HOME TOP  
バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表
◯製作中の2011~2014 Photo Diary

2021年カレンダー

◯9月6日  サンエール 16:00〜16:30
◯9月27日 サンエール 16:00〜

◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

2022年8月22日〜8月27日 式年遷宮祭

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
道祖神
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
◯富山県 新型コロナウイルス感染症について 
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U
◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

メディア関連
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」ミュゼふくおかカメラ館
富山の祭り写真集に 福岡町の木原さん 北日本新聞
木原盛夫 写真展「とやま、祭り彩時季」 たかおかストリート
カメラ館で木原盛夫展 高岡ケーブルテレビ
写真で巡る富山の祭り 木原盛男写真展 高岡ケーブルテレビ
歴史ある寺社・文化紹介 高岡御旅屋セリオで木原さん写真展 北日本新聞
高岡の文化伝える写真 御旅屋セリオ 木原さんが個展 中日新聞
高岡まちなかギャラリー - 御旅屋セリオ
祭りの写真で地域を学ぶ 高岡・福岡の寺子屋サロン
祭りの雰囲気 写真で感じて 中止相次ぐ中 福岡の木原さん展示 中日新聞
木原盛夫さん写真展 県内の祭りなど題材に 北日本放送
富山の祭りを写真で紹介 木原盛夫写真展 朝日新聞
県内の祭礼や伝統行事写す 木原さんが写真集寄贈 北日本新聞
木原さん、祭りの写真集を寄贈 高岡ケーブルテレビ
2020年9月18日OA分 いいねとやま#219 チューリップテレビ

ブログなど
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」 ゆきれぽ
今年のお祭りは 写真展で・・・・・・ yoshijunのブログ
たかのたわごと 新川神社のブログ
200814木原盛男写真展高岡彩時季御旅屋セリオ5階3 42
200805ミュゼ福岡カメラ館とやまの祭り木原盛男写真展6 26
ミュゼふくおかカメラ館(富山県高岡市)の木原盛夫 写真展 『とやま、祭り彩時季』(~9/27)
祭りの色彩に思いをはせて  タビノイロドリ
カメラ館 フクチアンの日記
ミュゼふくおかカメラ館「とやま、祭り彩時季」へ とやまおでかけ日記

9月28日(火)

 昨日、2回目の新型コロナワクチンを接種してきた。昨日はそうでもなかったが、やはり今日になってワクチンを打った左腕が少し痛い。発熱や怠さはないが、少しだけボーッとしている気がする。それ以外の目立った副反応は今のところ無し。
ワクチン接種の案内メール
ワクチンの接種証明

↑ワクチン接種の前日に、自治体から送られてきたメール。ネットで接種の予約をした人には自動で送信される仕組みなのだろうか。うっかり忘れる人もいるかもしれないので、親切な取り組みだと思う。

←ワクチンの接種証明。

 しばらく前に購入したカーリー・サイモンの5枚組CDをヘビロテで聴いたので、今度はフランソワーズ・アルディかカーラ・ボノフでも買おうかとアマゾンのサイトを見ていたらチック・コリアの5枚組CDがあったので、こちらを購入。カーリー・サイモンのCDはoriginal album seriesだが、チック・コリアの CDはClassic Album Selectionというシリーズでジャズが多いようだ。チック・コリアのCDとなっているが、厳密にはチック・コリアが率いるリターン・トゥ・フォーエヴァーのCDが4枚とチック・コリアのソロが1枚だ。早速iTunesに取り込んで聴いている。YouTubeから「Spain/CHICK COREA and return to forever」。
チック・コリアのCD

 今朝も北朝鮮から日本海に向けてミサイルが発射された。自民党の総裁選が始まってから、北朝鮮の動きが慌ただしい。不思議だ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
自民総裁選4候補は無回答 沖縄南部土砂の基地建設使用で質問状
高岡 商店街の空き店舗がホテルに 閉店した文苑堂駅前店が中核施設に
二階氏「あれ以上の説明ありますか」 参院選で党支出1.5億円巡り
河野氏は受け取り拒否、回答は野田氏だけ 「桜を見る会」公開質問状
文在寅大統領 犬肉食文化「禁止を検討する時期」
被差別部落の地名公開はプライバシーの侵害 出版禁止など命じる判決
デジタル庁次官級、接待したのはNTT 平井デジタル相は2回同席、半年後に割り勘 異例の追加説明
河井案里氏の買収事件で自民幹部が会見「1億5000万円から買収資金出していないと報告あった」

 Photo Diaryを更新。
*2012年10月12日のPhoto Diaryはこちら
10月12日のスナップ。前浜ビーチ
↑12日は宮古島最終日。宿のレンタサイクルでママチャリを借りて、朝の10時頃に出発。平良港からパイナガマビーチ、そのまま390号を進み前浜ビーチの案内板が出たところで235号に。東急リゾートの隣り、前浜ビーチに着いたのは正午近くだった。
 白砂に、ブルーからエメラルドグリーンのグラデーションが美しい海。青い空と白い雲。絵に描いたようなリゾートの風景を少し眺めてから、来間大橋に自転車を走らせる。橋を少し進むと、下を眺めていた男性が手招きをする。ウミガメが2匹いて、もうすぐ浮かんで来ると言う。横に並んで海面を見る。1匹が浮かんで顔を出し、また潜って行った。タイマイという種類だそうだ。
 しばらく来間島の方へ自転車で進むが橋の上は風が強く、そうそうに引き返す。
 来た道を辿りながら390号に出て、下里(南)で市街地に入る。西里大通りのミヤコセントラルホテルのレストランで、遅い昼ご飯。750円の日替わりランチはポークジンジャーで、スープ、ミニサラダ、フリードリンク、デザート付き。ゆっくりランチを食べて3時頃に宿へ戻る。荷物の入れ直しをして、宿の近所を散歩してから西里通り入口のバス停に向かう。
 16時13分のバスで、空港へ。搭乗手続きを済ませ、出発ロビーでゆっくりと休憩。スカイマークSKY548便は、宮古を定刻の18時に出発し、那覇に定刻の18時50分に到着したようだ。預けた手荷物を受け取り、ゆいレールで美栄橋へ。家に帰っても冷蔵庫はほぼ空なので、前から気になっていたハイウエイ食堂へ。480円のカレーを注文。
 小雨の中、部屋に帰り、シャワーを浴びてから宮古島で撮影した写真をパソコンにバックアップする。写真は前浜ビーチ。対岸に見えるのは来間島。
*2012年10月15日のPhoto Diaryはこちら。(泡盛・美しき古里、カーブチー、借りてきた本)
*2012年10月18日のPhoto Diaryはこちら。(北のエレキガール@アパッチ)
*2012年10月21日のPhoto Diaryはこちら。(農連市場)
*2012年10月23日のPhoto Diaryはこちら。(500円の牛カルビ切り落とし定食と300円のマグロキムチ)
*2012年10月24日のPhoto Diaryはこちら。(桜坂劇場の会員証、沖縄そばにラフティ)
*2012年10月25日のPhoto Diaryはこちら。(ラフティ丼、「笑芸!チャンプルー〜沖縄の巨人・照屋林助〜」)
*2012年10月26日のPhoto Diaryはこちら。(首里城祭初日、琉球舞踊、獅子舞)
*2012年10月27日のPhoto Diaryはこちら
10月27日のスナップ。栄町市場屋台祭り
↑27日は首里城祭2日目。今日は午前11時50分から13時10まで首里城公園内で、冊封使行列と册封儀式が行われる。パンフレットには、”琉球王国最大の儀式。中国皇帝が使者を派遣し、皇帝の名のもとにその国の王を任命する琉球国王の即位式「冊封儀式」を再現します。”と書いてある。
 水筒にアクエリアスを詰めて、今日も自転車で首里城へ。安里を過ぎて続く長い上り坂がつらい。
 首里城公園に着いて下之御庭に行くと、丁度11時からの琉球舞踏が始まるところだった。20分程のステージを見終えてチケット売り場で首里城公園の年間パスポートを作る。冊封儀式が行われる御庭は有料地区で、入場料が1回800円。年間パスポートは1600円で何回も利用できるので、今後の事も考えて作る事にした。
 守礼門の近くから始まった冊封使行列を撮影し、その後正殿の前の御庭で繰り広げられた册封儀式の再現を見た。冊封儀式が終わってからは、下之御庭で行われる伝統芸能の宴を観たり、せっかく作ったパスポートを使い有料エリアで開催されている特別企画展を見て過ごす。
 16時過ぎまで首里城公園でのんびり過ごした後、自転車で栄町市場へ。下り坂のほぼ一本道だ。17時少し前に市場に到着。しばらく自転車で周辺をまわってから市場のアーケードへ。並べられたパイプ椅子に座り、屋台祭りの始まりを待つ。今日は、僕のように栄町市場を舞台にした映画「歌えマチグヮー」を観て遊びに来た人も沢山いたかもしれない。
 17時30分頃にスタートして、終わったのは22時に近かったと思う。 栄町ダンサーズ、 おばぁラッパーズも楽しかったけれど、マルチーズ・ロック擁する栄町オールスターズの「ダウンタウン・パレード」が個人的にはとても良かった。
 本日、栄町市場の屋台や総菜屋さんで買ったもの。鶏の唐揚げ100円、オリオンビール200円、ポーク玉子おにぎり100円、ごぼうの天ぷら50円、肉味噌200円、漬け物100円、天ぷら3個100円。
 昨日は桑名さんの訃報を知ったが、今日の朝、ネットのニュースで佐藤 博さんの訃報を知る。
 1970年代中頃〜80年代前半によく聴いていた吉田美奈子や山下達郎、大滝詠一、ティンパンアレー系のミュージシャン。それらのレコードに、キーボードプレイヤーとして一番参加していたのが佐藤 博さんだと思う。認識としてあっているか解らないが、僕の中でフェンダーのローズピアノは、佐藤 博さんだったりする。写真は栄町ダンサーズ。
*2012年10月28日のPhoto Diaryはこちら
10月28日のスナップ。琉球王朝絵巻行列
↑小麦粉を水で溶いてフライパンで焼く。天かす、昆布、干しえび、青のりをトッピングして、ソースの代わりに昨日栄町市場で買った肉味噌を塗る。美味かった。
 首里城祭3日目。今日は12時30分〜14時30分まで国際通りで琉球王朝絵巻行列が行われる。
 パンフレットによると、”史実をもとに琉球王朝の華やかなりし姿をイメージし、一大絵巻として再現します。琉球国王・王妃行列に中国の使者冊封使行列と伝統芸能行列を加えた時代行列「琉球王朝絵巻」。約1000人が繰り広げる一大絵巻は壮観!必見です!”
 お昼ご飯に、ちょっと貧乏なお好み焼きを食べた後、アクエリアスを水筒に詰めて自転車で国際通りへ。12時過ぎに、国際通りの牧志駅側に到着。行列は反対端の県庁側からスタートするので、歩行者天国になっている道を歩いて向かう。
 行列のスタート地点に着いた時は、ちょうど翁長・那覇市長が開会宣言をしているところだった。昨日の栄町市場の屋台祭りにも翁長市長はいらしていて、挨拶をされていた。なかなか市長、多忙である。
 歌・三線隊を先頭にスタートした行列としばらく一緒に歩きながら写真を撮っていたが、途中で場所を決めて通り過ぎて行く行列を撮影することに。一時間程で全行列が通りすぎて行った。
 首里城ではこの後も伝統芸能の演舞、ステージイベント、7000本のキャンドルによるライトアップも開催されるが、連日の撮影で少し疲れたので大人しく家に帰る。写真は開会宣言をする翁長市長。 

9月25日(土)

 本来なら昨日、一昨日は地元の「つくりもんまつり」だが、今年も新型コロナの影響で中止になり、オンラインでのコンテストが行われている。
稲刈りが終わった隣の田んぼ
 少し前は朝晩ようやく涼しくなったと思っていたが、今朝は寒いくらいだった。秋も深まってきた。
 家の隣りの田んぼも、先日コンバインが入って稲刈りが行われた。あっという間に刈り取られていった。
 一年で一番過ごし易くて好きな季節。自転車に乗って走っていると、稲藁を焼く香ばしい匂いが漂ってくる。
 HONZIの演奏するヴァイオリンを初めて聴いたのは、1997年に発売されたUAの2枚組ライヴ・アルバム『FINE FEATHERS MAKE FINE BIRDS』だった。そのディスク2に収められたアンコール曲「HORAIZON」の終盤に繰り広げられたメンバー紹介でのヴァイオリン・ソロに圧倒された。弦楽器の技術的なことはわからないが、縦横無尽に駆け巡る音の広がりに揺さぶられた。HONZIについては何も知らなかったので、そのスリリングなソロに男性だと思っていた。
 そのHONZIが目の前に現れたのは、 南青山MANDARAでのRIKKIのライヴだった。ファイナルファンタジーXの主題歌「素敵だね」をリリースしてからのライヴだったと思うが、ピアノの黒田亜樹さんと共にHONZIがヴァイオリンやピアニカ、コーラスでサポートしていた。
 RIKKIのライヴで何度か顔を合わせているうちに、HONZIが『ONE』というソロ・アルバムをリリースしていたことを知った。残念ながら既に廃盤になっていたが、HONZIがカセット・テープにダビングしてくれるというので名刺とテープ代として確か2,000円渡した。けれどテープは一向に送られて来なかった。
HONZI

