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○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
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○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
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メディア関連
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」ミュゼふくおかカメラ館
富山の祭り写真集に 福岡町の木原さん 北日本新聞
木原盛夫 写真展「とやま、祭り彩時季」 たかおかストリート
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写真で巡る富山の祭り 木原盛男写真展 高岡ケーブルテレビ
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県内の祭礼や伝統行事写す 木原さんが写真集寄贈 北日本新聞
木原さん、祭りの写真集を寄贈 高岡ケーブルテレビ
2020年9月18日OA分 いいねとやま#219 チューリップテレビ

ブログなど
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」 ゆきれぽ
今年のお祭りは 写真展で・・・・・・ yoshijunのブログ
たかのたわごと 新川神社のブログ
200814木原盛男写真展高岡彩時季御旅屋セリオ5階3 42
200805ミュゼ福岡カメラ館とやまの祭り木原盛男写真展6 26
ミュゼふくおかカメラ館(富山県高岡市)の木原盛夫 写真展 『とやま、祭り彩時季』(~9/27)
祭りの色彩に思いをはせて  タビノイロドリ
カメラ館 フクチアンの日記
ミュゼふくおかカメラ館「とやま、祭り彩時季」へ とやまおでかけ日記

6月28日(月)

 今日は梅雨の合間の晴れだったので、午後から日を浴びに西高岡駅の方まで自転車で走ってきた。帰りに市営プールの横を通ると、小学生の声が聞こえてくる。昨年は新型コロナでプールは閉鎖されていたが、今年は入れるのだろうか?受け付けは閉まったままなので、体育の授業だけオープンにしているのだろうか。
 家の横に人が一人通れるほどのスペースがあり、そこに母親が花を植えている。昨日窓から花を植えた場所を覗くと、小さなカエルが葉っぱの上にたくさんいたので驚いた。横の田んぼにいたオタマジャクシが成体になり、チビガエルが移動してきたのだろう。
アマガエル01
アマガエル02

 昨日、高岡市長選が告示された。市長選は過去2回続けて今回退任する髙橋市長が無投票当選となっており、選挙戦は12年ぶりだそうだ。考えてみると選挙権が交付された頃には富山にいなかったし、沖縄から富山に帰ってきて高岡市議選は投票したが、市長選は今回が初めての投票となる。それにしても、今回立候補した新人3人はいずれも自民系で誰に投票すればいいのか本当に難しい。たぶん今まで投票した選挙で、一番悩ましい。
 デジタル庁発足を記念して、菅首相が創設する「デジタルの日」の企画立案をめぐり、インターネット掲示板「2ちゃんねる」の創設者・ひろゆき氏から助言を受けているという記事が流れてきた。念のため、これは虚構新聞ではなく時事通信の記事です。
 国会内の女子トイレの盗撮新型コロナの給付金詐欺と経産省の職員の不祥事が続けざまに報道されている。

 この他の気になった記事を備忘録として。
五輪選手団の濃厚接触者、空港で特定へ 政府、方針一転
五輪学校観戦チケット、17万枚キャンセル 関東3県で中止続々
JOCにサイバー攻撃、全PC交換 金銭要求「ない」

 Photo Diaryを更新。
*2011年9月15日のPhoto Diaryはこちら。(ハンダマ=金時草)
*2011年9月17日のPhoto Diaryはこちら。(豚の角煮)
*2011年9月18日のPhoto Diaryはこちら
9月18日のスナップ。西阿室集落の豊年祭
↑18日は加計呂麻島の西阿室集落の豊年祭。道の島バスの本社で一日乗車券2000円を購入して、8時31分の古仁屋行きに乗車。古仁屋漁港に近いコンビニ・エブリワンでお弁当、お茶、飴を購入。台風でフェリーが入って来ないためか、お弁当の種類が少ないですね。
 古仁屋を10時20分に出港のフェリーかけろまで、瀬相港へ。大島海峡内には、台風で避難して来たと思われる船が5〜6隻。瀬相港から加計呂麻バスで、西阿室集落へ。乗っている時間は短いですが、右に左にカーブの連続です。
 豊年祭は12時から。ちょっと早く着いたので、お弁当を食べ、集落を少し散歩し、豊年祭の準備の様子を見学。集落の土俵の近くにある西阿室教会の庭では、マリア像の下で青年団が踊りの練習をしている。
 お昼きっかりに豊年祭はスタート。まずは振り出し(相撲の土俵入り)から始まり、テンテン踊りへ。テンテン踊りは里と金久の字に分かれて踊り、花飾りを競うようです。「テンテンテンナーシチュルクテン・・・テンテン」と少しコミカルで不思議な唄が印象的。同じ瀬戸内町の油井豊年祭で唄われる曲も、面白かった印象がある。こんな曲です(You Tubeから)。
 テンテン踊りの後は、豊年相撲と余興。赤ん坊の土俵入り、兄弟相撲、親子相撲、婦人会の踊り、小学生の踊りなどが続きます。写真を撮りながら、頂いた缶ビールを2本飲んで良い気持。朝早く起きたので、ちょっぴりウトウト。
 最後は集落全員による西阿室長寿音頭から、八月踊り、そして万歳三唱で締められました。パラパラっと小さな雨が降る事もありましたが、台風が接近しているとは思えない良い天気でした。
 帰りは瀬戸内商工会による「地域の魅力でおもてなし」事業(着地型地域中小・小規模企業支援事業)あっぽでぃ!2011のツアーに便乗させてもらって、観光バスとチャーター船で古仁屋まで。
 古仁屋から最終の一つ前、5時45分発のバスで名瀬へ。名瀬市街に入った7時頃には、既に外は真っ暗。日の暮れるのが、随分と早くなりました。   
*2011年9月20日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港)
*2011年9月21日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港)
*2011年9月23日のPhoto Diaryはこちら。(修理に出していたカメラとレンズ)
*2011年9月25日のPhoto Diaryはこちら。(金久中学の運動会、朝仁海岸の猫)
*2011年9月26日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港、豪雨災害のテレビ情報)
*2011年9月30日のPhoto Diaryはこちら
9月30日のスナップ。オカヤドカリ
↑30日は、借りていた本を読み終えたので新たに本を借りて来ようと図書館に行くが閉まっている。休館日??(ネットで調べたら休館日は月曜日で、今日は整理研修日のためお休みだったよう)。しょうがないので、図書館の先、平田町のニシムタで買物。
 一旦部屋へ戻って、100mmのマクロレンズを付けたカメラを持って朝仁の海岸へ。最近、アダン林で生まれたばかりのオカヤドカリをたくさん見かけるので撮影にチャレンジ。
 アダンの木の下でしばらくジッとしていると、視界の隅で何かが動く。見ると体長5mmほどの貝を背負ったオカヤドカリ。
 静かに砂の上でしゃがんでいるとアチコチで貝が動き出す。中には2mmほどの小さなオカヤドカリもいて、どこからそんな小さな貝を見つけて来たんだろうと不思議にもなる。
 しゃがみ込んでオカヤドカリを撮影していると、海岸に流れ着いた漂流物を棒で探しながら歩いている人がやって来た。んん?と思っていたら「先日の台風12号で流れ着いたモダマを探してる」と自分から話してくれる。住用村のモダマとは違う種類で、台風があると東南アジアの方から流れて来ることがあるとか。
 瀬戸内町の人で、熊本へ出張に行った帰りに寄ったと言う。奄美では、他に龍郷町の円にも流れ着くらしい。
 色んな人がいるな〜と思いながらオカヤドカリを撮影し、近くのスーパーで買物をしてから帰宅。
*2011年10月1日のPhoto Diaryはこちら
10月1日のスナップ。サーフィン

↑1日は図書館へ読み終わった3冊を返却し、新たに5冊借りる。うち1冊は以前借りたが、読み切れずに一度返したもの。
 今日借りたのは「満天の星のごとく・・・/奄美群島日本復帰40周年記念写真集」、「復帰20周年記念出版 こだわりの眼/写真で考える沖縄戦後史」(沖縄タイムス社)、「なぎ物語/焼内湾・奄美大島」(宇検村振興育英財団)、「南島雑話1 幕末奄美民俗誌/名越左源太 國分直一・恵良宏 校注」(平凡社)、「南島雑話2」。
 「南島雑話」は、1859年に奄美大島に遠島を命ぜられた名越左源太(なごや さげんた)が、島に流されていた5年ほどの期間に当時の島の様子を綴ったもの。奄美大島について書かれた書籍、ガイドブックに度々登場する本なので一度読んでおきたかった。小宿集落には、名越左源太が流刑中に住んでいた居住の跡地がある。7月に喜界島へ旅行に行った時に図書館の利用者カードを紛失してしまい、スーパーのレシートのような紙の仮利用カードを使っていたが、利用カードの発行から一年が経ったのでようやく再発行してもらえました。良かった。
 図書館からの帰り、おがみ山への入口の横を通ると、猫ねこネコ。子猫も何匹か。名瀬はホントに、猫多いな〜。
 市の広報誌「奄美市だより」10月号によれば、「奄美市飼い猫の適正な飼養及び管理に関する条例」が今日から施行される。これにより、飼い猫を登録しなくてはならないようです。
 ちなみに先月号の「奄美市だより」には、ヤギ被害防除対策事業がはじまりますという記事が載っていました。「奄美市山羊の放し飼い防止等に関する条例」というのがあるそうで、
1.山羊を飼う場合は、小屋、柵等で囲まれた場所で飼養してください。
2.放し飼いはいけません。
3.逃走のおそれがある場合は、係留するなど、逃走防止に努めてください。
4.飼い山羊であることが分かるように、首輪等を付けてください。
5.山羊を飼っている場所は常に清潔にし、悪臭や衛生害虫等の発生防止に努めてください。

 昔は名瀬にも野山羊がたくさんいたらしいが、残念ながらまだ見た事がない。
 秋晴れの気持よい天気なので、一旦部屋に借りてきた本を置いて、ちょっぴりサイクリング。名瀬港をグルッとまわる感じで山羊島、大熊へ。大熊から浦上、有屋とぶらぶらして田中一村終焉の家を見て戻ってきた。
 帰りがけに総菜屋さんで、肉団子5個、メンチカツ3個購入。
 先週の日曜日は中学校の運動会でしたが、明日は市内の小学校の運動会のよう。今日は自転車で奄美小学校、朝日小学校、伊津部小学校の前を通りましたが、グランドにはテントが設営され、旗が飾られていました。
 名瀬のお母さん方は、明日の朝はお弁当作りが大変そう。 

