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バックナンバー

◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
1月1日 鰤分け神事 射水市 加茂神社
1月の第4日曜日 魚津・千光寺の火祭り 小川寺の獅子舞
2月20日〜2月28日 木原盛夫写真展『琉球弧 万華鏡』 ミュゼふくおかカメラ館
2月20日〜3月3日 木原盛夫写真展『しまねこ』 まちづくり福岡工房・いっぷく処
2月20日〜3月3日 木原盛夫写真展『古の雅・いにしえのみやび』 雅楽の館
3月12日 魚津・千光寺の春祭 小川寺の獅子舞
4月18日? 黒部・明日(あけび)の稚児舞
4月20日前後の土日 浦田山王社獅子舞
5月1日 御装束祭 射水市 賀茂神社
5月3日、4日 鹿嶋神社稚児舞
5月3日 「賀茂祭」・宵祭 射水市 賀茂神社
5月4日 「賀茂祭」・本祭 やんさんま祭 射水市 賀茂神社
5月5日 「賀茂祭」・裏祭 射水市 賀茂神社
*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

1月31日(日)

 今日の琉球新報のweb版に、危機の民俗文化調査へ 狩俣琉大教授らレッドリスト作成という記事が載っていた。
 琉球弧の祭祀の継承が、過疎化や生活スタイルの変化によって困難になったといわれて久しい。それは、実際に奄美と沖縄の島々で祭祀や行事を撮影して歩いて強く感じた。すでに神人が居らず、代わりに区長さんが御嶽でニガイを行なっている場面もいくつか見た。
 与那国島で25日間に渡り5つの公民館が主催して行なわれる島最大の祭祀・マチリ。比嘉康夫さんの『神々の古層12 巡行する神司たち マチリ(与那国島)』では、5人のカーブ(神司)が祭祀を司っているが、現在カーブは一人だけになっており、その方も普段は石垣島に住んでおられる。
 神に芸能を奉納する神アシビの部分はこれからも継承されるだろうが、祭祀の一番重要な祈りの部分が変様したり消滅しかねない危機感がある。記録できるうちに撮影したいという動機で琉球弧の祭祀を追いかけ、『琉球弧の祭祀と行事』に纏めた。
 『琉球弧の祭祀と行事【一】 奄美群島編』の一番最初に、【祈る島】とタイトルをつけた文章を書いた。奄美・沖縄の祭祀の置かれている状況を、こんな風に感じている。

【祈る島】

 久米島で神人による雨乞いが行われたと言うニュースと、ロケットを打ち上げて人工的に雨を降らすと言う話題が並ぶ時代に、琉球弧の祭祀がどのように行われているのか知りたくて島々を訪ねて歩いた。

 祭祀も昔とだいぶ変わってしまいました。忘却の彼方へと消えつつある私の記憶のなかの40~50年前は、祭祀のある年は気持ちが違い、それが近づくと夜道を歩くのも怖く(外灯が少なかったこともありますが)暴言や喧嘩も慎むよう言われたものです。祭りが始まると普段耳にしない太鼓の響きや、たまたま下校時に見た白装束をまとった神人のおばあさん達が神々しく怖かったです。
 神様を迎えて送るまでの2週間程は、本当に神様が存在しているような、島全体がそんな雰囲気のなか祭りが行われ、終わるとほっとしたものです。殿の庭も人でいっぱいでした。
 大漁、豊作、健康等、日々の諸々の祈りを総括し祈願する村合同の礼拝だと思うのですが、近年は島民の関心がうすれてしまっています。それは文明の発達と、行政が一切関与していないからでしょうか。
 おそらく200~300年前に始まったこの祭祀が今日私たちまで継承されていますが、私と同世代の人や若い人たちにはどう映っているんでしょう。昔がたいまつの明かりなら、今はローソクの炎のよう、このままほたるの光になり消えていくのでしょうか。私が神人になって感じたことですが、先輩達はどのように思っているのでしょう。

 祭祀の様子を撮らせていただいたお礼に写真を送った折、神人になって5年目の女性から返って来た手紙。そこには祭祀と島そのものの変貌に困惑し、悲しむ気持ちが綴られていた。

