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バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

3月1日 本の返却期限
4月6日(土) 赤井の親子獅子舞 神楽岡神社 8時30分神社出発
4月13日 魚津八幡宮 御神幸 猿田彦
朝日町笹川の獅子舞 4月第2土曜日 8月第4土曜日? 朝日町の獅子舞
4月20日(土) 福光・宇佐八幡宮の春季例祭 宵祭り
4月21日(日) 福光・宇佐八幡宮の春季例大祭
5月2日 井波 よいやさ祭り 宵祭 映像
5月3日 井波 よいやさ祭り
5月4日(土) 加茂神社 やんさんま
5月18日(土)、19日(日)? 利屋町の天神祭り
5月24日 於保多神社 神幸祭(猿田彦) 8時30分〜祭典 9時〜巡行
6月1日、7月1日 瑞龍寺の一つやいと
7月6日、7日 舟見の七夕
7月15日 南砺市・是安の風祭り(不吹堂の祭り) 記事
7月22日前後の日曜日 重忠まつり 上行寺
8月7日 魚津市蛇田地区の七夕
9月第2土曜日 高岡市大坪町の獅子舞(熊獅子)
11月13日 お会式(餅柱) 上行寺

◯新川神社 1月? 寒中みそぎ
◯新川神社 御田植祭5月
◯高瀬神社 御田植祭5月 抜穂祭9月
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯埴生護国八幡宮、亀保里神社(長岡神社0766-67-1402)除蝗祭 6月
◯上市町 日石寺 7月1日 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯福岡町沢川の獅子舞 9月の第4土曜日?
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 10月下旬と11月下旬の日曜日 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯2019年 白山宮の本尊。秘仏十一面観世音菩薩をご開帳(33年毎)。
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
与論島の洗骨儀礼
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

3月31日(日)

 今日は大気が不安定だったのか、朝から激しい雨が降ったり快晴になったりを繰り返していた。
 明日元号が発表になるが、今日が平成最後の日だと勘違いする人がけっこういるようだ。元号が変わるのは5月1日からだ。
政府、最深地点でボーリング調査せず=辺野古地盤工事、揺らぐ根拠
 この政府、不都合なものは見なかったり調べなければ、なかったことになると思っている節がある。
 この他の気になった記事を備忘録として。
厚労省、実質賃金は当面公表せず 統計不正調査問題
辞任必至「竹田恒和」の正体
辺野古の海を埋めれば埋めるほど、国と沖縄の溝は埋まらない
「今も続く植民地主義」 研究者、自己決定権回復訴え 琉球処分から140年
山本太郎議員が切り込んだ59年前の密約問題。その質問を黙殺した安倍総理と河野外相
12歳長女への強姦で無罪判決 静岡地裁
山口敬之氏、伊藤詩織さんを相手にに1億3000万円の損害賠償を求め反訴
劣悪な労働環境で、続々と逃げ出す「外国人技能実習生」。4月から新たに介護・宿泊業も
在沖海兵隊、年100日超は海外 米公文書で裏付け
 声優の白石冬美さんが亡くなった。中学生の頃、深夜ラジオのパックインミュージックを聞いていて、野沢那智さんとのナッチャコパックを楽しみにしていた。そういえば野沢那智さんは・・・と思ったら2010年に72歳で亡くなっていた。「シバの女王」は、この番組で聴いたのが最初だったかな?この曲を聴くと、ちょっと10代の頃を思い出す。
 昨年の5月3日に撮影した井波よいやさ祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
よいやさ祭01
↑揃って庵屋体を出迎える家族。↓よいやさ祭には3基の大神輿と3基の子供神輿が巡行する。
よいやさ祭02

3月29日(金)

 昨日の夜、ショーケンこと萩原健一さんが亡くなったというニュースが流れてきた。また一人、ブラウン管の向こう側の人が消えてしまった。
由紀さおりさん

 小学生の頃にテレビで夢中になって観ていた歌手や俳優は、どこか違う世界の住人のようだった。テレビの向こう側にある煌びやかで、でもちょっと危険な匂いのする世界に住む人達。
 最近はテレビの歌番組やドラマをほとんど観ないのもあるが、特別な匂いのする芸能人が少なくなった気がする。会いに行けるアイドルなんていう言葉が生まれ、ネットやSNSが発達して知らなくてもいい芸能人の情報までが届いてしまう。垣根があって知らない方が、夢が見られて幸せなこともある。
 そういえばテレビの画面もブラウン管から液晶に変わり、今では有機ELか。どんどん薄くなっていく。幼い頃はテレビの下に行って画面を見上げれば違った風景を見れるんじゃないか?テレビの裏を開ければ誰か居るんじゃないか?と妄想もしたが、液晶や有機ELではそんな妄想も持ちようがないか。

 写真は由紀さおりさん。撮影したのは、たぶん30年ほど前だろうか?音楽雑誌の仕事だった。
 この写真と今の由紀さんを見比べても、あまり変わらないような気がする。自分にとって数少ない今でもブラウン管の向こう側の人。芸能の人だ。

 今日で59歳になった。いろんな人からFacebookに「お誕生日おめでとう」のメッセージをいただいた。ありがとうございます。鶴ひろみさんも、ECDも今日で59歳。来年は還暦だ。
 You Tubeから「エメラルドの伝説/ザ・テンプターズ」「由紀さおり/10Songs
 昨年の5月1日に撮影した高岡御車山祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
高岡御車山祭01
↑土蔵造りの屋敷が並ぶ山町筋を巡行する御車山。 ↓御車山の巡行では、安永4年に起きた曳山騒動で御車山の由緒を守り獄中死した津幡屋与四兵衛の顕彰碑の前で全ての御車山が立ち止まり参拝する。
高岡御車山祭02

3月25日(月)

 今日は曇りのち晴れで、最高気温は16℃まで上がった。いつの間にか日が暮れるのがずいぶんと遅くなった。
昨日の積雪
 昨日の朝、目が覚めて窓を開けると雪が降っていて、田んぼには少し雪が積もっていた。それでも直ぐに雪は止み、昼前には積もっていた雪も溶けていた。もう3月も終わり、きっと昨日が平野部ではシーズン最後の積雪だろうか?
 一昨日も岐阜県の養豚場で、豚コレラの感染が見つかった。一向に終息の気配が見えず、養豚業者の人は恐怖でしかないだろう。現政権の危機管理、対応能力が問われる事案だ。

◯誰も不思議に思わない

 『誰も不思議に思わない』は、富山県高岡市出身の作家・堀田善衛氏のエッセイ集で、誰も不思議に思わなくなったことが不思議だと、逆説的に付けられたタイトルだったと記憶する。スペインとポルトガルの旅から帰ってから氏の『カタルーニャ讃歌』や『スペイン断章』などを買っていた頃に、このエッセイ集も読んだのだと思う。もう30年以上前だ。

那覇の国際通り
↑2012年8月12日、那覇の国際通りにて。

 福島の原発事故後に除染作業員らにより集められた土を、土木工事などに再利用しようという記事が最近よく流れて来るようになった。環境省によれば中間貯蔵施設に搬入された約150万立方メートルの放射性物質を測定したところ、約80%が1キロあたり8000ベクレル以下だったことから、これらの土を道路の盛り土や農地の地下深くに埋める方針だという。ちょっと待って欲しい。福島の原発事故が起こる前は1キロあたり100ベクレル以上のものは黄色いドラム缶に詰めて厳重に管理されていた。その最大80倍も汚染された土が、なぜ再利用できるのか。急に出てきた8000ベクレルという数字を誰も不思議に思わないのだろうか?
 ちなみに、記事では<除染土8割「再利用可能」>と書かれているが、正しくは除染のために集められた汚染土8割だろう。

 福島第一の原発事故により海も山も汚染されたが、経産省は原発は温室効果ガスを排出せず環境への貢献で付加価値をもたらしているとして、原発支援の補助制度創設を検討しているそうだ。そもそも原発推進派は、原発は発電コストが安いと宣伝してきたのではなかったか?その原発に支援のための補助制度が必要とは不思議でしょうがない。

