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◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
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○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
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4月29日(木)

 ゴールデンウィーク初日、昭和の日の今日は朝から土砂降りの雨。ちょっと肌寒いので、石油ファンヒーターをつけて作業していた。
 昨日、外付け4TBのHDD(ハードディスクドライブ)とDVDドライブが同時に届いた。HDDの方はNTT西日本のポイントが12,000ポイントほどあり、そのうちの幾らかが今月で失効するというので、12,000ポイントのHDDと交換した。何年か前にもポイントが失効するというので商品と交換したが、その時は欲しいものがカタログになくてハズキルーペにした。
外付けHDD

 DVDドライブは、一昨日ヨドバシカメラの通販サイトで購入したもの。在庫があれば、アマゾンよりも配送は早い。今使っているパソコンにはDVDドライブが内臓されているが、今後の事を考えて購入。早速パソコンに繋いでディスクを挿入し、認識するかテスト。ちゃんとディスクのアイコンが表示されて一安心。

←4TBのHDD。↓DVDドライブ。

DVDドライブ
 明日、4月30日放送のNHK『ドキュメント72時間』は、奄美群島の海上タクシーが舞台だそうだ。
 奄美の海上タクシーは奄美大島南部の瀬戸内町古仁屋から、加計呂麻島や請島、与路島へと行き来している。これらの区間には町営船のフェリーかけろま、フェリーせとなみも運行しているが、便数が少ないので急な用事の時や、祭りやイベントで人が大勢集まって船が定員に達した時に活躍する。
 奄美で暮らしていた時には加計呂麻島や請島、与路島へも何度となく足を運んだ。基本はフェリーを使ったが、祭りの撮影に行く時に海上タクシーを使ったことが3度ある。こういう時は乗り合いになるので、フェリーの料金とあまり変わらない。
 与路島の舟漕ぎ大会を見に行った時も、そうだった。名瀬からバスで古仁屋に着いて町営船せとなみの切符を買おうと窓口に行くと、定員に達したため乗船券は終了しましたと告げられた。せっかく朝早く起きて古仁屋まで来たのに・・・と途方に暮れていると、他にもせとなみに乗船できなかった人がいて、観光案内のスタッフの方が人数が揃えば海上タクシーが出るから乗り場で待ってみて下さいという。
 ヒヤヒヤしながら暫く待っていると、さばくり(段取り)ができたようで、出発。運賃もわからないまま、みなみ丸に乗船すると、加計呂麻島の瀬相港に到着。乗船した家族数で料金を割って、一家族500円。瀬相で待っていた車に乗車して、山を越えて島の裏側にある伊子茂集落の港へ。ここで加計呂麻島からの人と合流して、芳丸で与路島へと向かった。
 考えてみればこの方法は、与路島までの最短ルートだろう。車で加計呂麻島を横断するので、せとなみのように大きく島を回り込まなくてもいい。中抜けというらしい。請島にも寄らないので、せとなみより後に古仁屋を出たのに随分先に着いた。気になっていた料金は、距離があるにもかかわらず人数が増えたので一人500円。
 せとなみの乗船料が古仁屋~与路で1000円なので、ぴったり同じになった。さばくり上手だ(笑)。しかし、途中の車にはどこからお金が支払われたのだろう?
 下の写真は、海上タクシーの「でいご丸」。加計呂麻島の芝集落で開催された「脇田丸かつお祭り」を撮影に行った時に乗船した。映画『男はつらいよ』の第48作「寅次郎 紅の花」に、田中邦衛さんが船長役でこの「でいご丸」と登場する。
でいご丸01
でいご丸02
↑↓→海上タクシー「でいご丸」。2012年5月6日撮影。
でいご丸03

 運転開始から40年を超える関西電力の原発3基について、立地自治体である福井県の杉本達治知事が、再稼働に同意すると表明した。福島第一原発事故後、原則的に40年と定められた老朽原発が再稼働するのは全国で初めてとなる。
 どこの原発が大事故を起こしても被害が甚大なものになるのは、福島第一の事故で目の当たりにしたが、福井の原発の場合は他の立地以上に厳しい状況になると思われる。
 地図を見れば一目瞭然だが、高浜原発や美浜原発が事故を起こして放射性物質が外に拡散した場合、琵琶湖に降り注ぐことが考えられる。琵琶湖は近畿圏で暮らす人々の飲料水として使われている。近畿圏の大切な水源だ。関西電力は、もし大事故を起こして琵琶湖を汚染した場合にどう責任を取るのだろうか。責任を取る覚悟はあるのだろうか。
 これで立地自治体の同意を得たことになるのだろうが、琵琶湖を水源としている近畿圏の人々が納得するのだろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
#看護師の五輪派遣は困ります ツイッターデモ、トレンドに
「1都3県には遊びにこないで」「我慢のゴールデンウイークを」 首都圏4知事が訴え
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 Photo Diaryを更新。
*2011年2月25日のPhoto Diaryはこちら
2月25日のスナップ。本生間集落の山羊

↑25日は加計呂麻島へ。加計呂麻島の生間港から、バスでスリ浜へ。スリ浜から諸数集落を通り、生間港まで歩いて戻る。帰りのフェリーまで時間があったので、生間集落、本生間集落を散策。加計呂麻島から帰った後、奄美少年自然の家で星座の観察会。写真は本生間集落の山羊。

*2011年2月27日のPhoto Diaryはこちら。(奄美の自然を考える会の観察会に参加)
*2011年2月28日のPhoto Diaryはこちら
2月28日のスナップ。佐知克集落の土俵
↑28日も加計呂麻島へ。古仁屋からフェリーかけろまで、生間港へ。瀬相〜生間線のバスで勢里集落に向かうが、途中の秋徳で1時間ほど時間調整があるので、その間に秋徳集落を散策。午後1時30分に秋徳を出発して、佐知克を通り15分ほどで勢里に着く。勢里集落を散歩した後、バスで来た道を歩いて戻り佐知克集落へ。瀬相まで行って戻って来た先程のバスに佐知克で拾ってもらい、通り過ぎて来た野見山へ。野見山集落を散策した後、秋徳まで海岸沿いの道を歩き、再び秋徳集落を散歩。秋徳で瀬相行きの最終バスに乗る。写真は佐知克集落の土俵。後ろの建物の看板の字が薄れてハッキリとは読めないが<佐知克林業研修集会施設>と書かれている気がする。公民館のような役割だろうか。奄美に滞在していた2年で加計呂麻島の全集落を撮影したが、どの集落にも土俵があった。アシャゲの残っている集落ではその前のミャー(庭)に、アシャゲの残っていない集落では公民館の前に土俵が作られていた。祭祀の際に奉納相撲が行われていたのだろう。
*2011年3月1日のPhoto Diaryはこちら。(夜の名瀬港)
*2011年3月2日のPhoto Diaryはこちら。(プリント、新聞記事)
*2011年3月5日のPhoto Diaryはこちら。(麺いろいろ)
*2011年3月6日のPhoto Diaryはこちら。(味噌汁)
*2011年3月8日のPhoto Diaryはこちら。(魚のかき揚げ5個350円、朝仁海岸でアオサ採り、アオサの味噌汁)
*2011年3月9日のPhoto Diaryはこちら
3月9日のスナップ。小湊集落の大通り

