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バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能

11月3日(木) 砺波市頼成の獅子舞 記事
11月6日(日) 池田浄瑠璃 午前10時〜新瀬戸小学校体育館
11月8日(火) 有磯正八幡宮 ふいご祭 午前10時
11月第3土曜日 射水市放生津・新湊地区 17時〜  澗建のえびす様渡し  映像
11月20日 黒部市 えびす迎えの行事 記事 記事
12月4日 「山・鉾・屋台」無形文化遺産記念イベント 高岡テクノドーム
12月25日 下村加茂神社 煤払祭 記事
12月31日〜1月1日 氷見市小境  宮籠もり 記事
1月第2日曜日?      南砺市利賀村 初午
1月の第2日曜、15日が日曜なら1月15日 入善町巴町 塞の神まつり
3月 井波 お人形さまめぐり
3月13日 芦峅寺のおんば様のお召し替え
5月4日 滑川市赤浜 赤浜の菖蒲打(ショーブツ)
5月5日 氷見市宇波 コウラウラの祭り
5月6日 氷見市小境 エビス祭り
8月6日? 本法寺の曼荼羅絵図風入れ法要
8月6日、7日 魚津 上村木七夕祭
8月中旬 黒河夜高祭
8月下旬の日曜 恵比須祭り

◯お鍬さま 1月11日 記事記事
◯高岡御車山祭 4月30日 二番町の神迎え
◯7年に1度、10月に開催 朝日町山崎 米吊り奉納
◯次は2017年? 布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)
◯高岡大仏まつり

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り

◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

11月30日(水)

 今日で11月も終わり。肌寒い一日だった。

 一昨日の記者会見で米軍北部訓練場の一部返還に関し「苦渋の選択の最たるものだ」と発言し、6ヶ所のヘリパッド建設を事実上容認したと報じられた翁長雄志知事が、報道は不本意だとして弁明
 <苦渋の選択は、オスプレイの使用が前提となっている「北部訓練場の返還(を容認すること)」だと説明。オスプレイを対象とした環境影響評価が実施されていないにもかかわらず、オスプレイが使用するヘリパッドが造られることは「容認していない」と述べた。また、1996年のSACO合意にはオスプレイの使用が含まれていなかったとし、現計画に関し「本来のSACO合意とは違う」との認識を示した

 <1996年のSACO合意にはオスプレイの使用が含まれていなかったとし、現計画に関し「本来のSACO合意とは違う」>という翁長知事の指摘は重要で、普天間基地や北部訓練場返還の日米合意の際も、日本政府はオスプレイ配備を隠してきた。米軍が1997年の時点でオスプレイの配備を米軍機関誌に 報じているのに、日本政府は聞いていないと逃げてきた。そして最終的にオスプレイが配備される事を認め、沖縄に伝えたのは実際に駐留が始まる僅か1年半程 前の2011年6月だ。
 また、そもそも普天間の返還を含む米軍基地の整理縮小への動きは、1995年9月に起きた米兵による12歳の女子小学生への集団レイプ事件がキッカケだ。この 事件を受けて「沖縄県民総決起大会」が開かれ、8万5000人が集まった。沖縄では強烈な出来事だが、今、内地に暮らす人のどれくらいがこの事件を覚えて いるのだろうか。

 一昨日の琉球新報に「普天間基地内、旧神山集落が消失の危機 調整池計画」という記事が載っていた。

オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会01
オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会02

↑2013年1月22日に那覇市民会館で開催された「オスプレイの配備撤回を求める那覇市民大会」。那覇市長時代の翁長雄志氏が、主催者として挨拶している。翁長氏は、市長時代から一貫してオスプレイの配備に反対している。

 福島第1原発事故の賠償や廃炉などにかかる費用が、従来、政府が想定していた2倍の20兆円超に膨らむと経産省が試算している事がわかった。
 2倍に膨らむと聞いても驚きはない。この20兆円という金額も、確たる根拠を元にした数字ではないだろう。何年か後に40兆円、60兆円に膨らむという記事が載るかもしれない。溶け落ちた核燃料を取り出して処分する技術などまだ何処にもないのだろうから、費用の試算など出来るわけがない。そもそも本当に溶け落ちた燃料を取り出せるのだろうか。
 そんな中、政府は廃炉を検討中の高速増殖原型炉「もんじゅ」に代わる高速実証炉の開発を推進する方針を示した。気は確かだろうか?

新しいトップ画面

トップページの模様替えをしました。今回は大熊展望台近くから眺めた名瀬港の入り口。大きく張り出した岬の向こうに朝仁海岸がある。そして2つ前のトップページが、その朝仁海岸で撮影した写真でした。

↓これまでのトップ画面。

これまでのトップ画面
 今年の5月3日に撮影した鹿嶋神社の稚児舞で知られる例大祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
鹿嶋神社の稚児舞
↑鹿嶋神社の春季例大祭。獅子舞が家々をまわった後に、小槍を持った男児による槍舞、次に日の丸の扇を持った女児による扇舞が行なわれる。お祝い事のあった家では、男児と女児が一緒に舞うこともあった。
↓獅子舞は、一人が獅子頭の中に顔を入れ、もう一人が胴幕を捩った尻尾を持って舞う二人獅子。結婚や出産といったお祝い事のあった家では天狗も登場するが、高岡や氷見の獅子舞のようにアクロバティックな動きは無く、ゆったりとした踊りのようで、台詞こそないが狂言を見ているような感じもした。
鹿嶋神社の獅子舞

11月26日(土)

 昨日、氷見漁港に1130本の鰤が水揚げされ、寒ぶり宣言が出された。昨シーズンは不漁で出なかったので、2年ぶりとなる。氷見の住人でも漁師でもないが、寒ぶり宣言が出てホッとした。

 明日はまた一日雨の予報なので、身体を動かしておこうと思い、戸出駅まで自転車を漕いできた。見上げる空は、なかなか立派な鱗雲。途中、鯉の里公園と戸出野神社に寄って鯉と紅葉を撮ってきた。高岡の紅葉はこれから?今がピーク?それとも既に終わり頃なのか。近所の山を見ても杉ばかりなので、紅葉の旬がわからない。