 関西電力が青森県六ヶ所村に建設中の再処理工場の事業費に加えて、まだ具体的な計画がないプルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料を扱う別の再処理工場の費用も電気料金に上乗せして徴収していることが分かったという。一般的に有りもしないものでお金を盗るというのは詐欺だとされるが、電力業界では当たり前のことのようで、九州電力の他、大手電力会社も追随するようだ。

 辺野古埋め立ての賛否を問う県民投票で埋め立て反対の票が投票の71.74%を占めたにもかかわらず、政府は今日の午後、新たな区域への土砂投入を始めた。
 辺野古については埋め立て予定地に軟弱地盤が見つかり約7万7000本の砂の杭を打つ工事が計画されているが、沖縄県の試算では総工費は2兆5500億円になるという。政府はそれほどかからないというが、具体的な工期や工費を示すことが出来ていない。土砂を投入する前に政府の試算を提示するのが先だろう。2兆5500億円という金額は大きすぎてイメージが沸かないが、2019年の国の予算が101兆4564億円(一般会計)だから国家予算の40分の一の規模だ。右派左派関係なく税金の使われ方として、単なる輸送機を駐留させるために2兆円を越える工費を投入することに疑問を持たないのだろうか。 

 手元に沖縄知事公室基地対策課が作成した『沖縄の米軍基地』と題した524Pに及ぶ分厚い資料がある。この中に普天間飛行場の所属機が掲載されている。
 内訳は空中給油兼輸送機15機を含む固定翼機が19機、ヘリコプターが25機、オスプレイが12機だ。この資料は平成25年3月に発行されたもので、空中給油兼輸送機15機は2014年に岩国基地に移転され、オスプレイは24機に増えた。今普天間に残っているのは殆んどヘリとオスプレイだ。
 今年1月6日のNHK日曜討論で安倍首相は、普天間で担ってきた三つの機能のうち空中給油機はすでに山口県の岩国基地へ移転、緊急時の外来機受け入れは本土移転が決まっており、オスプレイも訓練は本土移転を推進、整備は木更津を推進。機能を縮小していると語っている。
 普天間は海兵隊の基地で、オスプレイは単なる輸送機だ。普天間も辺野古もいらないと言うと、「抑止力はどうする」「どうやって国土を守る」と言う人がいるが、逆にオスプレイがどう抑止力になり、戦闘能力のないオスプレイでどう守るのか不思議でしょうがない。
 辺野古の軟弱地盤に7万7000本の砂の杭を打てば、その分泥が押し出されると思うが、その膨大な泥はどこで処分するのだろうか。 

 山本太郎議員の事務所が調査したところ社会保障の充実のために増税された消費税の内、実際に社会保障費に使用されたのは僅か16%だったそうだ。残りの84%は使途不明で山本事務所が内訳を問うと、内閣官房は「内訳は出せない」と答えたそうだ。「出せない」のか「出す気がない」のか。いずれにしても、それで国民が納得すると考えているのが不思議でしょうがない。

 気になった記事を備忘録として。
大韓航空労組 空港でスタッフ暴行の厚労省課長の謝罪と賠償要求
官邸の東京新聞弾圧。官邸は記者の質問権を制限するな<南彰氏>
自衛隊幹部が異様な低学歴集団である理由 中学校レベルの根性論とパワハラ
匿名で差別的ツイート、世田谷年金事務所の所長を更迭
葛西幸久(世田谷年金事務所所長)の画像や経歴!youboでネトウヨ発言を繰り返していた内容がヤバい
桜田氏、事実誤認で謝罪 震災時「東北道健全に動いた」
45歳以上に対し、早期退職・希望退職者募集の嵐が吹き荒れているということ
 昨年の4月30日に撮影した平成の御車山完成披露式の様子をPhoto Albumにしました。こちら
平成の御車山
↑テープカット。手前が2億8000万円をかけて作られた平成の御車山。

3月22日(金)

 春分の日の昨日、東京都心と福岡で桜の開花宣言が出された。そして昨晩、イチローが現役引退を表明
 昭和初期に旧帝国大学の人類学者らによって沖縄から持ち出された遺骨63体が、保管されていた台湾の国立台湾大学から返還されたという記事が昨日の琉球新報に掲載されていた。
 研究目的で人類学者によって無断で墓から持ち出された琉球人の遺骨は京都大学にもあり、こちらは遺骨の返還と損害賠償を求める争いにもなっている。
 また、遺骨は沖縄だけではなく奄美大島や喜界島、徳之島といった奄美群島からも持ち出されている。
徳之島のトゥール墓
 2011年の6月に闘牛を見に徳之島へ行った。その時に泊まった民宿のご主人が車でアチコチ案内してくれて、その中にトゥール墓もあった。トゥール墓は崖の窪みや洞穴を利用したお墓で奄美群島の島々に残っている。徳之島にはこのような墓はいくつもあるが、人骨が残っている墓はほとんど無くなったという。大学の研究者が勝手に持って行ってしまったそうだ。話しを聞いた時は俄には信じられなかったが、こうして沖縄や奄美の新聞記事を読んで納得した。
徳之島のトゥール墓。案内して下さった民宿のご主人によれば、このように人骨の残っているトゥール墓は珍しくなったそうだ。2011年6月11日撮影。
 奄美と沖縄に滞在している間、アチコチの離島や集落を訪れる度にその村の墓地も探して歩いた。特に奄美大島と加計呂麻島はよく墓地を訪ねた。
 内地では墓地は忌み嫌われる場所のように感じるが、奄美では住用村のような山間部を除けば多くの集落が海岸に面しており、その海を見渡せる一等地に墓地はある。一つには洗骨という儀式があるため海岸の近くに造ったのだろうが、先祖を敬う気持ちで海の見える集落の中でも見晴らしの良い場所を選んで造ったのだろう。今でも旧暦の1日と15日、すなわち新月と満月の日にはお墓参りをする習慣があり、墓地が生活の身近にある。
 与論島では火葬場が出来るのが遅かったので、今でも土葬のお墓がいくらか残っている。海岸の砂に亡骸を埋め、その上に龕と呼ばれる小さな小屋を置き、その周りに生前愛用した靴やステッキなどが飾られる。そして7年なり9年なりが過ぎた頃、亡骸を掘り起こして海水で洗骨し、改めて骨瓶に入れる。風で飛ばされないようにしてあるのか、骨瓶の上には珊瑚石が重石として乗せられている。
 骨瓶の上の部分が砂浜に整然と並んでいる風景は、清々しささえ感じさせる。与論のお墓を見て、なぜか死というものが自分の中で少し軽くなった。
与論島の土葬墓
与論島の土葬のお墓。土葬した上に、龕(がん)あるいは龕蓋(がんぶた)と呼ばれる小さい木の小屋が被せられ、生前に愛用していた靴等の品が飾られている。平成15年10月に火葬場が出来た事で、現在は火葬が主流に。前泊海岸に隣接する墓地にて。2011年8月21日撮影。

 奄美に住んでいた時に、図書館から島尾敏雄の本も何冊か借りて読んだ。小説は書かれている空気が重かったので、もっぱらエッセイを読んだ。『琉球弧の視点から』(講談社)もそんな一冊で、その中に収められた「奄美の墓のかたち」という一篇が印象に残っている。
 冒頭に<奄美の島々をまわっていて、こころひかれるもののひとつは、この地方の墓だ。そのそばを通るとどうしてもそこに立ちよってみないではおられない>と書かれており、そして次のような文章が続く。

<現在でも島々の随所にトゥールバカなどと呼ぶ洞窟がまだいくらか残っていて(島々の方言がかなりちがうから、その呼び名の発音も多様ななまりを持つ事になるが)、頭蓋骨や四肢の人骨の破片を見つけることがあるけれど、それはこの島々の葬法のなごりであることにちがいないだろうが、それはまた島の人々が死者に対するある特別な感情をいだき、かよわせるに適当な、あらわし方だったのではないだろうか。白くさらされた珊瑚虫骨片の堆積を白昼の砂浜で目にするたびに、私はどうしても人間の骨を連想しないではおれないのに、その中に融和したいふしぎななつかしい感情の起きてくるのが防げないのはなぜだろう。やがて私はそれと洞窟内の白骨との区別を失っていることに気がつく。沖縄から奄美の島々にかけて、改葬もしくは洗骨ととなえ、いったん埋葬した死体を適当な年数のあとで墓をあばき、腐肉のとれた骨を洗って骨瓶に入れなおす習慣があるけれど、それも、死後の白骨に対するなんといっていいかわからないある親密な感情がどうしてもそうさせるようにいざなうのだと思う>

