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◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

2022年2月10日(木) ホテルニューオータニ高岡 12時30分〜 高岡ロータリークラブ
2022年8月22日〜8月27日 式年遷宮祭

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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
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まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
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幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
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喜屋武(チャン)の綱引き
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◯富山県 新型コロナウイルス感染症について 
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◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/
◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
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12月31日(金)

電子ドラム

 今日はドラムの叩き納め。最近は楽器というより、運動不足解消の健康器具のような存在になっている。
 今年もアーニー・ディフランコのレコニングをよく聴いた。このアルバムは2001年に発売された『レヴェリング/レコニング』という2枚組だが、レヴェニングは数回しか聴いてないのに、レコニングは何千回と聴いている。
 レコニングに収録された曲はどれも好きだが、最近特に気に入っているのが「Subdivision」。聴いていると、夜に知らない街に列車で降り立って、薄暗い街灯の路地をホテルを探しながらバックを背負っている自分をイメージする。ちょっと寂しくて、でもワクワクもしている。

 良いお年をお迎え下さい。

12月30日(木)

 家の大掃除が始まった。昨日は台所を片付けたが、賞味期限が10年以上前の缶詰や調味料が色々と出てきた。とりあえず中身は捨てて、容器を仕分けした。
 今日は自分の作業部屋。昨年の暮れに改装したので、今年は机の上を整理して床に掃除機をかけるだけで済ませた。そして久しぶりに、自分で撮影した写真を壁に飾った。
写真を飾った部屋
 部屋に写真を飾るのは向ヶ丘遊園に住んでいた時以来だから、11年ぶりだろうか。当時は銀塩プリントをリビングと、玄関からリビングまでの廊下の壁に何枚か飾っていた。六つ切りのプリントを新宿の世界堂に持って行ってフレームを選び、写真に合わせてマットを切ってもらった。
  今日部屋に飾ったのはインクジェットのプリント。A2サイズのプリントをB2サイズのフレームに入れているのでかなり大きいが、フレーム自体はとても軽いので壁に刺したピンに引っ掛けるだけで大丈夫。一応用心のため下にも2箇所ピンを刺し、くっつき虫も付けておいたが。
 A2サイズのプリント用紙は昨年の部屋の改装の時に出てきたもので、ほとんど未使用の箱のまま。昨年は写真展があったので大量にプリントしたが、今年は部屋に閉じこもって現像作業をしていたのでプリントする機会もあまりなくて、長い時は半年間ほどプリンターのスイッチを入れることがなかった。それでもインクが詰まったり掠れたりすることなくプリントできたので助かっている。
 今回プリントしたのは2枚で、縦位置と横位置、カラーとモノクロ、静物と動きのあるもので選んだ。横位置のカラーは畑に撒かれたチューリップの花びら、縦位置のモノクロはアール・キングのライヴ。1991年の撮影なので、30年前だ。仕事の撮影ではなくて、サロンゴミュージックの木下さんに誘われて撮りに行ったのではないだろうか。同じフィルムにエディ・ボー、ジョージ・ポーターJr,が写っている。
 2枚並んだ写真、面白い組み合わせになったと思う。
 ジャズ評論家の瀬川昌久さんが亡くなったいうニュースが、昨日流れてきた。97歳だった。
 瀬川さんはレコード・コレクター紳士録の取材で、一度ご自宅に伺って撮影させていただいている。2001年のことなので、瀬川さんが77歳の時だろうか。この時の記事は、一昨年発売された書籍『レコード・コレクター紳士録2』に再録されている。瀬川さんの近況も短く掲載されており、<練馬区文化センター主催コンサート制作企画−18年2月”マイルス・デイビスのすべて”(高瀬龍一グループ)、18年9月”ビッグバンドジャズの魅力”(羽毛田耕士編曲指揮)。18年8月、コロムビア・レコードから『僕の愛した昭和モダン流行歌』(CD2枚組アルバム)発売。>と書かれている。90歳を過ぎて現役で活動されていて、傍目からは良い人生だったように見える。一つ気になるのは、ご本人が亡くなった後の収集品などの行方だ。
 仕事柄ご自宅にはレコードや本、資料がたくさんあった。中村とうようさんの場合は、武蔵野美術大学に寄贈されたので収集品や資料が散逸することはなかったが、瀬川さんの貴重な資料やコレクションは今後、どう整理保管されるのだろうか。
瀬川昌久さん

 読売新聞大阪本社と大阪府が、情報発信など8分野で連携・協働を進める「包括連携協定」を結んだという。自治体=行政機関と特定の報道機関が連携協定を結ぶって、おかしいだろ!?包括連携協定抗議に賛同しました。
 昨日の琉球新報に自社の警察担当キャップが、酒気帯び運転で摘発されたという記事が載っていて驚いた。
 読谷村で山芋の重量を競うコンテストがあり、赤山芋のチャンピオン賞を獲得したのは346,8キロだそうだ。写真も掲載されているが、泊市場に並んでいたマグロを思わせる。言われなければ山芋には見えないと思う。
 今月17日に起きた大阪の雑居ビル放火殺人事件の容疑者で、自身も事件後に心肺停止状態で救急搬送されて治療を受けていた谷本盛雄容疑者が死亡した。これで事件の動機などを解明するのは困難になった。

 この他の気になった記事を備忘録として。
京都大のスパコンデータ、3400万ファイル消失 納入業者の作業ミス
「プルサーマル発電」新たに受け入れた自治体に交付金 経産省
日本円の力、半世紀前の水準まで弱体化 急激な円安で暮らしに影響も
安倍元首相を再び不起訴に 「桜」夕食会の費用補塡問題、捜査終結
尼崎の歓楽街「かんなみ新地」70年の歴史に幕 「無法地帯」に何が

12月27日(月)

 寒波の襲来で、昨日から山陰から近畿にかけて記録的な大雪になっている。滋賀県では車が立ち往生し、JRの電車4本が足止めされた。富山も断続的に雪が降っているが、今のところ思っていたほどの大雪にはなっていない。
↓今日の積雪。→立派な氷柱ができていた。
つらら
今日の積雪
 8年前の2013年12月27日、当時の仲井真・沖縄県知事が辺野古埋め立て申請を承認した。この日、県庁前広場では承認した仲井真知事への抗議が行われ、多くの人が県庁前を囲んだ。その人垣は県庁だけではなく隣の市役所まで延びていた。
2013年12月27日の県庁前抗議行動

 一昨日の琉球新報の社説に<台湾有事日米共同作戦「軍の暴走」は認められない>という記事が載っていた。上手くまとめられた良い記事だと思う。付け加えるなら、先の日米の対戦で南西諸島、とりわけ沖縄は日本軍により捨て石とされて大きな被害を受けたが、台湾有事から米中の対戦に発展した場合は、日本列島そのものが米国から捨て石にされる可能性があるということ。そうなってから初めて本土の人は、沖縄の人たちがなぜ基地建設を反対していたのか理解するのかもしれない。
 今日の東京新聞にも、<台湾有事なら日本が最前線に? 米台「同盟」に巻き込まれる恐れ 一触即発の米中>という記事が掲載されていた。
 今日、富山県内でオミクロン株の感染者が初確認された。

 この他の気になった記事を備忘録として。
警視庁 区営住宅申し込み者情報記録 フロッピーディスク紛失
【年末年始に住居がない人や、家にいたくない人へ】自治体が無料でホテルを提供しています!
柏崎刈羽原発7号機、消防設備1537カ所を再施工 溶接に不備

 Photo Diaryを更新。
*2013年9月16日のPhoto Diaryはこちら
9月16日のスナップ。ハンチャアタイの中にゴザを敷いて座る外間根人とウプシュ

↑八月マティの最終日。今日はテーラーガーミが行われる。テーラーは太陽、ガーミは神で直訳すると太陽神となるが、太陽の霊威を受けた男達(50歳~70歳の大主ウプシュ)を指すという。神事の進行を「神々の古層」から引用すると、
 午後四時ごろ集落のほぼ中央にあるハンチャアタイ(神の畑)横にウプシュたちが黒っぽい着物姿に日の丸の扇を持って参集する。まず、次ページの図のとおり着座し、酒のふるまいがなされたあとハニマンガナシー、アカツミーのリードで扇を胸に当て、開く仕草をしながらテーラーガーミのティルルを歌う。本来は根人司祭である。ソールイガナシーも立会っている。
 ティルルは、テーラーガーミがそろって島を守るという内容である。終わると男神職者を先頭にユーウラヌ浜に行列、浜ではダルマミキと刺身のふるまいがンナグゥナーによっておこなわれる。終わるとユーウラヌ浜入口付近にある三角モーという広場に神職者を先頭に年齢順にウプシュたちが一列に並ぶ。列が整ったところで扇で祓う仕草をしながら、しかもテーラーガーミのティルルを歌いながら行進、ソールイガナシーは参列しない。公民館前を通り久高御殿庭へ着いたところで、ちょうどティルルが全部歌い終わる。
 久高御殿庭ではそのまま隊列で東方に向いて立ち、扇を両手で捧げ持ち、コイナンという終了の歌を歌い礼拝して終わる。同所には外間ヌルとウメーギ、ヤジクたちが来ていて、そのあとおこなわれるウプシュたちの巻き踊りを見守る。終わるとウプシュたちは一応解散し、平服でユーウラヌ浜に再集合する。浜では男神職者と正人たちがンナグゥナーの接待で神酒と刺身をいただく。角力大会もおこなわれ、夕日の浜は賑わう。

 このテーラーガーミにふるまわれる刺身に使う魚を捕るため、早朝からアンティキャー(網漁)という神事が行われるそうだが、台風18号の影響で波が高く追いこみ漁ができないのでイカとマグロは仕入れる事になった。
 漁港の小屋で11時頃から魚を捌くと聞いたので、10時40分位に行ってみると、既にイカが捌かれていた。小分けしてビニール袋に入れ、大きなクーラーボックスに仕舞われる。
 イカの処理が終わってから1時間ほど経って、本島からのフェリーでマグロが届いた。こちらも一人の男性が見事に解体し、冊になったマグロをみんなで刺身に捌いていった。これも小分けしてビニール袋に入れられる。こうして12時半ごろには、テーラーガーミ用の刺身が用意できた。
 神事が行われるハンチャアタイの場所の確認をしつつ集落を歩き、お腹が空いたので昨日ご飯を食べた食事処とくじんの向かいにある食事処けいで、ゴーヤチャンプルー定食を食べる。食べ終わり、13時半ごろにお店を出て、外間御殿に行ってみる。14時から神人の御願があるという情報があったが、人の気配も行われる気配もないので、そのまま集落を散策。
 ハンチャアタイの向かいの家に、昨日ボンウキャーの迎えで区長さんが持っていたムカデ旗が立てられていたので、調べてみたら久高ヌルの家だった。またムカデ旗の下に赤と白の旗が並んでいるが、これは太陽と月を表した旗だそうです。
 16時過ぎからウプシュ、神人が集まり始め、16時40分頃からテーラーガーミが始まった。「神々の古層」にはテーラーガーミ第一祭場図が掲載されていて、神人とウプシュはハンチャアタイの横の道に並ぶように書いてあるが、実際にはウプシュはハンチャアタイの中にゴザをひいて3人ずつ向かい合う形で座り、神人の女性3名は久高ヌル家の前の道を塞ぐ形で並んで座っていた。また、ウプシュの横に白い着物姿の男神職者と思われる男性がいらしたが、現在久高島にいらっしゃる男神職者は外間根人(ニーチェ)だけと聞いたので、この方なのだろうか。
 ティルルを歌い終わった後、ウプシュはユーウラヌ浜(漁港の外れで現在は砂浜ではなく舗装されている)へ一列に並んで歩く。海に向かって並んで座ったウプシュに、子供達がお酒と刺身を配って接待をする。この儀式は7分ほどで終わり、ウプシュはまた一列に並び集落の中を通り久高御殿庭に歩いて行く。御殿庭に入ると神人と男神職者に出迎えられる。神職者の男性と一緒に並んで立ち、扇を持って儀式を行った後、集落の女性も入って巻き踊りが行われて17時20分過ぎに御殿庭での神事は終了した。
 「神々の古層」に記されている三角モーは、今はまわっていないそうだ。また公民館も通らなかった(公民館の場所が当時と今では変わっているのかもしれない)。
 久高御殿庭から先ほど神事が行われた漁港の端に行くと、小中学生の男の子たちが刺身やお酒の準備をしている。ここでの神事は女性禁止のようで神人も入れないようだった。
 17時半ごろから島の男性が集まり、コの時を書くように座り子供達から接待を受ける。大きなトレーに盛られたイカとマグロの刺身を2人で持ち、ビニール袋で掴んで島の男性の持つビニール袋に入れてまわる。トレーの刺身が無くなるまで何回も分配してまわっていたようだ。
 18時、子供達の持てなしが終わり、直ぐ隣りの浜に移動して角力大会が始まった。小中学校の男子、女子から始まり大人の男性の相撲と続いた。角力大会が終わり、区長さんから八月マティが無事に終了したと挨拶があったのが19時頃だった。
 2日間宿泊していた交流館に預かっていただいた荷物を取りに行き、徳仁港近くにある総合センター(公民館)へ。昨日の夕ガミの時に、宿がどこも満室で困っている事を区長さんに相談すると総合センターで宿泊できることになった。センターの宿泊室は映画の撮影チームが使うそうなので、講堂をお借りする。
 大きなソファーを2つくっ付けてベットを作り、毛布を一枚お借りした。お腹が空いたので19時半ごろにセンターの前にある食事処とくじんへ行き、野菜炒め定食。
 食べ終わって講堂に戻って来ると、小中学校の女の子達が歌を教わっていた。来月20日に南城市のシュガーホールで開催される「久高人芸能祭」の練習だそうだ。
 撮影データをバックアップし、シャワーを浴びたりしながら合間に練習風景を見ていた。
 21時過ぎに今日の練習は終わり、子供達も家路に着いた。冷蔵庫で冷やしておいたビールと泡盛を呑みながら日記用のメモを書いて就寝。
 台風18号が日本列島を通過し大きな被害をもたらしたようだが、宿泊した交流館にも総合センターにもテレビがないので状況がよくわからない。
  3号機が今月3日に運転停止し、国内で唯一稼働していた大飯の4号機も定期検査のために今日の未明に運転停止となった。

○ニラーハラー/ニライカナイのこと。久高島の世界 ○ヌル/ノロのこと。神女の最高位 ○ウメーギ/ヌル、根神の補佐役 ○クニガミ/ヌル、根神、ウメーギ ○ヤジク/ヌル配下の神女。年代によってタムトゥ、ウンサクー、シュリユリタ、ソージヤクに分かれる。 ○ソージャク/まつりで雑役をする神女 ○ウンサクー/まつりで神酒捧げをする神女 ○ナンチュ/祭祀組織に加入したての神女 ○ミキハミヤー/神酒接待役。ナンチュから割りあてる ○タマガエー/神女の総称 ○アカハンザナシー/ニラーハラーの神々の総称 ○ティンユタ/家レベルの司祭者 ○根屋(ニーヤー)/古い草分家 ○根神(ニーガン)/草分家の女性当主的神職者 ○根人(ニーチェ)/草分家の男性当主的神職者 ○殿(トゥン)/集落レベル祭祀の祭場 ○フボーウタキ/ウタキレベルの祭場 ○イビ/ウタキの中にある拝所。石などが置かれている ○ウプティシジ/祖霊 ○ミウプグゥイミナンカ/外間ヌル家、久高ヌル家、外間殿にある大香炉 ○トゥパシリ/各家の主婦の香炉 ○ソールイガナシー/男性神職者 ○ジューサンナヤー/13歳の男子 ○ンナグゥナー 15歳の男子 ○ミキアタイ/神酒当番
*メモ(聞き書きなので間違いもあるかも知れません)。久高島では1978年を最後にイザイホーが行われていないため、最後にナンチュになられた方も70歳を超えて神女を降りられているので、ヤジクという神組織はなくなっている。現在祭祀を司っている神人は女性が外間ヌルのウメーギ、ムトゥ神のファーガナシー、ムトゥ神のアマミウヤヌル、アマミハンザナシー(ニライカナイの神)。アマミハンザナシーは、今回の八月マティには不在。男性の神職は外間根人(ニーチェ)のみで、ソールイガナシーも村頭も不在となっている。
*本日の出費 ゴーヤチャンプルー600円 野菜炒め定食700円 宿泊費1000円。写真はハンチャアタイの中にゴザを敷いて座る外間根人(ニーチェ)とウプシュ。

