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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 ◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表 |
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1月11日 市立図書館 本の返却期限 ◯新川神社 1月? 寒中みそぎ |
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*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 *富山の祭り *築山行事 *とやまの曳山”世界の宝”を守り続ける *砺波の獅子舞 各地区の日程 *年中行事覚書 柳田国男 *田の神祭りに見る日本人の神意識 *山の民の祈り *立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし *立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅 *五箇山の獅子舞の起源 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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<田んぼは季節の鏡>は、前田真三さんの言葉。 一昨日積もった雪が昨日溶け、今朝、氷が張っていた。田んぼは一つの宇宙だな。 |
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久しぶりに青空な一日。朝方は放射冷却で−1℃まで下がり、隣りの田んぼが凍っていた。 | ||
図書館に取り寄せをお願いした本が届いたという連絡を、何日か前にもらったので、午後から取りに行った。 借りたのは『富山県の民俗芸能ー富山県民俗芸能緊急調査報告書ー/富山県教育委員会』『富山県の獅子舞/富山県教育委員会編集』(富山県郷土史会発行)。 本を借りに行ったついでに、そのまま暖房の効いた図書館で読書。 |
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昨年の1月19日に撮影した寒中水行で知られる宝徳寺の「開運除厄星祭 寒祈祷会」の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑寒中水上の前に法華経の水行肝文を唱える副住職。↓この日は寒祈祷会の最終日で4人の僧侶が読経。法会の後、集まった信徒は自分の名前が書かれた厄除けのお守りをいただいて帰った。 |
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◯景気回復「戦後最長」の可能性高まる ↑ 統計不正が明らかになったのに、まだこんなこと言ってる。 その他、気になった記事を備忘録として。 ◯厚労省、全面再聴取へ 統計不正「身内調査」7割 ◯厚労省、データ不明分の再集計を断念…勤労統計 ◯「火つけてこい」暴言の明石市長、「深く反省」と謝罪 ◯富山市議長らをきょう書類送検へ 政活費詐取容疑で、県警 ◯ “東海村”で放射性物質漏れ、作業員9人汚染なし |
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朝から雨で、時おり雷鳴が轟く。昨年ほどの大雪にはならないが、気象予想ほど暖冬ではないな。寒い。 昨日は叔母の一周忌法要。午前中にお寺でお経をあげてもらって、場所を移してお食事会があった。 |
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今日、1月28日は、旧暦12月最後の丑の日。この日、宮古島の野原(のばる)集落では厄除けの伝統行事、サティパロウが行われる。サティは里、パロウは祓うといった意味だ。 昨年の11月、「来訪神 仮面・仮装の神々」として秋田のナマハゲなどと一緒に宮古島のパーントゥもユネスコの無形文化遺産に登録されたが、全身に泥を被って人を追いかけ回す島尻集落のパーントゥばかりにスポットが当てられ、野原のパーントゥが紹介されることは少ないようだ。 野原はサトウキビ畑の広がるのどかな集落だが、背後にある野原岳には航空自衛隊の分屯基地がある。行事の準備中にもヘリコプターの離発着する音が集落内に大きく響いていた。そして現在、集落の近くにあったゴルフ場、千代田カントリークラブの跡地に陸上自衛隊が庁舎を建設中だ。 ところで村を祓って歩く時に女性たちは「ホーイホイ ホーイホイ」を掛け声を上げるが、氷見の床鍋地区で毎年6月に行われている虫送りでは子供たちが「ドロムシホーイ ドロムシホイ」と声を掛けて巨大な松明を引きまわす。 *琉球新報の記事。 |
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→現在使われているパーントゥは2代目。こちらが初代のパーントゥ。 |
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↑村の拝所の一つであるニーマガーと呼ばれる井戸の前で、草の装束を身につける女性たち。 | ||
↑上段左:パーントゥ(鬼の面)をつけた少年。普段着と鬼の面、そのアンバランスさが却って異形を際立たせる/上段右:パーントゥの少年を先頭に、太鼓や法螺貝の子供がついて歩き、草装束の女性たちが「ホーイホイ ホーイホイ」と声を上げながら集落を練り歩く/中段左:サトウキビ畑に囲まれた野原集落。夕日にサトウキビの穂がキラキラと輝いていた/中段右:集落の何ヶ所かで女性たちが少年を取り囲み、ウルルルルと声を上げながらまわる。ちょっとわかり難いが、写真右端の赤い紐のバックを下げた女性が古謝美佐子さん/下段左:パーントゥの行列は17時40分頃にスタートして、40分ほどかけて村外れ(入口)に到着する/下段右:終点となった場所で草の装束を外して、行事は終わる。参加した子供たちにはお菓子が配られる。 | ||