 琉球王国(沖縄)の尚真王(1477~1527)が、奄美から与那国までを琉球の支配に置いた際に、聞得大君(きこえおおきみ)を頂点とする祭祀を司る神組織を制度化した。奄美にも琉球からの辞令書を発給されたノロ(神人)がおり、季節毎の祭祀(農耕儀礼)を司っていた。ノロは世襲制のため、現在奄美では途絶えていると思われているが、奄美大島の宇検村・阿室集落で2009年に集落のノロが祭祀を行ったという記事もある。
 奄美大島の龍郷町秋名集落で行われている国の重要無形民俗文化財に指定されている平瀬マンカイは、ノロが海岸の岩の上に乗り、海の彼方の神々に豊穣を願う祭祀だが、現在は神人が不在なため集落の女性がノロの役を努めている。
 また、神人が途絶えただけではなく祭祀そのものが消滅したりもしている。平瀬マンカイが行われる日の早朝、同じ秋名集落の山側では、ショチョガマと呼ばれる豊作祈願の神事がある。嘗ては名瀬の大熊や浦上、有良、芦花部などでも見られたが、稲作からサトウキビに農作物の主流が変化し、今では広い水田の残っている秋名でしか見られなくなった。
 ノロは祭祀を司りシマ全体の繁栄を祈る公的な存在なのに対し、沖縄・奄美には個人の悩みなどの相談にのる民間霊媒師としてのユタも存在する。こちらは世襲制ではなく、巫女病(高熱や幻覚症状)などを経てシャーマンになるため、年齢や男女は関係ない。ノロよりユタの方が、霊能力者としての力は上だという見方もあり、仕事や病気など様々な相談事のために訪れる人も多い。

 五穀豊穣(国や地方によって違うが米・麦・粟・豆・黍)祈願と言いながら、今では祭祀の供物用としてしか粟が作られていない島もある。生活スタイルの変化は、島の祭祀や人々の信仰心そのものにも少なからぬ影響を及ぼしている。
 それでも神人たちはシマの繁栄を願う事が勤めだとして海に向かい、山に向かい、霊石に向かって祈りを捧げている。神を迎え、神を送る祈りの儀式は、今も続いている。 

 Galleryに、『琉球弧の祭祀と行事【七】 来訪神からグソーまで』を追加しました。

CONTENTS
来訪神/神アシビ/琉球弧の芸能1/琉球弧の芸能2/踊る島/歌う島/琉球弧の墓とグソー1/琉球弧の墓とグソー2/琉球弧・簡易年表/聞得大君・きこえおおきみ/参考文献/琉球弧地図/あとがき/プロフィール

 GalleryにUPしました『琉球弧の祭祀と行事【一】〜【七】』『琉球弧曼荼羅【一】〜【四】』『通り過ぎた風景と記憶の断片』『しまねこ』は、フォトブックでも販売いたします。A4サイズ、143Pで一冊1,800円となります。オンデマンド印刷ですので、注文から納品まで一週間ほどかかるかと思います。詳細は、トップページのmailにてお問い合わせ下さい。

琉球弧の祭祀と行事【七】の表紙
琉球弧の祭祀と行事【七】

1月30日(土)

 昨年末から続いていたプリント作業が、今日で一段落。12月の初めに購入したエプソンのSC-PX3Vが大活躍で、これまでに覚えているだけでA2サイズを43枚、A3サイズを122枚、A4サイズを66枚、2Lサイズを25枚、KGサイズを34枚、はがきサイズを100枚プリントした。この他にA4サイズにテキストを40枚ほどプリントしている。
 これだけの枚数をプリントして、交換したインクは6本。グレーが2本に、後はブラック、ライトグレー、ライトシアン、ビビッドライトマゼンタが各1本。シアン、ビビッドマゼンタ、イエローは購入時に付いていたインクがまだ残っている。インクタンクが大きくなって1本あたりの値段も高いが、それでもコストパフォーマンスは良いのではないだろうか。
 そして、何より素晴らしいのがプリント中にインクが無くなるとプリント作業が自動で中止になり、新しいインクを補填すると自動的にプリントを再開する事だ 。
  一つ気になるのは、KGサイズやはがきサイズといった小さい用紙を複数枚セットすると、用紙が重なって出てくる事があり、それが何回か続くとノズルが詰まる。おかげで3回ほどノズルのクリーニングを行なった。

インク

 Galleryに、『琉球弧の祭祀と行事【六】 八重山諸島・宮古諸島編』を追加しました。

CONTENTS
西表島 祖納と干立の節祭
宮古島 島尻のパーントゥ・プナハ
竹富島の種子取祭
与那国島のマチリ・カンブナガ
宮古島 野原のサティパロウ

琉球弧の祭祀と行事【六】
琉球弧の祭祀と行事

1月29日(金)