与那国島の浦野墓地

 ガレッジセールのゴリさんこと照屋年之監督の映画『洗骨』が、先月から全国公開されている。
  今でも沖縄の小さな離島では病気になって本島の病院へ行くこともなく島の中で生涯を終えた人は、自然葬にされ洗骨されているのだろう。沖縄の巨大な門中墓の中にはシルヒラシという、遺体を安置する場所が設けてある。

 与論島の洗骨儀礼を取材したドキュメンタリーがあった。こちら

日本最西端にある与那国島の祖納集落にある浦野墓地。巨大な亀甲墓や破風墓が並んでいる。沖縄のこのような門中墓の中には、遺体を安置するシルヒラシと呼ばれる部屋が設けられている。二十四節気の一つ、清明(シーミー)になると料理を詰めた重箱を持ち寄った親族がピクニックのように墓の前に集まり祖霊と共食する。2014年1月11日撮影。
 昨年の4月29日に撮影した出町子供歌舞伎の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
出町子供歌舞伎01
↑真如院を出発してお練りを始める子供歌舞伎役者。↓神明社の境内で奉納上演の後、餅まきが行われた。
出町子供歌舞伎02
 気になった記事を備忘録として。それにしても日本、ボロボロだな。
賃金水準、世界に劣後 脱せるか「貧者のサイクル」
景気判断を3年ぶり引き下げ「輸出や生産の一部に弱さ」
「戦後最長景気」も10月増税も不変 茂木経済再生相
日本の幸福度、過去最低の58位 「寛容さ」足引っ張る
日本の年金生活者が刑務所に入りたがる理由
女性に乱暴の男性に無罪、静岡 「故意認められない」
除染土8割「再利用可能」 環境省試算 福島県内には抵抗感
韓国の空港で暴行トラブル 厚労省現職課長だった

3月18日(月)

 Mr.ロックンロール、内田裕也さんが昨日亡くなった

内田裕也さん
 大晦日から元旦にかけて浅草で開催されたニューイヤー・ロックフェスティバルは2回見ている。最初は1978年〜79年(かな?)で、ダディ竹千代&東京おとぼけcat'sが出演するので、ローディーとしてステージの脇から見ていた。全ステージが終了した後、内田裕也さんから出演者やスタッフにお年玉袋が配られ、ボクも一つもらった。
 2回目は1988〜1989年で、この時は音楽雑誌の撮影だった。この時は第16回のニューイヤー・ロックフェスティバルで、ローグや宇崎竜童、アナーキー、パンタ、ビートたけし、竹田和夫など20組ほどのアーティストを撮影している。考えてみれば、この時に撮影したアーティストも随分と向こうへ行ってしまった。安岡力也、シーナ&ロケッツのシーナ、ジョー山中、原田芳雄、桑名正博、そして裕也さんか。
 今年のニューイヤー・ロックフェスティバルでも裕也さんが車椅子から立ち上がり「ジョニー・B・グッド」を歌ったそうだが、今日はチャック・ベリーの命日じゃないか!
 ロックン・ロール日本代表と、ロックン・ロール・アメリカ代表の命日が17、18日と並んでしまった。
 樹木希林さんが亡くなって半年ほどか。津川雅彦さんも朝丘雪路さんの後を追うように亡くなってしまった。ちょっと似ていた気もする。写真は内田裕也さん。第16回ニューイヤー・ロックフェスティバルにて。
 追悼には、やっぱりこの曲かな「JohnnyB.Goods/Chuck Berry」。 

 リスボンの近郊にナザレという漁師町がある。夏は海水浴客で賑わう人気の観光地でもある。女性の伝統衣装はスカートの重ね着で7枚ほど履き、セーターをショールのように着ている。男性はチェックのシャツに黒の帽子で、長い帽子の先が垂れている。
 何年か前に偶然You Tubeでナザレを舞台にした『過去を持つ愛情』というフランス映画を観た。主人公の男女が観光客で賑わう夜の町を歩いていると、アマリア・ロドリゲスの歌う「Canção do Mar」が流れてくる。「Canção do Mar」は日本語訳だと「海の歌」になる。
 ネットに掲載されていた歌詞の意訳は、

 おいらは 自分の舟の上で踊っちまってたんだ
 むごい海の沖でだ
 そしたらよ 吼え立てている海が
(おいらに向かって)言うんだ
『てめは 盗ったんだぜ 何にも 
 替えることのできないあの輝き(あの女の愛)をだ 
(いま思い浮かべているあの女)のとてもきれいな目の(輝きをだ)』

 歌詞を読み解くのは難しいけれど、荒波の海を漕ぐ漁師や、時化で大切な人を失くした女性が浮かんでくる。『過去を持つ愛情』という映画を観てから、「Canção do Mar」はナザレの海を歌った曲かな、と思い始めた。
 ナザレは海岸沿いの町と標高110mの岩山の上にある町に別れていて、ケーブルカーで結ばれている。海岸沿いを歩いていても気づかなかったが、上の町から海岸を見下ろすと大きな波が押し寄せるのがわかる。ネットで検索すると昨年の4月30日に、ナザレでのサーフィンで波の高さが80フィート(約24m)に達したという記事を見つけた。
 漁師町ナザレのこの巨大な波は、これまでに多くの船も飲み込んできたのだろう。

↑1986年にイベリア半島を旅した時に、ナザレに5日間ほど滞在した。写真は伝統衣装を着て網を引くおばさんたち。
ドゥルス・ポンテス
「Canção do Mar」を初めて聴いたのは、アマリア・ロドリゲスのものではなく、2000年の5月に来日したドゥルス・ポンテスの方だった。
 5月18日にレコード会社で、彼女のインタヴュー写真とポートレートを撮影した。ポートレート用に用意したバックドロップに穴が開いているのを見つけた彼女は、洋服を着るように穴から顔を出し「My dress!」とおどけてみせた。Tシャツにジーンズというラフな恰好と気さくな対応からは、”新世代ファドの女王”という彼女に付けられたキャッチフレーズの重さや堅苦しさはなかった。
 ポートレートを撮影した翌々日の5月20日、彼女のコンサートを撮影した。たしか渋谷のオーチャードホールだったと思う。
 なんとなくポートレートを撮影した時の感じからフレンドリーなコンサートを想像していたが、ファドを演奏するには楽器の種類も人数も多いグループを率いて歌う彼女の姿に終始圧倒されていた。見事な歌声と堂々とした立ち振る舞いでステージに立つ彼女は、やはり新世代ファドの女王だった。
「Canção do Mar」はアマリア・ロドリゲスも歌ったが、ドゥルス・ポンテスの代表曲になっている。二人の歌う「Canção do Mar」を聴き比べてみるのも一興です。ドゥルス・ポンテスの「Canção do Mar」、アマリア・ロドリゲスの「Canção do Mar」。

 昨年の4月26日に撮影した五箇山の上梨集落と中畑集落の春祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
上梨の春祭り
↑上梨集落の春祭り。後ろに見える山にはまだ雪が残っている。↓中畑集落の獅子舞は二人立ちの金蔵獅子だ。
皆葎の春祭り
 インドネシアのロンボク島で、また地震があった。

3月15日(金)

 一昨日から昨日までヤフーのトップ画面に現われる「あなたへのおすすめ」は、ピエール瀧に関する記事が半分以上を占めていた。今日もあいかわらず断続的にピエール瀧の話題が流れてくる。ライブ中止、CM中止、テレビや映画はどうなる、違約金はいくらだといった話題でいっぱいだ。
 この間に、東京入管が緊急搬送が必要な収容者を迎えに来た救急車を追い返すだとか、政府が官房長官の記者会見で、記者の質問の制限や妨害を行っていることに抗議する集会が首相官邸前で開かれたことなどはほとんど報道されない。
 電気グルーヴのCDを販売するソニー・ミュージックレーベルズは彼らのCD、映像商品の出荷停止と店頭在庫の回収を決めたようだ。しかし、そんなことを誰が求めているんだろうか?今回の件でピエール瀧や電気グルーヴが嫌いになり彼らの音楽や映像に触れたくないという人は店頭に並んでいても買わないだろうし、それでも聴きたいという人には発売すればいい。出荷停止や回収を決めたソニーの判断はとても疑問だ。
ピエール滝

