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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

10月5日(土)〜20日(日) となみ夢の平コスモスウォッチング *砺波駅からの無料シャトルバス運航日 6(日)、13(日)、14(祝)、20 (日)
10月10日 伊勢玉神社 秋季例大祭の宵宮 湯立て神事 諏訪社
10月12日(土)、13日(日) 朝日町草野 獅子舞 五社明神社 映像
10月13日(日) 蓮王寺 人形供養 13時頃から?
10月13日(日) 朝日町平柳 獅子舞 五社之社 映像
10月15日に近い日曜日 朝日町境 獅子舞 境神社 映像 
10月19日、20日 入善町舟見 十三寺 ご本尊のご開帳
10月22日 矢木の獅子舞(熊獅子) 八咫壺神社
11月8日(金) 9時〜 歯医者
11月13日 お会式(餅柱) 上行寺
寺院ミュージアム in 高岡
・瑞龍寺(11月2日〜4日、山門の楼上公開と宝物展/15日、16日、雪舟の達磨図を展示)
・総持寺(11月15日、16日、木造千手観音坐像を公開)
・勝興寺(11月2日〜4日、内陣と寺宝の菊花文蒔絵花見弁当を公開)
・大宝寺(11月2日、3日、15日、16日、仏画を並べる)

◯勝興寺 新年の宮大工仕事始めの儀 1月7日? 10時30分〜11時30分
◯新川神社 1月? 寒中みそぎ
◯新開発の獅子舞(熊獅子) 4月の第1土曜日 9時頃に天満宮奉納
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯上市町 日石寺 7月1日 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
利賀の山祭り(石かち) 10月?
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 10月下旬と11月下旬の日曜日 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
道祖神
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョ 10イさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

10月28日(月)

 先週の中頃から右下側の歯が痛い。ず〜っと痛いわけではなく、時々思い出したようにじわりと痛む。前にもあって放っておいたら痛くなくなったのだが、ちょっと診てもらおうと近所の歯医者に電話すると、一番早くて28日の14時半からと言われた。それまでに酷くなって耐えられなくなったらどうしようと思ったが、だんだん痛みが治まってきた。治まってきたが、せっかく予約を取ったので今日の午後に治療に行って来た。
 歯そのものではなく、歯の周りが痛いのかな?と思っていたらレントゲンを撮られて痛いところの歯の神経は抜かれて被せものがしてあり、歯の周りが炎症しているのだろうということだった。そう言えば、昔も同じことをどこかの歯医者で言われた気がした。
  炎症しているところの治療はできないそうなので、上の歯の歯石を取ってもらうことにした。3年前に下の歯の歯石を取ってもらい、次は上の歯の歯石を取る予定だったが予約していた日に行けなくなり、それ以来面倒になって放っておいた。下の歯も歯石がついているので、次回に取ることになった。

 今日は青空の見える秋晴れ。その分、放射冷却で朝晩はぐっと冷え込む。
 家の横の物干し場を見ると、洗濯物の横に、ハンガーに吊るされた柿が並んでいた。
 ずいぶん昔だが、川崎市の宿河原に住んでいた頃、向かいのアパートのベランダで下着の横に魚が一枚干してあったのを覚えている。なかなかシュールな光景だった。
 昨年の10月23日に撮影した黒部峡谷の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
黒部峡谷01
↑欅平駅から30分ほど歩いた猿飛峡。↓欅平駅のホームと帰りのトロッコ電車。
黒部峡谷02

 政府は今日の午前、台風19号に関する会議を開き、台風19号による災害を激甚災害とともに大規模災害復興法の非常災害に指定することを、明日閣議決定する方針を明らかにしたそうだ。安倍首相は「たび重なる豪雨や台風の襲来で多くの被災者が先の見えない不安を抱え、再建への気力を失いかねない厳しい状況が続いている。スピード感を持って生活再建となりわいの再建に向けて全力を尽くしていく」と述べたそうだが、台風15号、19号、そして25日の豪雨と続いている災害に対して政府の顔が見えない。ただ官僚の用意した原稿を読んでいるだけだからだろうか。
 IOCがマラソンと競歩の競技会場を札幌にする案を提案したのに対抗してか、東京で開催したい小池都知事が午前3時スタートを提案したという情報も流れている。これに対して虚構新聞が「東京都が五輪マラソン午前3時スタートを提案」は本紙記事ではございませんとツイッターに投稿。まさに現実が虚構の斜め上を行っている。
 Adobeが アメリカのベネゼエラに対する経済制裁に伴い、明日、10月29日からベネゼラのすべてのアカウントを無効にする。Adobeのソフトはパッケージ販売からクラウドに移行したので、アカウントを無効にされるとデータを作製できないどころか、データを開くことすらできない可能性がある。何か政治的な策略で、日本でもAdobeのアカウントが無効にされた場合、どれだけ社会の機能が麻痺するだろうか。ちょっと想像すらできない。

 この他の気になった記事を備忘録として。
天皇家の宗教が仏教から神道へ変わった理由と時期は?
現役の神社宮司が「日本会議や神社本庁のいう伝統は伝統じゃない」「改憲で全体主義に逆戻りする」と真っ向批判
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茨城・台風直撃なのに170億円投入の防災アリーナが役立たず 市民から怒りの声「まずは開けてくれないと…」
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 八千草薫さんが24日に亡くなられたそうだ。品のあるチャーミングな女優さんだった印象。また昭和が少し遠くなった。

10月23日(水)

 秋晴れの一日。
 日本のテレビではほとんど報道されないが、香港だけではなく、バルセロナチリでも政府に対するデモが起きている。
 高市早苗総務相が、政治資金規正法が原則禁止している政治家個人への寄付(献金)を巡り、暗号資産(仮想通貨)は規制対象ではないとの認識を今月8日の記者会見で表明していたが、政府は18日の閣議で「仮想通貨は規制対象外」とする答弁書を決定した。どういう理屈で仮想通貨が規制対象外になるのか、意味がわからない。
 意味がわからないと言えば、自分の農地から放射性物質を取り除いて欲しいと訴えた農家に対し、裁判所は「原発から飛散した放射性物質はすでに土と同化しているため、東京電力の管理下にはなく、むしろ、農家が所有しているといえる。故に、東京電力に放射性物質を取り除くよう請求することはできない」とする判決を言い渡したそうだ。どうかしてる。
  どうかしていると言えば、厚生労働省はパートや派遣で働く人を「非正規」と呼ばないよう省内に周知しているそうだ。安倍首相が「非正規という言葉を一掃する」と宣言したが、厚労省は非正規という実態はそのままでも、文字通り非正規という言葉をなくせばそれでいいと考えているのだろうか?
 この他の気になった記事を備忘録として。
富山県立近代美術館(天皇コラージュ事件)について
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現場へ続く“唯一の道路”で複数の崩落…台風19号の影響がリニア工事にも 全面復旧まで約1年か
米政府から直接調達の防衛装備品 350億円分未納入 検査院調査
戦闘機F35A、1機40億円割高で調達 検査院が報告
豪の主要紙、1面が黒塗り記事 報道の自由制限へ抗議
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竹中平蔵「90歳まで働くことになる」発言に悲痛な声相次ぐ「90歳はヨボヨボ。心身ともに元気な高齢者は一握りだよ」
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吾妻ひでおさん死去。「失踪日記」で再ブレイクした漫画家

