HOME TOP  
バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

10月6日 射水市 六渡寺の獅子舞
10月6日(土)、7日(日) 椚山の獅子舞 *土曜17時に八幡社を出発
10月6日(土)〜21日(日) となみ夢の平コスモスウオッチング 日曜は砺波駅から無料のシャトルバス
10月13日(土) 入善町東狐(とっこ)の獅子舞 稲荷神社
10月13日(土)、14日(日) 入善 新屋の獅子舞 住吉社 *14日の20時〜22時住吉社
10月20日(土)? 吉久の獅子舞
10月20日(土)、21日(日) 福野の安居寺(あんごじ) ご本尊奉安1300年記念大法要 
*20日の獅子舞は12時〜 21日の稚児行列は13時30分〜
10月21日(日) 下立の獅子舞
10月26日(金)〜27日(土) 生地たいまつ祭り
10月27日(土) 魚津市東山(東山神社?) 9時 30分〜小川寺の獅子舞
10月28日(日) 岩稲八幡社の神送り 午後3時〜
入善町の獅子舞状況

2019年
5月18日(土)、19日(日)? 利屋町の天神祭り

◯新川神社 1月? 寒中みそぎ
◯上市町 日石寺 1月20日 寒修行 記事
◯新川神社 御田植祭5月
◯高瀬神社 御田植祭5月 抜穂祭9月
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯埴生護国八幡宮、亀保里神社(長岡神社0766-67-1402)除蝗祭 6月
◯上市町 日石寺 7月1日 大岩山滝開き・火渡り修法(10時)
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯福岡町沢川の獅子舞 9月の第4土曜日?
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 10月下旬と11月下旬の日曜日 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯2019年 白山宮の本尊。秘仏十一面観世音菩薩をご開帳(33年毎)。
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
立山信仰史における芦峅寺衆徒の廻檀配札活動と立山曼荼羅
五箇山の獅子舞の起源
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

10月29日(月)

 朝は土砂降りの雨。午後からは晴れ間も見えたが、あまりの寒さに仕舞ってあった湯たんぽを出す。
 なんだかバタバタとしていてろくにニュースもチェックできていないが、解放された安田純平さんへの自己責任論が投げかけられてるようだが、
安田純平さん解放のニュースで気になったのは、「渡航禁止の国に行った!」という非難の声。外務省のHPでは退避勧告などについて、「法的な強制力をもっ て皆様の渡航を禁止したり、退避を命令したりするものではありません」としています。「法を無視してまで渡航した」というバッシングは誤解。
 安田菜津紀さんのこのツイートと、
貴方の住む街が武装組織に占領されたりして戦火の中に叩き込まれればおそらくどこの国の政府も「その街は危険だから近づくな」との渡航危険情報を出すで しょう。で、その上で聞きますが貴方はその街の住人として「危険だから誰も来るな。ジャーナリストはこの街の現状を伝えなくていい」と思いますか?
 菅野保氏のこのツイートが全てだろう。

 一昨日は魚津市東山にある東山神社再建の慶賀祭、昨日は岩稲神社の出雲への神送りを撮影に行って来た。こちらの様子も後々UPいたします。

東山神社の慶賀祭
↑東山神社の慶賀祭で舞を披露する小川寺獅子舞保存会。
↓岩稲八幡宮で行われた神送り。神様は煙に乗って出雲に向かうという。
岩稲八幡宮の神送り
 昨年の9月23日に撮影した海老江曳山まつりの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
海老江曳山まつり
↑町の中程で、提灯山になった3基の曳山が揃う。からくり実演や木遣り、やんさ踊りが繰り広げられた後、それぞれ町内曳きに戻る。

10月28日(日)

 旧暦10月は神無月。日本各地の神様が出雲大社に集結し一年の重大なことを話し合うため神様が不在になるので、こう呼ばれている。もっとも全国の神様が 集まって来るので出雲地方は神在月と呼ばれているとか、諏訪大社の祭神はあまりに身体が大きいので移動が大変だろうと他の神々が気遣って「諏訪明神」だけは出雲に出向かなくてもよいことになって長野の諏訪は神在月になったとか楽しい諸説も色々ある。

 今日は、富山市岩稲の八幡宮で出雲へ神様を送る神送りが行われるので撮影に行って来た。岩稲の神送り・神迎えは富山の行事百選にも選ばれており以前から気になっていた。今年の1月に「お鍬さま」を撮影にいった本芳彦弘さんの家の近くに岩稲の八幡宮があり、現在もこの行事が続いているか尋ねたところやっているということで詳しい時間が決まれば教えてもらうことになっていた。10月になってから本芳さんにお電話すると、神送りは午後3時からになったそうだ。
 昔は10月31日に神送り、11月30日に神迎えを行っていたそうだが今は人が集まりやすい10月の最終日曜日と11月の最終日曜日に変更された。
 岩稲は高山線の笹津駅と楡原駅の中間にある。最初は電車で行こうと思っていたが、富山から笹津に着く電車は11時5分着の次は14時49になる。笹津から岩稲までは歩くと30分ほどかかるので、電車なら11時5分着しかない。
 行きは電車を諦めて、もう少し本数の多いバスにした。
笹津のバス停

 富山駅前を12時30分発の猪谷行きのバスに乗車。このバスは岩稲八幡宮の前にある岩稲温泉楽今日館に停まるが、神通川の紅葉を撮影しながら歩きたいので笹津のバス停で下車した。
 笹津のバス停の近くにコンビニがあったので、おにぎりと焼き鳥、総菜パンを買って店内で食べる。
 コンビニから岩稲へ向かって歩くと笹津橋に。この橋から、神通川にかかる高山線の鉄道橋を撮影。

←笹津バス停。↓笹津橋からの鉄道橋。

笹津から岩稲までの紅葉
 神通川沿いの山々は思っていたより紅葉が進んでいた。空は曇りの場所と青空の場所が混在し、青空なのに雨が降っているお天気雨も久しぶりに体験した。普通に歩けば30分ほどなのに撮影に夢中になって1時間ほどかかり、岩稲八幡宮に到着したのは14時半過ぎだった。
 境内に行くと年配の方々が準備中で、杉の枝が積み上げられていた。岩稲の神送りは杉の枝を燃やし、その煙りに乗って神様が出雲へ向かうと伝えられている。
 村に子供がたくさんいた時代は小学4年生から中学3年生までが少年団を結成して行事にあたっていたが、今ではお年寄りが中心となっている。嘗ては旧細入村のほかの神社でもこのような神送りが行われていたそうだが、中断すること無く今も続いているのは岩稲の八幡宮だけだという。
 神送りが始まる少し前に、「お鍬さま」を撮影させていただいた本芳彦弘さんの奥さんもお参りに来られた。 拝殿にお供えを置かれたので小豆ご飯ですか?と尋ねると、大福餅だそうだ。 
↓岩稲の八幡宮。→境内では、すでに杉の枝が積み上げられていた。
岩稲八幡宮02
岩稲八幡宮01
岩稲八幡宮03
↑上段左:子供も境内の落ち葉を掃いてお手伝い/上段右:お賽銭を入れローソクを立て子供も一緒にお参りする/中段左:神送りのお供えは小豆ご飯。昔はたくさんの人がお供えしたそうだ/中段右:ローソクに火がつけられた/下段左:畳敷きの拝殿も珍しい/下段右:五輪塔。こちらに詳細が記されている。

 午後3時になり、神送りが始まった。以前は神送りが午後4時、日が沈むのが早くなる11 月の神迎えが午後3時からだったが、今は神送りも午後3時になって境内はまだ明るい。少年団が盛んだった頃は境内に続く階段に、神様の通る道として子供た ちがローソクを灯したそうだが、それも今は簡略化されてしまった。
 境内の端に積み上げられた杉の枝に火がつけられると、白い煙が空に伸びて行く。杉の枝が燃えて炎が見えそうにな ると、子供が杉の枝を被せる。炎を見せないで白い煙を見せるのがポイントのようだ。以前は竹も一緒に燃やして、バチバチと弾ける音と煙で盛大に送ったとい う。
 こちらの記事に岩稲八幡宮の祭神は応神天皇・比咩大神・神功皇后と書かれており、コトバンクにも八幡宮の祭神として応神天皇・比咩大神・神功皇后が紹介されているので、今日の神送りで出雲に向かわれたのはこの三神だろうか。
↓杉の枝に点火して神送りが始まった。→神様は煙りに乗って出雲へ向かう。
神送り02
神送り01
↓→杉の枝が燃え尽きると、しめ縄や御幣を燃やしてお焚き上げ。
神送り04
神送り03
神送り05

 30分ほどで集めた枝が燃えると、神社で使われていたしめ縄や御幣が燃やされてお焚き上げが行われる。最後は子供たちがホースで水を撒き、神送りの行事は終了した。「また来月の神迎えもよろしくね」と言って子供たちにお菓子が配られた。神迎えも同じように境内で杉の枝を燃やして白い煙を空にたなびかせ、神様を迎えるそうだ。
 県内では他に、射水市の加茂神社が神送りと神迎えを行っている。こちらは9月30日に神送り、10月31日に神迎えなので新暦での神無月だ。こちらは実際に見たことはないが、加茂神社の近くを流れる川に神職が小鮒を放す。神様が鮒に乗って出雲に向かわれるのだろう。

 約1時間で行事は終了し、集まった人達が家に帰る。今日はお天気が良かったので多く集まったそうだ。本芳さんの奥さんがお供えした大福餅のお下がりを下さった。

岩稲から楡原へ
楡原の紅葉
←↑神通川沿いに岩稲から楡原まで。

 来る時は笹津から歩いて来たので、帰りは楡原へ。神通川沿いにしばらく歩いていると、太陽が山に沈んで行った。本当に日の暮れるのが早くなった。
 ブラブラと撮影しながら歩いて、楡原駅に着いたのは16時半過ぎだった。時刻表を見ると、次の富山行きは17時27分。
 16時57分発の猪谷行きの電車があるので、撮影するため階段を上がってホームへ。楡原駅は無人で切符の販売機もない。
楡原駅01
楡原駅02

↑楡原駅(左)とホームに入る猪谷行きの電車。
←楡原駅のホームは、駅舎から階段を上ったところにある。17時を過ぎると、もう淋しくなるほど暗い。

 17時27分発の電車で富山へ。途中の駅で何度も時間調整するので、到着するのに50分ほどかかる。
 富山駅のホームでしばらく待って18時42分発の金沢行きで家に帰った。

ebook「神通峡を訪ねて第5集 岩稲かいわい」「岩稲の史跡・見学ポイントガイドブック」。細入村の気ままな旅人の館

10月27日(土)

