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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
7月21日(木) 福光 荒木ねつおくりまつり 13時〜
7月28日(木)〜31日(日) 福光ねつおくり七夕祭り
7月30(土)、31(日) 黒部市 生地えびす祭り プログラム
8月1日(月) 歯医者 10時〜
8月5日(金)、6日(土) 魚津 たてもん祭り
8月25日 婦中町 熊野神社の稚児舞
9月30日〜10月2日 築山・新湊曳山まつり
11月第3土曜日 射水市放生津・新湊地区  澗建のえびす様渡し
1月       南砺市利賀村 初午
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*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

7月29日(金)

 暑ぢぃ!今日の高岡の最高気温は、猛暑日一歩手前の34℃だった。
 午前中、奄美の図書館に『琉球弧の祭祀と行事』を献本するための作業をする。
 先日、沖縄県立図書館に献本したら、図書館から連絡が来て、あと2冊ずつ欲しいという事で購入していただいた。オンデマンド印刷なので【一】〜【七】までを2冊ずつしまうまプリントに発注して、直接メール便で沖縄県立図書館に届けてもらった。既に図書館に並んでいるようなので、機会があれば是非借りて下さい。
献本

 沖縄県立図書館に2冊ずつ計14冊購入いただいた売り上げ(入金はもう少し先ですが)の中から『琉球弧の祭祀と行事』をもう1冊ずつ注文したのが、先日自宅に届いた。これをレターパックに入れて奄美の図書館へ送る。

←奄美の図書館へ献本するため、レターパック2つに【一】〜【四】、【五】〜【七】と分けて入れる。これが一番送料が安いかな。

 午後からレターパックを出しに、郵便局へ。その途中、スーパーに入っている100円ショップで水泳用の帽子と水中メガネを購入。
 昨日から、町にあるプールへ行っている。トタン屋根の下にある自分の部屋は、扇風機を回しても温風しか来ないので、たまらず昨日、プールに行った。町のプールに入るのは小学校以来?中学校以来?40年以上は入っていなかったと思う。
 プールは場所も少し移動して、新しくなっている。夏休みの小学生に交じって泳いでいると、監視員が歩いて来て、これを被って下さいと水泳キャップを手渡された。帽子は義務付けだそうだ。毎回水泳キャップを借りてもいいが、ネットで調べたら100円ショップに売っていることがわかったので、買う事にした。
 郵便局でレターパックを出して、そのままプールへ。市立なので無料で使える。昨日は14時頃から15時半頃までプールで過ごした。今日は15時過ぎから16時半まで。中々良い運動になる。
プール
↑昨日から泳ぎに来ている市営プール。小学校の横にある。小矢部川の土手の下で、プールからの眺めも気持ちいい。昨日、3回ほど飛び込み台から飛び込んだところで、監視員が歩いて来て、飛び込みは禁止ですと注意を受けた。プールは、飛び込むのが面白いんだが・・・。
→100円ショップで買った帽子とメガネ。水中メガネをつけるとプールの中がクッキリと見えて、ちょっと驚いた。
帽子とメガネ

 高江のヘリパッド建設に関して、東村の伊集盛久村長が賛成しているのだから、反対運動をしている方がおかしいという論調をネットで見る。確かに伊集村長は「北部訓練場の半分ほどが返還されるならば基地の縮小につながる」という考えからヘリパッド建設には容認の考えだ。しかし、同時にオスプレイは容認しないという立場も取っている。
 高江の場合はヘリパッド建設と言いながら、実際にはオスプレイも離着陸する着陸帯の建設で、既にオスプレイの訓練にも使われている。となれば、反対するのは道理だろう。

 そして、オスプレイの在日米軍基地への配備について、これまで日本政府が沖縄県側に対して行なって来た説明の不誠実さを考えれば、高江のヘリパッド建設に反対の声を上げるのは至極当然だ。
 建築士である真喜志好一さんのホームページに「オスプレイ配備を隠す日本政府」というページがあり、ここにオスプレイ配備についての政府と沖縄県側のやりとりが纏められている。
 時系列を追って分かり易く説明しているのが沖縄タイムスのオスプレイ総まとめで、ページの下にオスプレイ配備までの年表が作ってある。
 少し抜き出すと、
1997年9月  米国防総省内部文書で普天間代替施設での運用を想定
1999年1月  在沖海兵隊副司令官が2007年沖縄配備を明言
2005年10月 海兵隊航空計画で普天間への2012年配備を明記
2007年4月  SACO最終報告草案(1996年11月)で普天間代替施設への配備明記が発覚
2007年8月  県に提出された普天間アセス方法書に記述なし
2008年10月 浜田防衛相(当時)が日米間の96年配備議論を認める
2009年4月  普天間アセス準備書でも記述なし
2010年9月  岡田外相(当時)が普天間代替施設への配備の可能性を認める
         米国防総省報道官が日本配備を明言
2011年6月  米政府が普天間へのMV22配備表明、防衛省が関係自治体に伝達
2012年10月 普天間にMV22を12機配備、訓練飛行開始

 沖縄にオスプレイが配備されたのは、2012年の10月1日。この日、自分自身、那覇の自室でTVニュースが岩国から普天間へ6機のオスプレイが飛来したと伝える映像を観ていた。
 タイムスの年表を見て分かる通り、1996年のSACO(日米特別行動委員会)最終草案で普天間代替施設への配備を明記しているのに、日本政府がこれを認めたのは2008年であり、防衛相が関係自治体にオスプレイの配備を伝えたのは、配備される僅か1年ほど前の2011年6月だ。
 1996年12月のSACOで日米政府は米軍普天間飛行場の返還と北部訓練場の一部返還に伴うヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の新設に合意したというが、この時点では沖縄側にオスプレイの配備を隠して合意している。

 もう一つ。北部訓練場の半分が返還されて沖縄の基地負担が軽減されるのだからという論調もあるが、返還される訓練場の上空に制限が加わるわけではないだろうから、オスプレイやヘリが頻繁に飛行するだろう。実質、返還されても住民の負担が大きく軽減される事はないのではないか。
 沖縄タイムスが、<米軍北部訓練場>使えぬ土地返し、機能集約・強化と報告という記事を掲載している。

7月27日(水)