昨年末に国税局の業務委託先からマイナンバーを含む個人情報70万件が流出するという事件があり、先日はTカードの個人情報が令状もなく捜査機関に提供されていることが判明した。 この2つでも「えっ!」と驚くが、今度は総務省がオリンピックに向けてのサイバー攻撃対策として、家庭や企業にあるネット家電に無差別で侵入して対策が不十分な機器がないかチェックをすると言い出した。鍵のかかっていない家には、政府が勝手に家の中へ入りますよという話だ。 それでもテレビの話題は嵐の活動休止か・・・ |
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昨年の1月14日に撮影した越中万葉かるた大会、勝興寺の御満座法要、日本海高岡なべ祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちらとこちら。 | ||
↑勝興寺の御満座法要。後ろにデカ蝋燭2本が見える。↓雨晴海岸から撮影した富山湾越しの立山。 |
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本棚にあるハービー・山口さんの『LONDON〜AFTER THE DREAM』(流行通信)は1988年1月1日発行の第2版なので、30年ほど前に買ったのだろう。この30年の間に何回、何十回見返しただろう。 1975年から3年間、テムズ河畔の大きな倉庫の跡に、10名ほどの写真家たちと住んでいた時期があった。その期間、遊びに訪れたマグナムの写真家や同年代の写真家と交わりつつ、僕は自然なスナップ写真にどんどん傾いていった。 今日からミュゼふくおかカメラ館で『第65回ニッコールフォトコンテスト写真展』が始まった。日曜日の明日、ハービー・山口さんと鳥飼祥恵さんのトークイベントが開催される。 |
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わたしはただ一介痩身の無名詩人 よしや骨肉ここに枯れ果つるとも |
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沖縄と同じく戦後アメリカの統治下に置かれた奄美群島で、祖国復帰運動の中心的存在だった詩人・泉芳朗の『断食悲願」と題された詩だ。 先日、新基地建設に伴う辺野古の埋め立ての賛否を問う県民投票を巡り、県民投票の会代表の元山仁士郎さんが宜野湾市役所の前でハンストを行ったが、それに対し「ハンストはテロ行為」「さっさと死ね」といった暴言を沖縄の国会議員・国場幸之助氏の政策秘書がツイッターに書き込んでいた。琉球新報の記事によると「さっさと死ね」の部分に関しては「ハンストはテロではなく非暴力の主張だという人たちへの、皮肉だ」と語ったそうだが、何の皮肉にもなっていないだろう。 本土や米国に翻弄された琉球弧の島々の歴史を学ぶこともなく、彼らが味わってきた痛みに思いを馳せることもないのだろう。 |
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写真は奄美大島・名瀬港の朝焼け。2010年7月26日撮影。 | ||
昨年の1月11日に撮影した岩稲地区に伝わる伝統行事「お鍬さま」の様子と、笹津・楡原・越中八尾の雪景色をPhoto Albumにしました。こちらとこちらとこちら。 |
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↑本芳彦弘さんのお宅で行われたお鍬さま。↓越中八尾の雪景色。 |
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今日は初天神。ちょっと長くなるが、富山の天神信仰をまとめてみた。 | ||
1月25日は初天神。一般的には天神様(菅原道真公)を祀った天満宮へ当年最初の参詣をすることをいうが、富山では年末の12月25日から床の間に飾った天神様の掛け軸や天神像をこの日に仕舞う。 |
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↑山町筋の天神様祭では、土蔵造りの家や商店、資料館等に様々な天神様が飾られ、街全体がギャラリーとなる。商家を改装した資料館には、各地の年代も様々な天神様が展示される。2017年1月22日撮影。 |
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5月25日に近い土・日曜の2日間、小矢部の獅子舞祭が行われる。初日は観音寺の境内で、2日目は商工会館前を中心に小矢部市内の各獅子舞が競うように演舞する。この初日に観音寺で行われる獅子舞は、本来は「大威徳天神祭」での奉納だ。 観音寺には菅原道真の自筆とされる自画像があり、この日にご開帳される。観音寺を紹介したサイトには「加賀前田藩主前田家は道真公を祖先とあがめ、道真公自筆の自画像を荒木摂津守から入手して当寺に預けられましたので、厳重におまつりし、正月二十四日深夜には初天神の大祈祷祭を、五月の第三日曜日には大祭を催し、全町獅子舞を奉納しております」とある。嘗ては1月25日にも菅原道真公の自画像をご開帳されていたそうだが、現在は5月の「大威徳天神祭」の時だけになったようだ。 |
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↓観音寺の獅子舞奉納。→菅原道真公の自画像。 |
