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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 |
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11月8日(金) 9時〜 歯医者 ◯勝興寺 新年の宮大工仕事始めの儀 1月7日? 10時30分〜11時30分 |
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*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 *富山の祭り *築山行事 *とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *山の民の祈り *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 *五箇山の獅子舞の起源 *道祖神 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 ◯与論島の洗骨儀礼 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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安倍首相が官邸で、首相主催の「桜を見る会」前日の地元支援者を招いての夕食会の会費などを示す明細書はないのかと記者団に問われ、「そうしたものはない」と述べたのが今月の18日。このいかにもその場しのぎの発言から、20日には<安倍首相、夕食会と違う宿泊先は「ホテルの手違い」><桜を見る会招待者名簿、資料要求の日に廃棄「シュレッダー空いてなかったから」>となり、21日には<「首相も婦人も食事せず」菅氏、会費払わぬ正当性を強調>ということになり、22日には首相主催のはずが<菅長官、前日夕食会「首相夫妻はゲストみたいなもの」>になってしまった。そして昨日は<野党のシュレッダー視察を内閣府拒否「官房長の判断でだめと決まった」と押し切る>とこまで来た。さらに今日には<野党議員 疑惑のシュレッダー視察 A4判800枚を34秒で細断>と報じられ、加えて<桜を見る会に反社会勢力、認める 菅氏「結果的に入ったのだろう」>と新たな問題が浮上している。まさに、無理が通れば道理が引っ込むで、首相の無理筋な発言のために官僚を初め周囲の人間がアタフタとしている。国の最高機関が演じるスラップスティックコメディーだが、笑えない。 激しいデモが続く香港で24日、区議会議員選挙が行なわれ、登録有権者の4分の3前後に当たる300万人が投票。全452議席のうち最終的に400議席近くを民主派が獲得した。4年前の選挙では民主派は100議席しかなかった。 |
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昨年の10月28日に撮影した岩稲八幡宮の神送りと、神通川沿いの風景をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑笹津の駅で降りて楡原まで神通川沿いに歩いた。↓杉の葉を燃やし白い煙りをたなびかせ、出雲へ神様を送る。 |
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伏木の勝興寺で16日か24日まで開催されている『ボーダレス・アートセッション in 勝興寺』という、障害のある方々の作品を中心に展示したアール・ブリュット展を観に行く。今日は午後からは射水神社で初穂曳という行事があるので、午前中の早めの時間から活動開始。 | ||
高岡駅で氷見線に乗り換えて、9時56分に伏木駅に到着。勝興寺に続く駅前の坂を上る。坂を上りきった所にある大伴家持像を撮影。像の隣りに句碑があるのに初めて気がついた。 勝興寺に行くと、総門が工事中で門が撤去されていた。この総門の工事が終われば、平成10年(1998)から始まった大修理がほぼ完成するようだ。 総門の隣りの受付で工事協力金500円を支払って中に入る。 |
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↑杮葺きの鼓堂(左)と檜皮葺きの唐門(右)。↓美しい唐門の檜皮葺きアップ。 |
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境内に入ると、以前は工事作業用のカバーで覆われていた大広間や書院が見えるようになっていた。勝興寺7不思議の一つ、実ならずの銀杏の葉がきれいに色づいている。 | ||
↓修理を終えた大広間。→実ならずの銀杏。 |
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アール・ブリュットの作品展を観に、本堂へ。本堂から渡廊下を通って書院に行くと、受付と最初の展示がある。こちらには、ローカルニュースで見た、毎日事業所と近所のコンビニで顔をコピー機に押しつけて、自分の顔をカラーコピーしている人の作品があった。写し続けること7年だそうだ。書院から渡廊下を通り、台所、大広間と展示が続く。 | ||
撮影禁止の作品もあるが、撮影可能なものを何点か撮っておいた。それにしても、細かい積み重ね作業の作品が多く、その集中力とエネルギーに圧倒される。中でも、個人的に圧巻だったのは、富山県在住の磯野貴之さんの作品。ノートの下の方に電柱と電線が描かれているが、これが80ページの落書き帳36冊分続く。このノートを背と表紙を付けて纏めたのはスタッフの方かもしれないが、この存在感。ページを捲ることは勿論、触れることもできないがこの存在感を見るだけでいい。なんだか、教典のような重厚さすら感じさせる。 |
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↑電柱と電線を延々と描いた磯野さんの作品。 ←施設の作業で紙を使って鍋敷きを作る紙織りの技術を習得した新潟県の丸山弘恒さんが、その技術でひたすら紙を織った作品。こちらは、大人数で念仏を唱えてまわす数珠繰りの長い数珠のようにも見える。この作品も、その集中力とエネルギーに圧倒される。 |
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一つ一つの作品が面白く、また展示の仕方も立体的で、見終えたら11時を過ぎていた。通路を戻り本堂へ。本堂を出て境内の左奥へ行くと、これまた7不思議の一つ、水の枯れない池があった。池の傍には「越中国衙」と刻まれた石碑が建っていた。裏には大伴家持の詠んだ句が刻まれている。 | ||