 それからしばらくして、雑誌の仕事でHONZIを撮影することになった。ボーカル・ギターの佐藤伸治が急逝して1年半ほど経って企画されたフィッシュマンズの特集で、ドラムの茂木欣一やエンジニアのZAKらと共にフィッシュマンズのサポート・メンバーだったHONZIを撮影した。ちょうどこの頃、HONZIは2枚目のソロ・アルバム『TWO』をリリースしていた。もちろん『TWO』は買ったが、その時、「ONEのテープはどうなった?」とHONZIに催促すると、少しばつが悪そうに笑いながら「送る」と言った。
 この撮影が2000年9月27日だったが、ちょうど7年後の2007年9月27日にHONZIは亡くなってしまった。結局『ONE』のテープは送られてこなかったので、テープ代として渡した2,000円は香典になってしまった。

 そのHONZIが遺した2枚のソロ・アルバム『ONE』と『TWO』が、今年の7月9日からフィッシュマンズのドキュメンタリー映画の公開に合わせてサブスクで配信されているそうだ。

 このサブスク配信に、「人生最初に遭遇した、音楽に選ばれし人は、HONZIだった。ジプシーの格好したパンクな天使は、今も変わらず美しい」とUAがコメントを寄せている。
 HONZIが亡くなって明後日で14年が経つ。YouTubeから「HORIZON/UA」。
 Photo Diaryを更新。
*2012年10月9日のPhoto Diaryはこちら
10月9日のスナップ。島尻のパーントゥ
↑9日は、宮古島島尻地区の奇祭パーントゥの初日。
 朝4時に目覚ましで起床、旅の最終支度をして部屋を7時前に出る。歩いて15分ほどの美栄橋から、ゆいレールで那覇空港へ。早めに搭乗手続きを済ませて、出発ロビーでゆっくり。
 スカイマークの那覇9時15分発のSKY541便で、宮古空港に。空港から市内に行く路線バスは11時53分。1時間以上ある。空港案内所で宮古の無料ガイドブックをもらって、時間をつぶす。
 ほぼ定刻に来たバスに乗車し、西里通り入口で下車。今日から3連泊するゲストハウスまで、地図を見ながら15分ほど歩く。チェックインを済ませ、3日分の宿代を払い、荷物を置いて昼ご飯に。宿から30秒ほどのくになか食堂で、500円の宮古そば。
 昼ご飯の後は市街を少し散歩し、寝酒の泡盛・多良川と晩ご飯用にパンを購入。少し昼寝をしてから15時40分平良発の八千代バスで、島尻入口へ。島尻入口から15分ほど歩いて島尻の集落へ。集落の奥に進むと車で道を塞いでいる場所があり、その先に人が何人か作業をしている。しばらくするとテレビカメラや地元新聞社のカメラマンが集まりだした。どうやらここが、パーントゥの生まれる場所のようだ。
 開始時間の夕方5時近くになって、1体、2体とパーントゥが登場。始まりの合図もないまま、なんとなく3体が並んでこちらにやって来た。そして突如走り出し、ヘドロを全身に被った身体で手当たり次第に襲撃。
 泥を顔に塗られた子供がアチコチで泣き叫んでいる。その隣りで親は大笑いしている。交通規制しているお巡りさんと、パトカーも泥だらけ。やめて〜という声も聞き入れられず、泥だらけのパーントゥに入られたお家もある。18時半を過ぎると外も暗くなり、泥で真っ黒のパーントゥが何所にいるか分らずドキドキ感も5割増。
 来る時に乗ったバスの運転手さんが、20時15分くらいに島尻入口のバス停で待っていて下さいといっていたので、余裕をみて集落からバス停へ。バスは時刻表通り20時24分に到着。乗客は自分一人。終点の平良から宿まで1分。パーントゥに抱きつかれなかったが、泥を投げられて汚れた髪をシャワーで洗う。
 夜、泡盛を飲みながら、他の宿泊客の方々とゆんたく。写真はパーントゥに押し倒されて泥を塗られた女性。
*2012年10月10日のPhoto Diaryはこちら
10月10日のスナップ。大神島の海岸にある奇岩
↑10日の午前中は部屋でウダウダ。
 12時15分の平良発の八千代バスで、島尻購買店前へ。そこから島尻港へ歩いて行き、大神島へのフェリー乗り場へ。事前に調べていた運行時間は13時丁度でしたが、案内板に書いてある時刻は14時15分。夏期と冬期でも変わるようだ。しょうがないので1時間ほど集落を散歩して、フェリー乗り場に戻り出発を待つ。
 時間になり、往復670円のチケットを船内で購入。台風21号の影響か、波は少し荒い。ガス屋さんがデッキに積んだプロパンガスと一緒に大神島に渡る。乗船時間は15分ほど。帰りの船は16時20分で、これが最終便。
 フェリー乗り場から島の右端、一番高台にある遠見台、そして島の左端を歩いてまわる。大神島の存在は、集落の全家族を撮った「大神島 記憶の家族/勇崎哲史」(平凡社)を見て知った。大神島の現在の世帯数は、宮古毎日新聞2011.10.20の記事によれば17戸27人のようだ。
 16時20分の島尻への最終便に乗船。島尻港に着いて、今日もパーントゥに参加するため集落へ。昨日と同じ場所で出現を待つが、今日は急遽ルートを変更し学校の方から集落の中に出現するという話しになり、急いで村に戻る。
 後は、昨日と同じ。泣き叫ぶ子供、あまりの事に呆然とする子供、それを見て大笑いする親。途中激しい雨と風が降ったり止んだりする中、集落中が泥の匂いで臭くなって行く。
  余裕をみて19時45分頃に集落を出て、島尻入口のバス停に向かう。今日もパーントゥに抱きつかれなかったが、泥を投げつけられて、ビニール合羽が汚れている。バス停に着いてビニールのズボンを脱ぎ、バスを待つ。
 定刻より2分ほど遅れてやってきたバスで平良へ。宿に戻る途中、スーパーでお弁当を買おうと思ったが、すでに売り切れでカップヌードルを一つ買って帰る。昼間に買っておいたオリオンビールと、カップヌードルで晩ご飯。泡盛をちびちび飲んで、就寝。写真は大神島の海岸にある奇岩。いわゆるノッチ岩と言われるもので、長い年月をかけて波に侵食されて下の方が削られている。それにしても立っているのが不思議なほどの削られようだ。
*2012年10月11日のPhoto Diaryはこちら
10月11日のスナップ。イワシの群れに網を投げる池間島の漁師

↑今日も朝起きてから、部屋でウダウダ。
 くになか食堂で4つ100円の天ぷら、スーパー仲宗根でジューシーのおにぎり2個100円を買って12時15分の池間島行きのバスに乗る。バスの中で半分、終点の池間島の漁協前で降りて残り半分を食べてから集落を散策。
 漁港の周辺は何も無いが、丘のような山?山のような丘を越えると住宅地になっている。池間公民館の前は広場になっており、公民館の後ろは砂浜が広がっている。日に焼けたオジーが一人、海を眺めて座っていた。
 当てもなく歩いていたら、遠見跡の案内があった。歩いて上ると池間大橋、大神島が見渡せる。しばらく集落を散歩して浜に戻ると、人が集まっている。先ほど海を眺めて座っていたオジーが、両肩に網を下げてコンクリートのスロープに立っている。何事かと思い近くの人に尋ねると、イワシの群れが浜に押し寄せて来ていると教えてくれた。浜の直ぐそば、珊瑚かと思っていた黒い大きな固まりはイワシの群れだった。
 集落を散歩している間に他のオジさんが投網で獲ったイワシを、見せてもらった。
 一時間程眺めていた。結局僕が見ている間、オジーは網を投げる事はなかった。もう少し若いオジさんがもう一度網を投げ、大量のイワシを獲った。頭とワタを取って海水で洗ったイワシを一匹貰って食べた。オジーの投網を見たくて後ろ髪が引かれるけれど、バス停に戻る。雨と風が強くなって来た。もう、今日はイワシを獲ることは出来ないのかもしれない。
 漁協前を16時20分のバスで平良に戻る。昨日、一昨日とパーントゥを見に来た島尻集落を通り、17時前に着いた。宿に戻る前に、くになか食堂で600円のとーふチャンプルー。
 昨日は宿に帰って直ぐに寝てしまったが、今日はスタッフの方、他の宿泊客と日付が変わる頃までゆんたく。ちょっと飲み過ぎたかな。
 あのオジーは、なぜ一度も網を投げる事をしなかったんだろう。帰りのバスの中で、ボンヤリと考えていた。古い船を いま動かせるのは 古い水夫じゃないだろう。吉田拓郎の歌の、そんなフレーズが頭に浮かぶ。

 古い船には新しい水夫が 乗り込んで行くだろう
 古い船を今 動かせるのは 古い水夫じゃないだろう

 なぜなら古い船も 新しい船のように 新しい海へ出る
 古い水夫は知っているのさ 新しい海のこわさを

 写真は黒いイワシの群れに向かって網を投げる池間島の漁師。

9月22日(水)

 昨日は旧暦の8月15日で、8年ぶりに満月と重なった中秋の名月だったそう。Facebookには昨日の夜からいろんな人が撮影した満月が流れてきた。一応、自分も部屋の窓から撮影。
 首里城の正殿が火事で焼失する前は、毎年旧暦8月15日に近い土・日曜に、中国からの使者・冊封使をもてなした「中秋の宴」を再現したイヴェントが行われていた。首里城の正殿は2026年に完成予定だそうだが、こうしたイヴェントがまた行われるのはいつになるのだろうか。
昨日の中秋の名月
↑部屋の窓から撮影した、昨日の満月。
↓2013年9月21日に撮影した「中秋の宴」。正殿の前に作られた特設ステージで、琉球舞踊や組踊が披露された。
首里城の「中秋の宴」

 大神島と宮古島の狩俣や島尻集落に伝わる秘祭「ウヤガン」を記録した大城弘明さんの写真展が、パレット久茂地の那覇市民ギャラリーで26日まで開催されている。ウヤガンについての論文が、こちらにあった。がじゅまるブックスから『17 沖縄・宮古島 島尻の秘祭 ウヤガン 大城弘明 フォト・アイ』という本が発売されている。
 麻生太郎財務相が昨日の記者会見で、総裁選候補者にメディアが森友公文書改竄問題の再調査について質問していることに対し「読者の関心あるの?」と述べたそうだが、個人的には自民党の総裁選よりは森友問題の方が大いに関心があるな。

 この他の気になった記事を備忘録として。
「撮り鉄」の共産党議員の書類送検は「狙い打ち」か? 中村格・警察庁長官を直撃してみた
東電柏崎刈羽原発の火災感知器、約100台に不備 ずさんな工事再び
スペイン・カナリア諸島で火山噴火 50年ぶり
全客室にレコードプレーヤー 「音楽の街」下北沢の線路跡にホテル開業
安保法成立6年 野党の廃止法案審議されず、政府は既成事実化

