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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 |
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11月3日(木) 砺波市頼成の獅子舞 記事 ◯お鍬さま 1月11日 記事、記事 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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今日で11月も終わり。肌寒い一日だった。 | ||
一昨日の記者会見で米軍北部訓練場の一部返還に関し「苦渋の選択の最たるものだ」と発言し、6ヶ所のヘリパッド建設を事実上容認したと報じられた翁長雄志知事が、報道は不本意だとして弁明。 <1996年のSACO合意にはオスプレイの使用が含まれていなかったとし、現計画に関し「本来のSACO合意とは違う」>という翁長知事の指摘は重要で、普天間基地や北部訓練場返還の日米合意の際も、日本政府はオスプレイ配備を隠してきた。米軍が1997年の時点でオスプレイの配備を米軍機関誌に 報じているのに、日本政府は聞いていないと逃げてきた。そして最終的にオスプレイが配備される事を認め、沖縄に伝えたのは実際に駐留が始まる僅か1年半程 前の2011年6月だ。 一昨日の琉球新報に「普天間基地内、旧神山集落が消失の危機 調整池計画」という記事が載っていた。 |
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↑2013年1月22日に那覇市民会館で開催された「オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会」。那覇市長時代の翁長雄志氏が、主催者として挨拶している。翁長氏は、市長時代から一貫してオスプレイの配備に反対している。 |
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福島第1原発事故の賠償や廃炉などにかかる費用が、従来、政府が想定していた2倍の20兆円超に膨らむと経産省が試算している事がわかった。 |
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←トップページの模様替えをしました。今回は大熊展望台近くから眺めた名瀬港の入り口。大きく張り出した岬の向こうに朝仁海岸がある。そして2つ前のトップページが、その朝仁海岸で撮影した写真でした。 ↓これまでのトップ画面。 |
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今年の5月3日に撮影した鹿嶋神社の稚児舞で知られる例大祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑鹿嶋神社の春季例大祭。獅子舞が家々をまわった後に、小槍を持った男児による槍舞、次に日の丸の扇を持った女児による扇舞が行なわれる。お祝い事のあった家では、男児と女児が一緒に舞うこともあった。 ↓獅子舞は、一人が獅子頭の中に顔を入れ、もう一人が胴幕を捩った尻尾を持って舞う二人獅子。結婚や出産といったお祝い事のあった家では天狗も登場するが、高岡や氷見の獅子舞のようにアクロバティックな動きは無く、ゆったりとした踊りのようで、台詞こそないが狂言を見ているような感じもした。 |
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昨日、氷見漁港に1130本の鰤が水揚げされ、寒ぶり宣言が出された。昨シーズンは不漁で出なかったので、2年ぶりとなる。氷見の住人でも漁師でもないが、寒ぶり宣言が出てホッとした。 明日はまた一日雨の予報なので、身体を動かしておこうと思い、戸出駅まで自転車を漕いできた。見上げる空は、なかなか立派な鱗雲。途中、鯉の里公園と戸出野神社に寄って鯉と紅葉を撮ってきた。高岡の紅葉はこれから?今がピーク?それとも既に終わり頃なのか。近所の山を見ても杉ばかりなので、紅葉の旬がわからない。 |
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↓鯉の里公園にて。→戸出野神社にて。 |
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戸出駅前を自転車でふらふらしていたら、戸出電話交換局の看板を見つけた。ずいぶんと年季の入った建物で、まだ使われているのだろうか? | ||
そういえば母親の実家が電話交換局をやっていた。ただ単に場所を貸していただけかもしれないが、小学生の頃だから昭和40年代前半頃だろうか、母親の実家に行くと母屋とつながった一室に機械があって女の人がコードを差し込んでいた。いつ頃までやっていたんだろうか、すぐに従兄弟の子供部屋になっていた気もする。下の写真は、Wikipediaの電話交換機から拝借しました。 YAHOO!知恵袋から電話交換局とはなんですか? |