↑9日は名瀬から自転車で1時間ほどの小湊集落へ。別に何があるわけでもないが、町並みが好きでサイクリングを兼ねてよく写真を撮りに行った。写真はバスが走る集落の大通り。この本通りについて島尾敏雄氏が『離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより』で、次のように書いている。
この本通りはいわば小湊の玄関口であり、外から一瞥した姿だ。ひと目でその起点と終点を見通すことができるけれども、柔軟な感じの南方的な大木に覆われたこの通りは、一方その内側の方に奥深い秘境を包みもっているような錯覚を与える。言ってみれば訪問者の気持は軽い酔いにおそわれるふうだ。中学校も小学校も米穀販売店も雑貨兼食料品店や菓子類販売店も、その通りに並んでいて、つまりこの部落の中枢がこのそんなに長くも広くもない一本の道路に露呈しているのだが、むしろそれらの代表的な外界接渉機関というものは、まやかしの無意味な存在でしかないのだと思わせる雰囲気をその本通りはもっている。たとえば、名瀬からの定期バスが、部落の入り口のところで警笛をならしながらこの通りに突入して行くと、何かしら部落全体のざわめきが起り、この本通りから部落の内部にはいって行くそれぞれの路地の入口のところに、子供や年寄りや女たちが穴わきのかにのように出ているのだ。彼らの多くははだしであり、そり身になった姿勢のよいすがたで、南海の風にふきさらされた彫の深い表情をバスの窓の方に向けてよこす
  この本通りを自転車でゆっくり走っていたら、学校帰りの3人ほどの小学生に呼び止められる。「火が出ています」。「??どこ」。案内されると、本通りに面した家の壁と塀の間の隙間に長い木片があり、それが焦げて煙りが出ている。放っておくと危ないので、通りかかった集落のおじさんに声を掛け、一緒に家の人を呼び急いでバケツで水をかける。誰かが火の付いた煙草でもポイ捨てしたんだろうか。もう一度集落の中を自転車でぶらぶらして本通りに戻って来ると、先程の家の方からおまわりさんを呼んだので発見者として話して欲しいと頼まれる。おまわりさんの到着を待って、第2発見者として状況を説明。思わぬ展開にちょっと時間を取られたので、日が暮れてしまわないように急いで自転車で帰る。

*2011年3月10日のPhoto Diaryはこちら。(根瀬部、アマミシリケンイモリ、ドビンニャ、アオサの佃煮)

4月26日(月)

 昨日は弟の2周忌だった。今年も新型コロナの影響で弟の家での法事には参加せず、両親と一緒に妹の車でお墓参りに行ってきた。

 今朝、パソコンを起ち上げてニュースを見ると<菅政権、初の国政3選挙で「全敗」 野党共闘に弾み><信頼失った菅政権に国民から警鐘 衆参3選挙で自民全敗>と、昨日の国政選挙の結果が出ていた。当たり前の結果だが、本当に良かった。中には管政権では選挙に勝てない、やはり安倍さんだというバカなことを言う自民党関係者や評論家もいるようだが、第二次安倍内閣のやってきた嘘と隠蔽の政治のツケが今回の結果だろう。今回の選挙を皮切りに国政でも地方でも選挙の度に自民党議員を落とし、オセロゲームのように自民党で真っ黒になったボードを白にひっくり返せれば少しは国も政治も変わるかもしれない。中には自民党にも素晴らしい議員はいると言う人もいるだろうが、もはや自浄作用のなくなった組織を変えるのは選挙でNOを突きつけるしかない。
第二次安倍政権以降の日本政府には一貫していることもあって、それは「国民や住民の命や健康や生活を守ることが最大の目的ではない」ということと、「都合を優先して現実さえ捻じ曲げる」ということです。だから現実に働きかけられる有効な手立てを無視することになり、無策やそれより悪い結果になる><どの国も同じだが、トップが誰かで危機におけるその国の被害の大きさは想像を超えるほど違ってくるのだと思う。新型コロナのように世界ほぼ同時に対峙している問題はその違いが明らかになりやすい。起きていることから個々人が何を考え、何を感じるかが重要で、それを選挙で示すのが民主主義だと思う>この中林香さんのツイートが的を射ている。
 それにしても、苦戦したとはいえ現職の河村たかし氏が再選を果たした名古屋市長選は驚いた。名古屋は特殊な地域なのだろうか。当選後、今まで河村氏の盟友だと思っていた高須クリニックの高須克弥氏が取材に応えて「リコールをしようと言い出したのは河村さんなのに、私が言い出したとうそをついた事は許せない。いざという時に逃げる人とは今日を持って友達をやめて、絶交します」と話したそうだ。子供かよ。
 市役所に家庭用サウナなどを持ち込んでいた大阪府池田市の 冨田裕樹市長(元大阪維新の会顧問)が辞職意向の表明という記事と、日本維新の会の梅村みずき参院議員の公設秘書の成松圭太容疑者が知人の男性を車ではねた後、さらに殴る蹴るなどした殺人未遂の疑いで逮捕という維新がらみの不祥事が2つ続けてニュース欄を賑わせた。そう言えば2019年に市議会事務局女性職員の机を物色して建造物侵入罪で略式命令を受け何度も辞職勧告を受けていながらも居座り、先日の富山市議選で落選した木下章広元市議も元は維新だった。「維新 不祥事」で検索するとこんなページやこんなページやこんなページが出てくる。これで政治集団と言えるのか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
二重変異株、国内で21件確認 官房長官会見で明らかに
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文化施設休業すべきか 協力金2万円「香典のつもりか」
奄美最古の風葬墓と判明 岩陰を利用「サクダマタ」 11~12世紀、人骨などから年代測定
1回3000円で何度でもPCR検査 岐阜・飛驒市がコロナで一手