 昨日の朝からTVニュースもワイドショーも、神奈川県相模原市にある障害者施設で昨日の未明に起きた殺人事件の話題を継続して放送している。猟奇的であり、19人を殺害という凄惨な事件。犯人の男性が、衆議院議長の大島理森氏宛に今回の事件を仄めかすような内容の手紙を書いているというのも報道されている。議長に宛てた手紙の内容が、こちらに掲載されていた。
 その手紙の中には「私は障害者総勢470名を抹殺することができます」「私の目標は重複障害者の方が家庭内での生活、及び社会的活動が極めて困難な場合、保護者の同意を得て安楽死できる世界です」「障害者を殺すことは不幸を最大まで抑えることができます」といった明らかに異常な言葉が並んでいるが、これらと同じほど異常な言動がネット空間に溢れていて日々目にしている事実を思い返し驚愕を覚える。
 植松聖容疑者は今年2月に「重度障害者を殺す」と施設で発言し、職員が警察署に連絡して措置入院させられたが、「朝鮮人をぶっ殺せ」と叫んでいる在特会初代会長が、現在、都知事選に立候補して街頭演説している。その事実にも改めて驚愕する。

 一昨日ポチッとした外付けHDDが、昨日の午前中に届いた。名前をMarisaと付けて、昨日の夜からデータを移していた。今日の午前中に作業が終わり、iMacのハードディスクの空き容量が758GBになった。ちなみに、Marisaはブラジルの女性シンガー、マリーザ・モンチから。以前は新しいアルバムが出る度に買っていた、好きなシンガーです。
 You Tubeから「Magamalabares /Marisa Monte e Carlinhos Brown 」「Eu Sei (Na Mira) /Marisa Monte 」。

外付けHDD
↑左端が新しく仲間入りした3TBの外付けHDD。Marisaと名付けました。iMacのハードディスクからMarisaにデータを移して、ファイルやフォルダーだらけだったディスプレイもだいぶスッキリした。
TOMOKO01

 沖縄市照屋にある映画館、コザ琉映が今月31日に閉館し、取り壊されるという記事が沖縄タイムスに掲載されていた。
 沖縄市照屋の辺りも、沖縄に住んでいた時に何回か散歩をし、スナップ写真も撮ったりした。戦後、米軍の黒人兵と白人兵が対立していた頃、それぞれに遊び場の縄張りがあって、照屋は黒人街と呼ばれる黒人兵相手の特飲街だったそうだ。
 上の写真は、2013年10月3日にコザ琉映の前で撮影した、ギタリストTOMOKOちゃんのアーティスト写真。まだこの建物がコザ琉映とも知らず、コンクリートの階段と青い扉に魅かれてここで撮影した。
 右の写真もコザで同じ日に撮影したが、こちらはコザ十字路を挟んで対角線上ある美里(通称、吉原)で撮影した。照屋がかつて黒人街だった時、吉原は白人兵相手のお店が並ぶ白人街だった。
 それにしてもピンクやブルーに塗られた壁を見ていると、やはり沖縄は東南アジアの入り口だと実感する。

TOMOKO02
 今度の日曜、31日に行なわれる都知事選。都民ではないので直接には関係ないが、ニュースやSNSで流れて来る記事はやはり気になって読んでいる。
  自分が選挙で投票する時の事を考えると、この人を是非当選させたいというより、あの候補には当選して欲しくないからこの候補に入れるという消去法で選んで投票することが多いように思う。中々自分が理想とする立候補者などいないと思う。
 「本日、サンフランシスコ講和条約発効日である4月28日を主権回復記念日として祝日とする議員立法を総務会で承認し、衆議院に提出いたしました。祝日が多すぎるというなら、借り物の憲法記念日5月3日を祝日から外します」という、小池百合子議員の2011年8月26日につぶやいたツイートがネットで流れていた。
 2013年の4月28日に政府は「主権回復の日」の式典を開催したが、このサンフランシスコ講和条約発効日は沖縄や奄美、小笠原がアメリカ政権下に組み入れられ、日本から切り捨てられた「屈辱の日」であるとして、沖縄では「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」が開かれた。この式典の2年も前に小池氏がこんなツイートをしていたのは驚いた。
 マスコミの予測では、小池百合子氏が選挙戦をリードしているそうだが、「都知事選劇場、小池百合子さんを応援する人の心理学」という記事が面白かった。当然、個人的には小池氏は当選して欲しくない候補になる。
 東京都は東京電力の大株主だが、都知事選に立候補する直前まで東電の社外取締役だった増田寛也氏。新潟の泉田裕彦県知事、先の県知事選で脱原発を掲げて当選した鹿児島の三反園訓県知事と共に都知事には脱原発派の人になってもらいたいので、個人的には増田氏も当選して欲しくない候補になる。増田寛也氏 社外取締役だった「東京電力」との本当の関係

7月25日(月)

 朝からパソコン作業をしていたら、作業領域のメモリーが極端に少なくなっているというアラートがディスプレイに表示された。確認するとiMacのハードディスクのメモリが残り4GBほどしかなかった。最近パソコンで作業をしていて動作が遅かったり、固まったり、クラッシュしたりが多かったが、メモリが少なくなっていたことも要因だろう。
 アマゾンとヨドバシのサイトを見比べて、外付けのHDDを探す。色々検討してヨドバシでこちらの商品を購入した。ポイントで還元される分を含めれば、実質3TBのHDDで1万円を切っている。6年前だと500GBのHDDが1万円ほどだったので、同じ値段で6倍大きな容量になっている。
 午後から、このホームページのスペースを借りているサーバーの更新料を払いに郵便局へ。郵便局の帰りにコンビニに寄って、午前中にポチッとした外付けHDDの料金を払って来た。

 一昨日、新聞の朝刊を読んでいたら水橋橋まつりの広告が掲載されていて、今年最初の花火を見るのも良いかなと思って、出かけて来た。神事は19時〜、火流しは19時45分〜、そして花火大会は20時からとメインのイヴェントは夜だが、どうせなら少し早めに着いて町を歩こうと思い、16時22分に水橋駅に到着する電車に乗った。
水橋駅

 水橋駅に着いて、駅員さんに祭り会場の場所を尋ね、水橋駅周辺の地図が載っているパンフレットを頂く。地図を見ながら歩いて行くと、鳥居に水神社と書かれた小さな神社を発見。狭い境内には舟の形の神輿のようなものが置かれている。
 この水神社の先に、もう一つ水神社があり、そちらで神事が行なわれるようだ。
←水橋駅。たぶん初めて降りた駅。
↓水神社。

