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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 |
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8月7日 魚津市蛇田地区の七夕 ◯勝興寺 新年の宮大工仕事始めの儀 1月7日? 10時30分〜11時30分 |
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*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 *富山の祭り *築山行事 *とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *山の民の祈り *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 *五箇山の獅子舞の起源 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 ◯与論島の洗骨儀礼 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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昨日からの猛烈な雨で九州北部では死者が3人になり、避難者は6県で1900人を越えているそうだ。佐賀県では工場に水が流れ込み、油が最大で11万4000リットル流出した恐れがあるという。 |
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◯他の内閣より良さそうだから 演説にやじの権利「保障されず」と文部科学大臣が言い、あいちトリエンナーレの<表現の不自由展>について「展示は政治的なメッセージで表現の自由を逸脱しており、仮に県内で同じことがあれば絶対に開催は認めない」と神奈川県知事が言う。どんどん文化後進国になろうとしている。 BBCが制作した日本語字幕つきのドキュメンタリー<日本で「搾取」される移民労働者たち> を観ると、徴用工問題の延長が今もこの国で起きていると思えてならない。 以下は最近拾ったツイート。 これでも本当に他の内閣より良さそうと思うんだろうか。 |
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↑2013年の沖縄慰霊の日。沖縄全戦没者追悼式に出席した安倍晋三首相。まだ仲井眞前沖縄県知事が辺野古の埋め立て承認をする前で、今ほど安倍氏への県民からの風当たりは強くなかった。この年の式典で一番マスコミの注目を浴びていたのは、米軍の幹部に風俗産業の活用を進言して物議を醸していた橋下徹氏だった。終戦直後に特殊慰安施設協会(RAA)が設立された頃から、メンタルが変わっていない発言だ。 |
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昨年9月18日の立山登山の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちらとこちら。 | ||
↑一の越を過ぎてから見下ろした風景。↓雄山頂上の峰本社。 |
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今日、こんな文面のメールが届いた。 PayPal PayPalをご利用いただきありがとうございますが、アカウント管理チームは最近PayPalアカウントの異常な操作を検出しました。アカウントを安全 に保ち、盗難などのリスクを防ぐため、アカウント管理チームによってアカウントが停止されています。次のアドレスでアカウントのブロックを解除することが できます。 注:アカウントを再開するときは、情報を正確に記入してください。1つのエラーが発生すると、アカウントは永久に禁止されます。このアドレスでアカウント を復元してください: ペイパルなんて使ったことがないし、日本語がなんだか変。フィッシング詐欺だな。ご注意を。 |
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8月27日(火) |
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蒸し蒸しするが扇風機を回すと少し肌寒い。明日から曇りと雨の予報なので、今日は今季最後かもしれないプールに行こうと思っていたが、断念した。 74年前の昨日、特殊慰安施設協会(RAA)が設立された。1945年8月15日の敗戦直後から日本政府は、占領軍の兵士による一般女性への強姦事件を予防するため性の防波堤となる慰安所を検討し、終戦から僅か11日後の8月26日にこのRAAを設立した。 平成元年に『東京★横浜 BAR GUIDE』(KKロングセラーズ)という本を作った時に、資料として買ったのだが、日本で最初の本格バー、横浜の「カフェ・ド・パリ」や銀座交詢社ビルにあって古川さんが修行したバー「サンスーシー」の話などと一緒に、こうした教科書に載らない日本史も語られている。 |