 Photo Diaryを更新。
*2012年9月30日のPhoto Diaryはこちら
9月30日のスナップ。糸満大綱引
↑台風一過。朝こそ雲も多かったが、徐々に晴れ間が広がった。
 冷蔵庫に残っていた沖縄そばの出汁に冷凍しておいたご飯を加え、卵を落として雑炊で朝ご飯。停電中は冷凍庫に緊急避難させておいたマグロの漬けもトッピング。
 那覇バスターミナルまで自転車で行き、11時半発の89番糸満線に乗車。今日は旧暦の8月15日、糸満大綱引が開催される。
 白銀堂から糸満バスロータリーの間が綱引き会場になる事から、バスは白銀堂の手前を曲がったところに設置した臨時のバス停に着く。そこからしばらく歩いて白銀堂に。綱引き用の大綱は最終仕上げにかかっていた。
 綱引き自体は17時からだが、糸満小学校の校庭で13時半から道ズネーの出発式、そして14時から小学校から白銀堂まで道ズネーが行われる。
 開会式前に小学校へ行くと徐々に道ズネーに参加する団体の旗頭が並び始めた。旗頭の後ろには子供たちや青年団、婦人会の踊り手が並ぶ。開会の挨拶が行われている間も、後ろの方では踊りの練習に余念がない。
 写真を撮っていたらいつの間にか道ズネーが始まったようで、順番に校庭から道路に出て演舞を披露。立ち止まって踊っては少し進み、また踊る。そうして全ての団体が小学校から白銀堂まで道ズネー(練り歩く)するので、プログラム通り2時間半以上はかかる。距離にして2キロほどあるのだろうか?
 予定時間を少し押してニシカタ(北組)、フェーカタ(南組)に分かれた大綱引きが始まった。まずは会場中央に雄綱、雌綱の頭を寄せる。カヌチ棒で雄綱の頭を潰して、雌綱の環に雄綱の頭を入れ、外れないようにカヌチ棒を差し込む。綱引きが、子孫繁栄を願って行われる行事だと言うのがよく解る儀式だ。
 綱が一本になったところで、それぞれ糸満の伝説の人物だというイチマンマギー、マカビチャーンに扮した支度(シタク、若者)を板に乗せて中央で暫く睨み合い。そして綱引きとなった。
 15分弱で勝負がついて、4年ぶりに南組の勝利だそうです。
 来る時に停まった臨時のバス停の道路を挟んだ反対側で、那覇行きのバスを待つ。しばらく待ってやってきた89番のバスで那覇へ。お腹が空いたので、久しぶりに高良食堂へ。カツ丼と沖縄そばのセット。
 本日の出費。那覇BTから白銀堂(臨時バス停)640円、 臨時バス停から旭橋610円、カツ丼と沖縄そばのセット600円。写真はカヌチ棒を差し込まれて雄綱と雌綱が一本に結ばれたところ。板に乗っているのは糸満の伝説の人物に扮した支度。
*2012年10月1日のPhoto Diaryはこちら
10月1日のスナップ。真栄里大綱引
↑1日は朝早くに起きてご飯を炊き、おにぎり3個、卵焼き3切れ、ウインナー6本を用意。ラップに包みビニール袋に入れて、お昼のお弁当だ。
 昨日に続き、今日も綱引き大会がある。同じ糸満市だが、今日は真栄里地区。ホームページを見ると午前11時半からスタートとなっている。真栄里は、糸満バスターミナルから82番の玉泉洞糸満線に乗り換え。色々と逆算して9時20分に那覇BTを出発する89番の糸満線に乗れるように家を出る。
 予定通りのバスに乗車すると運転手さんから行き先を尋ねられる。糸満BTと言うと、道路を渡って向かいの旭橋のバス停から乗るように勧められる。昨日も乗って薄々感じていたのだが、89番のバスは那覇市街を少し回ってからもう一度那覇BTの横を通り糸満方面に向かう。朝の時間帯は渋滞もあるので、向かいの旭橋で乗った方が断然早いと勧めてくれたのだ。
 89番は10分おきくらいに出ているので、しばらく待って乗車。終点の糸満BTについて真栄里行きに乗り換え。真栄里入口は82番の玉泉洞糸満線だけかと思っていたら、107番、108番の南部循環線も通るとのこと。ほとんど待たずに出発した循環線で、真栄里入口へ。予定より早い10時10分過ぎに着いた。
 バス停の先を左に曲がり、集落の中を通る一本道を歩く。途中から緩やかな坂道になり、山の中腹に会場となるメーミチ広場があった。 まだ10時半、スタートの11時半より一時間も前だが近くから賑やかな音が聞こえる。スタッフの方に何の音か尋ねると、西(イリー)の元家で儀式が行われているので見に行ったらいいと教えられる。音のする方へ駆け足で行くと、道ズネーの準備の最中だった。
 準備が整ったようで、旗頭を先頭に元家を出て少し下の広場へ。そこで演舞が始まった。
 ひょっとすると同じ事がアガリ(東)でも行われているんだろうかと近くにいた方に聞いたところ、メーミチ広場を挟んだ反対のアガリでもやっているというので、急いで駆けつける。ちょっと遅かったようで、アガリの方は元家を出てメーミチ広場まで道ズネーの最中だった。途中にある民家の庭の拝所で、何人か並んで御願していたが、どういう家なのだろう。
 メーミチ広場を挟んでイリーとアガリの綱が揃った。綱引きの前に順番に棒術や、獅子舞などが披露され、いよいよ雌綱と雄綱が結合され 、カヌチ棒が入れられた瞬間に綱の引き合いが始まった。バスの運転手さんが、真栄里の綱引きは喧嘩綱引きといわれるほど勇ましく、面白いと言っていたが、かなり荒っぽい綱引き。
 綱引きの前にも棒を持った両組のぶつかり合いがあったが、綱引きの後にも棒を持ってのぶつかり合いがあり、そのまま喧嘩になるんじゃないかと思う程の激しさだった。
 演舞がいくつか披露されたあと、両方の綱はそれぞれ持ち帰られて綱引き大会は終了。この後、夕方5時からメーミチ広場で2時間ほど演舞が行われ、日がすっかり暮れた7時から青年エイサーが始まった。
 40分程エイサーを見て、真栄里入口までの一本道を歩いて行く。バス停で時刻表を見ると20時丁度の糸満BT行きの循環バスがある。少し遅れてきたバスに乗って糸満BTへ。直ぐに那覇行きのバスが出たので乗車するが、いつもと違うコースを走る。降りた時に確認すると35番の志多伯線で、89番よりも内陸を通る。
 家に帰りリモコンのボタンを押す。TVのニュースが、今日、普天間飛行場にオスプレイ6機が到着した映像を流していた。飛行ルートを見れば、家の上空も飛んでいそうだ。写真はメーミチ広場に入場する雄綱。
*2012年10月4日のPhoto Diaryはこちら。(マグロのカマ、イカキムチ、航空引換証)
*2012年10月6日のPhoto Diaryはこちら。(台風17号で屋根が飛ばされた農連市場、那覇大綱挽まつり)
*2012年10月7日のPhoto Diaryはこちら
10月7日のスナップ。那覇市大綱挽
↑7日は三連休の中日。那覇大綱挽が国道58号を通行止めにして開催された。
 綱挽の前に、午前中から国際通りで旗頭行列が行われるようだが、なんだか疲れがたまっているようで午後から少しだけ見た。今年の綱は全長200メートル、総重量43トンとアナウンスしていたような。
 3年連続引き分けが続いたそうだが、今年は西の勝ち。しかし、あまりに綱が大きいので近くで見ていても勝負の状況がよく分からなかった。
 綱挽の後は、カヌチ棒を抜き雄綱と雌綱に分けてクレーン車でレッカーに。この後、倉庫に保管するそうです。
 綱の撤去作業を途中まで見学してから買い物に。100円ショップでビニールの雨合羽を購入。宮古島・島尻のパーントゥ対策です。写真は巨大な雄綱の先頭部分と記念写真を撮る人達。

9月19日(日)

 アナログ・レコードはキャロル・キングよりカーリー・サイモンの方が持っているのに、どういう訳かCDは一枚も持っていない。アナログのレコードからCDにメディアが変わった時期に、自分の聴く音楽が変化していたからだろうか。
 今年に入ってから用事や体調の悪い日以外は毎日朝から夜まで机に座って、富山〜奄美大島、奄美大島〜沖縄で過ごした4年間の撮影データを現像し直している。その作業中に必要なのがBGMで、iPodに入れてある音楽をアレコレ聴いているのだが、カーリー・サイモンはCDがないのでiPodにもパソコンのiTunesにも音源がない。YouTubeで聴いたり観たりすることはできるが、これだと現像作業の効率が落ちる。それで、先日アマゾンでカーリー・サイモンのCDをポチった。Original Album Seriesという5枚組で、9日の夜に注文したら、最近のアマゾンにしては珍しく早い11日の午前中に届いた。早速iTunesに取り込んで、一枚ずつ順番に作業BGMとして聴いている。
 このoriginal album seriesはロックやジャズを中心に様々なアーティストのCDが発売されており、値段は5枚組で2500円前後が中心だ。紙製のボックスの中に紙ジャケのCDが5枚入っている。歌詞カードやライナーノーツは一切ないが、聴くだけと割り切ればお値打ちだと思う。
 リンダ・ロンシュタット、フランソワーズ・アルディ、ロバータ・フラックetc・・・このカーリー・サイモンをヘビロテした後に、少しずつ買い足してもいいかな。
 YouTubeから「You're So Vain/Carly Simon」「You Belong To Me/Carly Simon」。
カーリー・サイモンのCD
 今月10日の毎日新聞に、地元の写真家・浜田太さんが奄美市の協力を得て、九州最大級の落差181メートルの滝を確認したという記事が掲載されていた。滝のある場所は、奄美市の小湊地区だという。小湊はたぶん名瀬から一番近い(それでも自転車だと1時間以上かかる)太平洋側の集落で、知り合いの農業用ハウスが近くにあったこともあり、何度かサイクリングがてら訪れた。
 滝は地区内にある山から海へ流れ落ちているようで、海上からしか確認できず、尚且つ山は樹木が生い繁っているため、これまで全体の落差が確認できなかったそうだ。
 浜田太さんはアマミノクロウサギの子育ての様子を最初に記録した写真家としても知られており、自分が奄美に滞在していた頃はホライゾンという奄美の情報誌を制作されていた。奄美大島や加計呂麻島の祭祀を撮影に行った時に何度かお見かけした。
 寒波が日本列島を襲った2012年の2月2日、サバクリ人さんから「今日あたり、湯湾岳では雪が降るかもね~」という電話をもらって二人でノコノコと夜になって出かけた。秋頃はハブ捕りに来ている車とすれ違ったが、さすがにこんな寒い日には誰もいないかと思ったら、湯湾岳の手前に一台の車が停まっていた。やはり雪が降らないかと思って来ていた、浜田太さんだった。
 熊はいないがリュウキュウイノシシが山中を駆け回り、猛毒を持ったハブが人を寄せつけない。今回発見された滝に限らず豊かで厳しい自然環境の奄美では、まだまだ知られていない、発見されていない驚きがあるはず。
崎原から撮影した小湊方面

 上の写真は小湊の隣りに位置する崎原(さきばる)から、小湊方面を撮影したもの。写真右端に少し見えるのが小湊の集落。集落の背後(横?)にある山の裏側に、今回発見された九州最大級の滝があるのだろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
<自民党総裁選>目指す社会像や力点を置いた政策は 4氏の訴えを分析
「説明しない政治」を改める姿勢は見えず 病床逼迫などの課題解決策も乏しく…自民党総裁選の公開討論会
【全文】小山田圭吾さん 過去のいじめ一部否定「目撃談語ってしまった」
普天間飛行場の汚染水、日本側が米軍から引き取り処分 費用も負担
「謝罪で済まされない」米軍のアフガン誤爆 遺族が補償求める
「ひるおび!」スポンサー、キユーピーがCM見送り 共産党発言の謝罪翌日から