 天気予報の通りに雨。一日中激しい雨が降り続き、時折、ゴーッという風の音が聞こえる。最低気温3℃、最高気温4℃となっているが、数字以上に寒く感じられるのは雨のせいだろうか。こんな日はスタン・ゲッツのアルバム『SWEET RAIN』。外は全然スイートじゃなくて、暴風雨だけれど。

 Galleryに、『琉球弧の祭祀と行事【五】 八重山諸島・宮古諸島編』を追加しました。

CONTENTS
鳩間島の豊年祭
石垣島・白保の豊年祭
竹富島の豊年祭
石垣島・四ヵ字のアンガマ
登野城のイタシキバラとアンガマトゥズミ
ミャークヅツ

琉球弧の祭祀と行事【五】表紙
琉球弧の祭祀と行事【五】
 今日、高浜原発3号機が再稼働した。
使用済み核燃料、たまり続ける「お荷物」高浜再稼働
高浜原発 新たな「核のごみ」抱え 3号機再稼働

1月28日(木)

 <Safariが予期しない理由で終了しました>。相変わらず、ブラウザーのSafariが使用中にフリーズしたり落ちまくっている。家のMacだけではなく、昨日は「Twitterなどで報告相次ぐ iOSのSafariが突然落ちる? 対処方法は?」という記事が出た。そして、こんな記事も。
  大雪の影響で24日から運休していた万葉線が、ようやく全線で運転再開をした。路面電車とは言え、雪に弱すぎ?
  明日から雨や雪のマークが並んでいるので、久しぶりに自転車で少し走って来た。寒さ対策に先日買ったイヤーマフを探すが、見つからない。さっそくどこかで忘れて来たか?しょうがないので毛糸の帽子を被り、耳の方まで引っぱって防寒。
 Tシャツの上にトレーナー、その上にヨットバーカーを着て、その上からセーター。首にマフラーを巻いて、ダウンジャケットを羽織る。足元は靴下2枚履きに防寒靴。風がなく、最高気温が9℃まで上がった事もあって、自転車で走っていても寒さは感じなかった。

小矢部川の雪景色

 Galleryに、『琉球弧の祭祀と行事【四】 沖縄本島と周辺離島編』を追加しました。

CONTENTS
米須のウシデーク/真志喜大綱引き/糸満大綱引き/真栄里大綱引き/与那原大綱曵/那覇大綱挽/城間松明大綱引/泡瀬大綱引き/伊江島の村踊り/カジマヤー/ムーチー/粟国島のマースヤー/首里城・新春の宴/首里城・中秋の宴/首里城・冊封使行列、冊封儀式/新春北部大闘牛大会/ピージャーオーラサイ

琉球弧の祭祀と行事【四】の表紙
琉球弧の祭祀と行事【四】

 今日、100万円の受領を認めて甘利経済再生担当相が辞任、後任に石原伸晃元環境省
 この他に、最近の気になった記事を備忘録として。
高速増殖炉「常陽」、再稼働に向けて安全審査申請へ
1月27日、リニア品川駅の新設工事がスタート
辺野古移設 米国からも反対 地方議会で決議広がる兆し

1月27日(水)

 先日、アマゾンの古書店で何か面白い写真集はないかと見ていたら『遠野舞子写真集/2000 Baht』が眼に止まった。199円という値段だったのでポチッとしたその写真集が、昨日メール便で届いた。
  いわゆるアイドル写真集で、本の帯には<あの伝説のアイドルが「娼婦」になった!>のコピーが書かれている。アイドルには疎いので、彼女が本当に伝説的なアイドルなのか知らないが、この本が撮影された2004年頃は遠野舞子の名前で女優活動を行い、本名の岩本舞子でモデルの仕事をしていた。そしてこの頃、健康雑誌の美容特集の撮影で4、5回彼女を撮影した。その時の記事が、こちらこちらにある。
 当時はまだデジタル・カメラを使っておらず、フィルム・カメラで撮影していた。撮ったその場でカメラの背面液晶やパソコンのモニターで確認できる今とは違い、撮影カット毎に露出や構図の確認用にポラロイドを使っていた。彼女はポラロイドを撮る度に、構図や自分の表情をチェックしていた。この頃撮影していたモデルさん達の中で、一番プロフェッショナルな気概を感じた女性だった。
 いつ頃まで女優やモデルの仕事をしていたのか分からないが、今は一児の母親になりまつげエクステのサロンを経営しているようだ。
 彼女がアイドルとしてデビューした頃は、自分の家にテレビが無く歌番組を全然観ていない時期なのだが、You Tubeにはいくつか映像が残っている。「Mr サブマリン/遠野舞子」「Brandnew Lip 80p/遠野舞子」「ダイヤモンドの輝き/遠野舞子」。想像していたより歌が上手で、ちょっと驚いた。
岩本舞子
遠野舞子写真集