6月24日(木)

 ジャーナリスト・評論家の立花隆さんが、4月30日に急性冠症候群で亡くなっていたことが昨日報道された。
 立花さんには、文京区のご自宅でインタビューをさせていただいたことがある。当時のスケジュール帳を引っ張り出して確認すると、1986年10月26日となっていた。確か週刊現代のオーディオ特集で、著名人のオーディオルームを取材するというものだった。立花さんの他には漫画家の新谷かおるさん、アナウンサーの小倉智昭さん、元オフコースの鈴木康弘さんのご自宅や事務所に伺っている。他にも取材させていただいた人がいたような気もするが、掲載誌を探したが見つからなかった。掲載誌を捨てることはないので、本棚のどこかに埋もれているか引越しのダンボールに他の本や雑誌と一緒に入ったままなのかもしれない。
 立花さんはオーディオマニアとして知られているが、この当時、シェ・タチバナというレーベルを作って私家盤レコードを制作されていた。検索すると打楽器奏者の吉原すみれさんの『とぎれた闇』というアルバムが出てくるが、他にも何枚か制作されていたように思う。
 掲載誌が見つからず、もう35年も前のことなので立花さんにどんなお話を聞いたか覚えていないが、政治団体に家の前に糞尿を撒かれた話が出てきたのを記憶している。オーディオの話と関係ない雑談で、そんな話になったのだろう。
 この取材の時、イラストレーターの妹尾河童さんも立花さんの家に居られて、河童さんは名刺の研究をされていたのか、あなたの名刺を見せて下さいと言われてお渡しした。当時の名刺は中央にドーンと平仮名で「きはらもりお」と入っていて、右下に住所と電話番号が小さく印刷されていた。古い名刺ホルダーに妹尾河童さんの名刺が入っていたので、この時に交換したのだろう。立花さんの名刺はなかったので、貰っていないのかな。
スケジュール帳の複写

 立花さんの著作はあまり読んでいなくて、書棚を探したが『二十歳の頃/立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ』(新潮社)と『アメリカ性革命報告/立花隆』(文藝春秋)という2冊の文庫本しかなかった。立花さん関連の本では文藝春秋の臨時増刊号『立花隆のすべて』というムックを持っていて、仕事場である猫ビルの内部を写真で紹介したグラビアもあり、この本は何年かに一度パラパラとめくって楽しむことがある。

 本郷から水道橋だったか、湯島から水道橋だったかをブラブラと散歩していてふと見ると猫ビルが目の前に現れて驚いたことがある。

 昨日は沖縄の慰霊の日だった。糸満市摩文仁での追悼式典は、新型コロナの感染防止対策として参列者の数をかなり減らして開催されたが、その様子をテレビ中継で観ていた。
 今年も「平和の詩」の朗読は行われ、県内の小中高生らによる1500作品の中から選ばれた宮古島市立西辺中学校・上原三春さんの「みるく世(ゆ)の謳(うた)」が発表された。
 上原さんが朗読している最中に、アナウンサーが「みるく世とは、沖縄の言葉で平和の世のこと」と解説しているのが、ちょっと引っかかった。朝日新聞の記事にも同じような文面が載っていて、ちょっと説明が端折り過ぎな気がする。

 「みるく」とは「弥勒菩薩」のことで、弥勒様が来訪神となって豊かで平和な世の中をもたらしてくれるという弥勒信仰に基づいている。特に八重山諸島では弥勒信仰=みるく信仰が盛んで各島の豊年祭には、五穀豊穣をもたらすみるくの面を被ったみるく行列が行われる。
 もちろん沖縄本島でもみるく信仰はあり、首里城の近くにある首里赤田町の「みるくウンケー」、南城市古堅の「ミーミンメー」、那覇市辻の「旧二十日正月」他、各地の祭祀や行事にみるく行列が行われる。
 赤田の「みるくウンケー」では、わらべ歌として親しまれている「赤田首里殿内」が歌われるが、3番の歌詞は

だいくくぬみるく わがしまにいもち
だいこくの弥勒 我が島に往もち
〈だいこくの弥勒 私の島にもおいで下さい〉
うかきぶせみそうり みるくゆがふ
御拡きぼせみそうり 弥勒世果報
〈そして広めて下さい 弥勒の太平の世「ゆがふ」を〉

となっている。You Tubeから「赤田首里殿内」。

黒島のミーラク行列
↑写真は黒島の豊年祭での、ミーラク(黒島ではミルクをミーラクと呼んでいる)行列。2013年7月28日撮影。

 オリンピック、新型コロナ関係の気になった記事を備忘録として。
「陛下が五輪を懸念と拝察」発言に…加藤官房長官「宮内庁長官自身の考え」
隔離免除の特例入国 感染者さらに4人判明、計6人に 東京五輪
脱マスクのイスラエル、変異株が猛威 「屋内着用」検討
G7サミット開催地でコロナ新規感染者が急増 英南西部、政府は因果関係を否定
大阪滞在のウガンダ選手団で新たに1人コロナ陽性 空港検疫に続き2人目

 この他の気になった記事を備忘録として。
中国に批判的な香港紙「リンゴ日報」最後の発行は過去最多の100万部 市民ら「言論の自由が失われる」嘆き
「裁判を起こした目的は三つ」 赤木雅子さんが意見陳述
【速報】関電美浜原発3号機が再稼働 運転期間40年超の老朽原発で初めて

6月22日(火)

 九段下のホテル・グランドパレス今月30日で営業を終了する。1972年のオープンだが、昨年からの新型コロナの影響もあって49年の歴史に幕を閉じることになったようだ。
ダン・ヒックス
 来日アーティストの撮影は、彼らが宿泊しているホテルが多かった。レコード会社やプロモーターがホテル内にプレスルームを用意している場合もあれば、ホテル内のカフェやレストランで行う場合もあったし、時には本人が宿泊している部屋での場合もあった。
 一番たくさん出向いたのは永田町にあるキャピトルホテル東急だが、グランドパレスも何度か撮影で訪れている。はっきりと覚えているのは1991年7月に来日した女の娘13人のメレンゲ・バンド、ラス・チカス・デル・カンと、2001年2月に来日したダン・ヒックスの撮影だろうか。
 左の写真は、2001年2月15日に撮影したダン・ヒックス。インタビューは今野雄二さんがホテルのカフェで行い、インタビュー終了後にホテルの外に出てもらって撮影している。確かホテル近くの駐車場で、スタッフに黒の背景布を持ってもらいその前に立ってもらったが、何を思ったかダン・ヒックスが地面に座っておもむろに靴を脱いで頭に乗せたので、そのままシャッターを押した。雑誌に掲載したのは他のカットだが、この年の自分の年賀状に使用した。妙に靴の質感が綺麗に出ていて気に入っている(笑)。
 2001年はまだフィルムで仕事をしていたが、フロッピーに記録できるソニーのマビカを持ち歩いていてダン・ヒックスと今野雄二さんの記念写真を撮った。今野さんにメールで送りましょうか?と言うとインターネット回線を引いていないとのことで、プリントしてご自宅に送った。後日、丁寧なお礼のハガキをいただいた。
 You Tubeから「Dan Hicks & The Hot Licks-Canned Music」。

 東京オリンピックは中止か開催かという議論がちゃんとされるのかと思っていたら、いつの間にか開催を前提に観客を何人までに制限するかの話になっている。さらに五輪会場で種類販売を容認するかどうかまで検討されるようになってしまった。結局国民の声や専門家の声をほぼ無視する形で、政府のやりたいように物事を決めて行く。中国や北朝鮮とどこが違うのだろう。
ブラジル、コロナ死者50万人超 サッカー国際大会で多数感染
ウガンダ選手団、PCR検査1人陽性 成田空港で判明
五輪の学校観戦別枠 武藤事務総長「動員ではない」
 流れてくるこうした情報を眺めていると、 東京五輪が災害としか思えない。

 森友学園への国有地売却を巡る公文書改竄問題で自死した赤木俊夫さんが、その改竄の経緯を記したとされる「赤木ファイル」。国は今日、その約500ページにも及ぶファイルを郵送で送り妻・雅子さん側に開示した。雅子さんが国などに損害賠償を求めた訴訟の口頭弁論が明日、大阪地裁で開かれる。

 明日6月23日は沖縄「慰霊の日」。新型コロナの感染拡大防止のため、参列者を30人程度に規模を縮小して開催されるそうだ。この慰霊の日を前に、沖縄県で遺骨収集を続ける市民団体「ガマフヤー」代表の具志堅隆松さんが、19日から辺野古の埋め立て工事をめぐり、政府の設計変更申請を不承認するよう県に求めるハンガーストライキを行なっている。

 Photo Diaryを更新。
*2011年8月30日のPhoto Diaryはこちら
8月30日のスナップ。飛行機から撮影した奄美大島
↑30日は、ゆうき指圧整体院、膝・股関節研究所の大谷内輝夫先生の膝と股関節の本、第三弾の撮影のため久々に東京へ。撮影は9月3日だけだが、その前に打ち合わせがあるし、友達と飲みにも行きたいのです少し長めに滞在することに。
 台風11号は奄美から遠ざかったのか、朝から快晴。最終的な支度確認をして、ホテル ウエストコートからバスで奄美空港へ。かなり早く空港に着きましたが、しばらくしてスカイマークのカウンターで手続きが開始された。バックを2個預け、パソコンとカメラが入ったバックは機内に持ち込み。
 空港2階にあるファミレス、ジョイフルで昼ご飯にネギトロ丼を食べてから、搭乗手続き。
 13時45分発のSKY362で奄美から鹿児島へ。14時45分のSKY304で鹿児島から羽田。鹿児島までの飛行機は後方左側の座席で、窓からの眺めもよく、多分トカラ列島と思われる島のいくつかを上空から撮影。羽田までの便は、翼の直ぐ後ろの右側で、窓側でしたがほとんど景色は撮れず。
 預けた荷物を受け取り、モノレール乗り場へ。モノレールと山手線の切符が一緒になった500円の切符を購入して、神田まで。神田から銀座線で浅草へ。
 駅から浅草寺の近くにあるホテルまで歩いている途中に、スカイツリーが見える。テレビのニュースで完成が近くなったツリーを時々見る事があるけれど、生のツリーを自分の目で見ると「いつのまにこんな高さに」と驚く。
 ホテルにチェックインし荷物を置いてから、友人のめぐりんさんと寿司屋で一杯。刺身の盛り合わせ、おまかせの握り他いろいろ。たぶん昼にジョイフルで食べたネギトロ丼より、握り一カンの方がず〜っと高そうだな。途中からめぐりんさんの旦那さんも合流。食べ終わって飲み終わったら12時を過ぎていた。
 外は土砂降りの雨。タクシーでホテルまで送ってもらう。何から何までありがとう。ご馳走さまでした!

