HOME TOP  
バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表

6月1日、2日 砺波市鷹栖 夜高祭り
6月2日、3日 国泰寺 開山忌 虚無僧による尺八の奏上
6月2日(土)〜8月19日(日) 「古写真にみる高岡」 高岡市立博物館
6月? 櫟原神社春季例大祭 宵祭に鯛行燈(ヤサコ)や高張提灯の行列が渡る。
6月9日  埴生護国八幡宮 義仲祭 14時〜
6月10日 除煌祭 埴生護国神社の兼務社
6月10日 高瀬神社 祈年穀祭 10時〜 バス
6月14日(木)、15日(金)? 高岡千石町 天満宮の献書祭 *15日午後2時〜
6月15日(金) 祇園祭 有磯正八幡宮 午後3時半〜
6月17日(日) 亀保里神社 除蝗祭 16時〜
6月29日(金) 高瀬神社 茅の輪作り 8時〜茅の刈り取り 10時〜茅の輪作り
6月30日(土) 高瀬神社 夏越の大祓 15時〜
6月30日(土) 伊勢玉神社 胎内くぐり
7月13日、14日 氷見祇園祭
7月15日 高瀬神社 人形感謝祭 10時〜
7月22日(日)〜28日(土) 城端別院善徳寺の虫干法会 *盤持ち大会は22日
7月24日(火) 入善 新屋住吉社 新屋大磐祭り
7月28日(土) 源平火牛まつり 13時〜埴生護国八幡宮で安全祈願祭
7月28日(土) 南般若えんじゃらふれあい夏まつり 盆踊り歌「えんじゃら節」 南般若公会堂前 記事
7月28日(土)、29日(日) 芦峅寺・雄山神社大例祭
7月31日(火) 黒部市中陣のニブ流し
8月6日(月) 本法寺の曼荼羅絵図風入れ法要 記事 記事 コミュニティーバス 時刻表
8月6日、7日 上村木七夕祭
8月13日(月) 芦峅寺 御招霊の迎え火
8月15日 米道踊 
8月24日、25日? 鉄砲町・白銀後町の天神祭り 記事
8月26日(日) 第36回高岡薪能 瑞龍寺
9月13日 魚津八幡宮 御神幸 猿田彦
9月の第4土日 沓掛の獅子舞
9月29日(土)予定 新川神社 稲刈り
10月6日 射水市 六渡寺の獅子舞
10月14日?15日 入善 新屋の獅子舞 住吉社
10月14日、15日に近い土日 椚山の獅子舞
入善町の獅子舞状況

2019年
5月18日(土)、19日(日)? 利屋町の天神祭り

◯新川神社 御田植祭5月
◯高瀬神社 御田植祭5月 抜穂祭9月
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯埴生護国八幡宮、亀保里神社(長岡神社0766-67-1402)除蝗祭 6月
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯福岡町沢川の獅子舞 9月の第4土曜日?
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 10月下旬と11月下旬の日曜日 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯2019年 白山宮の本尊。秘仏十一面観世音菩薩をご開帳(33年毎)。
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし
五箇山の獅子舞の起源
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

6月30日(土)

 今日で6月も終わり、半年間で溜まった罪や穢れを祓う夏越の大祓が各地の神社で執り行われる。昨年は射水神社の夏越の大祓を撮影させていただいたが、今年は昨日の茅の輪作りから引き続き南砺市の高瀬神社の夏越の大祓を撮影させてもらう。
戸出駅
 神事は15時からだが少し余裕をみて13時5分の城端線で福野駅へ。戸出駅には7月3日から始まる戸出七夕まつりの七夕が飾り付けられ、駅周辺も準備が始まっている。
 新高岡で遅れている電車を待ち合わせてから出発したため、戸出駅を5分ほど遅く発車。福野駅には13時半頃に到着した。
 福野駅で自転車を組み立て、高瀬神社へ向かう。

 祭典は15時からだが少し早めに拝殿に入って待機していると、次々と参拝者が訪れる。昨日茅の輪作りをされていた氏子の方もいらしたので、昨日最後に撮影した記念写真をお渡しする。

夏越の大祓01
 幣殿に神職と巫女さんが並び、神楽(太鼓)で祭典が始まった。事前に参列者には大祓詞を印刷した冊子と人形(ひとかた)が配られた。
夏越の大祓02
夏越の大祓03
 最初に宮司と一緒に参列者も冊子を見ながら大祓詞を奏上する。
 次に修祓が行われた後、参列者は人形で自分の身体を撫で、息を吹きかける。そして自分の罪や穢れを人形に移す。
 穢れを移した人形を巫女さんが集め、集められた人形は祭壇の中央に安置された茅の舟に乗せられる。
 
←祭壇に置かれた茅の舟。
↓宮司が布を裂き、終わりに名誉宮司がご挨拶する。
夏越の大祓04

 人形が祭壇中央の茅の舟に入れられると、宮司が祭壇の前に座り布(木綿?)を手で引きちぎる。これは後で名誉宮司のご挨拶で語られたが、大祓詞に書かれた一説を再現するものだそうだ。配られた冊子には以下のように書かれている。

天つ菅麻を本刈り断ち 末刈り切りて 八針に取りさきて 天つ祝詞の太祝詞事を宣れ(また菅や麻の本と末も切り、真中の良いところを細かく裂き、それを祓いの道具に用いて神事を行い、この神聖な祓いの祝詞を唱えなさい

夏越の大祓05
 社殿での祭典が終わると外に出て茅の輪くぐりが行われる。夏越の大祓と蘇民将来と茅の輪についてはこちらに書かれている。ただ武塔神が蘇民将来に与えたのは腰につける茅の輪で、それがどうして人がくぐる大きな茅の輪になったのかは書かれていない。
 人形を乗せた茅の舟を捧げ持った権禰宜の石渡さんを先頭に、左右左と∞の字を書くように3回茅の輪をくぐる。左右左となぜ3回なのかは、こちらに書かれている。
夏越の大祓06
↑茅の輪をくぐった後、川に向かう。↓→人形を乗せた舟を川に落とす。
夏越の大祓08
夏越の大祓07
夏越の大祓09
 茅の輪を3回くぐった後、神職を先頭にまっすぐ境内を突っ切って神社の前を流れる大門川へ。
 大門川に掛かる橋の中央で立ち止まり、人形を乗せた茅の舟が川に向かってゆっくりと落とされた。
 参列者が見守る中、川に落とされた舟は流れに乗って進んでいった。
 さて、この人形を乗せた茅の舟の行き着く先はどこだろうか?大祓詞に以下のように書かれている。

祓え給え清め給ふ事を 高山の末 短山の末より 佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津比売と云う神 大海原に持出でなむ(このように祓い清められた罪穢れは、高い山低い山の上から、谷間を勢いよく流れ落ちる早川の瀬にいる瀬織津姫という神様が大海原に流し去ってくれるでしょう
此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の八百会に坐す 速開都比売と云う神 持ち加加呑みてむ(大海原に流されたならば、押し寄せる荒潮がぶつかり合って、渦を巻いている所にいる速開都比売という神様が、大きな口を開けて罪穢れをがぶがぶ飲み込み、海底深く沈めてくれるでしょう
此く加加呑みてば 気吹戸に坐す気吹戸主と云う神 根国 底国に気吹き放ちてむ(海底深く飲み込まれた罪穢れは、次の、息を吹き出す所にいる気吹戸主という神様によって、「根の国、底の国」という地下の国に遠く吹き放ってしまわれるでしょう
此く気吹き放ちてば 根国 底国に坐す速佐須良比売と云う神 持ち佐須良ひ失ひてむ(吹き放ってくださると、根の国底の国にいる速佐須良比売という神様が、何処とも知れず運び去って、跡形もなく消し去ってくれるでしょう

 3時に始まった祭典も、45分ほどで全てが終了。この後、昨日作った茅の輪が氏子さんたちの手によって片付けられる。
 雨が降るような予報も出ていたが、何とか空は降らずに保った。 16時36分の高岡方面行きに間に合うように福野駅へと自転車を走らす。
  16時36分に福野駅を発車した電車は、16時55分に戸出駅に到着した。雨が降る前に真っ直ぐ家に帰ろうと思っていたが、戸出駅周辺で七夕の飾りつけが行われていたのと、しばらく雨が降りそうにないので少し準備の様子を見ていく事にした。

