人ほどがウハルズ御嶽に向かって御願を行い、16時からクイチャーが開始された。
 最初は日の丸の描かれた扇子をもった女性達が円を作ってクイチャーを踊る、その後背広にブルーのハッピを着た男性達が合流して大きな2重の円を作って踊られた。
 1時間ほど池間島のクイチャーを観た後、Sさんの運転する車で西原に戻る。ナカマ御嶽の方へ行くと今年から親となる初親(池間島は数えで55歳、西原は50歳)の男性達が一列に並び、先輩からの杯をいただき明日の儀式の予行演習を行っていた。
 しばらく見せていただいた後、宮国の方でも神事・ニガイが行われているというのでSさんの車で寄って、平良に帰って来た。
 撮影データをバックアップし、日記用のメモを書いて早めに就寝。
*本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇→宮古5000円(事前に購入済み)、宿泊代3泊分6000円、ゆし豆腐そば788円。写真は前里ムトゥにて、ミルク酒を呑んで長老の前で踊る男性。
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9月26日のスナップ。西原のミャークヅツ
↑ミャークヅツ2日目は、ンナカヌヒ。朝5時半に携帯のアラームで起床。歯を磨き、顔を洗い、那覇で買って来た菓子パンとカメラを持って宿から歩いて2分ほどの八千代バスへ。外は小雨が降っていた。
 池間島漁港前行きの始発バスは6時30分かと思っていたら、6時50分だった。自販機で缶コーヒーを買って、待合所で出発を待つ。35分過ぎに自家用車で運転手さんが到着。出発まで時間はあるが、バスの中で待たせてもらう。
 定刻にバスは平良を出発。乗客はただ一人。結局終点の池間に着くまで貸し切り状態だった。バスを降り、丘のような山を越えて集落に入り、水浜広場を通ってウハルズ御嶽へ。鳥居の前でスニーカーと靴下を脱ぎ、裸足で参道を歩いて奥に行くと小さな拝殿がある。その横には砂が盛られた土俵のような場所があり、瓶のようなものが沢山埋められている。その手前に2人の神司の方が座ってニガイを行っていた。ニガイの合間に司の方に尋ねると、瓶だと思っていたのは香炉だそうだ。香炉の埋められた砂の上を大きなオカヤドカリが1匹歩いていた。
 ウハルズ御嶽を出て、4つのムトゥをまわったり、遠見台に上ったりして過ごす。それにしてもミャークヅツの期間しか入れないウハルズ御嶽は、朝からひっきりなしに人が訪れており御嶽前の細い道は行き交う人でいっぱいだ。
 集落を少し散歩してから漁港前のバス停へ。11時5分発の平良行きに乗り、西原集落のある西辺で下車。11時半過ぎにナカマ御嶽に行ってみると既に酒宴が終わったところで、御嶽前の道に敷かれたゴザの上には空き瓶やペットボトルが散乱していた。これで一旦休憩となり、次は14時頃に御嶽に集合してパレードが始まるという。せっかくなのでゴミの後片付けを少しお手伝いしてから、集落を散策。
 13時半頃から徐々に人が集まり始め、御嶽の殿に立て掛けられていた旗が手前の広場の中央に出されて、クイチャーが始まった。14時から40分程クイチャーが踊られ、いよいよパレードが出発。ナカマ御嶽の前からパトカーに先導されて集落の中を進む。一番先頭にはお酒を持つ男性、お米や塩を乗せた盆を持つ男性。次に幟旗を持った男達。そして三線や太鼓を乗せたトラックの後に、白シャツにネクタイを締めた男性達の行列が続く。沿道では、扇を持った女性達が出迎えて祝福している。
 パレードは時計回りに進み、所々で立ち止まりクイチャーが踊られた。公民館の前の広い道から、行事の行われるジャーに入る路地の辺りに神司を中心に女性が扇を手に持ち道を塞ぐように並んでいる。パレードが近づくと、パレードをジャーに導くように女性達は後ろ向きに路地を歩き、その後を男達が着いて行く。そうして15時半ごろにパレードはジャーに到着し、土俵のまわりを大きな円を描くようにクイチャーが行われた。ジャーは沖縄本島で言うミャーと思われ、いわゆるアシビナー(遊び庭)だろう。クイチャーが終わるとジャーの奥にゴザが敷かれ、神司が座る。