 Photo Diaryを更新。
*2011年2月13日のPhoto Diaryはこちら。(奄美博物館企画展『奄美大島 森の歳時記』、黒糖焼酎・瀬戸の灘)
*2011年2月16日のPhoto Diaryはこちら。(有盛神社、田中一村終焉の家、有屋のトネヤ)
*2011年2月17日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーターミナル、本の複写)
*2011年2月18日のPhoto Diaryはこちら
2月18日のスナップ。流木
↑18日は郵便局へお金を降ろしに行ったついでに、ガス料金を払ってくる。これまで2000円を超える事はなかったのに、2947円だった。流石の奄美もこの時期は水温が下がってお湯を沸かすのにも燃料が要るという事か。ちなみに奄美も沖縄も都市ガスの部屋だったので、プロパンに比べてガス料金は安かった。写真は朝仁海岸と小宿の間にある小さな浜に打ち上げられていた流木。砂の紋様と流木の形に魅かれてシャッターを押した。ダブルトーンのように見えるが、普通に現像したままのカラー写真。
*2011年2月19日のPhoto Diaryはこちら。(図書館で借りてきた本、タンカン)
*2011年2月20日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港の対岸、ホテル・カリフォルニア
*2011年2月21日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港の対岸)
*2011年2月22日のPhoto Diaryはこちら
2月22日のスナップ。移動図書館
↑22日は加計呂麻島へ。芝集落、木慈集落、武名集落、三浦集落を撮影。瀬相港から芝、芝から木慈はバスを使ったが、木慈から武名、武名から三浦は徒歩で。木慈集落にもアシャゲがあったはずだが見当たらないので地元の人に尋ねると、倒壊したそうだ。三浦集落のアシャゲには大根が干されていた。写真は芝集落の海岸に止まっていた瀬戸内町の移動図書館。
*2011年2月23日のPhoto Diaryはこちら
2月23日のスナップ。安脚場戦跡公園
↑23日は加計呂麻島の安脚場集落と渡連集落へ。写真は安脚場戦跡公園にある金子手崎防備衛所。奄美大島や加計呂麻島、喜界島には戦跡がいくつかあるが、一番最初に撮影したのがこの安脚場戦跡だった。戦跡公園には野ヤギが住み着いているという噂があったが、見かけなかった。渡連集落を歩いていると声をかけられ、ビニール袋いっぱいのタンカンをいただいた。
*2011年2月24日のPhoto Diaryはこちら。(里集落のすもも畑、すももの花)

4月24日(土)

 一昨日の22日、となみチューリップフェアが開幕した。70回目となる記念イベントとして正午からブルーインパルスが会場の上空をアクロバット飛行するというので、小矢部川の土手まで行って様子を撮影しようかとも思ったが、結局家の前で5分ほど見ただけだった。
 一昨日の午後からいまに至るまで、Facebookには飛行の様子を撮影した力作動画や写真が次々に流れてくる。せっかくなので、家の前で撮った脱力系の一枚を載せておきます。近所の家の屋根越しのブルーインパルス。小さい黒い点が2つありますが、汚れではなく鳥です。インパルスが屋根と並行して飛んでいるところがポイントです(笑)。
ブルーインパレス

 今日は朝から晴れ。Yahoo!の天気予報では高岡の最高気温が18℃となっているが、外で日射しに当たっていると体感温度はもう少し高く、初夏を思わせるような陽気だった。
 せっかくの天気なのでサイクリングを兼ねて小矢部市にあるアートハウスおやべまで、現在開催中の「現代造形展」を観に行く。アートハウスは何回か行っているが、家から少し小矢部方向に進むと同じ敷地にあるクロスランドタワーが見え、それを目印に自転車を走らせるとなんとか着くので、いつまで経っても道を覚えられない。これだと思った道が途中で行き止まりだったりしたが、ウロウロしているうちにアートハウスに着いた。所要時間は50分ほどだった。
 受付でお金を払おうとすると「失礼ですが65歳以上ですか?」と訊ねられる。なんでだろうと思ったら、65歳以上は100円安い200円だった。残念だが一般の入場料300円を支払って会場へ。
 今回で3回目となる「現代造形展」には444点の応募があり、その中から選ばれた入賞・入選作品34点が展示されている。個人的に一番興味を魅かれたのは増野智紀さんの「時の絵」。どういうわけか他の作品は撮影可能だが、この作品だけは禁止となっている。作品は白のボードにカラフルな長針短針秒針だけの時計がランダムに並べられており、それぞれに時を刻んでいる。いくつもの時計が時を刻むチ、チ、チ・・・という音が館内で響いていた。少しずつズレて刻むのでチッチ チチチ チッチ チチチと三連譜を刻むように聞こえてきたが、他の人の耳にはまた違った聞こえ方がするのかもしれない。いくつかは電池が切れたのか、止まっている秒針もある。立体的で動きがあって音がある。面白い展示だな、と思った。
 他にはカラフルなフェルトを何層にも重ねて立体的なオブジェを造った工藤廉さんの「宇宙」、鈴木美緒さんの布で作った小さなパーツを無数に貼り付けた「この季節に思いを馳せて」も面白かった。どうも繰り返したり増殖したりするものに、ビジュアル作品でも音楽作品でも自分の気持ちが摑まれるようだ。

アートハウスおやべ
中藤跡

↑アートハウスおやべで開催中の「現代造形展」の展示風景。

 30分ほど展示を観て、帰りにアンケート用紙に回答し、自転車で帰路に。国道8号線沿いの農道やあまり車の通らない細い道を探しながら、高岡方面に向かって進めば家に着く。
  家に帰る前にスーパーで買い物をしようと駅前を通ると、見慣れない空き地が。一瞬知らない土地に迷い込んだかと思った。

 しばらく前に移転したお食事処「中藤」が解体されて、更地になったのだ。新しい店舗は写真左端の黒い建物。
アマゾンで買った写真集
 先日アマゾンのマーケットプレイスでポチった写真集『北回帰線の北/吉田元』(冬青社)が、今日届いた。吉田元氏の『北回帰線の北』と『神々の残映ー沖縄・八重山・1963』は沖縄に住んでいた時に、図書館から借りて見ている。美しいプリントだな〜と思い欲しかったが、どちらも5,000円前後で出ていることが多く諦めていた。それが不意に覗くと850円+送料257円だったので、思わずポチってしまった。
 明日から、3度目の緊急事態宣言が始まる。

4月21日(水)

 天気も良いので、午後から小矢部川の堤防まで自転車で走りに行ったら、ゴーという音が聞こえたので空を見上げるとブルーインパルスが6機、編隊を組んだり離れたりしながら飛行していた。
 明日から開催される「第70回となみチューリップフェア」の開会式にあわせて航空自衛隊のブルーインパルスがアクロバット飛行することになっているが、そのテスト飛行のようだ。
 ゴーという音が聞こえたが、ずいぶん静かだなという印象だった。2年間住んでいた那覇では、毎日のように自衛隊や米軍の戦闘機やヘリが家の上空を飛んでいたので慣れてしまったのだろうか。那覇の中心部にあるマンションの8階に住んでいたが、ゴーという爆音が聞こえてベランダに出ると、しばらく経ってステルス機が飛んで行った。どういう訳か、機体より爆音の方が先に届く。
 2012年9月に尖閣諸島の魚釣島、北小島、南小島の3島を日本政府が購入してからは、那覇の航空自衛隊基地からF-15がスクランブル(緊急発進)をかける回数が目に見えて多くなった。ちょうど沖縄に住んでいた時に起こったことなので、身を以て感じている。民主党の野田政権時代だ。
 日中で尖閣問題の棚上げ論が交わされていたのか否かは置いても、拙速な島の購入は溝を深め対立を煽るだけだった。実際に購入したのは野田政権だが、そもそもは都知事だった石原慎太郎氏が3島を東京都で買い上げると表明したことによる。石原氏への批判は色々あるが、個人的にはこの都による尖閣諸島の購入発言が一番最悪だったと思っている。
 石原氏に煽られたとは言え、野田政権が尖閣諸島の購入に踏み切っていなければ今とは違った現在があったはずだ。
那覇空港で離発着するF-15