*2013年9月17日のPhoto Diaryはこちら。(久高島の聖地巡り)
*2013年9月18日のPhoto Diaryはこちら。(月)
*2013年9月19日のPhoto Diaryはこちら
9月19日のスナップ。拝所の前でウシデークを踊る女性たち
↑今日は旧暦の8月15日、十五夜です。この日、沖縄では各地で行事が開催されている。昨年は糸満大綱引きを見に行ったので、今年は糸満市字米須のウシデークを見学に。先日コミュニティーセンターに問い合わせたところ、始まりは16時頃だそうで、それまでに用事を色々と片付ける。
 まず昼ご飯を食べた後、次の次の旅に泊まる宿の予約。ダメだろうと思いながら問い合わせると、1泊2000円の素泊まり宿が3泊とれて、ホッとした。
 バックにカメラを一台入れて、自転車でモノレールの旭橋駅へ。モノレールに乗車して、飛行機の予約をしに那覇空港へ。航空引換証と領収書を貰って、旭橋へ戻る。
 米須に行くには89番のバスで糸満バスターミナルに行って、循環バスに乗り換え。旭橋のバス停で待っていると雨が激しくなって来たので、米須のコミュニティーセンターに雨でも開催されるか問い合わせると米須の方は晴れているとのこと。
 14時20分くらいに来た89番のバスで、糸満バスターミナルへ。ターミナルで米須農協前に一番早く行けるバスを尋ねると、15時20分に出る108番の南部循環バスだと言う。少し時間があるので、21日に今帰仁村歴史文化センターで開催される山原のムラ・シマ講座へ行くための1日限定フリー乗車券を購入。
 米須農協前に着いたのは15時45分くらいで、途中の糸満十字路では綱引きの道ズネーが行われていた。バスを降りると、頭に紫のサージを巻いた女性達が歩いて行ったので追いかける。女性達は立ち止まって太鼓を打っている。聞けば、ここはイリのアシビナーだそうで、アガリにもやはりアシビナーがありそれぞれが太鼓を打って集合を呼びかけているそうだ。ウシデークの前に行われる獅子舞の場所を尋ねると直ぐ近くのよう。教えられた通りに行くと、獅子舞が行われる直前だった。
 最初に獅子加那志(シーシガナシ)が保管されている祠のある神屋の庭を、銅鑼を叩く男性に 先導されて3回まわる。暫くすると紫のサージに明るいブルーの上着、白のスカートに身を包んだ女性達が登場。
 20分程ウシデークが踊られた後、 獅子加那志は直ぐ隣りの拝所に移動。女性達も移動し、こちらでもウシデークが踊られた。この後、女性達はまたイリとアガリに別れてそれぞれの拝所をまわる。イリの女性達が獅子加那志と一緒に移動していたので付いて行くと、アシビナーで獅子舞が始まった。途中に集落のムトゥヤ(元家)があり、本来はそこでもウシデークが踊られるようだが、今年は忌中で素通りした。
 イリのアシビナーから、最後の舞台となるコミュニティーセンターの広場へ。ここでアガリの女性達と合流してウシデークが踊られた。
 一通り踊りが済んだ後、区長さんや保存会の方の挨拶があり、 獅子加那志が会場を出て行った。集落の中の道を子供達が面白がって付いて行く。到着したのはヌル殿内で、やはり反時計回りに3回獅子がまわる。この後、皆さんお酒をいただき最後は神屋に戻った。
 神屋では、この獅子加那志を代々管理している当主の方の挨拶があり、その後なぜか私も入って記念撮影。神屋からコミュニティーセンターに戻ると、先ほどウシデークが踊られた広場の中央に砂が盛られて土俵が作られていた。
 奉納相撲も見たかったが、バスの時間が気になる。広場で話しをしていた方が、20時頃に糸満のバスターミナルまで送って下さった。糸満のバスターミナルから那覇バスターミナルへ。21時15分くらいに着いて、ターミナルの横にとめて置いた自転車で家へと帰る。すっかりお腹が空いたので、昨日作ったカレーをうどんにかけて、カレーうどん。撮影した写真データを外付けのハードディスクにバックアップ。
*本日の交通費。旭橋〜那覇空港往復260円x2、旭橋〜糸満バスターミナル560円。糸満BT〜米須農協前350円、糸満BT〜那覇BT560円。写真は拝所の前でウシデークを踊る女性たち。
*2013年9月21日のPhoto Diaryはこちら
9月21日のスナップ。中秋の宴での組踊「執心鐘入」
↑今日は今帰仁村歴史文化センターで、山原のムラ・シマ講座。先月は旧盆のため講座自体がお休み、先々月は八重山の豊年祭巡りと重なって出席できなかったので、3ヵ月ぶりとなる。
 早朝3時に起きて、一昨日の米須の日記を作成。お米を1合炊いて、おにぎりを作る。最寄りの駅を5時58分の名護西線のバスで、名護BTへ。起きた時からバスに乗車中も、ずっと強い雨が降っている。Tシャツ一枚では寒いかもしれないと思い長袖のシャツを一枚持って来たが、冷房の効いた車内はそれを着込んでも寒かった。寒さを堪えながらバスの中で寝ていた。
 名護BTで今帰仁廻りの本部半島線に乗り換えて、今帰仁城趾入口へ。1キロ程の坂道をとぼとぼ歩いて、歴史文化センターへ。教室に着いた時には、今日訪ねる本部町崎本部のレクチャーが終わりかけていた。
 館長さんのレクチャーが終了後、館長さんの運転するバスで崎本部へ。レクチャーはほとんど聞けなかったけれど、いただいた資料を見ながら集落のアサギやウタキを訪ねる。
 10時少し前に集落に着いて、1時間半ほど説明を聞きながら散策。その後、歴史文化センターに戻って解散。センターで7月25日〜12月25日まで開催している企画展「今帰仁村と戦争」を少し見てから、本部廻りの本部半島線で名護BTへ。名護BTを14時に出る名護西線で那覇へ。3連休初日の土曜日だからか、北谷辺りから渋滞に巻き込まれる。時刻表より2〜30分は遅れて最寄りのバス停に着いたと思う。
 部屋について冷蔵庫に入っているカツレツを焼き、お湯を沸かしてカップ麺を作り、残っていたおにぎり1個で遅い昼ご飯のような、早い夕ご飯のようなものを食べる。
 食べ終わってのんびりする間もなく、今度は首里城下町線で首里城に向かう。今日と明日は首里城公園の御庭で、中秋の宴が開催される。18時頃に首里城に着き、18時15分から入場。18時30分から開始となっていたが、直前に小雨が降ったので少々遅れて19時少し前から演目が始まった。
 少し遅れて始まったがプログラムの変更もあって、予定終了時間の21時より少し早く終わった。急いでバス停に行き、帰りのバス時間を確かめると21時17分で余裕があった。
 今日は今帰仁村まで行くのに2000円の那覇バスと琉球バスが乗れる一日フリー乗車券を買ってあったが、首里城下町線は沖縄バスが運行しておりフリー乗車券が使えず往復で440円かかってしまった。
 家に帰り、今日撮影した写真データをバックアップ。さすがに疲れた。
○琉球舞踊「古典」 かぎやで風(かじゃでぃふう) 四ツ竹(ゆちだき) 天川(あまかー) 醜童(しゅんどう)/出演団体:宮城能鳳琉舞研究所 地謡:野村流音楽協会
○人間国宝の演奏 第一部 城間徳太郎/独唱:赤田風節(あかたふうぶし)
○人間国宝の演奏と舞踊 第二部 西江喜春/独唱:二揚述懐節(にあぎすっけーぶし) 照喜名朝一/独唱:二揚仲風節(にあぎなかふうぶし) 宮城能鳳/琉球舞踊:瓦屋(からやー)
○組踊 執心鐘入(しゅうしんかにいり)/出演者:宮城能鳳琉舞研究所 地謡:野村流音楽協会

写真は中秋の宴での組踊「執心鐘入」。
*2013年9月22日のPhoto Diaryはこちら。(泡盛・残波、寿司と3パック1000円、借りてきた本)
*2013年9月24日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市上空を飛ぶオスプレイ)

12月24日(金)

 早いもので、もうクリスマス・イブだ。せっかくなのでミニー・リパートンの歌うクリスマス・ソングを2曲。「Silent Night」「Christmas Love」。
新しいトップ画面

 長い間放置していたトップ画面をようやく更新しました。写真は名瀬の民家の花壇で撮影した植物の葉っぱ。A Happy New Yearは新年おめでとうではなく、よいお年をお迎えくださいという意味です。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトプ画面
 明日はクリスマス、そして奄美群島が日本に復帰した日。奄美大島では毎年12月25日に「日本復帰記念の日のつどい」が開催されるが、新型コロナ禍の今年はどうだろうかと奄美市のホームページを覗いてみたら、今年も午前11時から式典が行われるようだ。式場が奄美市市民交流センターとなっており、こんな施設あったっけ?と思ったら今年の10月にオープンしたばかりだそうだ。
 下の写真は2011年の「日本復帰記念の日の集い」。晴れていれば、おがみ山にある日本復帰記念碑前で開催されるはずだったが、2010年、2011年と2年続けて雨で名瀬小学校体育館での開催となった。
日本復帰記念の日の集い

 大阪京都に続き東京でもオミクロン株の市中感染が見つかった。ここから全国に感染が広がるのは、あっという間なのだろうか。
 岸田首相がアベノマスクを2021年度中に廃棄処分すると表明したが、その廃棄にかかる費用が数千万円だそうだ。もっと驚くのは、昨年厚生労働省と納入業者が実施したアベノマスクの検品費用に20億9200万円が使われたということ。なぜ検品に20億という巨額な費用がかかると分かった時点で、廃棄しようと思わなかったのだろう。こんな税金の無駄遣いもないだろう。
 先の衆院選で明らかになった在職1日の国会議員にも月額100万円が満額支給される「文書通信交通滞在費」制度の改正を巡る問題で、日割り支給の先行実施を主張する自民党は、日割り支給に加えて使途公開や国庫返納も加えた野党の提案を受け入れず、問題の先送りとなった。「文書通信交通滞在費」という名目で払われている税金の使い道の公開や余ったお金を国に返還するという、民間企業では当たり前のことすら決められない国会議員たち。こんな浮世離れした人たちが国の行方を決めていることが腹立たしく、そして情けない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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リニア新幹線開業「めど立たず」 JR東海社長、延期は不可避
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東京五輪、経費1兆4530億円 招致時の試算からは倍増

 Photo Diaryを更新。
*2013年8月23日のPhoto Diaryはこちら。(石垣島から那覇へ)
*2013年8月26日のPhoto Diaryはこちら。(3パック1000円、マンボー切身)
*2013年8月28日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、キャベツと塩昆布の漬物)
*2013年8月31日のPhoto Diaryはこちら
8月31日のスナップ。栄町市場屋台祭り
↑今日で8月も終わり。心配していた台風15号は、思っていたより沖縄の北を進んだため、那覇ではそれほど天気が崩れる事はなかった。
 石垣島へ旧盆の行事を見に行っていた時の写真と日記作成のメドがついたので、2カ月ぶりに栄町市場屋台祭りを見に行く。  市場のホームページには夕方5時すぎスタートと書いてあったので、5分ほど過ぎた頃に行ってみると、ステージはまだ準備中だった。 散歩を兼ねて市場の中を歩いていると、どこからかベン・ワットの曲が流れて来た。
  ベン・ワットやトレーシー・ソーン、マリーン・ガールズが所属していたチェリーレッド・レコード(イギリスのインディーズ・レーベル)のアルバムは、日本ではTORIOレコードが発売していた。当時「ギター・ライフ」という雑誌でレコード紹介を書いていて、アルバムを聴いて一発で好きになり発売して間もなかった彼らのアルバムのちょとした特集記事を書いた。ぼんやりとした記憶で、このネオ・アコと呼ばれた音楽を鈴木慶一さんが当時いちはやく注目していたように思う。この頃、鈴木慶一さんは徳間ジャパンで水族館レーベルをやっていた。渋谷系なんて言葉もない、30年ほど前のお話し。 
  You Tubeから「Ben Watt/North Marine Drive」「Tracey Thorn / Femme Fatale」。今でも色褪せない曲だと思う。
 市場を散歩して200円のオリオンの缶ビールと、50円のおにぎり、150円のおつまみセットを購入。ステージ前のパイプ椅子に座り、ビールを飲みながら始まりを待つ。
 客席横に貼ってあった進行表から。5:30〜松城太鼓、新城カメーと童ばぁたー 6:20〜栄町市場シンガーズ、前田達也 7:10〜やんばるヒートオーケストラ、永楽 8:20〜おばぁラッパーズ、マルチーズロック、カチャーシー 9:00終了。
 市場屋台祭りのトリは、島唄の永楽さんとマルチーズロックのジョイントによる、カチャーシー。
 客席前方のパイプ椅子は端に寄せられて、踊りのスペースが作られた。
 進行表には9時終了となっていたが、30分ほど過ぎて終わった。パイプ椅子の片付けを少しお手伝いして、帰宅した。写真は市場屋台祭りの締めに行われるカチャーシー。

*2013年9月3日のPhoto Diaryはこちら。(歯の治療計画説明書、那覇市内にかかる虹)
*2013年9月6日のPhoto Diaryはこちら。(スイカ)
*2013年9月10日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダからの那覇市内)
*2013年9月11日のPhoto Diaryはこちら。(波の上ビーチ、スイカとバナナ、500円のTシャツ)
*2013年9月14日のPhoto Diaryはこちら

9月14日のスナップ。久高島八月マティでのグゥルイ
↑今日から、久高島で行われる祭祀・八月マティを見に行く。
 この祭祀について、比嘉康雄さんの「神々の古層 女が男を守るクニ 久高島の年中行事1」から引用すると
ハティグヮティ 旧八月は「ハティナリキ」といわれ、悪い月と考えられている。この月に子供が産まれるのは良くないといわれ、臨月の妊婦は安静にして産まれないようにするという。この月には家レベルでも屋敷のお祓いがあり、シマレベルでも健康祈願が盛大におこなわれる。まつりは旧八月九日、十日、十一日、十二日の四日間にわたっておこなわれる。
 今日は旧暦の十日でまつりの二日目となるが、初日の昨日は神人がウタキに参拝して祀りが開始されることを報告する日のようで、見る事はできなさそうなので、今日からにした。
 朝7時頃に起きて、荷物の最終確認。お米を1合炊いて、おにぎりを3つ作る。部屋を11時45分頃に出て、自転車で那覇バスターミナルへ。10番乗り場で12時20分発の志喜屋行きに乗車。一時間弱で安座真サンサンビーチに到着。バス停から安座真港の方に歩いて行き、フェリー乗り場で久高島までの往復の乗船券を購入。
 14時に出航したフェリーは30分ほどで、久高島の徳仁港に着いた。徳仁港から集落の中を歩き、今日から二日間宿泊する久高島宿泊交流館へ。チェックインの手続きをして、2日分の宿泊費7000円を支払う。10畳の部屋にエアコン付きと贅沢だが、部屋と通路は障子戸、左右の部屋とは木の引き戸で仕切られただけなので防音はないようなものと思われる。
 エアコンを入れた部屋で少し休んだ後、祭場である外間殿と久高御殿庭に行ってみる。交流館の受付で聞くと、神事の時には通れなくなる道(神道)があるようで、歩いても大丈夫な道を地図に書いてもらう。
 外間殿の横を通ると神人のお手伝いをする女性がいらして、夕ガミの御願は16時半頃だと教えて下さった。御殿庭に行くとマイクやスピーカーなどの音響設備が用意されていた。神アサギの隣りにはイラブー(エラブウナギ)を薫製にする小屋があり、小屋の後には生きたイラブーが箱に入れられていた。
 外間殿に戻り神人の方の御願を少し離れた場所から見させていただく。久高島の女性神職者は現在4人だそうだが、今日は3人での御願だった。御願は20分ほどで終わり、神道を通り御殿庭に向かわれたのを見送って、集落の中の道を歩いて御殿庭に行くと、ちょうど久高御殿庭に着かれたところだった。ここでも御願が行われた。
 御願の後、神人によるビンヌスーヌー(円舞)が行われ、それからタムトゥ以下の神女全員によるグゥルイ(本島で言うウスデーク)が踊られると「神々の古層」には記してあるが、ビンヌスーヌーが行われたかどうかがわからない。
 ビンヌスーヌーについては、「ヌル以下全員がンチャティオージ(神扇)をかざし持ち、ハリーという囃子の入る神謡を歌いながら舞う」とある。確かに一人の神人の方が歌われ、一人の方が神扇をかざされたが、ビンヌスーヌーではないようだ。
 また1978年以降、ナンチュ(神女)になる儀式であるイザイホーが行われておらず、最後にナンチュになられた方も70歳を超えて神女を降りられているのでヤジクという神組織はなくなり、神女によるグゥルイは出来なくなったので一般の女性によるグゥルイが踊られているそうだ。
 30分ほどグゥルイが踊られた後、区長さんの挨拶があり、その後は島唄の歌と踊りが始まりカチャーシーを踊って19時頃に一部が終わった。すっかり暗くなり、子供達が帰った後に第2部が始まった。ゴザを寄せて輪を小さくして三線と太鼓をバックに島唄を歌う。少ない街灯と、月明かりに照らされた神様の庭での遊びだ。
 お腹が空いたので、一時間ほど楽しませてもらって宿泊所に帰る。シャワーを浴び、一昨日買っておいたカップ焼きそばと魚肉ソーセージ、朝作ってきたおにぎりの残り1個で遅い晩ご飯。
 ノートパソコンを開き、外付けのハードディスクに撮影データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。日記用のメモを書く。
*今日の出費。那覇バスターミナル→安座真サンサンビーチ760円、安座真港~久高島・徳仁港往復乗船券1240円、久高御殿庭での参加寄付500円、宿泊費2日分7000円。写真は久高御殿庭でのグゥルイ。
*2013年9月15日のPhoto Diaryはこちら
9月15日のスナップ。神酒を集めに各家をまわる