今日の空01
↓鯉の里公園にて。→戸出野神社にて。
戸出野神社
鯉の里公園
今日の空02
 戸出駅前を自転車でふらふらしていたら、戸出電話交換局の看板を見つけた。ずいぶんと年季の入った建物で、まだ使われているのだろうか?
戸出電話交換局
 そういえば母親の実家が電話交換局をやっていた。ただ単に場所を貸していただけかもしれないが、小学生の頃だから昭和40年代前半頃だろうか、母親の実家に行くと母屋とつながった一室に機械があって女の人がコードを差し込んでいた。いつ頃までやっていたんだろうか、すぐに従兄弟の子供部屋になっていた気もする。下の写真は、Wikipediaの電話交換機から拝借しました。
 YAHOO!知恵袋から電話交換局とはなんですか?
電話交換機01
電話交換機02
 戸出から戻りパソコンを起ち上げると、SNSでキューバのフィデル・カストロ氏死去の情報が流れてきた。

11月24日(木)

 全国的に寒い一日になった。東京では11月としては54年ぶりの初雪になり、転倒事故で41人が怪我をしたそうだ。
 今日は、Facebookにもチラホラと雪の写真が流れて来る。

 水上バスから眺めるウオーターフロントの風景に魅かれて月に一度のペースで撮影していた頃、雪の降る湾岸を撮りたくて天気予報に雪だるまのマークが出るのを待っていた。
 2006年から2007年の冬はほとんど降らず、2007年から2008年にかけての冬も、なかなかまとまった降雪にならなかった。今シーズンももうダメかな?と思ったが2月になってようやく積もるほどの雪が降った。
 厚手の靴下を2枚重ねて履き、上は長袖のTシャツにトレーナー、その上に長袖のシャツとセーターを着込み、マフラーを巻いてダッフルコートを羽織って、当時住んでいた向ケ丘遊園から電車を乗り継いで浜松町に行き、浜松町から歩いて日の出桟橋の水上バス乗り場へ向かった。
 水上バスのデッキに出て、かじかむ手でカメラを構えて通り過ぎる風景にレンズを向けていた。日の出桟橋と品川水族館、日の出桟橋と東京ビッグサイトを往復し、最後に日の出桟橋から浅草へ出て、雪の浅草寺を見て帰ってきた。

水上バスから撮影した湾岸の雪景色
↑↓→水上バスからの風景と、浅草寺。共に2008年2月3日に撮影。
雪の浅草寺02
雪の浅草寺01
 今年の5月2日に撮影した福野夜高祭の様子を、Photo Albumにしました。こちら
福野夜高祭01
↑各町内の行灯山車が、順番に福野神明社に参拝する。↓行灯山車の町内曵き回し。
福野夜高祭02

 備忘録として、ここ最近の原発関連の記事を貼付けておく。
小樽市長、泊原発の廃炉要請へ
放射性ナトリウム760トン=もんじゅ廃炉で難題-使用済みMOXも・原子力機構
廃炉 外国人に偽装請負か 事前教育も不十分
ごまめの歯ぎしり 原発は安くない!?
チェルノブイリ原発に新ドーム 石棺ごと100年密封
美浜3号40年超え運転延長を認可 原子力規制委、高浜に続き福井の原発で
燃料取り出し再延期か=3号機プール、作業遅れ-高放射線量も影響・福島第1
東電の再編・統合論強まる=原発、送配電事業-経産省有識者委
廃炉に外国人 ブラジル政府、求人広告の自粛を要請
柏崎市長選 桜井雅浩氏が初当選 条件付き再稼働容認派

11月22日(火)

 いつもより遅く起きて居間に行くと、TVの画面で地震のニュース。震源地は福島県沖で、マグニチュード7.3(後に7.4に訂正された)。最大震度5弱を記録し、仙台港では1.4mの津波を観測した。
 この地震の影響で、福島第二原発3号機の使用済み燃料を冷却するための水をためるタンクの水位が低下して警報が鳴り、プールに水を送るポンプが一時停止した。これを受けて菅官房長官は「原発は安全再優先で、政府として今後ともしっかり対応していきたい」と述べたが、それなら先ずは使用済み燃料を乾式キャスクに移送すればどうか。少なくとも保管プールの水を心配する必要はなくなる。
 19日、南米コロンビアのメデジンで一ツ橋大学の井崎亮さんが銃で撃たれて殺害された。彼は大学を休学して、今年2月から発展途上国を中心に世界一周旅行の最中だったそうだ。このニュースをTVで観て、昔読んだ沢木耕太郎の「ミッシング<行方不明者>」というエッセイを思い出した。

 本格的な夏の到来とともに、多くの息子や娘たちが異国への旅に出ていく。異国は、本来、異国だというそれだけのことで絶対の危険をはらんでいる。ほとんどの息子や娘たちはその危険に気づかないまま帰ってくるが、何人かは思いがけないかたちで、しかも悲劇的なかたちで遭遇してしまう。そして、親たちは不意に子供の姿を見失う。
 親は、子供を失うことで未来の一部を、それも重要な一部を失うことになる。
 永田守良の父親も、息子の行方がわからなくなったことで、ありえたかもしれない人生のいくつかのものを失った。
「だからといって、行かないでくれたらよかったとは思わないんです。こんなことになってしまいましたけど、うまくいっていれば何かを掴んで帰ってきたように思うからです」

彼らの流儀
 自分は父親から暖簾を分けてもらい、自転車屋としてノホホンと生きてきた。それで満足し、人生にそれ以上のことを求めなかった。しかし、息子は何かを掴もうとして旅に出たのだ。どちらの人生が充実した人生だったかわからない。父親はそうも言った。

