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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

7月6日、7日 舟見の七夕
7月13日(土)、14日(日) 滑川 ふるさと龍宮まつり *やさこは、13日の龍宮パレードで あいの風とやま鉄道タイアップ切符1000円
7月15日 南砺市・是安の風祭り 級長戸辺(しなとべ)神社(不吹堂の祭り)14時〜 記事
7月22日前後の日曜日 重忠まつり 上行寺
7月27日(土) 砺波えんじゃら節盆踊り大会 南般若句会堂前広場 以前の記事
8月7日 魚津市蛇田地区の七夕
8月20日以降 上行寺 「盂蘭盆会施餓鬼 塔婆供養」 宝物の虫干供養 三帰明王のご開帳
8月24日(土)? 朝日町笹川の獅子舞 諏訪神社 朝日町の獅子舞 映像 共生の里ささ郷(0765-83-3688)
8月31日(土)? 上行寺 御日待おどり 19時〜
8月31日 井波5屋体勢揃い 「令和元年夏の陣」 15時〜21時 問い合わせ先
9月第2土曜日 高岡市大坪町の獅子舞(熊獅子)
10月10日 伊勢玉神社 秋季例大祭の宵宮 湯立て神事 諏訪社
10月12日(土)、13日(日) 朝日町草野 獅子舞 五社明神社 映像
10月13日(日) 朝日町平柳 獅子舞 五社之社 映像
10月15日に近い日曜日 朝日町境 獅子舞 境神社 映像 
11月13日 お会式(餅柱) 上行寺

◯入善町舟見 十三寺 行基作のご本尊を7年ごとにご開帳 2020年10月? 
◯新川神社 1月? 寒中みそぎ
◯新川神社 御田植祭5月
◯高瀬神社 御田植祭5月 抜穂祭9月
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯埴生護国八幡宮、亀保里神社(長岡神社0766-67-1402)除蝗祭 6月
◯上市町 日石寺 7月1日 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯福岡町沢川の獅子舞 9月の第4土曜日?
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 10月下旬と11月下旬の日曜日 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯2019年 白山宮の本尊。秘仏十一面観世音菩薩をご開帳(33年毎)。
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
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立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

7月28日(日)

 一昨日、富山県が最高気温でトップを記録した。今日の富山市の最高気温が34℃で、那覇市は33℃。週間天気予報を見ても、しばらく沖縄より富山の方が暑い日が続きそうだ。
 介助者挙手、PC持ち込み可、中央玄関にスロープ。参院選から4日ほどしか経たない25日の記事だが、当事者が議員になることでここまで変わった。まだまだ壁はあるようだが、当事者が議員になることで見えなかった壁や制度の矛盾・不備が可視化されることは一歩前進だろう。
 この他の気になった記事を備忘録として。
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 昨日は砺波市宮村にある景完教寺の秘仏・聖徳太子16歳孝養像と、南般若地区のえんじゃら節を見て来た。

7月27日(土)
 小矢部市の宮島峡にある俊寛塚を撮影に行った後、図書館で俊寛について触れている『久利須のさと/島田冨士弥』という本を読んでいると砺波市宮村にある景完教寺に、お寺の開基である了通が宮島峡で俊寛から譲り受けたという聖徳太子像があると知った。お寺に電話で問い合わせると、像は一年に一度4月10日にご開帳されるということだったが、事前に時間を合わせていただければお見せしますとおっしゃっていただいた。
 今日、27日一度見たいと思っていた砺波市南般若地区の「えんじゃら節」が南般若地区の夏祭りで披露されることを数日前に知り、南般若と宮村がとても近いので同じ日に見学できないかと思い景完教寺に連絡したところ、許可をいただいた。
 家から自転車で行くつもりでいたが、突然発生した台風とそれに刺激された梅雨前線?の影響で富山も午後から雨になってしまった。景完教寺は地図で見たところ城端線の油田駅から20分ほどで行けそうなので、電車で向かうことにした。
 あいの風とやま鉄道で高岡駅に14時25分に到着し、14時30分の城端線に乗り換えて14時49分に油田駅に到着。16時に伺うことになっているので、駅の近くにある大型スーパーに寄って菓子パンを食べながら30分ほど時間を調整。
 家からプリントアウトしてきた地図を見ながらお寺に向かうと、20分ほどで着いた。住職の奥さまにご挨拶し、両親が作っている野菜を袋に詰めたものをお渡しする。先に境内にある「俊寛塚」と刻まれた石碑を撮影させてもらう。周りの木が繁り、石碑の文字はほとんど見えない。塚と刻まれているが、下に何かが埋まっている訳ではなく景完教寺と俊寛の由来を示す記念碑だろうと話された。

↓景完教寺。→境内にある「俊寛塚」と刻まれた記念碑。
俊寛塚
景完教寺

 俊寛塚の石碑を撮影した後、ご夫人にお寺のことや16歳の聖徳太子孝養像のことをお聞きする。現在の山主は了通から数えて31世になり、天台宗から浄土真宗に変わってから27代目になるそうだ。現在の本堂は大正2年に建立されたもので、古くはない。
 景完教寺の縁起については 『久利須のさと/島田冨士弥』に、以下のような記述がある。
景完教寺所蔵の太子孝養像は、昔自分たちの横根村にあったもので、了通なる行者が、ここ宮嶋谷倶梨須村に配流されていた俊寛僧都に帰依して師弟の契りを結び、やがて俊寛所蔵の太子像を譲り受けたこと。了通は横根村(現津幡町北横根)に帰り、太子像を本尊として坊を結び、日夜給仕怠りなくお祀りしていたという。その了通から数えて七代にあたる玄誓は、綽如(本願寺五代・瑞泉寺創建に関わった)の教化をうけて天台宗から真宗に改宗して「景完寺」という寺号を受けた。さらに下って玄誓から明法の代(寺伝によれば天正十二年)、太子の夢のお告げを受けて砺波市油田(中村)に寺を移し「景完教寺」となったのだと記された縁起(真宗大谷派瀬尾山景完教寺刊)を持参されての訪問だった
 本にはその縁起も掲載されている。
聖徳太子孝養像 縁起 真宗大谷派 瀬尾山景完教寺

 それ 当壇に安置し奉る御姿は 聖徳太子十六歳の尊像なり
 抑も此の由来を訪ね奉れば 太子御父用明天皇御不豫(ふよ)の気ましませしかは 日夜孝養を盡し給ひしかとも おひおひ危篤にわたらせられたれは 太子は痛く悲しみ思召して 二十五条の御袈裟を着し 柄香爐を持せられ 息災延命を帝釈天に御祈願あられしかと 竟(つい)に御天皇崩御あらせられ給ひければ 太子は大きに嘆き悲しませられ 日夜悲嘆の涙にひまもなかりしとそ
 去りとて徒らに歎くも詮なしおて 人皇三十二代崇峻天皇の御宇 一は 貴賎上下の別なく無常の脱れ難きを示し 一は 人間と生れては その父母に孝養を盡すへきことを知らせんとて 末世衆生の片身に白檀香木を取り寄せ給ひ 自ら御彫刻あそはされたる尊像なり
 干時(ときに) 人皇七十七代後白川天皇は この尊像を法性寺の執行(しゅぎょう)俊寛僧都へ給はりはるか 其の後 僧都は所以ありて喜界ヶ島へ流罪と定り 後 越中國宮島谷倶梨須村に移住せられしか 其の折り 加賀國横根村の了通と云う者彼の僧都に帰依して既に師弟の契りを結ひ居られしにより 太子の尊像を附属して遺訓尤も審(つまびらか)なり
 其の後 了通は横根に帰り 太子の尊像を本尊として日夜御給仕怠りなく 了通より七世の間 天台の宗義を守りしに 當時の住持玄誓しはしは綽如上人の御化導(けどう)を聴聞し 弥陀の本願は時機相應の法なりとて速に天台宗を改め眞宗の門に帰す 是に由て綽如上人は玄誓聞法の因縁厚き御褒美として景完寺と云う寺號を給ふとなり
 其后玄誓六世の後胤明法法師 聯夜(れんや)の夢に太子の御告を蒙りしかは直に雄神庄下油田の郷へこの尊像を移し奉りけり 其後奇端数多しといえども今こまごまと述るに遑(いと)まあらす
 つらつら似(よって)みれは太子若し洪恩を施し給はすは 凡愚争弘誓(ぼんぐあらそいぐせい)に値ふことを得む 又和讃には聖徳皇のあはれみて 佛智不思議の誓願にすすめいれしめたまひてそ  
 住正定聚(じゅしょうじゅうじゅ)の身となれるとも奉賛したまへり 是に依て我等生涯眞俗二諦の教を聞き 速現當二世の御利益を蒙ることは偏(ひとえ)に太子の御かけなれは洪恩は山よりも高く海よりも深く 報せすんはあるへからす謝せすんはあるへからす 爾(そ)れは智愚善悪を簡(えら)はす 浄穢(じょうえ)貴賎を隔てす
各々称名諸共拝礼                    敬白

