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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

富山県のイルミネーション
富山のイルミネーション2019−2020

2020年カレンダー
2月2日(日) 新川神社 寒中みそぎ鎮魂作法錬成会 13時〜18時
2月3日 射水神社 節分祭
2月15日(土)? 楡原・上行寺 火祭り
4月の第1土曜日 新開発の獅子舞(熊獅子)  9時頃に天満宮奉納
4月10日 景完教寺 太子伝会
4月の第2土曜日 朝日町笹川の獅子舞
4月15日に近い土曜日? 岩稲の獅子舞
4月15日に近い日曜日 朝日町境の獅子舞
5月3日 越中八尾曳山祭
6月1日、7月1日 東泉寺 ひとつやいと 記事
7月1日 上市町 日石寺 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
8月19日、9月15日 鷹栖(宮木嶋)の獅子舞(金蔵獅子)
9月第1日曜日 砺波 狐島西の獅子舞(金蔵獅子)
10月? 白川郷 どぶろく祭り
10月? 利賀の山祭り(石かち)
10月15日に近い日曜日 朝日町境の獅子舞
10月最終土曜日 砺波 東石丸北部の獅子舞(金蔵獅子) 

◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
道祖神
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

2月29日(土)

 「つごもり」とは月の最終日=晦日のことだ。今年は新型コロナの影響で中止になってしまったが、城端で開催される「つごもり大市」は2月の晦日に開催されるので例年は2月28日だが、今年は閏年なので2月29日の今日行なわれるはずだった。
 中学時代の同級生に、2月29日が誕生日の女の子がいた。彼女は、今日が15回目のバースデイだ。
エンケンさん
 地方の小さな行事もそうだが、新型コロナの影響で大きなイベントの中止が相次いでいる。星野源、Perfume、EXILEなどのコンサートも急遽中止になった。スポーツの場合は観客を入れない無観客試合が行なわれたりもしている。今日開催された国内最大級のファッションイベント『東京ガールズコレクション』も無観客で行なわれたという。
 無観客で思い出したのが、エンケンさんの音楽ドキュメンタリー映画『不滅の男 エンケン対日本武道館』だ。観客ゼロの武道館のステージにエンケンさんが立ち、熱唱するというもののようだ(実は予告編しか観ていない)。
 今後も音楽イベントの中止や延期が続くなら収入が途絶え、チケットの払い戻しや会場費のキャンセル料などの負担も重なり、アーティストはもとよりコンサートに関わるPAや照明などのスタッフや関係会社の生活設計にも影響が出てきそうだ。
 ツアーや小さなライブハウスでのライヴは無理だろうが、大きな単発のコンサートであれば無観客演奏を決行し、それを収録したDVDを既に販売済みのチケットと交換で配布するなどの手段もあるのかな?と思ってみたりもする。
 この状態がいつまで続くのかと想像してみるが、日本の場合、圧倒的にPCR検査の数が少ないので感染状況がわからず、したがって収束したとの判断がいつまで経っても出来ないのではないだろうか。
 写真はエンケンさん。渋谷駅近くの歩道橋で、デイリーan(アルバイトニュース)のグラビアページ用に撮影。エンケンさんの左肩に乗っているのはフクロウの剥製。1990年の撮影なので、もう30年も前だ。
 『神道民俗芸能の源流/鈴鹿千代乃』(国書刊行会)を読み終えた。思っていた以上に示唆に富み、面白い本だった。中でも興味深かった箇所を、備忘録として。

一、傀儡子讃
(2)宇佐八幡宮放生会と傀儡子舞い

 宇佐八幡宮は、全国四万余社といわれる八幡宮の総本宮であり、放生会とはいうまでもなく、その例大祭である。その由来は、遠く元正天皇の養老四年、大隅・日向の隼人征伐に遡る。宇佐八幡宮の神威によって、すみやかに夷敵(いてき)を降伏せしめることができたが、その後病災がはやったため、八幡神は隼人等の霊をとむらうため、山野・河海に魚鳥を放つ放生会を執行するよう託宣を下される。これに従って、天平十六(七四四)年にはじめておこなわれたとするものである。これはその名の通りきわめて仏教色の濃い祭りで、すでに『延喜式神名帳』に「八幡大菩薩宇佐宮」と記され、ごく早い時期に仏教との融合を終えていた同社の祭りにふさわしく、神宮寺の僧侶による読経・法楽などもあり、その盛時においては、きわめて華麗に、かつ莫大な費用をついやして執行されていたのである。

四、三月節供と偶人信仰ーー雛神信仰を中心にーー
(一)穢れの自覚

 いわゆる五節供というものが、本質的には禊祓の日であるというとられ方は、もう今では定説となっている。一月七日の人日(じんじつ)、三月三日の上巳の節供、五月五日の端午の節供、七月七日の七夕、九月九日の重陽の節供と、めぐる一年に、人々は少なくとも五回の身の祓えをしなければならなかった。三月三日という日は、桃の節句と言い、雛祭りと言う、また磯アソビと言い、浜降りと言うー上巳の節供の民俗語彙のどれをとってみても、すべて穢れを除こうとする切なる精神活動のあらわれが感ぜられよう。それがより積極的に表現されたのが雛流しであり、流し雛である。加えて六月と十二月の晦日は大祓で、天皇御自ら斎主となられて大がかりな国の祓えがなされる。
 ともかく、これらの祓えをしっかりとしておかなければ、次の行事に支障をきたすと信じられていた。それは、これらの節供の禊祓が、そのすぐあとに来る重要な年中行事のためのものであったからである。一月七日は、小正月へ、三月三日は春の祭りへ、五月五日は田植えへ、七月七日は盆へ、九月九日は刈上げの祭りへと直結していて、それらの祭りの忌みに入るべき日としてとらえられてもいる。
~略~
 具体的なイメージとしては、次の如く描いてみる。例えば、一人の、足の痛みに耐えかねて苦しむ病者が、これを除かんとして木切れや石をもってその足をこすった。全身全霊をもってこれを行なったところ。足の痛みがとれた。この時、その者はこの木切れや石は、その辺にころがっている木切れや石とは全く別の穢れた存在となる。畏しい存在となる。しかし、だからこそ足の痛みがとれたのだから、これほどありがたいものはない。穢れた畏しい、そしてありがたいものだという感覚が、それを、そこら辺にほうり出すことをさせず、特定の場所に祀りこめた。
 穢れをわが身に自覚し、救われぬ、救われたいと願った切なる心が、そのまま信仰心、宗教心というものであろう。わが身の分身を作って、そちらに穢れを移し、これを祀りこめる。封じ込めると言ってもよい。そうすることで、はじめて救われたという安心感を得た、これがすなわち人形(ひとかた)・雛形の発生であり、偶人信仰の源流である。

