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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 ◯製作中の2011~2014 Photo Diary |
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◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭 2022年8月22日〜8月27日 式年遷宮祭 |
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*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 *富山の祭り *築山行事 *とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *山の民の祈り *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 *五箇山の獅子舞の起源 *道祖神 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 ◯与論島の洗骨儀礼 |
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◯富山県 新型コロナウイルス感染症について http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U ◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/ ◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html ◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/ ○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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メディア関連 ブログなど |
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今日の最高気温は23℃。暖房がいらないどころか、トレーナーを着ていると暑いくらいだった。 | ||
左の写真は部屋から撮影した、岸渡川の桜。ほぼ満開のようだが、花粉が怖くてまだ外に出られない。 新型コロナと花粉症で人と会うことがほとんどないので、昨年末から髪の毛をきっていなかったが、今日妹にバリカンを入れてもらい少しスッキリした。 そしてスッキリした頭で今日、61歳を迎えた。Facebookの方に、お祝いのメッセージを色々といただきありがとうございます。鶴ひろみさんもECDも、今日で61歳だ。 |
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ほとんど毎日パソコンに向かって現像作業をしているが、今はまた作業のBGMにiPodに入れた音楽を流している。最近ヘビーローテーションなのは朝崎郁恵さんの『うたばうたゆん』で、『うたばうたゆん 奄美島唄への旅』(毎日新聞出版)という書籍に付いていた6曲入りCD。伴奏は髙橋全さんのピアノのみ。本の中の写真は浜田康作さんだ。 このCDをiPodに入れたのは随分と前だが、最近までほとんど聴いていなかった。せっかく奄美の写真を現像するのだからと流してみたらハマってしまった。 You Tubeから『うたばうたゆん/朝崎郁恵』。 |
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上の写真は、加計呂麻島の花富集落の海岸からの風景。花富は朝崎郁恵さんの生まれシマだ。この集落を訪れた2010年末で戸数44戸、人口73人の小さな村。現在は37世帯、42人にまで減ったようだ。 この日は於斎集落にあるガジュマルの巨木を見て、伊子茂、花富と歩いた。ちなみに伊子茂はUAのお母さんの生まれシマだ。花富に着いたのが14時頃だが、加計呂麻島から瀬戸内町の古仁屋に渡るフェリーの出る瀬相行きのバスが17時17分までなく、この小さな村で3時間ほど過ごした。 集落のアチコチに青年団が作ったというハブ棒(毒を持つ蛇、ハブが出てきたら叩く棒)が置かれ、海岸の堤防や民家の軒下には紐のようになった大根が干されていた。 たぶん、この海岸の風景は朝崎郁恵さんが暮らしていた頃から、ほとんど変わっていないのではないだろうか。 |