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5月25日には富山市の於保多神社でも、天神様ゆかりの鷽替え神事が行われる。13年間ほど途絶えていたが、昨年(2018年)に復活した。於保多神社は菅原道真、富山藩初代藩主・前田利次、二代藩主・前田正甫、十代藩主・前田利保を祀っており、富山の天神様として崇敬されている。明治6年に「柳町天満宮」から「於保多神社」に改称したとされる。 於保多神社の鷽替え神事は、とやまの行事百選の一つ。道真にゆかりの鳥の鷽と虚言の嘘を掛けており、「替えましょ替えましょ ウソをまことに替えましょ」と言いながら参拝者同士が自分の土人形の鷽を交換していく。人形の鷽をお互いに取り替えることで、一年間についたウソを天神様の誠心に取り替え、災いをウソにして幸運をいただく神事だそうだ。 |
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何回も鷽の人形を交換することでウソが薄まるという説もあり、ちょっとマネー・ロンダリングの仕組みにも似ている(笑)。 ←於保多神社の鷽替え神事で使われる土人形の鷽。5色あり、年ごとに色を変える。2018年5月25日撮影。 |
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↑「替えましょ替えましょ ウソをまことに替えましょ」と言いながら境内に集まった参拝者同士が自分の土人形の鷽を近くの人と交換する。鷽替えが終わると、拝殿で宮司が幣を振り番号の書かれた紙を掬い上げる。掬い上げられた番号の記された鷽の土人形は、金色の鷽と交換してもらえる。2018年5月25日撮影。 | ||
高岡市立博物館によると、高岡の”三天神”祭りというのがあるそうだ。「利屋町」「千石町」「鉄砲町・白銀後町」の天神祭だ。 一番早く催されるのは利屋町の天神祭で、5月25日より前の土・日に行われる。ご神体の木造天神像を宵祭りに関野神社から曹洞宗・龍雲寺に運び臨時の天満宮を設営し、本祭りには子供神輿が町内を練る。神輿練りの後は龍雲寺に設営した天満宮の前で読経と関野神社の神職による祝詞奏上が行われる。 祭りの由来は高岡で大火が起こった際に天神様に祈念して類焼を免れた龍雲寺の住職がそのお礼に太宰府へ参詣に行き、その時のお告げにより天神像を頂戴した。そして元禄3年(1690)、お堂に天神像を安置。明治維新の際に、天神像を町内に勧請し、天神祭りを行うようになった。そのご神体が現在は関野神社に祀られており、関野神社に移されたご神体が、一年に一度この天神祭りの時に里帰りをするということのようだ。祭壇には火伏せの札が供えられ、氏子の方々に配布される。 |
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↑5月25日直前の土・日曜日に行われる、利屋町の天神祭り。宵祭りの日に関野神社に預けてあるご神体の木造天神像を町内の龍雲寺にお運びし、臨時の天満宮を設営。本祭りでは子供神輿にご神体の神籬を安置し、子供たちが町内を引いてまわる。子供神輿の引き回しは、近年に始まったようだ。子供神輿の巡幸が終わると、龍雲寺に設けられた天満宮の前で僧侶の読経、関野神社の酒井禰宜による祝詞奏上が行われる。2018年5月20日撮影。 | ||
↑千石町の天満宮(左)、境内にある筆塚でご祈祷する有磯正八幡宮の上田宮司。2018年6月15日撮影。 千石町の天神祭りは6月15日に行われる。境内には筆塚やねまり牛があり、市内では一番大きな天満宮だと言われている。前日から氏子町内では各家の玄関に行燈を飾っているが、お年寄りだけの家が増えたこともあり今では行燈のローソクに火を灯す家はほとんどないようだ。 |
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鉄砲町・白銀後町の天神祭りは8月の第3日曜日に開催されている。鉄砲町も白銀後町も旧町名で、現在は鉄砲町の一部と白銀後町の一部は末広町、残りは白金町になっている。 天神祭りは、元々この地にあった曹洞宗の禅憧寺の敷地に置かれた天満宮で開催されていたが、禅憧寺が平成14年に廃寺となり、天満宮を町内の一角に移して斎行されている。鉄砲町・白銀後町の辺りは嘗て谷内(やち)と呼ばれていた地域で、天満宮の名も谷内天満宮が正式のようだ。 昔は8月24日、25日の2日間に渡って行われていたが、現在は1日だけで勤め人も参加し易い8月の第3日曜日に開催されている。2日間に渡っていた頃は24日の宵祭りの後、午前0時にお供えされた生きた鯉を用水に放す放生会が執り行われたが、今はご神体の巡行が終わった19時頃に鯉を放している。 ご神体は天神様の掛け軸で、嘗ては唐櫃に入れて町内を巡幸したが、今は小さな社に移し専用のリヤカーのような台車に乗せ、子どもたちが引いて巡幸する。 祭主は大工中町にある大木白山社の高尾宮司で、現在の宮司の祖父である高尾宗豊宮司が昭和25年の菅原道真公没後1050年祭の時に記した縁起書によれば、<1542年(天文11年)、奈呉の浦城主・大徳寺大納言實規(さねのり)が越後の武将・長屋六郎為景との戦いで苦境になって天神様のご尊像に祈願したところ、願海寺城主・寺崎刑部左衛門が駆けつけて敵を打ち破ることができた。そこで實規から刑部左衛門に手柄としてご尊像が渡された。刑部左衛門の七代後の寺崎半左エ門が託宣を受けて文政年間(約200年前)、高岡谷内にご神体を納める。そのご神体が明治維新後に町内の守護神として祀られるようになった>とされている。 |
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←鉄砲町・白銀後町の天満宮は禅憧寺の敷地に置かれていたが、平成14年に廃寺となったため町内の一角に移された。写真は祭礼の日ではない、普段の天満宮の様子。2018年8月11日撮影。 ↓社の中にはご神体の天神様の掛け軸の他、縁起書が納められる。そして社の前には天神像が飾られる(左)。神事の後には、神饌の鯉を用水に放す放生会が行われる(右)。2018年8月19日撮影。 |
