HOME TOP  
バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表
◯製作中の2011~2014 Photo Diary

2021年カレンダー

◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

2022年8月22日〜8月27日 式年遷宮祭

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
道祖神
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
◯富山県 新型コロナウイルス感染症について 
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U
◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/
◯ 福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
◯DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
◯HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
◯独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
◯小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
◯やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
◯辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
◯チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
◯沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

メディア関連
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」ミュゼふくおかカメラ館
富山の祭り写真集に 福岡町の木原さん 北日本新聞
木原盛夫 写真展「とやま、祭り彩時季」 たかおかストリート
カメラ館で木原盛夫展 高岡ケーブルテレビ
写真で巡る富山の祭り 木原盛男写真展 高岡ケーブルテレビ
歴史ある寺社・文化紹介 高岡御旅屋セリオで木原さん写真展 北日本新聞
高岡の文化伝える写真 御旅屋セリオ 木原さんが個展 中日新聞
高岡まちなかギャラリー - 御旅屋セリオ
祭りの写真で地域を学ぶ 高岡・福岡の寺子屋サロン
祭りの雰囲気 写真で感じて 中止相次ぐ中 福岡の木原さん展示 中日新聞
木原盛夫さん写真展 県内の祭りなど題材に 北日本放送
富山の祭りを写真で紹介 木原盛夫写真展 朝日新聞
県内の祭礼や伝統行事写す 木原さんが写真集寄贈 北日本新聞
木原さん、祭りの写真集を寄贈 高岡ケーブルテレビ
2020年9月18日OA分 いいねとやま#219 チューリップテレビ

ブログなど
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」 ゆきれぽ
今年のお祭りは 写真展で・・・・・・ yoshijunのブログ
たかのたわごと 新川神社のブログ
200814木原盛男写真展高岡彩時季御旅屋セリオ5階3 42
200805ミュゼ福岡カメラ館とやまの祭り木原盛男写真展6 26
ミュゼふくおかカメラ館(富山県高岡市)の木原盛夫 写真展 『とやま、祭り彩時季』(~9/27)
祭りの色彩に思いをはせて  タビノイロドリ
カメラ館 フクチアンの日記
ミュゼふくおかカメラ館「とやま、祭り彩時季」へ とやまおでかけ日記

10月31日(月)

 今日で首里城火災から2年が経った。首里城公園では昨日、今日、そして来月3日に首里城復興祭が行われる。これは焼失した正殿が完成するまで、首里城祭を改称して行われる催し物だ。2年前の火災のあった日も、首里城祭の準備の最中だった。
 下の写真は2012年10月27日に撮影した首里城祭2日目の冊封儀式と、2012年11月3日に行われた古式行列の様子。
 以下の文章は2年前の11月1日にこちらで書いた文章だが、再掲載しておく。

 那覇に住んでいた時に、首里城公園の年間パスポートを購入した。一年を通して琉球王国時代の文化を継承し伝えるイベントが催されるので、年間パスポートはとても割安で便利だった。火災が発生した昨日の未明も、首里城祭の準備の最中だったという。
 琉球王国は中国や日本など、アジアの国々との中間貿易で栄えた国だ。それもあって首里城は中国建築と日本(大和)建築の融合と言われている。朱に塗られた北殿は中国の、塗装のしていない南殿は日本の影響を受けた建築で、それぞれの国の客人を迎える時は、北殿と南殿を使い分けたと記憶している。
 写真は2012年の首里城祭で撮影した「冊封儀式」。 日本でも先日「即位礼正殿の儀」が執り行われたが、こちらは琉球国王の即位式だ。この儀式を首里城の御庭で再現している。 
 琉球王国は中国と冊封体制を結んでおり、琉球王の承認は中国の皇帝が行なった。そのため、国王の代替わりがあると皇帝が王冠を携えた使者(冊封使)を首里に派遣した。冊封使の乗る船は、彼らが王冠を携えて来ることから冠船(かんせん)と呼ばれたが、この冠船の渡来は1404年から1866年まであり、その間に23回の冊封が行なわれたという。
 その後、1872年の琉球藩設置、1879年の沖縄県設置に至る明治政府による琉球の強制併合=琉球処分で王国は消滅し、首里城は主人のいないまま放置されていた時代もある。
 冊封使が琉球に持って来たのは、王冠だけではなかっただろう。冊封使が滞在している間に、琉球王国は冊封七宴という7つの宴で歓待している。この催しの中で国の重要無形文化財に指定された「組踊」などが生まれたし、他にも様々な文化・芸能が花咲いたのだろう。
 そういう意味では再建された首里城の建築と、そこを舞台に繰り広げられた芸能やイベントは、沖縄の人にとって遥か遠い昔から続く自分達の歴史を確認できる場所、 沖縄に残る琉球王国時代の象徴の場所だったと思う。

 そしてもう一つ、再建された首里城は沖縄の人にとって戦後復興の象徴だったに違いない。今回の火災を報道するニュースの中でも、首里城の紹介として沖縄戦の際にアメリカ軍の攻撃で破壊されたということが伝えられている。付け加えるならば、なぜ首里城がアメリカ軍の攻撃対象になったかで、それは日本軍が首里城の地下に陸軍第32軍の司令部を設置したからといわれている。基地や軍の施設は戦争から身を守るものではなく攻撃対象になるという教訓を、沖縄の人達はこの時の体験で得たのだろう。
 因みに破壊された後に復興された首里城の建物は世界遺産ではなく、残っていた遺構が首里城跡として世界遺産に登録されている。  
 ネットでは焼失を悼む本土の人達の言葉も多数見るが、首里城焼失に思いを寄せるなら、これを機会に琉球の、沖縄の歩んできた歴史そのものにも思いを馳せて寄り添う人が増えたらと思う。

2012年の首里城祭
↑冊封儀式。↓古式行列。
2012年の古式行列
国内外から53億円…首里城再建、寄付金の使い道は? 首里城焼失から2年
その日は原稿を書くために起きていた 一夜で焼失した城 80歳の写真家が首里を撮り続ける理由
 今日は衆議院選挙の投票日。そして高岡市は市議会議員選挙とのダブル選挙となった。午後から地区の公民館へ、投票に行った。最高裁判所の裁判官の国民審査だが、こちらの記事を参考に、<米軍基地移設に伴う辺野古サンゴ移植指示は違法か>という設問に国側の主張を認めるとした2氏にバッテンを付けてきた。深夜には情勢がわかるのだろうか。富山県内は20時の時点で、1区、2区、3区とも自民の議員に当確が出た。注目の東京8区は開票直後に立憲の吉田晴美氏が自民の石原伸晃氏を破って当確、香川1区は立憲の小川淳也氏が自民の平井卓也氏を破り当選確実にした。
 明日のニュースを見て、少しでも国が良くなる選挙結果になっていればいいのだが。
 朝日新聞の開票速報。東京新聞の開票速報
投票所
 この他の気になった記事を備忘録として。
Photoshopの新機能で沖縄を冬にできるか
ナイトツアー規制試行 奄美市住用町 野生生物保護で車両制限
福島第一原発 汚染水対策「凍土壁」一部で温度上昇 10度以上も
 Photo Diaryを更新。
*2013年3月1日のPhoto Diaryはこちら
3月1日のスナップ。じゅり馬

↑1日は、旧暦の1月20日。沖縄では二十日正月といい、正月の終わりで飾り物を取り払う日だそうです。この二十日正月に、那覇の辻ではじゅり馬行列という祭祀が行われる。
 昨日、若狭図書館に行ったついでに辻まで足を伸ばし、じゅり馬行列を執り行っている辻新思会を尋ねて行って開催時間と場所を確認して来た。午後2時に辻新思会からスタートと言われたが、何があるかわからないので1時過ぎに到着すると、既にカメラを持った方がたくさんいらしていた。

 辻は、かって遊郭のあった場所。じゅり(尾類)は、遊郭で働く女性達のこと。
 辻の成立とじゅりについて、辻新思会による趣意書から引用すると、
 辻むらが公設されたのは今からおよそ350年前の時代で、慶長の薩摩侵略後、海外貿易政策も中国のみにされたために、首里王府の財政が急迫し、また課税も重加されたので、百姓・町人がその負担に耐えられず朝に夕に苦しんでいるときであります。
 その様な時代背景のなかで中国冊封使一行や薩摩奉行役人、それに中国との貿易商人をどう接待し歓待すればいいか、首里王府にとっては国の命運を左右する重大な国事と目されていました。時の摂政・羽地朝秀(向象賢)はじめ三司官が評定の結果、辻むらの設立をこころみた、という説もあり、王命を受けた王女が自ら側女を引き連れて開祖になったとの由来もあります。
 首里王府の外交・内政政策の一端を背負っての発足でしたから、辻むらは発生当初から大盛前(うふむいめー=神職のひとつ)による祭政一致の行政が敷かれ、他所島(ゆすじま)の女たちの手によって”女だけによる自治社会の組織”を築き上げました。このことは世界に類がなく、驚き入ることであります。
 辻むらの”じゅり”は王女や王女の側女、三司官の娘から始まった、ともいわれていますが、貧しさのなかで親兄弟の犠牲になり、政治の犠牲となって、辻に身売りされる子女が増えていきました。彼女たちは、このような過酷な運命を受け入れながらも、歌舞音曲、料理、躾、言葉づかいなどの教養を身につけ、陰ながら王府の外交・内政政策の守り手として王府を守護し、王国の発展のために、その礎となって、高度な社交文化を築き挙げたのです。そして辻むらを発展に導いた美麗なる先駆者であります。

 辻の二十日正月は、彼女たちに感謝と謙虚な祈りを捧げる事からスタートし、商売繁盛と豊年を祈願するそうです。じゅりと彼女達の家族が、この年に一回の道スネー(練り歩き)でお互いの姿を確認し合ったと言われている。拝みの後に奉納されるじゅり馬は、チョンダラーが伝えた芸とされ、春を寿ぐ踊りだと言われている。You Tubeから一昨年のじゅり馬。少し気忙しい動き、ゆいゆいゆいのお囃子が可愛い。

 御願の順序を、趣意書から。
1.辻新思会 出発 2.海蔵院(王女と王女の娘二人の位牌が収められています) 3.志良堂御嶽(辻むら全体のウタキ) 4.祝女井戸(ヌルガー) 王女の使用した井戸 5.石被(イシカブイ) インダカリの火神(匕ヌカン) 6.軸(ジク) 王女達が首里城に向かってお通し(御願)した場所 7.辻むら開祖之墓

 拝所への御願巡りが済んだ後、奉納芸能が行われた。最初に、春駒じゅり馬民俗芸能研究会代表の浅香怜子さんによる挨拶があり、男春駒の演舞が披露された。Wikipediaによると、春駒とは張り子などで馬の頭の形をつくり竹を指し、下端に車をつけ子供が跨って遊ぶ玩具。また、予祝のための正月の門付け芸のことでこの春駒に跨り、唄い踊る。または胴に馬の頭や尾をつけて、三味線や太鼓で囃し祝い唄を唄い踊る、とある。春駒は、辻のじゅり馬と親戚関係にあると推測される伝統芸能だそうです。
 開祖の墓の前の道を通行止めにしての、じゅり馬の奉納が終わったのが4時半頃。この後、何人かの女性達が近くのステーキハウスで、じゅり馬を披露するのを撮影させていただいた。
 辻新思会へ撮影させていただいた御礼に伺うと、ご飯を食べて行きなさいと声をかけて下さった。事務所の中は直会の最中だった。写真は、じゅり馬。

*2013年3月6日のPhoto Diaryはこちら。(浜田ツマ写真集『川の音』の複写)
*2013年3月8日のPhoto Diaryはこちら。(取り壊しが進む神里原社交街、バンバンバザールのミニライヴ)
*2013年3月9日のPhoto Diaryはこちら。(NPO法人沖縄戦記録フィルム1フィート運動の会の上映会)
*2013年3月12日のPhoto Diaryはこちら。(マグロのカツの甘酢あんかけ、マグロのブツ、扇風機再出動)
*2013年3月14日のPhoto Diaryはこちら。(那覇港、泊港、借りてきた本、天玉うどん)
*2013年3月16日のPhoto Diaryはこちら

3月16日のスナップ。識名園
↑16日は、東京でソメイヨシノの開花宣言が出された。那覇は暑くもなく寒くもなく、散歩日和。昼ご飯に大盛りの中華丼を作って食べて、自転車で壺屋の方へ。途中、神里原社交街で定点観測。取り壊しは少しずつ進行中。それでも2階にある1軒のお店から音楽が流れていた。営業しているお店があるようだ。
 壺屋のどこかに自転車をとめて散歩しようと思っていたら、安里橋大通りに出た。住所は三原になる。かつて母子家庭という名前のスナックがあった場所は、看板が外されていた。移転したようだ。未亡人と言う名前は割りと多いが、母子家庭は珍しい。近くのスナック年金族は健在のようだ。 
 安里橋大通りを暫く走っていると、識名園の看板。2キロ程なので、天気も良いし行ってみる事にした。距離はそれほどでもないが、緩い坂がず〜っと続く。それでも30分程で着いた。
 400円の入園料を払い、園内に。池の畔に、アヤメや白いシャリンバイの花が咲いていた。 林の中のクワズイモも花を咲かせている。奄美大島では家の裏山にいくらでもクワズイモがあったのに、花が咲いているところは不思議と見なかった気がする。 
 2時間以上園内を散歩して、帰路についた。途中、識名宮というお宮があったので立ち寄る。現在建て替え中のようだが、お参りしていく近所の人が多かった。
 家に帰ると、郵便受けに国税還付金振込通知書が入っていた。大きな金額ではないけれど、離島巡りの費用に充てよう。写真は識名園。
*2013年3月17日のPhoto Diaryはこちら。(隣の人からの頂き物)
*2013年3月18日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダから撮影した雨の那覇市内)
*2013年3月19日のPhoto Diaryはこちら。(Output、ヘッケル&越中、桑名晴子)
*2013年3月20日のPhoto Diaryはこちら
3月20日のスナップ。お店の周年祝いのエイサー
↑桑名正博メモリアルLIVE@沖縄と題した、桑名晴子withヘッケル&越中のコンサートが昨日と今日の2日間、那覇で行われた。桑名さんが好きだった沖縄で、彼を偲んでひと時を過ごす、そんなコンサートでした。
 昨日はOutput、今日はアパッチで。ヘッケル田島さんは昨年の5月に那覇で会っているが、越中さんは3年ぶりかな。せっかくなので、リハーサルから入って音楽を聴きながら写真を撮っていた。 
 両日ともアンコールは「Will you love me tomorrow?」。2011年5月19日に行われた東北支援HALKO誕生日LIVEでの桑名晴子withヘッケル&越中での「Will you love me tomorrow?」(You tubeから)。桑名正博さんのバージョンはこちら
 アパッチでのライヴの後、居酒屋さんを捜していて、クラブの周年祝いのエイサーと遭遇。最後のカチャーシーではお店の女性もドレスの裾を上げて踊っていました。
 居酒屋にて豆腐よう、ラフテー、ソーミンチャンプルー、島らっきょうの天ぷら、もずくの天ぷら、カキフライ。沖縄料理を食べながら、ヘッケル田島さんは誕生日を迎えた。happy birthday〜♪明日は原宿クロコダイルで「ヘッケル田島BIRTHDAY LIVE!〜Tribute to ジョニー吉長&桑名正博〜」がある。写真はお店の周年祝いのエイサー。

10月28日(木)

 沖縄タイムスや琉球新報、あるいは奄美の南海日日新聞など地元紙では10日ほど前から海岸や港に漂着する軽石の問題が話題になっていたが、ようやく昨日あたりから全国紙や全国ネットのニュース番組でも大きく取り上げられるようになった。
 今後は関東や本州の南岸にも漂着する可能性があるという。その場合、原子炉の冷却水を海から取り込む取水口に軽石が詰まらないか心配される。
 今回の大規模な海底火山の噴火と、それによって噴出した軽石がこのような災害を引き起こすことをどれだけの人が想像できていただろうか。自然災害は人知を超える。それを考えると、原子力委員会が決めた放射性廃棄物を地下70メートル以上深い場所に約10万年間隔離という基準のなんとも無責任なことか。

 新型コロナウイルスの対策事業について会計検査院が検査したところ、政府が調達した布マスク(いわゆるアベノマスク)約1億4000万枚のうち、今年3月時点で約8200万枚が倉庫に保管されていたことがわかったそうだ。平均単価140円として約115億円が無駄になっていることになる。加えてこれらを保管するための昨年8月〜3月までにかかった費用が約6億円に上るという。どんな場所にどんな管理をすればマスクの保管に8ヶ月で6億円も掛かるのだろうか。

