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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 |
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○木原盛夫 写真展「獅子舞の日」 おきなわ物語 イベントスケジュール2014上半期、下半期 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu ○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/ ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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午前中はパソコン作業。午後から少し部屋を片付けて、お風呂に入り、年越しそばを食べた。今日はもうパソコン作業を終了にして、コタツに入ってテレビを観ながら日本酒。 | ||
今年もアニー・ディフランコを、繰り返しよく聴いた。「Your Next Bold Move - Ani DiFranco」。 | ||
良いお年を! |
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今年も残すところ、あと一日になってしまった。 暮れの寒い時期に何ですが、すでに夏真っ盛りだった6月23日に撮影した、小浜島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑西表島の大原港から波照間島に向かう予定だったが、天気は良いのに波の高い日が続いて波照間島へのフェリーは連日欠航。一旦、小浜島に渡る事にした。写真は、大原港から乗船したフェリーが小浜島に着くところ。 |
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大瀧詠一さんが亡くなって一年ですね。昨年の大晦日、午前中の情報番組を観ていて突然飛び込んで来た訃報に驚いた。リンゴをつまらせたって・・・白雪姫のような人だな〜と思ったり。大瀧さんが作ったポップスの金字塔をYou Tubeから。色んな人がこの曲を歌っているけれど、吉田美奈子バージョンで。「夢で逢えたら」。そして大瀧さんが影響を受けたフィル・スペクターの代表曲、ロネッツの「Be My Baby」。 | ||
↑左が大瀧詠一さん。1995年4月5日に撮影。右がロネッツのリードボーカル、ロニー・スペクター。1999年3月1日撮影。 | ||
沖縄には神が降りる場所として、御嶽(ウタキ)と呼ばれる聖所がある。沖縄と同じく姉妹(ウナリ)が兄弟(イヒリ)を守護するというウナリ神信仰を持ち、琉球の文化を色濃く残す奄美群島では、御嶽に代わるものとして、おがみ山(うがん山ともオボツ山とも呼ばれる)が存在する。神はおがみ山に降り、カミミチ(神道)を通って祭祀の行われるアシャゲ(沖縄で言う神アサギ)へと向かう。 岡本太郎が『沖縄文化論』(中公文庫)で書いている御嶽についての文章が美しく、示唆に富んでいる。 私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていないーーといって差支えない、御嶽だった。 そして日本の古代の神も御嶽ように、なにもない空間ではなかったのか。ところが今日の神社と呼ばれるものが、いかつい鳥居が建てられ、イラカがそびえ、コケオドシが造られて神聖感から遠のいていると嘆く。 奄美・沖縄で暮らした4年間に御嶽、おがみ山、立神、カミミチ、神アサギ、トネヤなど神が降り・通り・集った場所を訪ねて歩いた。それは神々の足跡を探した記録でもある。そんな写真をPhoto Aibumにしました。こちら。 |
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↑南城市奥武島の御嶽。岩肌にガジュマルの気根が絡まり、袂には石の香炉が一つ置いてある。 |
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以下はキャプションです。 琉球弧 神々の足跡 01 奄美市名瀬のおがみ山(うがん山、おぼつ山とも呼ばれる)。おがみ山は、沖縄の御嶽にあたる。名瀬のおがみ山は、伊津部ノロの神山だと言われている。(2012年1月1日) |