 昨日は皇居で即位礼正殿の儀が行なわれ、祝日となった。テレビで儀式の様子が中継されるようだったが、昼から砺波市矢木の獅子舞を撮影に行って来た。

10月22日(火)
 砺波市教育委員会が運営しているデジタルミュージアム「砺波正倉」に、矢木地区の獅子頭が熊獅子と書かれていて前から撮影に行きたいと思っていた。前日の午前中の天気予報では雨になっていて参ったな〜と思っていたが、夜には天気予報が雨から曇りに変わり、当日は太陽のマークも出て来た。
 皇室のテレビ特番を少し観た後、12時過ぎに自転車で砺波市の矢木に向かう。矢木には行ったことが無いが、地図を見ると景完教寺のある宮村の隣りだった。天気はどんどん快晴になり、自転車のペダルを漕いでいると汗が出てくる。油田のスーパーで菓子パンを1つ買ってトイレ休憩。宮村の景完教寺の横を通り過ぎて、13時半前に矢木の八咫壷神社に着いた。矢木の獅子舞は、八咫壷神社の秋季例大祭で行なわれる。
八咫壷神社01
八咫壷神社02

←↑矢木の八咫壷神社。

 参拝した後、社務所に行くと年輩の男性が居られたので獅子舞のスケジュールを確認すると、15時から神社で神事が行なわれ、その際に獅子舞の奉納が行なわれるとのこと。獅子舞自体は朝から村をまわっているが、今何処に居るかはわからないと言われた。また、確認するとこれまでに使われていた熊獅子の獅子頭は公民館に保存されているそうだ。

 境内に神社の由緒を記した石碑が建っていたので、引用させていただく。

八咫壷神社 由緒沿革

 古来、新開地で開拓が進むと苦難や哀楽を共にする仲間が心の拠り所として集う社が建立されたのはごく自然なことであった。
 矢木村、高道村、坪内村にもいくつかの社が鎮座されていた。矢木神明社はおよそ三百年前にこの場所に創建され、明治七年になって社殿老朽化のため再建願書により改築されている。同じ頃、矢木神明社に矢木諏訪社、庄下館太刀壷社を合祀し、社名は矢木神社と改められている。更に、大正七年に高道神明社、坪内神明社、庄下新神明社も合祀して、八咫壷神社と改称され、同時に神饌幣帛料供進指定神社に認定されている。祭神は豊受大神、健御名方命、健速須佐之男命、天照皇大神と多彩である。
 合祀の際、拝殿はそのまま存置し、本殿、中門、社務所は改築された。社紋の輪賓(三種の神器の象徴)は矢木神明社の社紋を採用している。坪内神明社の拝殿は諸庫として境内に移築されていた。平成十一年には社務所の改築、社殿屋根瓦の葺き替え、平成十七年には前年の台風で倒壊した鳥居の復興や玉垣の完工を果たした。いずれも氏子の浄財によるものである。しかし、度重なる台風で境内の大杉の森を失ったのは悔まれる。その後、若木が氏子の手で植えられた。
 八咫壷神社の社号は矢木村の「や」、高道村の「た」、坪内村の「つぼ」を合せ、しかも「八咫」は八咫烏、八咫鏡にも通じる言葉であり、在郷の平安と繁栄を願った古人の思いが感じられる。
 往古より農業を糧としていた当地域も近年は農家、非農家の混住化が進み、氏子は大幅に増えるも、共に崇敬の念は篤く今日に引継がれている。秋祭は参拝の老若男女と獅子舞の奉納で賑わう。

祭礼  元旦祭      一月一日
    春祭 鎮火祭   三月二十二日
    秋季例大祭    十月二十二日
    新嘗祭 大祓式  十二月二日

平成十九年七月
         記 宮司   林直大
           氏子総代 根尾紘一

 尚、北日本新聞の記事によれば2017年に創建100年目の記念事業として本殿の修復を行ない、その年の10月14日に本遷座祭が執り行われたそうだ。

家まわりの獅子舞01
家まわりの獅子舞02

↑新築した家での獅子舞。

 宮での奉納獅子舞まで時間があるので、獅子舞を探しに行った。しばらく自転車でウロウロするとお囃子の音が聴こえて来たので、音のする方に行くと獅子舞が行なわれていた。家を新築したお祝いの、招待花だった。
 矢木の獅子舞は全戸まわりではなく、各班長さん宅と、シシトリの子供の家、新築や結婚など祝い事のあった家で、25軒ほどをまわるそうだ。

 紋付袴で花の御礼を読み上げる獅子舞の団長さんに少し話を聞いたところ、矢木の熊獅子は雌獅子で現在の獅子頭は5代目。以前の4つは公民館に保管されている。獅子舞は砺波の小杉から習ったものと伝えられている。朝6時40分に公民館の神棚で神事が行なわれ、神職によって獅子頭に神の御霊の紙垂が付けられる。15時から八咫壷神社で祭典が行なわれ、獅子舞が奉納される。一日で25軒ほどまわるので終わるのは21時過ぎのようだ。

↓獅子舞一行の移動。→八咫壷神社での奉納獅子舞。

八咫壷神社03
獅子舞行列の移動
 家まわりの獅子舞を2軒見てから、獅子舞一行の後について八咫壷神社に。15時から社殿では祭典が行われ、獅子舞の一行は鳥居の外で準備をしている。
獅子舞の奉納01
獅子舞の奉納02
 社殿での神事が終わったのを見計らって、獅子舞の奉納が行なわれる。鳥居の前に紋付袴の団長を先頭に並び、境内へと入場。獅子はそのまま拝殿の中へと入る。中から床を踏み鳴らすような音が聞こえてくる。獅子が歩き回って、祓い清めているのだろうか。
 獅子が拝殿から出て来て、獅子舞が始まる。採り物は棒と薙刀。矢木の獅子は、胴幕(かや)に竹を入れて大きく見せる砺波型の獅子。胴幕に入っている人達の足が綺麗に揃っていて、獅子にダイナミックな動きがあって見事だった。
 30分ほどで演目が終わると、また獅子は社殿に入り、そして出て来てそのままお宮を後にする。
公民館に飾られている歴代の熊獅子
 獅子舞の奉納が終わったので、公民館にあるという歴代の獅子頭を見に行こうと思ったら、女性に声を掛けられた。
 顔を見合わせても直ぐには誰だかわからなかったが、旧姓を言われてわかった。中学の同級生だった。そうだ、昨年の同窓会で彼女と話した時に今はチューリップ公園の近くに住んでいると言っていた。
 今日は、娘と息子のお嫁さんの3人で見に来たという。息子は獅子舞のお囃子で笛を吹いていた。
 矢木公民館に行くと、初代から4代目までの獅子頭が保管されていたが、ガラス戸の中にあり鍵が掛かっていて開けることが出来なかった。初代の獅子頭はほとんど毛が抜けていた。
 神社での奉納獅子舞の頃から雲が出て来た。途中で牛丼並盛りサラダセットを食べる。税込み520円。たまに食べる牛丼の美味さよ。
空と牛丼
 家に帰り、今日行なわれた即位礼正殿の儀の特番をテレビで観る。今回の即位に伴い、55万人に恩赦が実施されるという。