↓祭りは3日からだが2日の夜に飾りつけの美しさを競う審査がある。
戸出七夕まつりの準備02
戸出七夕まつりの準備01
↓→竿の上の方は高所作業車で飾り付けるようだ。
戸出七夕まつりの準備04
戸出七夕まつりの準備03
 飾りつけを見ながら自転車で走っていると、曳山の車輪の部分が置かれていた。近くに居た人に尋ねると、嘗てあった屋台(たぶん歌舞伎屋台だろう)の下の部分で、今では七夕の竿を4つの車輪の中に差し込んで固定するのに使っているそうだ。
*7月3日の北日本新聞の戸出七夕まつりの記事

6月29日(金)

 南砺市にある高瀬神社の権禰宜の方から、 30日に夏越の大祓があるという案内をメールでいただいていた。高瀬神社の大祓では、自分の罪や穢れを移した人形(ひとかた)を茅(ちがや)で作った舟に乗せて川に流すそうだ。また、29日には参列者がくぐる茅の輪を氏子さんたちが作るというので、これは撮影したいと思い許可をお願いした。
 茅の輪の製作は10時頃に神社で行うそうだが、8時頃から材料の茅を刈り取るのでそこから撮影させてもらう。
朝露

 8時に高瀬神社に着くためには戸出駅を6時29分発の城端線に乗り、福野駅に6時52分に着いて自転車で向かうのが一番。戸出駅までは自転車なので、余裕をみて5時半頃に家を出ると6時少し前に駅に到着。一つ早い6時5分の電車に乗れてしまった。

←戸出駅へ自転車で向かう途中、朝露に輝く稲。
↓福野駅から高瀬神社へ向かう途中の、南砺の風景。

南砺市の風景
遺跡公園と散居村
 一つ早い電車に乗れたこともあって、8時の集合時間までまだたっぷりと時間があった。そこで花菖蒲まつりを開催していた遺跡公園に行ってみる。今月の10日に来た時はまだあまり花が咲いていなかったが、今日は既に枯れている花が多かった。花の見頃に出会うのは難しい。
 公園を出て自転車で高瀬神社のまわりを走り、景色を眺めながら時間を過ごす。集合時間が近くなったので神社に入り、社務所の前へ。茅の輪を作る氏子の方も一人、二人といらっしゃった。
 権禰宜の石渡さんと氏子の方4名が揃い、茅の刈り取りに。軽トラ3台と乗用車1台で庄川の方の山へ入る。庄川の曳山祭の際に松明を持った人達が下りて来る山だ。グーグルの地図で確認したが、三条山だろう。
茅の刈り取り
 20分ほどで軽トラの荷台1台分と少しの茅を刈り取り、少し山を下りたところにある屋根のついた展望台で他の雑草と仕分ける。少し枯れて茶色くなっている葉っぱも丁寧に毟っていく。氏子さんによると茅の輪作りは昔から前日に行っているという。それが青々とした茅の輪を作る秘訣であり、拘りのようだ。
散居村の風景
↑作業をした展望台からの風景。
↓金屋神明宮の茅の輪。→光照寺の庄川大仏
庄川大仏
金屋神明宮の茅の輪
 展望台で50分ほど作業した後、高瀬神社に戻る途中、庄川の金屋町にある神明宮へ。金屋神明宮には既に茅の輪が設置されているということで、他所の神社の茅の輪の出来が気になるようだ。神明宮の隣りは光照寺で、こちらに富山三大仏の一つだという庄川大仏があった。金屋神明宮は昨年1月に厄払い鯉の放流の神事がこちらの神社で行われ撮影に来ているが、隣りの大仏様は全然気がつかなかった。
茅の輪作り01
 茅の刈り取りを終えて高瀬神社に戻って来たのは10時半過ぎだろうか。軽トラに積んだ茅を境内の奥にある土俵の上に運び、茅の輪作りが始まった。
 最初に茅の束を一つ作る。この最初の束だけは元をビニール紐でしっかり巻いて固定する。この最初の束に新しい束を差し込み藤の蔓で巻いて固定する。途中木槌で叩いて固めながら束を差し込み延ばしていく。
 昔はこの土俵で奉納相撲が行われていたようだが、現在は人形感謝祭の時に人形を安置する場所として使われたりしているようだ。社殿の軒に、嘗ての奉納相撲の番付表が掛かっていた。
↓相撲の番付表。→鈴を引っぱる紐に、木彫りの兎が。
鈴の紐
相撲の番付表
スキヤキの巨大人形隊
 12時前に作業を一旦ストップして、お昼の休憩になった。次は13時半頃から始めるそうなので、お昼ご飯を食べる場所探しを兼ねて自転車で井波まで行ってみる。茅の刈り取りの帰り、神社の前を流れる大門川沿いを車で通ったら井波まで近そうだったので試してみる。
 井波の中心部に着いて自転車で走っているとショッピングセンターがあったので入る。食料品売り場で総菜を買って、フードコートで食べる。その傍にスキヤキの巨大人形隊が展示してあった。
 ショッピングセンターを出ると、外は激しい雨。それでも少し日差しもあるので様子を見ていると、だんだん雨足が弱くなって来た。昨日届いたレインポンチョを身につけて神社へと自転車を走らせる。
 神社の休憩所で少し休んでから土俵へ行くと、やがて茅の輪作りが再開された。茅の束を差し込みながら延ばして7m弱ほどの長さになったところで、頭と尻尾の部分をドッキングさせて輪を作る。それから茅の輪を吊るす竹を伐採しに、社殿の裏にある竹林へ。
↓ほぼ完成した茅の輪。→茅の輪を吊るす竹を伐採。
茅の輪作り03
茅の輪作り02
 竹は2本伐採し、3本の棒に切る。左右の2本は柱に紐で括り付け、その上部に1本を紐で繋いで竹の枠を作る。上部の竹に完成した茅の輪を紐で吊るす。
↓完成した茅の輪を拝殿まで運ぶ。→竹の枠に茅の輪を吊り下げる。
茅の輪作り05
茅の輪作り04
完成した茅の輪
↑完成した高瀬神社の茅の輪。
 竹の枠に茅の輪を吊り下げた後、飛び出している茅の葉先を挟みで丁寧に刈っていく。ここまでの作業が終わったのが16時過ぎで、茅の刈り取りからスタートしてほぼ一日仕事だった。
 せっかくなので完成した茅の輪の前に制作者である4人の氏子の方々に並んでもらって記念撮影。また雨が降って来たが、レインポンチョを着て福野駅まで自転車で走る。福野から戸出まで城端線で移動し、戸出駅から家まで再び自転車だが雨が上がっていた。

6月28日(木)

 朝起きた時は激しい雨が降っていたが、徐々に天気が回復して午後からは日差しもあった。
 アマゾンでポチった商品が、昨日届いた。写真集が2冊とレインポンチョで、販売先は3つとも違うし購入した日が違う商品もあるが不思議と同じ日に届いた。写真集は前田真三さんの『ふるさと』と『花景色』。共に前田真三写真美術館シリーズで、これで全8巻のうち5冊が揃った。
 レインポンチョはこちらの商品。わりと晴れ男だが雨に降られる日もあるし、梅雨の時期だ。雨合羽はいくつかあるが、激しい雨にも耐えられるようなモノはないかと探して決めた。現物を見て買おうと思って戸出のファッションしまむらまで行ったが、しまむらには雨具がほとんどなくアマゾンでの買い物になった。
 今日袋から出して試着してみた。生地が厚いので雨を通し難そうだが、そのぶん重い。たぶん雨で濡れることは防いでくれそうだが、蒸れて自分の汗で服がびしょ濡れになりそうな予感はする(笑)。
アマゾンで買った本と雨具
 キンクスが再結成してニュー・アルバムを制作するという記事が流れて来た。朝日新聞も報じており、記事の中でレイ・デイヴィスが74歳となっている。下の写真は1999年8月1日に撮影した、レイ・デイヴィス。この時で55歳か。貫禄ある。
レイ・デイヴィス
 今週に入って『半分、青い。』が急展開。一緒に観ている両親は話しのテンポについて行けなさそうだ。このドラマの着地点がまったく想像出来ない。
 下の写真は桜沢エリカさん。撮影したのは1990年前後だろうか?媒体は飛鳥新社の『ポップティーン』だけれど、どんな記事だったか忘れてしまった。たしか恵比寿の駅前にあった彼女の仕事場へ一人で伺って撮影した。彼女も今は二児のお母さんのようだ。
 この頃、岡崎京子さんも『ポップティーン」で撮影している。たしかジュンスカのメンバーと彼女の対談だったと思うが、手元に写真がないのはフィルムごと編集部に渡したのだろう。
桜沢エリカさん
福島・浪江の馬場町長が死去 原発事故での避難、復興を指揮
党首討論、岡田vs安倍で「時間超過」の要因を作ったのは誰か?発言を書き起こして検証してみた
企業の4割、日銀が大株主 イオンなど5社、実質「筆頭」