↓水の枯れない池。→越中国衙の石碑。 |
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←経堂。 アール・ブリュット展が思っていた以上に面白くて長居したが、14時から射水神社の初穂曵がある。伏木から高岡へ行く電車は12時6分か、13時1分。余裕をみて12時6分の電車に乗るため駅へ行こうと思うが、入る時に受付でもらった勝興寺のパンフレットに錣葺きの屋根というのが書いてあったので、この錣葺きはどこにあるのか受付の女性に尋ねてみた。 |
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教えて下さったのは、ジャンパーを着て普段から勝興寺をガイドされている感じの女性。書院と大広間の屋根が錣葺きで、こちらは屋根の部分が2段に分かれている。錣(しころ)とは兜や頭巾などの下部に布や縅(おどし)などを垂らし後頭部を保護する覆いのことで、建築では板に段をつけて並べたもの「羽板、鎧板」のことを「錣板」とも言うそうだ。 |
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↑左が奥書院、右が書院。屋根の素材は杮板で杮葺きだが、上下2段に分かれた錣葺きとなっている。杮葺きの錣屋根の方がわかり易いかもしれない。どうして錣屋根にしたのかについては、幕府の出した建物の奥行きを三間(約5.45m)以内に抑えよという三間梁規制に順守しているように見せるため。下の部分は庇で屋根は2段の上だけという説明をしたようだ。 ←高岡へ向かう氷見線の車窓から。 |
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錣葺きの屋根を撮っていたので12時6分発の電車には間に合わず、13時1分の電車で高岡駅へ。久しぶりに高岡駅に入っている今庄のうどんを食べたかったが、ちょっと時間がなさそうなのでコンビニでコロッケパンを1つ買って食べながら古城公園に向かう。 今日、11月23日は勤労感謝の日であり新嘗祭の日だが、今年は新天皇が即位し大嘗祭となり11月14日、15日に執り行われた。射水神社では23日に天皇陛下の即位を祝う神楽祭を斎行し、初穂米を乗せた奉曳車(ほうえいしゃ)を神社まで引く初穂曳(はつほひき)を行なうと20日の北日本新聞に書いてあった。 出発地である古城公園大手口でしばらく待っていると、消防団の法被を着た男性に引かれて奉曳車が到着した。出発時間の14時頃になると若鳶会、ボーイスカウト、奉納演舞を行なう空手道場の生徒の他、見物人も大勢集まり奉曳車の綱を引いた。 |
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14時になり若鳶会が木遣りを唄い、その後、大勢に引っぱられて公園内を400mほど射水神社に向かって初穂曵が行なわれた。 ↓初穂米を乗せた奉曳車。 |
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初穂曵は伊勢神宮の神嘗祭で行なわれているそうだが、射水神社では今回が初めて。今後は新嘗祭の時に斎行していきたいそうだ。 |
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↑参道でのはしご乗り。 初穂曵が終わると、参道で若鳶会によるはしご乗りが奉納された。 ←空手の奉納演武。 |
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15時過ぎから神楽祭が斎行された。配られた案内には以下のように書かれていた。 弐、舞楽「陵王」りょうおう 参、巫女舞「劔鉾の舞」つるほこのまい 四、空手 NPO国際社会教育武道連盟 空手道 千山道場 伍、巫女舞「劔の舞」つるぎのまい 六、壱越調「酒胡子」しゅこし・しゅこうし 七。歌舞「人長舞」にんちょうまい・にんじょうまい |
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↑上段左:浦安の舞/上段右:陵王/中段左:劔鉾の舞/中段右:空手演武/下段左:劔の舞/下段右:人長舞。 16時過ぎに神楽祭が終わり、高岡駅へ向かって歩く。帰りは高岡大仏の前を通り、御旅屋通りから。 |
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*北日本新聞の記事、チューリップテレビのニュース。 | ||
11月、12月は家族の誕生日やクリスマスが続くので、沖縄の洋菓子店「ジミー」からケーキを取り寄せた。 |
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↑昨年もホールを3つ注文したが、今年はやけに大きな箱で届いた。↓ジャーマンケーキ。昨年はあらかじめ10ピースにカットしたものも売っていたが、今年はど〜んとホールのまま。パン切り包丁を使って自分でカットした。スポンジの周りはチョコがまぶしてある。 | ||
俳優の木内みどりさんが、18日に亡くなられた。突然の訃報だった。 | ||
明日で安倍首相の通算在任日数が2,887日となり、これまでの桂太郎元首相を越えて単独歴代最長となる。首相は「長期政権というのは日々全力を尽くした結果」と記者団に答えたそうだが、この長い在任期間中に閣僚の辞任などで「もとより任命責任は総理大臣たる私にある」という発言を48回繰り返している。言葉通りちゃんと任命責任を果たしていれば、とっくの昔に舞台を下りなければならなかったのではないか。野党がだらしないから長期政権になったという声をネットで見るが、野党よりも与党の自浄能力の欠如が問題だろう。 地球儀を俯瞰する外交をうたい世界中にお金をバラまいてきたが、日本政府は10月末から11月初旬に実施された国後・択捉両島への観光ツアーで、参加者に「北方領土」という表現を現地で口にしないよう注意喚起していたそうだ。お金をバラまいてきた成果がこれだろうか。 ところで、これだけ記録を蔑ろにする国が、新しい国立公文書館を造るそうだ。2026年に開館予定で、地上3階、地下4階、述べ床面積は4万2000平方メートル。これだけ捨ててばかりで、何を収蔵するのだろう。 経産省が福島第一原発に溜まる汚染水を一年かけて放出した場合も10年かけた場合も、周辺住民の年間被爆線量が自然界からの被爆線量に比べ「十分に小さい」という試算を提出した。記事では860兆ベクレルのトリチウムを含むと書いてあるが、他の放射性物質には触れていない。実際には貯められた汚染水89万トンの84%にあたる75万トンから基準値を超えるトリチウム以外の放射性物質が検出されており、一部のタンクからはストロンチウム90が基準値の2万倍も検出されたと東電が認めている。これらを勘案して「十分に小さい」と言うのだろうか? |
