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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表
2020年カレンダー

5月3日 越中八尾曳山祭
6月1日、7月1日 東泉寺 ひとつやいと 記事
7月1日 上市町 日石寺 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
8月19日、9月15日 鷹栖(宮木嶋)の獅子舞(金蔵獅子)
9月第1日曜日 砺波 狐島西の獅子舞(金蔵獅子)
10月? 白川郷 どぶろく祭り
10月? 利賀の山祭り(石かち)
10月15日に近い日曜日 朝日町境の獅子舞
10月最終土曜日 砺波 東石丸北部の獅子舞(金蔵獅子) 

◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月
*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
道祖神
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
◯富山県 新型コロナウイルス感染症について 
http://www.pref.toyama.jp/cms_sec/1205/kj00021629.html?fbclid=IwAR1Z5J0FxdUdIrb0KWEPHX-VTzevMn1SYkafoJbL0IrfRBBnTG5k0vO_t1U
◯都内の最新感染動向 https://stopcovid19.metro.tokyo.lg.jp/
◯山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信 https://www.covid19-yamanaka.com/index.html
◯新型コロナウイルス感染速報 https://covid-2019.live/
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

5月30日(土)

 50歳になったのを機に人生の中休みのつもりで奄美大島に向かったのは、10年前の今日だった。とりあえず島に着いたら部屋を借りて1年ぐらい住むつもりだった。
 昼前に家を出て、先ずは特急で京都に向かった。京都で新幹線に乗り換えて一気に鹿児島まで行ってしまえば、翌日の夜には奄美大島に着くが、京都、大阪、神戸、尾道、広島、下関、博多、長崎、熊本、鹿児島と寄り道したので島に着くまで半月程もかかった。
 宿泊先や電車の乗り継ぎは、前日や当日行き当たりばったりにiモードで調べた。奄美行きのために生まれて初めて携帯電話を持ったが、こんなに便利なものかと少し感動した。今は携帯でネットを見ないのでiモードは解約してしまったが。

 奄美大島で1年のつもりが、奄美群島の島々に足を伸ばしたくなったので滞在は2年になった。2年住むうちに琉球の祭祀や文化に興味がわいて、奄美大島から沖縄へ移り住んだ。
 那覇の真ん中に部屋を借り、そこを拠点に琉球弧に残る祭祀や芸能を追いかけて宮古、八重山諸島へも旅をした。
 また、那覇に滞在した2012年の夏から2014年夏はオスプレイの配備が始まり、高江のヘリパッド建設が強行され、辺野古の埋め立てが承認された激動の時期で、祭祀を追いかけながらもデモの様子を撮影に出かけていた。

 奄美大島に1年の予定が、4年の旅になった。もう仕事でたくさん写真を撮ってきたから、奄美へ行って写真を撮りたくなかったら、そのまま写真を撮ることをやめてもいいかなと思っていたけれど、結局仕事をしていた時よりもカメラを使うことになった。
 ほぼ自分の興味のあることしかしない4年間で、毎日遊んでいたような気もするが、どこか留学していたような気分でもある。図書館に通ってあんなに本を読んだのは初めてだと思う。

 いつまでも旅を続けたい気持ちに折り合いをつけて富山に戻り、もう直ぐ6年になる。この5年間ほどは富山の祭りや年中行事を追いかけて、県の右端から左端まで、漁師町から標高3000メートルの山まで出かけて行った。県外に出かけることはほとんどないが、どこか旅をしている気分のままだ。
 この5年間ほどで取材撮影したものを、そろそろいくつかの形でまとめられそうだ。琉球弧を旅しなければ、富山の祭りや年中行事に興味を持つこともなかったかもしれない。そう言う意味では、10年前の今日が全ての始まりかもしれない。

 写真は、福岡駅。10年前、この駅から旅を始めた。まだ、あいの風とやま鉄道ではなくて、JRだったんだな。

5月28日(木)

 25日の午前にヘッケル田島さんから、T-BIRDのギタリスト、小室良さんが亡くなったという電話をもらった。Facebookでタイを旅行したスナップや自家栽培のハーブを使った料理の写真がときどき流れてきていたので、急な訃報に驚いた。電話口から聞こえる田島さんの声からは、動揺が伝わってきた。
 良さんに最後に会ったのは2009年3月に田島さんの還暦を記念して金沢市民芸術村で開催された、T-BIRDとセンチメンタル・シティ・ロマンスによる『春待ちJoint Concert』の時じゃないだろうか。
 最近は、Facebookに近況が流れてくるからご無沙汰している気はしないが、あのコンサートからもう11年が経っている。

 高岡の米島にあったライブハウス「たむたむ」の新田さんに紹介されて、T-BIRDのローディーになったのは高校を卒業した1978年の夏だった。スケジュール帳なんて持ち慣れていなかったので、何回か失くして1978年のスケジュール帳だけ家にない。初めて同行したツアーは、良さんの家から一緒に出発した気もするな。
 最初にメンバーから聞かれたのは血液型と、長男か次男かだった。当時のメンバーはベースの林さん以外、長男でB型だった。で、林さんには申し訳なかったがボクも長男でB型だった。おまけに実家の職業が、良さんの家は車の板金で、ボクの家は建築板金だった。
 T-BIRDのローディーをしていたのはたぶん半年くらいなのに、40年以上経ってまだ縁が繋がっている不思議。大型のバスを改造した楽器車に乗って、1978年の夏は九州、北海道と全国ツアーをした。宿泊先はライブハウスのオーナーの家だったり、プロモーターの家だったり、友人の家だった。

 写真は九州、北海道のスナップ。長崎の「カボ」、博多の「多夢」、小樽の「メリーズ・フィッシュ・マーケット」、苫小牧の「阿弥陀様」。もう全部ないかな?
 野外の写真は北見のスキー場で開催されたロックフェスティバルの時で、安全地帯が出演していた気がする。後方左側に、バスを改造した「T-BIRD号」が写っている。
 北見から阿寒湖へまわりアイヌ村で遊んで、最後は今はない青函連絡船に乗って帰ってきた。
 一番最後の写真は、関西ツアーに行くといつも泊めてもらっていた八田さんの家。アルバムには<良さん3日連続朝帰りの写真>と書いてある(笑)。らしくて、いいかな。

T-BIRD01
↑上段左:長崎の「カボ」、上段右:博多の「多夢」、下段左:北見のスキー場、下段右:アイヌ村。
↓小樽の「メリーズ・フィッシュ・マーケット」。→苫小牧の「阿弥陀様」。
T-BIRD03
T-BIRD02
良さん

 新型コロナウイルス感染症対策を検討してきた専門家会議の議事録を、政府が作成していないことが判明した。この新型コロナウイルスの記録作成は、今年の3月に公文書管理のガイドラインに基づく「歴史的緊急事態」に指定され、関連の会議録などを原則3ヶ月以内に作成することが義務付けられている
 自分で作ったルールを自分で破る、自分で出した宿題を自分で忘れる。凄いな、この政権。

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5月25日(月)