10月20日(日)

 昼過ぎからは雲も出て来たが、寒くもなく過ごし易い一日だった。
 台風20号は今晩から明日にかけて沖縄、奄美に接近し、台風21号が強い勢力に発達して24日頃に小笠原諸島に接近するようだ。ちょっと勘弁して欲しい。
 昨日は、入善町舟見にある十三寺のご開帳を撮影に行って来た。十三寺のご開帳を知ったのは、行基菩薩の事を調べていて、こんな記事を見つけたから。十三寺の創建は不明だが、伝承によると行基菩薩が巡錫で当地を訪れた際に彫った千手観音、馬頭観音、聖観音の三像が安置されているという。そして、これら3体の仏像が7年ごとに開帳され、前回が2013年10月だったので、次は2010年の10月だと予想されると書かれていた。よし、来年見に行こう!と思っていた。
 それが先月、偶然に『暮らしの歳時記 富山編』(富山新聞社)を見ていたら「暮らしの言葉 米吊り」の頁に<入善町舟見の中尾山十三寺では、一時途絶えていた米吊りが1983(昭和58)年に復活し、以来、6年に1度、県指定文化財の仏像3体の開帳を祝って奉納されている>と書かれていた。え!6年?2013年から6年だったら、今年じゃん!! 
 心配になって十三寺に直接電話して聞いてみると、今年の10月19日、20日にご開帳が行なわれるということだった。ちなみに、ご開帳は7年に一度が正しいが、ご開帳した年も1年に数えるので中6年で2019年がご開帳となるそうだ。また、米吊り奉納は今年は行なわないそうだ。

10月19日(土)
 十三寺のご開帳初日。2日前に十三寺に電話をし、ご住職から当日の進行をお聞きすると、午前10時から境内に建てられた新しい塔婆の前で開眼法要があり、その後、本堂で開闢法要を行なってご開帳されるということだった。
 当初は富山地方鉄道の愛本駅まで電車で行き、愛本から自転車で舟見へ行こうと思っていたが、天気予報は曇りのち雨。ひょっとして入善駅からバスが出ていないだろうか?と調べてみたらドンピシャ!入善駅前から舟見まで町営バス「のらんマイ・カー」が運行していた。町の観光課に電話し、十三寺に近いバス停を尋ねると舟見上町ということだった。
 土・日・祝日はあいの風とやま鉄道が1500円の一日フリーきっぷを発売している。念のためあいの風のホームページで確認すると、19日に入善カレーまつりが開催されるので入善までの往復乗車券1000円の企画きっぷが発売されると書かれていた。これを利用する手はない。ご開帳を撮影した後、カレーを食べて帰って来よう。

 8時42分に、あいの風とやま鉄道で入善駅に到着。駅前のロータリーにあるバス停に行くと、直ぐに舟見行きの町営バスが来たので乗車して出発を待つ。9時ジャストに出発して、9時33分に舟見上町に到着。十三寺は真ん前だった。
 山門の前には「本尊千手観世音菩薩ご開扉 当山」と書かれた木札が立っていた。

↓山門。→山門の通路の天上には龍頭観音と書かれた仏画が描かれていた。
山門通路の天井画
十三寺の山門
新しい塔婆が建った境内
 本堂の横に受付があったので、ご住職に電話で許可を頂いて撮影に来た旨を伝える。
 本堂の前には真新しい角塔婆が建っていた。この塔婆は本尊のご開帳の度に建て替えられるものだそうだ。
 五重塔を簡略化したものが五輪塔で、五輪塔を更に簡略化したものが塔婆だと、蓮王寺のご住職から教わった。塔婆の上部には切れ込みがあり、5つに分かれている。
 本堂に入ると本尊が祀られている扉の向こうに白い紐が延びていて、外の塔婆に繋がっている。塔婆に下がっている白い紐を触ることで、本尊の仏様と繋がることができる。
↓→本堂に祀られた本尊と塔婆を結ぶ白い紐。
ご本尊とヒモで繋がった塔婆
本堂の中
 十三寺の縁起については、北陸三十三ヶ所観音霊場巡りというサイトに以下のように書かれている。

 旧北陸道上街道に面した元宿場町舟見にある当寺は、起源をたどれば聖武天皇の天平年間に、この地を巡錫中の行基菩薩が東の山に不思議な紫雲のたなびくのを御覧になり、そこにそびえる大杉の霊の声に従って千手観音、馬頭観音、聖観音の三像を彫り安置されたのがはじまりと伝えられています。
 その後、当地の城主飛騨守五郎右近尉の守護仏の本尊としてまつられましたが、天正の末年、戦乱のため滅亡して、霊像も山中に埋もれていました。 江戸時代中ごろ、明日山の清智和尚が夢のお告げでこれを発見され、中尾山に草庵を結んで安置したところ、善男善女の信仰を集め、宝暦十一年(一七六一)現在地に移されました。
 秘仏の本尊千手観音は十一面四十二臂で清水寺様式。聖観音、馬頭観音(県指定文化財)ともに杉材による鎌倉初期の木像です。

開眼法要
 10時になると、十三寺のご住職が塔婆の前に立ち、その両脇に僧侶が並び開眼(かいげん)法要が営まれた。開眼とは新作の仏像・仏画を供養し、眼を点じて魂を迎え入れることとある。新しく建てられた塔婆に、仏の魂を入れる儀式だろう。
開闢法要

 5分ほどで開眼法要が終わると、次に本堂で開闢法要が行なわれた。
 15分ほどの法要が終わると、僧侶の一人がお寺の略縁起を読み上げて、それからご開帳となった。
 本尊の手と結ばれている白い紐には白い袋がぶら下がっており、願い事のある人はこの袋を取りお布施を中に入れるそうだ。
 お参りされる方が内陣に並ばれて、順番にご本尊の前へと進まれる。

秘仏の拝観
↑願い事のある人は白い紐にぶら下がった紙袋を取り、お布施を入れる(左)。ご開帳された仏像をお参りする(右)。
ご開帳された仏像

 十三寺の3体の仏像については、富山県教育委員会の作製した案内板がお寺の前にあったので引用させていただく。

真言宗中尾山十三寺の仏像

当寺には、富山県指定の文化財である三体の仏像がある。
中尊の千手観世音菩薩立像は、京都の清水寺の本尊と同じ様式(清水型)で造られている。また、馬頭観世音菩薩立像は、下に向けて合掌しており、他に類例を見ない。仏像は杉の一木で造られており、奈良時代の名僧「行基」の作と伝えられているが、平安時代後期の作風を残す鎌倉時代の仏像である。
戦国時代、舟見城主「飛騨守五郎左近尉」の守護仏であったが、上杉勢の進攻により落城し、山中に埋もれた。宝暦十一年(一七六一年)明日山法福寺の清智坊が、夢のお告げでこのことを知り現地点に安置したと言われている。

