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ブログなど
木原盛夫写真展「とやま、祭り彩時季」 ゆきれぽ
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たかのたわごと 新川神社のブログ
200814木原盛男写真展高岡彩時季御旅屋セリオ5階3 42
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ミュゼふくおかカメラ館(富山県高岡市)の木原盛夫 写真展 『とやま、祭り彩時季』(~9/27)
祭りの色彩に思いをはせて  タビノイロドリ
カメラ館 フクチアンの日記
ミュゼふくおかカメラ館「とやま、祭り彩時季」へ とやまおでかけ日記

3月29日(月)

 今日の最高気温は23℃。暖房がいらないどころか、トレーナーを着ていると暑いくらいだった。
岸渡川の桜
 左の写真は部屋から撮影した、岸渡川の桜。ほぼ満開のようだが、花粉が怖くてまだ外に出られない。
 新型コロナと花粉症で人と会うことがほとんどないので、昨年末から髪の毛をきっていなかったが、今日妹にバリカンを入れてもらい少しスッキリした。
 そしてスッキリした頭で今日、61歳を迎えた。Facebookの方に、お祝いのメッセージを色々といただきありがとうございます。鶴ひろみさんもECDも、今日で61歳だ。
 ほとんど毎日パソコンに向かって現像作業をしているが、今はまた作業のBGMにiPodに入れた音楽を流している。最近ヘビーローテーションなのは朝崎郁恵さんの『うたばうたゆん』で、『うたばうたゆん 奄美島唄への旅』(毎日新聞出版)という書籍に付いていた6曲入りCD。伴奏は髙橋全さんのピアノのみ。本の中の写真は浜田康作さんだ。
 このCDをiPodに入れたのは随分と前だが、最近までほとんど聴いていなかった。せっかく奄美の写真を現像するのだからと流してみたらハマってしまった。
 You Tubeから『うたばうたゆん/朝崎郁恵』。
花富の海岸
 上の写真は、加計呂麻島の花富集落の海岸からの風景。花富は朝崎郁恵さんの生まれシマだ。この集落を訪れた2010年末で戸数44戸、人口73人の小さな村。現在は37世帯、42人にまで減ったようだ。
 この日は於斎集落にあるガジュマルの巨木を見て、伊子茂、花富と歩いた。ちなみに伊子茂はUAのお母さんの生まれシマだ。花富に着いたのが14時頃だが、加計呂麻島から瀬戸内町の古仁屋に渡るフェリーの出る瀬相行きのバスが17時17分までなく、この小さな村で3時間ほど過ごした。
 集落のアチコチに青年団が作ったというハブ棒(毒を持つ蛇、ハブが出てきたら叩く棒)が置かれ、海岸の堤防や民家の軒下には紐のようになった大根が干されていた。
 たぶん、この海岸の風景は朝崎郁恵さんが暮らしていた頃から、ほとんど変わっていないのではないだろうか。
 Photo Diaryを更新。
*2010年10月23日のPhoto Diaryはこちら
10月23日のスナップ。島口・島唄の夕べ
↑23日は奄美文化センターで開催された、第2回「島口・島唄の夕べ」を観に行く。豪雨災害の直後で島全体が大変な時だから中止かな?と思い問い合わせたところ「台風が来てもやります!」という力強い返事だった。
*2010年10月24日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港、自衛隊、朝仁海岸、猫、小宿)
*2010年10月25日のPhoto Diaryはこちら。(海水がキレイな名瀬港)
*2010年10月26日のPhoto Diaryはこちら。(夜中の火事、佐大熊、火事の跡、朝仁海岸、猫)
*2010年10月27日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーあけぼの)
*2010年10月28日のPhoto Diaryはこちら。(雨の名瀬港)
*2010年10月29日のPhoto Diaryはこちら。(台風の名瀬港)
*2010年10月30日のPhoto Diaryはこちら
10月30日のスナップ。暴雨災害でダメになった家具が廃棄された小湊の港
↑30日は台風一過。午前中は朝仁海岸に行き、翌日から横浜ベイスターズが秋季キャンプをする名瀬運動公園へまわってスーパーで買い物をして帰宅。午後は名瀬から一番近いと思われる太平洋側の集落、小湊へ。小湊からの帰り、柳町で起こった先日の火事の現場によってみる。写真は豪雨による浸水でダメになった家財道具が集められた小湊の港。
*2010年10月31日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーなみのうえ。このフェリーが後に韓国でセウォル号となる)
*201011月1日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港)
*2010年11月2日のPhoto Diaryはこちら。(前日に、災害の大きかった住用町でボランティア作業した際に使った長靴)
*2010年11月3日のPhoto Diaryはこちら
11月3日のスナップ。西郷松
↑3日は豪雨災害後、初めて自転車で遠征。名瀬から中勝、ビックツーの先を曲がって戸口へ。しばらく戸口で豪雨災害の爪跡を撮影してから国道58号に戻り大勝、浦へ。龍郷湾沿いに瀬留、久場、阿丹崎を通って西郷松の少し先まで行って帰って来た。写真は龍郷の阿丹崎に上陸した西郷隆盛が、乗船して来た福徳丸のとも綱を結びつけたと言われる西郷松。現在は枯れてしまったそうだ。

3月25日(木)

 最低気温8℃、最高気温17℃。ようやく湯たんぽを使わなくても過ごせる季節になって来た。
 今日から東京五輪の聖火リレーが始まった。花見の宴会、卒業パーティーなど個人には自粛を要求しながら、もっと感染リスクの高いオリンピックは何がなんでも開催する国。頭がおかしい。
 一昨日、河井克行元法相が2019年の参院選広島選挙区を巡る買収事件で、自身が地元議員らを買収したと認めた。この報道を受けて自民党の二階幹事長が「党としても他山の石としてしっかり対応しないといけない」とコメントし、批判を浴びた。当たり前だ、河井克行議員は昨年6月まで自民党に籍を置いていた議員であり、買収資金は自民党から流れているという疑念が抱かれている。議員辞職しても、このお金の流れはしっかり追求して欲しい。
 テレビ朝日が22日に公開した報道ステーションのCMが炎上、同社は24日にCMを取り下げた。いつまでネット上にあるかわかりませんが、そのCMがこちら
 政務活動費不正で詐欺罪に問われた富山市議・村上和久被告の判決公判が富山地裁であり、懲役1年、執行猶予4年が言い渡された