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↑『東京★横浜 BAR GUIDE』を作った時に撮影させていただいた古川録郎さん。お店の営業前にカクテルを作っているポーズをお願いしたが、ステアしている材料は本物を使用されている。 |
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昨日は所用で高岡と富山へ。 8月26日(月) 先日、利屋町の天神祭りの写真をまとめたフォトブックを宮総代の竹田さんにお渡ししたところ、町内全世帯ほか各所に配りたいので50冊ほど追加で印刷して欲しいという注文があった。印刷が出来たので高岡まで届けに行く。 |
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あいの風とやま鉄道で11時46分に高岡駅へ。利屋町まで歩いて行く途中、昨日閉店となった高岡大和の横を通る。 ←25日で閉店となった高岡大和。 |
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富山には行基菩薩が七二四年に開いた富山寺(ふせんじ)という寺院があり、場所は移転しているがお寺はあるので撮影したいと思っていた。 駅のロータリーを出ると、目の前にみうらじゅんフェス!のラッピング車両が停まっていた。ガラス美術館の方を目指して歩く途中、お腹が空いたので富山市役所のレストランへ。500円のチャーシューメンを注文。厚めのチャーシューが5枚ほど入っており、これで500円なら安い。 |
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↑みうらじゅんフェスのラッピング車両と、市役所にあるレストランのチャーシューメン。 |
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お腹が満足したところで富山寺を目指すが、途中にあったガラス美術館に寄っていく。ガラス美術館と富山市立図書館は「TOYAMAキラリ」というビルに併設されている。市立図書館の郷土史コーナーで暫く蔵書を眺める。 TOYAMAキラリを出て富山寺へ。地図をプリントアウトしてきたので、迷わず到着。キラリからゆっくり歩いて10分程だろうか。 入口横に富山寺の由緒を書いた案内板が立っていた。 富山寺(ふせんじ) 本寺は藤居山(とうきょさん)と号する真言宗の寺院で、奈良時代の神亀元年(七二四年)行基が、大和の国から越中国に来たおりに、現在の富山城跡付近の藤井村に一寺を建立し、藤居山富山寺と称したと伝えている。其の後、富山城築城のため加賀藩初代藩主前田利家より寺地を与えられ、現在地に移され普泉寺と改めたが、明治四十三年(一九一〇年)四月、寺の名を元に復し、再び富山寺と称した。また、山王町にある日枝神社は、当時の鎮守社で祭礼時には御旅屋となり、御輿が渡御したという。 古来富山の地名は、この寺号に起因するとも言われている。 富山市 |
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←↑真言宗の藤居山富山寺。参道の横には白寿観世音菩薩が建っている。写真では本堂が後ろのビルとくっ付いているように見えるが、実際は離れている。右の家とは繋がっているようで、こちらが住居だろうか。ちなみに、724年に富山寺を開山した行基は、翌725年に上市町に大岩山日石寺を開山している。 富山寺の撮影を終えて、今度は於保多神社へ向かう。 |
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今年5月24日に行なわれた於保多神社・春季例大祭の神幸式と、昨年5月25日に開催された鷽替え神事の様子をまとめたフォトブックを作ったので奉納に行く。 地図を見ると、於保多神社へ行く途中、いたち川沿いに「延命地蔵尊の水」があるようなので寄って行くことにする。ネットの情報によれば、安政の大地震で常願寺川から濁流が押し寄せ疫病が流行った。当時、常願寺川から分流していたいたち川からお地蔵さまを引き上げて奉ったところ、疫病は鎮まった。以来、地蔵尊の水は万病に聞くと地元で伝わり、水を汲みに来る人が後を絶たないようだ。 |
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↓→延命地蔵尊と手水。 |
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延命地蔵尊から於保多神社の方へ向かって歩いて行くと、以前も一度来たことのある、月見橋たもとにある水神社に。 | ||
↓→月見橋たもとにある水神社。観音堂、不動堂も並んでいる。 |
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月見橋からはいたち川を離れ、地図を見ながら於保多神社の前を通る道を真っ直ぐに歩く。 |