 上の写真は那覇空港で離発着する航空自衛隊のF-15。那覇空港は自衛隊との共同使用なので、戦闘機の離発着に合わせて民間機が待機させられることもよくある。

黒島のクジャク
 一昨日facebookに<石垣島で珍しい白クジャクが目撃される 30年以上前にペットが野生化>という沖縄タイムスの記事が流れてきて、そういえば2013年に黒島へ行ったときにクジャクが草むらから現れたのを思い出した。驚いたというより、「なんでここに?」という気持ちだった。
 だいぶ駆除されたようだが、沖縄ではこの石垣島、黒島だけではなく宮古島、伊良部島、小浜島、新城島、与那国島、西表島でも生息が確認されているようだ。 
↑黒島で、突然目の前に現れたクジャク。種類はインドクジャクらしい。
 この他の気になった記事を備忘録として。
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 Photo Diaryを更新。
*2011年2月1日のPhoto Diaryはこちら。(部屋から撮影した名瀬港の朝と夜)
*2011年2月2日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本)
*2011年2月3日のPhoto Diaryはこちら
2月3日のスナップ。須子茂集落のカミミチ
↑3日は加計呂麻島の須子茂集落と嘉入集落へ。写真は地元の方に教えていただいた須子茂のカミミチ(神道)。通っていいですかと尋ねると、「いいですよ」の返事。前を鳥が歩いていた。嘗ては祭祀の時に、集落のノロが通ったのだろう。須子茂には新旧2つのアシャゲがあった。また嘉入にはアシャゲとトネヤがある。
*2011年2月5日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーせとなみで、請島の請阿室集落へ)
*2011年2月6日のPhoto Diaryはこちら
2月6日のスネップ。緋寒桜
↑6日はリュウキュウアサギマダラの観察会でご一緒した小辻さんと、緋寒桜の撮影会。本茶峠でしばらく撮影した後、龍郷町にある奄美自然観察の森へ。写真は同じ枝にピンクと白の花が一緒に咲いている緋寒桜。
*2011年2月7日のPhoto Diaryはこちら。(大和村の大棚、大金久)
*2011年2月9日のPhoto Diaryはこちら
2月9日のスナップ。実久集落にある実久三次郎神社
↑9日は加計呂麻島の実久集落、薩川集落、瀬武集落へ。写真は実久集落にある、実久三次郎神社。実久三次郎は源為朝(別名が鎮西八郎)の子供だと言われている。初代琉球国王と位置付けられている舜天も源為朝の子供だと言われているので、伝説上は舜天と実久三次郎は異母兄弟ということになる。

4月18日(日)

 朝から激しい雨が降ったり暴風が吹いたりの、荒れた天気。
 昨年「アサヒカメラ」が休刊となったが、今度は「日本カメラ」が休刊を発表した。今月20日発売の5月号が最終号となる。また発行していた(株)日本カメラ社は4月30日で解散するそうだ。
 今月15日に小池都知事が新型コロナ感染防止策として「通勤を含め、(医療従事者などの)エッセンシャルワーカー以外の方は可能な限り東京へ来ないでいただきたい」と発言した。
 確かに人流を断つのが一番の感染予防策だろうから真っ当な提言ではある。加えて東京在住の人は可能な限り東京から出ないほうが、日本全体の感染予防策になるだろう。日本がこれまで行ってこなかった、都市のロックダウンだ。
 ただ、小池氏の提言を素直に聞き入れる人がいるだろうか。「人流を抑えるためには、強いけれど必要なメッセージだ」と説明したようだが、その人が先頭をきって3ヶ月後には世界各国から何万という人を東京に迎え入れようとしている。やっていることがチグハグで、説得力はないだろう。
 もし本当に危機感があるなら、先ずは東京五輪・パラリンピックの中止を決定し、都市をロックダウンしてその期間に検査と隔離を徹底すべきだろう。しかし第2波までなら有効だったかもしれないが、ここまで感染が広がると難しいかもしれない。とにかく今のままの対策では東京・大阪といった大都市で感染爆発し、それは徐々に地方に広がって行くのではないかと心配している。
 一昨日、上野のストリップ劇場「シアター上野」が摘発された。なぜ今更?と不思議に思う。オリンピックに向けての街の浄化作戦(見せしめ)だろうか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
コロナ死者、世界で300万人超す 2月下旬から再拡大、WHO「感染者も死者も、懸念される速さで増加」と警戒
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復興庁の「トリチウム」キャラ、公開中止 原発処理水の安全性PRに批判噴出

 奄美大島に住んでいた2010~2012年に、一番テレビから流れていたお酒のCMは「焼酎だんだん」だったと思う。
 ♪もう一度キミに会えるかな 時はやさしく過ぎて行く♪
 こんな詞を、涼やかな声で女性が歌っていた。
 毎日のように写真を撮りに出かけ、帰って来たらパソコンで写真データのRAW現像をし、図書館から借りてきた本を読む日々だったので、それほどテレビを見る時間はなかったが、それでもご飯を食べている時や、寝る前にスイッチをつけると、このCMが流れていてその短い曲を聴くと少し癒された。

 好きなCMだったし頻繁に流れていたが、でも「焼酎だんだん」を買って呑むことはなかった。だんだんを発売している長島研醸は鹿児島県出水郡の会社で、鹿児島の内地は基本的に芋焼酎。芋焼酎も好きで、曾ては宝山も呑んでいたが、郷に入れば郷に従えで奄美大島に行ったら焼酎は黒糖焼酎しか呑まないと決めていた。お土産に黒糖以外の焼酎をいただいて呑んだことはあるが、奄美に居た時は黒糖以外の焼酎は買わなかった。

 奄美大島には2010年6月から2012年の6月まで住んでいたが、その間に買った黒糖焼酎は28本で、その遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻→高倉→朝日→あまんゆ→八千代30度→里の曙BIG FISHINGラベル→弥生30度→太古の黒うさぎ→三年寝太蔵→加那30度→珊瑚→弥生30度→まんこい30度→浜千鳥乃詩。一番美味しいな、と感じたのは「龍宮」かな。

 「焼酎だんだん」のCMが、You Tubeにある。こちら。呑んでいたのは黒糖焼酎ばかりだったが、この芋焼酎のCMを聴くと、港を見下ろすビルの5階の部屋での日々を思い出す。CMの、そして音楽の不思議な力だな。