 10年前、奄美に移住するのに身分証が必要だろうとパスポートを新しく作ったが、先日有効期限が切れてしまったので作り直さねばならず、それに必要な戸籍謄本などを発行してもらいに町役場へ。発行には身分証明書が必要だが、車の免許を持っていないので毎回面倒臭いことになる。健康保険証はあるが、もう一つがない。で、両親や妹、弟の名前を記述して戸籍謄本と確認してようやく発行となった。

 5月の最終月曜日はメモリアルデー。アメリカの戦没将兵追悼記念日だ。
 2年程住んでいた那覇市上之屋の部屋は、国道58号線沿いにあった。この部屋から自転車で5分程の場所に泊港があり、港の横に外人墓地があった。よく刺身や天ぷらを買いに泊の魚市場へ行っていたので、この外人墓地の横を幾度となく通った。奄美から沖縄に引っ越して、一番最初に写真を撮りに訪れたのもこの墓地だった。
 この泊外人墓地で戦没者慰霊祭が執り行われるのを知ったのは、沖縄の写真家・新垣辰雄さんの写真展『泊外人墓地』を見たのがきっかけだった。写真展のフライヤーには”ここに琉球 沖縄の歴史が眠る”という一文があった。なるほど、この外人墓地に並ぶ墓碑に記された年代や名前を見ていくと沖縄の世替わりが見えてくる。
泊の外人墓地

 初めてメモリアルデーの泊外人墓地を撮影に行ったのは2013年で、墓地の端の方にある十字架に木漏れ日があたって白く輝いており、その光に吸い寄せられた。1970年5月9日に生まれ、翌日の10日に亡くなった赤ちゃんのお墓だった。1970年・・・
 1970年はベトナム戦争の直中で、沖縄の米軍基地はその前線基地として兵士を送り込んでいた。ベトナムの人は当時、沖縄を<悪魔の島>と呼んでいたそうだ。まだ沖縄が日本に復帰する前のことだ。
 2013年の戦没者慰霊祭の時に撮影させてもらった団体さんの写真を、翌年の慰霊祭に持って行った。黒のスーツに白のエプロンを着けた人たちで、慰霊祭には毎年訪れているようだ。代表の方に写真のプリントを渡すと、お礼と共に名刺をいただいた。名刺にはコンパスと直角定規を組み合わせたシンボルマークが印刷されていた。 
 新型コロナ禍の沖縄で、今年も慰霊祭は行なわれたのだろうか。

←2013年5月27日、泊外人墓地にて撮影。

 一昨日の毎日新聞に、NHK大河ドラマ「西郷どん」のテーマ曲を歌った里アンナの記事が掲載されていた。
 彼女の歌を初めて聴いたのは、1998年11月に発売になったRIKKIのアルバム『miss you amami』のレコーディングの時だった。CDのジャケットやインナーに使う写真を撮影するため、録音合宿していた湘南のスタジオへ出掛けて行った。
 彼女は高校を卒業後に上京しファストフードのお店でアルバイトをしている頃で、RIKKIの歌にお囃子を入れるためレコーディングに参加していた。RIKKIは奄美大島南部の瀬戸内町、里アンナは北部の笠利町で同じ奄美の島唄でも歌い方が異なるらしいが、二人の声の相性がいいのか聴いていて耳に心地よかった。個人的には、新民謡「永良部百合の花」のサビで”ナイチャシュンガシュンガー”と2人が掛け合うところが特に好きだった。『miss you amami』が、里アンナの初レコーディング参加作品ではないだろうか。
 RIKKIは、自主制作した『miss you amami』を発売した後、ファイナルファンタジーXの主題歌「素敵だね」の歌手に抜擢され広く名前が知られるようになる。里アンナはミュージカル「レ・ミゼラブル」に出演したり、フラメンコ舞踏団と共演したりしていたようだ。

 奄美には歌姫がたくさんいる。RIKKIや里アンナの他にも、元ちとせ、城南海(きずきみなみ)、中村瑞希etc・・・それぞれの場所で、奄美島唄というジャンルに留まらず自分の歌を紡いでいる。

RIKKIと里アンナ
竜宮通りの店看板

↑『miss you amami』の発売記念ライヴでの、RIKKIと里アンナ。もう22年ほど前になる。後ろにレコーディングにも参加している、スラックキーギターの山内雄喜さん。会場は南青山のマンダラじゃなかったかな。

←那覇の社交街、龍宮通りでの店看板のスナップ。もう「里」も「アンナ」もないようだ。

 富山県では、この何日か新型コロナの感染者ゼロが続いている。石井知事は今月29日にも、県内の外出自粛や休業要請をさらに緩和し、ほぼ制約のない「ステージ1」に移行したい考えだという。しかし、5月18日が3件、19日が27件、20日が12件、21日が15件と相変わらずPCRの検査数は少ない。そんな中、富山県の開業医へのアンケートで、医師が保健所にPCR検査を依頼したうち受け入れられなかった例が6割りを超えていたことがわかった。こんなことで正確な感染者数がわかるのだろうか。また、感染の再発を防げるのだろうか?
 安倍首相が今日の夕方、北海道と首都圏の東京、埼玉、千葉、神奈川の計5都道県での新型コロナウイルス特別措置法に基づく緊急事態宣言の解除を表明した。先に解除されていた42府県を含む47都道府県全てで解除されたことになる。しかし、東京都の受診相談窓口件数の7日間移動平均が992件にたいして、PCR検査数が5月19日48人、20日52人、21日89人と相変わらず少なく、これで感染状況が把握できているのか疑問だ。実際、超過死亡の検証をしたところ、発表されている10倍以上の新型コロナによる死者がいるのではないかという記事や、不審死などで全国の警察が取り扱った遺体のうち新型コロナに感染していた人が26人いたといった記事が定期的に流れてくる。緊急事態宣言を素直に喜べないのは、やはり国が出してくる数字が信じられないからだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
Living with Music Vol.13〜Nicolas RIBALET / ニコラ・リバレ(France / Japan)
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嘉手納の町中

トップ画面を模様替えしました。今帰仁村歴史文化センター主催の「山原のムラ・シマ講座」からの帰りに寄った、嘉手納の町。静かな町に軍用機の爆音だけが響いていた。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面

5月21日(木)

 焼酎をチビチビ呑んで寝たら夜中に目が覚めてしまい、また外が明るくなるまでチビチビと呑んでしまった。
 軽い二日酔いで朝からずっと麦茶をガバガバ飲んでいた。
とやま、祭り彩時季
 『とやま、祭り彩時季【一】~【十一】』の文字校正。
 これまでディスプレイ上で何回も文章をチェックしているが、印刷したものを赤入れ(実際には付箋をつけていますが)すると、やっぱり出てくる。誤字脱字はそれほど多くないが、例えば獅子舞は奉納だが、神楽は奉納だったり奉奏と記述しているので、奉奏に統一しようと思うと一気に訂正箇所が増えたりもする。
 今月新たに追加取材した分も組み込みたいし、ある祭りを調べ直すと博物館の学芸員の方と、宮総代の話しに食い違うところがあったりもする。この場合は調べようがないので、両方を併記することになる。
 なんだか急に慌ただしくなってきた。
 昨年の8月3日に撮影した、蓮王寺の小杉大仏(木造丈六阿弥陀如来)の写真をPhoto Albumにしました。こちら
蓮王寺の小杉大仏