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カメラに付けているソニーの18−250mmレンズ。望遠側のオートフォーカスが効かなくなった。どこかでレンズをぶつけたか。 演説にやじの権利「保障されず」と文部科学大臣が言い、あいちトリエンナーレの<表現の不自由展>について「展示は政治的なメッセージで表現の自由を逸脱しており、仮に県内で同じことがあれば絶対に開催は認めない」と神奈川県知事が言う。どんどん文化後進国になろうとしている。 |
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昨日戸出大仏を撮影に行ったら、明日が地蔵祭りだと教えてもらった。戸出大仏は阿弥陀如来だが、地元の人は長年お地蔵さまと思って地蔵祭りを行なって来たので、今も続けている。早朝から尊堂の前に台を造り、午前中は子供達がお参りに訪れる人の相手をし、午後3時頃にお坊さんが来てお経を上げるということだった。 地蔵祭りの日の子供を撮ろうと11時前に戸出大仏に来ると、尊堂の前には立派な縁台が造られブルーシートの日除けがかけられていた。縁台の上には子供ではなく、父兄の方々が座っていらした。 子供達はお坊さんがお経を上げる15時頃に来て、読経が終わると帰るそうだ。 |
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←↑古中中町(現・戸出4丁目の一部)の地蔵祭り。祀られているのは戸出大仏(阿弥陀如来)だが、赤い頭巾をかぶり、前掛けをしていると地蔵菩薩に見える。写真を撮らせてもらう前にお賽銭を入れると、父兄の方からビニール袋が渡される。お参りに来た人に配っているそうで、お茶と菓子袋、お餅、バナナが入っていた。お賽銭、100円しか入れていないので恐縮した。 | ||
せっかく戸出まで来たので、他の町内の地蔵祭りも見ようと自転車でまわる。戸出大仏から旧北陸道を駅の方に進み、線路を渡ったところに地蔵堂があった気がしたので行ってみると、地蔵堂の中のお地蔵さんが隣りの太玄寺の本堂に移されて、地蔵祭りが行なわれていた。 | ||
↑東町(現・戸出町1丁目−2丁目の一部)にある太玄寺の地蔵祭り。子供達が交替でお参りする人の相手をする。子供が少ないので青年団も協力する。 太玄寺の地蔵祭りを撮影してから、地蔵堂を探してぷらぷらと自転車を漕ぐ。旧北陸道から路地を入ったところでも、地蔵祭りが行なわれていた。 |
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↑左は秋葉町(現・戸出2丁目の一部)の地蔵祭り。訪れた時は、子供達は家々をまわってお布施を集めている最中だった。右は御蔵町(現・戸出2丁目の一部)。地区に子供は居ないようで、大人が地蔵堂の番をしている。市町村合併で旧の町名から味気ない番号表記になったが、こちらに旧町名の由来が書いてある。 |
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↑左は旧北陸道沿いの地蔵堂。誰も居なかった。右は古中西町の地蔵祭り。 |
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↑地蔵堂の中で座っているところを撮らせてもらった。 |
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一度家に帰って昼ご飯を食べた後、もう一度戸出に来てお坊さんの読経しているところや、住民の方がご詠歌を唱和しているところを撮影しようかとも思ったが、自転車で片道40分をもう一度往復する気力がなくて断念した。 戸出と庄川を挟んで対岸にある中田の地蔵祭りを2016年に撮影している。中田の地蔵祭りは地区に散らばっているお地蔵さまを公民館やガレージに集め、祭壇を作ってお奉りする。 |
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猛暑だったり雨だったりで、このところ部屋に引き蘢っていたが、今日は一日曇り空で気温もあまり上がらないようだったので、久しぶりに自転車で遠出をした。 今月の3日に富山三大仏の一つ、蓮王寺にある小杉大仏を撮影に行って来たが、高岡市戸出には石像としては県内で一番大きいとされる大仏(阿弥陀如来)があることを最近知った。旧北陸道沿いに建つお堂の中に安置されているそうで、家から戸出駅へ行く時にお堂の前はよく通っていたが、中に大仏さまがいらっしゃるとは思いもしなかった。 もっともこの大仏さまは古中大地蔵尊とも呼ばれ、地元の方からは永くお地蔵さんだと思われていたそうで、毎年ここで地蔵祭りも開催されているという。 40分程自転車を漕いで、14時半頃に戸出大仏の安置されているお堂の前に到着。お堂の扉は閉まっている。ネットの情報では鍵がかかっていないので、扉を開いて拝むことはできるようだが不審者と思われるのも・・・と思案していると丁度近くに車が停まった。乗っていた女性に、お堂の大仏さまの写真を撮りたい旨を伝えると年配の女性を連れて来て下さった。 撮影の了解を得て扉を開けると、赤い頭巾を被った大仏さまが座っていらした。 赤い頭巾を被っているので阿弥陀如来の螺髪(らほつ)が隠れており、昔は前掛けがもう少し下に垂れていたので手も隠れていて阿弥陀如来の親指と人差し指で丸を作って両手を合わせる印相(手の形)も見えなく、地元の方はお地蔵さまと思っていたそうだ。 |
