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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

富山県のイルミネーション
富山のイルミネーション2019−2020

2020年カレンダー
1月1日 白川郷 春駒踊り 午後1時頃に和田家周辺からスタート
1月11日(土)、12日(日) 日本海高岡なべ祭り2020
1月19日(日) 東猪谷 宝樹寺 数珠繰り読経14時〜、数珠繰り15時〜 記事
2月2日(日) 新川神社 寒中みそぎ鎮魂作法錬成会 13時〜18時
2月3日 射水神社 節分祭
2月15日(土)? 楡原・上行寺 火祭り
4月の第1土曜日 新開発の獅子舞(熊獅子)  9時頃に天満宮奉納
4月10日 景完教寺 太子伝会
4月の第2土曜日 朝日町笹川の獅子舞
4月15日に近い土曜日? 岩稲の獅子舞
4月15日に近い日曜日 朝日町境の獅子舞
5月3日 越中八尾曳山祭
6月1日、7月1日 東泉寺 ひとつやいと 記事
7月1日 上市町 日石寺 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
8月19日、9月15日 鷹栖(宮木嶋)の獅子舞(金蔵獅子)
9月第1日曜日 砺波 狐島西の獅子舞(金蔵獅子)
10月? 白川郷 どぶろく祭り
10月? 利賀の山祭り(石かち)
10月15日に近い日曜日 朝日町境の獅子舞
10月最終土曜日 砺波 東石丸北部の獅子舞(金蔵獅子) 

◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
道祖神
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

1月28日(火)

 関東甲信では昨夜から未明にかけて雪が降ったようだが、富山では最高気温13℃。ホントに真冬とは思えない気候だ。

 当初は感染力は弱く、致死率も低いと思われていた新型コロナウイルスだが、ここに来て急激に感染が広がり、死者も100人を越えた。国内で、武漢への渡航歴はないが武漢からのツアー客を乗せたバスの運転手が感染していることがわかった。
 日本政府は今日、この新型コロナウイルスによる肺炎について、指定感染症にする方針を閣議決定した。また、武漢に取り残されている日本人を帰国させるための民間機を派遣する。しかし、チャーター機を利用する在留邦人に対してエコノミー料金を請求する方針だという。

 先日、ヤフオクで勇崎哲史さんの写真集『大神島 記憶の家族』を購入した。日用品、消耗品以外では今年初めての買い物だ。
 この写真集は大神島に行く前と行った後の2回、那覇の図書館で借りて見ているが、いつか手元に置きたいと思っていた。
 大神島は沖縄県の宮古諸島にある小さな島。「来訪神、仮面・仮装の神々」で無形文化遺産に登録された奇祭・パーントゥが行なわれる島尻集落からフェリーが出ていて、15分ほどで到着する。現在島の人口は20人ほどだという。

 この写真集は勇崎哲史氏が沖縄が日本に復帰した1972年に、大神島に住む全世帯23の家族写真を撮影。その18年後の1990年にもう一度23世帯を訪ね、再び家族写真を撮影している。18年の間に子供が島を離れ家族が少なくなった家もあるし、主人を失い戸を閉ざした家もある。そしてさらに2年後の1992年、島を離れた子供たちが戻ってくる正月にもう一度家の前で家族写真を撮っている。
 屋号で紹介された各世帯に流れた時間を、3枚の写真が教えてくれる。ポートレートの原点ともいえる家族写真、そして写真の記録性。面白くないわけがない。

写真集の大神島01
 沖縄で知りあった写真家や民俗学の研究者から勇崎さんのことを耳にすることはあったが、実際にお会いする事はなかった。ひょっとすると、どこかの祭祀の現場で偶然に居合わせているかもしれないが。
 勇崎さんは那覇で光画文化研究所という写真学校、写真ゼミをやっている。もともと札幌の人で、北海道東川町の「写真の町構想」に深く関わり、「写真甲子園」の考案者だそうだ。
写真を真ん中に人とつながる
写真集の大神島02
大神島のナカヤー

↑ナカヤー(中の家)という屋号の家。左頁は1972年で、おばあさんが一人で住んでいた。右頁は1990年でおばあさんは既に亡くなり、家の戸は閉ざされている。この頁をめくると、島を離れたおばあさんの子や孫、ひ孫が主人の居ない家の前で並んでいる1992年の写真に続く。

←ボクが島尻のパーントゥを見に行った2012年10月、大神島へ足を延ばした際に撮影したナカヤー。

 昨年の4月6日に撮影した射水市赤井の親子獅子の写真をPhoto Albumにしました。こちらこちら
赤井の親子獅子01
↑神楽岡神社での奉納。写真は百足の親獅子。↓獅子ごろし。写真は2人立ちの子獅子。
赤井の親子獅子02
 今日の国会で安倍首相が「私はですね、幅広く募っているという認識でございました。募集しているという認識ではなかったものです」という日本語を破壊する衝撃的な答弁を行ない、ネットでは#募ってはいるが募集はしてないというタグで盛り上がっている。

1月24日(金)

 今日は旧暦の12月30日。旧暦に31日はないので、今日がトゥシヌユール(大晦日)だ。沖縄でも旧暦でお正月を祝うシマは少なくなったが、神の島とも呼ばれる久高島では旧正月の伝統行事が残っている。
 トゥシヌユールの今日は、祭場となる外間殿でハカイメー(供出)が行なわれる。午後になると、集落の女性たちが家から泡盛の瓶を持って次々に訪れる。供出は男性一人につき泡盛をグラスに1杯と家族の人数x100円。殿に置かれたやかんの中に、各家庭の泡盛が注がれる。
 午後も遅くなると島の交流センターの厨房で、子供達が明日のウサイ(ご馳走)作りのお手伝いをする。ウサイはシャクトゥイ(盃事)の際に出され、見物客も受付で参加料として1000円を御志納すればウサイと飲み物が振る舞われる。