 魚津市東山にある東山神社で社殿の再建を祝う慶賀祭があるというので、撮影に行って来た。お目当ては慶賀祭そのものよりも、式のオープニングで行われる小川寺の獅子舞だ。今年1月、魚津市小川寺へ伝統行事の宮田(みやでん)を撮影に行った時に、獅子舞保存会の方から秋に東山神社の慶賀祭で獅子舞をすると聞いた。その後何度か連絡をして、今日の日にちと時間がわかった。
 獅子舞の登場時間は9時半から。地図を見ると、魚津駅から東山神社までは自転車で30分はかかりそうだ。余裕をみて魚津駅に8時35分に到着する電車に乗ろうと7時頃に家を出ようとすると、「?」自転車が異様に重い。タイヤを見ると前輪がぺちゃんこだ。雨も降ってるし一瞬今日の撮影はやめにしようかと思ったが、前輪に100円ショップで購入した空気入れで空気を入れてみた。駅まで走って大丈夫なら自転車を輪行して撮影に行くことにする。
 5分ほど走って駅に到着し、前輪を確認すると空気が抜けていない。一応用心に空気入れも持って来たので自転車を輪行して、魚津へ向かった。
 魚津駅に着いて自転車を組み立てタイヤを触ると、少し空気が抜けているようだ。小さい穴が開いているのだろうか。とりあえず持って来た空気入れで注入する。15分ほど走ったところで自転車を漕ぐペダルが重くなっているので、もう一度空気を入れる。雨は降っているしタイヤの空気は抜けるしで来たことを少し後悔したが、なんとか9時20分頃に東山神社に到着した。
 神社は東山公民館の隣に建立されていた。元々は今の場所から200mほど離れた山裾の斜面に建っていたが、2014年7月の集中豪雨で土砂崩れに巻きこまれて倒壊したという。
 公民館の敷地にある物置のような建物に御舟代が、安置されていた。昨晩この御舟代に御神体を乗せ集落内をまわった後、新しい神社に御神体を遷座する遷座祭が執り行われたそうだ。 

↓再建された東山神社。→前日の晩に御神体をお運びした御舟代。
東山神社
 9時半になり、公民館の前でオープニングの余興として小川寺の獅子舞が行われた。演目は3つで下の写真の上段が「四人天狗刀合せ」、中段が「四人天狗唐傘踊り」、下段が「もっこ返し」。
小川寺の獅子舞
 10分ほどで獅子舞が終わると、神社の方で神事が行われた。神社再建の慶賀祭と秋季例祭を兼ねた祭典だそうだ。
 鳥居の前で身を清めて参列者が真新しい社殿に入る。修祓、祭主一拝、祝詞奏上、献餞。そして神職による神楽「朝日舞」や、能楽師による能や謡が奉納された。因みに東山神社は、魚津市にある宮津八幡宮の兼務社だそうだ。
 10時40分過ぎに玉串奉奠が終わり、関係者が社殿の前に並んで記念撮影。隣の公民館の前では、婦人部による「越中おわら節」の踊りが披露された。
婦人部による越中おわら節
 慶賀祭の最後は、小川寺獅子舞保存会による餅まき。この餅まきは2015年に富山・日枝神社の山王祭で魚津市の芸能としてせり込み蝶六と一緒に小川寺の獅子舞が招待されたステージで一度見ている。こっけい芝居のような餅まきだ。
餅まき01
餅まき02
↑→餅まきの始まりは、花の口上から。
↓→5分ほど寸劇が続いた後、餅がまかれた。
餅まき04
餅まき03
餅まき05
餅まき06

 11時15分頃には餅まきも終わり、慶賀祭は滞り無く終了した。
 公民館の敷地に止めておいた自転車の前輪は、またぺちゃんこになっていた。空気入れで注入して魚津駅へ向かうが、300mほど走るとペダルが重くなる。もう空気が抜けている。空気の抜けるのが早くなっている。自転車をとめて、また注入する。
 空気を入れるはしからシューッという漏れる音がしてくる。どうもチューブの辺りから聞こえる気がする。まさか、パンクではなく虫ゴムか?  

 タイヤから金属のチューブを抜取りチューブの下に付いている虫ゴムを見ると・・・破けて少し外れている。ゴムを引っ張り上げてチューブの隙間を埋め、タイヤに戻して空気を入れる。これで直ればいいな、と淡い期待を込めて駅へと自転車を走らす。今度は走っていてもペダルが重くなることはない。やっぱり虫ゴムが原因だったのだ。
 コンビニで肉まんと春巻きを一つ買って食べて、魚津駅へ。せっかく一日フリーきっぷを買ったから真っ直ぐ帰るのは勿体ない気がしたが、朝から自転車のトラブルで疲れてしまった。12時48分発の金沢行きで、寄り道もせず家に帰った。
*北日本新聞の記事

10月24日(水)

 朝起きてパソコンを起ち上げてFacebookを見ると、シリアで拘束されている安田純平さんの「解放の可能性高い」というニュースが流れて来た。夜にはトルコ側に保護された本人の映像も公開された。
 午後から自転車で、髪を切りに行って来た。
 沖縄関連の気になった記事を2つ、備忘録として。
「玉陵」が国宝に指定へ
岡本太郎が沖縄で起こした“事件” その真相に迫る映画 天才芸術家のラブレター
 この国宝に指定されようとしている玉陵(玉御殿)で、 今年の4月6日、第23代当主により40年ぶりに清明祭が行われたそうだ。
 昨日は家族で黒部峡谷を走るトロッコ電車に乗って紅葉を見て来た。
宇奈月駅

10月23日(火)
 前日に決まった黒部峡谷への日帰り旅行。朝8時前に迎えに来た妹の車で両親と4人で宇奈月駅へ向かう。
 黒部で高速道路を下りる。昨年から今年にかけて下立や栃屋、浦山、愛本、墓ノ木とここら辺を撮影しているので、自転車で走った道も多い。
 家を出て1時間半ほどで、トロッコ電車の出発する宇奈月駅に着いた。

←宇奈月駅。↓トロッコ電車。

トロッコ電車
 9時42分に宇奈月駅を出発して、11時に欅平駅に到着する便に乗る。乗車しながら写真を撮りたいので窓の付いていない普通車にしたが、両親と妹は窓のある特別車両に。
宇奈月駅から欅平駅
欅平に到着

↑宇奈月駅から欅平駅までの車内から。

 トロッコ電車に乗るのは初めてで、黒部峡谷の風景も新鮮。次々に現われる左右の景色にカメラを向けていると、撮影はまさにシューティング(射撃)だと思う。
 窓がないので風が入り冷える。電車の中にはトイレが無いので、欅平駅に到着したら、真っ先にトイレへ向かった。
 先ずは駅の2階にある食堂で早めの昼食。チャーシュー麺1000円は観光地値段だが、大きなチャーシュー4枚は良心的。

↓お昼に食べたチャーシュー麺。→欅平の青空。
青空と紅葉
チャーシューラーメン
 駅から上流に向かって10分ほど歩いた名剣橋まで行き、記念撮影。少し戻って人喰岩でも記念撮影。紅葉もさることながら、黒部峡谷の魅力は渓流だろう。紅葉はまだ始まったばかりで5段階中3、まだしばらく楽しめそうだ。
↓人喰岩の前で。→名剣橋にて。
名剣橋で記念写真
人喰岩で記念写真
 駅に戻り、今度は下流の方へ30分ほど歩いた猿飛峡へ。父親と母親は駅の周辺をウロウロして待っているという。
↓猿飛峡への途中、振り返って見上げる奥鐘山。→根曲がりの木。
根曲がりの木
奥鐘山
 撮影しながら30分弱で猿飛峡に到着。道は歩きやすく整備されているが、想像していたより起伏があったので、両親は駅前散策で正解だったかも。
↓→猿飛峡にて。
猿飛峡の記念写真
猿飛峡
 猿飛峡から欅平駅に戻り両親を捜すと、お土産を買って2階の食堂で休んでいた。13時31分の宇奈月駅行きが直ぐにあったが、もう少し駅周辺や欅平ビジターセンターを見学したいので、14時58分発のトロッコ電車に乗ることにする。
紅葉の山々と渓流
↑駅前の山と渓流。↓一番紅葉の進んでいた山肌。→欅平の駅前広場にて。
欅平駅前広場での記念写真
欅平から宇奈月
やまびこ展望台から

 14時58分のトロッコ電車で宇奈月駅へ戻る。帰りも写真を撮りたいので、自分だけ窓のない普通車に。風が冷たいのでリュックに入れてあるヤッケを取り出す。
 16時14分に宇奈月駅に到着。駅前の駐車場で少し待ってもらい、歩いて3分のやまびこ展望台へ。トロッコ電車が赤い橋を渡るところを撮りたかったが待たせるのも悪いし、日も暮れて来た。今度は宇奈月駅周辺をゆっくり撮影したい。

←やまびこ展望台から。

 黒部から高速に乗り高岡砺波のインターチェンジで下りる。家に帰る前に回転寿しにより、夕ご飯。マグロ、エンガワ、ホタテ、赤貝、蟹ミソ、生ハムとオニオン、納豆巻き。

10月22日(月)

 秋晴れのよい天気だったが、家から一歩も出ることなく部屋に籠って撮影データの現像。一昨日は高岡市吉久の獅子舞を、昨日は南砺市にある安居寺(あんごじ)のご本尊奉安1300年記念大法要を見て来た。こちらの様子も後々UPいたします。
吉久の獅子舞
↑吉久の獅子舞。招待花にて。↓安居寺の稚児行列にて。
安居寺の稚児行列にて
 昨年の9月23日に撮影した有磯正八幡宮の獅子頭総覧の写真をPhoto Albumにしました。こちら
有磯正八幡宮の獅子頭総覧
↑氏子町内の獅子頭30基ほどが社務所に並べられた、有磯正八幡宮の獅子頭総覧。

10月21日(日)