 文科省が新型コロナの影響で困窮する学生への現金給付の支援策で、外国人留学生に限って成績上位3割り程度のみとする要件を大学へ伝えたという。どうしてこんなしょうもないことばかり思いつくんだろうか。
 IOCのバッハ会長が新型コロナの影響で来年の開催となった東京オリンピックについて、来年2021年に開催されなかった場合、中止になる見通しを認めた。そりゃ、そうだろう。世界中で新型コロナの感染拡大が続いている中で、来年の夏にオリンピックが開催できると思っている人がまだいるんだろうか。オリンピック開催に注ぐ時間とお金と労力を、新型コロナ対策に充てて欲しい。

 この他の気になった記事を備忘録として。
イギリスのミュージシャン、新型コロナの影響で約5人に1人がキャリアを諦めようとしているという調査結果が明らかに
「法務省が提案」首相発言が物議 定年延長、無関係強調に疑問の声
「みんなで裸を見たと言われた」「尊厳失われた」入管収容女性が手紙で訴え
案里氏陣営、地元議員ら100人超に計1000万円以上提供か 選挙違反事件
東京の3月のコロナ死者、発表の10倍以上?「超過死亡」を検証する
黒川検事長、辞職へ 緊急事態中 賭けマージャン認める

5月18日(月)

 政府と与党は今日、検察官の定年を延長する検察庁法改正案の今国会での成立を断念した。改正案の今国会での成立断念は#検察庁法改正案に抗議しますのハッシュタグに多くのミュージシャンや俳優、作家が賛同して声を上げ、大きなうねりを作ったことも大きいのだろう。このハッシュタグの中に、こんな声を見つけた。
本当に恥ずかしながら、コロナで暇だしTwitterで話題になってるからと初めて国会中継を見た
あまりにも質疑応答になっていなくてクラクラしてしまった
いつもこんな風に法案が通っていたのなら、自分の無関心がこんな結果を産んでいた衝撃で泣きそう
  コロナでステイホームを強いられる中、普段だったら見ない国会中継を見たら、あまりにも法案の質疑がお粗末で驚いた人が多いのではないだろうか。それは今回の検察庁法改正案だけではなく、特定秘密保護法からずっと続いている。
 検察庁法改正案に抗議の声を上げた著名人に、ちゃんと法案の中身を読んだのかと上から目線で批判する人が少なからず居るが、そういう人は国会中継を見たのかと聞きたい。担当大臣の森まさ子法務大臣を出席させず、ようやく出席したかと思えばその答弁はグダグダだった。そもそも森法務大臣は官僚の書いてきたペーパーを読むだけなので、官僚もまともな回答ができない無理筋な改正案なのだろう。
  安倍首相は14日の記者会見で検察庁法改正により「恣意的な人事が行われることはないことは断言したい」と述べたそうだ。しかし、15日の桜井よしこ氏のインターネット番組に出演して「私自身、黒川氏と2人で会ったことはないし、個人的な話しをしたことも全くない」と語ったが、NHKの2018年12月11日の首相動静で16時25分に法務省の黒川弘務事務次官と面会という記録が残っていて速攻で嘘がバレている。直ぐにバレる嘘を平気でつける人なのだ。
 検察庁法改正案の今国会での採決は見送られたが、黒川弘務氏の定年延長は既に閣議決定されている。この閣議決定の理由もよくわからない。検察庁法改正見送りにあたって安倍首相は今晩、「国民のみなさまのご理解なくして、前に進めていくことはできないと考える」と述べたそうだが、それなら閣議決定した黒川氏の定年延長を取り下げることから始めたらどうか。
 今回の検察庁法改正に対し、元検事総長ら検察OBが意見書を提出している。全文がこちらにある。 また、元東京地検特捜部長ら38人が森まさ子法務大臣に宛てて意見書を提出している。

山田隆夫さん

 昨日、「笑点」を番組の途中から観ていたのだが、司会の春風亭昇太以外は自宅からのリモート収録だった。次回は大喜利もリモートでやるそうだ。リモートだから座布団運びの仕事がない。まさか新型コロナ禍が、こんな形で山田君を襲うなんて。

 写真は2007年11月26日に雑誌の連載用に、山田隆夫さんの家の近所の神社で撮影した。取材の後、駅までご本人の運転する車で送っていただいた。
 そう言えば、高校の修学旅行は関東で、原宿をバスで通った時にバスガイドのお姉さんが「ずうとるび」のメンバーを発見してバスの窓から手を振ったら、彼らも振り返してくれた。
 もう「ずうとるび」なんて知らない人の方が多いんだろうな。

You Tubeから「恋があぶない」「みかん色の恋」。

山田たかおが笑点36年交代しなかった訳 五代目圓楽激怒で復活

 元ジェリーフィッシュのメンバーが新バンドを結成して活動を始めたという記事が先日流れてきた。ジェリーフィッシュか・・・懐かしいな。
 ジェリーフィッシュはボーカルでドラムのアンディ・スターマーと、ボーカルでキーボードのロジャー・マニングが中心となり90年代前半に活動していたアメリカのパワー・ポップのバンドで、2ndアルバム『Spilt Milk』を発売後に、一度来日してライブを行なっている。この時、音楽雑誌の仕事で撮影に行ったが、撮影するまで彼らのことは知らなかった。その時に買ったCDはiPodに入っていて、久しぶりに聴いたがキャッチーで少しクイーンを思わせる。
 ジェリーフィッシュは翌1994年に解散したが、ネットの情報によるとアンディ・スターマーは奥田民生とコラボしたり、PUFFYの名付け親になったりしていたそうだ。因みに今回の新バンドに、アンディは参加していない。
 写真は、来日時のジェリーフィッシュ。1993年9月16日、渋谷のCLUB QUATROにて撮影。手前は立ってドラムを叩きながら歌うアンディ、奥がボーカルでキーボードのロジャー・マニング。

 15日に新型コロナウイルス感染の有無を調べるPCR検査の1日当たりの検査能力が約2万2000件に達したという、韓国などから比べれば何周も遅れているような厚労省発表の記事が流れたが、そもそも「2万件に拡充するとは言ったが、2万件検査するとは言ってない」と発言する人が厚労大臣だからな。

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5月14日(木)

 今日の高岡の最高気温は26℃の真夏日。昼食は今季初めての冷やし中華を作って食べた。
 昨日は妹の車で、母親と3人で氷見市にある神社を3つまわってきた。最初は下田子にある、藤の花が有名な藤波神社。鳥居の上の方に白藤が咲いているのを期待していったが、もう既に散ってしまったようだ。
 元々は神明社だったのが、大伴家持が詠んだ歌に因んで、明治18年8月に田子浦藤波神社と改称したそうだ。
↓→謡曲「藤」の説明板と、藤波神社の入口。
藤波神社02
藤波神社01