水神社
 祭り会場に到着して、本部のテントを探し、プログラムを貰う。それから水橋フィッシャリーナと名付けられたマリーナへ行ってみる。マリーナの中は波が静かで、子供からお年寄りまで釣りを楽しんでいた。マリーナの外にまわると、けっこう波がうねっていたので、暫く波の写真を撮って過ごす。
フィッシャリーな
↑水橋フィッシャリーナ。↓日本海の海は、写真に撮ると金属のような重たさがある。南の島のような明るさや軽さがない。
波
水神社

 フィッシャリーナから、神事が行なわれる水神社へ。お賽銭を入れた後、浦安の舞が奉納される、神社横の河川敷に作られた舞台を見て来た。
 水神社に戻ると、神楽を舞う女の子たちが、衣装を身につけるのをお母さん達に手伝ってもらっている最中だった。
 準備が整ったところで、女の子たちは拝殿に座り、お祓いを受ける。

←神事の行なわれる、水神社。

浦安の舞の準備とお祓い
↑左は、水神社の拝殿で衣装の着付けをする子供達。右は、お祓いの様子。
 拝殿でのお祓いの後、宮司さんを先頭に神社横の河川敷に設けられた舞台へ。舞台を囲むように置かれた薪に火が入れられ、浦安の舞が奉納された。
浦安の舞01
浦安の舞02
 浦安の舞が奉納された後、白石川に並んだ船から火流しが行なわれた。段ボールに油を染み込ませた綿を乗せ、それに火を灯して川に流す。たぶん何百と浮かべられた火が、ゆっくりと花火の打ち上げられる下流へと流れて行った。
 橋まつりの由来や火流しのことは、こちらを。
火流し
↓→そして20時、メイン・イヴェントの花火大会が始まった。
花火02
花火01
 花火大会は30分ほどだったろうか。まだ混雑する橋の上を、人混みを縫いながら駅へと向かった。

 5月の末に撮影した魚々(とと)サンダルの記事が、BE-PALのwebに掲載されています。作り方のプロセスなど詳しく紹介した記事は、現在発売中のBE-PAL8月号の誌面に載っています。

7月22日(金)

 今日、北陸地方が梅雨明けした。富山は、午後からだんだん青空が広がった。
 午前中に、特定健診を受けに行って来た。受診できる期間が2ヶ月もあるので、昨年はまだ大丈夫と思っているうちに過ぎてしまって受けられなかった。まあ、今年もだいぶ押し迫っての受診になったけれど。

 せっかく梅雨が明けたのに、うんざりするニュースがいっぱい。
ヘリパッド工事再開 反対派・警察もみ合い 沖縄・高江
政府、沖縄県を提訴 是正指示確認求め
もんじゅ、機器点検2カ月放置 通知警報も見過ごす
 高江のことは、一昨日NEWS23が、 昨日は報道ステーションが、今日はNHKがようやく全国ネットのお昼のニュースで取り上げた。高江に機動隊が投入されたのは、参院選投票日の次の日。蛍光灯のような反応の遅さだ。

 昨日は、南砺市荒木のねつおくり祭りを見に行った。事前に問い合わせると荒木自治会館を13時に出発して、子供達が集落をまわるという。
 家から自転車で城端線の戸出駅まで行き、福光駅に11時45分に着いた。まずは荒木自治会館を探そうと教えられた住所で検索した場所まで歩くと荒木公民館があった。ここかな、と思い駅前にあったスーパーまで戻ってお弁当を買って休憩所でお昼ご飯を食べる。食べ終わって荒木公民館に行くが戸は閉まったままで、12時半を過ぎても誰も来る気配がない。心配になって近くにあった役場に行くと、荒木自治会館は違う場所だと言われ、道を教えていただいた。
荒木ねつおくり祭り01

←城端線の福光駅。この駅で降りるのは初めてかも知れない。

 荒木自治会館に到着すると、子供達が敷地に笹竹を広げて、短冊を取り付けていた。
 ねつおくり太鼓保存会の方が太鼓を打ち鳴らしてから、村廻りに出発する。 行列の先頭には幟を持った子供、その後ろをジジとババを乗せた「荒木丸」と名付けられた舟形の神輿がついて行く。

荒木ねつおくり祭り02
 子供達の行列が、自治会館を13時に出発。大きな太鼓を順番に打ち鳴らしながら村をまわり、要所要所で立ち止まる。そして田んぼに向かって一列に並び、「豊年満作」や「五穀豊穣」などど書いた短冊を付けた笹竹を振りながら「熱送るば〜い」と一斉に声を上げる。
 荒木自治会で貰った資料によると、ねつおくりの行事が始まったのは約330年前の江戸時代だそうだ。イモチ病などの稲の病害虫を防ぐために江戸時代から続いており、土用の入りから3日目の<土用の3番>に行なわれる。
 自治会長さんの説明では、「人間も病気になると熱が出る。稲も病気になると熱が出るので、笹竹をふって熱を送る(熱を吹き飛ばす)」ということのようだ。そして送られた熱を受け止めるのがジジ・ババの藁で作られた神様。
 何箇所かで短い休憩を挟みながら、15時半過ぎまで村内を歩いた。途中で予定の道を少し省いたそうだが、それでも思っていた以上に長い距離を歩いた。6キロほど歩いたのかもしれない。
荒木ねつおくり祭り03
荒木ねつおくり祭り04
 村廻りの最後は小矢部川に行って、子供達が熱送りに使った笹竹と、熱を受け止めたジジ・ババの神様を川に流す。川沿いの道を歩いていると、福吉橋の真ん中に福光地区の太鼓と舟が到着していて待っていた。こちらは子供達ではなく年配の男性たちが村を廻っていたようだ。
  橋の中央で福光地区と荒木地区が合流して、太鼓の競演。
荒木ねつおくり祭り05
↓福吉橋で合流。→福光地区の舟。やはりジジ・ババが乗っている。
荒木ねつおくり祭り07
荒木ねつおくり祭り06
↓→子供達が笹竹を川に流し、少し下流で大人が回収。
荒木ねつおくり祭り09
荒木ねつおくり祭り08
荒木ねつおくり祭り10
荒木ねつおくり祭り11

 ジジ・ババを乗せた荒木丸も、何年か前までは小矢部川に流していたそうだが、この後、福光ねつおくり七夕まつりで飾らなくてはいけないため、現在はロープで途中まで降ろしてから河川敷で回収しているそうだ。