6月26日(火)

 暑っ。今日の最高気温は富山県西部が32℃、東部が35℃まで上がり真夏日になった。
 富山市の交番で警察官が21歳の男に襲われて拳銃を奪われ、その拳銃で近くの小学校の警備員が撃たれた。今月9日に起きた新幹線の車内での殺傷事件を思い出したが、この事件の犯人も22歳と若かった。

  奄美地方が今日、梅雨明けした。
 8年前、奄美大島の名瀬港にフェリーで着いて唄者・築地俊三さんを訪ねて行った。築地さんから受けたアドバイスは「今年はハブが多い」と「奄美の梅雨はしつこい」だった。着いたその日も突然の大雨で、夕方、スーパーへ食材を買いに行ったら、ずぶ濡れになった女子高生の集団が裸足で食料品売り場を歩いていた。亜熱帯の大らかさ。

 奄美大島で「ティダだまし」という言葉を聞いた。ティダは太陽の事で、天気が良いので傘を持たずに出たら急な雨に降られてしまった時などに使うらしい。奄美で暮らした2年間で、何度ティダに騙されたことか。
 
 島の天気の不安定さを作家・島尾敏雄は『離島の幸福・離島の不幸 名瀬だより』の中で、こう書いている。
私は日記にその日の天候の模様を書きつける適当な現わし方のないことにあきらめている。また私は外出するときにはどんな天候のときでも、こうもり傘をこわきにかかえこんで行くことを自分に課した。陽が照れば(それはすさまじいばかりカーッと照りつけてくるが)そのときは日よけにし、雨になれば(吹きなぐりで用を足さないことの方が多いが)雨よけにすることができるからだ。そして、出がけにまばゆいばかりの真夏の空も、あるとき急に北の方の空が雲に覆われ、そしてまたたくまに街は暗くかげって冬の様相を帯び、逃げおおせる余裕もなくしたたか雨足にたたかれてしまう事態は珍しくない
 
 奄美大島の上空を何度か飛行機から見たが、森の上はいつも雲がかかっていた。雨雲は木々の呼吸だろうか。
 雨が音をたてて降り出す直前、鼻を土の匂いがくすぐる。ちょっとカビ臭いその匂いも嫌いではない。

名瀬の空
↑2010年9月14日、住んでいた名瀬の部屋から。
 昨年の7月15日に撮影した円隆寺の祇園会で行われる、さんさい踊りの様子をPhoto Albumにしました。こちら
さんさい踊り01
↑↓さんさい踊り。円隆寺の祇園会に踊られるが、祇園会の法要はもう行われていない。祇園会は祇園神である牛頭天王を祀った祇園社(八坂神社)の祭礼だが、八坂神社から祇園神を勧請した各地の神社やお寺でも夏の疫病除けとして催される。牛頭天王は蘇民将来説話に登場する、蘇民の娘に茅の輪を付けさせた武塔神と同一視されており、またスサノオノミコトとも同一視されている。つまり6月30日の夏越の大祓、7月の祇園会、祇園祭は牛頭天王に因んだ祭りということだ。
さんさい踊り02

今の人がいう「保守」ってのは、「私はノンポリです」というのと全く同義なのよ。ノンポリって言葉が80年代で死語になったので、「ノンポリ」に変わる言葉として「保守」という言葉を使うだけの話。
しかし、だ。 いくら「ノンポリ」の代替語として「保守」を名乗ったとしても、いったん保守と名乗ってしまえば、ほかに「保守」を自称する人たちが気になる。お手本が欲 しくなる。そこに待ち受けてるのが、渡部昇一であり櫻井よしこであり百田尚樹なので、あとはもう修羅道に堕ちて死んでゆく。
菅野完氏のツイート、ざっくりしてるが腑に落ちる。

繰り返される麻生大臣の失言と撤回 常套句「誤解を与えたのであれば」は謝罪なのか
「法務省に何度も巻き」共産が新文書 佐川氏刑事処分で
【選挙ウォッチャー】六ヶ所村長選 2018・分析レポート。

6月23日(土)

 慰霊の日の今日、沖縄が梅雨明けした。

<草蝉や弔辞は一行あれば足る>

 最近は慰霊の日が来る度に引用しているが、末吉發さんの俳句と写真で綴られた『どこにも仏桑華』に載せられている俳句の一篇だ。
 この俳句の解説に「六月二十三日、毎年沖縄慰霊の日には総理をはじめ多くの方々が祭壇の前で弔辞を読み上げる。多くの人を戦場へ送り、死ねばやって来て 慰霊の辞を滔々と述べる。マッチポンプの感がしないでもない。決まりきった虚しい言葉の羅列より「辺野古に基地は造りません」とひとこと言えばそれがなに よりの慰霊の言葉になるのだが」という文章が添えられている。
 今年も総理の口からは虚しい言葉の羅列しか出て来なかった。せっかく糸満までゾロゾロと閣僚が顔を揃えて訪れるのだから、帰りに遺骨の一つも探して帰ればとも思う。糸満のある沖縄南部には発掘されるのを待っている遺骨がたくさん眠っており、発掘に当たっているのは民間のボランティアの人達だ。
 末吉發さんは、1928年伊是名村生まれとあるので、今年90歳になられるのだろうか。大田昌秀元沖縄県知事と同じく、沖縄戦では鉄血勤皇隊として参 加。本部半島の守備隊、宇土部隊に配属になるが、米軍上陸の約2週間後の4月半ばに撤退して解散。その後は敗残兵としてヤンバルの山中を徘徊したという。

 2013年の6月23日は、沖縄県庁から無料で出ているシャトルバスで式典が行われる平和祈念公園へ行った。式典は11時50分からだが、8時半過ぎのシャトルバスに乗り9時過ぎには祈念公園に着いた。戦没者の名前が刻まれた平和の礎(いしじ)を見てから、無料で開放されていた平和祈念資料館の展示を見て歩いた。
 2013年の夏は仲井眞前知事が埋め立て承認をする前で、辺野古の海もまだ静かだった。この年の式典で一番マスコミの注目を集めていたのは、米軍の幹部に風俗産業の活用を進言して物議を醸していた橋下徹氏だった。米駐日大使は、ジョン・ルース氏だった。
 式典の後、一般参列者の焼香があり、しばらく撮影してから列に並びお焼香をして式場を出た。外では沖縄タイムスと琉球新報がそれぞれ号外を配っていた。
 あまり知られていないが祈念公園に隣接する丘に霊域というゾーンがあり、こちらに国立沖縄戦没者墓苑や各都道府県の慰霊塔が建っている。富山県の慰霊塔もあり、「立山の塔」と名付けられている。ここには沖縄戦没者876柱、南方諸地域戦没者13,996柱が合祀されている。
 慰霊の式典は糸満の平和祈念公園だけではなく、色んな場所で様々な形で行われているので、もう一ヶ所くらい足を運ぼうと思っていたがキツくて断念。14時半過ぎのシャトルバスで県庁へ戻った。
 県庁から家へ帰るのに国際通りを自転車で走った。梅雨明けの日曜日なので観光客でごった返しているかと思ったが、そうでもなかった。かつてアーニーパイル国際劇場が建っていた場所に近いてんぷす那覇の前で、琉球QT-BLUEというダンスユニットがパフォーマンスをしていた。しばらく彼女たちのライヴを見てから家に帰った。
 ネットで今日はスーパームーンと騒がれていたので、22時過ぎにベランダから空を見上げた。まん丸な月が昇っていた。
 そんな2013年の慰霊の日の一日をフォトアルバムにしました。こちら
2013年の慰霊の日
↑2013年の沖縄慰霊の日。平和の礎(いしじ)にて。

「戦争繰り返さない」 きょう慰霊の日 糸満で戦没者追悼式
恒久平和誓う慰霊の日 沖縄全戦没者追悼式 翁長知事、辺野古新基地見直し求める
安倍首相「私が先頭に立って沖縄の振興を」あいさつ全文
戦後73年 沖縄「慰霊の日」 平和とは命を輝かせて生きること
3分で知る沖縄戦
慰霊の日ってどんな日? 沖縄県民なら誰もが知っているメモリアルデーには紆余曲折の歴史があった
りゅうちぇるさんが、沖縄慰霊の日にTwitterでつぶやく「うーとーとー」に込める想いは
沖縄の召集された少年兵、護郷隊の真実
沖縄戦 映像・証言アーカイブ