謡曲「藤」と藤波神社

 藤波神社を中心とした田子地方は、奈良時代は湖で、岸辺には藤が群生していました。越中の国主(*国守?)だった大伴家持は船遊びを楽しみ、和歌を詠み、万葉集に残されています。神社境内には今も数本の藤の老木が茂り、当時の面影を伝えています。
 謡曲はその万葉の和歌を題材としました。
 都から善光寺に向かう僧が立ち寄り、藤を眺めて恨みがましい古歌をつぶやく。すると女が現れ「藤には楽しい歌がたくさんあるのに、なぜそんな歌を吟じなさる」とたしなめる。女は成仏できないで苦しんでいた「藤の精」だった。僧が経を唱え、まどろんでいると藤の精が現れ、読経により成仏できたことを感謝して舞を舞います。        謡曲史跡保存会

↓→藤波神社の拝殿と、拝殿の裏にある大伴家持の歌碑。
藤波神社04
藤波神社03

大伴家持卿歌碑

 この歌碑は明治三十六年に建立せられたもので、八十数年を経過して風化がひどく、文字がよくよめません。それで旧記によって左にわかりやすく書いてみました。
正面 大伴家持卿歌碑 正四位勲三等 巌谷修謹題

右面 藤奈美能影成海之底清美
      之都久石乎毛珠等曽吾見流

裏面 此天平中越中守大伴宿祢家持卿所詠
    明治三十六年八月
          東宮侍講従四位本居豊頴書

 和歌は万葉集の原文に従って漢字(いわゆる万葉仮名)で書いてありますが、現代風に書くと次のようになります。

藤波の影なす海の底清み
    しずく石をも珠とぞわが見る

 奈良時代にはこの神社の前の水田地帯はみな湖水で、「布勢水海」と呼ばれており、周囲の丘陵には藤が繁茂し、初夏の頃には紫の藤の花が咲き満ちて、それはそれは美しい光景でありました。家持卿は毎年、初夏の頃に布勢水海に舟遊びをし、藤の花をたたえた歌をたくさん詠みました。これもその一つです。(万葉集巻十九、四一九九番)「藤の花が影をうつしている水海の水が清らかで、底までよく見える。底に沈んでいる石さえも玉のように私には見える」
 そのころの湖の水は澄みきっていてそこへ日光がさしこんで、水底の石が宝石のように輝いていたのでしょう。
 正面の文字を書いた巌谷修(いわやおさむ)は政府の高官であり、かつ書道の大家で、一六と号しました。明治三十八年七月、七十二歳で没しました。童話作家として有名な巌谷小浪(いわやさざなみ)は修の三男です。
 右面と裏面の文字を書いた本居豊頴(もとおりとよかい)は、有名な国学者本居宣長の曾孫で、国学・国文学に長じ、東宮(後の大正天皇)の先生となり、また東京帝国大学講師となりました。大正二年二月八十歳で没しました。
 この神社はもと神明社と称したが、家持卿の藤花を詠じた古歌にちなみ、明治十八年八月、田子浦藤波神社と改称しました。今も、龍が天に昇るような藤の大木が何本も繁っております。(昭和六十二年七月記)

 藤波神社から、やはり藤の花で有名な磯部神社へ。藤波神社はもう散ってしまっていたが、こちらは咲き初めで見頃はもう少し後のようだ。磯部神社の方が少し山の方にあるので開花が遅いのだろうか。満開の頃は、ここまで咲くようです。

↓磯部神社の鳥居と、神社を囲む杜。ところどころ藤の紫が見える。
磯部神社02
磯部神社01

磯部神社社叢

氷見市指定天然記念物 昭和四七年四月一五日

 磯部神社は、延喜式神名帳に記載された式内社に比定される古社で、祭神は磯部氏の祖神天日方奇日方命(あめのひかたくしひかたのみこと)を祀る。
 磯部神社社叢は、標高約100メートルに位置し、常緑樹の多い森で、高木層としては、西から北側の斜面には常緑広葉樹のウラジロガシが優占し、中央部の社殿に向かう参道をいくと大きなスギが立ち並ぶ。また社殿より上部にはユズリハとモミの大木がある。
 社叢の高木層以外の主な構成種は、低木層はヒメアオキ、ヤブツバキ、ヤツデ、シロダモ、草木層はベニシダ、ヤブコウジ、トキワイカリソウである。
 社叢の西向きの正面部分には大きなフジが高木にからみつき、花期には紫色の長い花序を垂れたフジの花が、社叢前面を覆うように広がる。                                  氷見市教育委員会

↓磯部神社の拝殿。→本殿。
磯部神社04
磯部神社03
↓→磯辺神社の近くで咲いていた白藤。ちょっとクリスマスツリーっぽい。
白藤02
白藤01
道神社01

 磯辺神社の次は、富山湾沿いに走って石川県との県境近くにある氷見市中田の道神社へ。こちらは藤の花ではなく、拝殿の杮葺きの屋根と、境内にある湯立て神事に使われていた釜を見に来た。

←道神社の入口。
↓道神社の拝殿。元は石動山天平寺の開山堂だった建物を、中田村が道神社の拝殿として購入した。

道神社02

富山県指定有形文化財(建造物)
 
道神社拝殿(みちじんじゃはいでん) 附棟札二枚(つけたりむなふだにまい) 平成五年八月十八日 指定

 この建物は、元は石動山天平寺の開山堂として、享和元年(一八〇一)に建立された。大工棟梁は射水郡大窪村の藤岡信濃守藤原富綱である。
 明治維新により、石動山が寺領の没収や七カ国知識米勧請の停止など、一山の経営ができなくなったため、諸堂を売却した際、中田村が道神社の拝殿として買い受けたものである。
 形式は宝形造(ほうぎょうつくり)、屋根は杮葺(こけらぶき)で、軒下は二軒扇垂木(ふたのきおうぎだるき)、三手先(みてさき)、詰組(つめぐみ)、尾垂木(おだるき)、蛇腹支輪(じゃばらしりん)で装飾する。軒出が三・一八メートルと深い。正面の桟唐戸は、中央間には梅の透かし彫り、両端間には牡丹の彫刻を配している。
 平成十二・十三年度に瓦葺を杮葺に復元するなどの大規模修理を行ない創建当時の姿によみがえった。
 なお、享和元年(一八〇一)に建立した際の棟札と、明治十年(一八七七)に現在地に再建したことを記す木羽板が附指定となっている。                              富山県教育委員会 氷見市教育委員会

道神社03
↑拝殿の杮葺きの屋根(左)、湯立釜(右)。湯立釜の左となりに立っているのが立石だろうか。

湯立釜
 開山堂ヲ買求メタ際ニ譲リ受ケタモノデ石動山伊須流岐比古神社五社中ノ梅宮ノ湯立ノ神事ニ用イラレタ鉄製大平釜デアル。
 湯立トハ岩清水ノ水デ湯ヲ沸カシ、笹ノ葉デ参詣人ニ振リカケテ一年ノ無病息災ヲ祈ル神事デアル。