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氷見市立博物館が制作した『氷見の祭りと年中行事』によれば、昭和30年代頃までは氷見の一般の家庭で毎年10月25日に床の間に天神様の掛け軸をかけ、三方に盛った柿を供える「柿天神」が行われていたそうだ。お供えする柿は「合せ柿」という、小粒の「味正柿・あじまさかき」など渋柿を湯煎して渋みを抜いたものが使われた。 一般家庭での柿天神は途絶えたようだが、伊勢玉神社では江戸期から続くとされる特殊神饌として柿を供える天神祭(柿天神)が今も毎年10月25日に斎行されている。 氏子である上伊勢町、中伊勢町、下伊勢町、高砂町、松田江町の神社総代が拝殿の中央にジグザクに並び、伝供によって神饌の柿をお供えする。 甘い食べものが貴重だった時代に、菅原道真が庶民に甘い柿を伝えたことを感謝して行われる柿天神。戦前までは氏子の児童らもたくさん参列し、柿をお下がりとしていただいて帰ったそうだ。 伊勢玉神社では、かつては5月25日にも天神祭を行っていたそうで、5月は春の天神祭、10月は秋の天神祭ともいうそうだ。 やはり氷見市にある上日寺でも柿天神が行われていたという記事をネットで見つけたので訪ねてみたが、応対して下さった昭和37年生まれだという僧侶の方の話では、幼い頃の記憶にはあるが現在は行っていないそうだ。 柿天神が終わると、そろそろテレビでは神仏具店の天神様を販売するコマーシャルが流れてくる。 |
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↑伊勢玉神社の柿天神。氏子町内の神社総代が参集し、拝殿中央にジグザグに座り伝供によって神饌の柿をお供えする(左)。富有柿・筆柿・水島柿・合わせ柿の4種類が5つの三方に盛られている(右)。2017年10月25日撮影。 |
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因みに加賀藩・前田家のお膝元である金沢でも、戦前は12月25日から1月25日まで天神堂を飾る風習があったそうだ。天神堂も、やはり男の初孫が生まれると母親の実家から贈られたそうだが、富山ほどには一般的ではなかったようだ。天神堂はミニチュアの天満宮に天神様や随臣、灯篭や狛犬、鳥居がセットされた豪勢な作り物で、気軽に買える代物ではなかったのかもしれない。 | ||
↑天神堂。山町筋の天神様祭にて、2017年1月22日撮影。 |
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ところで千石町の天神祭りは15日だが、他の天神祭りは25日が基本(現在は仕事の休みが取りやすい25日に近い日曜日が多いが)。これは菅原道真の生誕が承和12年6月25日(845年8月1日)で、死没が延喜3年2月25日(903年3月26日)。また太宰府に左遷が決まったのが1月25日と、25日が天神様の縁の日だからと言われている。 | ||
お年玉付き年賀はがきの当選番号がとっくに発表になっているのを忘れていて、昨日になってようやくチェックした。昨年はお年玉切手が4枚も当選して驚いたが、今年は1枚。さっそく午後から郵便局へ行き、交換してきた。干支である亥の絵柄ではなく、招き猫だった。 | ||
←2019年のお年玉切手。 図書館から借りている本の返却期限は26日だが、3冊借りているうちの1冊は読み終え、残りの2冊はネットで購入したので返しに行ってきた。受付で3冊返却し、新たに2冊の郷土資料の取り寄せをお願いした。 |
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読み終えて今日返却した『富山の祭りと行事 予祝祭 祖霊祭 新嘗祭』(巧玄出版)から、興味深かった箇所を備忘録として抜き書きさせていただく。 予祝と農民 田の神送り 利賀の初午 築山から曳山へ 氣多参りは山行き 競技は年占い 神前の田祭 七夕 祖霊祭 精霊には、農作物の供え物の他にご膳が供えられる。なかでも精霊さんが、さらっとしたものが食べたいというので、きゅうりの浅漬に粥をお供えする。これをあしあらいがいという。麻殻を、なすやきゅうりに脚をつけて、馬や牛を飾ったりする。これを精霊さんの乗ってくる馬だとか牛だという。(富山市) 風祭 秋祭り 田の神迎え 正月神 予祝祭 さつき祝い 初午 砺波野の小正月 つきやまと山車 二上山には二つの峰があって、二柱の神が鎮座されているが、七日の真夜中に峰をおりて、麓の社地に立つ杉の大木をつたわり、その根もとに設けられた台の上に、降臨されると信じられている。この台を「つきやま」というのであって、この場合、山と杉とは天然のものが備わっていて、別に祭壇ともいうべきものが設けられているわけである。この祭壇は八日の午後、定めの時刻(今では三時)に取り壊されるが、これを取り壊すことが「神おくり」の意味になるのであって、うっかりして定めの時刻を過ぎると、神霊が荒れると恐れている。 これに類似したものに、放生津八幡宮の曳山があるので例示してみよう。 ヤンサンマ 田植祭 熱送り・虫送り 田祭 七月七日 盂蘭盆 風祭 田の神迎え(エビス神) お鍬祭 大沢野町 心のふるさと・祭り 本庄清志執筆 きびしい農作業の合い間にも娯楽はあった。宮の前に広場をつくり青年の遊び場所として、ここで角力(すもう)や石番持ちを行った。村ごとの対抗試合には、村人総がかりで応援した。夏ともなれば、盆踊りが若者達にとって非常に楽しいものであった。男女が太鼓を中心に輪をつくり、音頭とりの美声にあわせて踊る姿は、夏の風物詩でもあった。村村には時々にわか・かぶきもの・あやつり人形・曲芸などが巡回して来たので、これを見物するのも楽しみの一つであった。老人婦女子にあっては、寺参りや見物が、唯一の楽しみであったようである。 祭祀の原像 能坂利雄執筆 富山地方における盆のお精霊さまは、庭からオショウライ棚へやってきた。主人が縁側に坐って挨拶して出迎える。お精霊は「どこからきたか」と問えば「庭の築山の松の木から」というのが多い。憑き代の木は「待つ」の意をうけて松を植え、夜陰の折にはわかり難いので灯篭に火を点じた。 |
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◯福島第一原発 タンクから漏水300トン 2年余気付かず |