 パレードの先頭でお酒と供え物の盆を持った男性2人が、神司の前に座りお酒を注いで接待。その後、2人の神司がお酒と塩、米を乗せた盆を持ち、土俵の横に立てられた幟旗の下を清めてまわった。
 神事が済んだ後、今年からミャークヅツに参加出来る年齢になった男性、初親(ハツウヤ)の自己紹介があった。初親になる年齢は少々違いがあり、池間島は数え年で55歳、西原は50歳、伊良部島/佐良浜の本村が47歳、仲村が50歳となっている。
 自己紹介の後、2日目の行事としては最後になる角力が16時20分頃から行われた。5人ずつに分かれての取り組みだが、勝負の展開が早く20分ほどで終わった。
 角力の後にもう一度全員で大きな輪を作り、クイチャーを踊った後に万歳三唱をして終了した。
 行事の終わった後、神司の方にお話しを少し伺おうと思ったら、これから踊りが始まるという。男性陣の何人かがナカマ御嶽の方に向かっているので着いて行くが、後片付けの最中だった。
 ここで、もう一度クイチャーがあるか聞くが、もう踊りは明日だと言われる。それではお疲れさまでした、ありがとうございましたとお礼を言ってバス停に向かって集落を歩いていると、味わい深い女性の唄声が聴こえて来た。聴こえて来る方に歩いて行くと、そこは先ほどのジャーで、一人のお年寄りが歌い、女性達がクイチャーを踊っていた。
 このクイチャーは男性中心の行事であるミャークヅツとは別に、女性が中心となって楽しんでいるものと思われる。「光るナナムイの神々」にも、あら日の昨日午後4時からジャーでクイチャーを踊る女性達の写真が載っていたが、ナカマ御嶽にいた男性陣に聞くと踊りは明日という返事ばかりだった。どうもミャークヅツの行事の後に、女性達がジャーでクイチャーを踊っているのを知らない男性が多いのではないか。
 それにしても素晴らしい歌だった。西原に伝わる古い民謡、古謡だと思われるが、それを手拍子だけで歌う。歌っているお婆さんについて教えてもらったら、映画「スケッチ・オブ・ミャーク」にも登場されている村山キヨさん88歳だった。キヨさんは暦を読みながら神行事の日程を取り決めるヒューイトゥインマを務めており、このミャークヅツの日取りも彼女が決定する。
 ミャークヅツ2日目は、前回のミャークヅツの後に産まれた赤ちゃんを、それぞれのムトゥに報告するヤラビマスの儀式が各ムトゥで行われるが、早朝から行われる儀式なので見る事が出来なくて残念に思っていたが、思いがけずに生歌(マイクは通しているが)で歌われる古謡と踊りが堪能できて良かった。
 ジャーに着いてから4曲、その前にも歌っていらしたので8曲ほどを歌われたのだろうか。途中にお菓子や、天ぷらを食べて休憩しながらの楽しい遊びだった。
 幸せな気分で、ジャーから西辺のバス停に歩く。平良行きのバスは18時31分。少し時間がある。歩道のブロックに腰を下ろして、沈む夕日を眺めてバスを待つ。
 バスは遅れる事なく定時に到着した。夫婦が一組乗っていた。終点の平良で下車して、宿へ帰る途中のスーパーで寿司セット、泡盛、お菓子を買って帰る。
 撮影データをバックアップしながら、買って来た寿司と那覇から持って来たカップ麺で晩ご飯。シャワーを浴び、日記用のメモを書くが、朝早かったので疲れて途中で諦めて寝てしまった。
*You Tubeから宮古島・西原の古謡。スケッチ・オブ・ミャーク予告編
*本日の出費。缶コーヒー110円、平良→漁港前500円、ミネラルウオーター110円、漁港前→西辺420円、西辺→平良140円、いなりと太巻きの盛り合わせ268円、菊之露360ml367円、ポテトチップス120円。写真は西原の古謡を歌う村山キヨさん。