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↓→石像の大仏さまとしては、県内で一番大きいという戸出大仏。 |
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お堂の横に由来を彫った案内板、お堂の中には由来を書いた額が飾られている。読めなくなっている字もあるが、それぞれ以下のように書かれている。
南無古中大地蔵菩薩由来(お堂の横の石の案内板) 2つの由来を合わせると次のようになる。 |
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◯人間ドンカマ 「落陽」「アジアの片隅で」「王様達のハイキング」「この指とまれ」「マークII」 ドンカマとはドンカマチックの略だそうだ。1963年に京王技術研究所(現コルグ)が発売した国産初のリズムマシンがドンカマチックで、以降、リズムマシンやテンポをガイドするものの総称としてドンカマという言葉が使われている。 ツアーに出るとトラブルは付き物で、一度楽器車が会場を間違えたことがあった。本番には間に合ったが、リハーサルは飛んでしまった。 80年のツアーはギターが鈴木茂さんだった。Dr.Kこと徳武弘文さんも一緒だったかな。キーボードはマンタこと松任谷正隆さんだった。 |
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小惑星「リュウグウ」でのはやぶさ2の着地点が「うちでのこづち」、地表に作成した人工クレーターが「おむすびころりんクレーター」という名前になったそうだ。日本昔ばなしか(笑)。 |
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沖縄の陶芸家で人間国宝の故・金城次郎さんのお猪口を一つ持っている。 今朝、探したい本があって書庫兼物置にしている部屋に行ったら、床に名刺入れが何冊か転がっていた。パラパラと捲っていると、沖縄の写真家・大塚勝久さんの名刺があった。「?」大塚勝久さんには2012年に竹富島へ「種子取祭・タナドゥイ」を撮影に行った時にお会いして名刺交換した覚えはあるが、この名刺フォルダーはずいぶんと昔のもの。で、ハッと気がついた。 |
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今日の沖縄タイムスに、その大塚勝久さんが長年ライフワークとして撮影している竹富島が、来月1日から入島料として300円を徴収することにしたという記事が掲載されていた。 最近も、島にリゾートホテルの建設計画が持ち上がり島民が反対運動を行なっているという記事が流れていたが、この入島料で開発業者に渡った土地を買い戻そうということのようだ。 この入島料、竹富島だけではなく、久高島でもスタートしてはどうかと思う。琉球開闢の祖であるアマミキヨが天から降りて最初に造った島だといわれる久高島。神の島として観光に訪れる人は多いが、島内には宿泊施設も食事するお店も、売店も数えるほどしかないので観光客が島に落とすお金は少ない。入島料が入れば、少しは島も潤うのではないだろうか。 |
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この他の気になった記事を備忘録として。 ◯韓国、日韓軍事情報協定を破棄 「輸出優遇国」除外受け ◯横浜がIR誘致、山下ふ頭がカジノ候補地 反発は必至 ◯豚コレラ 豚への予防ワクチン接種 石井知事「国は決断すべき」 ◯7月のスーパー売上 衣料品で約18年ぶりの大幅な落ち込み ◯組織委が責任逃れ 東京五輪は“死のボランティア”も現実に ◯ポール・マッカートニー コインを線路のレールに置いて平らにしてギター・ピックを作成 ◯排気筒解体 3度目の作業中止 |
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すっと暑い日が続いていたが、今日は朝から昼過ぎまで激しい雨が降っていて、その後も気温が上がらず久しぶりに最高気温が30℃を切る過ごし易い日だった。お盆を過ぎてから、暑さも凶暴さが少し薄らいだように思う。 ノロは神人(カミンチュ)の役職の一つ。琉球神道の最高神女が聞得大君(きこえおおきみ)だが、その聞得大君に任命された祈念祭祀を司る女性神職がノロで、琉球王国と奄美群島に配置されていた。首里王符から辞令書や勾玉、簪、神扇、神装束が与えられ、国家公務員のような待遇でもあったようだ。実際、『塩屋・ウンガミ/塩屋ウンガミ刊行委員編』という本の中で、山城トヨさんはインタヴューに答えて、「戦前は国から年棒も支給されていました。今のようになかなか名護にも行けない時代だったので2、3年分まとめて銀行で受け取っていました」と答えておられる。 |
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各シマ(集落)の祭祀を司るのがノロで、その下にウメーギなどノロを補佐する役職の神人が存在する。ノロに限らず神人は基本的に家継ぎ(世襲制)で、継ぐべき女性が居らず途絶えることも多い。奄美から沖縄へと祭祀を撮影して歩いて、ノロの役職を持った神人の方にお会いしたのは、山城トヨさんだけだった。 *写真は山城トヨさん。2012年のウンガミで撮影させていただいた。 |