 昨日の沖縄タイムスに、久高島に野菜工場が完成したという記事が載っていた。水耕栽培のレタスを中心に、コマツナやチンゲンサイを生産しているという。今年のNHKの正月番組「ブラタモリx鶴瓶の家族に乾杯 新春!沖縄スペシャル」で鶴瓶さんが取材していたが、久高島では以前から海ブドウの養殖も行なわれている。変わらないようでいて、島も変わっていく。
 ところで、久高島は原則として私有地を認めず区の共有地とする地割制だったが、まだ制度は残っているのだろうか。

大晦日の外間殿
↑2014年1月30日に撮影した、トゥシヌユールの外間殿。住民が次々と殿に訪れ、グラス1杯の泡盛と、家族の人数x100円を供出する。
 かるめら姫こと漫画家のまついなつきさんが21日に亡くなったことを、親族がツイッターを通じて一昨日報告された。突然の報に、ちょっと驚いた。
けいせい出版のマンガ

 一番マンガを読んでいたのは20代の頃で、今でもマイナーな出版社から発売されたマンガが棚に並んでいる。青林堂のガロや、ぱふ、関西のチャンネルゼロが発行していた季刊漫金超といった雑誌に描いていた人たちのマンガが多い。
 山田双葉(山田詠美が小説家でブレイクする前、本名でマンガを描いていた)の『シュガー・バー』や渡部和博『熊猫人民公社』、いしかわじゅん『憂国』、ひさうちみちお『罪と罰』といった、けいせい出版の本を並べた棚の中に彼女の初めての単行本『かるめら丼』も収まっている。
 一つ一つのマンガがどう面白かったのか、今となってはよく思い出せないけれど、山田双葉や内田春菊、まついなつきと下半身に力のある女流漫画家の本に魅かれていたようだ。
 まついさんが米米クラブの石井竜也さんと、雑誌「宝島」でプロジェクトCという連載をしていた頃までは見ていたが、ヒット作『笑う出産』の頃の彼女のマンガは知らない。もうこの頃は自分がマンガをあまり読まなくなっていた。

←家にある、けいせい出版の単行本。

 一度だけ彼女を撮影したことがある。2007年で、健康雑誌の編集者からまついさんの撮影依頼があった。健康雑誌でなぜ漫画家を?と思っていたら、その頃の彼女は漫画家だけではなく占い師もやっていた。手相の特集で、インタヴューの顔写真と掌を撮影した。
  1960年7月1日生まれだから、学年は彼女の方が一つ下になるが同い年だ。山田詠美も内田春菊も同世代の漫画家だ。

 中国で感染が広がっている新型コロナウイルス。日本国内でも2人目の感染者が見つかった。最初の発症者が見つかった中国の武漢市では、昨日から鉄道や空港を閉鎖し移動制限に乗り出した。

杉田議員を提訴「反日研究と中傷」 同志社大教授ら損賠求め
夫婦別姓ヤジ、杉田議員は取材拒否 自民は特定に応ぜず
↑この人、こんな話題ばかりだな。
 この他の気になった記事を備忘録として。
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桜記録「開示すれば不正侵入を助長」 西村官房副長官

 昨年の4月6日に撮影した東猪谷の春祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
東猪谷の獅子舞
↑東猪谷の獅子舞は金蔵獅子で獅子は2人立ちだが、オドリコ、ササラ、キンゾー、テングと多彩な顔ぶれが登場して賑やかだ。

1月21日(火)

 1月も後半に入ったというのに、平野部では未だに積雪がない。と言うか、ほとんど雪が降らない。山間部でも深刻な雪不足で、来月の7日〜9日に開催を予定していた「利賀そば祭り」の中止が決まった。
 昨日は写真家・奈良原一高さんの訃報が、 今日は俳優の宍戸錠さんの訃報が流れてきた。
 奈良原さんの写真展『奈良原一高のスペインーー約束の旅』が世田谷美術館で今月26日まで、『人間の土地/王国 Domains』がJCllで2月2日まで開催されている。
 この他の気になった記事を備忘録として。
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二十三夜塔

 一昨日は、東猪谷にある浄土宗のお寺、宝樹寺へ数珠繰りの撮影に行ってきた。14時から読経、15時から数珠繰りだが舟渡集落から東猪谷集落にかけの飛騨街道東道には野仏がたくさんあるので、早めに行って散歩がてら道端の石仏を撮影してきた。その中に二十三夜塔という石塔があった。石塔の横には野菊の会の方が設置した「三夜様」と書かれた札が立っている。地元ではサンニャサマというらしい。月待塔とも呼ぶようで、特定の月齢の夜に当番宿となる家に村民が集まり月が出るのを待ちながら飲食をしたり、お経を唱えて月を拝んだ民間信仰の供養塔であり記念碑だそうだ。
 この月待ち行事には十五夜、十六夜、十九夜、二十二夜、二十三夜などいろいろあるようだが、東猪谷は二十三夜で、後で長老の方にお話しを聞くと毎年旧暦の1月23日に月待ちをしたそうだ。講のような組織ではなく、隣近所の寄り集まりで昭和30〜40年頃まではあったという。

←東猪谷の二十三夜塔。舟渡から東猪谷に入る2つの道(神通川沿いの道と、少し山側の道)が一つになる場所に置かれている。

 月待塔には文字を刻んだ文字塔と、仏像などを彫った刻像塔があるそうだが、東猪谷のものは刻像塔だ。二十三夜待ちは勢至菩薩が本尊で勢至菩薩が彫られることが多いそうなので、この石塔に彫られた仏様も勢至菩薩だろう。蓮台の上に石塔が乗っているのではなく、石塔の中に蓮台に乗った仏様が彫られているのがユニークだ。その仏様を包んでいるのは宝珠だろうか。
 東猪谷では月待ち行事の他に、嘗ては夜通しの庚申講も行なわれていたという。数珠繰りも現在は15分ほどで終わるが、嘗ては百万遍念仏の名の通り夜通しみんなで念仏を唱えて数珠をまわしたという。これらは民間信仰というだけではなく、テレビもまだ普及していない時代に、住民が寄り合ってお団子やおはぎを食べながら長い夜を世間話をして過ごした娯楽でもあったのだろう。だからテレビが各家庭に入ると同時に廃れていったのではないだろうか。
 野仏と数珠繰りの様子も後々UPいたします。 
 昨年の4月6日に撮影した舟渡にある素盞嗚(スサノオ)社の湯釜神事の様子をPhoto Albumにしました。こちら
湯釜神事
↑釜の熱湯に熊笹を束ねたものを浸し、それを参拝者に振りかけて祓い清める湯釜神事。