 行基は668年(飛鳥時代)から749年(奈良時代)に生きた僧なので、鎌倉時代の仏像なら行基と時代が違うことになる。まあ、それでも1000年以上前のことは誰にもわからない。行基作という由来があるのは、夢があって楽しいことだと思う。
 ご開帳された3体の仏像を撮影した後、ご住職の入井寛道さんに少しお話しを伺った。ご本尊は中央の千手観世音菩薩立像で、向かって左の馬頭観世音菩薩立像、右の聖観世音菩薩立像は脇侍というそうだ。
 今日はこの後、14時から慶讃法要があり、明日は10時から日中法要、13時から稚児行列、14時40分から結願法要が営まれる。夕方からは境内に設けられたステージで、奉納の歌や踊りといったアトラクションが行なわれるようだ。
 帰りは舟見上町を11時43分発のバスで入善駅前へ。途中から雨が降り出した。駅に到着する頃には土砂降りの雨になってきたが、お腹も空いたしカレーまつりの企画きっぷに乗車して来たので食べに行く。歩いて5分ほどの会場に着くと、中央にテントがあるが人でいっぱいだ。とりあえず1パック100円のご飯を購入し、カレーのブースを一通り見てまわり300円のドライカレーと350円のタイ風イエローカレーを買ってテントの中の空いた席に着いた。晴れていたら、テントの外のテーブルも使えてのんびり食べられるがサッと食べて帰ることにする。
 総合案内所のテントで帰りの企画きっぷを見せて、入善の水のペットボトルを貰い駅へと向かう。 13時5分の金沢行きの電車に乗って帰宅。

入善カレーまつり
↑上がドライカレー、下がイエローカレー。土砂降りの会場。

10月17日(木)

 今日、ミュージック・マガジン社から『NEW MUSIC MAGAZINE 創刊50周年記念復刻Part2』という、創刊した1969年の9月号〜12月号をボックスセットにした本が届いた。この頃はまだミュージック・マガジンの撮影はしていない、っていうか9歳だから小学生だ。なんで献本されて来たのかと中を開けると、小倉エージさんが創刊当時のことを綴った小冊子が付いていて、そこに2005年にボクが撮影した中村とうようさんのポートレートが掲載されていた。それで送られて来たのだろう。
 このポートレートは、とうようさんのコレクションを一冊の本にまとめた『中村とうようの収集百珍』(ミュージックマガジン)制作時に撮影したものだ。何回か八王子のとうようさんの自宅へ通ってコレクションの物撮りをし、撮影リストの品を写し終えて最後にポートレートを撮った。物撮りのために4X5(シノゴ)のカメラも用意してあったので4X5で撮ろうと思っていたが、撮る直前にゴタゴタして余裕がなくなってマミヤの645になった。確かネガフィルムをスキャンして、データで編集部に渡したのではなかったか。
 このポートレートの撮影後、とうようさんにお会いしていないので、これがボクにとっての最後のとうようさんの顔になる。
 エージさんの書いた小冊子の中に、とうようさんらしいエピソードがあったので、ちょっと転載させていただく。

 「日本のロック・フェスティバル」ではモンタレー・ポップ・フェスティヴァルの映画が上映され、フラワーズ、モップス、ゴールデン・カップス、ブルース・クリエイションなどが出演しました。
 その終演後、とうようさんがいきなり楽器運びを手伝いはじめたんです。当時それは、”ボーヤ”と呼ばれるバンドの見習い、予備軍の仕事だったんですが、そうした事情をご存じないとうようさんが楽器運びを手伝い始めたことで大騒ぎになり、モップスの鈴木ヒロミツ君など大慌てで内田裕也さんにも報告。「とうようさんにあんなことさせるな!」と口にしながら、楽器運びに関われないことから、ヤキモキしていました。

 とうよさんが当時ボーヤの存在を知らなかったかどうかわからないが、性格的にジッとしていられなかったんじゃないだろうか。
 1994年の春に、「ブンガワン・ソロ」の作曲で知られるインドネシアの作曲家で歌手のグサン・マルトハルトノや、ワルジーナ、ヌニンの3人が来日し、インドネシア音楽祭が催された。横浜と新宿の公演があり、日本のグサン会(大戦中にインドネシアでグサンさんと親しくなった人達の会だったかな)に同行しての鎌倉観光があり、その夜にはビクターの原宿スタジオでアルバムのレコーディングという強行軍だった。この来日の様子を雑誌用と、ビクターから発売されるレコード用に撮影していた。
 確か横浜公演の時だったと思う。ステージとステージの幕間に、とうようさんがいきなり舞台の掃除を始めた。ゴミが落ちていたのが気になってしょうがなかったのだろう。とうようさんはこの時、音楽祭のプロデューサーとか監督の立場ではなかったか。公演中に、ステージで曲か楽器の解説もしていた。でも、性格的にジッとしていられなかったのだろう。
 エージさんの文章を読んで、そんな事を思い出した。

ニューミュージック・マガジン
 昨年の10月21日に撮影した安居寺(あんごじ)ご本尊奉安1300年大法要の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
安居寺1300年記念大法要01
↑お稚児さん行列にて。↓本堂での大法要。
安居寺1300年記念大法要02
 気になった記事を備忘録として。
人頭税廃止の歴史を本に 演歌歌手が出版
議事録なし「モリカケと一緒」 愛知・大村知事が批判
中国企業が買収の東芝「白物」 意識変化で急成長
被害収まらぬ中飛び交う「ダム翼賛論」が間違いである理由
五輪マラソン 札幌案 IOC発表 競歩も 暑さ対策
マラソン 小池知事「北方領土でやったらどうか」
ロシア外務省、日本を過激批判「健忘症に陥る傾向ある」
ある日突然「不発弾が出た」高額負担迫られる地主も――戦時の遺物、法律はあいまい

10月15日(火)