 Photo Diaryを更新。
*2012年9月17日のPhoto Diaryはこちら
9月17日のスナップ。金武社交街の中にある公園にて
↑17日は朝こそ雲も多かったが、少しずつ晴れ間が広がり午後には台風一過の青空となった。
 昨日は全島の路線バスが終日運休となって使えなかった、バスの日記念フリー乗車券。2日間乗り放題で1000円という夢のようなチケット。残りの今日、元を取るべくチケットを持って遠出してみました。
 国道58号沿いの最寄りのバス停から、77番の名護東線に乗車。普天間、コザ、金武を通り辺野古で下車。約2時間ほどバスに揺られて13時15分過ぎに到着した。
 バス停から集落を抜けて、辺野古の海に出る。辺野古漁港に隣接する浜には、キャンプ・シュワブとの境界を示すフェンスが設けられている。漁港を挟んでこの浜と反対側に、ヘリ基地反対協議会の座り込みテントがあった。昨日の台風は、この辺野古も直撃したらしい。
 このところ尖閣諸島の領有権、オスプレイの配備、高江のヘリパッド建設と沖縄を取り巻く問題が沢山あるので、普天間飛行場の辺野古への移設問題が話題になる事は少なくなったが、今でも座り込み行動は毎日続けられており3000日を越えた。
 ヘリ基地反対協議会の施設で署名をし、水をご馳走になり資料をいただいた。辺野古の問題については、反対協議会のホームページで。高江のヘリパッド建設については、やんばる東村 高江の現状を参考に。
 辺野古のバス停に戻り、14時45分のバスで金武町役場前へ。バス停の近くにうしなー社交街と書かれた門が建っていたので、撮影しながら歩いてみる。社交街の中程に小さな広場があり、「牛納(ウシナー)の由来」と書かれた案内板があった。
 ウシナーとは現在の牛納社交街の一帯をさす地名で、沖縄方言で闘牛場を意味するそうです。
 金武町役場前から金武入口まで、バス停にして4つ分を歩く。キャンプ・ハンセンの道路を挟んで反対側に広がる、金武社交街を写真を撮りながら歩く。午後の早い時間、開いているのはタコライスのお店ばかりだ。
 タコライス発祥の店と言われるところで一つ購入して、近くの公園のテーブルで食べた。ビニール袋から取り出して、その量に驚いた。二人前!?1/4ほど食べて降参。残りを家に持って帰る事にする。
 金武入口を17時11分のバスで那覇へと戻る。
 家に帰り、晩ご飯にさっき食べきれなかったタコライスを食べる。ご飯の上の冷えて固まったチーズに難儀する。う〜ん、タコライスよりも蛸めしが良いな。
  そう言えば、今日は気温のわりにあまり汗をかかなかった。台風16号は、秋を連れてきたのだろうか。写真は金武社交街の中にある広場で、噴水の水を浴びる子供たち。
*2012年9月20日のPhoto Diaryはこちら。(なっタン、那覇市内を覆う雨雲、書籍用写真データのプリント)
*2012年9月22日のPhoto Diaryはこちら
9月22日のスナップ。残波岬
↑22日は秋分の日。今日と明日はバスの日記念の後期で、1000円のチケットで高速を除く路線バスが2日間乗り放題。
 冷凍のうどんを茹で、冷蔵庫に残っていた沖縄そばのだし汁にうどんつゆを足し、卵と天かすを乗せてタヌキ月見うどんで朝ご飯。
 お昼ちょっと過ぎに、国道58号沿いの最寄りのバス停から28番の読谷バスターミナル行きに乗車。本日の目的地は、残波岬。以前は路線バスが近くを通っていたらしいが、今は町営のコミュニティーバスの運行にかわったようだ。400円で一日乗車券を販売しているが、本数が少なく片道200円で往復しても400円、帰り道を歩きにすれば200円で済むので今回は買うのをやめた。
 残波岬公園でバスを降りて、目の前にある灯台へ向かう。入場料200円を払って、灯台の中の螺旋階段をぐるぐると上る。360度の展望台からは、切り立った崖や東シナ海が見える。この残波岬は、沖縄戦の際に米軍が本島上陸の目印にしたと言われている。読谷村の戦跡については、こちらを。
 切り立った崖の上の広場をしばらく散歩してから、残波ビーチの横を通って読谷バスターミナルまで歩いてみる。写真を撮りながら歩くと30分では着かないが、1時間はかからないと言った距離だろうか。 
 バス停に着いて、バス代節約分の自分へのご褒美に自販機で100円のアップルティー。冷えてて美味しい。
 しばらくして28番のバスが来たので、那覇へと帰る。58号沿いのキャンプ・キンザーの敷地がライトに照らされて、イヴェントをやっている様子。後でパソコンで調べてみたらキャンプ・キンザー・フェスティバルが開催されていた。
 家に帰り、ご飯を炊き、ふーちゃんぷるーを作る。お麩を水で戻し溶き卵に絡めてフライパンで焼く。肉、野菜を炒めて、初めに炒めておいたお麩を加える。味付けは塩、胡椒、醤油。ごま油とコーレーグースを振りかける。野菜はモヤシが良いんだろうけれど、無かったのでキャベツ。
 これまでモヤシは1袋20円とか、高くても40〜50円位だと思っていたが、沖縄のスーパーだと80円程するので気楽に買えない・・・orz。写真は残波岬。
*2012年9月23日のPhoto Diaryはこちら
9月23日のスナップ。北中城青年エイサー
↑バスの日記念後期の2日目。今日は中城城跡で開催される北中城青年エイサーを見に行こうと決めていましたが、エイサーは午後4時から。せっかくの乗り放題切符なので、その前にコザに行ってみる。
 10時半過ぎ、久しぶりに作ったおにぎりと卵焼きを持って家を出る。コザを通るバスは何系統もあるので時刻表をしっかり確認することなく、バス停へ。しばらく待つと、コザを通る23番の具志川線が来たので乗り込む。
 コザ十字路でバスを降りると、住所は美里一丁目。通称吉原と呼ばれている地域。吉原は、東京の吉原遊郭からとったと言われ、真栄原と共に沖縄の2大社交街と言われた場所です。
 真栄原と同じく、警察の取り締まりで空き家ばかりが目立つ町並み。思っていたより広い社交街で、路地も入り組んでいる。時折ゆっくりと町中をタクシーや乗用車が流して行く。廃墟のような、とまでは行かないが閑散とした町を写真を撮りながら歩いていると妙齢なお姉さんと目があった。
 知らんぷりで通り過ぎるのも何なので、「こんにちは」と挨拶をすると、「写真を撮ってるんですか?」と聞かれる。やばいかな、と思ったら「写真をいっぱい撮って残して下さい。貴重になりますから」と言う。お姉さんは中の町の社交街でお店を出しているそうで、少し立ち話をしたが警察の取り締まりが多くて「みんな、たいへんサー」と嘆く。本来の商売ができず、空き店舗をアパートとして貸したりもしているようだ。
 吉原をしばらく散策した後、コザ十字路を挟んで対角線にある照屋一丁目へ。銀天街と書かれたアーケードに入るが、シャッターを下ろしたお店が目立つ。アーケードを出たところにあった小さな広場で、作ってきたおにぎりと卵焼きで昼ご飯。
 アーケードを離れて周辺を散歩するが、細い路地の先に消えかかった字でホテル プリンスと書かれた民家のような建物があったり不思議な雰囲気。家に帰ってネットで調べると、この界隈は昔、黒人兵を相手にしたお店が並ぶ黒人街だったそうです。その辺りの事はこちらを参考に。
 照屋一丁目を散策した後、コザ十字路のバス停から52番の与勝線で北中城村役場前へ。
 一昨日、今日の青年エイサーの開催時間や場所の確認のため役場に電話をしたところ、中城城跡行きの路線バスは廃止になったが、エイサー当日は役場前から会場までのシャトルバスが運行することを教えてもらった。エイサーは16時からで、シャトルバスは15時から1時間に1本の運行と聞いていたが、役場前に行ってみると14時からバスが出ており、2台のバスで1時間に2往復しているようだった。
 エイサーが行われる会場は無料区域だが、せっかく来たので400円の入場料を払い中城城跡を見学。城郭からは東シナ海側も太平洋側も見渡せる。
 北中城青年エイサーは16時頃にスタート。プログラムによれば、各地区が20〜25分で順番にエイサーを披露し、カチャーシーの後、21時から花火が打ち上げられて終了となっていた。
 2時間程エイサーを見て、18時に中城城跡からシャトルバスで村役場に戻る。
 北中城村役場前から那覇に行く52番のバスは、18時33分。道路が混んでいるのか、バスは10分程遅れてやってきた。昼間でもバスが遅れて来ないと不安になるが、すっかり暗くなったバス停でバスを待つのは寂しい気持ちになる。何かの間違いで乗り過ごしたんだろうか?と心配になり、もう帰れないような悲しい気持ちがわいてくる。
  10分遅れで来たバスの座席に座り、ホッとした気持ちで那覇へと帰る。写真は北中城青年エイサー。
*2012年9月26日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)
*2012年9月27日のPhoto Diaryはこちら。(泡盛・忠幸、マグロの切り落としと脳天、ガリガリ君梨あじ)
*2012年9月29日のPhoto Diaryはこちら。(台風17号が通過中の那覇市内、ニュース画面)

9月16日(木)

 秋晴れの午後、郵便局に行くついでに久しぶりに小矢部川の堤防を自転車で走る。小学校の裏側にある桜並木では蝉が盛大に鳴いており、その桜の木の下に彼岸花が咲いている。家の隣の田んぼはまだだが、アチコチの田んぼで稲刈りが始まった。
 晩ご飯を食べて夕方のニュースを見ていたら、地震。揺れは短かったが、ちょっと強い揺れだった。石川県能登地方の珠洲市が震源で、珠洲市の震度は5弱。高岡は震度2だった。
蝉と彼岸花
稲刈り
 北朝鮮が長距離巡航ミサイルの発射実験に成功したとか、日本海に向けて弾道ミサイルを2発発射したというニュースは盛んに流れるが、約10万人が参加する陸上自衛隊の過去最大規模の演習が昨日から始まっていることはほとんど報じられない不思議。
 自民党総裁選の候補者がそれぞれ北朝鮮の脅威を口にするが、何も北朝鮮の脅威は今に始まったことではない。射程距離1,500〜2,000kmという準長距離弾道ミサイル「ノドン」が既に実戦配備されている。一度に何発ものノドンを日本海側に並んでいる原発を狙って打ち込まれたら、対処する術はあるのだろうか?

 今朝Facebookに、奄美大島の嘉徳浜に重機が一台入ったという記事が流れてきた。測量するために木を伐採し、護岸工事の運搬車両が通る道をどこにするか決めるためだという。
 嘉徳は歌手・元ちとせの生まれシマで、嘉徳浜は奄美大島でも貴重となったテトラポットやコンクリートの護岸といった人工物のない浜。この浜には嘉徳川が流れ込み、美しい波紋を作っている。この記事が流れてきたとき、奄美群島の喜界島にある塩道長浜のことを思った。
 喜界島に「塩道長浜節」という民謡がある。奄美の民謡はだいたい悲しい話が歌われているが、この曲もケサマツという美しい女性に言い寄った青年が馬に引き摺られて死を遂げる。その舞台となったのが塩道長浜なのだが、2011年5月にその浜に立ち寄った時、長浜と付けられた面影はなく白砂の浜はわずかしか残っていなかった。もう、馬が人を引き摺って走ることなど不可能なほど砂が流出してしまっており、周辺をコンクリートで固めて公園が造られていた。一説には護岸工事によって潮の流れが変わってしまい、砂が流失してしまったとも言われている。
  嘉徳にも「嘉徳なべ加那節」という民謡が伝わっており、元ちとせは15歳の時にこの曲で奄美民謡大賞新人賞を受賞している。嘉徳浜に隣接する村の墓地に、なべ加那のお墓がある。
 YouTubeから「塩道長浜節/元ちとせ・中孝介」「嘉徳なべ加那節/元ちとせ」。