1月19日(日)

 東猪谷にある浄土宗のお寺、宝樹寺で行なわれる数珠繰りを撮影に行く。事前に問い合わせたところ、読経が14時から始まり、数珠繰りは15時からということだった。
 最寄りの駅は高山線の猪谷駅で、駅から30分ほど歩く。高山線の時刻表を調べると11時20分に到着する電車の次は15時4分だ。富山駅から路線バスにすれば13時29分で丁度良いが、料金が高くなる。悩んだ結果、11時20分に到着する電車にした。読経まで2時間半ほどあるが、駅前の猪谷関所館を見学して、舟渡集落から東猪谷集落までの飛騨街道東道にたくさん点在する野仏を撮影することにする。
猪谷駅
 あいの風とやま鉄道で10時26分に富山駅に到着。10時32分の高山線に乗り換えて、終点の猪谷に11時20分に到着。センター試験の影響だろうか、日曜日だというのにあいの風とやま鉄道の車内は、高校生でいっぱいだった。
 猪谷駅で降りるが、遠くの山に少し積雪が見えるが、周辺にはまるで雪がない。山間部に雪が無ければ、雪解け水もできないわけで、これから先に水不足が起こることはないんだろうか?
 宝樹寺の読経が始まるまでたっぷり時間があるので、先ずは駅から歩いて2分ほどの猪谷関所館へ。関所館には昨年の4月に、西猪谷の獅子舞を撮影して歩いた時に一度中へ入ったが、その時はほとんど中の展示物は見ていない。
猪谷関所館
↑猪谷関所館。近くには西猪谷関所跡の石碑もある。
 150円の入館料を払って中に入ると、エントランス正面に付近の集落などで見つかった円空仏の展示があった。展示室には、野仏のある場所と野仏の写真を付けた舟渡から東猪谷までの街道の地図が貼られていた。館内にいらしたスタッフの女性に、これから舟渡から東猪谷まで野仏を探しながら歩くので資料はないですか?と尋ねると、「ありますよ」と言ってコピーを何枚か渡してくださった。「大沢野町下タ南部 野仏の里 野仏ガイドブック」と書かれており、関所館で開催したウオーキングイベントか何かのために作製したものかもしれない。
 50分ほど色んな展示物を眺めた後、関所館を出て神通川を渡り、舟渡集落へ。さっそく関所館でもらったコピーを見ながら、野仏を撮影して歩いた。
野仏01
上段左:舟渡にて青面金剛と金毘羅大権現の石塔/上段右:舟渡の野仏群。双体道祖神、大日如来、馬頭観音などが並んでいる/中段左:集落の境にしめ縄を張って悪霊や疫病が入らないように道切りがしてある。横には野仏を祀った祠があり、バラバラになった五輪塔もある/中段右:東猪谷にて5体並んだ双体道祖神/下段左:橋の横に7体。大日如来の他、地蔵菩薩、不動明王だろうか/下段右:ポツンと1体祀られている。
↑舟渡から東猪谷に入る2つの道(神通川沿いの道と、少し山側の道)が一つになる場所に置かれている二十三夜塔(右)と中央に弘法大師を彫った大きな石塔(左)。
野仏02
上段左:舟渡と東猪谷の境にあるもう一つの道切りのしめ縄。東猪谷側から撮影/上段右:東猪谷の素盞嗚(スサノオ)社参道には大日如来や青面金剛の石仏が/中段左:宝樹寺の参道下に大日如来と不動明王が並んでいる/中段右:東猪谷関所跡の石碑/下段左:岐阜側の村境に張られた道切りのしめ縄。横には石仏を祀った祠がある/下段右:石仏に混じって宝篋印塔が並んでいる。

 舟渡から東猪谷までの街道を1時間以上かけて野仏を探して歩いた。見分けがつき易く数も多かったのは大日如来、道祖神、不動明王、青面金剛だろうか。関所館でもらった資料のコピーには地図と一緒に石仏の特徴が記載されており、とても参考になるので転載させていただく。

◯大沢野町下タ南部 野仏の里 野仏ガイドブック

1.塞の神(さいの神=道祖神)

 道祖神は「道すじの神やほとけ」の代名詞といってもよい石神です。
 飛騨街道東道では、大沢野今生津(いもづ)の大正四年銘の双体像が最北端です。南隣の布尻集落には四体の双体像があります。飛騨との国境に近い舟渡に1体、東猪谷には8体の双体像があります。東猪谷の南端の道祖神1体が盗難にあい帰還が待たれています。
 大沢野布尻の道祖神1体盗難にあってから20年後に帰還されました。
 ガイドブック1ページに盗難前の写真をのせました。早くふるさと「野仏の里」に戻ってきて欲しいと願っています。
 道祖神はいずれも村境にあり、塞の神の役割を担うとともに、布尻では子供達のはきものが供えてあり、腰から下の病気の快癒を願う村人の信仰がいきづいています。
 西街道には、細入村猪谷に祝言像型双体道祖神が一体あります。
 明治三十五年(1902)、親が若夫婦の子宝誕生を祈って奉納したものです。
 飛騨側に入ると、岐阜県吉城郡神岡町中山の双体像1体をはじめ、各集落に1体から多いところ(東茂住)では4体が祀られています。神岡町では双体像35体が確認されています。また、宮川村1体、上宝村7体、古川村1体、高山市3体、宮村1体、丹生川村20体の双体像が現在のところ確認されています。
 さいの神にまつわるあわれな兄妹の物語が伝承されています。
「あるところに一人の男がいました。年頃になって、理想の相手を求めて旅に出ました。数年後ある日、ある場所で理想の人に出会い、夫婦の契りを結んだのです。ところが喜びもつかの間、二人は兄妹であることがわかり、天の神様の罰を受け、腰から下が腐って死ぬことになってしまいました。しかし、自分達を祈って祀れば腰から下のどんな病も治してあげようといって、さいの神様になられたのです」
 このような物語が飛騨街道の道祖神には残されているのです。