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戸出から戻りパソコンを起ち上げると、SNSでキューバのフィデル・カストロ氏死去の情報が流れてきた。 | ||
全国的に寒い一日になった。東京では11月としては54年ぶりの初雪になり、転倒事故で41人が怪我をしたそうだ。 水上バスから眺めるウオーターフロントの風景に魅かれて月に一度のペースで撮影していた頃、雪の降る湾岸を撮りたくて天気予報に雪だるまのマークが出るのを待っていた。 |
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↑↓→水上バスからの風景と、浅草寺。共に2008年2月3日に撮影。 |
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今年の5月2日に撮影した福野夜高祭の様子を、Photo Albumにしました。こちら。 | ||
↑各町内の行灯山車が、順番に福野神明社に参拝する。↓行灯山車の町内曵き回し。 |
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備忘録として、ここ最近の原発関連の記事を貼付けておく。 |
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いつもより遅く起きて居間に行くと、TVの画面で地震のニュース。震源地は福島県沖で、マグニチュード7.3(後に7.4に訂正された)。最大震度5弱を記録し、仙台港では1.4mの津波を観測した。 この地震の影響で、福島第二原発3号機の使用済み燃料を冷却するための水をためるタンクの水位が低下して警報が鳴り、プールに水を送るポンプが一時停止した。これを受けて菅官房長官は「原発は安全再優先で、政府として今後ともしっかり対応していきたい」と述べたが、それなら先ずは使用済み燃料を乾式キャスクに移送すればどうか。少なくとも保管プールの水を心配する必要はなくなる。 |
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19日、南米コロンビアのメデジンで一ツ橋大学の井崎亮さんが銃で撃たれて殺害された。彼は大学を休学して、今年2月から発展途上国を中心に世界一周旅行の最中だったそうだ。このニュースをTVで観て、昔読んだ沢木耕太郎の「ミッシング<行方不明者>」というエッセイを思い出した。 本格的な夏の到来とともに、多くの息子や娘たちが異国への旅に出ていく。異国は、本来、異国だというそれだけのことで絶対の危険をはらんでいる。ほとんどの息子や娘たちはその危険に気づかないまま帰ってくるが、何人かは思いがけないかたちで、しかも悲劇的なかたちで遭遇してしまう。そして、親たちは不意に子供の姿を見失う。 親は、子供を失うことで未来の一部を、それも重要な一部を失うことになる。 永田守良の父親も、息子の行方がわからなくなったことで、ありえたかもしれない人生のいくつかのものを失った。 「だからといって、行かないでくれたらよかったとは思わないんです。こんなことになってしまいましたけど、うまくいっていれば何かを掴んで帰ってきたように思うからです」 |
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自分は父親から暖簾を分けてもらい、自転車屋としてノホホンと生きてきた。それで満足し、人生にそれ以上のことを求めなかった。しかし、息子は何かを掴もうとして旅に出たのだ。どちらの人生が充実した人生だったかわからない。父親はそうも言った。 沢木耕太郎のエッセイ集『彼らの流儀』に収載されている「ミッシング<行方不明>」より。 |
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今月6日に立山町の新瀬戸小学校へ池田浄瑠璃を観に行った際、終演後、保存会の方から良い写真があったら送って下さいとお願いされた。A4の用紙に何枚かプリントして送ろうかと思っていたが、一生懸命に芝居していた子供たちにプレゼントしたくなり、フォトブックにして送る事にした。文庫サイズで36ページなら1冊198円(税別)とお手頃で、これなら一人一人にあげられる。 |
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午前中は、今年駅の隣りに出来たにぎわい交流館で開催された「つくりもん市」へ、源多良太鼓を聴きに行く。源多良太鼓保存会について、平成元年に結成された団体で、福岡町大滝地区を流れる源多良川からその名がつけられましたいう情報を見つけたので地元の芸能だが、見るのは今日が初めてだ。そもそも地元に住んでいながら、源多良川がどこを流れているのか分からない。今度調べに行って来よう。 | ||
午後からは、ミュゼふくおかカメラ館で開催中の立木義浩写真展「写心気58」へ。今日は関連イベントとして14時から、元CAPAの編集長・石田立雄さんとカメラ館の館長・金山嘉宏さんの写真談義がある。 13時過ぎにカメラ館に到着して、一通り展示写真を見てから、多目的ホールでの写真談義を聞く。1時間強のトークの後、もう一度展示写真を見て帰って来た。 |