↑八月マティの3日目。集落民の参加する行事としては2日目で、この日は「ヨーカビー」と言われ、八月の中でも特に悪い日と考えられているそうです。
 朝8時頃に起きて、那覇で買って来たパンで朝ご飯。しばらく部屋でボーッとしてから外間殿に向かう。10時頃に神人の他、集落の女性が外間殿に集合してから、フボーウタキに行き健康祈願をするタキマーイという神事が行われる。殿にいらした若い神人の方に、出発するところを見学させて欲しいとお願いしたところ、いいですよと言う返事がいただけた。
 10時半過ぎに3人の神人、お供の女性2人、赤ちゃんと小学生から中学生の女の子5人ほどと赤ちゃんのお母さんが殿の横に停めてあった車でフボーウタキに出発された。
 しばらく外間殿の写真を撮っていると、10時50分頃にムカデ旗を持った区長さんを先頭に集落の男性が行列になって歩いていらした。そのまま殿の横の道を通りボンウキャーに向かうようなので写真を撮りながら着いて行く。ボンウキャーは地名で集落の北の外れにある。場所的には宿泊している交流館の横に位置する。このボンウキャーで、集落の男性がタキマーイから戻った神人と女性達を迎える。
 外間殿から歩いて5分ほどで、ボンウキャーに到着。ムカデ旗を持った区長さんが先頭に立ち、三線と太鼓が並び、しばし島唄の歌と演奏が始まった。
 11時15分頃に、タキマーイから戻った神人や女性たちがボンウキャーに現れ、近くの広場でカチャーシーを踊る。外間殿に歩いて戻り、神人は殿の中に入り、男性は外に並んで座り神酒をいただいた。
 若い神人が外に出て来て一人でカチャーシーを踊った後、座っていた男性や周りで見守っていた女性達が続いてカチャーシーを踊る。
 この後、担ぎ棒に大きなガラスの容器を吊るして男の子が二人で担いで各家を回り、神酒を集めてまわった。「神々の古層」には、今日の行事としては記載されていないが、昨日と明日の行事に出て来る(ソールイガナシーの各戸まわり)に当たる。ソールイガナシーは男性の神職者で、ンナグゥナー(15歳の男)を二人伴って各戸をまわる。ちなみに、現在久高島には2名いるはずのソールイガナシーが不在となっている。
 家をまわり、大きなガラスの容器に神酒(泡盛)を入れてもらい、その度にカチャーシーを踊って次の家に向かう。20分ほど撮影しながら一緒にまわったが、お腹が空いたので一旦離れて港近くの食事処とくじんへ。中に入ると外間殿からボンウキャーまでビデオをまわしていた方がいて、混んでいるので同席させていただくことになった。宮古島からわざわざ見にいらしたそうで、宮古の祭祀についてお話ししていると野原のサティパロウの2代目のお面を作られた方だったので驚いた。
 昼の一番混んでいる時にお店に入ったようで、注文してから食べ終わるまで1時間ほどかかった。食べ終わりお店を出て歩いていると三線と太鼓の音がしたので探してみると、各戸まわりが続いていた。いつのまにか子供達が、ゾロゾロとついてまわっていた。
 また何軒かの家をまわるのを着いて歩き、その途中で見つけた商店でサンピン茶のペットボトルを買って一旦宿に戻る。明日泊まれる民宿はないか、久高島のガイドマップに記載されている3軒に電話するが、満室だったり男一人は受け付けていなかったりと断わられる。八月マティの最終日である明日は、夕方16時からテーラガーミーという神事が行われる。本島に戻る最終フェリーは17時なので、神事の最後まではいられない。今泊まっている交流館も明日は満室だ。さて、どうするか。
 部屋で今日撮影した写真データを外付けハードディスクにバックアップした後、15時半頃に宿を出る。どうやら帽子をどこかに忘れたようなので、午前中に行ったボンウキャー、外間殿で探してみるが見つからない。諦めて、16時から昨日と同じ夕ガミが行われる久高御殿庭へ。夕ガミが始まったのは16時45分過ぎだろうか。神人の御願があり、その後グゥルイが踊られて昨日と同じ感じで進行して行った。少し違うのは小・中学生による踊りが昨日より多かったことだろうか。
 19時過ぎまでビールや泡盛を呑みながら見せていただいた後、お腹が空いたので昼も食べに行った食事処とくじんへ行き、沖縄ソバを注文。ついでにひょっとしてと思い、帽子の忘れ物がなかったか聞いたところ、ドンピシャリありました。
 食べ終わり久高御殿庭に戻る途中、さっきサンピン茶を買ったお店とはまた違う商店があったので、晩酌のつまみ用にポテトチップスを購入。御殿庭での神遊びを少し見てから宿へと帰った。
  シャワーを浴び、撮影データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電して、日記用のメモを書く。
*本日の出費。久高島御膳1000円、サンピン茶2ℓ330円、夕ガミへの参加寄付500円、沖縄そば600円、ポテトチップス150円。写真は家々をまわって神酒を集める少年たち。大きなガラスの瓶に神酒を入れて貰うと、その場でカチャーシーを踊り、踊り終わると次の家へと向かう。

12月20日(月)

 昨日は姪っ子の結婚式があり、妹夫婦と一緒に奈良県まで出かけた。籍はすでに入っており、1歳になる女の子もいるが、新型コロナでなかなか結婚式が挙げられなかった。女の子のお披露目を兼ねた結婚式だった。
  県外に行くのは昨年の元旦に岐阜の白川郷へ春駒踊りを撮影に行って以来なので、約2年ぶりだ。また、新高岡から金沢までと短い距離だが、初めて北陸新幹線に乗車した。新幹線に乗ること自体久しぶりだし、乗り換えの京都も久しぶり。そして、奈良県に足を踏み入れたのは初めてかもしれない。中学の修学旅行は関西で、京都、大阪をまわった記憶はあるが奈良は行っていないかも。
 朝8時頃に家を出て、帰ってきたのは23時頃。長い一日だった。今日は朝から、昨日撮影した結婚式の写真をパソコンで現像する作業。しばらく時間が取られそうだ。 
姪っ子の結婚式

12月18日(土)

 積もったけれど、心配していたほどの大雪にならなくて良かった。それにしても寒い。部屋の中にいても指がかじかむ。本格的な冬の始まりだ。
積雪

12月17日(金)

雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう♪そんな山下達郎のロマンチックな曲と違い、富山は今晩から明日にかけて暴風雪になる予報。夜になって雨から雪に変わった。明日はこの辺りでは今季初の積雪になるようだ。
雪

 今日の午前、大阪市北区の雑居ビル4階で火事があり、27人が心肺停止で病院に運ばれ、このうち24人の死亡が確認された。火事は放火によるものとみられている。一昨年の7月に起きた京都アニメーション放火事件の際にヤギヤスオさんのこのツイートをリンクしたが、昨日から今日、今日から明日へと続く筈だった日常が突然断ち切られてしまった悲しみは亡くなった本人だけではなく、ご遺族も同じだろう。言葉もない。

 森友学園への国有地売却を巡る問題で決済文書改ざんを苦に自殺した赤木俊夫さんの妻が、国と当時理財局長だった佐川宣寿氏に損害賠償を求めた訴訟で、国は一昨日、賠償責任を認める書面を大阪地裁に提出した。賠償金額は1億円以上だが、国はそれを払ってまで幕引きをしたかったのだろう。赤木さんの妻は賠償金が欲しくて訴訟を起こしたのではなく、真相の解明が目的だった。国のこの不意打ちに憤り、今日、財務省を訪れて抗議文を手渡したそうだ。抗議文全文
大きな穴に落とされて、一番底まで落とされて大きな蓋をして、その上に大きな重いおもりを乗せられたような、もう手も足も出ない。もう言いたくなかったんですけど、やっぱりふざけんなって思います。必ずこの抗議文に対して返事をください。必ず返事をくださいって何度もお願いしました」。
 森友問題の真相が解明されるまで野党議員はしつこく追求し、マスコミはしつこく報道するべきだろう。

 国交相が基幹統計の無断書き換えを行なっていたことがわかった。書き換えは8年前からだそうで、第2次安倍内閣のスタート直後だろうか。
 2年前の12月9日に、公文書を航海図、統計調査を羅針盤に例えて以下のような文章を書いている。
 今日、臨時国会が閉会した。記者会見で安倍首相は桜を見る会の今後の開催に触れ、「私自身の責任において招待基準の明確化や招待プロセスの透明化を検討する」と述べたが、桜を見る会の招待基準は「各界において功績、功労のあった方々」という明確な基準が既にある。
 問題なのは基準があるにもかかわらず、基準から外れた人物が大量に招待されていることだろう。招待プロセスの透明化を言うなら、首相及び内閣の威信にかけて破棄したという招待者名簿のバックアップデータを復元して検証する以外に方法はないのではないだろうか?
 公文書というのはこの国がどんな航路を辿って来たかを記録した航海図であり、国が行なう統計調査はこの先をどう進めばいいかを示す羅針盤だろう。
 公文書は破棄した。バックアップデータは消去した。バックアップデータは公文書ではない。破棄に使用したシュレッダーの記録は見せられない。「桜を見る会」やモリカケなど、安倍首相に疑惑が向けられた問題で必ず出て来るのが公文書でありデータの改竄や隠蔽だ。航海図を捨て、羅針盤を壊した船=現政権が舵を握っていると自分たちがどこを彷徨っているかもわからず、どこに進むかもわからない。支持している人たちは怖くはないのだろうか。
 政府は2030年までに、世界レベルの高級ホテルを国内50ヶ所に新設する方針だという。やはり、羅針盤が壊れているとしか思えない。

 政府は落選の石原伸晃氏の内閣官房参与起用は「失業者の救済」に当たらずを閣議決定したそうだ。安倍内閣の時に首相夫人・昭恵氏は「私人」という閣議決定がなされたが、それと同じくらいクダラナイ決定だろう。まさに、恥の上塗り。

 この他の気になった記事を備忘録として。
沖縄のオミクロン感染は50代基地従業員 米国から到着した70人クラスター
凍土壁の解けた部分に鋼管8本打ち込み終える 地中温度0度以下に 東電福島第一原発
ポール・ウェラー、ツアー中に新型コロナウイルスに感染したことが明らかに
首里城正殿の扁額、黄色基調の可能性 新たな史料発見 デザイン変更も
「もう二度と建てられない沖縄の宝」劣化進む那覇市民会館 日本復帰前後の建築ラッシュ 思わぬ塩害
東京・調布陥没で食い違う調査結果 NEXCO東日本「トンネル真上以外は地盤に影響なし」
コロナで借家を追われる危機が急増 給付金の支給決定34倍も…無期限の家賃補助が必要

 一番最後に東京へ行ったのは、まだ那覇に住んでいた2012年の9月で、出版社のスタジオで書籍用にモデルさんを使った写真を80カットほど撮るためだった。それからもう9年、東京へは行っておらず、未だに北陸新幹線も乗ったことがない。
金田龍之介さん
 別に用事もないから東京へ行かなくてもいいんだけれど、師走になると浅草をちょっと散歩したいなぁと思ったりはする。合羽橋の肉のさがみ屋でかっぱステーキを買い、仲見世商店街の金龍山で揚げまんじゅうを買う。そのまま足を伸ばして向島方面へ。ちょっと寂しい街灯の下、師走の冷たい風を身体に感じながら、鳩の街通り商店街の鳥肉屋で焼き鳥を買って帰る。なんて贅沢なんだろうか。
 そんな楽しい想像をしていたら、仲見世の金龍山が今年の7月に閉店したという悲しい記事を見つけた。仲見世に揚げまんじゅうを売るお店は何軒かあり、いろんなバリエーションの揚げまんじゅうを揃えたお店もあったが、金龍山はオーソドックスな揚げまんじゅうと切山椒を売っていた。一個売りはしないので、箱で買って家で温め直して食べた。
 今日から19日まで、浅草の羽子板市。羽子板市が始まると、もう今年も残り僅かだと実感する。たいして忙しいわけでもないのに、気持ちだけが焦る。
 上の写真は、金田龍之介さん。雑誌の仕事で1999年5月に撮影した。指定された浅草にある京風甘味処でライターさんのインタヴューが終わってから、外に出てもらってアーケードの下で何枚か撮影した。金田さんは本所(現・墨田区)の生まれだそうだ。金田さんの出で立ちと、背景の浅草の商店街が合っていて好きな写真。
 Photo Diaryを更新。
*2013年8月20日のPhoto Diaryはこちら
8月20日のスナップ。新栄町保育所での大川青年会のアンガマ
↑昨日は激しく雨が降ったので、今朝は起きたら台風の影響で大荒れの天気かなーと思っていたら、晴れていた。台風が去ったのかと思うような空だが、天気図ではこれからやって来る。
 本当は今日は波照間島のムシャーマを観るつもりだったが、臨時の船は昨日運行中止が決まった。それでもフェリー会社のホームページを覗いてみると定期船の始発は運行、後の船は未定となっていた。
 とりあえず昨日撮影した写真データを外付けのハードディスクにバックアップし、カメラの電池を充電。そして日記用のメモを書く。
 アンガマ日程表には、午後13時から新栄町保育所に大川青年会のアンガマが登場することになっている。保育所でのアンガマとはどんなものか興味があるので、出かけて行く。
 アンガマを観る前にお昼ご飯を食べようと、石垣島に来ると食べに来ている食事処でチキンピカタのデミソース、ドリンク付き690円。食べ終わり地図を見ながら保育所へ。保育所の先生にアンガマを観たくて訪問した事を伝えると、どうぞどうぞと園児の集まっている広い部屋に通して下さった。
 予定では13時からとなっていたが、アンガマ一行が到着したのは13時20分頃だったか。旧盆の時期はアンガマ一行は忙しいのか、沖縄時間なのか。行事の流れは同じだが、途中で園児が踊りを披露したり、仏壇が保育所の先生の手作りだったりするのが面白い。
 14時10分頃に保育所でのアンガマは終了。バスに乗って帰るアンガマ一行を見送った後、保育園の先生にお礼を言い、近くの図書館へ。1時間ほど郷土コーナーに置いてある写真集を眺めて過ごす。
 図書館からの帰り、離島ターミナルにより船の運航状況を聞く。結局波照間島への定期便は、行きも帰りも運行したようだ。なんだ〜行けば良かったと思うが、帰りの船が運航するかどうかは行く時には未定なのだから決断は難しい。
 宿に帰り、日記のメモの続きを書く。激しい雨が降ったり止んだりするが、昨晩のように雷が鳴る事もなく台風接近中の感じはしない。
 日程表を見ながら、今晩はどの青年会のアンガマを観に行くか検討。いしゃなぎら青年会は昨日追っかけたし、大川青年会はさっき保育所で観たので、登野城青年会のアンガマにする。
 日程表に記載されている訪問する家の住所をグーグルマップに打ち込んで検索。だいたいの場所を覚えて、宿を出る。最初の家に訪問するのが19時となっていたので、18時半頃に宿を出て探していると八重山幼稚園が。たしか最初の家は幼稚園の近くだと思って、敷地を覗くと庇の下にアンガマの一行が待機していた。
 雨が降らないうちにと、少し早いが18時45分頃に幼稚園を出発したアンガマ一行は、太鼓と三線の地謡をバックに唄を歌い、ホーイホーイと声を上げて移動する。最初の家に少し早く着いたのでしばらく待機したのち、座敷のある2階にゾロゾロと上がって行く。後を着いて行くと、家の人がどうぞどうぞと見物客も家の中に入れて下さった。お言葉に甘えて中から少し撮影。昨日程の激しい雨も降らず風もあって涼しいので、見物客がたくさん訪れて直ぐに家の中は満員になった。
 アンガマの内容は昨日のいしゃなぎら青年会と大きく違うことはなく、ウシュマイとンミーが仏壇にお香をあげて拝礼し、念仏踊りを踊る。その後花子達が唄と踊りを披露。その合間にウシュマイ、ンミーと見物客との珍問答が行われる。
 一軒目の家に一時間近く滞在した後、次の家へ。雨が降って来たので途中からアンガマ一行は車で移動。登野城青年会のアンガマはこの夜5軒の家をまわるようだが、3軒目の途中まで観て宿に戻った。
 ところで、登野城のアンガマで六調が踊られた。奄美は最後に六調を踊るが、沖縄で六調は不思議だなーと思っていたら、沖縄本島にはないが八重山諸島にはあるという記事を見つけた。
 明日が一番台風が接近する予想となっている。暴風雨で外に出られなくてもいいように、途中のコンビニで買い物。パン3個、カップ焼きそば、ポーク玉子弁当、1ℓ紙パックのミルクコーヒー、ポテトチップスで1214円。
 宿に戻りポーク玉子弁当で遅い晩ご飯。シャワーを浴びて、ポテトチップスをつまみに泡盛を呑んで就寝。
*本日の出費。ランチ690円、コンビニ1214円。写真は新栄町保育所での大川青年会のアンガマ 。
*2013年8月21日のPhoto Diaryはこちら
8月21日のスナップ。夜道を歩く新川青年会のアンガマ
↑かなり接近するかと思われていた台風12号は進路がそれて、石垣島は暴風域に入らず午前10時半に暴風警報は解除された。それでも石垣空港を離発着する飛行機に影響は出て、離島ターミナルからの船は全便が欠航した。
 予定では最終の船で小浜島に渡り、夜通し行われるという旧盆行事ソーラを観に行く予定だったが、船が出ないのではしょうがない。残念。
 とりあえず昨日買っておいたパンを食べながら、ベッドにパソコンと周辺機器を広げて日記用のメモを書く。書き終わり、少し昼寝をしてから一昨日も行ったゆんたく家へ。今日は18時から昨日保育所で観た大川青年会のアンガマがある。
 少し早めに着いて、ゆんたく家のあるアーケードの端に行くとアンガマ一行が少し離れた駐車場にバスで到着。ウシュマイ、ンミーを先頭にゆんたく家へ向かう行列を撮影しながら着いて行く。
 激しい雨が降っていた一昨日よりも見物人の数は多くなっている。50分ほど花子達の踊り、ウシュマイ、ンミーと見物人との珍問答が行われ、来た道を通って帰って行った。
 帰り際、ウシュマイやンミーと一緒に記念写真を撮りたいという観光客が沢山いて大人気だった。日程表を見ると、大川青年会のアンガマはこれが最後。大川の一般家庭でのアンガマは観れなかった。
 ゆんたく家を出て、今度は新川へ向かう。四カ字のうち、石垣(いしゃなぎら)、大川、登野城青年会のアンガマは観たので、残りは新川青年会だけだ。日程表には、この日の夜、新川のアンガマは19時から3軒の家で行われると記載されているが、最初の家は名前だけで住所が書いてない。グーグルで検索した2軒目の家を目指して歩いていると、途中で太鼓と三線の音が!聞こえる方の路地に歩いて行くと人だかりがあり、新川青年会のアンガマだった。
 1軒目の途中から見学して、次の2軒目に着いて行く。雨が降っていないので、アンガマ一行は行列を組んで歩いて移動。三線、太鼓の地謡をバックに道唄を歌いながら歩く。歌詞は昨日の登野城のものとは違う気がする。また、ホーイホーイというかけ声も入らない。ゆんたく家で観た大川のアンガマは地謡の演奏だけで、唄はなかった。一昨日のいしゃなぎらのアンガマは雨が降っていてバスでの移動が多かったのだが、歩いて移動する時も地謡の演奏だけだったように思う。また、登野城と新川の花子達はクバ笠を被り、顔を手ぬぐいで隠しサングラスをかけているが、いしゃなぎらと大川はクバ笠と手ぬぐいだけだ。
 2軒目の家から3軒目は小雨がパラついたのと、少々距離があるからかアンガマ一行は車で移動。スタッフの方に場所を聞いて歩いて先回りする。大通りで車を降りた一行は、また列を作り道行きの唄を歌いながら歩いてくる。吹き返しの風が強く、時おり小雨がパラつくが旧盆最後の日とあってどの家にも見物客がいっぱいだった。
 3軒目の家が終わったのは、22時20分頃だった。アンガマ一行は、また唄を歌いながら歩いて5分ほどの公民館へ入って行った。
 空を見上げれば、凄い早さで流れる雲の間からまん丸い月が顔を出している。宿へ向かって歩いていると、家の前の道でお供え物を並べてご先祖さまを送り出している家族を見かけた。薄暗い中、目を凝らして歩いているとお供え物が道路にそっと置かれている。
 アンガマは座敷での唄や踊りも良いけれど、行列を作って歩いて行くところが風情があって好きだ。日が落ちて暗い路地を、異形の精霊達が歌いながら演奏しながら列をなして歩いて行く。それは非日常な風景で、それゆえ強く惹かれてしまう。
 宿に帰る途中お腹が空いたので、先月来た時に食べたラーメン屋さんに寄るが閉まっていた。しょうがないのでコンビニでサンドイッチを一つ買って帰る。
 サンドイッチを食べ、シャワーを浴びて、泡盛を呑んで就寝。
*本日の出費。サンドイッチ284円。写真は夜道を家から家へと歩く新川青年会のアンガマ行列。
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8月22日のスナップ。登野城のイタシキバラで、獅子に頭を噛んでもらう子供
↑午前中は雨だったが、昼頃から少し回復。藤圭子さんの訃報に驚く。
 今日は登野城でイタシキバラがあるが、場所と時間がわからないので散歩がてら偵察に。ついでにお腹も空いたので、宿の近くにある安くて量があるので有名なあさひ食堂に行くが、お休みの張り紙。
 公民館の近くで演じると聞いていたので、当りをつけて歩いていると三線の音が聴こえて来た。音のする方へ歩いて行くと、広い更地にテントが張られて何やら準備中だった。作業をしている人に聞くと、ここがイタシキバラの会場で、始まりは16時過ぎとのこと。
 場所と時間がわかったのでお昼ご飯を食べに行く。歩きながら見つけた候補はレストランのチキン&タイカレー、ドリンク付き700円、中華料理店の麻婆豆腐定食600円、喫茶店のカツ丼600円。しばらく悩んで、喫茶店のカツ丼にした。沖縄でカツ丼を食べると、野菜炒めが乗っていたりと驚く事も多いが、老夫婦がやっているこの喫茶店のカツ丼は正統派。ご主人が作っていたが、盛りつけも美しい。
 すっかりお腹がいっぱいになったので、一旦宿に戻ってお昼寝。起きると16時過ぎだったので、急いでイタシキバラの会場に向かう。
 イタシキバラはウークイの次の日に行われるもので、獅子の霊力で邪気を祓い、地域を清め、住民の健康を祈願する。会場に着くと、テントの中に祭壇が設けられて2体の獅子頭とミルクが奉られていた。
 17時過ぎに祭壇の前に神司が座り、ニガイが行われた。この後、テントの中で地謡の演奏で唄が歌われ、酒宴が始まった。私も、かまぼこ(ちぎり揚げ)と冷たいお茶をいただいた。ご馳走さまです。
 19時少し前に会場の周りで始まりを告げるものだろうか、銅鑼を鳴らして男達が歩く。そしてテントの中の祭壇で再び神司のニガイが行われた後、獅子頭が運び出された。
 神司から受けとった清めの塩が会場に撒かれ、獅子舞が始まった。時間にして20分程の舞でしたが、想像以上に激しい動きで迫力のある獅子舞だった。
 このイタシキバラが行われる場所は新城家(アラスクヤー)の土地で、家主不在だったが、昨年の旧盆以降に家屋も撤去されたそうだ。更地になったアラスクヤーでの獅子舞は、今年が初めてとなる。字会の会長さんが最後に挨拶をされたが、今日の開催まで大変だったようだ。
 20時過ぎにイタシキバラが終わり、直ぐ近くにある登野城公民館へ移動。アンガマの総集編というのだろうか、アンガマトゥズミが19時半から行われている。
 八重山幼稚園の3階にある公民館に入ると、ステージの上にはクバ笠と顔に巻いていた手ぬぐいやサングラスを外した素顔の花子達が座っている。
 民家や施設をまわる時は一カ所につき1時間弱だが、このアンガマの締め括りとなるトゥズミでは全ての踊りが披露されるようだ。2時間ほどと聞いていたが、終わったのは22時過ぎ。一番最後は六調が踊られ、この後アンガマ一行は列を作ってステージを下りる。列の最後はお面を外したウシュマイとンミーだった。
 公民館を出て宿に帰る途中、コンビニで水とおにぎりを購入。シャワーを浴び、買って来たおにぎりとイタシキバラで貰ったかまぼこ(ちぎり揚げ)、一昨日買っておいたカップ焼きそばで晩ご飯。
*本日の出費。カツ丼600円、天然水2ℓ98円、鮭のおにぎり137円。写真は登野城のイタシキバラで獅子に頭を噛んでもらう子供。