 笹竹を流した後、自治会館へ戻って子供達の「そうめん流し」と「太鼓打ちコンクール」が行なわれるというので、見に行く。

↓→自治会館でのそうめん流し。
荒木ネツオクリ祭り13
荒木ねつおくり祭り12
↓→大型トラックの荷台をステージにした「太鼓打ちコンクール」。
荒木ねつおくり祭り15
荒木ねつおくり祭り14
 太鼓打ちコンクールは、小学校の低学年と高学年の部に分かれて行なわれた。低学年の部を一通り見てから、帰路に着いた。家から戸出まで自転車を漕いでいた時は微細な雨が降っていたが、福光に着いた頃には止んでいた。それでも今にも雨がふりそうな空だった。
荒木ねつおくり祭り16
 城端線で戸出駅へ。駅前に駐輪していた自転車に乗って、家へと帰る。今日は3時間以上歩いただろうか。さすがに足が痛くなった。
とうようさん
左は、初めて撮影した中村とうようさん。ミュージック・マガジン1989年6月号。三戸華之助・岡本様ひこ(アンジー)X中村とうよう「批判するならスジを通してほしい」。1989年4月15日撮影。
 右は、最後の撮影となった『中村とうようの収集百珍』の著者近影用の写真。2004年10月撮影。

 昨日7月21日は、中村とうようさんの命日だった。
 とうようさんと一番最初にお会いしたのが、「アンジー VS 中村とうよう」というミュージック・マガジン誌での対談の撮影だった。対談に向かう待ち合わせの場所で、こちらから名刺をお渡しする前に、自分から「中村とうようでございます」と名乗られて名刺を渡されたのを覚えている。
 先日発売になった『とうようズ・レガシー』の中で田中勝則さんが、とうようさんのトンカツ好きのことを書いていた。そういえば、とうようさんのコレクションを集めた『中村とうようの収集百珍』の撮影初日に、とうようさんがみんなで夕ご飯を食べようと言って連れて行かれたのが、やはりトンカツ屋だった。

 『とうようズ・レガシー』で田中さんが書いている「たまたま機嫌の悪い日に当たったりすると、理由もなくいきなり怒鳴られた」も、頷きながら読んだ。その経験はボクもある。なんで突然怒るんだろうと思うけれど、父親も昭和7年生まれでとうようさんと同い年、やはり突然怒り出すので、この世代はそういうものなのかとも思っている。父親もトンカツ(揚げ物全般)が好きだ。
 たぶん他人に凄く気を使う分、そのストレスが身内や親しい人のところにぶつけられるのかとも思う。究極の内弁慶かもしれない。
 
 ウイリー・ナガサキさんのCDアルバム用の撮影をプロデューサーであるとうようさんから頼まれて、その打ち合わせに多摩センターまで伺った時「ウイリーが我が侭を言うんだよ」と困った顔をしているので何があったんだろうと思ったら、CDジャケットのタイトルに入れるアーティスト名がウイリー・ナガサキだと長くてデザインがし辛いので(当初はレコード会社の負担を減らそうと、とうようさん自らデザインするつもりだったようだ)、ウイリー長崎にしてくれと本人に相談したところ、断られたそうだ。それは断られて当たり前で、とうようさんの方が我が侭だと思う。
 たぶんとうようさんは、ボクのミュージック・マガジンで使っていたクレジット名の「きはらもりお」も文章の中に入れると読み辛くて嫌だったようで、2回ほど「木原盛夫」じゃダメかと聞かれたので、別に拘りもないので「いいですよ」と返事をしていたのだが、とうようさんの中でどんな葛藤があったのかわからないが、いつもきはらもりおで掲載されていた。
 とうようさんの、中村東洋という字も凄いな〜と思う。

 随分と前に、とうようさんからの依頼で、とうようさんの幼なじみで中西キジュウロウ(こんなお名前だったと思う)さんという木工をされている方の個展の案内ハガキ用に作品を撮影したことがある。その中西さんが個展の後、しばらくして亡くなられて、とうようさんと一緒にご自宅へお伺いした。道すがら、中西さんのお墓の心配をしながら「きはら君、オレはせっかちだから赤信号で渡って車に跳ねられて死ぬんだろうな〜」と話しかけられたのを、そうか〜と聞いていた。だから訃報を聞いて、その亡くなり方に、せっかちにも程があると思った。

 『とうようズ・レガシー』には、とうようさんを撮影した写真を何枚か提供しているが、『中村とうようの収集百珍』の著者近影用に撮った写真も掲載されている。これは、予定していたコレクションの物撮りが終った日に撮った。いざ撮影となるととうようさんがブツブツ怒り始めて、これでは撮れないと思って「とうようさん、ボクがとうようさんを撮影するのは、これが最後ですから言うことを聞いて下さい」と少し強い口調でお願いした。すると少しバツが悪そうな顔で、椅子に座って下さった。
 撮影の後、機材を急いで撤収して殆んどお話しをすることもなく帰ったので、ボクにとって、とうようさんの最後の顔は、この写真になった。

 もう亡くなって5年が経った。人の死は2度訪れるという。一度目は肉体が滅んだとき、二度目は誰からの記憶にも残らなくなった時。忘れ去られた時だ。
 自分の記憶の中にあるとうようさんを、少し思い出して書いてみた。

 You Tubeから、とうようさんの好きだった「ラ・パローマ」。

7月19日(火)

 <高江ヘリパッド>機動隊きょうから100人超投入 車両撤去も視野
 Facebookには時々高江の話題が流れて来るが、テレビのニュースではまるで報道されない。新聞はweb版をチェックする限り、沖縄の2紙以外では東京新聞が共同の記事を載せる形で、毎日新聞が琉球新報の記事を載せる形で一生懸命取り上げている。朝日新聞も2つ記事を載せている。
東京新聞
ヘリパッド建設へ資材搬入、沖縄 県知事「容認できない」
ヘリパッド、下旬に着工へ 沖縄米軍訓練場で政府調整
ヘリパッド22日にも着工、沖縄 沖縄米軍訓練場返還へ政府
毎日新聞
高江訓練激化 夜間騒音で睡眠不足、欠席児童も
オスプレイ騒音児童生徒の出欠調査へ 東村方針
高江着陸帯 反対住民に撤去指導 県、強制措置「検討せず」
工事に向け作業車続々 住民ら機動隊ともみ合い
下旬にも着工強行…週明け、全国から機動隊400人 /沖縄
「建設阻止に力を」…住民ら県民に呼びかけ /沖縄
ゲートから工事車両33台入る 東村高江ヘリパッド建設 /沖縄
工事再開へ資材搬入…市民ら100人が抗議集会 /沖縄
ヘリパッド抗議意見書、追加議題に…与党と中立会派が合意 /沖縄
朝日新聞
米軍ヘリパッド移設へ準備再開 沖縄知事「不意打ち的」
沖縄)ヘリパッド資材などを積んだ工事車両、訓練場内に
 今後は高江のヘリパッド着工と辺野古のキャンプ・シュワブ内の陸上工事を進めるために、政府は本土から500人の機動隊を送り込むという。これだけの事が行なわれようとしているのに、まるで報じないテレビとは何なのだろう。
【都知事選】石田純一、鳥越氏の応援演説しない
親族が応援でも除名…自民都連の通告文は憲法を完全無視
 どんどんおかしな国になっている。