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最低気温−3℃、最高気温7℃と相変わらず寒いが、今日は冬晴れの空だったので2時間ほど自転車に乗って来た。防寒ブーツを履いていても、寒さで徐々に足の指が痛くなる。 |
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気根を伸ばし、どこまでが一本の樹かわからないガジュマルの巨木。ジャックと豆の木を思わせるモダマの太いツル。カシの木の枝に着生したシマオオタニワタリは、渓流の傍で大きな葉を海藻のように揺らしている。 一方で道ばたにはオキナワチドリが小さな小さな花を咲かせ、海岸では生まれたばかりのオカヤドカリの赤ちゃんが爪の先程の貝殻を背負って歩いている。 夜の奄美の森に入れば、世界で一番美しいとも言われるダリの宝石のようなアマミイシカワガエルが道の真ん中でペタンと座り、遠い昔に進化する事をやめたアマミノクロウサギが、草むらから飛び出して車のヘッドライトに可愛い姿を浮かび上がらせる。 昼間に見ても存在感のあるヒカゲヘゴやガジュマルの巨木は、暗闇の中、ライトに照らされることで威厳と神秘的な美しさを放っている。そのままライトを消して闇の中にジッと耳をすませば、鳥たちのさえずりやカエルの鳴き声が聞こえてくる。夜の奄美の森は、人間以外の動物と植物が支配する世界。ちょっと恐くもあるけれど、ワクワクもするワンダーランドだ。 |
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奄美・沖縄の森と巨木の写真をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑奄美大島の宇検村にて、2012年4月22日に撮影。原生林かと思う新緑の森だが、奄美大島のほとんどの山は人が入り、手つかずの原生林は僅かしか残っていない。この急な斜面を耕した昔の人達のエネルギー、その後原生林かと見紛うばかりに成長した植物の生命力。信じる信じないではなく、神の存在を意識しなければ、この深い杜に分け入る事はできなかったのではないだろうか。 | ||
以下はキャプションです。 琉球弧の森と大樹 01 奄美大島・宇検村の新緑の森。(2012年4月22日) |
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クリスマス・イヴですね。You Tubeからロータリー・コネクションの「Christmas Love」。ヴォーカルはミニー・リパートンです。 | ||
衆議院選挙から、はや一週間が過ぎた。沖縄では自民党候補が全敗したが、なぜか比例区で全員ゾンビのように蘇って来た。この事については、三上智恵さんが連載の中で「世にも不思議なゾンビ議員〜全員当確の怪〜」と題して詳しく書いている。 昨年末、仲井眞知事が埋立て承認をした際の政府が提示した予算額について「ごね得」と口汚く言う人もいた。中にはたくさんの振興費を国から貰い軍用地料も支給されて、沖縄県民は優雅に暮らしていると思っている人も居るようだ。しかし沖縄県民の平均年収は日本で一番低く、最低賃金時間額も日本で一番低い677円だ。 ところで先に引用した沖縄大学人文学部准教授の樋口耕太郎氏のコラムの中に(社会は「豊かに」なったか?)と小見出しを付けて、「これまでの沖縄の「発展」のあり方を、虚心坦懐に見直してみよう。沖縄県政が本土復帰以来追い求めてきた「本土並み」とは、補助金とコンクリートで日本の平均を目指すという意味だった。選挙では辺野古の埋め立てに伴う環境破壊が問題になったが、沖縄は復帰以来海岸線を容赦なく埋め立ててきた歴史を持つ。結果として現在の沖縄本島で、嘉手納以南に自然のビーチは事実上残されていない」と書かれている。実際、海に囲まれた島でありながら、那覇に至っては目の前に臨海道路が迫って来る波の上ビーチが市内で唯一の海水浴場だ。開発は奄美群島でも同じ事で、コンクリートの護岸やテトラポットのない浜辺はとても貴重なものになっている。 |
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↑那覇市内で唯一の海水浴場、波の上ビーチ。2012年6月25日に撮影。 |