 Photo Diaryを更新。
*2011年1月15日のPhoto Diaryはこちら。(雨の日の名瀬港)
*2011年1月16日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港、ファイルを整理したデスクトップ)
*2011年1月17日のPhoto Diaryはこちら
1月17日のスナップ。虹
↑17日は「南島雑話」を書いた名越左源太(なごや さげんた)が奄美大島に遠島になった際に住んでいた家が小宿集落にあるというので、探しに行った。自転車でぶらぶらと走って探し当てた場所には「名越左源太流刑中の居住の跡」という案内板があったが、空き地になっていた。せっかくなので小宿の教会や墓地を撮影した後、朝仁海岸に行くとクッキリと大きな虹が海面から伸びていた。
*2011年1月18日のPhoto Diaryはこちら
1月18日のスナップ。蘭館山のモニュメント
↑18日は市街地にある蘭館山(らんかんやま)へ。ここには「くれないの塔」が建立されている。その由来を記した案内板が山の入り口にあり、次のように記されている。
昭和三十七年九月三日午後四時五十五分、一婦人の生命を救うべく急患用血液を輸送してきた海上自衛隊鹿屋第一航空群のP2V機が、突如この地に接触し大破炎上するという、一大惨事が発生いたしこの事故で十二人の搭乗員と一人の市民が尊い犠牲者となりました。
善意に充ちた愛の飛行が不測の災難と変り人の世の運命とはいえ誠にいたましい限りです。
この美しい人道的行為を永遠に讃え、異郷の地に果てた十二柱の隊員と一柱の市民の霊を慰めるために、全国の心ある人々の愛情と良識を寄せてこのゆかりの地に記念塔を建立し此れをくれないの塔と名づけました。
現在、奄美市が毎年9月3日を献血の日と定めた由来である

 写真は、くれないの塔の近く、名瀬港を見下ろす場所にあったモニュメント。中央のタイヤは激突した輸送機のものなのだろうか。
*2011年1月20日のPhoto Diaryはこちら。(雨の名瀬港、フェリーに積まれる牛)
*2011年1月22日のPhoto Diaryはこちら。(大熊漁港、カツオのぼり、緋寒桜、シビの刺し身、イカ味噌)
*2011年1月23日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸、根瀬部、アマミシリケンイモリ、石敢當)
*2011年1月25日のPhoto Diaryはこちら。(ヘゴのくるくる、赤崎公園、イノシシに荒らされた跡)
*2011年1月26日のPhoto Diaryはこちら。(黒糖焼酎・卯、日清焼きそば)
*2011年1月29日のPhoto Diaryはこちら。(蘭館山、おがみ山、タンカン)
*2011年1月30日のPhoto Diaryはこちら
1月30日のスナップ。ドラマチックな空と海
↑30日は写真家・常田守さんの案内で、笠利方面へリュウキュウアサギマダラの観察とバードウオッチングに出かけた。枝に鈴なりになって越冬するリュウキュウアサギマダラを撮影。写真はその帰り、雲の間から日差しが注いでいる空と海の光景がドラマチックだったので、車を止めてもらって撮影した。
*2011年1月31日のPhoto Diaryはこちら。(お土産にいただいたチキン南蛮と鴨スープラーメン)

4月14日(水)

 今日で熊本地震から5年が経つそうだが、今も約400人の方々が仮設住宅などでの仮住まいを余儀なくされている
 トカラ列島がまだ揺れている。今日も悪石島では震度3の地震を観測した。今月9日から震度1以上の地震は244回となっている。もともと地震の多い場所ではあるが、心配だ。

 昨日、政府は関係閣僚会議で福島第1原発から福島沖へ汚染処理水を海洋放出処分する方針を正式に決定した。2013年に「東電任せにせず、しっかりと責任をもって前面に出ていく」と言い、東京五輪誘致に向けたIOC総会で原発は「アンダーコントロール(制御下にある)」と語った無責任男はどうしているかと思ったら、原発のリプレース(建て替え)を推進する議員連盟の顧問に就任していた。
 NHKの会長が衆院総務委員会で、より正確な表現に努めるため福島第1原発で放出される水を「放射能水」から 「処理された水」に修正したと明らかにしたそうだが、正確な表現に努めるなら「放射性物質を除去しようとしたが除去しきれなかった汚染水」だろう。未だに約7割りは浄化が不十分で、トリチウム以外の放射性物質も国の排出基準を超えて残っているのだから。
 麻生副大臣は昨日、海洋放出の決定に際して「もうちょっと早くやったらと思っていた。飲んでも何てことはないそうだ」と発言していたが、 中国外務省の報道局長は今日の定例記者会見で「飲めるというなら飲んでみてほしい」と述べたそうだ。ホント、飲んでみて欲しい。なぜ麻生氏は昨日の記者会見を、原発処理水を飲みながらしなかったのだろう。
 海洋放出による風評被害が起きた場合には東電が賠償を行うと政府は説明するが、それは電気代として国民が払うことになるのだろう。その東京電力が所有する柏崎刈羽原発は、核物質防護不備の問題で運転禁止が決定した。

 今日は大阪で1130人兵庫で507人。共に過去最高の新型コロナ感染者を記録した。この感染急拡大中の兵庫県で、知事が会食時に口を覆う「うちわ会食」を呼びかけ、神戸市など4市内の約1万6000店舗に計32万本のうちわを配布するとして物議を醸している。アベノマスクにイソジンと来て、次はうちわか。戦闘機に竹槍・・・とても先進国の感染対策とは思えないアイデアが次々に出てくるのが悲しい。東京はと言えば、小池都知事が「ウイルスと新たな変異株と、素手で闘うためには、みなさま方のご協力が欠かせない」と呼びかけた。こちらは素手か。
 検査と隔離という当たり前の感染防止策が徹底されず、竹槍で戦闘機に向かっていく防御策では燎原の火のごとく第4波の感染が広がっていくのではないだろうか。

 先日、斎場御嶽から失くなっていた香炉が返って来た。新聞報道を見て良心が咎めたとして、42歳の男性が香炉を持って与那原署に出頭したそうだ。

 Photo Diaryを更新。
*2011年1月1日のPhoto Diaryはこちら
1月1日のスナップ。ダブル・レインボー
↑1月1日は昨日のかき揚げそばの汁にお餅を入れたお雑煮を食べ、午後から南の島のお正月を味わいに散歩へ。市街地をぶらぶら歩いて、高千穂神社へ。お賽銭を入れ参拝した後、巫女さんからお神酒をいただく。雨時々曇り、稀に強い日差しの空模様で、傘をさしたり閉じたり忙しかった。写真は神社の帰り、マジックのように地上からスーっと伸びていったダブル・レインボー。元旦の虹は、なんだか縁起が良さそうだった。
*2011年1月2日のPhoto Diaryはこちら。(部屋から撮影した虹。またしてもダブル・レインボー)
*2011年1月3日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸と猫、本の複写)
*2011年1月5日のPhoto Diaryはこちら。(成人式、根瀬部、石敢當、小宿、正月飾り)
*2011年1月6日のPhoto Diaryはこちら。 (消防出初め式)
*2011年1月8日のPhoto Diaryはこちら
1月8日のスナップ。大熊のトネヤ
↑1月8日は奄美図書館へ借りていた本を返却し、新たに本を借りて来た。奄美文化センターで開催されていた刑務所作業製品展示即売会「奄美矯正展」を見た後、大熊漁港へ。大熊龍王神社に向かう途中、雰囲気のある家だなと思って撮影したらトネヤだった。有屋の力水(チボリ水)、朝仁の千年松を撮影して家に帰る。写真は大熊のトネヤ。左が大熊ノロが祭祀を行ったウントネ(上のトネヤ)、右が住居だったサントネ(下のトネヤ)。奄美ではノロが祭祀を行うのはアシャゲ(沖縄で言う神アサギ)、住まいはトネヤだが、大熊はトネヤが2つなのが興味深い。南海日日新聞の記事によるとサントネは2019年5月に解体され、ウントネも解体の見込みだという。
*2011年1月9日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港、奄美市地区対抗駅伝)
*2011年1月12日のPhoto Diaryはこちら。(アマゾンで購入した2TBの外付けHDD)
*2011年1月13日のPhoto Diaryはこちら
1月13日のスナップ。ナリムチ作り