12月14日(火)

 今日は冬晴れ。空気は冷んやりとしているが、午後から少しだけ近所を自転車で走って来た。奥には立山連峰がクッキリと見え、上空には月が見えた。
冬晴れの空
 岸田首相が今日の衆院予算委員会で、配られることなく大量に備蓄されているアベノマスクについて、「費用対効果で何か(活用の)道がないか、検討させたい」と表明したそうだ。8000万枚にも上るアベノマスクの保管費用は今年3月までで約6億円かかっており、今後も費用がかかり続ける。もう市中に不織布マスクが大量に流通しているので、活用の道はないだろう。活用を検討している間に、保管費用が何億円も消えていくのを見ているつもりだろうか。国会議員のボーナスを、このアベノマスクの現物支給にしてくれないだろうか。
 自民党だけではなく、立憲民主党の阿部知子議員と岡本章子議員がそれぞれ代表を務める支部も新型コロナによる助成金を受け取っていたことがわかった。もう他にはいないだろうか?

 この他の気になった記事を備忘録として。
「軽症で済むとの考えは脇に置くべきだ」とジョンソン英首相 オミクロン株、初の死者を確認
米竜巻の死者80人超、依然100人以上安否不明 大規模被害のケンタッキー州をバイデン大統領が視察へ
北海道の感染拡大 GoToが主因か 近畿と首都圏からウイルス流入

 なんでこの写真を撮ったんだろう?と見返すと不思議な写真が時々ある。やたらと背の高いパームツリーが2本並んだ写真は、2014年3月29日にうるま市具志川で撮影した。この日は前年の3月19日に亡くなった登川誠仁さんの一年忌追悼公演が、うるま市芸術劇場で開催されるので見に行ったのだが、途中にある具志川バスターミナルで乗り換えがあり、乗り換えの待ち時間の間に周辺を散歩していて撮影した。
 こうしてみると、イーグルスのアルバム『ホテル・カリフォルニア』のジャケットに似てなくもない(笑)。撮影した時に、そんなことを思って撮ったかは既に忘れてしまったけれど。
具志川のスナップ
 ホテル・カリフォルニアに泊まったことがある。と言っても、奄美大島の名瀬にあったホテル『カリフォルニア』だけれど。鹿児島からフェリーに乗って奄美大島に到着した最初の晩に泊まったのが、名瀬港に近い山の中腹にあったホテル・カリフォルニアだった。安いゲストハウスでもよかったが、じゃらんでホテルを探しているとこのホテルが割引になっていたので決めた。その日、宿泊客は他に居らず貸切状態だった。
名瀬のホテル・カリフォルニア
 次の日から安いゲストハウスに2日ほど泊まり、その間に不動産屋をまわって名瀬港に近いビルの一室を借りた。2年間住んだ部屋の窓からは、名瀬港の対岸にホテル・カリフォルニアの白い建物が見えた。ホテル・カリフォルニアの建物は今もあるようだが、何度か経営が変わってホテルの名前も変わったようだ。今は「風と海のテラス ゲストハウスベイサイド東ヶ丘」という長い名前になっているようだ。
↑写真中央、3つ並んだ建物の一番左の白い建物がホテル・カリフォルニア。住んでいた部屋から撮影した。

 イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」は一度だけ生で聴いたことがある。まつもと泉から電話があり、イーグルスのチケットがあるから行かない?というものだった。一緒に行くはずだった友人が急遽行けなくなってチケットが余ってしまったという。
 1995年の来日ツアーで、11月14日の東京ドームを観に行った。イーグルスの大ファンでもなく、コンサートのことはよく覚えていないが、帰りに二人で水道橋の居酒屋に寄った時、まつもと泉がやたらと嬉しそうに話していたのを覚えている。
 YouTubeから「Hotel California/Eagles」。

 Photo Diaryを更新。
*2013年8月3日のPhoto Diaryはこちら。(粟国島から那覇へ)
*2013年8月4日のPhoto Diaryはこちら
8月4日のスナップ。支度を乗せたイリの雌綱
↑与那原の大綱曳きを観るために、部屋を14時頃に出る。自転車で那覇バスターミナルに行くと、39番の百名線が停まっており、与那原を通るか確認して乗車。40分程で、与那原に着いた。バスを降りる時に、運転手さんが大綱曵きの会場は少し先だと教えてくれたので真っ直ぐ歩く。
 しばらく行くと人垣が見えたので寄ってみると綱曳資料館があり、その一帯はイリの陣地のようになっていて、路上には旗頭と雌綱が置かれていた。
 広報の方がいらしたので、雄綱はどこにあるか尋ねたところ、同じ中央通りの少し先に待機していた。16時から始まる道ジュネーまで、イリとアガリの陣地を行ったり来たりしながらスナップを撮る。
 16時近くになって、イリとアガリの旗頭が中央通りからえびす通りに出て、国道331号に向かう。16時ちょうどに交通規制がかけられて道ジュネー、そしてガーエーが始まった。
 15分ほど旗頭が舞い、女性たちのメーモーイ(前舞)が繰り広げられた後、それぞれの陣地に帰る。そして大綱の上に勇壮な扮装をした支度を乗せて、今度は中央通りから国道329号、そして町立図書館横の会場まで大綱曳き行列が行われた。
 沖縄の綱曵きでは、綱を曳く前に支度を乗せてガーエーが行われる事が多いが、これ程長い距離を支度を乗せて行列するのは初めて見た。
 綱曳きの開始は17時となっていたが、少し前から雌綱・雄綱の頭の部分を六尺棒で持ち上げる。そして雌綱の中に雄綱の頭を入れ、カヌチ棒で固定して綱曳きが始まった。
 綱曳きは2回行われ、1回戦はイリ、2回戦はアガリの勝ちだった。
 18時、大綱曳きの行事は終了した。プログラムによれば、19時から板良敷エイサー、20時45分から花火が行われるようだが、会場の周りを少し散歩してから那覇に帰る。
 19時過ぎに那覇バスターミナルに着いて、自転車で家に向かう。途中、ハイウエイ食堂でイカ野菜炒めを食べて帰る。
「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)に、綱引きについての興味深い考察が載っていた。
 綱の型は、一般に本土は一本綱、沖縄はみーんな(雌綱)、うーんな(雄綱)の二本を結合させて引くとされているが、本土にも雌雄の綱で引く所はある。 また、ヨーロッパ辺りにも綱を引く習慣はあるが、せいぜい片方に十人内外で、朝鮮や日本のように大勢の人で引き合う方法はないといわれている。日本の民俗学では、従来、雌雄の綱を結合させることは生殖を意味し、それは稲の分けつを促す信仰であると説明してきたが、鹿児島県の民俗研究者・小野重朗氏の調査研究によって、雌綱、雄綱ともに龍を意味し、龍を躍らすことによって農作に最も必要な雨を呼ぶことが綱引きの目的であることが分った。つまり綱引きは雨乞いの行事である。
 私は昭和五十九年に奄美と韓国の綱引きを調査したが、沖縄の綱引きは少なくとも四、五百年前に朝鮮半島から伝わったものではないかと推論している。理由は朝鮮でも雌綱、雄綱があること、村の辻々を巡る道じゅねーがあること、宜野湾市大山や真志喜の綱引きと同じようにあぎえー(上げ合い)があることなどである。韓国の全羅道地域の村々では沖縄とそっくりの綱引きが旧暦正月二十日前後に行われている。

(文=宜保榮治郎・県教育庁文化課課長)
*本日の出費。那覇バスターミナルー与那原420円x2、イカ野菜炒め470円。写真は支度を乗せたイリの雌綱。
*2013年8月5日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市内の夕焼け)
*2013年8月7日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダで布団干し)
*2013年8月10日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市内の虹と夕暮れ)
*2013年8月13日のPhoto Diaryはこちら
8月13日のスナップ。草の装束を身につけた男の子

↑自宅近くのバス停を朝6時28分に発車する名護西線で、世富慶へ。
 今日は国頭村安田(あだ)で行われる祭祀で、国の重要無形民俗文化財であるシヌグを観に行く。安田のシヌグは毎年行われるが、ウフシヌグ(大シヌグ)とシヌグンクワー(小シヌグ)が交互に行われ、今年はヤマヌブイ(山登り)もあるウフシヌグの年に当たる。
 昨年の竹富島の種子取祭の時に知り合った町作りコーディネーターのkatzuさんと一緒にシヌグを観に行く事になり、世富慶のバス停で待ち合わせた。8時半頃にバス停から電話する事になっていたが、8時頃に着いたので、しばらく海岸近くの公園で時間をつぶしてから電話。
 バス停横のコンビニに迎えに来てもらい、katzuさんの運転する車で安田に向かう。
 名護から国道58号を北上。途中にあったお弁当屋さんでお昼用に300円の茄子味噌弁当を購入。辺土名の先、与那で右折して県道2号に入り山道をひたすら走ると安田に着いた。
 事前に公民館に問い合わせたところ、午前10時頃から御願があるとのことだった。10時少し過ぎにアサギのある広場に着くとアサギでの御願は終了しており、その隣りの祠とヌルヤーでの御願を見せていただいた。
 公民館の入口には藁が置いてあり、この藁をよって縄を作り祭祀に使う冠を作る。シヌグでは、男性が冠を被り山に登って神迎えをし一日だけの神となる。神になるのは集落の男性だけではなく、観に来た男性も参加できる。写真を撮りに来たが、せっかくなので藁縄の冠を被り神になってみた。
 ヤマヌブイについて「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)から引用すると、
 さて、まつりの日、村の男たちは決められた三つの山、ササ・メーバ・ヤマナスに分かれて登る。そこで体に木の葉をまとい、頭にミーハンチャー(ゴンズイ)の赤い花の冠を被る。このまつりの主役は、男子集団であり、扮装して異形の神をかたどっているのである。
 まつりの経過をのべると、男たちは扮装してまず山に向かって座り、太鼓に合わせて山を拝み、さらに方向をかえて海に向かって拝む。その後、円を描いて回りながら、手に持った聖なる木の枝で地面をたたく。そのとき「スクナレー」「スクナレー」という。これには祓いの意味があるという。
「エーヘーホー」と掛け声をかける男子集団は、村人をお祓いしてのち村の中央の道を真っ直ぐ海へ出る。浜辺で再び山へ向かって拝み、さらに海へ向かって拝み、身にまとった木の枝を海に流す。(現在では海を汚すので、浜に積み上げる)。男子集団は、村の西を流れる川で海水を流し、昼の部は終わる。

 ササは集落の北、メーバは集落の西、ヤマナスは集落の南にある。厳密な決まりがあるわけではないが、門中ごとに登る山が集中する傾向にあるそうだ。ヤマナスは途中で川に入らなくてはいけないので、メーバに登る集団に同行した。村内放送では、女性は山に登らないようにという注意が何度か繰り返し流された。
 12時少し前、メーバに登る4人の集団に着いて行く。山に直接集合するようで、途中からも人が増えて行く。歩きながら冠や腰、足首に飾る草を見つけては身に着けて行く。
 メーバの山頂に着いたのは12時15分くらいだろうか。道路から長い階段を上る山頂からは、安田の集落とその先に広がる海が見える。ここで皆さん草による装飾の仕上げをしながら、他の参加者の到着を待つ。
 そして13時、赤い胴の大きな太鼓を持った男性を中心として、山の方向、海の方向への御願が行われ、儀式が始まった。それぞれ木の枝を持ち、ぐるぐると円を描いて回り「スクナレー」をする。
 儀式自体は5分程だったろうか。それから階段を下りて近くの空き地でもぐるぐると回り「スクナレー」をして、来た時の舗装された道とは違う山道を通り安田川に出てアギ橋に到着。ここでヤマナスの集団と合流して、橋で待機していた家族や女性達からサカンケーを受ける。
 アギ橋からトンチバル(殿内原?)に移動すると、ここでササの集団も合流し、家族や観光客をぐるりと囲む大きな円を作り、ぐるぐると回りながら「スクナレー」を行った。
 トンチバルからアサギの前、御嶽のある公園(ヨリアゲ森?)で同様のお祓いをし、海岸に抜ける。そこで横列に並んで山に向かって御願、海に向かって御願をし、身に着けていた草の装束を取り払って浜に積み重ねて行く。そして海に入って身を清める。
  濡れた体のまま集落に戻り、アサギの横を通り、近くの川(ウイヌカー)でもう一度身を清めた。
 三線と太鼓、旗竿を持った男性たちを先頭にアサギに戻って、14時過ぎに昼の行事は終了した。
 女性が中心となる夕方からの儀式は、スタートが18時頃。4時間程空くので、katzuさんと一緒に東村の高江に行ってみる。高江は米軍がヘリパッドを建設中の場所で、住民がテントを張って連日抗議を行っている。
 高江の抗議行動については、やんばる東村 高江の現状で。
 また琉球朝日放送が制作したドキュメンタリー「標的の村~国に訴えられた沖縄・高江の住民達~」が、編集し直し、収録時間を長くして劇場映画化された。上映劇場などの詳細は映画の公式サイトで。
 テントの中で冷たいお茶をご馳走になり、話しを少し伺い、ノートに署名して来た。高江の周辺を少しドライヴして、安田へ帰る。帰る途中にヤンバルクイナが現われないかと見ていましたが、出て来ませんでした。
 夕方の儀式は18時半に村長(区長?)さんの挨拶があり、まずは豊年への予祝としてタンクサトエー(田の草取り)、続いてヤーハリコーが行われた。途中、アサギの中に置かれていたミキが持ち出されて振る舞われた。
 ヤーハリコーの後、広場の中心に枝(竹?)を束ねた2本の松明が持ち込まれ、火がつけられた。だいぶ日が落ちて暗くなり始めた19時過ぎ、松明を囲むように女性達が輪を作り、ウシンデーク(シヌグ舞)が始まった。ここでも太鼓と声だけのシンプルな音楽は、なんと力強いのかと思わせる。
 ウシンデークは4、50分ほど踊られただろうか。この後カチャーシーに移って儀式は終了した。
 もう那覇まで帰るバスは終わったが、katzuさんの車で名護に戻りスーパーでお惣菜とビールを買って晩ご飯。その後、朝も休憩していた世富慶バス停近くの公園の東屋の椅子に座って一休み。始発のバスまで7時間ほどあるので深夜の名護を散歩しようとも思っていたが、疲れが溜まって動く気力がなく、結局東屋でウトウトしながら朝を迎えた。
 壁のない東屋は風が通り、涼しい。この夏一番快適な夜だったかもしれない。4時頃に少し激しい雨も降り、半袖のTシャツ一枚では肌寒いくらいだった。
 5時過ぎに国道を反対側に渡り、那覇行きのバス停へ。コンビニで菓子パンを2個買い、バスを待つ。最初にやんばる急行のバスが、その30分程後に5時46分の那覇行きが来て乗車。考えてみたら、やんばる急行でもよかったのか。
 2時間程で自宅近くのバス停に到着。しばらく横になった後、撮影した写真データをバックアップ。昼寝をし、今日が返却期限の県立図書館とほしぞら図書館に電話で貸し出し期限の延長をお願いし、日記用のメモを書く。
*本日の出費。世富慶まで往復のバス代1690円x2、弁当300円、さんぴん茶150円、ポカリスエット150円、ガソリン代2000円、お惣菜・ビール他991円。写真は草の装束を身にまとった男の子。