立石
 古来カラ道神社参道前ノ小川ニ架ケタ橋ノ石デ拝殿竣功ト同時ニ上ノ宮・山王ノ宮ヲ道神社ニ合祀ノ際ニ境内ニ移シ記念碑トシタ。
 碑ノ大小数個ノ円形ノ穴ハ古代人ガ発火用ニ使ッタト鑑定サレル。
 尚、コノ石橋ヲ以テ石動山天平寺ノ寺領トノ境界ニシタト伝エル。

宝篋印塔(部分)
 元ハ天平寺開山堂ノ境内ニアッタガ堂ト共ニ道神社へ移シタ。
 宝篋印塔ハ宇宙ノ創造ヲ現シ、下ヨリ第一段ハ地、第二段ハ水、第三段ハ火、第四段ハ風、第五段ハ空ヲ現ス。

奉納 平成二年庚午六月吉日境内整備記念

 今日の北日本新聞に、二上山にある射水神社の摂社・悪王子社で春祭りが行なわれたという記事が掲載されていた。昨年、富山に残る行基の足跡(あくまで伝説ですが)を調べていて、射水神社社報「射水第9号」に掲載されていた「二上神と悪王子社」という記事に辿り着いたのを思い出した。少し長くなるが、当時の二上山の様子がわかるので引用させてもらう。

<射水神社の別当寺であった二上山養老寺に保存されている社伝に次のものがある。~略~。昔の二守山は神代の頃より悪王子が、この山を守っていて、この悪王子は北は女郎脇村、西は倶利伽藍山、東は境川の越中全土から毎月一日、八日、十三日、二十三日、二十八日の五回にわたり一人ずつ月に五人の人身御供をとり、まないた橋という所に置き神楽橋で神楽を奏して一年に六十人を強奪するので、万人が非常に嘆き悲しんでいた。この事を元正天皇がお聞きになって、その憂いを取り除くために、僧行基に勅命が下されて、大和國二上山に祀ってある三社、本社瓊瓊杵尊(本地釈迦如来)、左社火闌降命(本地薬師如来)、右社彦火々出見命(本地観音菩薩)を勧請し、悪王子を鎮め奉り万民の患を救えと仰せられた。行基は命により、養老元年に大和國二上山三社を勧請して当山へ下向して、悪王子の本地に毘沙門天を彫刻して、これを二上山の地主権現として、五穀豊穣の守護神として崇め祀った。それより二上山に仏閣・伽藍が建立され、三月八日には本社二上山大権現を祀り、その他百二十の末社、山頂には山王二十一社が勧請されて、三千八百の坊、社家三百六十軒が四門の内に並び建てられた。養老寺の寺号は、元正天皇の勅命により養老元年に祀った故である。その後、正一位國主の号を賜り、国家鎮護の霊験あらたかな神として萬民が参拝する様子は市を成すようであった>
 二上射水神社拝殿は、旧二上山養老寺護摩堂だそうだ。また、二上射水神社の境内にある慈尊院も、養老寺の一坊と言われている。
 富山中日新聞の記事

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5月12日(火)

 奄美に続き、沖縄が昨日梅雨入りした。
 昨日は寝る前にチビチビと焼酎を呑んでいた。夜中に目が覚めて、またチビチビと呑んでから寝たら深酒だったようで、今日は一日ボーッとして身体がだるかった。久しぶりの軽い二日酔い。
週刊トウキョウ・ウォーカー・ジパング

 KADOKAWAのタウン情報誌「東京ウォーカー」が6月20日発売号で休刊するという記事が、朝日新聞デジタルに掲載されていた。休刊することよりも、今まで続いていたことにちょっと驚いた。
 「東京ウォーカー」の創刊は1990年3月20日号で、当時の名前は「週刊トウキョー・ウォーカー・ジパング」。本文の文字は今と違い横組で、ページは左開きだった。創刊した2号目か3号目から何回か、タウン特集の撮影をしている。

 編プロやデザイン会社経由で仕事を受けていたが、「東京ウォーカー」に変わってから一度編集部へ撮影したフィルムを届けに行ったら編集部の女性がボディコンばかりで驚いた。
 ある時、イベントのレセプションで「東京ウォーカー」の編集をやっているという男性と一緒になったので、「フィルムを届けに行ったら女性がみんなボディコンだった」という話しをしたら、今は編集部でボディコンは禁止になったと言い、ボディコンが禁止になったら今度はヒョウ柄を着てきたといって笑っていた。

 「週刊トウキョー・ウォーカー・ジパング」の撮影をしていた頃は、学生援護会が発行する日刊アルバイトニュース「an」の仕事もたくさんしていた。巻頭のタウン特集やミュージシャンのポートレートが主で、中には<ゼルダの小嶋さちほが案内する茅ヶ崎>というマニアックな記事の撮影もあった。この時は彼女と一緒に住んでいたボ・ガンボスのどんとが途中から加わり、茅ヶ崎の彼らの行きつけのお店を案内してもらった。
 日刊なのでアルバイト情報は毎日変わるが、グラビアページは1週間掲載される。毎月何冊か掲載誌が送られてきたが、バブルの頃の「an」は求人が多く電話帳並の厚さで置き場所に困った。

 写真は、家にあった創刊の頃の「週刊トウキョー・ウオーカー・ジパング」。捲ってみると丸井提供の企画ページに岡崎京子さんの見開きのマンガが載っていた。

 昨年の7月27日に撮影した砺波市宮村の景完教寺と、南般若の夏祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
景完教寺の16歳聖徳太子孝養像
↑景完教寺の開基である了通が俊寛から譲り受けたとされる、16歳聖徳太子孝養像。
↓南般若の夏祭りで披露された「えんじゃら節」。
南般若の夏祭り
 気になった記事を備忘録として。
新型コロナ集計見直し、都道府県HPを参照 厚労省
実際の感染者数、いまだ不明 「10倍か、20倍か…」
10万円給付申請、郵送呼び掛け オンライン不備続出で自治体
非正規が9割でも「見殺し」の現実 コナミスポーツは時給社員に休業手当を一切「不支給」
「ゴダイゴ」の浅野孝已さん死去 屋台骨のギタリスト
#安倍晋三に抗議します

5月10日(日)

 今日、奄美地方が沖縄よりも先に梅雨入りしたと、鹿児島地方気象台が発表した。平年より1日ほど早く、昨年より4日ほど早いそうだ。

 今日新たに都内で22人が新型コロナウイルスに感染していたことがわかったとテレビのニュースが伝える。これで8日連続で感染者は100人を下回ったともいうが、検査の総数まで明かされることがない。

水上バスから撮影した高層ビル

*新型コロナによる死亡者
志村ケン(コメディアン)
松下三郎(柔道・講道館理事)
立石義雄(オムロン元会長)
岡江久美子(タレント)
和田周(俳優)
善竹富太郎(狂言師)
高木椋太(シャンソン歌手)
岡本行雄(元首相補佐官)

