HOME TOP  
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

8月7日 魚津市蛇田地区の七夕
8月20日以降 上行寺 「盂蘭盆会施餓鬼 塔婆供養」 宝物の虫干供養 三帰明王のご開帳
8月24日(土)? 朝日町笹川の獅子舞 諏訪神社 朝日町の獅子舞 映像 共生の里ささ郷(0765-83-3688)
8月31日(土)? 上行寺 御日待おどり 19時〜
8月31日 井波5屋体勢揃い 「令和元年夏の陣」 15時〜21時 問い合わせ先
9月8日 今開発公民館 敬老会で熊獅子の絵本を朗読
9月14日?第2土曜日 高岡市大坪町の獅子舞(熊獅子)
10月10日 伊勢玉神社 秋季例大祭の宵宮 湯立て神事 諏訪社
10月12日(土)、13日(日) 朝日町草野 獅子舞 五社明神社 映像
10月13日(日) 蓮王寺 人形供養
10月13日(日) 朝日町平柳 獅子舞 五社之社 映像
10月15日に近い日曜日 朝日町境 獅子舞 境神社 映像 
11月13日 お会式(餅柱) 上行寺

◯勝興寺 新年の宮大工仕事始めの儀 1月7日? 10時30分〜11時30分
◯入善町舟見 十三寺 行基作のご本尊を7年ごとにご開帳 2020年10月? 
◯新川神社 1月? 寒中みそぎ
◯新川神社 御田植祭5月
◯高瀬神社 御田植祭5月 抜穂祭9月
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯上市町 日石寺 7月1日 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯福岡町沢川の獅子舞 9月の第4土曜日?
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 10月下旬と11月下旬の日曜日 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

8月29日(木)

 昨日からの猛烈な雨で九州北部では死者が3人になり、避難者は6県で1900人を越えているそうだ。佐賀県では工場に水が流れ込み、油が最大で11万4000リットル流出した恐れがあるという。
  富山も昨日から断続的に激しい雨が降っている。

◯他の内閣より良さそうだから

 演説にやじの権利「保障されず」と文部科学大臣が言い、あいちトリエンナーレの<表現の不自由展>について「展示は政治的なメッセージで表現の自由を逸脱しており、仮に県内で同じことがあれば絶対に開催は認めない」と神奈川県知事が言う。どんどん文化後進国になろうとしている。
 神奈川県知事の黒岩祐治氏は、知事になる前は民放のテレビ局で報道記者、番組ディレクターを務めていたが当時からこんな認識だったのだろうか。

 BBCが制作した日本語字幕つきのドキュメンタリー<日本で「搾取」される移民労働者たち> を観ると、徴用工問題の延長が今もこの国で起きていると思えてならない。
「着いたその日に朝6時半から真夜中まで労働」
「6ヶ月間1日も休みなし」
「機械で指を失い帰国同意書にサインを求められた」
「他の従業員から卑猥な言葉を浴びせられた」 

 日本の法務省の報告書では、5年間で157人の技能実習生が死亡したとなっているが、この問題に取り組む人たちは実際はもっと多いだろうと言う。
 日本は今年技能が低い外国人労働者を、これまでなかった規模で受け入れる。その数は今後5年間で34万5000人に上る。その外国人労働者の在留資格をめぐり、厚生労働政務官を務める上野宏史議員に口利きと金銭要求の疑惑が報道されたが、上野議員は政務官を辞任しただけで説明責任を果たすことなく議員を続けるようだ。

 以下は最近拾ったツイート。

平均賃金はOECD加盟35カ国中18位、
相対的貧困率は38カ国中27位、
教育に対する公的支出のGDP比は43カ国中40位、
年金の所得代替率は50 カ国中41位、
障害者への公的支出のGDP費は37カ国中32位、
失業に対する公的支出のGDP比は34カ国中31位、
これでもかというくらいひどい有様 だ。

米産トウモロコシの追加輸入 牛肉関税38.5%→9%
豚肉 1㌔最大482円→50円
日本が求めていた乗用車とトラックの関税撤廃は、継続協議。
Q.米国側に押し切られたのでは?
菅官房長官 「米国側に押し切られたという指摘は全くあたらない」
↑ 頭おかしい

莫大な開発費を掛けたのに事故が相次ぐオスプレイ→「じゃあ日本が税金で買います」
米軍のベテランパイロットからも欠陥機だと指摘されているF35→「じゃあ日本が税金で買います」
中国との貿易戦争で売れ残ったアメリカの大量の遺伝子組み換えトウモロコシ→「じゃあ日本が税金で買います」

 これでも本当に他の内閣より良さそうと思うんだろうか。

沖縄慰霊の日の安倍首相
↑2013年の沖縄慰霊の日。沖縄全戦没者追悼式に出席した安倍晋三首相。まだ仲井眞前沖縄県知事が辺野古の埋め立て承認をする前で、今ほど安倍氏への県民からの風当たりは強くなかった。この年の式典で一番マスコミの注目を浴びていたのは、米軍の幹部に風俗産業の活用を進言して物議を醸していた橋下徹氏だった。終戦直後に特殊慰安施設協会(RAA)が設立された頃から、メンタルが変わっていない発言だ。
 昨年9月18日の立山登山の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
立山登山01
↑一の越を過ぎてから見下ろした風景。↓雄山頂上の峰本社。
立山登山02

 今日、こんな文面のメールが届いた。

PayPal

PayPalをご利用いただきありがとうございますが、アカウント管理チームは最近PayPalアカウントの異常な操作を検出しました。アカウントを安全 に保ち、盗難などのリスクを防ぐため、アカウント管理チームによってアカウントが停止されています。次のアドレスでアカウントのブロックを解除することが できます。 注:アカウントを再開するときは、情報を正確に記入してください。1つのエラーが発生すると、アカウントは永久に禁止されます。このアドレスでアカウント を復元してください:
ここをクリック
24時間以内、またはアカウントは停止されます
すぐに復元してください!
ありがとうございました
PayPal ,

 ペイパルなんて使ったことがないし、日本語がなんだか変。フィッシング詐欺だな。ご注意を。

8月27日(火)

 蒸し蒸しするが扇風機を回すと少し肌寒い。明日から曇りと雨の予報なので、今日は今季最後かもしれないプールに行こうと思っていたが、断念した。

 74年前の昨日、特殊慰安施設協会(RAA)が設立された。1945年8月15日の敗戦直後から日本政府は、占領軍の兵士による一般女性への強姦事件を予防するため性の防波堤となる慰安所を検討し、終戦から僅か11日後の8月26日にこのRAAを設立した。
 このRAAの話を初めて知ったのは、伊藤精介さんの名著『銀座名バーテンダー物語』だった。銀座のバー「クール」のオーナーバーテンダー、古川録郎さんの一代記だが、この本の中に戦後の回想としてRAAが出てくる。
「いくらなんでも進駐軍相手の慰安婦なんていったら誰も来ませんからね。表向きは女性事務員募集って形にしたんですよ。<新日本女性に告ぐ!戦後処理の国家的緊急施設の一端として進駐軍慰安の大事業に参加する新日本女性の率先協力を求む。ダンサーおよび女事務員募集。年齢十八歳以上、二十五歳まで、宿舎、被服、食料全部支給>こんな文面の看板が銀座と新橋の街角に一斉に立ち並んだのは、終戦から十日もたっていないころだったんですからねぇ」