 自民党副総裁の麻生太郎氏が北海道の衆院選候補者の応援演説で、北海道の米がうまくなったのは温暖化のおかげと根拠のないことを述べ、政府・与党はこの発言の後始末に追われているという。どうしてこんな人が政界の中枢に居座り続けられるのだろうか。

 衆議院選挙に合わせて最高裁判所の裁判官の国民審査も行われる。審査の対象となる裁判官は11人だが、誰がどんな裁判でどう判決したかを知るのは大変だが、こちらに<夫婦別姓を認めないのは憲法違反?><2019年参院選の「1票の格差」は憲法違反?>という2つの質問に11人が回答している。また、こちらには7人の裁判官が5つの項目に対してどう判断したかが掲載されている。ご参考に。

 この他の気になった記事を備忘録として。
「全都道府県で犠牲者が出た。人道上の問題だ」沖縄戦の遺骨が混じった土砂で埋め立て 本土の105議会も反対
調布陥没 トンネル工事にほんろうされた夫婦「弱い立場の人のための政治を」 自宅近くで市道が陥没、地下から伝わる地響き
リニア工事現場で「崩落」通報、作業員の男性死亡 岐阜のトンネル
原子力規制庁の職員10人が身分証紛失 原発検査時に必要
ずさんなパソコン調達でお蔵入り続出 年金機構のムダを検査院指摘
【全文】小室眞子さん「圭さんはかけがえのない存在」 圭さん「愛しております」 結婚会見

 どうにもCDの購買欲が止まらない。サンディ・デニーをヘビロテで聴いたので、ちょっと系統の違った音楽をとジャズ・ヴォーカリストのビリー・ホリデーと、スペインのギタリスト、パコ・デ・ルシアのCDをアマゾンでポチった。今回はコンビニ決済にしたので届くのは遅くなるかと思っていたら、一昨日注文して今日の午前に届いた。一時はやたらと発送まで日にちが掛かっていたアマゾンだが、改心したのだろうか。
 ビリー・ホリデーは3枚組だけれど、61曲収録されている。アルバム8枚分を3枚のCDに収めているのではないかと思う。紙ジャケでセンターを開いていくと3枚のCDが挟み込んであり、盤を取り出すと隠れている顔の部分が見えるようになっている。凝った作りのジャケットなのに、これで1,278円だった。歌詞カードはないが、内側に英語の解説が少し印刷されている。
 パコ・デ・ルシアの方は5original album seriesで、1981年〜1993年までの5枚のアルバムが紙ジャケで復元されている。こちらは2,068円だった。明日からこれらをヘビロテしながら、パソコンの現像作業。

ビリー・ホリデイのCD01
ビリー・ホリデイのCD02
↑ビリー・ホリデーの3枚組CD。↓パコ・デ・ルシアの5枚組CD。
パコ・デ・ルシアのCD
 ロッテのラミーがアイスクリームになっていたので、一昨日スーパーで買ってきた。
ラミーのアイスクリーム
 パッケージに描かれたイラストほど大粒のラムレーズンがゴロゴロ入っている感じはしないが、食べた印象は紛れもなくラミー。カップアイスじゃなくて、薄いチョコモナカのアイスにして割って食べられるとラミーらしいのでは。値段は178円+消費税。美味しいけど、やはり高いな。
 一度、ラムレーズンだけを口いっぱいに頬張って食べてみたい。小さな野望。バッカスもある。
 Photo Diaryを更新。
*2013年2月12日のPhoto Diaryはこちら
2月12日のスナップ。ハチウクシ

↑深夜零時に太鼓を打ち鳴らすハチウクシの行事が観音堂の斜め前にあるニジリチェで行なわれるので、少し前に着くように歩いて行くと安里さんがニジリチェ横のセンターの前で待っていて下さった。センターの中に入ると関係者の方々が揃っていた。
 時計を見ながら零時ぴったりにニジリチェで大きな太鼓を打ち鳴らす。その後はトラックの荷台に乗り、集落の四つ辻で太鼓を鳴らして一周して来た。センターに一度戻り、今度はウーグの浜へトラックで行きビニール袋に砂を詰める。浜からの帰り、朝の行事で使うキャベツと大根を真っ暗な畑から穫って来た。
  センターで少し泡盛を呑んで、朝7時頃から再び始まるハチウクシ行事を見るため宿に戻って仮眠を取る。

「おきなわの祭り」(沖縄タイムス社)から、この日の行事を引用すると、
 三日の午前零時、区長とコウサクと呼ばれる男二人が、ユークイムイという場所へ行く。コウサクは別名ヤトゥイとも称され、かつては、家普請の時の茅の提供など相互扶助を行う単位であった三つのハルゴウから、二人ずつ選出される主として農事の管理に従事する役目の人たちであった。現在では、行事に際して臨時に雇われている。
 さて、ユークムイでは、区長が東方に向かって太鼓を打ち口上を述べる。その内容は、一年間のムラの無病息災・豊作・豊漁を神に感謝し、同時に新年の祈願も申し述べるというものである。ユークイムイでの儀礼の後、区長一行はムラを巡り、辻々にて太鼓を打つ。これらはユーウクシの儀礼であるといい、その後、部落背後の小高い場所にあるチカノーと呼ばれる拝所へ行く。
 区長一行は、焚き火で暖をとりながら夜明けを待つ。夜明けとともに、芋と大根と酒を供物にして区長がチカノーに祈願する。芋と大根は、前日ムラ人の畑からよく実ったものを選んで勝手に掘り起こしてきたものである。
  区長の祈願が終わるころには、正装した男たちがチカノーに集まり、チカノーの前で各組の子供たち(男)が御前風を舞う。その後に、区長とハチマキを被った男(三世代夫婦がそろった家から出る子孫繁栄の象徴)を先頭に部落へ降りてくる。部落では、サカンケーと称して、女性たちが招き手で迎え、男たちに酒を供する。当日チカノーに登るのは男子だけで、女性の入域はタブーになっている。
〜略〜
 さて、この三日の行事には、ユークイムイ(世を乞う丘)という言葉にも象徴されるように、ユー(豊穣・生命力)を乞いそれを迎えるという観念が色濃く表現されている。チカノーから降りてくる時に、コウサクが芋蔓を頭にまとい芋と大根の入ったもっこを担いでいるのは、ユーを象徴しているのであろう。サカンケーのサカは、酒であると同時にサカイ(境)のサカでもあり、ユーが他界からもたらされるものであることを示唆している。 チカノーでの儀礼はかつてユノーサー(世直し)のウグァングァーと呼ばれる拝所で行っていたという伝承も、この脈絡で注目に価する。

*2013年8月12日に追加。

 6時過ぎに目が覚める。今日のフェリーで那覇に戻るので、荷物をまとめておく。7時にセンターへ行くが、夜中に穫って来たキャベツや大根がないので、奉納芸が行なわれる場所に行ってみる。
  浜集落の、ちょっと外れにあるチカノー。その少し集落寄りの場所にキャベツ、大根、それを入れるもっこが置いてある。お神酒も供えてあり、ここも拝所なのかもしれない。
 くし組、いり組、めー組の踊り手、三線が集まり8時少し前から舞踊がスタートした。順番に芸を奉納した後、もっこにキャベツと大根を乗せて担いだ男性を先頭に、集落へ下りて行く。それを女性達が迎え入れて、交互に踊りを披露する。何カ所かの辻で踊り、やがて観音堂に到着し奉納芸が行なわれた。見に来た方も参加してカチャーシーが踊られ、ミキ(ミチ)が振る舞われた。
 ここまでは浜集落の3つの組が一緒にまわり芸を奉納して来たが、観音堂でいり組、めー組、くし組に分かれて家々をまわる。マースヤーの時と違うのは、それぞれの組が他の組の家もまわる事だ。マースヤーでは、いり組ならいり組に属する家だけをまわれば良かったが、ハチウクシーではどの組も浜集落全体の家をまわる。
  一旦宿に戻り3日分の宿泊費を清算してから、散歩がてら、いり組やめー組の踊りを見て歩く。今日は塩売りの口上はなく、踊りだけだ。
  だんだん雲がとれて、粟国島に来て初めての青空を見た。が、村内放送で天候の急変が予想されフェリーあぐにの出航を繰り上げて運行すると告げられた。通常の14時10分出航から13時出航に変更となった。まだ青空が見えているのに。
  宿の食堂に戻ってお昼ご飯の出来るのを待っていると、安里さんからフェリーあぐにの操舵室と車を乗せる貨物室で行なわれる神人による祈願、サカンケーを観に行こうと誘っていただいた。
 直ぐに行きたいところだが、後ろの厨房でおばさんが一生懸命ご飯を作ってくれているので、急いで食べて追いかけますと伝える。
 ポーク玉子の昼ご飯を食べて、フェリー乗り場へ。往復で買ったので切符はあるが、乗船カードを記入しなくてはいけない。船に乗り、デッキに荷物を置いて上にある操舵室を覗くと、ちょうど神人の御願が終わったところだった。それでも一緒について行くと、下の貨物室での御願を観る事ができた。
 通常より1時間以上早い13時に、船は粟国を出航した。午前中の青空はすっかり消えて、灰色の空になっている。民宿のおばさんがフェリーの出る時間になったら、民宿の前から手を振るからと言っていたのでカメラの望遠レンズで覗いてみると、白い布を持ったおばさんがフェリーに向かって手を振っている。見えるかわからないが、こちらも手を振り返す。
 天候の急変で出航時間が早まったのだから、海は大荒れで揺れるかと覚悟していたが、船は穏やかに進んで行った。
 小雨の降る中、那覇の泊港に近づいた。泊漁港に並んでいる漁船にも日の丸や万国旗が取り付けられていた。
 15時過ぎ、とまりんの前に到着。歩いて5分程の家に帰り、荷物を整理し、撮影した写真データをバックアップする。冷蔵庫にはめぼしい食材がない。買い置きのカップ焼きそばを晩ご飯にする。
 テレビのニュースは、北朝鮮が行なった核実験の模様を繰り返し伝えている。
 本日の出費。民宿の宿泊費3日分、15000円。写真は午前零時、ニジリチェにて東の方角に向かって太鼓を捧げもつ区長さん。この後、太鼓が打ち鳴らされる。

*2013年2月14日のPhoto Diaryはこちら。(朝焼け、与儀公園のさくらまつり、安里盛昭さんの写真集)
*2013年2月21日のPhoto Diaryはこちら。(確定申告の書類)
*2013年2月23日のPhoto Diaryはこちら
2月23日のスナップ。さいおんスクエアでの台湾ランタン祭り
↑23日は、風は強いが晴れ。午前中に洗濯を済ませ、昼ご飯に大盛りの中華丼を作って食べる。
 このところ部屋にこもって写真データの作成をしていたので、日に当たりに外に出る。美栄橋駅前から国際通りに続く歩道で、フリーマーケットのような古本市が開催されていたが素通り。桜坂劇場の前に自転車をとめ、街フェス・ASYLUM(アサイラム)が行われている希望ヶ丘公園に行ってみる。こちらもクルッと出店を眺めて、今度は歩いて牧志公設市場の方へ。
 ひやみかちマチグヮー館で2月16日〜3月10日まで開催されている「あんやたん懐かしのマチグヮー写真展」を見に行く。沖縄戦後から本土復帰までの写真を中心に80点程が展示されていた。なぜか同じ写真が2枚展示されている。間違い探しだろうかと思ったが、近くにいたスタッフに尋ねると同じ写真だという。えっと・・・なんで?
 写真展を見終えて商店街のアーケードを歩いていると古本屋があり、ワゴンコーナーに料理の全集があった。荒田西洋料理1〜8と題した箱入りの本だが、出版社の名前が書いてない。なんとなく柴田書店ぽいな〜と思い、箱から出して奥付を見るとやはり柴田書店と書いてあった。これに「西洋料理の演出」「西洋料理 基礎と応用1」「西洋料理 基礎と応用2」の3冊がついて3500円となっていた。どう考えても自分に必要ない本だけれど、11冊で3500円はそそられますね。
 自転車を取りに戻って国際通りに行くと、てんぷす那覇の広場で、今日と3月2日に開催されるバルウォーク那覇の幕開けイベントが行われていた。15時40分頃から始まり40分間ほどで沖縄民謡、四つ竹、鳩間節、じゅり馬の4つの演目が披露された。
 てんぷす那覇から国際通りを蔡温橋の方へ進み、さいおんスクエアに行くと、こちらでは台湾ランタン祭りが行われていた。観光都市、那覇。土日はあちこちでイベントがありますね。
 スクエア前の広場で戦隊ヒーローものの芝居を少し見てから、天ぷらを買いに牧志市場の方へ戻る。途中、壺屋の神里原社交街の横を通ると、大きな通りに面した一角が取り壊されていた。
 那覇は、どんどん古い建物が取り壊されている。沖縄らしい漆喰で固めた瓦屋根の平屋の一軒家も、最近2軒ほど壊されているのを見た。マンションやビルに変わるのだろうか。
 ごぼう、春菊、いもを各1つ。イカを2つ。1つ40円の天ぷらを5個買って家に帰る。写真はさいおんスクエアにて、戦隊ヒーローもののステージ。
*2013年2月25日のPhoto Diaryはこちら。(泡盛・久米仙の響天)
*2013年2月26日のPhoto Diaryはこちら
2月26日のスナップ。普天間飛行場に戻るオスプレイの隊長機
↑26日はお昼ご飯に肉野菜炒めを卵焼きで包んだような巨大オムレツを食べてから、郵便局で用事を済ませ、腹ごなしに嘉数高台公園までサイクリング。 
 政府要人が普天間基地を視察するといった場合に、よくニュースで登場する展望台がある。どこにある展望台だろうと思っていたが、今月初めに安倍総理が来沖した際のニュースでこの嘉数高台公園の展望台だと知り、一度見てみたいと思っていた。
 那覇方向から国道58号を宜野湾方面に進み、大謝名で右折。しばらく大きな道を走っていたが、路地を走りたくて住宅地の中に入っていった。途中で道がわからなくなり地元のおばさんに尋ねると、真っ直ぐ行くと潰れた社交街があるから、中を突っ切って大きな通りに出たら右折と教えてもらう。
 言われた通りに走ると、以前撮影に来た事のある真栄原社交街が現われた。この数年の警察による摘発でほぼ壊滅状態の街は、相変わらず静かでガランとしていた。
 大きな通りに出てからは公園への案内板が出ていたので、迷う事無く到着。家からゆっくり走って1時間半ほどだったろうか。
 公園に着いて直ぐに、タイミングよくオスプレイが相次いで基地に戻って来た。20分程の間に、4機(3機は撮影、1機は音だけ確認)。
 2時間ほど、嘉数公園で写真を撮った。来た道を戻り国道58号で家へ帰ろうかと思ったが、公園を出てから歩いている人に道を尋ねると、近くを国道330号が通っていて新都心に行けるというので挑戦してみた。全体的にゆるい下り坂で、思いのほか家まで早く着いた。行きの半分、45分ほどだったと思う。
 2月28日の沖縄タイムスweb版に、この日のオスプレイの飛行について「上大謝名で騒音102デシベル」という見出しで書かれていた。4機のオスプレイはタイで行われていた多国間軍事演習からの帰りだったようだ。写真は普天間飛行場に戻るオスプレイ。尾翼が赤く塗られているので隊長機だろう。
*2013年2月28日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)

10月25日(月)

 今日は午後から雨になってしまったが、昨日は快晴だったので小矢部川の土手を中心に2時間ほど自転車で走ってきた。今月21日に初冠雪を観測したという立山が、土手からハッキリ見えた。

雪を被った立山
小矢部川
仰ぎ見る 立山連峰 朝空に 輝くところ
躍進の 理想かざして 高らかに 生産の歌
声そろえ 声そろえ 共にうたわん 共にうたわん
ああ われら われら富山 富山県民

 土手から立山の写真を撮りながら、こんな歌を思い出していた。小学校の校歌だったか?中学校の校歌だったか?と調べたら「富山県民の歌」というものだった。とにかく学校でよく歌った記憶がある。 YouTubeから「富山県民の歌」。