(二)偶人源流考

 穢れの自覚から、その穢れを負わしめる存在として、人間は偶人を具象化した。それは、その形状から、人形、形代、雛型と呼ばれ、また穢れを移す時のしぐさから、撫物、撫代などと呼ばれる。それらは、穢れを祓う、すなわち、穢れを自らに強く吸収する呪力を持つと信ぜられるがゆえに神なのである。それ自身、穢れた畏るべき存在であるがゆえに、同時にこよなくありがたい神なのである。
 先師高崎正秀は、偶人の発生は「十字形に斎串を交叉した形」であると説いた。この指摘は極めて重要である。なぜなら斎串や御幣・幣束といった素朴かつ呪的な棒こそが、現代に至る神社信仰の核とも言うべきものだからである。今も神主の最も大切な仕事は祓え・祓いである。左右左(さゆうさ)と御幣を振るが、その時、それで、穢れを、どこかへ飛散させるという感覚で祓ってくれるような神主には、私は安心して祓えをたのめないと思う。ある神主が、「お祓いをするたびに御幣が重くなるのを感じる。」と語った。この実感こそ、神に仕える者として大切であると思う。すなわち、穢れを御幣に吸収させるという感覚である。ひいては、祓えをする神主自身が、吸収するという感覚。つまり結局は、穢れは神に集まるのであろう。
~略~
 一本の斎串に、横にもう一本の斎串を交叉させることは、もうそれで、そのまま人の形を表したものと考えたのだろう。それは両手を真横まで挙げた姿である。この挙げた両手は、男雛・女雛と対になったいわゆる雛人形になっても容易に下がらなかった。それは立ビナの男雛から、次の室町雛の時代まで続いたのである。長野県松本市の民俗資料館蔵の「七夕雛」といわれるものなども、両手を挙げた姿をとっている。ともあれ両手を真横に挙げた姿は、穢れに苦しむ神の姿であり、それは当然のことながら磔刑の姿である。ここまでしなければ、人間は気がすまない、いや、それほど穢れが積もっている存在ととるべきなのであろう。雛流しと言い、流し雛と言う民俗をみても、いずれにせよ、神を苦しめ、遂には殺す行為にほかならないのである。しかし、神を殺すことは、同時に復活せしめることだと信ぜられていたことも考え合わさなければならない。神は、苦しみ、殺されるという試練の後に、より偉大な神・真の大神として復活する。神話の中では、イザナキ・イザナミの近親婚(兄妹婚)の罪を背負わされたヒルコやアワシマが、海に流されるが、中世以降の説話では、それぞれ西宮の蛭児大神、紀州淡島大明神として復活したと語られている。

 おしら神は、穢れをその神性に包み込んでいると信ぜられたがゆえに神なのであると思う。その意識は、おしら神に毎年着せる布に表出されている。オセンタクと称する儀式は、おしら神祭祀の最も重要なものである。オセンタクとは祓えの民間的表現であろう。この儀式で注目すべきは、古い布の上にまた新しい布をかぶせるという点である。つまり着せ換えではなく、着せ加えである。古い年々の布は、人々の穢れを吸収して、色あせ、うす汚れているが、それを脱がすことなく、また、新しい年の穢れを吸収すべき白布でおおう。穢れは、絶対的に神のものとして、神自身が負っていてくれなければ困るといった意識がそこにある。

(三)雛人形の展開

~略~
 一対の男女神という点で、考え合わすべきは、道祖神である。道祖神も、塞の神として村境に立って、村の穢れをひき受け、また外からの穢れが進入するのを防ぐ神である。雛人形は、海辺の土地では、海に流すが、そうでない所は、村境の道祖神の所へ持っていって捨てたり焼いたりしている。道祖神も雛も、その信仰基盤は同じであると考えられる。その道祖神は、小島櫻禮が指摘したように、近親相姦によって生まれた神である。父と娘、兄と妹といった近親の男女が、犯してはならない罪を犯して死んで、あるいは殺されて神となったと語る。小島は、これをその源流としてのイザナキ・イザナミの兄妹婚の変様として説いている。
~略~
 一対の雛人形にも、時代による変遷があり、またこれを用いる階層によっても変様がある。一般的に、形態の点から、大きく立雛と坐雛に分けられる。そして立雛の方が、坐雛よりも古型であると言われる。また立雛は、紙で作られるから紙雛とも呼ばれる。この立雛は、立つと言いながら、実は、それ自身で立つことはできない。人形研究者は、坐雛の安定性に対して、立雛の不安定さを重視している。何かにもたせかけるならともかく、それ自身で立つことができない立雛は、それが本来、飾るものでなかったことを表し、むしろ天児や這子に近い、より古い形であったとされている。おそらく立雛は、穢れを祓ったのち、焼いたり、流したりする形代の意識が強く出ているために、紙で作られているのであろう。
~略~
その立てない雛が坐ったのである。いわばこれは、雛の居坐りであろう。神の居坐りである。本来、日本の神は、時を定めて訪れ、また去ってゆく”まれびと”であって、雛も、異郷であるひなの国のまれびとであったはずである。その雛が、ひなの国へ帰らず、この世にとどまったのが坐雛であろう。神はまれびとであるからこそ神なのである。まれびとでなくなった坐雛は、当然、神の資格を剥奪される。しかし、そこから、雛は人形(ひとかた)ではなく人形(にんぎょう)としての第一歩を踏み出し、人形芸術へ向かったと言えよう。
~略~
もともと平安時代から、雛は、貴族社会ではぐくまれたという一面を持っているから、これは当然のことと言えばそれまでだが、内裏雛と呼び、天皇・皇后の姿に集約させた信仰的意識があったと私は考えている。
 日本の天皇は、日本の歴史のいつの御代も、宗教的王であられたと思う。そしてこの宗教的王は、神々の直系として自ら近親婚を聖婚として実修されるという聖性を持っておられた。これは、比較神話学の成果などから、世界的な信仰であることもわかっている。律令でも、天皇の正后たる皇后は近親から選ぶべきことを規定している。さらに、天皇の近親婚は、天皇の側から言えば聖婚であるが、前にふれたように、『大祓詞』には、人間の犯すべからざる大罪として特筆されている。そして、高崎正秀・西田長男の説くところによれば、天皇は、神としてこれを実修するが、それは、人間が犯すことのないよう、代わりに犯す、すなわち、代贖されるのであるという。天皇は、人間が犯す罪の代理者であるととらえている。これこそ宗教的王の宗教性がこの上なく発揮された姿であろう。