沢木耕太郎のエッセイ集『彼らの流儀』に収載されている「ミッシング<行方不明>」より。

 今月6日に立山町の新瀬戸小学校へ池田浄瑠璃を観に行った際、終演後、保存会の方から良い写真があったら送って下さいとお願いされた。A4の用紙に何枚かプリントして送ろうかと思っていたが、一生懸命に芝居していた子供たちにプレゼントしたくなり、フォトブックにして送る事にした。文庫サイズで36ページなら1冊198円(税別)とお手頃で、これなら一人一人にあげられる。
 自分用の1冊を入れて12冊注文したのが、昨日届いた。 なかなか可愛らしい仕上がりだ。

池田浄瑠璃公演のフォトブック

11月20日(日)

 午前中は、今年駅の隣りに出来たにぎわい交流館で開催された「つくりもん市」へ、源多良太鼓を聴きに行く。源多良太鼓保存会について、平成元年に結成された団体で、福岡町大滝地区を流れる源多良川からその名がつけられましたいう情報を見つけたので地元の芸能だが、見るのは今日が初めてだ。そもそも地元に住んでいながら、源多良川がどこを流れているのか分からない。今度調べに行って来よう。
源太良太鼓
 午後からは、ミュゼふくおかカメラ館で開催中の立木義浩写真展「写心気58」へ。今日は関連イベントとして14時から、元CAPAの編集長・石田立雄さんとカメラ館の館長・金山嘉宏さんの写真談義がある。
 13時過ぎにカメラ館に到着して、一通り展示写真を見てから、多目的ホールでの写真談義を聞く。1時間強のトークの後、もう一度展示写真を見て帰って来た。

 昨日は、放生津(新湊)の漁師に伝わる神事、「澗建のえびす様渡し」を撮影に行って来た。澗建(またて)とは、漁法毎に作られた漁師の組合で、現在は5つの澗建がある。
 元禄15年(1703)、加賀藩主に金鯛を献上した放生津の釣方漁師は、釣り漁の実績を誉められ、領国海域での釣り漁の特権を澗建に与えられた。この時下付された恵比須絵像、黄金の鮑大盃、漁場絵図を順次年番に澗建の頭屋間で渡し、海上の安全と大漁が祈願される。富山県映像センターの資料より)
 こちらの資料では加賀藩三代目藩主・前田利常とあり、 お墨付きを与えられた海域は能登の録剛崎から越中の宮崎沖までの全海域とされている。
 新湊博物館が制作した「奈呉の浦の祈りー海のまつりー」というパンフレットには11月の第3土曜日に神事が行われると書いてあるが、何時に何処へ行けば見られるのかわからないので博物館に問い合わせたところ、この神事を司る西宮神社の連絡先を教えていただいた。
 西宮神社に問い合わせると、17時から昨年えびす様を渡された頭家(1年間えびす様を預かる家)で神事があり、18時からは今年えびす様を渡される頭屋で神事が行なわれるとのこと。17時から神事の行なわれる頭屋は本町にある野村さんというお宅で、野村さんの住所も教えていただいた。

 ネットであいの風とやま鉄道と万葉線の時刻表を調べて、15時2分に高岡駅に到着し、15時15分発の万葉電車に乗り換えた。乗車した車両はレトロ車両と呼ばれるもので、わざわざ東京から乗りに来たという人が乗車していた。16時前に西新湊(旧新湊庁舎前)駅に到着し、17時から神事が行なわれる頭屋へ歩く。10分程で頭屋となっている家の前に到着したが、まだかがり火も焚かれていなかったので、今日えびす様が渡される澗建の頭屋を探しに行く。詳しい住所は聞いていないが、奈呉にある家だと言われたので歩いて行く。奈呉に到着して道で会った人に尋ねて歩くと、今から神事の行なわれる頭屋に行くという男性に出会い、連れて行ってもらう事ができた。野口さんという漁師さんの家だった。
 もう既に頭屋となる家には、正装をした漁師さん達がたくさん集まっていた。撮影させていただく許可を貰って、また17時から神事が行なわれる本町の頭屋に戻ると家の前でかがり火が焚かれていた。ちょうど西宮神社の宮司さんと巫女さんが家に入られるところだったので、声を掛けてこちらにも撮影の許可をいただく。

↓→頭屋である野村さんの家の玄関先に、かがり火が焚かれる。
えびす様渡し02
えびす様渡し01
 17時になって、座敷で神事が始まった。床の間にはえびす神像が入れられた厨子が置かれていた。野村さんが属する澗建は、定置組合だそうだ。
↓巫女さんによるお祓いと、宮司さんによる祝詞奏上。
えびす様渡し04
えびす様渡し03
 祝詞が奏上された後、厨子の中にある布が捲られてえびす神像(えびす様の絵)が現われる。
えびす様渡し05
↑左は、玉串奉納。右は、玉串奉納の後、再び布が被せられたえびす神像(写真中央の厨子)。
えびす様渡し06
↑加賀藩主前田家から与えられたアワビの大盃が用意される。
↓→金色に輝くアワビの大盃に入れられたお酒を、参列者がまわし呑みをする。
えびす様渡し08
えびす様渡し07
 17時半頃、これから一年えびす神像を預かる澗建の若い衆が迎えに来た。
↓→アワビの大盃が片付けられ、えびす神像を入れた厨子が床の間から出される。
えびす様渡し10
えびす様渡し09
 宮司さんが玄関先で、迎えに来た若い衆の背中に厨子を白い帯紐で括り付ける。
えびす様渡し11
えびす様渡し12
えびす様渡し13

 神職、厨子を背負った若い衆のまわりを、提灯を持った4人が囲むようにして歩く。
 本来は歩いて頭屋から頭屋へとえびす様を渡すようだが、今回は少し距離があるため途中は車を使う事になっていた。
 しばらく撮影してから、急いで次の澗建の頭屋まで先回りして走った。
 こちらの頭屋である野口さんの家の玄関先にもかがり火が焚かれ、正装した漁師達が出迎えの準備をしていた。