 奄美大島の住用町に植物写真家・山下弘さんの写真ギャラリー「わだつみ館」がある。入り口にはカフェが併設されており、写真ギャラリーの他、実際に奄美の貴重な植物を二百数十種類展示したスペースもある。
 2011年の4月、「奄美の自然を考える会」の観察会に同行させてもらった時に初めて伺った。前年の奄美豪雨で被害を受けてしばらく閉館していたのが、再びオープンしたばかりの頃だった。
 不思議なもので、奄美に行く前は仕事以外で自然の風景や動植物を撮影することはほとんどなかったが、奄美に滞在していた2年間はいろんな人に案内していただいて俄かネイチャー・フォトグラファーとなった。しかし俄かなので、植物の名前を一つ覚えると一つ忘れるで、ちっとも知識は広がらなかったけれど。
 昨日、奄美関係の調べ物でネット検索していると、南海日日新聞の「植物写真家、山下弘さん遺志 妻・哲子さん語る」という記事が引っかかり、山下さんが今年の5月28日に肺炎のため死去されたことを知った。
 「わだつみ館」のホームページ(コンテンツ表示は右上にある)には、奄美の固有植物、奄美の絶滅危惧種、奄美の野生ランなどが解説付きの写真と共に紹介されている他、月ごとの開花カレンダーも掲載されている。
 ワダツミとは、日本神話に登場する海の神だそうだ。元ちとせの「ワダツミの木」は2002年に大ヒットしたが、奄美大島中南部の山裾に生育するクロタキカズラ科の落葉小高木が奄美大島固有の新種であることが京都大学の研究で明らかになり、2004年に元ちとせのヒット曲にちなんでこの木がワダツミノキと命名されたという。

わだつみ館01

←2011年4月24日に奄美の自然を考える会の観察会で立ち寄った時の、「わだつみ館」。再オープンしたばかりの頃だった。

↓奄美に自生する固有植物などを展示したスペース。確か「ワダツミノキ」もあったように思う。YouTubeから「ワダツミの木/元ちとせ」。

わだつみ館02

 小笠原諸島の海底火山「福徳岡ノ場」の噴火で放出された大量の軽石による被害が、日に日に大きくなっている。奄美大島の古仁屋と加計呂麻島を結ぶ町営船「フェリーかけろま」は、エンジンのフィルターに軽石が詰まりエンジントラブルとなる恐れがあることから、条件付き運行や欠航などダイヤに乱れが生じているという。糸満市喜屋武岬の沖合で訓練中だった海上保安部の巡視艇「しまぐも」は軽石を吸い込み航行不能となり、一緒に訓練中だった巡視船「いしがき」に曳航されて港に入った。
 今日の沖縄タイムスに、漂流してきた軽石が辺土名漁港を埋め尽くす動画が掲載されていたが、これでは漁にも出られないだろう。この大量の軽石を取り除くのも大変だが、今あるものを取り除けば解決するのか、それとも次か次へとこれからも漂着が続くのか。今回の「福徳岡ノ場」の噴火は、島だった桜島が大隅半島と地続きになった1914年の大正噴火に次ぐほどの大噴火だったそうだ。
 新型コロナ感染拡大防止のため東京、神奈川、千葉、埼玉、大阪の5都府県で続いてきた飲食店への時短要請、種類提供制限が今日から全面解除となった。

 この他の気になった記事を備忘録として。
首里城の「見せる復元」が苦戦 ツアーの人数がゼロの日も コロナ禍で関心が離れる不安【動画あり】
国民審査の対象裁判官11人、顔ぶれは?注目された判断一覧 衆院選と同時実施
1億5000万円問題、首相「十分説明」 候補者アンケート
安倍・菅政権の「負の遺産」清算、自民は末尾に数行のみ、多くの党は具体策示す 岸田首相は演説で「おわび」も...
温暖化対策は不十分「未来、マジでヤバい」「10代の声が聞こえてますか」 霞が関で危機感訴え

 Photo Diaryを更新。
*2013年2月9日のPhoto Diaryはこちら
2月9日のスナップ。民宿に現れた塩売り(マースヤー)

↑9日は、朝8時半頃に部屋から歩いて5分ほどの泊ふ頭旅客ターミナルビルとまりんへ。粟国島へのフェリーの乗船切符を購入。帰る日をまだ決めていないが、2週間有効だというので割引のある往復にした。
 今日は旧暦の大晦日で、明日が元旦。粟国島では旧の大晦日の夕方から元旦の未明にかけて、家々を唄い踊りながらまわるマースヤーという行事がある。それが見たくて前々から粟国行きを決めていた。
 粟国行きのフェリーは9時55分発。同じフロアにあるコンビニでポテトチップスとさんぴん茶を買って早めに乗船したが、船室はほぼ満席でデッキに並べられたベンチに座る。その後も、旧正月を実家で過ごす島の人達が次々に乗船。船内の通路にまでゴザが敷かれ、皆さん思い思いに座り込んだり寝転んだりしている。
 出航時間を少し過ぎて泊港を出る。外海に出ると途端に船は大きく上下に揺れだした。今日は風が強く波も高い。昨日は時化で、このフェリーあぐには出航しなかった。
 乗船時間は2時間ほどだが、アチコチに船酔いした風な人を見かける。自分自身も、椅子に座らず冷たい風に当たり、何とか気持悪くなるのを耐えた。ここまで揺れる船に乗ったのは久しぶりだ。昔、料理専門雑誌の取材で大分の関サバ、関アジの一本釣り漁の撮影で漁船に乗って以来かも。
 12時10分過ぎに、粟国港に到着。乗船所の2階に小さな観光案内所があり、島の地図、パンフレットを貰い予約を入れている民宿に向かう。想像していたより港に近く2〜3分の距離だった。
 民宿に入ると先客が。同じフェリーに乗船していたらしい5人の団体さんで、宿のおばさんが港に行っているようなので待ちましょうとのこと。食堂の椅子に腰掛けてしばし待つ。
 やがて宿のおばさんが帰って来て、5人の団体さんが部屋に案内される。5人の方達が、お腹が空いたという事でおばさんに昼食を頼むと、どう言う訳か私の分まで出て来た。
「いや・・・私、一緒ではないんです(汗)」
「まあ、いいから食べなさい」とおばさんに言われて一緒に昼ご飯を食べる。
  後で5人の方々は写真家の安里盛昭さん他、大学の名誉教授や博物館名誉館長、舞踊家の方々だと知る。  
 食事の後、ようやく2階の部屋に案内される。コイン式のエアコン、テレビ、折りたたみの机。6畳だが物がないからか、畳が大きいのか随分と広く感じる。
 マースヤーが始まるのは夕方から。まだ時間があるので、部屋に荷物を置き、少し休憩してから14時半頃に散歩に出る。今にも雨が降りそうな寒い天気で、傘を持って出る。案の定、散歩の途中から小雨が降ったり止んだり。
 粟国島の集落は浜、東、西の3つに分かれている。この3つの集落を一直線に走るメイン通りを中心に歩く。
 メイン通りから少し入ったところに粟国観光協会があったので、立ち寄って粟国島の旧正月の行事について少し教えていただいた。今日のマースヤーの始まりは、浜集落が早いとの事。
 ちなみに粟国村のホームページにはマースヤーについて、(旧大晦日〜旧元旦)11ある原や組ごとに地域内の各家々を練り歩いて歌や踊りで無病息災と豊穣を祈る行事と紹介されている。
 1時間ほど散歩しただろうか、だんだん雨が強くなりスニーカーの中の靴下まで雨がしみて来たので、民宿へと引き返す。
 雨に濡れて余計に寒くなったので、民宿のおばさんに布団を出してもらい一休み。
 そろそろマースヤーが始まっていると思い、18時30分頃に宿を出る。宿は浜集落にある。音のする方を探して歩くと浜のいり組のマースヤーが行われていた。
 塩売りが家に入り玄関や縁側で口上を述べ、用意された盆に塩を並べ終わると唄と踊りが始まる。男性の扇子を使った踊りに続き、女性の四つ竹を使った踊り。一軒はおよそ10分ほどだろうか。それを繰り返して家をまわって行く。
 島口なので、どのような口上が述べられているのか解らなかったが、こちらのページに
マースヤーの口上『ここの家の方が入っておいでとおっしゃたので入ってまいりました』
マースヤーの口上『これは火の神の塩、これは子や孫の塩、これはおじいさん・おばあさんの塩です』

と、あった。
 20時頃に一旦宿に戻りパパッと晩ご飯を済ますと、民宿のある浜のめー(前)組みのマースヤーを見学。しばらくすると民宿に塩売りが入って来た。その後は浜のくし(後)組のマースヤーを見学してから東や西集落のいろんな原(小字)のマースヤーを見て歩いた。
 塩売りが登場するのは浜集落の3つの組(小字)と、東集落の首里福原だった。浜の3つの組は初めに塩売りが家に入り口上を述べ塩を置くが、首里福原の場合は初めにミルク(彌勒)が登場し次に唄と踊り、最後にミルクの面を外した男性が塩を乗せたもっこを担いで玄関先に来て、用意されたお盆に塩を盛る。
 今回見れた小字(原・組)は、○浜集落 いり(西)組、めー(前)組、くし(後)組。○東集落 伊久保原、泊原、首里福原。○西集落 草戸原、巣飼下原。
 マースヤーを見学していると、観光客にも家からお酒や料理が振る舞われる事がある。夕方からマースヤーについて回り、見終えたのが夜中の2時半頃。宿に着いたのは3時だった。あまりの寒さに酔う事はなかったが、泡盛をかなりご馳走になり、いなり寿司や沖縄そばまでいただいた。リュックの中には貰った缶ビールが3本、ポケットにはサーターアンダギーが2個、お菓子がいくつか入っていた。ご馳走さまでした。
 マースヤーを一緒に歩いてみて、元々のエイサーとはこんな感じではなかったかと、ふと思った。
 塩売りが口上を述べ芸を披露して家々をまわるマースヤーは、まさに門付け芸だ。現在は旧盆とは関係なく踊られ全国的な大会が開催されるまでになったエイサーだが、元々はニンブチャーの念仏踊だったと言われている。

 エイサーを琉球の村々に広めたのは、芸能集団として京都からやってきた太郎こと、京太郎(チョンダラー)たちだったといわれています。彼らは正月には門付けの祝言をとなえ、葬式では鉦(かね)を鳴らして念仏をとなえながら、念仏踊りをした念仏者(ニンブチャー)でした。現在の那覇市首里にあったという行脚村(アンニャムラ)に集団で暮らしながら、村々を北部まで渡り歩いて念仏踊りを広めたようです。おきなわ物語より。

 本日の出費。泊港〜粟国港のフェリー往復6310円。ポテトチップス105円、さんぴん茶98円。写真は泊まった民宿の玄関に現れた、めー組の塩売り。

*2013年2月10日のPhoto Diaryはこちら
2月10日のスナップ。旧正月の記念写真
↑10日は、朝8時30分に1階の食堂で朝食。食べ終わり、部屋に戻って昨日のマースヤーの写真を見ながら忘れないように出来事をメモ。
 午後1時に熱いシャワーを浴びてから、今度は昼食。昨日一緒の船でいらした5人のうち、写真家の安里盛昭さん以外の4人の先生方は午後のフェリーで那覇に戻られる。
 相変わらず曇り空で、雨が降り出しそうな天気。それでも昨日程は寒くない。傘を持って散歩に出る。比嘉康夫さんの本を見ながら,地図に載っている御嶽を探して歩くが見つけられない御嶽もあった。
 2時間半程歩いて港で一休みしてから、宿に戻る。昨日の出来事を思い出しながらメモをし、少しウトウトしてから19時半頃に食堂へ降りて行く。安里さん、昨日から宿泊している女性達2人と一緒のテーブルで食事をし、その後近くにある宿の息子さんの家にみんなで行ってお酒を飲みながらゆんたく。
 夜の12時を過ぎてお開き。記念写真を撮って、歩いて30秒ほどの宿に帰って来た。写真は、宿の息子さんの家での記念写真。
*2013年2月11日のPhoto Diaryはこちら
2月11日のスナップ。大信丸の船長さんの家で行われた、フナウクシの祝宴
↑旧正月2日目は、フナウクシ。舟起こしといった意味だろうか?漁船だけでなく、町営船のフェリーあぐにでも安全を願って行事が行なわれる。 
 朝の7時頃にフェリー乗り場のある港に行ってみるが変化がないので、観音堂前の船溜まりへ。こちらも普段と変わらない様子だけれど男性が一人立っていたので話しかけると、ここで7時から船の祈願が行なわれるので待っているとのこと。一緒に待たせてもらう。
 7時30分頃に大信丸の船長さんがいらして、安全祈願の行事が始まった。船に松飾り、日の丸、万国旗が取り付けられる。その後、近くにある竜宮の神を祀った場所でお神酒やお米、お刺身を供えての祈願。お供えしたものを包んで船に戻り、塩を撒き、包みをほどいてお神酒、お米、刺身を供える。
 祈願の後、お神酒と刺身をご馳走になった。時間にして30分程だったろうか。
 朝ご飯を食べて寝て起きて、あまりお腹は空いていないが12時過ぎに食堂で昼食。13時頃に、那覇から到着したフェリーあぐにが停泊している港へ。
 通常は14時10分に那覇に向かって出航するが、今日は行事のために1時間遅い15時10分となる。車を運ぶ大きな貨物室にシートが敷かれ準備の真っ最中。少しずつ関係者が集まり、やがて演奏と踊りが始まった。町長さん、船長さんの挨拶などがあり、再び琉球舞踊が披露された。
 フェリーあぐにでのフナウクシが14時過ぎまで行なわれ、その後、写真家の安里さんに民宿の車で島の外れにある沖縄海塩研究所を案内していただいた。
 粟国の塩を2つ購入し、民宿に戻ってから、今度は朝に航海の安全祈願を行なった大信丸の船長さんの家へ案内していただいた。 安里さんに連れられて家に伺った時は宴もたけなわで、三線に合わせてカチャーシーが踊られていた。船長さんから日本酒、ビールをご馳走になり、沖縄に来て初めての中身汁をご馳走になった。
 一時間半程お邪魔して、19時頃に宿に帰る。今晩零時からハチウクシ(初ウクシ・村の起こし?)があるので、それに供えて仮眠を取る。
 本日の出費。粟国の塩2つ、900円。写真は大信丸の船長さんの家で行なわれた、フナウクシの祝宴。

10月22日(金)

 午後から天気が崩れるという予報だったので、郵便局とスーパーへ行くついでに珍しく午前中に小矢部川の土手を自転車で少しだけ走ってきた。
湯たんぽ
 新型コロナワクチンの2回目の接種から2週間以上経ち、新規感染者の数も少なくなっているので、昨日無料の特定健診を受けてきた。
 検診の後、9月の初めから痰がよく出るので相談すると、薬を処方された。痰を出しやすくする錠剤と、抗生物質の錠剤。
 それにしても、急に寒くなった。少し前から石油ファンヒーターが稼働しているが、今日から湯たんぽも使用。
 何台もパソコンがあると、あまり使わなくなるパソコンもあって、MacBook Proのメールを9月3日から開いていなかったら566件溜まっていた。そのほとんどが迷惑メール。
メール

 沖縄の海岸に小笠原諸島付近の海底火山由来と思われる軽石が大量に漂着しているが、喜界島奄美大島与論島といった奄美群島の海岸にも大量に流れ着いている。人体への有害性は考えにくいそうだが、今後漁業や観光への影響が心配される。

 この他の気になった記事を備忘録として。
再エネは「主力電源」、割合も倍増 脱炭素狙うも達成に課題多く
「高プロ」廃止、自民除く6党が賛成 政党労働政策アンケ
Dappi運営会社と“安倍の懐刀”自民党事務総長・元宿氏との関係! 社長は“自民党事務総長の親戚”を名乗り、元宿氏の親族の土地に家を

 Photo Diaryを更新。
*2013年2月1日のPhoto Diaryはこちら。(古波蔵、漫湖公園、ちょうちょガーデン)
*2013年2月3日のPhoto Diaryはこちら。(奥武山総合運動公園、おきなわ花と食のフェスティバル、島大根の粕漬)
*2013年2月4日のPhoto Diaryはこちら