*2013年9月27日のPhoto Diaryはこちら
9月27日のスナップ。佐良浜のミャークヅツ
↑ミャークヅツ3日目は、アトヌヒ。今日は池間島から分村して、伊良部島の佐良浜地区に移住した人達のミャークヅツを見に行く。
 朝8時少し前に目を覚まし、30分ほどベットでウダウダした後、リビングのテーブルでパソコンを広げて昨日の日記メモの続きを書く。昨日は池間島から西原と移動したので書く事も沢山あり、時間がかかった。
 11時半頃に宿を出て散歩しながら、人頭税石を見に行く。案内板には、「宮古を訪れた民俗学者・柳田國男が『海南小記』の中で、この石柱をぶばかり石(賦測石)と称し、この石で背丈を測って石の高さに達すると賦課されたとの伝承を紹介している」と書かれているが、なぜこの石柱を賦測石と思ったのかは記されていない。
 人頭税石を見ようと思ったのは、多良間島の豊年祭もミャークヅツも人頭税に関係があるからだ。どちらの祭祀も人頭税を払い終わった喜びの祭りだと聞く。そして人頭税石は人頭税が年齢制で徴収される以前、この石の高さになると男は穀物、女は織物を納めさせるのに使われた。
 人頭税石のある場所から散歩しながら伊良部島行きのフェリーが出る平良港へ。途中にあったお店で天ぷらを購入する。5個で150円だが、オマケしてくれて野菜2個とさかな5個が入っていた。
 佐良浜港までの往復チケットを購入し、12時30分発のスーパーライナーはやてに乗船。波は高めで結構船は揺れた。
 20分程で港に着いた。佐良浜の集落は斜面にへばりつくように密集している。なんとなく、クイチャーが踊られるジャーは斜面の上の方にある気がして狭い路地を上へ上へと歩く。坂の途中でおじいさんが家から出て来たので、クイチャーの踊られる場所を尋ねると、海岸近く、下の方を指さして教えてくれた。
 教えられた方向に歩いて行くと狭い路地を挟んで仲村のジャーと、本村のジャーがあった。ジャーの横の路地を下りて行くと本村のムトゥが3つ並んでいた。一番手前にある真謝ムトゥに集まっていた男性や、ムトゥでの御願を担う元司の方に色々とお話しを聞く事ができた。
元司はムトゥでの御願をするが神職ではなく長老から指名された男性が担う。佐良浜を前里添、池間添という2つに分けて書かれることがあるが正しくは仲村と本村だそうだ。そして仲村には前里ムトゥ、本村には真謝ムトゥ、マイヌヤームトゥ、アギマスムトゥがある。そして今年は神司が不在で、男が中心の祭祀であるミャークヅツは開催できるが、他の神事は難儀な様子だった。神司の任期は3年で仲村に3人、本村に3人。3人のうち一人でも欠けると、その年は神司が不在となる。聞き書きと島口での会話なので、間違いがあるかもしれません。 
 また、伊良部島の祭祀体系については「神々の古層 海の神への願い 竜宮ニガイ(宮古島)/比嘉康雄」(ニライ社)に詳しく書かれている。
2.祭祀体系の概略(前里添、池間添)
  前述したとおり前里添、池間添は池間島から分村してできた集落で、もう一つの池間島からの分村集落、西原(宮古本島在)と共に祭祀体系が親島である池間島とほぼ同じであるのは、分村時に祭祀体系も移したからである。
 両字の守護神を祭ってあるウタキが前里添にある。ウタキはナナムイ、ウハルズ、大主神社などと称されている。親島である池間島のウハルズウタキの分社的拝所と考えられる。このウタキを中心にして祭祀がおこなわれている。島で生まれ育った女性が四十七歳になると、ユークイという神女就任の祭祀を経てユークインマという祭祀成員になることが慣例である。