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福島第1原発4号機の核燃料の取り出しが一昨日終了した。建屋が爆発で大きく破損しており、プールに貯蔵されている核燃料が何かの事故で溶け出して放射性物質を放出しないか心配されていたが、これでリスクは随分小さくなった。 その福島第1で発生している多数の傷病者発生を、東電はほとんど公表せずという記事があった。公表しない事の以前に、その傷病者の数の多さに驚いた。記事によれば、今年4月1日〜9月23日までで熱中症32件、脱水症5件、体調不良18件、ケガ43件(骨折9件、縫合処置9件)、病院への搬送22回(救急搬送13回、業務車による搬送4回、ドクターヘリ3回、搬送方法不明2回)。過酷な現場である事は想像できるが、わずか半年でこれだけの傷病者は多すぎるだろう。東京新聞のリンクは切れているが、「安全二の次 事故頻発 未公表も多数 行程厳守プレッシャー」の記事がここで少し読める。 今日、辺野古の座り込みが3900日目を迎えた。 |
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↓写真は今年の4月19日に行われた、辺野古の座り込み10周年記念の集会。中央でマイクを持つのは嘉陽オジーこと嘉陽宗義さん。 | ||
昔、アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が東方の海の彼方(ニラーハラー)から久高島にきた。ところが久高島は東の波は西に越え、西の波は東に越え、海水の中にたゆたい、まだ島の形はなかった。そこでアマミヤが持参のシマグシナーと称する棒を立て、神に頼んで天から土、石、草、木を降ろしてもらった。それで久高島ができた。 |
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奄美から沖縄に続く琉球弧の、海と空と雲の写真を並べてPhoto Albumにしてみました。こちら。 | ||
↑奄美大島・瀬戸内町にある嘉徳集落の海岸。嘉徳は歌手・元ちとせの生まれシマ。奄美大島の人が住む集落の海岸で、コンクリートの護岸やテトラポットといった人工物がないのは、もはや嘉徳の浜くらいかもしれない。 | ||
以下は、写真のキャプションです。 琉球弧 海と空と雲と 01、02 加計呂麻島・西阿室から見る与路島。(2010年12月28日) |
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12月16日(火) |
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52.66%と戦後最低の投票率を更新した衆議院選挙から2日が経った。ちなみに富山の投票率は47.46%で青森、徳島に次いで全国で3番目に低かった。 自民横ばい、自公3分の2維持 民主は11増 |
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6月22日に撮影した、西表島・仲間川クルーズと日本一の板根を持つサキシマスオウのスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑板根だけで高さが4メートルほど有ると言われる、仲間川のサキシマスオウの木。↓仲間川。 |
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また積もった。早朝に除雪車が通って道路に雪はないが、除雪車のお土産が道ばたに小さく積もっている。玄関前から道路までの雪と、除雪車が置いて行ったお土産をスコップで隣りの田んぼに捨てる。雪かきをするのは、何十年ぶりかもしれない。今日の雪はサラサラで、重くないのが救いだろうか。 雪かきの後、衆議院選挙と最高裁判所裁判官国民審査に行った。住民票は2010年に神奈川から富山に移してあったので、2012年12月の衆議院選挙と2013年7月の参議院選挙は高岡市選挙管理委員会に不在者投票用紙を送ってもらい、那覇で不在者投票を行った。 富山で行われる選挙で投票所に直接入れに行くのは今回が初めて。投票入場券が届くまで家から歩いて5分ほどの町役場で投票するのかと思っていたら、歩いて20分ほどの所にある集落の公民館が投票場所だった。 靴下2枚履き、Tシャツの上にトレーナー、さらに長袖シャツとヨットパーカーを着て、白のダウンジャケット。マフラーをグルグル巻きにして手袋をはめて、頭には毛糸の帽子。コロコロの雪だるまのような格好に傘をさし、カメラをぶら下げて投票所へ向かった。 小学生の高学年から高校一年生くらいまで、新聞配達のバイトをしていた。今では考えられないが、朝起きてこんな雪の日にも自転車で或は歩いて新聞を配っていたのか。 |
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投票所から帰り、早めにお風呂に入って暖まる。コタツに入り、缶ビールを飲みながら夜中まで選挙速報を観る。 | ||