↓神職とえびす様神像が、頭屋に到着。
えびす様渡し15
えびす様渡し14
↓→厨子が床の間に設置され、神饌が供えられる。
えびす様渡し17
えびす様渡し16
えびす様渡し18
↑巫女さんによるお祓いの後、宮司さんによる航海安全と豊漁を願う祝詞が奏上がされる。
↓→えびす神像(絵)が御開張され、玉串が奉納された。
えびす様渡し20
えびす様渡し19
↓→加賀藩主の前田家から与えられた大盃と、漁場を描いた絵図。
えびす様渡し22
えびす様渡し21
えびす様渡し23

 玉串奉納が終わって、参列者にアワビの大盃に入れられたお酒がまわされ、これで神事は終了となった。この後、場所を変えて直会が行なわれる。
 19時少し前に神事が終わったので、撮影させていただいたお礼を述べて頭屋となった家を後にする。頭屋となった家では、これから毎月20日に西宮神社の宮司さんが訪れて祈願が行なわれる。

 トボトボと西新湊駅へと歩く。しばらくホームで待っていると米島口止まりのドラえもん電車がやって来た。とりあえず乗り込んで米島口まで。終電の米島口で高岡までの清算をして、次にやって来た高岡駅行きに乗って帰ってきた。

11月18日(金)

 今日は富山で初霜を観測する寒い朝だったが、日中はお日様もでて風も暖かく過ごし易い一日だった。
 先日、プリント用紙とインクの補充をするのにネットで注文したら、2万円近くになってしまった。
 ずっとアマゾンをメインに使っていたが、全商品送料無料が終了して2000円未満は送料350円になってからは、もっぱらヨドバシを使っている。ポイントで還元される分を考えると、アマゾンよりヨドバシの方が安い事も多いし小額商品も無料で届けてくれる。
インクとプリント用紙
 天気もいいので、午後からサイクリングがてら久しぶりに小矢部の三井アウトレットパークへ。途中、小矢部川の堤防を走ると山の方が少し色付いている。沖縄から富山に戻って3度目の秋だが、杉が多いからか紅葉の旬がわからない。これからが紅葉の季節なのか、もう終わりかけなのか、まさに今がピークなのか。どれだろう???
紅葉

 小矢部川の河川工事で堤防の道路が寸断されているので、途中から下の道におりてアウトレットパークへ。オープンした昨年は長い行列が出来ていたポップコーンのお店も、今日は並ばなくても余裕で買える感じ。それでも1階と2階の長い通路を、ただ歩くだけで帰って来た。ウインドーすらほとんど見ない。お店の中に入ったのは靴屋さんだけで、それも直ぐに出て来てしまった。自分でも買い物が好きじゃないんだと思う。

アウトレットパーク
 アウトレットパークから山裾を走る道を通り、再び小矢部川の堤防へ。期待していた程には美しく焼けなかったが、飛行機のラッシュ時間帯なのか空のアチコチに飛行機雲がスーッと線を引いている。下の写真の中にも、飛行機が5機飛んでいる。
夕焼け
 今年の4月29日に撮影した出町子供歌舞伎の様子を、Photo Albumにしました。こちら
出町子供歌舞伎01
↑公演を終えて、次の場所に向かって来る中町の曳山。↓中町、西町、東の曳山が3町揃い曵き。
出町子供歌舞伎02

11月15日(火)

 先週の土曜日、久しぶりにステージの撮影をした。午前11時から15半頃まで、途中15分程の休憩を挟んで43組を撮影。撮影中は膝立ちになる事も多く、お陰で昨日と一昨日は腿がパンパンで座ったり立ったりする度に痛かった。今日になってようやく回復したので、少しドラムの練習をしてみた。

 昨日は68年ぶりの特大満月が見れるスーパームーン。富山は生憎の曇り空だった。下の写真は、スーパームーンの前日に部屋の窓から撮影したお月様。左が16時43分、右が17時5分。

お月様
 昨日のスーパームーン、奄美や沖縄といった南西諸島ではよく見えたようだ。そして昨日は、西表島の祖納集落と干立集落で節祭(シチ)が行なわれた。節祭は農作業上の正月儀礼で、一年の区切りとして豊作感謝と来年度の豊作祈願を行なう。旧暦10月前後の己亥から3日間続き、初日である一昨日が農作業上の大晦日にあたり夜には奉納芸のリハーサルであるウブシクミが行なわれる。昨日が新年にあたり、祭祀の中心となる世乞い(ユークイ)が催される。
フダチミ

 3年前の2013年に節祭を見に行った。同じ日に行なわれる祖納と干立の節祭、どちらを見るか迷ったがフダチミが登場する祖納の節祭を見た。そして祖納の前泊浜での奉納芸が終わった後に、急いで自転車で10分ほどの干立に向かった。もう祭場である干立ウガンでの奉納芸能は終わっていたが、旗頭を先頭に神司一行が元家(集落の始祖となる家)へ移動するところだった。

←祖納の節祭で、先頭を歩くフダチミ。

 夕方から夜にかけて集落にある2つの元家へ移動し、神司がニガイを行ない庭先では芸能が奉納された。今年は、スーパームーンの大きな満月の下を、神司たちは集落のほの暗い道を歩いて行ったのだろうか。
干立の節祭
↑干立の節祭。元家から元家へ、そして公民館へと移動する神司一行。今年はスーパームーンの明りの下を歩いたのだろうか。
ニュージーランドのM7.8の地震 2人死亡
「駆け付け警護」来月可能に 新任務付与を閣議決定
博多駅前の陥没現場 1週間ぶりに通行再開
 今年の4月27日に行なわれた、出町子供歌舞伎の稽古上げの様子をPhoto Albumにしました。こちら
子供歌舞伎稽古上げ01
↑↓出町子供歌舞伎曳山会館の前で行なわれた、稽古上げ。
子供歌舞伎稽古上げ02
 16日の26時50分(正確には17日の午前2時50分?)から、奄美大島出身の放浪の唄者・里国隆のドキュメンタリーが放送される。面白そうだが、26時50分からって・・・。