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アズ・ア・タックスペイヤーとは、「納税者として」といった意味だ。そして、現・総務大臣の高市早苗さんの最初の著書のタイトルでもある。 日本を評して”経済一流、国民生活二流、政治は三流”という言葉がある。これはその政治意識の低い国民ということに繋がる。 |
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アメリカは経済がいい状態の時に社会資本を整備したから道路は広いし、家も広いし、高速道路はタダ。福祉施設や育児施設もいっぱいある。そういうところに日本も今からお金を使ってくれないと、年をとったら安楽に暮らせないじゃない。 |
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『アズ・ア・タックスペイヤー』という彼女の著書には<政治家よ、こちらに顔を向けなさい>という副題が付いている。この本が出版されて30年。彼女は政治評論家から政治家に変わったが、今この本を読まなくてはならないのは、彼女自身だろうし、彼女が身を置く内閣じゃないだろうか。 「桜を見る会」の問題について質問された安倍首相の秘書を務めていたこともある山口県下関市の前田晋太郎市長は、「総理主催でしょ?この国は民主主義ですよ。ある程度の権限が与えられておかしくないですけどね」と答えたそうだ。いつから民主主義がこんな風にねじ曲がったのだろう。 *写真は高市早苗総務大臣。1990年、キャピトルホテル東急のエントランスにて撮影。 |
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この他の気になった記事を備忘録として。 ◯“火を使う作業”五輪期間に禁止 柏崎刈羽原発など ◯公文書のコンマ「,」なぜ? 半世紀以上、見直し検討 ◯1カ月分は取りすぎ 賃貸の仲介手数料、業者に返還命令 ◯宮古島で核燃料棒? 沖縄県知事が自衛隊に災害派遣要請 ◯政府、新ポイントに2500億円 五輪後、番号カードで25%還元 |
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朝から断続的に雨が降っていたが、昼過ぎにふと外を見ると、大きな虹が架かっていた。 | ||
先日、ヤフーのオークションで『沖縄の風土記 沖縄は生きている』(新星図書)という大型本を購入した。他に落札者がいなかったのでスタート時の価格1,000円で落札したが、本が大きくて重いので郵送費が660円もかかっている。 この本を購入したきっかけは、本の発売が昭和48年4月1日で、本土復帰から一年後に出版されていること。激動の沖縄の様子が何か感じられるかもしれないと思ったからだ。 |
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届いた本をパラパラと捲ると、八重山諸島、宮古諸島をはじめとした島々が一つ一つ丁寧に紹介されている。333Pもあり、写真も文章もたくさんあるので、いつ読めるかわからないが時間のある時に眺めようと思う。 | ||
今夜から明日にかけて大嘗祭の中核儀式「大嘗宮の儀」が行なわれている。 昨日は楡原にある法華宗のお寺、上行寺のお会式を撮影。一昨日はそのお会式に用意する餅柱の製作を撮影してきた。こちらの様子も後々UPいたします。 |
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↑13日に行なわれた上行寺のお会式。写真右側にある白・赤・緑の餅を並べた塔が餅柱。 |
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那覇市の旧公設市場の解体工事が、今日から始まったようだ。 この他の気になった記事を備忘録として。 ◯日本留学試験、1600人以上受験できず 問題冊子不足 ◯在外邦人も危惧。おめでたい「日本すごい」幻想を脱しないと手遅れになる ◯毎日新聞の「桜を見る会」記事一覧 |
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今日は上行寺のお会式。法要は13時からだが、昼頃の高山線はほどんど電車がなく、時間的に一番近いのが楡原駅に11時11分着。この次の電車だと法要に間に合わない。 10時26分にあいの風とやま鉄道で富山駅に到着し、高山線に乗り換え。10時32分の猪谷行きで、11時11分に楡原に着いた。今日も快晴。熊除けに小さい鈴を振りながら、山道を歩く。 |
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↑上行寺の山門(左)と本堂(右)。→境内にある日蓮聖人像。 |
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11時半頃に本堂に入ると、既にお会式に参加される信徒の方がぼちぼち座っていらっしゃる。昨日餅柱を作っていらした総代の方が、先にご飯を食べて来たらどうですかと勧めて下さったので、食事が用意されている部屋へ移動する。 お会式では、参加される信徒の方にお寺から昼食が用意されている。寿司弁当にみそ汁、お惣菜がテーブルに並んでいる。 |
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信徒の方と一緒にご馳走になっていると、岩稲地区の「お鍬さま」を撮影させていただいた本芳彦弘さんが、食事を終えて本堂の方へ向かうのが見えた。急いで本芳さんのところへ行き、ご挨拶をする。本芳さんのお宅も上行寺の檀家さんなので、ひょっとするとお会式に参加されるだろうか?と思っていた。 | ||
お会式の始まる10分前、12時50分に本堂の回廊に下がっている鐘と太鼓が鳴らされる。叩く回数と休む回数が決まっているようで、数を数えながら叩く。 続いて本堂の太鼓が鳴らされて、僧侶らが本堂に入室する。 |
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法要は北陸教区の僧侶が集まり、営まれる。昨年「法華経曼荼羅風入法要」を撮影させていただいた本法寺の高橋山主の姿もあった。最初に雅楽が奏でられ、そして法要が始まった。30分ほど読経が行なわれた後、僧侶が立ち上がり内陣を一周する行道。行道する様子を撮影していると、頭に何か当たったので周囲を見ると散華が落ちていた。 |
