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2021年カレンダー

◯9月6日 サンエール 16:00〜16:30

◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

2022年8月22日〜8月27日 式年遷宮祭

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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
◯富山県 新型コロナウイルス感染症について 
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U
◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

メディア関連
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8月29日(日)

 ニルヴァーナのアルバム『ネヴァーマインド』のジャケットに使われた、釣り針にかかった1ドル札に手を伸ばしてプールの中を裸で泳ぐ赤ちゃんの写真。その赤ちゃんだったスペンサー・エルデン氏が、30年を経て性的搾取だとしてニルヴァーナ側を訴えたという。
 なぜ今?と思わずにいられない。エルデン氏はアルバム発売25周年記念などの際に何度かこのアルバム写真の再現をしているというし、撮影したウェドル氏は彼の父親の友人で、エルデン氏の両親に報酬として当時200ドル支払っているという。
 まあ、『ネヴァーマインド』は3000万枚の売り上げを記録しているそうなので、ジャケットのモデル料として200ドルでは不満になったのだろうか。30年も経っているので色んな事が時効になっているように思うが、うまく解決されることを願う。
 ところで、今回の件で思い浮かんだのがブラインド・フェイスのアルバム『スーパー・ジャイアンツ』だ。このジャケットは、上半身裸の幼い少女が宇宙船の模型を持っているというもの。
 デザイン・スタジオ「ヒプノシス」の創設者ストーム・トーガスンとオーブリー・パウエルが制作した『100BEST ALBUM COVERS』という本がある。2人がジャケット・デザインのベスト100を選び、そのジャケットに関わったデザイナーやフォトグラファー、ミュージシャン、モデルなど関係者に取材しアルバム誕生までの秘話を紹介している。この本に『スーパー・ジャイアンツ』も掲載されており、モデルとなった少女はマリオラ・ゴシェンという名で、彼女の証言も記載されている。
 彼女はモデル料はどうすればいいか聞かれ、仔馬がいいと答えたそうだ。しかし、エリック・クラプトンのマネージメント会社から届いたのは40ポンドだったという。そして彼女は、こう語っている、「ヌードは気になりませんでした。自分に胸があることさえまだ気づいていなかったし、家族や友だちからあきれられるほどの動物オタクで、ほかのことにはいっさい関心がなかったから。でも、当時の感想を今になっていろいろ聞かされるとぞっとします。そうだ、エリック・クラプトンから馬のことで電話があるのを、今でも待っているんだけれど」。
 この本が発売されて20年以上経った。クラプトン、ちゃんと彼女に電話しただろうか。

ナヴァーマインドとスーパー・ジャイアンツのジャケット
↑『ネヴァーマインド』と『スーパー・ジャイアンツ』。
 このところ、食料品や日用品しか買っていないので、アマゾンのマーケットプレイスで何か面白い写真集でもと<写真集 沖縄>で検索したところ『人・風景・光/松永楠生』(集広舎)というのが送料込みで394円であったので、ポチった。その写真集が一昨日届いた。
アマゾンのマーケットプレイスで買った写真集

 内容はカラーのアブストラクト風な写真から、各国の人物写真、イースター島のモアイ像、世界貿易センタービルから東日本大震災の被災地と多岐にわたっており、これまで撮り溜めたものを少しずつ盛り合わせた幕の内弁当のような写真集だった。
  なぜこの写真集が<沖縄>というワードで引っかかったのか不思議に思うが、1984年に金武で撮影した米兵の写真が6ページあった。
 今日の午前中、自衛隊大規模接種センターと名乗る詐欺メールが届いた。今日から大規模に送りつけられているようで、14時頃には<自衛隊大規模接種センター>がヤフーの話題のキーワード1位になっていた。
自衛隊大規模接種センターを名乗る詐欺メール
↑自衛隊大規模接種センターを名乗るメールの画像。

 菅首相が25日の記者会見で新型コロナ対策について聞かれ「明かりははっきりと見え始めている」と述べたそうだ。幻覚でも見え始めたのだろうか。

「若年層に新型コロナが広がっているのは若者がワクチンを接種したがらないからだ」という責任転嫁と思い込みで、ワクチン接種を呼びかけるPR事業に7.5億円を使う小池都政。一昨日はその思い込みから思いついた、若者の街・渋谷近くに予約なしでワクチン接種ができるセンターを設置したところ、早朝からワクチン接種を受けたい若者で混雑し、挙句に用意した200人分の枠はすぐにいっぱいになり混雑の中で長時間並んだが受けられない人が多数出た。
 初日の一昨日の先着順を抽選式に変更した昨日も、抽選券をもらう希望者が殺到し、1km先の原宿駅まで2226人が長蛇の列を作ったという。抽選式にして2日目となった今日は行列こそ短くなったが、抽選倍率は約4倍で1000人ほどが接種を受けられなかった。テレワークやリモートを呼びかけていながら、なぜワクチン接種の抽選券をもらうのに渋谷まで足を運ばせて並ばせるのか。これこそネットを活用すれば済む話だ。そもそも「若者がワクチンを接種したがらない」という思い込みから思いついた施策であり、ワクチン接種を先着順や抽選で行うことが間違っている。どう考えても仕切り直した方がいいように思う。「エピソードベースではなくエビデンスベースで語ることが重要」という小池都知事だが、今回の先着順や抽選式のワクチン接種方針にどんなエビデンスが用いられたのだろうか。新型コロナの発生から1年半、小池都知事が何かまともな対策を行ったという記憶が一切ない。そもそもこの人が都知事になって、公約に掲げたことで一つでもしっかりと解決した問題はあっただろうか。

 Photo Diaryを更新。
*2012年6月25日のPhoto Diaryはこちら
6月25日のスナップ。波之上宮と波之上ビーチ
↑今日も快晴。しなくてはいけないパソコン作業もあるが、お天気につられて午後から少しだけ自転車を走らせる。
 まずは波之上ビーチと、隣接する波之上宮へ。海に囲まれた島でありながら、この波之上ビーチが那覇市内で唯一の海水浴場という不思議。波之上宮を散策した後、沖縄で一番大きな遊郭だった辻を自転車で回っていると、ジュリ(遊女)達が崇拝した御嶽(ウタキ)や辻遊郭開祖之墓があった。
 辻から松山、泊と通っておもろまちへ買い物に行く。おもろまちには、沖縄県立博物館・美術館がある。この要塞のような建物、僕には沖縄独特の門中墓をイメージさせる。
 夜9時近くになって、アマゾンに注文していたインクが配達された。22日にネットで注文、23日に発送されて25日に到着。思っていたよりも早い到着で、嬉しい。写真は波之上宮と波之上ビーチ。
*2012年6月26日のPhoto Diaryはこちら。(部屋のベランダからの那覇市内)
*2012年6月27日のPhoto Diaryはこちら。(アップルサポート、図書館の利用カード、借りてきた本)
*2012年6月28日のPhoto Diaryはこちら
6月28日のスナップ。レストラン・がじゅまる
↑朝、ネットを立ち上げるとメールにAppleCareの登録書が届いていた。
 午後になってプリントを始めると「廃インクまたは廃トナーボックスがいっぱいです。プリンタ内部の部品調整が必要です」のエラーメッセージ。もう5年も使っているので、いつこのエラーメッセージが出てくるかとドキドキしていました。
 エプソン本社のある松本に送らなくちゃいけないのかな〜と思いながらプリンタの取説で確認すると、沖縄修理センターの文字!エプソンの修理センターは国内に5カ所あるようですが、そのうちの一つが沖縄でした。知らなかったので、これはラッキー。さっそく電話をかけて、修理の依頼。 プリンタはA3ノビまで対応しているだけに結構大きいので、自転車の荷台に乗せて持って行くという訳にもいかない。
 ドアtoドアサービスを申し込めば、1500円で家まで引き取りに来てくれるらしいので、これが良いかと一瞬思ったが、1500円あればタクシーで運べるかも? そう思ってマンションの前、国道58号でタクシーをつかまえて修理センターへ。結果は920円でした。
 その場で直してもらえたら、またタクシーをつかまえて持って帰ろうと思っていたけれど、預かり修理となった。
 帰りは、路線バスもモノレールもまだ不慣れなので歩いて帰る。 那覇港、泊港の辺りを寄り道しながら2時間ほどの散歩。写真はエプソンの帰りに見つけたレストラン。一瞬本物の木かと驚いた。このレストラン「がじゅまる」は、2015年に取り壊されたようだ。
*2012年6月30日のPhoto Diaryはこちら。(牧志公設市場と周辺、泊大橋)
*2012年7月1日のPhoto Diaryはこちら。(ゆいレール、沖縄県立博物館・美術館)
*2012年7月2日のPhoto Diaryはこちら
7月2日のスナップ。与儀公園で碁を打つ人たち
↑2日は奄美で撮影した写真の中から海、空のカットをいくつかセレクトして、宅ふぁいる便で編集者に送る作業。
 午後から那覇バスターミナルへ行き、割引チケットについて聞いて来た。ゴールデンウイークとバスの日に行われているフリー乗車券の販売が、今年は海の日にも行われるという事で7月15日、16日の2日間1000円で4つのバス会社が乗り放題となる。チケットの販売は明日からだそうです。
 折りたたみの自転車をたたみ、袋に入れて車内に持ち込む事も大丈夫だそうで、ホッとした。
 バスターミナルの後、与儀公園、壺屋町のやちむん通りを少し散策して帰宅。写真は、与儀公園の大きな樹の下で碁を打つ人たち。

*2012年7月3日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダからの那覇市内、バスのフリー乗車券、夜の市街地)
*2012年7月4日のPhoto Diaryはこちら。(修理から帰って来たエプソンのプリンター)
*2012年7月5日のPhoto Diaryはこちら。(完成したパーティーのアルバム、部屋の中、ベランダからの那覇市内)

8月26日(木)

 ローリング・ストーンズのドラマー、チャーリー・ワッツの訃報が、昨日の朝、Facebookに流れてきた。なんだか突然の報に驚いた。
 スローンズは、40年ほど前、雑誌でレコード紹介を書いていた頃にレコード会社からサンプル盤をもらったのが何枚かあるだけで、自分で買ったものはない。なので凄くファンだったわけではないが、それでも「ジャンピング・ジャック・フラッシュ」など彼らの曲の何曲かはコピーして演奏した記憶がある。
 チャーリー・ワッツの訃報を聞いて最初に思い出したのが、元『レコード・コレクターズ』編集長で、現在も雑誌やライナーノートでストーンズ関連の原稿を書いている寺田正典さんのチャーリー・ワッツ談義。編集部に行くと左手と右手の指で机を叩きながら如何に彼のドラムが独特かを熱心に語っていた。実際独特で8ビートのスネアが入る時にはハイハットが休みという叩き方は、チャーリー・ワッツ以外に見たことがない。左手はトラディショナルグリップで、全体的に長時間叩いても疲れないフォームのように見える。ミックとキースという2人の暴れん坊の後ろで、タイトなリズムをキープしている静かなボスという印象だ。
 日本でただ一人のストーンズ・オフィシャル・カメラマンの有賀幹夫さんが、最近ユーチューブでチャンネルを開設し、撮影したストーンズの写真やエピソードを語っている。
 下の写真は、 初来日時の記者会見で撮影。1990年2月9日だから、チャーリー・ワッツが49歳、ミック・ジャガーが47歳、キース・リチャーズが46歳、ロン・ウッドが43歳か。今見ると若いと思うが、撮影した当時は40を過ぎてバリバリロックするなんてスゲー!と思いながら見ていた。
 You Tubeから「Jumpin' Jack Flash」。

初来日した時のストーンズの記者会見

 昨日、富山県の新型コロナの感染者数が3日ぶりに100人を超えて120人となった(今日は91人)。感染拡大が止まらない状況に、新田知事が昨日の会見で自宅での療養も選択肢にすると発表した。「感染拡大収束が見えず市中感染も広がり、医療提供体制ひっ迫がすぐそこまで迫っている危機的な状況。救急や一般医療を維持するための見直し」と説明したそうだが、今まで何をしていたんだろうか。
 25日時点で入院中258人(うち重症10人)、宿泊療養施設入所者数116人、自宅療養または入院等調整中775人。今後は自宅療養も選択肢というが、富山県では相当以前から入院等調整中で自宅待機させられている人は多かった。
 感染力の強いデルタ株では家庭内感染も増えていると言われているのに、家庭内感染のリスクが大きい自宅療養を正当化するような発言は疑問だ。なぜ福井県のように体育館に臨時の病床を設置するなどしないのだろうか。県民の命と健康を守るという必死さが、まるで伝わってこない。
 朝日新聞の記事によれば、東京都の医療現場では「コロナ患者の集約化」を求める声が出ているという。それはそうだろう。血中酸素飽和度を測定するパルスオキシメーターや酸素濃縮装置といった機器の使い回しや、医薬品や食料の迅速な提供が可能になるだろうし、少ない医療従事者で効率よく感染者の病状を観察できる。
 民間出身のスピード感を掲げて昨年の10月に県知事に就任したはずだが、残念ながら今までスピード感を感じることは一つもなかった。県知事に就任して冬の第3波、春の第4波を経験したが、彼が行ったことはアラートの発出という県民に注意を呼びかけることだけだ。デルタ株の感染が県内で見つかっても濃厚接触者の定義を見直すこともなく、PCR検査の数は一向に増えていない。感染者数が1日100人を超えてからも、PCR検査数は1000件を超えたことがない。これでは見逃している感染者が多く、経路不明者が増えるのも当たり前だろう。