死者56人、堤防決壊52カ所 台風19号、救助や捜索続く
台風19号、68人死亡19人不明 捜索・復旧作業続く
台風死者、12都県69人に 福島が最多の25人
 日が経つにつれ、時間が経つにつれ死者の数がじわじわと増えて行く。13日に台風19号の被害を「まずまずに収まった」と発言し批判を浴びていた二階幹事長が、今日の夕方になって表現が不適切だったとして撤回した。
 不適切と言えば、マスコミは取り上げないが安倍首相のツイッターのこの発言も不適切極まりないと思う。被災した人達はこれから先、どうやって生活を再建するのかと不安に怯えて暮らしているだろう。<勝利を諦めないラグビー日本代表の皆さんの勇姿は台風で大きな被害を受けた被災者の皆さんにとっても元気と勇気を与えてくれるものだと思います>などと、どうして思えるのだろうか。想像力の欠如も甚だしい。
 その安倍内閣が今日、「桜を見る会は意義がある」を閣議決定したそうだ。ついでにセクシーの意味は「魅力的」も閣議決定したようだ。2年前に「そもそも」=「基本的に」が閣議決定しているので驚きはないが、どうかしてるだろ、この内閣。
 台風の最中、台東区がホームレスの男性を避難所に入れなかった件で、今日になって台東区長が対応が不十分だったとして謝罪したが、この記事にぶら下がっているコメントが酷すぎて唖然とする。
 断水が発生した神奈川県山北町で、到着した自衛隊の給水車に、県が待ったをかけ水が捨てられた。もう、ホントにバカなんじゃないだろうか。
 台風19号の影に隠れて関電の原発マネーの話題は下火になっているが、「関西電力の原発マネーだけではない。六ヶ所村の核燃マネーの恐るべき実態」という記事が論座に掲載されていた。
 あいちトリエンナーレ2019が、昨日閉幕した。入場者数65万人で過去最高を記録した。
 元ベンチャーズのギタリスト、ジェリー・マギーが12日に都内の病院で亡くなった。ソロ公演のために来日中だったそうだ。
 ベンチャーズはM&Iカンパニーが招聘していて(今もかな?)、90年代に一度だけオフィシャル・カメラマンとして撮影したことがある。
 中野サンプラザでコンサートを撮影し、コンサートの終了後に来年の公演用の宣材写真を楽屋で撮った。たぶん撮影したフィルムを、その場で事務所に全て渡したのかな。手元には一枚も残っていない。探せばメンバーの集合写真のテスト用ポラは、何処かにあるかも知れないが。
 同じく元ベンチャーズのギタリスト、ノーキーさんも昨年の3月に亡くなっている。時代がゆっくりと流れて行く。You Tubeから「ベンチャーズ/京都の恋」。
アマゾンで購入した本
 積ん読だけになってしまうので、最近は購入を控えていたが、久しぶりにアマゾンのマーケットプレイスで本を2冊購入した。『伏見稲荷大社(日本の古社)/三好和義』』(淡交社)は382円、『 Re´trospective/ロベール・ドアノー』(クレヴィス)は513円だった。ドアノーの本には一部カラー頁があり、ドアノーのカラー写真は初めて見た。でも、やはりモノクロの方が良い。
 昨年の10月20日に撮影した、高岡市吉久の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
吉久の獅子舞01
↑子供獅子。お囃子で笛を吹いていた女の子がシシトリをやったが、なかなか上手だった。↓夜の招待花。
吉久の獅子舞02

10月13日(日) Part2

 台風一過。電車が動いていなかったら諦めようと思っていたが、あいの風とやま鉄道は午前9時頃からほぼ平常運転となった。
 10月第2日曜日の今日は、小杉の蓮王寺で13時半から人形供養祭が行われる。台風の影響も心配されるのでお寺に電話すると、予定通り行われるということだった。
 小杉駅に12時56分に着く電車もあるが、駅から蓮王寺までは歩くと15分ほどかかる。あまりギリギリに到着するのも心配なので、11時53分到着の電車にした。時間がたっぷりあるので、駅からお寺に行く途中にあるコンビニでカップ麺を購入し消費税10%払ってイートイン。食べたのは、こちら
 食べ終わり、蓮王寺へ向かうと住職自らが人形を持ち込む方の車を駐車場に誘導されていた。住職に人形供養のことを尋ねると、元々蓮王寺でも個別に持ち込まれる人形供養を行っていたが、現在行っている供養は富山人形供養の会が主催して開催されているそうだ。この富山人形供養の会は高田卸方屋人形のタカツネキタノ商事の3社で平成7年に設立し、この年に第1回の人形供養を蓮王寺で行ない、平成14年には境内に人形供養の聖観音像も建立したという。
 境内に行くと、既に供養のために持ち込まれた人形が山のようになっていた。毎年600〜700人、一番多い年は1,000人ほどが人形を郵送したり直接持って来られるそうだ。
↓供養のために持ち込まれた人形。→聖観音像。
人号供養の聖観音
蓮王寺

 聖観音像の台座には、以下のような人形供養や観音像についての説明書きがあった。

 古来より人形は「ひとがた」と呼ばれ、人に代わって災いや厄をうけてくれるものであり、身近において心の慰めとされてきた。
 近年の急激な物質の氾濫は人々の心を変化させ、物を大切にしなくなり、また物にまつわる意味合いも無視され、精神的な価値が軽視されるようになった。
 このような現状を憂い、本来の心の豊かさを取り戻す一助となればと、有志が集まって富山県人形供養の会を結成し、「役目を終えたお人形は供養してあげましょう」と平成七年十月十五日、第一回富山県人形供養祭を蓮王寺にて行った。
 以来毎年回数を重ね、その間の供養料や会費をもってこの観音像を建立した。

平成十四年十月十三日 
        富山県人形供養の会 代表 高田知木 北野一夫 高英一

供養のため持ち込まれた人形
聖観音像の前で般若心経を唱える

↑ぬいぐるみが一番多そうだが、雛人形、五月人形、フランス人形など色んな人形が持ち込まれている。中には狸や鳥の剥製もあり、果たしてこれは人形だろうか?と悩む。
←観音像の前で般若心経を唱える。

 供養祭の始まる13時半になり、境内に建立された聖観音像の前で、般若心経が唱えられる。それが終わると本堂へ戻り、護摩祈祷が営まれる。

護摩祈祷01
護摩祈祷02
↑人形を持参した人達が受付で名前を書いた護摩木が、お炊き上げされる。
住職の挨拶
 30分ほどで護摩祈祷が終わると、住職がご挨拶して供養祭は終了した。
 供養が終わった人形たちは業者の方々が引き取り、処理される。昔なら人形もお焚き上げ出来たのだろうが、今は素材にビニールや金属なども混じっているのでそのまま焼却するわけにはいかないようだ。
 住職にご挨拶して、小杉の駅へ。14時50分発の電車で家へと帰る。
 今日は新潟との県境にある朝日町で、いくつか獅子舞があるので撮影に行こうかと思っていたが、人形供養祭の後に越中宮崎駅へ向かっても直に外が暗くなりそうなので止めにした。

10月13日(日)