2.大日如来

 大日如来は真言宗の寺院の本尊です。智拳印(ちけん忍者印ともいう)を結ぶ大日如来を、金剛界大日如来といいます。法界定印を結ぶ大日如来を、胎蔵会大日如来といいます。
 飛騨街道の道筋に、この金剛界大日如来石仏を数多く見ることができ、特に東道に多いのです。大日如来は牛の守護神だといわれ、大日如来の呪文を唱えると病気が治り、また、安産できると信じられていました。この地方に多かった牛追稼業(牛方どしまともいう)の人達が牛の病気や事故のないよう、また安産を願って街道の難所に祀ったものといわれています。

3.薬師如来

 バイシャジャグルが薬師如来の原語です。バイシャが薬、グルが師匠のことで、そのまま薬師と訳されています。薬師の十二誓願の中に、「除病安楽」があり、衆生の病気を除き、安楽に菩提を得さしめる、とあります。そのことから医薬をつかさどり万病をなおしてくれる仏として、多くの信仰を集めるようになりました。
 現世利益をうたう仏として、お寺の堂宇とは別に薬師堂が建てられ盛んな信仰を得ていることは現在も変わりません。石仏としても薬師如来は数多く建てられています。両手で薬壷を捧げ持つか、左掌上に薬壷を持ち、右手施無長印(*施無畏印?)の姿が特徴です。古い木彫仏などでは薬壷を持たず、釈迦如来と区別のつかない像がありますが、我々の目につく薬師石仏は、薬壷を目印にすれば、それと見分けがつきます。また、石仏には、日光菩薩、月光菩薩を脇侍とした薬師ご一尊は余りみられません。
 舟渡御堂坂に薬師如来石仏が3体あります。人間とともに牛馬の健康、病気快癒を祈った先祖の生活がしのばれます。

4.馬頭観音

 原名はハヤグリーバ。「馬の頭を持つ者」の意です。
 観音様はやさしい顔の慈悲相、あるいは菩薩相というのが通念ですが、この馬頭だけが忿怒相という怖い顔をしています。やさしい顔では教化し難い衆生には、怖い顔をして救わなければならない時もあります。このような忿怒相で現れる姿を「教令輪身 きょうりょうりんじん」といい、馬頭観音や不動明王がこの姿です。
 また馬頭観音はその文字の通り、頭上の宝冠に馬の首をいただいています。これは転輪聖王(てんりんじょうおう)の宝馬が、四方を駆けめぐり四魔を打ち破ったり、また無明や煩悩を馬食の如く喰いつくしてくれるということを表しています。
 馬頭観音石仏は、一面二臂、四臂、三面二臂、四臂あるいは八臂等、多彩な像容に造られています。当初は六観音、七観音の中の一つとして、仏教的な作仏でしたが、次第に馬の供養塔としてや墓碑的性格を持った馬頭観音が増えてきます。それと共に簡単な文字碑が多くなり、その造塔数も明治、大正に至るまで飛躍的に増えてきました。
 施主、造立者も馬持衆、馬方講中の造立から個人建立のものが多くなります。
 飛騨街道にも、たくさんの馬頭観音があります。街道筋の集落では、農耕や作馬として飼育していた愛馬の健康を祈り、不幸にして死んだ馬を埋葬した供養碑としたり、危険な道筋や狭い道での運搬に活躍する馬の行路安全を祈願して建立されました。牛の守護神は大日如来、馬の守護神は馬頭観音と、飛騨街道では区別されて信仰されています。

5.不動明王

 不動明王の梵名はアチャラナータ。この場合は不動尊と訳します。五大明王の主尊ですが、明王はヴィドヤーラージャ。明は明呪などというように真言のことで、ラージャは王様を意味します。明王となると孔雀明王を除き、皆忿怒相の怖い顔となります。不動明王は大日如来の教令輪身で、大日の使者とも呼ばれます。
 不動明王は当初、大日如来の使者、使い走りということで童子の形をしていました。しかしその後、忿怒形での教化という役割の方が大きくなり、童子形をとらなくなります。不動三尊のこんがら・せいたかの童子形とは明らかに異なってきていることが、実際の石像や彫像からわかります。『大日経』に「・・・・・・不動如来使あり。慧刀とけん索を持し、頂髪左肩に垂る。一目諦観、威怒身にして猛焔あり。安住して磐石に在り。面前に水波の相あり。充満せる童子の形なり」といったことが書いてあります。
 その他経典や儀軌には、不動明王関連のものが数多くあります。一面二臂が一般的な不動明王です。そして、忿怒相をした一面で、左方に弁髪を垂らし、右手に劍、左手に羂索(けんさく)を持つ。背後にカルラ焔を背負い、岩座の上に立つ、あるいは結跏趺坐(けっかふざ)しているのが一般的といえます。猪谷では、清水の守り神として水源地に祀られているものが多い。カルラという炎で悪疫、煩悩を焼き付くし、きれいな水にしてくださる仏さまです。

6.庚申塔

 庚申とは十干の庚と十二支の申とが結びついた、六十回に一回まわってくる日や年のことです。中国の道教の思想に三尸説(さんしせつ)というものがあります。これは人間の体内に三尸という虫がいて、いつも人間の早死を望んでいます。庚申の日の夜ごと、人間の眠っている間に、その人の体内から抜け出して天に昇り、天帝にその人の日常の罪科を報告し、天帝はこれを聞いて、その人の死期を早めるという説です。三尸の上天を防ぎ、長生きをするために守庚申といいます。日本では奈良時代に宮廷貴族の間で守庚申が行なわれ、平安時代の末頃から武士の間に広まったようです。江戸時代では修験者の指導によって信徒集団がつくられ、仏教の方では青面金剛を本尊とされ、神道では猿田彦大神を守尊として、庚申信仰の大衆化が進んだのです。飛騨街道の集落でも盛んに庚申信仰が行なわれた時代があり、大沢野町坂本、小糸、舟渡、猪谷、細入村片掛、猪谷、蟹寺、加賀沢から岐阜県側の各集落に青面金剛像が多く残されています。現在でも庚申講の行事を行なっている集落もあります。