 平成元年に『東京★横浜 BAR GUIDE』(KKロングセラーズ)という本を作った時に、資料として買ったのだが、日本で最初の本格バー、横浜の「カフェ・ド・パリ」や銀座交詢社ビルにあって古川さんが修行したバー「サンスーシー」の話などと一緒に、こうした教科書に載らない日本史も語られている。

古川緑郎さん
↑『東京★横浜 BAR GUIDE』を作った時に撮影させていただいた古川録郎さん。お店の営業前にカクテルを作っているポーズをお願いしたが、ステアしている材料は本物を使用されている。

 昨日は所用で高岡と富山へ。

8月26日(月)

 先日、利屋町の天神祭りの写真をまとめたフォトブックを宮総代の竹田さんにお渡ししたところ、町内全世帯ほか各所に配りたいので50冊ほど追加で印刷して欲しいという注文があった。印刷が出来たので高岡まで届けに行く。

高岡大和

 あいの風とやま鉄道で11時46分に高岡駅へ。利屋町まで歩いて行く途中、昨日閉店となった高岡大和の横を通る。
 12時頃に竹田さんのお宅に着いて、フォトブック50冊をお渡しする。
 暫くアレコレ雑談した後、高岡駅へ戻り12時48分の電車で富山駅へ。

←25日で閉店となった高岡大和。

 富山には行基菩薩が七二四年に開いた富山寺(ふせんじ)という寺院があり、場所は移転しているがお寺はあるので撮影したいと思っていた。
  駅のロータリーを出ると、目の前にみうらじゅんフェス!のラッピング車両が停まっていた。ガラス美術館の方を目指して歩く途中、お腹が空いたので富山市役所のレストランへ。500円のチャーシューメンを注文。厚めのチャーシューが5枚ほど入っており、これで500円なら安い。
ラッピング電車とチャーシュー麺
↑みうらじゅんフェスのラッピング車両と、市役所にあるレストランのチャーシューメン。
 お腹が満足したところで富山寺を目指すが、途中にあったガラス美術館に寄っていく。ガラス美術館と富山市立図書館は「TOYAMAキラリ」というビルに併設されている。市立図書館の郷土史コーナーで暫く蔵書を眺める。
 TOYAMAキラリを出て富山寺へ。地図をプリントアウトしてきたので、迷わず到着。キラリからゆっくり歩いて10分程だろうか。
 入口横に富山寺の由緒を書いた案内板が立っていた。
富山寺(ふせんじ)
 本寺は藤居山(とうきょさん)と号する真言宗の寺院で、奈良時代の神亀元年(七二四年)行基が、大和の国から越中国に来たおりに、現在の富山城跡付近の藤井村に一寺を建立し、藤居山富山寺と称したと伝えている。其の後、富山城築城のため加賀藩初代藩主前田利家より寺地を与えられ、現在地に移され普泉寺と改めたが、明治四十三年(一九一〇年)四月、寺の名を元に復し、再び富山寺と称した。また、山王町にある日枝神社は、当時の鎮守社で祭礼時には御旅屋となり、御輿が渡御したという。
 古来富山の地名は、この寺号に起因するとも言われている。
                                   富山市
富山寺01
富山寺02

←↑真言宗の藤居山富山寺。参道の横には白寿観世音菩薩が建っている。写真では本堂が後ろのビルとくっ付いているように見えるが、実際は離れている。右の家とは繋がっているようで、こちらが住居だろうか。ちなみに、724年に富山寺を開山した行基は、翌725年に上市町に大岩山日石寺を開山している。

 富山寺の撮影を終えて、今度は於保多神社へ向かう。

 今年5月24日に行なわれた於保多神社・春季例大祭の神幸式と、昨年5月25日に開催された鷽替え神事の様子をまとめたフォトブックを作ったので奉納に行く。 
 地図を見ると、於保多神社へ行く途中、いたち川沿いに「延命地蔵尊の水」があるようなので寄って行くことにする。ネットの情報によれば、安政の大地震で常願寺川から濁流が押し寄せ疫病が流行った。当時、常願寺川から分流していたいたち川からお地蔵さまを引き上げて奉ったところ、疫病は鎮まった。以来、地蔵尊の水は万病に聞くと地元で伝わり、水を汲みに来る人が後を絶たないようだ。
↓→延命地蔵尊と手水。
延命地蔵の水02
延命地蔵の水01
 延命地蔵尊から於保多神社の方へ向かって歩いて行くと、以前も一度来たことのある、月見橋たもとにある水神社に。
↓→月見橋たもとにある水神社。観音堂、不動堂も並んでいる。
水神社02
水神社01

 月見橋からはいたち川を離れ、地図を見ながら於保多神社の前を通る道を真っ直ぐに歩く。
 拝殿で若い神職の方にフォトブックをお渡しして、今日の所用は完了。
 於保多神社の最寄り駅は富山地方鉄道の稲荷町駅だが、電車賃の節約と健康のために富山駅まで歩く。
 携帯電話の万歩計を見ると、14,854歩だった。一日、よく歩いた。

 カメラに付けているソニーの18−250mmレンズ。望遠側のオートフォーカスが効かなくなった。どこかでレンズをぶつけたか。

 演説にやじの権利「保障されず」と文部科学大臣が言い、あいちトリエンナーレの<表現の不自由展>について「展示は政治的なメッセージで表現の自由を逸脱しており、仮に県内で同じことがあれば絶対に開催は認めない」と神奈川県知事が言う。どんどん文化後進国になろうとしている。
 神奈川県知事の黒岩祐治氏は、知事になる前は民放のテレビ局で報道記者、番組ディレクターを務めていたが当時からこんな認識だったのだろうか。
 BBCが制作した日本語字幕つきのドキュメンタリー<日本で「搾取」される移民労働者たち> を観ると、徴用工問題の延長が今もこの国で起きていると思えてならない。
 この他の気になった記事を備忘録として。
沖縄女性の入れ墨「ハジチ」禁止令から今年で120年 法令で「憧れ」が「恥」に変わった歴史【WEB限定】
トウモロコシ追加購入に補助金 日米貿易首脳会談 理由の「害虫被害」わずか 年間輸入3カ月分275万トン
日本はもはや後進国であると認める勇気を持とう

8月25日(日)