 厚労省と東京都は、改正感染症法に基づき都内の全ての医療機関に対し、新型コロナウイルス患者向けの病床確保と最大限の患者受け入れを要請した。正当な理由なく要請を拒んだ場合は勧告し、従わなければ医療機関名を公表することができるという。これは、現在の新型コロナによる医療逼迫(個人的にはもう崩壊していると思っている)を、国や行政ではなく医療機関や医療従事者のせいにしようとする罪のなすりつけのように感じる。そもそも病床の縮小を進めてきたのは国と厚労省ではなかったか。また、パソナグループ会長の竹中平蔵氏がツイッターに「医療ムラを解体しないと、日本はよくならない」と指摘したそうだが、中間搾取ばかりして日本を貧しい国にしたパソナグループを解体した方が、よほど日本が良くなるだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。

尾身氏「バッハ会長なんで来るのか」パラ学校連携観戦は「感染が問題じゃない」
処理水海洋放出 風評被害対策で政府が基金設立へ 関係閣僚会議
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人口900人の島でコロナ急増 観光客増えバスもすし詰め…住民「買い物も怖い」 沖縄・座間味
ハブいない粟国島で24匹捕獲「定着の可能性が高い」 4~8月
自宅療養死18人、50代以下が半数 首都圏4都県で
作家の高橋三千綱さんが死去 73歳 「九月の空」で芥川賞

 Photo Diaryを更新。
*2012年6月16日のPhoto Diaryはこちら
6月16日のスナップ。新居
↑16日は、10時少し前にホテルをチェックアウト。11時に不動産屋の担当者と待ち合わせだが、少し早く着いて1階で待っていると電話。担当者に用事ができて、別の方が鍵を持って来てくれる事になった。
 部屋の郵便受けに、宅配便の不在通知。先月東京で購入したパソコン他を、今日の午前中に配達してもらう事になっていたのだが少しの差で入れ違いになった。ドライバーの携帯に電話をし、夜に再配達してもらう。
 部屋で少し休んでから、メガネを買いに行く。引っ越しの前日、雨の中を自転車で走っていて何かの拍子にメガネを落として左のレンズにヒビが入り、つるも歪んでしまった。
 ネットで調べておいた、県庁近くのリウボウへ。2階にテナントで入っているJINSで一番安い4990円のメガネを購入。視力を測定してもらい、20分で完成。老眼が入って、視力自体は良くなっているようだ。
 一旦部屋へ戻ってから、昼ご飯を食べに出る。アレコレ迷って泊港近くのお弁当屋さんで300円の弁当を購入。ご飯の上に魚が一匹(グルクン?)乗り、副菜の他に別容器に入ったソバまで付いて来た。那覇、恐るべし。
 4時少し前に、那覇港から引っ越し荷物を入れたコンテナをトラックに乗せて、運送会社の方がやって来た。台車2台を使い、エレベーターでの搬入。ダラダラと汗をかきましたが、思っていたよりスムーズに搬入出来た。途中、不動産会社の担当者が契約書を届けに来て、ついでに電球が切れていた部屋の照明に新しいものを取り付けてくれた。
 部屋の真ん中で積み重ねられた段ボールから、荷物を取り出して並べて行く。先月部屋選びで何もない状態で見た時の10畳ワンルームはそこそこ広く見えたが、実際に生活道具を置いてみると狭いですね(汗)。
 それでも何とか電化製品やテーブルの位置が決まり部屋の形になった頃、再配達をお願いしたパソコンが届いた。
 さすがに疲れたのでパソコンの入った段ボールと、それ以外のソフトやアクセサリーを入れた段ボールはそのまま部屋の隅に置いて買い物に。
 部屋から自転車で5分位のところに那覇の新都心・おもろまちがあり、楽市というショッピングセンターがあるという事なので、行ってみた。スーパーで晩ご飯用のお弁当や総菜、100円ショップでガスレンジの下に敷く銀紙などを買って帰る。
 さんぴん茶で浜千鳥乃詩を割って、ちびちびと飲みながら布団に横になる。夜になっても国道58号を走る車の音、工事の音は止む事がない。疲れているが、なかなか寝付けない。写真は荷物を入れる前の新居。
*2012年6月17日のPhoto Diaryはこちら。(送別会でもらった黒糖焼酎、廊下とベランダから撮影した夜の那覇市内)
*2012年6月18日のPhoto Diaryはこちら。(ゴーヤチャンプルー、ケララカレー、テレビの台風情報)
*2012年6月19日のPhoto Diaryはこちら。(ベランダからの那覇市内、パソコンのセッティング)
*2012年6月20日のPhoto Diaryはこちら。(ソフトのインストール)
*2012年6月22日のPhoto Diaryはこちら。(裸族のお立ち台、東京で撮影したパーティーのアルバム制作)
*2012年6月23日のPhoto Diaryはこちら
6月23日のスナップ。農連市場の近く
↑23日、梅雨明け宣言が出された。
 午前中に、部屋の掃除と洗濯。午後からiMacのAppleCareの登録。これで引っ越し以来続いていた、パソコン関係の手続きや作業が一段落。せっかく梅雨明けしたので、自転車で那覇の街を走ってみる。
 まずは泊港へ。那覇地区漁協鮮魚卸売市場の横にある、鮮魚店が軒を並べる泊いゆまちを見て歩く。
 泊港から、国際通りを少し入ったところにある牧志公設市場の辺りへ。商店街が迷路のようになっている場所をウロウロして、いつの間にか農連市場へ。
 市場の中でオバアが二人、暑い暑いと座っている。梅雨が明けて、真夏に突入したからね。農連市場の営業時間を尋ねると、夜中の12時頃から昼の2時くらいまでとのこと(お店によって多少違うんだろうけど)。夜中の市場がどんな風か、見に来なくては。
 農連市場から、また迷路のような商店街を抜けて国際通りへ。安里から、新都心おもろまちへ。
 モノレールおもろまち駅近くにある大型ショッピングセンターサンエー那覇メインプレイスの中を見て歩き、食料品売り場で泡盛・久米仙を買う。2階にあった100円ショップで、内蔵HDDを収納できる大きさのプラ容器を探し購入。
 今日は、沖縄戦の戦没者を悼む慰霊の日。糸満の摩文仁(まぶに)平和祈念公園で追悼式が行われた。今年は沖縄戦終決から67年、本土復帰から40年。写真は農連市場の近く。香辛料の匂いはそれほどしないが、やはり沖縄は東南アジアの入り口と思えるような佇まい。
*2012年6月24日のPhoto Diaryはこちら
6月24日のスナップ。トロピカルビーチ
↑梅雨が明けて2日目。昨日は雲も多かったが、今日は快晴。
 午前中は、パソコンが壊れていて画像処理できなかった時の写真データを少し処理。
 昼ご飯にハム、タマネギ、ニンジン、ピーマン、キャベツを入れたナポリタンを作って食べたら、サイクリングに出かける。初めての遠出。
 まずは、昨日行った泊港の先にある那覇新港へ。埠頭を走っていたら、いつの間にか住所は浦添市。
 国立劇場おきなわの横を通って国道58号に入り、北上。しばらく走ると沖縄コンベンションセンターやトロピカルビーチの案内看板が出てきたので、矢印に従って左折して海沿いの道を走る。
 梅雨明けの日曜、トロピカルビーチやマリーナではイヴェントが開催されていて、ずいぶんと賑わっていた。暫く見物してから来た道へ戻り、北上して伊佐で再び58号と合流。もう少し走れば北谷だが、今日はここまで。58号を那覇へと戻る。
 夜、今日撮影したスナップをブリッジCS6とフォトショップCS6で現像。CS3を使っていた時と同じようにパラメーターをいじっているが、空の色が上手く出ない。少しイエローがかかってしまう。
 そこでいくつかあるパラメーターを順番に確認。CS3の時には触ったことのないカメラプロファイルを、設定されていたAdobe StandardからACR4.2かACR4.4に設定し直すと思い描くブルーになった。
*25日にMac Bookに入っていたCS3を確認すると、Adobe Standardという項目はなくACR4.4に設定されていた。

8月23日(月)

 先週の金曜日、NHKのBSで『新日本風土記』を観た。今回は「立山 地獄・極楽めぐり」というタイトルで、芦峅寺を取材していた時にお世話になった人たちが何人も登場した。
 さっそく次の日、テレビを観ましたよとショートメールを送った。返信のメールには、「お盆はどしゃ降りでオショウライが出来ませんでした」と書かれていた。
 オショウライは松明を持ってご先祖様を迎えに行く芦峅寺のお盆行事で、毎年8月13日に行われる。
 この番組の再放送が8月27日(金)午前8時〜の放送予定になっている。
 下の写真は雄山からの立山連峰。何十年ぶりかに立山登山した、2018年9月18日撮影。