*2013年8月14日のPhoto Diaryはこちら。(名護から那覇へ)
*2013年8月19日のPhoto Diaryはこちら
8月19日のスナップ。訪れた家の仏壇の前で拝むウシュマイとンミー
↑今日は旧暦の7月13日。沖縄は今日から3日間、旧盆の行事が行われる。初日の今日は先祖の霊をお迎えするウンケー、明日はナカヌヒーで本来はこの日にお中元を持って行くそうです。そして、明後日は先祖の霊をお送りするウークイとなっている。
 沖縄でも八重山諸島が特に旧盆行事が盛んなようなので、今日から石垣島に旧盆の行事を観に行く。
 スカイマークのホームページで石垣島行きの便をチェック。4便ともに空きがある。お米一合を炊いて、お昼用のおにぎりを握る。荷物の最終確認をした後、部屋を10時過ぎに出て、モノレールの美栄橋駅へ歩く。10時33分のモノレールで那覇空港へ。
 スカイマークのカウンターで那覇12時40分発のSKY563便の席を取り、23日の石垣から那覇への帰りの便を予約していたら携帯電話が鳴った。先日、波照間島の旧盆行事・ムシャ−マを観るための往復の臨時便と送迎のセットになったチケットを電話予約した石垣島ドリーム観光からで、台風の影響で明日の臨時便の出航が中止になったという電話だった。残念。
 さっさと搭乗手続きを済ませて、ロビーで朝作ってきたおにぎりで早めの昼ご飯。那覇空港は相変わらず滑走路が混んでいるようで、石垣行きの便は20分以上離陸を待たされた。
 今日の夜は四カ字のアンガマを観る予定だが、各青年会がどこをまわるかの情報が欲しく新石垣空港の案内所で聞いてみる。地元の新聞に日程表が載るらしい事を伝えると、わざわざ八重山日報に電話して下さった。日程は昨日の新聞に掲載されたとのこと。今日の新聞ならコンビニで買えるかと思ったが。
 アンガマはグソー(あの世)からやって来た精霊の一行が家々をまわり、三線と太鼓の地揺をバックに唄と踊りを披露して供養する。中心となるのはウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)で、ファーマー(子孫)の花子達をたくさん引き連れている。
 空港を出てバス乗り場へ。外は土砂降りの雨。この雨の中、今日のアンガマは行われるか少し心配になる。しばらく待って、バスターミナル行きに乗車。バスターミナルから直ぐ近くにある竹富町役場へ行き、観光課を訪ねる。接近中の台風の影響をお聞きし、昨日の八重山日報の「ソーロン(旧盆)アンガマ・エイサー日程」をコピーしていただく。
 竹富町役場から宿へ向かう途中、酒屋で八重泉900ml650円を購入。宿にチェックインして4泊分の宿泊費4000円を支払い、荷物をベッドに置く。
 竹富町役場でいただいた日程表を見ながら、どこのアンガマを観に行くか考える。アンガマは登野城青年会、大川青年会、いしゃなぎら(石垣)青年会、新川青年会、平得青年会、真栄里青年会、大浜青年会の日程が掲載されており、各青年会の始まりの時間とまわる家の名前・住所が記載されている。個人の家と住所なのでさっぱり場所がわからない。その中で公設市場もある市街地のアーケード街ユーグレナモールの中にあるゆんたく家で、いしゃなぎら青年会が18時からアンガマをすると書いてある。まずはゆんたく家で観て、その後を追っかけて他の民家で行われるアンガマを観る事にする。
 18時まで2時間ほどあるので、宿を出て石垣市役所へ。観光課と教育委員会で旧盆の後に行われるアンガマトゥズミや、少し先だが川平のマユンガナシーについての情報を聞いてみたが、あまり収穫は得られなかった。
 17時半頃にゆんたく家に行くと、前の道路に観客用のパイプ椅子が並べられていた。家の座敷横の通路にも椅子が並んでいるので座っていたら、そこはウシュマイとンミーの子孫である花子達の席だった。
 アンガマ一行の到着を待っていたら、やがて太鼓の音が鳴った。聞こえる方に歩いて行くと、公設市場をウシュマイ、ンミーを先頭にアンガマ一行が歩いて来る。
 ゆんたく家でのアンガマ行事は、踊りながら仏壇のある座敷に入って来た後、花子達は壁際に並んで座る。ウシュマイとンミーが念仏踊りを披露した後に仏壇を拝み、その後、花子達が二人や三人、四人一組で踊りを披露する。踊りの合間にウシュマイ、ンミーが観客からの質問にトンチを利かせた答えを返す問答が行われる。その際、ウシュマイもンミーも質問する方も裏声で話さなくてはならないようだ。そしてゾロゾロと並んで家を後にする。ウシュマイとンミーは一番最後に、もう一度仏壇に拝礼して座敷を出て行く。
 ゆんたく家でのアンガマは50分ほどで終了。日程表には、この後4軒の民家をまわるとなっているので、このまま着いて行けばいいかスタッフの方に聞くと次は20時からなので宮鳥御嶽の横にある石垣公民館に来てもらえれば、そこから一緒に回れるという。宮鳥御嶽の場所を聞いて、土砂降りの雨の中を15分ほど歩く。
 御嶽の横の公民館の入口でしばらく待っていると、やがて時間になりアンガマの開始となった。晴れていれば太鼓に三線を鳴らしながら行列を作って家を訪問するのだが、もの凄い雨でアンガマ一行は大型バスと車での移動となった。スタッフの方の何人かは歩いて向かうので、着いて行った。
 最初の家に着いたのが20時頃で、内容自体はゆんたく家の時と同じく、ウシュマイ、ンミーの踊りと仏壇での御願、花子達の踊り、そして珍問答。時間も50分ほど。この最初の家への訪問時が一番雨風が強く、普通は近所の方も沢山見物に訪れるようだが、一般の観客は自分一人だったかもしれない。
 2軒目からは少し小雨になったので、近所の方や観光客の方も見物していた。結局、4軒回り終えると24時近かった。アンガマの一行はバスで公民館へ戻って行った。
 那覇空港でおにぎりを食べただけなので、すっかりお腹が空いた。宿に戻る途中、コンビニで2ℓの水とサンドイッチを購入。リビングはそろそろ消灯時間だそうだが、急いでサンドイッチを食べてからベットに行き、八重泉をちびちび呑んで就寝。 
*本日の出費。那覇ー石垣島往復航空券10000円、宿泊代4泊分4000円、天然水2ℓ98円、ハム野菜サンド294円。写真は訪れた家の仏壇の前で拝むウシュマイとンミー。

12月11日(土)

 この3日間ほどお天気も良く、日中の気温も上がり、小春日和が続いた。
土手にたたずむシラサギ

 明日からまた天気が崩れる予報となっているので、今日も午後から貴重なお日様を浴びに、1時間ほど小矢部川の土手を自転車で走って来た。

←土手の真ん中でしばらく佇んでいたシラサギ。

↓小矢部川の土手から。右が小矢部川、左がその支流の黒石川。

小矢部川の土手から
 Photo Diaryを更新。
*2013年7月29日のPhoto Diaryはこちら
7月29日のスナップ。新石垣空港
↑29日は、朝7時頃に起きて那覇へ帰る準備。スカイマークのホームページをチェックすると、石垣から那覇への飛行機は4便全て20席以上の空きがある。
 那覇から石垣に着いた時に15時20分発の便を予約しておいたが、一つ早い11時35分の便で帰る事にする。さすがに連日歩きっ放し、立ちっ放しで脚も足の裏も痛くて悲鳴を上げている。
 実は今日も石垣市大浜で豊年祭があり、一つ遅らせて18時10分の飛行機に変更して見に行こうかとも数日前までは考えていたが、とてもそんな元気は残っていない。
 9時前に宿を出てバスターミナルへ。9時15分の空港行きに乗車。市内のホテルを経由する路線だったので少し時間は掛かったが、10時過ぎには石垣空港に到着。まっすぐスカイマークのカウンターへ行き、11時35分の便に変更してもらい、そのまま搭乗手続きをする。
 出発ロビーで、昨日スーパーで買ったバナナを食べながら搭乗を待った。早めに搭乗手続きをしたからか、帰りも窓側の席が取れた。
 離陸してしばらくするとウトウトとしてしまったが、目が覚めると下に割りと大きな島が見えた。宮古島だろうか?
 那覇空港に着いて、モノレールで美栄橋駅へ。一度家に帰ってから昼ご飯を食べに行こうと思っていたが、部屋に入ったら出る気がなくなりそうなので、帰る途中にあるハイウエイ食堂で食べて行く事にした。
 カキフライ定食ポーク玉子、刺身付き670円。カキフライは5個で中々お得な定食でした。
 部屋に帰り、洗濯をし、撮影データを2つの外付けハードディスクにバックアップ。バックアップ作業は夜まで掛かってしまった。
*本日の出費。バスターミナルー石垣空港520円、那覇空港ー美栄橋290円、カキフライ定食670円。写真は3月7日に開港したばかりの、新石垣空港。
*2013年8月1日のPhoto Diaryはこちら
8月1日のスナップ。カーブイ作り
↑今日から粟国島の祭祀・ヤガンウユミを観に行く。祭祀は、昨日の夕方に神迎えが行われ、既に始まっている。「神々の古層 異界の神ヤガンの来訪 ヤガンウユミ/比嘉康雄」(ニライ社)から引用させてもらうと、
 ヤガンウユミは粟国島最大の祭祀で、『琉球國由来記』(一七一三年)にも記録されている伝統的な祭祀である。神職者の欠員などにより一時中断したこともあるが、戦後復活し現在に至っている。
 祭祀の内容は、島の北辺にあるヤガン御嶽から集落内に神を迎え崇め、シマ人の健康、豊作豊漁を願うというものである。
 旧暦の六月二十四日から二十六日までの三日間、エーウフナカという祭場を中心に神職者全員、シマ人全員が参加しておこなわれる。

 朝6時半頃に起きて、旅の最終準備。粟国島のホームページで今日のフェリーの運航状況を確認して、昼ご飯用のおにぎりを握る。
 9時少し前にとまりんに着いて、粟国島までの往復チケットを購入。船は定刻の9時55分に泊港を出港した。12時過ぎに粟国港に着くと写真家の安里盛昭さんがいらして、今日泊まる民宿まで車で乗せて下さった。
 宿の食堂で持って来たおにぎりと、出していただいた素麺のお汁と煮物で昼ご飯。その後、安里さんに案内していただいてヌル殿内と、ントゥグヮ大屋でのカーブイ(草冠)作りを撮影させてもらう。
 一旦宿に戻った後、安里さんが宿のおばさんの知り合いの方々を観光案内する事になり、ついでに私も同乗させてもらう。1時間ほどマハナ展望台やヤマトゥガーを見た後宿に戻り、しばらく休んだあとエーウフナカで行われる祭場開き(ナーウマチー)を見に行く。18時頃に着くと、やがて儀式が始まった。
 ナーウマチーについて、「神々の古層」から引用。
 火神(ヒヌカン)ウマチーとも言われている。翌日から始まる本祭りのための祭場開き的主旨の祭祀と考えられる。ナーは庭つまり祭場のことである。午後6時ごろエーウフナカの祭場に神女たちが白衣にシルサージ(白ハチマキ)で参集し、ヤトゥイ(本祭祀のために雇われた雑役係)らが用意した供え物の干魚(バーイ)膳二つ、神酒(ミチ)膳二つ、ウコウなどで祈願がおこなわれる。
 以前はこのナーウマチーはニーブ屋(ヤー)が主催しておこなわれていたという。ナーウマチーの祈願は必ずニーブ(ミチ、バーイの管掌者)がクニ火神に礼拝することで開始され、ヌルらの祈願はその後におこなわれたという。今はニーブが不在のため代理(女性)がおこなっている。なお、昔ニーブがいた時は、この日は朝からシマ人は所有畑あてに割り当てられたミチ(粟濁酒)、バーイ(干魚)をイビガナシーの祭場に持参し、それをニーブが計って受け付け、その夜はカミバーンといってニーブはイビガナシーで徹夜したという。
 午後六時三十分ごろ祈願が開始された。1.クニ火神 2.スイミチ座 3.今帰仁祠 4.ナーの順におこなわれた。
 神女たちの一通りの祈願が終ると、村長以下区長らが4.のナーの祭場のウィ座側に神女たちと向かい合って座し、ヤトゥイらからミチの接待を神女らと共に受ける。これはおそらく祈願を無事すませた神女たちへの村(長)側からのねぎらいの儀式と思われる。午後七時過ぎには終った。

 なお、今回はクニ火神、今帰仁祠、ナーの順に行われ、スイミチ座での祈願はなかった。
 儀式の後、昨日神迎えが行われたタレーラムイを見た。小丘と記述があるが、想像していたよりも遥かに小さな丘だった。「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)から、神迎えの様子を引用すると、
 初日は、日没直後に神迎えの御願が「タレーラ・ムイ」で行われる(原形は、祖霊神の鎮座するガダヌク御嶽とエーの御イベの崖下で拝み、タレーラ・ムイは直会の場所であったという)。白鉢巻きに白打掛の六人の神女が横一列に座し、ニーヌファ(子の方、北)のヤガン御嶽に向かい、ニライ・カナイからの来訪神であるヤガンの神をはじめ、島の九つの嶽々の神を祭りに招請する御願である。
 御願の始まる一時間ほど前から、タレーラ・ムイを中心に四方の道路は一切遮断される。宵やみのしじまの中に仄白く浮かぶ白衣の神女たちの様は、まさに神の世界の観がある。

 宿に帰り、シャワーを浴びて晩ご飯。その後、安里さんと一緒に宿のおばさんの息子さんの家でテレビのボクシングを見ながらビールと泡盛を呑み、宿に戻って来た。
*本日の出費。フェリー粟国往復6310円。写真はヌル殿内でのカーブイ作り。
*2013年8月2日のPhoto Diaryはこちら
8月2日のスナップ。ヌル座でのシマの人たちの祈願

↑朝6時頃から観音堂の前のセンターで、ミキ(ミチ)作りがあると聞いていたので6時半頃に行くが、誰もいない。宿から100メートほど先なので、一旦宿に戻って部屋の窓からチェック。7時になってセンターの前に人が集まっているのでカメラを持って再び見に行く。
 ミキ作りはセンターの厨房で行われた。炊いたご飯と米麹を一カ月程ポリバケツに入れて発酵させ、それをミキサーにかける。水を加えて粘度を調整する。作り立てのミキを試飲させていただいたが、発酵が進んでかなり酸味があった。奄美でもミキは、夏バテ対策の健康ドリンクとして飲まれていた。
 完成したミキを祭場であるエーウフナカ(イビガナシー)に運び込むのを見た後、ントゥグヮ大屋の裏にある根屋(ニーヤ)でスイミチ座の神女の方が御願するところを撮影させていただいた。
 9時頃、宿に戻って朝食を食べ、9時半頃に祭場にもどると上座の横で干魚が焼かれていた。
 やがて太鼓と鉦を先頭に、スイミチ座の神女が祭場に入られた。
 祭場の中にある、スイミチ座、ヌル座、チーグ座の柱にヤトゥイの方々によってビニール袋に入れられた干魚が紐で括り付けられた。これは彷徨っている餓鬼に供えたものだという。
 ヌル座の神女の方が現れないので、ヌル殿内へ。ちょうど祭場へ向かうところで、鉦と太鼓を先頭に歩くのをヌル殿内から祭場まで写真を撮りながらついて行く。
 ヤガンウユミの最終日である今日は、午前10時から朝フララ、午後1時からトゥン巡り、午後4時から夕フララとなっている。
 朝フララでは、ウンヌキグトゥの後にウネージャクが行われる。「神々の古層」から、ウンヌキグトゥについて。
 ヌル座の正面二カ所の軒下にヤトゥイ(祭祀の雑役係)二人が、準備の項で述べたようにバーイの高膳を持って直立、これは神女と村長らとの儀式中続けられる。奏上者が神女たちに一礼して持参の巻物をとり出しウンヌキグトゥが宣べられる。奏上者は合掌し、神女も村長他の男たちも合掌している。