*新型コロナ感染者
田嶋幸三(日本サッカー協会会長)
藤波晋太郎・伊藤隼太・長坂拳弥(阪神)
塚原直貴(北京五輪・陸上銀メダリスト)
宮藤官九郎(脚本家)
梨田昌孝(プロ野球解説者)
永石拓海(Jリーガー)
RYOJI(ケツメイシ)
黒沢かずこ(森三中)
ゴリけん(タレント)
白鳥久美子(たんぽぽ)
冨川裕太(アナウンサー)
片岡篤史(元阪神)
石田純一(タレント)
赤江珠緒(フリーアナウンサー)
住吉美紀(フリーアナウンサー)
髙田川親方(元関脇安芸乃島)

 ネットでちょっと調べてみた、著名人の新型コロナウイルスによる死者と感染者
 現在国内の感染者の総数は1万5790人、うち死者の数は624人だ。これを分母に、著名人の死者数や感染者数を考えると分母が間違えているとしか思えない。この数ヶ月で新型コロナにより亡くなられた方が624人で、その中に誰でも知っているような方が8人も居るというのは異常ではないだろうか。
 著名人は殆どが都内在住の方なので、東京都の感染者数4846人、死者数180人を分母にするとその異様さはもっと際立つ。検査数が少なすぎて、実際の感染者数と乖離しているとしか思えない。

 東京都が一昨日、新型コロナウイルスへの感染の有無を調べるPCR検査で、受けた人数に占める陽性者の割合=陽性率を初めて公表し、今月1日から7日までの一週間の陽性率は7.5%だったという。しかし、東京都のホームページにある都内の最新感染動向に掲載されている日毎の検査実施人数と陽性者の数を見ると、とても7.5%という低い数字に収まらない。不思議だなと思っていたら、都の報道発表に陽性率の算出方法についてという文があって、陽性率の分母となる検査実施人数を4月10日から5月6日までは東京都健康安全研究センター及びPCRセンター(地域外来・検査センター)、5月7日以降は東京都健康安全研究センター・PCRセンター(地域外来・検査センター)及び医療機関での保険適用検査の実績により算出と書かれていた。7日から加わった医療機関での検査人数が陽性率を押し下げたのだろうか。それなら、その医療機関での日毎の検査人数も明記して欲しい。
 NHKも東京都が陽性率を公表したことをニュースで伝えているが、その中に<5月1日から7日までの1週間に陽性と判明した人の平均である22人を、同じ期間に検査した人の平均292人で割って、7.5%と算出したということです> と書いているが、東京都の陽性患者数は5月1日から8日までは、165人、158人、91人、87人、58人、38人、23人となっている。どういう計算をしたら平均22人となるのだろう。NHKはどこからこの数字を持ってきたのだろう。
 いずれにしても日によって分母となる検査数が異なり、尚かつ他国と比べても圧倒的に検査数自体が少なければ発表される陽性率が出口戦略に使えるとは思えない。

キョンキョン

 <小泉今日子、検察庁法改正案への抗議ツイートを連投>という日刊スポーツの記事が流れてきた。彼女だけではなく、ツイッターのハッシュタグ「#検察庁法改正案に抗議します」には多くの著名人も声を上げており、その投稿は470万を超えている
 東京高検・検事長黒川弘務氏の違法な定年延長に抗議し、辞職を求める賛同署名はこちらから。

*写真は1989年3月、ビクターの青山スタジオで撮影。ビブラストーンがバックを務めたアルバム『KOIZUMI IN THE HOUSE』のレコーディング時かな?
 個人的にはヒッピホップで最高だと思っているビブラストーンのアルバム「ENTRORY PRODUCTIONS』の中の「ジェット・コースター」で、キョンキョンも叫んでいる。

検察の定年延長、与党が審議強行 法相出席応じず、野党反発
検察庁法改正案 これこそが「不要不急」だ

 あまりにお粗末すぎて笑うしかないんだけれど、厚労省がホームページで47都道府県へのアベノマスクの配布状況を公表している。一昨日までは東京都で4月17日から配布が開始されているが、残りの道府県は全て準備中だった。ネットでこの惨憺たる状況を叩かれたので奮起したのか、今日覗いてみると北海道、茨城県、埼玉県、千葉県、神奈川県、石川県、岐阜県、愛知県、京都府、大阪府、兵庫県、福岡県、が5月11日(月)の週から配布開始予定となっていた。

 学校入学を今回の新型コロナ禍を機に9月に制度変更しようという動きもあるようだが、全戸に布マスク2枚配布するという単純な作業すら出来ない政権に、あと4ヶ月で複雑な入学制度の変更など出来るわけないだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
新型コロナ 政府、PCR検査陽性率把握できず 全国集計基準なし
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政府のコロナ対応、海外から批判続出「終結は困難」
日本の指導者、国民評価で最下位 コロナ対策の国際比較
新型コロナ集計見直し、都道府県HPを参照 厚労省

5月5日(火)

 昨日は宵節供(菖蒲節句)。滑川市の赤浜地区では、子供たちが菖蒲の葉を藁で包み、それを縄できつく巻いて棒状にしたもので家々の玄関先を叩いてまわる行事、ショーブツが毎年行なわれるが、今日の北日本新聞にその様子が掲載されていなかったので新型コロナの影響で中止になったのだろうか。五穀豊穣とモグラの退散を願って叩くそうだが、中に挟む菖蒲の葉は魔除けのようなものだろう。
  ショーブツの記事はなかったが、高岡の射水神社がコロナ終息を願ってショウブとヨモギを軒先に飾って無病息災を祈願する「菖蒲葺き」を行なったという記事が掲載されていた。『習俗 富山歳時記/漆間元三』(巧玄出版)には<宵節句の四日に、軒端にショウブとよもぎとをさす風習は広く、軒につりさげると、虫がはいらないという。ショウブで鉢巻きをしたり、痛みどころのある者は、そこをショウブでなでたり、ショウブ湯にはいると治るといったりする>という記述がある。
 この菖蒲葺きの記事で思い出したのが、沖縄のサンだ。サンはススキの葉を結んだもので、マジムン(魔物)や悪霊の侵入を防ぐとされるお守りだ。大切なものの上に置いたり、玄関の門の上に飾ったり、家の四隅に吊るしたりする。
 奄美でもアラセツ(旧暦8月の最初の丙)から数えて7日目の壬であるシバサシに、家の軒や四隅にシバ(ススキ)を挿して悪霊や災いを払う風習が一部に残っている。
赤浜のショーブツ
↑赤浜地区のショーブツ。ショーブツの棒には、菖蒲の葉が挟まれている。
久高島のサン
粟国島のサン
↑民家の門柱に飾られたサンと民家の四隅に吊るされたサン。八月マティ(旧暦八月は一年で一番悪い月と言われ、個人の家から島全体までお祓いが行なわれ健康が祈願される)の行なわれている久高島にて。