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↑読経が済むと、お焼香が始まった。総代の方々は名前を呼ばれ、内陣の焼香台へ。参列者のところへは、廻し香炉が渡されていく。 ↓本堂の太鼓を鳴らし、住職の高座説教が始まった。 |
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高座説教は、大勢の人がお説教を聞くことができるように高い台の上から行なわれ、落語の「高座」はここからきた言葉だと言われている。 高座説教は1時間弱で、終了したのは15時近かった。 法要が終わり、信徒の方々がお帰りになった本堂では片付けが始まった。昨日2時間半ほどかけて作られた餅柱も、解体はあっという間だ。三色の餅は婦人方が3つずつ小袋に入れ、法会に参加した信徒の方に配られる。 |
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お餅とどら焼きをいただいて、上行寺を後にする。 ←観光橋を渡って、楡原から布尻へ。手前にあるのは旧布尻橋の橋脚。 |
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↓布尻の双体道祖神。→楡原集落の中にある題目塔。 |
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布尻集落の入口付近にコンクリート製で横長の四角い祠があり、その中に4組の双体道祖神が祀られている。道祖神を撮って、楡原の方へ戻る。まだ電車の時間まであるので、集落の中にあるという題目塔(ホーカイサマ)を探して撮影する。こちらには木札は立っていなかった。 題目塔から楡原駅へと歩いて行く途中、道路に猫が何匹も飛び出して来た。道路の横は土手で、そこにたくさんの猫がいる。猫を世話している男性がいたので、何匹いるか尋ねると20匹ほどだといいう。自分が飼っている猫と、勝手に捨てていかれた猫たちだそうだ。 楡原駅の待合所に置かれた落書き帳を眺め、ホームに上がる。もう外はすっかり暗くなった。電車が到着する少し前に、中国人だと思われる女の子が3人、賑やかに話しながらやって来た。今から遊びに行くのだろうか?それとも仕事帰りだろうか? |
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電車に乗り込んでからシャツのポケットに手を入れると、何か入っていた。お会式の時に拾った散華だった。忘れないうちに電車のシートに置いて、撮影しておく。 | ||
楡原(旧細入村)にある法華宗のお寺、上行寺で明日、宗祖・日蓮聖人が入滅した忌日に営まれる法要「お会式」が行なわれる。このお会式の際に飾られる餅柱作りが9時からあるので撮影に行って来た。お会式にこの餅柱を今でも飾り付けるのは珍しいそうで、富山では上行寺だけだという。 | ||
あいの風とやま鉄道で、6時59分に富山駅に到着。JRの高山線に乗り換えて、楡原駅に8時11分に着いた。 楡原には何度も来ており、山腹にあるお寺は電車の中から見ている。地図を見ながらお寺を目指して歩いて行く。 富山では熊の出没が相次いでおり、楡原も住宅地に熊が現われてニュースになった。お寺へは山道を少し上るので、100円ショップで買った小さな鈴を振りながら歩いて行く。 |
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↑上行寺。 駅から10分ほど歩いて、上行寺に。境内の様子を少し撮影してから本堂で待機していると、ご住職がいいらしたので、ご挨拶。電話で撮影のお願いをした時に出られたのはご夫人のようだったが、話は伝えられていた。 |
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餅柱は内陣を挟んで、左右に一つずつ飾られる。昔は内陣の奥、須弥壇に飾られていたそうだが、お会式の際は内陣に幕を張るので信徒の方からは見え辛いので、何年か前から内陣の外に置くようになった。 |
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↑本堂の中で餅柱が作られている最中、境内では婦人部の方が落ち葉を掃除したり、他の総代の方が本堂の入口に幕を張ったりしている。 ←山門にも幕が取り付けられる。幕には梅鉢紋が描かれている。 ↓内陣。奥に日蓮聖人を祀った須弥壇がある。天井板には、様々な紋様が描かれている。 |
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↑内陣に幕を張り、餅柱の上部に杉の葉と造花の桜を飾る。桜を飾るのは、日蓮聖人が亡くなった時(10月13日)、庭の桜が季節外れに咲いたからだと言われている。因みに上行寺のお会式が11月13日なのは、旧暦10月13日を新暦に直しているから。 ←→完成した左右一対の餅柱。9時に開始して、11時半頃に完成。お会式の後、直ぐに取り壊され、三色のお持ちは信徒に配られる。 |
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餅柱が完成し、幕が張られ、明日のお会式で行なわれる高座説教用の台も作られて準備が整った。もうお昼の時間で、総代の方々と一緒に寿司弁当をご馳走になった。 |
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南の村境のホーカイサマはシーテック細入の斜め前辺りにある。道路から少し斜面を上がったところにしめ縄を巻いた大きな石があり、題目を書いた木札が立っていた。本当はしめ縄に四天王の名前を書いた木札が下がっているはずが、何枚か下に落ちていた。四天王とは持国天、増長天、広目天、多聞天(=毘沙門天)で、それぞれ東南西北を守護する。 ←↓楡原集落の南端のホーカイサマと、木札。 |
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南のホーカイサマを撮影した後、今度は北端にあるホーカイサマへ車で移動。こちらも道路の脇にあるが、斜面を少し上がった所にあるので案内してもらわなかったら通り過ぎていたかもしれない。 | ||
↓楡原集落の北端にあるホーカイサマ。 |
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斜面を上がってホーカイサマを撮影していると、道路の方で案内して下さった総代さんが年輩の女性と立ち話をしている。撮影を終えて下りていくと、女性は少し離れた場所で駐車していた車が盗まれて携帯もないのでコンビニを探して歩いていたそうだ。総代さんが交番に連絡し、少し待ってパトカーが到着した。 北のホーカイサマが撮影できたので、今度は岩稲の南端にあるホーカイサマを撮影に行く。楡原と岩稲は隣接しているので、楡原の北端は岩稲の南端だと思うが、実際は数百メートル離れていた。 岩稲の南端のホーカイサマは、岩稲八幡宮の横に建っていた。八幡宮まで楡原の総代さんに送ってもらい、ここからは歩いて撮影に行く。 |