↑左は、雑誌の仕事で撮影した当時のデータ・ノート。ポラで構図と露出の確認をし、フィルムに番号を付けて撮影した絞り値を記録していた。右は、昨日届いた『遠野舞子写真集/2000 Baht』。

 今日、郵便局へ3等が当たったお年玉年賀はがきを持って行き、切手シートと交換して来た。

お年玉切手

 Galleryに、『琉球弧の祭祀と行事【三】 沖縄本島と周辺離島編』を追加しました。

CONTENTS
久米島の五月ウマチー/粟国島のヤガンウユミ/エイサー(エイサー in いとまん、浦添てだこまつり前夜祭、一万人エイサー踊り隊、北中城青年エイサー、お店の周年祝い)/首里赤田のみるくウンケー/安田のシヌグ/塩屋のウンガミ/久高島の八月マティー

琉球弧の祭祀と行事【三】
琉球弧の祭祀と行事【三】

1月25日(月)

 昨日、今日と西日本や北陸は強烈な寒波に見舞われて大荒れの天気。ネットやテレビ、新聞では奄美大島で115年ぶりに雪という見出しが踊っている。尤も115年ぶりというのは、測候所のある名瀬でも雪が降って記録が残ったのが115年ぶりで、奄美大島の最高峰である湯湾岳では何年か前にも雪が降っている。10年ほど前に湯湾岳に雪が降ったのを、地元の写真家・別府亮さんが撮影している。
 また、沖縄でも雪やみぞれが観測された。
沖縄本島に初「雪」 名護でみぞれ観測【動画あり】
【写真特集】凍えそう! 魚も仮死状態に 沖縄で記録的寒さ

↓今日の雪景色。→軒に下がった、つらら。
つらら
今日の雪景色

 富山では、昨日は吹雪。出掛ける予定は止めにして、一日中コタツに入ってテレビを観て過ごした。今日も雪が降っていたけれど、時々晴れ間も見えた。窓から軒を見上げると、つらら。つららを見るのは何年ぶりだろうか。
 一昨日ネットで注文したプリント用紙が、今日届いた。今回はA3サイズ20枚入り2つ、はがきサイズ50枚入り2つ。ともに絹目調。もう暫く、プリント作業の日々が続く。

配達されたプリント用紙

 Galleryに、『琉球弧の祭祀と行事【二】 沖縄本島と周辺離島編』を追加しました。

CONTENTS
斎場御嶽・せーふぁうたき/久高島の旧正月/十六日祭・ジュールクニチー/辻の旧二十日正月/鏡水の三月あしび/平安座島のサングヮチャー/伊是名島の公事シーミー祭/幸地腹・赤比儀腹両門中のシーミー/南城市古堅のミーミンメー/波上宮 なんみん祭/渡名喜島のシマノーシ/糸満ハーレー/奥武島の海神祭/大嶺の地バーリー/那覇ハーリー/豊見城ハーリー/小湾アギバーリー

琉球弧の祭祀と行事【二】の表紙
琉球弧の祭祀と行事【二】

 昨日投開票が行なわれた宜野湾市長選は、現職で自民公明が推薦する佐喜真 淳氏が5857票の大差で当選した。
宜野湾市長選大敗「民意失った」 辺野古反対へ知事痛手
出口調査 「辺野古反対」56%「政府支持せず」過半数

 金沢に「ロックの殿堂」 旧書店本店に4月開設。こんな記事が今日、Facebookに流れて来た。

1月23日(土)

 奄美と沖縄で過ごした4年間は、どこか留学でもしていた気分がある。これまでの生活で、あれほど図書館に通い、本を読んだ事はない。
  奄美に住んでいた頃は、正式な会員ではなかったが「奄美の自然を考える会」の観察会に参加し、県立図書館が主催する講座を受講したりもしていた。沖縄に住んだ後半には片道2時間以上かけて、月に一度、今帰仁村歴史文化センターが主催する「山原のムラ・シマ講座」でフィールドワークを体験した。
 もちろんその間に、興味を抱いて撮影を始めた奄美、沖縄各地の祭祀や旧暦行事を見に、アチコチの島へ出掛けた。
 そんな4年間を過ごして富山に帰って来てから、撮り溜めた写真を現像し整理し、どういう風にまとめるか思案していた。結局、<奄美群島><沖縄本島と周辺離島><八重山諸島・宮古諸島>という3つの地域に分け、一つ一つの祭祀や行事の進行を、出来る限り写真で説明するという方法に至った。そして一つの祭祀の中では説明できない来訪神やグソー、芸能などについては別枠で写真と文にまとめた。
 ようやく琉球弧へ留学していた4年間の、卒業論文のようなものが出来た。なるべくコンパクトにと思っていたけれど、144ページで7巻になってしまった。
 これから順に、GalleryへUPして行きます。まずは、『琉球弧の祭祀と行事【一】 奄美群島編』。