 ウンヌキグトゥの大意は、
 神職者の皆様、首里王から祭祀開催の許可があり、村役人の指示のもとに、神酒(粟濁酒)、バーイ(干魚)の供え物を沢山用意致しましたので、どうか神様にシマ中の畑が豊作になり、王府への納税も果たせるように、また、漁業も豊漁であるように願って下さい。

 ウネージャクについては、
 神女側が卓上の神酒(ミチ)の膳をとり、それをささげ持ち左右にゆっくり動かし、ウネージャクを謡う。
 ウネージャクウムイの大意は、長寿できる尊い神酒をどうぞとある。 
 このウンヌキグトゥとウネージャクはヌル座の後、スイミチ座でも同じように行われた。奏上者は、ントゥグヮ大屋の当主が務められたようだ。
 この後、ヌル座、スイミチ座でシマの人達の祈願が行われた。この時も神女の方々は神酒と干魚を乗せた膳をささげ持ち、左右にゆっくり動かしながらウムイを謡って相手に渡し、神酒と干魚をふるまっていた。
 予定表にはトゥン巡り(殿マーイ)は午後1時からとなっていたが、朝フララが12時前に終了したので、12時15分頃にスタートした。
 この殿内回りは、1.アストヌ殿 2.ガーチヌ殿 3.ババヌ殿 4.トゥマンナヌ殿 5.テーガー 6.アダンナヌ殿(浜の殿)の順に行われ、13時半頃には終わり、ヌル殿内で小休止した後に神女の方も自宅に戻られたようだ。
 安里さんと一緒に宿に戻り、14時半頃に少し遅い昼ご飯を食べ、しばらく休んでから夕フララの始まる16時に再び祭場へと向かう。
 夕フララも朝フララと同じように、ウンヌキグトゥ、ウネージャク、そしてシマの人達の祈願と続いたが、その後に立ちウムイが行われた。
 ヌル座の神女がスイミチ座の前まで来てウムイを謡う。それに誘い出されるようにスイミチ座の神女も前に進み出て、はないちもんめの様にお互いに向き合い、謡い踊りながらチーグ座に移動する。
 チーグ座でヌル座とスイミチ座の神女が一列に並んで座り、ウンヌキグトゥが行われた。このウンヌキグトゥはタキムドゥイヌウンヌキグトゥで、神々に対する感謝を奏ずるものだそうです。
 チーグ座での儀式の後、ヌル座の後方でヤガン御嶽に向かってウコウを立てて祈願し、次に今帰仁祠で祈願。神女の方々は今帰仁祠の前でカーブイ(草冠)を外し、祠の横にそっと置いて行く。18時。これで3日間に及ぶヤガンウユミの神事は終了した。
 祭祀の後は18時30分から奉納相撲、19時30分からとぅるるんてんのライブが行われる。
 会場は神迎えが行われたタレーラムイの横で、土俵とステージが作られ、出店もあった。かき氷を食べながら小学生、中学生の相撲を見て、大人の相撲の途中で宿に帰った。
 21時過ぎ、遅い晩ご飯を食べて、お酒も呑まずに就寝。
*本日の出費。ガソリン代1000円、かき氷100円。写真はヌル座でのシマの人たちの祈願。

12月8日(水)

 ニイタカヤマノボレ。今日で太平洋戦争が開戦して80年となる。朝日新聞の特集記事、毎日新聞の特集記事
 昨日は母親の誕生日で、昼ごはんを魚安へ食べに行き、夜は沖縄のジミーから取り寄せたアップルパイを食べた。これで甥っ子、妹、父親、母親と続いた誕生日ラッシュも終了した。
ゆうメールで届いたシャンタール・クレヴィアジックのCD
 先日ヤフオクで購入したシャンタール・クレヴィアジックの3rdアルバムが予想外に良かったので、他のアルバムも聴いてみたいと思ってアマゾンとヤフオクで探したら、ヤフオクに送料無料150円で1stアルバムが出品されていた。試しに入札したところ他に入札する人が居らず、150円で落札してしまった。そのCDが北海道からゆうメールで届いた。確かゆうメールの料金は180円だ。

 150円で商品を売り、180円の送料をかけて商品を届けて商売になるのだろうか??それとも、ゆうメールの料金にも大口・法人割引きなどあるのだろうか。それにしても、絵に描いたような薄利多売だ。

 地下水の流入を防ぐため福島第一原発の1~4号機周囲の地中に造った凍土壁(全長約1.5キロ)の一部が溶けたため、東電は新たに地中に鋼管を打ち込む作業を6日から始めた
 この1.5キロにも及ぶ凍土壁に必要な電力の量は、どれくらいになるのだろうか。いや、この凍土壁だけではなく、運転停止中の原発の維持に必要な電力と解体が決まった原発の解体作業に必要な電力を合わせたものと、現在稼働中の原発が生み出す電力の量はどちらが多いのだろうか。経産省は、一度その数字を公表してくれないだろうか。
 日本には33基の原発があるが、現在稼働している原発は10基のみ。こんなものを、ベースロード電源と位置づけるのは間違いだろう。原発ほど不安定な発電装置はないのではないか。

 <粗大ゴミ 朝出したのに 夜もどり>。好きなサラリーマン川柳の一句。妻が出勤する夫を詠んだ川柳だが、先の衆院選で落選した石原伸晃氏が、岸田文雄首相から辞令を交付されて内閣参与に就任したというニュースが流れた時に、この句が思い浮かんだ。せっかく選挙で落としたのに・・・と多くの人が思っているのでは。
 石原氏は「先の総選挙は私の不徳の致すところ。勝負は時の運だと思っている」と衆院選の結果について述べたそうだが、選挙の当落は運ではないだろう。その石原氏だが、新型コロナによる事業活動の縮小を余儀なくされた事業主に対して助成される雇用調整助成金・緊急雇用安定助成金60万円を受給していたそうだ。

 先の衆議院選で星野伊佐夫県議から裏金を要求されたと泉田裕彦衆議院議員が告発したところ、自民党の長岡支部は泉田氏の新潟5区支部長解任を求める申し入れを行った。裏金を要求した方ではなく、裏金を告発した方を処分しようとする自民党長岡支部には驚くばかりだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
安倍・菅政権の「負の遺産」は素通り 淡白な岸田首相の所信表明演説
<全文>岸田文雄首相の所信表明演説 第207回臨時国会
「日本国紀」の悲しみ 単行本で修正繰り返したが…文庫版も誤り続々
エメラルドグリーンの海 川平湾にも軽石 石垣島
安田菜津紀さんが提訴 出自への「差別的」ツイートに対し

 少し前になるが探し物があって昔の名刺入れを見ていたら、こんな名刺があった。80年代半ば頃のもので、蛭子さんと三浦さんの名刺はこのように並んで入っていた。キャロライン霜田こと霜田恵美子さんの名刺は少し前のページに入っていたのを入れ替えて並べて見た。こうして3枚並べると、80年代サブカルの個人的には強力なカードのように思える。この3枚に湯村輝彦さんと河村要助さんが加わればヘタウマ界のロイヤル・ストレート・フラッシュという感じだろうか。
 この頃、編プロを通して双葉社にインタヴューを中心とした雑誌の企画を出していた。双葉社からはいきなり雑誌を創刊するのは難しいので、週刊大衆の増刊にして毎回テーマを絞ったインタヴュー誌をやってみましょうということになった。
 第1回目は「Exciting60’s すべては’60年代に始まった そして今、「30代」がとてつもなくオモシロイ!」と題して、団塊世代の著名人のインタヴュー号となった。この号ではPANTAへのインタヴュー、そして編集者として団塊の世代へ向けた若い世代からのメッセージを手紙という形で書いてもらった。その手紙の書き手の中に霜田恵美子さんを選んで、好きなことを書いてもらったのだが、彼女の手紙の宛先は糸井重里さんだった。読み返してみると、なかなか痛烈な批判が書いてあった。
 第2回目は「VIVA COMIC 漫画家大集合」と題して漫画家へのインタヴュー号となった。この号では、いしかわじゅんさん、石森章太郎さん、たがみよしひささん、蛭子能収さん、みうらじゅんさんにインタヴューしている。そして3回目は・・・なかった(笑)。きっと部数が伸びなかったのだろう。
 蛭子さんと三浦さんはこの後、ビッグマイナーからビッグメジャーへとなって世間での認知度が高くなっていった。イラストレーターの霜田さんは、この後ニューヨークに渡ったが現在どうされているのかネットで検索してもよくわからない。
古い名刺
 Photo Diaryを更新。
*2013年7月26日のPhoto Diaryはこちら
7月26日のスナップ。竹富島の豊年祭2日目
↑26日は竹富島の豊年祭2日目、トゥヌイプイ。朝6時少し前に携帯のアラームで起きる。歯を磨き、顔を洗い、準備をして6時20分頃に宿を出る。集落の外れで牛を連れている人がいたので、牛の散歩ですかと聞いてみたら、雑草を食べさせているそうだ。
 昨日下見をしたはずなのに道を一本間違えて遠回りをしたが、なんとかコンドイ浜に到着。浜を歩いて神事の行われるニーラン神石の前に行くと、観光客の女性が一人。しばらくしてゴザや神事に使う道具を乗せた車が到着して、準備が始まった。7時10分頃、5人の神司と公民館の執行部の方々がいらして、御願が始まった。
 神事は30分ほどで終わり、この後は仲筋集落のちろりん村の前でガーリーが行われる。神司の方々は車で行かれるので間に合わないかと思っていたが、仲筋集落に着いた時に丁度ガーリーが始まった。
 チロリン村の前でのガーリーの後、一行は幸本御嶽へ入られた。ガーリーはこの後、ナージカー(仲筋井戸)の前で行われると聞いていたので歩いて行くと、女性の方が神道の掃除をされていた。ナージカーでのガーリーは9時半頃だというので、一旦宿に戻り少し休憩。9時頃にナージカーに着くように宿を出て、ガーリーの始まりを待つ。
 ナージカーの隣りは竹富小中学校。夏休みだという事もあって、生徒達も神司を出迎える。ナージカーでのガーリーの後、少し休憩して公民館の前にある西塘御嶽へ。ここでもガーリーが行われ、その後公民館の中に入って冷たいサンピン茶をご馳走になった。
 10時頃に宿に戻り、荷物を持って港へ歩いて行く。冷房の効いた待合室は居心地がよく、しばらく椅子に座って休んでいた。
 11時15分発の船で、石垣島へ。お腹が空いたので、先日も食べに行ったお店でランチ。もろみ豚のベーコンハンバーグ、ドリンク付きで690円。
 食べ終わり、図書館へ行こうと歩いていたら、鳩間島の豊年祭でお会いした方とばったり。話していると今日は図書館がお休みだと判明。しょうがないので離島ターミナルでしばらく休憩してから、今日泊まるゲストハウスに電話。チェックインを15時にしていたが14時にしてもらう。
 宿に着き、チェクインの手続き。1泊1600円のドミトリーだが、じゃらんのポイントが300円あるので1300円に。荷物をベッドの上に置き、リビングでパソコンを広げて日記のメモを書く。
 今日は石垣市の四カ字のオンプールだが、明日のムラプールを見る事にして、今日は宮良の豊年祭に行く。この集落の豊年祭は秘祭として知られており、アカマタ、クロマタという2体の神様が登場する。観光客も見る事はできるが撮影、録音はもちろん、携帯やスマートフォンの主電源は切っておかないと行けないと聞いたので、財布だけを持って宿を出る。
 バスターミナルを18時に出る4番の空港線で、宮良西のバス停へ。集落の中へ入り突き当たりにある小学校の前の道を右に曲がってしばらく行くと、豊年祭の会場となる広場に着いた。
 19時頃から始まると聞いて18時半過ぎに来てみたが、広場に用意された招待席に人影はまばらだった。19時頃から人が集まり、広場の3方を囲むように人垣ができた。日が落ちて薄暗くなり始めた頃、豊年祭開始の挨拶が始まり、それと同時に広場の後の道を赤と白の鉢巻きをした人達が歩いて来る。やがて太鼓が打ち鳴らされ、赤と黒のシンプルな旗頭を先頭にアカマタ、クロマタ2体の神様が来訪した。19時40分くらいに登場し、20時頃に豊年祭は終了となった。
 太鼓と人の声だけのプリミティブな音楽に合わせて、旗頭と2体の神様が踊る。その音と風景は大きな高揚感をもたらした。
 広場での行事で一応豊年祭は終了となるらしいが、この後、集落の各家を朝までかかってアカマタ、クロマタの集団がまわるそうだ。
 広場を出てしばらく歩くと太鼓の音が聞こえて来たので近寄ってみると、アカマタとクロマタが目の前を通って家に入って行った。
 この後バス通りに面した御嶽でも2体の神様の来訪を見た。その時は警察が出て、交通規制がかけられ車はもちろん路線バスも止められた。
 アカマタ、クロマタを追いかけて夜遅くまでいれば、もっとゆっくり祭祀の音楽や踊りを堪能出来るかもしれないが、連日の豊年祭巡りで少々疲れが出ているので宿に帰る事にする。携帯電話を置いてきたので時間がわからず、交通規制をしていたおまわりさんに時間を尋ねると20時30分。少し先のバス停にバスが待っていたので急いで乗り込む。10番のターミナル行きのバスはリゾートホテルを経由するのでちょっと遠回りだが、21時過ぎには着いた。
 ターミナルから宿に帰る途中、コンビニに寄って398円の幕の内弁当を購入。宿の正面玄関は閉まっていたので、裏の階段から直接3階の部屋へ。お弁当を食べ、シャワーを浴び、写真データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。一段落したところで泡盛をちびちび呑んで就寝。
*本日の出費。ランチ690円、宿泊費1300円、バスターミナルー宮良360円X2、弁当398円。写真はニーラン神石に向かって御願する神司と公民館執行部の方々。
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7月27日のスナップ。四ヵ字の豊年祭
↑2段ベッドが3つ設置されたドミトリーなので、色んな音で夜中から朝方にかけて何回か起きたが、7時少し前にベッドを出て屋上で洗濯。リビングで一昨日買ったカップ焼きそばで朝食。チェックアウトは11時までだが、それ以降もリビングは使えるそうなので9時頃にはベッドまわりを片付けて荷物をリビングに移動。机にパソコンを広げて日記のメモを作成。
 8時頃に干した洗濯物は、強い日差しで直ぐに乾き昼頃には取り込んだ。
 13時頃に宿を出て、今晩泊まる宿に移動。今日は半個室タイプで1泊1000円。荷物を置いて直ぐに外へ出て、離島ターミナルへ。明日豊年祭が行われる黒島行きの臨時便について聞いてみると、朝は9時に臨時便が出る。また豊年祭用の割引往復チケットもあった。
 お腹は空いているが食欲はあまりない状態で、コンビニで野菜のサンドイッチとアップルティーを購入。サンドイッチを食べながら石垣島の四カ字(石垣、大川、新川、登野城)のムラプールが行われる新川の真乙姥御嶽へ。15時半から開始とあったが、14時過ぎに着いて一休み。14時半頃から各字や団体の旗頭が、鉦や太鼓を叩きながら御嶽の前に集結した。
豊年祭祝典並びに旗頭、巻踊り奉納次第から
1、祝典
開式のことば/新川字会副会長 式辞/新川字会長 祝辞/石垣市長 祝辞/大川字会長 乾杯/沖縄八重山農林水産振興センター所長 
2、旗頭、巻踊り奉納
1新川字会 2双葉自治公民館 3大川字会 4石垣字会 5登野城字会 6JAおきなわ八重山地区本部 7石垣島製糖株式会社 8石垣市役所 9八重山農林高等学校 10石垣中学校 
3、五穀の種子授けの儀
4、アヒャー綱
閉式のことば/新川字会副会長
ーツナヌミン・大綱曳きー
*新川の巻踊り・奉納順
記旗(シルシバタ)→五穀(グク)→水主(ミズヌス)→世持(ユムツ)→長老(ウヤジュウ)→麾(ザイ)→鼓(ツヅン)→稲摺(イニスリ)→篭(ユラス)→杵(アズン)→鎌払(ガギバライ)→田打(タウツ)→太鼓(タイク)・鉦鼓(ションク)・銅鑼(ドラ)   集団の中を桝立(マスタティ)・俵持(ターラグ)