*2011年8月31日のPhoto Diaryはこちら。(ソニーのサービスステーション、編集者と飲み会)
*2011年9月1日のPhoto Diaryはこちら。(浅草)
*2011年9月2日のPhoto Diaryはこちら。(撮影の後の、打ち上げ記念写真)
*2011年9月3日のPhoto Diaryはこちら。(HARUKI邸)
*2011年9月4日のPhoto Diaryはこちら。(HARUKI氏と横浜方面に撮影散歩)
*2011年9月5日のPhoto Diaryはこちら。(機材の荷造り、秋葉原、浅草)
*2011年9月6日のPhoto Diaryはこちら。(東京ミッドタウン、NIRVANA New York、六本木)
*2011年9月7日のPhoto Diaryはこちら。(東京〜鹿児島〜奄美大島)
*2011年9月10日のPhoto Diaryはこちら

9月10日のスナップ。恩勝集落のキトバレ踊り
↑10日は午前中から東京で撮影してきた書籍用データの画像処理をしていましたが、午後5時半過ぎから大和村・恩勝集落のキトバレ踊りを見に行って来ました。「キトバレ=祈祷祓い」でしょうか?
 6時頃に集落の公民館に人が集まり、そこからトネヤへ。青年団の代表の方々がトネヤの神棚に祈願し、お神酒をいただいて、トネヤの庭で八月踊りがスタート。
 踊りの途中、花(寄付)の披露があり「○○様より、金百万両いただきました〜」と寄付した家庭の名前が読み上げられ、その度にキトバレと書いた旗を持った花走りがグルグル回る。一通り花の披露が行われた後、踊りに戻り、最後は六調で締めて、次の会場に向かいます。
 トネヤの後、第5会場までまわって踊るそうですが、第4会場での踊りの途中まで見て帰って来ました。
*2011年9月13日のPhoto Diaryはこちら。(撮影データのサンプル・プリント)
*2011年9月14日のPhoto Diaryはこちら
9月14日のスナップ。佐仁集落の八月踊り
↑14日は、久しぶりに道の島バスのフリーパスを購入して佐仁集落へ。いつもは一番お得な7日間乗り放題5000円のチケットを買うのですが、台風15号が発生し、しばらくは荒れた天気が続くという予報なので、2日間2500円のチケットを購入。これで今日と明日行われる佐仁集落の八月踊りを見に行く。
 午後1時50分に港町営業所を出る佐仁行きのバスに乗車。このところ奄美大島周辺の島々をまわっていて、大島の中の集落巡りをしていなかったので、長距離をバスに揺られるのも久しぶりだ。南部に比べて山が少ない北部ですが、それでも揺れますね。
 終点の佐仁に3時半頃到着。佐仁の海岸まで歩くと、相変わらず雲と海がカッコいい。しばらく海岸線から写真を撮った後、集落の中を散歩。
 防災無線が、今日のシバサシの踊りへの参加を呼びかけている。聞いていると「・・・踊りは6時頃にスタートしたいと思います」。えっ?名瀬に戻る最終バスは6時半頃。30分しか見れないの?確か昨年は5時頃に始まったはず。ガーーーン(@_@;)!!と思いましたが、佐仁集落は2つの班に分かれて踊り、6時スタートは2班で、1班は5時から踊るとわかり安心しました。
 5時から踊り始める1班は、佐仁の海岸線を少し屋仁の方へ歩いた楠野地区からスタートと聞く。歩くと少し距離があるな〜と思っていたら、先日あまみならでは学舍「佐仁八月踊りについて」で講師を務められた佐仁八月踊り保存会会長・前田和郎さんと道でバッタリお会いして、楠野まで車に乗せてもらった。
 「楠野地区は大島紬の泥染発祥の地」と書かれた案内板。その案内板の向かいの家の前の道路で、八月踊りが始まった。女性がチヂンでゆっくり静かにトン・・・トン・・・とリズムを打ち出す。少しずつ唄が加わり、声が重なり、テンポが早くなり佐仁独特の高揚感が生まれて行く。
 楠野から佐仁まで歩き、6時34分の最終バスで名瀬に戻る。街灯のほとんどない道を走るバスは、日が沈んだらどこを走っているのかわからない。
 名瀬市街に入り、郵便局の前で降りて自転車で帰宅。

6月19日(土)

 富山県も昨年より7日遅く、昨日梅雨入りした。今日は梅雨らしいお天気で、午後からは徐々に止んだが午前中は激しい雨が降っていた。
雨の降る田んぼ
話題のキーワード
 今朝、愛媛県南予を震源とする地震があり、宇和島市で震度4の揺れを観測した。真っ先に頭を過ぎったのは伊方原発だったが、多くの人が同じことを考えたようで<リアルタイム検索で話題のキーワード>の1位が愛媛県南予、3位が伊方原発になっていた。
 伊方原発のすぐ沖合には、九州から関西へと走る中央構造線断層帯がある。国内に安全な原発立地などないだろうが、伊方原発は中でも最も原発を建てるのに不適切な場所にある。
 伊方原発の1号機と2号機は廃炉作業中だが、四国電力は現在定期点検中の3号機を今年10月にも再稼働させようとしている。

 昨日、2019年7月の参院選広島選挙区での買収事件で公選法違反の罪に問われた元法相・河井克行被告の判決公判が東京地裁であり、懲役3年、追徴金130万円の判決が言い渡された。妻の河井案里被告には既に懲役1年4ヶ月、執行猶予5年の判決が出ている。後は河井案里陣営に自民党本部から渡った1億5000万円という巨額の政治資金の流れの解明だ。
 収容中にスリランカ人女性が死亡した問題で、愛知県の大学教員が、名古屋入管職員を殺人と保護責任者遺棄致死傷容疑で名古屋地検特捜部に告発し、受理された。