↑1月13日は朝仁海岸から、千年松の横の山道を歩いて赤崎公園と金作原と名瀬市街へ別れる四つ角まで行って戻ってくる。永田橋の商店街へ行くと、店頭で枝にカラフルなお餅をくっ付けてナリムチ作りをされていたので、撮影させてもらう。ナリムチは小正月の前日にあたる14日に、枝に色とりどりの餅を付けて家の中やお墓に飾る行事。使われる枝はぶぶの木(ブブギ)と言われる、リュウキュウエノキ。撮影させてもらった後、4色のお餅とぶぶの木を購入。400円だった。「墓地に行けば、きっともう飾ってあるよ」と言われたので永田町の霊園に行ってみると、花と一緒にナリムチの飾られたお墓が結構あった。

*2011年1月14日のPhoto Diaryはこちら。(トイレの出窓に飾った自作のナリムチ、ナリムチが供えられた墓地)
 今日は旧暦の3月3日。毎日新聞に奄美で海開きと書いてあったが、浜下り行事だろう。

4月10日(土)

 春祭りの季節になったが、今年も新型コロナの影響で神事以外は中止か縮小しての開催が多いようだ。 
 昨日、「道の駅メルヘンおやべ」の展示ルームで写真の設営をしてきた。出品したのは、小矢部の祭りと行事の写真を16枚。今回は写真の下にキャプションを付けなかった。
道の駅での写真の設営

 石動曳山祭り、津沢の夜高あんどん祭などは知られているだろうが、他にも面白い祭りや芸能がある。展示の最後に祭りや行事の名前を書いた回答を用意してあるので、いくつ知っているかチャレンジしてみて下さい。
 展示ルームには箱井鉄男さんの撮影した、春のポートレートも何点か展示されています。
  尚、展示期間は未定。道の駅での買い物や、アウトレットパーク北陸小矢部の帰りにでもお寄り下さい。

 昨日、政府が福島第一で発生した汚染水を浄化処理した後の放射性物質トリチウムを含む水を、海へ放出する方針を固めたというニュースが流れた。東京新聞は汚染処理水と書いているが、記事にあるように処理水の約7割は浄化が不十分で、トリチウム以外の放射性物質も国の排出基準を超えて残っている。
 タンクに溜まり続ける汚染水問題だが、まずはトリチウム以外の放射性物質を再浄化して取り除くのが先だろう。処分方法はそれからだ。
 尚、政府のこの発表の後、東電はタンクの増設を表明した。

 議決権の外資比率が20%以上の事業者は認定を受けられないとする放送法の問題で、フジテレビなどを傘下に置くフジ・メディア・ホールディングスが2014年9月までの約2年間外資比率が20%を超えていたにも関わらず、武田総務大臣は「違反状態がその時点で存在しないのであれば、放送法上、取り消しができないと判断した」として認定を取り消さないという考えを示した。
 同じように外資規制違反で問題になった東北新社の子会社の場合は、認定の申請段階で外資規制に違反していたから認定を取り消されたそうだ。
 規制違反は同じなのに、明らかにダブルスタンダードだろう。東北新社の子会社、東北新社メディアサービスと比べて、フジの場合は認定を取り消すには会社の規模が大きくて影響も広範囲に及ぶためにひねり出した屁理屈だろう。
 ところで記者会見をしたフジ・メディア・ホールディングスの金光修社長の名前に見覚えがあり、記憶を辿って行くと2003年6月号の「レコード・コレクター紳士録」の連載で自宅にお伺いして撮影させていただいている。氏がアスキーコミュニケーションズから『あの頃、VANとキャロルとハイセイコーと…since1965』という著書を出された直後のことだ。当時はフジテレビの社員で、編成をされていた。
 就職したことがないのでわからないが、不祥事の際にトップが記者会見で陳謝している場面を見ると、企業で出世して登りつめることが幸せな人生なのだろうかと思うことがある。金光さんは今も好きなモノを集め、それに囲まれる生活を送っているだろうか。

 今日は朝からトカラ列島が揺れている

 Photo Diaryを更新。
*2010年12月23日のPhoto Diaryはこちら。(国直集落、高倉、フクギ並木、リュウキュウアサギマダラ)
*2010年12月24日のPhoto Diaryはこちら。(屋仁集落、佐仁集落)
*2010年12月25日のPhoto Diaryはこちら
12月25日のスナップ。日本復帰記念の日の集い
↑12月25日はクリスマスだけれど、奄美群島が日本に復帰した記念日でもある。この日は毎年おがみ山で「日本復帰記念の日の集い」が開催されるが、あいにくの雨で奄美小学校の体育館で行われた。午前11時からの式典を撮影してから近くの市街のホテルのレストランでランチを食べてから、バスで笠利方面へ。大島奉行所跡、辺留集落、大笠利聖ミカエルカトリック教会や十字架が並ぶ墓地を撮影。名瀬に戻って古田町のマリア教会や幸町の名瀬聖心教会を撮影して家に帰る。
*2010年12月27日のPhoto Diaryはこちら。(大和村の今里、志戸勘、名音)
*2010年12月28日のPhoto Diaryはこちら
12月28日のスナップ。西阿室の海岸から見た与路島
↑12月28日は加計呂麻島の西阿室集落へ。14時40分ごろに集落に着いて、帰りのバスが出る17時20分まで2時間40分ほど小さな集落の中を散策。写真は西阿室の海岸から撮影した与路島。
*2010年12月30日のPhoto Diaryはこちら。(自作の正月飾り、ポンカン、黒糖焼酎・龍宮)
*2010年12月31日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸)

4月8日(木)

 はじめは清らかに単純だ。美しくしずまった森。神託によって定められた聖域が氏族生活の中心だ。その秘めた場所に、ひそかに超自然のエネルギーがおりてくる。それにつながり、受けとめることをぬきにして、彼らの生活の原動力を考えることはできない。
 そびえたつ一本の木。それは神がえらんだ道。神の側からの媒体である。この神聖なかけ橋に対して、人間は石を置いた。それは見えない存在へ呼びかける人間の意志の集中点、手がかりである。
 自然木と自然石、それが神と人間の交流の初源的な回路なのだ。
 この素朴な段階でこそ、神と人間は相互に最も異質でありながら、また緊密だった。人間は神を徹底的に畏れ、信じた。
三庫理