 大綱曳きが終わったのは20時頃だった。途中のコンビニで2ℓ98円のミネラルウオーターを買い、宿の近くのラーメン屋さんでラーメンと餃子のセットを食べる。宿に帰り、カメラのバッテリーの充電、撮影データのバックアップ。シャワーを浴びて、泡盛をちびちび。今日の宿は消灯時間があり、23時に部屋の照明が消えた。合宿所のようなドミトリーは多いが、今日の宿は寮のようかな。
*本日の出費。洗濯機使用料100円、宿泊代1000円、アップルティーの紙パック98円、サンドイッチ294円、かき氷100円、水のペットボトル110円、ミネラルウオーター2ℓ98円、ラーメンと餃子とライスのセット800円。写真は真乙姥御嶽での奉納芸。
*2013年7月28日のPhoto Diaryはこちら
7月28日のスナップ。黒島の豊年祭
↑28日は黒島の豊年祭。携帯のアラームを朝7時にセットしておいたが、アラームが鳴る前に起きたので、顔を洗い荷物を整理して黒島行きの準備。
 宿を出てコンビニに寄り、おにぎりとサンドイッチを購入。離島ターミナルに行き、石垣ー黒島の往復チケットを買い、大きなバッグを一つ預かってもらう。往復チケットは、黒島豊年祭の特別割引で少し安くなっている。
 8時に石垣を出る船で、黒島へ。豊年祭用の衣装や道具を持った郷友会と思われる人も多く、満席だった。
 30分ほどで黒島に。待合所の横には、豊年祭会場まで無料で送迎してくれる車が待機していた。会場に着いて、始まる前のスナップを撮影。プログラムには10時開会と書いてあったが、実際に始まったのは10時半頃だろうか。
黒島豊年祭 平成25年度 プログラムから
1、開会のことば/黒島公民館副館長 2、乗出/果報人 3、朝漕い/宮里村、仲本村 寿、主催者あいさつ/公民館長 5、祝辞/竹富町長 祝辞/八重山農林水産振興センター所長 6、乾杯の音頭/石垣在黒島郷友会会長 7、パーレー競争 村対抗/宮里村、仲本村 杯取らし/宮良哲行 8、祝辞/JAおきなわ八重山地区本部長、沖縄県農業共済組合八重山支所支所長、環境省九州環境事務局那覇自然環境事務所長 松、奉納舞踊 ミーラク/宮里村 ガッキブドゥン/仲本村 ハサブドゥン・ガッキブドゥン/東筋村 ハディクマイ/公民館(婦人会) ハサブドゥン・コームッサ/黒島校 棒/公民館(青年会・郷友会) 10、祝辞/黒島小中学校校長、沖縄在黒島郷友会副会長 11、パーレー競争 村対抗/東筋村、保里村 杯取らし/舟道賢範 12、ナガレ漕い/東筋村、保里村 13、ユー揚げ/全員 14、万歳三唱/黒島青年会長
 14時過ぎに豊年祭は終了し、無料の送迎車で港へ。港には石垣行きの臨時便が待機していて、程なくして出航した。15時過ぎに石垣に着いたが、動く気力がなくてターミナルの待合室の椅子に座り込む。
 1時間ほど休んで、今日泊まるゲストハウスに向かう。地図を見ながら歩くと、しばらくして住宅街の中にある一軒家に着いた。中庭に最初に泊まったゲストハウスに長期滞在していた人達が、テーブルを囲んでゆんたくしていた。
 チェックインしたら直ぐにご飯を食べに行くつもりだったが、少し離れた空に雨雲があったので、先に撮影データのバックアップ。何回か空の様子を見ると雨雲が薄くなっているので、自転車を借りて出かける事にする。以前食べに行った事のある、のりば食堂にしようと思ったが、ホームページを見ると日曜日は15時までだった。
 気まぐれで開いてないかとお店の前まで行ったが閉まっていたので、結局スーパーでお惣菜とおにぎり他、色々買って帰って来た。
 シャワーを浴び、買って来た総菜の煮物とおにぎりを食べ、日記のメモを書く。泡盛をちびちび呑んで就寝。
*本日の出費。ジューシーおにぎり116円、サンドイッチ250円、石垣ー黒島往復1900円、手荷物預かり300円、煮付けセット398円、おにぎり99円、カップうどん98円、バナナ158円、カフェオレ紙パック98円。写真はミーラク(ミルク)行列。

12月5日(日)

 ドイツのメルケル首相が、自らの退任式で音楽隊に演奏してもらう曲にニナ・ハーゲンの曲をリクエストした。それは、こんな曲だ。ニナ・ハーゲンも驚いたそうだが、日本の政治家ではあり得ない選択と出来事だろうな。退任式の様子はこちら
 落語家の三遊亭円丈さんが、先月30日に死去されたというニュースが流れてきた。円丈さんと言えば、個人的には新作落語よりニック・ロウの曲を日本語でカバーした「恋のホワン・ホワン」なのだが。たぶん、アナログレコードが家のどこかにある気がする。
 日立と米GEの合弁会社が、次世代原子力の小型モジュール炉をカナダで受注したそうだ。既存の原発よりも炉が小さく、理論上は安全性が高いとされるそうだが、核のゴミは出る。次世代の電源として期待されているというが、小型な分、出力も小さいわけで、電力を賄おうとすれば数が必要となるのではないか。数が増えれば事故のリスクも増えるだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
ウミガメの甲羅に人為的な穴 鍛冶場の痕跡も 世界遺産の城「成り立ち知るヒントに」
さよならMD、店頭からも辞書からも 平成に刻まれた思い出は消えず
さまようアベノマスク、倉庫を転々 今なお8000万枚 保管費用は6億円超にも

 ンチャティオージとは大扇・神扇のことで、ノロと呼ばれる神女が祭祀の際に持つもの。琉球王府から辞令書をもらった印判ノロに、勾玉や簪と共に贈られたという。
 奄美群島も含めて琉球の村々には神人(カミンチュ)と呼ばれる女性がいて集落の祭祀を司っていたが、その神役の上位がノロとなる。そのノロのさらなる上位には琉球国王のおなり神でもある、聞得大君(きこえおおぎみ)が存在する。
 琉球開闢の島といわれる久高島でかつて12年に一度行われていた、島の30歳から41歳までの女性が神人として祭祀集団に加入する儀式「イザイホー」の写真を見ていると、ノロ(久高島には久高ノロと外間ノロが居た)だけでなく、多くの神人がこのンチャディオージを持ってグゥキマーイという舞を踊っていた。
 2013年の9月、久高島の「八月マティ」という祭祀を撮影に行った時、島の情報発信も行う久高島宿泊交流館のスタッフの方にその事を尋ねると、久高島は財源があったので村でンチャティオージを作って神人に配ったという風に聞いた。
 写真は久高島の神人が実際に祭祀の時に使っているンチャティオージ。八月マティの3日目の神事の後、久高御殿庭で直会が行われた。直会の席でくつろいでいる時に、一番若い神人の女性にンチャティオージを撮影させて貰えないかダメ元で尋ねたところ、彼女は横にいた年配の女性と相談して撮影を許可してくれた。といって持ち運んで撮影もできないので、直会の席に敷いてあったブルーシートの上に置いて撮影した。片面は鳳凰と太陽、もう片面は花と月が描かれている。
 奄美から沖縄本島、与那国島まで多くの祭祀を撮影に行ったが、現在もンチャティオージを持っているのは久高島の神人だけではないだろうか。他の島では多くの場合、クバの葉で作ったクバ扇を持っていた。久高島の場合もンチャティオージは八月マティの久高殿での神事の時だけで、旧正月の神事の時も見なかった。
 このンチャティオージを久高島以外で見たのは、喜界島の歴史民族資料館に展示されていたものだけだ。寄付された時はボロボロに痛んでいたが、それを京都の専門家に修理を依頼して復元したそうだ。各集落でノロという役職が途絶え、それとともにンチャティオージも消失したか、残っていたものはこうして博物館などに辛うじて保存されているのだろう。
ンチャティオージ01
ンチャティオージ02

↑久高島のンチャティオージ。ブルーシートの上に置いて撮影したものを、背景をフォトショップで切り抜いた。太陽と鳳凰が描かれている。

←久高島のンチャティオージ。反対側には月と花が描かれている。

↓ンチャティオージを手に持つ、久高島の神人(左)と、外間殿に飾られているンチャティオージの扇面。

ンチャティオージ03
↓喜界島の歴史民俗資料館に保存展示されているンチャティオージ。
ンチャティオージ04
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7月21日のスナップ。鳩間島の豊年祭
↑今日も鳩間島の豊年祭。今日のメインは綱引きだが、昼過ぎから始まるという事なので、離島ターミナルを11時に出る船でも充分間に合う。
 朝起きて宿でゆっくりしてからターミナルへ向かう。途中のコンビニでアップルティーの紙パックを購入し、ターミナルでおにぎりとオカズのセット250円を買った。
 鳩間島行きの船は定時に出航。豊年祭2日目の今日は、船内も混んでいない。船から見る空は青く、昨日以上に快晴だ。
 港から綱引きが行われるサンシキ広場へ。テントの下ではすでにお酒が酌み交わされていた。直ぐ近くの公民館へ行くと、旗頭が組み立てられている最中だった。
 しばらくすると公民館長さんが公民館の前へ。その後を村の長老の方々が神歌を唄いながら歩いて来る。館長さんが出迎えて、その後公民館の庭にゴザを敷いて歌が始まった。
 40分ほど唄って呑んだ後に、館長さん以外の一行が公民館を出て道歌を唄いながらぐるっと集落をまわりサンシキ広場へ。ここでも館長さんが出迎える。
 女性達の踊りがあって、その後綱引きの練習が2回行われた。鳩間島でも綱引の前にアガリとイリのガーエーがある。女性達が長刀をふるい、また自分の側には灯台がある、自分の側には学校があると大きな声で自慢合戦を繰り広げた。そして、台に乗って勇壮な衣装を身につけた支度の男性2人が綱の中央へ。お互いの供え物を交換し、もう一度見栄を切って戻っていった。
 ガーエーの後、いよいよ綱引きの本番。雄綱と雌綱がカヌチ棒で繋がれて、大きな声援の中で綱が引かれた。綱引きの後、広場の前でアガリとイリ、そして鳩間小中学校の旗頭の競演をして豊年祭行事は終了した。
 豊年祭行事が終わったのが13時半頃。近くの公民館前の広場でもう一度旗頭を空に突き立てて競演した後、お祭りの片付けが始まった。少し後片付けのお手伝いをして、公民館の庭で長老のお一人に呼ばれたので泡盛をご馳走になる。
 今日は臨時便はなく、鳩間島から石垣行きの最終は16時10分。1時間以上も前だが、15時過ぎにぞろぞろと皆で港へ。港の待合室の前ではすでに三線やキーボード、笛で島唄、民謡、歌謡曲が演奏され、島を離れる人達を見送っている。
 船は少し混雑していた。ご馳走になった泡盛がやんわりと効いて、船の中でウトウトする。
 離島ターミナルから宿へまっすぐ帰り、外付けのハードディスクに撮影データをバックアップ。福島の鈴木さんが具沢山の冷やし汁ソーメンを作ってくれる。フランス人の兄弟のバックパッカーが持って帰ってきたパイナップルとマンゴーのお裾分けをいただく。
*メモ。御嶽はお宮とも言う。鳩間島の親戚筋 門中は5つで、各御嶽があり、その氏子となっている。話す方も聞く方も酔っていたので正確ではないかもしれません。
*本日の出費。アップルティー105円、おにぎりセット250円、冷やし汁そーめん材料代250円、カールチーズ味124円、ミネラルウオーター2ℓ98円。写真は綱引きの際に登場する、アガリとイリの支度。
*2013年7月22日のPhoto Diaryはこちら。(黒島、竹富島)
*2013年7月23日のPhoto Diaryはこちら。(ハンバーグ・ランチ、石垣島・美崎町、旗頭の練習)
*2013年7月24日のPhoto Diaryはこちら
7月24日のスナップ。石垣島白保地区の豊年祭
↑快晴。今日は午後から白保地区の豊年祭に行くが、バス代が往復で800円。なら1000円で一日フリーパスを買って、白保に行く前に川平湾を見に行こうと思って用意するが、もたもたしているうちに午前中の川平行きには間に合わなくなってしまった。それでも一旦宿を出てターミナルの方向へ。途中以前泊まった事のあるゲストハウスに寄って26日、27日に空きがないか聞いてみるが満室だと言われる。
 今宿泊しているゲストハウスは今日でクローズしてしまう。違う場所で、名前も変えてオーナーの知人が同じスタイルを引きついて明日から新しいゲストハウスをオープンするというので、28日はそこに宿泊が決まった。明日の晩は竹富島で泊まるので、問題は26日と27日だ。もう一軒違う宿に足を運ぶと27日は1泊1000円のドミトリーが空いていたので予約。残り26日の宿を探すため、一旦宿に戻りパソコンで検索。結局じゃらんで1泊1600円のゲストハウスを見つけた。
 宿の自転車で大型のスーパーに行き、お弁当やパン、総菜、飲み物を買って来る。さっそく宿で299円の海老天重とコロッケを食べる。外に出て汗びっしょりなのでシャワーを浴びて、しばらく休んでから白保へ行くためにバスターミナルへ。
 15時発の空港行きに乗り、白保小学校で下車。乗車時間は30分程だ。集落の中に入って行くと三線の音が聞こえ、飾りを付けたトラックが何台も路地に止まっている。
 豊年祭は飾場御嶽の前で行われる。17時からだそうだが、御嶽で神事が行われないかと思って早めに着いて待っていた。しばらくすると風呂敷に包んだお盆を持った年配の女性がいらしたので話しを伺うと、16時過ぎに神司が集まり神事が行われるという。神司のお一人に撮影のお願いをすると、これから御嶽の前にある真謝井戸で御願をするというので同行して撮影させていただいた。
 真謝井戸の後、御嶽の中の拝所を順にまわって神司の御願あり、神事が済んで豊年祭が幕開け。まずは旗頭奉納が行われた。
白保村豊年祭プログラムから
奉納の議
旗頭奉納 太鼓奉納/白保中学校男子
豊年の祭儀
1、開会のことば/白保公民館産業部長 2、公民館長挨拶/白保公民館館長 3、来賓祝辞/石垣市長 4、来賓祝辞/八重山農林水産振興センター所長 5、乾杯の音頭/JAおきなわ八重山地区本部本部長 6、祝電披露/白保公民館教養部長
奉納行列
1、ミルク加那志来訪/多宇清家 唄・三味線 横目博二他 2、白保節、真謝井戸/白保老人会、白保婦人会 3、白保幼稚園園歌/白保幼稚園園児 4、白保小学校鼓笛隊/白保小学校児童 5、稲の一生 ○第1実行組合/アブシバライ、田打ち、種まき、稲植え ○第2実行組合 田草取り、パピル節、稲刈、脱穀、籾俵運搬 ○第3実行組合/稲シィリ・稲シィサギ・ウタマムレ ○第4実行組合 新安里ユンタ・ヨイシン(米俵奉納) ○第5実行組合/うるずんの唄・ヘリによる害虫駆除 6、白保中学校校歌ダンス/白保中学校生徒 7、白保青年会歌ダンス/白保青年会 8、五穀の種子授けの儀/ビギリ神・ブナリ神 9、大綱引きシィナノミン
万歳三唱/石垣島製糖株式会社 代表取締役社長
閉会のことば/白保公民館副館長

 大綱引きの終わったのが、20時半過ぎだった。万歳三唱、閉会のことばを聞いてからバス停に向かう。白保バス停の時刻表を見ると次のバスまで時間がある。とりあえず待っているとターミナル行きのバスが来た。どうやら臨時便が走っていたようだ。
 ターミナルから宿へ。撮影した写真データをバックアップし、カメラのバッテリーを充電。昼にスーパーで買って来たパンとコロッケで晩ご飯。宿のオーナーと少しゆんたくして就寝。
*本日の出費 アイスティー紙パック105円、海老天重299円、コロッケ2個98円、メロンパン99円、カップ焼きそば88円、アクエリアス2ℓ145円、バスターミナルー白保往復800円。写真はミルクの袖を持つ女の子。
*2013年7月25日のPhoto Diaryはこちら
7月25日のスナップ。竹富島のコンドイ浜
↑宿泊しているゲストハウスが昨晩でクローズした。新しいゲストハウスへそのまま移動する人、旅を終えて帰る人。それぞれが荷物をまとめて準備をしている。10時半頃に宿を出て、離島ターミナルに向かう。途中の酒屋で八重泉のパックを一つ購入。ターミナルで竹富島の往復チケットを買い、売店でカツ丼といなりとのり巻きのセットを買う。
 11時発のフェリーに乗り、15分程で竹富島に着いた。港の待合室で買ったばかりのカツ丼を食べてから、今日泊まるゲストハウスへ歩いて行く。チェックインを済ませて、すぐに玻座間御嶽へ。
 豊年祭初日の今日は、6つの御嶽に氏子が集い島の神々に感謝をするオンプイだそうです。また公民館の執行部や有志の方々が6つの御嶽をまわられるそうで、その最初の参詣が13時頃に玻座間御嶽で始まると聞いて訪ねてみた。少し早めに着くと、準備の真っ最中。お膳のセッティングを手伝わせてもらいながら、撮影の許可をお願いする。
 13時を過ぎた頃に、隣りの世持御嶽の方から道歌を唄いながら参詣の一行がいらした。氏子の方々は門の前でお出迎え。そして中で神事が行われる。参詣は45分程だったろうか。
 その後、御嶽の奥にあるウブに神司と女性の氏子の方々が入り、その間男の氏子の方々は唄の練習をされていた。ウブから神司と女性達が戻られてからお酒と料理が振る舞われた。私や他の観光客の方も招いていただき、ゴザに座って料理とお酒、清めの塩と生のニンニク一粒、もち米に粟や小豆などを炊いて練ったムチャネ(ムチャニ)をご馳走になった。
 玻座間御嶽での行事は続いていたが、6つの御嶽をまわった後、16時頃に高那旅館の前でガーリーが行われると聞いていたので席を外させていただく。高那旅館の前にいらした方に聞いてみると、参詣の一行はまだ5番目の花城御嶽だそうで到着は17時頃だろうと言う。それならばと玻座間御嶽に戻ると、後片付けも済んで皆さんが帰られるところだった。
 17時を10分ほど過ぎた頃、三人の神司を先頭に執行部の方々が道歌を唄いながら歩いていらした。それを鐘と太鼓を打ち鳴らして迎え、ガーリーが始まった。最後は喜びを表現するように、神司も氏子も両手両足を上げて踊る。
 ガーリーはこの後、高那旅館の先と公民館の前にある西塘御嶽で行われた。
 17時半頃に宿に戻り、しばらく身体を休めてから、明日の下見がてら西桟橋からコンドイ浜、その間にあるニーラン神石を見て来る。豊年祭二日目のトゥヌイプイは、朝の7時頃にニーラン神石を御願することから始まる。
 ちょうどコンドイ浜に行くという同宿のスイス人と日本人のカップルがいたので、一緒に話しながら歩く。西桟橋に着いたのが19時少し前。まだ日は随分と上の方にある。しばらく写真を撮ってからコンドイ浜へ。その間に日はだいぶ落ちて、空の色が青からオレンジに変わっている。コンドイ浜を歩いてニーラン神石まで行き、少し写真を撮ってコンドイ浜に戻る。太陽が対岸の西表島の端っこに沈んでいった。
 太陽が沈んでからも空の色の変化を楽しんで、20時近くに浜を後にする。浜から集落へ入るまでは街灯がない。薄暗い道を、来た時と同じくスイス人と日本人のカップルと一緒に話しながら帰る。集落に入って少し道に迷ったが、なんとか宿にたどり着いた。
 シャワーを浴び、写真データをバックアップし、昼に買ったいなり弁当と御嶽でいただいたムチャネで晩ご飯。それから23時頃まで一緒に浜に行ったカップルとゆんたく。
*本日の出費。八重泉900ml650円、いなり弁当170円、カツ丼弁当390円、石垣ー竹富島往復1020円(割引券使用)、宿泊費2000円、ミルクコーヒー150円。写真は竹富島のコンドイ浜。沖に見える島影は、西表島。