(四)蛭子・淡島の祓え

 傀儡子をはじめとするさまざまな芸能の民は、土地に縛られない”さすらい人”であった。折口信夫の言う”まれびと”であった。彼等は、時を定めて村を訪れ、村人の穢れを自らに引き受けて持ち去る存在であった。言い換えれば、彼らは、穢れを負う存在ゆえに定着することを許されず、”さすらい”を余儀なくされたと言える。定着民の穢れは、絶えずこうした非定着民の聖なる呪力によって祓われた。定着民の土着性は、いわば、この”まれびと達のさすらい”によって代贖されていたのである。日本という国が、罪という罪を流しやり浄化せしめる呪力を持つと信ぜられた海に囲繞(いじょう)されていたと同じように、人々は、こうした”まれびと”に生活を守られていたのであった。
 今や、そのまれびとも訪れず、偶人も舞わない。雛神は、雛人形として華やかに飾られるだけである。穢れを吸収する機能をもつ存在を失ったむき出しの社会が、これまたその機能を失った公害の海に臨んでいる。穢れは累積するばかりであろう。

六、遊女ーーさすらいの女神からさすらいの女君へーー
(二)遊行女婦・傀儡子

~略~
百太夫は、また道祖神のことであるという。道祖神は、性の神であり、旅の安全を守る神でもある。百太夫の御神体は、他の多くの道祖神がそうであるように、おそらく男根を形どったものであったろう。

(三)遊女の芸ー海人族の祓えー

~略~
 街道を漂白する意義は、罪・穢れを自らの身にうけて持ち去ることである。傀儡子の男達が木偶(人形)を舞わすのは、人々の罪・穢れを木偶に吸収させる祓えの芸を演じているのである。また、その女達が、旅人と一夜の契りを結ぶことは、寝ることによって旅人の罪・穢れを自らに受けることに他ならないと私は思う。女達は、美しく化粧をすることで自らを木偶と化し、旅人と肌を接して、彼らの穢れをわがものとした。そうした穢れを負った人々が、いつまでもその場にとどまるということは、穢れの祓えにならない。穢れは「さすらう」ことで消滅するからである。傀儡子という非定着民は、定着民の穢れを自らに受けてさすらう民である。しかし彼らは、穢れを祓う呪力を有すると信じられた民でもあった。何故なら、彼等は、祓えの呪力の根源である海から来た人々であったからである。その女達こそ、『大祓詞』の速佐須良比賣の流れを汲む聖なる人々であった。
 遊女の売春行為は、本質的には、祓えの芸であると私は思う。旅人が宿駅で遊女と寝ることは、旅の途中に身につけた穢れを遊女に取ってもらうことであると思う。遊女が後にさすらいをやめて定着したのが、まず古代では江口、神崎という、大阪湾の河口であったことも、川から海へ穢れを流しやる好適地であったからだろう。また近世の遊郭というものも、一つの縄張りを作り、その中で営業されていた。さすらいの女君は、全くさすらわなくなってしまったが、この隔離された世界は、女達が男と寝ることで身に受けた穢れを、外に出さぬようにするための一つの聖域という見方もできるのではないだろうか。

七、禊と祓と
 祇園御霊会

~略~
この山・鉾の屋台で注目すべきは、いずれもその中心に人形を据えることと、屋台の周囲には、ゴブラン織や、ペルシャのじゅうたんや朝鮮錦・慶寿裂・安楽裂などのきらびやかな胴掛・前掛・見送りというものをめぐらすことである。これらの豪華な織物は、西陣の商人達の財力がもたらしたものであろうが、より古くは、後に述べる愛知県津島神社の天王祭にみられる通り、着物だったのではなかろうか。人形が単なる飾りではなく、祓いの人形であることはいうまでもないが、着物もまた、身体のけがれをそれに付着せしめる祓の呪具であった。即ちこの屋台自身が、祓のための造り物という宗教的意味を持っていたと考えられる。これらの屋台が、町を巡幸することにより、町全体の祓がなされることになるのである。

2月28日(金)

 一部からすっかり東京オリンピックの予言書のように祀られている、大友克洋氏のコミック『AKIRA』。そのコミックに描かれている場面の中でも「東京オリンピック 開催迄あと147日」と書かれた看板の下に、中止だ中止の落書きのあるカットが印象的だが、今日がその開催迄147日だ。ツイッターには#中止だ中止のタグができていて、ついにこの日が来たという書き込みが並んでいる。
 現実には東京オリンピック中止の判断は出ていないが、安倍首相は一昨日、今後2週間以内に開催される全国的なスポーツ、文化イベント開催の中止、延期、規模縮小を要請。また、昨日は全国の小中高校に3月2日からの臨時休校を要請した。国内での感染拡大が抑えられなければ、147日後の東京オリンピック中止もあり得るだろう。
 全国の小中高校の臨時休校要請は、あまりに急で批判する声も多数聞かれる。実際、政府は25日に新型コロナに関する基本方針を発表している。なぜその時に、イベントの中止や縮小要請、全国の小中高校の休校要請をしなかったのか。口で先手先手と言いながら、対策が後手後手になっていることの証左だろう。それでも今回の休校要請は必要だったろうと思う 。
  個人的には26日に北海道知事が全道の小中学校を27日から一斉に休校にするという発表をした時に、 東京や神奈川、千葉といった首都圏の学校も休校にできないだろうかと思っていた。新型コロナの発症・感染ルート、人口密度、満員電車での通学スタイルを考えれば、首都圏に通う子供達のリスクはとても大きい。
 全国の小中高校への要請だが、実際に休校するかは各市町村の教育委員会の判断だ。沖縄の渡名喜村(渡名喜島)は臨時休校せず、2日以降も通常授業を行なうという判断をしている。離島であれば、学校へ行くのも家に居るのも感染リスクは変わらないだろう。 そうした判断をする町や村は他にも出てくるだろう。また、要請に応じて休校はするが、共働きや一人親で子供を家で見れない父母のために、そうした生徒を受け入れるなどの措置をする学校もあるのではないだろうか。
 全ての小中高校が休校にならなくても、感染リスクは大きく下がると思う。また、学校を休校にしても親が満員電車に乗っていれば同じだろうとか、イベントを中止にしても満員電車で通勤してれば同じだろうという声もあるが、何もしないよりは確実にリスクは下がるのではないだろうか。