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昨日は、放生津(新湊)の漁師に伝わる神事、「澗建のえびす様渡し」を撮影に行って来た。澗建(またて)とは、漁法毎に作られた漁師の組合で、現在は5つの澗建がある。 ネットであいの風とやま鉄道と万葉線の時刻表を調べて、15時2分に高岡駅に到着し、15時15分発の万葉電車に乗り換えた。乗車した車両はレトロ車両と呼ばれるもので、わざわざ東京から乗りに来たという人が乗車していた。16時前に西新湊(旧新湊庁舎前)駅に到着し、17時から神事が行なわれる頭屋へ歩く。10分程で頭屋となっている家の前に到着したが、まだかがり火も焚かれていなかったので、今日えびす様が渡される澗建の頭屋を探しに行く。詳しい住所は聞いていないが、奈呉にある家だと言われたので歩いて行く。奈呉に到着して道で会った人に尋ねて歩くと、今から神事の行なわれる頭屋に行くという男性に出会い、連れて行ってもらう事ができた。野口さんという漁師さんの家だった。 |
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↓→頭屋である野村さんの家の玄関先に、かがり火が焚かれる。 |
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17時になって、座敷で神事が始まった。床の間にはえびす神像が入れられた厨子が置かれていた。野村さんが属する澗建は、定置組合だそうだ。 | ||
↓巫女さんによるお祓いと、宮司さんによる祝詞奏上。 |
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祝詞が奏上された後、厨子の中にある布が捲られてえびす神像(えびす様の絵)が現われる。 | ||
↑左は、玉串奉納。右は、玉串奉納の後、再び布が被せられたえびす神像(写真中央の厨子)。 |
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↑加賀藩主前田家から与えられたアワビの大盃が用意される。 |
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↓→金色に輝くアワビの大盃に入れられたお酒を、参列者がまわし呑みをする。 |
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17時半頃、これから一年えびす神像を預かる澗建の若い衆が迎えに来た。 | ||
↓→アワビの大盃が片付けられ、えびす神像を入れた厨子が床の間から出される。 | ||
宮司さんが玄関先で、迎えに来た若い衆の背中に厨子を白い帯紐で括り付ける。 | ||
神職、厨子を背負った若い衆のまわりを、提灯を持った4人が囲むようにして歩く。 |
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↓神職とえびす様神像が、頭屋に到着。 |
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↓→厨子が床の間に設置され、神饌が供えられる。 |
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↑巫女さんによるお祓いの後、宮司さんによる航海安全と豊漁を願う祝詞が奏上がされる。 |
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↓→えびす神像(絵)が御開張され、玉串が奉納された。 |
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↓→加賀藩主の前田家から与えられた大盃と、漁場を描いた絵図。 |
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玉串奉納が終わって、参列者にアワビの大盃に入れられたお酒がまわされ、これで神事は終了となった。この後、場所を変えて直会が行なわれる。 トボトボと西新湊駅へと歩く。しばらくホームで待っていると米島口止まりのドラえもん電車がやって来た。とりあえず乗り込んで米島口まで。終電の米島口で高岡までの清算をして、次にやって来た高岡駅行きに乗って帰ってきた。 |
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今日は富山で初霜を観測する寒い朝だったが、日中はお日様もでて風も暖かく過ごし易い一日だった。 | ||
先日、プリント用紙とインクの補充をするのにネットで注文したら、2万円近くになってしまった。 ずっとアマゾンをメインに使っていたが、全商品送料無料が終了して2000円未満は送料350円になってからは、もっぱらヨドバシを使っている。ポイントで還元される分を考えると、アマゾンよりヨドバシの方が安い事も多いし小額商品も無料で届けてくれる。 |