12月2日(木)

 今年も、もう一ヶ月を切ってしまった。
 今日でSACO合意から25年が経った。5年前、facebookにこんな文章を書いていた。

 今日でSACO合意から20年が経った。沖縄タイムスは「きょうSACO合意20年 沖縄への基地集中変わらず」という記事を書き、琉球新報は「日米、97年にオスプレイ協議 沖縄配備10年まで隠す」という記事を書いている。
 先日、記者会見で米軍北部訓練場の一部返還に関し「苦渋の選択の最たるものだ」と発言し、6ヶ所のヘリパッド建設を事実上容認したと報じられた翁長雄志知事が、報道は不本意だとして弁明した。
 <苦渋の選択は、オスプレイの使用が前提となっている「北部訓練場の返還(を容認すること)」だと説明。オスプレイを対象とした環境影響評価が実施されていないにもかかわらず、オスプレイが使用するヘリパッドが造られることは「容認していない」と述べた。また、1996年のSACO合意にはオスプレイの使用が含まれていなかったとし、現計画に関し「本来のSACO合意とは違う」との認識を示した>
 「本来のSACO合意とは違う」という翁長知事の指摘は重要で、普天間基地や北部訓練場返還の日米合意の際も、日本政府はオスプレイ配備を隠してきた。米軍が1997年の時点でオスプレイの配備を米軍機関誌に 報じているのに、日本政府は聞いていないと逃げてきた。そして最終的にオスプレイが配備される事を認め、沖縄に伝えたのは実際に駐留が始まる僅か1年半程 前の2011年6月だ。
 また、そもそも普天間の返還を含む米軍基地の整理縮小への動きは、1995年9月に起きた米兵による12歳の女子小学生への集団レイプ事件がキッカケだ。この事件を受けて「沖縄県民総決起大会」が開かれ、8万5000人が集まった。沖縄では強烈な出来事だが、今、内地に暮らす人のどれくらいがこの事件を覚えているのだろうか。
 下の写真は、2013年1月22日に那覇市民会館で開催された「オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会」。那覇市長時代の翁長雄志氏が、主催者として挨拶している。
【Q&A】「SACO」って何? 普天間“返還合意”から25年
「どれだけ待たされるのか」玉城知事、基地負担が減らない現状を訴え 返還を記した最終報告から25年

オスプレイの配備撤回を求める市民大会で挨拶する、翁長雄志那覇市長

 軽石被害が続く沖縄だが、沖縄北部の運天港に入港する途中だったトーゴ国籍の大型貨物船が流され、魚の養殖いけすや漁船に衝突し、被害総額は数千万円に上る見込みだという。また宮古島ではクルマエビの養殖場でウイルス感染により、9割以上のエビが死滅したという。
  加計呂麻島出身の唄者・朝崎郁恵さんが、島唄や方言継承に尽力したとして文化庁長官表彰を受賞した。
 6月から10月の最終土曜日に行われていた那覇市栄町市場の屋台祭りは新型コロナのために昨年、今年と中止されていたが、「栄町市場オンライン屋台祭り」として先月の28日から動画で配信されている。こちら。12月5日まで無料で視聴できるそうだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
伊藤詩織さん中傷ツイート訴訟 転載した2人にも賠償命令
立憲民主党新代表に泉健太氏 「国民の目線で、国民中心の政治をしていく」 逢坂氏との決選投票を制す
オミクロン株、国内で初確認 ナミビアから到着した30代男性

 先日、ヤフーのトップ画面に<「遺体ホテル」への反対運動 経営者が語った”至極まっとうな反論”死体を歓迎しない「究極の自己否定>」という記事が流れて来て、興味深く読んだ。読みながら、島尾敏雄のエッセイ集『琉球弧の視点』(講談社)に掲載されていた「奄美の墓のかたち」を思い出していた。それは、こんな文章だ。

 現在でも島々の随所にトゥールバカなどと呼ぶ洞窟がまだいくらか残っていて(島々の方言がかなりちがうから、その呼び名の発音も多様ななまりを持つ事になるが)、頭蓋骨や四肢の人骨の破片を見つけることがあるけれど、それはこの島々の葬法のなごりであることにちがいないだろうが、それはまた島の人々が死者に対するある特別な感情をいだき、かよわせるに適当な、あらわし方だったのではないだろうか。白くさらされた珊瑚虫骨片の堆積を白昼の砂浜で目にするたびに、私はどうしても人間の骨を連想しないではおれないのに、その中に融和したいふしぎななつかしい感情の起きてくるのが防げないのはなぜだろう。やがて私はそれと洞窟内の白骨との区別を失っていることに気がつく。沖縄から奄美の島々にかけて、改葬もしくは洗骨ととなえ、いったん埋葬した死体を適当な年数のあとで墓をあばき、腐肉のとれた骨を洗って骨瓶に入れなおす習慣があるけれど、それも、死後の白骨に対するなんといっていいかわからないある親密な感情がどうしてもそうさせるようにいざなうのだと思う。

 このエッセイの冒頭で島尾敏雄は、「奄美の島々をまわっていて、こころひかれるもののひとつは、この地方の墓だ。そのそばを通るとどうしてもそこに立ちよってみないではおられない」と書いている。
 お墓あるいは墓地というものに対して奄美に行くまでは、あまり触れてはいけない場所のような気がしていた。少し忌み嫌っていたと言ってもいいかも知れない。それが、いつしか奄美の集落をまわりながら共同墓地を探して撮影するようになった。墓地は集落の中でも海に面した見晴らしの良い場所にあるのが一般的で、本土と比べて墓地が身近にあり、生活の場に寄り添っているように思えたからだろうか。
 奄美から沖縄へと祭祀を追いかけて旅をしたが、同時に取り憑かれたようにお墓も撮影していた。斜面の窪みに人骨が置かれた徳之島のトゥール墓や、龕と呼ばれる小さな木製の家のようなものを土の上に置いた与論島の土葬の墓、巨大な亀甲墓が並ぶ与那国島の共同墓地、沖縄一大きな糸満の門中墓、歴代の琉球国王を祀った玉陵(たまうどぅん)。
 あの4年間は、神々を探し死者に触れる旅だったのだろうかと思っている。

珊瑚の欠片が砂浜いっぱいに広がる、加計呂麻島・芝集落の海岸
↑人骨のような珊瑚が砂浜を埋め尽くす、加計呂麻島・芝集落の海岸。2011年2月22日撮影。
 Photo Diaryを更新。
*2013年6月27日のPhoto Diaryはこちら。(渡名喜島シマノーシのプリント作業)
*2013年6月29日のPhoto Diaryはこちら
6月29日のスナップ。栄町市場屋台祭り
↑午前中は、渡名喜島のシマノーシの写真と一緒に送る簡単なお礼状書きと、追加のプリント。結局プリントはA4用紙で26枚になった。
 土曜の午後でも窓口が開いている近くの郵便局をネットで調べると新都心にあったので、新都心の郵便局からレターパックで写真を送る。ついでにコンビニで電気料金の支払い、スーパーで食料品の買い出し。一旦部屋に戻ってから不動産屋さんで来月分の家賃の支払いをして、栄町市場へ。栄町市場では毎年6月〜10月の最終土曜日に屋台祭りが開催される。今日は今年最初のお祭りだ。昨年は台風が重なって何回か中止になった。
 午後5時頃からスタートとあったので、5時少し前に市場に行くとパイプ椅子が並べられてリハーサルの最中だった。しばらく市場を歩き、150円の缶ビール、2個100円のジューシーおにぎり、2個100円のアオサ入り天ぷらを購入。食べながら、飲みながら始まりを待った。
 午後5時半頃から始まり、プログラムと少し順番が異なり1.栄町市場婦人部女子会の踊り「かぎやで風」 2.新城カメーと童ばぁたー 3.三線弾き語り・伊禮俊一 4.栄町市場シンガーズ 5.キーボード演奏 仲田さん 6.梅田 潤・ホールズ 7.島唄 永楽 8.おばぁラッパーズ 9.マルチーズロック 10.カチャーシー
 お祭りは30分ほど押して、9時半に終了した。
 家に帰り、撮影した写真データを外付けハードディスクにバックアップ。早速少し現像していたらお腹が空いたので、夜中の12時を過ぎていたが夜食に金ちゃんヌードル。写真は、おばぁラッパーズ&わらばーたー。
*2013年6月30日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、ベランダからの那覇市の夕暮れ)
*2013年7月4日のPhoto Diaryはこちら。(雨で白く霞む那覇市、抜いた親知らずの歯)
*2013年7月7日のPhoto Diaryはこちら。(夕日に染まった雲と、高層ビル)
*2013年7月8日のPhoto Diaryはこちら。(石垣島産のお米、泡盛・松藤、夕日に染まった雲)
*2013年7月11日のPhoto Diaryはこちら。(3パックで1,000円、不在者投票用紙、抜いた親知らずの歯)
*2013年7月13日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダと、ベランダからの那覇市)
*2013年7月14日のPhoto Diaryはこちら。(ピンクドット沖縄、比屋定篤子さん、2000円札応援祭り)
*2013年7月15日のPhoto Diaryはこちら。(購入したワイヤレスで使えるキーボード)
*2013年7月16日のPhoto Diaryはこちら。(不在者投票用紙、アマゾンで購入した商品、マルちゃん正麺)
*2013年7月19日のPhoto Diaryはこちら
7月19日のスナップ。自衛隊の戦闘機が着陸する那覇空港
↑八重山諸島の豊年祭巡りをするために、石垣島へ出発。
 朝6時に起きて、荷物の最終チェックをしながら、お米を1合炊いておにぎりを作る。
 部屋を10時少し前に出て、モノレールの美栄橋駅へ。直ぐに10時23分のモノレールが来たので、那覇空港へ。1階のスカイマークのカウンターで、那覇12時40分発のSKY563便のチケットを購入。搭乗手続きを済ませて、ロビーで今朝作ってきたおにぎりと魚肉ソーセージで早いお昼ご飯を食べながら出発を待つ。
 座席に余裕があったので、当日ながら窓側の席が取れた。搭乗を待つ間、滑走路を眺めていると自衛隊の戦闘機が何機か着陸。石垣島行きの飛行機は滑走路が混んでいるようで、しばらく離陸待ちで遅れて出発。それでも石垣空港にはほぼ定刻に到着したようだ。
 石垣空港に着いてスカイマークのカウンターへ。変更の場合は石垣空港所予約係に電話すればいいだけなので、帰りのチケットを購入。空港を出たところでバスターミナル行きのバスが待っていたので乗車。新しくなった空港からだと市内まで少し時間がかかるようになった。
 バスターミナルから歩いて竹富町役場へ。豊年祭や来月後半にある旧盆行事のスケジュールを教えてもらう。竹富町役場を出て、今度は近くの石垣市観光協会へ行き、川平のマユンガナシーについての情報を聞いてみる。その後、離島ターミナルに行き鳩間島、黒島のフェリーの出航時間やチケットの事を尋ねて来た。
 離島ターミナルから地図を見ながら、今日から泊まるゲストハウスへ。ベッドや施設を案内してもらい、居心地がよさそうなので3泊の予定だったが5泊にしてもらった。
 宿の無料の自転車を借りて、泡盛と晩ご飯用の食料を買って帰る。
*本日の出費。那覇ー石垣島スカイマーク5000円、石垣空港ーバスターミナル520円、宿泊費5日分5000円、泡盛八重泉900ml650円、ジューシーおにぎり120円、レーズンパン210円、カップ麺138円。写真は自衛隊の戦闘機が着陸する那覇空港。
*2013年7月20日のPhoto Diaryはこちら
7月20日のスナップ。鳩間島の豊年祭
↑20日は、朝6時30分にセットしたアラームで起床。ゲストハウスのリビングでしばらくまったりしてから、離島ターミナルに歩いて向かう。
 今日から鳩間島の豊年祭で、石垣から鳩間島への船が9時30分に出る。混雑が予想されるので1時間ほど前にターミナルに着いて、まずは3日間の周遊券4500円を購入。石垣島と鳩間島の一往復だけで4000円ほどするのでお得なチケットだと思う。
 鳩間島行きの船は案の定混んでいて、臨時便が出た。早くから並んでいたので最初の船に乗れたが、列の途中で満席になった。多分臨時便がもう一隻出て対応したと思われる。定期便の9時30分出発の船は西表島経由だったと思うが、少し早めに出航した臨時便は鳩間島に直行し、10時過ぎには着いてしまった。
 港から奉納芸能が行われるサンシキ広場に行くと、まだ準備中だったがプログラムがあったので1枚いただく。広場の近くにある公民館では棒術の練習が行われていた。
 豊年祭が始まるまでまだ時間があるので、集落のちょっと外れにある灯台へ。灯台の横には石を積んだ物見台があった。
 またサンシキ広場に戻り、直ぐ横の浜に行くとハーリー競漕に使われる舟が2隻並んでいた。近くにいらした方に豊年祭の事をうかがっていると、今日も御嶽で御願があり、その後御嶽から下りて来て集落を通り、サンシキ広場に来て祭りが始まるとの事。 
 鳩間島の中心となる友利御嶽で御願が行われるそうだが、御嶽の入口には無断立ち入り禁止の看板が立っているので誰か人が下りて来るのを待っていると、集落の方から神歌を唄いながら歩いて来る一行があったので撮影の許可をお願いする。唄いながら御嶽の下に到着すると、道の反対側からも歩いて御嶽の入口へ来る人が。一緒に鳥居をくぐり参道を上がり、御嶽へ。上がったところに神司の代役のご老人が立っていて、迎え入れて下さった。鳩間島は現在、神司が不在だそうです。御嶽で写真を撮っている間に神酒の泡盛とミキをご馳走になる。12時半近く、いよいよ集落に下りて行く段になって、草を渡された。頭に巻く草の冠用で、御嶽に来た者は皆巻くそうだ。葉はクロツグだろうか。巻き方がわからなかったが、かた結びで草を繋いで頭に巻いた。 
 神歌を唄いながら参道を下り、集落を通りサンシキ広場に歩いて行く。広場中央で迎え入れる公民館長さんの前で神歌を唄い、続いてイリとアガリの旗頭が入場。そしてミルク行列が会場に入り、13時少し前に奉納芸能が始まった。
平成25年度 豊年祭 プログラムから
1、彌勒入場(ミルクヌファー 鳩間・石垣・沖縄在郷友会婦人部) 2、カムラーマ(小浜虎三)沖縄在郷友会 3、挨拶 鳩間公民館長 通事健次 4、感謝状贈呈 寄合英名、通事則夫、座安房江 5、東村の奉納棒術 6、マミドーマ(石垣在郷友会婦人部) 7、イニシリ節(石垣・沖縄在郷友会婦人部) 8、カンパイの音頭(上原郷友会代表 富里保雄) 9、鳩間早節(沖縄在郷友会 婦人部) 10、竹富町挨拶 川満栄長町長 11、安里屋節(石垣在郷友会婦人部) 12、谷茶前節(鳩間小中学校児童生徒) 13、石垣在鳩間郷友会長あいさつ(大城正明) 14、鳩間島 ・鳩間の豊年祭(石垣在郷友会 婦人部) 15、西村奉納棒術 16、イダ舟(石垣在郷友会) 17、沖縄在鳩間郷友会代表あいさつ(富里勝幸) 18、加奈ヨー(沖縄在郷友会) 19、鳩間小中学校長あいさつ 石垣幸子校長 20、久高節(石垣在郷友会) 21、郷友会音頭(沖縄在郷友会) 22、豊年音頭・鳩間の港(石垣・沖縄在郷友会 婦人部)
 奉納芸の演目が全て終わったのは15時半近くだろうか。その後、サンシキ広場の裏手の浜でハーリーが行われた。
 2隻並んだ舟の横に旗頭が立てられる。神歌が唄われ、舟は海に出る。スタートラインの位置調整だろうか、浜を見下ろす道路側から公民館長が指示を出し、しばらくしてハーリー競漕がスタートした。
 沖にある旗を回って折り返し、浜に着いたら岸壁に立て掛けられた梯子を上る。そこまでが競漕のようだ。今年はアガリが勝ち、公民館長からお神酒をいただいた。
 競漕の後、漕ぎ手達はそれぞれの舟の周りに並び神歌にあわせてグルグルと歩く。やがて歌が終わり、旗頭はサンシキ広場に戻って行った。
  鳩間島の豊年祭は行事の色んな場面で神歌が唄われる。節回しが似ているので同じ曲かと思ってしまうが、「豊年祭トーピンの歌」という歌集を見せていただいたら、それぞれの場面で唄う歌が違うようだ。 
 港に行くと16時15分の定期便が到着していてすでに満席だったが、2隻に増便してあったので直ぐに全員が乗れた。また今日は18時台にも臨時の船を出すという案内があった。
 帰りの船は西表島の上原港を経由して、1時間ほどで石垣港に着いた。
 離島ターミナルから宿に戻る途中のコンビニで、アイステーの紙パック105円を買って帰る。パソコンに外付けのハードディスクを繋いで今日撮影した写真データをバックアップ。
 バックアップ作業をしながら、福島県から石垣島へ長期滞在で旅行に来ている鈴木さんが作ってくれた、そうめんをご馳走になる。
 今日は足が痛かった。立ち上がろうとすると膝が痛い。運動不足?歩き過ぎ?それとも歳なのか。
*本日の出費。かりゆし周遊券三日間4500円、自販機の水のペットボトル130円、コンビニのアイスティー105円、鈴木さんのそうめん材料代250円。写真は鳩間島の豊年祭に登場したミルク(弥勒)。

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