立山
 昨日のTBS『世界遺産』は、「新たな世界遺産誕生!奄美・沖縄」。今週と来週の2回にわたって放送される。昨日は主に西表島が紹介されていた。次週は奄美大島と徳之島にスポットを当てて紹介するようだ。
 下の写真は昨日の放送でも取り上げられていた、国指定の天然記念物のヤエヤマセマルハコガメ。絶滅危惧種に指定されている。2014年6月20日、浦内川沿いの林道で撮影。
セマルハコガメ
 Photo Diaryを更新。
*2012年6月3日のPhoto Diaryはこちら
6月3日のスナップ。佐仁小学校のガジュマル
↑3日は 朝8時20分に長浜緑地公園に集合して、奄美の自然を考える会の観察会へ。今回は奄美北部、屋仁集落の海岸で海の生物を観察。
 午前11時頃が一番潮の引く時間らしいので、その前後2時間で海岸の生物を観察する事になっていましたが、少し早く現地に着いたので前倒しで観察。
 朝こそ曇っていたものの、だんだん晴れ間が広がって、時おり夏のような日差しも射す。昨日は一日雨で、天気予報によれば明日はまた一日雨。どうやら観察会のメンバーの中に、強力な晴れ男か晴れ女がいるようですね。
 観察しながら潮干狩り。味噌汁の具にするのか、せっせと採った貝をビニール袋に入れてる方も何人か。
 屋仁集落の公民館をお借りして、お昼ご飯。朝早くに起きて作ってきた、梅干しのおにぎり3個を食べる。食べ終わって、出発の時間まで集落散歩。
 13時にバスは公民館を出発して、隣りの佐仁集落の小学校へ。小学校で飼育している、オオゴマダラのさなぎを見せてもらう。校庭にはシンボルツリーの大きなガジュマルがあって、子供たちが器用に登っている。天然のジャングルジムのよう。
 佐仁集落から、今度は蒲生崎へ。蒲生崎神社をお参りしてから、展望台へ上がる。
 蒲生崎を出て、来た道を辿るようにして名瀬へと帰る。長浜緑地公園に着いたのは16時頃だったか。
 一旦部屋にカメラを置き、着替えをしてから買い出しに。八百屋1軒とスーパーを2ヶ所まわる。奄美の八百屋さんの店頭には、今、スモモが段ボールに入って積み上げられている。ジャムを作ろうと思い、ネットに入った安いスモモを一袋買って来た。写真はガジュマルの木で遊ぶ、佐仁小学校の子どもたち。
*2012年6月4日のPhoto Diaryはこちら。(スモモ、スモモジャム、フェリーあけぼの)
*2012年6月6日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸、ワニグチモダマ、黒糖焼酎・浜千鳥乃詩)
*2012年6月8日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)
*2012年6月9日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港)
*2012年6月10日のPhoto Diaryはこちら
6月10日のスナップ。子どもを産んだばかりの朝仁海岸の猫
↑10日は、朝からザーザー降りの雨。
 市役所からエリアメールで、午前9時23分に大雨・洪水警報、10時に土砂災害警戒情報が送られて来た。昨年、一昨年の豪雨災害が頭をよぎる。が、昼頃から雨は小降りになり、嘘のように晴れ間が広がった。
 雨なら一日部屋で本を読んで過ごそうと思っていたので、急に晴れてくるとどうしたら良いかわからない。とりあえず一昨日平田町のスーパータイヨーがリニューアルオープンしたので行ってみる。
 もう直ぐ引っ越しなので物は増やしたくないが、コーヒーメーカーが998円だったので購入。他に3足280円の靴下、一房(13本)198円のバナナなども。
 スーパーから帰る途中、何軒かの庭先で月下美人の花を見かけた。一昨年の6月、奄美に来て直ぐの頃に散歩をしていて月下美人の花を一つ貰った。夜になると咲きますよ、と言われた花は本当にその晩に花を開かせた。やんご(屋仁川)の奥、柳町に趣のある一軒家が建っている。『奄美1962 2005甦る風景の記憶』によれば、昔「喜楽」という遊郭だったそうだ。
 一旦部屋に戻りタイヨーで買って来た物を置き、それから自転車で長浜観光バース、文化センター裏の海岸、朝仁海岸とサイクリング。朝仁海岸のワニグチモダマの横に、植物が専門の田畑先生。ワニグチモダマの新しい芽が出たようだ。写真データの取り込み方でわからない事があるとおっしゃるので、少しの時間ご自宅にお邪魔して操作してみる。
 田畑先生の家を出て、もう一度朝仁海岸を自転車で走る。ほんのりと夕焼け。午前中の大雨・洪水警報が嘘のようだが、Naoさんのブログによれば南部の瀬戸内町は被害が大きいようだ。
 先日東京で注文してきたiMacの発送準備ができたと、パソコンショップの配送部門から電話が来た。もう直ぐ引っ越しなので、沖縄の住所に送ってもらう事にする。写真は子供を産んだばかりの、朝仁海岸の猫。
*2012年6月12日のPhoto Diaryはこちら。(引っ越しのため家財道具を出した部屋、お弁当、鳥類調査記録誌・赤髭)
*2012年6月13日のPhoto Diaryはこちら。(ふじ丸、朝仁海岸、送別会)
*2012年6月14日のPhoto Diaryはこちら。(送別会でいただいた品、朝仁海岸、名瀬港、月下美人)
*2012年6月15日のPhoto Diaryはこちら
6月15日のスナップ。名瀬で2年間住んでいたビル
↑時々ウトウトしながら部屋で床に横になりながら過ごし、3時過ぎにブレーカーを降ろして部屋を出る。ザーザー降りの中フェリー乗り場へ。荷物を置いて、近くのビル管理会社のポストへ部屋の鍵を入れて来る。
 雨はどんどん激しくなり、稲妻も光っている。5時過ぎには、市役所から大雨・洪水警報を知らせるエリアメールが届く。
 那覇行きのクイーンコーラル8は、少し遅れて名瀬港に入港。その分押して港を出た。
 名瀬港を出てしばらくして、食堂にカップ麺と助六寿司、浜千鳥乃詩を持ち込んで、一人で酒盛り。その後は、2等和室の自分の場所でウトウトしながら気が向いたらデッキで景色を眺めて過ごす。名瀬・那覇間は約13時間。那覇の港に着いたのは、19時20分頃か。
 自転車を組み立て、船内から携帯で予約したカプセルホテルへ。1泊1500円だが、先月の沖縄滞在で溜まったじゃらんポイントが1200ポイントあり、現金300円で済んだ。
 荷物をロッカーに入れ、シャワーを浴びてから食事に。自転車を漕いで、高良食堂へ。あいかわらずタクシーの運転手が多い。今日はスタミナ焼肉ソバ付き600円。
 カプセルホテルの横のコンビニでさんぴん茶を買い、1階ロビーでテレビを見ながら浜千鳥乃詩をチビチビ。番組はオウム最後の逃亡犯、高橋容疑者逮捕のニュースばかり。写真はフェリーから撮影した、名瀬で2年間住んだビル。このビルの最上階角部屋に住んでいた。

 さて、いよいよ次からは沖縄からのPhoto Diary

8月20日(金)

 今日は旧暦の7月13日。奄美や沖縄では今日から3日間、旧暦のお盆が始まる。初日の今日はご先祖様を迎える迎え盆。沖縄ではウンケーと言う。奄美では提灯をぶら下げて、お墓までご先祖様を迎えに行き、明日は一日家でゆっくりしてもらう。そして明後日はまた提灯をぶら下げてお墓までお連れする。
 沖縄の八重山地方は特に旧盆行事が盛んで、3日間通してアンガマ が行われる。アンガマはグソー(あの世)からやって来た精霊の一行が家々をまわり、三線と太鼓の地揺をバックに唄と踊りを披露して供養する。中心となるのはウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)で、ファーマー(子孫)の花子達をたくさん引き連れている。
 2013年の旧盆はアンガマ が見たくて那覇から石垣島へ行った。旧盆の3日間と、旧盆が終わった7月16日に行われるアンガマ トゥズミまで、たっぷりと各字のアンガマ を追いかけて撮影した。アンガマ の時は普段は見れない民家の仏間が解放されるので、沖縄独特の仏壇なども見られて興味深かった。そして、ちょっとユニークな異形の者たちと並んで、家から家へと暗い路地を歩くのが楽しかった。
 今年は奄美も沖縄も新型コロナが猛威をふるっている。家族の集まりもなるべく控えるようにと呼びかけられている。どんな旧盆になっているのだろう。
奄美の迎え盆
↑奄美の迎え盆。提灯をぶら下げて名瀬の永田町墓地へご先祖様を迎えに行く人たち。2011年8月12日撮影。
↓石垣島のアンガマ 。中央は仏壇に向かってウートートー(御願)した後、踊りを披露するウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)。手前に並んでいる豆絞りの手ぬぐいの上から花の付いた傘を被った者たちは、花子と呼ばれるファーマー(子孫)。2013年8月20日撮影。
石垣島のアンガマ

 昨日は新潟県で132人という過去最多の新型コロナ感染者が確認された。その新潟県の湯沢町で今日から、野外フェスのフジロックが開催されている。オリンピックやパラリンピックのように表立って中止を訴えて来なかったのは、感染状況を見て主催者が中止の決断をするだろうと思っていたから。出演予定だったアーティストの中には急遽出演をキャンセルした人たちもいるが、フェスの中止にはならなかった。
 今日の東京の感染者数は5405人。5000人台から増えないのは感染者の数が頭打ちになったというより、もう検査が追いつかないからだろう。日本の新型コロナの感染状況を一番的確に分析しているのが牧田寛さんの「COVIDー19、感染拡大! 日本の統計がすでに破綻している、これだけの理由」ではないだろうか。
 パラリンピックの開会式当日、また航空自衛隊のブルーインパルスが都心を周回するそうだ。病院に入れず家で苦しんでいる人が3万人以上いる東京の空を飛ぶ。ステイホーム、密は避けてと呼びかけながら、なぜ人が大勢集まるようなイベントを行うのか。もう誰も国や都の発信するメッセージを、まともに聞かなくなるだろう。
 小池都知事が都議会の所信表明で「この未曾有の難局の中、歴史に残る祭典を成し遂げたことは、東京、そして我が国が持つ底力を示したものと言える」と述べたそうだ。頭おかしいだろ。彼女には自宅で苦しむ3万人以上の都民の姿が見えないのだろうか。
 新型コロナで入院中だった俳優の千葉真一さんが、昨日亡くなられた

 この他の気になった記事を備忘録として。
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ラムダ株感染者と接触可能な人のリスト共有漏れ 厚労省
医師で議員のあべともこ氏、都で親子3人感染の40代母親死亡に「この女性の重症度は誰が診断したのか」
千葉・いすみ市長「五輪で感染拡大」 隣町でサーフィン競技開催
千葉で5日間入院先見つからず死亡

 Photo Diaryを更新。
*2012年5月19日のPhoto Diaryはこちら。(壊れたパソコンのデスクトップ画面、シビの刺身と魚の天ぷら)
*2012年5月21日のPhoto Diaryはこちら。(通販サイトで買った中古のα700、まぐろアボガド丼、親子丼)
*2012年5月22日のPhoto Diaryはこちら。(奄美文化センター周辺を散策)
*2012年5月23日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸、根瀬部、小宿)
*2012年5月24日のPhoto Diaryはこちら。(注意!ヘビの写真があります
5月24日のスナップ。崎原・田平集落の滝
↑24日はサバクリ人さんに誘ってもらって、午後から久しぶりに島内探検。今日は名瀬からもそう遠くない、太平洋側の崎原(さきばる)へ。
 道の島バスが通っている崎原小中学校の辺りは以前来た事があるが、そこから下りていった海岸は初めて。天気が良い事もあって、遠くに喜界島が見える。海岸の珊瑚に目をやれば、熱帯魚が泳いでいる。
 崎原から途中未舗装の林道を通って戸口の先まで行き、また崎原へ。今度は海岸の方ではなく、山の方に入った賀屋集落、田平集落を尋ねてみた。舗装された林道を下りて、沢を歩いたところに滝があった。周辺には大きなシマオオタニワタリが木の枝に着生し、空中楼閣を築いている。
 崎原探検の後、久しぶりに奄美の森の夜間観察。その前に、スタミナ補給。うな重の特上。時価でした(汗)。サバクリ人さん、ご馳走さまでした!
 うな重を食べて元気が出たところで、久しぶりに夜の森探検。デジカメのメモリーが足りなくなったので、一旦コンパクトディスクを取りに家へ寄ってから、東シナ海沿いに大和村へ。
 大和村の西端、今里集落から林道に入り宇検村へ。湯湾岳の入口まで行って、今度は住用村の林道へ向かう。アマミノクロウサギは、12羽と遭遇。大和村の林道では、たくさんのアマミヤマシギを見ました。
 午後1時から6時頃まで崎原をウロウロし、ご飯を食べてから夜中の1時過ぎまで夜の森探検。走行距離は、なんと200Km。お疲れさまでした!写真は崎原にある滝。
*2012年5月26日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)。
*2012年5月27日のPhoto Diaryはこちら
5月27日のスナップ。東京へ向かう飛行機から
↑29日に行われるパーティーの撮影をするために、東京へ。
 ウエストコート奄美を12時40分発のバスで、奄美空港へ。早めに搭乗手続きを済ませて、搭乗口のロビーで朝作ってきたおにぎりを食べて、出発を待つ。
 今回は奄美大島14時50分発で、羽田に16時45分着のJAL1956便。あいにくの空で、離陸してしばらくすると窓の外は雲ばかり。
 羽田空港で機内に預けていた荷物を受け取り、京急で浅草へ。雷門から仲見世を通り、宿泊先の浅草ビューホテルに着いたのが18時半過ぎ。
 19時にフロントの前で、めぐりんさんと待ち合わせてホテルの日本料理屋さんへ。途中からご主人も合流して、ご飯を食べながら打ち合わせ。話しが落ち着いたところで、ホテルの地下のバーへ。
 日本料理屋さんでビールからワイン、バーでジントニック。途中からウトウトと寝てしまった。
 夜中に喉が渇いて起きた。ホテルを出て夜の浅草へ。コンビニでポカリスエット、缶コーヒー、ビールを買って帰る。写真は東京へ向かう飛行機から。
*2012年5月28日のPhoto Diaryはこちら
5月28日のスナップ。浅草から見たスカイツリー
↑28日は、浅草から銀座線で上野広小路へ。上野広小路から歩いて秋葉原に近い、ソニーのサービスステーションへ行き、α700を1台センサークリーニングに出す。
 秋葉原から総武線、中央線と乗り継いで新宿へ。パソコンショップで、新しいMac Proを買った場合の見積もりを出してもらう。フォトショップCS6は、年内購入ならCS3からもアップグレードできるが、来年からはCS5からしかできないそうだ。
 新宿から秋葉原に戻り、センサーをクリーニングしてもらったカメラを受け取り、上野広小路から銀座線で田原町へ。地下鉄の田原町から地上に出ると、ぽつりぽつりと雨。その後、急激に黒い雨雲に空は覆われて、激しい雷雨となった。バックに入れてあったヤッケを着て、折りたたみ傘をさしてホテルに戻る。途中にあったスーパーで買ってきたアイスコーヒーを飲んでゆっくりしていると、空は徐々に明るくなり、やがて雨も止んだ。
 夜、打ち合わせを兼ねてホテルの近くで中華。夜中、地震で目が覚める。さすがに、23階は揺れる。写真は浅草から見たスカイツリー。 
*2012年5月29日のPhoto Diaryはこちら。(宿泊した浅草ビューホテルの部屋、購入したiMacの書類)
*2012年5月30日のPhoto Diaryはこちら。(飲み会)
*2012年5月31日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港)

8月17日(火)

 明日からまた少し暑くなりそうだが、ここ数日間は涼しくて過ごしやすかった。昨日は午後遅くに久しぶりに自転車に乗った。農道を中心に2時間ほど走ったので、少しは運動不足が解消できただろうか。今日も運動で、久しぶりに電子ドラムを叩く。自転車で2時間走った昨日の歩数計は5,373歩、CD1枚(50分程?)分ドラムを叩いた今日は4,913歩。