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来年にオリンピックが迫る中、「馬も人も危ない暑さ」など夏の東京の気温を心配する声が上がっている。暑さだけではなく、トライアスロン会場となるお台場海浜公園ではテスト大会で「正直くさい。トイレみたいな匂いがする」という選手の声があり、実際に水質検査で大腸菌の値が上限の2倍を越えていたため17日のトライアスロンのスイムは中止された。 この他の気になった記事を備忘録として。 |
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昨年の9月2日に撮影した善徳寺の一心講踊りの様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑昨年は仮装した地元の方に混じって、本格的なコスプレイヤーも参加していた。 |
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上陸した大型台風10号の話題で終戦記念日がやや隠れてしまったが、今日で敗戦から74年を迎えた。令和元年になり、全国戦没者追悼式では新天皇がお言葉を述べられた。 あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」の騒動がまだ尾を引いている。愛知県は昨日、芸術祭実行委員会などに届いた「県庁等にサリンとガソリンをまき散らす」などと書かれた脅迫メール770通について、県警東署に被害届けを提出し、受理されたそうだ。 |
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今日は旧暦の7月15日。今年は旧盆と新盆がピタリと重なった。奄美や沖縄といった琉球弧では、今もお盆は旧盆で行なう。旧7月13日は先祖の霊をお迎えするウンケー、14日は迎えた霊に家でゆっくり休んでいただくナカヌヒー、そして15日は先祖の霊をお送りするウークイとなっている。 八重山諸島の石垣島や竹富島では、この3日間に先祖の霊を供養するアンガマが行なわれる。アンガマはグソー(あの世)からやって来た精霊の一行が家々をまわり、三線と太鼓の地揺をバックに唄と踊りを披露して供養する。中心となるのはウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)で、ファーマー(子孫)の花子達をたくさん引き連れている。 2013年の8月、どうしてもアンガマが見たくて石垣島へ行った。アンガマを見るのはウンケーの日だけにして、ナカヌヒーは波照間島のムシャーマ、ウークイの日は小浜島のソーラという旧盆行事を見る予定にしていたが、海が荒れていて予定していたフェリーが出航せず3日間とも石垣島にいてずっとアンガマを見ていた。 そういえば2013年のウークイは8月21日だったけれど、石垣島のアーケード街にある「ゆんたく家」という施設へアンガマを見に行ったら、現在、富山市民プラザで『みうらじゅんフェス!マイブームの全貌展』を開催しているみうらじゅんさんが、奥さんのbirdと一緒に最前列で座って眺めていた。確かにアンガマは、彼の好きそうな民俗芸能だな。 ところで、アンガマの時に六調が踊られるのを見た。不思議に思って尋ねてみると、石垣島を含む八重山諸島では祝宴に六調が踊られるという。 祭りや祝宴の締めに、奄美なら六調が、沖縄ならカチャーシーを踊るのが一般的だ。六調は大和風音階の民謡、カチャーシーは琉球音階の民謡と、曲調は異なるが共にアップテンポで場を賑やかす踊りだ。奄美群島でも沖縄に近く北山(ほくざん)の影響が色濃い与論島や沖永良部島でカチャーシーが踊られるのは理解できるが、奄美の六調が沖縄本島を飛び越えて、なぜ八重山で広がったのか。芸能の伝播の不思議、そして面白さだ。 |
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↑石垣島・登野城青年会のアンガマ。仏壇の前でウートートー(お祈り)した後、踊りを披露するウシュマイとンミー。 |
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昨年の8月26日に撮影した瑞龍寺での薪能の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちらとこちら。 | ||
↑法堂で行なわれた、第一部の素謡。↓境内で行なわれた薪能。演目は「清経」。 |
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午前中、しばらく前に受けた特定健康診査と肝炎ウイルス検査、前立腺ガン検診の結果を聞きに行った。結果は中性脂肪と尿酸が少し高めで、他は問題なしだった。 あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」の展示について、展示されていた平和の少女像を「大至急撤去しろ、さもなくばガソリン携行缶を持ってお邪魔するので」と脅迫するFAXを送った男が昨日愛知県警に逮捕された。 |