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朝起きると、外は雪で白くなっていた。それでも昼頃には雨に変わり、夜にはすっかり溶けてしまった。 市立図書館で借りている『五箇山 失われる山びとの暮らし』を、先日アマゾンのマーケットプレイスで発見。手頃な値段だったのでポチったのが、今日届いた。箱、帯付きで、注文カードも挟まっていたので未読品かもしれない。図書館で3冊借りてる内の2冊をネットで購入した。これで慌てて読まなくてもよくなった。 |
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↑今朝8時50分頃の外の景色と、マーケットプレイスで購入した『五箇山』。 |
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気になった記事を備忘録として。 昨日は二十四節気の一つで、一年で一番寒いとされる大寒だった。上市町にある大岩山 日石寺では毎年この日に寒修行があり、滝に入って打たれる人の映像がニュースで流れる。一度撮影したいと思い、早朝から出かけて行った。 |
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1月20日(日) 2日前に寺務所に電話して寒修行の始まる時間を尋ねたところ、毎年滝に打たれる映像がニュースになる団体の方達の滝修行は8時半頃からだという。そのため8時頃にはたくさんの写真愛好家や報道のカメラマンが既に場所取りをしているそうだ。 ネットで日石寺までの行き方を探したが、上市駅から一番早い日石寺のある大岩までの町営バスは8時30分発で、終点の大岩には8時53分に着く。到着した頃には終了しているかもしれないが、とりあえず行ってみる。 最寄り駅から6時31分発のあいの風とやま鉄道に乗り、6時59分に富山駅に到着。休日のこんな早い時間の電車だが、センター試験の日なので車両の中は高校生でいっぱいだった。駅構内のコンビニでメロンパンを一つ買って電鉄富山駅に向かう。 7時28分の宇奈月温泉行きに乗車して、7時55分に上市駅に着いた。駅員さんに町営バスの乗り場を教えてもらい、しばらく駅のベンチに座って休憩。大岩行きのバスは8時30分だが、8時10分過ぎにバス停に来たので出発まで車内で待たせてもらった。時間通りにバスは出発。乗客は自分1人で、終点まで貸し切りだった。 大岩のバス停で200円の料金を支払い下りようとした時に、運転手さんが右側の階段を指差して、上ったところに日石寺があると教えて下さった。 百段坂と呼ばれる階段を上って行くと、やがて人の声が聞こえてきた。境内に入り声のする方に歩いて行くと滝修行の行われている六本滝に着いた。滝の前には大勢の修行者(新聞記事によれば30人)がおり、その手前と横には大勢の報道陣や写真愛好家がカメラを向けていた。 どこから撮影しようかとウロウロしている間に、団体の方々の滝修行は終了してしまった。三重県松阪市にある白龍弁天山真福院の信者の方々だそうで、「三重県 白龍辨天山修験本庁」と書かれた旗を持った方がいらした。滝修行を終え、法螺貝を吹いたりしながら日石寺に隣接した旅館・大岩館へと入って行かれた。 |
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↓→毎年最初に滝修行をされる白龍弁天山真福院の信者の方々。 |
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六本滝に戻ると、白衣(はくえ)を着た方々が何人かいらっしゃる。団体の滝修行は終了したが、これからは一般の申込者の滝修行が始まるそうだ。寒修行は大寒の今日から始まり2月3日の節分の日までで、この間に滝修行をしたい人は受付で申し込めばいいそうだ。料金は白衣も貸してもらえて1000円だ。滝修行の相場というのはよくわからないが、随分と良心的な値段な気がする。 | ||
↓→気温6℃と大寒にしては暖かな日だが、水温は0℃に近い。 |
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滝修行の前に、僧侶が修行者の後ろに立って水神様への真言を唱え、手にした不動明王の刀を修行者の背中に当て「恐れ」や「迷い」を断ち切る。 10時過ぎになると滝修行が一段落したので、日石寺の境内にあるお堂などを見て歩く。手水舎の横には大きな釜に「目薬のお茶」が沸かしてあり、自由に飲めるようになっていた。 |
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↓→ご祈祷日に振る舞われる「目薬の木のお茶」。 |
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↑上段左:愛染堂/上段右:夫婦岩/中段左:三重の塔/中段右:大日堂/下段左:観音堂/下段右:十二支滝 10時半過ぎから本堂で護摩祈祷が始まったので、慌てて食べて本堂の中へ。祈祷では、滝修行に参加した方々が書いた護摩木も焚かれる。 |
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日石寺は真言密宗の大本山で神亀2年(725年)に行基が開いたと伝えられており、本堂には行基が凝灰岩の岩に彫ったといわれる不動明王が本尊として祀られている。立山・剣岳の麓にあり、山岳信仰の行場として最盛期には21社60坊を抱える大寺として名を馳せたそうだ。 天正年間(1573〜92)に上杉謙信の兵火により山内を全焼したが、前田利常の子宝祈願が成就したことで歴代の前田家の祈願所として再興した。昭和42年にも火災で建物や資料の大半を焼失したが、昭和43年に壇信徒の寄進等によって現在の不動堂(本堂)が建立された。 |
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↑本堂での護摩祈祷。正面に行基が岩を彫って造ったされる不動明王像が鎮座している。 |