 この他の気になった記事を備忘録として。
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 Photo Diaryを更新。
*2010年10月7日のPhoto Diaryはこちら。(あかさき公園、公園からの景色、立神岩)
*2010年10月10日のPhoto Diaryはこちら。(肉どうふ、借りてきた本)
*2010年10月12日のPhoto Diaryはこちら。(戸口、大熊漁港)
*2010年10月13日のPhoto Diaryはこちら
10月13日のスナップ。にっぽん丸のお見送り
↑13日は名瀬に「にっぽん丸」が寄港。乗船客は観光バスやタクシーを使って奄美観光を楽しんだ後、夕方5時に出港。出港前に伊津部小学校の子供達による「さざ波バンド」のお見送りの演奏があった。バスガイドさんや見物に来た人も参加して輪踊りした後、紙テープを投げてお別れ。島のお見送りはドラマチック。
*2010年10月15日のPhoto Diaryはこちら。(黒糖焼酎・緋寒桜、イケダパンのレーズンクッペ)
*2010年10月16日のPhoto Diaryはこちら
10月16日のスナップ。諸鈍シバヤ
↑16日は油井の豊年踊りをご一緒した栄さん、松元さんご夫妻と加計呂麻島の諸鈍集落で行われる国の重要無形民俗文化財「諸鈍シバヤ」を見に行く。平家の落人・平資盛が地元民を招いて上演したのが始まりといわれ、会場となる大屯神社には資盛が祀られている。写真は演目の一つ、カマ踊り。

*2010年10月17日のPhoto Diaryはこちら。(奄美パークで開催された『Dancer in the Park 2010』)
*2010年10月19日のPhoto Diaryはこちら。(みかん、借りて来た本、肉どうふ)
*2010年10月20日のPhoto Diaryはこちら。(数日前から淡々と降り続いた雨による奄美豪雨が発生)
*2010年10月21日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬の商店街、猫、土砂崩れ)
*2010年10月22日のPhoto Diaryはこちら

10月22日のスナップ。近所の崖崩れ
↑夕方から夜にかけて雨が激しくなるというので、小雨の頃を見計らって買い物に。この頃は全国ネットのテレビでも奄美豪雨のニュースが流されていた。写真は家から自転車で2〜3分のところ。崖崩れで停めてあった車が少し埋まっている。

3月22日(月)

 ラ・ボエム、ゼストキャンティーナ、モンスーンカフェ。料理や店舗の撮影が多かった1990年代~2000年代前半に、グローバルダイニング (社名が長谷川実業の頃から)の展開するこれらのレストランもよく取材で伺ったし、モンスーンカフェの代官山はプライベートでもわりと利用した。
 20年ほど前は飲食企業のトップの撮影も多かったから、長谷川耕造さんも撮影しているかもしれない。
 菅首相が記者会見を開き21日で首都4都県に出されている緊急事態宣言を解除することを明らかにした18日、東京都が改正特措法に基づき営業時間短縮の命令を27店舗に出したが、そのうちの26店舗がグローバルダイニング が展開する店だった。グローバルダイニング は都の要請に従い、今後午後8時以降の営業を取りやめるという。
 しかし、グローバルダイニングが展開するお店の規模や立地だと、1店あたりの時短協力金が1日6万円ではお店がまわらないだろう。緊急事態宣言解除後も営業は午後9時までで、協力金1日4万円だという。営業時間が1時間延びても、お店の回転数は変わらないだろうから厳しさは変わらない。都は今月31日までを段階的な緩和期間としているが、都や政府の行なっている新型コロナ対策ではいつまで経っても飲食業に自粛を求めることになりそうだ。
 今回、営業時間短縮命令がグローバルダイニングに集中したのは、同社が長谷川氏の名前で都に提出した弁明書への、都からの回答なのだろう。グローバルダイニングの弁明書の内容には賛同できない部分も多数あるが、<(東京都の)努力不足の結果を、都民に対して我慢を強いることで目をそらし、ごまかそうとしているようにしか見えません>は大いに共感する。
 そして、時短命令を受けた同社は今日、この時短命令は違法だとして東京都に対して損害賠償を求める訴えを行った。訴訟のためのクラウドファンディングも起ち上がっている。要注目だな。

 元琉球新報のカメラマンで、現在フリーの報道カメラマンになられた山城博明さんの写真展「琉球の記憶 針突(ハジチ)」が、今月31日まで東京銀座の「わしたショップ本店」で開催されている。
 ハジチとは針で突いて身体に文様を刻む文身(ぶんしん)で、入れ墨のこと。但し和彫の入れ墨とも、海外のタトゥーとも異なり、その文様は幾何学的でどこかプリミティブ。ハジチをいれるのは女性で、主に手の甲や指の背だ。
 ハジチの習慣は沖縄だけではなく奄美群島にもあり、越間誠さんの写真集『奄美 二十世記の記録~シマの暮らし、忘れえぬ日々~』(南方新社)には、ハジチをいれた老婆の写真が掲載されている。
 奄美に住んでいた時に、図書館で『いれずみ(文身)の人類学/吉岡郁夫』(雄山閣出版)という本を借りたのだが、調査ではハジチは結婚との関係が深いようだ。
奄美諸島の喜界島では、最初の施術を一六、七歳のときに行い、二四、五歳までに完成させる。奄美大島では、結婚のとき、未婚のときに入れた手背の文様の周りに、ほとんど手一面に広がる輪を入れる。これは一手は実家にあるとき、一手は夫の家に行ってから施すという
 と言った例が記されている。このハジチを入れる習慣は明治の廃藩置県で、奄美群島が鹿児島県に、沖縄本島以南が沖縄県になった時に政府から法令で禁止された。具体的には奄美群島が明治9年(1876)、沖縄が明治32年(1899)に禁止令を出されている。
針突習俗は、奄美諸島、沖縄諸島、宮古・八重山諸島の三地域に大別できるように思う。元来、針突は成女儀礼として行われ、針突をしなければ結婚することができなかったが、宮古・八重山では結婚前に完成させ、奄美・沖縄諸島では結婚後に完成させた、とみることができる
 と言う記述もある。