 昨日戸出大仏を撮影に行ったら、明日が地蔵祭りだと教えてもらった。戸出大仏は阿弥陀如来だが、地元の人は長年お地蔵さまと思って地蔵祭りを行なって来たので、今も続けている。早朝から尊堂の前に台を造り、午前中は子供達がお参りに訪れる人の相手をし、午後3時頃にお坊さんが来てお経を上げるということだった。
 地蔵祭りの日の子供を撮ろうと11時前に戸出大仏に来ると、尊堂の前には立派な縁台が造られブルーシートの日除けがかけられていた。縁台の上には子供ではなく、父兄の方々が座っていらした。
 子供達はお坊さんがお経を上げる15時頃に来て、読経が終わると帰るそうだ。
戸出の地蔵祭り01
戸出の地蔵祭り02
←↑古中中町(現・戸出4丁目の一部)の地蔵祭り。祀られているのは戸出大仏(阿弥陀如来)だが、赤い頭巾をかぶり、前掛けをしていると地蔵菩薩に見える。写真を撮らせてもらう前にお賽銭を入れると、父兄の方からビニール袋が渡される。お参りに来た人に配っているそうで、お茶と菓子袋、お餅、バナナが入っていた。お賽銭、100円しか入れていないので恐縮した。
 せっかく戸出まで来たので、他の町内の地蔵祭りも見ようと自転車でまわる。戸出大仏から旧北陸道を駅の方に進み、線路を渡ったところに地蔵堂があった気がしたので行ってみると、地蔵堂の中のお地蔵さんが隣りの太玄寺の本堂に移されて、地蔵祭りが行なわれていた。
戸出の地蔵祭り03
戸出の地蔵祭り04

↑東町(現・戸出町1丁目−2丁目の一部)にある太玄寺の地蔵祭り。子供達が交替でお参りする人の相手をする。子供が少ないので青年団も協力する。
←太玄寺の横の地蔵堂から運ばれて来たお地蔵さま。

 太玄寺の地蔵祭りを撮影してから、地蔵堂を探してぷらぷらと自転車を漕ぐ。旧北陸道から路地を入ったところでも、地蔵祭りが行なわれていた。

戸出の地蔵祭り05
↑左は秋葉町(現・戸出2丁目の一部)の地蔵祭り。訪れた時は、子供達は家々をまわってお布施を集めている最中だった。右は御蔵町(現・戸出2丁目の一部)。地区に子供は居ないようで、大人が地蔵堂の番をしている。市町村合併で旧の町名から味気ない番号表記になったが、こちらに旧町名の由来が書いてある。
戸出の地蔵祭り06
↑左は旧北陸道沿いの地蔵堂。誰も居なかった。右は古中西町の地蔵祭り。
戸出の地蔵祭り07
↑地蔵堂の中で座っているところを撮らせてもらった。
 一度家に帰って昼ご飯を食べた後、もう一度戸出に来てお坊さんの読経しているところや、住民の方がご詠歌を唱和しているところを撮影しようかとも思ったが、自転車で片道40分をもう一度往復する気力がなくて断念した。
 戸出と庄川を挟んで対岸にある中田の地蔵祭りを2016年に撮影している。中田の地蔵祭りは地区に散らばっているお地蔵さまを公民館やガレージに集め、祭壇を作ってお奉りする。

8月24日(土)

 猛暑だったり雨だったりで、このところ部屋に引き蘢っていたが、今日は一日曇り空で気温もあまり上がらないようだったので、久しぶりに自転車で遠出をした。
 今月の3日に富山三大仏の一つ、蓮王寺にある小杉大仏を撮影に行って来たが、高岡市戸出には石像としては県内で一番大きいとされる大仏(阿弥陀如来)があることを最近知った。旧北陸道沿いに建つお堂の中に安置されているそうで、家から戸出駅へ行く時にお堂の前はよく通っていたが、中に大仏さまがいらっしゃるとは思いもしなかった。
 もっともこの大仏さまは古中大地蔵尊とも呼ばれ、地元の方からは永くお地蔵さんだと思われていたそうで、毎年ここで地蔵祭りも開催されているという。
 40分程自転車を漕いで、14時半頃に戸出大仏の安置されているお堂の前に到着。お堂の扉は閉まっている。ネットの情報では鍵がかかっていないので、扉を開いて拝むことはできるようだが不審者と思われるのも・・・と思案していると丁度近くに車が停まった。乗っていた女性に、お堂の大仏さまの写真を撮りたい旨を伝えると年配の女性を連れて来て下さった。
 撮影の了解を得て扉を開けると、赤い頭巾を被った大仏さまが座っていらした。
 赤い頭巾を被っているので阿弥陀如来の螺髪(らほつ)が隠れており、昔は前掛けがもう少し下に垂れていたので手も隠れていて阿弥陀如来の親指と人差し指で丸を作って両手を合わせる印相(手の形)も見えなく、地元の方はお地蔵さまと思っていたそうだ。
↓→石像の大仏さまとしては、県内で一番大きいという戸出大仏。
戸出大仏02
戸出大仏01
 お堂の横に由来を彫った案内板、お堂の中には由来を書いた額が飾られている。読めなくなっている字もあるが、それぞれ以下のように書かれている。

南無古中大地蔵菩薩由来(お堂の横の石の案内板)
安政六年(一八五九年)から文久二年(一八六二年)にかけ当地方に疫病が流行して止まるころを知らず多数の病死者を出した。特に幼児に多く其の悪病退散を悲願し且供養の為に古戸出村 左官三吉 中の宮 桶沢又七 が発起し大地蔵尊並尊堂の建立を呼びかけ町内住民  浄財を持ち寄り井波町石工七次郎に石佛を依頼慶應三年(一八六七年)五月大石座像を完成した尊堂は其の后老朽し大正十二年(一九二三年)大工加藤長平に建替を依頼現在に至る
高サ二・四三M(八尺)仏像一・八九M(六尺)台座〇・六M(二尺)幅一・二四M(四尺一寸)重量約一・四〇屯(約三七五貫)

南無古中大地蔵尊由来(お堂の中の額)
安政六年(一八五九年)より文久二年(一八六二年)にかけ当地方に疫病コレラが流行止まるを知らず多数の病死者を出した、特に幼児に多く其の悪病退散を悲願し古戸出村左官三吉、中の宮村桶沢又七発起し地蔵尊佛並に尊堂の建立を呼びかけ町内住民競って浄財を持ち寄り井波町石工七次郎に石佛を依頼慶應三年(一八六七年)五月大石地蔵座像の建立を見たり。尊堂其の后老朽し大正十二年大工加藤長平に建替を依頼現在に至る
昭和五十七年

 2つの由来を合わせると次のようになる。
 1859年(安政6)から1862年(文久2)にかけて古中中町(現戸出4丁目)で疫病のコレラが流行し多数の病死者が出た。特に幼児が犠牲になったので悪病の退散と供養を願って古戸出村の左官三吉と、中の宮の桶沢又七が発起人となり大地蔵尊と尊堂の建立を町内の住民に呼びかけた。住民からの浄財が集まり、井波町の石工、七次郎に石仏を依頼。1867年(慶応3)5月に大石地蔵座像が完成した。尊堂はその後老朽化し、大正12年に建て替えられて現在に至っている。
 仏像の高さは2.4m(台座部分は60cm)、幅1.2m、重さは薬1,400kg。
 しかし地蔵尊を依頼したのに、なぜ阿弥陀如来像になったのかの説明はない。
 大仏と尊堂の撮影が終わり、せっかく戸出まで来たので先月聖徳太子像を撮影させていただいた景完教寺へプリントを届けに行く。戸出大仏から自転車で30分程だろうか。 お電話した時は用事があって出かけられるということだったが、お寺に着いた時はまだいらして直接プリントをお渡しすることができた。
 俊寛の塚は、以前は境内中央ではなく、お寺の入口の方にあったそうだ。また藤棚の葉っぱが伸びて彫ってある字が読めなかったのだが「俊寛之塚」ではなく「俊寛僧都之塚」と刻まれていた。
 戸出大仏の写真を撮り、景完教寺に聖徳太子像のプリントもお渡しできたので、またゆっくりペダルを漕いで家へと帰る。