 ピエール瀧に関する記事で、興味深かった記事をいくつか備忘録として。
荻上チキさん、ピエール瀧容疑者の逮捕報道でメディアに苦言 「何を目指しているのか…」
坂本龍一さん「音楽に罪はない」 電気グルーヴ作品の出荷停止に、声を上げるミュージシャンたち

 1980年代の後半、雑誌「宝島」の撮影を時々していたが一番最初に撮影したアーティストが人生だった。人生は電気グルーヴの前身のバンドで、ピエール瀧も在籍していた。撮影したのはライヴではなくて、渋谷の丸井でのイヴェントだったかな?
 雑誌「ポップ・ティーン」で、電気グルーヴ対ヤンキーの女の子という企画があって2回ほど撮影した。最後は和解して電気グルーヴのライヴに女の子たちが招待され、確か楽屋で一緒の記念写真を撮った。当時のポップ・ティーン読者には、ちょっとヤンキーな女の子やパンクスの女の子たちも多かった。

 写真は、電気グルーヴでのピエール瀧。1991年11月17日撮影。

 世界から『ヴ』が消えるそうだ
 ヴという字を初めて意識したのは、ミュージック・マガジンにEarth, Wind & Fireのコンサート評を書いた時だ。もう30年以上前だろうか。曲名か人名か忘れたがビと表記したら、Vなのでヴですと担当編集者の加藤さんに指摘された。Vocalはヴォーカルだし、Bassはベースだ。以降、VかBかでヴにしたりビにしたりと書き分けている。
 世の中からヴが消えたら・・・電気グルーブか。

 この他の気になった記事を備忘録として。
嘉手納の騒音、年10人死亡推計 北大教授、WHO新指針で試算
準強姦で起訴の男性会社役員に無罪判決 地裁久留米支部
柏崎刈羽原発水漏れで再発防止策

 昨年の4月23日に撮影した下梨集落と皆葎集落の春祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
下梨集落の春祭り
↑五箇山で唯一お神輿のある下梨の春祭り。↓皆葎の獅子舞。
皆葎集落の春祭り
 今日、親戚の伯母さんが亡くなり遺影のプリントを頼まれた。フィルムのネガやデジタル・データではなく、ハガキほどのサイズの写真があるだけ。その小さな写真に写っている2センチ四方ほどの伯母さんをマクロレンズで複写し、パソコンで修正してプリントした。

3月12日(火)

 今月の15日、富山に神戸クックワールドビュッフェという食べ放題のレストランがオープンする。それに先立ち、3月8日から今日まで完全予約制のテストオープンがあり、一人税別400円というので家族で食べに行って来た。
 プレートに色んな料理を少しずつ取り、デザートやフルーツも食べてお腹いっぱいになったが、家に帰って振り返ると全部が少量なので、思った程には食べていないような気もする。

妊婦は残飯をあさり、富裕層は高級店へ ベネズエラの今
ベネズエラ、大規模停電続く 病院での死者相次ぐ
 カリブ海に面した南米の国・ベネズエラが、とんでもないハイパーインフレになっているという話題をSNSで初めて見たのが1年程前か。
 今年になって、過酷な状況を伝える記事がちらほらと流れるようになったが、テレビで報道されるのを観たことがない。たまたま見逃しているのか、ホントに報道していないのか。
 世界有数の石油産出国で、昔はなんとなく勝手に豊かな国だと思っていたが。 

コスタ・カリーベ
アンサンブル・グルフィーオ
 写真は1991年に来日したベネズエラの音楽グループ、コスタ・カリーベとアンサンブル・グルフィーオ。
 ちょっとググると、この来日の翌年にウゴ・チャベスがクーデター未遂を起し、1999年にチャベスが大統領に就任する。2013年にチャベス大統領の死去を受けて、マドゥーロが政権につく。そして今に至っている。
  今ベネズエラで起こっていることは、対岸の火事だろうか?
↑コスタ・カリーベ。バックで演奏しているのは、アンサンブル・グルフィーオ。You Tubeからアンサンブル・グルフィーオの音楽を。「Gurrufio en Vivo」。ブラジルのショーロ、インドネシアのクロンチョンと同じ香りのする音楽だ。

◯道案内の神 猿田彦(サルタヒコ)

 今年の5月1日、皇位継承に伴い「三種の神器」が新天皇に引き継がれる。この三種の神器は、邇邇芸命(ににぎのみこと)が高天原から降臨した時に携えて来たものだろうか。

 記紀神話に登場する、猿田彦という神様がいる。
 天照大神の命を受けて邇邇芸命が大神より授かった三種の神器を携えて高天原から高千穂へ天降る際に、道案内したのがこの猿田彦神だと言われている。
 神輿の御神幸の際に、この猿田彦が道案内する祭礼が県内にもいくつかある。お神輿の先導をしながら、時には道端にいる子供を追いかけまわしたりと道化役を担うこともある。
 5月17日、18日に行われる岩瀬曳山祭りで知られる岩瀬諏訪神社の春季例大祭では、神輿を先導して歩く猿田彦が登場する。猿田彦と一緒に、やはり神輿について歩く赤い仮面を被った者がいるが、こちらは鬼ではないかと思われる。

岩瀬の猿田彦と鬼
↑お神輿を先導する猿田彦(左)。猿田彦の隣り、左にいるのは鬼ではないだろうか。岩瀬曳山祭りにて2015年5月17日撮影(右)。
櫛田神社の猿田彦

 神輿の火渡りで知られる射水市にある櫛田神社の秋季例大祭にも、猿田彦がお神輿を先導する。櫛田神社の猿田彦は高下駄を履いているが、撮影した2017年は歩き難いのか途中で高下駄を脱いでしまった。

←高下駄を履いた櫛田神社の猿田彦。ちょっと足元がおぼつかない。2017年9月10日撮影。

 10月1日に開催される放生津八幡宮の秋季例大祭では、行道獅子と共に猿田彦がお神輿の前を歩く。
 4月19日の新川神社の春祭りには、「どべ」が神輿の露払いとして登場する。どべという名称で呼ばれているが、神社のホームページにも国津神である猿田彦と明記されている。どべは神輿の先導よりも、子供たちを追いかけまわす方が仕事のようだ。猿田彦の衣装は朱色や橙色が多い印象だが、どべは黒い鎧に黒の脚絆、頭には太い赤紐を巻いて赤い布を被っており、見た目も独特だ。
→子供たちを追いかけまわす新川神社のどべ。2018年4月19日撮影。
新川神社のドベ
放生津八幡宮の猿田彦
↑行道獅子と共にお神輿を先導して歩く、放生津八幡宮の猿田彦。2016年10月1日撮影。

 生地で7月下旬に行われる「えびす祭り」と10月26日に行われる「たいまつ祭り」には、メンダラが登場する。お神輿を先導しながら、周囲にいる子供たちを追いかけたりする。
 富山県教育委員会編集の『富山県の民俗芸能』に<道化役に願念坊がでて、願人舞と一般にいい、黒部市の沓掛で面ダラという。石川県白山麓でも面ダラという>といった記述がある。生地のメンダラは面ダラと書くのかもしれない。富山弁でダラは、バカやアホといった意味だ。ただし、生地のメンダラの姿形は願念坊ではなく猿田彦のようだ。

→生地たいまつ祭りで、炎の中を走り抜けるメンダラ。2016年10月27日撮影
生地のメンダラ02
生地のメンダラ01
↑生地えびす祭りにて、薙刀で子供の頭を撫でるメンダラ。2016年7月30日撮影。
浦山のナガ

 宇奈月町浦山にある鶏野神社の春と秋の例大祭には、神輿の先導役として行道獅子とナガが出る。ナガを天狗だという人もいるが、先導=道案内をするなら猿田彦だろうと思われる。実際、猿田彦の容姿は「鼻長七咫、背長七尺」と言われ、天狗の原型が猿田彦だという説もあるので混同し易い。