 

CONTENTS
祈る島/ショチョガマ(奄美大島・龍郷町秋名)/平瀬マンカイ(奄美大島・龍郷町秋名)/佐仁八月踊り(奄美大島・笠利町佐仁)/キトバレ踊り(奄美大島・大和村思勝)/油井の豊年踊り(奄美大島・瀬戸内町油井)/西阿室の豊年祭(加計呂麻島・西阿室)/諸鈍シバヤ(加計呂麻島・諸鈍)/今井大権現祭(奄美大島・龍郷町安木屋場)/ムチムレ踊り(奄美大島・大和村湯湾釜)/与論十五夜踊り(与論島)/ナリムチ/旧盆行事/舟漕ぎ/闘牛/おがみ山・立神・アシャゲ

琉球弧の祭祀と行事【一】表紙
琉球弧の祭祀と行事【一】

1月22日(金)

 用事があって外出した帰りに、スーパーの中に入っているダイソーでイヤーマフなる物を買って来た。先日、自転車で外を走っている時に、風の冷たさに耳が千切れるんじゃないかと思うほど痛かったので耳用の防寒具をネットで探したら、100均で売っているイヤーマフがお勧めされていた。イヤーマフ=イヤーマフラー?まあ、耳当てですね。首の後ろから挟み込むようにして耳に当てるらしい。
イヤーマフ

←ダイソーで買ったイヤーマフ。

 今年は暖冬で、沖縄や奄美では緋寒桜の開花時期が例年より遅いようだが、ようやく咲き始めたようだ。沖縄本島の北部にある今帰仁城跡と八重岳では、明日から桜まつりが開催される。
↓の写真は、2012年2月4日に奄美大島の小宿で撮影した、緋寒桜。濃いピンクの花を下向きに咲かせる。

緋寒桜
 ところで、四季の変化に乏しい奄美や沖縄といった亜熱帯の島でも、紅葉はある。内地の紅葉は秋だが、亜熱帯では冬になって葉が色付く。だから、 場所によっては桜の開花と紅葉が同時に楽しめる。 
↓の写真は、奄美大島の大和村で撮影した紅葉。紅葉するのはシマサルスベリ、イヌビワ、アコウといった木だと教わった。撮影データを見れば、2012年の1月21日。まさに、今の時期だ。どこでも見られるわけではなく、島の人でも奄美の山に紅葉がある事を知らない人は多いようで、この時の観察会には南海日日新聞が取材に来た。
奄美大島の紅葉

 天気予報によれば、明日から一段と寒さが厳しくなるようだ。日曜日には西日本に大寒波がやって来るそうで、沖縄でも雪が降るレベルだとか。さすがに、沖縄で雪は難しいかもしれないが、奄美大島の山の方なら雪の可能性はあるのかも知れない。
 名瀬に住んでいた2012年の2月2日、最強寒波が日本列島を襲っていた。名瀬の最低気温は10℃前後だったが、「奄美の自然を考える会」のさばくり人さんから、夕方電話があって「今日あたり、湯湾岳では雪が降るかもね〜」という電話をもらって、夜になってノコノコと一緒に出掛けた。
 湯湾岳は奄美大島の最高峰で、標高694.4m。前年の冬も雪が降ったらしい。結局この日、雪は降らなかったが、同じように雪が降らないかと思って撮影に来ていた地元の写真家の方とお会いした。
 今回は数十年に一度といわれる最強の寒波なので、奄美大島では桜と紅葉と雪が一度に見られる場所があるかもしれない。そんな事を富山の雪を見ながら考えている。

1月20日(水)