 今日、婦中の熊野神社・稚児舞保存会からポスターとリーフレットが送られてきた。毎年8月25日に行われる熊野神社の秋季例大祭に奉納される稚児舞の告知用のもので、2015年に撮影し、昨年の写真展『とやま、祭り彩時季』でも展示した写真などが使用されている。残念ながら今年は稚児舞の奉納は中止となり社殿での神事だけになったので、作ったポスターはどうするのかと心配していたが、<日時:8月25日 午後5時より>とだけ印刷されているので、来年以降も使えるのだろう。来年は熊野神社の式年遷宮の年。新型コロナが終息していればいいのだが。

送っていただいた稚児舞のポスターとリーフレット
↑発泡ウレタンに包みポスターが折れたりシワになったりしないよう工夫されており、その丁寧な梱包に驚いた。
稚児舞のポスター
リーフレットとマスク

↑ポスターはB2サイズ。上が「陪臚の舞」、下が「大奈曽利の舞」。

←ポスターと一緒に送られてきたリーフレットとマスク。リーフレットは三つ折りで、黒バックの表紙の写真のみ以前から使用されていたもの。中の演目を紹介した写真が、2015年に私が撮影したもの。マスクは記念品だろうか。

 富山の新型コロナの感染者数が、今日も最多を更新して78人となった。新田知事は県独自の警戒レベルを16日午前0時からステージ3に引き上げ18日から県営の美術館やホール、体育施設など58施設を臨時休業すると発表した。また、政府の分科会が富山県のまん延防止措置を了承したことから、今月20日から9月12日まで適用される。
 しかし連日感染者数が最多を更新している中、相変わらずPCR検査が増えていない。今月は10日に717件というのがあるが、14日318件、15日225件、16日247件に止まっている。お盆の時期というのもあるのだろうが、驚くほど少ない。橋やビルを赤く点灯させるお金や時間を、検査の充実や保健所の体制強化に使えと思う。

 東京都が酸素投与が必要になった自宅療養者などに対応するため、酸素投与ステーションを設置するという。酸素投与のほか、投薬や血中酸素飽和度のモニタリングといった処置もするというので、言わば野戦病院だろう。21日から運用するというが、病床は約130床。東京都の自宅療養者数は22,166人、入院・療養等調整中が11,642人。これでは全然足りない。大規模な酸素ステーションという名の野戦病院をアチコチに造らないと助かる命も助からない。
 東京都は15日、新型コロナの感染急拡大で保健所業務が逼迫していることから、積極的疫学調査について「優先度を考慮して効果的、効率的に実施」とする方針を各保健所に通知した。この件を報道陣に尋ねられた小池都知事は「縮小するものではありません」「分かっている人たちから、できるだけ話を聞いて、クラスターの確認をしていく。広がりを確認する、効率を上げていくという意味です」と答えたそうだが、こういうのを減らず口を叩くというのだろう。それに、東京都は随分前から濃厚接触者を追えていない。追えていたら日々の検査数があんなに少ないわけがない。

 こんな災害に見舞われている都市で、東京パラリンピックが 原則無観客で開催されることが決まった。小池都知事は「パラリンピックの成功なくして東京大会の成功なし」というが、都知事の仕事の優先順位は都民の命と生活を守ることで、東京大会の成功などずっと下にあるはずだ。それが感染拡大をさらに広める可能性のあるパラリンピックを開催するなど、どこを向いて仕事をしているのかと憤りが増すばかりだ。またパラリンピックは原則無観客開催だが、児童生徒向けに学校連携観戦プログラムを実施する方針で、「 子どもたちに共生社会を言葉だけでなく目の前で体験してもらいたい」と述べたそうだが、ワクチン未接種の子どもたちの集団観戦はリスクがあるだろう。共生社会の体験というが、今この国は新型コロナで社会のアチコチが分断され、社会そのものが壊れかけている。何を呑気なことをと思わざるを得ない。

 ニュージーランドのアーダン首相は、オークランドで2月以来となる新規感染例が1件見つかったことから、新型コロナ対策として全土で3日間のロックダウンを開始すると発表した。オークランド市と同市に近いコロマンデル地方のロックダウンは7日間になるそうだが、1週間すれば元の日常に戻れる。もはや効力のなくなった緊急事態宣言を延々と出しながら、1日に2万人もの感染者を出して日常生活が取り戻せなくなった国とどちらが自由があるのだろうか。

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 Photo Diaryを更新。
*2012年5月12日のPhoto Diaryはこちら
5月12日のスナップ。5.12沖縄集会のデモ行進
↑12日は、午前10時過ぎに昨日から沖縄に来ているヘッケル田島さんから電話。ホテルをチェックアウトして、田島さんの泊まっているホテルに向かう。自転車で1分もかからない距離。1階のロビーで待っていると、田島さんと、マネージャーの水野さんが降りてきた。
 とりあえず田島さんの沖縄時代の友人がやっている喫茶店で、コーヒーとランチをご馳走になる。
 田島さんたちと別れて、ホテルに預けていたバックを取りに行き、今日泊まるホテルにチェックイン。今日は一昨日泊まった辻のど真ん中のホテル。一昨日は一人でツインに泊まったが、今日はベットが3つのトリプルだ(笑)。でも一泊2600円。
 しばらく部屋でネットでアレコレ調べながらウダウダ。とりあえず明日の朝7時のフェリーで、まだ奄美群島の中で下りていない沖永良部島に行こうと思い、和泊の宿を予約。
 昨日泊まったホテルでもらった無料のミネラルウオーターを詰めた水筒を持って、自転車で那覇の街を走る。県庁の前に行くと、ちょうどデモの最中でシュプレヒコールが上がっている。後でもらったチラシには、「フクシマと連帯して、基地も原発もなくそう!『復帰』40年 5.12沖縄集会」と書いてある。
 デモ隊は、県庁の前から国際通りを歩き、ひめゆり通りを行進して与儀公園へ。18時から公園横にある那覇市民会館中ホールで集会が行われるようだが、明日は朝が早いので集会は参加せずに宿へと向かう。
 途中、若狭の高良食堂で晩ご飯。今日は、牛ロース焼肉定食ソバ付き650円。お皿に乗った肉は焼肉というよりステーキですね。コンビニで明日の朝用のアイスコーヒーを買って帰る。
 辻は、昔遊郭のあったところで、今も那覇で一番大きな風俗街。泊まっているビジネスホテルはソープに囲まれている。5階の部屋の窓から、そんな道ばたの様子を眺めながら泡盛を飲んで、早めに就寝。写真は県庁前を出発するデモ隊。
*2012年5月13日のPhoto Diaryはこちら
5月13日のスナップ。沖永良部島・国頭小学校のガジュマル
↑13日は、フロントに頼んでおいたモーニングコールで早朝3時半に目覚める。アイスコーヒーを飲みながら荷物を整理し、5時半くらいにチェックアウト。海岸沿いの道を自転車で走り、6時前に那覇のフェリー乗り場に着く。
 6時になって窓口が開いて、和泊港までのチケットを購入。6時半から乗船開始。7時に那覇を出航し、本部港、与論港に寄って、2時前に和泊港に着いた。今日は随分と船が揺れた気がした。
 港の待合所で島の地図が載ったパンフレットを貰い、昨日電話で予約したホテルへ。外観も室内も、ホテルと言うよりアパートですね。各部屋にエアコンとユニットバス付きで、一泊3500円。冷蔵庫は共同使用。
 荷物を置いたら、すぐに自転車で出かける。まずは国頭小学校の校庭にある、日本一のガジュマルに会いに行く。横に大きく伸ばした枝が美しい。
 ガジュマルを見た後、海岸に出てフーチャを見に行くとポツリポツリと雨。天気予報では晴れのち曇りとなっていたが、朝から曇りで小雨が降ってきた・・・orz。
 海岸沿いに走って国頭岬、沖永良部空港をまわって帰ってきた。途中、百合を栽培している畑がいくつかあった。ぱらぱらと白い花が咲き始めている。これが永良部ユリかな?
 朝食兼昼ご飯は、フェリーの売店で買って食べたカップスターとおにぎり1個とポテトチップスなので、ホテルに帰る前にスーパーに寄る。お弁当が半額になっていたので2つ、美味しい水のペットボトル、カフェオレ、チップスター、沖永良部の黒糖焼酎はなとりの360mlを買って帰る。
 昨日からカメラの調子がおかしい。おかしいというより、故障かな。センサーの位置がズレているのか、ファインダーで覗く画面と、実際に移っている絵が違っている。横位置で撮影した場合、上が切れてその分下が入る。
 αはセンサーのゴミ対策として、手ぶれ防止のぶるぶると震える機能を利用している。その機能が、壊れたのかもしれない。
 しょうがないので、若干あらかじめ上を広く入れて撮影して調整(汗)。写真は国頭小学校のガジュマル。
*2012年5月14日のPhoto Diaryはこちら
5月14日のスナップ。伊延港に入港するフェリーなみのうえ
↑14日は、昨日半額で買ったお弁当を食べて10時に宿をチェックアウト。フェリーは和泊港を14時10分入港、14時40分出港予定なのでお昼過ぎまで荷物を一つ預かってもらう。
 なんとか降らずに保っている曇り空の下、地図を片手に島の真ん中辺りに位置する世之主の墓へ向かう。坂もあって少し遠いですよ、と最初に道を尋ねた方から言われたけれど、奄美大島の坂で鍛えられているので、まあこの位なら(汗)。
 道路には観光ポイントの案内板が所々に立っているが、世之主の墓の案内板と越山公園の案内板を勘違いしてしばらく迷う。近くの家の方に聞いたところ、世之主神社と言うのがあり案内していただいた。そこから世之主の墓までの行き方も教えたもらった。
 神社とお墓を見てまわって和泊の町中へ戻る。来た道を引き返している途中に、Aコープと書かれた看板があった。確かAコープは和泊から知名町方向へ少し行った海岸沿いにあったと思い、看板に従って自転車を走らせる。緩やかな下り坂を気持ち良く進んでいるうちに、海岸線に着いた。
 町中に戻り、南洲神社や西郷南洲謫居の地などをまわってから、昨日のスーパーで船内で食べるお弁当とカップヌードルを買う。
 宿に預けておいた荷物を取りに行き、13時半頃にフェリー乗り場へ。窓口は開いておらず、天候の影響だろう「船は伊延港に2時に入港」と変更を知らせる張り紙が・・・orz。
 突然の事にどうして良いかわからず事務所に声を掛けると、伊延港まで自転車で行ってもまだ間に合いますよ〜と、のんびりした年配の女性の返事。そうか。
 場所を確認すると島を横断する感じだが、距離的にはそう遠くないようだ。とりあえず折り畳んだ自転車を組み立てて、必死に自転車を漕いだ。
 汗だくになりながらも、30分かからずに着いただろうか。大荒れの和泊港と違い、伊延港は波が落ち着いている。急いで名瀬までのチケットを購入。直ぐにフェリーが入って来たので、乗船。
 船内の閉店している喫茶店に入り、休憩。徳之島に入港した16時半頃にお弁当とカップヌードルで早めの晩ご飯。さすがにお弁当は、ちょっと飽きて来た。
 20時半頃に名瀬港に到着。また自転車を組み立てて、走って1分ほどの家に帰る。
 お湯を沸かし、久しぶりに温かい珈琲をいれる。写真は伊延港に入港するフェリーなみのうえ。

8月13日(金)

 急に涼しくなったからか、熱帯夜で睡眠時間の短い日が続いていたからか、夏バテか・・・一昨日ぐらいから少し体調を崩した。昨日は昼過ぎから焼酎をチビチビと呑みながらひたすら寝ていたら、今日は少し体が楽になった。
 九州から北陸にかけて記録的な大雨になっている。富山も朝から断続的に雨が降っており、高岡市、氷見市、砺波市の一部の地域に避難指示が出された。
 今日の東京都の新型コロナ感染者数は過去最多の5773人で、死者も7人確認されたそうだ。小池都知事は急速な感染拡大を受けて今日の記者会見で「最大級、災害級の危機を迎えている」「旅行・帰省の計画を立てている人は、この場でも延期・中止など、もう一度、改めて考えてほしい。『考えて下さい』でなくて、もうここは今年も申し訳ないが、諦めていただきたい」と述べた。しかし彼女の言葉に全く説得力がないのは、東京が災害級の事態に見舞われている中で24日開幕のパラリンピックは決行しようとしているからだろう。
 また、昨日のモニタリング会議で専門家から五輪会場周辺で密集ができていたとの指摘があったことについて「印象論でおっしゃった」と否定し、「エピソードベースではなくエビデンスベースで語ることが重要だ」と強調したそうだが、首をかしげざるを得ない。テレビや新聞報道で見る限り五輪周辺の蜜状態は印象ではなく、事実だろう。小池氏は人数がどうだったか確認しているというが、ならば公表して欲しい。
 そもそもエビデンスベースが重要というが、これまで都が科学的根拠に基づいて数字を示しながら感染対策を行ってきたのだろうか。飲食店の営業時間、酒類の提供の制限をする際にどれだけ科学的根拠のある数字を示しただろうか。安全安心なオリンピックと言いながら、安全安心をエビデンスベースで示しただろうか。
 国内で7月に初確認された新型コロナの変異株で南米ペルー由来とされるラムダ株の感染者が、東京五輪の関係者の女性だったことが今日、政府関係者への取材でわかったそうだ。