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Photo Diaryを更新。 *2010年10月23日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑23日は奄美文化センターで開催された、第2回「島口・島唄の夕べ」を観に行く。豪雨災害の直後で島全体が大変な時だから中止かな?と思い問い合わせたところ「台風が来てもやります!」という力強い返事だった。 | ||
*2010年10月24日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港、自衛隊、朝仁海岸、猫、小宿) *2010年10月25日のPhoto Diaryはこちら。(海水がキレイな名瀬港) *2010年10月26日のPhoto Diaryはこちら。(夜中の火事、佐大熊、火事の跡、朝仁海岸、猫) *2010年10月27日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーあけぼの) *2010年10月28日のPhoto Diaryはこちら。(雨の名瀬港) *2010年10月29日のPhoto Diaryはこちら。(台風の名瀬港) *2010年10月30日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑30日は台風一過。午前中は朝仁海岸に行き、翌日から横浜ベイスターズが秋季キャンプをする名瀬運動公園へまわってスーパーで買い物をして帰宅。午後は名瀬から一番近いと思われる太平洋側の集落、小湊へ。小湊からの帰り、柳町で起こった先日の火事の現場によってみる。写真は豪雨による浸水でダメになった家財道具が集められた小湊の港。 | ||
*2010年10月31日のPhoto Diaryはこちら。(フェリーなみのうえ。このフェリーが後に韓国でセウォル号となる) *201011月1日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港) *2010年11月2日のPhoto Diaryはこちら。(前日に、災害の大きかった住用町でボランティア作業した際に使った長靴) *2010年11月3日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑3日は豪雨災害後、初めて自転車で遠征。名瀬から中勝、ビックツーの先を曲がって戸口へ。しばらく戸口で豪雨災害の爪跡を撮影してから国道58号に戻り大勝、浦へ。龍郷湾沿いに瀬留、久場、阿丹崎を通って西郷松の少し先まで行って帰って来た。写真は龍郷の阿丹崎に上陸した西郷隆盛が、乗船して来た福徳丸のとも綱を結びつけたと言われる西郷松。現在は枯れてしまったそうだ。 | ||
最低気温8℃、最高気温17℃。ようやく湯たんぽを使わなくても過ごせる季節になって来た。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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Photo Diaryを更新。 *2010年10月7日のPhoto Diaryはこちら。(あかさき公園、公園からの景色、立神岩) *2010年10月10日のPhoto Diaryはこちら。(肉どうふ、借りてきた本) *2010年10月12日のPhoto Diaryはこちら。(戸口、大熊漁港) *2010年10月13日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑13日は名瀬に「にっぽん丸」が寄港。乗船客は観光バスやタクシーを使って奄美観光を楽しんだ後、夕方5時に出港。出港前に伊津部小学校の子供達による「さざ波バンド」のお見送りの演奏があった。バスガイドさんや見物に来た人も参加して輪踊りした後、紙テープを投げてお別れ。島のお見送りはドラマチック。 | ||
*2010年10月15日のPhoto Diaryはこちら。(黒糖焼酎・緋寒桜、イケダパンのレーズンクッペ) *2010年10月16日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑16日は油井の豊年踊りをご一緒した栄さん、松元さんご夫妻と加計呂麻島の諸鈍集落で行われる国の重要無形民俗文化財「諸鈍シバヤ」を見に行く。平家の落人・平資盛が地元民を招いて上演したのが始まりといわれ、会場となる大屯神社には資盛が祀られている。写真は演目の一つ、カマ踊り。 | ||
*2010年10月17日のPhoto Diaryはこちら。(奄美パークで開催された『Dancer in the Park 2010』) |
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↑夕方から夜にかけて雨が激しくなるというので、小雨の頃を見計らって買い物に。この頃は全国ネットのテレビでも奄美豪雨のニュースが流されていた。写真は家から自転車で2〜3分のところ。崖崩れで停めてあった車が少し埋まっている。 | ||