←鶏野神社の祭礼でお神輿を先導するナガと行道獅子。どちらも子供が担当する。2017年10月29日撮影。

 立山町にある浦田山王社の春の祭礼には、行道して練り歩く巨大な百足獅子が登場するが、この時に猿田彦と思われる者が登場する。富山大学人文学部文化人類学部研究室が製作した『霊峰に抱かれ生きる人々の伝統ー立山町の調査記録ー』によれば、黒衣に錫杖を持ち髪の毛が赤いのが天狗で、赤衣に斧を持っているのがバチと呼ばれる鬼とされているが、この天狗も、猿田彦ではないだろうか。
→浦田山王社の祭礼で行道獅子を先導する天狗。黒衣に錫杖を持っている。
浦田山王社の天狗
浦田山王社の鬼
↑左端の赤衣にお面を被っているのがバチと呼ばれる鬼。手には斧を持っている。2016年4月24日撮影。
 芦峅寺の雄山神社の夏季例大祭にも、神輿行列に同行しながら見物に来た子どもを驚かせたりする道化役が登場する。村の人は天狗と呼んでいるが、こちらも猿田彦と考える方が自然な気がする。
 一風変わっているのが、井波のよいやさ祭りの渡御行列に登場する猿田彦だ。先端に榊、その直ぐ下に猿田彦の面が取り付けられた竿を人が抱えて、旗や傘鉾などと共に進む。
芦峅寺の天狗と井波の猿田彦の面
↑神輿の先導役というより、道化者として人気な芦峅寺の天狗。こちらも天狗より猿田彦と考える方が自然な気がする。雄山神社の夏季例大祭にて、2018年7月28撮影(左)。井波のよいやさ祭りでは、渡御行列に猿田彦の面と榊を取り付けた竿を持った人が歩く。2018年5月3日撮影(右)。
 この他、5月24日に行われる富山市の於保多神社の神幸祭、魚津八幡宮の4月と9月の御神幸に猿田彦が出るようだ。魚津八幡宮の猿田彦だが、<天狗(地元では「ばち」と呼ばれている)を先頭にお神輿が氏子の各家々を一軒一軒まわる。赤い面の天狗は「猿田彦」といい、常にお神輿の前を歩き神様の道案内をする怪異な容貌の神である>という記述がある。立山町の浦田では鬼を「バチ」と呼び、魚津では天狗を「ばち」と呼んでいる。 

原発「絶対ダメという方と議論しても…」経団連会長
 経団連の中西会長は「エモーショナル(感情的)な反対運動について議論してもしょうがない」と言うが、むしろ廃炉費用や最終処分の方法や場所、コストなどを理詰めで問いただしているのが反対している側で、それにまともに答えられていないのが原発を推進しようとしている人達では?

3月10日(日)

 明日で福島の原発事故から8年になるが、政府はこの間に作業員が被曝に恐れながら集めた汚染土を再び日本中にバラまこうとしている。
 除染で取り除いた汚染土は福島県内だけで1400万㎥を越えるようだが、1kgあたり8000ベクレル以下のものは全国の道路や農地造成などの公共事業に再利用する計画を進めているという。
 汚染土を通常の土やアスファルトで覆えば追加被曝は年1mシーベルト以下に収まるという説明らしいが、汚染土に雨が滲み地下水を汚す心配はしないのだろうか。地震や土砂崩れでアスファルトが剥がれて汚染土が剥き出しになることを心配しないのだろうか。
 因みに、福島の原発事故前の基準であれば、1kgあたり100ベクレルを越える汚染土は黄色いドラム缶に詰めて厳重に管理されていた。バラまかれるのは、最大その80倍の汚染土だ。

 福島第一原発から出る放射性物質の放出量が前年比の2倍になったという。昨年1月までの1年間の放出量は4億7100万ベクレル程だったのに対し、今年1月までの1年間の放出量は9億3300万ベクレル程になったという。それでも国の基準を基に東京電力が厳しく定めたレベルを大きく下回っているそうだが、そもそも基準は何を基に作成されたのか。原発から放射性物質が放出されていること自体が異常なことで、安全な基準もレベルもあったもんじゃない。

 民間シンクタンク「日本経済研究センター」が福島第一の事故対応費用を試算したところ、経産省が2016年に公表した約22兆円という数字を大きく上回り最大81兆円がかかるとしている。

 超大盛りで知られる那覇の波布(ハブ)食堂が、今月の28日で閉店するそうだ。沖縄に住んでいた時はなるべく自炊していたし、波布食堂まではちょっと遠かったので2回しか行っていないが、定番の肉そばとカツ丼は食べている。
 どちらも食べきれなかったので、プラ容器をもらって家に持ち帰り晩ご飯にしたり、お酒のつまみにした。
↓→波布食堂の肉そば750円。
波布食堂の肉そば02
波布食堂の肉そば01
 那覇の波布食堂と並んで大盛りなのが、沖縄北部、辺土名にある波止場食堂で、こちらは今帰仁村へ民俗学のフィールドワークで通った時に寄ったりした。
 波止場食堂はオバさんが一人で切り盛りしていて忙しそうだが、他にお客さんの居ない手が空いてそうな時に「カツ丼、トンカツ2枚分は入ってるでしょ」と聞いてみたら、オバさんはして遣ったりとニコニコ笑いながら「2枚半」と答えた。
 初めて食べた時は600円だったが、しばらくして650円に値上がりしたがトンカツ2枚半使って650円でカツ丼を出していくら儲かるのだろうか???トンカツは揚げたてで、沖縄流の卵でとじた野菜炒めも乗っかっている。
波止場食堂のカツ丼

 琉球新報の記事で波布食堂のオバさんが「大盛りの理由は無い。少ないより多い方がいいさ。あえて言うなら気持ち」と答えているが、波止場食堂のオバさんも同じだろうか。「少ないより多い方がいいさ」ーーーこのテーゲーな感じが沖縄らしい。

←トンカツ2枚半使った波止場食堂のカツ丼。ネットで検索すると、今は700円になっているようだ。

 沖縄に住んでいた時に、一番食べに行ったのが若狭にあった高良食堂。波布食堂や波止場食堂のようにメガ盛りにはなっていないが、全体的にボリュームがある。
 高良食堂で初めて注文したのが700円のAランチ(沖縄のランチは一日中やっている)で、ご飯の上にスペアリブ、隣りにトンカツと天ぷらと目玉焼き、小皿に刺身が入って、沖縄そばがフルサイズで付いて来た。
 高良食堂でうな丼を注文したら、うなぎの下に天ぷらが一つ隠れていた。別な日に魚フライ・ソバ(沖縄そばのフルサイズにライス)付き600円を注文したら、魚フライの横に天ぷらが一つ乗っていた。この天ぷらはなんだろう?と思うが、きっと「ないよりあった方がいいさー」ぐらいの気持ちなのだろう。
 昨年の4月21日に撮影した菅沼・皆葎・上梨集落の様子と、相倉集落の裏祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
菅沼集落
↑世界遺産に認定されている菅沼集落。↓相倉集落の裏祭り。シシトリの子供の動きがキビキビしている。
相倉集落の裏祭り
ドコモが会員データ開放 7000万人分、協業先に有償で
 電話と万歩計とアラーム機能くらいしか使ってないから自分のデータなんて活用のしようもないだろうが、会員のデータを有料で他企業に売るって、docomo、やることは名簿業者と変わらんな。

3月8日(金)

 花粉症デビューは2009年の春だから、今年で11年目だろうか。ただ2010年〜2014年は杉の木のない奄美大島と沖縄に住んでいたので花粉症とは縁のない生活が送れていた。
 せめて花粉が飛ぶ3月、4月だけでも奄美や沖縄で過ごせたらな〜思うが、昨日の琉球新報を見てびっくりした。<やんばるに秋田杉 県人沖縄会の小松さん「ふるさと思い出す」
 かつて秋田から沖縄に秋田杉の苗が合計2万2千本贈られ、確認したところ現在もヤンバルの森に50本以上の秋田杉があるという。
 1962年1月に、沖縄戦で亡くなった秋田出身者を追悼する「千秋の塔」が糸満市摩文仁に建立された時、除幕式に訪れた当時の秋田県知事が戦争の爪痕が深く残り緑化推進運動を進めていた沖縄の惨状を見て贈ったものだそうだ。
 森の生態系を考えれば秋田杉を植えるのはどうかと思うが、あたたかい話しではある。
 昨日は国内の景気に関するショックな記事が続けて流れてきた。30、40代の貯金ゼロが23%もショックだし、国内景気が後退局面というのもショックだが、この期に及んでも「景気は緩やかに回復している」という認識に変わりはないという菅官房長官の発言が一番ショックだった。
 こんな政治が続くなら、長生きしてしまったことを後悔する未来も、そう遠くはないかもしれない。
Yae