 今月12日の北日本新聞の記事に、南砺市にある真言宗の古刹・安居寺(あんごじ)でご本尊奉安1300年の大法要が行われると書かれていた。33年ごとのご本尊開帳と開山1300年の節目を合わせて20、21日の2日間に渡り境内にある収蔵庫で聖観世音菩薩や地主地蔵尊などが公開されるという。
 お寺に詳細を問い合わせたところ20日は12時から獅子舞と餅まきが、21日は13時半から稚児行列があり、その後大法要が営まれるということだった。
 福野駅から安居寺まで随時シャトルバスが運行すると新聞に書いてあったが、お天気も良いので自転車を輪行して行くことにした。
 家から自転車で戸出駅まで行き、11時16分発の城端線で福野駅へ。11時39分に到着して駅を出ると、それらしいバスが駅前のロータリーに停まっていたが直ぐに発車してしまった。
 福野駅から夜高祭の際に賑わう銀行の四つ角に出ると、そこからは一直線で30分ほどで安居寺の下まで着いた。ここから坂を200mほど上がったところにお寺があるという。警備の人に断わって道路の端に自転車を置かせてもらった。坂の横に立派な屋敷があったので寄って見ると国登録有形文化財に指定されている富田家住宅だった。
富田家住宅
安居寺01

↑富田家住宅。
←安居寺の本堂。

 坂を上り安居寺へ。本堂前の広場にテントが並び、お弁当や特産品が売られていた。赤飯のおにぎり150円が美味しそうだったので、一つ買って食べる。
 本堂の脇から観音堂へ行き、観音堂の裏手にある収蔵庫へ。拝観料500円を払って、御開帳されたご本尊などを扉の外から拝見する。テレビ、新聞も含めて撮影は一切禁止のようだ。

安居寺02
稚児行列01

↑上段左:観音堂/上段右:収蔵庫/中段右:仁王門/下段左:鐘楼堂

 御開帳された収蔵庫を観た後、境内をブラブラ撮影して歩き、13時過ぎに稚児行列が始まる坂の下へ。北日本新聞の記事によると79人の稚児が参加したそうだ。
 13時30分になり、僧侶を先頭に坂を上がって仁王門から境内に入る。仁王門の前で雅楽の奏者が行列を迎える。仁王門を潜り、観音堂の前まで行って行列は終了。

←坂をゆっくり上がってくる稚児行列。

稚児行列02
↑坂を上がり仁王門を潜る行列。↓観音堂の前まで歩いて行く。
稚児行列04
稚児行列03
稚児行列と読経
 観音堂の前で親に手を引かれたり抱かれた稚児が、順番に僧侶から先端を黒く焼いた棒でオデコを撫でて貰う。全員終了すると、観音堂手前の参道に僧侶が2列に並び、読経が始まった。10分ほど読経が行われた後、僧侶達は観音堂の中に入って行った。
 14時過ぎから本堂で、ご本尊奉安1300年記念大法要が執り行われた。安居寺は1300年前の718年(養老2年)に天竺(インドの旧名)から渡来した高僧、善無畏三蔵(ぜんむいさんぞう)により創建され、ご本尊の聖観世音菩薩が奉安されたのが始まりだそうだ。
大法要01
大法要02
↑↓→ご本尊奉安1300年記念大法要。読経の合間に雅楽が奏される。
大法要03
山主の挨拶と感謝状の贈呈
 1時間半ほどの大法要は15時半過ぎに終了し、引き続き山主の挨拶と功労者への感謝状の贈呈が行われた。
↓安居寺の山門。→山門横にある大ケヤキ。
大ケヤキ
トトロのバス停

 16時頃にお寺を出て坂を下る。止めておいた自転車に乗り、福野駅へと走る。暫くすると猫バスが停まりそうな、トトロの絵を描いたバス停があった。
 福野駅に着いて時刻表を見ると、16時36分発の電車があった。後5分ほどしかないので、慌てて自転車を折りたたんで輪行袋に入れる。
 ホームで待っていると、やって来たのは忍者ハットリくん列車だった。

←猫バスの停まりそうなバス停。
電車と干し柿
 16時55分に戸出駅に着いて自転車を組み立て、家へと向かう。少し走ったところで、たくさんの干し柿を吊るした民家を見つけた。

10月20日(土)

 今日は高岡市吉久の獅子舞を撮影に行く。以前から旧道沿いの古い町並みで行われる吉久の獅子舞を撮影したいと思っていたが、秋祭りの集中する土日は重なり合うので来れずにいた。
 あいの風とやま鉄道で13時41分に高岡駅へ。万葉線乗り場に行くと、既に路面電車が停車していて乗り込むと直ぐに発車した。14時14分頃吉久の停留所に到着し料金を払って降りようとすると、運転手さんが「帰りも乗りますか?」と尋ねて帰りの無料乗車券を手渡してくれた。お祭りに合わせたサービスイベントだろうか。
子供獅子

 万葉線の走る通りから住宅地に入り旧道へ行くと、さっそく子供たちだけで舞う子供獅子を見つけた。2軒ほど舞うと休憩になったので、吉久の神明社へ行ってみる。
 町中に獅子舞とお神輿の巡行図が貼られていたので確認すると15時に神明社に戻ることになっていたが、14時半頃に神社に行くと丁度お神輿が蔵に仕舞われるところだった。予定よりも巡行が早く終わったようだ。

←旧道で行われていた子供獅子。

↓巡行を終えて仕舞われるお神輿。→神明社。
お神輿の還御
 子供獅子が休憩に入り、お神輿の巡行も終了したので今日と明日の2日間開催されている「さまのこアート in よっさ」を少しだけ見学。古い町並みの並ぶ旧道沿いの家をギャラリーにして様々な作品を展示するもので、マップには35軒が記されている。作品の横に家号と家紋を記した板が置かれている家もあり、こんな説明が書かれていた。
吉久の家号
江戸、明治から続く旧家の名字の代わりの呼び名
◯◯衛門様が◯◯エンサ ◯◯兵衛様が◯◯ベサ
あるいは通り名の後に様をつけて◯◯サと呼んだ
また、集落、道路等の位置、出身地、職業等で呼ばれる事もあった。分家であれば、アラベ(新家)コアラベ(古い新家)と呼び、氷見ではシンタク(新宅)と呼んだ
現在ではこのような家号で呼ぶことが少なくなりましたが、昭和35年以前から今日まで、旧放生津往来に代々住み続けている家に限定して、家紋と家号を展示しています
さまのこアート in よっさ2018実行委員会

さまのこアート
↑<さまのこ>とは、千本格子。軒先きや室内に作品を展示した、さまのこアートの会場。
 さまのこアートを見ながら散策していて町外れに行くと、祭礼の提灯を下げた小さな神社が。提灯には六渡寺新神明社と書いてある。吉久には神明社が3つあるそうで、こちらもその一つだろう。
六渡寺新の神明社

 微かにお囃子の音が聴こえて来たので、聴こえる方角に歩くと万葉線の通る道に出た。万葉線の横を獅子方を乗せた軽トラが走って来た。
 企業を回っていた大人獅子が、これから町中を回るというのでついて行く。
 キリコは花笠を被らず背中に背負っており、天狗はお面をつけていないので何故なのか尋ねると軒数が多いからだそう。招待花の家では被るそうなので、その差別化もあるかもしれない。
↓家を回る大人獅子。

大人獅子01
大人獅子02
 大人獅子を撮影しながら歩いていると子供獅子がやってきたので、今度はしばらく子供獅子について行く。
再び子供獅子
↑子供獅子。お囃子で笛を吹いていた女の子が獅子取りをやったが、なかなか上手だった。
 子供獅子について歩いていると、大人獅子の獅子方が子供獅子から2人連れ出したので後を追いかけると招待花の獅子舞が始まるところだった。
 獅子舞の巡行図の端に招待花のスケジュールが書かれている。
平成30年招待順
1.湊家    西町   16:30
2.船山家   西町   16:40

夜の部
1.畑家    さくら台 17:30
2.越前家   寺中町  18:15
3.水持家    寺中町  18:35
4.若杉家   第一町  19:00
5.吉井家   寺中町  19:30
6.浅川家   本町   19:50
7.浅野家   日の出町 20:10
8.長谷川家  さくら台 20:40

招待花01
招待花02

↑湊家と船山家の招待花。キリコは花笠を被り、天狗は面をつけて舞う。
←提灯にあかりがついた神明社。

 湊家と船山家の新築祝いの招待花が終わると、神明社の横にある公民館で食事休憩になった。17時半から始まる夜の招待花の家は、公民館から歩いて5分ほどだ。子供獅子は夕方で終了し、太鼓台の片付けが行われていた。
 夜の招待花の一軒目の家に行き、獅子舞一行が来るのを待つ。

夜の招待花01
夜の招待花02
福正宗の看板

↑夜の招待花の様子。

 獅子方の一人に吉久の獅子舞の演目を尋ねると、「棒取り」「酒樽」「唐傘」「ドコドコ」「でんでん虫」「松明」「まっちゃんたっき」という演目名を教えて下さった。「まっちゃんたっき」はキリコと獅子頭を乗せてまわる演目だそうだ。
 吉久の獅子舞はキリコがいるので、新湊系の獅子舞だと思っていたが公民館前にあった掲示板には加賀獅子の流れを汲むと書かれていた。

吉久獅子舞とは
 加賀大獅子の流れを汲み、天狗が棒、薙刀、松明を持って獅子を打つ豪快な荒獅子で子供が獅子と戯れる優雅な舞や、近年は酒樽等伝統を踏まえた創作まで演ずる

ハイッタ・ハイッタとは
 吉久で結婚、新築等慶事があった家では祭に獅子を招待して、花(祝儀)を打つと目録を読み天狗と獅子が家の中へ繰り込み座敷で獅子を舞う風習がある

 夜の招待花は3軒ついて歩いた。3軒目の水持家では地元の古里研究会が企画して6年ぶりにハイッタハイッタが行われた
 19時も過ぎたので家に帰ろうと万葉線の吉久停留所の方へ歩いて行くと、途中の酒屋さんに「福正宗」の看板が光っていた。「フクちゃん福正もってきて」のフクちゃんも光っていた。 福正宗は加賀のお酒だ。

10月19日(金)