 この他の気になった記事を備忘録として。
寺内タケシさん死去 82歳 「エレキの神様」
五輪パラの都内PV、全て中止 小池知事、首相と会談し表明

 Photo Diaryを更新。
*2011年8月22日のPhoto Diaryはこちら
8月22日のスナップ。茶花
↑22日は、起きたら5時半ごろだった。急いでカメラをバックに入れて一番近い浜まで自転車を走らせる。あいかわらず水平線には雲が多い。それでも雲の間から太陽が昇って来るのがよくわかる。
 部屋に戻り、少しウトウトしてから荷物をまとめる。10時頃に下に行くと宿のおばあさんがちょうど出て来たのでチェックアウト。お茶とポッポ焼き、漬け物、和菓子、サラダをご馳走になる。少し、与論のお話しを伺ってから大きい荷物を置かせてもらってサイクリング。
 内側のサトウキビ畑を少し走ってから、海岸へ。大金久海岸から赤崎海岸、そして風車の建っているところまで。サイクリングの途中、ドラゴンフルーツのなっている所を初めて見た。
 来た道を通って宿に戻り、荷物を担いで今日泊まる宿へ。バス通りを時計反対まわりに港の方へ。着いたのが1時頃だったので、宿の隣りのレストランで冷やしもずくそば500円で、お昼ご飯。食べ終わって、そのままチェックインの手続き。前回のツインルームは空いていなかったので、家の横に置かれたトレーラーハウスに案内してもらう。大きなトレーラーの中に二段ベットが4つ並んでいる。エアコン使用料500円を含めて1500円なら、安いと思う。
 エアコンの効いた部屋で少しウトウトしてから、茶花の市街地へ。まずは観光協会へ行って、ハミゴー、シゴーの詳しい場所を聞く。地図を書いてもらったが、それによると昨日行った場所はちょっと違うようだ。脇道をまっすぐ行って行き止まり。その手前に大きな石があったが、その50メートルほど手前を海岸に向かって行ったところにあるらしい。十五夜踊りやシニグ祭の事も色々お聞きして案内所を出る。
 与論に来て、まだ茶花の通りをゆっくり歩いていなかったので、アイスクリームを食べ写真を撮りながら散策。沖縄が日本に復帰するまで、日本の最南端の島として観光客で賑わった与論島。新婚旅行で訪れる人も多かったようだ。この茶花の市街地もその当時は、人で溢れていたようだ。当時の名残のような、今は閉じて寂れたままになっているお店や施設がアチコチに建っている。
 散歩の後、スーパーでお弁当とアクエリアス、有泉を買って帰る。買い物したものを冷蔵庫に仕舞って、レストランの下のパラダイスビーチでひと泳ぎ。泳いだ後、トレーラーハウスに戻り、服を着替えて夕焼けを撮ろうと思って、眼鏡のないのに気がついた。泳いでいる時にバックの上に置いておいたのを砂浜に忘れて来たか、落としたか。急いで浜に戻り探すがわからない...orz。困ってウロウロしていると、後から泳ぎに来た人に探し物ですか?声をかけられる。眼鏡を...と答えて下を見たら、有った。ホッとしたところで夕焼けの撮影。今日は水平線に雲が多い。それでも見ていると美しく変化して行く。雲が多いながらも、水平線は練炭が焼けるように赤く染まって行く。
 宿に戻り、シャワーを浴びて買って来たお弁当で晩ご飯。
*2011年8月23日のPhoto Diaryはこちら
8月23日のスナップ。那覇へ帰るフェリーにて
↑3日間続けて朝焼けの撮影のために早く起きたので、23日の朝はゆっくり。チェックアウト時間の少し前までに荷物をまとめて隣りの宿泊施設のリビングに預け、近くをサイクリング。
 兼母海岸、与論空港の辺りを走って宿に隣接するレストランで遅い朝食?早めの昼食?黒豚ぎょうざともずくそばのセット700円。
 港の待合所で名瀬までの乗船券5600円を購入。自転車を折り畳んで布団袋に入れて、乗船。
 与論を12時10分に出港し、名瀬に20時25分入港予定。沖永良部島、徳之島に寄港しながらの8時間ちょっとの旅。
 売店に置いてあった奄美の情報誌「ホライゾン」のvol.33を購入。特集は島々の妖怪大全と、奄美群島のパワースポット。晩ご飯はフェリーのレストランでカレー600円。
 部屋に帰って窓を開けて空気を入れ替える。シャワーを浴びてから、与論で撮影した写真のデータをバックアップ。
*2011年8月24日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、八百屋で買った398円のスイカ)
*2011年8月26日のPhoto Diaryはこちら。(大熊集落の種下し行事、八月踊り)
*2011年8月27日のPhoto Diaryはこちら
8月27日のスナップ。カトリック信者の家の祭壇
↑27日の午前中、来月初めに撮影で使う機材の一部を宅急便で送る。だいぶ海は荒れて来ているようだが、まだ船は運航しているようだ。
 午後から県立奄美図書館で、あまみならでは学舍「佐仁八月踊りについて」講師:佐仁八月踊り保存会会長・前田和郎さんを聴講。授業が終わった後、昨年9月の『十五夜唄あしび』と、集落での八月踊りで撮影させていただいた時の写真を何枚かお渡しする。
 一旦部屋に戻り、夕方6時頃に名瀬のホテルの支配人・田中さんの車で大熊へ。大熊教会(ファティマの聖母)の近くにお住まいの信者の方に教会の集会所を開けてもらい、中に飾られている絵を見せてもらう。「カトリック奄美100年」によれば、「宣教の元后」と名付けられているこの絵は、迫害の難を逃れて奄美に残る唯一の聖画だそうです。
 大熊教会を拝見した後、信者の方のお宅で漬け物ときんぴらとお茶をご馳走になる。部屋には手作りの祭壇があり、生活に根付いた暖かな信仰心のようなものが感じられて、写真を撮らせて頂いた。
 カトリック教会の後は、近くにあるノロのトネヤに田中さんと訪ねて、グジュヌシュ(男神役)さんにお話しを伺った。大熊の親ノロの弟に当たる方。お姉さんである親ノロの方はもうお亡くなりになられて、以降、大熊集落でもノロの祭祀は行われていないそうです。
 図書館で借りてきた西田テル子さんの写真集「聖なる島 奄美」を見ながら、当時のお話しを聞く。この写真集には奄美の集落のお祭り、ノロ、ユタの祭祀の様子が数多く収められている。
 大熊でのフーウンメ、新穂花(アラホバナ)、インバンの祝いといった祭祀や、キッキョ(神聖な川)でのみそぎ、ミキつくり等が撮影されており、今となっては貴重な資料と思われる。
 大分お話しをお聞きした後、グジュヌシュの奥様から手作りのミキをご馳走になる。
 大熊集落は昨日、今日が種下し行事で、2日間に渡り八月踊りを踊りながら家々をまわる。初日の昨日は公民館に集まり、唄いながら上のトネヤ(ウントネ)に行き、そこで八月踊りを踊り、次に下のトネヤ(シャントネ)で踊る。それから普通の家々をまわるそうです。その際にミキが振る舞われます。
 昨日の夜、トネヤでの八月踊りを撮ろうと伺った時にも一杯ご馳走になりました。スーパーでも市販品のミキが売られていますが、ちょっと違いますね。市販品の方は飲み物と言うより、のりのようにドロッとしていますが、手作りされたミキはサラッとしています。適度に発酵が進んで酸味があり、美味しくいただきました。
 トネヤからの帰り、大熊の住宅街での八月踊りを少し見学してから、田中さんに家まで送っていただく。途中、名瀬市街地の白糖工場跡や代官所跡、屋仁川の上流、ヤンゴ発祥の辺りを案内していただいた。写真は、教会を案内してくださった信者の方の家の祭壇。
*2011年8月29日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港)

6月17日(木)

 富山県で、930人が下痢や腹痛などの症状を訴える集団食中毒が起こった。幸い軽症だそうだ。
 昨日の未明、自衛隊基地や原子力発電所の周辺、国境離島などの土地の利用を規制する土地規制法が、与党の賛成多数で押し切られて成立した。この法案はもともと防衛施設周辺の土地を外国人や外国法人が買い占めることへの懸念に端を発しているが、防衛省が8年かけて施設の隣接地を調べても、外国人の所有と思われるのは全国で7筆にとどまったそうだ。国の重要な土地を外国資本から守るという目的よりも、曖昧な内容により政府による私権制限が乱用される恐れが心配されている。一番影響を受ける場所と考えられているのが基地が多く、国境と接している沖縄だ。ドキュメンタリー監督の三上智恵さんがマガジン9で「軍隊に監視される社会でいいのか?〜重要土地規制法成立と宮城秋乃さんの家宅捜索〜」という文章を書いている。
 通常国会は昨日で閉会したが、東京新聞が土地規制法をはじめとする今国会で成立したコロナ禍の生活不安を高める法律を列挙している。
 為政者が国民を縛る恐れのある法律ばかりだ。一方、東京オリンピック・パラリンピックの訪日関係者向けの健康管理アプリ(オリパラアプリ)や昨年全戸配布されたアベノマスクなどの詳細な事業経費について、野党が会計検査院へ調査を要請するよう求めたのに対し与党が反対し見送られている。国民には厳しく、自分たちにはどれだけ甘いのだろうか。
 公明党の山口那津男代表が党会合で、東京オリンピック・パラリンピックの中止を求める野党を「極めて非現実的で、国民の不安をあおりかねない主張だ」と述べて批判したそうだ。世界的にパンデミックが治まらない中で世界各国から大勢の人が集まるイベントを開催しようとしている方が、極めて非現実的な行為ではないのか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
体操の白井健三が現役引退 ひねり技で世界席巻 東京五輪届かず
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 名瀬港には定期航路のフェリーの他、「パシフックビーナス」や「にっぽん丸」、時にはオランダ船籍の「ザーンダム」などのクルーズ船が寄港した。
 午前中に寄港したクルーズ船の乗客がバスやタクシーで島を観光し、午後遅くに島を離れる。その際、歌や踊りで島の人たちは盛大に見送る。ある時は伊津部小学校のさざ波バンドだったり、奄美小学校のビューグルバンドが演奏やマーチングを披露する。巨大なクルーズ船「ザーンダム」の出航の時は、雨の中、唄者の築地俊造さんが一人で島唄を歌って見送った。
 そして船が岸壁から離れていく時には「島のブルース」「永良部百合の花」「島育ち」といった新民謡や、吉幾三の「奄美で待って」がスピーカーから流れてお別れのムードが高まっていく。

 <ながい黒髪 島むすめ 島むすめヨ>は「島のブルース」の一節だ。
 名瀬にはグリーンストアーとタイヨーという2つのスーパーが、それぞれ何店舗かあった。刺身は自転車で足を伸ばして大熊漁港まで買いに行くことが多かったが、それ以外の食料品は朝仁海岸近くのタイヨーで買うことが多かった。このお店に、今時珍しく腰に届きそうな長い黒髪を一つに束ねた若い女性がいて、歌詞に出てくる島むすめとはこんな人だろうかと考えていた。
 それにしても<蘇鉄のかげで><泣けばゆれます サネン花ヨ><南風(はえ)のふく夜は ねむられぬ><夏のおどりは 七日と七夜><着せてみせたい 大島つむぎ>と、短い曲の中に奄美の魅力が上手くまとめられており、聴けば聴くほど感心してしまう。
 You Tubeより「島のブルース」「永良部百合の花」「島育ち」「奄美で待って」。