◯人間ドンカマ

落陽」「アジアの片隅で」「王様達のハイキング」「この指とまれ」「マークII
 吉田拓郎の1982年のコンサートツアーは、武道館のモノが昔You TubeにUPされていたが、この映像は初めて観た。

 ドンカマとはドンカマチックの略だそうだ。1963年に京王技術研究所(現コルグ)が発売した国産初のリズムマシンがドンカマチックで、以降、リズムマシンやテンポをガイドするものの総称としてドンカマという言葉が使われている。 
 拓郎さんの80年のツアー『アジアの片隅で』、82年のツアー『王様達のハイキング』はドラムが島さん(島村英二)だったので、当時ローディーをしていたボクも全国をまわった。ツアーではドラムのセッティングだけではなく、ユイ音楽工房からもギャラを支払ってもらう形でコンサートにまつわる様々な仕事も手伝った。その一つがドンカマだった。
 曲順を書いたセットリストが渡され、曲名の横にテンポが書いてある。舞台の袖にいて、曲の終わり頃から次の曲のテンポでスイッチを押すと、ステージ前方とドラムの横のライトが点滅するという仕掛けだった。
 80年のツアーでは舞台袖からメトロノームに合わせてスイッチを押していたが、82年のツアーではツマミを数字に合わせるリズムボックスに進化した。今でも拓郎さんのツアーで、人間ドンカマはあるんだろうか?

 ツアーに出るとトラブルは付き物で、一度楽器車が会場を間違えたことがあった。本番には間に合ったが、リハーサルは飛んでしまった。
 82年のツアーだったと思うが、一度照明用のスモークマシーンが壊れて煙りが出なくなった。「落陽」は、ステージ背後に太陽をイメージしてオレンジのスポットを当てる演出だった。スモークがないと美しく色が出ないので、煙草を吸えるスタッフがステージ後方にある照明の周りに集まり、一生懸命煙草を吹かした。

 80年のツアーはギターが鈴木茂さんだった。Dr.Kこと徳武弘文さんも一緒だったかな。キーボードはマンタこと松任谷正隆さんだった。
 82年のツアーはギターが青山徹さんで、キーボードはサウストゥサウスの中西康晴さんと、エルトン永田さんのツインだった。
 82年のツアーは日本武道館のものがDVDになっている。確か衣装はレノマで、スタッフにもレノマのTシャツが配られた。Tシャツなのに、肩パットが入っていた。
 青山さん、どうしてるんだろうか。

 小惑星「リュウグウ」でのはやぶさ2の着地点が「うちでのこづち」、地表に作成した人工クレーターが「おむすびころりんクレーター」という名前になったそうだ。日本昔ばなしか(笑)。
 政府は2020年度、安全保障上の重要性が高まっているとして、自衛隊に「宇宙作戦隊」を新設する方針のようだ。宇宙作戦隊・・・昭和のテレビアニメかよ。
 昨日からアマゾンの森林火災の記事が流れてくるようになった。中にはフェイク写真を流しているものもあるようだ。
 この他の気になった記事を備忘録として。
除染土再利用に前向きな考え
「福島水産物は遮断したが、バラスト水は韓国領海に放流」...実態調査を主張
原発処理水の海洋放出を再度要求 規制委が東電に
室井佑月「政治家の暴力団風味」
官邸への訪問記録を発見! ところが…
五輪中の首都高、千円値上げ決定へ 日中は都内全域
杉田水脈議員の「住所さらし」ツイートは間違いだった 「扇動」責任の行方は

8月22日(木)

 沖縄の陶芸家で人間国宝の故・金城次郎さんのお猪口を一つ持っている。
 20年以上前になるが、雑誌の沖縄料理特集の撮影で初めて沖縄に行き、その時に、朝食に20品目以上のお皿が並ぶことで有名な沖縄第一ホテルの朝食を撮影した。
 名前に第一ホテルと付いているがチェーンではなく、家族経営のこじんまりとしたホテルで、筑紫哲也さんも常連だったと聞く。
 取材のコーディネーターは「NHK今日の料理」の先生もされていた、料理研究家の中村成子さんで、沖縄第一ホテルの女将さんとは懇意にされていたようだ。それがあってか、取材の後に女将さんから編集者やライターなど取材クルー全員にお猪口がプレゼントされた。
 頂いた時に作家の名前を聞いたと思うが忘れてしまって、ただ、お猪口の中の魚の絵柄だけが印象に残っていた。
 このお猪口が金城次郎さんの作品かな?と思うようになったのは、とある雑誌で筑紫哲也さんが自分のコレクションを紹介しているのを見てから。そのページには金城次郎さんのやむちん(焼き物)が掲載され、そのやむちんには魚紋が描かれていた。その魚の絵は、沖縄第一ホテルでいただいたお猪口の魚とそっくりだった。
 そう思って自分のお猪口をよく見ると、下の方に「次」の文字が彫られていた。
 那覇市壺屋にある、窯元と陶芸店がたくさん並ぶ<やむちん通り>を覗いたことがある人はわかるが、魚は子供をたくさん産んでメデタイので昔から図柄として好まれており、多くの沖縄の陶芸家に描かれている。それでも、このお猪口の魚紋は金城次郎さんではないかと思っている。

 今朝、探したい本があって書庫兼物置にしている部屋に行ったら、床に名刺入れが何冊か転がっていた。パラパラと捲っていると、沖縄の写真家・大塚勝久さんの名刺があった。「?」大塚勝久さんには2012年に竹富島へ「種子取祭・タナドゥイ」を撮影に行った時にお会いして名刺交換した覚えはあるが、この名刺フォルダーはずいぶんと昔のもの。で、ハッと気がついた。
 沖縄第一ホテルの朝食を撮影している時に、女将さんから沖縄在住の写真家の方を紹介された。せっかく東京から来るのだからと、女将さんがセッティングして下さったのだが、限られた撮影時間に20皿以上並ぶ料理の撮影でてんてこ舞いになり、ほとんどお話しも出来なかった。
 あの時の沖縄の写真家は誰だったろう・・・と長らく思っていたのだが、まさか大塚勝久さんだったとは。

金城次郎さんのお猪口
お猪口と大塚勝久さんの名刺
 今日の沖縄タイムスに、その大塚勝久さんが長年ライフワークとして撮影している竹富島が、来月1日から入島料として300円を徴収することにしたという記事が掲載されていた。
 最近も、島にリゾートホテルの建設計画が持ち上がり島民が反対運動を行なっているという記事が流れていたが、この入島料で開発業者に渡った土地を買い戻そうということのようだ。
 この入島料、竹富島だけではなく、久高島でもスタートしてはどうかと思う。琉球開闢の祖であるアマミキヨが天から降りて最初に造った島だといわれる久高島。神の島として観光に訪れる人は多いが、島内には宿泊施設も食事するお店も、売店も数えるほどしかないので観光客が島に落とすお金は少ない。入島料が入れば、少しは島も潤うのではないだろうか。
 この他の気になった記事を備忘録として。
韓国、日韓軍事情報協定を破棄 「輸出優遇国」除外受け
横浜がIR誘致、山下ふ頭がカジノ候補地 反発は必至
豚コレラ 豚への予防ワクチン接種 石井知事「国は決断すべき」
7月のスーパー売上 衣料品で約18年ぶりの大幅な落ち込み
組織委が責任逃れ 東京五輪は“死のボランティア”も現実に
ポール・マッカートニー コインを線路のレールに置いて平らにしてギター・ピックを作成
排気筒解体 3度目の作業中止