 暖房を入れないと、部屋の中は冷蔵庫のような寒さ。昨日から全国的に大荒れの天気で、富山も昨日は雪が降り、強風が吹き、雷が鳴っていた。今日も荒れ模様を覚悟していたが、比較的穏やかな空模様だった。
昨日の雪景色01
昨日の雪景色02
↑昨日の朝、窓を開けると天気予報通りの雪。一晩でこんなに積もったのは、この冬初めて。
ブラウザによるフォントの違い
 Wixで、ホームページのgalleryを更新しようと思ったら、現在ブラウザとして使用しているSafari6.0.5が未対応になってしまった。最近、Safariでネットを見ているとフリーズしたりダウンする事が度々あるので、Firefoxの最新版をダウンロードしてみたらサクサク動く。ただ、フォント(文字)は、Safariの方が美しい。上の写真の右がSafari、左がFirefoxで表示した自分のサイトのトップページ。
 明日の最低気温は−2℃、最高気温は3℃。冷蔵庫だな。

1月17日(日)

 雪や雨が降り、この時期らしい寒い日が続いていた。ほとんど家に閉じ籠りパソコンの前に座り、プリントをし、テキストを書いていた。
 今日は晴れのち曇り。夜になって雨が降り出した。午後に、コンビニへ行く用があって出かけたので、久しぶりに自転車で堤防を走ろうと思って向かうが、風が冷たくて耳が痛くなって挫折した。100円SHOPにイヤーマフなる物が売っているようなので買って来なくては。
 お年玉年賀はがきの当選番号が決まった。3等の切手が一枚当たった。見てないと思いますが、石川さん、ありがとう!
お年玉年賀はがき
 昨年の5月24日に撮影した、石動の獅子舞大共演会のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。下の写真は、石動西部保育園の園児による獅子舞。お遊戯のようなものだろうか?と思っていたら、なかなか上手でした。
石動の獅子舞

 沖縄タイムスが【誤解だらけの沖縄基地】という連載を始めている。
(1)中国が近海進出 どう対抗するのか?
(2)普天間飛行場なければ尖閣は取られるのか?
(3)地理的に重要だから海兵隊を置くのか?
(4)辺野古受け入れ同意は生きているのか?
(5)辺野古の飛行場は「新基地」なのか?

 阪神・淡路大震災から、21年が経った。

1月11日(月)

 ミュゼふくおかカメラ館で、昨年の11月7日から開催されていた相原正明さんの写真展『DOUBLE PORTRAIT ―地球の表情と人間の表情―』の最終日。最終日の今日は午前11時からと午後13時半からの2回、相原さんのギャラリートークがあるので、午後の方に参加して来た。会場を移動しながら、1時間以上かけて相原さんが写真の解説を行なう。
 ギャラリートークの後、今日が最後なので一人でもう一度作品を眺めてカメラ館を後にする。
 昨日、今日と地元では左義長が行なわれている。小矢部川の河川敷でも15時からと案内チラシに書いてあったので、カメラ館から歩いて向かう。雪こそ積もってないが、小雨が降り、冷たい風が吹き、この時期ならではの寒さ。
左義長01
左義長02
インクと用紙

 河川敷に着いた頃には正月飾りなどは粗方燃やされた後で、火の周りを竹の棒の先にお餅を括り付けた子供たちが囲んでいた。
  暫く写真を撮ってから、ゆっくり歩いて自宅へ帰る。

 今日の午前中に、注文していたインクとプリント用紙が届いた。アマゾンとヨドバシカメラの段ボールが溜っていくばかり。SC-PX3Vはライトグレーの減り方が速い。

 デヴィッド・ボウイが癌のため、69歳で亡くなった。1972年から2002年まで彼を撮り続けた鋤田正義さんによる、デヴィッド・ボウイのポートレート

1月10日(日)

 昨夜から今日の未明にかけて、奄美大島でちょっと大きめの地震が立て続けに起きたようだ。
 それにしても、 ホントに雪の降らない冬だ。
 プリント作業で自分の写真を見続けていると、他の人の写真が見たくなって来る。Vプリカ(クレジットカードを持たないので、ネットでの買い物用に使っている)に798円残っていたので、6日の夜にアマゾンの古書店で1冊1円の中古写真集を3冊注文した。写真集は1冊1円だが、送料は257円かかる。残高は24円になった。
 注文した本が3冊とも昨日届いた。『猫の旅 地中海/新美敬子』(河出書房新社)、『天使の廻廊/田原桂一』(新潮社)、『スペンサーのボストン/写真 熊谷嘉尚 文 ロバート・B・パーカー』(早川書房)。
 『天使の廻廊』は帯付きで、新品かもしれない。発行は1993年で20年以上も前だが、本文の見返しページに使われた香水紙から微かに香りが漂って来る。
猫の旅と天使の廻廊
 『スペンサーのボストン』は、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズの舞台となっているボストンの風景写真と、パーカーの書き下ろし短編、それに小説に登場したスペンサー語録が収載されている。
 30歳前後に、このシリーズに嵌って次々に読んだ身としては、気になる一冊だ。さっそく本を開いて、頁をめくる・・・!?
 何だか既視感がある。ひょっとして!と思って書庫になっている部屋に行って棚を確かめる。ズラッと並んだ文庫の後ろに、文庫になるまで待ちきれずにハードカバーで購入したスペンサーシリーズが並んでいて、その中に『スペンサーのボストン』と書かれた背表紙が。そうだ、この本は買っていたのだ。CDや本を以前に買っているのにすっかり忘れて、もう一度同じ物を買ってしまう失敗を、久しぶりにやってしまった。
スペンサーのボストン