今日の午後、来週月曜日からスタートする写真展の設営をしてきた。 ○木原盛夫 写真展「獅子舞の日」 |
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↓今日、窓口業務が終わった16時半頃から設営して来ました。 |
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写真展に添えた説明文です。 ◯起源はインド 富山では豊作祈願や五穀豊穣への感謝として春祭り、秋祭りで行われる事の多い獅子舞ですが、全国的にはお正月などの縁起の良い日に、幸せを招くと共に疫病退治や悪魔払いとして舞われるようです。 ◯最初の獅子舞は16世紀初めの伊勢の国 日本での獅子舞の始まりは、16世紀初めに伊勢の国で飢饉、疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞わせたのが最初だと言われています。その後、17世紀に伊勢から江戸へ上り、悪魔を払い、世を祝う縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭り事で舞われるようになりました。 ◯獅子ごろし 福岡町の一区と二区の獅子舞は、町内をまわり終えた夜に天狗によって獅子ごろしが行われます。これは獅子そのものを倒すのではなく、獅子舞で各家々の災厄を祓った際に獅子に取り憑いた厄を取り除くと解釈できます。天狗によって倒された獅子は、その後災厄が消し去られて復活します。 ◯沖縄の獅子舞 沖縄でも獅子舞は、悪霊を祓い、弥勒世(ミルクユー・豊年の世の中)を招来し、五穀豊穣や地域の繁栄をもたらすとされ、十五夜(旧暦8月15日)や豊年祭の時に各地で行われます。また、八重山諸島の石垣島では旧盆行事(旧暦7月13、14、15日)の翌日に行われるイタシキバラ(獅子祭り)で獅子舞が踊られます。これはお盆が終わっても残っている迷い霊や悪霊を獅子舞で追い払い、地域住民の無病息災と繁盛を願うものです。 *参考文献 |
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↑展示した写真の中から8枚載せてみました。 |
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一番上左、越中八尾の曳山祭りにて。2010.5.3。 一番上右、福岡町二区。2014.9.10。 上から2段目左、福岡町一区。獅子ごろしの後、復活した獅子を天狗が拝殿に誘導する。2014.9.10。 上から2段目右、新湊の獅子舞。2010.5.15。 上から3段目左、城端の曳山祭りにて。2010.5.5。 上から3段目右、西表島・祖納集落の節祭(シチ)にて。2013.10.1 下段左、糸満市米須の十五夜にて。2013.9.19。 下段右、石垣市登野城のイタシキバラにて。2013.8.22。 |
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今日、仲井眞知事の退任式が行われた。「県民裏切りを許さないぞ」「県民の声を聞け」といった市民団体からの怒号が飛び交う中、県庁舎を後にしたようだ。琉球新報の記事、沖縄タイムスの記事、退任会見の全文。 |
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アマゾンに追加でポチっとしたインクとプリント用紙が、一昨日届いた。富山に帰って来てから買ったものは、プリント用紙とインクばかり。 橙色(金赤)と水色が上手く出ない。アチラをたてれば、コチラがたたず。プリンターの印刷設定を色々変えて、久しぶりにプリントと悪戦苦闘している。 ←一昨日届いた用紙とインク。 |
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6月21日に撮影した西表島・船浮集落と白浜集落のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑船浮集落にあるイダの浜。↓ウトウトと昼寝をしているような自動販売機。 |