塩道長浜
↑長浜ではなくなった塩道長浜。2011年5月15日撮影。
 Photo Diaryを更新。
*2012年9月7日のPhoto Diaryはこちら。(撮影の打ち上げ、鳥つね)
*2012年9月8日のPhoto Diaryはこちら
9月8日のスナップ。鳩の街通り商店街
↑昨日の撮影の疲れとお酒の酔いがあって部屋でウダウダと過ごし、チェックアウト時間ギリギリの12時少し前にフロントで手続き。当初は5、6、7の3泊の予定でしたが今晩も同じホテルに宿泊。ただ同じ部屋は取れなかったので、部屋を移動してチェックインの仕直し。
 これまでは5階のセミダブルのシングルルームでしたが、今晩は3階の2段ベッドのシングルルーム。なぜシングルルームで2段ベッドなのかは謎だが、置いてあるものはしょうがない。通常のチェックイン時間は午後3時〜ですが、部屋の掃除が出来ているからと直ぐに入れてもらった。
 新しい部屋に荷物を置いて、カメラを持って久しぶりに東京下町散歩に出かける。
 千束4丁目から浅草5、6丁目。言問橋を渡って向島へ。鳩の町商店街を抜けて東向島。向島百花園の隣りを歩いて明治通りに出て、白髭橋の近くのコンビニでビールと肉まんを購入。白髭橋を渡り、清川、日本堤、竜泉と歩いて千束に戻り、ディープな下町散歩終了。
 鷲神社の裏の方にあるお店で買って来た10個300円のたこ焼きをホテルで食べて、しばらくお昼寝。
 夜、晩ご飯を食べに出る。肉まんとたこ焼きしか食べていないのでお腹は空いているはずなのに、なんだか食欲が無い。冷房病?奄美も沖縄もエアコンを使わない生活をしているので、東京に来てから電車の冷房やホテルのエアコンが身体に負担になっているのかもしれない。
 さんざん迷って千束通りにあった甘味やさんで500円のチャーシュー麺。ラーメンが400円なのでたいしたチャーシューは乗っかっていないだろうと思っていたが、分厚くて大きなチャーシューが2枚乗っていて驚いた。もっと体調の良い時に食べたかった。写真は久しぶりに歩いた鳩の街通り商店街。
*2012年9月9日のPhoto Diaryはこちら
9月9日のスナップ。飛行機から撮影した富士山
↑朝9時過ぎにホテルをチェックアウト。入谷から日比谷線で上野へ。上野で山手線に乗り換えて、浜松町。浜松町からモノレールで、羽田空港へ。羽田から那覇までは、13時出発のスカイマークSKY517便。
 11時になるまで少しロビーで待って、自動チェックイン機でチケットを発券。 手荷物を一つ預けて搭乗手続きを済ませ、出発ロビーで上野駅で購入した助六すしとカニ・クリームコロッケを食べる。羽田を飛び立って暫くすると、富士山が見えた。
 那覇空港から、ゆいレールで美栄橋駅。美栄橋から20分程歩いて自宅へ。とりあえず部屋に荷物を置いて、バスの日記念フリー乗車券を買いに行く。今月の4日から発売開始ですが、確か枚数限定なので東京に行っている間に売り切れていたらどうしようと心配していました。今回は、 那覇バスターミナルの沖縄バスの営業所で買いましたが、まだまだ枚数はありそうでした。
 しばらく家を留守にするので、冷蔵庫の中はほとんど空っぽの状態にして来た。さっそくスーパーへ行って、食料品の補充。晩ご飯は焼き肉、ライス、沖縄そば。
 デスクトップのiMacにドコモのL05Aを繋いでインターネットに接続しようとするが、上手くネットに繋がらない。ドコモのフリーダイヤルに電話をかけて、状況を説明し解決策を考えてもらう。考えてもらっている間、よく見るとL05Aをハブに繋いでいる。ハブではなく本体のUSBポートに差し込むとどうなるかやってみたら、何の事は無い、ネットに繋がった。ドコモのアドバイザーに経緯を説明し、解決した事を告げる。
 どっと疲れが出て布団に横になり、お酒も飲まずに就寝。写真は那覇行きの飛行機から撮影した富士山。
*2012年9月10日のPhoto Diaryはこちら。(バスの日記念フリー乗車券、バス運行時刻表)
*2012年9月11日のPhoto Diaryはこちら
9月11日のスナップ。塩屋のウンガミ
↑11日は朝4時半頃に目覚ましをかけ、6時半頃に部屋を出る。国道58号沿いのバス停から、名護バスターミナル行きに乗車。
 今日は大宜味村の塩屋湾で、重要無形民俗文化財に指定されているウンガミ(海神祭)が行われる。前日に役場に問い合わせたところ、午前11時に田港集落のアサギ(アシャゲ)で神事が始まると言う事だったので、余裕をみて10時には塩屋に着くように家を出た。
 名護から辺土名行きのバスを待つ間に、バスターミナルの食堂で2個170円のシャケのおにぎりと、自販機で100円のサンピン茶を購入し、朝ご飯。
 9時10分の辺土名行きに乗り、塩屋橋で下車。塩屋の集落を抜けて、塩屋湾沿いの道を奥へ奥へと進む。屋古の集落を過ぎて、田港集落に着いた。公民館でミキ(奄美と同じくお米にサツマイモの汁を加えて発酵させたもの)をご馳走になり、山の方にあるアサギに向かう。
 アサギにヌル(ノロ)や神人(カミンチュ)が揃い、集落の人が駆けつけて御願(ウガン)が始まった。せっかくなので、私も神人の前に座り神酒(泡盛)を一口いただき、お餅を2つ貰った。
 田港での御願が済んだら、小太鼓を持った島方(シマンホー)に先導されて屋古のアサギへ向かう。
 屋古アサギの前にはクームーと呼ばれる藁で編んだテントのような建物が作られており、弓を持って「ヨンコイヨンコイ」と唱えながら柱を回る儀式などが行われた。
 屋古での御願の後、塩屋湾で御願バーリーが開始される。屋古の海岸から爬龍(はりゅう)船が出発し、塩屋の海岸で各集落の女性たちが海に入って船の到着を迎えると言う儀式。土俵のある広場で踊っていた女性たちが、爬龍船のスタートに合わせて海に入り御願をする。海に浸かって踊ったり、水を掛け合ったり。祭りのハイライトかもしれない。
 御願バーリーの後、集落を通り兼久浜へ行き御願。島方が又ザイで塩をかきあげイルカを捕るしぐさをする。
 兼久浜の御願から、塩屋の土俵のある広場シナバに戻り、ヌルの御願が行われた。この御願の後、白い装束を脱ぎ普段着に着替えられたので、神様から普通の人に戻られたようだ。
 この日の神事が終わり、角力(相撲)が行われた。奉納相撲、組み相撲と見て、塩屋橋を17時35分のバスで名護に。そして名護バスターミナルを18時30分のバスで、那覇へ戻った。写真は塩屋湾での御願バーリー。
*2012年9月12日のPhoto Diaryはこちら。(航空貨物安全確認状、ケララカレー)
*2012年9月15日のPhoto Diaryはこちら。(データ作成)
*2012年9月16日のPhoto Diaryはこちら。(台風16号が通過した那覇市内)

9月13日(月)

 富山県に出されていたまん延防止等重点措置は昨日で解除されたが、東京、神奈川、千葉、埼玉など19都道府県の緊急事態宣言は今月30日まで延長された。

 沖縄に滞在していた2012年6月から2014年7月の2年間はオスプレイの普天間への配備が始まり、仲井真前沖縄県知事による民意を裏切る辺野古埋め立て承認が行われた。オスプレイ配備反対のデモ、辺野古新基地建設反対のデモ、高江のヘリパッド建設反対のデモや集会、座り込みが県庁前広場や国際通り、普天間や辺野古の基地前、嘉手納の防衛局前などで繰り広げられた。

山城博治さん

 沖縄本島や周辺の離島、宮古や八重山諸島の祭祀を追いかけて撮影しながらも、スケジュールが合えばデモや裁判、議会の様子を記録しに出かけた。
 県庁前広場で、沖縄平和運動センター議長の山城博治さんの演説を何度となく聞いた。その弁舌は鮮やかで、そのあまりの鮮やかさに、この人を信用して良いのだろうかと最初の頃は勘ぐるほどだった。その山城博治さんが、議長を退任したという記事が沖縄タイムスに掲載されていた。
 議長は退任しても一市民としてこれからも運動に参加していくそうだが、ひとまずお疲れ様でしたという感じだろうか。

  オスプレイはかつて火炎放射器を持ったゲリラにすら追い払われた、戦闘能力のない単なる輸送機だ。この単なる輸送機を並べるための飛行場を建設するために美しい辺野古の海を埋め立て、そのオスプレイの訓練をするためにやんばるの森の木を切り倒してヘリパッドを建設する。技術的に不可能かもしれない辺野古の海の埋め立てに使われる事業費は、沖縄県の試算では2兆4000億円とも言われている。これは国民の税金だ。 

 近頃特にSDGs(持続可能な開発目標)だと騒いでいるが、この新基地建設のための辺野古埋め立てと、山にトンネルを掘り従来の新幹線の4倍もの電力を消費するリニア中央新幹線ほどSDGsに逆行した事業はないだろうと思っている。
 上の写真は仲井真前沖縄県知事が辺野古の埋め立て承認をした2013年12月27日、県庁のロビーで演説する山城博治さん。この日、仲井真前知事に抗議するため集まった市民や団体が人間の鎖で県庁を包囲した後、県庁ロビーで抗議集会を開いた。当初、県庁で記者会見を行うはずだった知事は、体調不良を理由に急遽知事公舎に変更した。

 この他の気になった記事を備忘録として。
北朝鮮「新型巡航ミサイルの発射に成功」と報道 米韓への牽制狙いか
TBSが情報番組「ひるおび!」で謝罪 共産党巡る八代英輝氏の発言で
8月の変死遺体、最多250人がコロナ感染

新しいトップ画面

←久しぶりにトップ画面を模様替え。
 もう9月の半ば、いつまでも「暑い・・・」では申し訳ないので、「眠い・・・」の画像に変更しました。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面
 Photo Diaryを更新。
*2012年8月29日のPhoto Diaryはこちら
8月29日のスナップ。那覇から関西空港へ向かう飛行機から
↑来月東京で撮影があるので、その前に実家の富山に寄り道。朝5時前に起きて、荷物の確認。部屋を7時頃に出て最寄りのゆいレール駅「美栄橋」へ。直ぐに車両が来て、終点の那覇空港。
 那覇から関西空港へは、10時5分のスカイマークで。出発の2時間前から開始される搭乗手続きをさっさと済ませ、実家へのお土産を一つ買って、出発ロビーでのんびり。
 関西空港からJRの空港快速で大阪駅へ。早朝に阪和線で事故があったようで、途中の駅で何回も時間調整があり、かなり遅れて大阪駅に到着。大阪駅からサンダーバードに乗り換え、金沢まで。金沢から北陸線の普通列車に乗り換えて実家に着いた。
 2010年の5月末に旅を始めて以来なので、約2年3ヶ月ぶりか。駅前の道がなんだか広くなっている。写真は那覇から関西空港に向かう飛行機から。下に見える島は、たぶん沖永良部島。
*2012年8月30日のPhoto Diaryはこちら。(ストロボの発光テスト、虹)
*2012年8月31日のPhoto Diaryはこちら
8月31日のスナップ。昔の中学校の体育館
↑31日は昼ご飯を食べてウトウトと昼寝をしていたら、突然の雷鳴と激しい雨。しばらく雷が鳴り止まなかった。
 雨もおさまった頃に、父親の運転でお墓参り。今日はちょうど旧盆の中日ですね。
 奄美では旧暦の7月7日(今年は8月24日)にご先祖さまが迷わず来られるように、家の屋根や玄関に七夕を飾る。そして旧暦の7月13日(今年は8月30日)のお盆初日は、提灯をぶら下げてお墓までご先祖さまを迎えに行く。中日は家でゆっくりしてもらい、旧暦の7月15日(今年は9月1日)のお盆最終日には、提灯をぶら下げてお墓までお見送りをする。沖縄ではこの時期、アチコチでエイサーの音が響いているらしい。
 お墓参りの後、久しぶりに町内を自転車でぶらぶら。奄美大島には杉がないので、やはり山の風景といっても随分と違って見える。水墨画のような山並みが、なんだか新鮮だ。
 自転車で小矢部川の土手を走っていると、自分が通っていた小学校が取り壊されて、新しい校舎が建っていた。自分が通った学校の施設で残っているのは、もはや旧中学校の体育館くらいだろうか。
 夜、窓ガラス越しに外が白く光っている。窓を開けると稲光りと稲妻。ゴロゴロと鳴る音はまったく聞こえず、ただ間断なく稲妻が光っている。1時間ほども続いただろうか。稲妻は上から下へ落ちて来るものだと思っていたけれど、横へ走ったり上に昇って行くんだと知った。
 夜、フィリピン付近で起こった地震で、沖縄・奄美〜東北までの太平洋岸に津波注意報。テレビの中継で、奄美の名瀬港、今住んでいるところから自転車で5分ほどの那覇・泊港が映し出される。写真は昔の中学校の体育館。この建物も既に取り壊されてしまった。
*2012年9月2日のPhoto Diaryはこちら
9月2日のスナップ。おわら風の盆
↑9月の初めに帰省することがめったにないので、今まで見た事のなかったおわら風の盆。せっかくの機会なので、町流し見物を楽しみに越中八尾へ出かけてみた。
 お昼1時過ぎに家を出て、北陸線の普通列車で富山駅へ。富山から高山線で、越中八尾駅へ。風の盆は1日から3日まで。この期間中は臨時列車も数多く出るようで、想像していたほどの混雑はなかった。
 駅から町の中心地まで、ぶらぶらと歩いて行く。途中、ところどころで町流しや輪踊りが行われていた。町流しは午後3時から5時まで。2時間ほど休憩があって7時から11時までが夜の町流し。
 夜の部は「日本の道百選」に選ばれた諏訪町の町流しを見ようと、6時過ぎには場所を確保して待っていましたが、次々に人が流れ込んで来て収拾がつかない状態に。2時間ほどじっと座って場所を確保していましたが、途中から小雨がパラついて町流し自体が中止になってほとんど何も見れなかった・・・orz。
 しばらくして雨は止んだが、町流しをするかどうかは11町それぞれの判断だそうです。これ以上町流しを見れるかは運なので、帰り支度をして駅に向かいながら、途中どこかで見れたら良いな〜くらいの気持で坂道を歩く。聞名寺の境内、八尾八幡社に造られた特設ステージでおわらの演舞を観賞しながら駅へ。
 八尾の中心町を離れ十三石橋を渡り福島町に来た時、人ごみが出来ていた。町流しなのだろうが、一軒一軒踊り歩いている風で、角付、あるいは奄美で言う家回り(やーまわり)のような趣があった。
 駅に着くと、改札から外へずらりと並んだ人の列。富山方面行きの列に並び、切符を買う。臨時列車はかなりの本数が運行しているようで、わりとスムーズに乗れ、混雑しているとはいえ朝夕の小田急線の混雑を経験していれば余裕でした。
*2012年9月5日のPhoto Diaryはこちら。(写真展のチケット、湯島神社、吉原神社、250円の弁当)
*2012年9月6日のPhoto Diaryはこちら。(250円の弁当、ピクトラン局紙のプリント用紙、センサークリーニング)