8月20日(火)

 すっと暑い日が続いていたが、今日は朝から昼過ぎまで激しい雨が降っていて、その後も気温が上がらず久しぶりに最高気温が30℃を切る過ごし易い日だった。お盆を過ぎてから、暑さも凶暴さが少し薄らいだように思う。
 18日に大宜味村の塩屋湾でウンガミが行なわれたという記事が、琉球新報に載っていた。記事の終わりの方に、<かつては約20人いたカミンチュも、今回は4人に>と気になることが書いてあった。ウンガミ・2019で検索するとRBCのニュースがヒットして、収録されていた屋古の神アサギでの神事の映像を観たが、ノロ(ヌル)の山城トヨさんの姿が見当たらなかった。
 昨年のウンガミでは、沖縄タイムスに99歳の山城トヨさんがウンガミで無事にノロの大役を果たしたこと書いてあったのだが。同姓同名の別人かもしれないが、検索すると今年の3月8日に山城トヨさんが99歳の天寿を全うし永眠されたという情報もあった。

 ノロは神人(カミンチュ)の役職の一つ。琉球神道の最高神女が聞得大君(きこえおおきみ)だが、その聞得大君に任命された祈念祭祀を司る女性神職がノロで、琉球王国と奄美群島に配置されていた。首里王符から辞令書や勾玉、簪、神扇、神装束が与えられ、国家公務員のような待遇でもあったようだ。実際、『塩屋・ウンガミ/塩屋ウンガミ刊行委員編』という本の中で、山城トヨさんはインタヴューに答えて、「戦前は国から年棒も支給されていました。今のようになかなか名護にも行けない時代だったので2、3年分まとめて銀行で受け取っていました」と答えておられる。

山城トヨさん

 各シマ(集落)の祭祀を司るのがノロで、その下にウメーギなどノロを補佐する役職の神人が存在する。ノロに限らず神人は基本的に家継ぎ(世襲制)で、継ぐべき女性が居らず途絶えることも多い。奄美から沖縄へと祭祀を撮影して歩いて、ノロの役職を持った神人の方にお会いしたのは、山城トヨさんだけだった。
 渡名喜島のシマノーシ、粟国島のヤガンウユミも撮影に行ったが、ともにノロ殿内は残っているがノロは不在。神の島と呼ばれた久高島も根神(ニーガン)やノロを補佐するウメーギといった神人はいらっしゃるが、久高ノロも外間ノロも既に不在となっている。
 尚、八重山や宮古諸島では司(ツカサ)、神司(カミツカサ)と呼んでいる。与那国島ではカァブとも呼んでいた。その継ぎ方も島々で微妙に異なっているが、神人の継承はどのシマでも困難なようだ。
 そして沖縄でも御嶽(ウタキ)が何であるかや、ノロとユタの違いがわからない島人(シマンチュ)も多くなっているようだ。

*写真は山城トヨさん。2012年のウンガミで撮影させていただいた。

 来年にオリンピックが迫る中、「馬も人も危ない暑さ」など夏の東京の気温を心配する声が上がっている。暑さだけではなく、トライアスロン会場となるお台場海浜公園ではテスト大会で「正直くさい。トイレみたいな匂いがする」という選手の声があり、実際に水質検査で大腸菌の値が上限の2倍を越えていたため17日のトライアスロンのスイムは中止された。
 榎本茂・港区議会議員が<東京都下水道局では、平成24年度に簡易処理水と呼ぶ排出基準を満たさない未浄化の下水を180万7200立方メートル、実に東京ドーム15杯分(原文マ マ)に相当する莫大な量を運河に放水しております。この放水を実際に目にすると、誰もが驚くのですが、焦げ茶色の汚水が濁流となって放水され、あっという 間に運河は黄土色に変わり、高浜水門から運河の外へ流れ出し、レインボーブリッジ、お台場へと順次海の色を変えていきます>と指摘したそうだが、事実ならお台場海浜公園はトイレそのものだろう。
 水質検査の結果で中止となった翌日は、水質が改善したとしてスイムを実施したそうだが、選手にとっては気持ちの良い物ではないだろう。
 お台場海浜公園の海はトイレと同じ?と思っていたら、お台場で「うんこミュージアムTOKYO」というイベントが期間限定で開催されているようだ。「MAXうんこカワイイ」が合言葉だそうだ。なんだかな〜。

 この他の気になった記事を備忘録として。
岐阜で22カ所目の豚コレラ 県内の過半数が殺処分に
2022年、タワマンの「大量廃墟化」が始まることをご存じですか
福島県、避難者に家賃2倍の「損害金」請求

 昨年の9月2日に撮影した善徳寺の一心講踊りの様子をPhoto Albumにしました。こちら
一心講踊り
↑昨年は仮装した地元の方に混じって、本格的なコスプレイヤーも参加していた。

8月15日(木)

 上陸した大型台風10号の話題で終戦記念日がやや隠れてしまったが、今日で敗戦から74年を迎えた。令和元年になり、全国戦没者追悼式では新天皇がお言葉を述べられた
 HUFFPOSTが<玉音放送を現代語にすると...「耐え難いことにも耐え、我慢ならないことも我慢して...」【終戦の日】>という記事を掲載している。この記事を読むと終戦ではなく敗戦だな、と実感する。

 あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」の騒動がまだ尾を引いている。愛知県は昨日、芸術祭実行委員会などに届いた「県庁等にサリンとガソリンをまき散らす」などと書かれた脅迫メール770通について、県警東署に被害届けを提出し、受理されたそうだ。
 来年は東京オリンピックが開催される。テロ予告ともとれるメールを送った人間を突き止め処分できなければ、県警の威信が失墜するだけではなく、オリンピック開催国としての評価も危ぶまれるのはないだろうか?
 この他の気になった記事を備忘録として。
宮内庁が靖国神社の天皇陛下参拝要請断る
「福島第一原発は津波が来る前に壊れていた」元東電社員“炉心専門家”が決意の実名告発
米、日本に農産品購入要求 対中輸出減の穴埋めか
DHC子会社制作のネット番組が嫌韓発言 韓国法人が謝罪
“歌舞伎町の顔”「愛本店ビル」取り壊し決定
榎本港区議員「東京五輪トライアスロン会場に向けて、塩素を混ぜただけのトイレの汚水が放流されている
東京五輪の5G計画が日韓関係悪化で暗礁へ? 頼みの綱は「5G iPhone」早期リリースか
原発安全対策費、5兆円超に 政府の「最安」評価揺らぐ
フロッピーディスクは今?「面倒を見る人」がいなくなった現状
なぜ兵士は慰安所に並んだのか、なぜ男性は「慰安婦」問題に過剰反応をするのか――戦前から現代まで男性を縛る“有害な男らしさ”
佐川元国税庁長官ら再び不起訴 大阪地検特捜部、一連の捜査終結 森友学園問題
神戸市 津田大介氏招いたシンポジウム中止の方針決める
日本観光業界が悲鳴 「大阪訪れる韓国人30%以上急減」
博士、日本だけ減る傾向 科学立国の足腰弱さ露呈
東京五輪・パラの暑さ対策 逆効果の可能性も