6月22日(金)

 今日の富山は快晴だったが、奄美は50年に一度の記録的な大雨だそうだ。奄美、この10年ほどで50年に一度の大雨、何回降ってんだろう???
ひうらさとるさん

 裕子、これで幸せになれるんだろうか。もう一波乱ある気がしてならない。
 これまで、わりと漫画家さんへのインタビューや撮影をする機会があった。今週の『半分、青い。』を観ていたら、2007年に撮影でお会いしたことのある、ひうらさとるさんをふと思い出した。干物女を生み出した漫画家さんだが、ご本人はとてもオシャレでチャーミングな女性だった。たしか戸川純やゼルダが好きだったと聞いたので、昔は宝島少女だったのかもしれない。「宝島少女」「ビックリハウザー」って、もうピンと来る人もあまり居ないだろうが(笑)。
 当時はまだ結婚されたばかりだったが、どうされているかと検索すると女の子を出産してお母さんになられていた。そして変わらず人気の漫画家さんのようだ。
 撮影した時は都内の一等地にあるご自宅のマンションに伺ったが、3.11を機に兵庫の方へご家族で引っ越されたようだ。
 ひうらさんのツイッターを見ると『半分、青い。』に反応していて、漫画家さんならではのつぶやきが面白い。
  写真は、ひうらさとるさん。2007年9月6日、都内のご自宅にて撮影。

自民・穴見議員 がん患者に「いいかげんにしろ」 受動喫煙対策 審議中にやじ
 彼の父親でジョイフルの創業者である穴見保雄氏は、90年代に柴田書店の雑誌で何度か撮影したことがある。この野次に対する批判を受けて大分がん研究振興財団の理事を辞任したそうだが、従業員が可哀相なのでジョイフル代表取締役相談役も辞任してはどうだろうか。
集団暴力、無期限拘束……。あまりに酷い、入管収容所における外国人虐待の実態
 トランプ大統領の移民親子引き離し政策が日本でも批判を浴びているが、日本の難民・移民に対する扱いも同じか、それ以上に酷い。自分たちが難民になるとは、考えたこともないのだろうか?小さな島に原発が建ち並んでいるこの国で、再び原発の過酷事故が起これば住む場所を失い難民となりうるという想像力は働かないのだろうか?
8歳の日本人女子ドラマーによるレッド・ツェッペリンのドラム・カヴァー演奏をロバート・プラントも称賛
 酷いニュースが続いたので、明るい話題を。笑っちゃうくらい楽しそうに叩いてる(笑)。シシド・カフカもそうだし、ジョン・ボーナム、女子に人気があるな〜。
 昨年の7月14日に撮影した、氷見祇園祭の2日目の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
祇園祭の曳山
↑曳山は北六町と南十一町を分ける中の橋で折り返す。↓双方の台をぶつけ合い、押し合う太鼓台のけんか。
祇園祭の太鼓台

6月19日(火)

 昨日、居間で朝の連続テレビ小説「半分、青い。」を観ようと思っていたら、直前になって緊急地震速報。そのままニュースの時間になってしまった。
 地震は午前7時58分で、緊急地震速報が出た時には既に発生した後だったと思われる。大阪府北部を震源とする都市直下型で最大震度は6弱。死者5人、負傷者は300人を超え、交通網や水道・ガスといったインフラはズタズタになった。
タイムライン 大阪北部地震
大阪地震被災地で大雨の恐れ 死者5人に、自宅で発見
大阪で震度6弱の地震 現地の被害の様子

 大阪で大きな地震があった昨日、 国会で衆院予算委員会が開かれた。
「野党は災害よりもモリカケか」批判の大いなる欺瞞。決算委員会延期を拒んだのは自民党

 長らく沈黙を守っていた加計学園の理事長・加計孝太郎氏が今日、記者会見を開いたが会見への出席は地元の記者に限定され、30分足らずで打ち切られた。会見の様子を夜のニュースで見たが、こんな不誠実な経営者の学校に愛媛県や今治市は補助金を出すのだろうか。県民、市民はそれで納得するのだろうか?このところ学校の理事長の記者会見が軒並み酷すぎて、大丈夫か日本。
加計理事長、首相との面会否定 獣医学部新設巡り初会見

スパイダーマンか?いや、アライグマだ。高層ビルの壁を23階まで登る
笑顔でないと出勤登録できず 出退勤管理システム開発 外食産業向けに
神戸市が謝罪会見「職員が仕事中に3分抜けて弁当を注文していました」
 どれも虚構新聞のネタかと思うが、現実です。

 ワールドカップのロシア大会、日本の初戦が今晩行われたが2対1で日本がコロンビアに勝った

 昨年の7月13日に撮影した氷見の祇園祭初日の様子をPhoto Albumにしました。こちら
激しく揺さぶられる太鼓台
↑「イヤサー イヤサー」の掛け声と共に激しく揺さぶられる太鼓台。↓お神輿の巡行。初日は御座町だけをまわる。
お神輿の巡行

6月16日(土)

 台風6号が沖縄を通過し大雨をもたらしているようだ。粟国島、伊江村、伊是名村付近では50年に一度の記録的な大雨を観測したという。
 沖縄の写真家、新垣辰雄さんの写真展『大東島』が今日から始まった。開催場所は那覇市牧志にあるフォトスペースReagoで、24日(日)まで。
 奄美と沖縄で過ごした4年間で訪ねた琉球弧の島々は37島。通り過ぎただけなら、もう少し多いかも知れない。頑張ってずいぶんと回ったつもりだが、それでも伊平屋島や多良間島など行けなかった島もある。
 沖縄本島の東にあり台風の通り道でもある北大東島や南大東島もそうした島で、住んでいた部屋から歩いて10分足らずの泊港から一週間に一度船が出ていたが、結局行けないまま時間切れになってしまった。
 大東諸島は明治時代に八丈島からの入植者によって開拓されるまでは無人島だったそうで、他の沖縄の島とは少し文化が違うようだ。個人的にはそんな文化的な背景よりも、島の周囲が断崖絶壁で船で行くと人も荷物もクレーンで吊り上げられて島に入るという体験がしてみたかった。
 新垣さんとは2013年5月に那覇市民ギャラリーで開催されていた確か氏の初めての写真展『泊外人墓地』を見に行ったのが出会いで、沖縄を離れる時は久米島へ一緒に旅をした。
 琉球王国、廃藩置県から琉球処分による大和世、そして太平洋戦争で激しい地上戦が繰り広げられた戦世、日本の敗戦によりアメリカ軍政下に置かれたアメリカ世、そして1972年の日本復帰。この繰り返された世替わりは沖縄に様々な矛盾とドラマを生んだが、その一端が泊外人墓地で垣間見れることを丁寧な取材と撮影で教えてくれる写真展だった。

 昨日は千石町にある天満宮の夏季例祭と、有磯正八幡宮の祇園祭を撮影に行って来た。

6月15日(金)
  天気予報では15時頃から弱い雨となっていた。千石町の天満宮での神事が14時からで自転車で行くことも考えたが、高岡までは電車で行って、高岡駅から自転車で天満宮へ行くことにする。
 あいの風とやま鉄道で、高岡駅に12時48分に到着。自転車を組み立て、コンビニでパンを2つ買って天満宮へ。13時20分頃に到着して、準備をされていた当番町の氏子の方にご挨拶する。この天満宮は11の自治会が持ち回りで運営してきたそうだが、現在は10になったそうだ。
  今日神事を務められる有磯正八幡宮の上田宮司さんには撮影の許可をいただいていることを告げて、拝殿の中で待たせていただいた。
 やがて上田宮司さんがお目見えになり、14時から夏季例祭の神事が始まった。