2月4日のスナップ。野原のサティパロウ
↑起きると、外は美しい朝焼け。おにぎり3個とウインナーを6本焼いてお弁当を作る。家から一番近い駅、美栄橋を10時3分に出るモノレールで那覇空港へ。搭乗手続きを済ませ、出発ロビーで作って来たおにぎり2つ、ウインナーを3本食べて早めの昼食。
 今日は、12時20分発のスカイマークSKY545便で宮古島へ。上昇してしばらくすると、飛行機は宮古空港に向けて下降。乗っている時間は45分ほどだったろうか。
 宮古空港を13時33分に出る路線バスで、野原公民館へ。今回は、野原地区で旧暦の12月最後の丑の日に開催されるサティパロウを見に来た。
 サティパロウは里祓い。来訪神であるパーントゥの仮面を少年が被り、草の装束を着けた女性と一緒に集落をまわって歩いて、厄を祓う祭祀だ。1993年に国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 夕方6時くらいだと聞いていたので、まだ4時間ほどある。
  比嘉康夫さんの本にサティパロウを行う集落の簡単な地図が載っており、そこには商店が2軒記載されているが今は廃業しているようだ。カメラやパソコンが入ったバックがあるのであんまり動き回れないが、公民館の周辺を散歩していたら、昨年の10月島尻地区でお会いしたパーントゥを研究しに来ているというアメリカ人の女性とばったり会った。彼女もサティパロウを見に来たそうだ。
 やがて公民館にサティパロウの取材のために彼女がコンタクトをしていた集落の女性が車で迎えに来て、彼女達は祭祀で使う草を山の方へ採りに行った。
  一つ残っていたおにぎりとウインナーを食べていると、近所の家で飼っていると思われる小型犬がなついて来た。歩くとついて来るので、しばらく一緒に集落を散歩。
 30分ほどで草を集めに行っていた女性たちが戻って来た。サティパロウがスタートする、ニーマガーと呼ばれる古い井戸の前で準備をするというのでついて行った。女性たちが、頭や腰に巻き付けたり手に持つ草の準備をしている。
 5時半頃には女性たちが装束を着け終わり、5時40分頃に祭祀は始まった。何ヶ所かの四つ辻で円陣を組んで廻ったり、公民館を一周したりしながら集落の入口にたどり着く。時間にして40分ほどだったろうか。終着点で女性たちは草の装束を脱ぎ拝みを行う。参加した子供たちにはお菓子を入れた袋が渡され、それぞれ帰路につく。
 このサティパロウに古謝美佐子さんとプロデューサーの佐原一哉さんが見にいらしていた。せっかくなので20年程前にミュージックマガジンでネーネーズの取材で撮影させていただいた事を話すと、その取材の事は覚えていらした。ライターは田中勝則さん、当時の編集長の脇谷さんも同行していたように思う。
 サティパロウの撮影が終わり公民館まで歩いて戻り、今日から2日間泊まるゲストハウスに電話。公民館まで車で迎えに来てもらう。夜は宿泊客でたこ焼きパーティーをするというのでご一緒させていただいた。
 本日の出費。美栄橋→那覇空港290円、那覇→宮古3800円(1月21日に購入済み)、宮古空港→野原公民館200円、野原公民館→宿500円、宿泊費1000X2日分2000円、たこ焼き500円。写真はパーントゥのお面を被った少年を先頭に、厄を祓って歩く野原のサティパロウ。
*2013年2月5日のPhoto Diaryはこちら
2月5日のスナップ。来間大橋から撮影した海面
↑5日の午前中は、ドミトリーのベッドでウダウダと過ごす。昨日の天気予報では曇りだったが、昼頃に部屋を出ると超快晴。家から持って来た菓子パンを食べてから、やはり家から持って来たタンカン3個を持って散歩に出る。
 まずはゲストハウスから2キロほどの前浜まで。サトウキビ畑の中、青空の下を歩く。吹いて来る風が気持ち良い。途中やぎ汁、沖縄そばと書いた看板の店があったが、シーズンオフは営業していないようだ。
 前浜から海岸沿いの道を歩いて、来間大橋へ。来間大橋を渡り来間島に到着。ゲストハウスから、ここまでおよそ2時間。
 島に着いて直ぐの休憩所に地図があった。思っていたより集落はこじんまりとまとまっている。展望台に上り、集落の中を散策し、港に少し寄ってまた来間大橋へ戻って来た。
 来間大橋を渡って前浜に戻る。歩き疲れたのもあって、海岸に座って夕暮れをゆっくりと待つ。前浜からだと来間島の端に太陽が沈むようですね。
 すっかり暮れたので街灯のポツーーーーーーン、ポツーーーーーーンとしかないサトウキビ畑に挟まれた道を帰る。宿の直ぐ近くにあるAコープで晩ご飯用にお弁当を買おうと寄ってみるが、お弁当も総菜も売り切れ。しょうがないのでガイドブックの地図に乗っていたコンビニまで歩く。バス停にして2つ程先だった。
 お弁当や泡盛、パンなど買ってゲストハウスに戻る。外が暗いのもあってゲストハウスの入口を見過ごして往復で1キロほど余計に歩いたかもしれない。
 お弁当と家から持って来た沖縄そばのカップ麺で食事。シャワーを浴びて、泡盛をロックでちびちび呑んでから就寝。
 本日の出費。アクエリアス130円(来間島)、コンビニでスパイシーチキン串105円、復刻版ピーナッツパン120円、やんばる食堂のレモンティ105円、宮の華(泡盛)380円、アジフライ弁当398円。写真は来間大橋から見下ろした前浜の海面。
*2013年2月6日のPhoto Diaryはこちら
2月6日のスナップ。伊良部島の佐良浜地区
↑宿をチェックアウトし、最寄りのバス停・洲鎌へ。11時33分の平良方面のバスに乗車。平良から八千代バスに乗り換えて狩俣へ行ってみようかとも考えたが、バス乗り場が離れているのと便数が少ないので、平良港から船で伊良部島に行く事にする。
 運転手さんに平良港に近いバス停で降ろしてくれるように頼むと、西里バス停の少し手前で停めてくれた。今日の乗客はボクが初めてだと言う。途中からおばさんが一人乗って来て、運転手さんと3人で少し世間話。先日の宮古島で捕まった逃亡犯の話しをしてみたが、「宮古の人は口は悪いが、あんな事をする人はいないサー、びっくりした」とおばさん。あの事件は、かなり島の人達を震撼させたようだ。
 バスを降り、港へと歩く。平良港を12時30分に出航するスーパーライナーはやてに乗船。15分程で佐良浜港に着いた。島の詳細な地図も持っていないので、当てずっぽうで家が建ち並ぶ方へ歩く。斜面に密集する民家の間の路地を上って行くと、どこかに似ているなと思う。しばらく考えて尾道が浮かんだ。  
 集落の中を散策して港に下りて来ると、漁の帰りらしい漁船が一隻。寄ってみるとカツオとシビ(マグロの子供)の水揚げが始まった。
  水揚げが終わるのを見てから乗船所へ。朝に昨日買ったピーナッツパンを食べただけなので、待合室の売店でお弁当を購入。14時30分のスーパーライナーはやてで、平良港へ戻る。
 帰りの飛行機は宮古18時発のスカイマークSKY548便。16時に平良港から空港行きの無料バスが出るので、売店でミルクセーキを買って待つ。待っている間に、ノートパソコンで次の旅の手配。宿泊先を探す。最初に電話した民宿は満室。次に問い合わせた民宿は空いていたので2泊お願いする。3食付きで5000円。普通に考えれば安いんだろうが、1000円、2000円のドミトリーに泊まっているととんでもなく贅沢な場所のような気がする。
 5分程前に待合所を出てバス乗り場に行くと、すでにバスが停まっていた。運転手さんは洲鎌から西里まで乗って来た路線バスの運転手さんだ。無料バスが出ているのも、この人が教えてくれた。
 空港に着き、カウンターで搭乗手続きをしていると、使用機の到着遅れで出発が15分程遅れると告げられる。結局、飛行機は18時20分頃に出発。那覇には19時過ぎに到着した。
 モノレールで最寄りの美栄橋駅へ。家に帰り、冷凍してあったイカ墨ジューシーと、冷凍うどんを茹でて晩ご飯。
 テレビはずっと、ソロモン諸島で発生したマグニチュード8.0の地震による津波情報を流している。  
 本日の出費。洲鎌→西里250円、平良港・佐良浜港の船往復700円、お弁当370円、ミルクセーキ150円、宮古→那覇3800円(1月21日に購入済み)、那覇空港→美栄橋290円。写真は伊良部島の佐良浜地区。

10月19日(火)

 今日、衆院選の告示が行われ、9政党1050人前後が立候補し、465議席を争う。富山県内では3小選挙区に8人が立候補したが、一番驚いたのは全員自分より年下の人達だった。普段歳のことはあんまり考えないが、なんだか自分が歳を取ったことを実感させられた。
 国内最大級の産廃不法投棄事件が起きた豊島の処理事業が、公害調停成立から21年を経て、2022年度末で処理事業を終えることで合意したという。この豊島の事件では中坊公平さんが住民側の弁護団長を務めた。そういえば中防さんは・・・と検索すると2013年5月3日に亡くなられていた。森永ヒ素ミルク中毒事件、豊田商事事件と立場の弱い人に優しい弁護士だったという印象がある。

 この他の気になった記事を備忘録として。
沖合まで黒く濁った沖縄の海 「初めて見た光景で驚いた」と観光客 大量の軽石が影響か【動画あり】
漂着した軽石、35年前と「同じ顔」 原因は小笠原の海底火山 「黒潮反流」で各地に

 Photo Diaryを更新。
*2013年1月24日のPhoto Diaryはこちら
1月24日のスナップ。嘉手納に着陸する軍用機
↑風は少し冷たいが、晴れ。サイクリング日和。つい最近オスプレイの重低音ではなく、空を切り裂くような爆音が聞こえた。窓を開け、ベランダから空を仰ぐと上空に小さな飛行物体。今月14日から嘉手納基地に暫定配備されたF22ステルス戦闘機かな?
 せっかくのサイクリング日和なので、おにぎりとサンピン茶を持って嘉手納まで走ってきました。午後1時過ぎに家を出て嘉手納基地まで。2時間程で着いた。途中北谷のアメリカンビレッジの上空を旋回しているF22、F15?と思われる戦闘機に遭遇。嘉手納でしばらく基地を離発着する軍用機を見て帰って来た。
 家に戻りテレビを付けると、今日の沖縄は煙霧が発生していたとニュースが報じた。確かに、少し視界が悪かった。
 サイクリングに出かける直前に、アマゾンでポチッとした品物が届いた。400倍速8GBのCFカードを2個。インク4本、プリント用紙、ポータブルな外付けHDD。写真は嘉手納基地に着陸する軍用機。左下に少し写っているのは国道58号に植えられた木の葉っぱ。これで、いかに道路の上を低空で飛行しているかわかるだろうか。
*2013年1月26日のPhoto Diaryはこちら
1月26日のスナップ。伊江島の村踊

↑昨年の12月に完成した沖縄タイムスの本社ビルで、昨日から伊江島の芸能&物産フェア「いめんしょり 伊江島んかい」が開催されている。今日は本社ビルの中にあるタイムスホールで「伊江島の村踊」があるので、観に行って来た。
 昼の部は14時〜15時30分、夜の部は18時〜19時30分。13時頃に着いて、3階のホールに行くとチケットは既に完売。それでも若干当日券を販売するようなので、整理券を貰って列に並ぶ。開演の10分前、無事席に着けた。

プログラムから。
[第一部]1.主催者挨拶 大城勝正村長 2.創作舞踊 砂持節・ましゅんく節(伊江村郷友会女性部) 3.村踊 今日の誇らしゃ(西崎)、城の前(東江上)、じゆうに(西江上)、按司添前(阿良)、殿の御門(西江前)、次郎が(川平)、雨降花染(西江上)、汀間節(東江前)
[第二部]1.創作舞踊 伊江島郷友音頭(伊江村郷友会女性部) 2.村踊 門口池小堀(東江上)、扇様は(阿良)、笠吉田(西江上)、作たる米(東江前)、宮古節(川平)、見れば(西崎)、ヨイヨイ節(真謝)、シティナ節(東江上)、あかきな節(西江前) 3.フィナーレ 出演者全員で、ましゅんく節  *()内は字名。

 公演のチケットは1500円ですが、500円のクーポン券が付いている。1階の物産フロアでイカ墨じゅーしぃの素300円と、パイン味のモズクゼリー350円を購入。2つで550円にして下さったので、差額の50円を支払う。
 この国指定重要無形文化財に指定されている伊江島の村踊を見れるのは、11月に開催される村産業まつりの際に行なわれる村民俗芸能発表会の時だそうです。面白いのは、伊江島にある8つの字が毎年輪番で発表すること。なので全ての字の踊りを見るには8年かかることになる。少しずつでも一度に8字の踊りが見れた今回の公演は、貴重かもしれない。
 それにしても各演目は短いですね。1時間半の公演で、村踊として17の演目が披露された。司会の女性が、伊江島の踊りは世界一早いと言ってましたが、なるほど頷けるかも。長い踊りは4分程あるかもしれないが、大方が1分前後の踊りです。あかきな節は奄美大島から伝わったそうなので、あかきなは、嘗て大島代官所のあった笠利の赤木名集落の事だろうか。春の訪れの喜びを歌った踊りだそうです。写真は、あかきな節。 

*2013年1月28日のPhoto Diaryはこちら
1月28日のスナップ。ゴスペルを歌う会の抗議行動
↑ふいに目が覚めると身体が揺れている感じ。地震?とも思ったが寝ぼけているのかと思い、そのままもう一度寝てしまった。起きてから、やはり5時57分頃に沖縄本島近海で地震があったのを知る。那覇は震度1。
 午後から自転車で普天間へ。大山ゲートを過ぎて、伊佐の交差点を右折。坂道の途中を右折して基地のフェンスに隣接した住宅街に入る。喜友名から新城へ。自転車をフェンスの近くにとめて、フェンス沿いに普天間へ歩いて行くと叫び声が聞こえる。声のする方に向かうと野嵩ゲートだった。月曜から金曜まで、ゲートの前でオスプレイ配備の反対を訴える人達の抗議の叫びだった。
 ゲートの前で写真を撮っているとオスプレイが2機飛び立ち、戦闘ヘリのコブラが上空を旋回して行った。
 暫くして年配の女性が、赤い地に黄色でNO!!BASESと書いた紙を繋げた横断幕を車で運んで来た。高江の方で活動されているようで、今日の夕方6時から行なわれるゴスペル集会に合わせて持って来たとの事。紙の一枚一枚に、高江は遠くて足が運べない人達からのメッセージが書いてある。これをガードレールに取り付けるというので、お手伝いをさせてもらった。
 夕方、普天間基地ゲート前でゴスペルを歌う会の抗議行動が始まった。毎週月曜の18時〜19時まで、野嵩ゲート前で行なわれている。
 ゴスペルを聴いた後、ガードレールに括り付けた横断幕を撤収するのを手伝ってから自転車で帰宅。家に着いたのは夜の8時半だった。
 You Tubeから「沖縄県東村高江の唄/七尾旅人」「沖縄県東村高江の唄/青葉市子」。どちらのバージョンも良いですね。
その町には 武器など似合わない その町には シュロの木が揺れてた
*2013年1月29日のPhoto Diaryはこちら。(近所の天ぷら屋さん、イカ墨じゅーしぃ)
*2013年1月31日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)

10月16日(土)