 今日は旧暦の7月15日。今年は旧盆と新盆がピタリと重なった。奄美や沖縄といった琉球弧では、今もお盆は旧盆で行なう。旧7月13日は先祖の霊をお迎えするウンケー、14日は迎えた霊に家でゆっくり休んでいただくナカヌヒー、そして15日は先祖の霊をお送りするウークイとなっている。
 八重山諸島の石垣島や竹富島では、この3日間に先祖の霊を供養するアンガマが行なわれる。アンガマはグソー(あの世)からやって来た精霊の一行が家々をまわり、三線と太鼓の地揺をバックに唄と踊りを披露して供養する。中心となるのはウシュマイ(おじいさん)とンミー(おばあさん)で、ファーマー(子孫)の花子達をたくさん引き連れている。
 2013年の8月、どうしてもアンガマが見たくて石垣島へ行った。アンガマを見るのはウンケーの日だけにして、ナカヌヒーは波照間島のムシャーマ、ウークイの日は小浜島のソーラという旧盆行事を見る予定にしていたが、海が荒れていて予定していたフェリーが出航せず3日間とも石垣島にいてずっとアンガマを見ていた。
 そういえば2013年のウークイは8月21日だったけれど、石垣島のアーケード街にある「ゆんたく家」という施設へアンガマを見に行ったら、現在、富山市民プラザで『みうらじゅんフェス!マイブームの全貌展』を開催しているみうらじゅんさんが、奥さんのbirdと一緒に最前列で座って眺めていた。確かにアンガマは、彼の好きそうな民俗芸能だな。
 ところで、アンガマの時に六調が踊られるのを見た。不思議に思って尋ねてみると、石垣島を含む八重山諸島では祝宴に六調が踊られるという。
 祭りや祝宴の締めに、奄美なら六調が、沖縄ならカチャーシーを踊るのが一般的だ。六調は大和風音階の民謡、カチャーシーは琉球音階の民謡と、曲調は異なるが共にアップテンポで場を賑やかす踊りだ。奄美群島でも沖縄に近く北山(ほくざん)の影響が色濃い与論島や沖永良部島でカチャーシーが踊られるのは理解できるが、奄美の六調が沖縄本島を飛び越えて、なぜ八重山で広がったのか。芸能の伝播の不思議、そして面白さだ。
↑石垣島・登野城青年会のアンガマ。仏壇の前でウートートー(お祈り)した後、踊りを披露するウシュマイとンミー。
 昨年の8月26日に撮影した瑞龍寺での薪能の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
素謡
↑法堂で行なわれた、第一部の素謡。↓境内で行なわれた薪能。演目は「清経」。

8月8日(木)

 午前中、しばらく前に受けた特定健康診査と肝炎ウイルス検査、前立腺ガン検診の結果を聞きに行った。結果は中性脂肪と尿酸が少し高めで、他は問題なしだった。

 あいちトリエンナーレ2019の企画展「表現の不自由展・その後」の展示について、展示されていた平和の少女像を「大至急撤去しろ、さもなくばガソリン携行缶を持ってお邪魔するので」と脅迫するFAXを送った男が昨日愛知県警に逮捕された。
 また、昨日はあいちトリエンナーレの会場で「ガソリンだ」などと言いながら警察官にバケツで液体をかけたとして男が逮捕されている。
 愛知県内の小中学校や20の自治体にも「ガソリンを散布する」という脅迫メールが5日に送りつけられているので、こちらも早く犯人を見つけて欲しい。
 来年は東京オリンピックが開催される。「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」は完全なテロ予告だろう。安全と治安の良さをアピールしてオリンピックを招致したのではなかったか?
 脅迫FAXを送ってきた犯人は逮捕されたが、中止に追い込まれた企画展「表現の不自由展・その後」が再開することはないのだろう。個人的には中止に追い込まれたことで、逆にこの国の何が不自由をもたらすのかを炙り出し「表現の不自由展」が見事に完結したのかなとも思っている。
あいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐって起きたこと――事実関係と論点の整理』という記事に、顛末が時系列で記載されている。
 最初に河村たかし名古屋市長、高須克弥氏、百田尚樹氏、松井大阪市長、和田政宗参議院委員の名が連なるのが何とも香ばしい。こうした人達の言動に煽られて3年に一度のトリエンナーレに「去年も行った」「毎年観ている」というバカな嫌がらせを書き込むネット民がワラワラと生まれたのだろうか。
 記事では、時系列の後に表現の自由とは何かの考察も掲載されている、
 また、『愛知トリエンナーレと「表現の不自由展」に行ってきた』という記事に、もう観られないであろう出品作品の詳細が記されている。
<大橋藍「アルバイト先の香港式中華料理屋の社長から『オレ、中国のもの食わないから。』と言われて頂いた、厨房で働く香港出身のKさんからのお土産のお菓子」>。面白いじゃない!!

1988年のソウル

↑写真は、1988年のソウルオリンピック開会直前の会場。雑誌「ポップティーン」の企画で「韓国の10代は今、何を思う」という内容の取材で訪れた時のもの。

 日本と韓国の対立が激しくなる中、安倍首相が韓国は日韓請求権協定に違反する行為を一方的に行なっていると一昨日の記者会見で述べた。加えて「最大の問題は、国家間の約束を守るかどうかという信頼の問題だ」と指摘したそうだが、国民との約束を守らない人が何を言ってるんだろうか?
 ところで、この日韓の請求権協定では「元徴用工の個人としての請求権までは消滅していない」とする意見もある。
 朝日新聞の記事によれば請求権を互いに放棄する条項は1951年のサンフランシスコ講和条約にもあり、原爆被害者がこの条約によりアメリカに賠償請求できなくなったと日本政府に補償を求めて提訴したところ、政府は「自国民の損害について、相手国の責任を追及する『外交保護権』を放棄したもの。個人が直接賠償を求める権利に影響はなく、国に補償の義務はない」と主張したそうだ。
 実際90年代には、韓国人の戦争被害者が日本で提訴した時、日本政府も「個人請求権は消滅していない」との国会答弁をしていたという。
 