千石町天満宮の夏季例祭
 神楽(太鼓)、修祓、祝詞奏上、玉串奉奠、神楽(太鼓)と続き拝殿での神事は25分ほどで終了した。引き続き境内にある筆塚でお祓いが行われた。
 10年ほど前までは学問・書道の神様とも言われる藤原道真公(天神様)に因んで、書を奉納する献書祭が行われていた。氏子の方によれば境内にテントを設営して、その中に書を飾ったそうだ。14日から展示して15日に表彰式だったという。筆塚は書を教えていた先生が建立したもの。その書道の先生が亡くなられてから献書祭が途絶えた。
 筆塚でお祓いをするのは、献書祭の名残りとも思える。  
筆塚での神事01
筆塚での神事02
↑↓→筆塚と言っても使い古した筆を供養したわけではなく石碑があるだけのようだ。
筆塚での神事03
 筆塚でのお祓いは5分ほどで終了して、拝殿で直会となった。
 ところで、この天満宮には1825年(文政8年)に加賀藩主より拝領した扁額があるとこちらに書かれているが、氏子の方に聞いてもどこにあるかわからないという。神事が終わったので上田宮司さんに尋ねたところ、神饌を並べた祭壇の左側の壁の上に掛かっていた。絹の生地に梅の絵が描かれており天満宮の文字。この文字は藩主直筆だとされている。
直会
↓拝殿外の正面に掲げられた扁額。→加賀藩主から拝領した扁額。
扁額02
扁額01
 直会の様子を少し撮影させていただいてから、15時半から始まる有磯正八幡宮の祇園会を撮影に行くためおいとまする。お礼を述べると、持って行って下さいと神饌の鏡餅のお下がりをいただく。
 千石町の天満宮から、横田の有磯正八幡宮は自転車で5分ほどだろうか。拝殿の中で権禰宜の浦さんが、参拝客の方々にお祭りの説明をされていた。
 やがて神事の開始時間になり、権禰宜の浦さんが木を叩いて神事の始まりを告げる。神職、京都の芸姑さん舞妓さんが拝殿の外廊下から入室する。
↓有磯正八幡宮。→権禰宜が木を叩いて神事の始まりを告げる。
木を叩いて神事の始まりを告げる権禰宜
有磯正八幡宮
神事が始まった拝殿

 神事は修祓、祝詞奏上、舞踊の神前奉納、玉串奉奠と続いた。

 有磯正八幡宮の祇園祭は1813年(文化10年)6月15日に始まったとされる。この頃に周辺で疫病が流行、京都の八坂神社からスサノオノミコトを勧請したのが始まりではないかと上田宮司さんは話されていた。
 2013年に200年祭を行い、この時に初めて八坂神社と縁の深い先斗町の芸姑さんらを招き、以来続いている。

修祓
舞踊の神前奉納
↑修祓。→舞踊の神前奉納。↓玉串奉奠。
玉串奉奠
 神前奉納されたのは舞妓の市照(いちてる)さん、多香(たか)さんによる「松の名所」。そして神事の後の舞踊奉納では芸姑の市笑(いちえみ)さんによる「わしが在所」、多香さんによる「夏は蛍」、市笑、市照、多香さんによる「祇園小唄鴨川小唄」が披露された。
舞踊奉納01
舞踊奉納02
↑↓→舞踊奉納は3曲行われた。
舞踊奉納03
お守りの頒布
 奉納舞踊が終わると、疫病除け・災難除けのお守り「牛頭御幣」の頒布が行われた。1体1000円でクジ付き。頒布の後、当選番号が読み上げられ3名に団扇が贈られた。
 全てが終了したのは16時40分頃だろうか。帰りも高岡駅から電車で帰ろうかと思っていたが、なんとか雨が降らずに保ちそうな空模様なので自転車を漕いで家に帰った。
*北日本新聞の記事、富山新聞の記事

6月14日(木)

 今年1月、高岡の有磯正八幡宮の御神木である「親子抱き合いの欅」が大雪と暴風により枝が折れてしまったという記事を新聞で読んだ。枝が折れる前の御神木を撮影しているので写真を差し上げようと思って、先日A3とA4に何枚かプリントした。
 この御神木の写真と、先月させていただいた利屋町の天神祭りの写真を持ってわりと強い風の吹く中、自転車で高岡へ。
 先ずは有磯正八幡宮へ。社務所へ行くと、先日埴生護国八幡宮でお会いした権禰宜の浦さんが対応して下さり、その後上田宮司さんに写真をお渡し、明日行われる千石町天満宮の天神祭りと有磯正八幡宮の祇園祭のことについて少しお話しを伺う。
車に衝突された守山町の家
 有磯正八幡宮から、今度は利屋町の天神祭りで撮影させていただいた龍雲寺へ。ちょうど住職が帰って来られたところで、写真をお渡して天神祭りのことを尋ねる。
  高岡市立博物館の学芸員ノートには寺内に天満宮を造営しと書かれているが、木造の天神像をお堂で祀っただけと話された。また天神祭りが聖安寺で行われたのは、行事が重なったりして龍雲寺で出来なかった時期があるためだそう。
 龍雲寺を出て、近くにお住まいの宮総代・竹田さんの家にも天神祭りの写真を届ける。来年は5月18日、19日だそうだ。
 竹田さんのお宅から直ぐ近く、山町筋の民家に先月車が突っ込んだというニュースを見たので寄ってみる。玄関の軒が落ちて、そのままの状態だ。重要伝統的建造物郡保存地区なので、修理の手続きも大変なのだろう。
 山町筋から、「古写真にみる高岡」という企画展を開催している高岡市立博物館へ。
高岡市立博物館「古写真にみる高岡」01
高岡市立博物館「古写真にみる高岡」02

↑福岡町関連の写真から左は「福岡駅前通りの桜並木」(昭和初期)1898年に福岡駅が開業し、駅前通りが整備された。開花時には雪洞をつるして賑わったという。右は「福岡駅」(昭和初期)福岡駅は1898年11月1日に、「官営北陸鉄道福岡駅」として営業を開始した。この駅舎は1936年に建設され、現在の駅は平成期に建て替えられたもの。

←展示風景。博物館なのでガラスケースに入っているので、ちょっと見難い。

 展示を一通り見た後、高岡の”三天神”祭りについて教えて欲しいことがあり受付に行くが、あいにく記事を書いた担当者は不在だそうで明日の午前中にお電話いただくことになった。
 博物館からの帰り、千石町の天満宮へ寄ってみる。天神祭りは明日で、天満宮の近所の家の玄関には田楽行燈が吊るされている。この神社は有磯正八幡宮の摂社で、明日の14時から有磯正八幡宮の宮司さんによる神事が執り行われる。
千石町の天満宮01
↑↓千石町の天満宮。→境内にある筆塚。
千石町の天満宮03
千石町の天満宮02
千石町の天満宮04
←境内に置かれた臥牛(ねまりうし)

 この千石町の天満宮の起源は1671年(寛文11年)に大地主であった塩崎庄司宗四郎種益によって建造されたが、その後塩崎家が凋落し、横田町の有磯正八幡宮に御神体が移された。すると千石町に不幸が続いたので1876年(明治9年)に現在の場所に遷座された。
 嘗ては天神祭りには習字などを展示する献書祭も行われたそうだが、10年ほど前になくなったという。
田楽行燈
ユニクロで買ったチノパン
 神社のまわりの家に吊るされた行燈をしばらく見て歩く。日が暮れて行燈に明りがつくのを撮影しようと思っていたが、行燈の中を覗くと蝋燭が入っていない。外に出ていらした年配の男性に聞くと、若い人が出ていって年寄りばかりなので危ないので火をつけない家が多いと話された。行燈には歌やクイズが書かれている。
 千石町から羽広に出て、ユニクロに寄って家に帰る。ユニクロでワゴンセールのチノパンを3本購入した。

6月13日(水)

時系列で追う米朝首脳会談
北、完全非核化署名 具体策示されず 米「体制保証」 初の首脳会談
米朝首脳会談の発言全文
米朝首脳会談 欧州各国など 歓迎や不満
拉致「日本が前に」 家族、期待と落胆と
 昨日シンガポールで米朝首脳会談が行われ、テレビのニュースもワイドショーもこの話題で一色だった。

 写真のプリント用紙が少なくなったので、先日アマゾンで注文した。通常使っているのはエプソンの写真用紙で、用途によって光沢、ライト(薄手)、絹目調を使い分けているが、今回は前から気になっていた松本洋紙店のフォト光沢紙を購入した。その商品が昨日届いたので、今日、テストプリントをしてエプソンの用紙と比較してみた。
 結果から言うと、紙の白色度がエプソンの写真用紙よりも高く白の抜けが良い。ただ紙の白色度は好みで、エプソンの方がウオームで好きな人もいるかも。
  紙の厚さは0.23mmで、ライトの0.2mmと光沢0.27mmの中間だ。値段はA4サイズ100枚3000円で、ライトの2054円、光沢の3834円の中間になっている。
 この値段の差は用紙サイズが大きくなるほど開いて行く。A2サイズだとエプソンの光沢が25枚で6790円に対し、松本洋紙のフォト光沢紙は50枚で8980円。A3やA2の用紙をまとめて購入する時は、松本洋紙店の商品の方がかなりコストパフォーマンスが高くなる。また、ロール紙ではない一枚モノのA2ノビがあるのも魅力。アマゾンではなく松本洋紙店のホームページでは、他にも様々なサイズと種類のプリント用紙を取り揃えている。
松本洋紙のプリント用紙
←届いた松本洋紙店のフォト光沢紙。