◯Yae

 歌の上手い人だな、と思う。素直な歌い方で、彼女の母親よりも個人的には好みの声だ。
 撮影したのは彼女のデビュー・アルバム『New aeon』が発売された2001年で、この時にレコード会社からサンプル盤をいただいたのだが、今でもiPodに入れてよく聴いている。
 ギターは鬼怒無月さんで、バイオリンに太田惠資さんが参加している。ちょっとエキゾチックなサウンドで、アラブ風な味付けの曲もある。
 このアルバムを聴いて思い出したのが、彼女のお母さんの初めての著書『ろばと砂漠と死者たちの国』だ。28歳の多感な女性がテヘラン、ベイルート、カイロ、マラケシュと中近東を旅した本だが、この本を書いた女性が結婚してYAEが生まれ、その彼女が創り出す音楽が『New aeon』だったのは、自分の中ですごく納得がいった。

←Yae。2001年に撮影。

 この本を出版する直前に、28歳の女性は藤本敏夫と獄中結婚し長女を出産、3年後に次女である彼女が誕生している。彼女の本名は藤本八恵、お母さんの名前は藤本登紀子こと加藤登紀子という。You Tubeから「My Dear/Yae」。
 昨年の4月20日に撮影した五箇山・相倉集落の表祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
相倉集落
↑外国からの観光客も大勢訪れる相倉集落。↓神社での奉納が終わり、これから集落を練り歩く獅子舞の一行。
相倉集落の表祭り
 デストロイヤーさんが亡くなった。先日の山田スミ子さんといい昭和は遠くなりにけり・・・か。
 昨年話題になった映画『カメラを止めるな!』が日テレの「金曜ロードSHOW!」で放送されたので、久しぶりにテレビで映画を観た。

3月5日(水)

 もし、この国の総理大臣が、
「良い数字はもういいから。そこはうまくいってんだろう? 悪い数字はないのか。そこに困っている国民はいないか。そこで抱えている社会の矛盾はないか」
 そう問いかける内閣総理大臣がいれば、そもそも、こんな不毛な数値論争は、起きてないじゃないですか。
 表面的な言葉だけでなく、数値だけでなく、真に国民に寄り添い、国民生活を思い、国家の威信や国家の尊厳に勝るとも劣らぬ重要な国民生活への思い、民のかまどを憂う思いを、総理に求めたいと思います。

 上の文章は、小川淳也議員の根本厚生労働大臣不信任決議案趣旨弁明の一節。ちょっと長いですが全文読んでみることをおススメします。
 相も変わらず野党ガー、野党ガーと言っている人は、一度国会中継をキチンと観た方がいい。今問われなければならないのは、与党議員一人一人の姿勢だろう。
 統計調査は羅針盤のようなもので、この国が今どこに居てどんな状況かを確かめる指標だろう。そのために少なからぬ予算と時間と労力をつかって(それらは税金で賄われる)調査されるが、その統計を時の政権が恣意的に歪めるなら、この国は大海の中で遭難するだろう。
菅長官、「政府に都合が悪い意見」を言う東京新聞望月記者だけを無視、妨害。質疑可視化で明らかに
首相答弁を判定ブログ 「信号無視話法」論点すり替えは「赤」
オスプレイ 横田配備機種 重大事故率が上昇
岩屋防衛相「70メートル施工で安定」新基地工事 軟弱地盤の最深部届かず
辺野古 軟弱地盤を最深70mに修正 改良工事可能の考え 防衛相
「賛成意見を水増し」DL違法化、専門家が文化庁を批判
「小さな声」を切り捨てる社会が行き着く先にあるもの
新指標「修正エンゲル係数」を総務省が創造、富裕層の貯蓄などを支出扱いすることで近年の急上昇をなかったことに
 記事のタイトルを並べただけで、この国の壊れっぷりがよくわかる。

◯神は巡る

 2017年の10月、宇奈月町浦山にある鶏野神社の秋季大祭を撮影に行った。土砂降りの雨の中、天狗の面をつけたナガ(猿田彦だろうか)と呼ばれる先導役と露払いの行道獅子を先頭に、幟旗を立てたリヤカーを合羽を着た子供たちが引いて歩く。その後ろを大きなビニールを被せたお神輿がゆっくりと進む。
 浦山は農村地で駅前の家が建ち並ぶ通りを外れると、田んぼと田んぼの中を通る農道になる。家もなく人影もない道を、それでも神霊を乗せたお神輿の行列は村の安寧を願って静かに進んで行く。その光景は、何だかとても神々しく美しかった。