 今朝、SNSに『今さら聞けない「慰安婦」問題の基本を研究者に聞く――なぜ何度も「謝罪」しているのに火種となるのか』という記事が流れてきた。昔から個人的に感じているが、この国は韓国や中国などのアジアの国々にちゃんと謝罪したことはあるのだろうか。謝った先から、それを否定する発言が出てくる。日本に居ても「本当に謝罪しているのだろうか」と感じるくらいだから、当事国の韓国や中国の人からは謝罪してもらったという思いはもっと薄いのではないだろうか。
 <歴史学において事実だとされている「慰安婦」問題。だが、それを否定するような政治家の発言や、外務省などの対応は国際的にも非難を浴びている。しかしながら、現在の学校教育においては教科書から「慰安婦」の文字が消え、どこに火種があるのか、なにが国際的に非難されているのか、理解している人は少ない>という文章が本質だろう。
 また、従軍慰安婦否定派が提起する、「慰安婦」の存在を示すような公文書が無いという主張について<まず公文書は、敗戦と同時に処分するよう、軍から指令が下りています。たとえ残っていたとしても、加害者側の文書からは、被害の実態は見えてこないでしょう。特に性暴力に関わることでは、加害者側がわざわざ「強制しました」なんて書かないでしょうしね。また海外の公文書は残っていますし、「慰安婦」について描かれた日本人兵士の回想録も多数ある>と述べられている。
 この国は敗戦と同時に多くの資料や公文書を破棄してしまった。だから戦争についての検証が出来ないのだが、その反省は今になってもないようで、先日も戦後憲法裁判の記録が多数廃棄処分されたそうだ。これで、どういう論議があり判決に至ったかの検証が不可能になる。そういえば、辺野古の米軍新基地建設で「施行体系図」の情報公開請求をしたところ、下請け業者名を全て黒塗りにして開示されたという記事を最近読んだが、根は同じか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
技能実習、5千職場で法令違反 過去最多、監督件数も
汚染水タンク、あと3年で満杯 福島第一原発の敷地飽和
賃貸住宅の仲介手数料は原則0.5カ月分 手数料の一部返還認める 東京地裁
目も喉も痛い…それでも撮ったヘリ墜落現場 「これが沖縄」残る記憶と証拠写真 新川美千代さん「私の見た壁」展を開催
天皇代替わり 公務員懲戒、免除を検討 佐川氏対象か
溶融核燃料を原発敷地内で保管へ 福島第1の2号機で取り出し
リニア残土 微量ウラン JR東海 公表せず 岐阜 日吉トンネル工事
軽減税率レジ、中小の4割未着手 消費税引き上げ対応、日商調査
沖縄アーカイブ研究所 沖縄の8ミリ映画を集めました
男が冷蔵庫を崖から投棄、本人に回収作業を命令 スペイン
DeNA・パットン骨折だった!降板後に冷蔵庫殴り右手の第5中手手根関節脱臼骨折

 昨年の8月19日に撮影した鉄砲町・白銀後町の天神祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
鉄砲町・白銀後町の天神祭り
↑ご神体の掛け軸を入れた社を、専用の台車に乗せて町内を巡行する。
 今日で翁長前沖縄知事が亡くなって一年か・・・

8月4日(日)

 暑い!台風8号が明日から西日本に接近するようだ。そして今日の午後、台風9号が発生した。
 愛知県内で開催されている「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」の中止が決まった。愛知県の大村知事は会見で「テロ予告や脅迫の電話等もあり、総合的に判断した。撤去をしなければガソリン携行缶を持ってお邪魔するというファクスもあった」と説明している。
 中止に追い込まれたことで、逆にこの国の何が不自由をもたらすのかを炙り出し「表現の不自由展」が見事に完結したとも言える。来年は東京オリンピック。安全と治安の良さをアピールしてオリンピックを招致したのではなかったか?テロ予告や脅迫電話をした犯人を捕まえないと、威信にかかわるのでは。
テロ予告や脅迫に挫折 「表現の不自由展」識者の見方は
「表現の不自由展」が中止に。平和資料館長「お金をもらったら言われた通りの表現しかダメなのか」
「事実上の『検閲』」河村市長に発言撤回求める マスコミ文化情報労組

 戦後の憲法裁判の記録が多数廃棄されていることがわかった。これで、どういう論議があり判決に至ったかの検証が不可能になる。先日、辺野古の米軍新基地建設で「施行体系図」の情報公開請求をしたところ、下請け業者名を全て黒塗りにして開示されたという記事があったが、根は同じか。
 この他の気になった記事を備忘録として。
トランプ氏、短距離容認と首相に 北朝鮮ミサイル巡り、非核化優先
「原発技術は破綻、必ず事故起こる」米規制委元委員長が警鐘
「韓国に屈すれば支持下落」強気貫く日本 米仲裁も不発
韓国デモ激化、ドラえもん上映延期 日本人入店拒む店も
いま、韓国を旅して感じたこと。
ロシア首相、択捉島訪問=「われわれの領土」と主張-日本の抗議を一蹴

 昨日は富山三大仏の一つ、小杉大仏を観に行ったり、ひみまつりに行ったり。

8月3日(土)
 高岡市の大佛寺にある高岡大仏(銅造阿弥陀如来坐像)、小杉町の蓮王寺にある小杉大仏(丈六阿弥陀如来)、そして庄川町の光照寺にある庄川大仏(十万納骨大仏)を富山三大仏と呼ぶそうだ。それぞれ青銅製、木製、コンクリート製と素材が異なっているのが面白い。
 高岡大仏と庄川大仏は撮影したことがあるので、小杉大仏を撮影に。蓮王寺に電話で問い合わせると、本堂に入って自由に拝観して下さいとの返事だった。
 あいの風とやま鉄道で小杉駅に10時57分に到着。蓮王寺のホームページに掲載されていた地図を見ながら向かう。それにしても、外は暑い。15分ほどで着いて、本堂へ。扉は閉まっていたが、ご自由に御入り下さいと書かれた貼り紙がしてある。中に入ると正面に大仏様が。蓮王寺の縁起などを記したパンフレットがあったので、先ずはそれを一読する。
 記されていた縁起によれば鷹尾山蓮王寺(れんのうじ)は高野山真言宗に属するお寺で、701年(大宝元年)越中国守だった佐伯有若が鷹供養のために行基を招き、七堂伽藍を建立したのが始まりだという。有若は立山を開山した慈興上人(佐伯有頼)の父親であり、701年は立山開山と同じ年だ。
蓮王寺
↑小杉大仏のある蓮王寺。
 小杉大仏として知られる木造丈六阿弥陀如来(市指定文化財)については<天文年中、長尾為景が砺波の増山城を攻める際蓮王寺を焼き払った。この大仏は(高さ5m)、御頭と御手のみが焼け残った。その後、江戸中期の頃、定観法師が胴体を作り復元した。古くから鷹寺大仏としてぼけ封じの仏として近郷に親しまれている>と書かれている。
 小杉大仏は寺のご本尊である大日如来の後方にあり、格子を丸くくりぬいたところからお顔が見える。内陣だが大仏様の周囲をクルリと歩いて撮影させていただいた。
↓→小杉大仏の名で親しまれている、木造丈六阿弥陀如来。
小杉大仏02
小杉大仏01
小さな仏様と写経
↑大仏様の台座に並べられた仏様(左)。大仏様の後ろには空洞があり、写経が納められている(右)。
行基菩薩像

↑大仏様の左右に並べられた七福神。

←行基作の「行基菩薩」も安置されている。富山で行基作と言われているモノに日石寺にある大岩に彫られた不動明王、浦田山王社の獅子頭、善徳寺の阿弥陀如来像などがあるが、自画像は珍しい。また、小杉大仏も行基作という説がある。