寳(ほう)永第五年自明法第四世明空編之
明治第廿八年自明法第十五世順正訂修

 更に、この聖徳太子孝養像には、こんな伝説もある。
1300年前後に同寺を開いた僧了通が、太子像を奉持し横根村(現在の北横根)に隠住していました。戦国時代に戦乱を避けて、この像を越中の同寺からゆかりの北横根へ運びましたが、追っ手が迫り、やむを得ず石棺に入れて池の底に隠したと伝えられています。その後、天正年間(1573〜1592年)に太子像は池から引き上げられ、14代明法が油田中村(砺波市)に移った後の慶長年間に移奉したといわれています(倶利伽藍地区の伝説「聖徳太子像お隠れの池」の話より引用)

 尚、景完教寺が砺波市中村から現在の宮村に移ってきたのは、300年ほど前だそうだ。聖徳太子孝養像は、毎年4月10日に開催される、同寺の太子伝会の際にご開帳されている。
 お話しを聞いた後、さっそく本堂へ向かい、本来は年に一度しかご開帳されない聖徳太子16歳孝養像を観せていただき、撮影させてもらった。

↓→柄香炉を両手で持った聖徳太子16歳孝養像。高さは75センチ。
聖徳太子像02
聖徳太子像01

←お堂の中には宝永5年(1708)加賀の名工、宮崎寒雉(かんち)作の梵鐘がある。寒雉の没年が正徳2年(1712)で、この梵鐘が生前最後の作だと思われる。

 聖徳太子像を撮影させていただいた後も富山の昔の祭りや行事に花が咲いて、18時近くになってしまった。
 次に南般若の夏祭りを見に行く予定なので、お礼を述べておいとました。

 砺波市宮村の景完教寺から、砺波市秋元の南般若公会堂までは自転車なら10分ほどだが、雨の中を歩いて行くと25分ほどかかった。
 公会堂の前にはテントが張られ、中には焼きそばやフランクフルト、生ビールなどの夜店が並んでいる。公会堂の中に入るとバンド演奏中だったので、目当ての「えんじゃら節」は何時からか尋ねると、プログラムが貼ってあるのを教えて下さった。
↓生ビール、焼きそば、コンニャクで800円。→プログラム。
屋台料理とビール
夏祭りプログラム
PM5:30  夜店開始
        夏祭り開始 総合司会 文化学習部会長
PM6:00  バンド演奏 南般若軽音楽同好会
PM6:30  フラダンス フイ・フラ・オ・レイアロハ
PM6:45  夏祭り開会挨拶 公民館長 自治振興会長 えんじゃら節保存会顧問
PM7:00  越中いさみ太鼓保存会
PM7:30  チューリップ囃子
PM7:40  やっちんどっこい やっちん保存会(2曲)
PM7:50  えんじゃら節
        1.子供達が唄う「麦や節」と「越中おわら節」
        2.子供達のえんじゃら節(歌唱部門)
        3.おどらん会さん
         輪踊り(中止)
PM8:30  抽選会
PM8:45  越中おわら節(中止)
PM9;00  夏祭り終了 閉会挨拶 総務副部会長
南般若の夏祭り
えんじゃら節

↑上段左:フラダンス/上段右:越中いさみ太鼓/中段左:婦人部のチューリップ囃子/中段右:やっちんどっこい/下段左:子供達が唄う「麦や節」/下段右:子供達が唄う「越中おわら節」。

←えんじゃら節。

 晴れていれば外に櫓を建てて踊られるはずが、雨で公会堂の中での踊りになってしまった。昔はお盆に踊られた「えんじゃら節」だが、現在はこの夏祭りと敬老会で踊られるそうだ。

 えんじゃら節を見終えて、公会堂から油田駅へと歩く。20分ほどだったろうか。21時10分発の電車で高岡駅へ。あいの風とやま鉄道に乗り換えて、家へと帰る。いつの間にか雨も止んでいた。

*北日本新聞の記事

7月25日(木)

 昨日、富山も梅雨が明けた。これから暑い季節になる。
 少し前から早朝に起きて、涼しいうちに作業することにしている。午後から、今年初めてのプール。1時間ほど泳いだり、水の中を歩いてきた。
藤崎奈々子

昨日の夜、ヤフーのトップページに<藤崎奈々子が結婚、交際13年・・・>という記事がアップされていた。
 記事を読むとテレビのバラエティー番組で、元号が令和にかわった5月1日に結婚したことを生報告したそうだ。彼女も41歳か、お幸せに。
 テレビのバラエティー番組をあまり観ないので、藤崎奈々子、山口もえ、大河内奈々子といったタレントさんの名前と顔がゴッチャになっていたが、藤崎奈々子さんと大河内奈々子さんは雑誌の仕事で撮影したのでわかるようになった。
 撮影したのは11年も前なので、まだ彼女が30歳くらいの時だろうか。場所は、彼女の事務所から指定された都内のカフェ。マネージャーもヘアメイクも居たか忘れるほど、シンプルな撮影だった気がする。

 この頃、水道橋に「醤油ラーメンなら藤崎奈々子」という店名のラーメン屋があって、撮影帰りに一度だけ食べたことがある。京都には「藤崎奈々子は豚骨ラーメン」というお店も出していた。彼女がオーナーだったのか、名前を貸していただけなのかわからないが、1年ほどですべて閉店したようだ。
  写真は、2008年11月7日撮影。

 今朝、北朝鮮が日本海側に向けて飛翔体を2発発射した。イージズ・アショアで撃墜しようとしている日本の上空遥か遠くの宇宙空間を通過していく大陸間弾道ミサイルよりは、日本海側に向けられたこれらのミサイルの方が脅威だろう。
 しかし、北朝鮮のミサイルより脅威なのは、収束の気配を見せない豚コレラだろうか。昨日、三重県いなべ市の養豚場で2頭が豚コレラに感染して死んだ。県は飼育する約4,000頭の殺処分を命令した。これで岐阜、愛知に続き3県目だ。また、今月8日には福井で捕獲された野生のイノシシ1頭が、23日には長野で野生のイノシシ3頭が豚コレラに感染しているのが確認されている。富山、石川は既に豚コレラに囲まれている感がある。

 この他の気になった記事を備忘録として。
フリーランス300万人超 内閣府初推計 就業者の5%
廃炉金属のリサイクルの現状は-進む原発老朽化で大量発生へ-
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新しいトップ画面
←梅雨が明けた記念に、トップ画面を模様替えしました。写真は1年ほど前に自分の部屋から撮影した、隣りの田んぼ。かぜ かぜ かぜ なみ なみ なみ。『かぜの ふく ひは/谷内こうた』より。

↓これまでのトップ画面。
これまでのトップ画面
 昨年の8月13日に撮影した芦峅寺の盆行事、オショウライの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
芦峅寺のオショウライ01
↑松明を持って祖先の霊を迎えに来た人達で賑わう墓地。↓庚申塚へ向か人の松明が、薄暗くなった道路で揺れていた。
芦峅寺のオショウライ02

7月23日(火)

 暑い。朝方激しい雨が短時間に降ったが、その後は晴れ間ものぞく。このまま梅雨明けしそうだ。
 午前中に町内の病院へ行き、特定健診と今年60歳の人は無料になる肝炎ウイルス検診を受けてきた。今年は無料で受けられるがん検診もお願いしたが、こちらはカードが必要とのこと。カードは今年の3月頃に市の健康増進課から送られて来ているはずだそうだが、はて、行方不明だ。看護婦さんが健康増進課に問い合わせて、特定健診で採血するので前立腺がんの検診だけ一緒にしてもらった。他の検診をするなら、健康増進課でカードの再発行をしてもらって下さいとのこと。
 家に帰り、健康増進課に電話して事情を話して再発行してもらう。