 午前中は晴れていたのに、お昼過ぎから雷雨になり、2時間ほど叩き付けるような雨が降った。午前中にお隣の石川県珠洲市で1時間に約100mmの猛烈な雨が降ったというニュースがあったが、その雲が流れてきたのかと思った。
 一昨日の夜にアマゾンのマーケットプレイスでポチった本が、今日届いた。ポチったのは『現代日本写真全集第5巻 新出雲風土記/植田正治』(小学館)。昭和55年発行の本で、当時4,300円の大型本だ。本代115円と送料257円の372円で購入した。ゆうパックで送られて来たが、本屋さんはこの本を売っていくらの利益になるのだろうか。
↓激しい雷雨だった今日の午後。→今日届いた『新出雲風土記』。
新出雲風土記
今日の雷雨

 油圧機器メーカーKYBのデータ改ざん事件の影に隠れてあまり報道されていないが、東電は放射性物質の測定結果に関する資料の誤りが、当初の約260ヶ所から1276ヶ所に増えたことを明らかにした。誤り・・・?
 新閣僚のスキャンダルを2つ。
片山さつき氏側に「現金渡した」 口利き疑惑で会社経営者
宮腰沖北相、談合企業からの献金認める 36万円返金へ

 昨年の9月23日に撮影した、大仏様のお身拭いの写真をPhoto Albumにしました。こちら
高岡大仏のお身拭い
↑日本三大大仏の一つ、高岡大仏。一年で積もった汚れを落とすお身拭い。30分ほどで大仏様を拭いた後、境内の灯籠などを掃除する。

10月16日(火)

成功のカギは「血筋」 「学歴」初の首位陥落 大学生意識調査
 虚構新聞の記事だけれど、アハハと笑えないのは現実がかなりこの状況だからだろうか。”たい焼き一本釣り”は虚構新聞らしくて笑った。

 福島第1原発事故を巡り、津波対策を怠ったとして業務上過失致死傷罪で強制起訴された東電旧経営陣3人の公判が今日から始まった。この他、原発関連の記事を備忘録として。
"賠償費7兆円"でも東京電力は倒産しない
原子力施設解体180億円 原子力機構10施設で試算 国民負担増額も
日立、GEと小型原発を共同開発 海外輸出に活路

 13日は東狐(とっこ)地区の獅子舞を、14日は元新屋の獅子舞を見て来た。共に下新川系の獅子舞で、露払い・道化役の願念坊が登場する。願念坊は願人坊のことだが東狐ではジジ・ババ、元新屋では願念坊と呼んでいる。ジジ・ババと呼んでいる地区と、願念坊と呼んでいる地区と、ジジ・ババと呼んでいるが願念坊と認識している地区がある。この辺りの伝播の仕方が興味深い。
 こちらの様子も後々UPいたします。
東狐のババ
↑13日に撮影した入善町東狐の獅子舞。演目「天狗相撲」で走り回るババ。
元荒屋の願念坊
↑14日に撮影した元新屋の獅子舞。町回りが終わり神社に入場する9人の願念坊。願念坊というより仮装行列のようだ。

 先日、来年に限り5月1日と10月22日を祝日にすることが決まったが、既に来年のカレンダーを販売しているところもある。スケジュール帳もそうだろう。あまり話題になっていないが、印刷し直すとなったら大変な労力と出費だ。

10月14日(日)

 昨日は入善町東狐の獅子舞を見に行ったが、今日は入善町元新屋の獅子舞。住吉社の秋の祭礼で、10月15日に近い土・日の 2日間で地区を巡行する。事前に教育委員会に問い合わせたところ初日の昨日は15時から住吉社で神幸式を行ってから地区を巡行し、2日目の今日は20時に宮入りして22時頃まで獅子舞の奉納が行われるということだった。
 駅で一日フリーきっぷを買おうと窓口に行くと、閉まっている。駅員さんが一人なのでお昼の休憩なのだろうが、一日フリーきっぷは自販機では購入出来ない。せっかく当日でも買えるようになったのに、窓口が閉まっていてはお話しにならない。インターホンもないので、待合室にいらした女性に切符が買えないことを話していると駅事務所から駅員さんが出てきた。一日フリーきっぷを買いたい旨を話す。せっかくの休憩時間にという顔を見せながら、それでもきっぷを販売してくれた。
  あいの風とやま鉄道で13時57分に入善駅に到着。住吉社は今年の7月に新屋大磐祭りを撮影しに来ており、駅前の道をほぼ真っ直ぐ走ればいい。
 駅で自転車を組み立てていると、直ぐ近くでお囃子が聴こえてきた。行ってみると小さなお神輿が巡行していた。今日は入善町のアチコチで秋の祭礼が行われているようだ。

↓→住吉社。入善駅から自転車で20分ほどだろうか。
住吉社02
住吉社01
 一度来ているので迷わず住吉社に着いた。鳥居の前に大きな祭礼の幟が揚がっているが、境内は静かで祭りの日の雰囲気がしない。元新屋の獅子が舞うそうなので、元新屋地区へお神輿と獅子を探しに自転車で走る。
永田家での獅子舞
 10分ほど自転車で走ったところで、獅子舞を発見した。家の前にお神輿が安置され、その前で女性が民謡を踊っていた。
 写真を撮りながら見ていると、お菓子やお餅、飲み物が配られたのでお餅を2ついただいた。
 女性の踊り、小天狗の傘舞の後、最後は大天狗の傘舞。昨日の東狐の獅子舞で、天狗が両手に傘を持って前転したのを見て凄いと思ったが、元新屋は両手に傘を持った天狗が4人も登場し、一斉に前転をする。見事としかいいようがない。
永田家での獅子舞02
 天狗の演目が終わるとお神輿が担がれ近くに停車していたトラックに積み込まれる。そして旗を持った子供を先頭に、次の家へと巡行する。
 次の家に着いたところで天狗の一人に日程表や演目を書いたものはないか尋ねると、獅子舞の荷物を積んだ車の窓に貼ってあるというので複写させてもらった。
 以下が14日の巡行。13日は15時から住吉社で神幸式を行い、24時頃まで地区をまわったそうだ。

7.小堀◯介      10:30〜11:00 *獅子起こし 4竿 子 女 女 子 4傘
(お旅所)
8.吉野◯樹      11:30〜12:00 *獅子起こし 4竿 子 女 女 子 4傘

9.JAみな穂南部支店  12:20〜13:20 *獅子起こし 6傘 子 女 女 子 太鼓 
(昼食)                    太鼓(子) 猩々 16刀

10.宝泉◯       13:30〜14:00 *獅子起こし 子 女 女 女 子 4傘

11.永田◯彦      14:20〜14:50 *獅子起こし 子 女 女 女 子 4傘

12.早川◯治      15:20〜15:50 *獅子起こし 子 4竿 女 女 子 4刀       
                        (仮) 4傘
13.神明社       16:00〜17:00 *獅子起こし 6竿 子 女 女 子 4傘

14.米山農産      17:20〜17:50 *獅子起こし 子 女 女 女 子 4傘 
(招待)                     4刀(仮)

15.早川◯       18:00〜19:00 *獅子起こし 4竿 子 女 女 太鼓(子) 
(夕食)                     太鼓 猩々 子 4傘

16.小堀◯幸      19:30〜20:00 *獅子起こし 4竿 子 女 女 子 4傘

17.住吉社       20:10〜22:00 *獅子起こし 子 4傘 女 女 女 子 4  
                         竿(火) 24刀

*女は女性による踊り、子は小天狗の舞。猩々以外、傘や竿、刀の演目に特別な名前は付いていないようだ。また、女性の踊りのレパートリーは「めでた節」「越中おわら節」「出雲節」「佐渡おけさ」「新川古代神」がある。

↓お神輿の巡行。→元新屋の獅子は一人立ちが基本のようだ。
一人立ちの獅子
早川家での獅子舞
 永田家から早川家へお神輿が巡行。家の近くにトラックを止めて、荷台からお神輿が担ぎ出された。お神輿は家の前で上下左右に大きく揺さぶられながら、家の前を何回かグルグルとまわる。そして祭壇の作られた部屋の前に安置される。
 獅子舞の最初の演目は獅子起こし。下新川系の獅子は2人立ちが多いが、元新屋は基本的に一人立ちだという。30分ほどで8つの演目を行って、次の神明社に移動する。
神明社への入場01
神明社への入場02
↑仮装行列のような願念坊が入場。→最後は肩に乗った小天狗と獅子。
↓入場の最後はお神輿が境内に担ぎ込まれる。→獅子に頭を噛んでもらう女の子。
獅子に頭を噛んでもらう女の子
神明社での獅子舞01
神明社での獅子舞02
 神明社では願念坊を先頭に入場が行われた。椚山と同じく、入場のことを「ちょうれん」とも呼ぶそうだ。仮装行列のような9人の願念坊が鳥居の手前に置かれた松明の間を通り、続いて天狗や女性たちが境内に入って行く。社殿を何回かまわり入場が終わると、お神輿が上下左右に大きく揺さぶられて境内をまわった後、拝殿の前に安置され、獅子舞の演目が奉納された。
 だんだん日が暮れて、いつの間にかお神輿に提灯が取り付けられていた。
米山農産での神輿と祈祷
米山農産での獅子舞

↑米山農産でのお神輿と神職の祈祷。
←4人の刀。

 神明社から米山農産へ。獅子こそ一人立ちと二人立ちの違いがあるが、演目や獅子舞の流れ、そしてお神輿と獅子が一緒に巡行するなど今月の7日に撮影した椚山の獅子舞とよく似ている。入善町のホームページによれば、椚山のほうが元新屋の獅子舞に影響を受けたようだ。
 予定より25分ほど押して、米山農産から次の早川家へと移動した。

早川家での獅子舞

↑早川家での演目。上段左:お神輿の入場/上段右:獅子起こし/中段:太鼓/下段左:猩々/下段右:4傘

 早川家では太鼓が披露された。住吉社の大磐祭りの時に奉納された「あらや住吉太鼓」だろうか。
 天狗が桶に入ったお酒を取り合って酔っぱらう猩々も、演出が多彩で滑稽芝居のようだ。みんな役者で、 まさに名もなき俳優(わざおぎ)という言葉が相応しい。

小堀家での獅子舞

 だんだんと予定が押して行き、町回りの最後となる小堀家には30分以上遅くなった20時過ぎに到着。夕ご飯は途中にコンビニを探して食べようと思っていたが、獅子舞に付いて歩くとカマボコやらお餅、お菓子などが見に来た人に振る舞われるので、それでお腹が満たされた。