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 Photo Diaryを更新。
*2010年9月20日のPhoto Diaryはこちら。(夕焼けとお月様)
*2010年9月21日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の夕暮れとカヌー)
*2010年9月22日のPhoto Diaryはこちら
9月22日のスナップ。油井の豊年踊り
↑22日は「奄美の自然を考える会」の観察会でご一緒した栄好和子さんに誘っていただいて、瀬戸内町・油井集落に伝わる県指定無形民俗文化財「油井豊年踊り」を見に行く。豊年踊りは午後2時からなので、栄さんの知り合いの方がいらっしゃる白浜にある彫金工房へ。工房の庭をお借りしてコンビニで買ってきたお弁当を食べる。写真は豊年踊りの演目の一つで、持ち上げているザルの中にはサンダンカ(三段花)を挿したおにぎり=力めしが入っている。
*2010年9月23日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港に入港するフェリー)
*2010年9月24日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港、競り、朝仁海岸)
*2010年9月25日のPhoto Diaryはこちら。(大熊漁港の鰹のぼりと300円の刺身)
*2010年9月26日のPhoto Diaryはこちら。(金久中学校の運動会とマグロ・アボガド・納豆丼)
*2010年9月28日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の空と海)
*2010年9月29日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の夕暮れと図書館の利用カード)
*2010年10月2日のPhoto Diaryはこちら
10月2日のスナップ。おがみ山からの風景
↑2日は久しぶりに散歩。名瀬の中心部を歩き、おがみ山まで。写真はおがみ山から名瀬の市街地を見下ろしたところ。おがみ山(うがん山)は、伊津部ノロの神山だと言われている。きっと昔はおがみ山から伊津部までのかみ道(神道)があったのだろう。各集落の後方にはおがみ山があったようなので、沖縄の御嶽にあたるものが奄美のおがみ山なのだろう。
*2010年10月5日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸を俯瞰、小宿、浜里町)
*2010年10月6日のPhoto Diaryはこちら
10月6日のスナップ。屋入峠からの風景
↑6日は名瀬港の朝焼けを撮影し、部屋でゆっくり休んでから、久しぶりに自転車で遠出。目指すは龍郷町の屋入峠。途中、島とうふ屋さんで800円のゆば春巻き定食を食べる。屋入峠にはパラグライダー用の台があり、この台から笠利方面を眺めると奄美大島の一番くびれた場所が見え、太平洋側と日本海側の2つの海が同時に見られる。写真は屋入峠からの風景。観光ガイドには太平洋と日本海が同時に見られると書いているものもあるが、多分この辺りの海は全部東シナ海だろうと思われる。東シナ海の太平洋側と日本海側という表現であっているのだろうか?屋入峠を下りて手広海岸でサーフィンの様子を見てから、龍郷の浦、大勝、中勝を通って帰宅。

3月18日(木)

 今日、菅首相が記者会見を開き、21日で首都4都県に出されている緊急事態宣言を解除することを明らかにした。今後の感染拡大を防ぐためモニタリング検査や変異株検査の拡充などを含む5つの柱を発表していたが、それらは緊急事態宣言中、あるいは宣言前から政府や都県が積極的にやらなくてはならなかったことで、何を今更としか思えない。緊急事態宣言の発令で新規感染者の数は減ったというが、それは事業者と国民の自粛と我慢という犠牲によるもので為政者の力や努力ではない。
 結局、国民の自粛と我慢に頼る緊急事態宣言では新規感染者の数が下げ止まるだろうから、いつまで続けても効果はないだろう。しかし、解除すればまた増加することは容易に想像できる。
 政府はCMなどを使って若者に向けて感染予防の情報を発信するというが、 そもそも、海外で次々に変異ウイルスが見つかっている中で海外から人を呼んでオリンピックを開催するという国のトップの能天気さでは、国民もいつまでも緊張感を保ったり我慢したりも難しい。オリンピックを中止して予算と時間を新型コロナ対策に当てるという形振り構わない宣言でもしない限り、真剣に耳を傾けることもないのではないだろうか。
 その東京五輪の開閉会式の企画・演出を統括するクリエーティブデイレクターの佐々木宏氏が、式典に出演予定だった渡辺直美さんの容姿を侮辱するような内容の演出を関係者に提案していたことがわかり、統括役を辞任した。佐々木氏の謝罪文はこちら
 ところで今日の解除宣言を前に、菅首相は昨日ぶら下がり会見を行なっていたが、記者からの質問に対し真摯に答えず「いずれにしろ」と発言した後、自分の言いたいことだけを喋っている。「いずれにしろ」という接続詞を本来の意味や使い方を無視して都合のいい魔法の言葉に変えており、安倍首相のご飯論法と同様に日本語を壊している。
 東電の柏崎刈羽原発でずさんなテロ対策が次々と発覚した問題で、原子力規制委員会の更田委員長は「知識がないのか、なめているのか」と述べたそうだが、多分両方だろうな。
 2017年に放送されたテレビ番組「ニュース女子」で名誉を傷つけられたとして市民団体「のりこえねっと」共同代表の辛淑玉(シンスゴ)氏が、制作会社DHCテレビジョンと司会の長谷川幸洋氏 に賠償を求めた訴訟の証人尋問が17日、東京地裁で行われた。訴えられた長谷川氏が「言論や報道の自由を脅かす乱訴だ」と批判したそうだが、そもそもあの番組は報道と名乗れるような番組なのかという問題がある。当の番組をネットで見たがまともな取材などしておらず、報道と名乗るのはおこがましいだろう。
 東京・町田の老舗ジーンズショップ「マルカワ本店」が、今月21日で閉店するそうだ。もう30年以上前だろうか、鶴川に住んでいた頃は、買い物といえば2駅先の町田に行っていた。マルカワでは、ジーンズだけではなくトレーナーやセーターなど、カジュアルな服をアレコレ買っていた。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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「ありえない愚策」「心肺停止に近い状態」 時短要請に「応じなかった」外食大手、東京都に訴え2700字超
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全国初、変異ウイルスの感染者2人が死亡 70代と50代男性 神奈川県