↑持っている事を忘れて購入した『スペンサーのボストン』。図書館の蔵書だったようで、浜松江之島高等学校のシールが貼ってある。久しぶりに頁を眺めた。ボストンの夏、秋、冬の風景が収められている。雪の積もった冬のボストンの写真が好きだ。
↓書庫に並んだ、ロバート・B・パーカーのスペンサーシリーズ。「名はスペンサーだ、サーの綴りは、詩人と同じようにSだ。ボストンの電話帳に載ってるよ。<タフ>という見出しの頁にな」ーーー初秋。これから先、このシリーズを読み返す事はあるのだろうか。

ロバート・B・パーカーの本
サウジ、イランと断交
北朝鮮「初の水爆実験」 通告なし 核実験4回目
アメリカのB52戦略爆撃機、朝鮮半島上空を低空飛行
 今年は、どんな年になるのだろうか。

1月8日(金)

草蝉や弔辞は一行あれば足る

六月二十三日、毎年沖縄慰霊の日には総理をはじめ多くの方々が祭壇の前で弔辞を読み上げる。多くの人を戦場へ送り、死ねばやって来て慰霊の辞を滔々と述べる。マッチポンプの感がしないでもない。決まりきった虚しい言葉の羅列より「辺野古に基地は造りません」とひとこと言えばそれがなによりの慰霊の言葉になるのだが。

どこにも仏桑花

 上の俳句は、沖縄でお世話になった写真家の新垣辰雄さんから年末に贈っていただいた末吉發さんの写真集『どこにも仏桑華』に載せられている俳句の一篇だ。右ページに俳句と解説、左ページには俳句のイメージに添う写真が載せられている。この俳句には、式典の行なわれている摩文仁の平和祈念公園の隅でベンチに寝転んでいる男性の写真が使われている。タイトルにある仏桑華(ブッソウゲ)はハイビスカスの事で、沖縄方言ではアカバナーとも言う。
 本に記載された略歴には1928年伊是名村生まれとあるので、今年88歳になられるのだろうか。沖縄戦には鉄血勤皇隊として参加。本部半島の守備隊、宇土部隊に配属になるが、米軍上陸の約2週間後の4月半ばに撤退して解散。その後は敗残兵としてヤンバルの山中を徘徊したという。
 前書きに<南部の悲惨な戦闘に思いを致すとき、ヤンバルの山の中で一発も撃たず沖縄戦を終えた者が戦を語るのは憚られるものがありますが、友人知人はじめ多くの人々の死を悼む意を込めて上梓することにしました>とあり、殆どは沖縄戦に因んだ俳句になっている。その中には、実際に戦争を体験した者でなければ作れないであろう俳句がたくさんあった。
「デテコイ」の声や灼光浴びしこと
洞あれば即ち墓所の夏怒涛
でで虫に同じ記憶の血と泥と

 俳句も写真も単体で素晴らしいが、それぞれが補完し合って、より壮絶だった沖縄戦の有り様を表情豊かに伝えている。とてもお勧めしたい写真集だが、自費出版で出版社の名前も定価も印刷されておらず入手方法がわからない。今のところ沖縄県立図書館にも那覇市立図書館にも蔵書としては置かれていないようだ。