11月10日(木)

 ちょっと風邪気味。昨日の午後、パソコン作業の手を休めて焼酎を呑んで布団に入って少し休んでいるうちに、アメリカの次期大統領がドナルド・トランプ氏に決まっていた。さっそく昨日の午後からネットもTVのニュースもこの話題でいっぱいだ。
 今回のアメリカ大統領選の結果に驚く声が多いが、個人的にはトランプ氏の勝利より安倍政権の支持率が今なお半数程ある事の方が驚きなのだが。
 そんな中、「トランプ勝利:日本人は胸に手を当てるべき」という記事が流れてきた。

メディアの皆さん。「トランプ当選?信じられない」的な顔はぜひやめてもらいたい。そのショックを、石原や橋下が知事になったときに表現しましたか?彼らの言ってきたことは、トランプにまったく引けを取りませんよ?
「欧州の極右政党がトランプ氏当選に祝意」と報じてましたが、「欧州の極右政党」と、現在の自民党主流や「日本のこころを大切にする党」の違いは一体どれ くらいありますか?なぜあちらを「極右」と呼び、こちらは「保守」なんですか?欧州では「保守」は「極右」を批判してますよ


 アメリカ大統領選のニュースの影に隠れてしまったが、こんなニュースもあった。
<玄海原発>3・4号機「適合」 再稼働へ新基準10基目
ベトナム原発計画白紙に・・・受注の日本、打撃大きく

 一昨日は鋳物の町として知られる金屋町近くにある有磯正八幡宮で行なわれる、ふいご祭に。ふいご(鞴)とは火を起こすために空気を送る機械で、鋳造にも使われる。ふいご祭については、こちらこちらにも。
 ふいご祭は有礒正八幡宮の御祭神の一柱である鏡作り・鋳物師の祖神である石凝姥神(いしごりどめのかみ)に、関係企業や団体の事業繁栄・職場安泰を祈る神事だそうだ。
 拝殿での神事は、午前10時から。 9時27分に高岡に着く電車があるが、駅から少し歩くのでこれだとギリギリか。一つ早い電車は8時38分。早すぎるが高岡駅の今庄で、うどんを食べる事にする。昔はうどん一筋だったが、最近はうどんとそばが半々に盛られたチャンポンも良いなと思うようになってきた。
 ゆっくり時間をかけて月見チャンポンを食べてから、テクテクと歩いて金屋町へ。金屋町の千本格子の町並みを抜けて有礒正八幡宮へ。

ふいご祭01
↑左は、今庄の月見チャンポン。右は、まだ人通りも少ない金屋町。
ふいご祭02
↑神事の始まる30分程前に神社に着くと、既に鋳造式のための準備が始まっていた。境内の一角に溶解炉が置かれており、神職が陰灯を運び、火入れが行なわれた。

→神事の時間になると、拝殿の外に出た神職が木を打ち鳴らして始まりを告げた。

↓拝殿の中ではお祓い、神饌、玉串奉納が行なわれた。昨年の式で鋳造された、「随神像の矢羽(やばね)」「真澄鏡(まそかがみ)」「社紋入り銅鐸」も奉納された。
 本殿と拝殿の間で、神職二人による板に棒を擦り付けて火を起こす「火きり」が行なわれ、「火きり」によって作られた火種が陰灯に仕舞われる。
 お神楽が演奏された後、宮司さんによる挨拶があり、拝殿での神事は終了した。
 拝殿での神事の間も、境内では鋳造式の準備が行なわれていた。鋳造式では鋳物師(いもじ)の技が、石凝姥神(いしごりどめのかみ)に捧げられる。ちなみに、ふいご祭は古くから行なわれているが、鋳造式は平成23年から始まり、今年が6回目だそうだ。
ふいご祭03
ふいご祭04
↓→拝殿での神事が終わり、陰灯が外に運び出される。
ふいご祭06
ふいご祭05
ふいご祭07
↑境内に設けられた祭壇で、鋳造式の神事が行なわれる。
ふいご祭08
↑溶解炉に、ふいごで風が送られる。
ふいご祭09
↑関係役員、鋳物師(いもじ)が順番に名前を呼ばれると、手を振り上げ「おー」と声を上げた。
↓→代表者が陰灯の蝋燭を渡され、溶解炉に投下すると勢いよく炎が上がった。
ふいご祭11
ふいご祭10
ふいご祭12
↓→炉で溶かされた材料が、型に流し込まれる。
ふいご祭14
ふいご祭13
ふいご祭15
ふいご祭16
 今年は、御神鳥の「かわせみ」(原型:塚原俊也)、「誓い獅子」(原型:南部祥雲)、有礒正八幡宮社紋が鋳造された。左の写真は、大きさの違う2種類の「かわせみ」と「誓い獅子」。
 鋳造式が終わると、拝殿で鋳物師によるミカンと餅の振る舞いが行なわれた。鋳物師が振る舞うミカンを食べると風邪をひかないと言われ、丸餅を鏡に見立てるところから餅が振る舞われるそうだ。
ふいご祭17
↓→材料を流し込んだ型に砂や水を掛けて冷ましながら、型を割って行く。
ふいご祭19
ふいご祭18
↓→型から取り出された作品。左から「社紋」「誓い獅子」「かわせみ」。これらは来年の神事で奉納される。また、「誓い獅子」は正月から有礒正八幡宮で、領布される。
ふいご祭21
ふいご祭22
ふいご祭20
 振る舞いのミカンとお餅の入ったビニール袋を持って、家に帰った。この後、午後7時から社務所であとふき(直会)が開かれ、そこで関係者は秋刀魚を食べるそうだ。秋刀魚は名前に「刀」が入る事から、昔から鍛冶屋さんは縁起を担いで、ふいご祭に秋刀魚を食べるそうだ。