 イアン・トーマス・・・エリック・クラプトンやスティング、スティーブ・ウィンウッド、ロビー・ロバートソンなどのレコーディングやライブにも参加しているイギリスの売れっ子セッション・ドラマーだそうだ。
 ミュージシャンの名前を気にして音楽を聴くことがなくなって、イアン・トーマスの名前も知らなかったが、2016年に放送されたNHKの朝ドラ「とと姉ちゃん」で、宇多田ヒカルが歌う主題歌「花束を君に」のドラムがあまりに気持ちいいので調べたらイアン・トーマスだった。
 スネアやベードラ、フィルインなどのタイム感が絶妙で気持ちいい。

 普段からメイクしない君が薄化粧した朝
 始まりと終わりの狭間で
 忘れぬ約束した

 彼女の母親、藤圭子さんの訃報を聞いたのは石垣島のゲストハウスに流れていたTVニュース。2013年8月22日、旧盆行事の撮影に来ていた。この年は前日の21日がウークイ(送り盆)だった。
 美しい詞だけれど、この詞を書き上げるまでの彼女の心の葛藤を想像すると壮絶な詞だなとも思う。
 You Tubeから「花束を君に/宇多田ヒカル」「London Drum Show 2015でのイアン・トーマス」。

 Photo Diaryを更新。
*2010年9月8日のPhoto Diaryはこちら
9月8日のスナップ。屋鈍の海
↑8日は前日に続いて宇検村へ。7日は焼内湾の右端にある宇検へ行ったが、8日は焼内湾の左端の屋鈍へ。名瀬から宇検までがバスを乗り継いで1時間半強、屋鈍までが2時間ほどだ。写真は屋鈍の海。少し沖の方へ行くと熱帯魚が泳いでいるのが海面の上から見える。奄美大島で一番キレイな海岸かもしれない。
*2010年9月11日のPhoto Diaryはこちら。(バンシロウ。南国のフルーツ、グァバのことです)
*2010年9月12日〜13日のPhoto Diaryはこちら
9月13日のスナップ。平瀬マンカイ
↑13日は秋名集落でショチョガマと平瀬マンカイという2つのアラセツ(新節)行事が行われる。ショチョガマは早朝の5時頃に始まるので、12日の秋名行き最終バスで集落へ。懐中電灯、お菓子、パン、水筒、焼酎、そしてこの日の為にアマゾンで買っておいた寝袋を持って、野宿できそうな場所を探す。結局、海岸のコンクリート堤防の上で寝た。ショチョガマを撮影した後、一旦家に帰って仮眠して、午後にまた平瀬マンカイを撮影に秋名集落へ。写真は平瀬マンカイで、「神(カミ)ヒラセ」と呼ばれる岩に上ったノロ役の女性。
*2010年9月14日のPhoto Diaryはこちら
9月14日のスナップ。佐仁の八月踊り

↑14日は佐仁集落の八月踊りを撮影に。八月踊りが始まるまで、佐仁の海岸や集落の中をスナップして歩く。9月4日に奄美文化センターで初めて佐仁の八月踊りを見たが、少しずつテンポが早くなり声が幾重にも重なって生み出される高揚感に鳥肌がたった。

*2010年9月16日のPhoto Diaryはこちら。(朝焼け。住用町の市集落、トビラ島)
*2010年9月17日のPhoto Diaryはこちら。(初めての加計呂麻島。諸鈍集落、リリーの家)
*2010年9月19日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港の夕焼け)

3月15(月)

 晴れで、日中は14℃。サイクリング日和だが、花粉が怖くて家から出られない・・・orz。

 1972年にフォーク・グループ、赤い鳥のサポート・ミュージシャンとしてデビューして以来、現在まで常に第一線で活躍してきたドラマーの村上”ポンタ”秀一さんが、今月の9日に亡くなられたことが発表された。あまりに突然の報で、驚きしかない。
 You Tubeからポンタさんがドラムを叩いている、赤い鳥のライブ映像「翼をください」。

 給食の皿うどんを食べた小学校の児童ら7人の歯が欠けたという一昨日の朝日新聞の記事を見て、長崎でちゃんぽんを食べたお店の店頭に飾られていた食品サンプルを思い出した。
 しかし、歯が欠ける前に”食べたら危険”という判断は出来なかったのだろうか。

→長崎市内にある、ちゃんぽんのお店の食品サンプル。これを齧ったら歯が欠けるかもしれない。

皿うどんの店頭サンプル

 昨日の北日本新聞に、芦峅寺の閻魔堂で伝統行事「おんば様のお召し替え」が行われたという記事が載っていた。雪深い立山町の芦峅寺では冬の間は静かだが、春の声が聞こえる3月になると一挙に行事が増える。3月9日の「山の神の祭り」を皮きりに、13日が「おんば様のお召し替え」、14日がお涅槃団子作りで、翌15日に「涅槃会」と続く。そして21日の春彼岸に「ズズクリ(数珠繰り)」が行われる。「山の神の祭り」は女人禁制だが他の行事は女性が中心となるので、行事の多い3月は、ご婦人方は準備で忙しい。
 昨年は新型コロナの感染予防対策で、雄山神社で行われる「山の神の祭り」以外の「おんば様」「涅槃会」「ズズクリ」の3つを一日にまとめて行ったと聞いたが、今年は行事の暦通りに開催されるのだろうか。残念ながら昨年から今年に延期されていた3年に一度の「布橋灌頂会」は、早々とさらなる延期が決定されたけれど。