ラ・ボエム、ゼストキャンティーナ、モンスーンカフェ。料理や店舗の撮影が多かった1990年代~2000年代前半に、グローバルダイニング (社名が長谷川実業の頃から)の展開するこれらのレストランもよく取材で伺ったし、モンスーンカフェの代官山はプライベートでもわりと利用した。 元琉球新報のカメラマンで、現在フリーの報道カメラマンになられた山城博明さんの写真展「琉球の記憶 針突(ハジチ)」が、今月31日まで東京銀座の「わしたショップ本店」で開催されている。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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Photo Diaryを更新。 *2010年9月20日のPhoto Diaryはこちら。(夕焼けとお月様) *2010年9月21日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の夕暮れとカヌー) *2010年9月22日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑22日は「奄美の自然を考える会」の観察会でご一緒した栄好和子さんに誘っていただいて、瀬戸内町・油井集落に伝わる県指定無形民俗文化財「油井豊年踊り」を見に行く。豊年踊りは午後2時からなので、栄さんの知り合いの方がいらっしゃる白浜にある彫金工房へ。工房の庭をお借りしてコンビニで買ってきたお弁当を食べる。写真は豊年踊りの演目の一つで、持ち上げているザルの中にはサンダンカ(三段花)を挿したおにぎり=力めしが入っている。 | ||
*2010年9月23日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港に入港するフェリー) *2010年9月24日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港、競り、朝仁海岸) *2010年9月25日のPhoto Diaryはこちら。(大熊漁港の鰹のぼりと300円の刺身) *2010年9月26日のPhoto Diaryはこちら。(金久中学校の運動会とマグロ・アボガド・納豆丼) *2010年9月28日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の空と海) *2010年9月29日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の夕暮れと図書館の利用カード) *2010年10月2日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑2日は久しぶりに散歩。名瀬の中心部を歩き、おがみ山まで。写真はおがみ山から名瀬の市街地を見下ろしたところ。おがみ山(うがん山)は、伊津部ノロの神山だと言われている。きっと昔はおがみ山から伊津部までのかみ道(神道)があったのだろう。各集落の後方にはおがみ山があったようなので、沖縄の御嶽にあたるものが奄美のおがみ山なのだろう。 | ||
*2010年10月5日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸を俯瞰、小宿、浜里町) *2010年10月6日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑6日は名瀬港の朝焼けを撮影し、部屋でゆっくり休んでから、久しぶりに自転車で遠出。目指すは龍郷町の屋入峠。途中、島とうふ屋さんで800円のゆば春巻き定食を食べる。屋入峠にはパラグライダー用の台があり、この台から笠利方面を眺めると奄美大島の一番くびれた場所が見え、太平洋側と日本海側の2つの海が同時に見られる。写真は屋入峠からの風景。観光ガイドには太平洋と日本海が同時に見られると書いているものもあるが、多分この辺りの海は全部東シナ海だろうと思われる。東シナ海の太平洋側と日本海側という表現であっているのだろうか?屋入峠を下りて手広海岸でサーフィンの様子を見てから、龍郷の浦、大勝、中勝を通って帰宅。 | ||
今日、菅首相が記者会見を開き、21日で首都4都県に出されている緊急事態宣言を解除することを明らかにした。今後の感染拡大を防ぐためモニタリング検査や変異株検査の拡充などを含む5つの柱を発表していたが、それらは緊急事態宣言中、あるいは宣言前から政府や都県が積極的にやらなくてはならなかったことで、何を今更としか思えない。緊急事態宣言の発令で新規感染者の数は減ったというが、それは事業者と国民の自粛と我慢という犠牲によるもので為政者の力や努力ではない。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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イアン・トーマス・・・エリック・クラプトンやスティング、スティーブ・ウィンウッド、ロビー・ロバートソンなどのレコーディングやライブにも参加しているイギリスの売れっ子セッション・ドラマーだそうだ。 普段からメイクしない君が薄化粧した朝 彼女の母親、藤圭子さんの訃報を聞いたのは石垣島のゲストハウスに流れていたTVニュース。2013年8月22日、旧盆行事の撮影に来ていた。この年は前日の21日がウークイ(送り盆)だった。 |