 一昨日岸田総理が衆議院を解散し、今月19日公示、31日投開票で衆議院選挙が行われることが決まった。これにより当初10月24日を予定していた高岡市議会議員選挙も、衆議院選挙に合わせて31日となりダブル選挙になった。
 今日から天気が崩れるというので、昨日の午後、ミュゼふくおかカメラ館で岩合光昭さんの写真展『ねこづくし』を見た後、小矢部川の土手を自転車で走ってきた。紅葉はまだ里には下りてきていないが、雲や空気はすっかり秋めいている。暑くもなく寒くもなく。日が暮れるのも、いつの間にか早くなってしまった。
小矢部川の土手から01
小矢部川の土手から02
 先月、カーリー・サイモンの5枚組CDを購入してヘビロテで聴いていたが、今月はイギリスのフォーク・グループ、フェアポート・コンベンションのボーカリストだったサンディ・デニーのソロ・アルバム5枚組を購入してヘビロテで聴いている。
 しばらく前に偶然、フェアポート・コンベンションの「Farewell Farewell」をYouTubeで聴いた。「Farewell Farewell」はアイルランドのシンガー、メアリー・ブラックが歌っているのは聴いていたが、サンディ・デニーの歌う「Farewell Farewell」も味わい深かったので彼女の歌をちゃんと聴きたいと思っていた。
 今月は誰の5枚組を買おうかとアマゾンを眺めていたら、サンディ・デニーの名前が流れてきたのでポチッと押した。カーリー・サイモンのCDはoriginal album seriesだが、サンディ・デニーのCDは5Classic Albumというシリーズ。紙のボックスに紙ジャケのCDが5枚入っていて2,239円だった。やはり歌詞カードもライナーノーツもないが、サンディ・デニーの場合は家に五十嵐正さん監修の『フェアポート・コンベンション featuring リチャード・トンプソン』(シンコー・ミュージック)というガイド本があるので充分だ。
 今回のソロ・アルバム5枚組の中に「Farewell Farewell」は収録されていないが、他にも良い曲がいっぱいある。ちなみに、サンディ・デニーは1978年に31歳で亡くなっている。
 カーリー・サイモンの後に買ったチック・コリアの5枚組(厳密にはチック・コリアが率いるリターン・トゥ・フォーエヴァーのCDが4枚とチック・コリアのソロが1枚)。こちらはリターン・トゥ・フォーエヴァーの『LIGHT AS AFEATHER』とソロの『MY SPANISH HEART』はヘビロテで聴いたが、リターン・トゥ・フォーエヴァーの残り3枚は1回聴いただけ。ジョー・ファレルのフルート、フローラ・プリムのボーカルが聴ける第1期が、自分の好きなリターン・トゥ・フォーエヴァーなのだと理解した。
サンディ・デニーの5枚組CD
 YouTubeからサンディ・デニーの「Farewell Farewell」、メアリー・ブラックの「Farewell Farewell」。
 Photo Diaryを更新。
*2013年1月17日のPhoto Diaryはこちら
1月17日のスナップ。前川守賢さん
↑17日は午後から牧志のひやみかちまちぐわー館へ、前川守賢さんの民謡ショーを見に行く。一回目のショーは14時から30分間。10分程前に会場に着くと粗方席が埋まっていて、始まる頃には立ち見になっていた。
 守賢さんの父親が、照屋林助さんと漫談グループ・ワタブーショーを結成した守康さんというのは知っていたが、守賢さんについての知識はほとんど無い。それでもショーが始まれば「かなさんどー」「遊び庭(あしびなー)」も沖縄に来て半年で既に耳に馴染んだ曲になっている。テレビからよく流れている泡盛殘波のCMソングも、守賢さんの曲と唄だった。
 民謡も楽しかったが、標準語とうちなーぐちを交えての話しが面白い。リズミカルなうちなーぐちは、意味は解らなくてもだんだん楽しくなってくる。その最たるのが2005年に亡くなった林助さんのワタブーショーで、林助さんの唄を上手いな〜と思ったことはないが、陽気な呪文のように聞こえるうちなーぐちの話術にやられてしまう。心がドキドキすることを「チムドンドン」と表すうちなーぐちの、なんて素敵なことか。
 ショーの最後は、カチャーシー。曲が流れたとたん、客席からおばぁが何人か飛び出してステージで踊り始めた。奄美大島では六調が始まると踊りだし、沖縄はカチャーシーで踊りだす。島のDNAですね。
 せっかく牧志に出てきたので、商店街で小粒なタンカン15個200円と、1つ40円の野菜天ぷら2個、イカ天ぷら1個を購入。ついでに泊漁港に立ち寄って、380円のマグロの切り落としを買って帰った。
 阪神淡路大震災から、今日で18年。レコード会社の仕事で中国のロックバンド・黒豹を撮影しに北京、南京、北京3泊4日のロケから帰った翌日だった。その頃は家にテレビを置かない生活をしていて、夕方、乃木坂にあったデザイン事務所のテレビで震災を知った。テレビの無い生活は割りと長くて、オウム真理教の一連の事件もリアルタイムでは見ていない。その頃はインターネットも繋がっていなかったし新聞もとっていなかった。情報はどうしていたんだろうとも思うが、それで凄く不便を感じたわけでもない。
 TVニュースを見ながら阪神淡路から18年が経ったのかと思う一方で、東北の18年後はどうなているんだろう、とりわけ福島はと思いを馳せる。
 茂木経済産業大臣は福島第一の1〜4号機の廃炉について、現在30~40年間を見込んでいる廃炉作業期間の短縮を目指すとしている。そんな事ができるんだろうか。以前にも書いたが、これまで日本の原発で廃炉が決まったのは、日本初の商業用原子力発電所・東海発電所と、福井のふげんだけのようだ。そして、まだ完全に廃炉に出来るところまでは行っていない。
 東海発電所は、1998年3月31日に営業運転終了、2001年3月 燃料搬出完了、2006年8月熱交換器撤去工事開始まで進み、今後は2014年に 原子炉解体開始となっている。原子炉解体開始までに16年かかっている。
 ふげんは、2028年に整地まで持って行くと書いてあるが、一昨年の7月にチェックした時は運転を終了した2003年から35年かけて解体される予定と書かれていた。
 いずれにしてもシビアアクシデントを起こした訳ではないこれら2つの原発でさえ、廃炉には長い年月がかかる。まして、事故で高い放射線量が出ている福島第一の廃炉を考えると暗澹たる気持になる。短縮どころか40年でも終わらないかもしれない。そして、今も福島第一からは放射性物質が放出され続けている。写真は前川守賢さんの民謡ショー。
*2013年1月18日のPhoto Diaryはこちら。(部屋のベランダから撮影した軍用機、借りてきた本)
*2013年1月19日のPhoto Diaryはこちら
1月19日のスナップ。ムーチー
↑旧暦12月8日の今日は、ムーチー(餅)。この鬼餅の日には健康、長寿を祈願してお餅を食べるそうです。牧志公設市場の周りでは、ムーチーを台に並べたお店がアチコチに並んでいました。
 昔は各家庭で作り、子供のいる家は子供の歳の数だけ吊るしたそうです。 ムーチーを買う時に今もそんな光景は見れますか?と尋ねると、私は見た事がないので那覇では50年くらい前の話しじゃないかと言う。まあ、どこかの家庭では手作りのムーチーを今も吊るしていると思うけれど、一般的ではなくなったのかもしれない。
 沖縄でなぜムーチーを食べるようになったかは、こちらの民話を。童話や民話の多くにはエロスとタナトスが秘められていますが、このお話もそうなっています。 
 民話に出て来る鬼になった兄を妹が突き落とした崖が、金城町の内金城御嶽にある。昨年夏に首里城へ来た時にそんな由来も知らずに一度撮影しているが、ムーチーの日なのでもう一度尋ねてみた。
 牧志から安里に出て、坂を上り首里城へ。自転車をとめて、石畳の道で有名な金城町へ。石畳から少し外れたところに内金城御嶽がある。この御嶽には樹齢200年とも300年とも言われるアカギの大木がある。このアカギや御嶽をしばらく撮影していると、子供達を連れた先生や、観光客を案内しているガイドさんがやって来てムーチーの民話を紹介していた。
 石畳の道に戻ってNHKの連ドラ「ちゅらさん」に登場したと言う家の前を通ったり、金城町を色々とスナップして歩く。せっかくなら首里城で夕焼けを撮影して帰ろうと思っていたが、首里城に戻る途中で小さな森のような場所を見つけて、歩いて行くと崎山公園と書かれていた。上って行くと那覇の街並が見渡せ、遠く慶良間諸島の島影がきれいに見える。首里城行きはやめて、紅芋のムーチーと家から持って来たタンカンを食べながら崎山公園で日が沈むのを待った。
 ムーチーの行なわれる頃が一番寒い時期になることから、その寒さをムーチービーサーと言うそうです。昨日、一昨日は本当に寒かったですが、今日は日差しがあったので日中はポカポカでした。それでも日が傾き始めると、とたんに寒くなりました。ムーチービーサー。写真は月桃の葉で包んだムーチーの販売。
*2013年1月21日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダからの那覇市内、お年玉切手、お隣さんから貰った泡盛と缶詰)
*2013年1月22日のPhoto Diaryはこちら
市民大会で挨拶する翁長雄志市長

↑22日は、昨日と打って変わって雲の多い空。昼過ぎに一時本格的な雨になったが、その後は霧雨。
 布団の上でゴロンとなって、「来訪するマユの神 マユンガナシー(石垣島)」(ニライ社)を読む。読み終えてから、与儀公園の隣りにある那覇市民会館で行なわれる 「オスプレイ配備反対那覇市民大会」に出かける。

「オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会」次第から。
1.主催者あいさつ 那覇市長(共同代表) 翁長雄志
2.決意表明 
○那覇市議会議長(共同代表) 永山盛廣
○那覇市協働によるまちづくり推進協議会会長 銘苅春雄
○那覇市新成人代表 名護翔哉
3.大会決議・発表 那覇市自治会長会連合会会長(共同会長) 福治貞子
4.ガンバロー三唱 那覇市国際交流市民の会会長(共同代表) 伊藝美智子

 大会は18時5分に始まり、18時50分頃に閉会した。
 那覇市民大会に続き、東京でも今月の27日、28日に抗議が行なわれます。27日は午後3時から日比谷野外音楽堂で集会の後、銀座パレード。また、この東京での抗議活動に合わせて沖縄タイムス社は25日〜27日まで有楽町朝日ギャラリーで、戦後の沖縄で起きた事件・事故の写真や資料を集めた「刺さった記憶」展を開催する。入場は無料。写真は市民大会で挨拶する翁長雄志市長。

10月13日(水)

 夏日だった一昨日から一転、昨日から気温がぐっと下がり肌寒いくらい。
 昨日、DEE okinawaにヤギ刺しが買える自動販売機の記事が載っていたが、今日は琉球新報に新型コロナの影響でヤギ料理やヤギ肉の消費が激減して業者が悲鳴をあげているという記事が載っていた。ヤギ刺しの自動販売機も消費低迷の打開策として考えられたのだろうか?
 今月9日に発表された「都道府県魅力度ランキング」で群馬県が昨年の40位から44位に下がったことを受け、山本一太知事が「法的措置も検討」すると抗議しているそうだ。ランキングの根拠が不明確だというのが理由のようだが、逆に昨年の40位からアップした場合もその根拠を問うのだろうか?群馬県のことはよく知らないが、知事に魅力がないことはよくわかる。
 東電の小林喜光会長が就任後初めて福島県庁を訪れ、内堀県知事らと面会し「 再び信頼してもらえるよう、全力尽くす」と述べたそうだ。東電がこの言葉を発するのは何度目だろうか。もう東電のことは誰も信用していないと思うのだが。

 この他の気になった記事を備忘録として。
野党攻撃ツイッター「Dappi」が自民党と取引⁉ 正体はIT企業 ネット工作まん延か
「Dappi」情報工作巡り立民・森裕子氏「卑劣な行為、やらせるな」 参院代表質問 首相は原則論答弁
財務局、改ざん関連文書を不開示 自殺職員の妻請求に
「新しい資本主義」トーンダウン 「分配」後退、所得倍増など棚上げ 安倍・菅政権との違い見えづらく
立憲の衆院議員「拉致被害者生きてない」 抗議受けて謝罪と撤回
【コメント全文】「反省するため刑に服してまいりたい」池袋暴走事故・飯塚元被告、東京拘置所に収容
奄美・米軍「オスプレイ」、高度は140m前後

 今月7日にアマゾンのマーケットプレイスで購入した沖縄の写真家・比嘉康雄さんの神々の古層シリーズ『来訪する鬼 パーントゥ(宮古島)』が、11日の午前中に届いた。
 神々の古層は、奄美から与那国島まで琉球弧の祭祀を丹念に取材したシリーズで、全12巻にまとめられている。一巻に付き一つの祭祀、或いは一つの地域の祭祀が収められている。1993年には第43回日本写真協会年度賞を受賞しており写真集として紹介されているが、地図や図版、そして詳しい解説もあり学術書の要素もある。
 沖縄に滞在して島々の祭祀を追いかけている時に県立図書館で借りていたので一通り(自分でも撮影に行った祭祀を扱った巻は2、3度借りている)は読んでいるが、やはり手元に置きたくて富山に帰って来てから古本で値段が下がった時に一冊ずつ揃えている。
神々の古層01
神々の古層02
 今回の『来訪する鬼 パーントゥ』で8冊揃った。残りは『遊行する祖霊神 ウヤガン(宮古島)』『異界の神ヤガンの来訪 ヤガンウユミ(粟国島)』『海の神への願い 竜宮願い(宮古島)』『豊年を招き寄せる ヒラセマンカイ(奄美大島)』の4冊。まだアマゾンには新品でも入荷しているし、すぐに必要な本ではないので値段の手頃な古書が出たら買おうと思っている。
 比嘉康雄さんは2000年に62歳で亡くなられている。2010年11月2日~2011年1月10日、沖縄県立博物館・美術館で『母たちの神ー比嘉康雄展』が開催された。この写真展は残念ながら見ていないが、写真展の図録『母たちの神』を図書館で借りて見た。290ページにも及ぶ大型本で、神々の古層シリーズにない他の祭祀の写真も色々と掲載されていた。比嘉さんがもう少し長く生きていらしたら、この神々の古層シリーズはもう少し続いたのかもしれない。
 比嘉康雄さんの著作は沖縄に滞在していた時に図書館で借りてほとんど見ているが、プリントが一番美しいと思ったのは図録の『母たちの神』だ。この図録も手元に置きたい本だが、中古でもトンデモナイ値段が付いているので指をくわえて見ている。
 さて、宮古島のパーントゥだが、本が届いた日のFacebookに偶然<「コロナを追放したい」宮古島の「パーントゥ」今年も中止>という記事が流れて来た。これで2年連続中止だそうだ。
 Photo Diaryを更新。
*2013年1月1日のPhoto Diaryはこちら
1月1日のスナップ。首里城の元旦の儀式
↑元旦は朝6時頃に家を出て、自転車で首里城へ。6時30分頃に着いて、日の出が見れそうな場所を探して城壁の横を歩いて行くと、それらしい場所が。あいにく下の方には厚い雲がかかっているが、7時30分近くになって、雲から太陽が顔を出した。しばらく日の出を眺めてから、新春の宴が開催される御庭へ。
 8時30分の奉神門の開門時に門番が銅鑼を叩き「ウケージョー」と発する御開門の後、正月三が日は正殿で御座楽(うざがく)の演奏が行なわれる。
  御座楽の演奏から、メイン行事である朝拝御規式が始まるまで時間があるので、南殿・正殿・北殿の展示を観て歩く。
 10時から始まった朝拝御規式は、琉球王朝時代に前日から元旦にかけて執り行われた儀式だそうですが、多くの儀礼の中から「子之方御拝・にぬふぁぬうぬふぇ」、「朝之御拝・ちょうぬうぬふぇ」、「大通り・おおとーり」の3つが再現された。
 朝拝御規式を観た後、12時30分から下之御庭で行なわれる琉球芸能の宴「かぎやで風」「四つ竹」「黒島口説」の3つの演目を観て、13時から芝生公園で披露される旗頭の演舞を観た。
 旗頭の演舞の後、首里城公園と道を挟んで隣りにある玉陵(たまうどぅん)へ。 玉陵は、琉球王国の第二尚氏王統の歴代国王と家族が祀られた陵墓。チケット売り場の隣りにある展示室には玉陵の模型があり、遺骨を納めた厨子がどのように配置されているか分かるようになっている。
 14時過ぎに玉陵を出て、波上宮へ。途中、docomoショップがあったので画面が真っ暗になった携帯をみてもらう。多分、電池が切れたんだと思うが、最近電池の消耗が早い気がする。充電してもらったところ携帯は起動した。携帯を2年以上使っているので、電池を無料でプレゼントしてもらえるという事なので一つ送ってもらう事にした。
 15時頃に波上宮に着いて、参拝。ようやく初詣ができた。自転車で元旦の街を走ろうかと思っていましたが、朝6時から活動していて疲れているのとお腹が空いたので真っ直ぐ家に帰る。
 昨日買ったサーモンのアラと野菜で鍋を作り、お餅を入れてちょっと遅い元旦のお雑煮を食べた。写真は首里城の新春の宴。

*2013年1月4日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市上空を飛ぶ軍用機、奄美の自然を考える会の会報誌「きょらじま」)
*2013年1月6日のPhoto Diaryはこちら

1月4日のスナップ。農連市場の猫
 先月若狭図書館から借りて来た7冊の本のうち、神々の古層シリーズ「 巡行する神司たち マチリ(与那国島)」「異界の神ヤガンの来訪 ヤガンウユミ(粟国島)」「来訪するギレーの神 シマノーシ(渡名喜島)」の3冊と、「私の歩んだ写真の記録/金城 棟永」を読み終えた。
「私の歩んだ写真の記録」は昭和28年〜44年頃の那覇の様子を記録した写真集だが、本島南部・中部・北部、そして座間味島と八重山も少しずつ掲載されている。撮影日と場所が丁寧に記されているのが素晴らしい。
 今や大型のクレーン車で吊り上げて運ばれる那覇大綱引きの綱だが、本に載っている昭和36年の綱は そこまで巨大化していない。また現在は国道58号を使用しているが、この頃は若狭大通りで綱引きが行なわれていたようだ。米軍1号線と呼ばれていた当時の国道58号や、国際通りの変化がよく分かる。
 本の表紙に掲載されている着物姿の男女が立っている写真は、昭和38年4月4日に撮影された開南バス停留所とキャプションに書いてあったので、午後から運動がてら散歩に行って来た。
 国際通りから壺屋やむちん通りの横を過ぎて農連市場の手前で自転車をとめ、歩いて開南バス停へ。てっきり開南という住所があるものだと思っていたら、周辺の地名は樋川だった。しばらくバス停の周りを歩き、農連市場から牧志公設市場に足を延ばす。2時間ほど散歩して自転車を取りに戻り、日曜日で歩行者天国になっている国際通りを県庁側にゆっくり走り、昨年末に完成した那覇市役所の新庁舎を見て帰って来た。