 住吉社へお神輿が還御したのは予定より40分ほど遅れた20時50分過ぎだった。先ずは鳥居の前に松明が焚かれ、9人の願念坊が境内に進む。その後を天狗や女性の踊り手、肩に乗った小天狗が続く。境内を進んで社殿のまわりを3回ほどグルグルと回った後に、お神輿が入って来た。

住吉社への入場01
住吉社への入場02
↑↓→住吉社への入場。境内に入ると社殿の外を3回ほどまわる。
住吉社への入場
お神輿の還御01

 お神輿は境内に入ると上下左右に揺さぶられながら、境内を走り回る。一周すると停止して様子を伺うが、良し!の合図が出るまで回らなくてはならないようだ。20分ほど揺さぶりと走りと繰り返して、ようやく拝殿の中にお神輿を入れることができた。
 拝殿の中では還幸式が行われ、同時に境内では獅子舞の奉納が行われる。

←↓揺さぶられながら境内を回った後、拝殿に突っ込むように入れられたお神輿。

お神輿の還御02
神明社での獅子舞

 最初の演目である「獅子起こし」が始まったのは獅子舞奉納が終了する予定時間を過ぎた、21時45分頃だった。
 家に帰る最終電車は入善駅を22時50分に出る。住吉社から駅までは自転車で20分ほどだが、最終電車に乗り遅れると大変なので22時頃には神社を出る。
 神社での奉納には火をつけた竿を持つ演目や、大天狗・小天狗総出の24刀という演目もあるようだが諦めた。

←住吉社での奉納獅子舞。写真は小天狗。

 今日は家を出る時に慌ててしまい、メモリーカードを入れたケースを忘れてきた。カメラに入っていた8GBのカードしかなかったので、不要な画像を消去しながら撮影をしていた。
 最終電車の中で撮影した画像を確認し、獅子舞でもらった缶コーヒーを飲んでひと息ついた。

10月13日(土)

 富山の獅子舞百選にも選ばれている入善町東狐(とっこ)の獅子舞。ネットを検索して今日獅子舞が行われることはわかったが、市の商工観光課や教育委員会に問い合わせても詳しい日程はわからない。朝から夜まで地区を回っているだろうと言われたので、とりあえず最寄り駅の西入善に昼頃に着くようにした。
西入善駅
 地元のスーパーでお昼ご飯用におにぎりやいなり寿司、お惣菜を買ってからあいの風とやま鉄道で西入善駅へ。
 11時57分に駅に到着し、自転車を組み立てる。地図を見ながら東狐地区の方へ走ると祭り半纏の男性が歩いていたので獅子舞の場所を尋ねると、今は昼食休憩で12時50分にこの辺りに来るそうだ。
 まだ40分ほど時間があるので、稲荷神社に行ってみる。今日の獅子舞は、稲荷神社の秋の祭礼で行われる。
↑西入善駅。↓→稲荷神社。
稲荷神社02
稲荷神社01
稲荷神社04
移動する天狗

↑稲荷神社の拝殿に獅子頭が。

 稲荷神社は直ぐに見つかった。お賽銭を入れるのに拝殿の中に入ると昔使っていたものだろうか、獅子頭がケースに入れて飾ってあった。
 境内で買って来たおにぎりを食べ、先ほど獅子舞が来ると言われた場所に向かうと、その途中で天狗や獅子を発見した。農愛公民館でお昼ご飯を食べ終わり、次の公民館へ向かうところだった。

 農愛公民館の前にいた願念坊のような格好の男性に話を聞くと、東狐では願念坊とは呼ばずジジとババで、自分がババだという。今日の獅子舞の日程を教えて欲しいとお願いすると、御巡行日程(予定時刻)と書かれた紙を見せて下さった。以下。
宮坪公民館   8:40 集合
        9:20 出発
稲荷神社    9:30〜9:50 
上飯野新神社  10:00〜10:50 
農愛公民館   11:00〜12:00
(昼食)    12:00〜12:40
三ツ家公民館  12:50〜13:50 
金さん銀さん  14:00〜14:30
学園団地    14:40〜15;40
国道筋公民館  16:10〜17:10
宮坪公民館   17:20〜18:20
(夕食)    18:20〜19:00
稲荷神社    19:10
(記念撮影)  19:20〜19:40
(演技)    19:40〜21:30(終了予定)

 三ツ家公民館に到着すると、先ずは入場が行われる。高張提灯、ジジババ、小天狗、大天狗、傘を持ち肩車された子供、獅子の順に会場へ入る。そして、最初の演目は天狗が獅子を起こす「起し舞」。また、最後は傘を持った子供を肩車して退場する「獅子ノリ」が決まり事のようだ。
 下新川系の大天狗は太くて赤いタスキを掛けている場合が多いが、この東狐の大天狗は花柄のタスキだ。以下、三ツ家公民館での演目。
*起し舞 大回り小回り 小学生ランマリ ショウジョー カラカサ踊 カラカサ 越中おわら節 天狗相撲 獅子ノリ 
三ツ家公民館での獅子舞
↑上段左:竹箒を持った道化役のジジ(右)とババ(左)/上段右:傘を持った子供を肩車し、その後ろを獅子が歩いて入場する/中段左:小学生と天狗のランマリ/中段右:ショウジョー(猩々)/下段左:カラカサ踊/毎回演目の最後に行われる獅子ノリ
金さん銀さんでの獅子舞01
金さん銀さんでの獅子舞02

↑金さん銀さんにて、左は起し舞、右は大回り小回り。
←天狗が両手に傘を持ち前転をするカラカサ(唐傘)。これも下新川系らしい演目。

 三ツ家公民館での約1時間の上演が終わり、次はグループホーム・デイサービスの施設「金さん銀さん」。こちらは30分ほどで、以下が演目。
*起し舞 大回り小回り カラカサ 春夏秋冬入善音頭 天狗相撲 獅子ノリ

学園団地での獅子舞01
学園団地での獅子舞02

↑学園団地にて、左はカラカサ踊、右は大回り小回り。
←女性部による「入善恋歌」の踊り。獅子舞の間に民謡や演歌の出し物が入るのも下新川系の特徴だろう。

 金さん銀さんから、今度は新興住宅地らしい学園団地へ。こちらも約1時間で、以下が演目。
*起し舞 カラカサ踊 カラカサ 大回り小回り 天狗相撲 入善恋歌 ショウジョー 小学生ランマリ 獅子ノリ

 学園団地の次は国道筋公民館となっている。この2ヶ所は離れていて、歩くと30分ほどかかるだろうか。自転車で先回りしたが、途中にある飯野コミュニティー防災センターの駐車場で少し休憩した子供たちが公民館に到着したのは予定より10分ほど遅れた16時20分頃。ここでも1時間ほど上演が行われ、見に来た方々にお菓子や飲み物が振る舞われた。演目は以下。
*起し舞 大回り小回り1 大回り小回り2 テンマリ カラカサ踊 天狗相撲 成年ランマリ ショウジョー 平成音頭 獅子ノリ
国道筋公民館での獅子舞
↑上段左:滑稽な動作で笑わせるジジとババ/上段右:花の読み上げ/中段左:東狐の小天狗は踊りの他にお囃子も担当する。また小天狗に女の子がいるのも珍しい/中段右:テンマリ/下段左:天狗相撲/下段右:ショウジョー
宮坪公民館での獅子舞01

 国道筋公民館での演目が終わる頃には、すっかり暗くなっていた。町回りとしては次が最後の宮坪公民館だが、入場が始まったのは予定より25分ほど遅い17時45分頃だった。演目は以下。
*起し舞 カラカサ踊 テンマリ 大回り小回り 天狗相撲 春夏秋冬入善音頭 ショウジョー 越中おわら節 獅子ノリ

←宮坪公民館での入場。
↓天狗相撲(左)と越中おわら節(右)

宮坪公民館での獅子舞02
 宮坪公民館では演目の後、夕食の休憩がある。最後の稲荷神社への宮入りは19時10分の予定だったが、演目が押したので19時半頃になりそうだと言われる。とりあえず神社に行き、いなり寿司とお惣菜の春巻きを食べて始まるのを待つ。
稲荷神社での獅子舞01
 19時25分頃、宮入りが始まった。高張提灯を持った人を先頭に、ジジババ、小天狗、大天狗と順番に入場する。
 稲荷神社での演目は以下。
*起し舞 大回り小回り 平成音頭 カラカサ 入善恋歌 大回り小回り ショウジョー カラカサ踊 祭り太鼓 春夏秋冬入善音頭 トロロ 成年ランマリ 大回り小回り テンマリ 越中おわら節・豊年踊り 天狗相撲 小学生ランマリ 餅つき踊り 獅子ノリ
稲荷神社での獅子舞02
↑上段左:起し舞/上段右:ショウジョー/中段左:祭り太鼓/中段右:トロロ/下段左:小学生と天狗のランマリ/下段右:餅つき踊り
 宮入りした後、先ずは社殿の前に並んで子供と大人それぞれの記念写真が撮影された。そして神社での獅子舞の奉納。20程の演目を2時間近く掛けて行う。西入善からの最終電車は22時54分だが明日も獅子舞について歩いて撮影するので、21時45分の電車で帰ることにした。演目としては最後から2番目となる餅つき踊りの途中で神社を後にして、駅に向かった。
 ところで神社には神職の方が一人もいらっしゃらなかったので氏子の方に聞いたところ、稲荷神社の秋の祭礼は10月15日で、この日に生地の新治神社の宮司さんが来て祭典を行うそうだ。本来は獅子舞も15日だが、平日は人が集まれないので15日に近い土曜日になったようだ。

10月12日(金)

 昨日、『日本の古社 春日大社』(淡交社)を読み終えたが、その中に気になる文章があった。

式年造替と甦り
 生物というのは常に新陳代謝を行っています。そうすることによっていのちが伝わってゆく。これを新しく甦るといいますが、神様も同じだと思います。神様というのは、常に素晴らしいお力を発揮しておられますが、そのお力を保ち、さらに高揚させるため、毎年新しく甦られる。甦ることによって素晴らしいお力を発揮される。ですから、全国どこの神社でも、お札やお守りを毎年新しくします。古いお札をお正月に持ってきて新しいお札と換えるのは、そういう意味です。神様も甦られる。そして神様に常に最高のお力を発揮していただくために丁重なるお祭りを行い、神様にお悦びいただくのです。
 その甦りのひとつが式年造替(しきねんぞうたい)です。伊勢神宮では式年遷宮といいますが、二十年に一度、春日大社でも神様のお住まいを新しく建て替えます。それでお社がきれいになるわけですが、それだけではなく、建物を新しくすることによって、神様も新しく甦ってこられ、若々しいいのちが発揮されるのです。神様でも、そうやって伝統を伝えながら、ある期間ごとに甦っていかないと、いのちというものは伝わっていかないと思うのです。
 このように、春日大社に伝わる各種の文化・伝統は、祖先から受け継いだものを、それぞれの時代の人が確実に受けとめ、さらに次の世代に伝えるという、まさに地球上の生物が三十八億年もの間、いのちを伝えてきた生命の営みの原点と同じことを行ってきた結果、独自の信仰文化を築き上げ、今でもその命脈を保っているのです。