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Photo Diaryを更新。 *2010年9月8日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑8日は前日に続いて宇検村へ。7日は焼内湾の右端にある宇検へ行ったが、8日は焼内湾の左端の屋鈍へ。名瀬から宇検までがバスを乗り継いで1時間半強、屋鈍までが2時間ほどだ。写真は屋鈍の海。少し沖の方へ行くと熱帯魚が泳いでいるのが海面の上から見える。奄美大島で一番キレイな海岸かもしれない。 | ||
*2010年9月11日のPhoto Diaryはこちら。(バンシロウ。南国のフルーツ、グァバのことです) *2010年9月12日〜13日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑13日は秋名集落でショチョガマと平瀬マンカイという2つのアラセツ(新節)行事が行われる。ショチョガマは早朝の5時頃に始まるので、12日の秋名行き最終バスで集落へ。懐中電灯、お菓子、パン、水筒、焼酎、そしてこの日の為にアマゾンで買っておいた寝袋を持って、野宿できそうな場所を探す。結局、海岸のコンクリート堤防の上で寝た。ショチョガマを撮影した後、一旦家に帰って仮眠して、午後にまた平瀬マンカイを撮影に秋名集落へ。写真は平瀬マンカイで、「神(カミ)ヒラセ」と呼ばれる岩に上ったノロ役の女性。 | ||
*2010年9月14日のPhoto Diaryはこちら。 | ||
↑14日は佐仁集落の八月踊りを撮影に。八月踊りが始まるまで、佐仁の海岸や集落の中をスナップして歩く。9月4日に奄美文化センターで初めて佐仁の八月踊りを見たが、少しずつテンポが早くなり声が幾重にも重なって生み出される高揚感に鳥肌がたった。 |
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*2010年9月16日のPhoto Diaryはこちら。(朝焼け。住用町の市集落、トビラ島) *2010年9月17日のPhoto Diaryはこちら。(初めての加計呂麻島。諸鈍集落、リリーの家) *2010年9月19日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港の夕焼け) |
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晴れで、日中は14℃。サイクリング日和だが、花粉が怖くて家から出られない・・・orz。 | ||
1972年にフォーク・グループ、赤い鳥のサポート・ミュージシャンとしてデビューして以来、現在まで常に第一線で活躍してきたドラマーの村上”ポンタ”秀一さんが、今月の9日に亡くなられたことが発表された。あまりに突然の報で、驚きしかない。 給食の皿うどんを食べた小学校の児童ら7人の歯が欠けたという一昨日の朝日新聞の記事を見て、長崎でちゃんぽんを食べたお店の店頭に飾られていた食品サンプルを思い出した。 →長崎市内にある、ちゃんぽんのお店の食品サンプル。これを齧ったら歯が欠けるかもしれない。 |
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昨日の北日本新聞に、芦峅寺の閻魔堂で伝統行事「おんば様のお召し替え」が行われたという記事が載っていた。雪深い立山町の芦峅寺では冬の間は静かだが、春の声が聞こえる3月になると一挙に行事が増える。3月9日の「山の神の祭り」を皮きりに、13日が「おんば様のお召し替え」、14日がお涅槃団子作りで、翌15日に「涅槃会」と続く。そして21日の春彼岸に「ズズクリ(数珠繰り)」が行われる。「山の神の祭り」は女人禁制だが他の行事は女性が中心となるので、行事の多い3月は、ご婦人方は準備で忙しい。 2017年と2018年は、芦峅寺の年中行事と祭祀を取材するため何度も集落に通った。富山地方鉄道の電鉄富山駅から最寄駅である千垣駅まで立山線で50分前後だろうか。千垣駅から集落の中心まで町営バスが出ているが、すべての電車の到着時刻に合わせて運行しているわけではないので、緩い坂道を30分ほど歩くことも多かった。 |