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20分ほど護摩祈祷を見学してから本堂の外に出て、境内を散策。 | ||
↑行基作とされる、凝灰岩に彫られた不動明王が祀られた本堂(左)と、木造延命地蔵菩薩が安置された地蔵堂(右)。 |
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↓六本滝(左)。→眼病平癒に霊験があるとされる御霊水の藤水(右)。 |
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↓山門(左)。→弘法大師が安置された阿覚窟。上に鐘楼堂が見える。 |
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←日石寺の参道(百段坂)にある、だんごやと大岩館。坂の途中にある旅館には、近年休業の貼り紙をした建物もいくつかあった。 大岩から上市駅行きのバスは12時30分。 |
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12時30分少し前に町営バスが到着。年配の女性と二人を乗せたバスは時刻表通りに大山を出発し、途中でやはり年配の女性を一人乗せて12時50分に上市駅に到着した。駅のホームには13時1分発の電鉄富山行きの電車が待っていた。 *北日本新聞の記事、富山新聞の記事、富山テレビのニュース映像。 |
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年末からの腰痛が良くならないので、昨日の午前中に何年振りかで接骨院へ行った。腰をもんでもらい電気をかけ、湿布をもらってきた。年に数回腰が痛くなることはあるが、だいたい鎮痛剤入りの湿布を貼って何日かすると治まる。今回は随分と長く続いている。このところ椅子に座ってパソコン作業をしている時間が長く、それも腰痛の原因かもしれないと思い、接骨院から帰ってからは布団に入ってマンガを読むことにした。 1982年12月6日午後2時17分、関東地方に新型爆弾が使用され、3度目の世界大戦が勃発した。それから38年ーー世界は大戦の惨禍を克服し、新たな繁栄の時代を迎えつつあった。 これがイントロだ。マンガの中では2020年の東京オリンピックは開催されることなく、スタジアムは破壊される。 |
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↑『AKIRA』全6巻が並んだ本棚。 作品としては『ショート・ピース』『ハイウエイスター』『さよならにっぽん』といったマンガの方が好きだが、『AKIRA』の 細部の細部まで描き込まれた絵にはやはり圧倒される。 |
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大友克洋さんや吉田秋生さんのマンガには音楽が流れている。何か音楽が聴こえてくる。それはブルースだったり、ジャズだったり、時にはAORだったりフォークだったりするのだけれど。それも魅力だ。 | ||
先日他の図書館から取り寄せてもらって借りてきた『ふるさとの風と心 富山の習俗』だが、ヤフーオークションに出ているのを発見。ヤフオクはやったことがなかったが500円で出品されていたのでヤフーIDを所得して参加。他に落札者が居なかったので、500円で手に入れた。送料はメール便350円で、合計850円の出費。 その落札した本が、今日届いた。この本は絶版のようだが、桂書房という出版社は健在だった。 |
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気になった記事を備忘録として。 |
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↑はしご乗り。↓裸放水。 |
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一年前、伏木の勝興寺で御満座法要を撮影させていただいた。御満座法要とは御正忌報恩講のことで、浄土真宗の宗祖・親鸞聖人の命日にその遺徳を偲んで行われる法会。御満座そのものは、法会の終わる最後の日という意味のようだ。親鸞聖人の命日は11月28日で大谷派は11月21日から28日に行うが、本願寺派は旧暦11月28日を新暦に直して1月9日から16日に行うそうだ。大谷派(お東)は11月28日が御満座、本願寺派(お西)は1月16日が御満座となる。 その一年前に撮影した写真をお渡ししていなかったので、5枚プリントして持って行くことにした。 |
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あいの風とやま鉄道で10時49分に高岡駅へ。11時12分の氷見線に乗り換えて、11時24分に伏木駅に到着。今日は成人式。電車に乗っていると、成人式のために帰省してきたと思しき人たちがけっこう居て混雑していた。 駅前の坂道を上って勝興寺へ。ホームページには14日〜16日が御満座法要と記されているが、どうもその気配がない。 ←美しい勝興寺の唐門。 |
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本堂に入り寺務所を訪ねると、今年は15日、16日の2日間になったそうだ。写真をお渡しし、行事の進行を書いたチラシをいただいた。 御正忌報恩講 平成31年1月15日(火)10:00〜17:00 10:00〜日中 読経 満年講 法話 布教使 法順寺 圓山望師 12:00〜お斎 14:00〜逮夜 読経 御伝鈔 法話 布教使 光明寺 磯原孝雄師 (デカローソク 9:30〜17:30 点灯) 平成31年1月16日(水)10:00〜12:00 10:00〜満日中 読経 御俗姓 法話 布教使 明善寺 宮木美弥子師 (デカローソク 9:30〜12:00 点灯) |
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↑勝興寺の本堂。明日から営まれる御満座法要の準備が行われていた。 |