 2017年と2018年は、芦峅寺の年中行事と祭祀を取材するため何度も集落に通った。富山地方鉄道の電鉄富山駅から最寄駅である千垣駅まで立山線で50分前後だろうか。千垣駅から集落の中心まで町営バスが出ているが、すべての電車の到着時刻に合わせて運行しているわけではないので、緩い坂道を30分ほど歩くことも多かった。
 芦峅寺だけではなく呉東(県東部)の祭りを撮影するのに、電鉄富山駅をよく利用した。駅はエレベーターを上がったビルの2階。改札の手前右側に待合室があり、その待合室の中に「越中そば」が入っていた。
 やはり昨日の北日本新聞に、新型コロナの影響でこの「越中そば」が今月31日で開業から半世紀の歴史に幕を下ろすという記事が載っていた。電車の出発待ちの間、待合室で過ごすことも多かったが、「越中そば」は一度しか入ったことがない。
 ドアを開けるとカーブしたカウンターがあり、何席かの椅子が並んでいる。うどん屋さんというより、コーヒースタンド的な雰囲気の内装だった。頼んだのは野菜かき揚げうどん。味は少し濃いめだろうか。年配の女性が一人で切り盛りしていて、トイレにしか出られないので、籠の鳥のようだと言っていた。

越中そば

 他にお客さんも居らず少し話をしていると、この店の営業時間は朝8時から午後4時までだという。なんでも夕方に食べるお客さんが少ないので、何年も前から午後4時で閉店になったそうだ。時計を見ると4時を少し過ぎていたが、これから来るはずの常連さんを待っているのだという。食べ終わって店を出ようとすると、ホテルの清掃の仕事をしていて帰り際に食べに来るという常連の年配女性が入って来た。

 開店から半世紀にも及ぶお店には時代時代に常連さんがいて、このカウンターだけの小さなお店にも色んなドラマがあったのだろうな。
 Photo Diaryを更新。
*2010年8月25日のPhoto Diaryはこちら
8月25日のスナップ。望遠レンズで撮影した名瀬の市街地
↑25日は朝早く起きたので名瀬港で朝焼けを撮影し、そのまま朝仁海岸に行くと浜の横にある墓地にたくさん提灯が吊るされていた。24日が旧暦の盆送りで、提灯を持ってご先祖様をお墓まで送った名残のようだ。午後は以前から気になっていた道の島ループ橋へ。螺旋状になった橋を自転車を押しながら上がる。ループ橋で上がった山の上の道路をしばらく自転車で走ると、名瀬の市街地を見下ろせる場所があった。夕方、また朝仁海岸へ行き夕景を撮影。
*2010年8月26日のPhoto Diaryはこちら。(夕焼け空)
*2010年8月29日のPhoto Diaryはこちら
8月29日のスナップ。湯湾岳からの風景
↑29日は、以前バスに乗っていて声をかけられた”島のさばくり人”こと榮和朗さんに誘われて「奄美の自然を考える会」の観察会に参加。大型バスで湯湾岳、フォレストポリス、マテリヤの滝、大和ダムをまわって帰ってきた。*注意:ヒメハブ(へび)の写真があります。
*2010年8月31日のPhoto Diaryはこちら。(奄美の自然を考える会の会報誌「きょらじま」)
*2010年9月2日のPhoto Diaryはこちら。(バスと自転車で笠利方面の撮影。土盛海岸、大瀬海岸、高倉)
*2010年9月3日のPhoto Diaryはこちら。(バスと自転車で笠利方面の撮影。佐仁集落と用集落)
*2010年9月4日のPhoto Diaryはこちら。(奄美文化センターで『十五夜唄あしび』。佐仁のボレ唄と八月踊り)
*2010年9月5日のPhoto Diaryはこちら
9月5日のスナップ。敬老豊年相撲
↑5日はさばくり人さんから朝仁の公民館で敬老豊年相撲があるという情報をもらったので、スーパーへ買い物に行く途中、公民館を探して観させてもらう。
*2010年9月6日のPhoto Diaryはこちら。(バスで龍郷町の秋名集落へ。13日に行われるショチョガマと平瀬マンカイの祭場を確認。秋名から嘉渡集落、円集落へと歩く)
*2010年9月7日のPhoto Diaryはこちら。(バスで奄美大島の西側、宇検村へ。焼内湾、枝手久島、船越海水浴場)

3月12日(金)

 昨日で東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故から10年が経った。昨日の新聞のテレビ欄は「大震災」と「10年」の文字がズラズラと並んでいた。
 10年前の地震が起きた時間は、朝仁海岸で味噌汁に入れるアオサを採っていた。採り終わって自転車で家に帰り、部屋のテレビをつけると目を疑うような惨事が画面から流れて来た。エリアメールで海岸にいた時から津波情報が出ているのはわかっていたが、これほどの地震の規模とは思ってもいなかった。奄美でも一時は14,185世帯28,201人に避難勧告が出た。実際、名瀬で0.4m、小湊で1.1mの潮位を観測している。
 個人的には翌日の福島第一原発1号機が水素爆発した時が一番恐怖だったように思う。その後も3号機、2号機と爆発していき、もうこの国はダメかと思った。実際、10年経った今も燃料デブリの取り出しの方法すら見つからず廃炉のスタート地点にすら立てていないので、ダメなのだが。
 しかし、あの原発事故の恐怖を体験し、その後すべての原発が止まったにも関わらず夏の電力ピークを乗り切った実績があるのに、未だに原発に依存しようという国と電力会社の思考回路が理解できない。
 外資比率が2割を超えていたのに放送事業者としての認定を申請し、総務省から認可されていた東北新社。総務省は東北新社の子会社「東北新社メディアサービス」が持つ衛星放送事業者としての認定を一部取り消すとしているが、認可した総務省の責任はどうなるのだろうか。東北新社と総務省両方の手続き上のミスというより、これまでの経緯から考えれば接待により放送法が歪められた贈収賄案件としか思えないのだが。
 カセットテープの発明者、オランダのLou Ottens氏が3月6日(現地時間)に亡くなったそうだ。そろそろ、カセットテープというメディア自体を知らない人の方が多くなっていくかもしれないな。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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香典提供の菅原一秀前経産相は「起訴相当」 検察審査会が議決、東京地検が再捜査へ
野田聖子・高市早苗両氏がNTT側に返金。ともに「接待」は否定