 昨日、九州から東海まで一斉に梅雨明けした。今日の富山は晴れで、最高気温が31℃。来週の月曜日まで傘マークがないので、北陸もこのまま梅雨明けとなるのだろうか。
今日の空
↑今日の空。↓今日の鯉。
今日の鯉01
今日の鯉02

7月17日(日)

 昨日の朝起きてネットでニュースを見ると、トルコでクーデターが起きていた。民間人47人、クーデターを企てた側の104人を含む190人以上が死亡したが、クーデターは制圧されたというニュースが夕方頃には流れて来た。一方でトルコ軍の男8人がギリシャで政治亡命を求めたという情報や、トルコ反政府グループがフリゲート艦を掌握したという情報も流れている。こちらに、今回のクーデターを時系列で追った記事がある。
 一昨日は、フランス革命を記念する花火を見学する人たちで賑わっていたニースの海岸沿いの道路をトラックが突っ込むというテロがあり、84人が死亡した。 このテロに関して、昨日、イスラム国が犯行声明を出した。今回のような方法でソフトターゲットにしたテロを計画されれば、防ぎようがないとも思える。

 富山県議会副議長を務める矢後肇氏の、政務活動費に関する不正が全国ニュースでも取り上げられて話題になっている。
 矢後氏は2010年〜2014年に政務活動費で約450冊、約460万円分の書籍を購入したと報告していた内容に虚偽があったことを認めて謝罪。矢後氏が書籍を購入したとしていた南砺市にある書店の領収書は、氏が自ら業者に発注した印鑑を使用して作成したもので、実際に本を購入した事実はなかった。
 15日、本人が議員辞職する意向を県議会自民党議員会と後援会に伝えた
 ただ、ここまで悪質だと返金し、議員を辞めれば済むという話しではないだろう。悪質さは兵庫県議だった野々村竜太郎議員と同じなので、今後は刑事告発されるのではないだろうか。野々村議員の場合は、兵庫県議会が告発したが、富山県議会がどう動くか注目している。
 ところで、矢後議員が領収書に書いたウソの書籍名が北日本新聞に一部掲載されている。「研修医のための早朝講義」(1万3650円)、「日本婦人洋装史」(2万千円)、「美容皮膚科学」(2万1600円)、「発酵ハンドブック」(2万4150円)。 これらは実際には購入していなかったので不正請求が問われているのだが、購入していたら何の問題もなかったのだろうか?これらの領収書は、自民党会派の政調会長と政調副会長の審査をすり抜けたそうだが、1冊平均1万円以上の本を、年間に110冊以上購入していることに何の疑問を持たないのだろうか?ザルと言われてもしょうがない審査だろう。
 議会事務局からの政務活動との関わりが不透明だという問い合わせに「活動に必要な支出だ」と自民会派を通じて回答していたそうだが、 分厚い専門書を年間110冊以上購入していれば、それを読むだけで他の政治活動をする時間はないだろう。県議会自民党の鹿熊正一会長が「領収書はあり(会派としての)調査に限界はあった」と話したそうだが、身内に甘いとしか言いようがない。
 今回の事件と直接は関係ないが「新刊寄贈願いやめて 作家・万城目さん、高岡市立図書館に苦言」という記事が頭に浮かんだ。どこの図書館も本の購入費は限られているので、何冊も同じ本を買えないという事情で高岡市立図書館が人気のある書籍の寄贈を呼びかけた。しかし、それをやられたら「作家は死ぬ」と作家の万城目さんが訴えた記事だ。
  貰えるお金は貰わなくては損とばかりに領収書を集める議員がいるなら、政務活動費など廃止して図書館などの公共施設の運営費にもっとお金をまわしてもらいたい。

 昨日の午後は気分転換と運動を兼ねて、小矢部のクロスランドタワーまで自転車を走らせた。帰りは小矢部川の堤防を通って帰って来たが、河川敷の雑草が元気に繁殖していて草原のようで見ていて気持ちがよかった。

小矢部川の堤防01
小矢部川の堤防02
↑小矢部川の堤防。
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トップ画面を模様替えしました。ブダイの仲間で、奄美ではエラブチ、沖縄ではイラブチャーと呼ばれている。奄美大島に移住し、そして亡くなった画家の田中一村さんも好んで絵のモチーフにした魚です。

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7月13日(水)

 参院選で米軍基地建設反対の伊波洋一氏が、島尻安伊子氏を10万票以上の差で破った次の日の早朝、沖縄防衛局が機動隊を投入して米軍の北部訓練場のある高江に工事車両を入れた。これに対して翁長知事は「不意打ち、県民欺く」としてヘリパッド工事再開に強い不快感を示した。
 政府は、来週にも辺野古の5倍に当たる500人規模の機動隊員を結集して、オスプレイの着陸帯であるヘリパッド建設を着工させるつもりのようだ。
 奄美から沖縄に移り住んだ2012年の夏頃は、辺野古の新基地建設反対の運動は少し鎮まっていて、北部訓練場のある高江に建設されるヘリパッドに対する危機感の方が強かったように思う。
 その後、2013年12月に仲井眞前知事の辺野古の埋立て承認が行なわれ、翌2014年の夏から辺野古の基地建設反対運動が急激に再燃。高江に建設予定の6つの内2つは造られてしまったが、反対運動は辺野古に重点が置かれた。
 そして辺野古の新基地建設が中断している今、政府は高江での建設を強行しようとしている。
 映画「標的の村」の監督である三上智恵さんが、今回の高江工事再開についてマガジン9で書いている。「わずか9時間の歓喜〜高江工事再開・民意圧殺の朝〜」。
 「標的の村」によって高江の問題も少しは世間に知られるようになったが、辺野古に比べて中々浸透しないのは、那覇から車で3時間も離れた遠い場所にあるからというのも要因かも知れない。高江への路線バスは、名護から一日3往復しか出ていない。実際、2年間の沖縄滞在で高江に行けたのは、安田のシヌグを撮影に行った時に同行してくれた方が車で連れて行ってくれた1回だけだった。
 「標的の村」にベトナム戦争の頃、高江の森にベトナムの村を模したものが造られ、住民がベトナム人を演じさせられて米軍の訓練に参加した話しが出て来る。今、ネットで検索すると当時の写真が色々と出て来る