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他にお客さんも居らず少し話をしていると、この店の営業時間は朝8時から午後4時までだという。なんでも夕方に食べるお客さんが少ないので、何年も前から午後4時で閉店になったそうだ。時計を見ると4時を少し過ぎていたが、これから来るはずの常連さんを待っているのだという。食べ終わって店を出ようとすると、ホテルの清掃の仕事をしていて帰り際に食べに来るという常連の年配女性が入って来た。 |
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開店から半世紀にも及ぶお店には時代時代に常連さんがいて、このカウンターだけの小さなお店にも色んなドラマがあったのだろうな。 | ||
Photo Diaryを更新。 *2010年8月25日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑25日は朝早く起きたので名瀬港で朝焼けを撮影し、そのまま朝仁海岸に行くと浜の横にある墓地にたくさん提灯が吊るされていた。24日が旧暦の盆送りで、提灯を持ってご先祖様をお墓まで送った名残のようだ。午後は以前から気になっていた道の島ループ橋へ。螺旋状になった橋を自転車を押しながら上がる。ループ橋で上がった山の上の道路をしばらく自転車で走ると、名瀬の市街地を見下ろせる場所があった。夕方、また朝仁海岸へ行き夕景を撮影。 | ||
*2010年8月26日のPhoto Diaryはこちら。(夕焼け空) *2010年8月29日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑29日は、以前バスに乗っていて声をかけられた”島のさばくり人”こと榮和朗さんに誘われて「奄美の自然を考える会」の観察会に参加。大型バスで湯湾岳、フォレストポリス、マテリヤの滝、大和ダムをまわって帰ってきた。*注意:ヒメハブ(へび)の写真があります。 | ||
*2010年8月31日のPhoto Diaryはこちら。(奄美の自然を考える会の会報誌「きょらじま」) *2010年9月2日のPhoto Diaryはこちら。(バスと自転車で笠利方面の撮影。土盛海岸、大瀬海岸、高倉) *2010年9月3日のPhoto Diaryはこちら。(バスと自転車で笠利方面の撮影。佐仁集落と用集落) *2010年9月4日のPhoto Diaryはこちら。(奄美文化センターで『十五夜唄あしび』。佐仁のボレ唄と八月踊り) *2010年9月5日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑5日はさばくり人さんから朝仁の公民館で敬老豊年相撲があるという情報をもらったので、スーパーへ買い物に行く途中、公民館を探して観させてもらう。 | ||
*2010年9月6日のPhoto Diaryはこちら。(バスで龍郷町の秋名集落へ。13日に行われるショチョガマと平瀬マンカイの祭場を確認。秋名から嘉渡集落、円集落へと歩く) *2010年9月7日のPhoto Diaryはこちら。(バスで奄美大島の西側、宇検村へ。焼内湾、枝手久島、船越海水浴場) |
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昨日で東日本大震災と、それに伴う福島第一原発事故から10年が経った。昨日の新聞のテレビ欄は「大震災」と「10年」の文字がズラズラと並んでいた。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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6日の夜にアマゾンのマーケットプレイスでポチった写真集『もうひとつの島の時間/山下恒夫』(冬青社)が、昨日届いた。発売元からは7日に発送し、9日か10日に到着予定という案内が来ていたが、新型コロナの影響で通販の配送が混み合っていて遅くなるのだろうか。 この写真集を含め、山下恒夫さんの沖縄関係の写真集3冊は沖縄県立図書館で借りて見ているが、今回は250円+送料350円という格安の値段だったので迷わず購入した。 |
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昨年12月にセバスチャン・サルガドの『GENESIS』が1500円という信じられない安値で落札できたので、しばらくヤフオクにハマっていたが、掘り出し物の本はアマゾンのマーケットプレイスにもたくさんある。これまでで一番の掘り出し物は2015年に買った鬼海弘雄さんの写真集『東京ポートレイト』(クレヴィス)で、新品帯付きが111円(+送料257円)だった。 どうしても欲しいという写真集はないが、お手頃な値段なら手元に置きたいと思っているのが比嘉康雄さんの写真集『母たちの神』。この写真集も沖縄県立図書館で2回借りて見ているし、あとがきの文章はコピーを取ってもらったが、もう一度じっくりと見たい。アマゾンのマーケットプレイスに2冊出ているが、現在89万8789円と151万5151円だ。 |