 再放送のようだが、昨日「魂のゆくえを見つめて〜柳田国夫 東北をゆく〜」を観た。
 東北地方の伝承を記録した「遠野物語」、日本文化が沖縄・奄美と南島づたいに伝播したとする「海上の道」。どちらも読みたいと思いつつ、まだ手が出ない。
 昨年、奄美の唄者・築地俊造さんから「民俗学の愉楽/谷川健一」(現代書館)と言う本を借りて読んだ。この本のあとがきの後に柳田國男「フォークロアの原点」を語る、という文章があり、これがとても興味深い。前にも一度引用したが、

〜略〜
 記録にも何にも表れない人の生活というものが日本には八〇パーセント以上あるんですよ。悪いこともいいことも両方ともしなけりゃ記録に残りゃしないですからね。そんな連中の間には一人ひとりの個性なんてものは少なくて、共通性が非常に多いんですから。地方でこそそれはあるから、東北の人と、やはり四国・九州の人を見ると違うしね。そうかと思うと、思いがけなく四国・九州の人と東北が一致していることがあるんですね。それなど無意識に一致しているんです。こんなこと誰も知りません。むこうも知らず、こちらも知らず、旅人はなおのこと知らない。
 そういったようなものが日本のような長い島においては、どうしたって見ずにはおられないんだから。知らずにはおられないんだから。誰かが気をつけなきゃいけないといったような、ぼんやりとそういう気持ちを持っておったんです。
 つまり、埋もれてしまって一生終わるであろう、訴える道がなくしてしまうであろう、犯罪もしなければいいこともしないでいるっていうような人がね、ただなんとなく生き過ぎていくようなことを惜しがって、それに関する知識を残そうとしたのがフォークロアって言葉なんですよ。

 写真は農連市場の猫。

*2013年1月9日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダからの那覇市内とオスプレイ)
*2013年1月10日のPhoto Diaryはこちら。(泡盛・轟)
*2013年1月11日のPhoto Diaryはこちら
1月11日のスナップ。泊港の廃船
↑11日は久しぶりに晴れ。2日以来だろうか。
 特大のオムライスを昼ご飯に作って食べてから、牧志公設市場近くの商店街、おもろまちのスーパー、近所の八百屋で買い物。その後、日光浴を兼ねて自転車でぶらぶら。
 泊港から浦添方面に走り、国立劇場おきなわまで。ここで3月15日〜17日まで新作組踊「聞得大君誕生(ちふぃじんたんじょう)」が行なわれ、坂東玉三郎さんが出演する。5,000円かあ・・・orz。 
 劇場の横、キャンプ・キンザーの手前を流れる小湾川を橋から眺めていたら、小さな小さなマングローブを発見。那覇空港の近くにある瀬長島に渡る海中道路のところにも、わりと大きなマングローブがあった。沖縄は探せばアチコチにありそうだ。
 国立劇場おきなわから、来た道とは違う路地を探しながら泊方面に帰る。こうして路地から路地へ自転車で走っていると市街地の住宅密集具合がよく分かる。それはだだっ広いキャンプの芝生と対照的に存在している。
 泊を越えて、今度は若狭方面に自転車を走らせる。波之上ビーチにはポツポツと人がいた。しばらく腰掛けて休んでから、また泊方面へ。泊港で夕暮れの風景を少し眺めて帰って来た。
 今日、名護でタンカンの初出荷式が行なわれたそうだ。暮れぐらいから八百屋にタンカンが並んでいたのですが、今日、公設市場近くの商店街に机を置いて野菜を売っているおばちゃんから一袋買った。小さめのが11個入って200円だった。皮が薄くて固くて少し剥き難いが、甘くて美味しかった。奄美のタンカンはもう少し後、2月頃かな。
 RYUKYU CLASSICを呑み終えたので、昨日から轟を呑み始めた。これで沖縄に来てからの泡盛遍歴は、久米仙→菊之露→残波→忠孝→美しき古里→多良川→RYUKYU CLASSIC→轟。
 今日は昼から自転車で出掛けていて分からないが、このところ家の上空をオスプレイや軍用機が頻繁に飛んで行く。
 米政府は、嘉手納基地にオスプレイを2014年から16年までの間に9機配備する計画だと言う。また防衛省もオスプレイの導入を検討しており、2013年度予算案に調査研究費を要求している。
 安倍首相が訪米の手土産に、普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた埋め立て申請を検討しているそうだ。それに対し、地元名護市では反発の声が上がっている。
 基地問題と直接関係はないだろうが、仲井真知事が急性胆のう炎で昨日入院した。沖縄を取り囲む環境は、知事の身体を壊しそうな状況ではある。
 今月22日(火)の午後6時から、那覇市民会館でオスプレイ配備反対那覇市民大会があります。写真は泊港に置かれている廃船。
*2013年1月12日のPhoto Diaryはこちら。(部屋の掃除、お米のセット、プレゼント用のプリント)
*2013年1月14日のPhoto Diaryはこちら。(部屋のベランダから撮影したオスプレイ)
*2013年1月15日のPhoto Diaryはこちら。(598円のフライパン、携帯電話用の電池パック、煮物)

10月10日(日)

 暑かった。もう10月も10日が過ぎたのに、今日の高岡の最高気温は29℃の夏日。富山市の八尾に至っては30.7℃の真夏日になった。それでも明日からしばらく雨模様の予報なので、午後から買い物のついでに少しだけ自転車で走って来た。
 7日の夜に千葉県北西部を震源とする強い地震があり、東京でも東日本大震災以来の震度5強の揺れを観測した。この地震により新幹線や在来線が運休するなどして36万8000人に影響が出たそうだが、今日は埼玉県蕨市にあるJR東の変電所で火災が起こり、山手線、京浜東北線、埼京線、常磐線、宇都宮線、高崎線、京葉線、武蔵野線など8線が一時運転を見合わせた。
 居間にあるカレンダーでは明日は休日の赤い字になっているが、今日の北日本新聞朝刊に明日は平日ですという記事が載っていた。どうしたことだろうと思ったら、10月の第2月曜日は例年、「スポーツの日」として祝日となるが、今年は東京オリンピックがあった関係で平日になったそうだ。「スポーツの日」自体知らなかったが、とにかく明日は平日です。
 柳家小三治さんが、今月7日に亡くなられたそうだ。
 Photo Diaryを更新。
*2012年11月27日のPhoto Diaryはこちら
11月27日のスナップ。川平湾
↑27日は、朝方に激しい雨。今日は一日雨かな?と思ったが徐々に小降りになり10時にチェックアウトする頃には曇り空。雨は止んでも肌寒い。大きなバックを預かってもらい、散歩に出る。世持御嶽の舞台はもう解体されたかと思い見に行くと、昨日片付けた状態の まま。朝方の激しい雨で、舞台の片付けは延期になったのだろうか?
 まだ行っていなかった西桟橋まで歩き、海を眺め、町中を通りながら宿に帰って来るとスタッフがお昼ご飯を食べるところ。材料代分300円でご馳走になれるというので、お願いする。シチューとご飯とゆし豆腐、泡盛をショットで2杯。
 泡盛で頭と身体がほんわりしたところで、バックを背負って港まで歩く。片道670円のチケットを買い、待合室でしばらく待って、13時45分発のフェリーで石垣島へ。
 離島ターミナルから先日宿泊したドミトリーへ。チェックインを済ませ、荷物を置いて少し布団に横になる。23日に購入した全バス路線乗り放題の切符が使えるのは、今日まで。バスの時刻表を眺め、どの路線に乗るかを決めてバスターミナルへ。
 15時30分の米原キャンプ場線に乗り、川平へ。この路線は島の中程を抜けて海岸に出る。川平まで1時間20分ほどだが、他に乗って来る人もおらず貸し切り状態だった。川平に着いて湾を眺める。グラスボートの船が何隻も浮かんでいるが、あいにくの曇り空で肌寒く、観光客は疎らだ。バス停に戻り、帰りは17時30分の川平リゾート線でバスターミナルへ戻る。5日間乗り放題のチケットだが、竹富島に行っていたので使えたのは2日間。それでも一日2往復の川原線以外は乗れたかな?これで2000円はお得なチケットだと思う。
 そろそろ晩ご飯の時間なので先日食べに行ったのりば食堂に行こうと30分毎にでている白保線のバスを待っていたら、先に18時20分の伊原間・平野行きが来た。たしかこの路線も登野城七町内を通るので、運転手に確認して乗車。前回は700円の八重山そばセットを注文したが、今日は奮発して900円のとんかつセット。とんかつ、さしみ、小そば、油味噌。
 食べ終わってお店の前を18時55分発の白保線でバスターミナルへ。宿に戻る途中、コンビニで泡盛とお茶とポテトチップを買って帰る。
 ちびちびと泡盛を呑んでカプセル風のベッドに戻り、早めに就寝。23時過ぎ、寝ていたら携帯が鳴る。伊東さんから、明日沖縄に行くので那覇で飲もうというお誘いの電話だった。
 本日の出費。昼ご飯300円。竹富島→石垣島670円。晩ご飯900円。ポテトチップス138円、お茶178円、泡盛・八重泉389円。宿泊費1800円。写真は川平湾。あいにくの曇り空で、ちょっと残念。
*2012年11月28日のPhoto Diaryはこちら。(石垣島から那覇へ、伊東さんご夫婦、山羊料理)
*2012年11月29日のPhoto Diaryはこちら。(公設市場2階の食堂、刺身の切り落とし500円)
*2012年12月4日のPhoto Diaryはこちら。(衆院選挙の宣誓書兼請求書、みぞれ鍋、石油ファンヒーター)
*2012年12月6日のPhoto Diaryはこちら。(平和通り商店街の古着屋で買ったジーンズ、借りてきた本)
*2012年12月8日のPhoto Diaryはこちら。(ロッテのラミー、ブルーシールのアイスクリーム)
*2012年12月10日のPhoto Diaryはこちら。(不在者投票用紙、5年間の保証期間が終了したMacBook)
*2012年12月11日のPhoto Diaryはこちら。(泡盛・古酒 琉球)
*2012年12月13日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、カキフライ)
*2012年12月17日のPhoto Diaryはこちら。(撮影したTOMOKOカレンダー、オスプレイ、天ぷらと刺身盛り合わせ)
*2012年12月21日のPhoto Diaryはこちら。(キロ弁、9月に出版社のスタジオで撮影した書籍)
*2012年12月23日のPhoto Diaryはこちら
12月23日のスナップ。愛と怒りのサウンドパレード
↑今日は、オスプレイ配備反対、米軍基地の撤去を求める御万人大行進 愛と怒りのサウンドパレードが宜野湾海浜公園で行なわれる。
 朝起きると曇り空で肌寒い。それでも天気予報では雨は降らないというので、節約と運動不足解消に自転車で会場へ向かう。会場となる野外劇場は午前11時開場、抗議集会の開会式は正午。11時少し前に着いたら既にステージでエイサーが行なわれており、徐々に人が集まり始めていた。
 集会は予定通り正午に始まり、平和運動センター議長や国会議員の方々の挨拶やメッセージが続いた。
 サウンドパレードは予定の13時より30分ほど押してスタート。海浜公園の歓会門を出発して住宅地を通り、58号に出て普天間の大山ゲートまで2.3キロを歩く。参加者は主催者発表で3000人。10台のサウンドパレード用の車が間に入り、それぞれの音楽を奏でながらゆっくりと行進。 
 大山ゲートの広場で、パレードの最後尾が到着するまでミニ・ライヴ。パレード参加者が揃ったところで総括が行なわれた。閉会したのは、16時頃だった。 
 自転車を野外劇場近くにとめておいたので、サウンドパレードで歩いて来た道を辿って戻る。時折パラパラと小雨が降る中、帰りは海浜公園から牧港まで海沿いの道を通って帰る。
 1時間弱で家に到着。朝、肉まんを2つ食べただけなのですっかりお腹が空いた。うどんを茹でて、昨日作った肉豆腐と生卵をトッピングしてスキヤキ風うどんにして食べた。
 自民党の安倍晋三総裁が、普天間飛行場の移設問題で、名護市辺野古に移設したいと述べた。それに対して沖縄県の自民党議員が困惑しているという。そりゃそうだろう。
  先の衆議院選で毎日新聞が行なったアンケートによれば、普天間飛行場の移設先について沖縄4区の西銘恒三郎氏は無回答としているが、沖縄1区から出馬した自民の国場幸之助氏は、国外と回答して当選、沖縄2区で比例復活した宮崎政久氏は沖縄県以外の国内、沖縄3区の自民新人の比嘉奈津美氏も沖縄県以外の国内と回答して当選している。
 安倍氏は、民主の鳩山氏が最低でも県外と発言したことで日米関係を悪化させ、普天間問題を迷走させ、沖縄県民を落胆させたと強い批判をしているが、沖縄県の自民党議員との意見の食い違いが普天間問題をさらに迷走させることはないのだろうか?
 写真は宜野湾海浜公園の野外劇場。ステージに立つのは「艦砲の喰えーぬくさー」を歌うデイゴ娘。
*2012年12月26日のPhoto Diaryはこちら。(結婚祝いのお返しにいただいたお米のセット)
*2012年12月28日のPhoto Diaryはこちら。(部屋のベランダからの那覇市の夕暮れ)
*2012年12月31日のPhoto Diaryはこちら
12月31日のスナップ。100円の年越そば
↑31日は、午前中から一昨日やり残した大掃除の続き。窓を拭き、床を雑巾掛けして、ベランダの掃き掃除、玄関まわりの拭き掃除。 空き瓶やゴミを出してから、食材を買いに出る。
  野菜は先日、安里の栄町市場で色々買ったので、泊の魚市場いゆまちへ。場内を一通り見てサーモンのあら380円、セイイカのボイル250円、マグロの刺身500円を購入。一旦冷蔵庫に仕舞いに帰って、今度は牧志公設市場へ。桜坂劇場の前に自転車をとめて平和通り商店街に行くと、沖縄そばが100円で食べられるイベントが。昼に大盛りのオムライスを作って食べて、そんなにお腹は空いていないが100円に魅かれて列に並んだ。夕方前の16時に年越しそばを食べるとは思ってもいなかった。ラフティ、かまぼこ、青ネギが乗って100円とは思えないそばに満足。食べて良かった。
 しばらく商店街を歩いて公設市場へ。写真を撮りながら見て回って、けっきょく何も買わずにおもろまちのスーパーへ。沖縄そばの出汁と麺、天ぷら盛り合わせなどを買って帰る。
 最後に残っていたトイレを磨いて、今年の大掃除は完了です。
 夜、テレビを見ながらセイイカ、マグロの刺身、そして沖縄そばに天ぷらを乗せた本日2回目の年越しそばを食べた。
 今年も彼女の歌をよく聴いた。You Tubeから「Your Next Bold Move/Ani DiFranco」。写真は平和通り商店街でやっていた100円の年越そば。

10月7日(木)

 毎日新聞の世論調査で、発足間もない岸田文雄内閣の支持率が49%と半分に届かなかったことがわかった。これは岸田氏本人というより、党人事や閣僚人事での人選が国民から不評を買ったのだろう。文春は甘利幹事長の金銭授受問題を、新潮は高木国対委員長の下着ドロボー事件を再び紙面に投下して再燃させている。この他、
下着泥棒からイカサマ師まで。岸田政権の“自爆”入閣オンパレード
岸田内閣には「政治とカネ」疑惑大臣が9人も! 今後も不祥事続出の予感【リスト付き】
 と醜聞には事欠かない。ちなみに高木毅氏の父親は元敦賀市長で全国原子力発電所所在市町村協議会会長も務めた高木孝一氏だが、氏は志賀原発建設計画が進められていた石川県志賀町で講演した際「(放射能汚染で)50年後、100年後に生まれる子どもがみんな片輪になるかわからないが、今の段階では(原発を)やった方がよいと思う」と述べたそうだ。
 萩生田光一経済産業相が就任初の記者会見で、2050年の温室効果ガスの排出実質ゼロの実現に向けて「徹底した省エネ、再生可能エネルギーの最大限の導入、安全最優先での原発再稼働を進める」と述べたそうだが、徹底した省エネをするなら、先ずは新幹線の4倍もの電力を消費するリニアモーターカーの開通工事を中止したらどうか。
 厚労省は今月20日からマイナンバーカードの健康保険証としての利用をスタートさせるそうで、最近やたらとマイナンバーカードのCMを流している。しかし、カードを読み込むための専門の機械を導入している医療機関はまだ5.6%にとどまっているそうだ。もっと機械を普及させてからCMを流したらどうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
岸田首相に再調査求め手紙 森友文書改ざんで赤木さん妻
岸防衛相、インフルエンサー接触計画認める 省内外から批判の声
村上元議長、二審も有罪 富山市議会政活費詐取「供述、信用性低い」