 在沖米軍基地は日本を守るために存在していると思っている人が多いようだが、先日、「日本防衛の任務ない」 在沖縄の米海兵隊 80年代に米国防長官が議会に回答という記事が掲載されていた。
 高江の問題については、こちらこちらを参考に。


 Facebookには、先日の参院選やこれから行なわれる都知事選の話題が色々流れて来る。参院選の分析も人それぞれで、面白いもんだな〜と思う。
 野党共闘が失敗だったと言う人もいるが、一人区でみれば2013年の参院選では全国31の一人区で29対2で与党が圧勝しているが、今回は32の一人区で21対11と野党が大健闘している。これこそ野党共闘の成果だろう。
 たぶん、共闘しなければ共産党は独自の候補を立ててもう少し議席を獲得したかも知れないが、それを犠牲にしてまで共闘を選んだ共産党は賞賛に値するのでは。
 また、この野党共闘を実現させるべく動いた若者達、SEALsの功績も大きい。SEALsは今後解散するようだが、その後は個人個人が政治に関わって行くのだろう。
 SEALsの創立メンバー奥田愛基氏が、今回の参議院選挙の総括をしている。こちら

 最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
 どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。
  みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります。政治家になった動機は人それぞれ様々あるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。
  勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私はそのことを支持します。
  困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。

 2015年9月15日、奥田愛基。ありがとうございました

 昨年行なわれた参議院「安全法制特別委員会」の中央公聴会に出席した際の、SEALsの奥田愛基氏の発言だ。なんて凛とした美しい言葉だろうと思おう。読み返す度に、涙腺が緩んでしょうがない。
 彼は中学時代を、沖縄の八重山諸島にある鳩間島で過ごしたと言う。 たぶん山村留学制度だろう。どういう経緯で留学を選んだのかはわからないが、その時代にあの小さな島で孤独に思考することを身につけたのかも知れない。

 
 一昨日は午前中にザ・ピーナッツの伊藤ユミさん、午後に永六輔さんの訃報が伝えられた。なんて日だ。
 小沢昭一さんが2012年の12月10日に、野坂昭如さんは昨年の12月9日に亡くなっており、これで中年御三家の3人とも故人となってしまった。
 You Tubeから「追悼小沢昭一 花の中年御三家武道館コンサート(1974年)」。
野坂さんと小沢さん
↑小沢昭一さんは2000年1月22日に、野坂昭如さんは2001年10月26日に雑誌の仕事で撮影する事が出来たが、永六輔さんにはお会いする機会もなかった。

 You Tubeからザ・ピーナッツの「恋のフーガ」。この頃の歌謡曲はアレンジもカッコ良いし、演奏も豪華。やはり歌謡界の黄金期だろうか。
この他に気になった記事。
矢後県議 政務活動費不正か 書籍購入に約463万円/富山
高浜原発、引き続き運転できず 大津地裁が関電の異議却下
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天皇陛下が生前退位の意向 皇室典範の改正必要
都知事選、宇都宮氏が取りやめ 14日告示、自民は分裂に

7月10日(日)

 午前中に、公民館へ行って参議院選挙の投票。入り口には農村センターの看板があるが、両方を兼ねた施設だろうか。
参議院選挙
 午後からはミュゼふくおかカメラ館で開催されている『栗林 慧×西島 治樹「め・目・メ」』展へ。
 5月28日から始まり、今日が最終日。1週間前に栗林さんのトークショーをUホールに聞きに行ったが、写真展を見るのは最終日の今日が初めて。
 栗林さんの昆虫写真をざーっと眺めて、14時からカメラ館のエントランスで開催された荒木志華乃氏、新谷秀夫氏、前田一樹氏ら3人による「アートの眼」と題したトークショーを聞く。トークショーの後にもう一度栗林さんの写真を見てから、西島さんの会場に設置した巨大なピンホールカメラで写した映像にデジカメ映像をリンクさせる装置を見学。西島さんがいらしたので、その巨大なピンホールカメラの中で映像を見ながら説明を聞く。
紫陽花01
紫陽花03

 写真展を見た後、岸渡川沿いに植えられた紫陽花を撮りながら帰る。なんだか色んな種類の紫陽花が植えられているようだ。春の桜並木は有名だけれど、紫陽花の並木もなかなか見事。

 晩ご飯の後、ビールを飲みながら選挙特番を観る。投票の締め切られる20時丁度に、テレビで当確の速報が出る。ほとんど票が開封されないうちに、多くの当落情報が流れてくるのを驚きを持って観ていた。選挙結果はこちらにある。
 選挙速報が始まって直ぐに改憲勢力が三分の二を取る予想が出たが、個別に見ると野党も良い結果を残している。基地問題を抱える沖縄の選挙区では現職の沖縄・北方担当相の島尻安伊子氏が落選、 原発問題を抱える福島では現職の法務相の岩城光英が落選。東北に限れば秋田以外は、野党が取っている。また、柏崎刈羽原発を抱える新潟は接戦の末に野党推薦の森裕子氏が勝った
  参議院選挙と同時に行なわれた鹿児島県知事選では、川内原発の一時停止・点検を訴えた三反園訓氏が現職の伊藤裕一郎氏を破り初当選した。

7月8日(金)

 牛追いで有名な、パンプローナのサン・フェルミン祭が今年も始まった

 1986年、スペインのアンダルシアから北上してポルトガルに入り、ポルトガルの北部からスペインの北西部にあるガリシア地方に移動した。ポンデペドラ、サンティアゴ・デ・コンポステーラ、ラ・コルーニャ、ルーゴといったガリシアの街をまわった後、これからマドリードへ戻ろうと思っていた。
  けれどルーゴの安宿のベッドの上でトーマスクックの時刻表を眺めていて、バスク地方にあるサンセバスチャン行きの列車が目にとまった。しばらく迷って、スペインの北部を西から東へ移動するサンセバスチャン行きの列車に乗る事を決めた。その日の宿代はもう払ってあったが、急いで支度して駅へと向かった。