9月10日(金)

 那覇市にある古書店・言事堂(ことことどう)が、明後日12日で閉店するそうだ。若狭にあった時に何度もお店の前を通り、一度写真集を探しに店内に入ったことがある。沖縄にはユニークな書店がいくつもあり、図書館も充実している。言事堂の閉店は急に決まったようで、なんだか残念だ。
Magic Mouse2

 昨年末、中古のiMacを購入した時に、AppleのサイトからMagic Mouse2を買った。それまではMagic Mouseを使っていたが、電池が消耗する度に入れ替えるのが面倒臭かった。使用する電池は充電式のもので、エネループを使っていた時はすぐに電池を認識してくれたが東芝のインパルスにしてからは相性が悪いのかなかなか認識してくれないことが多かった。そんなわけで電池を使わないMagic Mouse2にしてからは、そんな面倒も無くなった。

 バッテリーの容量が少なくなるとパソコン画面に充電を促す表示が出るので、ひと段落したときにパソコン作業を中断してパソコンのUSB端子からコードを繋いで充電すればいい。ただ、コードを繋いだ時の格好がどうも情けない。mouse本体の裏側にある小さな穴にコードの端子を差し込むのだが、そのためにはひっくり返さないといけない。その姿がまるでひっくり返って起き上がれない亀のように見える。好みもあるだろうが、スタイリッシュなデザインの製品を作るAppleとは思えない仕様だ。まあ、愛嬌はあるけど。
 ところで、Magic Mouseを使う前は画像処理をするためワコムのペンタブレットを使っていた。パソコンを使い始めた初期の頃からで、新しい製品が出る度に3台くらい買い換えている。それがMagic Mouseにしてからタブレットが必要なくなった。Photoshopでの画像の修正や切り抜きといった作業も、Magic Mouseで十分できる。個人的にはペンタブレットよりも使いやすいと思うくらいだ。

 明日でアメリカ同時多発テロから20年になる。

 Photo Diaryを更新。
*2012年8月16日のPhoto Diaryはこちら。(『塩屋・ウンガミ/塩屋ウンガミ刊行委員編』の複写)
*2012年8月18日のPhoto Diaryはこちら
8月18日のスナップ。今帰仁城跡
↑今日は国頭村・安田のシヌグ。が、昨日公民館に問い合わせたところ大きなシヌグと小さなシヌグを隔年で開催しており、今年は小さなシヌグ。祭祀は夕方から行うそうだ。辺土名からの村営バスが安田に着くのは昼の1時。帰りの最終バスは安田を3時5分に出るため2時間しか滞在できないので祭祀そのものは見れないが集落の様子だけでもと思い、土日に使えるバスの一日フリー乗車券を購入して行ってみることにした。
 安田行きの村営バスは辺土名を12時半に出るので、それに間に合うように乗り継ぎを調べると、最寄りのバス停を9時17分発の名護バスターミナル行きに乗車。名護バスターミナルに11時17分に着いて、今度は11時30分の辺土名行きに乗り換え。辺土名バスターミナルに12時26分に到着する。順調に行けば12時半の村営バスに乗車できる段取りだ。
 が、名護バスターミナルに着いた時点で11時50分くらいだったか。名護市内に入る手前から道路は渋滞。30分以上は遅れたと思われる。
 バスターミナルで聞いたところ、土日に加えて夏休み中なので、このところずっと道路は混雑しているそうで、確実に着くには2つ前のバスに乗った方が良いとのアドバイス。あっけなく安田行きは断念となったので、先月雨が降り出して見学を見送った今帰仁城跡へ行くことにした。ターミナルの売店で250円のお弁当を買って食べて、バスの発車を待つ。
 今帰仁城は、三山時代の北山王の居城。1416年に中山の尚巴志によって滅ぼされ、北山としての歴史に幕を閉じ、監守が設置される。1609年、薩摩藩に侵攻されて城は炎上。監守が住まなくなって以降は御嶽として、精神的な拠り所になっていたようだ。2000年に、琉球王国のグスク及び関連遺産群の一つとして世界遺産に登録された。
 今帰仁城跡入口のバス停で降りて、1kmほど続く坂道を上がって行く。券売所で、今帰仁歴史文化センターの入場もできるチケット400円を購入。
 城跡を散策した後、歴史文化センターで展示物を拝見。帰りはハンタ道という古道を通って、ノロ殿内の火之神の祠やミームングスクを探しながら集落へと降りて行った。
 その後、今帰仁、親泊という2つの集落が合併してできた今泊集落の中を散策。ハサギ(奄美ではアシャゲ、ノロが祭祀を行う場所)やフクギの並木道を見て歩く。
  古い建物が残っていそうな集落なのでもっと見て回りたいが、今日はもう歩き疲れた。また来ることにして17時18分のバスで名護ターミナルへ。ターミナルにある食堂でカツ丼600円を注文。ゆっくりカツ丼を食べて、19時15分のバスで那覇へ帰る。
 注文したカツ丼。カツは揚げたてですが少し焦げてるのはご愛嬌(笑)。それにしてもボリュームたっぷりです。2時間強、バスに揺られて家の近くのバス停に到着。途中から座席はほぼ満席が続いていた。写真は今帰仁城跡。
*2012年8月19日のPhoto Diaryはこちら
8月19日のスナップ。赤田のみるくウンケー

↑先日首里城を見に行った時に、「赤田のみるくウンケー 8月19日(日)16:30〜 場所:赤田クラブ」と書かれた大きな白い布を見て、何だろう??と思ってパソコンで検索。首里の赤田町に古くから伝わるお祭りだと知り、楽しみにしていた。
 みるくは弥勒の沖縄方言読みだそうで、五穀豊穣をもたらす神として信仰されている。みるくの神様をウンケー(お迎えの儀式)し町内スネーイ(練り歩く)した後、ウトィムチ(おもてなし)で芸能を奉納する。
 みるくウンケーは午後4時半からとなっていたが、1時間程前に会場の赤田クラブへ。祭りの準備をしているところを撮影していたら、御堂に奉られたみるくの神様に、関係者が御願する神事が行われたので撮影させていただいた。早めに来ていて良かった。
 スネーイは予定通り4時半からスタートして、1時間程町内を練り歩いた。みるくが通ると子供よりもお年寄りが大喜びで、握手している。
 スネーイの後は舞台にみるくを奉り、 ウトィムチ(おもてなし)の奉納芸能。奉納が終わると、みるくの神様を御堂にお帰しして盆踊りが始まった。
 盆踊りを30分程見てから、ライトアップされた首里城を見ながら自転車で帰宅。写真はみるくを先頭に、赤田クラブからスネーイに出発するところ。

 スネーイの時に路次樂が奏でている曲が「赤田首里殿内」で、わらべ歌として親しまれている。

一.
あかたすんどぅんち くがにどぅーるーさぎてぃ
赤田首里殿内 黄金灯籠提げてぃ
〈首里赤田村の首里殿内に 黄金に輝く灯籠を提げて〉
うりがあかがりば みるくうんけー
うりが灯がりば 弥勒御迎え
〈それが明るく灯ったらば 弥勒様をお迎えしよう〉
(囃子)しーやーぷー しーやーぷー みーみんめー みーみんめー
    ひーじんとー ひーじんとー いーゆぬみー いーゆぬみー
二.
あがりあかがりば しみなれーがいちゅん
東明がりば 墨習いが行きよん
〈日が昇ったら 学校に参ります〉
かしらゆてぃたぼり わうやがなし
頭結てぃ給り 我親がなし
〈髪を結って下さいませ 私の親御様〉
     (囃子)
三.
だいくくぬみるく わがしまにいもち
だいこくの弥勒 我が島に往もち
〈だいこくの弥勒 私の島にもおいで下さい〉
うかきぶせみそうり みるくゆがふ
御拡きぼせみそうり 弥勒世果報
〈そして広めて下さい 弥勒の太平の世「ゆがふ」を〉
     (囃子)
四.
みちみちぬちまた うたうたてぃあしぶ
道々の巷 唄歌てぃ遊ぶ
〈道々のそこかしこ みんなが唄を口ずさむ―平和な世の中〉
みるくゆぬゆがふ ちかくなたさ
弥勒世の世果報 近くなたさ
〈弥勒の「ゆがふ」が近くなったようだよ〉
     (囃子)
YouTubeから「赤田首里殿内」。

*2012年8月20日のPhoto Diaryはこちら。(弁当、刺身盛り合わせ、泡盛・残波、伊平屋島の新米)
*2012年8月21日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダからの那覇市内の夕暮れ)
*2012年8月23日のPhoto Diaryはこちら。(部屋の中、出版社に送る機材、麻婆豆腐)
*2012年8月24日のPhoto Diaryはこちら。(プレゼント用に購入した夫婦茶碗、シュガーローフ戦跡の給水塔)
*2012年8月26日のPhoto Diaryはこちら。(台風15号で暴風雨の那覇市内、出版社から献本された掲載誌)
*2012年8月27日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダから撮影した暴風雨の那覇市内)
*2012年8月28日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)

9月7日(火)

 隣りの田んぼの稲穂も実って黄色くなってきた。秋の空気だ。昨日、町内の病院で1回目の新型コロナワクチンを打ってきた。接種券はだいぶ前に届いていたが、まだ町内の病院にはワクチンの配給が少なかったので、あまり家から出ない自分よりは仕事で人と接する人が先に接種を受けた方がいいだろうと様子をみていた。最近は町内の病院でも予約が取りやすくなったようなので、接種することにした。
 副反応だが、熱が出ることはなかったが、一日経った今も接種した場所には少し鈍痛がある。腕が上げられないほどではないが、動かすと鈍い痛みを感じる。
稲穂が実った隣りの田んぼ

 一昨日、ようやくオリ・パラのイベントが全て終わった。新型コロナ禍での開催に反対だったからという訳でもなく、どこの大会のオリンピックもテレビ中継はほとんど観ないのだが、東京五輪はいつにも増して観なかった。もともとスポーツ観戦に興味がない。オリンピックの中継で普段観ている番組が放送されなくて、テレビそのものをあんまり観なかった。今回の東京五輪で印象に残っているのは、スケボーの女の子がラスカルの歌を聴いていたというそれくらいだ。 
  一昨日行われたパラリンピックの閉会式も当然観ていなかったのだが、ヤフーのニュースにROGUEのボーカリスト奥野敦士が映像出演してサッチモの「この素晴らしき世界(What a Wonderful World)」を歌ったという記事が流れてきて、これはちょっと観たかったなと思った。
 奥野の歌う「この素晴らしき世界」は以前、映像で観たことがある。ほぼ日刊イトイ新聞で2013年に掲載されていた、奥野敦士へのロング・インタヴュー<終わりのない歌を歌っているぜ。>にその映像が挟み込んであった。
 2008年9月に彼は事故で頚椎を損傷し、首から下が動かなかくなった。腹筋を使えない彼が「この素晴らしき世界」を歌っている。その事からインタビューは始まっている。奥野によれば「おなかにきつくベルトを巻き付け、声を出すたび、上体をぐっと前に倒す」という独自の歌唱法を考え出して歌っているそうだ。
  下の写真は、2009年4月に発売になった『ROGUE (ローグ)/LIVE The Ultimate Collection』という2枚組CDのジャケットに使われた写真のオリジナル。1987年2月14日に日本青年館で行われた彼らのコンサートで撮影したもの。
 このCDはROUGEのプロデューサーでマネージャーだったブッチャー岡野こと岡野信夫さんが、頚椎を損傷して療養中となった奥野のサポートになればと企画した。1986年5月2日の前橋市民文化会館と1987年2月14日の日本青年館での音源が収録されており、売り上げは療養中の奥野に渡された。
 奥野敦士が事故にあって今月で13年になる。YouTubeから「この素晴らしき世界/奥野敦士」。