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今朝、Facebookに今日がベンチャーズの初代ベーシストでもあるギタリストのノーキー・エドワーズさんの命日だという書き込みが流れてきた。亡くなられたのが2018年だから、もう3年になる。 | ||
↑2015年10月5日、長野県白馬村にて撮影。 |
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Photo Diaryを更新。 *2010年8月12日のPhoto Diaryはこちら。(笠利方面のバスで用集落。奄美大島最北端の灯台へ。帰りにあやまる岬、名瀬港の夕焼け) *2010年8月13日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港と朝仁海岸、あやまる岬とサトウキビ畑、高倉) *2010年8月14日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑14日は奄美本通り、銀座通り、中央通り、末広通りで『商店街夏祭り2010』が開催された。写真は築地俊造さんのステージの前を自転車で横切る女子高生たち。 | ||
*2010年8月15日のPhoto Diaryはこちら。(黒糖焼酎・瑞祥、パッション・フルーツ) *2010年8月17日のPhoto Diaryはこちら。(夕方の朝仁海岸と猫) *2010年8月18日のPhoto Diaryはこちら。(名瀬港の朝焼けと虹) *2010年8月19日のPhoto Diaryはこちら。(奄美大島に来て初めての海水浴。朝仁海岸の夕景と波) *2010年8月21日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑21日は名瀬の中心部を七夕飾りを撮影しながら散歩。奄美の七夕はお盆に帰ってくるご先祖様が迷わず家にたどり着けるように立てる目印だという。写真は七夕を探して歩いている時に撮影したスナップ。道路側に置かれたキレイな瓶。料理に使うというより、飾りだろうか。 | ||
*2010年8月23日のPhoto Diaryはこちら。(早朝の名瀬港と猫。ポークランチョンミートとゴーヤチャンプルー) *2010年8月24日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑24日は名瀬港を挟んで家の対岸にある佐大熊へ。午後からは天気が不安定になるというので午前中に出掛けたが、佐大熊の団地に着いた途端に激しい通り雨。写真は団地の中で撮影した、通り雨に濡れたハイビスカスの花にとまる蝶。 | ||
総務省の接待問題で、接待した側である東北新社に勤める菅首相の長男・正剛氏の国会招致を野党が求めたのに対し、与党は正剛氏が民間人であることを理由に拒否した。 いつから民間人ということが、国会招致をしなくてもいい理由になったのだろう。いつから在籍中の問題でも退任すれば追求されなくなったのだろう。加藤官房長官は「事実確認をする立場にない」というが、国家公務員の人事については、内閣の権限と責任の元に行われる。在籍中の問題の責任は、内閣が事実確認する立場にあるだろう。 最近は国会中継を聞けていないのだが、安倍内閣の「もり・かけ・さくら」問題から国会での議論が恐ろしく劣化し陳腐なものになった気がする。「首相夫人は私人」を閣議決定したあたりから、この国が国会が大きく歪められた。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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Photo Diaryを更新。 |
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↑6日はカメラを持って名瀬の中心街を散歩。猫多数。早めの晩ご飯を食べた後、夕涼みに朝仁海岸へ行くとスコールが。アダンの繁みに避難すると、ほとんど濡れなかった。猫がアダンの繁みにいる理由がよくわかった。 | ||
*2010年8月7日のPhoto Diaryはこちら。(道の島バスから7日間乗り放題5000円のチケットが発売になったので、瀬戸内町港まつりを見に古仁屋へ一泊二日の旅行。初日は古仁屋からホノホシ海岸へサイクリング。夕方からは古仁屋の町中で八月踊りを見る) *2010年8月8日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑8日は瀬戸内みなと祭りのメイン・イベント、舟こぎ競争。舟こぎ競争の合間に、古仁屋の町を散歩。 |