 ただ、気になったのは裏面が何のコーティングもされていない普通の紙なので多少ザラザラしていて、一度にまとめて紙をプリンターにセットすると用紙がくっ付いて給紙されエラーになったりする。基本、一枚一枚給紙してプリントした方が無難なようだ。
 実際に自分の写真を自分のプリンターでプリントしてみないと判断はつかないだろうが、試してみて損のない用紙だと思う。
テストプリント
↑上がエプソンの写真用紙光沢のライト、下が松本洋紙店のフォト光沢。
 昨年の6月30日に撮影した射水神社の夏越の大祓の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
射水神社の夏越の大祓
↑茅の輪くぐり。
日本の科学技術「力が急激に弱まった」 白書を閣議決定
東海再処理施設廃止に1兆円 70年計画を申請 
 東海再処理施設だけではなく、 日本には他にもこれから廃炉にしなくてはならない原子力施設がたくさんある。その処理費用と人員はいったいどれほど掛かるのか?そして肝心の科学技術力が衰退って・・・どんな未来だろう。

6月11日(月)

初当選の花角氏「新潟県独自の原発検証作業続ける」
米軍F 15、沖縄近海で墜落 嘉手納基地所属

小野真弓さん

 昨日北陸地方が梅雨入りしたそうだが、富山はまだまとまった雨が降っていない。
 昨日も一昨日も撮影に出かけたが、天気予報では両日とも前日は雨の予想だったのに当日は曇りに変わっていた。
 雨男や雨女、晴れ男に晴れ女という区分があるなら、わりと晴れ男だと思っている。旅行雑誌の仕事も近ツリの『ジョイフル』、JTBの『るるぶ』、双葉社の『格安航空券ガイド』などで色々撮影したが、雨でロケが出来なかったという記憶がない。

 写真はアコムのお姉さんこと、小野真弓さん。この日は雨で彼女の所属事務所、サンミュージックの会議室で撮影していたが、雨の止んだ隙にちょっと外に出てもらって撮った。近くの交差点に僅かな繁みがあって、そこに立ってもらった。
 明るい笑顔が彼女の持ち味だが、笑顔と笑顔の間、真顔に戻ったときのワンカット。雑誌に掲載したのは笑顔のほうだが、個人的には好きな写真。
 2009年5月7日、東京・四谷にて撮影。

 一昨日は埴生護国八幡宮の義仲祭、昨日は高瀬神社の祈年穀祭を撮影に。こちらの様子も後々UPいたします。
埴生護国八幡宮の義仲祭

↑義仲祭にて舞楽「振鉾・えんぶ」の奉納。↓祈年穀祭にて忌火を入れた陰灯を運ぶ神職と参列者。

高瀬神社の祈年穀祭

6月10日(日)

 南砺市の高瀬神社で午前10時より祈年穀祭が催される。神社のサイトには「古来、勅使が参向され、病虫害がないよう祈念されたことに因み、今日も同様に続けられている重要なお祭り」と書かれている。農作物に病害虫が発生せず豊作になるよう祈る特殊神事で、こちらも除蝗祭の一つだ。
 2日程前の天気予報では雨だったので電車とバスを乗り継いで行くつもりだったが、直前の予想ではなんとか降らずに保ちそうなので家から自転車で戸出駅まで。8時15分発の城端線で福野へ。福野駅で自転車を組み立てて、高瀬神社まで自転車を走らせる。
 先ずは社務所に行き、撮影の許可をお願いする。しばらく控え室で待っていると、撮影の許可が下りた。
↓→神事が執り行われる、高瀬神社の御本殿。
高瀬神社
高瀬神社01

 神事は10時からと書いてあったので拝殿で始まりを待っているが、神職の方も参列者も現われない。境内の方を見ると手水舎の前に人が並んでいるので、急いで向かう。神職の方が身を清めているところだった。

 高瀬神社の祈年穀祭の由来は古く、天武天皇の時代まで遡るそうだ。当時病害虫により農作物に深刻な被害が出た時に天武天皇が心配され、勅使を派遣し幣帛(へいはく)を献上して事態の収束と豊作を祈願されたのが始まりとされている。
 現在の形になったのは明治19年で、やはり害虫が大量発生し農民が悲観していたところ、当時の砺波郡郡長が全戸長と協議し、郡長自らが奉幣使となり忌火を奉って祝詞を奏上し、その忌火を郡内全戸に分与して田毎に点火し、害虫を誘殺したそうだ。田毎に奉られた灯明は満天の星のようだったという。
 今は神事の後、忌火を起こし篝火を焚き、翌日に忌火を伴ったお神輿が地区にある4つの農協を渡御してまわるという風に変化しているそうだ。

祈年穀祭01
 手水舎で清めた後、神職を先頭に2列に並んで拝殿へと歩く。
修祓と忌火起こし
忌火を入れた陰灯

↑修祓(写真左)、忌火起こし(右)。
←中央の祭壇に祭られた陰灯。

 拝殿では修祓が行われ、次いで宮司による忌火が起こされる。
 忌火は陰灯に入れられ中央の祭壇に祀られる。
 宮司が祝詞を奏上した後、参向使が祭文が奏上。それが終わると巫女による神楽「浦安の舞」が奉納された。  

↓祝詞奏上(左)、祭文奏上(右)。

祝詞と祭文の奏上
浦安の舞の奉納
玉串奉奠

 「浦安の舞」が奉納された後は玉串の奉奠があり、それが終わると農業功労者の表彰が行われた。
 ここまで神事が始まってから1時間20分ほど経過していた。
 御本殿での神事が終わると、隣接する功霊殿へ移動して再び神事が執り行われた。
 功霊殿は日清・日露戦争から大東亜戦争まで 砺波地区から出征された英霊と、砺波地方開拓の功労者合わせて6400余柱をお祀りしているそうだ。
 

↓→旧本殿で、天保7年に建立された功霊殿。
功霊殿での神事02
功霊殿での神事01
功霊殿での神事03
忌火の点火01

↑神事の後の功霊殿。

 功霊殿での神事が終わると、陰灯を捧げ持った神職を先頭に参列者全員が鳥居の外に設営された篝火台まで歩く。
 宮司が陰灯の忌火を薪に移し、篝火が点火。これで今日の神事が終了し、関係者の直会が行われる。
 祈年穀祭の神事としては、明日、忌火を伴い神輿が砺波地区の4つの農協を渡御してまわる。過去の写真を見ると、神輿はトラックの荷台に乗せられて渡御するようだ。 

忌火の点火02
忌火の点火03
高瀬遺跡公園01

↑忌火を移して篝火を焚く点火式。

 点火式が終わったのは11時40分頃だった。
 雨が心配なので祈年穀祭を撮影したら直ぐに帰るつもりだったが、高瀬神社の近くに高瀬遺跡があるのを知って寄って行くことにした。
 ちょうど遺跡公園では花菖蒲まつりが開催されている。

←↓遺跡公園。

高瀬遺跡公園02
高瀬遺跡公園03
高瀬遺跡公園04

↑公園の中にある遺跡。

 花菖蒲まつりは開催中だが、花は2分咲きくらいだろうか。花菖蒲と遺跡をしばらく眺め、隣接する南砺市埋蔵文化センターの展示を見てから、福野駅へと自転車で向かった。

*高瀬神社の日記より「祈年穀祭由来」「祈年穀祭〜神輿渡御」「神輿渡御」。
*2012年の北日本新聞の記事、2010年の北日本新聞の記事

6月13日の北日本新聞より引用。
■ご神火ともし豊作祈る 
 南砺市高瀬(井波)の越中一宮高瀬神社の伝統行事「祈年穀祭(きねんこくさい)」が同神社で行われ、砺波地区のJAや地元各種団体関係者らがご神火をともして豊作を祈った。
 藤井秀嗣宮司が祝詞を奏上し、みこが神楽「浦安の舞」を奉納した。林安廣JAとなみ野常務理事が参列者を代表し祈りをささげる「参向使」を務め、なんと、福光、いなばの各JA代表者らも玉串をささげた。
 本殿でともされたご神火を鳥居付近に移し、参列者全員で豊作を祈った。農事功労者として齋田一除元JA福光会長理事を表彰した。みこしとご神火が各JAを回った。