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↓→岩稲八幡宮の隣りにある南端のホーカイサマ。 |
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楡原の題目塔(ホーカイサマ)についてはこちらのブログ、岩稲の題目塔についてはこちらのブログに詳しく書かれている。それによると、楡原も岩稲も集落の両端の他に、もう一つ題目塔があると書かれている。岩稲の場合は、八幡宮の向かいにある楽今日館の横、墓地の入口にあった。お題目「南無妙法蓮華経」の下に法界という文字が刻まれていた。 ←墓地の入口にあるホーカイサマ。 ↓岩稲の北端にあるホーカイサマ。 |
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墓地の入口にあるホーカイサマを撮影した後、今度は岩稲の北端のホーカイサマを撮影に行く。笹津に向かって歩き、ダムの少し手前の民家の庭のような場所に目指すホーカイサマが建っていた。 |
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↑14時49分に笹津駅を出た電車が、鉄橋を渡る。 電車を撮り終えて、笹津駅へ。高山線は朝夕の通勤通学時間を外すと本当に電車の本数が少ない。まだ路線バスの方が本数は多いかも知れない。 ←笹津駅にて。 |
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『知っておきたい 日本の仏教』(えい出版社)の日蓮宗を紹介した項目の中に、題目について触れた頁があったので引用させていただく。 また、『愛蔵版 暮らしの歳時記 富山編』(富山新聞社)に収載されているコラム、「村境の道切り」(佐伯安一)にホーカイサマと道切りについて書かれている。 ・境の意識に基づく習俗 |
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午前中は穏やかな曇り空だったが、午後から空は荒れ模様で、時折激しい雷雨となった。 |
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↑↓左がクリーニング前、右がクリーニング後。それぞれ上が広角、下が望遠側で撮影。 |
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今月の4日、岩峅寺の雄山神社を撮影中にレンズのズームが広角側に固定されたまま動かなくなった。このレンズは中古で8月に買ったばかりだが、また買わなくてなならなくなったのか・・・たぶん修理の値段と中古の値段は変わらないんじゃないかとアマゾンのマーケットプレイスを見ていた。 何日か放っておいて、ダメもとで少し力を入れてズームを廻し引っぱると、動いた!しかし、広角側に戻すとまた固定されて動かなくなる。 |
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そこでズームレンズの銅鏡に輪ゴムを1本付けた。これで広角側に戻しても輪ゴムがクッションになって固定されることはない。広角側の画角が少し犠牲になるが、しょうがないか。 | ||
◯森理世 撮影したのは2009年11月13日だから、やがて10年になる。 撮影の帰り、編集者と一緒に新幹線の時間まで静岡駅近くの居酒屋で生しらす、桜えび、黒はんぺんなど静岡名物を食べて来た。静岡おでんがメニューになかったのがちょっと残念だったけど。 彼女のブログに撮影した日のことが少し載っている。 |
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昨年の10月27日に撮影した魚津市東山にある東山神社再建の慶賀祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑慶賀祭で奉納された小川寺の獅子舞。↓神事の後の記念撮影。 |
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mixiを覗くと、「今日は川奈まり子さんの誕生日です。お祝いのメッセージを送ってみましょう」というお知らせが届いていた。mixiに何か書き込むことはほとんど無くなったが、こうして覗くことはある。 そう言えば、確かmixiがまだ招待がなければ参加できない会員制だった頃、招待してくれたのが川奈さんだった。 |
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今は怪奇ものを中心とした作家になっている川奈さんを、初めて撮影したのは2003年の8月で、まだ女優業をしていた。健康雑誌の性に関する特集ページだった。 |
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最後にお会いしたのは、最初に彼女を撮影した健康雑誌で再び取材することになった時だろうか。以前の写真を再掲載するので撮影は必要ないが、遊びに来ませんかと編集者に誘われて麻布の方まで出かけて行った。 *それにしても、川奈さんの指の長くてキレイなこと。 |
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東海第二原発が立地する茨城県東海村の山田修村長が、原発に否定的な人に対し「全ての外部電源を遮断して自家発電だけで生活してもらわなくてはいけない。自宅から一歩も出てはいけない」と指摘したそうだ。 |
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秋晴れの良い天気だったが、家から出ることもなく部屋に籠って撮影データの現像。秋が深まってくると、朝晩めっきり寒くなる。今日から湯たんぽを使い始める。 一昨日は高岡市内の寺院が宝物を特別公開するイベント「寺院ミュージアム in 高岡」に参加している瑞龍寺を見学、昨日は岩峅寺の雄山神社(雄山神社前立社壇)を撮影に行って来た。こちらの様子も後々UPいたします。 |
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↑公開された山門から見下ろした、瑞龍寺の仏殿。↓国の重要文化財に指定されている岩峅寺の雄山神社本殿。 |