 聞いていて、耳障りの良い声や喋り方がある。個人的な好みだろうが、この何年かのテレビで一番のお気に入りはNHKの火曜昼の番組「BENTO EXPO」に時々ゲストで登場するウクライナ出身のモデル・アンナさんで、日本人よりも丁寧な日本語の言葉遣いとフワフワしたしゃべり口は羽根で耳を触られているような心地良さがある。
 日曜の「サンデー・モーニング」に登場するTBSのアナウンサー・水野真裕美さんの声も、しゃべり口が柔らかくて堅いニュースもソフトに聞こえる。
 そして最近、心地良いなと思うのが現在放送中の朝ドラ「おかえりモネ」で神野マリアンナ莉子を演じる今田美桜さんの声だ。前出の2人のような柔らかさは無いが、真っ直ぐ明るい声で小気味いい。残念なのはモネが気仙沼に帰ったので、神野マリアンナ莉子が登場する機会がなくなってしまった。今月29日が最終回らしいが、神野マリアンナ莉子も仙台のテレビ局にメインキャスターとして就任した事だし、もう一回くらいは番組で声が聞けるだろうか。
 Photo Diaryを更新。
*2012年11月24日のPhoto Diaryはこちら
11月24日のスナップ。稽古の総仕上げ
↑24日は、朝9時過ぎにチェックアウト。大きなバックを共同スペースに置かせてもらって、近所を散歩。宮良殿内、権現堂、桃林寺などを見て歩く。途中にあったスーパーでお弁当や総菜を購入。宿の近くにある「ゆんたく館」で、買って来たお弁当を一つ食べてお昼ご飯。
 12時頃に宿へバックを取りに戻り、そのまま離島ターミナルへ。12時30分の竹富島行きの船に乗り込む。10分ほどで島に到着。桟橋を進むと島内を巡回するバスがあり、宿の名前を言うと前まで乗せて行ってくれた。チェックインを済ませ、3日分6000円を支払う。
 荷物を置いて、さっそく島内を散歩。明日奉納芸が行われる世持御嶽に行くと、幕を張ったりと準備の最中だった。横では大きな鍋で蛸を煮ていた。
 今回の旅行の目的は、竹富島の種子取祭(たなどぅい)を見る事。アチコチ散歩して宿に戻ってシャワーを浴び、早めに晩ご飯を食べようと思って支度をしていると、村内放送で明日撮影するカメラマンの方は、まちなみ館にお集り下さいというアナウンス。17時から撮影に関する講話が行われるというので、ご飯を途中にして駆けつける。
 種子取祭や、島に関する資料、明日・明後日の儀式の説明や撮影ポイントを説明して下さった。
 説明会は18時を少し過ぎた頃に終わった。資料に書いてあった今晩20時からの儀式の説明がなかったので、これは撮影できないのかと尋ねたら、説明するのを忘れたそうだ。
 一旦宿で晩ご飯を食べてから、教えていただいた家へ出かける。公民館でいただいた日程を説明したプリントには、「この日はフクミといい芸能の稽古の総仕上げの日。午後8時から公民館役員、石垣・東京・沖縄の各郷友会長などがブドゥイドゥン・狂言ドゥンを訪ねて挨拶し激励する」と書いてある。1時間ほど儀式を見学してから世持御嶽に行って、明日の奉納芸の舞台練習を見せてもらって宿に帰った。
 本日の出費。宮良殿内入場料200円。お弁当400円、おにぎり120円、寿司200円、魚天ぷら200円、カップ麺118円、カップ焼きそば128円。石垣島→竹富島670円。宿泊費3泊分6000円。写真は世持御嶽の庭に設置された舞台での稽古。
*2012年11月25日のPhoto Diaryはこちら
11月25日のスナップ。出番を待つ女の子

↑25日は、奉納芸能の初日。朝5時半頃に起きて支度をして、世持御嶽の隣りの彌勒奉安殿へ。
 この日の進行を、前日いただいたプリントから 書き出します。

 バルヒル願いの日、奉納芸能初日。
○午前06時00分頃
 彌勒奉安殿には公民館役員、有志、三郷友会長などが彌勒興しの祈願。
 玻座間御嶽では神司たちの祈願。
 その後、両者は世持御嶽に合流し、バルヒルの願い、イバン取りの儀式がある。
 場所を奉納芸能の舞台に移して、乾鯛の儀式が行われる。
○午前08時00分前 仲筋地区の主事宅へ参詣。 
○午前09時00分  世持御嶽へもどる
○午前09時30分頃 庭の芸能を奉納
 棒術、太鼓、マミドー、ジッチェ、マサカイ、祝種子取、腕棒、馬乗者の順で行われる。
○午前10時30分頃 玻座間村の舞台の奉納芸能が行われる。その順序は、玻座間長者、弥勒、鍛冶工、組頭、世持、世曳狂言など。曽我の夜討で初日の芸能は終了する。
○午後05時30分頃 イバン(九年母)戴みの儀式がある。
 それから世乞い(ユークイ)が始まる。ユークイは、種子取祭を統一した根原カンドゥをまつる根原屋から始まり、その後三集落に別れてユークイが深夜まで行われる。
・東集落 宇根屋、興那国屋、神司・顧問家、公民館長家、各家を回り最後は宇根屋。
・西集落 神司家、玻座間長者家、顧問家、主事家、各家を回り最後は上間屋。
・仲筋村 神司家、仲筋長者家、主事家を回り最後は顧問家。

 庭の芸能から舞台芸能へ。お昼近くになり、バッテリーのチャージ、データのバックアップを兼ねて一旦宿へ。2時間ほど休憩して再び舞台芸能を見に、世持御嶽へ戻る。販売コーナーで竹富島古謡集と手ぬぐいのユークイセットを購入し、舞台裏の受付へ寄付をおさめる。お弁当とお茶とお菓子をもらい、食べながら舞踊を観賞。
 17時半に奉納芸が終了し、イバンの儀式があり、19時頃に根原家からユークイが始まった。神司の後について歩き、ユークイに参加してみた。頭に白の手ぬぐいを巻き、庭に敷かれたゴザに座る。蛸とニンニク、お神酒(泡盛)をいただき、神唄をうたう。3軒ほど参加して宿に戻る。
 撮影データをバックアップして、バッテリーの充電をしていると宿の近くにある主事家にユークイの一行がまわって来た。明日の朝も早いので、少しだけ見学してから泡盛を呑んでベッドに入った。
 本日の出費。寄付5000円、ユークイセット1000円。写真は出番を待つ女の子。

*2012年11月26日のPhoto Diaryはこちら
11月26日のスナップ。奉安殿に戻った弥勒さま

↑26日は朝4時半に起きて簡単に支度をし、昨晩の根原家へ。5時前に着くとユークイの一団が集合し、ユークイ留めが行われた。この後、世持御嶽へ行きイバン返上が行われ、これでユークイは総て終了となったようだ。
 この日の進行を、いただいたプリントから書き出します。 

 午前5時、三集落のユークイの一団は、根原家で一つになってユークイ留めを行う。
○午前05時30分頃 世持御嶽へ。イバン返上を行ないユークイは総て終了。
 二日目のムイムイの願い。幸本フシンガーラの願い日とされ、それを祝して仲筋村のシドゥリャニが奉納される。 その後、前日同様の乾鯛の儀式が行われる。その後、玻座間村西地区の主事宅へ参詣。9時頃世持御嶽へもどる。
○午前09時30分頃 庭の奉納芸能(前日と同じ)がある。
○午前10時30分頃 仲筋村の舞台の奉納芸能が終日行われる。
 別途奉納芸能演目がある。仲筋村長者、彌勒、御主前狂言、種子蒔狂言、天人狂言などがあり、最後は鬼捕りで奉納芸能は終了。
○午後05時30分頃 芸能の奉納はすべて終了。
○午後06時30分頃 種子取祭首尾方の御礼(世持御嶽、彌勒奉安殿)を行う。

 お昼近くになりカメラと携帯のバッテリーチャージ、データのバックアップをしに宿に戻る。チャージしている間に石垣島で買って来たカップ麺で昼食をとり、シャワーを浴びる。宿に戻ってしばらくして外は台風並みの暴風雨。
 2時間半程休んで、雨が小降りになってきたので世持御嶽へ。一時より雨はだいぶ小降りになって来たけれど、電線の関係か電圧の関係かしばらく舞台の照明が、ついたり消えたり。それでもステージ裏に控える地謡の生音だけで舞踊は進んで行く。見事でした。
 最後の演目が終了し、世持御嶽で儀礼が行われ、舞台の片付け。畳やパイプ椅子、ござ等を運んで1時間ほどお手伝いして、宿へ戻る。
  宿でカップ麺とオリオンビールを買って簡単な晩ご飯。宿のゲストの方から泡盛や、イイヤチ、フーチャンプルーなどをご馳走になる。
 さすがにクタクタで、既に何がいつの出来事だか解らなくなっている。
 本日の出費。カップ麺とオリオンビール400円。写真は奉安殿に戻られた弥勒さま。

10月4日(月)

ひと晩たてば 政治家の首がすげかわり 子分供は慌てふためくだろう 闇で動いた金を 新聞は書き立てるだろう
ひと晩たてば 国境を戦果が燃えつくし 子供達を飢えが襲うだろう むき出しのあばら骨は 戦争を憎みつづけるだろう
アジアの片隅で 狂い酒飲みほせば アジアの片隅で このままずっと 生きていくのかと思うのだが


 今日の午後行われた衆参両議院会議の首相指名選挙で、自民党の岸田文雄氏が第100代首相に選出された。夜に行われた岸田首相の記者会見をネットで見ていたら、吉田拓郎の「アジアの片隅で」の歌詞が頭に過った。さっそくYouTubeで検索すると82年の『王様達のハイキング』ツアーでの「アジアの片隅で」の演奏が見つかった。このツアーはスタッフとして全ての会場について行っている。ステージの袖で人間ドンカマとして、曲のリストに書かれたテンポ数に合わせて曲のテンポ出しをしていた。確かメンバーの衣装はrenomaが提供したと思うが、スタッフに配られたTシャツもrenomaでTシャツなのに肩パットが入っていた(笑)。この3連系の跳ねたリズムはシマさんならでは。キーボードはエルトン永田さんと中西康晴さんのツイン。12分ほどの長い曲だが、飽きさせない演奏。

 ロシアが石川県能登半島沖で今日からミサイル発射訓練を予定しているが、ほとんど話題にならない。北朝鮮のミサイルや中国の尖閣沖の航行ではあれだけ騒ぐ人たちが、みんな静かにしている。不思議でしょうがない。


 エンゼルスの大谷翔平選手がシーズン最終戦で46号ソロホームランを放ち、日本勢では14年ぶりの100打点に到達した。本塁打王は逃したが、投打5部門で100を記録する「クインタブル100」を史上初めて達成したそうだ。ニュースやワイドショーで流れてくる大谷選手の爽やかなプレイと話題は、スポーツ観戦に興味のない自分でも楽しい気持ちになる。

 福島みずほと語ろう神奈川発 第2回オンライン集会で、映画監督の三上智恵さんが「沖縄の女性と神々の恵み」をテーマにお話をされている。おなり神、マブイ、宮古の祭祀・ウヤガン、そして大神島のことなど興味深いことが語られている。
 おなりとは姉妹のことで、沖縄や奄美では姉妹(おなり)が神となって兄弟を守護するというおなり神信仰がある。
 奄美の民謡「よいすら節」は、おなり神を歌ったものだ。

舟ぬ高艫(たかども)に ヨイスラ
舟ぬ高艫(たかども)に ヨイスラ
〔スラヨイスラ〕
白鳥(しるどり)ぬ いしゅり スラヨイ スラヨイ
〔スラヨイ スラヨイ〕
白鳥や あらぬ ヨイスラ
白鳥や あらぬ ヨイスラ
〔スラヨイスラ〕
姉妹神加那志(うなりかみがなし) スラヨイ スラヨイ

歌の意味は、<舟の高い舳先に白い鳥がいる。あれは鳥ではなく「をなり神」だ>
 YouTubeから「よいすら節/城南海」。

 初代琉球国王とされている舜天王は、源為朝の子だという伝説がある。加計呂麻島の実久集落には実久三次郎神社という実久三次郎を祀った神社がある。この三次郎もまた為朝の子だと言われている。となれば実久三次郎と舜天王は、異母兄弟ということになる。
「奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝」(角川書店)の記述では、実久三次郎は無双の大力で、一里半ばかりの海峡を隔てた奄美大島側の対岸にある西古見集落まで大きな櫂一掻きで渡ったというので、大櫂加奈志(うふゆほがなし)と崇められたそうだ。
 これらの伝説に基づけば、琉球国王の異母兄弟の末裔が加計呂麻島や対岸の西古見にいてもおかしくない。ちなみに加計呂麻島の東方をかつては鎮西村、西方を実久村と呼んでいた。源為朝は別名、鎮西八郎という。
↓実久三次郎神社。→三次郎のお墓。
実久三二郎のお墓
実久三次郎神社
↓平資盛を祀った諸鈍集落にある大屯神社で行われる、平家ゆかりのお祭り「諸鈍シバヤ」。
諸鈍シバヤ

 旧暦9月9日(クガツクンチ)に、実久集落では実久三次郎祭りが行われる。そして同じ加計呂麻島にある諸鈍集落でもこの日、諸鈍シバヤという国の重要無形民俗文化財に指定されたお祭りが行われる。諸鈍シバヤは源平の戦いに破れて落ちのびてきた平資盛が、土地の人々と交流を深めるために芸能を伝えたのが始まりとされている。加計呂麻島の東西で同じ日に、源氏由来と平家由来のお祭りが行われる不思議。
 今年の旧暦9月9日は、10月14日となっている。