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↑写真は、1988年のソウルオリンピック開会直前の会場。雑誌「ポップティーン」の企画で「韓国の10代は今、何を思う」という内容の取材で訪れた時のもの。 |
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日本と韓国の対立が激しくなる中、安倍首相が韓国は日韓請求権協定に違反する行為を一方的に行なっていると一昨日の記者会見で述べた。加えて「最大の問題は、国家間の約束を守るかどうかという信頼の問題だ」と指摘したそうだが、国民との約束を守らない人が何を言ってるんだろうか? この他の気になった記事を備忘録として。 |
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昨年の8月19日に撮影した鉄砲町・白銀後町の天神祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑ご神体の掛け軸を入れた社を、専用の台車に乗せて町内を巡行する。 |
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今日で翁長前沖縄知事が亡くなって一年か・・・ | ||
暑い!台風8号が明日から西日本に接近するようだ。そして今日の午後、台風9号が発生した。 戦後の憲法裁判の記録が多数廃棄されていることがわかった。これで、どういう論議があり判決に至ったかの検証が不可能になる。先日、辺野古の米軍新基地建設で「施行体系図」の情報公開請求をしたところ、下請け業者名を全て黒塗りにして開示されたという記事があったが、根は同じか。 |
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8月3日(土) 高岡市の大佛寺にある高岡大仏(銅造阿弥陀如来坐像)、小杉町の蓮王寺にある小杉大仏(丈六阿弥陀如来)、そして庄川町の光照寺にある庄川大仏(十万納骨大仏)を富山三大仏と呼ぶそうだ。それぞれ青銅製、木製、コンクリート製と素材が異なっているのが面白い。 高岡大仏と庄川大仏は撮影したことがあるので、小杉大仏を撮影に。蓮王寺に電話で問い合わせると、本堂に入って自由に拝観して下さいとの返事だった。 あいの風とやま鉄道で小杉駅に10時57分に到着。蓮王寺のホームページに掲載されていた地図を見ながら向かう。それにしても、外は暑い。15分ほどで着いて、本堂へ。扉は閉まっていたが、ご自由に御入り下さいと書かれた貼り紙がしてある。中に入ると正面に大仏様が。蓮王寺の縁起などを記したパンフレットがあったので、先ずはそれを一読する。 記されていた縁起によれば鷹尾山蓮王寺(れんのうじ)は高野山真言宗に属するお寺で、701年(大宝元年)越中国守だった佐伯有若が鷹供養のために行基を招き、七堂伽藍を建立したのが始まりだという。有若は立山を開山した慈興上人(佐伯有頼)の父親であり、701年は立山開山と同じ年だ。 |
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↑小杉大仏のある蓮王寺。 |
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小杉大仏として知られる木造丈六阿弥陀如来(市指定文化財)については<天文年中、長尾為景が砺波の増山城を攻める際蓮王寺を焼き払った。この大仏は(高さ5m)、御頭と御手のみが焼け残った。その後、江戸中期の頃、定観法師が胴体を作り復元した。古くから鷹寺大仏としてぼけ封じの仏として近郷に親しまれている>と書かれている。 小杉大仏は寺のご本尊である大日如来の後方にあり、格子を丸くくりぬいたところからお顔が見える。内陣だが大仏様の周囲をクルリと歩いて撮影させていただいた。 |
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↓→小杉大仏の名で親しまれている、木造丈六阿弥陀如来。 |
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↑大仏様の台座に並べられた仏様(左)。大仏様の後ろには空洞があり、写経が納められている(右)。 |
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↑大仏様の左右に並べられた七福神。 ←行基作の「行基菩薩」も安置されている。富山で行基作と言われているモノに日石寺にある大岩に彫られた不動明王、浦田山王社の獅子頭、善徳寺の阿弥陀如来像などがあるが、自画像は珍しい。また、小杉大仏も行基作という説がある。 |
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↑薬師一二神将(市指定文化財) ←射水市水戸田の密蔵寺に安置されていた千躰不動明王(高さ約5m)。昭和14年に東京より富山に移されて、第二次大戦の戦火を免れたそうだ。 |
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本堂や不動明王を安置したお堂を観てまわった後、本堂横のご自宅にお伺いし、ご住職にお話しを聞いた。開山縁起にある、鷹供養を記すものは何も無いそうだ。それでも山号が「鷹尾山」であり、地名に高(鷹)寺とあるのが名残と言えるだろうか。 |