 韓国では感染者が2000人を越え、死者の数も13人となった。感染者数は中国に次ぐワースト2位だ。しかし、これは韓国のPCR検査を受けた人の数の多さを物語っている。こちらの記事では韓国では27日午前9時の時点でPCR検査を受けた人が4万4157人に上っているのに対し、日本では26日午後1時の時点でクルーズ船の乗客を除けば1890件に留まっているという。また、こちらの記事ではウイルス検査数が韓国では2月18日〜25日の間に31,586件に対し、日本は2月18日〜25日の間に6,300件となっている。いずれにしても、日本の検査数が圧倒的に少ないのがわかる。
 政府の基本方針によれば発熱などの風邪のような症状があっても軽症なら外出の自粛を求め、むやみに医療機関を受診しないで欲しいとなっており、厚労省の指針では37.5℃以上の発熱が4日以上続く場合、強い怠さや息苦しさがある場合、高齢者や基礎疾患のある人は37. 5℃以上の発熱が2日程度続く場合や強い怠さや息苦しさがある場合に「帰国者・接続者相談センター」に問い合わせ、そこでPCR検査が受けられるか判断される。
 しかし、新型コロナに感染しても症状の出ない人がいることがわかっており、そういう人が感染源となり広める可能性はある。 感染源となった人が軽い症状のまま治癒したとしても、その人から感染した人が重篤な症状になることもあるだろう。新型コロナに罹患しても治療法がないのでPCR検査を受けても意味がないという意見もあるようだが、検査を受けて自分が陽性か陰性か分かっていれば他者に感染させない行動がとれる。検査を受けることは自分の身を守ると同時に、他者に移さないという予防でもある。PCR検査を受けても意味がないと考える人は、「私はマスクをしないで最後まで頑張る」と発言した森喜朗・大会組織委員会会長とそれほど遠くないのではないだろうか。
 加藤厚労大臣は2月17日の記者会見で、検査体制を拡充した結果、国内で一日あたり3,000件を超える検査が可能になったと述べていたが、現実にはとてもそんな数の検査は行なわれていない。そもそも検査数の把握すらできていない節がある。 加藤厚労大臣は26日の衆院予算委員会で、18日〜24日の実施件数は1日平均約900件と答えているが、前日の予算委員会では実施した総数は分からないと答えている。厚労省のトップなら、都道府県別に一日に何件の検査が実施されたか把握しているベキだと思うのだか。下からそうした数字が上がって来ないのならば、行政が機能していないのだろう。また、PCR検査について、来週にも保険適用を開始する方向で調整に入ったそうだ。しかし、保険適用されても3割負担で4,050円か5,400円が必要になる。休校やイベントの自粛で社会が疲弊し国民全体に負担をかけているのだから、PCR検査の費用くらい国が持つべきではないのだろうか。アメリカからの要請で兵器を爆買いする予算があるのなら。

 韓国のソウル郊外にある高陽(コヤン)市では、ドライブスルー方式のウイルス検査を行なっているそうだ。日本でこれが出来るかは疑問だが、各地域で発熱外来専門の病院を決めて、とにかくPCR検査をしなければデータは集まらず国内の感染状況が見えないままウイルスと戦うことになる。

 一昨日、ブラジルのサンパウロで新型コロナの感染者が確認された。南米では初の感染者だ。また、アフリカでもエジプトアルジェリアに続き、ナイジェリアでも感染者が確認された。ビル・ゲイツ氏が新型コロナの感染がアフリカに波及すれば、医療サービスの対応能力が追い付かず、死者1000万人の事態を招きかねないパンデミックになる恐れがあると警告したそうだ。たしかにアフリカで感染が広がれば、やっかいなことになりそうだ。

 昨年の5月4日に撮影した城端曳山祭の宵祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら
西上町の山宿
↑曳山の御神像である恵比寿さまが飾られた西上町の山宿。↓御旅所となっている「じょうはな座」での浦安の舞の奉奏。
御旅所での浦安の舞の奉奏

2月22日(土)

 昨日お隣の石川県で初の新型コロナ感染者が確認されて少しビビったが、今朝、新型コロナの感染が確認された千葉県の70代の女性が今月16〜18日の3日間、富山県内をツアー旅行で訪れていたことがわかった。いよいよ身近なところに迫ってきたなという感じだ。

 昨日までにダイヤモンド・プリンセス号に乗船していた人の内、ウイルス検査で陰性だった乗客717人が下船した。下船した後、日本人は最寄りの駅等へバスやタクシーで送迎され、その先は各自が公共交通機関を使って帰宅したようだ。
 クルーズ船から下船後、アメリカ、カナダ、オーストラリア、韓国、香港などは14日間の隔離措置をとったが、日本は下船後は生活の制限は特に設けない事実上の開放だ。検査後に船内で感染した人はいないんだろうかと思ったら、オーストラリアで2人アメリカで18人イスラエルで1人、ダイヤモンド・プリンセス号から下船後に自国に戻ってから感染が確認された。そして、夜になって栃木県の女性が下船して自宅に戻ってから感染が確認された。これで彼女、彼らが自宅に帰る際に使用した公共交通機関から感染が広がる恐れもでてきた。
 また、ダイヤモンド・プリンセス号で業務をしていた厚生労働省の職員の多くが船内での業務を終えた後、ウイルス検査を受けずに職場に復帰していたことがわかった。一度は検査を検討されたものの、陽性者が多く出た場合の業務への影響を考慮し、見送られたという。感染者の数字を増やしたくないという思惑だけではなく、医療スタッフの少なさ、隔離施設の少なさゆえの医療現場の崩壊を恐れての対処もあると思うが、このまま進めばどの道、遠くない先に医療現場は混乱し崩壊するのではないだろうか。
  神戸大学感染症内科教授の岩田健太郎氏が先日、ダイヤモンド・プリンセス号に乗船した際の船内のレッドゾーン、グリーンゾーンという安全な場所とそうでない場所のゾーニングができてないという指摘をしたが、それに受けてか橋本岳・厚生労働副大臣が一昨日自身のツイッターに「清潔ルート」「不潔ルート」と張り紙した船内の様子をアップしたが、2つのルートは中で一緒になっており、これでは意味がないと批判を浴びて投稿を削除した。実際、ダイヤモンド・プリンセス号で事務作業していた厚労省の職員1人と内閣官房の職員1人が感染していることが確認されたので、船内の感染防御は失敗だったのだろう。
 厚労省の職員、内閣官房の職員がダイヤモンド・プリンセス号で作業した後に感染したことを受けて、そこから国会にも感染が広がるのではないかと懸念が持たれている。厚労省の職員が船内業務の後、ウイルス検査を受けずに職場に復帰していた事実があるので、厚労省や国会・政府が新たな感染源になっても不思議ではない。
 その政府だが、新型コロナウイルスの対策会合に何人もの閣僚が自身の政治活動を優先して欠席していたことがわかった。また日刊ゲンダイは、安倍首相がこの非常時に「安倍首相グルメ三昧 コロナ対策会議わずか10分のデタラメ」という記事で批判している。それにしてもこの記事に掲載されている首相の食事姿がみっともない。口を皿にもって行き、なんだか二人羽織のようだ。一国の首相の食事の姿としては、とても恥ずかしい。 