アマゾンで買った写真集
 6日の夜にアマゾンのマーケットプレイスでポチった写真集『もうひとつの島の時間/山下恒夫』(冬青社)が、昨日届いた。発売元からは7日に発送し、9日か10日に到着予定という案内が来ていたが、新型コロナの影響で通販の配送が混み合っていて遅くなるのだろうか。
 この写真集を含め、山下恒夫さんの沖縄関係の写真集3冊は沖縄県立図書館で借りて見ているが、今回は250円+送料350円という格安の値段だったので迷わず購入した。
 昨年12月にセバスチャン・サルガドの『GENESIS』が1500円という信じられない安値で落札できたので、しばらくヤフオクにハマっていたが、掘り出し物の本はアマゾンのマーケットプレイスにもたくさんある。これまでで一番の掘り出し物は2015年に買った鬼海弘雄さんの写真集『東京ポートレイト』(クレヴィス)で、新品帯付きが111円(+送料257円)だった。
 どうしても欲しいという写真集はないが、お手頃な値段なら手元に置きたいと思っているのが比嘉康雄さんの写真集『母たちの神』。この写真集も沖縄県立図書館で2回借りて見ているし、あとがきの文章はコピーを取ってもらったが、もう一度じっくりと見たい。アマゾンのマーケットプレイスに2冊出ているが、現在89万8789円と151万5151円だ。
 今朝、Facebookに今日がベンチャーズの初代ベーシストでもあるギタリストのノーキー・エドワーズさんの命日だという書き込みが流れてきた。亡くなられたのが2018年だから、もう3年になる。
ノーキーさん
↑2015年10月5日、長野県白馬村にて撮影。
 Photo Diaryを更新。
*2010年8月12日のPhoto Diaryはこちら。(笠利方面のバスで用集落。奄美大島最北端の灯台へ。帰りにあやまる岬、名瀬港の夕焼け)
*2010年8月13日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港と朝仁海岸、あやまる岬とサトウキビ畑、高倉)
*2010年8月14日のPhoto Diaryはこちら
8月14日のスナップ。築地俊造さん
↑14日は奄美本通り、銀座通り、中央通り、末広通りで『商店街夏祭り2010』が開催された。写真は築地俊造さんのステージの前を自転車で横切る女子高生たち。
*2010年8月15日のPhoto Diaryはこちら。(黒糖焼酎・瑞祥、パッション・フルーツ)
*2010年8月17日のPhoto Diaryはこちら。(夕方の朝仁海岸と猫)
*2010年8月18日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港の朝焼けと虹)
*2010年8月19日のPhoto Diaryはこちら。(奄美大島に来て初めての海水浴。朝仁海岸の夕景と波)
*2010年8月21日のPhoto Diaryはこちら
8月21日のスナップ。キレイな瓶
↑21日は名瀬の中心部を七夕飾りを撮影しながら散歩。奄美の七夕はお盆に帰ってくるご先祖様が迷わず家にたどり着けるように立てる目印だという。写真は七夕を探して歩いている時に撮影したスナップ。道路側に置かれたキレイな瓶。料理に使うというより、飾りだろうか。
*2010年8月23日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港と猫。ポークランチョンミートとゴーヤチャンプルー)
*2010年8月24日のPhoto Diaryはこちら
8月24日のスナップ。ハイビスカスと蝶
↑24日は名瀬港を挟んで家の対岸にある佐大熊へ。午後からは天気が不安定になるというので午前中に出掛けたが、佐大熊の団地に着いた途端に激しい通り雨。写真は団地の中で撮影した、通り雨に濡れたハイビスカスの花にとまる蝶。

3月9日(火)

 総務省の接待問題で、接待した側である東北新社に勤める菅首相の長男・正剛氏の国会招致を野党が求めたのに対し、与党は正剛氏が民間人であることを理由に拒否した。
 先日、東北新社からの接待を受けていたことが明らかになり内閣広報官を辞職した山田真紀子氏がNTT側からも接待を受けていた疑惑について、共産党の田村智子議員が追求したが、加藤官房長官は「(山田氏が)既に退任されておりますので、当方から事実確認をする立場にない」と答弁した。

 いつから民間人ということが、国会招致をしなくてもいい理由になったのだろう。いつから在籍中の問題でも退任すれば追求されなくなったのだろう。加藤官房長官は「事実確認をする立場にない」というが、国家公務員の人事については、内閣の権限と責任の元に行われる。在籍中の問題の責任は、内閣が事実確認する立場にあるだろう。

 最近は国会中継を聞けていないのだが、安倍内閣の「もり・かけ・さくら」問題から国会での議論が恐ろしく劣化し陳腐なものになった気がする。「首相夫人は私人」を閣議決定したあたりから、この国が国会が大きく歪められた。
 今回の菅首相の長男の接待問題はもちろん追求されなくてはいけないが、「もり・かけ・さくら」問題も有耶無耶なまま幕引きさせてはいけないだろう。