追記
 高瀬神社の権禰宜・石渡さんより祈年穀祭の次第を送っていただいた。  
・修祓
・宮司一拝
・開扉(宮司が御扉を開く)
・降神(御年神(みとしのかみ)を依代にうつす)
・献火(採火行事)
・献饌
・宮司祝詞奏上
・禰宜幣帛を献ず
・参向使祭文奏上
・巫女「浦安の舞」奉奏
・宮司玉串拝礼
・参列者玉串拝礼
・撤饌
・閉扉
・宮司一拝
・『根尾宗四郎・上田又一両氏遺徳顕彰事業』農事功労者表彰
・功霊殿にて宮司・参列者代表玉串拝礼

 また、功霊殿での神事については
 <日清・日露戦争から大東亜戦争まで、砺波地区から出征された護国の英霊と、 当地方開拓の功労者あわせて六、四〇〇余柱をお祀りしています。大祭などでは、本殿の祭事の後、功霊殿の上記の御祭神に対し玉串拝礼を行っています>と教えていただいた。

6月9日(土)

 何日か前にネットで害虫予防・虫送りの神事である除蝗祭を検索をしていたら小矢部の埴生護国八幡宮のサイトのお祭り・行事のページに辿り着いた。六月十日に除煌祭と書かれている。除煌祭は除蝗祭の間違いだろうが、気になって社務所に電話してみたところ埴生護国八幡宮の除蝗祭は既に終了して、兼務社の除蝗祭が6月10日にあるという。また、6月9日には埴生護国八幡宮で義仲祭という祭りがあるのを教えて下さった。
 埴生護国八幡宮は秋の宮めぐり神事が有名で2015年に撮影しているが、義仲祭は知らなかった。聞けば今年で5回目で2014年に始まったばかりのお祭りだった。

 出かける直前に小雨が降ったがしばらく待つと止んだので、自転車で向かう。12時半頃に家を出て、神社に到着したのは13時15分頃だった。

埴生護国八幡宮
 大きな鳥居を潜り参道を歩くと左側に木曾義仲の大きな騎馬像が建っている。その先にある鳥居を潜り階段を上がって境内に入ると、拝殿の中は準備の最中だった。
 宮司さんにお声を掛け撮影の許可をいただき、2015年に撮影した「宮めぐり神事」のプリントをお渡しする。
義仲祭の神事01
義仲祭の神事02

 14時ちょうどに神事が始まった。
 配られた資料に祭祀の詳細が記されていたので引用しておく。
 寿永二年五月十一日(旧暦)、砺波山の合戦に臨み源氏の総大将木曾義仲公が埴生の八幡宮に戦勝祈願された歴史をしのび、義仲祭をとりおこないます。
■義仲祭 神前に義仲公の顕彰を祈願 14:00〜
■舞楽「振鉾・えんぶ」の奉納 14:40〜洽聲会・こうせいかい(小矢部の雅楽団体)

■薙刀「構え」奉納 14:50〜富山県なぎなた連盟(15:00終了予定。その後、関係者による直会があります)
↓神事の後の宮司さんのお話し。→舞楽「振鉾」の説明。
雅楽の説明
宮司さんの挨拶
↓→振鉾の奉納。
振鉾奉納02
振鉾奉納01
振鉾奉納03
 資料に書かれていた振鉾の説明。
●舞楽「振鉾・えんぶ」について
 舞楽の演目の一つで、舞人たちが舞台で鉾を振るうもの。舞楽の上演に先立ち、舞台を清めるために行われ、儀式的要素が強いものとされる。その由来については、周の武王が殷(いん)の帝辛(紂王・ちゅうおう)を滅ぼした際、左手に黄金の鉞(まさかり)、右手に白い牛の毛を付けた旗を持ち、天下泰平を誓ったエピソードによるとの説がある。
薙刀「構え」奉納
 振鉾の後、引き続き薙刀の「構え」が奉納された。薙刀は、義仲の妾だったともいわれる巴御前に因んでのもので巴型薙刀というものがあるそうだ。
 資料に書かれていた薙刀の説明。
●薙刀について
 薙刀は主に鎌倉時代から室町時代にかけて歩兵の主武器であり、薙刀術が生まれた。戦国時代になると、振り回して使う薙刀より、穂先が軽量で一斉突撃に向いた槍に取って代わられた。江戸時代には女性の武術としての地位を確立した。大正から昭和にかけて競技武道「なぎなた」として発展し、今日に至っている。
振る舞われた紅白の餅
 薙刀の「構え」の奉納で、義仲祭は終了した。神社から参列者に紅白のお餅が用意されており、帰り際にそれぞれがお持ち帰りされた。
こけら葺きの屋根01
こけら葺きの屋根02
直会
 埴生護国八幡宮の屋根はこけら葺きで、昨年、12年越しの葺き替え工事が完成した。その緻密な木片の重なりを数カット撮影して拝殿に戻ると、直会が始まっていた。
 しばらく直会に参加させていただき、神社を後にする。
 家に帰る途中、小矢部市芹川の亀保里神社を探す。除蝗祭を検索していた時に、こんな記事を見つけたので、神社に行けば何か情報が貼ってないかと思い、尋ねて行った。
亀保里神社01
亀保里神社02

←↑亀保里神社。

 地図を見ながら行ったので迷うことなく亀保里神社に到着したが、除蝗祭の貼り紙もなく、人の気配もない。しょうがないので神社に一番近い民家を訪ねて聞いてみると、今年はまだ行われていないが、開催日は分からないそうだ。
 亀保里神社は長岡神社の兼務社だと教えていただき、長岡神社の電話番号を調べて下さった。家に帰り、電話をしてみた。

北日本新聞の記事(web版に掲載されなかったので新聞を引用)
舞楽奉納し義仲顕彰 小矢部 埴生護国八幡宮
 木曾義仲を顕彰する「義仲祭」は9日、小矢部市の埴生護国八幡宮で開かれ、舞楽の「振鉾」となぎなたの「構え」が奉納された。
 奉賛会や市、埴生地区などから関係者が参列した。埴生雅章宮司が祝詞を奏上した後、玉串をささげ、倶利伽藍合戦前に義仲が戦勝祈願したとされる歴史に思いをはせた。
 小矢部市の雅楽団体「洽聲会・こうせいかい」 の西川敏美さんが、太鼓や笛に合わせて鉾を振り、場を清めた。義仲が愛した巴御前のなぎなたに親しみを込め、県なぎなた連盟の寺真喜子理事長は構えと振りを堂々と披露した。

富山新聞の記事(web版に掲載されなかったので新聞を引用)
舞楽となぎなた奉納 小矢部・埴生護国八幡宮 義仲祭
 源平倶利伽藍合戦で木曾義仲が戦勝を祈願したと伝えられる小矢部市の埴生護国八幡宮で9日、義仲を顕彰する「義仲祭」が営まれ、関係者約50人が舞楽となぎなたの奉納を通じて往時に思いをはせた。
 奉賛会、市、福光ネイティブ・トラスト、「義仲・巴」推進連絡会、地元自治会の役員らが参列し、玉ぐしをささげた。 埴生雅章宮司があいさつし、祭について説明した。
 小矢部市の雅楽団体「洽聲会・こうせいかい」が雅楽「振鉾・えんぶ」を披露し、鉾を振るうことで舞台を清め、天下泰平を祈った。引き続き、県なぎなた連盟がなぎなたの構えと振りの動作を披露した。
 義仲は1183(寿永2)年の5月11日に同八幡宮で祈願し、合戦に臨んだとされる。義仲祭はこれをしのんで2014年に創設され、旧暦5月11日を基準に毎年営まれている。

6月6日(水)

 近畿・東海・関東甲信が、今日、梅雨入りした。富山は朝から曇りだが、梅雨入りはもう少し先のようだ。

櫻井氏コラムで産経新聞が訂正 慰安婦問題 訴状めぐり
 結局、真実をゆがめたのは櫻井よしこ氏だったという話し。 櫻井氏は3月23日に開かれた札幌地裁での口頭弁論で自身のウソを認めている
 もう10年以上前だが朝日新聞がテレビCMで”ジャーナリスト宣言”をした時には、本当に呆れていた。ジャーナリズムをコマーシャルで宣言するセンスが理解出来なかった。だから別に朝日新聞贔屓ではないが、何かあれば「朝日ガー朝日ガー」と非難する人達も理解を超えている。さらにモリカケは野党と朝日新聞によるでっち上げとまで言い出されると、正気の沙汰とは思えない。毎日何を見ているのだろう。
 今回の元朝日新聞記者・植村隆氏への櫻井よしこ氏の件もそうだが、「朝日ガー朝日ガー」という人はリテラのこの記事もじっくり読んでみてはどうか。
「韓国人慰安婦を強制連行」と書いたのは朝日ではなく産経新聞だった!植村記者に論破され阿比留記者が赤っ恥