 ヨドバシの通販サイトで購入した東芝の充電式ニッケル水素電池IMPULSEが、パソコンのマジックマウスに入れてもランプが点灯せずポインターも反応しなかった件でメーカーに問い合わせたところ、素早く代替品の電池を送ってくれた。充電済みとあるので、そのままMacのマジックマウスに入れてみたところ、やはりグリーンのランプが点灯しないので、これもダメかと思ったが、30秒程放っておくとグリーンのランプが点灯し、ディスプレイのポインターも動作した。一度電池を認識すると、普通に使えるようになる。ヨドバシカメラの通販で購入した電池も再度試したところ、30秒ほど放っておくとランプが点灯。しかし、これまで使っていたパナソニックのエネループライトは入れて1〜2秒でランプが点灯し、ポインターが反応する。
 「マジックマウス」「電池」で検索すると<Magic Mouse の電池を交換すると、その後でMacに再接続されるまでに時間がかかります >という記事があった。
 この電池を入れて反応するまで30秒ほどかかる原因が電池によるものなのか、マジックマウスによるものなのか、自分の使っているマウス固有の症状なのかわからないが、ヨドバシカメラの通販で最初に購入した4本パックのインパルスと検証報告をコンビニから宅配便でメーカーに送る。 ついでに郵便局へまわり、ホームページのスペースを借りているレンタルサーバーに一年分の使用料を振り込んできた。

 一昨日の参院選の投票率が50%を割った。それでも改憲勢力の3分の2を阻止し、山本太郎氏率いるれいわ新選組からは2人の議員が当選したので、今後に期待できる結果となった。れいわの得票率は2%を越えて公職選挙法上の政党要件を満たしたので、次の選挙ではもっとテレビでも報道されるだろう。もっとも「NHKから国民を守る党」からも1人当選し、得票率も2%を上回り政党要件を満たしてしまった。N国の政見放送をYou Tubeで観て、面白半分にノリで入れてしまった人も多いんだろうか。
 N国については古谷経衡氏の『NHKから国民を守る党』はなぜ議席を得たのか?が一番彼らの実像に迫っていると思う。

 ところで、今回の選挙結果を受けて自民党が理解しがたいコメントをしている。
自民 稲田筆頭副幹事長「消費税率引き上げに理解得た」
自民 二階幹事長「安倍首相の総裁任期延長 国民が期待」
安倍首相、憲法改正に言及「ちゃんと議論していけと国民の声もらった」【参院選】
 幻聴を聞き、幻覚を見ているのだろうか。 今回の自民党への票で示されたのは、選挙区でトップ当選した丸川珠代氏の「タピオカ容器の統一」くらいではないのか?
 今回の参院選の選挙結果はこちらに。

ネヴィル01

 ネヴィル・ブラザーズの長男、アート・ネヴィルが7月22日に亡くなったそうだ。次男のチャールズ・ネヴィルズも昨年の4月26日に亡くなっているので、四兄弟のうち残ってるのはアーロンとシリルの2人だけになってしまった。
 左の写真は、1996年11月14日に雑誌の仕事で撮影した。インタヴュー撮影できたのはアーロン(下左)シリル(下右)の2人だけだったが、インタヴューの後にアート(上左)とチャールズ(上右)の写真を撮らせてもらった。インタヴュアーは湯浅学さんだったかな?
  ホテルの一室での撮影で、四人揃って撮る場所も時間もなかったので、個別に撮った写真をフォトショップで合成している。
 下のライヴ写真はインクスティック芝浦で、1987年7月20日に撮影した。一番右側がアート・ネヴィル。

 アラン・トゥーサンが2015年の11月10日に、ドクター・ジョンが先月の6日に亡くなっている。ニューオーリンズの重鎮たちが欠けていくようで寂しいが、自分が知らないだけで若い才能もたくさん芽生えているのだろう。

ネヴィル02
 You Tubeから「Neville Brothers /Yellow Moon」「 Neville Brothers - Bro. John / Iko Iko /Jambalaya / Do You Want To Dance - 5/4/1991 (Official)」。

 20代の前半頃、童話や絵本に興味を持ち、専門店や美術書の充実している大型の本屋で色々と探して読んでいた。『かぜの ふく ひは/谷内こうた』(至光社)も、その頃に買った一冊だ。緑の中をざわざわと風が吹き抜ける頁をめくっていくと、最後に黄金色に輝く小麦畑が広がる。その鮮やかな構成に、ハッとさせられた。
 その谷内こうたさんが、今月2日、フランスで亡くなったそうだ。71歳だった。もう少し年齢が上の方だと思っていたが。週刊新潮の表紙の絵でお馴染みの谷内六郎さんの甥っ子にあたる。

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7月20日(土)

 一昨日起きた京都アニメーション 放火事件。34人が亡くなり、34人が重軽傷を負った。言葉もないが、ヤギヤスオさんのこのツイートが、全てだろうか。
  昨日から今日へと続いていた日常が、明日必ずしも続くという補償は何処にも、誰にもない。
中西棋住郎さんの個展案内ハガキ

 棋住郎展と書かれた個展の案内ハガキ。写真はボクで、デザインは中村とうようさんだ。93年の消印が押してあるので、もう26年も昔になる。
 とうようさんから、友人が個展をするのでそのハガキに使う写真を撮って欲しいと頼まれた。どういう風に撮って欲しいという指示はなく四角いトレーと、竹の箸、箸置きと丸いお皿を預かって家に帰った。その頃よくポートレート撮影に使っていた黒い布の上に並べ、近くの花屋でかすみ草を買って横に置いて撮った。
 
 中西棋住郎さんは、とうようさんの幼なじみだ。小学校の同級生らしいが、棋住郎さんの話しではとうようさんは小さい頃、身体が弱くて幼稚園だか保育園だかで一浪しているので、歳はとうようさんの方が一つ上だとお聞きした。そのことをとうようさんに一度尋ねたら、ムッとされた(笑)。
 確かとうようさんの文京区のマンションの入口にあった分厚い木製のドアは、棋住郎さんの作品で、文京区のマンションを引き払って八王子の一軒家に引っ越した時も、この木製のドアを使っていたと思う。
 そんなことで、棋住郎さんの個展の案内ハガキは、ずっととうようさんがデザインしていたそうだ。

 確かこの頃、棋住郎さんは還暦を迎えて定年退職し、これから好きな木工の作品造りに打ち込むため、西葛西の自宅マンションに小さなアトリエを構えていらした。そのアトリエで作業している様子も、一度撮影に行っている。
 個展は銀座で7月7日から12日まで開催されていて、一人で観に行った。その時の棋住郎さんの様子が少し疲れて見えたので、後日、編集部へ行った時にとうようさんに話した。
 それから暫くして、とうようさんから棋住郎さんが亡くなったという電話をいただいた。
 電話をいただいた次の日だろうか、とうようさんと2人で西葛西のマンモス団地の中にある棋住郎さんの家へ弔問に伺った。
 棋住郎さんの家に向かう道すがら、アレコレ話しをした。中西家にはお墓がないということで、とうようさんが心配していた。「俺は田舎に帰れば墓があるから、そこに入ればいいんだけどね」とも言っていたが、結局とうようさんは、新宿の東長寺にお墓を買ってそこに眠っている。
 「きはらくん、俺はせっかちだから信号無視して車に跳ねられて死ぬんじゃないかな」ともその時に言っていて、そんなものかと聞き流していたが、せっかちにも程がある最期だったので、とうようさんの訃報を知った時は本当に驚いた。

 明日、7月21日はとうようさんの命日だ。もう、亡くなって8年が過ぎる。人は二度死ぬという話しは、何かの時にとうようさん自身がとーようズ・トークでも書いていたように思う。一度目は肉体的な死、二度目は誰の記憶にも残らなくなった時。
 とうようさんについては、書き足りないことがまだあるので、またいつか。思い出しながら。

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7月17日(水)

 先日ヨドバシのネット通販で購入した、東芝の充電式ニッケル水素電池IMPULSE。パソコンのマジックマウス用に買ったので、昨日、マウスに入れてみたが反応しない。単3形4本パックで、充電済みとパッケージには印刷されている。しょうがないので家にあるサンヨーのエネループ用充電器に入れて充電。半日ほど充電してマジックマウスに入れてみたが、やはり反応しない。サンヨーのエネループをマウスに入れると反応するので、マウスが壊れているわけではない。試しにミノルタのフラッシュメーターに東芝のIMPULSEを入れてみると、メーターが反応した。マジックマウスと東芝のIMPULSEの相性が悪いとか、そういうこと??