 韓国での新型コロナウイルスの感染の広がりが話題になっているが、韓国では今日までに感染の有無を調べるために検査を受けた人の数が1万4660人に上っている。1万4660人検査を受けた中での感染者数が現在156人だ。日本では検査を受けたくても受診させてもらえない人がほとんど。もし日本で韓国と同じ規模で検査を受けたら、どれだけの感染者が出るだろうか。ちょっと怖い数字になる気がしてならない。
 ちなみに厚労省のホームページを見ると、国内で2月18日までにPCR検査を受けた人の数は1,287人で、そのうち陽性反応が出た人は66人となっている。

 国内での感染の広がりから不要な外出はやめ、マスクの着用と手洗いの徹底が呼びかけられる中、昨日、五輪公式ウエアの発表会で大会組織委員会の森喜朗会長が「私はマスクをしないで最後まで頑張る」と発言した。この人はマスクをする意味がわかっていないんだろうか。マスクは自分の身を守ると同時に、まわりの人に移さないという役目がある。<マスクをしないで最後まで頑張る>ことにどんな意義があるんだろう。とてもオリンピック組織委員会会長の発言とは思えない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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福島第一原発の廃炉作業 作業員がなりすまして被ばく測定
つくる会教科書、異例の不合格 「欠陥」405カ所指摘
マスク「週1億枚」供給も需要に追いつかず 菅氏「さらに増産働きかけ」

 昨年の5月2日に撮影した井波よいやさ祭りの宵宮の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
井波よいやさ祭りの宵宮01
↑白い布に包まれた3体のご神体が神輿の安置された御旅所まで神職に抱えられて運ばれる。
↓御旅所の前で3町の獅子舞奉納、神楽「浦安の舞」の奉奏、屋体囃子の奉納が行なわれる。
井波よいやさ祭りの宵宮02

 先日読み終えた『日本の古社 伏見稲荷神社 撮影/三好和義』(淡交社)から、興味深かった箇所を備忘録として。

伏見稲荷大社 神々の物語 岡野弘彦(歌人・芸術院会員)
二、稲荷の神と女性

~略~
 聖なる来訪者、まれびとの男を待ち受けて神の妻となる女性に、月のものが現れるのは当然のことで、月立つ、すなわち空に月が現れ、女性に月のものが現れるときこそ、遠来の神がおとずれてあい逢うときであった。それがけがれとして逆転してゆく理由は、ひとつはその期間の女性は神のもので、男にとっては宗教的タブーの触れてはならぬ期間であったものが、長い間に聖俗逆転したこと。もうひとつは仏教思想が浸透して、罪障ふかき女のけがれ、血のけがれと考えられ、本来は男よりも神に近く仕えてきた女性がしりぞけられていったからであった。
 そうした女性の、古い巫女的性格の片鱗が、稲荷の神にかかわる民間説話のなかに、印象を残しているのが注目せられる。しかも、その巫女的な要素をもつ命婦が出世してのち、稲荷の神に仕える女狐の「阿古町」にその命婦号を譲ったというのが面白い。

三、よみがえるべき民俗信仰

~略~
 このすがた、この祠のたたずまい、このざわめきは、他の神社には見られないものである。それは一見、乱雑にも粗雑にも見える。しかし、本来、信仰とか宗教というものは、こういう得体の知れないような、統一のないエネルギッシュな面をかならず一つ二つはもっているものである。その反対の極にあるように見えるのが、伊勢神宮の整然とした清潔さと、静寂である。だが伊勢信仰でも、明治以前までは、御師の力と組織の情熱があって、しかも「御蔭参り」にあらわれるように、得体の知れない地熱のような民衆のエネルギーが加わった。近代の国家神道に入るとそれが失われてしまう。宗教活動を国家が制御し、宗教を国家が管理した結果、宗教的情熱の燃焼が疎外されてしまった。
 だが、稲荷神社や大神神社には、民衆を巻きこんでゆく力の動きがある。
~略~
 さらにいえば、明治の廃仏毀釈によって払拭されてしまった、仏教的な、あるいは修験道や陰陽道的な信仰の名残もほの見える部分がある。
~略~
 神前で大祓の祝詞をとなえるときには、「天つ罪と・・・・・」「国つ罪と・・・・・」と、罪の条々をひとつひとつ数え上げて、自分の身の犯しをかえりみながらとなえるのが『延喜式』に定められた古いかたちであり、近代にいたるまでそれは崩れることなく守られていた。ところが大陸に戦火が拡大してしばらくたったころ、突然に内務省の神社局から各神社に通達があって、神前で大祓の祝詞をとなえるときには、ただ「天つ罪・国つ罪成りいでむ」と言って、その罪のひとつひとつをとなえることはやめるようにという指示があった。詳細な説明は何もなかったが、理由は簡単である。国つ罪のなかに「生き肌断ち・死に肌断ち」の項目があって、戦場で兵隊たちが命令によってその罪を連日犯しているのに、その行為が日本人の古来からの罪障感に反するというのでは、考えの単純な為政者や軍人にとっては都合が悪かったのだろう。思えば浅はかな軍国下の宗教心の統制であった。そういう末梢的な統制が、日本人の伝統的な心のエネルギーを消失させ、敗戦にいたらせたのであった。

伏見稲荷大社の歴史と信仰 田村善次郎(武蔵野美術大学教授)

初午の稲荷詣
~略~
 民俗学では、初午の祭りは、春の農事に先駆けて田の神を迎えて祀り、豊作を祈る祭りだと考えられている。鹿児島県の大隅地方では山の神は、二月の丑の日に山から田に下り、十一月丑の日に山に帰るといわれている。田の神は常在する神ではなく、去来神だとされており、東北地方を中心に、春に山から下りてきて田の神となり、収穫が終わると山に上って山の神になるとしている地方は多い。
 時期は一定していないが春の彼岸のころから三月節供、または卯月(四月)八日ころにご馳走をつくり、特定の山に登って一日を楽しくすごす山遊びの行事も全国にわたってみられるところである。農事の始まる前に山に行って神を迎え、祀り、神とともに飲食をしたのである。
 卯月八日は釈迦の誕生日で、花御堂で甘茶を献じる灌仏会(花祭り)で知られているが、この日、山に登ってウツギ、シャクナゲ、ツツジなどの花をとってきて、長い竿の先につけて庭先に立てる習俗は広く全国的に見られる。中国、四国地方では、その花を天道花といっている。古い時代に行なわれていた山から神(田の神または祖霊)を迎えて祀る行事に由来するものであろうと考えられている。初午の稲荷詣も、そうした山遊び的性格をもった行事だと考えられる。だとすればこれは稲荷の神の鎮座以前から行なわれていたものだということになる。