7.金毘羅大権現

 香川県多度郡琴平町にあり、多くの人に知られる神社です。金毘羅とは梵語「クピーラ」(*クンピーラ?)の音写で、ガンジス河に住む鰐の神格化された神です。この神は仏教に取り入れられて金毘羅大権現となりました。水に関係のある金毘羅は、海上守護の神として信仰され、船乗り、漁民を始め、都市、農山村の住民にも広く信仰されました。江戸時代後期には諸国に金比羅講ができ、盛んに金毘羅詣が行なわれました。飛騨の村々のなかでも、有力者の金毘羅参り、伊勢参りが盛んになり、参拝の記念碑として、金毘羅石碑が建立されたのです。

8.サンニャサマの行事と二十三夜塔   平井一雄

 大沢野町猪谷(通称東猪谷)地区で行なわれるサンニャサマの行事を報告する。
 サンニャサマとは二十三夜の月待ち行事である。一月から三月のあいだにおこなわれる。近所の主婦たちがそのうちの一軒に集まり世間話をしながら月の出を待つ。月の出が近くなると「やがて出られるやらしれんちゃ」といってろうそくや線香をたてて拝む。参加者には、団子かぼたもち又は赤飯のうち何かを作って供する。集まる範囲は隣近所といった程度で一定していない。またきまった講組織はない「こんどはおらとこで待とまいか」といった具合である。どちらかというとその年に身内の祝事のあったような家がよく宿をする。
 参考 富山民俗二十一号「東猪谷民俗誌」

◯細入村蟹寺の三夜様
 東猪谷の対岸、細入村蟹寺のサンニャサマ。「サンニャサマまだ上がられんけ」「いま上がられるわいね」「雪が降っとるから今日は拝めんわね」などと集まったおばあちゃんたちの楽しい会話が聞かれる。細入村蟹寺の曹洞宗慈眼院に集まり、昔ながらに二十三夜の月の出を待つ人たちである。

↓宝樹寺。→境内にある六字名号石仏碑。
六字名号石仏碑
 野仏の撮影を終えて、13時40分頃に宝樹寺へ。本堂で住職の黒川顕雄さんにご挨拶する。宝樹寺の数珠繰りは、浄土宗の開祖・法然上人の遺徳を偲び命日である1月25日に近い休日に行なわれている。
風誦文

↑読経。
←諷誦文。

 14時から読経が行なわれ、その後、先祖供養の諷誦文(ふじゅもん)が唱えられる。受付で参列者が記載した祖先の命日を、住職が伏鉦を叩きながら読み上げる。
 諷誦文が終わると、いよいよ数珠繰りが行なわれる。

↓数珠繰り。

数珠繰り01
数珠繰り02
 嘗ては100戸ほどの集落だった東猪谷だが、現在は23戸になり、数珠繰りに参加された方は高齢者を中心に16人だった。この日は15分ほどで数珠繰りは終了したが、昔は百万遍念仏の名の通り、大勢の人で夜通し念仏を唱えながら数珠をまわしていたそうだ。
 数珠繰りの後、住職に少しお話しを聞き、浄土宗の数珠繰りについて書いた資料をいただいた。以下、

◯寳樹寺数珠繰り

 浄土宗の数珠繰りは、京都・浄土宗大本山百萬遍知恩寺が最初で、元弘元年(1331)に疫病が流行しました時、後醍醐天皇が疫病平癒のために七日間の百萬遍お念仏をお命じになり、七日間の百萬遍お念仏を修しましたところ疫病が止みましたので、後醍醐天皇から知恩寺へ「百萬遍知恩寺」の寺号を賜り、この事をご縁と致しまして浄土宗では広く「百萬遍の数珠繰り」が行なわれています。
 寳樹寺の「数珠繰り」は、宗祖法然上人の命日であります一月廿五日頃執り行う御忌法要と併修致しております。
 伏鉦を打ち鳴らしつつ念仏を唱え大きな数珠を回し、主珠が自分の前に回ってきた際に主珠の房を額に当てて無病息災を願います。        
                                            平成十五年 寳樹寺

帰りの電車
 帰りの電車は猪谷駅を17時18分に出発する。宝樹寺を16時10分頃にお暇して、来た道を辿って駅に向かう。今年は雪がなくて、冬眠していない熊がいるというので、小さな鈴を降りながら歩く。
 駅の待合室で、家から持ってきた食事代わりのマフィンを食べる。電車が出発時間より少し前にホームに入ってきた。海外からの観光客も多い。岐阜の飛騨から富山を通り金沢へ向かうのだろうか。
 富山駅に18時19分に着いて、18時42分発のあいの風とやま鉄道に乗り換える。電車の窓ガラスに雨。最寄り駅で降りると、土砂降りの雨になっていた。

*富山新聞の記事

1月15日(水)