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 Photo Diaryを更新。
*2012年5月9日のPhoto Diaryはこちら
5月9日のスナップ。守礼門
↑9日は、朝から雨。1泊だけ予約しておいたが、荷物がけっこうあるので延泊にしてもらった。
 午前中に、インターネットの不動産情報で調べておいた那覇市内の不動産屋さんに物件の問い合わせをする。午後3時に直接会社に伺って何部屋か見せてもらう手はずになった。
 お昼頃になって雨も止んできたので、土地勘を掴もうと地図を片手に那覇市内を自転車で走ってみる。
 宿のある那覇埠頭から辻、若狭、前島を通り泊港へ。国道58号から29号に入りまっすぐ首里城へ。
 守礼門の下まで来たところで、午前中に対応してもらった不動産屋さんの担当者から電話。先客の案内が早く終わったので、こちらの都合が良ければ直ぐに案内できるという事なので急いで向かう。
 会社の前に自転車を預けて、車で物件を案内してもらう。
 2DKで28000円(共益費1500円)、1LDKで32000円(共益費1000円)、洋10畳の1ルームで31000~32000円(共益費5000円)、洋12畳の1ルームで34000円(共益費1000円)の物件を見せてもらう。一つだけ敷金1ヶ月の物件があるけれど、あとは敷金、礼金のない物件。それでも沖縄では保証会社と契約するシステムがあり、仲介料、清掃代、保険料などもまとまると結構な額になる。
 間取りや詳細を書いた資料をいただき、また自転車で市内を走ってみる。朝から名瀬のスーパーで買ってきたぶどうパンしか食べていなかったので、若狭にあった高良食堂へ。
 注文したAランチはご飯の上にスペアリブ、隣りにトンカツと天ぷらと目玉焼き。小皿に刺身が入って、沖縄そばがフルサイズで付いてきた。これで700円。とりあえずソバは全部食べて、後は大半を容器に詰めてお持ち帰りにしてもらった(汗)。
 シャワーを浴びて、持ち帰ったご飯を食べながら焼酎をチビチビ。写真は守礼門。
 Photo Diaryを更新。
*2012年5月10日のPhoto Diaryはこちら
5月10日のスナップ。農連市場
↑10日は、朝から自転車で那覇空港までサイクリング。ネットで調べた物件を、別の不動産屋さんに電話で問い合わせ。
 今日は宿を変更。昨日ネットで予約した2600円のビジネスホテル。チェックインは午後3時からだが、荷物だけ先に預ける事はできるか問い合わせたところ大丈夫とのことなので、11時頃にホテルへ。荷物を預けたら直ぐに市内をサイクリングしようと思っていたが、もうチェックインも可能ということなので、そのまま手続き。
 部屋はゆったりしたツインを一人で使って2600円。まあ、場所が辻のど真ん中でアチコチに呼び込みのお兄さんが立っていますが。
 しばらく部屋で休んでから市内をサイクリング。辻、若狭、前島、泊、上之屋。泊、前島の路地を通って国際通りに出て、牧市公設市場、農連市場を眺めて小さな食堂で300円のカレーライスで遅い昼食。壺屋通りに少し寄って、国際通りに戻って久茂地、松山、久米を走り、県庁から泉崎、壷川まで行き那覇湾沿いに辻のホテルに戻る。
 少し休んで、晩ご飯を食べに7時半頃にホテルを出る。行き先は昨日と同じ、高良食堂。うな丼とソバのセット650円。うな丼には、なぜかうなぎの下に天ぷら一つ、横には大量のガリと玉子焼き。沖縄式?
 食べ終わって、夜の街をサイクリング。若狭、松山、国道58号に出て上之屋まで行って戻って来る。帰る途中スーパーで泡盛・久米仙の360ml、コンビニで烏龍茶とアイスコーヒーを買って帰る。
 久しぶりにバスタブにお湯をはって、ゆっくりと浸かる。写真は農連市場。
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5月11日のスナップ。ホテルから撮影した夕日
↑11日は、朝9時過ぎに一昨日物件を見せてもらった不動産屋さんの担当者に電話。10畳のワンルームで、同じマンション内の道路側の6階、住宅地側の8階の物件で迷っているのでもう一度見せてもらう事に。
 現地に10時半に待ち合わせ。2つ見て、1000円高いが8階住宅地側の32000円プラス管理費5000円の部屋に決めた。
 不動産屋さんに行き、保証会社の審査を受けるための書類を作成。
 自転車で泊港の辺りを走っていたら、審査会社の担当者から電話があり、いくつかの質問に答える。
 お腹が空いたので、自転車で走っていて目についた居酒屋さんのランチメニュー。エビと揚げた魚と野菜の甘酢炒め、小鉢にきんぴら、冬瓜と鶏肉の煮物、魚の南蛮、コーヒー、コーヒーゼリーが付いて680円。
 今日は久米の、洗濯機が部屋にあるコンドミニアム式のビジネスホテルに宿泊。荷物を先に預けられるか問い合わせたところ、もうチェックインもできるという事なので辻のホテルに荷物を取りに行き、移動。
 チェックインして、さっそくフロントで1個30円の洗剤を買って、部屋に備え付けの洗濯機で溜まった服を洗う。
 洗濯しながらベットで休んでいると、電話。今度は違う保証会社さんから電話で、またいくつか質問に答える。
 2つの保証会社から問い合わせがあるとは思わなかったので、審査が難しいのか?と思っていたら、15時頃に不動産屋さんの担当者から審査が通りましたとの電話。
 契約に必要な初期費用をATMでおろし、16時半に不動産屋さんで契約書の作成。
 また自転車で那覇の街を走って、お腹が空いたので国道58号沿いのみかど食堂で、ちゃんぽん550円。麺ではなくご飯の上に野菜とコンビーフ?を炒めて玉子でとじたものが乗っている。
 食べ終わり、少しぶらぶらと路地を走ってホテルに帰る。写真はホテルから撮影した夕日。

8月11日(水)

 今日は涼しい風が吹いていて、少しだけ過ごし易かった。
 今日の富山県の新型コロナ感染者数は46人。入院者数は前日より14人増えて190人となり、3日連続で過去最多を更新したそうだ。重傷者も2人増えて8人となった。 新田知事は昨日、新規感染者や入院者が増え続けていることを受け「感染拡大特別警報」を出した。相変わらず警報を出すだけで、今後の感染者の増加を見据えて宿泊施設を確保したとか、濃厚接触者の定義を見直してより広い範囲でPCR検査を行うといった具体策は何もないようだ。こちらに8月になってからの検査数が載っているが、感染拡大警報を出した昨日でさえPCR検査は369件だ。感染者が増えれば保健所の業務が逼迫し、濃厚接触者も追えなくなるだろう。少しでも余裕があるうちに検査を拡充するべきだと思うけれど。

 今年3月、名古屋出入国在留管理局で収容中だったスリランカ人女性ウィシュマ・サンダマリさんが亡くなった問題で、出入国管理局は名古屋入管の対応などを検証した最終調査報告書を公表し、職員による不適切な対応や医療体制の不備を認めた。 そして当時の名古屋入管局長と次長を訓告、警備管理官ら2人を厳重注意処分にしたという。人が亡くなっている問題で、訓告と厳重注意はあまりにも処分が軽くないだろうか。入管施設で亡くなったのは、ウィシュマさんが初めてではない。入管庁によると2007年以降だけでも、各地の入管施設で計17人が亡くなっている。以前から入管施設の対応が問題視されてきたが、改められてこなかった。
 
 名古屋の河村たかし市長がオリンピックの金メダルを噛んだ問題で、メダルが新しいものと交換されることになったという。メダル交換にかかる費用は、河村市長に請求する方向で調整しているそうだ。メダルを噛まれた後藤選手は、チームで勝ち取って表彰式で授与されたものだとして、新しいメダルとの交換を辞退する意向を示していたそうだ。
 いっそメダルは噛まれたものを最先端技術で殺菌・消毒してもらい、交換して新しくするのは名古屋市長の方でいいんじゃないだろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
公文書改ざん問題 自死職員の妻が財務省に開示請求
クオモNY知事が辞意 セクハラ認定で引責 

 Photo Diaryを更新。
*2012年5月4日のPhoto Diaryはこちら。(AiAiひろば、ダイエーで買ったスニーカー、黒糖焼酎・まんこい30度)
*2012年5月5日のPhoto Diaryはこちら
5月5日のスナップ。請島の池地集落に到着
↑ゴールデンウイーク中は、町営船せとなみの運航が請島や与路島に日帰りで行ける時間に変更されているので、朝早く起きて請島の池地集落行きを決行。請島のもう一つの集落、請阿室は昨年歩いているので、これで瀬戸内町の有人離島、請島・与路島・加計呂麻島の全集落を歩いた事になる。
 道の島バスの本社で今日と明日、二日間の乗り放題チケットを購入。7時51分発のバスで古仁屋へ。
 コンビニでおにぎり弁当を購入して、古仁屋港を10時出港のせとなみで池地に向かう。池地に向かう途中、請阿室港で近くにいた女の子達が”カメ、カメ”と叫ぶので見ると、船の直ぐ横で海亀が泳いでいた。
 11時頃に池地に着いて、集落散歩。デイゴの花が咲き始めている。猫が日陰で休み、半分放し飼いの山羊が道を歩いて来る。村はずれの学校には、奉安殿が残っていた。商店は一軒もなく、自動販売機も見当たらない。
 帰りのせとなみは、池地に15時25分に着いて、15時35分出港となっていたが、少し早めに入港して他に乗船客がいないと思ったら25分頃には出港してしまった。余裕を見て、早めに港で待っていないと置いて行かれます(汗)。帰りは請阿室から牛と豚も乗船。
 古仁屋から名瀬は18時35分の最終バスで帰る事が多いけれど、17時のバスで名瀬へと帰る。写真は町営船せとなみが、池地の港に到着するところ。
*2012年5月6日のPhoto Diaryはこちら
5月6日のスナップ。脇田丸かつお祭り
↑6日は加計呂麻島の芝集落で開催される、第4回脇田丸かつお祭りを見学に行く。
 通常、芝までは古仁屋からフェリーかけろまで瀬相に渡り、そこからバスに乗り換えなくてはならないが、今日はこのかつお祭りのため、特別に海上タクシーが出る。古仁屋から芝まで一人500円と、かなりお得だ。
 道の島バスの本社を10時51分に出るバスで古仁屋へ。古仁屋に着いて、Aコープで海苔巻きと稲荷のお弁当を買って、海上タクシー乗り場へ。しばらく待って第一便の海上タクシーで芝に向かう。
 乗った船は寅さんシリーズの映画に登場する「でいご丸」。先月末に与路島へ舟漕ぎを見に行った時にやはりご一緒になったご夫婦と、また同じ海上タクシーで再会。
 芝に到着して祭りが始まるまで集落を散歩。その間にも4隻ほどの海上タクシーが、次々に古仁屋から見物客を乗せてピストン輸送。
 かつお祭りは太鼓演奏のオープニングで始まり、かつお漁船の海上パレード、フラダンスや島唄、加計呂麻島・薩川出身の演歌歌手みた かずよさんの歌謡ショー、マグロの解体ショーなどなど。
 16時半頃になって、古仁屋に戻る海上タクシーが動き出した。八月踊り、六調と続きそうだが名瀬まで帰らなくてはならないので、名残惜しいが船に乗った。
 海上タクシーが古仁屋に着いたのが17時ちょっと過ぎ。始発の海の駅は17時発だがしばらく街中を巡回するので、ひょっとしたら間に合うか?と先回りしたらバスがやって来た。
 18時35分の最終があるけれど、1時間半あるので乗れて良かった(*´д`*)。
 夜、部屋の窓を開けて港を見ると、ちょうどフェリーが入って来るところだった。対岸の小浜の上にはお月様。スーパームーンは昨日だったけれど、今日のもまん丸で大きなお月様だった。写真は餅撒きの際に、祝い餅に混じって投げられたカツオを拾った男の子。
*2012年5月7日のPhoto Diaryはこちら。(賃貸借契約書)
*2012年5月8日のPhoto Diaryはこちら
5月8日のスナップ。コーラルプラスから撮影した那覇
↑今日からアパートを探しに沖縄行き。夜中の2時半に起きて、おにぎりを6個握る。
 沖縄行きの最終準備をして部屋を5時頃に出る。自転車で1分もかからないフェリー乗り場に着いて、自転車を折り畳んで手荷物にするため布団袋に仕舞う。
 2階の乗り場で名瀬から那覇までのチケットを購入。今日はマリックスラインの、コーラルプラス。
 あいにくの曇り空だが、船はほぼ定刻の6時頃に名瀬を出航。
 名瀬、徳之島の亀徳港、沖永良部島の和泊港、与論島の与論港、沖縄の本部港に寄って那覇港には予定より30分ほど遅い20時15分くらいに到着。
 フェリーの中で予約した民宿の場所を地図で確認すると、ホントに那覇港の直ぐ近く。自転車を組み立てて、民宿へ向かうと1分もかからないで着いた。
 家から名瀬のフェリー乗り場まで1分、那覇港から民宿まで1分、名瀬から那覇までフェリーで13時間。名瀬と那覇は近いのか遠いのか、楽なのか大変なのか???
 チェックインしてから、自転車で少し走り、コンビニで飲み物などを買って帰ってきた。
 さすがに、ちょっと疲れた。家から持ってきた黒糖焼酎をベットの上でチビチビ飲んで、就寝。写真はコーラルプラスから撮影した那覇。