千本鳥居とお塚
~略~
 明治元年に発布された「神仏判然令」は厳しく施行され、発布後三ヵ月のうちに社地内にあった仏教関係のものはすべて排除しただけでなく、勧請の神壐(しんじ)などにそれまでは比較的自由に書くことができた神号もすべて「稲荷大明神」に統一されることとなり、その他の神名は一切排除されることになった。そのため、それまでもってきた私的な信仰をつづける場を失った人々が、稲荷山中のできるだけ神蹟(峰・塚)に近く、人目につかないところに勝手に塚を築き、私的な拝所をつくるようになったというのである。塚は狐塚の頁で、田の神の祭場だと書いたが、祭場、祭壇としての性格をもったものなのである。

2月18日(火)

 昨日の夜から雪が降り、今朝は今シーズン2回目の積雪。それでも雪マークは今日で終わりなので、また直ぐに溶けてなくなりそうだ。
 今日は部屋で確定申告の書類に記入。領収書は既にまとめてあったので、数字を書き入れるだけだった。
 この確定申告の季節に、国会では安倍首相の「桜を見る会」の前日に行なわれた夕食会についての答弁が物議を呼んでいる。普通に考えれば、大きなパーティーなら会場となるホテル側が明細書を用意しないわけはないだろうし、また、一人一人の参加者にホテルが領収書を発行することもないだろう。

 ネットでは今回のANAホテルの対応に称賛の声が上がり、#ana頑張れというタグができている。自民党はこの65歳児を、いつまで党のトップに据え置くのだろう。

 国内でも連日新型コロナウイルスの感染が報告されている。朝日新聞の纏めによると国内の感染者数は18日現在、クルーズ船の乗客542人を含む615人となっている。しかし、検査を受けたくても受診させてもらえない人がほとんどなので、今報告されている感染者数は氷山の一角だろう。潜伏期間が最長で24日、感染しても症状が出ない場合があり、既に国内では感染ルートが不明の3次感染、4次感染が疑われている人も出ている。
 この感染拡大を受けて、人が大勢集まるイベントの中止が色々と決まっている。天皇誕生日の一般参賀は中止され、東京マラソンも一般参加者約3万8000人のエントリーは取り止めになり、トップ選手だけで実施されることになった。この傾向は今後も続くだろうし、感染の収束が長引けば東京オリンピック・パラリンピックの開催も危ういだろう。東京マラソンは一般参加者の参加は取り止めになったが、参加料は返金されないそうだ。となれば、東京オリンピック・パラリンピックが中止になった場合、チケットの払い戻しがないこともあり得るのだろうか?
  ネットでは、大友克洋の『AKIRA』が再び予言の書だと話題になっている。一年ほど前にも1982年に描かれた『AKIRA』のシチュエーションが、2020年の東京オリンピックを予言していると話題になったが、『AKIRA』の中では2020年の東京オリンピックは開催中止になり、スタジアムは破壊される。新型コロナウイルスの出現で、2020年の東京オリンピックが現実に中止の可能性もあり得るので再び注目を浴びているのだ。
 今後感染者が増えれば収容できる病室の確保が問題となるが、愛知県の藤田医科大学が4月に新設予定の岡崎医療センターの開院前に、新型コロナウイルスの感染者を受け入れると発表した。建物は既に完成しており、400床が丸々空いている。もちろんこれだけでは不十分で、他にも病床の確保が必要となるのだろう。
 ところで、もし感染の広がりが治まらず東京オリンピックが中止になれば用意された選手村は必要なくなる。21棟3850戸あるそうなので、状況によっては選手村を隔離病棟に、スタジアムを野外病院にという案も出てくるのだろうか。
 神戸大学病院感染症内科教授の岩田健太郎氏が、「ダイヤモンド・プリンセスはCOVID-19製造機。なぜ船に入って一日で追い出されたのか。」という動画をYou Tubeに上げている。文字の全文書き起こしはこちら。こちらの動画を観て、この国の官僚の対応を知ると、この夏、選手村が隔離病棟になってもおかしくないと思えてくる。

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 昨年の4月21日に撮影した福光にある宇佐八幡宮の春季例大祭の本祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
宇佐八幡宮の春季例大祭01
↑西町、本町、東町と3台ある庵屋台の巡行。↓重さ約1トンある大神輿の巡行。
宇佐八幡宮の春季例大祭02

2月14日(金)

 また暖かな日が何日か続いている。今日の最高気温は13℃だ。午後から近くにあるスーパー銭湯へ行き、その後、自転車で髪を切りに行った。
 テレビのニュースやワイドショーは、連日新型コロナウイルスの話題。中国全土での感染者数は6万人を超えた。
 昨日、国内で新型コロナウイルスによる肺炎で、初の死者が確認された。和歌山では医師が感染したが、その感染ルートは不明だという。政府の水際対策は失敗し、もう国内で3次感染、4次感染が広がっているのだろう。にも関わらず、政府は今になってようやく感染症の専門家をメンバーとする会議を立ち上げた。
 今月の27日から3月1日にかけてパシフィコ横浜で開催される予定だったカメラショー、CP+の中止が決まった。賢明な判断かもしれない。東京でも昨日、70代のタクシー運転手の感染が確認されたが、今日も新たに2人の感染が確認された。それでも東京都は3月1日の東京マラソンを決行したいようで、その対策はマスクの配布や例年カットして提供しているバナナを1本丸ごと配布することだという。どうかしている。パンデミックの引き金になるとは考えないのだろうか。
 東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗氏が昨日、「無責任なデマも流されたが、東京大会の中止や延期は検討されていないと改めて申し上げたい。政府と連携し、冷静に対応していきたい」と話したが、感染が収まらない場合、世界各国の選手が来日するのだろうか。選手村の村長に就任した川淵三郎氏は「インフルエンザより強いウイルスではないと聞いている。ウイルスは湿気や暑さに弱いと聞いていて、日本には、梅雨というウイルスをやっつける最高の季節がある」と驚きの発言をしている。オリンピック会場となるお台場海浜公園のトイレ臭はアサリの力で、新型コロナウイルスには梅雨で対抗する国。虚構新聞のネタじゃないのが恐ろしい。
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 昨年の4月20日に撮影した福光にある宇佐八幡宮の春季例大祭の宵宮の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
宇佐八幡宮の宵祭り01
↑社殿で宮司の手によりご神体が安置された神輿が、神輿堂に帰る。↓神輿堂の前に並んだ3台の庵屋台。
宇佐八幡宮の宵祭り02
 オーストラリア南東部のニューサウスウェールズ州が豪雨に見舞われ、一部地域で住民が避難、50校以上の学校が休校となったが、この雨のおかげで長時間燃え続けていた火災も鎮火した。悲報なのか朗報なのかわからないニュースだ。ニューサウスウェールズ州の消防当局は「全ての火災を封じ込めた」として事実上の制圧宣言をしたそうだが、これを封じ込めたと言うのだろうか??