 左の写真は、モモエリこと桃華絵里さん。ちょうど10年前の7月17日に撮影した。彼女を撮影するのはこの時が2回目で、この半年前にも出版社のスタジオで撮影している。
 キャバクラ嬢から雑誌「小悪魔ageha」の専属モデルになり、この頃は自分のアパレルブランドを起ち上げて実業家になっていた。
 様々な企業とタイアップしてイベントや商品開発を行なっていて、飛ぶ鳥を落とす勢いでメディアに露出していた。
 撮影のために出版社のスタジオに現われたときも、周りのスタッフの人数の多さにちょっと驚いた。
 雑誌の撮影は私服のバストアップを予定していたが、彼女が自分でデザインしたタイトなドレスを着た写真を掲載して欲しいということで、急遽スタジオにあった白のデコラ板でお立ち台を作り全身のポートレートを撮った。
 とりあえず気分をアゲアゲにするため、BGMはiPodに入れてあったキャロン・ウィラーの『UK Blak』をスタジオで流した。彼女の気分がアゲアゲになったかは、わからないが(笑)。

 ライオンにもたれかかっている写真は、「ペットと私」という当時担当していた雑誌の連載用に撮影したもの。静岡にある彼女の会社に行くと、いきなり巨大なライオンのぬいぐるみが鎮座していたので一緒に撮影したが、主人公は彼女の指にとまっているインコ。こちらは本物。
 久しぶりに彼女のブログを見たら、昨年、自分が起ち上げたアパレルブランド「モエリー」の社長を辞職して、新たに「モコアズ」というブランドを起ち上げたようだ。自分が商品を身につけてモデルになった写真をUPして、こまめにブログを更新している。今もシングルマザーのようだが、母は強しかな。

 昨年の8月6日に撮影した上村木の七夕祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら

上村木七夕祭01
↑アジロと呼ばれる神様たちと一緒に、七夕の竿を持った子供たちが地区を練り歩く。↓大正の初め頃、入善の吉原や芦崎で曳きまわされる屋形船を見て、自分たちもこんな祭りをやりたいと船を造ったのが祭りの始まりだという。
上村木七夕祭02

 広報紙印刷費名目の虚偽の領収書で政活費をだまし取ったとして詐欺罪で在宅起訴された、富山市議会の村上元議長の初公判が昨日開かれた
 個人的に不可解でしょうがないのは、印刷したという広報紙の現物が一切無いことだろう。自分の政治活動を広く知ってもらうための広報紙を作成したのなら、まずは自分の事務所にも記録として何部かは保存すると思うのだが。
 また、全部配布したにしても、配った相手に声をかければいくらかは保存されているもの出てきても不思議ではない。配った相手が全員直ぐに捨てたくなるような広報紙だったのだろうか?
 広報紙の単価や部数を記した納品書すらないのだろうか? 
 ポリタスの衆院選2019の特設サイトが開設されている。

 この他の、気になった記事を備忘録として。
安倍首相「韓国叩き」大誤算…関連株下落で日本孤立の一途
ヤジの市民を道警が排除 安倍首相の街頭演説中
本当のことなんか言えない(言えば排除される)
この声は小さすぎて 君の元までは届かない たとえそれを知っていても 叫ばずにいられない (選挙の話)
防衛省OBが辺野古受注3社に天下り 地盤改良業務 10年で7人
安倍首相が秋田で「イージス・アショアは必要」演説もデタラメだらけ! 筆者が直撃するも…
文書保存ルール 大臣もなし 全官庁で 廃棄、散逸の恐れ
「私は山本太郎に発掘されたノンポリ」 自民党議員一家で育った25歳女子が「れいわ新選組」を推す理由
福島第一の線量、誤って1000倍高く公表…28か月間

7月16日(火)

 雨こそ降っていないが梅雨らしい曇り空で、気温も上がらず。昨日から、今日のお昼は冷やし中華と決めていたが、肌寒さに負けて和風パスタに変更した。
 昨日は南砺市是安にある級長戸辺(しなとべ)神社の風祭り(例大祭)を撮影に行って来た。

7月15日(月)
 作物が順調に育つよう風を鎮め豊作を祈るお祭りが、富山にはいくつかある。一番有名なのは越中八尾の「おわら風の盆」だろうか。元々は八尾の町衆が、加賀藩から下付された「町建御墨付」を町の開祖であった米屋少兵衛から取り戻した祝いに三日三晩踊り明かしたことが始まりとされているが、現在は立春の日から210日の風の厄日(台風等の風の被害が多い頃)に、風神鎮魂を願って9月1日から3日までの三日三晩踊られる。
 この他にも、毎年6月の第1日曜日に南砺市井波にある八乙女山の山頂近くにある風神堂で風を鎮める祭典が行われている。この地方では3月から7月頃にかけて井波風と呼ばれる最大瞬間風速40mを越える強い南風が吹き、しばしば家屋や農作物に被害を与えた。この井波風は八乙女山頂にある風穴から吹き出していると信じられ、奈良時代に村人から懇願された泰澄大師(たいちょうだいし)が祠を建てて、風神を閉じ込めたと伝えられている。
 この八乙女山から西に7kmほど離れたところに、 級長戸辺神社がある。創建は1664年(寛文4)で、当時、秋の出穂期になると南風が吹き荒れ凶作と悪病が8年も続き、被害は180ヶ村にも及んだそうだ。そこで十村役だった野尻村の菊地六郎右衛門が加賀藩主の前田綱紀公に願い出て、山田野の御用林1.1ヘクタール(約5,300坪)を神社の境内地として藩からもらい受け、社殿が建てられた。それが不吹堂(ふかんどう)で、『ふるさとの風と心 富山の習俗』(桂書房)によれば<藩政時代は旧暦の六月十四日から三日間祭りが行なわれ、この日は高岡以南から十数万人の参拝があり、道路の両側に露店商が並んだ。また賭博が開帳されたことから「不吹堂の賭博祭」ともいわれた>そうだ。
 明治元年に不吹堂から級長戸辺神社に改称し、祭りは7月14日から16日までに変更となった。現在、例大祭は7月15日に執り行われている。
  例大祭(風祭り)の時間を知りたいのと撮影の許可を得るため事前に神社へ電話したところ、今年は御鎮座350年を記念して境内に手水舎を建立したので、その記念祭も執り行うということだった。
  350年記念祭は14時から。級長戸辺神社の最寄り駅は城端線の終点、城端駅。駅から1km以上離れているので歩いて15分はかかるだろうか。13時41分に到着する電車だと祭典の開始にギリギリなので、12時41分に城端駅に到着する電車で向かうことにする。
 朝から曇り空だが雨は降らない予報なので、自転車で城端線の戸出駅まで。 途中、スーパーに寄ってお惣菜コーナーで焼き鳥2本とおにぎり1つを買って食べて昼食に。戸出駅を13時5分の電車で城端駅に向かう。
 城端駅から家でプリントアウトしてきた地図を見ながら神社へ向かう。ちょっと道を間違えたこともあり、到着したのは13時頃だった。

級長戸辺神社
↑級長戸部神社。

 到着すると、境内は祭典の準備中。宮司さんにご挨拶して、神社役員の方から今日の式次第を一枚いただく。

例大祭(御鎮座三五〇年記念祭)式次第 令和元年七月十五日(祝) 午後二時

午後1時55分に神社(拝殿)前に集合

修祓           14時          神社前
手水舎清祓
手水舎除幕        14時10分頃      神社前
(宮司、山下会長、山田、松井、置田副会長、巫女5名にて除幕)
各自手水して神社正面より拝殿へ
例大祭(三百五十年祭)  14時40分頃      拝殿
宮司一拝・開扉・献饌
宮司祝詞奏上
参向使祭詞奏上
浦安の舞奉奏       15時20分頃
箏曲奉納         15時40分頃
尺八奉納         16時頃
宮司玉串奉奠       16時10分頃
参列者玉串奉奠
撤饌・閉扉・宮司一拝
感謝状贈呈(中越工業、山本設計事務所、山下克雄)
祭員退下 参列者神社正面より退出
鏡割り拝殿前にて     16時30分頃
(宮司、会長、中越工業社長、副会長3名、計6名にて) 神社前
拝殿前にて獅子舞奉納   16時40分頃       神社前
(城端信末地区)
福光餅つき太鼓奉納    17時頃          神社前
参列者神社より渡り廊下を通り直会会場へ        
直会           17時30分頃       社務所

↓御鎮座350年の記念に建立された手水舎。
例大祭の案内

 手水舎竣工式の祭典が始まる少し前に、社務所より神職が社殿の前に参進。
 拝殿の前に設けられた祭壇で修祓が行なわれ、手水舎が大幣と切り幣で祓い清められた。
 その後、手水舎の除幕式が行なわれ、神職から順に身を清めて拝殿に入る。

←社務所から社殿の前へ参進する神職。
↓手水舎の清め祓いと除幕式。

手水舎浄め祓いと除幕式
 手水舎の祭典が終わると、社殿で例大祭が斎行される。風の宮である同神社の7月の例大祭は、収穫前の作物が風の被害にあわないよう祈願するもの。12月5日には無事に作物が収穫できたことを感謝する新穀感謝祭(新嘗祭)が執り行われる。
例大祭 祝詞奏上
浦安の舞奉納