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*2010年8月6日のPhoto Diaryはこちら

8月6日のスナップ。朝仁海岸でのスコール
↑6日はカメラを持って名瀬の中心街を散歩。猫多数。早めの晩ご飯を食べた後、夕涼みに朝仁海岸へ行くとスコールが。アダンの繁みに避難すると、ほとんど濡れなかった。猫がアダンの繁みにいる理由がよくわかった。
*2010年8月7日のPhoto Diaryはこちら。(道の島バスから7日間乗り放題5000円のチケットが発売になったので、瀬戸内町港まつりを見に古仁屋へ一泊二日の旅行。初日は古仁屋からホノホシ海岸へサイクリング。夕方からは古仁屋の町中で八月踊りを見る)
*2010年8月8日のPhoto Diaryはこちら
8月8日のスナップ。瀬戸内町みなと祭りの舟こぎ競争

↑8日は瀬戸内みなと祭りのメイン・イベント、舟こぎ競争。舟こぎ競争の合間に、古仁屋の町を散歩。

*2010年8月9日のPhoto Diaryはこちら。(7日間5000円のバスチケットで、住用町のマングローブ原生林へ)
*2010年8月11日のPhoto Diaryはこちら
8月11日のスナップ。今里集落
↑11日はバスで大和村方面へ。終点の今里で降りて、志戸勘、名音、大和の園、戸円と歩く、磯平パークでバスに乗り国直へ。国直で天然記念物のオカヤドカリを初めて見る。国直から最終バスで名瀬に帰り、自転車で山羊島のシーサイドホテル近くへ夕焼けの写真を撮りに行った。写真は今里の風景。夏らしくて気に入っている。

3月6日(土)

 昨日、菅首相が首都圏1都3県を対象とした新型コロナウイルス緊急事態宣言の2週間延長を正式に宣言した。1ヶ月後には事態を改善させるとして1月7日に出された緊急事態宣言だが、2月2日に宣言を延長し3月7日までとしていた。これで宣言延長は2度目だ。そして、今回2週間延長するにあたっても政府からは新型コロナ感染の具体的な予防策や逼迫している病床の改善策というのは聞こえてこない。これで2週間後に宣言解除ができるのだろうか。
 首都圏での感染者は一時に比べればずっと少なくなっているが、それは国民と事業者の自粛や我慢によってなされたものだ。本来なら、この感染者数が減って少しは余裕ができた期間に無症状の感染者を見つけるためのPCR検査を拡大実施すべきだと思うが、保健所などの業務が逼迫していることから今年の1月から東京都神奈川県も感染経路や濃厚接触者を調べる「積極的疫学調査」すら中止している。これでは国民の自粛である程度は感染者数を下げられても、下げ止まりとリバウンドは避けられないだろう。また病床率を宣言延長の理由にしていたが、新型コロナ専用の病院の建設など病床を確保する対策を国も都もなぜやらないのだろうか。それでいて、夏の東京五輪はやる気のようだ。新型コロナ対策どころか夏の暑さ対策すらできていないのに、この夏に本当にオリンピックを開催して熱中症患者が次々に出たら、どこに収容して誰が診るのか。
 イギリスやブラジル、南アフリカで確認された変異株が、国内でも20都府県に広がっている。日本は検査数もウイルスの分析数も少ないので表に出る感染者数は少ないが、変異ウイルスに感染している人も実際には多いのだろう。

 菅首相の長男が勤める放送関連会社・東北新社が外国資本の比率20%未満と規定された外資規制に違反していたにも関わらず認定が取り消されなかったことに関し、この認可の決裁者トップは東北新社から接待を受けていたことが明らかになり先日内閣広報官を辞任した山田真紀子氏だったことがわかった。当時、山田真紀子氏は総務省の情報流通政局長だったそうだ。となれば、行政が歪められた贈収賄事件ではないのか。

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 ホームページのトップ画面左上にあった、アクセスカウンターが消えている。あれ?と思ったが、そう言えば以前カウンターを借りている忍者ツールズから3月1日でカウンターの提供サービスを終了するというお知らせが来ていたのを思い出した。ホームページを作成しているDream weaverにはまだカウンターが残っており、215945となっている。このホームページを始めたのが2003年3月からなので、18年間で21万5000以上のアクセスがあった。ありがとうございます。
カウンターの数字
 しかし、よく18年間も続いているなと思う。我ながら、ちょっとビックリし感心もしている。2003年頃はこうした自分のホームページを作っているカメラマンは多かったが、だんだんブログに移行し、ブログから更にFacebookなどのSNSやYou Tubeへ移行している人が多くなったように思う。これも時代だろう。
 たぶんアクセスカウンターを他のサービス会社から借りることもできるんだろうが、もう今更付けなくてもいいかな?
「たばた」の看板
 上から読んでも下から読んでも、右から読んでも左から読んでも「たばた」。この在りそうで中々ない看板は、奄美大島の南部、瀬戸内町の古仁屋で見つけた。
 古仁屋に初めて行ったのは、奄美に住み始めて2ヶ月近く経った8月7日で、瀬戸内町みなと祭りの時だった。
 この頃、道の島バスが7日間乗り放題で5000円というチケットを発売したので、さっそく購入して1泊2日で古仁屋へ行った。
 1泊1500円の古仁屋のゲストハウスに荷物を置いて、そのまま6kmほど離れたホノホシ海岸までサイクリング。距離もさることながら山をいくつか上り下りしなければならず、加えて行きも帰りもスコールにあった。
 ホノホシ海岸から帰ってくると、古仁屋の街中で八月踊りが始まった。この時も途中から激しい雨が降り出して、予定より早くに中止となってしまった。お腹が空いたので中華料理屋でラーメンとチャーハンのセットを食べて、ゲストハウスに向かうとまた激しい雨が。ちょうど居酒屋「リッキ」の前だったので、雨宿りに焼酎を呑んでいくことにした。居酒屋「リッキ」は、歌手のRIKKIのお母さんが経営するお店。

 奄美大島に到着した日に、島でただ一人の顔見知りだった唄者・築地俊造さんを訪ねて行った時、築地さんの携帯電話でRIKKIと話し彼女から「古仁屋にも行ってね」と言われていた。
 RIKKIのCDアルバム『miss you amami』のジャケットを撮影することがなければ、奄美大島に来ることもなかっただろうから、不思議な感じだ。お店にはお母さんと、弟さんがいた。電話でRIKKIと少し話して、3杯ほど呑んで宿に帰った。