サン・フェルミン祭01
 寝台列車で同じ部屋になったのは、15日間の休暇をもらい港街のラ・コルーニャから故郷へ帰る若い兵隊達だった。3人はブルゴス、パンプローナ、サンセバスチャンに帰るという。パンプローナの男が、今故郷でお祭りをやっていると話した。「サン・フェルミン?」と聞くと、「そうだ」と答えた。日本から持って来た本の中にヘミングウェイの「日はまた昇る」があり、この小説の舞台がパンプローナのサン・フェルミン祭で、読み終えた後、見てみたいと思っていた。
 サンセバスチャンに着いた2日目、片道2時間ほどのバスに乗って日帰りでパンプローナまで祭りを見に行った。街外れのバス停から中心部に行くと、白い服に赤いネッカチーフを巻いた人で溢れていた。路上では、楽隊と酔っぱらいが大騒ぎしていた。
 牛が街中を疾走する牛追いを見たかったが、闘牛場の窓口で聞くと牛が走るのは朝だと言われた。
 夜9時にパンプローナを出発するバスで、サンセバスチャンに戻った。今でも、あの時、朝まで路上で過ごして牛追いを見ればよかったかな、と思うことがある。
サン・フェルミン祭02
サン・フェルミン祭03

↑サン・フェルミン祭。1986年7月12日に撮影。

←壁にE.T.A.と書かれている。バスク地方ならではの落書きだろう。 E.T.A.(エタ)は、バスク祖国と自由の意味で、バスク地方の分離独立を目指す組織として1959年に結成された。1961年から2008年まで数々のテロを起こして来たが、2010年9月に武装闘争の停止を決めた。

 牛追いはこの後、マドリッド郊外にあるニンニクの産地として有名なチンチョンという村で見る事ができた。パンプローナの牛追いは、獰猛な牛が街中を走って人を追いかける感じだが、チンチョンの牛追いは大人しい牛を人がはやし立てて走らせる感じだった。
チンチョンの牛追い
↑チンチョンで見た牛追い。1986年7月25日撮影。日本に帰る前日だったかな。
献本

 今日、沖縄県立図書館と沖縄でお世話になった学芸員の方に、レターパックを使って『琉球弧の祭祀と行事』を献本した。【一】〜【七】まであるので、4冊と3冊に分けて発送した。本当はもう少し早くに献本したかったのだが、本と一緒に送る手紙がなかなか書けなくて、今日になってしまった。まだ何箇所か献本したい施設があるが、7冊セットなので色んな意味で余裕がないと送れない。

 警官による黒人射殺事件に抗議するデモが行なわれている最中に、警察官が射殺される銃撃事件が起き、警官5人が死亡した。黒人差別と銃社会という、病めるアメリカを象徴する事件だろう。

7月7日(木)

 七夕。例年よりかなり遅く発生した台風1号が、先島諸島の西側を通り、石垣島地方には今晩遅く、与那国島には明日の未明に一番影響を与えるようだ。直撃はないようだが、中心気圧900ヘクトパスカル、中心付近の最大風速は60メートルと猛烈な台風のようだ。
TWIN(ツイン)
 何の予定もない旅行者に、子供と老人達はいつも優しい。お金はないが、時間だけはたっぷりとある僕の相手をしてくれるのは、いつも彼らだった。
 しばらく前に、声かけ写真というのがネットを騒がしていたが、これはどちらかというと子供達に声をかけられて撮影したスナップだ。
 この写真を撮ってから30年が経つ。この子たちもお父さんになり、お母さんになり、この時の彼らくらいの子供がいるかも知れない。
スペインの子供のスナップ01


←「¿Como se llama?」(あなたのお名前は)と、女の子が話しかけて来た。雨が降ったり止んだりの日で、女の子はビニール袋を頭に被っていた。後ろに見えるのは、移動遊園地。ひょっとすると、親がこの遊園地で働いていたのだろうか。
1986.April Toledo SPAIN

↓(左)カメラをぶら下げて街を歩いていたら、女の子が二人、道の真ん中に並んで立った。写真を撮ってとせがまれたような気がして、シャッターを押した。
1986.May Cuenca SPAIN

↓(右)広場で子供達がボールを蹴っていた。そんな写真を撮っていたら、広場の横のビルから男の子が顔を出した。顔を出して笑っている彼の写真を一枚撮って見上げたら、男の子のいる階の一つ上の窓から女の子も顔を出していた。
1986.May Valencia SPAIN  

スペインの子供のスナップ02

 こういうスナップを撮影したり、それをwebに掲載する時に肖像権の問題と無関係ではいられない。撮影する前に了解を得、掲載する時にも確認を取るというのが一番良いのだろうが、そうもいかない場合が殆どだろう。
 先日読んだ『横木安良夫流スナップショット』に、肖像権についての文章が掲載されている。これが正解という事ではないだろうが、考えるヒントになると思うので引用させていただく。

 さて、「肖像権」には発表という問題がある。実際にはこちらの方が大きい問題だろう。僕はパブリックスペースで撮ったスナップショットは、被写体の顔が大きく写っていたとしても、個人の写真集、写真展、カメラ雑誌ならば何ら問題はないと思っている。それこそ「表現の自由」があるからだ。信念を持って発表することだ。不安だったら公開しなければいい。あくまで自分の価値観だ。もし撮られた人が写真を見て不快になり、クレームが来たら真摯に受け止め、話し合う必要がある。スナップショットに限らず、写真を撮ることは世界と関係を持つことだ。写真とは「世界を剽窃」しているのだ。世界や社会をカメラで、レンズという小さな穴から覗き、永遠に時間を止め2次元の薄片に異化している。
 写真を撮る者は現実の世界を利用しているのだから、写ったものに対して「責任」があるのは当然だろう。撮影する時に気づかれなくても、発表すれば社会的責任が生まれるのだ。

(肖像権について)より

 写真を撮り、発表することは、撮影者はその責任を受け入れなければならない。なぜ写真にはクレジットが必要かというと、何も著作権だけの問題ではない。そこに撮影者の責任と権利があるからだ。
 写真は「誰が」「どこで」「いつ見た」かが唯一の信じるにたることだ。現代の「写真」のそれが現実だからだ。もし、その協会のサイトの写真に撮影者名を必ず入れなければならなかったら、はたしてこのカメラマンは問題の写真をネット上に掲載することを受け入れただろうか。