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天気もいいので、午後からサイクリングがてら久しぶりに小矢部の三井アウトレットパークへ。途中、小矢部川の堤防を走ると山の方が少し色付いている。沖縄から富山に戻って3度目の秋だが、杉が多いからか紅葉の旬がわからない。これからが紅葉の季節なのか、もう終わりかけなのか、まさに今がピークなのか。どれだろう??? | ||
小矢部川の河川工事で堤防の道路が寸断されているので、途中から下の道におりてアウトレットパークへ。オープンした昨年は長い行列が出来ていたポップコーンのお店も、今日は並ばなくても余裕で買える感じ。それでも1階と2階の長い通路を、ただ歩くだけで帰って来た。ウインドーすらほとんど見ない。お店の中に入ったのは靴屋さんだけで、それも直ぐに出て来てしまった。自分でも買い物が好きじゃないんだと思う。 |
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アウトレットパークから山裾を走る道を通り、再び小矢部川の堤防へ。期待していた程には美しく焼けなかったが、飛行機のラッシュ時間帯なのか空のアチコチに飛行機雲がスーッと線を引いている。下の写真の中にも、飛行機が5機飛んでいる。 | ||
今年の4月29日に撮影した出町子供歌舞伎の様子を、Photo Albumにしました。こちら。 | ||
↑公演を終えて、次の場所に向かって来る中町の曳山。↓中町、西町、東の曳山が3町揃い曵き。 |
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先週の土曜日、久しぶりにステージの撮影をした。午前11時から15半頃まで、途中15分程の休憩を挟んで43組を撮影。撮影中は膝立ちになる事も多く、お陰で昨日と一昨日は腿がパンパンで座ったり立ったりする度に痛かった。今日になってようやく回復したので、少しドラムの練習をしてみた。 昨日は68年ぶりの特大満月が見れるスーパームーン。富山は生憎の曇り空だった。下の写真は、スーパームーンの前日に部屋の窓から撮影したお月様。左が16時43分、右が17時5分。 |
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昨日のスーパームーン、奄美や沖縄といった南西諸島ではよく見えたようだ。そして昨日は、西表島の祖納集落と干立集落で節祭(シチ)が行なわれた。節祭は農作業上の正月儀礼で、一年の区切りとして豊作感謝と来年度の豊作祈願を行なう。旧暦10月前後の己亥から3日間続き、初日である一昨日が農作業上の大晦日にあたり夜には奉納芸のリハーサルであるウブシクミが行なわれる。昨日が新年にあたり、祭祀の中心となる世乞い(ユークイ)が催される。 |
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3年前の2013年に節祭を見に行った。同じ日に行なわれる祖納と干立の節祭、どちらを見るか迷ったがフダチミが登場する祖納の節祭を見た。そして祖納の前泊浜での奉納芸が終わった後に、急いで自転車で10分ほどの干立に向かった。もう祭場である干立ウガンでの奉納芸能は終わっていたが、旗頭を先頭に神司一行が元家(集落の始祖となる家)へ移動するところだった。 ←祖納の節祭で、先頭を歩くフダチミ。 |
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夕方から夜にかけて集落にある2つの元家へ移動し、神司がニガイを行ない庭先では芸能が奉納された。今年は、スーパームーンの大きな満月の下を、神司たちは集落のほの暗い道を歩いて行ったのだろうか。 | ||
↑干立の節祭。元家から元家へ、そして公民館へと移動する神司一行。今年はスーパームーンの明りの下を歩いたのだろうか。 |
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◯ ニュージーランドのM7.8の地震 2人死亡 ◯ 「駆け付け警護」来月可能に 新任務付与を閣議決定 ◯ 博多駅前の陥没現場 1週間ぶりに通行再開 |
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今年の4月27日に行なわれた、出町子供歌舞伎の稽古上げの様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑↓出町子供歌舞伎曳山会館の前で行なわれた、稽古上げ。 |
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16日の26時50分(正確には17日の午前2時50分?)から、奄美大島出身の放浪の唄者・里国隆のドキュメンタリーが放送される。面白そうだが、26時50分からって・・・。 | ||
ちょっと風邪気味。昨日の午後、パソコン作業の手を休めて焼酎を呑んで布団に入って少し休んでいるうちに、アメリカの次期大統領がドナルド・トランプ氏に決まっていた。さっそく昨日の午後からネットもTVのニュースもこの話題でいっぱいだ。 一昨日は鋳物の町として知られる金屋町近くにある有磯正八幡宮で行なわれる、ふいご祭に。ふいご(鞴)とは火を起こすために空気を送る機械で、鋳造にも使われる。ふいご祭については、こちらやこちらにも。 |