 野毛ハーレムバンドの野毛(ノゲラ)さんが6日に亡くなったが、その後、音楽サイトにも情報がほとんど載らないのはどうしてだろう。

 昔、横浜の関内にファーイーストというライブハウスがあった。野毛ハーレムバンドの拠点が、このお店だったと思う。透さんの家に居候しながらローディーをしていた1979年頃に、時々透さんに連れられてお店に行った。ボブ・マーリーの『エクソダス』は、この店で野毛さんが掛けてくれて初めて聴いたんじゃなかっただろうか。
 この頃、東京ロッカーズに対抗して、東京おとぼけキャッツと神奈川の野毛スマイル(ハーレムバンド)、千葉のウシャコダが関東ロッカーズを結成してコンサートを開催した。ゲストは、エンケンさんだった。この時の映像が、一部だけれど家にある。ウシャコダが2曲演奏した後、ダディと野毛さん、ウシャコダの藤井さんがステージに出て来て結成式をやる。そこへエンケンさんが乱入して「東京ワッショイ」を歌っていった。「東京ワッショイ」では、どれみさんがバスガイドの制服でナレーションをしているが、ずいぶんと訛っている。そうだ、どれみさんはエンケンさんと同じ水戸出身だった。
 この2年程後に、どれみさんはおとぼけキャッツを脱退して、美空どれみから星どれみに改名してビジネスというスカ・バンドでデビューする。ビジネスって日本で最初のスカ・バンド!?何だかあの頃、よく分からずに凄いものを観ていたのかもしれない。
 野毛さんが近田春夫&ビブラストーンに参加している辺りまではライヴを見ているし、撮影したこともある。最近はネットの情報で名前を見るだけだったが、レイヴパーティなどでDJとしても活動していたようだ。
 奄美大島に住んでいた時に、喜界島で大きな野外のクラブイベントがあって、その出演者に野毛さんの名前を見つけたが、少し悩んで行かなかった。
  関東ロッカーズで検索しても情報が何もないな。関東連合は色々出てくるが。関内にあったライブハウスのファーイーストも、覚えている人は少ないだろうか。

ビブラストーン
↑雑誌の近田春夫特集で撮影した、ビブラストーン。右から2人目が野毛さん。1989年3月に撮影。
 You Tubeから「 野毛ハーレムLand 〜春風2016〜」「パブリック・エネミー/ビブラストーン」。

11月7日(月)

ぼくは店をあけたばかりのバーが好きなんだ。
店の中の空気がまだきれいで、冷たくて、何もかもぴかぴかに光っていて、
バーテンが鏡に向かって、ネクタイがまがっていないか、
髪が乱れていないかを確かめている。
酒のびんがきれいにならび、グラスが美しく光って、
客を待っているバーテンがその晩の最初の一杯をふって、きれいなマットの上におき、
折りたたんだ小さなナプキンをそえる。それをゆっくり味わう。
静かなバーでの最初の静かな一杯ーーこんなすばらしいものはないぜ。

『長いお別れ/レイモンド・チャンドラー』

 今日、ヤフーのニュースラインに「ススキノの日本最高齢バーテンダー逝く」という記事が流れてきた。亡くなったのは、「BARやまざき」の山崎達郎さんだ。お店に伺った事もお会いした事もないが、お名前は存じ上げている。
 1989年に『東京☆横浜BAR GUIDE』という単行本を作った。全部自分の撮影した写真というのは、この本が初めてだった。この本を作ってから、雑誌の仕事でBARの撮影をする事も度々あった。
 オーセンティックなバーを取材して、名バーテンダーと言われる方達の撮影もできた。「クール」の古川緑郎さん、「サン・スーシー」の野村保さん、「ルパン」の高崎武さん、横浜の「カクテルバー・パリ」の田尾幸子さんetc...この四人の方々も既に鬼籍に入られた。
 銀座のバーもたくさん撮影したけれど、当時プライベートで行くのは渋谷の「門」や「雪月花」といったもう少し敷居の低いお店だった。
 最近はバーに行って呑む事もない。もともとバーそのものよりも、バーやカクテルに纏わる話しが好きなのだと思う。だからバーやカクテルの話しが出てくる小説やエッセーも好きだ。
 これらの写真を撮ったのが、28年ほど前。まだ20代の後半で、カメラを買って4年ほどだろうか。今ならもう少し上手に撮れるだろうと思わないでもないが、この時に撮っていた事に意味があるのだろう。
  写真は記録。時間が経って、意味を持つ事もある。

古川緑郎さん
↑「クール」の古川緑郎さん。
↓左から「サン・スーシー」の野村保さん、「ルパン」の高崎武さん、「カクテルバー・パリ」の田尾幸子さん。
野村保さん
高崎武さん
田尾幸子さん
 昨日は立山町にある新瀬戸小学校へ、浄瑠璃を見に行ってきた。そもそもは8月26日の北日本新聞に載っていた「池田浄瑠璃」継承に一役 休校の新瀬戸小学生という記事を見たのがきっかけだった。富山県に子供たちが演じる浄瑠璃が継承されていたというのも驚きだったし、その浄瑠璃が学校の休校で存続が危ぶまれたが地元の卒業生たちの協力で引き継がれる事になったというのも興味深かった。
 数日前に立山町に問い合わせて、開演が10時、会場は休校となっている新瀬戸小学校の体育館を開放して行われる事を聞いた。五百石駅からタクシーを勧められたが、地図を見ると釜ケ淵駅から2キロほどなので歩いて行くことにした。
 あいの風とやま鉄道で富山駅へ。JR富山駅から乗り換えのため電鉄富山駅へ向かう。ヤフーの路線検索だと釜ケ淵まで660円となっていたが、券売機には730円と書いてある。今日に限らず富山地方鉄道の料金が、ヤフーの路線検索より高いので駅員さんに聞いてみたところ、路線検索で表示されるのはICカードで購入した場合の料金だそうだ。
 8時23分発の本線の岩峅寺行きに乗車。駅に入っていたコンビニで買ったパンを食べながら、しばし電車の旅。富山地方鉄道は、車内も車外も撮り鉄の人が多いような気がする。
 終点の岩峅寺駅に8時55分に着いて、立山線の電鉄富山行きに乗り換えて2駅目の釜ケ淵に9時4分に到着。
 家でプリントアウトしてきた地図を見ながら、新瀬戸小学校に向かう。道はシンプルなので迷う事なく40分ほど歩いて到着した。小学校近くの道路には、案内の方が何人も立っていた。
 会場の体育館に入るとイスが並べられている。関係者のような男性(後で保存会の会長さんと分かった)がいらしたので、撮影の許可をいただいて一番前の席でプログラムを見ながら始まりを待つ。
↓会場の新瀬戸小学校。→保存会会長の挨拶。
保存会の会長さん
新瀬戸小学校