 今日は小正月(14日〜16日までの3日間を小正月とする節もある)。昨日、県内のいくつかの神社では左義長(どんど焼き)が行なわれたが、奄美大島の北部では1月14日はナリムチの日だ。どういう訳か、瀬戸内町など南部にはこの風習がない。
 ナリムチは餅花の一種で繭玉飾りのように枝に千切った餅を付け、無病息災や五穀豊穣を願って玄関や軒先、神棚や仏壇、墓前に飾る。ナリムチの前日にはスーパーや八百屋さんの店頭に、ブブ木(リュウキュウエノキ)の枝と4色の餅が並べられている。
 2011年の正月に、自分でも材料を買ってきて作ってみた。作ったはいいが、借りていた部屋(2DKを改築した1LDK)には神棚も床の間もない。ちょうどその頃「トイレの神様」という曲も流行っていたので、トイレの出窓に飾ってみた。
 名瀬で部屋を借りる時、いくつかの不動産屋をまわり、たくさんの部屋を紹介してもらったが、決めたポイントはエレベーターは無かったが5階の角部屋で窓を開けると港が見えたことと、トイレが明るくて広いことだった。床はフローリングだったが、壁と天井は白。出窓からの日差しが全体にまわって明るく、居心地のよいトイレだった。
 ナリムチを入れる花瓶もなかったので、田中一村の”初夏の海に赤翡翠”の絵がラベルになっている黒糖焼酎「奄美の杜」の空き瓶を利用した。
 ナリムチは18日まで飾り、昔は18日に餅を外して蒸したサツマイモと練り合わせて「ヒキャゲ(ヒチャゲ)」というお菓子を作って食べたそうだが、今はナリムチの餅を食べる人はほとんどいないそうだ。それでもこの日、スーパーに行けば店頭に「ヒキャゲ」が並んでいる。一度買って食べたが、サツマイモの味と餅の食感、材料そのまんまだった。
ナリムチ
 四国電力は13日、伊方原発の3号機からプルサーマル発電で使用したMOX燃料を取り出した。運転開始後の商用原発からのMOX燃料の取り出しは国内初だという。しかし、核燃料サイクル政策は破綻しており、取り出したMOX燃料の再利用の見通しは立っておらず、取り出した燃料は原子炉建屋内のプールに十数年間保管するそうだ。この燃料取り出しの作業で、四国電力は12日に誤って制御棒を1体引き抜くトラブルを起こしている。
 麻生副総理が13日の国政報告会で「2千年の長きにわたって一つの場所で、一つの言葉で、一つの民族、一つの天皇という王朝が続いている国はここしかない。よい国だ」と述べた。ネットでその発言に対して批判する声が多数上がり、翌日の閣議後記者会見で「誤解が生じているなら、お詫びの上、訂正する」とコメントしている。誤解は生じておらず、麻生副総理の発言そのものに批判が起きているのだと思うが、もし誤解が生じていると思うなら、その誤解とはどういうものか麻生副総理自ら説明して欲しい。お詫びも訂正もそれからだろう。
 因みに総務相時代の2005年にも「一文化、一文明、一民族、一言語の国は日本のほかにない」と発言して批判を浴びているそうだ。懲りないのか、学習能力がないのか。

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雪像と子供

1月12日(日)

 ウクライナ機の撃墜を否定してきたイランが、昨日、一転して撃墜を認めた。昨日投開票が行なわれた台湾の総統選挙では、一国二制度を拒否する、現職の蔡英文(ツァイインウェン)総統が再選を果たした。
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 昨日は午後から、散歩がてら日本海高岡なべ祭りと、小杉のイルミネーションを見てきた。

1月11日(土)
 今日と明日は高岡駅周辺で「第34回 日本海高岡なべ祭り」が開催される。このところ運動不足なので、午後から散歩がてら見に行ってきた。
なべ祭り01
 あいの風とやま鉄道で、14時25分に高岡駅に到着。改札を出ると、2階の構内や駅ビル「クルン」のテラスがフードコートになっており、鍋のテントや食べるためのテーブルが並んでいる。
 クルンからウイング・ウイング会場、そして御旅屋通りへと歩く。お昼をたいぶ過ぎていたからか、一番長い列が出来ていたのは、ベビーカステラの屋台だった。
なべ祭り02
 なべ祭りだが、焼き牡蠣や鮎の塩焼きを売る店なども出ており賑やかだ。御旅屋通りを抜けた所には観光バスも停まっていた。一通り見て歩いたので、飲食店が並ぶ桐木町の路地を通って駅前に戻る。高岡一の飲屋街、繁華街だが昼だからというだけではなく、ずいぶんと寂しい印象。広い空地も出来ていた。 
 「ツゥインクルナイト in 射水」というイベントが昨年の11月24日から今年の2月15日まで開催されているので、会場のある小杉駅へと向かう。
 高岡駅を15時47分の電車に乗り、15時54分に小杉駅へ到着。イルミネーションの点灯は17時からだが、少し早めに着いて町歩きをしようと思っていたが、小杉に到着すると土砂降りの雨になっていた。
小杉のイルミネーション01
 しょうがないので南口にあるショッピングセンターで、珈琲豆、ロッテから新発売されたチョコ「カルヴァドス」、安売りになっていた肉まんを購入。北口の待合室に戻って、テレビを観ながら点灯時間を待つ。
 17時になっても駅前ロータリーのイルミネーションが点灯しなかったので、先に下条川の方を撮影。駅に戻ると、ロータリーのオブジェにも電飾が灯っていた。
小杉のイルミナーション02
 小杉駅を17時27分発の電車で、家へと帰る。最寄り駅からは傘をささず、自転車に乗って一気に帰る。
ロッテのカルヴァドス
 TBSの「世界ふしぎ発見!」がスペインの特集だったので、何年振りかで見る。移牧祭という、1000頭を越す羊が首都マドリッドを行進する祭りを紹介していた。そんな祭り、あったかな〜と思って調べたら1994年から始まったものでトラスウマンシア祭りというようだ。自分がスペイン・ポルトガルを旅した1986年にはまだこの祭りは生まれていなかった。そう言えば、スペインの町外れを歩いていると、不意に羊の群れと出会ったのを思い出した。
 今日、ショッピングセンターで買ってきたチョコを開ける。「ラミー」「バッカス」と並ぶロッテの冬季限定チョコの新製品。リンゴのブランデー「カルヴァドス」がチョコの中に入っている。美味しいんだけど、やっぱりラムレーズンの入った「ラミー」に軍配が上がる。
 岩稲のおくわさま、利賀村の初午も今日無事に行なわれたようだ。
 昨年の2月3日に撮影した富山縣護國神社境内で行なわれる「のみの市」の様子と、護國神社の節分祭の写真をUPしました。こちらこちら
↑月初めの日曜日に開催されるのみの市。↓柊の葉に鰯の頭を刺した「やいかがし」を献饌する。
護國神社の節分祭

1月10日(金)

 雪が降らないのは全国的で、北海道では記録的な雪不足により冬のイベントが中止になったり縮小したりしているようだ。
 8日の未明にイランがイラク駐留の米軍基地2ヵ所へロケット弾を発射したが、その直後にイランの首都テヘランの空港を離陸したウクライナ国際航空のボーイング737型機が墜落した。この墜落で乗員乗客176人が亡くなったが、イランでは墜落の原因は技術的な問題と発表してきた。しかし、今朝になってネットではイランが誤って撃墜したのではないかという記事が次々に流れてきた。
ウクライナ機墜落、操縦士の過失は「考えられない」 航空会社幹部
ウクライナ機、イランがミサイルで撃墜と確信=米当局者
旅客機はイランが撃墜 カナダ首相、情報入手と発表