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明日から特定機密保護法が施行される。安倍首相は盛んにこの法律は一般の人には関係ないのですと力説していたが「海外経験は漏えいリスク 秘密保護法で内調」と言う記事が出ている。 衆院選と同時に行われる最高裁国民審査について琉球新報が「沖縄密約、高江を判断 2氏、県関連で判決」と言う記事を掲載している。個人的に「鬼丸氏はことし6月、第2小法廷の裁判長として、東村高江での米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設現場で反対運動を続ける住民に対し、沖縄防衛局が通行妨害禁止を求めた訴訟で、国から訴えられた住民の上告を棄却した。山本氏も裁判官として関わった」という一文を参考にしようと思う。東村高江の反対運動は映画「標的の村」で。 「JTB、社員に公明党支援を要請 創価学会から依頼受け」。旅行業は国土交通省が所管しており、太田昭宏国交相は公明党公認で東京12区から立候補している。 |
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やっぱり積もった。巨大な雪だるまが作れそうだな・・・作らないけど。 | ||
6月20日に撮影した浦内川クルーズや古見集落のサキシマスオウの群落ほか、西表島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑古見集落にあるサキシマスオウの板根。↓路線バスの時間調整の間に撮った、由布島へ渡る水牛車。 |
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衆議院議員総選挙が一週間後に迫った。朝日新聞DIGITALの2014衆院選、朝日・東大共同調査[政党・候補者のスタンスは]が地域と地区を選択するだけで各候補者の主張がわかりやすく比較表示されて参考になる。 |
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冷えるな〜と思って窓を開けたら、もの凄い勢いで雪が降っていた。吹雪だ。今日の最低気温は1℃、最高気温は5℃。明日の予想は0℃と4℃なので、雪が積もるかもしれない。 | ||
正月を富山で過ごすのは5年ぶりだが、冬をまるまる富山で過ごすのは高校生の時以来なので35年以上ぶりだ。大丈夫だろうか・・・。 2日の午後にアマゾンでポチっとした商品が、今日届いた。プリント用紙やインク、ファイルの他に本が2冊。「沖縄文化論ー忘れられた日本/岡本太郎」(中公文庫)、「沖縄の歴史と文化/外間守善」(中公新書)。 |
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昨日、辺野古工事変更申請の承認阻止を求めて2200人が県庁を包囲して抗議を行ったが、仲井眞知事は退任4日前の今日、埋め立て工事の変更申請3件のうち、(1)中仕切り護岸の追加(2)仮設道路の新設―の2件を承認した。 ウソかホントか麻生太郎財務省が昨日、遊説先の香川県で「(アベノミクスで儲かっていない)経営者は能力がないか、運がないか。ほとんどの企業はもうかってますよ。2年前より悪くなっている会社がいたらぜひ教えて」と述べたそうだ。 10年前の昨日、初めてデジタル一眼レフを買ったのだった。そう思うと、色々あった10年でもあるし、あっという間の10年でもある。 |
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昨日は霰、今朝は雪。朝、窓を開けると向かいの家の瓦屋根に薄らと雪が積もっていた。富山市は昨日が初雪だったようだが、高岡市は今朝が初雪だろうか。雪を見るのは、やがて5年ぶりだ。寒い・・・さすがに湯たんぽだけでは過ごせなくて、昨日から石油ファンヒーターを使っている。 | ||
↑左は大粒の霰が降る昨日、右は瓦屋根に薄らと雪が積もっていた今朝。 |
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沖縄の日の丸の次は、沖縄の中のアメリカと言う括りで写真を並べてみた。こちら。 以下は、キャプションです。 |
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01 普天間飛行場のフェンス。(2012年7月14日) 02、03 夏祭りin那覇2012一万人のエイサー踊り隊。国際通りにて。(2012年8月12日) 04 普天間飛行場。那覇から関西空港へ向かう飛行機から。(2012年8月29日) 05、06 辺野古キャンプ・シュワブのフェンス(2012年9月17日) 07 嘗ては黒人街だった照屋一丁目界隈。辛うじて壁に直書きされたHOTEL PRINCEの文字が見える。(2012年9月23日) 08、09 那覇大綱挽。(2012年10月7日) 10 嘉手納(2013年1月24日) 11 普天間(2013年2月26日) 12、13、14 メモリアルデーの泊外人墓地(2013年5月27日) 15 慰霊の日の平和祈念公園。