8月8日(日)

 広島に原爆が落とされた、8月6日の原爆の日。平和祈念公園で開かれた平和記念式典であいさつをした菅首相が原稿の一部を読み飛ばした。リアルタイムでテレビの中継を観ていたが、しばらく字幕が消えた。この読み飛ばしに、NHKも対処するのに困っただろう。原因は原稿を張り合わせる際に使った糊が予定外の場所付着して捲れない状態だったためとしているが、自分の読む官僚作成の原稿の意味を理解していないから、ああいう風に読み飛ばせるんだろうと思う。明日は長崎の原爆の日だが、明日も菅首相はあいさつをするのだろうか。
 今日の東京都の新型コロナの感染者数は日曜日としては最多となる4066人で、これで5日連続4000人越えとなった。もう世間はお盆休みに入ったようだが、今年は保健所や行政機関のお盆休みはどうなるのだろうか。もし保健所もお盆休みになるなら、その期間は一気に感染者数は減るだろうがお盆明けは恐ろしい数字になりそうな気がする。
 一昨日東京電力が福島第一で勤務する社員や協力企業作業員など10人が新型コロナに感染したと発表したが、昨日は関西電力が高浜原発で作業をしている下請け会社の従業員10人が感染したと発表した。高浜原発での感染者は計11人となり、福井県はクラスターと認定し、関電は接触した可能性のある674人を自宅待機にした。
 その福井県だが、他の県と同様に感染拡大に歯止めがかからず、発令中の「警報」を「特別警報」に引き上げた。その一方で、福井市内の体育館に臨時病床100床を設けたという。体育館に病床を設けるというのは、国内では初めてではないだろうか。東京都は自宅療養を強制するが、感染者のケアーを考えれば臨時の病床を設けてそこに感染者を集めて治療に当たるのが効率的だと思う。それを都や国がやろうとしないのは、体育館などの臨時の場所に病床を作る、いわば野戦病院的な絵がマスコミを通して流れるのが嫌だからだろうと個人的に推察している。実際に国内の感染状況は悲惨だが、それを可視化させたくないというのが為政者の考えではないだろうか。東京都内の感染状況を考えれば巨大な体育館をいくつか臨時の野戦病院にして、軽症者を自宅待機ではなくそこに集めて治療する方が薬や食料の提供、マンパワー(医療従事者)的にも効率は良い筈だ。
 考えてみれば、この国では新型コロナが発生してからPCR検査の抑制など現状把握ができない政策が続いている。国民の命と健康よりも、現状を可視化させないことに注力しているとしか思えない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
沖縄防衛局、サンゴ移植を再開 農相の決定受け

『満天の星のごとく・・・』からの複写
 屋根に上り、大きな日の丸の旗を振っている人が何人か写っている。この写真は奄美群島日本復帰40周年記念写真集『満天の星のごとく・・・』から複写したもので、キャプションには<昭和28年8月。ダレス声明に歓喜。屋根に上り祝賀飛行機に日の丸を打ち振る。[提供]吉良一良(名瀬市)>と書かれている。
 奄美群島は昭和28年12月25日に日本へ復帰するが、その年の8月8日に米国のダレス国務長官が「平和条約第3条に基づいて奄美群島に関して有する権利を放棄する」という内容の声明を出した。それまで詩人の泉芳朗復帰協議会議長などが高千穂神社で断食を行うなど、非暴力による祖国復帰運動を展開してきた奄美群島の人々に、このダレス声明は待ちに待った朗報だったろう。写真中央少し上、山の中腹を飛んでいる祝賀飛行機に向かって日の丸を振る人々から、その喜びの大きさが伝わってくる。
 ところで、この写真を見てもう一つ驚いたことがある。背後の山が見事に耕されていることだ。この山が市役所の後ろ、おがみ山の方なのかわからないが、いずれにしても名瀬市街を囲む山々は現在は木が生い繁ってまるで原生林のように見える。
 東洋のガラパゴスと呼ばれる奄美大島だが、実は厳密な意味での原生林は金作原原生林など僅かしか残っていない。移住して直ぐはイタジイやヒカゲヘゴなどの樹木が生い繁っている奄美の山々を見て、どこも開拓されたことのない原生林かと思ったが、ほとんどの山は一度は人の手が入っていると聞いて驚いた。そう聞いても尚、再び木が生い繁った山を見るとにわかには信じられないのだが、この写真を見て納得した。
 写真は記録。一枚の写真の中で、色んなことを教えてくれる。
 
 Photo Diaryを更新。
*2012年4月20日のPhoto Diaryはこちら。(イソヒヨドリと名瀬港)
*2012年4月22日のPhoto Diaryはこちら
4月22日のスナップ。宇検の展望台から撮影した新緑の山々
↑22日は 朝8時20分に長浜緑地公園に集合して、奄美の自然を考える会の観察会に参加。今回は、奄美大島の最西端・西古見方面。陸の孤島のような集落の一つで、個人ではなかなか行くのが大変な場所とあって、バスが満席になるほどの大盛況でした。
 西古見に行く途中、まずは住用の西仲間にあるイルカンダを観察。満開の花が雨に濡れて奇麗。ここからマングロープパークでトイレ休憩をして、途中、川沿いの林道を通りながら宇検方面へ。
 今月の8日に、常田さん達とも行った宇検の展望台で湯湾岳を眺める。今日は新緑の森のアチコチから蒸気が上がっている。森の呼吸。
 展望台から湯湾集落へ行き、最近できたらしい、うけん市場で買物。一応昼ご飯用にオニギリを2つ作って来たけれど、美味しそうなお弁当が売っていたので購入。後で聞いたところによると、人気のお弁当で直ぐ売り切れるとか。私が買ったのは、最後の一つだった。
 名瀬市以外は極端に飲食店が少ない島なので、お弁当は身近な存在。ボリュームがあったり、おかずの種類が多かったりと、お値打ち感のあるお弁当も多い。
 湯湾から焼内湾沿いに名柄集落へ行き、そこから瀬戸内町の久慈に出る山道に入る。途中にカンツメさんの碑があり、バスを降りて見学。
 久慈からは大島海峡沿いにひたすら西へ走る。予定していた12時頃に西古見集落に到着。集落の公民館で昼ご飯を食べて、1時まで自由行動。集落の中を一人で写真を撮って歩く。珊瑚石の塀が長く続く、海岸沿いの風景が美しい。
 自由時間の後、集落を抜けて先にある曽津高崎灯台(西古見灯台)方面へ。大型バスで灯台までは難しいので、灯台が見える展望所まで。そこから戻って観測所跡、もっと集落よりの砲台や弾薬庫が残っている戦跡を訪ねる。加計呂麻島・安脚場集落にある旧陸軍の要塞、呑之浦にある特攻艇「震洋」の格納庫など、奄美大島の南部、瀬戸内町にはこのような戦跡が多く残っている。
 帰りは大島海峡沿いに篠川まで出て、名瀬へと戻った。写真は宇検の展望台から撮影した新緑の山々。
*2012年4月24日のPhoto Diaryはこちら
4月24日のスナップ。古民家での八月踊りの練習
↑昨日今日とお天気はそこそこ良いはずなのに、黄砂の影響か、遠くの風景が白く霞んで見える。
 最近オープンしたAiAiひろばを見学してから、久しぶりに小湊までサイクリングに出掛けようかと思って平田町まで来てスーパーに立ち寄ったら、天気も今一つなので冷蔵庫の中身を補填する日に変更した。
 スーパーで買った野菜などを一旦部屋に置きに行って、今度はぐるっと名瀬港をまわって大熊漁港へ。港に着くと、宝勢丸がカツオを水揚げしていた。かなり大漁に見えました。
 販売所に行くとシビのお刺身は無く、カツオだけ。カツオのたたきが美味しそうだったので購入。パックに山盛りで500円。大熊漁港からの帰り、ダイエーに寄って明日のご飯用にケララカレーを購入。
 新タマネギのスライスと青ネギを乗っけたカツオのたたきで晩ご飯を食べた後、奄美文化センターの敷地に移築されている奄美の古民家へ行く。
 昨日のお昼にカツ丼を食べに入った食堂で地元の新聞を読んでいたら、今日の夜7時からこの古民家で佐仁の島唄と八月踊りの練習があり、見学も歓迎と書いてあったので訪ねてみた。
 縁側の戸が開いていて、中を覗くと「どうぞどうぞ」と声をかけられる。畳の部屋に上がるとコーヒーとお茶菓子に、お刺身まで出していただいた(笑)。練習の見学と撮影をお願いしたところ、快くいいですよの返事。しばらく練習を聴いた後、撮影させてもらう。
 奄美文化センターや、名瀬公民館、奄美パークなどで年に何回か島唄のコンサートや発表会、コンテストが行なわれており、そのうちのいくつかは聴きに行ったりもしているが、生活の中の島唄のありようがよくわからない。展示物ではあるが、奄美の古民家を使って行なわれる唄あしび(練習ではあるが)を見ながら、かつて唄とともにあった暮らしの風景を想像してみる。
 島唄の練習の後、八月踊りの練習が続き、最後は六調を踊ってお開きとなった。参加されている方々は名瀬在住の佐仁集落出身の方、それから佐仁からわざわざいらした方達で、月に2回こうして練習しているそうだ。帰りがけ、お茶菓子をお土産にいただいた。市販のお菓子に混じって、たぶん佐仁独特のお餅を油で揚げたお菓子が入っていた。写真は古民家での八月踊りの練習。
*2012年4月27日のPhoto Diaryはこちら。(伊津部勝、西仲勝、パッションフルーツ、小湊)
*2012年4月28日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸とおじさんと自転車)
*2012年4月29日のPhoto Diaryはこちら
4月29日のスナップ。与路島の舟こぎ大会

↑何日か前に、与路地区の舟漕ぎ大会があると知った。昨年の10月に行った時に撮影させてもらったオバアさんに、その時の写真を渡したいとも思っていたので与路島行きを決行。
 この舟漕ぎ大会にあわせて古仁屋から与路島への町営船の運航時刻が変更になっており、行きは古仁屋港を10時に出て、与路島に11時40分に到着。帰りは与路を16時に出て、古仁屋に17時40分に着く。
 かなり早めに起きて昼ご飯用のおにぎりを3個作る。昨晩のうちに作っておいた茹で卵とジャスミン茶を水筒に入れて、道の島バスの本社へ。
 名瀬〜古仁屋間は往復すると3000円以上かかるので、2000円の一日乗車券を購入。本社前を7時51分発のバスで古仁屋に向かう。
 終点の海の駅で降りて、さて、町営船せとなみの切符を買おうかと窓口へ行って驚いた。定員に達したため、本日の乗船券は終了しました。ガーーーン!!せっかく早起きしたのに、せっかく古仁屋まで来たのに・・・orz。
 途方に暮れていると、他にもせとなみに乗船できなかった人がいて、観光案内のスタッフの方が人数が揃えば海上タクシーが出るから乗り場で待ってみて下さいという。
 ヒヤヒヤしながら暫く待っていると、さばくりができたようで、出発。運賃もわからないまま、みなみ丸に乗船すると、加計呂麻島の瀬相港に到着。乗船した家族数で料金を割って、一家族500円。瀬相から車で山を越えて島の裏側にある伊子茂集落の港へ。ここで加計呂麻島からの人と合流して、芳丸で与路島へと向かった。
 考えてみればこの方法は、与路島までの最短ルートだろう。車で加計呂麻島を横断するので、せとなみのように大きく島を回り込まなくてもいい。請島にも寄らないので、せとなみより後に古仁屋を出たのに随分先に着いた。気になっていた料金は、距離があるにもかかわらず人数が増えたので一人500円。
 せとなみの乗船料が古仁屋〜与路で1000円なので、ぴったり同じになった。さばくり上手だ(笑)。もうヒヤヒヤしたくないので、さっそく乗船場で帰りのせとなみの切符を購入。
 舟漕ぎ大会が始まる12時まで、集落を散歩。あいにくの曇り空ですが、珊瑚の石垣が続く風景は美しく、歩いていて心が落ち着く。目的の一つだった写真は、オバアさんの家の前に行くと丁度ご本人が横から出て来られたので、ファイルに入れたA4サイズの写真2枚をお渡しした。
 挨拶や開会宣言が行なわれた後、舟漕ぎのスタート。会場をウロウロしていると、お弁当とビールが集落の方から手渡される。いや、あの関係者じゃないんですが・・・と言うと、「いいんですよ。刺身も持って来ますから」。ありがたいな〜と思っていると、古仁屋から撮影に来ていたnaoさんが、手招きしてくれたのでテーブルの横に座らせてもらってお弁当をいただく。