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↑左は、今庄の月見チャンポン。右は、まだ人通りも少ない金屋町。 |
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↑神事の始まる30分程前に神社に着くと、既に鋳造式のための準備が始まっていた。境内の一角に溶解炉が置かれており、神職が陰灯を運び、火入れが行なわれた。 →神事の時間になると、拝殿の外に出た神職が木を打ち鳴らして始まりを告げた。 ↓拝殿の中ではお祓い、神饌、玉串奉納が行なわれた。昨年の式で鋳造された、「随神像の矢羽(やばね)」「真澄鏡(まそかがみ)」「社紋入り銅鐸」も奉納された。 本殿と拝殿の間で、神職二人による板に棒を擦り付けて火を起こす「火きり」が行なわれ、「火きり」によって作られた火種が陰灯に仕舞われる。 お神楽が演奏された後、宮司さんによる挨拶があり、拝殿での神事は終了した。 拝殿での神事の間も、境内では鋳造式の準備が行なわれていた。鋳造式では鋳物師(いもじ)の技が、石凝姥神(いしごりどめのかみ)に捧げられる。ちなみに、ふいご祭は古くから行なわれているが、鋳造式は平成23年から始まり、今年が6回目だそうだ。 |
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↓→拝殿での神事が終わり、陰灯が外に運び出される。 |
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↑境内に設けられた祭壇で、鋳造式の神事が行なわれる。 |
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↑溶解炉に、ふいごで風が送られる。 |
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↑関係役員、鋳物師(いもじ)が順番に名前を呼ばれると、手を振り上げ「おー」と声を上げた。 |
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↓→代表者が陰灯の蝋燭を渡され、溶解炉に投下すると勢いよく炎が上がった。 |
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↓→炉で溶かされた材料が、型に流し込まれる。 |
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今年は、御神鳥の「かわせみ」(原型:塚原俊也)、「誓い獅子」(原型:南部祥雲)、有礒正八幡宮社紋が鋳造された。左の写真は、大きさの違う2種類の「かわせみ」と「誓い獅子」。 鋳造式が終わると、拝殿で鋳物師によるミカンと餅の振る舞いが行なわれた。鋳物師が振る舞うミカンを食べると風邪をひかないと言われ、丸餅を鏡に見立てるところから餅が振る舞われるそうだ。 |
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↓→材料を流し込んだ型に砂や水を掛けて冷ましながら、型を割って行く。 |
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↓→型から取り出された作品。左から「社紋」「誓い獅子」「かわせみ」。これらは来年の神事で奉納される。また、「誓い獅子」は正月から有礒正八幡宮で、領布される。 | ||
振る舞いのミカンとお餅の入ったビニール袋を持って、家に帰った。この後、午後7時から社務所であとふき(直会)が開かれ、そこで関係者は秋刀魚を食べるそうだ。秋刀魚は名前に「刀」が入る事から、昔から鍛冶屋さんは縁起を担いで、ふいご祭に秋刀魚を食べるそうだ。 | ||
野毛ハーレムバンドの野毛(ノゲラ)さんが6日に亡くなったが、その後、音楽サイトにも情報がほとんど載らないのはどうしてだろう。 昔、横浜の関内にファーイーストというライブハウスがあった。野毛ハーレムバンドの拠点が、このお店だったと思う。透さんの家に居候しながらローディーをしていた1979年頃に、時々透さんに連れられてお店に行った。ボブ・マーリーの『エクソダス』は、この店で野毛さんが掛けてくれて初めて聴いたんじゃなかっただろうか。 |
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↑雑誌の近田春夫特集で撮影した、ビブラストーン。右から2人目が野毛さん。1989年3月に撮影。 |
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You Tubeから「 野毛ハーレムLand 〜春風2016〜」「パブリック・エネミー/ビブラストーン」。 | ||
ぼくは店をあけたばかりのバーが好きなんだ。 今日、ヤフーのニュースラインに「ススキノの日本最高齢バーテンダー逝く」という記事が流れてきた。亡くなったのは、「BARやまざき」の山崎達郎さんだ。お店に伺った事もお会いした事もないが、お名前は存じ上げている。 |
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↑「クール」の古川緑郎さん。 ↓左から「サン・スーシー」の野村保さん、「ルパン」の高崎武さん、「カクテルバー・パリ」の田尾幸子さん。 |