中央、両手を前で組んでいるのがジョン・ルース米駐日大使(2013年6月23日) 16、17、18、19 慰霊の日の平和祈念公園。(2013年6月23日) 20、21、22 辺野古の社交街、アップルタウン。(2013年10月12日) 23、24、25、26 伊江島行きのフェリーにて。(2013年11月9日) 27 伊江島にはアメリカ海兵隊の飛行場・演習場である、伊江島補助飛行場がある。 28、29、30 港川外人住宅 31 普天間を飛び立ったばかりの、オスプレイの隊長機。(2014年1月27日) 32、33、34 嘉手納(2014年2月28日) 35、36、37 2015年3月に返還予定の、西普天間住宅。(2014年3月19日) 38 西普天間住宅。(2014年3月29日) 39 北谷町。(2014年5月21日) 40 嘉手納。(2014年5月21日) |
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ポリタスが、沖縄県知事選の特集に続き衆議院選挙の特集を組んでいる。 | ||
12月は、土砂降りの雨で始まった。天気予報によれば、明日の富山の最高気温は6℃。しばらく荒れた天気が続くようだ。 先月10日に高倉健さんが亡くなられたばかりだが、今日は菅原文太さんの訃報が伝えられた。日本を代表する大物俳優が相次いで逝去されて、なんだか昭和がまた一歩遠くになった気持ちがする。 ちょうど一月前に開催された、翁長雄志氏の支援団体による「オナガ雄志 うまんちゅ 1万人大集会」での菅原文太さんの演説が、You TubeにUPされている。こちら。「政治の役割はふたつあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」「沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。辺野古もしかり!勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ」。演説の全文がこちらにあります。 |
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米軍のキャンプで、祭祀の中で、政治運動の中で。沖縄に住んだ2年ほど日の丸を目にした事はなかった。 沖縄の歴史を振り返ると、琉球王国時代から廃藩置県後の琉球処分で大和世(やまとゆ)に。その後、太平洋戦争で激しい地上戦が繰り広げられた戦世(いくさゆ)を経て、アメリカ軍政下に置かれたアメリカ世(あめりかゆ)となった。そして1972年に日本復帰を果たす。この繰り替えされた世替わりは、沖縄に様々な矛盾を生んだ。その矛盾の中に日の丸もあったように思う。意識して、あるいは意識せずに写した沖縄の日の丸の写真をPhoto Albumにしてみた。こちら。 以下は写真のキャプションです。 |
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01 本島北部、大宜味村の塩屋湾で開催されるウンガミ(海神祭)。湾に浮かぶ爬龍船。(2012年9月11日) 02 神人による御願の後、御願バーリーが行われる。(2012年9月11日) 03 爬龍船のスタートに合わせて女性たちが海に入り御願をする。海の中で踊り、水を掛け合いながら到着する爬龍船を迎える。(2012年9月11日) 04 糸満市で開催された「おきなわ豊かな海づくりフェア in 糸満」のために来県された天皇皇后両陛下を歓迎する、天皇陛下奉迎大パレード。日本会議のホームページには7000名が参加したとされるが、記事として県内のメディアで大きく扱われた印象はない。(2012年11月18日) 05 緑ヶ丘公園からスタートし、国際通りを歩く。(2012年11月18日) 06 後ろの建物は新しい那覇市役所。2012年12月18日に本庁舎竣工、22日に落成式となっているので、まだ完成前だ。(2012年11月18日) 07 この大パレードが行われることは、市内を走る宣伝カーで知った。テレビや新聞といったメディアでの告知は見なかった。 08 パレードの終点である奥武山公園から、対岸の両陛下がお泊まりになっているホテルに向かって旗を降る参加者。 09 オスプレイ配備反対、米軍基地の撤去を求める「御万人大行進 愛と怒りのサウンドパレード」。抗議集会が行われた宜野湾海浜公園を出て直ぐ、参加者にヘイトスピーチが浴びせられた。(2012年12月23日) 10 大山ゲートへ向かうサウンドパレードのトラックと、街宣車がすれ違う。