↑宮司の祝詞奏上(左)。参列者を代表して参向使が祭文を奏上(右)。

←小学校の女子による神楽「浦安の舞」奉奏。

↓稲葉雅楽佐智会(うたさちかい)による箏曲「飛躍」の奉納。

箏曲奉納
↓尺八の奉奏(左)、玉串奉奠(右)。
尺八奉納と玉串奉奠
↓感謝状贈呈式。→宮司挨拶。
宮司挨拶
感謝状贈呈
 社殿での祭典が終わると、350年記念の催し物として拝殿の前で鏡開きが行なわれ、お酒が振る舞われた。
↑酒を注いだ枡はプレゼントされ、飲み干した後にお持ち帰りできるようビニール袋も配られた。
獅子舞奉納
↑城端信末地区の獅子舞奉納。
福光もちつき太鼓01
福光もちつき太鼓02
←↑福光もちつき太鼓保存会の奉納演舞。最初に民謡「福光めでた」「俵つみ唄」を歌い、「祝い打ち」「もちつき太鼓」の演舞。もちつき太鼓は、源平合戦で越中在地の武士団の首領石黒太郎光弘、福満五郎光弘らの一族が義仲の軍に加わり、火牛の戦法で勝利をおさめ、その凱旋を祝って威勢よく餅をついたのが始まりだそうだ。詳細はこちら
福光もちつき太鼓03
↑もちつき太鼓で搗かれた餅は、きな粉をつけて集まった人たちに振る舞われた。
集合写真
 予定より少し早い17時15分頃には全ての奉納演目が終わり、神職や関係者の方々は直会に。
 高岡方面行きの電車が城端駅を17時49分なので、少し駆け足で駅に向かう。なんとか発車5分ほど前に駅に到着。戸出駅で下車し、駅にとめておいた自転車で、家へと帰る。携帯の歩数計は11,606歩だった。

*北日本新聞の記事
手水舎が完成
城端 級長戸辺神社
 南砺市是安(城端)の級長戸辺神社(山田宣道宮司)の手水舎が完成し15日、同神社創建350年の記念大祭に合わせて関係者が除幕式を行なった。
 手水舎は加賀建仁寺流の様式で屋根は銅板ぶき。手水鉢は小矢部川流域の石で作った。山田宮司、同神社敬神会の山下頌雄会長らが除幕した。
 大祭で福光東部小児童のみこ5人が浦安の舞、正派邦楽会の稲葉雅楽佐智会が箏曲、尺八奏者の片山瞠山さんが尺八の曲をそれぞれ奉納した。獅子舞やもちつき太鼓もあった。

7月14日(日)

 曇り一時雨。最高気温は24℃ほどだったらしい。暑くはないが蒸し蒸しする。
ヨドバシから届いた商品

 一昨日の夜にネットでポチッとし、昨日の午前中にコンビニから料金を振込んだ商品が、今日の午前中に届いた。あいかわらずヨドバシの配送は早い。
 今回注文したのはプリント用紙と充電できる電池。写真関係の消耗品は、アマゾンよりヨドバシで買う方が多いかな。

 昨日は午後から、滑川で開催されている「ふるさと龍宮まつり」へ。こちらも後々UPいたします。

ふるさと龍宮まつり
↑龍宮パレードでの、新川古代神踊りの町流し。
 気になった記事を備忘録として。
長野のイノシシの豚コレラ感染を確認
まるで旅行代理店の雰囲気 学生ローンに行列のワケ
毎日1200人減少…日本を襲う「出生数ゼロ」という深刻すぎる危機
野党議員は「反対ばかり」か? 地道な追及で公取委も動かした辰巳議員の質疑をマンガで振り返る
ハンセン病訴訟に関する政府声明全文

7月13日(土)

 ミュゼふくおかカメラ館安念余志子さんの写真展「うたかた」を見てから、滑川で今日と明日開催される「ふるさと龍宮まつり」へ。
 あいの風とやま鉄道では市町村のイベントとタイアップしたきっぷを発売しており、龍宮まつりも最寄り駅から滑川駅までの往復切符が1,000円で販売されている。
 初日の今日は11時50分からオープニング式典が行われているが、見たいのは龍宮パレードに登場する「やさこ」と「新川古代神」の町流し、それにステージでの新川古代神松明踊り。龍宮パレードは18時15分からだが、せっかくなら他の催し物も少し見ようと最寄り駅を15時37分に出て、途中富山駅で乗り換えて滑川駅に16時29分に到着した。
滑川駅

←久しぶりに下車した滑川駅。

 滑川駅から海の方に歩き、まつりのメイン会場となっているホタルイカミュージアムの敷地へ。
 飲食を中心としたブースが並ぶテント村があり、特設ステージでは匂い蜂のライブが行なわれていた。
  テント村の中に本部があり、あいの風とやま鉄道のタイアップきっぷを見せると先着順で手ぬぐいが貰えると書いてあったのでゲットした。

龍宮まつり ライブ
ウイニングダンス

↑匂い蜂(左)とテント村(右)。

←ライブの後は、ステージで15時15分から行なわれたダンス大会(一般の部)の結果発表と、優勝チームのウイニングダンス。

 お目当ての龍宮パレードまで時間があるので、テント村をウロウロしたり海岸の方を歩いたりして過ごす。

 18時少し前になったので、龍宮パレードのスタート地点に行ってみる。パレードの先頭は滑川の幼稚園、保育園の園児たちでみんな頭にホタルイカのお面をつけている。
 18時15分になってパレードの開始。園児たちが踊りながら駅前の通りを海に向かって歩いて行く。プログラムには新古代神踊りと書いてあるが、歌詞も曲も古代神とは関係なさそうだった。
 園児たちの列が終わると、今度は児童クラブ連合会の「やさこ」のパレード。やさこは行燈だと思うが、子供神輿のようなものだという人もいる。こちらの<宵宮の夜、櫟原神社への神迎えにあたり、神輿に祭神を移して戻る際に、各町内の子供らが作った鯛行灯(ヤサコ)が先導する。鯛行灯は、明治時代に子供らが紙を貼った籠にざれ唄を書いて、町中を囃し歩いたことが始まりとされる。この鯛行灯(ヤサコ)は氏子7町内から各1台、その他に手持ちの行灯が加わる。子供たちの行事で父母たちが付き添う。ヤサコの名称は神輿の掛声の「ヤッサヤッサ」から出たものらしい>という文章を読むと、福野神明社の春季例祭で登場する夜高行灯と同じ役割のようでもある。しかし、やさこのパレードを眺めていると新幹線の車両を模した乗物もあり、行燈の枠を逸脱した作り物になっている。龍宮パレードの一番最後は提灯を飾り付けたトラックが登場するが、まつりの関係者に聞くと、これもやさこで「企業やさこ」と呼んでいるそうだ。
龍宮パレード01
 園児、やさこの行列の次は、いよいよ新川古代神の町流し。通りの突き当たりに地謡のステージがあり、生唄での町流しだ。
 新川古代神については『とやまの民俗芸能』(北日本新聞社)に「滑川古代神は、伝承によると、滑川市大浦地区の某寺(西大寺との説もある)に古代臣という僧がいて、毎年、盆の八月十三日の夜、松明と提灯を持って寺院の前の墓地へ行き、読経をしながら松明などを振って精霊を迎えたのに始まるとされている」という記述がある。
 そして新川古代神には舞台用の歌詞として、この由来を歌ったものがある。

<前唄>
○ハイ目出度サァハイヤ ハ目出度サァハイヤ ハドウジャイナーハハ(ヤッタリトッタリ)
ヤッタリトッタリ 新川古代神で ヨイカノカンヤ(ヤァーサーサヨイカノカンヤ)

○ハァーこのや踊りのアノ説ですが 今から数えて三百年前に
寺の坊さんで古代神という人が 盆の十三日 ドウジャイナハハ(ヤッタリトッタリ)
お寺のお墓前 先生方や(サァーイアリャサイドッコイセ)

○ハァーろうそく着けたる提灯片手 火を着けたる松明持ちて
それを振り振り唄歌いながら 死んだ仏を ドウジャイナハハ(ヤッタリトッタリ)
お迎えします 先生方や(サァーイアリャサイドッコイセ)

○ハァーそして出来たがこの踊りです そして今なおアノ伝えられ
踊り歌われ ドウジャイナハハ(ヤッタリトッタリ)
アノおりまする 先生方や(サァーイアリャサイドッコイセ)