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プリントをお渡しして今年の御満座法要の様子を撮影させてもらおうと思っていたので、ぽっかりと時間が空いてしまった。高岡行きの電車は13時1分で、まだ一時間以上ある。とりあえず駅へと坂を下りていたら、右手に高岡市伏木気象資料館が見えた。普段は素通りするか外観だけ撮影して帰るが、今日は時間があるので入館料210円を払い、見学して来た。 | ||
↑気象資料館(旧伏木測候所)の外観と内部。 中に入ると職員の方がしばらく解説しながら案内して下さる。 ←この測候所で記録した1993年2月7日の能登半島沖地震のグラフ。 |
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勝興寺や気象資料館のある一帯は、かつて越中国の国府があった場所で、資料館の敷地には「越中国守館跡」の石碑が建っている。資料館のある土地は、746年(天平18年)越中国守に命ぜられた歌人・大伴家持が住んでいたとされる場所だ。今も高台に建つ資料館の窓からは、晴れていれば立山連峰が見渡せる。民家も少なかった時代なら、立山の手前に広がる奈呉の浦や射水川(小矢部川)もよく見えただろう。 気象資料館を出て駅へと向かう。待合所で少し休んで13時1分の高岡行きに乗車。高岡駅に着いて、あいの風とやま鉄道の金沢行きの時刻を確かめてから、関野神社に向かう。この何年間かはお正月の行事を撮影していたので元旦に初詣を済ませていたが、今年は未だ。神社に着いて拝殿に行き、参拝をする。参拝の後、境内に設営された左義長の撮影をしていると神主の酒井さんがいらしたので、新年のご挨拶をする。 |
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↓→関野神社の境内は、15時から斎行される左義長の準備中だった。 |
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左義長は15時からで、その準備がお忙しそうだったので早々に神社を後にして高岡駅へ。15時4分発の金沢行きで家へと帰る。 | ||
10年前の1月13日、文京区の成人式を撮影に行った。被写体は成人した方々ではなく、成人式でマジックショーを披露するプリンセス天功さんだった。雑誌の連載でペットと一緒の撮影をオファーしていて、この日ならとOKをいただいた。 |
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女優の市原悦子さんが、一昨日亡くなられた。 | ||
今日、東京の都心で初雪が降ったそうだ。明日は旧暦の12月8日、ムーチービーサーだ。沖縄では健康・長寿を祈願して月桃の葉に包んだムーチー(鬼餅)を食べるが、この頃が沖縄では一番寒い季節にあたるため、ムーチービーサー(鬼餅寒)と呼んでいる。 |
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年末に借りた本の返却期限が昨日だったので図書館に行き読み終わらなかった2冊を延長してもらい、他の図書館から取り寄せをお願いしていた本が届いたので借りてきた。 取り寄せてもらったのは『ふるさとの風と心 富山の習俗/富山新聞社編』(桂書房)。昭和59年1月から2年間、富山新聞で連載していたものをまとめた本だが、写真も記事も面白い。せっかくなので、今日の午前中に全ページを複写した。 | ||
◯勤労統計で偽装ソフト 厚労省、04年から不適切調査 ◯保険の過少給付は2千万人、数百億円規模 不適切調査で ↑厚労省、<消えた年金問題>から何の反省もしていないんだろうな。 その他の気になった記事を備忘録として。 ◯安倍首相のサンゴ移植発言が波紋 政府、打ち消しに懸命 ◯辺野古工事で防衛省 県に無断で土砂割合変更 ◯ロシア、安倍首相発言に抗議=大使呼び「世論惑わす」 ◯生活苦で税滞納、差し押さえで口座0円に…提訴 ◯日本の株式 去年 海外投資家の売りが買いを5兆円超上回る |
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昨年の1月2日に撮影した朴谷の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑伝承数や多彩さで 獅子舞王国とも言える富山県だが、多くは春祭りや秋祭りに舞われる。お正月の獅子舞は 、県内では朴谷だけかもしれない。 ↓朴谷の獅子は一人立ちで、演目によって天狗が2〜6人登場する。正月の獅子舞は集落 の厄除け・悪魔払いで、現在35戸ある家を忌のあった家を除いて一軒一軒まわる。露払いのジジとババが家の前を掃き清めた後、「悪魔払い〜」「悪魔払い〜」と口々に叫びながら順番に天狗が玄関に入って出てくる。最後に獅子が玄関で子供や主の頭を噛んで、花(ご祝儀)をいただいて次の家へと向かう。 |
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昨日おくわさま、今日初午が行われた。富山の一月の風物詩だ。 | ||
正月休みも終わり、日常生活に戻った人がほとんどだろうか。昨日、今日が始業式だった学校も多いようだ。 暮れに図書館から借りた4冊のうち2冊を読み終えたので、昨日の午後に返却しそのまま図書館で読み終えていない本を読んでいた。家に居るとついついネットを見るし、なにより暖房費の節約になる。 書籍の編集者から探して欲しいネガの追加が出来たというメールが来たので、今日の午後は書庫兼物置になっている部屋でネガ探し。ネガは見つけられなかったが雑誌で使用したプリントが見つかったので、こちらを送ることにする。20年ほど前のプリントだが、変色もない。この頃使っていた印画紙は、イルフォード・マルチグレードのグロッシーが主だった。気になってイルフォードで検索すると、今はインクジェット用のペーパーも発売しているようだ。 依頼のあったネガを探していると、色んなネガやプリントも発見する。X-JAPANがデビューして間もない頃に、雑誌『ポップティーン』の仕事でライブを撮影した。確か日比谷野音だったと思うが、その時のネガやプリントが一切なくて記憶違いだろうかと長い間思っていたが、ベタ焼き(コンタクトシート)が一枚出て来た。フィルム1本しか撮っていないことはないので、この一枚はベタを作る時のテストで焼いた一枚か。ベタ焼き、プリント、ネガを全て編集部に渡して、返却されていないのだろう。とりあえずX-JAPANを撮影した記憶が夢じゃなくてよかった(笑)。 |