 超大型の台風19号は昨日の19時前に伊豆半島に上陸したが、上陸前から大雨で既に冠水の被害が出ていた。千葉県市原市では竜巻が起こり、家屋の損壊だけではなく軽自動車が横転し中にいた男性が亡くなった。
 雨風が酷くなる前に、家の庭や周囲にある鉢植えや物干し竿などを片付ける。パソコンや周辺機器にはピニールを被せ、直ぐに持ち出せるようリュックに写真データが入っている外付けハードディスクを入れておく。富山は21時頃からが雨風のピークという予想だったので、焼酎を呑んでビリー・コブハムの『TOTAL ECLIPSE』を聴きながら21時頃には寝た。夜中の1時頃に一度目が覚めると、もう雨風は小さくなっていた。
 再び寝て起きて朝のニュースを観ると、いたるところで河川が氾濫していた。朝の時点で亡くなった方は一桁だったが、撮影から帰った午後は19人で、夜には33人まで増えた。まだまだ被害の全貌は明らかにならないが、21の河川が決壊し、東日本を中心に36都道府県に被害が広がっているという。
 政府は今日の午前中、関係閣僚会議で官邸に非常災害対策本部を設置すると表明したが、対策というのは事の起こる前にするのではないだろうか?
 千曲川が氾濫した長野ではJR東日本の長野新幹線車両センターが浸水し、留め置いていた北陸新幹線の120両も水に浸かった。このため長野駅と富山駅間の運転再開のめどがたたないそうだ。
 東京都台東区が、自主避難所を訪れたホームレスの男性2人を受け入れなかったそうだ。避難所は区民を対象としたものという理由だそうだが、政府が「命を守る行動を」と呼びかけておいて区民じゃないから追い出すとはどういう対応だろうか。猛烈な雨と風の中で行き場の無い人がどう過ごすのか、その想像力が働かないのだろうか。台東区は浅草もあり、外国からの観光客も多いはず。来年は東京オリンピックも開催される。こんなホスピタリティ、メンタリティで海外から人を招くのだろうか。
【まとめ】台風19号情報 13日夜まで
二階氏 台風被害「まずまずで収まった」緊急役員会で
除染廃棄物の袋が川に流出 福島 田村
消去法で沖縄浮上も 中距離ミサイル配備計画 米高官「日本政府の拒否反応ない」
寺宝を一斉公開 11月高岡で瑞龍寺・総持寺・大法寺・勝興寺
 今日は、小杉大仏で知られる蓮王寺の人形供養を撮影に行って来た。こちらの様子も後々UPいたします。
連王寺の人形供養
↑供養のために持ち込まれた人形が山になった、蓮王寺の境内。

10月11日(金)

 大型の台風19号は勢力をほぼ維持したまま、明日の夕方から夜にかけて東海から関東に上陸しそうだ。これにともない首都圏の鉄道は大規模な計画運休を実施、スーパーや商業施設でも休業が相次いでいるようだ。
 富山でも、明日の午後から強い風と強い雨が予想されている。今日は朝からワイドショーでもニュース番組でも、台風19号の脅威を伝えていて、富山に居ても不安な気持ちになって来るので関東、特に先月の台風で大きな被害を受けた千葉の人達は只々恐怖でしかないだろう。台風の進路予想図を見ると、浜岡原発や福島第一原発が心配になる。浜岡は停止しているが、だからといって何が起こるかわからない。汚染タンクや煙突を抱えた福島第一では、豪雨や強風が新たな災害を呼ぶ可能性もあるだろう。

 今日、埼玉県の養豚場で豚コレラに感染した豚が確認され、2300頭が殺処分されることになった。政府がもっと早くワクチン接種を決断していれば、防げた感染ではなかったか。
 高市早苗総務相が、政治資金規正法が原則禁止している政治家個人への寄付(献金)を巡り、暗号資産(仮想通貨)は規制対象ではないとの認識を表明したそうだ。 なんだろう、このご都合主義のモラルの無さは。

 クリームのドラマー、ジンジャー・ベイカーが6日に亡くなり、アヴェレージ・ホワイト・バンドのテナーサックス奏者、マルコム・ダンカンが亡くなり、イラストレーターの和田誠さんも7日に亡くなられたそうだ。
 You Tubeからアヴェレージ・ホワイト・バンドの「Pick Up The Pieces」。

 昨日は伊勢玉神社の秋季例大祭の宵宮に行われる、湯立て神事を撮影に行って来た。

10月10日(木)
 氷見にある伊勢玉神社の春と秋の大祭の宵宮に、湯立て神事が行われるのを知り、撮影に行って来た。宮司の鈴木さんに斎行時間を問い合わせると、宵宮の儀は18時からということだった。
 時刻表を検索すると17時54分に氷見駅に到着する電車があったが、これだとギリギリなので一つ前の16時51分に到着する氷見線にした。
伊勢玉神社
 氷見駅から伊勢玉神社までは歩いて5分ほどで、17時頃に到着。境内には既に祭場が設営され、しめ縄で囲んだ中に湯釜が置かれていた。
 参拝をしてから、湯釜を撮影させてもらう。湯釜の後方には、プランターに稲が植えられた神饌田がある。苗を植えた直後にカラスに荒らされて植え直したそうで、他所より刈り取りが遅れているようだ。境内の右奥にある稲荷神社も、初めて参拝した。
湯釜が設営された境内
↑湯立て神事が行われる祭場。↓神饌田。→稲荷神社。
神饌田
 まだ時間が早いので神社の周囲を20分ほど散歩して戻ると、拝殿から鈴木宮司が出て来られた。しばらく、湯立て神事の詳細などをお聞きする。伊勢玉神社では江戸の中頃より湯立て神事が行われ、明治の初めに一旦途絶えたが、平成元年に現在の瑞麿宮司のお父さんが復活させたそうだ。
 宵宮の儀は18時からの予定だったが、今日は手違いがあり19時から始まった。
宵宮の儀の祭典

↑上段左右:社務所から拝殿へ、神職を先頭に参進/中段左:修祓/中段右:宮司が忌火を起こす/下段左:忌火を行燈に移し、境内の祭場へ運ぶ/下段右:湯釜の下に井桁に組まれた薪に着火する。

 湯釜の下の薪に火がつけられると、宮司は拝殿に戻り、祭典を行う。
 玉串が奉奠された後、神職と列席した宮総代が境内に下り、湯立て神事が斎行される。

湯立て神事01
↑上段左:修祓/上段右:大祓詞奏上/中段左:御幣で湯釜の湯に文字を書く/中段右: 神饌の生米を湯釜に入れる/下段左:笹の葉を束ねた手草(たぐさ)を湯に浸け、その湯玉で祭場の周囲を清める/下段右:参拝に訪れた氏子の方々にも湯玉を振りかけて清祓いを行う。
↓→祓いが終わると湯を酌み、祭壇に供えて湯立ての神事は終了する。
湯立て神事03
湯立て神事02
感謝状贈呈式

←感謝状の贈呈式。

 20分ほどで湯立て神事が終わり、神職、宮総代の方々が社殿に戻り、交替される総代の方々に鈴木宮司から感謝状が贈呈された。
 この後、社務所の方で直会が行われるので、お礼を述べて氷見駅へ向かう。
 20時17分の氷見線で高岡へ。20時51分のあいの風とやま鉄道に乗り換えて帰宅した。

 wikipediaの「湯立」の頁には、「今日では祓としての要素が大きいが、古い時代はむしろ禊としての要素が大きく、また神意を問うための占卜の手段としても重要視され、問湯(といゆ)と呼ばれていた」と書かれている。それで思い出したのが、奄美大島の龍郷町安木屋場集落で行われる今井大権現祭でのユタの禊だ。祭典の前に、ススキを束ねたものを海水に浸け、それを振りかけて禊を行う。なんとなく湯立て神事と仕草が似ている。
 もっとも今井大権現の宮司であり親ユタであった阿世知照信さんが2015年に亡くなったので、現在はユタが参加することは無く地元住民で祭祀を斎行しているようだ。
今井大権現祭
↑今井大権現祭でのユタの禊。2011年11月5日撮影。

10月8日(火)