○ハァーこりゃマタドウジャイ皆様方よ わしのようなる三角野郎が
四角四面の櫓の上で 音頭取るとは ドウジャイナハハ(ヤッタリトッタリ)
そりゃよいけれど 先生方や(サァーイアリャサイドッコイセ)

○ハァー離れ座敷で泉水眺め ビールやお酒を林のごとく
好いたはいからさんにお酌をさせて 鯛の刺身で ドウジャイナハハ(ヤッタリトッタリ)
ハァ一杯飲んだような 先生方や(サァーイアリャサイドッコイセ)

○ハァーそんなわけにはいかないけれど 八十婆さん豆かむように
ポツリポツリと ドウジャイナハハ(ヤッタリトッタリ)
文句にかかる 先生方や(サァーイアリャサイドッコイセ)

 新川古代神は滑川では盆踊り唄で、昔から各地区の青年団が中心となって盆踊りに歌い踊られていたそうだ。
龍宮パレード02
龍宮パレード03

↑市内の中学生と各自治会による、新川古代神踊りの町流し。魚津の「せり込み蝶六踊り」と同じく、キビキビと素早い動作の踊りだ。

←パレードの最後は加積神社泉太鼓と書いた提灯を飾ったトラックと、青年会議所のトラック。これも「やさこ」と言われると、ますます「やさこ」が解らなくなる。

 20時頃、龍宮パレードが終了。パレードの途中から、ポツリポツリと小さな雨粒が落ちて来た。ステージでは20時30分から新川古代神松明踊りが行なわれる。小雨の中、ステージ前の椅子に座って始まりを待つ。
  雨が降り出したせいか、時間を少し早めての開演で、ステージの両脇から松明を持った男性の踊り手が登場。松明踊り、笠踊り、手拭い踊りと続き、最後はまた松明踊りを踊って終了となった。
新川古代神松明踊り01
新川古代神松明踊り02
 まつり会場から滑川駅へ。21時10分発の金沢行きに乗車するつもりだったが、20時55分発の高岡駅止まりの電車があったので乗車。一旦高岡駅で下りて駅のコンビニでパンを買って食べ、再び金沢方面行きの電車に乗って帰宅。
 携帯の万歩計によれば、13,982歩だった。
 北日本新聞の記事1記事2

7月12日(金)

 曇り。天気予報では最高気温が27.8℃となっていたが、強い風が吹いていたからか割りと過ごし易かった。

 まだデビュー前のGAOを撮影したきっかけがハッキリ思い出せないでいる。レイズインのレイ(長戸秀介)さんの紹介なのは間違いないんだけれど。
 三原順子がJUNKOに改名してロックバンドを始めた時に、GAOがステージでバックコーラスを務めていたのを覚えている。『SO DEEP/JUNKO』というロック色の強いアルバムには、コーラスとしてGAO FUJINOのクレジットがある。
 この時に初めて彼女を見て興味を持ち、GAOの単体ライヴを撮影に行ったのかもしれない。1985年頃だ。プロ・デビューして「サヨナラ」という曲がヒットした頃のGAOは全然知らない。家にテレビを置いてない時期が長くあって、邦楽もあまり聴いていなかったから。

 先日、You Tubeで杉本誘里が歌番組に出演している映像を見つけた。司会がつのだ☆ひろさんと三雲孝江さん。バックバンドを従えて歌っているが、バックコーラスはGAOだった。

GAO

 杉本誘里は、もともとロックを歌うアイドルの位置付けで一色ゆかりの名前でビクターからデビューしたが、その後、本格的なロック・シンガーに転向する際に杉本誘里に改名した。
 一色ゆかりの時代、1982年頃だろうか、しばらく彼女のバックバンドでドラムを叩いていた。でもアイドルの位置付けだったのでライヴそのものがあまりなくて、結局3回ほどしかやっていない。そのうちの1回は新宿ACBホールで、レコード会社の関係者を集めたお披露目ライブだった。一色ゆかりと一緒にステージに立ったのは浜田麻里で、まだ浜田麻里はデビュー前だったかも知れない。

 先月ライブを撮影したミュージシャンと本番前に楽屋で話しをしていたら、杉本誘里のバックバンドでベースを弾いていたと聞いて驚いた。今でも彼女と連絡をとっているようで、たまにライヴを見に来るそうだ。彼のスマートフォンに入っていた、最近の一色ゆかり(杉本誘里)の写真を見せてもらった。元気そうで、なんだか嬉しくなった(笑)。

←1985年頃のGAO。

一色ゆかりの映像

 今度は、関係者によって押さえられていてオリンピック開催中にホテルの部屋が予約できないと大騒ぎになっている。
 昨年の8月6日に撮影した本法寺の「法華経曼荼羅絵図」風入れ法要の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
本法寺の曼荼羅絵図風入れ法要01
↑無病息災を願い、曼荼羅絵図が収められた厨子の下をくぐる門信徒ら。↓風入れ大法要。
本法寺の曼荼羅絵図風入れ法要02

7月11日(木)

 昨日の午前、プリントをしようとプリンターの電源を入れたらメンテナンスカートリッジを交換するよう画面に表示された。メンテナンスカートリッジとは、ヘッドクリーニングやブラックインクの切り替え時に消費されるインクを吸収するカートリッジで、昔は廃インクパッドと呼んでいた気がする。今使っているSC-PX3Vは自分でカートリッジ(パッド)を交換できるが、以前使っていたPX-5500はメーカーに持ち込むか郵送して交換してもらうシステムだった。
メンテナンスカートリッジ

 メンテナンスカートリッジの予備があったので交換しようと思うが、初めてなので手順がわからずネットでエプソンのホームページにあるマニュアルを参照して、なんとか交換。それにしても新品のカートリッジは軽いのに、使用済みのカートリッジの重いこと。それだけ印刷に使われずに消費されたインクがたくさんあるということだ。

←使用済みのカートリッジ。ズシリと重い。

 昨日のお昼ご飯は、両親と妹、それに親戚のおばさんの5人で小矢部の台湾料理屋へ。食べ終わった後に、父親の運転で宮島峡の奥にある緑の村へ。このキャンプ場の傍に、俊寛塚があるという。
  俊寛は平安末期に京の法勝寺で執行(しぎょう)を務めていた僧都(そうず)で、1177年(安元3)、平家打倒の陰謀を企てた罪により、同志の藤原成経(ふじわらのなりつね)、平康頼(たいらのやすより)とともに、薩摩潟(鹿児島県南方海上)の鬼界島(きかいがしま)に流される。この流刑地の鬼界島については諸説あるが、奄美群島の喜界島にある俊寛のお墓を2011年の5月に訪ねたことがある。
  ところが、鬼界島に流刑が決まったが平教盛(たいらののりもり)の情けにより、教盛の所領であった越中宮島郷に隠し置かれたという伝説があり、小矢部の宮島峡に俊寛のお墓である塚があるそうだ。
 両親や妹、おばさんには駐車場で待っててもらい、緑の村の管理棟(恵林館)の裏を少し下りたところにある俊寛塚を撮影してきた。

↓→道を下りると広場のような場所があり、俊寛塚と彫られた石碑が建っていた。
俊寛塚02
俊寛塚01
 この俊寛塚のずっと手前に、俊寛杉と呼ばれるご神木のある神社があり、それも撮影したかったが母親が歯医者の予約をしていたので、一度家に帰り妹の車で再度宮島峡へ。
 俊寛杉のある神社は瀧之社で、案内板に由来が書いてある。

小矢部市指定文化財(天然記念物)
宮島の大杉 昭和四十年三月十六日指定

 別所滝之社の境内に生育する宮島の大杉は、幹周り六・六八メートル、樹高四十五メートルで、樹齢七百五十年と推定されています。
 枝葉もよく繁茂して樹勢もよく、宮島地区最大級の杉です。
 また、別名「俊寛杉」とも呼ばれ、平安の昔、平家討伐を企てたとして京から鬼界ヶ島(薩摩国)に流刑になったとされる僧俊寛が、実はこの宮島の地に流されており、その罪を許されて都に帰れるように祈って杉箸をさしたものが根を張り、大杉になったと伝えられています。

 平成十八年八月  小矢部市教育委員会

↓瀧之社。→俊寛杉。
瀧之社

 そして、境内には観音堂と呼ばれる小さな祠、社殿の奥には観音滝があり、こちらも案内板があったので引用させてもらう。

観音滝(かんのんだき)