(2012年12月23日) 11 旧正月の2日目、フナウクシ(舟起こしと言った意味だろうか)。粟国島の大信丸の船長さんが、船の上から塩を撒き安全祈願をする。船には松、日の丸、大漁旗、万国旗が飾られている。(2013年2月11日) 12 メモリアルデー(アメリカの戦没将兵追悼記念日)の泊外人墓地。(2013年5月27日) 13 メモリアルデーの式典が終わった後、退役軍人と思しき二人の男性が星条旗と日の丸を下ろした。(2013年5月27日) 14 平和祈念公園での慰霊の日の式典。献花を終えて席に戻る安倍首相。(2013年6月23日) 15 祭壇に献花をするジョン・ルース米駐日大使(左端)。(2013年6月23日) 16 式典の後、一般参加者の焼香が行われた。(2013年6月23日) 17 与那原の大綱曳き。雌綱の頭に飾られた日の丸。(2013年8月4日) 18 久高島の祭祀・八月マティの最終日に行われたテーラーガーミの儀式。テーラーは太陽、ガーミは神で太陽神となる。太陽の霊威を受けた大主ウプシュ(50~70歳の男)が島を祓って歩く。 19 ウプシュの持つ日の丸の扇には、ティルルが書いてあった。(2013年9月16日) 20 テーラーガーミの最後の儀式は、イザイホーの祭場として知られる久高御殿庭で行われた。神女が見守る中、外間根人とウプシュが一列にならんでティルルを歌う。(2013年9月16日) 21 池間島のミャークヅツ(豊年祭)あら日(初日)。ムトゥ(元家)にてミルク酒(泡盛のコンデンスミルク割り)を飲み、長老の前で踊りを披露する男性。池間島には4つのムトゥがあり、写真は前里ムトゥ。他のムトゥにも万国旗が飾られていた。(2013年9月25日) 22 池間公民館前の広場に日の丸の旗が立てられ、この旗を中心にクイチャーが踊られる。(2013年9月25日) 23 宮古島西原のミャークヅツ。西原は池間島から分村した人達の村。ナカマ御嶽からジャーまで男たちのパレードが行われる。黒の背広を着ている男性は、今年からミャークヅツに参加できる年齢になった初親(ハツウヤ)。初親になる年齢は、池間島が数え年で55歳、西原が50歳。(2013年9月26日) 24 パレードの所々で立ち止まり、クイチャーが踊られた。(2013年9月26日) 25 白い神衣の神司を中心に、女性たちが日の丸の扇を手に持ってパレードの男たちをジャーに続く路地へ導く。(2013年9月26日)*ジャーは沖縄本島で言うミャー(庭)と思われる。いわゆるアシビナー(遊び庭)だろうか。 26 伊良部島佐良浜地区のミャークヅツ。佐良浜も池間島から分村した人達が移住して出来た地区だ。真謝ムトゥから本村(池間添)ジャーへ向かう男たち。青い服の男性が初親。佐良浜の初親は本村が47歳、仲村が50歳となっている。(2013年9月27日) 27 仲村(前里添)ジャーのニガイ。後ろに並ぶ女性が仲村の神司。(2013年9月27日) 28 本村ジャーのニガイ。ニガイの後、仲村、本村それぞれのジャーでクイチャーが踊られる。(2013年9月27日) 29 本島北部、久志集落で行われたカジマヤー祝いのパレード。カジマヤーは数え年で97歳の長寿を祝う行事。(2013年10月12日) 30 旧正月の前日、久高島の外間殿で日の丸の旗を用意する郵便局長さん。(2014年1月30日) 31 元旦の日の朝。日の丸の旗を揚げた久高ヌル殿内。(2014年1月31日) 32 元旦の儀式が行われている外間殿。二人ずつ殿に上がり神人からシャクトゥイ(盃事)を受け、シャクトゥイが済んだ者はミャー(庭)でカチャーシーを踊る。(2014年1月31日) 33 久高島で一番古いムトゥと考えられている大里家(ウプラトウ)の拝殿。(2014年1月31日) 34 元旦の久高島漁港。対岸の島影は沖縄本島。(2014年1月31日) 35 辺野古埋め立て承認に関する仲井眞知事への証人喚問が行われた日。傍聴席に入りきれなかった人達は、議会棟1階のロビーで中継を見守った。(2014年2月21日) 36 キャンプ・ハンセンのゲート前に広がる、金武社交街入り口。(2014年5月6日) 37 浦添市にあるキャンプ・キンザー。(2014年5月21日) 38 久米島博物館の展示。(2014年6月11日) 39 有人島としては日本最南端の波照間島にある日本最南端之碑。(2014年6月26日) |
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*日本の国旗 *沖縄とは何か「日の丸焼き捨て事件」の知花昌一さんに聞く |
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