鶏野神社のお神輿
↑人影もない農道を、雨の中、静かに進む神輿行列。2017年10月29日、鶏野神社の秋季大祭にて撮影。
 下タ北部地区(旧細入村)にある布尻と隣接する町長では、ご神体である木製の小さな鍬を一年毎にそれぞれの神社に移す伝統行事「お鍬さま祭り」を毎年5月19日に行っている。その際に使われるのは小さな社殿に棒を2本突き刺した簡素なお神輿で、小さな社殿の前後を二人で担いで進む。2016年に見に行った時は、町長の住民が布尻にある布尻神社まで御輿を担いでご神体を迎えに行った。布尻神社でご神体をお神輿に移すと、町長にある町長神社へ戻るが、途中にある家々から人が出てきてご神体を安置したお神輿の下を潜る。神輿の下を潜ることで一年間無病息災で過ごせるという。来年布尻の住民が迎えに来るまで、ご神体は町長神社に安置される。
→専用の車に搭載された、福野神明社のお神輿。2017年5月3日撮影。
福野神明社のお神輿
↑布尻・町長のお鍬さま祭り。無病息災を願って、ご神体を安置した御輿の下を潜る。2016年5月19日撮影。
 神社の神霊が、町内や御旅所へ渡御する際に使われるのがお神輿だ。嘗ては肩に担ぎ上げて移動していたが、現在は祭りに参加出来る人が減ったこともあり、台車に乗せて運んだり、専用の自動車を造って荷台に乗せている神社もある。
 町内神輿なら山王さんで知られる富山市の日枝神社の春季例大祭や、魚津八幡宮の献灯神輿祭りの町内神輿が肩に担がれているが、大きな宮神輿をずっと担いで練り歩く祭りは、今では福光宇佐八幡宮の春季例大祭、井波のよいやさ祭、芦峅寺の雄山神社の夏季例大祭など限られるのではないだろうか。 
 沖縄で参加した民俗学のフィールドワークで「祭りは生き物」と博物館の館長さんが述べていらしたが、確かに祭りは時代の移り変わりを経て変化して行く。
山王祭と魚津八幡宮の町内神輿
↑富山市の日枝神社の山王祭に登場する町内御輿。かつてははだか神輿もあったが、近年は出ないようだ。2015年6月1日撮影(左)。魚津八幡宮の献灯みこし祭りに担がれる町内神輿。神輿の周囲にボンボリが飾り付けられている。町内を巡行した後、一基ずつ拝殿の前でお祓いを受け、スロープを駆け上がって拝殿の中へ突進し荒々しく神輿を揺さぶる。2017年9月16日撮影(右)。
福光宇佐八幡宮の神輿と井波のよいやさ祭
↑福光宇佐八幡宮の春季例大祭。「ヨイヤサー ヨイヤサー」と声を上げながら約1トンのお神輿を担ぎ、12時間ほどかけて町内を練り歩く。2018年4月15日撮影(左)。よいやさ祭で知られる、井波八幡宮の春季例大祭。3基の大神輿と3基の子供神輿が出るが、全て人が担いで巡行する。2018年5月3日撮影(右)。
芦峅寺・雄山神社の神輿練り
←芦峅寺にある雄山神社の夏季例大祭は2日間かけて行われ、2基のお神輿がくり出す。初日は村内の大通りを巡行し、2日目は境内を巡行する。その際、それぞれ神輿に乗せた御霊代を大宮と若宮に還すが、還してから祈願殿に戻るまでの時間を2基の神輿が競う。2018年7月29日撮影。
 神霊を運ぶ祭具は神輿だけではない。10月1日の放生津八幡宮の秋季例大祭で、新湊の曳山祭りが行われるが、それに先立ち前日の9月30日に放生津八幡宮の境内で海上から神霊を迎える霊迎式が行われる。篝火を焚いて迎えた神霊は御船代(みふなしろ)という舟の型の輿に乗せられ、臨時の祭壇である築山まで運ばれる。伊勢神宮の式年大祭で、ご神体を新しい正殿に遷宮する際に用いられるのも御船代だ。
 4月23日に催される二上射水神社の春季例大祭でも、社殿の前から神霊を移した3基の御船代が境内に設えられた築山の前まで神幸する。
 7月19日に行われる富山市四方のえびす祭りでは、航海安全と豊漁を願って神職が漁船に乗って東西2ヶ所の漁場で祈願する。その際、恵比須神社のご神体を御船代に移して漁船に運び入れる。
放生津八幡宮の霊迎式と二上射水神社の築山行事
四方のえびす祭り
↑新湊曳山祭り前日の夕方、放生津八幡宮では霊迎式が行われる。境内に篝火を焚き、海上から祖神を迎えて御船代に降ろし臨時の祭壇である築山へと運ばれる。2016年9月30日撮影(左)。二上射水神社の春季例大祭で行われる築山行事では、社殿から築山までご神体を乗せた三基の御船代が渡御する。写真は築山での神事が終わり、社殿へと還御するところ。2016年4月23日撮影(右)。
↑富山市四方のえびす祭り。恵比須神社のご神体を入れた御船代を漁船に積み込み、東西2ヶ所の漁場まで運んで航海安全と豊漁の祈願が行われる。2017年7月19日撮影。
 4月下旬に行われる入善町芦崎のえびす祭りや、8月の入善町吉原の恵比須祭りでは屋形船に小さな社殿を乗せた輿に、ご神体を移して町内を巡行する。その際、ところどころで屋形船を前後左右に揺らす。これはお神輿を荒っぽく揺らすことで神霊に霊威を高めてもらうのと同じ発想だろう。
芦崎えびす祭りと吉原恵比須祭り
↑芦崎えびす祭りの名で知られる入善町芦崎地区にある諏訪神社の春祭りには、縁起物の鯛や打ち出の小槌の張り子を飾り、小さな社を乗せた屋形船が町内を練り歩く。社に安置されるご神体は、彩色された恵比須像だ。2017年4月22日撮影(左)。入善町吉原の恵比須祭りでは、帆を揚げた船にご神体を乗せて漁業関係者のところや公民館といった御旅所をまわる。船は北前船を模したものだという。2017年8月26日撮影(右)。
 高岡御車山祭の宵祭りの夕方、二番町の神迎えが行われる。関野神社から二番町の山宿までご神体が運ばれるが、この時に使われるのが唐櫃(からひつ)と呼ばれる祭具だ。脚の付いた箱で、棒を通して二人で担ぐ。
 千保川の灯籠流しが行われる8月16日、中島町の公民館の中に水天宮の祭壇が設けられ、有磯正八幡宮に預けられたご神体が運び込まれ、祭典が営まれる。この時に使われるのも唐櫃だ。
 山町筋にある通町では毎年8月19日、20日に夏祭りが行われる。嘗て通町にあった産霊社(むすびのやしろ)のご神体が現在、関野神社に預けられており、そのご神体が御旅所となる通町御車山交流館に里帰りされる。その時に使われるのも唐櫃だ。
 19日の夕方、関野神社へ迎えに行き、20日の夕方にお帰りになる。その際、ご神体を納めた唐櫃が町内の隅々まで巡行する。この夏祭りは明治時代初期まで産霊社祭と呼ばれていたが、その後、通町御車山本座に飾られている布袋和尚の人形に因んで布袋祭となった。
 他の山町筋の各町でも関野神社に預けてある守護神を迎え行き、町内に設けた祭宿にお泊まりいただく夏祭りは行われていたが、近年は少子高齢化もあり神事が簡略化されたり、夏祭り自体が廃止になっているそうで、その中で比較的古くからのスタイルを継承しているのが、この通町だと言われている。
二番町の神迎えと水天宮祭
通町の布袋祭
↑高岡御車山祭の宵祭り。関野神社から二番町の山宿へ、曳山に乗せるご神体が唐櫃に入れて運ばれる。2017年4月30日撮影(左)。千保川の灯籠流しが行われる日、川沿いにある中島町公民館の中に水天宮の臨時の祭壇が設けられ、有磯正八幡宮に預けられているご神体が運ばれ祭典が行われる。写真は祭典が終わり、ご神体が唐櫃に入れられて有磯正八幡宮へ還御されるところ。2017年8月16日撮影(右)。
↑山町筋にある通町の布袋祭。8月19日、20日の2日間、関野神社に預けられているご神体が町内に設けられた祭宿に里帰りされる。その際、唐櫃に入れられたご神体が町内の隅々まで巡行する。2017年8月20日撮影。

 鉄砲町・白銀後町の天神祭りが8月の第3日曜日に開催される。鉄砲町も白銀後町も旧町名で、現在は鉄砲町の一部と白銀後町の一部は末広町、残りは白金町になっている。
 ご神体は天神様の掛け軸で、嘗ては唐櫃に入れて町内を巡行したが、今は小さな社に移し専用のリヤカーのような台車に乗せ、子供たちが引いてまわる。

 11月の第3土曜日、漁師町の放生津(新湊)では澗立(またて)と呼ばれる漁法ごとに作られた漁師の組合の間で、ご神体のえびす絵像が頭屋から頭屋へと渡される伝統行事「澗建のえびす様渡し」が行われる。一年間お預かりした頭屋の家へ、次にお預かりする澗建の若い衆が迎えに行き、一年間お預かりする頭屋へ運ぶ。えびす絵像は厨子に入っており、その大きな厨子を若い衆が背中に担ぎ、落とさないように太い紐で括り付ける。
 すっかり暗くなった夜道を祭主である西宮神社の宮司と共に、正装し提灯を持った漁師達に囲まれてご神体を納めた厨子が港町を巡る光景は、とても厳かだった。

 祭具を使わず人の手で神幸する祭礼がある。5月4日に行われ、やんさんま祭りの名で知られる、射水市にある加茂神社の加茂祭だ。加茂神社の祭神は玉依姫命、加茂建角身命、加茂別雷命だが、祭典では3体のご神体が社殿から出て境内の御旅所まで神幸される。ご神体は棒に紙垂がフサフサに付いたもので、息がかからぬように口にマスクをした氏子が手に抱えて歩く。真っ白な紙垂を身に纏ったご神体が、3体並んで境内を進む姿は清楚で美しかった。

鉄砲町・白銀後町の天神祭りと澗建のえびす様渡し
加茂神社のやんさんま祭
↑鉄砲町・白銀後町の天神祭り。昔は夜にご神体を唐櫃に入れて町内を巡行していたが、現在はご神体(掛け軸)を小さな社に安置し、リヤカー風の台車に乗せて子供たちが引いてまわる。2018年8月19日撮影(左)。放生津の漁師の間で伝わる、澗建のえびす様渡し。これから一年間ご神体を預かる頭屋の若い衆が、大きな厨子に安置されたご神体のえびす絵像を背中に括り付けて運ぶ。2016年11月19日撮影(右)
↑やんさんま祭の名で知られる、射水市加茂神社の加茂祭。神幸式では、息がかからぬようマスクをした氏子の手によって3体のご神体が社殿から境内の御旅所まで渡御する。2015年5月4日撮影。
 昨年の4月19日に撮影した新川神社の春祭りの様子と於保多神社、鵜坂神社をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
新川神社の春祭り01
↑神輿を先導するドベは、時に子供を追いかけまわす道化の役もこなす。↓町練りの時は台車に乗せられて巡行するが、宮入りの時は担いで境内に入る。最後は「ワッショイ ワッショイ」の掛け声と共に神輿を大きく揺さぶる。
新川神社の春祭り02
 元吉本新喜劇の山田スミ子さんが亡くなったそうだ。テレビで一番吉本新喜劇を観ていた時の女優さんだ。小学校から帰って来た土曜の昼、楽しみだったな〜。