熊野山から流れる小那智川の水流が、ここ別所滝集落の村社「瀧之社(たきのしゃ)」社殿の奥で落差10mの「観音滝」となり、小撫川に注いでいます。
紀伊(和歌山県)の那智の滝に似ているところから「小那智滝」とも呼ばれています。
境内の「宮島大杉(俊寛杉)」側にある観音堂には、治承元年(1177)僧俊寛と共に宮島峡久利須へ流罪になった平康頼(やすより)の守り本尊であった観音像が祀られています。
熊野権現を信仰した康頼は、観音像を祀り、那智の滝になぞらえてこの滝で修行し、流罪放免を祈願したと伝えられています。
滝の内側にある聖観音像は、昭和56年(1981)に建立されました。

 環境庁・富山県

*俊寛が流刑された1177年を安元3年とする説明と治承元年とする説明があるが、1177年の8月4日から元号が替わったからだろう。

↓観音堂。→観音滝。滝の右側に聖観音像が立っている。
観音滝
 瀧之社で俊寛杉と観音滝を撮影し、再び宮島峡の奥にある俊寛塚へ。全体的にこんもりとしている場所が塚(墓)だろうか。右側の木の手前にある石碑には「はなもみぢ みやこはいづこ はるかなり 野辺の假寝の 俊寛塚」と彫られている。
俊寛塚03

 ネットで検索すると『ふるさとガイド おやべ』という本に、<電々 の森横に、流刑の僧俊寛の塚を中心に庭石、歌碑、樹木が配置された俊寛石庭の庭がある。直径30cmばかりの枝が四方に広がっているボウダラセン(カラス サンショウ)の樹の下に建つ俊寛塚は200年以上も前から俊寛の墓と信じられてきたもので、ここには俊寛の屋敷があったといわれている。俊寛と共にこの地 に流された藤原成経・平康頼の二人は中宮御産の御祈の為に赦免を得て帰洛し、ただ一人残されついにこの地に果てた俊寛。樹木の影の中にひっそりと建つ俊寛 塚のそばに佇めば、悲哀に満ちた半生を送った都人の心があなたの心に伝わってくるのを感じるだろう>と記されているようだ。

 今日は午前中に近所の市立図書館へ行き、『久利須のさと/島田冨士弥』の俊寛について書かれた箇所を、申請書を提出して複写してきた。
 跳ばし読みすると砺波の景完教寺というお寺にも俊寛塚と書いた石碑があるが、これはモニュメントのようなモノのようだ。

久利須のさと

 それよりも、景完教寺には開基とされる了通が宮島峡で俊寛から譲り受けたとされる16歳の聖徳太子孝養像が安置されており、年に一度ご開帳されるそうだ。さっそくお寺に電話で問い合わせると、ご開帳は毎年4月10日だそうだ。また、この聖徳太子像は戦国時代に戦乱から守るために津幡町にある御手洗の池に石棺に入れて沈められていたという伝説も残っている。
 俊寛にまつわる伝説に、俊寛僧都を慕って集まった七件百姓、「八エ門」「七蔵」「孫蔵」「勘五郎」「長次郎」「九蔵」「勘九郎」が宮島に近い沢川(そうごう)の地に住居を求めて沢川村の開拓の祖となったというのもある。
 これについては『福岡の昔ばなし/福岡町教育委員会』の「七軒百姓」という頁に以下のように書かれている。

「みんなは、俊寛様というお坊さんを知っとるかい。八百年ほど前においでた人でなあ。それは偉いお人やったのだ。乱れた世の中をなんとかしようと考えなさってな、それには平家を倒すしかないと、仲間と相談なされたのじゃ。ところがじゃ、それが平家方に知られ、鹿児島県の南の鬼界ヶ島へ島流しにされたのじゃ。でも、俊寛様は、平教盛のなさけによって、教盛の所領であった越中の国、宮島郷の久利須にかくまわれなさったのや。そのとき、俊寛様をおしたいしてついて来た人々の中に、わしらの先祖の七人の侍がおいでたということや」
「七人とも久利須におると平家方に見つかりやすい。そこでいろいろと考えて、これからどうやって生きていけばよいか、占ってもろうたのや。その占いで、一山越えた福岡の沢川で百姓をしながら、俊寛様をお守りすることが一番よいとわかったんじゃ。七人の侍は、七人の百姓になったんじゃ」「七軒百姓の名は、八右衛門・七蔵・孫蔵・勘五郎・長次郎・九蔵・勘九郎と言うんだよ」
「ところがある夜、俊寛様が大切にしておられた金銅仏様が七軒百姓の夢枕に立たれて『我、汝等と共に、ここに鎮座す』とおっしゃったそうじゃ。
『これはただごとではない。俊寛様に何事かが起こっているしらせじゃ』と七人は胸さわぎを押さえながら久利須へ走った。しかし俊寛様は、すでに息を引きとっておられたのじゃ。七人は泣きながら遺体を葬ったあと仏様を背負って、雪の山を越えて沢川へおつれしたのじゃ。あの大きな銀杏の木のある愛宕社におまつりしてあるのがその仏様じゃ」

 沢川には、その七軒百姓のお墓もあると書いてあったと思うので、いつか訪ねてみたい。

7月9日(火)

 ジョアン・ジルベルトが6日に亡くなった。88歳だったという。彼が神様かどうかはわからないが、その歌声の深い包容力は唯一無二かもしれない。
 それにしても朝日新聞が「ボサノバの神様」で、東京新聞が「ボサノバの父」毎日新聞はほ、ほ、法王!?
 You Tubeから「
Desafinado/Joao Gilberto」「 João Gilberto - in Tokyo (2004)」。

 ミュージック・マガジン社から先日、ダンボール一つ分の写真が届いた。
 今年の2月に雑誌連載の一部が『レコードコレクター紳士録2』という書籍にまとまって、連載時に撮影した写真が一挙に戻ってきたのだ。
 撮影フィルムやプリントを返却しない出版社がほとんどの中で、撮影した写真の著作権はカメラマンにあるとしてミュージック・マガジン社は几帳面に返却してくれる。時には掲載誌より先に写真が返却されることもあって、驚いたことがある。
 今はデジタルなので撮影した写真データは手元に残るが、フィルム時代の撮影では出版社に渡したまま帰ってきていない、今となっては貴重なアーティストの写真がいっぱいある。

 帰ってきた写真は、古いのは25年ほど前のもので、普段は忘れているが「あ~この人撮った撮った」とプリントを見て思い出す。プリントに混じって写真データを焼いたCD-Rもあって、連載を担当していた最後の方はフィルムで撮影してスキャナーでデータ化、フォトショップでデジタル暗室作業したものを入校していた。

返却された写真01


 田中角栄元総理のご子息、田中京さんはプリントで入校したと思っていたが、データ入校したようでCD-Rがあった。せっかくなのでどんな写真だったか見てみようとパソコンに入れたが、エラーメッセージが出て開けなかった。CD-Rの問題なのか、パソコンのOSの問題なのか、フォトショップのバージョンの問題なのか。

←返却されたダンボール一つ分の写真。

返却された写真02
返却された写真03
↑右はジャズ評論家の瀬川昌久さん、左はⅬ⇔Rの黒沢健一さん。瀬川さんは1924年生まれなので95歳だろうか。ネットで検索すると、現役でご活躍のようだ。黒沢さんの写真には付箋がついていて、本人の顔写真はこれを使用して欲しいという事務所からの指示が書いてある。

↑カラーの方の写真は連載100回記念号の撮影で、サイケデリック・コレクターだった。「レコードコレクター紳士録」の連載用と、サイケデリック特集用に貴重盤ジャケットの複写があって2日間通った気がする。日本一(たぶん当時は世界一だったかも)のサイケデリック・レコードのコレクターだったが、どうされているだろうか。

 住民票を移してなくても投票できるという内容の記事が、昨日流れてきた。記事自体は2017年に書かれたものだが、今度の参議院選挙の投票率を少しでも上げようと誰かが流したのだろう。
 そういえば沖縄に移住していた2012年12月の衆議院選挙と、2013年7月の参議院選挙は高岡市の選挙管理委員会から不在者投票用紙を送ってもらって、那覇で投票したんだった。
 もともと奄美大島で1年ほど過ごす予定で、まさか奄美〜沖縄に4年も滞在することになるとは思ってもおらず、住民票はそのままにしていた。
 こちらから住民票のある選挙管理委員会に不在者投票用の宣誓書(兼請求書)を送れば、選挙管理委員会から不在者投票用紙や不在者投票証明書などが送られてくる。面倒臭い作業もなく、市役所に問い合わせれば丁寧に教えてくれるはずだ。

 ところで、テレビはいつ「れいわ新選組」を取り上げるんだろうか?
福井で感染イノシシ初確認 豚コレラ、岐阜県境の大野で
5カ月連続で賃金減、勤労統計 名目と実質ともに、5月