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気になった記事を備忘録として。 ◯「責任は私に」49回 なぜ安倍首相の「任命」は失敗続きなのか ◯野村総研、GDPに代わる「新経済指標」を提言 ◯除染廃棄物の捜索難航=36袋未回収、ドローン投入も-福島 ◯消えた次世代原子炉、日仏共同の建設計画 白紙に ◯日韓関係悪化、観光地には死活問題 週末の夜もひっそり ◯独自 財務省「森友文書」5,633枚入手 |
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立山信仰の拠点だった、芦峅寺集落。一昨年から昨年にかけて、この芦峅寺に伝わる年中行事を取材撮影していた。それをまとめたフォトブック『芦峅寺歳時記』が今年の春過ぎに出来上がって、集落にある「ふるさと交流館」に置いていただいている。 |
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『芦峅寺歳時記』 A5サイズ オールカラー144P CONTENTS 立山周辺は今が紅葉の盛り。称名滝の紅葉を見に行った帰りにでも「ふるさと交流館」へ寄って、手に取っていただけたらと思います。 |
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せっかく芦峅寺まで行くなら、その手前の岩峅寺によって雄山神社の撮影もしたい。岩峅寺の雄山神社は2015年の11月3日に稚児舞を撮影に来ているが、本殿などの建造物は撮影していなかった。こちらの本殿が檜皮葺きなのを知ったのは最近で、撮っておきたいと思っていた。 あいの風とやま鉄道で9時47分に富山駅に到着。構内のお土産売り場で、お菓子を一箱購入。コンビニで菓子パンとおにぎりを一つずつ買って、電鉄富山駅へ。10時33分の電車で、岩峅寺に向かう。 |
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↑電鉄富山駅のホーム。何回も来ているので見ていたんだろうが、電車のヘッドマーク(?)が飾られているのを初めて認識した。 電車の中でコンビニで買ったコロッケパンを食べ、11時13分に岩峅寺駅へ到着。新聞の熊出没情報に最近、岩峅寺の名も出ていたので、100円ショップで買った小さい鈴を鳴らしながら歩く。 |
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岩峅寺の雄山神社は久しぶりなので、事前にグーグルマップで道順を確認したら、雄山神社へ向かう途中に道祖神があるのを知った。見落とさないように歩いていたら、直ぐに見つかった。不動明王と彫られた石碑の横に、ちょこんと道祖神と彫られた石が置かれている。道祖神の「道」の上に一文字彫られているが、梵字だろうか。 | ||
↓不動明王の石碑と道祖神。 |
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↑道祖神の近くにある民家に祀られている石仏。 15分程で雄山神社の鳥居の前へ。以前もこちらの鳥居から入ったが、雄山神社には反対側にも鳥居がある。向こうの鳥居をくぐると表神門、こちらの鳥居をくぐると東神門に着く。 |
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↑上段左:東神門/上段右:拝殿/中段左:境内摂社・末社/中段右・下段左右:本殿と檜皮葺きの屋根。 |
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岩峅寺の雄山神社は、正式名を雄山神社前立社壇と言い、芦峅寺の雄山神社(中宮祈願殿)、雄山頂上の峰本社の3社で一つの雄山神社となる。 重要文化財 建造物 |
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↑表の方の鳥居。 撮影しておきたかった檜皮葺きの本殿を撮ったので、入って来た方と反対側の鳥居を撮影に行く。ちょっとレンズにチリが付いているのでティッシュで軽く拭いて鳥居にカメラを向けると、レンズのズームが回転しない。広角側に固定されてびくともしない。困ったが、どうしようもない。おにぎりを一つ食べて気を落ち着けて、広角側だけで撮影する。 ←表神門。 |
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祝日とあって、七五三参りの家族が何組か参拝に訪れていた。 | ||
↓境内。→夫婦杉。 |
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岩峅の夫婦杉 この境内の中心に、根元から力強く結ばれた二本の杉 人の始まりを表すかのように地中で根幹を共有しておりますが、地上に出るとそれぞれに、仲良くすくすくとそびえ立っています。 安産祈願をされた方(丈夫な子供と夫婦の堅い絆)、縁結びを望む方(生涯を共に)、夫婦円満(たゆまぬ共生)を望む方は、まず御本殿にお参りを済ませてからくぐりましょう。 (くぐり方:夫婦杉の裏より御本殿の方へ向いてくぐって下さい。この時、男性は右、女性は左に並び、一礼の後、手をつないでくぐると良いでしょう。) この夫婦杉のように、いつまでも堅い根が張り、太陽に向かって伸び続け、二人に弥栄なる生涯もたらすでしょう。 |
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←石舞台と斎館。 稚児舞を撮影に来た時に舞台となっていた石舞台と斎館の近くに、湯立の神事に使った釜があるのを発見した。 |
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↓→湯立の釜。 |
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立山町指定文化財 歴史資料 岩峅寺湯立の釜 平成十年四月二十四日 指定 旧立山寺(現在の雄山神社前立社壇)では古来、四月八日の春季祭礼において、五穀豊穣・無病息災を祈って「湯立の神事」が行なわれており、その神事に使う釜は加賀藩主によって寄進されるのが慣例であった。現存する釜は、口縁部が二段となり、口径百三十三cm余り、高さ約七十三cmの鋳鉄製である。 銘からは、加賀藩第十三代藩主斉泰が、江戸時代末期の弘化二年(一八四五)に寄進したもので、高岡の鋳物師金森彦兵衛によって鋳造されたことが読みとれる。 往事の立山信仰の一端を伝える由緒ある遺物であると同時に、立山と加賀藩との関わりを証明する数少ない貴重な歴史資料である。 |