2月9日(日)

ストーンズの記者会見
↑1990年2月9日、後楽園ホールでの記者会見。

 レコード棚の中に彼らのレコードも何枚か収まっているが、取りたててファンだったわけでもなく、熱心に聴き込んでいたわけでもない。
 高校生くらいの時に、オーディオブームがあって、田舎の町にもオーディオ専門店ができた。そこに行くと何種類ものスピーカーやアンプが揃っていて、視聴させてもらえた。視聴用にLPも用意されていて、覚えているのはストーンズの『山羊の頭のスープ』とセルジオ・メンデス&ブラジル66のアルバムで、自分の興味を引いたのはセルメンのほうだった。
 ストーンズの曲をコピーした記憶はないが、シルバーフォックスというバンドを作って、一色ゆかりのバックバンドをしていた時に、アンコールで「ホンキー・トンク・ウィメン」をやったことがある。バンドはツインギターだったが、そこにゲストで河内淳一さんが加わり、遊びに来ていた織田哲郎さんがピアノを弾いた。なかなか豪華な「ホンキー・トンク・ウィメン」だった。

 ストーンズの初来日公演は1990年2月14日からだったが、それに先立ち2月9日に後楽園ホールで記者会見が行なわれた。雑誌の取材で撮影に行ったが、用意されていた撮影エリアは2階で、彼らの立つステージまではずいぶんと遠かった。
 熱心なファンではないので感慨はなかったが、それでもこの時点でミックとキースが46歳という事実は驚きだった。46歳で現役のロックミュージシャンでいられることに驚いていたが、信じられないことに、それから30年経った今も彼らは現役バリバリのロックミュージシャンを続けている。
「Don't trust over thirtyーー30以上の奴は信用するな」は浜田省吾のステージでの口癖だったか。彼らの初来日の時に生まれた赤ちゃんが、信用するなと言われる年になる。そんな歳月が流れた。
 撮影した自分はギリギリ29歳だったが、来月は還暦を迎える。

 10代の終わりに博多のライヴハウスで、地元のミュージシャンと知りあった。彼はしばらくしてエピックソニーからデビューが決まり、上京してきた。デビューしてからしばらくは彼のライブを見に行き、自分が音楽をやめ写真を始めるようになってからは撮影したりもしていた。
 やがて自分の撮影の仕事が忙しくなり、彼も六本木から横浜の方へ引っ越し、バンドも解散していて何となく疎遠になった。
 何年か経って共通の友人から、彼がまた音楽活動を始めたというので横浜まで見に行った。その頃は日の出町のグッピーを拠点に活動していた。久しぶりに会った彼は、バンドをやりながら、ナグリ(大道具)の仕事もしていた。
 ライブの後、彼の家に行き、呑んだ。六本木に住んでいた頃に生まれた彼の娘は、もう小学校の高学年になっていた。会っていなかった時のことを色々と話した。ナグリは金槌のことで、ステージの設営や大道具を作る仕事をナグリと呼ぶようだ。
 音楽の話をしていると、ストーンズの初来日の話になった。このとき彼は、ナグリの仕事でストーンズの舞台裏にいたという。向こうのスタッフから「お前は腕がいいから、一緒にツアーをまわらないか」と誘われたと笑っていた。
 奄美大島へ移住する前に都内で呑んだのが最後で、また疎遠になっているが、自分のラジオ番組を持ち、ライブもやっているようだ。まだナグリの仕事もやっているんだろうか。

 You Tubeに「The Rolling Stones初来日ドキュメント1990 (Rare Footage from Japan!)」という映像があった。メンバーが成田に到着する時から、記者会見、舞台の設営、リハーサル、オフの姿まで収録してある。

新しいトップ画面

トップ画面を模様替えしました。「おわら風の盆」で知られる、越中八尾の雪景色。2018年1月11日に撮影。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面
 昨年の4月14日に撮影した、ふちゅう曲水の宴の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
入山行列
↑富山藩主が花見に訪れる様子を再現した入山行列。↓生憎の雨で、曲水の宴はお寺の本堂に場所を移して行なわれた。
曲水の宴

敦賀原発の断層「生データ」無断で書き換え 日本原電
辺野古軟弱地盤 70メートル以深 データ存在 防衛省、設計反映させず
 政府も企業も、都合の悪いデータを隠蔽や改竄することに躊躇がなくなってきたのだろうか。
 東京都はオリンピックまであと半年に迫る中、スイム会場であるお台場海浜公園に砂を投入し、アサリの力でトイレ臭いと言われる水質の改善をはかるという。バカなのか?
 新型コロナウイルスの感染者数が、中国に次いで2番目に多くなった日本。ミクロネシア連邦とツバルの2カ国が、日本からの入国を制限する措置を取った。このまま日本での感染が止められなければ、同じように日本からの入国制限、日本への出国制限をする国が増えるかもしれない。オリンピックの開幕まで半年なのだか。

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支給実績は数人でも予算7億円に 非正規社員の賃上げ助成

2月6日(木)

 昨日の夕方頃から降り始めた雪が、今朝積もった。この冬初めての積雪だ。
積雪01
↑左は昨日の20時40分頃、右は今朝の7時頃。↓今日の10時頃。
積雪02
年賀状の当選切手
 昨年の冬から春にかけてパソコンのキーボードを打ち過ぎたのか、右手を痛めて物を持つの辛くなった。そのため、毎日のように叩いていた電子ドラムを休んでいた。今も右手を曲げたりキーボードを叩いていると軽く傷みがあるが、それでもだいぶ良くなったので、久しぶりに電子ドラムの練習を再開した。
 ようやく本を読む時間ができてきたので、午後からは積ん読になっていた本を持って近所にある市立図書館へ。
 年賀はがきを出すのも貰うのも年々少なくなっているが、お年玉切手が一枚当たっていたので今週の初めに郵便局で引き換えてきた。
 昨年の4月13日に撮影した楡原の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
楡原の獅子舞01
↑サンパソ、キンゾウ、ササラ、アネマ、獅子が全員揃って踊る「ぞうげ」。手前の日の丸の扇子を持っているのがサンパソ。
↓ササラとキンゾウが獅子を倒す、金蔵獅子。
楡原の獅子舞02