薬師十二神将
千躰不動明王

↑薬師一二神将(市指定文化財)
 パンフレットより、
薬師如来を中心に、十二支のえとの神、十二神将が揃っている。裏に天和二年三月(一六八二)と記され越中造像史上、貴重な存在である>。

←射水市水戸田の密蔵寺に安置されていた千躰不動明王(高さ約5m)。昭和14年に東京より富山に移されて、第二次大戦の戦火を免れたそうだ。

 本堂や不動明王を安置したお堂を観てまわった後、本堂横のご自宅にお伺いし、ご住職にお話しを聞いた。開山縁起にある、鷹供養を記すものは何も無いそうだ。それでも山号が「鷹尾山」であり、地名に高(鷹)寺とあるのが名残と言えるだろうか。
  考えてみれば、有頼(慈興上人)が立山を開山するきっかけは父・有若の白鷹を持ち出して鷹狩りに出たことだった。しかし、途中で白鷹が逃げてしまい、有頼はあわてて白鷹を追いかけて山中に入っていく。ようやく白鷹を見つけた所に、一頭の熊が現われ驚いた白鷹は再び逃げてしまう。有頼は持っていた矢を射ると、それは熊の左胸に突き刺さり、矢が刺さったまま熊は白鷹と同じ方向へ逃げ去った。追いかけていた有頼が立山の山頂まで来ると、白鷹と熊は崖に空いた岩穴に入って行く。ようやく追い詰めたと思い岩穴に駆けつけると、そこには矢の刺さった阿弥陀如来が立っていた。驚いた有頼に阿弥陀如来は「多くの迷える人々を救うために白鷹になり、熊になり貴方をここまで呼び寄せた。どうか立山を開いて国中の人々が登拝できるようにしてくれないか」と話した。感銘した有頼は山を下り仏門に入り慈興上人となって立山を整備した。

↓開基、佐伯有若のレリーフ。→銅造地蔵菩薩立像(県指定文化財)。
銅造地蔵菩薩立像
開基のレリーフ
 銅造地蔵菩薩立像<鎌倉時代の特有である寄せ吹き技法によって鋳た仏像で、もと立山芦峅寺に安置されていた。明治維新、神仏分離の際、立山伝説に関係ある蓮王寺に寄進された>とパンフレットに記されている。
↓→境内にある大(左)小(右)2つの五輪塔。
五輪塔02
五輪塔01
 大きい方の五輪塔は、蓮王寺で客死した俵藤太(藤原秀郷)の墓と伝えられている。右の写真は、石仏不動。
 卒塔婆と五輪塔が同じものだとか、興味深い話を色々と聞かせていただいた後、お寺をお暇する。
 ひみまつりへ行く前に、13時1分発のあいの風とやま鉄道で高岡駅へ。5月に撮影した利屋町の天神祭りの様子をまとめたフォトブックを関係者に届けに行く。駅近くのコンビニでカレーパンを買って、食べながら関野神社へ。 関野神社から龍雲寺、宮総代の家へとフォトブックを届けてまわる。
 高岡駅に戻り、今度はひみまつりを開催している氷見へ。氷見へは氷見線で行くつもりでいたが、氷見駅から会場の比美乃江公園まで歩くと遠い。路線バスの時刻表を見ると、少し待てば氷見方面行きのバスがあった。
 高岡駅前を14時31分発の脇行きに乗り、氷見駅を通り過ぎて北大町で下車。バス停から会場まで歩いて、お目当ての魚提灯山車を探すが見当たらない。
石仏不動
 本部と書いたテントがあったので魚提灯山車はどこにあるか尋ねると、さっきまでそこに展示してあったんですが、保存会の人達が撤収されたみたいですとの返事。「えっ!?」
 ひみまつりは11時30分の安全祈願祭から始まり、20時からの花火大会までプログラムがあり、そのプログラムの中に魚提灯山車の展示も書いてある。それが15時過ぎで撤収は、ちょっと酷いな。わざわざこれだけを見に来たのに。
 本部の人に魚提灯山車は今何処にあるか尋ねると、いきいき元気館という施設の裏に倉があり、そこに仕舞われているという。しょうがないので場所を聞いて、歩いて行ってみる。
 魚提灯小屋と書かれた建物があり、そこに由来が書いてあった。

魚提灯山車(さかなちょうちんだし)とは

 魚提灯山車と魚提灯小屋は「ひみまつり」の会場にもなっている比美町で医師をしておられた池田貴美子さんが、昭和58年から私財を投じて制作し、市に寄贈されたものです。池田さんは、帝国女子医学薬学専門学校を卒業後、東京都内の病院に勤務、太平洋戦争では東京大空襲を目の当たりにされ、その後、故郷の氷見へ戻り池田医院を開業されました。魚提灯には池田さんの戦争体験から、平和を願って祝い事に使われる鯛と、子供たちの成長と郷土愛を込めた出世魚の鰤が使われています。そして「ずっと、魚がとれる豊かな海でありますように」という豊漁の願いも込められています。
 「ひみまつり」では船の形をした4基の山車が約2千個の魚提灯で飾られ、子供たちを乗せて市内をにぎやかに練り歩きます。

 魚提灯小屋を撮った後、炎天下を氷見駅まで歩く。駅に到着すると、ちょうど16時7分発の高岡行きが出るところだった。次は17時13分。1時間以上あるが、もう外を歩く元気もないので待合室で座って過ごす。
 夜、携帯電話のアプリを見ると17,317歩だった。暑い中、よく歩いたな〜。

8月1日(木)

 暑中お見舞い申し上げます。

 8月最初の日、富山は35℃を越える猛暑だ。日中は暑すぎるので、今日も朝の5時頃に起きて少しでも涼しいうちに作業をする。
 エアコンは無い。扇風機はあるが、吹いてくるのは温風だ。
 作業している間にパソコンも熱くなってくるので、何回か休憩。スリープだと熱が下がらないので、一回一回システムを終了させる。
 午後から自転車で市営プールへ。一ヶ月以上前から右腕を痛めていて、なかなか治らない。筋肉痛かと思うが、写真を撮るにもパソコンのキーボードを打つにも右手を使うので、休ませることが出来ない。先週はプールで一生懸命泳いだら、よけい右腕の痛みが強くなった気がするので、今日は水中ウオーキングと半々に。
 プールから帰り、冷蔵庫で冷やしてあったスイカを食べる。両親がスーパーの安売りで買ってきたスイカ。甘いが、ずいぶんと果肉が固い。シャキシャキする。

*写真はスペイン南部、コルドバのグアダルキビール川。1986年5月に撮影。

 昨年の8月15日に撮影した米道踊の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
米道踊り01
↑善入寺の境内でお盆に踊られる米道踊。↓途中で雨が強くなってきたので本堂の中へ。
米道踊り02
 遂に富山県で野生のイノシシから豚コレラの感染が見つかった。
 この他の気になった記事を備忘録として。
<税を追う>辺野古下請け 黒塗り開示 公開義務の施工体系図
米軍駐留費「日本は5倍負担を」 ボルトン氏が来日時に
【日韓 報復の応酬】傍観 その先にある損失

7月へ