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雄山神社から、岩峅寺駅へ戻る。千垣駅へ向かう電車は13時11分で、少し早めに駅に着いたので先にきっぷを買っておこうと思ったら、駅員さんが椅子に座って夢心地。 電車が到着する少し前まで待ち、夢心地の駅員さんに声を掛けてきっぷを購入して乗車。 13時25分に芦峅寺駅に到着し、駅前から芦峅寺行きの町営バスに乗ってふるさと交流館へ。 |
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祝日でお昼時だったからか、交流館は食事に訪れるお客さんが途切れることなく来館。何か食べる?と聞かれ、山菜そばをご馳走になる。そばを食べ終えて、館内にある交流室へ。こちらには第1次南極観測隊に参加した芦峅寺の方々を紹介した資料や、山岳関係、立山信仰に関する書籍を揃えた図書コーナーがある。しばらく写真集を中心に眺めて過ごした。 お客さんが帰られて交流館の仕事が落ち着いたので、線香を上げに連れて行ってもらう。最後にお会いしたのはオショーライの時だから、1年3ヶ月ぶりだろうか。富山駅で買ってきたお菓子を仏壇の下に置き、お線香を上げさせていただいた。 亡くなった時の様子を少しお聞きして、芦峅寺を16時32分のバスで千垣駅へ。直ぐに電鉄富山行きの電車がやってきた。 そう言えば、秋の芦峅寺を訪れたのは今日が初めてだ。 |
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高岡市内の寺院4ヶ所が寺宝や普段立ち入れない場所を特別に公開する『寺院ミュージアムin高岡』というイベントが、昨日から始まった。公開するお寺は瑞龍寺、大法寺、勝興寺。総持寺は15日と16日に公開する。 瑞龍寺は山門の内部が公開されるというので、午前中から自転車を漕いで出かけて来た。 |
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↑瑞龍寺の総門と、総門の屋根。屋根は杮葺きになっている。 9時半頃に家を出て、瑞龍寺に到着したのは10時半頃だった。入口で入館料500円を支払い、総門をくぐり境内に入る。日曜日だからか、特別公開があるからか多くの参拝客が訪れていた。 ←総門から見た山門。 |
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さっそく特別公開された山門に上がろうと思ったら、階段は一つで降りる人と上がる人でしばらく順番待ち。とりあえず山門と宝物展示の見学券500円を購入し、世話をしている男性に総門の屋根のことをお聞きした。回廊と禅堂、大庫裏の屋根は杮葺きなのだが、ネットの情報で総門の屋根が一部檜皮葺きになっているというのを見たので確かめると、総門の屋根も杮葺きで瑞龍寺で檜皮葺きは使われていないということだった。 急な階段を上って山門の2階部分に行くと十六羅漢像が安置されていたが、こちらは撮影禁止。山門の回廊からの風景は撮影できるので、山門や仏殿などを見下ろして写真に収める。 大昔は山門も自由に上がれたそうだが、その後何十年間か立ち入り禁止になっていたのが、昨年から年に一度公開されるようになったという。今後も階段から落ちる人などが出なければ、年に一度公開されるのではないかということだった。 |
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↑山門から撮影。上段左:総門/上段右:仏殿/中段左:禅堂と回廊/中段右:大庫裏と回廊/下段左:禅堂の唐破風の屋根/下段右:大庫裏の唐破風の屋根。唐破風の屋根は杮葺きになっている。 ←杮葺きの屋根は、ところどころ痛んでいる。この後、宝物の展示を二ヶ所で見てから法堂に行くと、屋根の葺き替えのための、杮板の御志納のお願いが掲示されていた。 |
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杮葺(こけらぶき)とは 「杮板」御志納のお願い *瑞龍寺の屋根については、こちらに詳しく書かれている。 |
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法堂から仏殿へ。山門に安置された釈迦如来像や十六羅漢像は撮影禁止だが、仏殿に安置された本尊の釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩は普通に撮影出来る。 | ||
↓→仏殿に安置された釈迦三尊像。 |
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山門から回廊へ戻りウロウロしていたら、石廟へ続く戸を発見。瑞龍寺には何回か来ているが、石廟はまだ見たことがなかった。石廟の近くには茶室もある。 富山県指定文化財 |
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↓五つ並んだ石廟と、宝篋印塔。 |
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1時間半ほど滞在し、瑞龍寺を一通り見て総門を出たら、瑞龍寺伽藍配置図が目に入った。 |
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瑞龍寺を出て、今度は自転車で教恩寺へ向かう。このお寺は今回の『寺院ミュージアム』とは関係ないが、境内に運搬途中に川に沈んだという前田利長公墓所の大灯籠の火袋の部分があるというので見に来た。 詳細はこちらに書かれている。 |
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↑教恩寺。↓→石碑の台座に使われている大灯籠の火袋。 |
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教恩寺から、今度は『寺院ミュージアム』に参加しており仏画を公開している利屋町の大法寺へ。利屋町の天神祭りの撮影で何回か訪れている龍雲寺の隣りだ。 仏画の拝観料が500円必要のようなので、今回はパスして家へ帰ることにした。展示されている寺宝はこれらだろうか?どうせ見るなら事前に少し勉強してからの方がいい。 高岡から自転車で家へ帰る時は、旧北陸道を通る。途中に加賀藩が植栽した往還の松の跡が2ヶ所ある。立野公民館の前と福岡町大野で、どちらも往時の松は枯れて新しく植えられた松だ。福岡町大野の方は小学生の頃はまだ昔の松が残っていて、夏休みだったろうかゾロゾロと学校から歩いて草むしりに行った記憶がある。 |