 
 20年毎に社を造り替えることで祀られている神様(の霊力)も新しく甦ってもらうという考えだ。
  先月読み終えた『日本の古社 伊勢神宮』(淡交社)では式年遷宮について、こう書かれている。
 なぜ遷宮(宮を遷す)するのかという問には、先に述べたように、ミヤ(宮)と発達する以前のヒモロキ(神籬)やヤシロ(社)の伝統を想起すればよいので す。それらはその年の瑞々しい実りを俟って行う大祭(神嘗)に際して、臨時的仮設的に祭場が設けられていたのですから、ミヤ(壮大な建造物)へと発達した 日にも、大祭を迎えるには新たな祭場、清々しい神の御座(みまし)を用意しなければならなかったのです。しかし、神の宮という宮殿のごとき大造営を前にし たとき、毎年それを実施することは到底できないことでしたから、式年を定めなければなりませんでした。

 この2つの文章を合わせて考えれば二上射水神社や放生津八幡宮の築山神事というのは、大祭に際して宮に発達する前に行われていた臨時の祭場をこしらえ、清々しい神の座に降臨していただき新しい霊力を発揮してもらうという神事なのではないだろうか。築山が曳山に発展したという説があるが、最近はまったく別の物だという説も唱えられている。
 曳山が出る祭りは日本各地にあるが、築山神事を継承しているのは二上射水神社と放生津八幡宮の2ヶ所だけで、嘗て築山神事を行っていたと言われているのが石川県の石動山にある伊須流伎比古神社だが廃絶となっている。
 だとすれば、 式年遷宮のように20年毎に敷地の隣に宮を移し替えたり、式年造替のように20年毎に造り換えたりする発想で、毎年祭礼に使い回しではあるが臨時の祭壇を建てることで新しく甦らせているのではないだろうか。


 今日は劇作家・斉藤憐さんの命日だ。2011年に70歳で亡くなられた。
 斉藤憐さんは一度だけお会いした事がある。エストニアがソ連から独立した直後、1991年のミュージック・マガジン11月号で「激動のソ連とロック」という特集が組まれ、その中で憐さんが、ロシア人の母を持ちモスクワで生まれた川村かおりと対談するのを撮影した。その対談は「川村かおりとひとときをすごして〜日ソの狭間から見る私達の未来」と題して8ページの記事になっている。川村かおりの父・川村秀さんと憐さんは親しく、当時一緒に会社を作ったりもされていたようだ。

 対談の場所は青山のロシア料理店「テアトロ・スンガリー」。加藤登紀子さんの父親が創業した店。対談の直前に担当者がテープレコーダーを忘れたのに気づき、急遽スタッフが編集部へ取りに行かなくてはならなくなって、フォトセッションを先にすることになった。
 バー・カウンターと、グランドピアノが置かれたフロアでポートレートを撮った。この時、ボクは彼女についてほとんど何も知らなかった。どう話しかけていいかも摑めず、わりと淡々とシャッターを切ったように思う。
 その時のベタ焼きを見ると、フォトセッションは36枚撮り1本分ほど撮影している。いろんなポーズのカットがあるので、ボクがポーズの注文をし彼女が応えてくれたのだろう。笑っている写真、笑顔の写真は一枚もない。たぶんボクは笑顔を注文しなかったのだろうし、彼女が自主的に笑顔を浮かべる事もなかった。

川村かおり

 フォトセッションの後、斉藤憐さんとの対談を撮影した。彼女の生い立ちや、この対談の一ヶ月程前に起こったソ連のクーデター、彼女の音楽感などがそこで語られている。対談中に撮影したフィルム2本分の中に、フォトセッションでは見られなかった屈託のない、或いは少しはにかんだような笑顔の彼女がいる。

 斉藤憐さんの著書が1冊、本棚にある。戯曲ではなく、ミュージック・マガジン社から出た『昭和のバンスキングたち ジャズ・港・放蕩』だ。この対談をキッカケに買ったわけではなくて、1997年10月号から雑誌「レコードコレクターズ」で始まった田中勝則さんと北中正和さんによる連載「戦後ニッポンのポピュラー音楽」の撮影を担当することになり、この連載と憐さんの『昭和のバンスキング・・・』はシンクロする部分があるので買って読んだ。
 憐さんが芝居『上海バンスキング』を書くにあたって戦前のジャズメンに会って話を聞いた中で、劇では溢れてしまう話を雑誌「ミュージック・マガジン」で連載し、それがまとまって1冊になったものだ。

←川村かおり。1991年9月11日撮影。まだ川村カオリになる前だった。

斉藤憐さん
↑劇作家・斉藤憐さん。1940年12月25日生まれだから、この時は51歳か。この撮影から2カ月ほどでソ連が崩壊し、ロシア連邦が出来た。

 昨年の9月16日に撮影した魚津八幡宮の献灯みこし祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
献灯みこし祭り
↑各町内の神輿が地区をまわった後、八幡宮の境内に入り神職のお祓いを受けた後、神輿を担いでスロープを駆け上がり拝殿に突っ込んで行く。
 備忘録として気になった記事を。
「沖縄の声に真摯に耳を傾けて」玉城デニー知事、安倍首相と会談
「前代未聞」「恥ずかしい」・・・議長決まらない町議会、投票44回目も不発
九州電力、13日に太陽光発電抑制 国内初の実施を決定

10月9日(火)

 8月8日に逝去された翁長雄志・前沖縄県知事の県民葬が那覇市奥武山の県立武道館で執り行われた。14時から沖縄タイムスがネット中継したのでパソコン画面で観ていた。「かぎやで風」の演奏でしめやかに始まったが、安倍首相の弔辞を菅官房長官が代読し終えると「帰れ」などの怒声が飛んだ。あいかわらず心にないことを綴った文章だが、怒声を飛ばした人はそれでも代読を終えるまで我慢したのだろう。読まれた弔辞の文章がこちらにある。
 草蝉や弔辞は一行あれば足る
 末吉發さんの写真集『どこにも仏桑華』から。<決まりきった虚しい言葉の羅列より「辺野古に基地は造りません」とひとこと言えばそれがなによりの慰霊の言葉になるのだが>

翁長前沖縄県知事01
↑「オスプレイ配備反対那覇市民大会」でスピーチする翁長雄志・那覇市長。2013年1月22日撮影。
翁長前沖縄県知事02

↑上左:那覇市長選の最中、栄町市場で遊説する翁長さん。2012年10月27日/上右:首里城祭の琉球王朝絵巻行列の開会宣言をする翁長さん。2012年10月28日/下左:那覇ハーリーの開会式でテープカットをする翁長さん。2013年5月3日/下右:那覇ハーリーの御願バーリーのスタートフラッグを振る翁長さん。2013年5月5日

 一昨日は入善町椚山(くぬぎやま)の獅子舞を撮影に行って来た。

10月7日(日)
 昨日、今日は椚山八幡社の秋祭りでお神輿の巡行と獅子舞が行われる。事前に椚山公民館に問い合わせたところ、6日は17時半に八幡社を出発して地区をまわり夜遅くに御旅所となっている個人のお宅にお神輿が泊まるということだった。最初はこの6日の巡行と獅子舞を見ようと思っていたが、台風25号が6日の夜から富山に接近するということで夕方以降の電車の運休が決まったので諦めた。
 今日はお昼頃に御旅所を出て地区をまわると聞いたので、入善駅に12時1分に到着するあいの風とやま鉄道に乗車する。駅の窓口で当日の一日フリーきっぷ1500円を購入。以前は乗車する前日までに購入しなくてはならなかったが、今年の春から当日でも買えるようになった。これは便利だ。
 入善駅に到着すると小雨が降っていた。これくらいの雨なら・・・と自転車を組み立てて八幡社に向かうが途中で雨足が強くなったので持ってきたレインポンチョを着用。地図を見ながら椚山公民館に行くが事務所には誰もいないので、八幡社に向かう。八幡社の拝殿にも誰もいらっしゃらなかったが微かにお囃子が聞こえてきた。
 八幡社の境内には大きなイチョウの木が1本立っているが、随分とすっきりしている。後で氏子の方に聞いたところ昨年木が強風で倒れ、他の木も調べたところ今残っているイチョウの木以外はダメになっているという診断が出たので、今年の春に切り倒したそうだ。
 お囃子の聴こえる方に自転車を走らせると、国道8号線に。8番らーめんの看板が見えたので先ずはお昼ご飯を食べようと向かうと、8番らーめんの隣の明文堂という本屋の入口で臨時の祭壇が作られていた。アチコチの祭礼でお会いする神職の方がいらしたので椚山八幡社のお神輿と獅子舞か尋ねると、そうだという返事。もう直ぐ神輿と獅子舞が到着するそうだ。
↓→椚山八幡社。
椚山八幡社02
椚山八幡社01

 お神輿と遭遇できたので、安心して8番らーめんへ。野菜らーめんと餃子の8番セットを注文。
 らーめんを食べていると、すぐ隣りから太鼓や笛の音が聴こえてくる。急いで食べ終えて、本屋の入口で行われている獅子舞を撮影する。
 下新川の獅子舞は、天狗の踊りと女の子たちの踊りが交互に行われる。踊りの合間に観客へお菓子が配られた。