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↓→X-JAPANのベタ焼き。 |
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下の写真は、プリントを収納した棚に入っていた奥菜恵さんのポートレート。1997年頃だろうか。ミュージック・マガジンで連載していた「松尾潔の照明係 今月のスポットライト」で撮影した。今はケミストリー、平井堅、JUJUなどの音楽プロデューサーとして知られる松尾さんだが、この頃は音楽ライターの仕事がメインだったと思う。この連載では4回ほど撮影を担当した。 |
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2017年の大晦日から2018年元旦に撮影した芦峅寺・雄山神社のミヤマイリの様子をPhoto Albunにしました。こちらとこちら。 | ||
↑お神酒を入れた徳利を持つ女性。ミヤマイリでは、お神酒と袋に詰めたお米一合を境内にある各宮に奉納する習わしだったという。現在はお米を奉納することはなく、集落の人でも限られた人がお神酒を賽銭箱の横に置かれた甕に注ぎ、お賽銭を入れて参拝している。 |
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一昨日放送されたNHKの「日曜討論」で安倍首相が、辺野古の埋め立てに関し「土砂の投入に当たって、あそこのサンゴは移植している」と述べたことが波紋を呼んでいる。どう考えてもあり得ないことだが、汚染水がだだ漏れしている最中に「フクシマはアンダーコントロールされている」と世界に向けて発信した人だからもはや驚きはない。 その辺野古の埋め立てを中止するようホワイトハウスへ呼びかける請願に、クイーンのギタリスト、ブライアン・メイが署名しSNSで署名協力を求めていることが話題になっている。そんなお陰もあってか、現在の署名数は20万筆を越え、201,883筆となっている。 |
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昨日が仕事始めだった人も多いのだろうか。 |
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↓座敷に組み立てた撮影セット。→先ずは父親と母親に立ってもらってテスト撮影。 |
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今日は午前中から昨日撮影した姪っ子の成人式の前撮り写真のプリント。 15カット選んでA4にプリントした。ショッキングピンクに染めた髪の毛の色がプリントで出るか心配だったが、わりと忠実に再現されている。 正月になって一歩も外に出ていなかったが、今日ようやく自転車で買い物に。100円ショップでクリアファイルを、ドラッグストアで湿布とスナック菓子を購入した。 |
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昨年の12月28日に撮影した芦峅寺の年餅作りと雪景色の写真をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑芦峅寺の年餅作り。↓芦峅寺の雪景色。 |
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◯ 「ワープロはいずれなくなるか?」という質問に30年前のメーカー各社はどう答えた?←面白い。 | ||
あけましておめでとうございます |
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2016年〜2017年は氷見市小境の朝日神社と夕日神社で、2017年〜2018年は芦峅寺の雄山神社で新年を迎えた。今年は久しぶりに家でテレビを観たりしながら、のんびりとお正月を過ごしている。 元旦は雨や雪の予報だったので油断していたら、午前中は快晴だった。午後からは崩れて夕方には雨が降っていたが、早起きすれば初日の出が見れたのかもしれない。 |
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写真は昨日の午前10時頃、部屋の窓から。2019年最初の撮影で、まだこれ一枚しか撮っていない。空を見ながらISO感度200、絞り10、シャッタースピード1/800に設定。シャッターを切ったら、バッチリ適正露出で嬉しくなった。 | ||
昨年の12月27日に撮影した福野の「歳の大市」の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
You Tubeから、沖縄でお祝いの席で一番最初に踊られる「かぎやで風」を。かぎやで風は歴史的仮名遣いで、「かじゃでぃふう」と発音する。 今日の誇らしゃや 何にぎやな譬える 蕾でいる花の 霧行逢ったごと (今日の嬉しいことは何にもたとえることはできない 蕾の花が朝霧に出逢い勢いよく開花したような嬉しさだ)といった意味のようだ。何度聴いても、目出度さが溢れてくる楽曲だ。 |
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本年もよろしくお願いいたします |
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2018年12月へ |