3月3日(日)

 桃の節句。一般的には、ちらし寿司と蛤のお吸い物で祝うようだが、晩ご飯は回鍋肉を作って食べた。
 今日まで町内の「ひなまつり」で、おひな様の展示や古民家でのライヴもあったが、花粉が怖いので一日中家に引きこもっていた。3月いっぱいは余程の用事がない限り家に居ることにしている。
おひな様01
おひな様02

↑初めて見た時はちょっと衝撃的な飾りつけだったが、見慣れてくるとこれはこれで (笑)。今年は飾りつけが遅く、昨日出したばかりなので、もうしばらく飾っておくのだろうか。
 額に入ったお雛様の絵(リトグラフだったかな?)は、友人の音楽家夫婦の結婚式の引き出物にいただいた。

←昨年からお内裏様が増えて、二組になった。

 尾崎豊の遺品である愛用のピアノが、富山市民芸術創造センターに寄贈され、1階ロビーに展示されているそうだ。朝日新聞の記事

 飛鳥新社から『尾崎豊MEMORIAL PHOTOBOOK』が発売された時、彼の遺品をたくさん撮影した。ピアノはなかったが、愛用のギターや衣装、彼が子どもの頃に描いた絵やノートの走り書きなどの複写もした。
 この写真集は彼が亡くなって3年半くらい後に作られた本で、飛鳥新社が発行していた雑誌「ポップ・ティーン」で過去に撮影したポートレートやコンサートの写真などに、彼のお父さんから預かった遺品を新たに撮影して構成されている。
 ポートレートと1988年の東京ドームのコンサートは川本満雄さん、1987年有明コロシアムのコンサートと遺品の写真がボクの撮影だ。
  尾崎豊の音楽については、撮影した頃もそれほど興味がなくてアルバム一枚持っていなかった。

 有明コロシアムの写真はポップ・ティーンだけではなく、他の雑誌でも使用され、『尾崎豊MEMORIAL PHOTOBOOK』に入れられた。その時に、なんだか申し訳なくて『YUTAKA OZAKI TEENBEAT BOX』というCD4枚組のボックスセットを購入した。端正な歌い方をする人だと思ったが、やはり彼の作る曲にシンパシーを抱くには自分が年を取り過ぎていたし、あまりに直球な言葉が眩しかった。
 1992年に26歳で亡くなった。もう彼が生きていた時間より、亡くなってからの時間の方が長くなった。今彼が生きていたら、どんなミュージシャンになっていただろう。佐野元春や浜田省吾の存在が頭を過るが、また違った音楽をやっていただろうか。それとも違う表現手段を手に入れていただろうか。 

 『尾崎豊MEMORIAL PHOTOBOOK』には、もう一つ目玉があって渡航先のホテルの部屋で彼が一人、ラジカセに吹き込んだ独白を収録したCDが付いている。CDは表紙の中に密封されているが、取り出して聞いたことはない。これから先もないような気がする。
  写真は、1987年8月の有明コロシアムのコンサートから。

 You Tubeから1987年の有明コロシアムのコンサート「15の夜」「Forget-me-not~I LOVE YOU」。
 昨年の4月15日に撮影した福光宇佐八幡宮の春季例大祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
獅子舞
↑福光の獅子は、胴幕と獅子頭が紐で結ばれており加賀(金沢)獅子の系統だろう。↓お神輿の巡行は半日かけて11kmを歩く。担ぎ手は25歳、42歳、61歳の厄年の男性と42歳の後厄の男性で行って来たが、人手確保のためにこの年から42歳の前厄の男性も加わったそうだ。
神輿渡御

3月1日(金)

 今日から3月。午後、確定申告の書類を郵便局から郵送し、図書館へ借りていた本を返しに行った。

◯やわらかな反骨 岡本文弥

 新内の語り手、四代目の岡本文弥さんを1991年の秋に3回ほど撮影させていただいた。季刊『ノイズ』という雑誌と、テイチク・レコードから発売される『新内ぶし特集/岡本文弥』というCD及びカセットに使用する写真の撮影だった。
 最初に文京区谷中にある文弥さんのご自宅で、インタヴューの撮影をした。インタヴュアーは編集者・ライターであり自身も大道芸人である上島敏昭さんで、中村とうようさんも同席された。
 当時も今も新内や浄瑠璃など門外漢で、文弥さんが第一次世界大戦を描いた反戦小説「西部戦線異常なし」を新内で語ったり反戦や労働者のための新内を作り、昔は「赤い新内」「新内左翼」と呼ばれていたことは後になって知った。

岡本文弥さん01
↑谷中のご自宅にて。
 インタヴュー撮影の次は、文弥さんの公演の様子を撮影することになったが、本番ではなくリハーサルを撮ることになった。その日程は改めて担当編集者から連絡があると思っていたら、後日、文弥さんから直接家にお電話があった。お稽古の日時が決まったという電話だった。リハーサルではなく、文弥さんはお稽古とおっしゃる。新内の重鎮からの突然の電話に面食らったが、文弥さんの話し口はとてもやわらかだった。
 国立小劇場での新内公演のお稽古(リハーサル)の撮影が終わり、最後はレコーディング風景を撮影した。赤い毛氈の敷かれたスタジオで、本番前のマイクテストを兼ねた練習の時に撮った。
 この時に録音したのは「次郎吉ざんげ」と「行き倒れ淀君」で、どちらも人情話だ。やがて30年ほど前のことなのでレコーディングの様子など思い出せないが、途中でお疲れになったのかスタジオの隅で椅子に座り背を丸めて休まれていたのを覚えている。その文弥さんの姿が、お地蔵さんのように見えた。
↓→レコーディングの様子と、休憩されている文弥さん。
岡本文弥さん03
岡本文弥さん02
 岡本文弥さんは1996年に101歳で亡くなられたが、撮影させていただいた時には既に97歳だった。そして撮影させていただいた直ぐ後にも「ぶんや・ありらん」という新作を発表している。「ぶんや・ありらん」は、元従軍慰安婦の嘆きを歌ったものだ。新聞に載っていた、ある慰安婦の告白記事を元に作られたという。
 近ごろは「音楽に政治を持ち込むな」なんて事が論争になったりするが、音楽を含めて芸能と政治は切り離せないだろうし、人は生きている限り政治とは無縁でいられない。
 文弥さんは1895年生まれ、明治28年か。川上音二郎の<外部(うわべ)の飾りはよいけれど政治の思想が欠乏だ 天地の眞理がわからない 心に自由の種を蒔け オッペケペ オッペケペ オッペケペッポーペッポッポー>と歌った「オッペケペー節」が一世を風靡したのが明治20年頃だ。豊年斎梅坊主が、元祖日本語ラップとも言われる「阿呆陀羅経」で聴衆を沸かせたのも明治から大正にかけてだ。
 明治の人が今の「音楽に政治を持ち込むな論争」を聞いたら、びっくりした後に余りのバカバカしさに大笑いするんじゃないだろうか。
 You Tubeに永六輔さんが文弥さんにインタヴューしている映像と、「ぶんや・ありらん」の映像があった。たぶん文弥さん98歳頃だと思うが、とても明晰に受け答えをされている。
新しいトップページ画面
←いつまでも雪景色もなんなので、トップ画面を模様替えしました。奄美大島の名瀬港にある、立神です。立神はネリヤカナヤから豊穣をもたらす神が集落へ訪れる時、一番最初に足を降ろす岩だと言われている。

↓これまでのトップ画面。
これまでのトップページ
 昨年の4月14日に撮影した福町神明宮の春福まつりの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
福町神明宮の春福まつり01
↑巡行の前に、獅子方と神職がお神輿の前で記念撮影。↓幟旗を先頭に、小矢部川を渡る神輿行列。
春福まつり02
 興味深かった記事を備忘録として。
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