↓明文堂とコスモス21での獅子舞。

明文堂とコスモ21での獅子舞
 明文堂での獅子舞が終わると、今度は国道8号線を挟んで反対側にあるコスモス21という施設へ。宮総代が先頭に立ち、旗を持つ子供を従えてお神輿が巡行する。その後を獅子方と踊りの女の子たちが続く。
 入善町のホームページによれば、椚山の獅子舞は能登から伝わり、新屋・君島地区などの良いところを取り入れて出来たという説と、新屋地区より伝わったという説があるそうだ。獅子舞の演目の種類は「天狗と獅子の起こし舞」「天狗の四、六、八人舞」「猩々(しょうじょう)」「子天狗の三人の竹舞・傘舞」「子天狗・大天狗の三人舞・十二人舞」となっている。
 『とやまの民俗芸能』(北日本新聞社)には、<現在、願人の舞が伝承されている地区には下新川郡入善町東狐(とっこ)、新屋両地区 、黒部市長屋地区ぐらいだが、かつては黒部市若栗、山田新、長正寺、沓掛、荒俣、立野地区から入善町の下山(にぎやま)、荒又、墓ノ木地区など広い地域に分布していた。なかでも入善町椚山地区に明治末期まで伝承されていた願人坊踊りは、注目されるものである。地元の伝承によれば、石川県能登地方から入ってきたとされているが、伝播経路は定かでない。ただ、願人坊が、コマザライやホウキを持って踊るのは、この椚山地区にだけみられたものである>と書かれている。
 獅子舞について歩きながら年配の男性に椚山の願念坊について尋ねてみたところ、お一人だけ神社の境内でホウキを持ってだらんとした服を着て踊る願念坊を見た記憶があるというが、他の方はその存在も知らなかった。やはり椚山では、昭和の初期には願念坊踊りがほぼ消えていたのかも知れない。
 コスモス21で20分ほど演目が披露された後、次は桃李小学校へ。自転車で先に小学校へ行くと神職の方が祭壇の用意をされていた。巡行日程表を持っていらしたので複写させていただいた。以下が日程。

平成30年度 椚山八幡社秋祭り お神輿巡行日程
10月6日
椚山八幡社     17:30
くぬぎ山住宅    17:45〜18:35
上組公民館     18:50〜19:40
椚山2区公民館   19:55〜20:15
魚崎家       20:30〜20:50
駒田家       21:00〜21:20
桜台2班公園    21:30〜22:20
吉田家       22:25〜23:15
西組第1公民館   23:20〜23:40
鍋島家(御旅所)  23:55

10月7日
鍋島家       11:15〜12:05
西組第2公民館   12:10〜12:30
明文堂       12:45〜13:05
コスモ21     13:10〜13:30
桃李小学校     13:40〜15:10
小川家       15:30〜15:50
いろり館      16:10〜18:40
椚山3区公民館   19:00〜19:20
椚山地区公民館   19:25〜19:45
上島家       20:00〜20:50
中川家       21:00〜21:20
椚山八幡社     22:10

桃李小学校入場
 小学校では大天狗、子天狗の順に入場し、獅子の後に肩に乗せられた子天狗が傘を持って登場する。宮入りの演目で「大門先」という地区もあるが、椚山では「ちょうれん」と呼んでいるそうだ。これもまた下新川の獅子舞らしい演目の一つだ。獅子の後は女の子の踊り手、お神輿が入場する。道行きは台車に乗せられていたお神輿だが、小学校の敷地に入ると青年団によって威勢良く担がれ、上下に揺さぶられながら祭壇の前まで巡行した。
桃李小学校での獅子舞
 女の子の踊りは「ソーラン節」や「こきりこ節」といった民謡に合わせて踊られる。天狗と女の子の踊りが終わった後、全員揃って記念撮影。
小学校から小川家へ巡行
↑桃李小学校から次の小川家へ移動。
小川家での獅子舞
↑小川家での獅子舞と踊り。お菓子やオードブル、飲み物が集まった人達に振る舞われる。
小川家からいろり館へ巡行
 小川家から今度はいろり館という、現在は宿泊施設にもなっている茅葺きの古民家へ。敷地の手前で青年団によりお神輿が担がれ、しばらく敷地の中を揺さぶりながらまわった後、祭壇の置かれた部屋の前に安置された。
 このいろり館で夕食と休憩が取られているが、休憩の前に「天狗と獅子の起こし舞」が演じられ、同時に神職による祈祷が行われた。
いろり館で獅子舞01
だるまさんが転んだで遊ぶ子供たち
 天狗と獅子の起こし舞が終わって獅子方、女の子の踊り手も中に入って夕食。その様子を撮影していると、どうぞ食べてって下さいとお声を掛けていただいた。
 お言葉に甘えてとん汁やオードブルをご馳走になる。お腹がいっぱいになったので、おにぎりはお持ち帰りにした。
 食べ終わった子供たちが外に出てきて、走り回っている。
 女の子は「ダルマさんが転んだ」を始めた。 着物の裾を引っ張りあげて真剣な子もいる。 
いろり館で獅子舞02
3区の公民館へ巡行
 休憩が終わり、18時10分頃からいろり館の前で獅子舞と踊りが披露された。天狗が酒の入った桶を取り合って酔っぱらう「猩々」も演じられた。椚山の猩々は3人の天狗が桶を取り合った。
 日程表では18時40分までとなっていたので、いろり館の獅子舞を見たら駅へ戻り19時11分の電車に乗ろうと思っていたが、予定をオーバーして19時頃まで行われたので電車を一つ遅らせて次の椚山3区公民館での獅子舞も見ることにした。
←3区の公民館へ向かう神輿。
3区公民館での獅子舞
 椚山3区の公民館は八幡社の前にあった。天狗と獅子の起こし舞から始まり、子天狗3人の竹舞、女児たちの踊り、女性たちの舞、天狗の四人舞、女児による踊り、大天狗の傘舞が行われ終了したのは19時40分過ぎだった。
 3区の公民館から椚山地区公民館に移動する行列について歩き、地区公民館の手前で巡行と別れて駅へと向かった。
 駅で自転車を折りたたみ、20時29分発の高岡行きに乗車。21時29分に高岡に着いて、ホームで椚山でいただいたおにぎりを食べながら22時3分発の金沢行きを待つ。
 最寄りの駅に着くと、微かにお囃子が聴こえてきた。椚山の獅子舞について歩いていたので、そのお囃子が耳にこびり付いているのかと思ったが、やはり近くでお囃子が鳴っているようだ。自転車を組み立て聴こえる方に走ると、3区の獅子舞だった。
 6〜7軒家をまわって最後はお宮の前の公民館で2頭の獅子が舞って23時半過ぎに終了した。
福岡3区の獅子舞
 獅子舞三昧でくたくたになって家に帰り、データをハードディスクに移す作業もせずに寝た。

10月4日(木)

 先週の日曜日に台風24号が本州を縦断していったばかりなのに、もう台風25号が発生して沖縄を暴風域にしている。今度の日曜日頃にまた富山に近づくようだ。
 秋晴れだった昨日、弥陀ヶ原の紅葉がピークを迎えているというので、先月に続いて立山へ行ってきた。こちらの様子も後々UPいたします。
立山の紅葉
↑天狗平から大日岳の方を眺める。黄、朱、緑に枝の白が美しい。
 先月30日に投開票が行われた沖縄県知事選で当選した玉城デニーさんが、今日初登庁した。IMF専務理事、アベノミクスの見直しを要請

10月3日(水)

 天気予報では快晴。室堂から弥陀ヶ原にかけて、紅葉のピークを迎えているというので撮影に行ってきた。先月立山登山した時と同じくあいの風とやま鉄道の始発に乗り、富山駅に6時11分に到着。構内のコンビニでおにぎりを2つ購入して電鉄富山駅へと歩く。
 電鉄富山駅で室堂までの往復乗車券(6,710円)を購入。7時5分発の立山行きに乗車した。ここまでは予定通り順調だったが、乗車してまもなくトイレに行きたくなった。なんとか立山駅まで我慢しようと思ったが、寺田駅で途中下車。
 寺田駅の駅員さんに聞くと次の立山行きは8時31分で、一時間ほど待つ事になる。岩峅寺までなら7時55分にあるので、まずはこの電車で岩峅寺へ行き、岩峅寺で立山行きに乗り継ぐ事にした。
 7時55分の電車で寺田から岩峅寺へ。岩峅寺に8時13分に着いて、8時50分の立山行きを待つ。寺田駅も岩峅寺駅も何度となく通り過ぎているが、下りて改札を抜けたのは共に2回目だろうか。待合室でおにぎりを一つ食べ、駅の外観を撮影して時間を過ごす。
 電鉄立山駅に到着したのは9時19分で、トイレで途中下車したために1時間ほどロスをした。往復乗車券には 行きのケーブルカーの便が予約されているため乗車券売り場で便の変更をしてもらい9時40分のケーブルカーで美女平駅へと向かう。

電鉄富山から美女平へ
↑上段左:電鉄富山駅にて7時5分発の立山行き電車/上段右:電鉄富山駅と室堂までの往復切符/中段左:寺田駅にいた猫/中段右:岩峅寺駅/下段左:千垣駅と有峰口の間を流れる常願寺川/下段右:立山駅のケーブルカー乗り場
室堂行きのバスの車窓から
↑美女平から室堂へ向かう高原バスの車窓から撮影。

 美女平駅で高原バスに乗り換える。利用客が多いので室堂までの臨時便が出た。秋晴れで行楽日和なのと、国慶節で大型連休に入り観光に訪れた中国人が多いようだ。10時に美女平を出た室堂直行バスは10時50分頃に室堂に到着した。

 室堂に着いて、先ずは玉殿岩屋(たまどののいわや)へ向かう。今日は紅葉の撮影と、この立山開山の聖地とも言える岩屋の撮影が目的だった。
 ここは立山開山の祖である佐伯有頼が白鷹と熊に導かれて辿り着いた洞窟で、有頼の放った矢が刺さった熊を追いかけて洞窟に入ると矢の刺さった阿弥陀如来が現れ「多くの迷っている人々を救うために白鷹や熊に姿を変えてそなたをここに導いた。どうかこの立山を開いて国中の人々が登拝できるように道を開いてくれないか」と告げられた。こちらに伝説がわかりやすく紹介されている。もっと詳細なものはこちらを。
 雄山の頂上にある雄山神社峰本社には立山の神として阿弥陀如来が祀られている。*伊邪那岐神(立山権現雄山神・本地阿弥陀如来)・天手力雄神(太刀尾天神剱岳神・本地不動明王)の二神が祀られている。
 また芦峅寺集落にある芦峅中宮祈願殿の境内にある立山大宮には伊邪那岐神と有頼の父で文武天皇から越中国司を任ぜられた佐伯有若が、立山若宮には天手力雄神と有頼が祀られており、立山開山堂には立山を開山した有頼の肖像とされる慈興上人の木造坐像が祀られている。
 芦峅寺の夏の例祭には2基の神輿が出るが、開山伝説にまつわる白鷹と熊をあしらった華鬘(けまん)がそれぞれ取り付けられている。