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↑立野公民館前の往還の松(左)、福岡町大野の往還の松(右)。 |
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◯立野公民館の往還の松 ◯福岡町大野の往還の松 高岡市教育委員会 |
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*北國新聞の記事、北日本新聞の記事。 | ||
首里城が焼失して1日以上が経過した。昨日から今日にかけて、断続的に首里城の火災についてのニュースが流れてくる。昨日の朝のニュース番組では正殿、北殿、南殿が燃えているということだったが、昼頃に家を出て夕方帰って来たら7棟が焼失していた。建物の焼失も悲しいが、その中に納められていた収蔵品の被害がどれほどになるのか心配だ。 そしてもう一つ、再建された首里城は沖縄の人にとって戦後復興の象徴だったに違いない。今回の火災を報道するニュースの中でも、首里城の紹介として沖縄戦の際にアメリカ軍の攻撃で破壊されたということが伝えられている。付け加えるならば、なぜ首里城がアメリカ軍の攻撃対象になったかで、それは日本軍が首里城の地下に陸軍第32軍の司令部を設置したからといわれている。基地や軍の施設は戦争から身を守るものではなく攻撃対象になるという教訓を、沖縄の人達はこの時の体験で得たのだろう。 |
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2020年度から大学入学共通テストで導入予定だった英語民間検定試験が、ギリギリのタイミングで見送りになった。英語民間検定試験の問題点はこちらに指摘されている。 この他の気になった記事を備忘録として。 ◯ポイント還元に1日10億円 予算が不足する可能性 ◯実質賃金指数の下落が止まらず 厚労省・毎月勤労統計調査 ◯アパートの廊下崩壊 70代男性取り残され救出 築46年の鉄筋コンクリート ◯吉本グループ、所属芸人を活用したインフルエンサーマーケティング事業を開始 ◯台風19号など被災地 深刻なボランティア不足 ◯韓国向けビール、わずか58万円=不買運動で激減-9月 |
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昨日は新湊市にある海洋丸パークで行なわれた「越中国 大祓」を撮影に行って来た。 | ||
10月31日(木) 昨日Facebookに、海王丸パークの展望台で「越中国 大祓」という祭典が行われるというチラシが流れてきた。11月14日、15日に行なわれる大嘗祭を前に、県神社庁が主催して県内の神職約50人が富山湾に向かって大祓詞を奏上して新しい御代の弥栄を祈るそうだ。そのチラシで気になったのが「ぼんぼこ舞」の奉納があるという一文。ぼんぼこ舞は新湊にある西宮神社の春季例大祭に奉納される伝統芸能。県の無形民俗文化財に指定されているが毎年奉納されるわけではなく、不漁が続いた場合や海難事故が起きた翌年など不定期に行なわれる。2015年に上皇さま、上皇后さまが来県された「全国豊かな海づくり大会」で奉納されて以来なので4年ぶりだろうか。今回見逃したら次にいつ見られるかわからないので、電車の乗り継ぎを調べ、少し余裕を持って会場に到着するように出かけた。 |
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あいの風とやま鉄道で、12時47分に高岡駅に到着。改札を出て1階にある万葉線のホームへ。 ←海王丸駅。 |
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公園内の案内所でパンフレットをもらい、展望台の場所を教えてもらう。指差された方角に歩いて行くと、白い装束を来た神職の方々も行ったり来たりされている。展望台にはすでに一般の参加者も多くいらした。 祭典は15時からで、その5分ほど前から神職とぼんぼこ舞保存会の方が2列に並んで階段を上がって展望台まで入場される。 |
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↓展望台へ神職が並んで入場する。→ぼんぼこ舞の舞人。 |
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↑天狗の面をつける舞人。神の遣いだとされる。 神職の後に、ぼんぼこ舞保存会の方々が展望台に入場した。その中に天狗の面を被る舞人を見つけた。舞人はまだ天狗の面をつけていないが、鬼の顔をした腰当て面をつけている。 神職50人と一般参列者約200人が揃ったところで、海に向かって大祓詞を3回奏上する。 |
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↑神職を先導する道彦を、富山市宮保にある熊野神社の横越照正宮司が務めた。 |
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大祓詞奏上の途中、舞人が席を立ったので目で追うと長い髭の天狗面をつけ、金色の烏帽子をかぶるところだった。 20分ほどで大祓詞奏上が終わると、修祓、続いて麻と木綿を裂くお祓いが行なわれた。 そしていよいよぼんぼこ舞の奉納。展望台中央に敷かれた赤いカーペットの上で舞が奉納された。 舞人は長い弓を持って登場するが、この弓を釣り竿に見立てて鯛を釣る仕草をする。そして矢を放ち悪魔を祓う。 |
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↑↓→ぼんぼこ舞。 |
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ぼんぼこ舞に続いて県神社庁雅楽部が御神楽「人長舞」を奉奏して、祭典は終了した。展望台を降りると、神職からこの日限定の参列証が一人一人に手渡された。 | ||
↓人長舞の奉奏。→青海波と稲穂をあしらった参列証。 |
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海洋丸パークを出て、万葉線の海洋丸駅へ。さほど待たずに、路面電車が来た。高岡駅に到着すると、あいの風とやま鉄道の電車も17時1分発金沢方面行きが直ぐにあって、乗り換えがスムーズだった。 |
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*北日本新聞の記事、富山新聞の記事、中日新聞の記事。 | ||
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