にっぽん丸のお見送り
↑「にっぽん丸」を見送る伊津部小学校のさざ波バンドの子供たちと、バスガイドの女性たち。2010年10月13日撮影。
 Photo Diaryを更新。
*2011年8月19日のPhoto Diaryはこちら
8月19日のスナップ。百合ヶ浜
↑19日は午前中から自転車で島内を走り、午後になって今日から泊まる民宿へ移動。地図を見ながらバスが通る道路を走り、古里入口のバス亭を過ぎてしばらく進んだ左手、海岸側にそれらしき建物が見えたので近くに行くと宿の名前が書いてあった。
 庭でお茶とお菓子とゆで卵と漬け物を出していただき、母屋の方にあるお風呂場を案内してもらう。トイレと洗面所は宿泊する建物の中にあり、今日は他にお客さんはいないそうだ。宿泊料金は何年か前に1500円から2000円に上がったみたい。
 部屋に入ってテレビをつけると東北で大きな地震のニュース。しばらくニュースを見てから、大金久海岸へ。
 干潮の時に沖に現れる百合ヶ浜が少し見える。百合ヶ浜までの舟での送迎1000円のコースで明日行ってみようと思っていたが、グラスボート総合案内所で係の人から明日確実に百合ヶ浜が出るとは限らないと言われ、2000円の海中公園の案内と百合ヶ浜送迎のコースでやはり今日行ってみる。
 時間的に遅かったのか、どんどん浜が小さくなる。小さくなった百合ヶ浜に、最後は自分一人。グラスボートに乗って、魚のいるポイントを見せてもらって海岸に帰って来た。
 海岸の入口近くの食堂で、ちょっと早めの晩ご飯。営業時間は夕方5時半で、少し過ぎていたが簡単なものならというので玉子丼500円を注文。
 宿に戻り、シャワーを浴びる。夕日がきれいに空を染めている。昼にいただいた漬け物で、有泉を飲む。写真は、干潮時に大金久海岸の沖に現れる百合ヶ浜。
*2011年8月20日のPhoto Diaryはこちら
8月20日のスナップ。土葬のお墓
↑20日は、一度5時前に目が覚めるが、まだ早いかなとウトウトして次に目覚めたら窓が少し赤く染まっていた。急いで宿を出て自転車で大金久海岸へ。海岸に着いたのは5時半頃だろうか、水平線から朝焼けが始まっている。
  空が明るくなった6時頃、水平線に浮かぶ雲の切れ間から太陽が顔を出す。強烈な光。朝日を反射して、海にオレンジの光の道が通る。海からの日の出を見るのは、これが初めてだろうか??あんまり記憶にない。
 一旦宿に戻り、少しウトウトしてからテレビを見て、9時半頃にまた宿を出て、観光スタート。まずは海岸沿いの道を大金久海岸から赤崎海岸へ。すこし内陸に入り与論民俗村へ。民俗村から赤崎海岸へ戻り、奄水(アマンジョウ)、赤崎灯台と見て、赤崎鍾乳洞、上城跡遺跡公園をまわり、前浜海岸へ。
 前浜海岸に隣接する墓地に、木で出来た小さな家がかぶせられたお墓があった。龕、または龕蓋というそうだ。土葬の場合、このような木の小屋を被せる。この中には位牌やお神酒、お供え物が入れられ、周囲には靴などの愛用品が置かれるとのこと。この小屋は何年後かの改葬の時に、遺品と一緒に燃やすようです。
 与論島では風葬から土葬、そして平成15年10月に火葬場が出来た事で火葬が主流に。こういった木の小屋をかぶせたお墓を見る事は、これから少なくなるのだろう。改葬(洗骨)が済んだお骨は、骨甕に入れられる。前浜海岸では、風葬されたお墓と思われる場所も見てきた。
 前浜海岸から与論城跡にあるサザンクロスセンターへ。与論城跡と隣接する地主神社、琴平神社に参拝し、バス通りにあるスーパーでドリンクやいなり寿司など購入。午後3時になってようやく朝ご飯のような昼ご飯。
 いなり寿司を食べて、按司根津栄(アジニッチェ)神社、屋川(ヤゴー)、高千穂神社を見て回り、またスーパーに寄って晩ご飯のお弁当を買って、赤崎海岸、大金久海岸の横を通って帰る。
 シャワーを浴び、洗濯をして部屋で買って来たお弁当を食べていたら、宿の人がご主人が釣って来たという魚の煮付けと漬け物を持って来て下さる。
 煮魚と漬け物を肴に、独りで有泉をチビチビ。この宿に2泊の予定でしたが、3泊に延泊。写真は土葬されたお墓。土の上に龕と呼ばれる木の小屋が置かれている。
*2011年8月21日のPhoto Diaryはこちら
8月21日のスナップ。大金久海岸の朝焼け
↑21日は、5時頃に目が覚めて自転車で朝焼けを撮りに大金久海岸へ。今日は、昨日よりも少し赤崎海岸よりの浜で撮影。今日も水平線には雲が多い。まあ、それはそれで美しいけれど。
 朝日が昇って空が明るくなったので、部屋に戻り、もう一度ウトウト...zzz。
 休憩した後、10時半頃に宿を出て今日の観光スタート。海岸沿いの道路を時計と反対周りに船倉海岸、皆田海岸、黒花海岸、寺崎海岸と通り、宇勝海岸の隣りにあるお店で昼ご飯。1000円のそばセットは、もずくそばのザル、ご飯、みそ汁、らっきょうの漬け物、ぬたの小鉢、いか墨汁。
 お店を出て宇勝海岸から明日の宿の予約。18日に泊まったところに電話をする。あいにく前回泊まった部屋は空いてなくて、1500円のトレーラーハウスになった。まあ、寝るだけだから、いいか。
 宇勝海岸から品覇海岸を通り茶花に。ここからバスの通る道に入り、石仁からサザンクロスセンターの方へ曲がり、前浜海岸の方へ降りる。地図を見ながらハミゴーを探すが、よくわからない。車が何台か停まっている海岸に続く細い道があったので、行ってみる。ダイビングから上がって来た人達とすれ違ったので聞いてみると、ここがハミゴーらしい。
 しばらく珊瑚の岩礁を撮影してから、来た道に戻り、地図に載っているイゴーを探してみるが、これもよくわからない。先ほどのダイバーが昇龍橋の下と教えてくれたが、下ってどこだろう?
 わからないので諦めてしばらく海岸沿いに走ってから茶花に戻り、スーパーでアクエリアスとお茶の2Lのペットボトル、助六寿司のお弁当(計746円)を買い、バスの通る道を走って宿へ戻る。
 これで島の海岸沿いを走る道路と、もう少し内側のバスが通る道は一周ずつしたかな。
 宿の冷蔵庫に買って来たペットボトルとお寿司を入れ、自転車で海岸へ。せっかくの与論島のきれいな海、入らないのはもったいない。下は海パン、上はTシャツでしばらく海水浴。ナマコがたくさん海底にいましたが、気持ち良かった。写真は大金久海岸の朝焼け。

6月14日(月)

 平年より7日遅れて、今日関東甲信が梅雨入りした。
 作曲家で俳優としても活躍された小林亜星さんが、5月30日に心不全で亡くなられたそうだ。小林亜星さんと言えば、個人的にはサントリーオールドのCM「 夜が来る」が好きだった。
 東京オリンピック・パラリンピックを予定通り開催した場合、都内の新型コロナ新規感染者が8月下旬に1日当たり約1000人となり、中止や延期など開催しなかった場合より約200人増えることが、政府の試算で明らかになった。菅首相の言う「安全、安心の大会は可能」というのは何を根拠にしているのだろうか。
  東京都医師会の尾崎治夫会長は開催の是非について「やるとすれば無観客しかないであろうということと、場合によっては感染状況によるが、中止という選択肢もあり得るのかなと思っている」と述べている。そういう厳しい状況の中、IOCのコーツ副会長が「私も選手たちも観客を見たいと思う」と能天気に語っている。駄々っ子か。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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官房長官 緊急事態条項「コロナ経験し、絶好の契機」

 今年放送50周年を迎えた長寿番組『新婚さんいらっしゃい!』。富山では日曜の午後12時55分から放送しているが、同じ時間帯に『開運!なんでも鑑定団』が放送されるので観ることはほとんどなくなった。ところが一昨日電話で、昨年結婚した甥っ子が13日に放送される『新婚さんいらしゃい!』に出場すると連絡があり、昨日は家族で久しぶりに観た。まさか身内がこの番組に出るとは、思ってもみなかった。

 小正月の前日、1月14日はナリムチの日。名瀬ではブブ木(リュウキュウエノキ)の枝に4色の餅をちぎって付けたものを、家の軒先きやお墓に飾る。
 2012年の1月14日、サバクリ人さんと小湊集落にある墓地へ行って、小湊のモーヤと呼ばれる古いお墓にナリムチが飾られているのを撮影に行った。
 撮影が終わった後、小湊まで来たついでに急遽サバクリ人さんが歌手・元ちとせの生まれシマである嘉徳集落まで連れて行ってくれることになった。嘉徳は奄美大島南部の瀬戸内町にある集落だが、路線バスは国道58号線沿いにある嘉徳入り口までしか通っておらず、嘉徳入り口から集落の中までは5Kmほど離れている。個人的には同じく瀬戸内町にある西古見集落、住用町の青久集落と並ぶ奄美大島の陸の孤島ベスト3だと思っている。
 嘉徳集落に到着して共同墓地にある奄美民謡「ナベ加那節」で知られる鍋嘉那さんのお墓をお参りした後、アダン林を抜けて嘉徳の海岸に出た。コンクリートの防波堤やテトラポットといった人工物が一切ない浜辺は、もはや奄美大島でもここだけかもしれない。浜には嘉徳川が流れ込み、美しい波紋を作っている。