 ユークインマ(前里添五十~五十七歳、池間添四十七~五十七歳になる者)が氏名(夫の氏名)を書いたものを盆にのせてゆり落とし、落ちたものを再び盆に戻すことを数回くりかえして、多く落ちた者上位三名を司祭者として選定する。この選定方法をンマユイと称している。選定される三名はウフンマ、カカランマ、ナカンマである。ウフンマはウフヅカサともいい、一番の責任者(司祭者)である。カカランマはニガインマともいい、神がかりをして神詞を唱えるのが主である。ナカンマは供え物を整えたり、準備をしたりする役を担っている。任期は三年である。任期中は島を出ることを許されず、常に神職者の自覚を持って過ごさなければならない。もちろんこの三名の司(ンマ)は前里添、池間添にそれぞれいる。年中行事は前記ウハルズウタキを中心に両字合同の形でおこなわれる。なお「ンマ」は母親の意である。

 14時40分に元司が、家の神棚に置いてあった盆を持って外に出て奥にある祠に御願をする。元司の後には、今年初親となる男性が並んでいる。一通り杯がまわされ神事が終わった後、元司を先頭に細い路地を通りジャーに入って行った。ジャーの中央に日の丸の旗とお神酒の入った陶器が置かれ、男性達は拝所の中に入り、ここでも御願が始まった。
 路地を挟んだ仲本のジャーにも旗とお神酒が置かれ、拝所の中では神司(任期の終わった女性が代理で行っている?)が御願を行っている。こちらでも男性が一人一緒に御願をされており、元司だろうか。
 30分ほど拝所の中で御願を行っていた本村も広場に出て、神司(任期を終えた前任の神司が代理?)と一緒に御願が始まった。
 そうこうしているうちに、16時になって仲村ジャーでクイチャーが始まった。最初の曲はテンポの遅い、ゆったりとした歌と踊りで初親の男性と女性達が広場をまわる。その後はヒヤサッサの掛け声のにぎやかな歌となった。三線も太鼓も入らず声だけで踊れる、島の音楽の豊かさに感心する。
 仲村ジャーのクイチャーから10分、本村ジャーでもクイチャーが始まった。こちらも最初の曲は、ゆったりと優雅に広場をまわる。その後は仲村ジャー、本村ジャーとも殆ど休憩なしでクイチャーが踊られる。
 本村ジャーの下の方に屋台が並んだ広場があった。朝から天ぷらしか食べていないので、300円のカレーを注文。食べ終わりジャーに戻って18時過ぎまでクイチャーを眺めてから、フェリー乗り場に。ムトゥで聞いた話しでは19時頃までジャーで踊った後、拝所の中に移動。テンポは早くなり、激しい踊りになるようだ。
 19時に佐良浜港を出るフェリーで、平良港へ。待合所の売店でおにぎりとオカズのセット、油味噌の入ったおにぎりを買って帰る。
 宿のリビングでパソコンを広げ、撮影データのバックアップをしてからシャワーを浴び、日記用のメモを作成。今日も途中で眠くなって、泡盛を呑んで寝てしまった。
*本日の出費。天ぷら150円、平良港→佐良浜港のフェリー往復700円、カレー300円、おにぎりとオカズのセット100円、油味噌のおにぎり50円。写真は佐良浜のミャークヅツでクイチャーを踊る人たち。

1月1日(土)

明けましておめでとうございます。

 2013年の元旦は早朝に家を出て、自転車で首里城へ向かった。日の出が見られそうな場所を探して歩いて行くと、それらしい場所があり、たくさんの人が城壁に座って日の出を待っていた。あいにく厚い雲がかかっていたが、7時半頃になって雲から太陽が顔を出した。
 しばらく日の出を眺めてから、首里城の御庭へ新春の宴を観に行った。御座楽の演奏の後、メイン行事である朝拝御規式が行われた。
城壁に座って日の出を待つ人たち
新しいトップ画面
トップ画面を更新しました。2013年元旦に行われた朝拝御規式。この日は多くの儀礼の中から「子之方御拝・にぬふぁぬうぬふぇ」、「朝之御拝・ちょうぬうぬふぇ」、「大通り・おおとーり」の3つが再現された。
↓これまでのトップ画面。
これまでのトップ画面

本年もよろしくお願いいたします。

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