プログラムから。
1.開会の挨拶 浄瑠璃保存会会長 高嶋清光
2.舞台監督の挨拶 荒木菜桜
3.浄瑠璃公演 第一部「仮名手本忠臣蔵 五段目」
        第二部「傾城阿波の鳴門 巡礼の段」前編
4.出演者紹介
5.閉会の挨拶 新瀬戸公民館長 蔵林康充

池田浄瑠璃とは
 立山町池田地区に400年程前から伝わる村芝居。池田城のお殿様を喜ばせるために始まったとされている。池田城が上杉謙信によって落城してからは、池田に残った村人が農業をしながら、年中行事として行なってきた。明治、大正、昭和27年ごろまでは、続けられていた。その後途絶えていたが、昭和62年に復活し、新瀬戸小学校の高学年が演じるようになった。その後、30年間、上演される。平成28年3月31日をもって休校となる。4月よりサポーターの協力を得て、公演にこぎつける。

浄瑠璃とは
 三味線を伴奏楽器として物語の説明(語り)や登場人物の台詞などが語られる日本の伝統芸能。池田浄瑠璃では、拍子木で場面の様子を表していたといわれている。人形を使って上演される人形浄瑠璃が多い。池田浄瑠璃のように、人が演じるものは、浄瑠璃芝居といわれる。

池田浄瑠璃の上演演目
傾城阿波の鳴門 巡礼の段(けいせいあわのなると じゅんれいのだん) 傾城阿波の鳴門 親子愛感動の段(けいせいあわのなると おやこあいかんどうのだん) 仮名手本忠臣蔵 五段目(かなでほんちゅうしんぐら ごだんめ) 仮名手本忠臣蔵 九段目(かなでほんちゅうしんぐら くだんめ) 絵本太功記 尼崎の段(えほんたいこうき あまがさきのだん) 玄海婆物語(げんかいばばものがたり)などがある。

池田浄瑠璃公演の様子01
池田浄瑠璃公演の様子02

第一部 演目「仮名手本忠臣蔵 五段目」(かなでほんちゅうしんぐら ごだんめ)
配役 定九郎・・・籠橋荘乃輔(小2)/与一兵衛・・・北村晴(小2)/語り・・・長川未侑(中2)/語り・・・籠橋蒔乃(中2)
第二部 演目「傾城阿波の鳴門 巡礼の段」(けいせいあわのなると じゅんれいのだん)前編
配役 お鶴・・・川端夏海(小4)/お弓・・・籠橋芳(小6)/語り・・・荒木真衣(中3)/拍子木・・・石川昇
スタッフ
監督、演技指導・・・荒木菜桜(高1)、大畑舞衣(高1)
原作・・・近松半二ら5人程の合作とされる
台本・・・新瀬戸小学校所有
制作・・・池田浄瑠璃保存会(会長 高橋清光)

↓舞台後の記念撮影。→公民館長の挨拶。
公民館長さん
出演者の記念撮影
 10時から始まった公演は、11時半頃に終了した。語りと場面展開を表現する拍子木はあったが、浄瑠璃本来の伴奏や効果音で使われる三味線はなく、本当に村芝居のような公演だった。公民館長さんに聞いたところでは、池田浄瑠璃も元々は三味線の伴奏があったが、一度途絶えて小学生が演じるようになってから三味線が使われなくなったそうだ。地区には三味線の出来る人はいるので今回は三味線の伴奏も考えたそうだが、子供たちと合わせる時間がなかったことから見合わせたという。いつか三味線の入った池田浄瑠璃を見る事ができるのだろうか。
↓公演が行なわれた体育館の入り口。→顔はめ看板。
顔はめ看板
体育館
帰り道からの風景
 来る時は急いで歩いたので、帰りはゆっくりと。近くに越中陶の里 陶農館という看板があったので歩いて行くと、陶芸体験ができる施設だった。この地区は、昔から焼き物の盛んな土地だったようだ。心の準備ができていなかったので、外観を見るだけにした。
 新瀬戸小学校は低い山を少し上ったところにあるので、帰りは集落を見下ろしながら帰る。紅葉は、もう少し先だろうか。
味のある床屋さん
↑駅の近くに味のある床屋さんがあった。↓釜ケ淵駅。
釜ケ淵駅
 電鉄富山に帰るには立山線で岩峅寺に出て本線に乗り換えるルートと、立山線の電鉄富山行きでまっすぐ帰るルートがある。駅の時刻表を見ると立山線が直ぐに来るので、立山線で電鉄富山へ。やがて2両編成の電車が走ってきた。
ホームと電車