嘉徳の海岸
 海岸を撮影した後、集落に住んでいるサバクリ人さんの知人の家を訪ねた。急な訪問にもかかわらず、晩ご飯に食べたというすき焼とイノシシ汁、漬物でもてなして下さった。イノシシは、ご主人が猟をしたリュウキュウイノシシだという。奄美に来て山羊の肉は食べたが、イノシシはこの時が初めてだった。
 山羊もそうだったが、イノシシの肉も言われるほどクセがなかった。肉そのものよりも出汁が美味で、この汁に素麺を入れて入麺にして食べたらさぞ美味しいだろうと思った。
 味にクセはなかったが、このイノシシの肉は喉にチクチクと刺さった。イノシシは皮を剥がずに毛を焼いて処理したようで、よく見ると焼け残った毛がポツポツと付いている。これが喉に当たって刺さるのだ。とりあえず飲み込むようにして全部食べたが、しばらくは喉に何か引っかかっている感じがした。
イノシシ汁
 ところで奄美大島で唯一とも言える自然の残った嘉徳の海岸に、護岸工事計画が持ち上がっている。世界自然遺産登録に向け環境省は海岸や河川を含む嘉徳集落一帯を推薦区域保護のための「緩衝地帯」に編入し、住民からは工事に疑問視する声が上がっているが、県は工事を進めたいようだ。
 Photo Diaryを更新。
*2011年8月12日のPhoto Diaryはこちら
8月12日のスナップ。提灯を持って墓地へご先祖さまを迎えに行く人たち
↑12日は、旧暦7月13日で旧盆迎え。迎え盆です。提灯を持って墓地に行き、お墓の掃除をして、提灯を灯してご先祖様を家までお連れする。
 そんな風景を見ようと、午前中から名瀬で一番大きいと思われる永田墓地へ。墓地の少し手前から通行規制がかけられ、提灯を手にした家族がたくさん歩いて墓地に向かっている。
 墓石が密集して迷路のようになっている墓地の中を見てまわり、写真に収める。
 もう少し小さな墓地はどんな風だろうと思い、朝仁海岸のはまゆう霊園へ。ここにも何組かの家族が提灯を持ち、お墓の手入れをされていた。
 朝仁海岸のアダンは雄花が咲き、実は少しずつオレンジ色に熟して来た。アダン林に住んでいる猫たちは、コンクリートの上で昼寝をしている。
 お昼になったので、最近小宿に出来た定食と刺身販売のお店「脇田丸」へ。初めて入りましたが、お盆なので奮発して一番高い「脇田丸定食」を注文。刺身盛り合わせ、魚の唐揚げ、魚と野菜の揚げ煮、小鉢、漬け物が付いて1000円。舟盛りの器が出て来た時は驚きました(笑)。
 お腹がいっぱいになったので、一旦部屋へ。永田墓地から朝仁海岸へ行く途中に、八百屋さんで買った350円の小玉スイカ(今年初スイカ)を冷蔵庫に入れ、洗濯をしてから、しばしお昼寝。
 2時間ほどウトウトしていただろうか。もう一度永田墓地へ行き、墓地とその周辺を散歩しながら写真を撮って帰って来た。
*2011年8月13日のPhoto Diaryはこちら。(奄美まつりの舟こぎ競争)
*2011年8月14日のPhoto Diaryはこちら
8月14日のスナップ。ご先祖さまを自宅からお墓へお送りする人たち
↑14日は、旧暦7月15日で旧盆送り。12日に提灯を持ってお墓からお連れしたご先祖様を、提灯を持ってお墓へお送りする送り盆です。
 午後から夜まで、永田墓地、朝仁のはまゆう霊園、小宿集落の墓地を行ったり来たりしながら、その様子を撮影して来ました。名瀬の旧港で夕方に精霊舟を流している人達がいると聞いたので、7時半頃に自転車で行ってみると2組の方がロウソクを乗せた舟を流されていました。
*2011年8月15日のPhoto Diaryはこちら。(遊び盆、ホテル・ビッグマリンの屋上にあるビアガーデンで)
*2011年8月16日のPhoto Diaryはこちら。(夕暮れの朝仁海岸)
*2011年8月18日のPhoto Diaryはこちら
8月18日のスナップ。行きのフェリーから撮影した与論島
↑18日は、初めての与論島へ。部屋の窓からクイーンコーラルプラスが入港したのを見て、荷物を持って自転車で名瀬港へ。自転車を折り畳んで布団袋に入れて、乗船。定刻の5時50分を少し遅れて出航。
 徳之島の亀徳港、沖永良部島の和泊港と寄港して与論島へ。定刻の13時40分より30分ほど遅れての入港。
 自転車を組み立て、昨日予約した港近くのレストラン横の民宿へ。ツインを一人で使って2000円とエアコン代500円。しばらく部屋で休んでから、レストランで遅めの昼食。もずくが入ったよろんそば350円と、シャケのおにぎり150円。ドラゴンフルーツをサービスでいただいた。
 お腹もふくらんで、与論の繁華街?商店街?の茶花までサイクリング。宿の周辺にはお店がないので、スーパーで幕の内弁当、アクエリアス、珈琲、サーターアンダギー、与論の黒糖焼酎・有泉(350ml)を買って帰る。計1,481円。
 宿に戻り、シャワーを浴びて一休み。6時半頃に外に出ると、海上に夕日が反射して道ができている。水平線に雲がない。丸く燃えた太陽がきれいに海に沈んで行った。一緒に見ていた方に聞いてみたが、こんなに夕日がきれいに沈むのは与論でも珍しいそうだ。写真はフェリーから撮影した与論島。島をすっぽり覆う雲と、青い空のコントラストが美しかった。

6月11日(金)

 今日の富山市は30℃超えの真夏日、高岡市は27℃。本格的な夏に向かって暑くなって来た。お昼は冷たいざる蕎麦。午後からミュゼふくおかカメラ館で開催されている、高崎勉写真展「いま君はどこにいるの」を見に行く。

 来週あたり富山も梅雨入りしそうな気配なので、お天気がよく涼しい風も吹いていた昨日、久しぶりに自転車で高岡の街中まで出かけてきた。高岡駅の方まで来たのは、昨年御旅屋セリオで開催した写真展の最終日、8月16日以来だろうか。10ヶ月ぶりの高岡駅前は、アドニスビルの解体がほぼ終了していた。

アドニスビル が解体された高岡駅前
アドニスビル があった昨年8月の写真

↑昨日撮影した高岡駅前。アドニスビル の解体作業がほぼ終了し、ビルの向こうにあったホテルαー1がよく見える。写真右側の道路を少し進み、T字路を左折すると、パカンがあった。

←昨年の8月16日に撮影した高岡駅前。だいぶ薄汚れた壁面のアドニスビル が、まだ残っている。

 高校を卒業した年の夏、アドビスビルの中にあった洋風居酒屋、確か<高岡広場>という名前のお店でアルバイトをしていた。
 高校を卒業した後、暫くしてデビュー間もない金沢のロック・バンド、T-BIRDのローディーをやることになったが、ローディーとしての収入はないのでツアーのない時に高岡広場でホールのバイトをしていた。世の中にレーズンバターという美味しいものがあるのを知ったのはこのお店で、つまみ食いした記憶がある。バイトは夕方から深夜で、閉店の時間には最終電車がなくなっているので自転車で通っていた。夜中に国道8号線を自転車で走っていて、何度か職質された。

 アドニスビル から少し中川方面に歩いてT字路を陸橋と反対の方に行くと、パカンがあった。モーツァルトを始める前のユウちゃんのお店だ。パカンに行きだしたのは高校3年生の頃で、当時末広通りの文苑堂の向かいにあったレコードと楽器のお店、開進堂地下のスタジオでドラムを叩いていると、ギターのカポとベースの扇澤くんがやってきた。初対面だがちょっとセッションをして、それからカポの実家である八木医院のビルにあった楽器の置いてあった部屋でちょくちょく遊ぶようになった。カポと扇沢くんに連れられてパカンに行き、お店の中にあった小さなステージでセッションしたりもした。パカンに行くと、フュージョンやジャズのレコードが色々聴けた。世の中にホットドックという美味しい食べ物があるのを知ったのは、パカンでだった。

 カポたちに誘われて、粟巣野にあるKAKIのパーティーに行ったのもこの頃。東京からドラムのスタジオ・ミュージシャンが来て演奏するというので見に行った。工房の中に大きなテーブルをいくつか並べ、その上に傷がつかないように養生してステージを作り、ホーンセクションもある編成で、「ロッキーのテーマ」を演奏したのを覚えている。たぶん、その時のスタジオ・ミュージシャンは伊藤史朗さんではないかな。
 粟巣野へは電車で行った記憶がある。駅まで誰かに迎えに来てもらったのだが、43年も前の話なので、どういう名前の駅だったかすっかり忘れていた。それが何年か前に芦峅寺の取材でよくお世話になった村の婦人部顧問・佐伯照代さんと話をしていて、1981年まで地鉄の立山線に粟巣野駅があったのを知った。佐伯さんご夫妻も、昔はKAKIの柿谷さんご夫婦と親交があったそうで世の中は狭いな〜と思った。

 ユウちゃんはパカンを閉めて中川の方にモーツァルトを開いた。そのモーツァルトを閉めて、諏訪の原村で「ソング・オブ・ザ・バード」というパスタのお店を造ったのはいつ頃だったろうか。原村のお店は行ったことがなく、最後にお会いしたのは白馬のペンション・シャモニールかな。
 開進堂の地下が仕事場だった森井さんは、いつの間にか養子に行って石浦さんになっていた。石浦さんはIshi-Gとなり最近まで高岡の音楽活動を牽引していた。
 ユウちゃんは昨年、石浦さんは先月、鬼籍に入ってしまった。
 扇澤くんは、いつの間にかプロのパラグライダー選手になっていた。今月、欧州で開かれるパラグライダーとトレッキングを組み合わせた競技の国際大会「レッドブル エックスアルプス2021」に出場するようだ。

 あの頃・・・久しぶりに吉田秋生のコミックでも読み返してみたい気分だ。

 新型コロナ感染防止ガイドラインに違反しキャバクラに通っていた、大関・朝乃山の処分が今日決まった。出場停止6場所、報酬6ヶ月50%減だそうだ。個人的には相撲取りがキャバクラに通おうが自由だとは思うけれど、新型コロナ禍でのキャバクラ通いは他の力士や関係者への感染が心配されるので、処分されて当たり前だろう。 
 東京オリンピック・パラリンピック向けに開発したアプリの事業費削減をめぐり平井卓也デジタル改革相が、会議で請負先の企業を「脅しておいた方がよい」「徹底的に干す」などと指示したそうだ。氏は「ラフな表現になった。表現は不適切と思う。今後気をつけていきたい」と話したそうだが、「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」を目指すデジタル庁の担当大臣がこの人で良いのか疑問に思う。

 この他の気になった記事を備忘録として。
コロナ感染の自宅死、全国で119人 医療逼迫の実態浮き彫り ワースト大阪28人、東京は2位22人 首都圏は第3波に集中
世界遺産の候補地にチラシを不法投棄した会社、ごみを回収
「調布は陥没でもリニアは安全」 JR東海説明会、納得できない住民も