 昨年の7月29日に撮影した中陣のニブ流しの様子をPhoto Albumにしました。こちら

中陣のニブ流し01
↑舟を乗せた台車を引っぱりながら地区内を練り歩く子供たち。↓ニブ流し、といっても流すのは100mほど。
中陣のニブ流し02

7月5日(金)

 参院選が、昨日公示された。それに先駆けて、一昨日は日本記者クラブ主催の党首討論会が行なわれた。その模様をノーカットでアーカイブした動画がこちら。2時間と少々長いが、パソコン作業の合間に、ちょっとずつでも聞いてみることをおススメします。
  自公連立与党の掲げる政治の安定とは、自浄作用の働かない政治だろうか。本来ならばとっくに退場しなくてはならない人が、こんなにも居座っているのだから。
 テレビ各局でも党首討論が行なわれているが、時間が限られていることもあり言いっ放しだ。言った者勝ちで、本当にその主張に根拠があるのかわからない。 先月19日に行なわれた国会の党首討論で、年金について安倍首相は「民主党政権時代は一度もプラスがなかったんですよ」「アベノミクスの進展によって、もはやデフレではないという状況が出来たことを反映して今年度の年金は0.1%の増額改定となりました」と述べているが実態はコレ(民主党政権時代より下がっている)だ。
 最近、新聞の方ではファクトチェックが行なわれている。今日の琉球新報では、辺野古移設で「飛行経路は海上に変わる」という安倍首相の発言を検証している。
 東京新聞は <ファクトチェック 安倍政治の6年半>という連載を行なっていた。
<ファクトチェック 安倍政治の6年半>(1)憲法 要件緩和、教育充実… 変わる改憲項目
<ファクトチェック 安倍政治の6年半>(2)経済 GDP・勤労統計・求人倍率… 「成果」実情触れず
<ファクトチェック 安倍政治の6年半>(3)森友・加計問題 ゆがむ「政」と「官」 忖度の疑念 消えないまま
<ファクトチェック 安倍政治の6年半>(4)沖縄 民意無視、建設続く
 影響力のあるテレビも発言・主張を垂れ流すだけではなく、少し時間を置いてでも検証し発表して欲しい。もちろん、自民党だけではなく与野党含めて。

 唐突に打ち出された感のある、韓国に対する半導体の原材料などの輸出規制。昨日から実施されたようだが、輸出していた日本の企業にとっては取引先が減少してマイナスにしかならない政策ではないだろうか。韓国は対抗措置として、半導体製造に必要な機器の国産化を進めるため年間1兆ウォン(8544億1000万ドル)の投資を目指すという。

 この他の気になった記事を備忘録として。
「江戸相撲とは違う」女性角力チャンピオンはフランス人 沖縄の久米島で大会
1日食費300円、週5バイト、大学除籍も…大学生ら6000人中3割が仕送り・小遣いゼロの現実
この貧困、自己責任だもの 格差認め自民支える若者たち
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辺野古の利権マッピング - 基地問題を利用した壮大な利権ビジネス、税金バラマキプロジェクトだった、納得ですね
ベネズエラ「超法規的処刑」6800人 国連、即時中止要求

 自民党がドヤ顔の安倍首相の写真と<日本の明日を切り開く。>と書いた選挙ポスターをネットで大量に出稿しているが、今朝AFPの「うそをつくほど平気に」、不正直に脳が適応 研究という記事が流れていたので開いたら、まさにドヤ顔の安倍首相がそこにいた。good job!!
自民党のネット広告
 昨年の7月29日に撮影した芦峅寺雄山神社の夏季例大祭2日目の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
芦峅寺雄山神社の夏期例大祭2日目01
↑稚児巫女による献饌。↓2基のお神輿の前に担ぎ手の若衆が揃って記念撮影。
芦峅寺雄山神社の夏期例大祭2日目02

7月1日(月)

 一昨日沖縄が梅雨明けしたが、九州では南部を中心に災害レベルの大雨になっている。

 昨日、朝鮮半島の南北軍事境界線でトランプ大統領とキム委員長の3回目の会談が行なわれ、その後、ムンジェイン大統領を交えてのアメリカ、韓国、北朝鮮の3カ国による首脳会談が史上初めて実現した。
 ホスト役となった韓国大統領府は「きょうの南北米3首脳の出会いは歴史となった。立ち止まっていた米朝交渉にも弾みがつくと期待する。トランプ大統領とキム委員長の真摯(しんし)な努力を評価する」とコメントを発している。
 この電撃的な会談が行われた同じ日に、元東京都知事の舛添要一氏が<韓国の文在寅大統領の株がぐんぐん下がっている。アメリカも日本も、そして北朝鮮までもが、文在寅を無視しはじめている。大阪でのG20首脳会議で、安倍首相は文在寅との会談を拒否した>という文章で始まる「左翼ポピュリスト文在寅の落日」というトンチンカンな記事を書いている。
 あまりのタイミングの悪さ(良さ?)に気の毒にもなるが、これが国際政治学者の肩書をもつ人の見識のようだ。たぶん株が下がり続けて、国際的にも蚊帳の外になっているのは我が国の首相ではないだろうか。

G20で露呈した「外交の安倍」の惨状>という記事が流れてきた。中には首相本人だけの問題ではないものもあるが、自分の言葉で語れず官僚の書いた原稿を棒読みするだけの人物を、世界の要人たちが信頼し尊敬することはないだろう。ネットでは「外交の安倍」ではなく「原稿の安倍」と揶揄する声があがっているが、上手いこと言うなと素直に思う。
 地球儀を俯瞰する外交をうたいアチコチで多額のお金をバラまいているが、北方領土問題は明らかに後退し、アメリカからは不必要と思える戦闘機を爆買いさせられ、北朝鮮には会ってすらもらえない。

 一昨日、来日中のトランプ大統領が記者会見で日米安全保障条約について「不公平な合意だ。もし日本が攻撃されれば、私たちは日本のために戦う。米国が攻撃されても日本は戦う必要がない」と不満を表明した。そして、このことを「この6カ月間、安倍晋三首相に言ってきた」そうだ。
 しかし、トランプ氏がいうほど日米安保が不平等だろうか?在日米軍基地は日本を守るために置かれていると思っている人もいるようだが、在日米軍基地の役割はアメリカが世界で繰り広げる戦争の前線基地だ。沖縄の米軍基地から朝鮮半島、ベトナム、イラク、アフガニスタンへと軍用機が飛び立って行き、攻撃を受けた国から「沖縄は悪魔の島」とさえ呼ばれた。
 アメリカが世界で戦争を起こすための基地の駐留経費を負担し、尚かつ思いやり予算まで計上している。因みに尖閣諸島へのスクランブルは、米軍ではなく自衛隊のステルス機が那覇空港から飛び立って行なっている。
 米軍人による暴行や飲酒運転といった犯罪は無くならず、相変わらず部品落下や墜落と言った事故も起きている。基地によって守られているというより、基地があることによって脅威にさらされているのが実感だろう。
 昨日、6月30日は、うるま市の宮森小学校に米軍のジェット機が墜落してちょうど60年の慰霊日だった。嘉手納基地を飛び立った米軍機が墜落し、死者17名(うち児童11名)、負傷者210名(うち児童156名)、住宅17棟、公民館1棟、小学校の3教室を全焼、住宅8棟、2教室を半焼する大惨事だった。
 トランプ大統領はこの事故を知っているだろうか。

 国益を思うなら日米安保が不平等というアメリカ大統領に対して、日米地位協定の不平等を訴えるのが日本の首相の役割。それが外交だと思うが、「原稿の安倍」と呼ばれる人物に出来るだろうか。

泊外人墓地

↑メモリアルデー前日の泊外人墓地。お墓の前に星条旗の小旗が並んでいる。2013年5月26日撮影。

 この他の気になった記事を備忘録として。
景況感2期連続悪化 6月日銀短観 米中摩擦が影響
商業捕鯨31年ぶり再開 IWC脱退 年内捕獲枠227頭
記者が見た治安最悪のベネズエラ カメラ出せるのは一瞬
スマホ画面素材など韓国へ輸出規制 徴用工問題で対抗か
年金支給額は増えたのか 三原じゅん子議員の演説をファクトチェック
 昨年の7月28日に撮影した芦峅寺雄山神社の夏季例大祭初日の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
雄山神社 夏期例大祭初日01
↑初日は2基のお神輿が村内を貫く通りを巡行する。↓境内にある石舞台で稚児巫女が神楽「立山の舞」を奉納する。
雄山神社 夏期例大祭初日02

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