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*2010年8月9日のPhoto Diaryはこちら。(7日間5000円のバスチケットで、住用町のマングローブ原生林へ) *2010年8月11日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑11日はバスで大和村方面へ。終点の今里で降りて、志戸勘、名音、大和の園、戸円と歩く、磯平パークでバスに乗り国直へ。国直で天然記念物のオカヤドカリを初めて見る。国直から最終バスで名瀬に帰り、自転車で山羊島のシーサイドホテル近くへ夕焼けの写真を撮りに行った。写真は今里の風景。夏らしくて気に入っている。 | ||
昨日、菅首相が首都圏1都3県を対象とした新型コロナウイルス緊急事態宣言の2週間延長を正式に宣言した。1ヶ月後には事態を改善させるとして1月7日に出された緊急事態宣言だが、2月2日に宣言を延長し3月7日までとしていた。これで宣言延長は2度目だ。そして、今回2週間延長するにあたっても政府からは新型コロナ感染の具体的な予防策や逼迫している病床の改善策というのは聞こえてこない。これで2週間後に宣言解除ができるのだろうか。 菅首相の長男が勤める放送関連会社・東北新社が外国資本の比率20%未満と規定された外資規制に違反していたにも関わらず認定が取り消されなかったことに関し、この認可の決裁者トップは東北新社から接待を受けていたことが明らかになり先日内閣広報官を辞任した山田真紀子氏だったことがわかった。当時、山田真紀子氏は総務省の情報流通政局長だったそうだ。となれば、行政が歪められた贈収賄事件ではないのか。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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ホームページのトップ画面左上にあった、アクセスカウンターが消えている。あれ?と思ったが、そう言えば以前カウンターを借りている忍者ツールズから3月1日でカウンターの提供サービスを終了するというお知らせが来ていたのを思い出した。ホームページを作成しているDream weaverにはまだカウンターが残っており、215945となっている。このホームページを始めたのが2003年3月からなので、18年間で21万5000以上のアクセスがあった。ありがとうございます。 | ||
しかし、よく18年間も続いているなと思う。我ながら、ちょっとビックリし感心もしている。2003年頃はこうした自分のホームページを作っているカメラマンは多かったが、だんだんブログに移行し、ブログから更にFacebookなどのSNSやYou Tubeへ移行している人が多くなったように思う。これも時代だろう。 たぶんアクセスカウンターを他のサービス会社から借りることもできるんだろうが、もう今更付けなくてもいいかな? |
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上から読んでも下から読んでも、右から読んでも左から読んでも「たばた」。この在りそうで中々ない看板は、奄美大島の南部、瀬戸内町の古仁屋で見つけた。 古仁屋に初めて行ったのは、奄美に住み始めて2ヶ月近く経った8月7日で、瀬戸内町みなと祭りの時だった。 この頃、道の島バスが7日間乗り放題で5000円というチケットを発売したので、さっそく購入して1泊2日で古仁屋へ行った。 1泊1500円の古仁屋のゲストハウスに荷物を置いて、そのまま6kmほど離れたホノホシ海岸までサイクリング。距離もさることながら山をいくつか上り下りしなければならず、加えて行きも帰りもスコールにあった。 ホノホシ海岸から帰ってくると、古仁屋の街中で八月踊りが始まった。この時も途中から激しい雨が降り出して、予定より早くに中止となってしまった。お腹が空いたので中華料理屋でラーメンとチャーハンのセットを食べて、ゲストハウスに向かうとまた激しい雨が。ちょうど居酒屋「リッキ」の前だったので、雨宿りに焼酎を呑んでいくことにした。居酒屋「リッキ」は、歌手のRIKKIのお母さんが経営するお店。 |
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奄美大島に到着した日に、島でただ一人の顔見知りだった唄者・築地俊造さんを訪ねて行った時、築地さんの携帯電話でRIKKIと話し彼女から「古仁屋にも行ってね」と言われていた。 翌日は瀬戸内みなと祭りのメイン・イベント「舟こぎ」大会が行われる。漁港の方へ撮影に行くと、身体に視線を感じる。感じた先に、競技会場でかき氷を売るRIKKIの弟さん夫婦が居た。かき氷は1杯100円で色んな種類があったが、RIKKIのお母さん手作りのジャムをトッピングするスモモのかき氷をいただいた。 ちなみに奄美大島には田畑という名字がわりと多い。名字由来netによれば、都道府県別では鹿児島県が一番多く、その鹿児島の田畑姓のルーツは奄美だという説もあるようだ。 |