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*2011年7月31日のPhoto Diaryはこちら。(六月灯の2日目)
*2011年8月1日のPhoto Diaryはこちら
8月1日のスナップ。早朝の朝仁海岸
↑1日は朝5時前に起きて、久しぶりに観光バースへ朝焼けを見に行く。
 空が明るくなった頃、自転車で朝仁海岸へ移動。早朝から舟漕ぎの練習をしているチームがいた。舟漕ぎの練習は仕事の終わった夕方にやっているんだと思っていましたが、仕事の前にも・・・島ンチュの舟漕ぎにかける情熱、恐るべし。
 朝仁海岸から名瀬漁港へ行き、少し競りを見学。彩りの美しいエラブチの顔面を撮りたかったが、今日はエラブチ少なかったですね。
 せっかく早く起きたので、うっかりしていて忘れていたこのホームページ用に借りているレンタルサーバーの更新使用料の振り込みや、お中元のお礼などなど、午前中に色々と用事を済ませる。
 お昼ご飯は、一般の方もご利用下さいと書かれている市役所の施設に入っているレストランへ。500円のハンバーグ定食。安いんだけどハンバーグがいかにもどこかの工場で作られたハムみたいな食感で、ちと悲しい。
 冷蔵庫の中が寂しくなったので、午後から八百屋、スーパーをまわって買物。スーパーには「台風が近づいてます。買い忘れはありませんか」の張り紙がしてあった。写真は早朝の朝仁海岸。舟こぎの練習をしている舟の沖を、定期航路のフェリーが通る。
*2011年8月2日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、海中道路)
*2011年8月4日のPhoto Diaryはこちら
8月4日のスナップ。シマあすびの夕べ
↑4日の夕方は、奄美文化センターで「シマあすびの夕べ」が開催された。このイベントから奄美まつりがスタートしますが、台風9号の影響で5日の花火大会が8日に、6日の舟こぎ競争が13日に延期になりました。
 屋内でのイベントなので「シマあすびの夕べ」は定刻通りに始まりましたが、ちょっと空席が目立ったかな?
 そして今回、一番生で見てみたかった喜界島の唄者・川畑さおりさんは、台風で飛行機が飛ばなかったので参加できなくなりました。う〜ん、残念。写真は左から前山真吾さん、築地俊造さん、松山美枝子さん。
*2011年8月6日のPhoto Diaryはこちら。(奄美の森の夜間観察会 *注意、ヘビの写真があります
*2011年8月7日のPhoto Diaryはこちら。(奄美まつりのパレード)
*2011年8月8日のPhoto Diaryはこちら。(奄美まつりの花火大会)
*2011年8月9日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬の夕焼け空)
*2011年8月10日のPhoto Diaryはこちら。(オオトラツグミ一斉調査 調査報告書)
*2011年8月11日のPhoto Diaryはこちら
8月11日のスナップ。名瀬漁港の競り
↑11日は未明の3時頃から、サバクリ人さんとアマミノクロウサギを探し。3時過ぎに車で迎えに来てもらい、大和村方面へ。アスファルト舗装された林道をアマミノクロウサギを探して走る。
 5時くらいまで走ってアマミノクロウサギ3匹、リュウキュウイノシシの子供2頭、ノラ猫1匹を発見。ハブ、ヒメハブ、マッタブといった長くて細くてクネクネしたのは1匹も遭遇しませんでした。
 アマミノクロウサギ探しを終えて林道を降りて来たら、海の向うに朝焼け。途中、朝焼けを撮影しながら家まで送ってもらう。
 徹夜なのでちょっと眠いが、せっかくなので名瀬漁港の競りを見学。港町のコンビニでパンを買って帰り、缶ビールを一本飲んで就寝。写真の魚はシーラかな。

6月8日(火)

 管政権が掲げる「誰一人取り残さない、人に優しいデジタル化」の実現に向けて総務省が、5年後の2026年にスマートフォンを使いこなすことができる60歳以上の割合を70%とする数値目標を発表した。
 スマホを使いこなす事とデジタル化は、イコールではないだろう。自分の部屋にはパソコンがゴロゴロ転がっているが、携帯はガラケーだ。「人に優しいデジタル化」の実現は利用者の数より前に、行政がどんな仕組みやコンテンツを作れるか、用意できるかだろう。

 沖縄のチョウ類研究者であり、ヤンバルの自然と米軍基地について調査している宮城秋乃さんが今年4月7日、米軍北部訓練場のゲート前にある基地との境界線内側に米軍が森の中に残していったと思われる廃棄物を置いて抗議した。その際、車複数台が約50分間通行できない状態になったとして、今月4日になって沖縄県警が宮城さんの自宅を家宅捜査。パソコンやタブレット端末、ビデオカメラなどを押収し、車や書類などを撮影したそうだ。見方を変えれば米軍が森の中に忘れ物をしたのを親切に届けに行ったとも言える行動で、感謝されこそすれ家宅捜査は明らかにやり過ぎだろう。この一件を見ても、ヤンバルの世界自然遺産登録と米軍基地の存在が両立するのだろうかと疑問に思う。

 40年以上にわたり営業を続けてきた小さな土産物屋などが立ち並ぶ伝法院通りで、お店の建っている場所が公道上で不法占拠にあたるとして立ち退きを求められているという。なぜ今更?と疑問に思う。2ヶ月ほど前にも上野にあるストリップ劇場「シアター上野」が摘発されたが、これも何を今更と不思議に感じた。オリンピックを前に、東京都が街の浄化作戦でも始めたのだろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
ニコン、カメラ国内生産終了へ 市場縮小で年内に
60代が慌ててアクセルを踏んで車が塀に突っ込む 壊れた塀は国の重要文化財だった

 81年の生涯で全国に約600の寺院を開基したとされ、聖武天皇より奈良の大仏を造立することを命じられたことでも知られる奈良時代の僧・行基。先月、奈良市で行基の供養堂の可能性がある建物跡が発見され話題となった。

 昨年制作した『とやま、祭り彩時季【一】〜【十一】』の【七】に、<富山に残る行基の足跡>と題して20頁の読み物を掲載した。701年(大宝元年)に行基が七堂伽藍を建立したとされる蓮王寺(旧射水市小杉町)に始まり、二上の養老寺、伏木の氣多神社、南砺市の安居寺、富山市にある富山寺、上市町の日石寺、立山町の浦田山王社、入善町の十三寺、魚津市小川寺の千光寺、城端の善徳寺を時系列を追って紹介している。
 これらの神社仏閣は行基が開創したり伽藍を建立したり、あるいは行基作とされる摩崖仏や木像、獅子頭が祀られている。もちろんこれらは伝説であり、その多くは確たる史料のないものだ。ある学芸員の方は、富山に残る行基伝説のほとんどは偽物だろうとおっしゃる。それでも、こうした伝説があるということを記しておくことは大切だと思っている。

 この『とやま、祭り彩時季』を制作した後、新たに富山の行基伝説がいくつか見つかった。中でも驚いたのは高岡市福岡町赤丸の浅井神社だ。浅井神社は参道の杉並木が市の指定天然記念物になっており、何度もサイクリングがてら訪れているが、昨年の10月6日に久しぶりに訪れて境内にあった縁起を初めて読んで驚いた。
浅井神社の社僧は初代が養老元年(七一七)行基と伝えられ、本地仏に毘沙門天を、垂迹神として高皇産霊神を配して総山号を「川人山」、総寺号を「鞍馬寺」と号していました>と書かれている。
 養老元年?行基?射水神社の創建と同じではないか。
 富山に残る行基伝説に従えば、行基は養老元年に二上山麓に二上神(後の射水神社)の別当寺として養老寺を、赤丸に川人山鞍馬寺を建立したことになる。
 二上の養老寺は、行基が元正天皇の勅命を受けて建立したとされるが、赤丸の鞍馬寺はどうした経緯で行基が建立したのであろうか。

赤丸浅井神社01
赤丸浅井神社02

↑赤丸の浅井神社。写真左は、市指定天然記念物となっている参道の杉並木。右は<浅井神社と川人家>と題した、縁起が記された石碑。建立は平成二十一年九月 浅井神社氏子総代会となっている。

←浅井神社の拝殿。境内には樹齢1200年以上、幹回り約9.3メートルの大けやきがあったが、平成25年8月に倒壊したそうだ。

 ところで、赤丸の浅井神社を出て石堤の方へ500メートルほど自転車を走らせると、もう一つ神社があった。参道の方へ行くと浅井神社と書いてあり、こちらも五位庄五十三箇村総本社とある。
 鳥居の前にあるだいぶ文字が薄くなった案内板には、由緒として養老元年三月創建とある。赤丸の浅井神社と同じだ。直ぐ近くに分社したのだろうか。近くに清掃作業をしている男性がいらしたので、この浅井神社は赤丸の浅井神社から分社したのか聞いてみたが、よくわからない答えだった。この辺りにお住まいの方は両方をお参りするのか尋ねると、仲悪いですよと笑って答えられた。赤丸と石堤の住民が仲が悪いのか、神社同士の仲が悪いのか?
 この赤丸と石堤2つの浅井神社の関係が気になり、家に帰ってから検索したところこんな記述が見つかった。
「延喜式内社五位庄郷社赤丸浅井神社」については長く本家論争が有り、かつては赤丸村と石堤村の「浅井神社」の間で流血事件があり、警察が仲介した経過も有る。元々、「赤丸浅井神社」は両部神道で有り、「川人山鞍馬寺」を頂点とし、その下に3社権現として赤丸浅井神社、石堤浅井神社、舞谷八幡社があった>。
石堤浅井神社01
石堤浅井神社02

 

 

↑赤丸浅井神社から500メートルほど離れたところにある石堤浅井神社。写真右は、鳥居の前にある縁起を書いた案内板だが、だいぶ文字が薄れている。

←石堤浅井神社。赤丸浅井神社、石堤浅井神社、二上射水神社はほぼ一本の道で繋がっている。

 

 

 昨年10月6日に撮影した赤丸浅井神社、石堤浅井神社ほかの写真をPhoto Albumにしました。こちら
赤丸浅井神社03
↑赤丸浅井神社の拝殿(写真右側)と本殿(左側)。

6月5日(土)

 少し前の事となったが、5月25日の北日本新聞の<とやまゼミナール>という頁で新湊博物館の学芸員・松山充宏さんが「放生津の曳山祭・築山祭」というテーマで文章を書かれていた。その中に興味深い一文があった。
 「10月2日の早朝、築山台の上に主神(しゅしん)、四天王(してんのう)と呼ばれる神様の人形5体と、歴史(れきし)物語の登場人物をかたどった飾(かざり)人形を並(なら)べます。
 四天王は、仏教(ぶっきょう)で世界の中心にあるとされる須弥山(しゅみせん)の東西南北を守る神様です。つまり、築山台を須弥山に見立てることで、年に一度だけ、放生津が“世界の中心”となる特別な日となるのです

 2019年11月、楡原にある上行寺で行われたお会式(宗祖である日蓮聖人の命日に行われる法要)を撮影に行った時、本堂の須弥壇(しゅみだん)を撮影しながら、その構成が放生津八幡宮の築山と似ているなと思った。須弥壇とは寺院にある祭壇のことで法華宗ならば中央に宗祖の日蓮聖人の像があり、その四隅に四天王と呼ばれる持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門天)が配されている。また、毎年年明けには楡原や岩稲の門徒の家に上行寺から曼荼羅を書いた護符が配られる。この護符の中心に書かれているのは「南無妙法蓮華経」の題目で、その四隅にやはり四天王の文字が書かれている。この護符を門徒の家では玄関の上に貼る。
 文字曼荼羅については『知っておきたい 日本の仏教』(えい出版)に次のように書かれている。
日蓮宗では日蓮があらわした文字の大曼荼羅を本尊とします。それは「南無妙法蓮華経」の題目の周囲に久遠の釈迦如来ほか、法華経に説かれている多宝如来、上行・無辺行などの諸菩薩、帝釈天・鬼子母神などの天の神々、釈迦如来の弟子たち、さらには天照大神や八幡大菩薩など日本の神々が名をつらね、四隅に四天王、左右に愛染明王と不動明王をあらわす梵字が書かれたものです。
 この曼荼羅は日蓮が配流地の佐渡で初めて書きあらわし、弟子や信徒に「本門の本尊(真実の教えの本尊)」として与えました。書きこまれている諸仏諸尊の名が多いものと少ないものがありますが、中央には必ず「南無妙法蓮華経」の題目が記されています