(肖像権について)より

 第二次大戦後、写真家たちは真実の写真とは個人で発信するもの以外は保証できないと自覚する。写真は国家やマスメディアにいとも簡単に利用されるものだからだ。1枚の写真に写っている内容は、キャプションひとつで180度違うメッセージになってしまう。真のフォトジャーナリズムとは、個人の視点でしか発信できない。だからこそ、写真にはその責任者として、写真家の名前がクレジットされるのだ。
(現代写真の始まり)より

 写真の歴史を通して言えるのは、スナップショットは常に時代の写真を切り開く最大の武器だということだ。そして実験の場でもある。写真はこれからさらに複雑化する世界を、先頭を切って見つめる装置だ。スナップショットとはその写真の前衛なのだ。これから先、僕も偉大な先達たちの地図に、少しでも記されるような写真を撮りたいと思っている。
(現代写真の始まり)より

 社会的風景を撮るのは、それが今この時にしか存在しない唯一のものだからだ。10年後、いや一秒後には消えてしまうかもしれない。今スナップショットを撮らなくなったら後世、この時代の、社会的風景としての写真が存在しなくなる。その意識を持ってスナップをするべきだ。
 写真を撮ることは、世界と向き合うことだ。世界と向き合うことで、トラブルも起き、共感もあるだろう。自分の目で見て、自分の体で感じる。そして自分の意志でシャッターを切る。自分で写真を選び、撮った写真を自分の意思で他人に見せる。最後に責任も、楽しみたい!

(実践ストリート・スナップショット)より

横木安良夫流スナップショット』(えい文庫)。もちろん文章だけではなく、横木さん撮影のスナップ写真も豊富に収載されている。

 SEALsが、頑張っている。
やっぱり自民党に投票しようと思っているあなたに知ってほしい7つのこと
改憲も悪くないんじゃないかと思っているあなたに知ってほしい7つのこと
アベノミクスでいいやと思っているあなたに知ってほしい7つのこと

7月5日(火)

 7月1日にバングラデシュの首都ダッカにある飲食店でテロがあり、日本人7名が亡くなった。3日未明に起きたイラクの首都バクダッドでの自爆テロでは213人が死亡したと伝えられている。4日にもサウジアラビアの聖地で自爆テロがあり、4人が亡くなり5人が負傷している。先月も28日にトルコ・イスタンブールの国際空港で、銃撃と自爆によるテロで44人の死者が出ている。
  昨年11月13日に起きたパリの同時多発テロから、連鎖するように各地でテロが勃発している。
 バングラデシュのテロで日本人7人が亡くなった事を受けて、ネットでは憲法9条では日本人を守れないという書き込みをいくつか見たが、そもそも憲法9条とテロはなんの関係もないだろう。それを言うなら、むしろ昨年の9月に可決、成立した安全保障関連法が日本人を守っていない事を追及するべきだろう。中国の領海侵犯、北朝鮮のミサイル発射は昨年の安保法成立後に増えている。
 安倍首相は昨年の2月、イスラム国による人質殺害事件を受けて「日本人にはこれから先、指一本触れさせない決意と覚悟でしっかりと事に当たる」と強調したが、昨年の10月バングラデシュでイスラム国を名乗る組織に日本人男性が一人射殺されており、そして今回は7人の日本人がテロで殺害されるという最悪の結末になった。
 そもそもイスラム国に湯川 はるな氏、後藤健二氏が殺害される直前、安倍首相は「地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します」と宣言している。イスラム国と闘う国に支援するというのだから、日本もイスラム国の敵だと自ら宣言しているわけで、日本人がテロの標的になっても不思議はない。
 バングラデシュのレストランで襲撃された日本人は「私は日本人です、撃たないでくれ」と懇願したが、殺害されてしまった。もはや日本人であることは、テロから身を守る免罪符ではなくなった。

 2年前のちょうど今頃、イスラエルがガザを進攻していた。7月24日には国連が運営する学校がイスラエル軍から砲撃され、15人が死亡、200人以上が負傷し、戦闘が始まってからのガザ地区での死者数は800人に達した。
 この頃、スイス・ジュネーブの国連本部で国連人権理事会が開かれ、イスラエルの軍事作戦を非難する決議を賛成多数で採択した。内訳は賛成29カ国、反対1カ国、棄権17カ国となっており、反対したのはアメリカで、日本は棄権した。
 そのイスラエルと日本の防衛装備庁が、無人偵察機を共同研究する準備を進めている。これも日本人がテロの標的となる材料になりはしないだろうか?

 今日の午後、小矢部川の堤防を少し自転車で走り、スーパーにテナントとして入っている100円SHOPでポストカードファイルを購入し、池で錦鯉を撮影して来た。
FALL(フォール)
小矢部川01
小矢部川02
FORM(フォーム)
錦鯉01
錦鯉02
 この季節、田んぼの緑が鮮やかだ。
田んぼの緑

7月2日(土)

 沖縄が33℃、富山の伏木が37℃。富山が石川と並んで日本一の暑さを記録した。気温と体温がほぼ一緒になると、座っているだけでボーッとする。
 沖縄も奄美も日差しは強いが、海風が吹くからか35℃を超える日は少ない。だからこの季節になると、沖縄よりも本土の方が気温の高くなる日が出て来る。海風が吹き抜ける、奄美や沖縄の離島に避暑に行きたいくらいだ。
座間味

 2年前の今日は、座間味島にいた。前日にフェリーで島に渡り、キャンプ場で一人用のテントを借りて過ごした。
 朝、目の前の海に行くと、大きなサバニが浮かんでいた。夜中にゴソゴソと音がしていたので、深夜にこのサバニで島に着いたのだろう。
  キャンプ場の炊事場に行くと、どこかで見かけた女性とバッタリ。波照間島の民宿で一緒になった団体のお一人だった。聞けば、彼女たちが波照間から宮古島経由でサバニに乗って座間味に渡って来たという。彼女たちの乗って来たサバニは最大級の大きさで、女性3人、男性5人で乗船して来て、これから本拠地の本部に寄ってから奄美大島に向かうと話していた。
 座間味でこの日、初めてシュノーケリングをした。奄美・沖縄と4年間も綺麗な海の近くで過ごしたのに、海で泳いだ回数は少なかった。座間味の海岸は遠浅で、シュノーケリング初心者にも安心な気がする、しばらく潜っていてウミガメを発見。初めてのシュノーケリングでウミガメと一緒に泳げたのはラッキーだった。

 今日の夜、友人の奥さんのお通夜に行って来た。2月の写真展に、夫婦で観に来てもらったのに。

6月へ