ROGUEのライヴ写真
 この他の気になった記事を備忘録として。
空腹がまん「ほぼ毎日」が12% 乳幼児いる支援世帯、NPO調査
ワクチン接種行列は「サクラ」と誤情報 陰謀論が広がる
パラマラソン競技 橋本会長は「密発生せず」と言うけれど…浅草では三重の人垣
 Photo Diaryを更新。
*2012年8月2日のPhoto Diaryはこちら。(航空引換証)
*2012年8月3日のPhoto Diaryはこちら。(天久緑地)
*2012年8月7日のPhoto Diaryはこちら
8月7日のスナップ。崇元寺の石門
↑のらりくらりとした動きの台風11号も、ようやく遠く去って行ったようだ。
 午後から散歩。いつも使っている18〜250mmのズームレンズから50mmのマクロレンズに付け替えて、歩いてみる。
 散歩のコースは泊〜崇元寺〜国際通り〜牧志公設市場〜安里〜おもろまち。3時半頃に家を出て、帰ってきたのが7時過ぎだったか。
 牧志公設市場で海ぶどうのB級品(茎の部分が多い)3パック500円と、コーレーグースー( 泡盛に島とうがらしを漬け込んだ調味料)を購入。
 おもろまちのスーパーで、食材をいろいろ購入。晩ご飯は、素麺。具は薄焼き卵とトマト、スライスオニオン。薬味に青ネギ、大葉、生姜、梅肉、すりごま。深夜、半分眠りながら女子卓球団体戦の決勝、男子サッカー準決勝を観る。写真は崇元寺の石門。
*2012年8月9日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、やんばる食堂レモンティー、パン)
*2012年8月10日のPhoto Diaryはこちら。(天久緑地、墓地、天久宮)
*2012年8月12日のPhoto Diaryはこちら
8月12日のスナップ。一万人のエイサー踊り隊
↑当初は5日に予定されていたが、オスプレイ配備反対県民大会が5日に決まったことで今日に延期された夏祭りin那覇2012 一万人のエイサー踊り隊。
 朝からよく晴れた沖縄。お昼ご飯にマグロのづけ丼を食べてから、水筒にアクエリアスを入れて会場の那覇・国際通りに向かう。
 車両の通行規制が行われ、歩行者天国となった国際通りで、午後1時からエイサーが始まった。2曲ほど踊ったら場所を移動するため何チームが出場したか把握し辛いが、プログラムを見ると20組以上が踊っていたようだ。
 エイサー大会は午後5時過ぎに終了。自転車で家に帰り、急いでシャワーを浴びてスッキリ。晩ご飯は冷凍のうどんを2つ茹でて氷で冷やして、ぶっかけうどん。オニオンスライス、大葉、青ネギ、焼き肉、すりごま、卵黄をトッピング。
 ところで5日に予定されていたオスプレイ配備反対県民大会は、台風の影響で延期になっていましたが、ようやく開催日時が決まった。9月9日の午前11時から、宜野湾海浜公園多目的広場。う〜ん、この日は参加が難しい。写真は一万人エイサー踊り隊が開催された国際通りで、エイサーを見る女の子。オシャレな髪型。
*2012年8月14日のPhoto Diaryはこちら
8月14日のスナップ。首里城
↑奄美から沖縄に引っ越してきて、そろそろ2ヶ月。まだ乗っていなかった、沖縄都市モノレール(通称ゆいレール)の一日乗車券600円を購入して端から端まで乗ってみた。
 家から多分一番近い泊ふ頭郵便局で用事を済ませた後、歩いて美栄橋駅へ。乗車券を購入して、まずは那覇空港駅へ。
 那覇空港に着いて直ぐに激しい通り雨が降ったが、空港の施設を少し見学しているうちに去って行った。
 再びゆいレールに乗って反対端の首里駅へ。所要時間は27分となっているが、もう少し長く感じられる。
 首里駅から首里城まで歩き、城内へ。今日は無料エリアだけを周ろうと思っていたが、次来た時に青空をバックに正殿が撮影できるかわからないので、入場料を払って有料エリアを撮影。
 首里城の閉館時間は夜8時で、7時15分からライトアップが行われると聞き、それまで近くを散策。有料エリアに再入場できるように手の甲にスタンプを押してもらう。
 日本の道100選の一つにもなっている金城町の石畳の坂道を歩き、 近くの内金城御嶽(うちかなぐすくうたき)と神木と思われるアカギを見てきた。
 7時前に首里城に戻り、北殿の展望所から東シナ海に落ちる夕日を眺める。丸い大きな太陽は慶良間諸島の島影の後ろに消えて行った。
 ライトアップされた正殿や北殿、奉神門などを撮影し閉館時間の少し前に城外へ。水筒のアクエリアスも無くなったので、コンビニでやんばる食堂のレモンティーを買って水筒に詰めて首里駅へ。途中スーパーでお弁当を買おうと思って安里駅で降りるが、食べたいものがなくて再びモノレールに乗車。美栄橋駅で降りて家へと歩く。
 美栄橋から部屋まで、徒歩で20分くらいか。普段は自転車で動いているので気にしていなかったが、モノレール駅までちょっと遠いな。
 2000年12月に、『琉球王国のグスク及び関連遺産群』が、日本で11番目の世界遺産として文化遺産に登録された。その内容は1. 首里城跡 2. 園比屋武御嶽石門 3. 玉陵 4. 識名園 5. 今帰仁城跡 6. 勝連城跡 7. 座喜味城跡 8. 中城城跡 9. 斎場御嶽 の9ヶ所。
 復元された建物や城壁ではなく、あくまでも首里城跡が登録されている。写真は首里城の正殿。まさか2019年10月に火事で焼けてしまうとは思ってもみなかった。
*2012年8月15日のPhoto Diaryはこちら。(いなり寿司、刺身の切り落とし)

9月4日(土)

 昨日の午前、突如菅首相が自民党総裁選に立候補しないことを明らかにし、以降ニュース番組やワイドショーはこの話で持ちきりになった。出馬断念の理由はコロナ対策に専念したいということだが、そんなことを信じる人はいないだろう。
 ところで、官邸で行われた記者団の囲み取材で菅首相は「新型コロナウイルス、この感染拡大を防止するために私はせんにんしたい」と述べた。せんにん=専任だろうか。専任だとしても日本語として文章がおかしい。この取材会見を放送したNHKは、わざわざ専念と直してテロップで流していた。日本語としておかしいと思った人は大勢いたようで、ネット上で話題になっていたそうだ。それにしても前首相だった安倍氏、そして菅氏と日本語の不自由な首相が続いている。義務教育の国語と日常的な読書をしていれば云々を”でんでん”と読むことはないだろうし、専任と専念の使い方を間違えることもないだろう。国のトップの国語力の低さに驚くしかない。この人たちの家の本棚を一度覗いてみたいものだ。
 この菅首相の立候補断念を受けて小泉進次郎環境相が記者団の質問に「こんなに仕事をした政権はない」と答えていて驚いた。政治は結果が全てということを菅氏は常々述べていたが、新型コロナの感染爆発と医療崩壊がその結果だろう。休みもなく働いたという人もいるが、国会議員の仕事は国会で議論することのはず。野党や国民の国会を開けという声を無視し続けたのが菅政権だ。携帯電話の料金値下げを成果としてあげる節もあるが、本来は特定の料金を値下げさせるよりは国民の所得を一律にアップさせるような政策を打ち出すのが優れた議員なのではないだろうか。
 1年間でこんなに結果を出した総理はいないと小泉氏は言うが、多くの人は下にリンクを貼った記事の方に賛同するだろう。
学術会議、総務省接待、公文書改ざん問題…コロナだけじゃない説明軽視の菅政権1年
菅義偉とは何者だったのか 望月衣塑子記者が語る「権力に酔って、権力に負けた」悲しき首相の最後

 今月1日にデジタル庁が発足したが、その事務方トップに就任した石倉洋子デジタル監が、自身の公式ウェブサイトのブログで、画像素材サイトの画像を利用規範に違反して掲載していたことがわかった。本人は報道陣のグループインタヴューで「私の不注意だった」と謝罪したそうだが、やったことは万引きのようなことで、不注意で済まされるのだろうか。ましてやデジタル庁の事務方トップで、ITやデジタルに関するリテラシーが求められるはずの立場なのに。


 先日、1997年に音楽誌の仕事で撮影したスコットランド出身のSSW、ドノヴァンの写真を再使用したいというメールが出版社から届いた。現在制作中のイギリスのとあるミュージシャンについての本の中に、ドノヴァンのインタヴューを再掲載したいということだった。そして、雑誌ではモノクロページだったが、もしライヴなどカラーでも撮っていれば、そちらをお借りしたいとも書いてあった。
 まず雑誌で使用したモノクロのプリントを書庫兼物置の部屋で探す。プリントを入れた茶封筒には一つ一つミュージシャンの名前が書いてあるので、これは直ぐに見つかった。次にカラーだが、こちらは作業部屋のラックにセレクトしたポジフィルムだけをファイルボックスに入れたものが40個ほど並んでいる。もちろんセレクトしなかった残ポジも捨てずに現像所の封筒に入れて、モノクロのフィルムと一緒に段ボールや衣装ケースに仕舞って(突っ込んで)ある。
 ファイルボックスの背には、どんなフィルムが入っているかリストにした紙が貼り付けてあるが、時間が経っているので文字が薄れていたり紙が破けていたりで見つけるのにちょっと手間取った。
 久しぶりにライトボックスを出してきて、ポジフィルムを確認。退色もしていないようだ。ドノヴァンのライヴはモノクロでしか撮影しなかったようだが、インタビューの際の写真はカラーでも撮っていて12枚がセレクトされていた。このセレクトされた12枚のうち、何カットかはスキャナーで取り込んでデジタル・データにしてあった。
 フィルムの退色やカビの心配があったので2006年〜2007年にかけて、仕事の合間にコツコツとデジタル・データ化をしていた。退色はほとんどなかったが、カビは結構付いていた。一見すると綺麗なのだが、スキャナーで取り込んでパソコンで拡大すると世の中にはこんな様々なカビがあったのかと思うほどついていた。そのカビをフォトショップで消していった。
ドノヴァンのポジフィルム

↑ドノヴァンを撮影したポジフィルム。
→セレクト済みのポジフィルムを収納したボックスが並んだラック。


 セレクトした写真はスリーブから切り離してマウントするので、その時に指紋がついたり、編集者やデザイナー、印刷所に渡るので汚れる可能性がある。その指紋などの汚れからカビが発生するのだと思う。なのでセレクトしなかったカットの方が、綺麗だったりする。
 あまりに酷いカビでフォトショップでの修正も無理な写真があったが、同じようなカットでセレクトしなかった残ポジを確認すると綺麗な状態だったので、こちらをスキャンしてデジタル化したものもある。
 ドノヴァンの写真は、モノクロのプリント、ポジフィルム、デジタルデータをまとめて出版社に郵送しましょうかとメールしたところ、サンプルのデジタル・データを確認した編集者からデータだけで大丈夫ですという返事が来た。そういう時代だ。