 歌手の梓みちよさんが亡くなった。個人的には「新婚さんいらっしゃい」のアシスタント時代の印象が強い。
  先月25日、一時全電源を喪失した伊方原発3号機の事故について、一時と言っていた時間が43分間に及んでいたことがわかった。
 IRを巡る汚職で、秋元司議員以外の100万円ずつ受け取ったとされる5人の衆院議員は過去の事件に比べて額が少ないことから立件が見送られるようだ。昨年、100円ショップで432円の万引きをして、19ヶ月も勾留された女性もいるのだが。
 先月の20日から通常国会が始まっているが、安倍首相の答弁が酷い。
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2月1日(土)

 富山の平野部では積雪のないまま2月を迎えた。日本時間の今朝8時、イギリスがEUを離脱した。

 昨日の北日本新聞に「開山伝説広めた矢尻 立山博物館 元宿坊家で発見」という興味深い記事が掲載されていた。
 立山の開山は701年と言われ、伝説によれば越中国司・佐伯有若の息子、有頼が阿弥陀如来の命を受けて開いたと言われている。それは、こんなストーリーになっている。

 有頼が、父の白鷹を持ち出して鷹狩りに出る。しかし、途中で白鷹が逃げてしまい、有頼はあわてて白鷹を追いかけて山中に入っていく。
 ようやく白鷹を見つけた所に、一頭の熊が現われ驚いた白鷹は再び逃げてしまう。有頼は持っていた矢を射ると、それは熊の左胸に突き刺さり、矢が刺さったまま熊は白鷹と同じ方向へ逃げ去った。
 追いかけていた有頼が立山の山頂まで来ると、白鷹と熊は崖に空いた岩穴に入って行く。ようやく追い詰めたと思い岩穴に駆けつけると、そこには矢の刺さった阿弥陀如来が立っていた。
 驚いた有頼に阿弥陀如来は「多くの迷える人々を救うために白鷹になり、熊になり貴方をここまで呼び寄せた。どうか立山を開いて国中の人々が登拝できるようにしてくれないか」と話した。
 感銘した有頼は山を下り仏門に入り慈興上人となって立山を整備した。

 今回見つかった矢尻は、有頼が熊にめがけて射った矢の先につけられた矢尻だとして、衆徒が全国の檀那場へ布教に出かけた際に用いられたものなのだろう。

↑熊を追いかけて有頼が入っていった岩屋(玉殿岩屋)。2018年10月3日撮影。この岩屋の中に、矢の刺さった阿弥陀如来が現れたことになっている。室堂平の名前の由来ともなっている室堂の横から10分ほど下りた所にある。途中は岩がゴロゴロした細い道で、崖から落ちないかと少し怖かった。

 新型コロナウイルスの感染者の数が1万人を越えた。この数日間に報道されたニュースを並べておく。
新型肺炎対応、各国苦悩 豪、1500キロ離れた島に14日間隔離
新型コロナウイルス、症状のない2人が検査に同意せず(第1便帰国者206人)
29日帰国の3人、新型肺炎感染を確認 2人は症状なし
中国本土全域で新型肺炎 7千人感染、170人死亡
新型肺炎、国内で人から人感染か 日本人患者を初確認
新型肺炎 政府対策本部を設置 帰国費用負担めぐり議論も
新型肺炎 武漢から帰国の2人「無症状病原体保有者」だと判明
「人から人」感染と認定 新型肺炎、接触者も連絡を―厚労省
WHO、新型肺炎で緊急事態宣言 拡大防止へ国際協力強化
「肺炎」指定感染症の施行前倒し WHO緊急事態宣言で政府
武漢の感染者7万6千人か 香港大のチームが推計
「新型肺炎はヒト・ヒトで感染者10万人確実」北大教授が推計 流行は「5月までは続く」
世界の感染者数 リアルタイムデータ

 武漢からの帰国第一便が到着する時には、まだ政府に対策本部が設置されていなかったというお粗末さ。チャーター機で武漢より邦人を帰国させたが、帰国者数分の部屋が確保出来ずに相部屋。 当初はチャーター機の航空運賃を徴収すると言っていたが批判が多く無償に。WHOが緊急事態宣言を出してから、急いで指定感染症の施行前倒しを決断する後手後手の対応。
 対策本部の設置も指定感染症の施行前倒しも、国会での審議ではなく内閣で決定できることだ。対応が後手後手なのは野党が国会で「桜を見る会」について追及していることとはまったく関係ない。ましてや緊急事態条項の必要性もまるでない。現政権の能力のなさだろう。この国の危機は新型コロナウイルスの前に、この政権の存在自体ではないだろうか。
 1月29日の国会で、石垣のりこ議員が安倍首相への質問の冒頭で触れた「我が国の安全の最大の障壁」という言葉が実に的を射ている。
<本来であれば、新型肺炎ウィルスの件、また自衛隊の中東派遣など、我が国において、我が国に住む人々、その生命と財産、そこに直結する問題を質疑したいところではございますけれども、我が国の安全の最大の障壁となっているこの政権の公文書管理及び公金管理の杜撰さ、責任感の無さを糾さなくてはならないと思います。そのためにこの政権の堕落の象徴とも言える「桜を見る会」について主に質疑をさせていただきます>
 質疑の全文はこちら、動画はこちらに。

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高浜3、4号機停止へ 関電、テロ対策遅れ 全国2例目
民主党政権が「健康保険が外国人に悪用される原因を作った」は誤り。新型コロナウイルスめぐり拡散
処理水海洋放出の利点を強調 福島第1原発で政府小委提言へ
シーチキンを“箱買い”する沖縄県民、消費量は全国平均4倍 はごろもフーズが感謝の1億円
辺野古、米軍基準満たさず 滑走路の設計変更案
米、地雷使用規制緩和か 朝鮮半島外でも解禁と報道 NGOなどの反発必至

 昨年の4月13日に撮影した西猪谷の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
西猪谷の獅子舞01
↑八坂神社までの道行き。マムシと呼ばれる、先端を割った竹を道に叩き付けては左右に擦る露払いが先頭を歩く。
↓西禅寺での獅子舞。西猪谷の獅子舞は2人立ちの金蔵獅子。
西猪谷の獅子舞02

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