 翌日は瀬戸内みなと祭りのメイン・イベント「舟こぎ」大会が行われる。漁港の方へ撮影に行くと、身体に視線を感じる。感じた先に、競技会場でかき氷を売るRIKKIの弟さん夫婦が居た。かき氷は1杯100円で色んな種類があったが、RIKKIのお母さん手作りのジャムをトッピングするスモモのかき氷をいただいた。
 古仁屋には加計呂麻島や請島、与路島へ渡るために何度も行ったが、居酒屋「リッキ」に入ったのも、古仁屋の街中をじっくりと歩いたのも、結局この時だけだった。

 ちなみに奄美大島には田畑という名字がわりと多い。名字由来netによれば、都道府県別では鹿児島県が一番多く、その鹿児島の田畑姓のルーツは奄美だという説もあるようだ。

 Photo Diaryを更新。
*2010年7月25日のPhoto Diaryはこちら。(部屋から撮った夕暮れの名瀬港とフェリー)
*2010年7月26日のPhoto Diaryはこちら
7月26日のスナップ。エラブチ
↑26日は朝4時に目覚ましで起きて、コーヒーを2杯飲んで支度をしてから名瀬港で朝焼けの撮影。その後、せっかく早く起きたので漁協に行って競りを撮影させてもらう。写真は競りで並んでいたエラブチ。ドギツイ色彩の魚だが、見た目に反して味は淡白で美味しい。
*2010年7月27日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の朝焼けとラジオ体操)
*2010年7月28日のPhoto Diaryはこちら。(スーパーで買ったエラブチの刺身)
*2010年7月29日のPhoto Diaryはこちら
7月29日のスナップ。シマあすびの夕べ
↑29日は奄美まつりの初日。奄美文化センターで『シマあすびの夕べ』と題した島唄と郷土芸能のコンサートを見に行った。写真は最後に行われた「六調」。
*2010年7月30日のPhoto Diaryはこちら。(奄美まつり2日目は花火大会。部屋のベランダから撮影)
*2010年7月31日のPhoto Diaryはこちら
7月31日のスナップ。舟こぎ大会
↑31日は奄美まつりのメイン・イベント、舟こぎ大会。大会は午前8時から16時30分と長丁場なので、10時過ぎに会場に行って、一般部門の決勝まで観戦。夜は街の中心部で八月踊り大会。各集落の郷友会ごとに輪を作って踊るのを見てまわる。
*2010年8月1日のPhoto Diaryはこちら。(奄美まつり最終日の、パレード)
*2010年8月3日のPhoto Diaryはこちら。(おがみ山からの名瀬の夜景とドラゴンフルーツ)
*2010年8月4日のPhoto Diaryはこちら。(田中一村終焉の家と大熊漁港)

3月3日(水)

 2月は28日までしかなかったこともあって、あっという間に3月になった印象がある。家に閉じこもって写真データの現像をする毎日で、変化に乏しい日が続いているのも要因かもしれない。晴れた日にはパソコンはお休みして外を自転車で走りたいなと思うが、一昨日、スギ花粉の洗礼を受けたのでやはり3月いっぱいは家で大人しくするしかないか。
 今日は桃の節句。今年も座敷にお雛様とお雛様ではない人形も一緒に並べられている。毎年同じようだが、微妙に並べ方や位置が変わっているようだ。今年はいつもより早い、2月26日に出して飾っていた。写真は、その日に撮ったもの。お皿に盛られてお供えされているのは、牡蠣の炊き込みご飯。お雛様にはちらし寿司というイメージがあるが、26日は牡蠣の炊き込みご飯を作ったのでお供えしたようだ。ちなみに、ひな祭りの今日はにぎり寿司をお供えし、晩ご飯に家族でいただいた。

家のお雛様飾り
↑なんだか賑やかだ(笑)。
新しいトップ画面

←しばらくトップ画面を放置していましたが、3月になっても雪の写真はあんまりなので、カラフルな写真に変更しました。奄美大島・名瀬の道路脇にあった花壇に植えられていた植物。色と形に魅せられてシャッターを押した。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面
 Photo Diaryを更新。
*2010年7月17日のPhoto Diaryはこちら。(午後から中勝集落までサイクリング。夕方、朝仁海岸で納涼大会を見る)
*2010年7月19日のPhoto Diaryはこちら
7月19日のスナップ。名瀬港に入稿するフェリー
↑19日は夕方から5個100円のドーナツを買って、夕涼みに名瀬港へ。刻々と空模様が変化する奄美だが、ちょうどフェリーが名瀬港に入港してきた時、船にスポットを当てたように日が射した。
*2010年7月20日のPhoto Diaryはこちら。(乳酸飲料のスコールと黒糖焼酎のろくちょう)
*2010年7月21日のPhoto Diaryはこちら
7月21日のスナップ。大熊展望台付近から見下ろす名瀬港
↑21日は名瀬の市街地を見下ろせるおがみ山と、名瀬港を挟んで反対側にある大熊展望台へ。何度かスコールに遭いながら山から山へとサイクリング。写真は大熊展望広場の少し下あたりから撮影した名瀬港と立神岩。
*2010年7月22日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の夕暮れと波。ASIVIで歌う西和美さんなど)
*2010年7月23日のPhoto Diaryはこちら。(虹)
*2010年7月24日のPhoto Diaryはこちら
7月24日のスナップ。知名瀬のバス停
↑24日は朝仁海岸で撮影した後、自転車で山を一つ越えて知名瀬集落へ。知名瀬からトンネルをくぐって根瀬部集落へ。来た道を戻り山の頂上の方から海の方へ下って大浜海浜公園へ。写真は根瀬部入口のバス停。コンクリート製だが、なんだか雰囲気がある。

2月へ