 岡本太郎氏の『沖縄文化論』(中公文庫)の中で一番好きな文章で、とても示唆に富んだ文章だと思っている。
 沖縄の御嶽や拝所に行くと社や祠などなく、ただ御神木の幹の下に石の香炉が添えられているのを見ることがある。
 一昨日の沖縄タイムスに、世界文化遺産であり沖縄最高の聖地・斎場御嶽(セーファウタキ)内の石の香炉が1基盗難にあったようだという記事が載っていて驚いた。
 紛失した香炉は、大きな岩がもたれ掛かって3角形のトンネルを作っている三庫理(サングーイ)の奥にあったもので、チョウノハナと言われる石の香炉15基の中の一つだ。これらは琉球王国時代の最高神女である聞得大君の就任儀式のたびに1基ずつ置かれ、1875年までに15基が並んだという。
 チョウノハナの向かい側からは、琉球開闢の祖であるアマミキヨが最初に創ったとされる久高島が遥拝できる。

←三庫理(サングーイ)。↓15基の香炉が並んだチョウノハナ。この中の1基が盗難にあったようだ。

香炉が並んだチョウノハナ

 昨日の北日本新聞に、アメリカ政府が米海軍が射爆場として使用している尖閣諸島の大正島を、日中対立に巻き込まれる恐れがあるとして1978年6月に使用停止の指示をしたことが機密解除された米公文書からわかったという記事を掲載していたが、これは共同通信が配信したこの記事を流したのだろう。
 あまり知られていないが尖閣諸島の5つの島と3つの岩礁のうち、大正島と久場島は最近は使われていなかったが、米軍の射爆場として存在している。
 つい最近、日本政府がアメリカとの会談で尖閣諸島の日米安保条約適用確認したことを手柄のようにアピールしていたが、米軍が尖閣諸島の2つの島を排他的管理下に置いているのだから日米安保の適用対象とするのは当たり前だろう。
 ちなみにアメリカは日本政府に対し、尖閣諸島の施政権は認めているが領有権については明確にしていない。
 厚労省が昨年2月から集計してきた新型コロナの影響による解雇や雇い止めの累積が、10万人を超えたことを明らかにした。菅首相は「国民の命と暮らしを守る」をよく口にするが、この内閣では「命も暮らしも」蔑ろにされそうだ。
 富山県内で今日、新たに7人の感染者が確認され、これで新型コロナの累計感染者数が1000人を突破した。

 この他の気になった記事を備忘録として。
東京都にも、まん延防止措置を適用へ 1カ月間を想定
問題視された宴会に出席した厚労省職員、新型コロナに感染 事実上のクラスターか
事故を起こしたのは東電なのに…「顔」も主体性も見えぬまま 原発処理水の海洋放出方針決定へ
新型コロナ療養施設に転用するため37億円かけたのに…1度も使われないまま再改修へ 五輪用の警察官宿舎
コンテナ4000基の中身分からず 福島第一原発で東電ずさん管理
小杉の蓮王寺はお坊さんの学校 室町期の記録確認

 Photo Diaryを更新。
*2010年12月1日のPhoto Diaryはこちら。(猫と朝仁海岸)
*2010年12月3日のPhoto Diaryはこちら。(島のナポレオン、使用済みインクカートリッジ)
*2010年12月4日のPhoto Diaryはこちら。(鳥しんで忘年会)
*2010年12月6日のPhoto Diaryはこちら
12月6日のスナップ。海に沈む夕日
↑6日は奄美夕日マニア写真倶楽部の第1回撮影会で、会員のなっつんさんの車で遠征。屋入峠は道路が土砂崩れで通行止だったため急遽コースを変更し、ばしゃ山近くの海岸〜笠利のカトリック教会の墓地〜用岬〜佐仁へ。写真は佐仁の海岸から撮影した、東シナ海に沈む夕日。
*2010年12月11日のPhoto Diaryはこちら。(古見本通り沿いの古田町、真名津町、平田町、石橋町を散歩)
*2010年12月12日のPhoto Diaryはこちら
12月12日のスナップ。湯湾釜集落の老人クラブの忘年会
↑12日の午前中は、奄美少年自然の家で開催された「クラフトふれあい教室」に参加して、ミニ門松を作ってきた。門松を作り終えて部屋に帰ってきたら、さばくり人さんから電話があり、大和浜の集落へドングリを獲りに行くことに。大和浜には天然記念物になっているオキナワウラジロガシ林があり、日本最大級のドングリが獲れるとのこと。せっかく大和村に行くので、先日ムチムレ踊りを撮影させていただいた湯湾釜集落に寄って写真を届けることに。届けに行くと、ちょうど集会場で老人クラブの忘年会が行われていてお酒と料理をご馳走になった。写真は忘年会の様子。
*2010年12月13日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港、注文したインクとプリント用紙)
*2010年12月14日のPhoto Diaryはこちら。(奄美少年自然の家の天体ドーム)
*2010年12月16日のPhoto Diaryはこちら。(石油ファンヒーター)
*2010年12月18日のPhoto Diaryはこちら。(しめ縄作り、ポンカン、借りてきた本)
*2010年12月21日のPhoto Diaryはこちら。(奄美手帳)
*2010年12月22日のPhoto Diaryはこちら
12月22日のスナップ。於斉集落のガジュマル
↑22日は加計呂麻島へ。瀬相港からガジュマルの巨木が有名な於斉集落まで歩く。於斉集落の中を撮影しながら2周ほどして、海岸沿いに伊子茂集落、花富集落と歩く。写真は於斉のガジュマル。奄美群島でたくさんのガジュマルの木を見たが、一番フォトジェニックなガジュマルだと思う。

4月4日(日)