 朝から雨。暑くもなく寒くもなく、家で作業するには良い天気かもしれない。
 台風15号で甚大な被害を受けた千葉など、その傷跡もまだ生々しい中、今年最強クラスの台風19号が発生し、週末の3連休に上陸する可能性もあるという。
 8月27日の記者会見で「国内での害虫被害でトウモロコシの供給が不足する可能性がある」と菅官房長官が安倍首相の日米首脳会談でのアメリカ産飼料用トウモロコシの購入について説明していたが、安倍首相は昨日の衆院本会議でトランプ大統領と「購入を約束や合意した事実はない」と説明したそうだ。そんな安倍首相の4日に行われた所信表明演説を、東京新聞がファクトチェックしている。
 関電の幹部は元助役から受け取った金品は一時的に保管していたと言っているが、その金品受領の十分な記録を残していないそうだ。記録を残さず、どうやって返すつもりだったのだろうか。
 この他の気になった記事を備忘録として。
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皇大神宮奉斎所
皇大神宮のご神木

↑皇大神宮奉斎所。拝殿の奥に、石垣があり、ご神体となる榊が祀られている。
←ご神木であり、ご神体である真榊。

 昨日の午後、小矢部市芹川にある皇大神宮奉斎所まで自転車で出かけた。皇大神宮は本殿に社がなく、石垣の上に鳥居があり、真榊が植えられている。この榊の木がご神木であり、ご神体(神の依り代)となっている。
  春に亀保里神社の除蝗祭を撮影し、その写真を長岡宮司にお渡ししに来た時に、このご神木の話をお聞きした。社務所を訪ねたらお留守だったが、いつでも撮影して構わないということだったので撮らせてもらった。
 元々は神明社(諏訪社も勧請していた)だったが、代々宮司を務める長岡家が、兼務している亀保里神社に神明社と諏訪社を勧請し、明治初期に皇大神宮奉斎所となったという。
 亀保里神社は1575年に天神宮という名で創建され、四歌山夢想宮(しかせんむそうみや)、祖母神社(ばばじんじゃ)と名前が変わり、明治40年に今の亀保里神社になったそうだ。

東福町の大仏様

 放生津八幡宮の築山は老松の元に、二上射水神社の築山は3本の大杉の元に建てられる。社の無かった時代の神道の形を想像させるが、芹川の皇大神宮の榊もまた、そのような想像をかき立てる。
 ご神木の写真を撮影した後、せっかく小矢部まで自転車で来たので、嘗て花街があった川岸町(現在の東福町)まで足を延ばしてから帰宅した。

←東福町にて。小さな祠に大仏様が。

 昨年の10月14日に撮影した入善町元新屋の獅子舞の様子をPhoto Albumをしました。こちらこちらこちら
元新屋の獅子舞01
↑両手に傘を持った天狗が、一斉に空中回転をする。↓宮入りでお神輿の露払いをする、仮装行列のような恰好の願念坊。
元新屋の獅子舞02

10月5日(土)

 今日は地元の秋祭りで、地区を獅子舞がまわっている。ここは全戸まわりではなく、各班長さんの家を代表してまわる。家の斜め前にある班長さんの家の獅子舞を部屋から撮影していた。獅子舞が終わると、分散して車に乗り込み次の場所に移動する。
地元の獅子舞

 宮古島・島尻集落のパーントゥが、今年も昨日から始まったようだ。
  昨年、「来訪神 仮面・仮装の神々」としてユネスコの無形文化遺産に登録されてから、初めての開催になる。

←は、2012年10月10日に撮影。犬を脅しているパーントゥ、悪い奴だな(笑)。

 一昨日、琉球新報が<米、沖縄に新型中距離弾道ミサイル配備計画>という記事を掲載した。
 核兵器を製造せず、持たず、持ち込ませないが日本の非核三原則なので、この記事が本当なら政府は米国に抗議をしなくてはならない。しかし、持ち込ませないが事実上破られているのは公然の秘密だろう。
 琉球新報は沖縄の新聞なので、見出しに沖縄に新型中距離弾道ミサイル配備計画と書いているが、本文には<米国が今後2年以内に沖縄はじめ北海道を含む日本本土に大量配備する計画がある>と記されている。つまり、アメリカの対中国、対北朝鮮、対ロシアの最前線基地が日本列島なのだろう。
 米軍は中国との戦争を想定して、南西諸島~台湾~フィリピンといった第1列島線の内側に中国軍を封じ込めるエア・シー・バトル構想をすでに計画している。言わば南西諸島が盾にされるのだが、実際に戦闘になれば、盾になるのは南西諸島だけではなく日本列島全体になると言うことだ。

 第二次大戦で日本軍は米軍の本土上陸を遅らせるために首里城に司令部を置き、沖縄を捨て石にした。今回のアメリカによる日本列島への新型中距離弾道ミサイル配備計画は、対中国、対北朝鮮、対ロシアと開戦になった時の捨て石にされるということだろう。

 あいかわらずこの国の首相は台風被災者などの弱者をそっちのけで、憲法改正に意欲を示している。昨日の所信表明で「令和の時代に日本がどのような国を目指すのか。その理想を議論すべき場こそ、憲法審査会ではないか」と述べたそうだが、意味がわからない。

(1)日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又(また)は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
(2)前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 憲法9条である。憲法など抑止力にならない、憲法9条で敵国が撃つミサイルを撃破できるのかと子供のようなことを言う人が時々いる。
 今年の春頃、日本維新の会の丸山穂高議員が北方四島ビザなし交流の訪問団の一員として国後島を訪れた際、酔って「戦争しないと、どうしようもなくないですか」と訪問団団長に詰め寄って問題になった。丸山議員は批判を浴びて日本維新の会を除名処分となったが、彼のように「戦争しないと、どうしようもないですか」と考える為政者は他にもいないとは限らない。
 2012年当時、日本維新の会代表を務めていた石原慎太郎氏が街頭演説で「例えば、横田めぐみさんとか200人以上の人たちが拉致されて殺されたのに、その証拠があったのに、当時の日本はそれを返せと北朝鮮に強い態度 で臨めなかった。9条のおかげで見殺しにした。あんなものがなければ、日本は返さなかったら戦争するぞと、攻めていく姿勢で取り戻せた」と述べている。
 拉致被害者を見殺しにしたのは憲法9条のせいだろうか?今でこそ日本政府は拉致問題に取り組んでいるが、おそらく1970年代から始まったと思われる北朝鮮工作員による日本人拉致事件を認めて来なかったのは、この国の政府だったのではなかったか。
 日本人拉致問題が初めて国会で取り上げられたのは1980年、民社党が当時の竹下首相に拉致事件は北朝鮮によるものではないかと指摘し、真相究明を求めたのが1988年と言われている。それまでこの国は拉致被害者の存在すら認めず救済に動くこともなかった。憲法9条のせいにしてはいけない。
 憲法で敵国のミサイルは止められないが、憲法でバカな為政者の暴走を止めることはできる。そのことによって憲法9条は国民の命、自衛隊員の命を守っている。

「NHKはまるで暴力団」日本郵政副社長が記者団に発言
関電会長「金品断ると激高された」 13年前から受領
羽交い締め、目に激辛カレー わいせつLINEを強要 小学校の教員4人が同僚いじめ
↑情けないニュースが並ぶな。