←ミキ(神酒)を入れたポリ容器の上に置かれたサン。ヤガンウユミ(荒ぶる神を鎮める祭祀)の行なわれている粟国島にて。

 安倍首相が昨日の夕方に記者会見を開き、6日で期限が切れる緊急事態宣言を47都道府県を対象に今月31日まで延長すると発表した。あいかわらず具体的な数字が乏しく、左右のプロンプターを見ながらのただ長いだけのダラダラした会見だった。記者会見の内容はこちら
 記者会見の中で<5月は、終息のための1か月であり、そして、次なるステップに向けた準備期間であります>と述べているが、具体的な出口戦略を示せという声が上がっている。しかし、厚労省が今月中旬を目途に、新型コロナウイルス感染者の情報を一元管理する情報システムを稼働させるという今さら感漂う5月1日付けの日経の記事を読むと、出口戦略どころか対策の入口にも立っていないんじゃないかと思う。対策の基本は数字でありデータだ。この政府は今まで何をやっていたんだろう。
 大阪の吉村知事が今日、出口戦略を示すことが大事と、独自基準の「大阪モデル」を発表した。平均の感染経路不明者が10人未満で、新規の感染者数あたりの陽性者の割合が7%未満、日々の重症病床の使用率が60%未満といった数字を示しているが、そもそも大阪府では検査能力が足りなくて保健所がPCR検査が必要と判断してから実際に検査するまで最長で10日程度かかっていたという記事がある。こちらも出口戦略どころか入口にも立っていないのではないだろうか。まずは検査能力の拡充が急務だろう。
 東京都で4月29日、30日とそれぞれ陽性者が47人、46人という少ない日が続いたが、東京都が作製している都内の最新感染動向というページをみると、4月28日の検査数が84人、29日が189人だった。この検査数の結果が47人と46人だろうか。もしそうなら47人の陽性者が確認された日の陽性率は50%を超える異常な数字だ。先ずは何百、或は何千というある程度まとまった検査人数を継続してデータを取らなければ感染者の増減傾向などわからないだろう。
  神戸市立医療センター中央市民病院の研究チームが、外来を受診した患者千人の血液検査をしたところ、約3%が新型コロナウイルスに感染したことを示す抗体を持っていたと発表した。これを神戸市全体の性別や年齢の分布に合わせて計算すると約4万1千人に感染歴があったことになり、神戸市がPCR検査で把握していた感染者の数百倍が感染していた可能性があるとしている。
<新型コロナ>「入院不要」83歳死亡 当初検査断られ→陽性後も待機→自宅で急変
死後にコロナ感染判明、東京港区 自宅療養中の会社員男性
浴室で死亡後に感染判明 類似ケース都内で12件
 こういう記事を読むと、とにかくPCR検査を行ない陽性と確認されれば症状により病院への入院と、専用のホテルへの隔離を行なわない限り感染拡大は収束せず多くの人が生命の危機にさらされるように思う。韓国などでは当たり前に行なわれていることが、なぜこの国ではできないのか不思議でしょうがないが、これが現政権の能力なのだろう。
 大都市圏での感染が止められず医療が崩壊し、自粛要請で経済状況の悪化による生活困窮者が増えた場合、最後の手段として故郷に帰るコロナ疎開者も出てくるだろう。その人たちが地方へ新型コロナのウイルスを運ぶことも想像できるが、それを非難することも止めることも出来ない。そうした人が家庭内感染を起こさないよう最低2週間隔離できる専用のホテルを、地方自治体か国が用意しないといけない段階ではないだろうか。インバウンドの落ち込みや新型コロナによる観光の落ち込みで瀕死なホテル業界を救うことにもなる。
  東京都が緊急事態宣言によるネットカフェの営業停止によって発生するネットカフェ難民の行き場対策としてホテルを借り上げて支援すると発表したが、ホテル提供を出し惜しみした結果約4000人と言われるネットカフェ難民のうち、3349人の行方がわからないという。
 大阪市で家に帰れない医療従事者に、無償でホテルを提供するためのクラウドファンディングが始まるという記事を見て驚いた。最前線で戦っている医療従事者への福祉は個人の善意ではなく地方の自治体や国が責任を持って行なうべきものだろう。医療従事者へのホテルや食事の提供を自治体が行なえば、瀕死の状態のホテルや飲食業界への救いにもなるだろうに。
 政府は新型コロナ終息後の経済対策として旅行クーポンなどの予算を組んでいるが、このままでは終息前に倒産する企業や商店がたくさん出るだろう。例え緊急事態宣言が解除されても、直ぐに以前のような経済活動ができるとも思えない。水道光熱費の免除や一定期間の家賃補助、あらゆるローンの一定期間の凍結などを行なわないと企業倒産と破産者で溢れるのではないだろうか。
 それに要する莫大な財源を問題にする人もいるだろうが、第二次大戦後に復員軍人への退職金支給や戦時中になされた軍事契約の補償をするための臨時支払いなどで大量の百円札を刷らなければならなくなった時、当時の日銀総裁だった渋沢敬三(新一万円札の顔となる渋沢栄一の孫)は凸版印刷、共同印刷、大日本印刷などの民間印刷会社を動員した。民間の印刷会社がお札を刷ったのは後にも先にもこの時だけだという。
  全世界を巻きこんだ新型コロナ禍は戦争と同じ究極の危機で、普段では考えられないような対策が求められるのだろう。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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5月2日(土)

 今日は高岡でも最高気温30℃の真夏日を記録した。部屋の中では長袖のTシャツ一枚でも暑いくらいで、扇風機を回した。扇風機の横にはまだファンヒーターが並んでいる。
 今朝のヤフーのトレンドランキングで、今日が忌野清志郎さんの命日だったのを思い出した。
 RCサクセションは渋谷の屋根裏時代に何度も見ているし、1980年の久保講堂はマネージャーだったりぼんの坂田さんに人手が足りないからと誘われて裏方のスタッフとして手伝いにいった。
 当時、祖父が使っていたと思われる古いカメラを一台持っていたが、残念ながら撮影することはなかった。
 写真は忌野清志郎 with de-ga-show。1997年5月15日。渋谷CLUB QUATRO。ドラムの古澤良治郎さんは2011年1月に、サックスの片山広明さんも2018年の11月に鬼籍に入られた。
 You Tubeから、1980年のRCサクセション@久保講堂。「スローバラード」「雨上がりの夜空に」。
 昨年の7月15日に撮影した南砺市にある級長戸辺(しなとべ)神社の風祭り(例大祭)の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
級長戸辺神社の風祭り01
↑参列者を代表して祭文を奏上する参向使。↓福光もちつき太鼓保存会による奉納演奏。
級長戸辺神社の風祭り02
 鬼海弘雄さんが、未発表の作品を含めて自身のホームページで公開を始めている。こちら

5月1日(金)

 何日か前までは日中も足元に湯たんぽを置いていたが、今日は最高気温が25℃を超える夏日となり、トタン屋根の下の部屋は少し汗ばむほどだった。天気予報では、明日は真夏日の一歩手前まで気温が上がるようだ。
HDDと裸族のお立ち台
 ヨドバシのネット通販で購入した8TB(テラバイト)の内蔵ハードディスクドライブ(以下HDD)と、それをパソコンの外付けとして使うための裸族のお立ち台が先月の23日に届いたので、アチコチのHDDに散らばっている撮影データや画像、文書ファイルを毎日毎日コピーしていた。コピーに要した時間はトータルで100時間以上だろうか。8TBの容量があれば全てのデータを移せるかと思ったが、ちょっと無理だった。10TBのHDD購入も考えていたが、現在一番コストパフォーマンスの良いのが8TB のモノだった。
 全部のデータを移すことは出来なかったが、それでも2010年の春から2014年の夏までの奄美・沖縄で撮影したデータと、2014年から現在までの富山で撮影したデータ、それからデジタル一眼レフになってから撮影した仕事のデータと、フィルムで撮影した中からセレクトしてデータ化したものは8TBに収まった。きっと何年かすると10TBのHDDが一番コストパフォーマンスが良くなるだろうから、その時にまた移せばいいかな。