 今日は朝から雨。窓から見える岸渡川の桜が、少し淋しくなったように見える。
 昨日は午後から自転車で岸渡川沿いの桜並木を見た後、久しぶりに小矢部川の土手を自転車で流した。小矢部川の土手にもいくらか桜の木が植えられているし、土手から眺める山里の桜も風情があって好きだ。岸渡川はそこそこ花見の人が歩いているが、小矢部川の土手はあまり人がいないので自分のペースで写真も撮れる。
 下の写真は、昨日撮影した桜。
小矢部川の土手から撮影した桜
桜の風景色いろ
 今日は久しぶりにプリント。A3サイズを14枚、A2サイズを1枚仕上げた。昨年の写真展が終了してからは年賀状を印刷するくらいで、あまり使う機会がなかったので上手くプリントできるかちょっと心配だったが、トラブルもなくキレイにプリントできた。
プリント
 Photo Diaryを更新。
*2010年11月18日のPhoto Diaryはこちら
11月18日のスナップ。島バナナ
↑18日は実家に島バナナでも送ろうと、近くの奥商店へ。何房か付いたまだ青い島バナナと、ドラゴンフルーツ、ポンキツ、青パパイヤを購入して発送の手配をする。奥商店から自転車で奄美文化センターへ。敷地内にある奄美の古民家を再現した家屋を撮影する。写真は島バナナが吊るされた奥商店。
*2010年11月19日のPhoto Diaryはこちら。(自撮りの証明写真)
*2010年11月20日のPhoto Diaryはこちら。(柳町の火災現場跡、大やんご祭り)
*2010年11月21日のPhoto Diaryはこちら
11月21日のスナップ。ムチムレ踊り
↑21日は奄美文化センターで開催された「奄美市民文化祭」を見た後、大やんご祭りの行われている金久公園へ。「屋仁川フォークジャンボリー」と題したコンサートを見ていると、さばくり人さんから電話があり、急遽大和村にある湯湾釜集落のムチムレ踊りを見に行くことに。写真は男性も女性用の着物を身につけ、頭から布を被って踊るムチムレ踊り。一軒一軒まわり、踊りが終了したのは23時半頃だった。
*2010年11月22日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港)
*2010年11月23日のPhoto Diaryはこちら。(奄美パークでの朝花節大会予選会、島とうふ屋)
*2010年11月24日のPhoto Diaryはこちら。(ムチムレ踊りでもらったカシャ餅、パパイヤ、黒糖焼酎・奄美の杜)
*2010年11月27日のPhoto Diaryはこちら。(借りてきた本、カシャ餅を使った和風餅ピザ?)
*2010年11月28日のPhoto Diaryはこちら
11月28日のスナップ。鯨松
↑28日はまだ行ったことのなかった伊津部勝、名瀬勝という2つの集落を通って、小湊までサイクリング。途中、ところどころに豪雨災害の爪痕が残っている。小湊から帰る途中、栄さんご夫婦と遭遇。植えたばかりのパッションフルーツのハウスを見せてもらう。写真は名瀬勝で撮影した鯨松。岩の上にクジラが潮を吹いているように見える松が一本あったようだが、昭和56年に枯れたそうだ。この鯨松について、こんな伝説が残っている。
 大川の川口近く、名瀬勝寄りの海岸に鯨松という枝振りのよい松の生えた岩がある。
 昔、名瀬勝の金比羅の神(男神)と小湊の厳島の神(女神)とが、沖の方から松の木の生えた岩を背負った鯨が小湊の海岸に向かって泳いでくるのを見た。二神はその岩を自分のところに招き寄せようとしきりに招きあった。すると鯨がだんだん厳島の方に寄っていった。金比羅の神が厳島の神に腰紐が解けていることを告げた。厳島の神が驚いて腰紐をなおしている間に金比羅の神が自分の方に招き寄せてしまい、現在のところにきて止まったのだという。
 鯨は男神の立っていた岩の下敷きとなって死んでしまった。それからは正月ごとに小鯨たちがたくさんやってきてこの岩の近くで泣いていたという。岩の上の松も昔ながらの松で、大きくもならず立ちつづけている。
(古見の七不思議)より

『奄美の伝説・日本の伝説23/島尾 敏雄・島尾 ミホ・田畑 英勝』(角川書店)から。
*2010年11月29日のPhoto Diaryはこちら。(島バナナ、日清焼きそば)

4月1日(木)

 4月、そして新年度の始まり。今日から富山湾の宝石と呼ばれるシロエビの漁が解禁になった。
 3月は花粉が嫌でほとんど家に篭っていたが、桜も満開なので久しぶりに散歩がてらの花見に出かけた。ヤフーの天気予報では花粉の量はやや多いだったが、地元テレビの予報では少ないになっていた。少ないというテレビの予報を信じ福岡橋の横にある地蔵堂まで自転車で行き、そこから岸渡川(がんどがわ)沿いの桜並木を眺めながら1時間半ほど散歩をした。途中、小学校の裏手、黒石川の土手に植えられた桜並木も見てきた。
桜01
桜02
 マスクをしていたのもあるが、花粉の量も少なくなっているのだろう。夜になってもクシャミや鼻水の症状は出ていない。この様子なら、これからまた自転車でアチコチまわれそうだ。

 先日、【オタクの老後】コレクターの死後、残されたグッズはどうなる?という気になる記事があった。自分ではオタクでもコレクターでもないと思っているが、それでも本やレコード・CD、それに撮影したフィルムやプリント、撮影機材がたくさんある。他人事ではないな。
 3月9日にドラマーのポンタさんが亡くなられたが、28日にプリズムのギタリスト・和田アキラさんが亡くなられた。プリズムも10代後半から20代前半に聴いていた。
 政府は今日、 新型コロナウイルス対策として大阪、兵庫、宮城の3府県に「まん延防止等重点措置」を適用することを決定した。

 この他の気になった記事を備忘録として。
ミャンマー、国軍の弾圧で死者510人に「少なくとも35人の子どもが殺され、無数の子が重傷」とユニセフ
厚労省職員23人、午前0時ごろまで送別会 時短要請中
スエズ運河、6日ぶり通航再開 事故原因「人的要因も」
琉球伝統の組踊、空手…戦前の沖縄写した165枚を発見
汚染土再利用、賛成の知事ゼロ「安全性が」「理解が…」
自民・岸田氏、敵基地攻撃能力「簡単でないが議論大事」
【動画あり】聖火リレー 大音量、マスクなしでDJ…福島の住民が憤ったスポンサーの「復興五輪」
「東京オリンピックまでもたなかったか」と話題に。公式グッズ店、50店近く閉店
【全文】金曜の官邸前デモ、9年半を経て活動休止 首都圏反原発連合がステートメント
遺骨眠る土を基地に使うな 官邸前でハンスト中 沖縄の女性が辺野古新基地計画に抗議
宮古諸島の人々は3集団で構成 災害と移住の歴史を反映

 Photo Diaryを更新。
*2010年11月4日のPhoto Diaryはこちら。(横浜ベイスターズの秋季キャンプ)
*2010年11月5日のPhoto Diaryはこちら。(ポストカードのプリント)
*2010年11月6日のPhoto Diaryはこちら。(カレー)
*2010年11月8日のPhoto Diaryはこちら
11月8日のスナップ。奄美小学校のビューグルバンド
↑8日は先月寄港したにっぽん丸が再び名瀬港に入港したので、撮影に行く。にっぽん丸はこの年3度めの寄港だそうだ。先月は伊津部小学校のさざ波バンドが演奏を披露したが、今回は奄美小学校のビューグルバンドがマーチングを披露。
*2010年11月9日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸、猫、借りてきた本)
*2010年11月11日のPhoto Diaryはこちら
11月11日のスナップ。大熊展望台からの名瀬港の夕暮れ
↑午後から朝仁の千年松を撮影した後、海岸で猫を撮影。その後、名瀬港をぐるっとまわって大熊展望台へ。太陽が山に隠れてからも刻々と変化して行く空と海の色を楽しんだ。尚、朝仁の千年松は松枯れで2018年6月28日に伐採されたそうだ。
*2010年11月12日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬漁協の競り、先月の火災現場跡)
*2010年11月13日のPhoto Diaryはこちら
11月13日のスナップ。奄美歌掛けの夕べ

↑13日は名瀬公民館で開催された「第7回 奄美歌掛けの夕べ」を聴きに行く。徳之島・井之川の夏目踊りや、ステージの築地俊造さんと客席の坪山豊さんとの歌掛けなどもあった。写真はトリを飾った秋名集落の八月踊り。

*2010年11月15日のPhoto Diaryはこちら。(やんご生誕100年記念「大やんご祭り」のオープニングイベント)
*2010年11月16日のPhoto Diaryはこちら。(錆がついた自転車の手入れ)

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