 7日に豚コレラ感染かと疑われていた沖縄の養豚場での豚の死亡は、その後、豚コレラと確認された。今日、沖縄では3例目となる豚コレラの感染が確認され2809頭が殺処分される。本土での豚コレラの感染拡大には野生のイノシシが媒介していたが、沖縄ではリュウキュウイノシシが媒介するのだろうか。
 今日、河野防衛相が海上自衛隊に中東派遣命令を出した。

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 昨年の1月20日に撮影した大岩山日石寺の寒修行の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
日石寺の滝修行
↑滝修行。↓不動堂(本堂)での護摩祈祷。
不動堂での護摩祈祷

1月7日(火)

 早朝、机に座ってパソコン作業をしていると母親がドアを開けて、窓の外を見ろと言う。朝焼けを見た父親が母親に伝え、母親がシャッターチャンスだと思って伝えに来たようだ。以前にも一度、朝焼けがキレイだと起こしに来たことがある。

↑この険しさは剣岳だろうか。それにしても立山も雪が少ない。

 確かに窓を開けるとキレイな朝焼けが見えるが、その手前には近所の家があり絵にし辛い。それよりも、家と家の間から遠くに立山連峰がくっきりと見えた。望遠で何枚か撮影する。険しい山並みは、剣岳だろうか。家から剣岳が見えることにちょっと驚いた。

 森法相が保釈中に逃亡したゴーン被告の事例を踏まえ、保釈中の被告が逃走した場合に処罰できるよう逃走防止に向けた法改正を検討しているそうだが、そもそも出入国のセキュリティーの甘さをチェックしたらどうだろうか。密出国出来たということは、同じように密入国も出来るということだろう。今年は東京でオリンピックが開催され世界中から人が集まるが、こんなセキュリティーで大丈夫だろうか。トランプ大統領が羽田空港ではなく、米軍の横田基地から直接日本に入ったこともあるが、これなどセキュリティー以前に主権の放棄だろう。
 今月3日にイラン革命防衛隊のソレイマニ司令官がイラクのバグダッドで米軍により殺害され、アメリカとイランの緊張関係が高まっている。 トランプ大統領はイランが報復に出た場合、イランの民間施設、文化施設、軍事関連施設の52ヵ所を攻撃すると言い、それに対してイラン側も「トランプが52ヵ所と言うなら、こちらは300ヵ所を攻撃する」としている。
 懸念されている第三次世界大戦にまで発展するのかは誰にも予測できないが、日本政府はその中東地域へ昨年末に「調査・研究目的」で自衛隊を派遣することを決定した。昨日、緊張の高まる中東への自衛隊派遣を問われた菅官房長官は「(心配は)していない」と述べたそうだ。日本にいる貴方は心配ないだろうが、派遣される自衛隊員やその家族は心配で堪らないのではないだろうか。忘れてならないのは、この派遣は与野党による国会での議論ではなく閣議決定されたものだ。「そもそもには基本的にという意味がある」「首相夫人は私人」などと同じように、中東地域への自衛隊の派遣を閣僚だけで決めている。

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新しいトップ画面

トップ画面を模様替えしました。この冬は暖冬なのか、平野部ではほとんど雪が降らずちょっと雪景色が恋しい。写真は正反対に豪雪だった、2017年暮れの雪景色。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面
 昨年の1月14日に撮影した勝興寺〜伏木気象資料館〜関野神社のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
伏木気象資料館
↑伏木気象資料館にて。

1月3日(金)

 年末年始、平野部ではほとんど雪が降らないので今ひとつお正月の気分も出ないですが、あけましておめでとうございます。
 昨年の10月に火災で正殿が焼けてしまった首里城では、元旦の朝拝御規式(ちょうはいおきしき)こそ行なわれなかったそうだが、下之御庭で「新春の宴」が催されたようだ。
 あまり正月気分のない2020年の始まりですが、沖縄風にYou Tubeから「かぎやで風」で新春を寿ぎたいと思います。
 元旦は、一度見てみたいと思っていた岐阜・白川郷の春駒踊りを撮影に行ってきました。
1月1日
 世界遺産バスで五箇山までは何度も行っているが、その先の白川郷に足を運んだことがない。元旦に春駒踊りを行なっているので、この機会に白川郷に行って来た。事前に観光振興課に問い合わせたところ、午後1時頃に国の重要文化財に指定されている和田家の辺りに行けば見れるということだった。
 お餅を一つ焼き、昨日の年越しソバの汁に入れてお雑煮を食べてから、あいの風とやま鉄道で高岡駅へ。8時37分に駅に到着して高校時代の後輩が経営しているコンビニへパンとおにぎりを買いに行くと、レジに後輩が立っていた。新年の挨拶をしてから、1階の待合室にあるバス会社の窓口へ行くが、祝日の今日は9時からの営業だった。9時になり、窓口が開いたので2日間有効の高岡と白川郷の往復フリーきっぷ3500円を購入する。
高岡駅前のバス乗り場
 高岡駅前のバス乗り場に行くと、昨年の11月にオープンした富山銀行の新本店ビルが聳えていた。
 9時20分発の白川郷行きに乗車する。休日ということで、満席に近い。
 11時30分に終点の白川郷へ到着。バスターミナルの待合室にある案内所で、集落の地図をもらう。春駒について聞いてみるが、13時に和田家付近というだけで、他の情報はないという。まだ時間があるので、集落が見渡せる展望台まで歩いてみる。
白川郷01
白川郷02
 バスターミナルから写真を撮りながら歩いて、20分ほどで展望台に着いた。同じ合掌造り集落の相倉や菅沼も観光客は多いが、白川郷は集落の規模も大きく駐車場や飲食、お土産を扱うお店も多いので訪れる人の数が段違いで多いようだ。特にアジア系の観光客が目立つ。