 ちなみに、内蔵、外付け合わせてHDDは20個ほどあり、撮影したデータは全て3重、4重にバックアップを取っている。その中でHDDが壊れたというのは、沖縄で持ち歩いていたポータブルのHDD1つだけだ。 初期に買ったHDDの中には、今では直ぐに容量オーバーしそうな120GBのモノもある。昔、出版社で見た外付けのHDDは100MBだった。

 加川良の「教訓1」を女優の杏さんがカバーして歌っている動画がYou TubeにUPされ、評判を呼んでいる。個人的にはあまり気にしたことのない女優さんだったが、このタイミングでこの曲を選ぶセンスと、自分でギターをつま弾きながらの歌が思いのほか上手で自分の中で一気に好感度がアップした。
 杏さんの動画がきっかけか、You Tubeに「教訓1」をカバーしてUPしている人が増えているようだが、ドキュメンタリー映画監督でジャーナリストの大矢英代さんも三線を弾きながら「教訓1」を歌ってる。彼女は2018年に三上智恵さんと共同監督でドキュメンタリー映画『沖縄スパイ戦史』を制作し、今年『沖縄「戦争マラリア」ー強制疎開死3600人の真相に迫る』(あけび書房)を上梓している。プロフィールによれば2012年に琉球朝日放送に入社し、2017年からフリーランスのジャーナリストになったそうだが、その間に報道記者として米軍基地問題、米軍絡みの事件事故を取材していたという。2012年の10月に初めてオスプレイが普天間基地に配備され、2013年の12月には仲井眞前沖縄県知事が辺野古の埋め立てを承認して連日県庁前では抗議のデモが行なわれた。沖縄に滞在していた時は可能な限りデモや裁判を撮影に行っていたので、彼女とすれ違っていたかもしれない。
 それにしても、大矢さんの三線を弾きながらの「教訓1」も朗々として気持ちがいい。三線の音色を聴いていると、家の戸を全部開けて風が通り抜ける中、昼間から泡盛を呑みたくなる。

 8TBのHDDにデータをコピーしている間、家に籠って『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三/佐野眞一』(文藝春秋)を読んでいた。この本を購入したのはずいぶん前だが、積ん読になっていた。
 宮本常一は『忘れられた日本人』などの著作で知られる民俗学者で、佐野眞一氏の言葉を借りれば<今日の民俗学の水準からは想像もできないような巨大な足跡を、日本列島のすみずみまで印した民俗学者だった。その徹底した民俗調査の旅は、一日あたり四十キロ、のべ日数にして四千日に及んだ。宮本は七十三年の生涯に合計十六万キロ、地球を丁度四周する気の遠くなるような行程を、ズック靴をはき、よごれたリュックサックの負い革にコウモリ傘をつり下げて、ただひたすら自分の足だけで歩きつづけた。泊めてもらった民家は千軒を超えた>という人物だ。
 渋沢敬三は、2024年度に一新される一万円札の図柄の顔・渋沢栄一の孫。渋沢栄一は第一国立銀行(現みずほ銀行)をはじめ約500社の設立にかかわり「日本の資本主義の父」と呼ばれた実業家だが、敬三もまた栄一の後継者として横浜正金銀行、第一銀行を経て日本銀行総裁、大蔵大臣を務める。その一方で漁業史を研究する学者であり、宮本常一をはじめとする多くの学者や研究者のパトロネージュ(支援者)でもあった。
 この二人の人生を交錯させながら、宮本常一という民俗学者と渋沢敬三という実業家の評伝を描いている。
 ところで、話しの本筋とは違う部分で驚いた箇所があった。敗戦後の渋沢敬三が日銀総裁だった時代に、大量の百円札を刷らなくてはならなくなり、民間の印刷会社につくらせたという話しだ。

 戦争が終われば巨額の軍事費支出がとまり、インフレ要因もなくなるとの期待に反し、軍事費の支出は敗戦後の昭和二十年八月から九月にかけて未曾有の規模に達した。これは、復員軍人への退職金支給や、戦時中になされた軍需契約の補償をするための臨時軍事費の大量支払いによるもので、その額は八月四十八億円、九月百四十六億円、十月三十五億円、十一月三十七億円と、この四ヵ月間だけで二百六十六億円という巨額に達した。
 これは戦争継続中の昭和二十年四月から七月までの四ヵ月間の臨時軍事費百一億の二倍以上にあたり、戦後インフレーション悪性化の最大の要因となった。八月十五日以後、陸海軍への臨時軍事費支払いは連日続き、日銀手持ちの銀行券はたちまち底をつきはじめていた。
 敬三が日銀総裁最後の仕事として、凸版印刷、共同印刷、大日本印刷などの民間印刷会社を動員し、大量の百円札を急遽つくらせたのもこのためだった。日銀券の増発額は、八月十五日からわずか半月の間に、百二十億円にものぼった。
 民間の印刷会社に紙幣をつくらせたのは、あとにも先にもこれがはじめてのことだった。横になるとすぐ寝るたちの敬三も、このときばかりは一週間も不眠に悩まされ続けた。

旅する巨人
 この後も日本では物価が高騰しインフレはおさまらず、財産税が導入され預金封鎖が行なわれる。
 新型コロナウイルスは世界の国々を巻きこんで、疫病と経済という2つのパンデミックを引き起こしている。 今後収束しても経済は大きな打撃を受けるのだろう。ウイルスとの戦いに真の戦勝国など存在しないだろうから、その経済への打撃は戦争時以上ではないだろうか。考えも及ばないことが起こっても不思議ではない。
 新型コロナ関係を中心に気になった記事を備忘録として。
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GW帰省、22道県が「自宅待機」求める…県境移動を警戒
山中教授が警鐘。PCR検査で「東京の陽性率40%は危険領域
4月の倒産急増、2月の50倍にも 苦しい宿泊・飲食業
沖縄・竹富町、島につながる定期船を全て停止へ 観光客対策で5月1日~6日まで
PCR検査多い国はコロナ死亡率減 千葉大がデータ分析
ごみ袋にメッセージを 収集員への激励呼び掛け―小泉環境相
<新型コロナ>抗体検査5.9%陽性 市中感染の可能性 都内の希望者200人調査
緊急事態宣言、1カ月程度の期限延長を検討。対象は全都道府県
新型コロナ対策の補正予算成立 一律10万円給付、早期執行課題
緊急事態宣言、延長へ 首相が二階幹事長に意向伝える

4月へ