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Photo Diaryを更新。 *2010年7月25日のPhoto Diaryはこちら。(部屋から撮った夕暮れの名瀬港とフェリー) *2010年7月26日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑26日は朝4時に目覚ましで起きて、コーヒーを2杯飲んで支度をしてから名瀬港で朝焼けの撮影。その後、せっかく早く起きたので漁協に行って競りを撮影させてもらう。写真は競りで並んでいたエラブチ。ドギツイ色彩の魚だが、見た目に反して味は淡白で美味しい。 | ||
*2010年7月27日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の朝焼けとラジオ体操) *2010年7月28日のPhoto Diaryはこちら。(スーパーで買ったエラブチの刺身) *2010年7月29日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑29日は奄美まつりの初日。奄美文化センターで『シマあすびの夕べ』と題した島唄と郷土芸能のコンサートを見に行った。写真は最後に行われた「六調」。 | ||
*2010年7月30日のPhoto Diaryはこちら。(奄美まつり2日目は花火大会。部屋のベランダから撮影) *2010年7月31日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑31日は奄美まつりのメイン・イベント、舟こぎ大会。大会は午前8時から16時30分と長丁場なので、10時過ぎに会場に行って、一般部門の決勝まで観戦。夜は街の中心部で八月踊り大会。各集落の郷友会ごとに輪を作って踊るのを見てまわる。 | ||
*2010年8月1日のPhoto Diaryはこちら。(奄美まつり最終日の、パレード) *2010年8月3日のPhoto Diaryはこちら。(おがみ山からの名瀬の夜景とドラゴンフルーツ) *2010年8月4日のPhoto Diaryはこちら。(田中一村終焉の家と大熊漁港) |
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2月は28日までしかなかったこともあって、あっという間に3月になった印象がある。家に閉じこもって写真データの現像をする毎日で、変化に乏しい日が続いているのも要因かもしれない。晴れた日にはパソコンはお休みして外を自転車で走りたいなと思うが、一昨日、スギ花粉の洗礼を受けたのでやはり3月いっぱいは家で大人しくするしかないか。 |
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↑なんだか賑やかだ(笑)。 |
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←しばらくトップ画面を放置していましたが、3月になっても雪の写真はあんまりなので、カラフルな写真に変更しました。奄美大島・名瀬の道路脇にあった花壇に植えられていた植物。色と形に魅せられてシャッターを押した。 ↓これまでのトップ画面。 |
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Photo Diaryを更新。 *2010年7月17日のPhoto Diaryはこちら。(午後から中勝集落までサイクリング。夕方、朝仁海岸で納涼大会を見る) *2010年7月19日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑19日は夕方から5個100円のドーナツを買って、夕涼みに名瀬港へ。刻々と空模様が変化する奄美だが、ちょうどフェリーが名瀬港に入港してきた時、船にスポットを当てたように日が射した。 | ||
*2010年7月20日のPhoto Diaryはこちら。(乳酸飲料のスコールと黒糖焼酎のろくちょう) *2010年7月21日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑21日は名瀬の市街地を見下ろせるおがみ山と、名瀬港を挟んで反対側にある大熊展望台へ。何度かスコールに遭いながら山から山へとサイクリング。写真は大熊展望広場の少し下あたりから撮影した名瀬港と立神岩。 | ||
*2010年7月22日のPhoto Diaryはこちら。(朝仁海岸の夕暮れと波。ASIVIで歌う西和美さんなど) *2010年7月23日のPhoto Diaryはこちら。(虹) *2010年7月24日のPhoto Diaryはこちら。 |
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↑24日は朝仁海岸で撮影した後、自転車で山を一つ越えて知名瀬集落へ。知名瀬からトンネルをくぐって根瀬部集落へ。来た道を戻り山の頂上の方から海の方へ下って大浜海浜公園へ。写真は根瀬部入口のバス停。コンクリート製だが、なんだか雰囲気がある。 | ||
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