 展望台から集落に下りてきてウロウロと歩いていたら、秋葉神社があったので初詣でのお参りをする。
 春駒は13時頃に和田家の周辺と聞いていたので、和田家へと向かう。しばらく待っても気配がないので、カメラを持った年輩の方に聞いてみると、最初は展望台で舞って集落に下りてくるそうだ。和田家の中でも春駒は踊るが、その間は見物客は入れず閉じてしまうという。

←秋葉神社。

 13時20分頃になって、JAの前当たりでざわざわした声が聞こえたので見に行くと、春駒を踊る七福神(寿老人・大黒天・福禄寿・恵比寿・弁財天・毘沙門天・布袋和尚)の一行がお食事処に入って行くところだった。一番後ろに着いてお店の中に入っていくが、人がいっぱいで身動きが取れない。
 踊りが終わって春駒保存会の人たちが出て来たので、次は何処かと尋ねると隣りのお店だというので、一緒にお店に入っていく。こちらも食事中のお客さんが大勢いらしたが、なんとか撮影させていただいた。
 春駒踊りの演目は、先ず俵を担いだ大黒様(大黒天)が登場し、俵を転がしながら口上を述べる。
一つ転がしゃ一千俵、ワハハハハハハ〜。
二つ転がしゃ二千俵、ワハハハハハハ〜。
三つ転がしゃ三千俵、ワハハハハハハ〜。
さてさてこの宝、東の蔵にも三千両、西の蔵にも三千両、合わせて六千両をどっかと〇〇家の蔵の中に納めさせていただき、私、空の俵だけ持って帰ります。

 こちらは利賀村の初午で行なわれる俵ころがしとよく似ている。
 大黒様が引き上げると、今度は白い布を被り着物姿の踊り子が2名登場して舞う。踊り子が退場すると、次に七福神が順に登場して輪踊りをする。5分ほどでこの3つの演目を行なうと、次のお店へと移動する。白川郷は60戸ほどの集落だそうだが、昼はお店や観光施設、夜は民宿などを中心に40戸ほどをまわるそうだ。
 岐阜県のホームページには<大黒による「俵ころがし」、舞妓の「春駒」、七福神の「まくら踊り」、恵比寿・大黒の「鯛釣り」、舞妓の「銭大黒」、七福神の「きり大黒」の6種が連続して行なわれ、それぞれ歌詞がついている>とある。保存会について歩いた場所では3つの演目だったので、夜は6つになるのか、もしくは近年は簡略化されたのだろうか。
春駒踊り01

↑お食事処での春駒踊り。

 お食事処を2軒まわった後に、春駒は和田家へ。和田家の中は撮影できなかったが、和田家の私道から通りまで集まった観光客のためにきれいに並んで道行きを見せて下さった。

←大黒様を先頭に踊り子、七福神、地謡が一列に並んで道行きを行なう。地謡は三味線、太鼓、四つ竹。

↓お土産屋さんでの春駒踊り。

春駒踊り02
 ところで、春駒と言えば一般的に馬を象った板を腹の下に付けたり、馬頭の付いた棒を手に持って踊る芸能として知られている。春駒という呼び名ではないが、同じ系統の芸能である利賀村の初午も胴幕の中に2人の子供が入り、藁で作った馬の頭部と尻尾を操る。春駒保存会の地謡を担当する方にお話しを聞いてみたが、たぶん春駒で馬が登場しないのは白川郷だけだろうという答えだった。では白川郷の場合は七福神が馬に替わるものなのかと思いきや、七福神自体はそれほど歴史の古いものではなく、昔は踊り子だけで春駒を踊っていた可能性もあるという。そして、地謡の方のお話しでは踊り子が蚕の化身で、その踊りは蚕が糸を紡ぐ様子を表現したものだと言う。岐阜県のホームページには<「春駒」を舞う舞妓は、色紙を細かく切って総状にした采を手にし、振り踊るしぐさは春駒の名残を思わせる采の動きが馬の鬣を連想させるからである>という記述がある。
  白川郷は嘗て焔硝と養蚕で生計をたてる農家が多く、春駒は2月の初午に養蚕の繁栄を願う予祝芸として一軒一軒門付けしてまわったという。それが現在は祝福芸として正月や例祭、結婚式の披露宴などで踊られている。養蚕の予祝芸から正月の祝福芸という変遷は、利賀の初午と似ている。
新潟県佐渡の春駒
群馬県川場村の春駒
富山県利賀村の初午
白川八幡宮

 1時間ほど春駒について歩いたが、30分ほどの休憩に入ったので、案内所でもらった地図を見ながら白川八幡宮へ行ってみる。この白川八幡宮では、秋に奇祭「どぶろく祭り」が開催され、その時にも春駒や獅子舞が奉納されるようだ。
 参拝した後、休憩場所に戻ると途中で春駒の一団が歩いているのを発見した。七福神のまわりには観光客が寄ってきて、次々に記念写真を撮っている。

←白川八幡宮。

春駒踊り03
 高岡行きの最終バスが16時なので、2軒ほど春駒踊りを見てから、バスターミナルへ向かう。
 バスの待合室は観光客でごった返していた。高岡行きのバスは1台では席が足りないので、2台が連なって走ることになった。終点の一つ手前、新高岡駅でほとんどの人が降りて、高岡駅で降りたのは4人だけだった。
 駅に行くと、タイミング良くあいの風とやま鉄道の18時27分発の金沢方面行き電車があった。
 家に帰りテレビをつけると「ブラタモリx鶴瓶の家族に乾杯 新春!沖縄スペシャル」という番組が始まった。ロケ地は浦添ようどれ、斎場御嶽、久高島だった。斎場御嶽が巨大な鍾乳洞が崩落して出来たものだとか、巨大な岩が持たれ合ったような三庫理(さんぐぅい)が、琉球石灰岩の下にある泥岩が崩落してズレたものだというのはブラタモリならではのお話しだった。そして鶴瓶が久高島で出会った人たちの何人かは、見覚えのある方々だった。
 大晦日に、保釈中である元日産会長カルロス・ゴーン氏がレバノンに逃亡したというビッグニュースが飛び込んできた。声明文がこちらに掲載されている。そして今日は、イラン革命防衛隊の司令官を米軍が空爆により殺害したというビッグニュースが。
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