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スポーツ飲料、投稿するなら配慮して 五輪ボラ研修開始
香港政府、デモ参加者のマスク禁止 多数が激しい抗議

 昨年の10月13日に撮影した東狐(とっこ)の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
東狐の獅子舞
↑飛びはね、走り回り、大活躍する東狐の願念坊。地元ではジジ、ババと呼ばれている。

10月3日(木)

 一昨日、香港警察が一線を越えてデモに加わっていた高校生に実弾を発射した。撃たれた高校生は緊急手術を受けて命を取り留め、容態は安定しているそうだ。
 香港のデモは、日本の右派からも左派からも支持される不思議な現象が起きている。香港で起こっているデモには、普段日本国内でのデモに批判的な人達も称賛や応援のメッセージを送っている。香港の若者が戦っている相手が、中国共産党だからだろう。
 ところで、このデモに関して日本の政党ではっきりと強いメッセージで香港警察、しいては中国共産党を批判しているのは日本共産党だけではないだろうか。

 先日、文科大臣の萩生田氏が「あいちトリエンナーレ2019」への補助金の不交付を発表したが、その審議過程を日本共産党の議員が文化庁に問い合わせたところ、議事録はないという返事がきた。無いってどういうことよ?と思っていたら、補助金採択の審査委員会の委員を務めていた野田邦弘・鳥取特命教授が文化庁に辞意を伝えた。審査委員の野田氏に補助金不交付の連絡があったのは、文化庁が不交付を発表した後だそうだ。「一度審査委員を入れて採択を決めたものを、後から不交付とするのでは審査の意味がない」と話している。

 関西電力から原発建設会社にお金が渡り、建設会社から原発立地自治体の顔役にお金が渡り、そこから関西電力の幹部にお金が還流して行く。その原資は市民から徴収した電気料金だ。
 関電の幹部は記者会見で辞任を否定したそうだが、辞任するしないではなく、贈収賄事件で取り調べを受けるべき案件だろう。
 関西電力への調査は勿論だが、建設会社や自治体の顔役で今年亡くなったという元助役のお金の流れや資産も徹底的に調査して欲しい。また、今日になって元助役の関連会社が稲田朋美元防衛相ら自民党議員に献金していることも明らかになった。こちらも徹底的に追及するべきだろう。
 
 昨年の3月11日に、原発は総括原価方式という仕組みを使い国民から吸い上げたお金を原子力村という既得権益集団に分配するための装置ではないだろうか?と書いたが、まさに今回の事件が端的にその事実を浮き彫りにしている。
 少し長いが、昨年の文章を再掲します。

 原発を考える時、別役実の短編童話集『淋しいおさかな』の中の一篇「工場のある街」を思い出す。それは、要約するとこんなストーリーだったと思う。

ある日、街に工場ができた。
街の人々は、煙突から上がる黒い煙りを見ながら
どんな素晴らしいものを作っているんだろうと
噂をしていた。
工場は煙突を増やして、ますます黒い煙りを上げていく。
それでも街の人達は、工場で何が作られているのか
わからない。
ある日、街の人の中に目が痛いと言う人が現れ、
やがてそれは街全体に広がった。
そんな折、工場長が街の人に向かって
「みなさん喜んで下さい。
私たちは貴方たちの目の痛みを治す薬を
ようやく完成させました」
街の人達は、なんて素晴らしいものを作ってくれたんだと
大喜びした。
ところで、こんな素晴らしいものを作るには
やはり煙突が何本も必要なんですね?と
街の人が工場長に尋ねた。
「いえ、煙突は黒い煙りを出しているだけです」

 そう言えば、防衛省のOBが建設会社に天下りしていたり、工事受注業者から政治家に献金が行われている辺野古の新基地建設も税金を既得権益集団に分配する装置になっている。

*写真は16年前の豊洲。変わって行く東京の街を撮っておこうと、4x5(シノゴ)のカメラを担いでアチコチ散歩していた時期がある。その頃の一枚。2003年10月25日撮影。

 この他の気になった記事を備忘録として。
辺野古工事に暴力団 埋め立て土砂の採掘めぐり恐喝未遂
北朝鮮、「新型」の潜水艦発射弾道ミサイルを発射 射程距離は千キロ超か
原発、テロ対策遅れで初の停止へ 川内1号機が来年3月

 昨年の10月7日に撮影した福岡町三区の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちら
福岡三区の獅子舞

10月1日(火)

 10月1日。消費税が8%から10%に。沖縄のモノレール「ゆいレール」が浦添まで延伸運転。中国の天安門広場では建国70周年の記念式典が開催された。今日から色んな事が変わり、様々な事が起こった。
 そう言えば、普天間基地に配備されるオスプレイが沖縄に飛来して来たのが7年前の今日だった。7年前の10月1日は、朝から糸満市の真栄里へ大綱引きの撮影に行っていた。撮影を終えてバスで那覇の部屋に戻りテレビをつけると、夜のニュース番組で岩国から普天間へ飛来してきた6機のオスプレイの映像が流れた。あれから、もう7年か・・・。
真栄里の大綱引き
↑2012年10月1日に撮影した真栄里の大綱引き。那覇、与那原、糸満の三大大綱引きに比べれば小さいが、個人的には一番美しいと思った大綱。写真の場面は、支度(シタク)を乗せた雄綱が入場して来るところ。右側に雌綱がいる。沖縄の綱引きは雌綱の輪っかに、雄綱の輪っかを挿入しカヌチ棒というぶっとい丸太を差し入れて固定して引っぱり合う。

 最近の気になった記事を備忘録として。
福島第1原発地下汚染水から高放射線量測定
原発マネー還流か 関電会長らに1.8億円 福井・高浜町元助役から
総額約3億2000万円20人が受け取り 関電社長会見
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関電社長「20人が計3億2000万円」 役員ら資金授受問題を会見で謝罪
関電不正 原発マネーの闇を暴け
トリエンナーレ補助金 再開表明 直後の不交付
津田氏「企画に自粛効果生まれる」 新しい検閲と批判も
あいちトリエンナーレ補助金不交付の支離滅裂 法的根拠も合理性もなし。法の支配を歪め、行政運営の根本も揺るがす過った決定
千葉の惨状を放置して組閣。不安なその布陣…。だけど「怒る」気力が湧かない、現代の「空気感」とは?
老後資金報告書の撤回決定
かんぽ不正、法令や規定違反4200件 調査まだ4割弱
千葉県内の農林水産業被害 「東日本」より多い367億円余に
議論再燃。「処理水海洋放出」は何がまずいのか? 科学的ファクトに基づき論点を整理する
追悼 予備校講師「金ピカ先生」が我々だけに語った「最期の言葉」
入管施設での外国人死亡は餓死 入管庁「対応問題なし」
 昨年の10月7日に撮影した。入善町椚山の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
椚山の獅子舞01
↑小学校では大天狗、子天狗の順に入場し、獅子の後に肩に乗せられた子天狗が傘を持って登場する。宮入りの演目で「大門先」という地区もあるが、椚山では「ちょうれん」と呼んでいるそうだ。↓下新川型の獅子舞で最初に行われる演目「天狗と獅子の起こし舞」。
椚山の獅子舞02

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