 尚、須弥壇に四天王を配するのは法華宗に限ったことではないそうだ。

 こうしてみると築山と須弥山(須弥壇)、そして曼荼羅は同じような世界観のように思える。

放生津八幡宮の築山
↑放生津八幡宮の築山。
↓上行寺の須弥壇。→上行寺が門徒に配る護符。
上行寺の護符
上行寺の須弥壇

 今月2日、政府の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長が「今の状況で(大会開催を)やるのは普通はないわけだ。パンデミックの状況でやるのであれば、開催規模をできるだけ小さくして管理体制をできるだけ強化するのは主催者の義務だ」と述べた。これまで政府寄りの発言が多かった氏にしては、珍しく政府批判とも取れる強い発言で少し驚いたが、それほどこの夏開催予定のオリンピック、パラリンピックに専門家として危機感を抱いているということなのだろう。
 この尾身氏の発言に対して自民党幹部が「ちょっと言葉が過ぎる。(尾身氏は)それ(開催)を決める立場にない」とし、「(首相は五輪開催を)やると言っている。それ以上でも以下でもない」と話したという。言葉が過ぎるとはどういうことだろうか。専門家が自身の知見を述べることは普通のことだし、そのための分科会ではないのか。自分たち(政府)の意に沿わない意見が出たら否定するのであれば、誤った政策に突き進むのは目に見えている。
 尾身氏は今後、新型コロナ感染拡大をめぐり自身の考え方を示す方針を明らかにしているが、田村憲久厚労相は「自主的な研究の成果の発表ということだと思う。そういう形で受け止めさせていただく」と述べ、公式な意見として受け入れない構えを示したという。一昨年、麻生太郎金融担当相が、老後の生活費が2千万円必要だと明記した金融庁の報告書を「正式な報告書としては受け取らない」と述べて受理しない考えを示したのによく似ている。
 自分たちに都合の悪い意見やデータは徹底して排除する、それが自民党だとすれば国家や国民の生活が良くなるわけがない。
 大会組織委員会によれば東京オリンピック・パラリンピックに通訳、警備、運転、清掃などで携わる人は国内で約30万人だという。しかし、ワクチンの用意は2万人分しかない。東京を中心に日本全体が、新しいウイルスの培養皿になることが懸念される。

 今月27日告示、7月4日投開票で高岡市長選挙が行われる。2013年、2017年は現職の高橋氏しか立候補者がおらず無投票再選だったが、今回は自民党系の候補3人が立ったので投票が行われる。共産党が候補擁立を断念したため、3人立候補しているが選択肢がなくて困っている。立憲でも共産でも、とにかく候補者を出して欲しかった。

 この他の気になった記事を備忘録として。
「爆発的に襲来、医療の限界超えた」 大阪の看護師が見た第4波
◯【パンデミックと東京五輪】「私たちが止めるしかない」女性医師や看護師が五輪開催に「NO!」 中止決まるまで抗議リレー
地下深くの工事「本当に安全か」 調布陥没事故、広がる余波 リニア計画のJR東海、説明会開催へ

 Photo Diaryを更新。
*2011年7月15日のPhoto Diaryはこちら
7月15日のスナップ。朝仁海岸の夕焼け
↑15日の夕方、スーパーへ買い物に行った帰りに朝仁海岸へ寄ると、綺麗な夕焼け。岬の向こう(大浜海浜公園)から後光がさしていた。海岸に小さなステージが作られていたので何があるのか尋ねると、明日朝仁地区の納涼大会だそうだ。家に帰り窓を開けると、対岸の山の上に満月。
*2011年7月16日のPhoto Diaryはこちら
7月16日のスナップ。朝仁納涼大会
↑16日は朝仁海岸で、朝仁地区の納涼大会が行われた。普段はわりと閑散としている海岸が大混雑だった。それにしても、みなさん芸達者。
*2011年7月20日のPhoto Diaryはこちら。(台風が通過した名瀬港)
*2011年7月22日のPhoto Diaryはこちら。(黒糖焼酎・朝日、朝仁海岸、オカヤドカリの赤ちゃん、猫)
*2011年7月23日のPhoto Diaryはこちら。(あまみならでは学舎「真珠養殖について」、宮久田地区の納涼大会)
*2011年7月26日のPhoto Diaryはこちら。(小湊のハウス農園、いただいたヘチマ)
*2011年7月27日のPhoto Diaryはこちら。(豚バラとヘチマと豆腐の味噌炒め)
*2011年7月28日のPhoto Diaryはこちら。(『神々の古層』から秋名、大熊集落の地図を複写)
*2011年7月29日のPhoto Diaryはこちら。(奄美夕日マニア写真倶楽部撮影会・屋入峠、笠利方面、サトウキビ畑)
*2011年7月30日のPhoto Diaryはこちら
7月30日のスナップ。高千穂神社の六月灯
↑30日は、昨年見逃した高千穂神社の六月灯へ。鳥居から境内に続く石段の上に、灯籠がズラリと飾られている。
 7時15分頃から、境内横の駐車場に作られた特設ステージで、奉納芸能大会。合気道や日舞、カラオケにダンスと15組の出演者による演目が披露された。
 奉納芸能大会は9時を少し過ぎた頃に終了。石段を下り、鳥居を抜けて露店の間を自転車を押しながら歩く。露店のまわりは、まだ子供たちでいっぱいだ。

6月2日(水)

 今年は両親がやっている畑の苺が大量に採れる。採れるのはいいが、少し前まで天候が悪かったせいか甘くない。そこで砂糖を入れて煮詰めて母親がジャムを作ったが、それでも余るのでジュースにしている。苺にバナナ、それに牛乳と苺ジャム少々。初めは苺ジャムではなく蜂蜜を入れたが、ジャムが大量にあるのでこちらを消費する為に入れてみた。今のところ、ジュース担当になっている。
 今日、オリンピックの聖火が富山県に入った。1日目の今日は高岡で点火セレモニーの後、 リレーの代わりとなるトーチキスが行われた。夕方のニュースで少しだけ中継を見たが、何の感動も湧かなかった。
 反対の声が届いたのか、代々木公園でのパブリックビューイングの実施は中止になったが、今度はその場所をワクチンの大規模接種会場にするという。これから暑くなる中、何も屋外で人を集めてワクチンを接種しなくても他に会場はないのだろうか。公園内にテントを張るなどするようだが、ワクチン接種を受けに来て熱中症になる人が出てもおかしくない。
 公職選挙法違反が疑われている元経産相の菅原一秀氏が昨日、議員辞職願を大島衆院議長宛に提出し、自民党には離党届を出した。 これを受け、報道各社が菅首相に取材を申し入れたが「回答することはない」と取材を拒否した。女子テニスプレイヤーの大坂なおみさんが記者会見を拒否して罰金を言い渡されるなど話題になっているが、個人的にはスポーツ選手が自分の意思で記者会見を行おうが辞めようが自由でいいと思うが、説明責任のある政治家が記者会見から逃げるのは本当に罪が重いと思う。
 千葉県市川市の村越市長が、市長室にユニット式シャワーを設置し議会で問題になっているそうだ。市役所に家庭用サウナを持ち込んで問題となった大阪府池田市の富田裕樹市長といい、こんな理解し難い人達が市長という役職についているのが不思議でしょうがない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
神戸市、国内未発見の変異株を確認 患者は渡航歴なし
DHC会長の差別的文章を削除 同社「コメント控える」

 Photo Diaryを更新。
*2011年7月4日のPhoto Diaryはこちら。(船川丸の出港)
*2011年7月6日のPhoto Diaryはこちら
2011年7月6日のスナップ。喜界島ノロの神扇に描かれた鳳凰
↑5日の夜にフェリーあまみで、2度目の喜界島。今回はカトリック喜界島教会に泊めていただき、助祭の四條さんにお世話になった。教会の中を撮影させていただいた後、喜界島歴史民俗資料室やトゥール墓、ウフヤグチ鍾乳洞、地下ダムなどを案内してもらう。夜、サバクリ人さんと合流し、居酒屋へ。ヤギの刺身やカラジュウリなどを食べる。写真は歴史民俗資料室で見せてもらった、喜界島ノロの神扇に描かれている鳳凰。
*2011年7月7日のPhoto Diaryはこちら
2011年7月7日のスナップ。花が咲いた竜舌蘭
↑7日も四條さんに島内を案内してもらう。先ずは飛行場と敷地に咲いている特攻花を撮影。その後、戦闘指揮所跡、5月に来た時も撮影した手久津久集落の巨大ガジュマル、灯台、阿伝集落のサンゴの石垣、震洋艇の基地跡、スギラビーチなどをまわる。写真は竜舌蘭。喜界島の町花になっている。竜舌蘭はテキーラの原料として知られているが、その花は数十年に一度しか咲かないと言われている。その花を咲かせた珍しい竜舌蘭が2本並んでいた。
*2011年7月8日のPhoto Diaryはこちら
2011年7月8日のスナップ。島唄を教える安田宝英さん
↑8日は戦跡であるトーチカを見た後、百之台、サトウキビ畑の中の一本道、城久遺跡群へ。夜、四條さんが習っている島唄教室を見学に行く。写真は、島唄教室が終わった後、ロビーで指導している安田宝英さん(正面ソファー右)。左隣は島唄教室の先生で安田さんのお孫さん。
*2011年7月9日のPhoto Diaryはこちら。(喜界島から奄美大島へ)
*2011年7月12日のPhoto Diaryはこちら。(一村の撮影した奄美複写、朝仁海岸と猫)
*2011年7月13日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、図書館の利用仮カード、新しい水筒、朝仁海岸)
*2011年7月14日のPhoto Diaryはこちら。(小宿の海岸、ウニ漁の作業小屋、月と名瀬港)

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