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昨日は立山町にある新瀬戸小学校へ、浄瑠璃を見に行ってきた。そもそもは8月26日の北日本新聞に載っていた「池田浄瑠璃」継承に一役 休校の新瀬戸小学生という記事を見たのがきっかけだった。富山県に子供たちが演じる浄瑠璃が継承されていたというのも驚きだったし、その浄瑠璃が学校の休校で存続が危ぶまれたが地元の卒業生たちの協力で引き継がれる事になったというのも興味深かった。 数日前に立山町に問い合わせて、開演が10時、会場は休校となっている新瀬戸小学校の体育館を開放して行われる事を聞いた。五百石駅からタクシーを勧められたが、地図を見ると釜ケ淵駅から2キロほどなので歩いて行くことにした。 あいの風とやま鉄道で富山駅へ。JR富山駅から乗り換えのため電鉄富山駅へ向かう。ヤフーの路線検索だと釜ケ淵まで660円となっていたが、券売機には730円と書いてある。今日に限らず富山地方鉄道の料金が、ヤフーの路線検索より高いので駅員さんに聞いてみたところ、路線検索で表示されるのはICカードで購入した場合の料金だそうだ。 8時23分発の本線の岩峅寺行きに乗車。駅に入っていたコンビニで買ったパンを食べながら、しばし電車の旅。富山地方鉄道は、車内も車外も撮り鉄の人が多いような気がする。 終点の岩峅寺駅に8時55分に着いて、立山線の電鉄富山行きに乗り換えて2駅目の釜ケ淵に9時4分に到着。 家でプリントアウトしてきた地図を見ながら、新瀬戸小学校に向かう。道はシンプルなので迷う事なく40分ほど歩いて到着した。小学校近くの道路には、案内の方が何人も立っていた。 会場の体育館に入るとイスが並べられている。関係者のような男性(後で保存会の会長さんと分かった)がいらしたので、撮影の許可をいただいて一番前の席でプログラムを見ながら始まりを待つ。 |
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↓会場の新瀬戸小学校。→保存会会長の挨拶。 |
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プログラムから。 池田浄瑠璃とは |
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第一部 演目「仮名手本忠臣蔵 五段目」(かなでほんちゅうしんぐら ごだんめ) |
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↓舞台後の記念撮影。→公民館長の挨拶。 |
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10時から始まった公演は、11時半頃に終了した。語りと場面展開を表現する拍子木はあったが、浄瑠璃本来の伴奏や効果音で使われる三味線はなく、本当に村芝居のような公演だった。公民館長さんに聞いたところでは、池田浄瑠璃も元々は三味線の伴奏があったが、一度途絶えて小学生が演じるようになってから三味線が使われなくなったそうだ。地区には三味線の出来る人はいるので今回は三味線の伴奏も考えたそうだが、子供たちと合わせる時間がなかったことから見合わせたという。いつか三味線の入った池田浄瑠璃を見る事ができるのだろうか。 |
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↓公演が行なわれた体育館の入り口。→顔はめ看板。 |
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来る時は急いで歩いたので、帰りはゆっくりと。近くに越中陶の里 陶農館という看板があったので歩いて行くと、陶芸体験ができる施設だった。この地区は、昔から焼き物の盛んな土地だったようだ。心の準備ができていなかったので、外観を見るだけにした。 新瀬戸小学校は低い山を少し上ったところにあるので、帰りは集落を見下ろしながら帰る。紅葉は、もう少し先だろうか。 |
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↑駅の近くに味のある床屋さんがあった。↓釜ケ淵駅。 |
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電鉄富山に帰るには立山線で岩峅寺に出て本線に乗り換えるルートと、立山線の電鉄富山行きでまっすぐ帰るルートがある。駅の時刻表を見ると立山線が直ぐに来るので、立山線で電鉄富山へ。やがて2両編成の電車が走ってきた。 | ||
今回の北日本新聞の記事。北國新聞の記事。2013年の北日本新聞の記事。 池田城の殿様を楽しませるために始まった浄瑠璃が、落城後は村人が農作業の合間の楽しみとして行なったというのは、どこか沖縄の村芝居としての組踊を思わせる。 |