 舟漕ぎ競争の方は、最初こそなんとか降らずに保ったが、ポツリポツリと来てやがて本降り。風も強くなって食べかけのお弁当やら、発砲スチロールに入ったお刺身が飛んで行く始末。それでも最後まで競技は続けられ、土砂降りの中、テントに入って表彰式や万歳三唱も行なわれた。
 すばやくテントを片付けて、集落の中央にある集会場で反省会。町営船の出港時間までだいぶあったので、参加させていただいた。ここでもビールや黒糖焼酎をいただき、またお弁当をもらってしまった。
 区長さんや議員さんから与路島をよろしくお願いしますと、お酒をついでいただいた。通りすがりのような私には、こうして自分のホームページに写真を載せることくらいしかできないんだけど。
 古仁屋に戻るせとなみの時間が近づいてきたので港へ。チヂンを持った女性達が叩きながら踊りながら、手を振って見送ってくれる。「来年も、また来てね〜」と陽気に大きな声で見送ってくれる。
 KAKEROMA.COMによれば、平成20年4月末で与路島は75世帯120人。今はもう少し減っているかも知れない。そこへ今日は隣りの請島や加計呂麻島、古仁屋から人が集まって来て、普段は静かな集落が賑わった。
 明日になれば、また島は静かな日常に戻るのだろう。祭りの後のさみしさを伴って。それをわかっているから、ことさら陽気に過剰なほどの明るさで見送ってくれているような気さえする。

 奄美の島唄の代表的な曲とも言える「朝花節」。神様のお引き合わせによって、こうしてまたお会いできたのですね。久しぶりにあなた方にお会いできて嬉しいです、と言った歌詞で始まる。
 奄美大島は離島だけれど、名瀬に住んでいる分には交通の便も移動も楽になり、朝花節で唄われるような人との出会いの感謝というものがピンと来ない。でも離島のさらに離島といった趣きの与路島では、そんな島唄の心情を勝手に想像してみる事ができた。

↓朝花節の歌詞を訳したもの。
石原を踏み越え、こうしてわざわざ御足をお運び下されたあなたの真実に触れ
私は嬉しさでいっぱいです。
今日こうして未知のあなたにお逢いして、よく知ることができました。
これも命ながらしていただいたからこそで、本当に命あってこそ未知の人にも逢えるというものです。
たまたま皆様方にこうしてお逢いできましたが、さて今度は、
いつまた、お逢いすることができましょうか。
唄いましょうよ やりましょうよ
唄は、やってこそ、上達しますよ
唄いましょうよ やりましょうよ

 海の駅を18時35分に出る、名瀬方面への最終バスで戻る。外は本格的な雨。昨日沖縄が梅雨入りしたが、奄美群島も今日梅雨入りしたとネットのニュースで知る。平年より12日、昨年より1日早い梅雨入りだそうです。
 道の島バス本社の前に停めておいた自転車を拾い、久しぶりにずぶ濡れになって帰った。写真は与路島の舟こぎ競争。

*2012年5月2日のPhoto Diaryはこちら。(奄美みき)
*2012年5月3日のPhoto Diaryはこちら。(大熊・鳩浜辺り)

8月5日(木)

 東京都の今日の新型コロナの感染者数は5042人で、初めて5000人台に突入した。都のモニタリング会議が、2週間後には1日1万人を超えるという試算を出したそうだが、検査数が少ないので5000人台になっているが、検査数を増やせば既に1日1万人を超える陽性者が確認されても不思議ではないと思っている。今後どこまで1日の陽性者数が増えるのか予想もつかないが、検査能力が低いので一定のところで天井になってしまうのかと思う。

 今月2日、突如政府が新型コロナの陽性者のうち中等症の人の一部を自宅療養・宿泊療養にすると発表(後に中等症は原則入院と軌道修正)した。これには野党のみならず与党からも批判の声が上がっている。この判断について、分科会の尾身茂会長は政府から特に相談や議論は無かったという。なんのための専門家だろうか。
 昨年、新型コロナの感染が日本でも始まった時、政府の専門家会議のメンバーらで作る「コロナ専門家有志の会」が 「#うちで治そう」「#4日間はうちで」という呼びかけをして、後に受診抑制に繋がるとして削除されたが、今回の自宅療養は4日間どころではない。新型コロナ流行から1年半以上が過ぎて、再び#うちで治そうという方向に戻るとは思ってもみなかった。
 政府は自宅療養というが、往診などで診療してもらえるわけではなく、ただ自宅で待機させられているだけの放置だろう。都のホームページによれば、そんな人が東京都だけで現在14,783人おり、今後も増えていくと思われる。FNNの記事によれば自宅療養中の死亡が増えており、8月になって既に30代から50代の8人が亡くなっているという。

 昨日行われた衆院厚労委員会の閉会中審査で、立憲の長妻議員が「中等症は宿泊施設でやるべき」「宿泊療養を大幅に拡充するべき」と訴えたのに対して、田村厚労相が「ホテル、療養所、これ確保する。それをしたとしてもそれに追いつかない。さらに言えば、それを確保すると言ってもですね、ホテルも明日からというわけにはいきませんから。それは1週間か2週間かかるでしょ。その間に感染は広がるんですよ!? これ。倍で増えてるっていうこの脅威を考えたときに、我々としては在宅でも対応できるということを考えなきゃなりませんし、海外で感染が拡大しているところは基本は在宅であります。〜略〜だからようはスピード感の問題を申し上げておりますので、平時ではないということをどうかご理解いただきたいと思います」と答えていた。
 感染力が強くて感染スピードが早いデルタ株のことは随分前から言われていたのに、今まで政府は何をしていたの!?という話でしかないし、平時ではないというなら、なぜ感染真っ只中の東京でオリンピックをやっているのだ。
 政府は今日、特別処置法に基づく「まん延防止等重点措置」の対象地域に、福島、茨城、栃木、群馬、静岡、滋賀、熊本の8県を追加することを決定した。分科会からは全国に緊急事態宣言を出すよう提言があった。しかし、まん延防止も緊急事態宣言もオリンピック開催中の日本では、人流抑制の効果は期待できないだろう。政府はオリンピックは新型コロナの感染拡大に直接関係ないと言うが、直接(選手村に滞在しているギリシャ選手の中でクラスターが発生した)・間接・心理的に感染拡大に影響しているだろう。
 療養施設を直ぐに確保するのは難しいと厚労相は言うが、オリンピックを止めれば18,000人収容の選手村が空く。また、警備に当たる警察官が使う都内4カ所の臨時宿舎がある。ここは昨年新型コロナ軽症者の療養施設にするため約37億円かけて改修したものの、一度も使われずに警察官宿舎に戻した。オリンピックが中止となれば、ここをまた療養施設にすることもできる。オリンピックのために確保された7,000人の医療従事者も、都民のため、国民のための新型コロナ対策に活躍してもらえるかもしれない。ここまでしないと、新型コロナの危機感が国民に伝わらないのではないだろうか。

 名古屋の河村市長が昨日、東京五輪のソフトボール日本代表で金メダルを獲得した同市出身の後藤希友選手の表敬訪問を受けた際に、首にかけてもらった金メダルに噛みついた。河村市長、頭おかしい。
 過去のいじめ問題で東京五輪開会式の作曲担当を辞任した小山田圭吾氏の騒動が、まだ尾を引いている。今度はいじめの記事を掲載した雑誌「クイック・ジャパン」が「今後二度とこうしたことを繰り返さぬよう編集体制の見直しが必要」と判断し、発売休止を決めたという。しかし、掲載したのは20年以上前で当時の編集長や編集者はもう居ないだろう。意味があるのだろうか?個人的には、当時の編集長だった赤田祐一君の見解を聞いてみたい。

 この他の気になった記事を備忘録として。
首都圏でのコロナ療養…島根県民近親者の帰省を支援へ 島根県知事「医療崩壊と理解するのが自然」
政府与党のコロナ会議「議事録作成、考えてない」加藤氏
福島第一原発でも新型コロナ感染拡大 2日間で新たに8人

 奄美大島から沖縄に引っ越して直ぐに、知人から「南の島はコレでしょう」というメッセージと一緒に、引っ越し祝いとしてレゲエのCDが18枚送られてきた。ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズのアルバムが14枚に、『スーパー・エイブ/リー・ペリー』『マン・フロム・ワレイカ/リコ』『ザ・ハーダー・ゼイカム/ジミー・クリフ』『ロッカーズ/オリジナル・サウンドトラック』といった内容。何枚かはすでに持っているCDだったが、とりあえずiMacのiTunesに取り込んだ。iTunesからiPodにも移したかったが、2つ持っていたiPod(クラシックとミニ)はフルに音源が入っていた。
レゲエのCD01

 沖縄にいる間はたまにiTunesに取り込んだボブ・マーリーを流しながらパソコン作業をしたりもしたが、沖縄から富山に帰って直ぐにiMacが壊れてしまった。幸いアップルケアーの保証期間内だったので無料修理となったが、ビデオカード、ロジックボード、ハードディスクが交換されたのでitunesに取り込んだレゲエのCD音源は消えて無くなった。
 またiMacのitunesに入れ直そうかとも思ったが、面倒臭くなってずっと放っておいた。2ヶ月ほど前に新しいiMacを購入したので、先日ようやく18枚のレゲエのCDを取り込んだ。流石に18枚となると1時間半ほどかかってしまった。新しいiMacは27インチで筐体が大きいからか、ちょっとだけ音の鳴りが良い気がする。

 一番最初に聴いたレゲエの曲は、エリック・クラプトンの『461オーシャン・ブールヴァード』に収録されていた「ゲッド・レディ」と「アイ・ショット・ザ・シェリフ」。たぶん同世代の多くの人がそうじゃないだろうか。

レゲエのCD02
シェリー・サンダー


 自分で初めて買ったレゲエのアルバムはジミー・クリフの『ザ・ハーダー・ゼイカム』だが、なんで買ったのかは忘れてしまった。
 初めて聴いたボブ・マーリーのアルバムは『エクソダス』だと思う。もう40年以上前なので思い違いもあるかもしれないが、横浜・関内に「ファーイースト」というライブハウスがあって、そこが野毛ハーレムバンドの拠点のような感じだった。野毛ハーレムバンドのドラムを透さんがやったのか、リハーサルを見にいっただけだったか忘れてしまったが、その時にパーカッションの野毛ゆきお(NOGERA)さんがお店で『エクソダス』を流してくれたと記憶している。
 初めて自分で買ったボブ・マーリーのアルバムは『レジェンド』で、これはバリ島に遊びに行った時。レコードでもCDでもなくカセットテープ。ボブ・マーリーの顔がプリントされたTシャツと一緒にボブ・マーリーSHOPで買ったのか、ダンドゥットやクロンチョンのテープと一緒にテープ屋さんで買ったのかは忘れてしまった。