 Photo Diaryを更新。
*2012年11月16日のPhoto Diaryはこちら
11月16日のスナップ。嘉手納の軍用機
↑朝ご飯の代わりに、一昨日貰った琉球の焼き菓子・こんぺんを食べる。中はゴマを練り込んだアンコでした。
 泊南公園で行われたヒマーチヌ御願の写真を公園近くの果物やさんに届けてから、久しぶりに自転車で遠出。嘉手納方面を目指す。
 国道58号を走り、浦添市を過ぎて大謝名に来た時に住宅地の上空をオスプレイが飛行しているのを発見。カメラを取り出すのが遅くて撮影できなかった・・・orz。
 家をお昼頃に出発して、もうすぐ1時。ちょっとお腹も空いてきて、どうしようかな?と悩んだ時に、最近チェックしている沖縄B級ポータルサイトDEEokinawaに紹介されていた食堂自流を思い出した。
 58号の大謝名の交差点から少し中に入った場所で、直ぐに見つかった。壁に貼られたメニューを見て、350円のカツ丼を注文。しばらくして出て来たどんぶりの蓋を開けて驚いた。卵でとじた野菜炒めの上にソースがかかっている。これは何だろうと思いながら観察すると、野菜の下に揚げ物が。
 ご飯、トンカツ、野菜炒めの卵とじ、ソースの順に重ねられている。普通のカツ丼でもないし、ソースカツ丼とも違う。ご飯の上のトンカツの半分に卵とじを、半分にソースをかけて、野菜炒めは別皿だったらもっといいのにな〜と思いながら美味しくいただきました。
 お腹がふくれたので国道58号に戻り、普天間基地の横を通り北谷へ。観覧車のあるアメリカンビレッジへ寄ってみる。しばらくビレッジ周辺を自転車で走り、また国道58号に戻り嘉手納まで。軍用機が続けざまに低空飛行で58号を横切り、基地の中に消えて行った。
 嘉手納から寄り道もせず国道58号を走って那覇へと帰る。新都心の辺りで空に茜雲。家に着いたのは6時頃で、嘉手納からゆっくり走って2時間ほどかかった。
 嘉手納のスーパーで買った黄桃の缶詰を食べようと思ったが、缶切りが見つからない・・・orz。写真は嘉手納空軍基地に着陸する軍用機。
*2012年11月17日のPhoto Diaryはこちら。(両陛下が国立沖縄戦没者墓苑を訪問されたのを報じるテレビニュース)
*2012年11月18日のPhoto Diaryはこちら
11月18日のスナップ。天皇陛下奉迎提灯大パレード
↑18日は昼ご飯を食べてから、スーパーへ買い出し。買って来た食材で、カレーと肉豆腐を作る。これで2、3日は料理作らなくても大丈夫かな?
 15日の七五三から初めての日曜日。波上宮に行くと、着飾った子供達が両親に連れられてお参りに来ていた。境内で写真を撮っていると、巫女さんに先導されて新郎新婦と親族の方々が鳥居をくぐり拝殿の中へ。神前式が始まった。この結婚式があるからか、少し端に寄せられたお賽銭箱に、小銭をチャリンと入れて、私もウートートゥ。お二人の幸せを少し祈ってみました。
 式が終わり拝殿の前で記念写真を撮影しているのを見てから、自転車で国際通りへ。国際通りを少し入った緑ヶ丘公園で17時半から、天皇陛下奉迎提灯大パレードのオープニングがあるので見に行く。天皇皇后両陛下は、糸満市で開催されるおきなわ豊かな海づくりフェスタ in 糸満のために昨日来沖された。今日はそれを歓迎して、18時から国際通りをスタートし奧武山公園まで日の丸の旗と提灯を持って歩くパレードが行われる。
 パレードは奧武山公園に到着し、川を挟んで両陛下がお泊まりになっているであろうホテルに向かって旗頭や空手の演舞などが行われた。
 20時過ぎ、来た道を辿りながら緑ヶ丘公園へと戻る。とめて置いた自転車で家へ。炊飯器のスイッチを入れ、カレーを温めて少し遅めの晩ご飯。食材を買うついでに100円ショップで缶切りを買ってきたので、食後に一昨日嘉手納で買った桜桃を食べる。
 沖縄で見る日の丸は、色んな事を考えさせる。主催者発表では、7000人がパレードに参加したそうだ。
*2012年11月20日のPhoto Diaryはこちら。(2013年のスケジュール帳、ベランダからの那覇市内)
*2012年11月21日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダから撮影した那覇市内の朝焼け)
*2012年11月22日のPhoto Diaryはこちら。(石垣島へ。天川御嶽、美崎御嶽)
*2012年11月23日のPhoto Diaryはこちら
11月23日のスナップ。石垣島の路線バスの中にいた蝶
↑23日は、10時少し前にチェックアウト。大きなバックをフロントに預かってもらい、隣りのバスターミナルへ。全路線バス5日間乗り放題のチケット2000円を購入。まずは大まかに島を一周してみようと思い、10時45分発の西方面・伊原間線に乗り終点の伊原間へ。12時15分に着くと、東方面からのバスが12時20分に到着。こちらは伊原間から先は平野線になり、島の先端の平野に行く。
 平野に到着したのは12時50分で、13時10分にバスターミナルに向けて折り返す。その20分ほどの間に小さな集落を少し歩いてみた。たぶん石垣島で一番北の集落だ。
 平野から伊原間までは同じ道だが、伊原間からバスターミナルまでは来た時と反対周りになる。この帰りの東方面の方が30分ほど乗っている時間は短く、終点のバスターミナルに14時40分に着いた。
 バスターミナルからホテルへ行き預かってもらった荷物を引き取り、今日泊まる近くのドミトリーへ。フロントでチェックインの手続きをし、カプセルタイプの部屋1800円を支払う。
 荷物を置き、明日から泊まる竹富島の宿に確認の電話を入れ、またバスターミナルへ。今度は16時15分の川平リゾート線で唐人墓へ。
  石垣島には1999年3月号の月刊「ホテル旅館」の仕事で一度来ている。この時は1泊2日で、石垣全日空ホテル&リゾート(現ANAインターコンチネンタル石垣リゾート)の撮影だった。撮影を終えて帰る日の午前中に、ホテルスタッフの女性がせっかく石垣島に来たのだからと唐人墓と川平湾を車で案内して下さった。
 唐人墓に来てみて、カラフルに装飾されたその建物が記憶より随分と小さくて、なんだか拍子抜けした。記憶はいつも実際より大きく覚えているもののようだ。
 帰りのバスまで1時間と少しある。唐人墓と道を挟んで反対側の堤防に腰を下ろして、海を眺める。沖には平べったい竹富島が見える。天気予報は曇り時々雨だったが、日中はほぼ晴れだった。午後も遅くなって雨雲が流れて来て、今、竹富島の上空にもかかりそうだ。
 バスターミナル行きのバスが来たので乗り込む。晩ご飯は、昨日自転車で店の前を通って気になっていたのりば食堂に行ってみる。ちょっと遠いが、ガイドブックの地図を見ながらトボトボと歩く。
 畳の小上がりに座り、そばセット700円を注文。ウコンを麺に練り込んだそば、じゅうしい(かやくご飯)、お刺身、小鉢は野菜の和え物、サービスの油ミソ。コンビニの弁当で済まそうかと思っていたけれど、食べに来て良かった。
 店名の示す通り、店の前は登野城七町内のバス停。支払いを済ませバスが来る時間の少し前に外で待っていたら、お店の女性が串に刺した物を持って出て来た。バスを待つ間に食べて、という事らしい。ターム(田芋)を揚げた物だった。ご馳走さまです。
 時間通りにやって来たバスに乗る。バスが動き出すと、はす向かいのおばあさんが乗り過ごしたという。ボクが今乗って来た登野城七町内で降りる予定だったのかと思っていたら、どうやらその3つ手前の空港入口で降りるつもりだったらしい。横の人と話しに夢中で乗り過ごしたそうだが、バス停4つ分は随分とのんびりしている。
 バスターミナルの一つ手前の博物館前で降りて、宿に帰る。木製のカプセルベッドにゴロンと横になり泡盛をちびちび。共有スペースから漏れて来る話し声と、お世辞にも上手とは言えない三線の音を聞きながら寝た。
 本日の出費。5日間バスフリーパス2000円。カレーパン140円、お茶120円、飴188円。宿泊費1800円。晩ご飯700円。写真は路線バスの中にいた蝶。

10月1日(金)

 太平洋側を通過中の大型大風16号の影響か、日中は日本海側の富山でも時折強い風と雨が降った。関東沿岸部では暴風雨となり、千葉では河川が氾濫した。
 昨日、シロアリ駆除の業者に来てもらって、家の床下全部に処置をしてもらった。以前も座敷にシロアリの被害があって駆除してもらったらしいが、今度は玄関の方が被害にあった。今回は家の床全部をすることで10年保証になり、その間に定期的に見回りもしてくれるそうだ。その代わり出費も大きく、父親、母親と3人でそれぞれお金を出し合った。作業は午後1時から始まり、3時半ごろに終了した。
 高岡万葉まつりのメインイベント「朗唱の会」が、今日から始まった。とは言え、今年も昨年に続き新型コロナの影響で、古城公園のお堀に特設ステージを設置してリレー形式で朗唱するのではなく、事前に収録したものを繋げてケーブルテレビとYouTubeで配信する形式になった。YouTubeはこちら
万葉まつり 朗唱の会のステージ写真
↑2016年10月7日に撮影した「朗唱の会」。来年は、この特設ステージでイベントが出来るのだろうか。
 一昨日行われた自民党総裁選で、岸田文雄氏が決選投票で河野太郎氏を破り第27代総裁に選出された。結局決選投票は自民党内の派閥の論理で票が動き、自民党の変われなさを露呈した。早速昨日から党内人事が少しずつ発表されており、幹事長には甘利明氏が抜擢された。甘利氏は都市再生機構との補償交渉を巡り建設会社から口利きを頼まれ、当時の秘書が500万円、甘利氏本人も大臣室などで100万円を受け取ったとされる。東京地検は不起訴としたが、閣僚辞任後「睡眠障害」を理由に国会を欠席していた。そしてそのまま、未だに説明責任を果たしていない。野党は合同調査チームを設置し追求するそうなので、是非本人の口から国会でちゃんと説明してもらいたい。
  説明責任と言えば、組織運動本部長に抜擢された小渕優子氏も自身の事務所の政治資金問題で家宅捜査が行われたが、捜査の前に会計書類を保存したパソコンのハードディスクをドリルなどの工具で破壊した疑惑が持たれている。こちらも元秘書2人を在宅起訴したが小渕氏本人は不起訴になっており、その後もきちんとした説明は行われていない。
 今回一番驚いたのは国対委員長に高木毅氏が抜擢されたことで、ネットでは既にパンツ高木が再燃している。
 総裁選中は「聞く力」をアピールして戦っていたが、聞く声は国民の声ではなく派閥のドンの声だったのかと思わせる人事だ。そもそも「聞く力」の証明としてプレゼンしていた岸田ノートだが、1年間であんな小さくて薄いノートが3冊。それで「聞く力」とは情けない。
岸田文雄氏
↑第2次安倍内閣の外務大臣として出席した岸田文雄氏。2013年6月23日、沖縄慰霊の日に平和祈念公園にて撮影。

 原発の廃炉に伴って生じる汚染度の高い放射性廃棄物について原子力規制委員会は29日の定例会合で、地下70メートルより深い場所に処分場を設けて約10万年間隔離するよう規制基準を定めた。10万年・・・

 この他の気になった記事を備忘録として。
高市早苗氏はなぜ敗北したか―ネット保守の過激すぎる応援がアダに
無免許人身事故の木下都議 辞めない意向を表明「議員活動でご奉仕したい」
東京オリパラ 選手・関係者のコロナ入院者数は当初発表の5倍 組織委が修正

 Photo Diaryを更新。
*2012年10月29日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)
*2012年11月1日のPhoto Diaryはこちら。(『大神島 記憶の家族』の複写、大神島のポストカード)
*2012年11月2日のPhoto Diaryはこちら。(那覇市の上空を飛ぶ軍用機)
*2012年11月3日のPhoto Diaryはこちら
11月3日のスナップ。城間松明大綱引
↑先月27日は冊封使行列、28日は琉球王朝絵巻行列が行われましたが、今日は12時50分から首里城で古式行列です。
 12時頃に家を出て、自転車で首里城へ。古式行列は正殿に王と王妃を迎えに来るところから始まります。正殿は有料区域なので、年間パスポートを作っておいて良かった。
 行列は守礼門を出て、龍潭池の横を通り鳥掘り交差点まで進みます。途中で赤田のミルク(弥勒さま)やエイサー隊、旗頭などが加わり所々で演舞を披露。
 王と王妃は先月見ているので、今日は聞得大君に会いたくてスタッフの方に行列のどこにいるか訪ねると、資料を見ながら、聞得大君は黒い籠の中ですが、人が乗ると担いで行列できないので空です。えっ!?どうも聞得大君は不在のようだ・・・orz。色んな地区の旗頭が集合しているようで行列はまだまだ続きそうだったが、16時頃に行列見学を離れて浦添市の城間に向かう。
 18時からサンパーク通りで行われる城間松明大綱引(グスクマ テービー)を見に行く。沖縄の綱引きも、今期はもうこれが最後だろうか?17時過ぎに会場に着いて、お弁当屋で買った鳥唐揚げとおにぎりを食べながら始まりを待つ。18時になって通行規制が行われ、トラックで大綱が運ばれて来た。この大綱は、先月真栄里の大綱挽で使われた綱を譲り受けている。 
 子供エイサーや子供綱引きの後、青年部のエイサー、婦人部の踊り、旗頭、保存会や浦添市長さんなどの挨拶があり、いよいよ大綱引きが始まった。
 沖縄の綱引きは、綱引きの前にガーエーが行われる。ガーエーとは我の張り合いらしく、旗頭対決や棒術対決、睨み合いといったガーエーをこれまで見て来たが、城間の綱引きでは婦人部のおしゃもじ合戦が繰り広げられた。二手に分かれて、大きなおしゃもじをぶつけ合う戦いだ。また、綱引きの後にも婦人部のぶつかり合いが行われた。こちらはホントに生身の身体をぶつけ合う。勝負の付け方も、どちらが勝ったのかもわからなかったが、その後は仲良くカチャーシーを踊って綱引き行事は終了した。21時頃にカチャーシーが終わり、名残を惜しむように天に向かって舞っていた2つの旗頭も仕舞われた。綱を運ぶトラックもやって来た。さあ、帰ろう。
 サンパーク通りから国道58号に出て、自転車で家に向かう。天気予報では曇りのち雨だったが、なんだか一日良い天気で終わった。さすがに夜は半袖のTシャツ一枚では過ごせないが、薄いヨットパーカーを羽織れば充分だ。写真は城間松明大綱引(グスクマ テービー)。綱引きの前に行われた婦人部によるガーエーで、大きなおしゃもじを持って相手を威嚇する。よく見ると奥の女性のおしゃもじが勢い余って地面に激突して折れている。
*2012年11月4日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダから見た雨の那覇市街)
*2012年11月7日のPhoto Diaryはこちら。(パン)
*2012年11月8日のPhoto Diaryはこちら。(肉まん、那覇市の上空を飛ぶオスプレイ、マグロの刺身と魚天ぷら)
*2012年11月11日のPhoto Diaryはこちら
11月11日のスナップ。農連市場の猫
↑昨日、今日と桜坂を中心にした街フェス・ASYLUMが開催されている。このところ部屋に閉じこもりがちだったので、散歩がてら出かけてみた。 
 桜坂劇場の前に自転車を止め、目の前の希望ヶ丘公園のサクラザカマルシェに立ち寄る。出店を見て回っていると、先月宮古島で泊まったゲストハウスのスタッフをしていた男性とバッタリ再会。先月の末にヘルパーの仕事を辞めて那覇に来て、これから本島の北部に少し行くらしい。よい旅を。
 公園を出て、久しぶりに公設市場、農連市場とその周りを散歩。農連市場の中を流れる川で釣りをしているオジさん達がいて、たくさん釣れている。黒いので最初は鯉かと思ったら外来種だそうで、何かの餌にするらしい。あまりに釣れるので腕が痛くなるし、切りがないといって暫くして竿を仕舞ってしまった。
 壺屋から桜坂に戻り自転車で家に戻る途中、パラパラと雨が降って来た。そう言えば明け方、一瞬目覚めた時は激しい雨音が聞こえていた。写真は農連市場の猫。
*2012年11月12日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)
*2012年11月13日のPhoto Diaryはこちら。(理容こうのいけ、泡盛・多良川)
*2012年11月14日のPhoto Diaryはこちら
11月14日のスナップ。魅川憲一郎さん
↑先日の日曜日、近所の電信柱にお知らせと書いた張り紙を見つけた。11月14日の午後1時から泊の「村ウガミ」ヒマーチヌ御願を、泊南公園で執り行いますというものだった。
 ヒマーチヌ御願・・・何だろうと気になっていたので、今日、昼ご飯を食べてから自転車で5分くらいの泊南公園に行ってみた。12時40分頃に公園に着くと既に始まっているようで、公園の隅にある拝所で御願でいる方、公園の真ん中に設けられたテーブルと椅子でゆんたくされている方々がいらした。ご夫人ばかりで少し気後れするが、張り紙を見て興味があって来ましたと告げ、少し話しを聞き、少し写真を撮らせてもらった。
 午後1時から4時までと張り紙に書いてあったので、ここに集合して泊村(現在の泊1、2丁目)にある拝所を巡るのかと思っていましたが、代表の方が午前中に7箇所ほどの拝所で安全や健康を祈願されたようです。
 次々に集まっていらっしゃる方は、公園の隅の拝所で御願をされお札をもらいます。ヒマーチヌは火まつりという意味で、火事にならないようにお札を台所に貼るそうです。
 女性だけで行う祭祀ですかと尋ねたら、昔は男性が多かったが時代が変わって男性は会社勤めになり、参加できなくなったそうだ。今日は旧暦の10月1日で、平日だ。確かに平日の昼間だと、勤め人は参加するのが難しいですね。
  拝所の上には石があり、隠居のお嶽と彫られている。隠居されたのは、近くにある崇元寺(そうげんじ)のお坊さんだそうだが、それと火の神様がどう結びつくのかはわからなかった。ちなみに崇元寺は沖縄戦で焼失し、現在残っている三連アーチ型の石門は重要文化財に指定されている。かつては尚氏王統の霊を祀るお寺だったそうだが、今は公園になっている。
 色々と教えていただいて公園を出ようとすると、お土産ですと果物の入ったビニール袋をいただいた。
 泊南公園から自転車で国際通りへ。平和通り商店街の中に、ひやみかちマチグヮー館というイベント会場があり、無料で観覧できるというのを最近知ったので行ってみた。今日は14時〜14時30分まで魅川憲一郎さんのものまね歌謡ショーだった。魅川憲一郎さんは、沖縄に引っ越してからローカルのテレビ番組でよく観る。大人気で開演直前に椅子を追加したが、立ち見の方もけっこういらした。
 歌謡ショーの後、市場を少し散歩。直ぐに帰るのも勿体ないので牧志、辻、若狭の路地をぷらぷらと自転車を走らせる。波之上ビーチにも寄ったが、さすがにもう泳いでいる人はいなかった。
 今日の党首討論で明後日16日に衆議院の解散、来月4日に公示し、16日に選挙と言う流れが濃厚になった。夜、政局についてのニュースを見ていると、森 光子さん死去のテロップが流れる。女優の森 光子さんが10日に亡くなられた事がわかった。写真は魅川憲一郎さん。

9月へ