 今回の北日本新聞の記事。北國新聞の記事。2013年の北日本新聞の記事

 池田城の殿様を楽しませるために始まった浄瑠璃が、落城後は村人が農作業の合間の楽しみとして行なったというのは、どこか沖縄の村芝居としての組踊を思わせる。
 組踊は、尚敬王の時代に踊奉行に任命された玉城朝薫が中国から渡来する冊封使を持て成すために創作したもので、1719年に初演が行なわれている。能と歌舞伎にも影響を受けて作られたとされており、琉球版のミュージカルともいえる芸能だ。それが沖縄各地に広まり、集落の豊年祭などで村人らによって演じられてきた。今でも村の行事として組踊を行なう集落はたくさんあるが、途絶えた地区もあれば復活した地区もある。沖縄に住んでいた時に、どこそこの集落で◯◯年ぶりに組踊が復活というニュースをよく目にした。
宇栄原の組踊「雪払」80年ぶり復活へ
116年ぶり復活 組踊「伊祖之子」を上演
伊良波の組踊「雪払」復活 85年ぶり上演
といった感じだ。
 池田浄瑠璃を見たかったのは、芸能そのものよりも当時の村人が楽しんでいた雰囲気を感じたかったのかもしれない。
 ちなみに玉城朝薫のワラビナー(童名)は17歳の時に尚貞王の上意によって文彌と改名されているが、これは人形浄瑠璃の岡本文弥に肖ってのものだと考えられている。

11月4日(金)

 辺野古の基地移設反対運動の象徴的な存在だった、嘉陽のオジーこと嘉陽宗義さんが亡くなった
 下の写真は、2014年4月19日に行なわれた辺野古の海上ボーリング調査阻止の座り込み10周年を記念した海上パレードの集会で挨拶する嘉陽さんと、パレードの様子。
 座り込みは今も続き、12年になる。そして反対運動そのものは20年続けられている。

 嘉陽さんと同じく辺野古基地建設反対運動の象徴的な存在である島袋文子さんが、先日、元NHKアナウンサーで現在<日本のこころを大切にする党>に所属する参議院議員・和田政宗氏らに訴えられた。キャンプ・シュワブのゲート前で基地反対の抗議をしていた島袋さんの顔をビデオカメラで撮影しようとしたので、嫌がった島袋さんが手で振り払ったのが彼らに当たり、それが暴力行為だとして訴えたという。歩くのもままならず車椅子に乗っている87歳の女性に手で振り払われたのを、暴力だといって訴える政治家のなんと醜悪なことか。
 一方で島袋さんは今年の8月に高江の周辺で機動隊によって、右手小指を5針縫う怪我を負わされている。

嘉陽宗義さんと海上パレード
琉球・北山王の次男「えらぶ世之主」と島の歴史に思いはせる 沖永良部島で音楽祭
 こういう記事を見ると、 与論島・沖永良部島までは琉球の文化や芸能が色濃く残っていると感じる。この2島は奄美群島に属するが、祝宴の最後に踊られるのは六調ではなくカチャーシーだ。また、琉球の祭祀であるシニグ(シヌグ)も与論島では現在も2年に一度行なわれており、沖永良部島でも嘗ては行なわれていたようだ。
 薩摩と琉球の文化が混じり合った奄美、大和と中国の文化が解け合う沖縄。琉球弧に連なる島々で、それらは見事なグラデーションを描いている。
 
これが、琉球弧を4年間旅した実感だ。
↓→沖永良部島にある世之主の墓。2012年5月14日撮影。
世之主の墓02
世之主の墓01
 昨日の文化の日は雨に降られ予定が飛んでしまったので、部屋の中を少し片付けて過ごした。プリントやフィルムが雑然と積み重なった棚の下から、先日こちらに書いた一色ゆかりのバックバンドをしていた頃の写真が出てきた。さっそくポジ・フィルムを、今年の春に購入したスキャナーで取り込んでみた。
 1982年1月11日、渋谷Egg man  Photo by Takuya Usami
一色ゆかり@渋谷エッグマン01
↓21歳の頃。今より体重は15kgほど少ないだろうか。もはや眉毛の太さくらいしか当時の面影はないかもしれない。
一色ゆかり@渋谷エッグマン02
一色ゆかり@渋谷エッグマン03
ギャンブラー/一色ゆかり」。←の映像のバックバンドは、ギターの河内淳一さん、ドラムの山田亘さんらが結成したBLAXかな?

11月2日(水)

 今年も後2ヶ月ほどになってしまった。少し前から湯たんぽを使っているが、それだけでは寒くなってきたので、昨日出しっぱなしになっていた石油ファンヒーターのスイッチを入れたが電源ランプがつかない。そう言えば、昨シーズンの途中から調子が悪くて灯油が入ったまま放置していたのだった。居間で使っている石油ストーブも、灯油を入れるタンクの具合が悪いらしい。それじゃあと、アマゾン、ヨドバシ、価格ドットコムで値段を調べて石油ストーブとファンヒーターで2万円ほどの商品を選んでプリントアウトして父親に見せたが、ホームセンターのムサシの方が安いという。そんな事はないだろうと思いながら、今日の午前中に父親と一緒にムサシに行ったら本当に安かった。ストーブとファンヒーターで1万7000円ほどだったか。ムサシ、侮れない。

 文化庁は先月31日、ユネスコの補助機関が18府県33件の「山・鉾(ほこ)・屋台行事」を無形文化遺産に登録勧告されたと発表した。この内、富山からは「高岡御車山祭の御車山行事」「魚津のタテモン行事」「城端神明宮祭の曳山行事」の3つが登録される。これを受けて、12月4日に高岡テクノドームで記念イベントが行なわれるようだ。
* 文化庁のリリースはこちら
↓→高岡御車山。
御車山02
御車山01
↓→魚津のたてもん。
魚津のたてもん02
魚津のたてもん01
↓→城端の曳山。
城端の曳山02
城端の曳山01
 今年の4月24日に撮影した、浦田山王社の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
浦田山王社の獅子舞01
↑紋付袴姿の「前立ち」と呼ばれる神役の男性の後を、全長7m、幅2mの巨大な胴幕の獅子がついて歩く。長い間本殿にいた獅子が眩しくないように、また獅子の眼光に周囲の人が射抜かれないように、2人の子供が御幣を付けた棒で獅子の目を隠しな がら歩く。
浦田山王社の獅子舞02
神事の後は、「おわたまし」と呼ばれる獅子に頭を噛んでもらう儀式が行われる。おわたましに使われる獅子頭は、 行道獅子と同じ大きさのものだが、こちらの方が古いもののようだ。

10月へ