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↓開基、佐伯有若のレリーフ。→銅造地蔵菩薩立像(県指定文化財)。 |
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銅造地蔵菩薩立像<鎌倉時代の特有である寄せ吹き技法によって鋳た仏像で、もと立山芦峅寺に安置されていた。明治維新、神仏分離の際、立山伝説に関係ある蓮王寺に寄進された>とパンフレットに記されている。 | ||
↓→境内にある大(左)小(右)2つの五輪塔。 |
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大きい方の五輪塔は、蓮王寺で客死した俵藤太(藤原秀郷)の墓と伝えられている。右の写真は、石仏不動。 卒塔婆と五輪塔が同じものだとか、興味深い話を色々と聞かせていただいた後、お寺をお暇する。 ひみまつりへ行く前に、13時1分発のあいの風とやま鉄道で高岡駅へ。5月に撮影した利屋町の天神祭りの様子をまとめたフォトブックを関係者に届けに行く。駅近くのコンビニでカレーパンを買って、食べながら関野神社へ。 関野神社から龍雲寺、宮総代の家へとフォトブックを届けてまわる。 高岡駅に戻り、今度はひみまつりを開催している氷見へ。氷見へは氷見線で行くつもりでいたが、氷見駅から会場の比美乃江公園まで歩くと遠い。路線バスの時刻表を見ると、少し待てば氷見方面行きのバスがあった。 高岡駅前を14時31分発の脇行きに乗り、氷見駅を通り過ぎて北大町で下車。バス停から会場まで歩いて、お目当ての魚提灯山車を探すが見当たらない。 |
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本部と書いたテントがあったので魚提灯山車はどこにあるか尋ねると、さっきまでそこに展示してあったんですが、保存会の人達が撤収されたみたいですとの返事。「えっ!?」 ひみまつりは11時30分の安全祈願祭から始まり、20時からの花火大会までプログラムがあり、そのプログラムの中に魚提灯山車の展示も書いてある。それが15時過ぎで撤収は、ちょっと酷いな。わざわざこれだけを見に来たのに。 本部の人に魚提灯山車は今何処にあるか尋ねると、いきいき元気館という施設の裏に倉があり、そこに仕舞われているという。しょうがないので場所を聞いて、歩いて行ってみる。 魚提灯小屋と書かれた建物があり、そこに由来が書いてあった。 魚提灯山車(さかなちょうちんだし)とは 魚提灯山車と魚提灯小屋は「ひみまつり」の会場にもなっている比美町で医師をしておられた池田貴美子さんが、昭和58年から私財を投じて制作し、市に寄贈されたものです。池田さんは、帝国女子医学薬学専門学校を卒業後、東京都内の病院に勤務、太平洋戦争では東京大空襲を目の当たりにされ、その後、故郷の氷見へ戻り池田医院を開業されました。魚提灯には池田さんの戦争体験から、平和を願って祝い事に使われる鯛と、子供たちの成長と郷土愛を込めた出世魚の鰤が使われています。そして「ずっと、魚がとれる豊かな海でありますように」という豊漁の願いも込められています。 |
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魚提灯小屋を撮った後、炎天下を氷見駅まで歩く。駅に到着すると、ちょうど16時7分発の高岡行きが出るところだった。次は17時13分。1時間以上あるが、もう外を歩く元気もないので待合室で座って過ごす。 夜、携帯電話のアプリを見ると17,317歩だった。暑い中、よく歩いたな〜。 |
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暑中お見舞い申し上げます。 |
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8月最初の日、富山は35℃を越える猛暑だ。日中は暑すぎるので、今日も朝の5時頃に起きて少しでも涼しいうちに作業をする。 *写真はスペイン南部、コルドバのグアダルキビール川。1986年5月に撮影。 |
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昨年の8月15日に撮影した米道踊の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑善入寺の境内でお盆に踊られる米道踊。↓途中で雨が強くなってきたので本堂の中へ。 |
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遂に富山県で野生のイノシシから豚コレラの感染が見つかった。 この他の気になった記事を備忘録として。 ◯<税を追う>辺野古下請け 黒塗り開示 公開義務の施工体系図 ◯米軍駐留費「日本は5倍負担を」 ボルトン氏が来日時に ◯【日韓 報復の応酬】傍観 その先にある損失 |
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7月へ |