 室堂平の名前の由来ともなっている室堂の横から下りて行く道があり、その先に玉殿岩屋がある。詳しそうな男性に尋ねると歩いて15分ほどで、崖に洞穴が2つ並んでいるという。実際に歩くと10分ほどで到着したが、途中は岩がゴロゴロした細い道で想像していたよりも険しい場所だった。

玉殿岩屋
岩屋から眺める雄山

↑石地蔵や十六羅漢が十数体祀られた虚空蔵窟(こくぞうくつ)と、阿弥陀如来が現れた玉殿岩屋(写真右)。
←岩屋か雄山を仰ぎ見る。

 虚空蔵窟と玉殿岩屋にそれぞれお賽銭を入れ、来た道を戻る。これで目的の撮影が一つ達成したので、ゆっくり観光スポットを巡りながら紅葉を撮影する。
 気温は低く風も冷たいが、日差しが強いので汗が出る。

室堂平の観光スポット
↑上段左:室堂平の地名の由来にもなっている室堂/上段右:みくりが池/中段左:陽光を浴びて楽しそうなチングルマの綿毛/中段右:地獄谷/下段左:みくりが池に映る雄山(左)と浄土山(右)/下段右:血の池
りんどう池と雷鳥沢キャンプ場
みどりが池と雄山

↑りんどう池(左)と雷鳥沢キャンプ場(右)。

 室堂平を2時間ほど撮影しながら散策したので、今が紅葉のピークである弥陀ヶ原へ。室堂から弥陀ヶ原までバスで行こうと思っていたが、室堂から天狗平まで撮影しながら歩き、天狗平からバスで弥陀ヶ原に行くことにする。
 室堂ターミナルの総合案内所へ行くと天狗平からバスに乗る場合は予約が必要とのことで、窓口の天狗平山荘に電話予約。

 室堂から天狗平まではバスの走っているアスファルトの道を歩けるのかと思っていたら、登山道で天狗平と書かれた標識の道をまっすぐ40分ほど歩けば到着するという。
室堂から天狗平へ01
室堂から天狗平へ02
弥陀ヶ原01
 起伏の富んだ道を、周辺の紅葉を撮影しながら歩いて天狗平に到着。
 天狗平から弥陀ヶ原へ向かうバスは14時25分で、30分ほど天狗平山荘の前に置かれた椅子で休憩。
 バスが到着したので乗り込む。他にも3人ほど予約していない人がいたが、空席があったので乗車できた。
 およそ10分ほどで弥陀ヶ原に到着。さあ、紅葉を撮影するぞと思っていたら下の方から流れて来た雲に包まれてしまった。
弥陀ヶ原02
 弥陀ヶ原から美女平までの帰りのバスも予約制なので、バス停の横にある小屋で最終の17時20分の便を予約。雲の中に入ってしまった高原の散策路を撮影しながら歩く。
 せっかく紅葉を撮影に来たのに視界が悪くてがっかりしていたが、雲に包まれた風景というのも珍しいので貴重な体験と思い直す。
  30分ほど歩くと遠くで日が射してきた。やがて撮影を初めて1時間ほどが経って雲が上の方へ流れて行き、空が晴れ渡った。それでも暫くするとまた雲の中に。島の天気の急変ぶりは奄美・沖縄で体験したが、山の天候の急転ぶりにも驚いた。
弥陀ヶ原から大日岳方面
弥陀ヶ原の夕暮れ

↑弥陀ヶ原を包んでいた雲が上に流され晴れ間が現れた。
←17時を過ぎると夕暮れの景色だ。

 弥陀ヶ原を17時20分に出る最終バスで美女平へ。美女平で臨時便のケーブルカーで電鉄立山へ降りる。
 18時26分発の電鉄富山行きに乗車。先月立山に来た時は帰りの電車がとても混んでいたが、今日は空いている。靴を脱いで向かいのシートに足を乗せる。疲れたが、先月より山道を歩き慣れた気がする。

10月1日(月)

 昨日から今朝に掛けて日本列島を縦断した台風24号で、2人が亡くなり160人超がケガを負ったそうだ。
 昨晩は21時半過ぎにNHKが沖縄県知事選の速報で玉城デニーさんの当確を出したのを確認してから、焼酎を呑んで寝てしまった。強風が家を揺らしそうだったので、耳元でビリー・コブハムのドラムを鳴らした。奄美や沖縄でも台風が来る度にコブハムを聴きながら寝た。不思議と安心感が生まれる。ゴーゴーという風の唸る音に対抗出来るのはコブハムのドラムだと思っている(笑)。You Tubeから「Billy Cobham & George Duke - Montreux JF 1976

 デニーさんの当選から一夜明けた。いろんな人が選挙結果の感想をSNSで発信しているが、個人的にはこの「声をあげ続けることに疲れ、デマや誹謗中傷に疲れ、不本意ながら諦めた人がいても仕方がない状況だった。 どんな結果が出ても、沖縄の人を責める権利はないと思ってた。 沖縄の全ての人がこの結果で良かったと後から思えるように、これから、これからが大事」というつぶやきに共感する。
 さて、知事選の分析をする記事もいくつか出ている。
ネット右翼に足を引っ張られた佐喜眞候補【沖縄県知事選挙 現地レポ~敗北の分析】
玉城デニー圧勝の理由を選対幹部が明かす「本土頼みで自滅した佐喜眞陣営、沖縄主体で勝利」
玉城デニー氏、史上最多得票で勝利 沖縄県知事選の得票分析
 中でも古谷経衡氏の「ネット右翼に足を引っ張られた佐喜眞候補」は興味深く読んだ。選挙期間中に「玉城デニーが知事になると中国が攻めてくる」という妄想のような噂が流れていたのはSNSで知っている。
  沖縄に中国の工作員が忍び込んでいる、というのは「大阪にスリーパーセルなどと呼ばれる北朝鮮の特殊潜伏工作員が存在する」という「工作員妄想」にも通底する陰謀論だ。
  百歩譲って中国の工作員が日本に潜入するとすれば、それは自衛隊司令部のある市ヶ谷や横須賀や朝霞でなくては理屈に合わない。なぜわざわざ沖縄に潜伏しているのか。少し考えれば常識で分かるデマである。沖縄の有権者は、こういったデマを一蹴した。〜略〜
 こういったネット右翼が叫ぶトンデモ陰謀論的世界観は、中央(東京)から放送される一部の極端に偏向したCS番組や保守系論壇誌、あるいはネットニュースの中で俎上にあがるだけで、実際には「保守」「ネット右翼」という自閉した巨大なサークルの中でしか通用しないジャーゴン(組織内言語)に他ならない。
  だから、在沖縄の街頭で行なわれたこのような叫びやSNSでの拡散は、沖縄の有権者にとってノイズとしてしか認識されなかった。
  彼らが「なんかトンデモな人たちが佐喜眞氏を応援している」という印象を与え続けたのなら、これは佐喜眞陣営にとって痛打以外の何物でも無い。それを実際に実行したのが、「善意」を以てデニー氏を攻撃し、佐喜眞氏を応援した在沖縄のネット右翼活動家らである。
 
「ネット右翼に足を引っ張られ」ではなく、「佐喜眞氏自身がネトウヨそのもの」という指摘もあるが、沖縄の選挙で流布されるこうしたデマや陰謀論の存在を広く知らしめる記事は重要だろう。
 「中国ガー 中国ガー」というのは沖縄の選挙だけではなくSNS上で度々見る。こう叫んでいる人達はまた、原発がとまれば電気が足りなくなると叫んでいる人とも重なりあう。2011年の夏から原発なしで過ごした何年間を、この人達は冬眠でもしていたのだろうか。なにはともあれ、デニーさんが沖縄の知事に選出された。中国が攻めて来るのかしっかり見守ろうと思う。

那覇市長時代の翁長さん

  ところで佐喜眞陣営には選挙期間中本土から与党を中心に大勢の議員が送り込まれて選挙応援をしていたが、菅官房長官はもとより、選挙公約をたくさん掲げたわりに何の実績のあげられない小池百合子都知事や、陰謀論芸人と呼ばれている青山繁晴議員の応援が果たして佐喜眞氏への票にプラスになったのだろうか。これもある意味沖縄を舐めている話だと思う。

 繰り返しになるが「声をあげ続けることに疲れ、デマや誹謗中傷に疲れ、不本意ながら諦めた人がいても仕方がない状況だった。 どんな結果が出ても、沖縄の人を責める権利はないと思ってた。 沖縄の全ての人がこの結果で良かったと後から思えるように、これから、これからが大事」。素敵なコメントだと思う。
 
 2年の沖縄滞在時に翁長さんを何度か見かけた。一番最初は2012年の那覇市長選の最中、イベントの行われていた栄町市場に遊説に来た時だろうか。
  写真は、那覇ハーリーでスタートのフラッグを振る那覇市長時代の翁長さん。2013年5月5日撮影。
 バトンは翁長さんからデニーさんに繋がった。

玉城デニーさん
↑仲井眞・前沖縄県知事が辺野古の埋め立て申請を承認したことに対し、県庁を囲む抗議行動が行われ、「屈しない」と書かれたプラカードを持ってスピーチしているデニーさん。2013年12月27日撮影。

 デニーさんの県知事当選で幕を開けた10月だが、6年前の10月1日は普天間にオスプレイが配備された日だった。
 この日は糸満市真栄里の大綱引きを観て夜遅く家に帰った。テレビをつけると、岩国から普天間へ6機のオスプレイが飛来したことを伝えていた。
 そして6年後の今日、横田基地にオスプレイ5機が正式に配備される。

 東証 バブル後高値更新という記事と同じ日に、<景況感、3期連続で悪化 9月日銀短観、大企業製造業><アベノミクス最重要統計の「賃金伸び率」水増し捏造が「統計委員会」に指摘されてしまう>という記事が流れて来た。もう株バブルが弾ける予感しかしない。

 昨年の9月13日に撮影した高岡古城公園での石碑除幕式の様子をPhoto Albumにしました。こちら
高岡城跡の石碑除幕式
↑高岡志貴野ライオンズクラブが結成50周年の記念事業として建立した「高岡城跡」と書かれた石碑。

9月へ