アン・ルイス

 昨日はアン・ルイスさんの誕生日だった。
 30年前の昨日、日比谷の野音で開催された彼女の誕生日を祝うイベント「アン・コール」を撮影に行った。
 出演者は本人の他にアース・シェーカー、ACTION、RIGHT STUFF、SHOW-YA、フェンス・オブ・ディフェンス、ピンク・クラウド、大沢誉志幸、ちわきまゆみ、鈴木聖美&バブルガム・ブラザーズ、ケラ、野村義男、早見優、石川秀美、桑田佳祐、葛城ユキといった方々で、ロックにも歌謡界にも広く人脈のある彼女らしい華やかな構成だった。
 この撮影は音楽誌ではなくて、『ポップ・ティーン』という十代の女の子向けの雑誌での仕事だった。現在は角川春樹事務所が発行するギャル向けファッッション誌だが、当時は飛鳥新社が発行しておりロック記事や暴走族記事もたくさんあった。
 レディースのコから編集部に今晩集会があるから取材に来て下さいと電話があり、夜中に茅ヶ崎へ暴走族の取材に行ったこともある。
 『ポップ・ティーン』の撮影は、飛鳥新社が「磯野家の謎」で稼いだお金で日刊「アスカ」という新聞を発行するあたりまでやっていただろうか。

 飛鳥新社で一番最後にした仕事は1995年発売の『尾崎豊 MEMORIAL PHOTO BOOK』で、『ポップ・ティーン』で撮影した1987年の有明コロシアムのライヴ写真の他に、遺族からお借りしたギターやステージ衣装といった遺品を撮影した写真が掲載されている。

 昨年6月25日に撮影した三島神社のじんじん祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら

屋敷神(地神)を祀った塚
↑大木の根元にある塚には屋敷神である地神が祀ってある。「地神祭」→「ちじん祭」→「じんじん祭」に訛ったと言われている。

6月4日(月)

 暑かったり寒かったりの気温の変化について行けなかったのか、一週間ほど前から風邪気味。風邪の方は少し良くなったが、なんだか疲れが取れない。一昨日から始まった国泰寺の開山忌に2日続けて行こうと思っていたが昨日は身体が怠くて断念、今日は快晴なので五箇山へ風景を撮影に行こうかとも思ったが気力がなくて断念した。
 以下は、一昨日の国泰寺開山忌の様子。

6月2日(土)
 高岡市太田にある臨済宗国泰寺派大本山・国泰寺で今日から開山忌法要が行われる。開山の祖である慈雲妙意(じうんみょうい)禅師の遺徳を偲ぶもので、ホームページには2日は午後4時から、3日は午後2時からと書かれていた。全国から集まった虚無僧が境内を歩き、開山堂で僧侶の読経に和して尺八を演奏する。
 余裕をみて、あいの風とやま鉄道で高岡駅に13時41分に到着。高岡駅前から14時1分発の氷見・灘浦海岸方面のバスに乗り14時21分に「国泰寺前」のバス停で降りた。

「国泰寺前」バス停近くと亀
総門
 バスを降りて少し戻ったところに「臨済宗大本山國泰寺禅寺」と刻まれた大きな石碑が建っており、運転手さんの話しではその横の道をまっすぐ行けば国泰寺だそうだ。
 国泰寺前で降りたんだから5分も歩けばお寺かと思ったが、なかなか着かない。途中道路を亀がノロノロと歩いている。車が通ると轢かれそうなので、草のところに移動する。途中にあったパン屋で尋ね、15分ほど歩いてようやく到着した。
仁王像01

↑国泰寺の総門。国泰寺前から歩いて15分、ようやく到着した。虚無僧が登場するまで、まだしばらく時間がありそうなので境内を歩いて撮影する。

←↓→山門と両脇に立つ仁王像。

仁王像02
山門
↓→法堂の外観と中。
法堂02
法堂01
↓→開山堂と、中に祀られている慧日聖光国師尊像(慈雲妙意禅師)。
開山堂02
開山堂01
↓茶室。→利生塔(三重塔)。
利生塔
茶室
天皇殿01
天皇殿02
←↑天皇殿

 境内を撮影しながら歩いていると尺八の音色が聴こえて来た。利生塔の裏で一人で練習している男性がいたが、虚無僧という訳ではなかった。他にも尺八を持った若い男性がおり、国泰寺が尺八を演奏する人の聖地になっているんだろうか?国泰寺の開山忌法要は尺八を演奏する人には注目のイベントなのか??と想像してみたり。
 一通り境内を散策して本堂にあたる大方丈へ。受付で撮影の許可をいただく。
 大方丈の入口のところに法要の次第が書かれていたので、以下に引用。
大本山国泰寺 開山毎歳忌大法要
◆六月二日
 午後一時半   大般若会中祈祷
         御説教(説教師)
   三時半   塔婆供養
   四時    開山国師宿忌
   四時半頃  塔参 鎮守諷経

◆六月三日
 午前五時半   開静
   六時    開山国師献粥
         供養座
   七時    粥座(朝食)
   九時半   後醍醐天皇御諱(*おんいみな)
   10時頃  観音堂諷経
         御説教(大道管長)
         尺八・箏共演 とっぴき奉納
         塔婆供養
   十二時   斎座(中食)
 午後一時    御説教(説教師)
   二時十五分 開山国師半斎
   三時頃   塔参

塔婆供養
↑塔婆供養。
開山国師宿忌
玄関に並んだ僧侶の履物
 塔婆(卒塔婆)供養が終わると、笠を脱いだ虚無僧が大方丈に入る。太鼓が打ち鳴らされ、僧侶も大方丈に入室しグルグルとまわりながら読経する。これが開山国師宿忌だろう。
  宿忌をネットで検索すると忌日の前夜の仏事と書かれていた。
 16時から始まった開山国師宿忌は16時半過ぎに終わり、次に塔参が行われる。これを撮影に来た写真愛好家が多く、虚無僧の行列のまわりでカメラを構えている。
塔参01
 大方丈の横にある玄関の前から虚無僧が尺八の音を響かせながら、開山堂まで歩く。開山堂の前で虚無僧が両脇に並び、その中を通って僧侶が堂に入り読経が始まった。読経と尺八の音色が調和する。
 開山堂での読経が終わると、隣りにある「鎮守社」と書かれた扁額が掲げられたお堂の前に移動し、こちらでも読経が行われた。
↓→鎮守社と書かれた扁額を掲げるお堂の前で読経する僧侶と、尺八を吹く虚無僧。
塔参03
塔参02
塔参04
塔参05
 鎮守社の前での読経が終わり、来た道を辿って大方丈へ戻る。時間は16時半ほどで、塔参は正味30分ほどだった。
大方丈
観音堂

↑月泉庭と大方丈。
←観音堂。

 今日の法要はこれで終わりのようだ。
 人が帰り始めた大方丈と手前の月泉庭を、何カットか撮影する。この石庭と法堂の手前にある龍渕池は昭和中期に京都の造園家・小川寿一という方が造ったそうだ。
 山門を潜り総門に行く途中にある観音堂に寄る。明日は観音堂でも読経があるようだ。

竹林
犬の散歩をする人
 総門を出て、バス停に向かう。
 この辺りは竹の子の産地として有名なようで、国泰寺のまわりには何軒も竹の子料理のお店があった。
 バス停で高岡行きのバスを待っていると、国泰寺の方から降りて来た車が停車。ドアが開き、年配の男性が降りて来て高岡の方へ行きますから乗って下さいと声をかけられる。
 お言葉に甘えて駅まで乗せていただいた。
  *北國新聞の記事、中日新聞の記事
除染土、農地造成に再利用 環境省方針、食用作物除く
 あまり話題になっていないが、作業員が被曝しながら集めたものを今度はバラ撒くという。正気の沙汰とは思えない。
森友改ざん「組織的ではない」 麻生氏強調
 処分人数が当時の事務次官を含め二十人程度になるのに、組織的ではないとはこれ如何に。

5月へ