 新垣辰雄さんには一昨年の秋にも、やはり新垣さんが製作のお手伝いをされた比嘉清眞さんの写真集『年輪』を贈っていただいた。

年輪
 ページを捲ると、沖縄に住む老人達の生活の中の肖像が写し取られている。本の後ろに掲載されている撮影年を見ると、古いものは1976年、新しいものは2013年と、その差は37年も隔たっているが何の違和感もなく並んでいるのは沖縄という地域の特性だろうか。実際、那覇を散歩していてタイムスリップしたような気になる風景や光景を眼にした事はしばしばある。
 圧巻なのは、老女の手の甲に施されたハジチ(針突き)の写真。ハジチとは文身(イレズミ)の事。奄美や沖縄では、かつて女性は結婚の証として手の甲などにハジチをしていた。しかし明治の廃藩置県で、奄美では明治9年(1876年)、沖縄では明治32年に禁止令が適用された。実際には、奄美でハジチが行なわれなくなったのは明治30年頃だとも言う。名瀬に住んでいた頃の日記に、ハジチについてのメモがある。
 これだけハジチをした老女の写真を収載した写真集は初めて見た。貴重な記録になるだろう。 この『年輪』は、沖縄県立図書館にも那覇市立図書館にも貸し出しできる蔵書が用意されているようだ。
 『どこにも仏桑華』『年輪』と、 こういう本を見ると、沖縄の写真家・写真愛好家の方々の層の厚さと意欲に驚かされる。沖縄の県立図書館や市立図書館に行っても、こうした方々のお陰か郷土資料のコーナーは充実している。

1月5日(火)

明けましておめでとうございます。

元旦の立山連峰
↑射水市から見た、元旦の立山連峰。

 平野部では、ひとひらの雪も舞わないお正月だった。降ったら雪かきをしなくてはならないので雪のない正月はありがたいが、気分的にはやはり微妙だ。
 昨日の最高気温は15℃、今日は12℃。昨日、氷見漁港で初競りが行なわれたが、ブリの水揚げは37本に留まり、「寒ブリ宣言」は出ないままとなっている。

 元旦は、射水市下村の加茂神社へ鰤分け神事を見に行って来た。鰤を持ち上げて奉納した地区の名を読み上げる「鰤のよみあげ」は、加茂神社の新年慶賀祭の中で行なわれる。
  慶賀祭は午前10時からだが、小杉駅から出ているコミュニティーバスの運行本数が少ないので8時半頃には神社に到着。拝殿に上がらせていただき、座って神事の始まりを待つ。

↓10時前、拝殿に氏子の方々が参集。
加茂神社02
加茂神社01
鰤分け神事

上段左 下村・倉垣小杉・柳瀬の3地区から奉納された6本の塩鰤/上段右 宮司が本殿で祝詞を奏上している中、氏子総代が鰤のヒレを立てる/中段左 ヒレを立て終わると、鰤を一本一本持ち上げて奉納した地区の名前を読み上げる/中段右 料理役が氏子の戸数に合わせて塩鰤を切り分ける/下段左 切り分けられた塩鰤とお鏡餅を、各区の神社委員が氏子の家へ配って歩く。昨年まで配り歩く格好は羽織袴だったが、今年から礼服となった/下段右 玄関で、用意されたお皿に鰤とお餅を一切れずつ乗せる。

 1月2日は、両親と井波の高瀬神社へ。帰りにスーパーへ寄ると、干し芋があったので購入。インスタントラーメンは、普段イトメンのチャンポンめんを食べているが、エースコックのワンタンメンを見つけて久しぶりに食べたくなって購入。
 ↓高瀬神社。雪がないからか、駐車も参拝も例年よりもスムーズだった気がする。

高瀬神社

 1月3日は、弟家族と妹家族も揃って新年のお祝い。弟はシンガポールへ出張中なので、インターネット電話でちょっとだけ参加。

 そして、昨日からプリント作業をスタート。昨日と今日で、A2サイズ21枚、A3サイズ20枚、A4サイズ6枚をプリント。プリントしていて驚いたのは、インクが途中でなくなるとプリント作業が自動的にストップし、新しいインクを入れると自動的にプリント作業を再開することだ。インクを途中で入れ替えてもプリントの色がおかしくなる事もなかった。また、プリント用紙にマット系を選ぶとインクも自動的にマットブラックに切り替わる。

インク
←元旦に届いた、SC-PX3Vのインク。余り使わないマットブラック以外の8本をまとめて購入したら、34,560円(ポイント3,296円還元で、実質31,264円)。
↓昨日ネットで購入した写真用紙が、今日届いた。A2サイズ1つ、A3サイズ2つ、2Lサイズ1つ買ったら3つに梱包されて届いた。左はA2とA3が1つずつ。中の袋に2L。右のダンボールにA3が1つ。
写真用紙
 気になった記事。
“祈りの島”未来へ 宮古・大神島、初の地域誌作り

本年もよろしくお願いいたします。

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