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辺野古の基地移設反対運動の象徴的な存在だった、嘉陽のオジーこと嘉陽宗義さんが亡くなった。 嘉陽さんと同じく辺野古基地建設反対運動の象徴的な存在である島袋文子さんが、先日、元NHKアナウンサーで現在<日本のこころを大切にする党>に所属する参議院議員・和田政宗氏らに訴えられた。キャンプ・シュワブのゲート前で基地反対の抗議をしていた島袋さんの顔をビデオカメラで撮影しようとしたので、嫌がった島袋さんが手で振り払ったのが彼らに当たり、それが暴力行為だとして訴えたという。歩くのもままならず車椅子に乗っている87歳の女性に手で振り払われたのを、暴力だといって訴える政治家のなんと醜悪なことか。 |
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◯ 琉球・北山王の次男「えらぶ世之主」と島の歴史に思いはせる 沖永良部島で音楽祭 こういう記事を見ると、 与論島・沖永良部島までは琉球の文化や芸能が色濃く残っていると感じる。この2島は奄美群島に属するが、祝宴の最後に踊られるのは六調ではなくカチャーシーだ。また、琉球の祭祀であるシニグ(シヌグ)も与論島では現在も2年に一度行なわれており、沖永良部島でも嘗ては行なわれていたようだ。 薩摩と琉球の文化が混じり合った奄美、大和と中国の文化が解け合う沖縄。琉球弧に連なる島々で、それらは見事なグラデーションを描いている。 これが、琉球弧を4年間旅した実感だ。 |
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↓→沖永良部島にある世之主の墓。2012年5月14日撮影。 |
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昨日の文化の日は雨に降られ予定が飛んでしまったので、部屋の中を少し片付けて過ごした。プリントやフィルムが雑然と積み重なった棚の下から、先日こちらに書いた一色ゆかりのバックバンドをしていた頃の写真が出てきた。さっそくポジ・フィルムを、今年の春に購入したスキャナーで取り込んでみた。 1982年1月11日、渋谷Egg man Photo by Takuya Usami |
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↓21歳の頃。今より体重は15kgほど少ないだろうか。もはや眉毛の太さくらいしか当時の面影はないかもしれない。 |
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「ギャンブラー/一色ゆかり」。←の映像のバックバンドは、ギターの河内淳一さん、ドラムの山田亘さんらが結成したBLAXかな? | ||
今年も後2ヶ月ほどになってしまった。少し前から湯たんぽを使っているが、それだけでは寒くなってきたので、昨日出しっぱなしになっていた石油ファンヒーターのスイッチを入れたが電源ランプがつかない。そう言えば、昨シーズンの途中から調子が悪くて灯油が入ったまま放置していたのだった。居間で使っている石油ストーブも、灯油を入れるタンクの具合が悪いらしい。それじゃあと、アマゾン、ヨドバシ、価格ドットコムで値段を調べて石油ストーブとファンヒーターで2万円ほどの商品を選んでプリントアウトして父親に見せたが、ホームセンターのムサシの方が安いという。そんな事はないだろうと思いながら、今日の午前中に父親と一緒にムサシに行ったら本当に安かった。ストーブとファンヒーターで1万7000円ほどだったか。ムサシ、侮れない。 |
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文化庁は先月31日、ユネスコの補助機関が18府県33件の「山・鉾(ほこ)・屋台行事」を無形文化遺産に登録勧告されたと発表した。この内、富山からは「高岡御車山祭の御車山行事」「魚津のタテモン行事」「城端神明宮祭の曳山行事」の3つが登録される。これを受けて、12月4日に高岡テクノドームで記念イベントが行なわれるようだ。 * 文化庁のリリースはこちら。 |
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↓→高岡御車山。 |
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↓→魚津のたてもん。 |
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↓→城端の曳山。 |
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今年の4月24日に撮影した、浦田山王社の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑紋付袴姿の「前立ち」と呼ばれる神役の男性の後を、全長7m、幅2mの巨大な胴幕の獅子がついて歩く。長い間本殿にいた獅子が眩しくないように、また獅子の眼光に周囲の人が射抜かれないように、2人の子供が御幣を付けた棒で獅子の目を隠しな がら歩く。 | ||
↑神事の後は、「おわたまし」と呼ばれる獅子に頭を噛んでもらう儀式が行われる。おわたましに使われる獅子頭は、 行道獅子と同じ大きさのものだが、こちらの方が古いもののようだ。 | ||
10月へ |