←シェリー・サンダー。


 初めて撮影したレゲエのミュージシャンは、1990年の「レゲエ・ジャパンスプラッシュ」で来日したシェリー・サンダー。スプラッシュのライブと、翌日にレコード会社でポートレートを撮影している。
 Photo Diaryを更新。
*2012年4月7日のPhoto Diaryはこちら。(笠利町の喜瀬集落、タンカン、アオサ)
*2012年4月8日のPhoto Diaryはこちら
4月8日のスナップ。金作原原生林のヒカゲヘゴ
↑8日は朝9時に集合して、写真家・常田守さんの案内で金作原原生林へアマミエビネを撮影に行く。金作原にはこれまで2回来ているが、どちらも野鳥の調査で、夜明け前から日の出にかけて。ちゃんとした撮影ができるのは、今日が初めて。
 予定は金作原だけでしたが、ここ最近では一番の快晴になったので、もう少しアチコチ行ってみようと言うことになり、住用へ。ちょうど昼時になったので、一昨年の豪雨災害の時に避難場所としてお店を提供して被災者を助けた定食屋さん、よってみ亭で昼ご飯。入るのは初めてです。600円のごまみそチキンカツ定食を注文。
 食べ終わってマングローブパークで地元新聞社の方と合流して、ミナミコメツキガニを撮影。ミナミコメツキガニは昨年の秋に、笠利の手花部の干潟で撮影しているが、マングローブにもウジャウジャいます。近づくと直ぐに砂に隠れてしまいますが。
 マングローブから宇検村へ。途中の展望所から新緑の山並みを眺め、河内川でアマミセイシカとケラマツツジを撮影して帰宅。写真は金作原原生林のヒカゲヘゴ。
*2012年4月9日のPhoto Diaryはこちら。(笠利町の赤木名集落)
*2012年4月10日のPhoto Diaryはこちら。(宇検村の阿室集落)
*2012年4月12日のPhoto Diaryはこちら。(有良集落、西和美さんのお店「かずみ」)
*2012年4月13日のPhoto Diaryはこちら
4月13日のスナップ。ザーンダム号を島唄でお見送りする築地俊造さん
↑このところ大型客船の寄港が続いている名瀬ですが、今日はオランダ船籍のザーンダム号がやって来ました。
 朝の9時頃だったか、港の方から音がするので窓を開けるとザーンダム号がまさに入港するところ。乗客定員1432人、乗組員数615人、61396トンと巨大な船です。
 お昼ご飯を食べた後、先日、飴をなめていたら被せてあった銀歯がポロッと取れたので知人に紹介してもらった歯科医院を訪ねる。あいにくお昼休みの時間で先生は不在でしたが、4時半からの診察がキャンセルになったので、そこに入れてもらうことになりました。
 診察時間まで2時間半ほどあるので、一度家に戻る。戻る途中から雨が降りだし、部屋に着いたら土砂降りの雨に。雷まで鳴りだして・・・orz。歯科医院まで自転車で20分ほど、このまま土砂降りの雨が続いたらどうしよう(汗)と思いましたが、徐々に雨は小さくなって家を出る頃には何とか止んだ。
 取れた銀歯をそのまま被せればいいかな〜と思っていましたが、下の歯が割れて銀歯が外れたらしく新しく作り直すことに。残念。
 歯の治療が済んだ後、ザーンダム号が停泊している観光バースへ。船を見ながらウロウロしていると、アチコチで知り合いにあう。今日は朝からザーンダムを見ようと訪れた人で、市街の道路は渋滞になったらしい(笑)。
 また降りだしてきた雨の中、築地さんの島唄、六調の後、スピーカーから「奄美で待って/吉幾三」が流れて、船は岸壁から離れて行った。写真は雨降る中、ザーンダム号を島唄でお見送りする築地俊造さん。
*2012年4月17日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の夕暮れ)
*2012年4月18日のPhoto Diaryはこちら
4月18日のスナップ。民家が一軒だけとなった青久集落
↑18日は、先日治療してもらった歯科医院で新しい銀歯の被せ。2時10分に診察を開始して、終わったのは3時近かったか。話し好きな先生で、診察時間の半分くらいは奄美群島の話しだったと思う(笑)。
 診察終了後、サバクリ人さんの車で青久へ出掛ける。
 名瀬から国道58号でマングローブ原生林へ。越次橋を左折して山間、戸玉を通り市集落。市集落から林道に入り、青久へ向かう。舗装されていない道の脇はアチコチで土砂崩れの跡があり、カックンカックンなカーブの連続。
 道路が整備され、トンネルもできて昔に比べたら移動が楽になっただろうと思われる奄美大島ですが、やはり陸の孤島のような集落はある。これまで行った集落では西古見、嘉徳がそうでしたが、この青久は一番かもしれない。
 林道をずいぶんと走ったところで、木の柵が開いていた。青久集落に一軒あるお家で飼っている牛が逃げ出さないように、林道に柵が設けられているとネットの情報で読んだ記憶がある。この柵から先が青久集落だな。
 ガタガタ道の林道を下りて海岸へ出ると、青久の集落。と言っても民家は一軒だけになったようだ。防波堤の役目だろうか、石積みの長い長い塀が残っている。嘗てはこの塀の中に民家が並んでいたのだろうか?
 集落の離れたところに石碑があって、カメラの望遠レンズで覗くと「むちゃかな」の碑だった。
 青久を訪ねた後、嘉徳に寄ってから油井集落の近く、須佐礼の海岸にあるサキシマスオウの木を見に行く予定でしたが、出発時間が遅かったので嘉徳は断念。来た道を戻り、国道58号に出て篠川経由で須佐礼に行く。
 サキシマスオウの板根を堪能した後、篠川で寄り道し、久しぶりに住用の林道でアマミノクロウサギを探して名瀬へと帰って来た。写真は民家が一軒だけとなった青久集落。

8月2日(月)

 福島第一で起こった過酷事故の後、「原発がなければ電気が止まる。原発に反対なら電気を使うな」という意見をいう人がいた。国内の全原発が停止していた期間、逆にこの人たちは電気を使わなかったのだろうか。
 この原発と電気と同じように、「五輪に反対した人はテレビでオリンピックを観るな」という意見をいう人がいる。稚拙な論法だと思う。この鈴木宗男参院議員だけではなく、わりと身近な人もSNSで呟いている。
 東京五輪の国民一人当たりの負担額は「都民10万3929円」、「国民1万408円」という試算がある。なんなら東京五輪賛成の人だけで負担してくれないだろうか。まあ、これも稚拙な論法だけれど、そう言いたくもなる。

 昨日、全国知事会が全ての都道府県境をまたぐ不要不急の旅行や帰省を自粛するよう訴えた。確かに今の感染状況を見れば至極当然の訴えだと思うが、その一方で国境をまたぐ往来をしているオリンピックはしてるのに?という納得できない感情もある。とりわけ開催地である東京都の小池都知事には、反発する声が上がっているようだ。

 昨日、東京五輪のボランティア男性が運転する大会関係車両が車2台にぶつかる事故を起こして立ち去った。運転していた男性は「オリンピックのスタッフを送ることを優先した」と警察に話しているそうだ。無茶苦茶な話だと思うが、そもそも関係者の送迎にボランティアを使うのが大きな間違いだろう。無償のボランティアに頼む仕事ではないと思う。

 この他の気になった記事を備忘録として。
コロナ中等症の一部も自宅療養に方針転換
感染者急増で保健所の業務ひっ迫「命と健康を守る行動を」東京
「入院者以外は自宅療養基本」 首相、病床確保方針
感染増と五輪 組織委・武藤氏「総理は因果関係ないと」
ボランティア「食事が少ない」定例会見で質問、途中で遮られる
どうなる五輪マラソン、競歩 7月に記録的暑さの北海道
デルタ株の感染力、水ぼうそう並み CDC「戦いに変化」と警鐘
感染の7割ワクチン完了、デルタ株9割 米CDCがクラスター分析

 有楽町(住所は銀座だけれど)に日立ローディプラザという、生ライブを聴けるショールームがあった。ステージに立つのはポップスからジャズ、フュージョンまで多彩な顔ぶれのプロのミュージシャンだ。そのライブを無料で聴けるだけではなく、10台の16chミキサーと20台の3ヘッドデッキが設置されていて、申し込んで当選すればライブを録音することができた。出演するミュージシャン側にすれば、失敗すればそのミスった演奏がキレイに録音されて残るわけで、ライブハウス以上に緊張を強いられる場だったと思う。今では著作権など色々あって、こんな録音会などできないだろう。
ローディプラザのパンフレット

 1982年1月のローディプラザのパンフレットがある。表紙は羽子板を持った杉田かおる。この当時、彼女が「Lo-D」ブランドのイメージキャラクターを務めていたようだ。
 なぜこの月のパンフレットだけ家にあるかというと、1月17日に一色ゆかり&シルバーフォックスで自分もドラムを叩いてステージに立ったから。この月は他に、益田幹夫&STING、朝倉紀幸&ギャング、シグナル、ダンガン・ブラザーズ、プリズム、そしてクロスウインドも出ている。

 クロスウインド は渋谷のライブハウス「屋根裏」のイメージだけれど、この日立ローディープラザも常連だった印象がある。
 You Tubeに40年ほど前の日立ローディプラザでのクロスウインドの音源がいくつかUPされている。著作権云々でいうとダメなんだろうけど、こうして40年前の演奏が聴けるのは嬉しい。一色ゆかり&シルバーフォックスの音源も誰かUPしてくれないだろうか。ステージは1部と2部があって各10人が録音しているので、20人はテープを持っていたはず。
 今日はクロスウインドのギタリスト、小川銀次さんの命日。もう七回忌になる。
 You Tubeから「百獣の王/クロスウインド 」。
 Photo Diaryを更新。
*2012年3月24日のPhoto Diaryはこちら。(頂き物の和菓子、朝仁海岸とカラス、ぱしふぃっく びいなす)
*2012年3月26日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーのお見送り)
*2012年3月27日のPhoto Diaryはこちら
3月27日のスナップ。名瀬港の夕暮れ
↑27日は天気が良かったので、久しぶりに大熊展望台からの夕日を見ようと家を出る。日が沈むまでたっぷり時間があるので、浦上、有屋、仲勝集落をサイクリング。浦上にあるパン屋さんで一斤350円のレモン食パンを購入。
 大熊漁港をプラプラしてから、奄美大島で一番の急勾配かも?と言われる展望台までの道を自転車を押して上がって行く。展望台に着いて、一休み。しばらく汗が止まらない。
 ガジュマルの木を利用した展望台ですが、上り口に縄が張られて入れない。階段や台の板が老朽化して抜けてるのかな?
 少し坂を漁港の方に戻ったところに駐車場があり、そこで浦上のパン屋さんで買ったレモン食パンを齧りつつ、家から持って来た「奄美・小宿集落誌」を読みつつ落陽を待つ。写真は展望台近くから撮影した、名瀬港の夕暮れ。ちょうど定期航路のフェリーが入ってきたところ。
*2012年3月29日のPhoto Diaryはこちら。(緋寒桜のサクランボ、西原集落、朝仁海岸の夕暮れ)
*2012年3月30日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーのお見送り)
*2012年3月31日のPhoto Diaryはこちら
3月31日のスナップ。フェリーのお見送り
↑進学や就職、転勤で島を離れる人達のお見送りがピークのようで、連日、夜になると大歓声が聞こえる。29日が一番お見送りが多かったようですが、今日も港は人で一杯でした。
 通常、鹿児島に上るフェリーは夜の9時20分に名瀬港を出るのですが、このところ大幅に時間がズレています。今日は入港が10時頃で、出港は11時頃でした。沖縄、与論島、沖永良部島、徳之島と名瀬に着く前にこれらの港でも盛大な見送りがあり、少しずつ遅れて行くのだと思われます。
 それにしても、この時期、名瀬だけでどれだけの紙テープが消費されているんだろう???すごい数に違いない。
*2012年4月2日のPhoto Diaryはこちら。(マイミクさんの案内、根瀬部、おがみ山)
*2012年4月3日のPhoto Diaryはこちら。(暴風雨の名瀬港)
*2012年4月4日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬の立神)
*2012年4月5日のPhoto Diaryはこちら。(築地俊造さんから借りた本)
*2012年4月6日のPhoto Diaryはこちら
4月6日のスナップ。有良(あった)集落で大島紬を織る人
↑6日はせっかくお天気が良いので道の島バスの本社に行き、一週間乗り放題のチケットを購入。14時10分発の和光トンネル、大熊経由で有良(あった)集落へ。何度となく横を通り過ぎているが、ここでバスを降りるのは初めて。
 集落の奥に行くと防風林だというガジュマルの並木があり、その横で何やら男性が作業。ピンと張った絹糸に墨で印を入れている。直ぐ近くに作業場があり、締機(しめばた)をされていると聞いたので、集落を少し散歩した後に作業を見せてもらった。紬を織っているところを見たことがないと言うと、ご自宅に案内され、中に入ると奥さんが白い大島紬を織っていらした。
 観光施設ではないところで大島紬を織っているところを撮影したかったので、とてもありがたい出会いでした。せっかく撮らせていただいたので、後日プリントをお渡しすることを約束しておいとました。
 有良から隣りの芦花部(あしけぶ)集落まで歩き、カトリック芦花部教会、南洲神社、バア加那の碑、バア加那の屋敷ウントノチ跡などを見て歩きながら集落を散歩。
 17時56分発のバスで、来た道を辿りながら名瀬へと帰る。

7月へ