ポジフィルムのファイルボックス
 Photo Diaryを更新。
*2012年7月15日のPhoto Diaryはこちら。(斎場御嶽、第14回エイサーinいとまん)
*2012年7月16日のPhoto Diaryはこちら。(本部半島を巡回、辺土名、フーチャンプルー)
*2012年7月20日のPhoto Diaryはこちら
7月20日のスナップ。てだこまつりの前夜祭
↑20日は昼ご飯にナポリタンを作って食べてから、郵便局へ電気料金の支払いに。1万円札を出したら、おつりに2千円札が混じって来た。2千円札見たの、何年ぶりだろうか?
 電気料金を支払った後、スーパーへお米を買いに行く。いろいろと迷って、伊是名島で穫れた「尚円の里 ひとめぼれ」を購入。24年7月17日精米の新米と書いてある。「?」と思ったが、沖縄は暖かいから二期作なんですね。新米だからか内地のお米と比べても安くはなかったけれど、沖縄のお米で炊いたご飯、楽しみです。
 家でしばらくタラタラと過ごしてから、第35回浦添てだこまつりの前夜祭を見に行く。前夜祭の「ひぃーやー祭々」が行われる屋富祖通りは、家から自転車で30分ほど。17時20分から始まるオープニングのふれ太鼓の前に到着し、会場となる通りを写真を撮りながら歩いてみる。
 民謡ライブ、カラオケ大会、日舞、ハワイアン、大道芸と催し物はたくさんありましたが、やはり一番面白かったのは最後の青年エイサー。どのチームも地謡(じうたい)を引き連れてのエイサー。先日糸満で何組か見た、ボサノバやポップスに合わせて踊る創作エイサーよりは、こちらの方に興味を覚える。
 予定終了時間の21時30分頃に、演目は終了。路地にとめて置いた自転車をとりに行き、国道58号を走って那覇へと帰る。途中、おもろまちのスーパーに寄り半額になった弁当やサンドイッチを購入して帰宅。
*2012年7月21日のPhoto Diaryはこちら。(第35回浦添てだこまつり)
*2012年7月22日のPhoto Diaryはこちら
7月22日のスナップ。オスプレイ配備反対の市民集会
↑22日は、第35回浦添てだこまつりの2日目。メイン・イヴェントは牧港漁港で開催される「てだこハーリー大会」。朝9時から夕方6時まで行われるということで、昼過ぎに家を出て、途中にあった焼肉店で牛カルビ定食500円を食べてから会場の牧港漁港へ。
 2時頃に着いて、写真を撮りながらハーリー見学。ハーリー大会は初めてですが、奄美群島の舟漕ぎ大会と同じ感じですね。応援は、チヂンを打ち鳴らす奄美の方が激しいかも。
 先頭に銅鑼を叩く人、後方は舵を取る人(?)。中の漕ぎ手は10人でした。
 3時半過ぎまでハーリー大会を撮影し、5時から開催されるオスプレイ配備反対の市民集会「ムリだヨ!オスプレイ全員集合」に参加するため自転車を漕いで那覇に戻る。
 集合時間の5時より少し前に、県庁前に到着。時間が経つほどに人が集まり、プラカードを持つ人、楽器を持つ人で広場がいっぱいになった。
 5時半頃に集会がスタート。反対運動を続けて来られた団体の代表者による挨拶の後、シュプレヒコールを上げて国際通りを行進。行進の先頭はパーカッション・チームによるサウンドデモ。この後にダンスチーム、そしてプラカードを掲げた参加者が続く。国際通りを歩いている途中、一瞬雨。パラッと降って止んだら、青空に虹が現れた。 一時間ほどかけて国際通りの端まで行進して、集会は解散。
 家に帰りご飯を炊き、シャワーを浴びようと準備していると消防車のサイレン。国道58号線沿いなので、パトカーや救急車のサイレンはしょっちゅう聞こえるが、それにしてもやけに大きいサイレンだな〜と思っていたら、消防隊員が部屋に訪ねて来た。同じフロアー(8階)の住人が部屋で花火をしていたのを、通行人が火事だと思い通報したらしい(ノ゚ρ゚)ノ ォォォ・・ォ・・ォ・・・・
 消防署員とおまわりさんが、その部屋に入って行ったが、その後どうなったのか??自分の部屋は住宅地側、花火の部屋は道路側なので見てないが、はしご車が出動したらしい。人騒がせな・・・
 オスプレイ配備への抗議として、今、普天間基地第一ゲート前広場で毎日座り込みが行われている。そして来月5日には宜野湾海浜公園で、オスプレイ反対県民大会が開催される。
 これとは別に、沖縄北部の東村・高江でもヘリパッド(ヘリコプター着陸帯)建設反対の座り込みが行われている。住民160人の小さな集落を取り囲むようにして、ヘリパッドを新たに6つ造る工事が説明なしに始まっている。オスプレイの訓練も、ここで行われるようだ。写真は県庁前で行われたオスプレイ配備反対の市民集会。
*2012年7月25日のPhoto Diaryはこちら。(宮古島の泡盛・菊之露、借りてきた本)
*2012年7月27日のPhoto Diaryはこちら。(魚の切れ端の天ぷら、ベランダからの那覇市内、マグロの中落ち)
*2012年7月28日のPhoto Diaryはこちら。(豊見城ハーリー大会、瀬長島)
*2012年7月29日のPhoto Diaryはこちら
7月29日のスナップ。真志喜の大綱引き
↑昨日は会場に着いたらレースが終了していたというトホホな結果だったので、今日、改めてリベンジ。やはり海を走るドラゴンボートを撮りたくて、美らsunビーチに向かう。
 家を昼過ぎに出て、1時間ちょっとで会場に到着。予選の終盤のようだった。
 ドラゴンボート自体は6隻ほど有ったと思うが、一回のレースで競うのは3隻のようだ。
 それにしてもドラゴンボートは細長いですね。長くて安定が悪いのか、沖の折り返し地点で一隻が転覆した。これまで風の影響や、舵取りが上手くなくて大きくコースから外れる舟は見た事あるが、転覆した舟を見たのは初めてだ。準決勝の途中まで2時間ほどハーリー大会を見物してから、宜野湾・真志喜の大綱引きを見るために会場を後にする。
 331号のバイパスを通り那覇へ。那覇から浦添、宜野湾市に入って真志喜へ。イヴェントは6時からと書いてあったが、5時半頃に会場のコンベンション通りに到着。自転車で、約2時間半かかった。
 歩行者天国になるまで周辺を散策していたら、ちょうど編み終わった綱引きの大縄を公園から会場近くまで運ぶところだった。綱には雄綱、雌綱があるようで両方の綱の頭には大きな輪っかがある。この輪っかに、人が持つように棒を何本も差す。
 メインの大綱引き自体は30分ぐらいだが、その前に中学の吹奏楽部によるパレード、子供たちのエイサー、婦人方のフラダンス、老人方による踊りなどが披露される。そして東西の旗頭による空中のぶつかり合いが始まった。
 大綱引きの後、カチャーシーが行われて8時半頃にイヴェントは終了した。
 すっかりお腹が空いたので、帰る途中に国道58号からそれて先日も食べに行った焼き肉屋さんへ。500円の牛カルビ定食。無料のすりおろしニンニクを付けてもらう。
 家に着いたのは10時半頃だったろうか?シャワーを浴び、ビールを飲んで布団に入る。長時間自転車を漕いだので、ふくらはぎに疲れがたまっている感じ。写真は雄綱、雌綱の先端を空中でぶつけ合うアギエー(上げあい)。
*2012年7月30日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、麩、フーチャンプルー)
*2012年7月31日のPhoto Diaryはこちら。(いかの天ぷら、500円の刺身盛り合わせ)

9月1日(水)

 今日から9月。今年も3分の2が過ぎた。今日の富山は雨で、日中の最高気温は22℃ほど。昨日までの暑さから一転して、半袖のTシャツでは寒いくらいだ。
 先月24日に行われたパラリンピック開会式当日、東京都心を飛行した航空自衛隊のブルーインパルス。都心を飛行した6機の周辺を飛んでいた予備機3機が、入間基地に着陸する直前に3色のカラースモークを不適切に噴射し基地周辺の車300台ほどに付着したという。水や洗剤では落とせず、塗料の塗り直しが必要になるという。しかし、車に付着したということは家の屋根や外壁、あるいは畑の作物にも付着しただろう。これらはどう対処するのだろうか。健康や環境への影響は「問題ないレベル」と説明しているそうだが、水や洗剤でも落ちないものが問題ないと言われても。

 福島第一原発事故の放射能汚染で福島県内7市町村に残る帰還困難区域について、政府は戻って暮らしたい人の求めに応じ、2029年までに自宅などを除染し部分的に避難指示を解除する方針を決めたという。しかし、周辺にある山は早くから除染を放棄しているので、自宅周辺だけ除染していても雨風によって山から平野へと放射性物質は流れ込むだろう。山を除染しない限りは、除染したことにはならないのでは。普通は棚や窓を掃除した後に床を掃除する。高い所から低い所へ。除染の担当者は掃除の仕方を知らないのだろうか?

 この他の気になった記事を備忘録として。
「ニュース女子」DHCテレビに550万円賠償命令 沖縄・高江の基地抗議への名誉毀損
コロナより党内権力闘争…菅政権は「末期症状」 総裁任期切れ直前の党役員人事に自民内から反発
新たなデルタ株を初確認 アルファ株の類似変異も 東京医科歯科大

 Photo Diaryを更新。
*2012年7月6日のPhoto Diaryはこちら。(1980円の扇風機、壺屋界隈、199円のTシャツ)
*2012年7月7日のPhoto Diaryはこちら
7月7日のスナップ。泊港の鮮魚卸売市場
↑7日は、朝4時にセットした目覚ましで起床。5時過ぎに部屋を出て、自転車で5分ほどの泊港へ。
 鮮魚卸売市場に着くと、すでに競りは始まっていた。カメラを取り出し2枚ほど撮った時に、ここは立ち入り禁止です、と注意を受ける。えっ!?写真を撮りたいんですが、と聞いてみると2階の事務所で申請して下さいとの答え。
 申請の手続きは簡単で、用紙に名前と連絡先、見学時間を書くだけだった。見学と書かれた帽子と長靴を借りて、競りの様子を再び撮影。
 競りは7時前に終わった。事務所に帽子と長靴を返却し、お礼を言って市場を後にする。せっかく早く起きたので、農連市場にも行ってみる。こちらは思っていたほど人出がなく、少し見学して帰って来た。今度は夜中に来てみようか。
 家に帰り、朝食にそうめんを2束茹でて食べる。布団にゴロンとなって、再び...zzz。
*2012年7月8日のPhoto Diaryはこちら。(引っ越し祝いに送られてきたレゲエのCD)
*2012年7月11日のPhoto Diaryはこちら
7月11日のスナップ。ヤギフン売りますの看板
↑自炊が続いていたので(外食は先月、那覇に着いた晩に高良食堂で食べて以来?)、5月に部屋探しで那覇に来た時に食べて美味しかった久米の居酒屋へ。 
 680円のAランチは、魚のムニエルのトマトクリームソース。副菜に筑前煮、もずく酢、小松菜のたいたん(炊いたもの)、ご飯、みそ汁、リンゴのゼリー。
 与儀にある県立図書館に借りていた3冊を返却し、隣の市立図書館で借りていた2冊の延長をしてもらう。 用事が済んだので、ふらふらとサイクリングを開始。糸満まで行ってみようかな?
 与儀の十字路から空港の方向へ自転車を走らせ、那覇大橋を渡り、モノレールの奥武山公園駅を過ぎて左折して県道7号線に入る。案内板には平和祈念公園、ひめゆりの塔と書かれている。2カ所とも糸満の市街地のまだ先だけれど、せっかくなので挑戦。奄美大島のように隣の集落へ行くにも山を越えなくては行けないという厳しさはないけれど、国道7号は坂や丘がいくつもあってめげそうになる。
 国道331号とぶつかり、左折して3キロほど走って平和祈念公園に到着。小さな自転車でタラタラ走って約2時間。那覇から20キロくらいだろうか。
 平和祈念公園に着いて直ぐに、通り雨。駆け抜けて行った雨は、虹のお土産を残して行った。公園の端から望む海。虹を見下ろすなんて、初めてかもしれない。
 帰りは国道331号を使い、途中に梯梧の塔やひめゆりの塔に寄りながら、海の近くをまわる感じで那覇を目指す。県道7号よりも距離はあるかもしれないが、アップダウンが少ないので、自転車はこちらが楽かな?
 平和祈念公園に着くと、斎場御嶽(せーふぁうたき)まで18キロという表示があった。 朝早くに出発すると、那覇から自転車で日帰りも可能かな?
 今日は往復で40キロほど。沖縄本島は確か南北200キロだっけ?アレコレと妄想してみたりする。
*2012年7月14日のPhoto Diaryはこちら
7月14日のスナップ。真栄原社交街
↑14日は家で宮古そばの昼ご飯を食べてから、おもろまちの新都心郵便局へ行って、合成した写真データとそのサンプルプリントを、レターパックで発送。連休明けには編集部に届くだろうか?
 郵便局から宜野湾方向に自転車を走らす予定でしたが、部屋に携帯電話を忘れたことに気づいて一度引き返す。一昨年の3月まで携帯電話なんて持っていなかったのに、持たずに外出すると少し不安になる。変われば変わるもんだ。
 携帯電話をポケットに入れ、気を取り直して宜野湾方向へ。国道58号は天久辺りまで少し上り坂なので、那覇新港の横を通って浦添市に入り、国立劇場おきなわのところから国道58号に戻る。少し遠回りだけれど、こちらの方が疲れない気がする。
 キャンプ・キンザーを左手に見ながら58号を走り、しばらく走ると今度は右手に普天間基地第一ゲートが現れる。ゲート前広場には、 オスプレイ配備反対の横断幕が並んでいる。
 58号を伊佐の交差点まで走り、右折して81号へ。坂道を上がって行くと普天間の町に到着。自転車を置いて、ぶらぶらと写真を撮りながら歩いてみる。
 再び自転車に乗り、今度は330号を走り野嵩、上原、赤道と通り我如古の交差点で右折して34号へ。34号を真っ直ぐ走れば再び58号に出て、普天間基地を一周したことになる。
 34号を走る途中、真栄原の嘗て社交街だった一角を尋ねてみる。扉を閉ざし看板もない小さな店が建ち並ぶ通り。それでも不思議と頻繁に車がやって来て、ゴーストタウンのような一角をゆっくり走って、また通り過ぎて行く。
 58号に出て、那覇方向にペダルを漕ぐ。宜野湾から那覇まで自転車で走るのは2回目なので、見覚えのあるお店もあり、走っている時間が少し短く感じられる。途中おもろまちに寄り、マクドナルドで100円のファンタグレープLサイズを飲み干して、スーパーで助六すしを買って帰る。
 シャワーを浴び、晩ご飯の助六すしを食べながら、今日お中元にいただいたエビスビールを飲む。ビールを飲むのは、沖縄に来て初めてだ。写真は人の気配がない真栄原社交街。

8月へ