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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表

○木原盛夫 写真展「獅子舞の日」
*富山(福岡・新湊・越中八尾・城端)、沖縄(沖縄本島・石垣島・西表島)の獅子舞
2014年12月15日(月)〜2015年1月30日(金)
富山第一銀行 福岡支店(タピス内)ロビーにて展示。平日9時〜15時、土・日・祝日休み

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三月あしび 那覇市鏡水地区 旧暦3月4日
ピージャーオーラサイ
 瀬底島(5月のGWと11月の年2回)
多良間島ピンダアース (5月、10月を予定)
伊是名村 旧6月綱引き(ウンナー) 7月22日(月)・27日(土)・8月1日(木)・3日(土)
鳩間島豊年祭 旧暦6月(新暦7月中旬―8月上旬)の3日間。
与那国島祖納豊年祭 旧暦6月の辛の日に行われることが多い。
石垣島四ヶ字豊年祭 旧暦6月の癸、甲(新暦の7月中旬-8月上旬頃)
西表島(干立・祖納)豊年祭 旧暦6月の甲の日に行われることが多い。
黒島豊年祭 7月下旬から8月上旬を予定(新暦7月の最終日曜日、またはその前後の日曜日)
西表島船浮豊年祭 7月中旬から8月上旬の間。日曜日に行われることが多い。
安田のシヌグ 旧暦7月初亥の日
小浜島の旧盆(ソーラ) 旧暦7月13日〜17日。メインは15日深夜〜16日早朝
白保の獅子舞 旧盆
波照間島のムシャーマ 旧暦7月14日お盆の中日
アンガマ 旧盆
石垣島のアンガマトゥズミ
宮良のイタシキバラ 旧暦7月16日
多良間の八月踊り
 旧暦8月8日
竹富島の世迎い 旧暦8月8日
当銘・小城の龕のまつり  旧暦8月10日
とぅばらーま大会  旧暦8月13日
竹富島の十五夜祭 旧暦8月15日
土地公祭 旧暦8月15日頃
宮古島・砂川豊年祭狩俣十五夜祭り野原のマストリャー 旧暦の8月15日
汀良町十五夜獅子舞 旧暦8月15日
池間島のミャークヅツ記事1 記事2 記事3 記事4 記事5旧暦の8〜9月の3日間
西原のミャークヅツ
佐良浜のミャークヅツ
カジマヤー 旧暦9月7日
石垣島・川平 マユンガナシ
小浜島の結願祭 10〜11月頃予定
西表島の節祭 10〜11月頃予定
竹富島の種子取祭 10〜11月頃予定
ハロウィン仮装コンテスト アメリカンビレッジ
浦添市小湾 アギバーリー道ジュネー 1月3日
南城市大里 ミーミンメー 記事 旧暦4月1日

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima 
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

12月31日(水)

 午前中はパソコン作業。午後から少し部屋を片付けて、お風呂に入り、年越しそばを食べた。今日はもうパソコン作業を終了にして、コタツに入ってテレビを観ながら日本酒。
片付けた部屋
 今年もアニー・ディフランコを、繰り返しよく聴いた。「Your Next Bold Move - Ani DiFranco」。

良いお年を!

12月30日(火)

 今年も残すところ、あと一日になってしまった。
 暮れの寒い時期に何ですが、すでに夏真っ盛りだった6月23日に撮影した、小浜島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
フェリーからの小浜島
↑西表島の大原港から波照間島に向かう予定だったが、天気は良いのに波の高い日が続いて波照間島へのフェリーは連日欠航。一旦、小浜島に渡る事にした。写真は、大原港から乗船したフェリーが小浜島に着くところ。

 大瀧詠一さんが亡くなって一年ですね。昨年の大晦日、午前中の情報番組を観ていて突然飛び込んで来た訃報に驚いた。リンゴをつまらせたって・・・白雪姫のような人だな〜と思ったり。大瀧さんが作ったポップスの金字塔をYou Tubeから。色んな人がこの曲を歌っているけれど、吉田美奈子バージョンで。「夢で逢えたら」。そして大瀧さんが影響を受けたフィル・スペクターの代表曲、ロネッツの「Be My Baby」。
大瀧さんとロニー・スペクター
↑左が大瀧詠一さん。1995年4月5日に撮影。右がロネッツのリードボーカル、ロニー・スペクター。1999年3月1日撮影。

12月28日(日)

 沖縄には神が降りる場所として、御嶽(ウタキ)と呼ばれる聖所がある。沖縄と同じく姉妹(ウナリ)が兄弟(イヒリ)を守護するというウナリ神信仰を持ち、琉球の文化を色濃く残す奄美群島では、御嶽に代わるものとして、おがみ山(うがん山ともオボツ山とも呼ばれる)が存在する。神はおがみ山に降り、カミミチ(神道)を通って祭祀の行われるアシャゲ(沖縄で言う神アサギ)へと向かう。 
 海の方に転じれば、集落の沖には立神(タチガミ)と呼ばれる大きな岩が浮かんでいる。海の彼方にあるネリヤカナヤ(ニライカナイと同義で、豊穣をもたらす神がいる楽園)からの神が訪れる時に、最初に足を着ける岩だと言われている。

 岡本太郎が『沖縄文化論』(中公文庫)で書いている御嶽についての文章が美しく、示唆に富んでいる。
 はじめは清らかに単純だ。美しくしずまった森。神託によって定められた聖域が氏族生活の中心だ。その秘めた場所に、ひそかに超自然のエネルギーがおりてくる。それにつながり、受けとめることをぬきにして、彼らの生活の原動力を考えることはできない。
 そびえたつ一本の木。それは神がえらんだ道。神の側からの媒体である。この神聖なかけ橋に対して、人間は石を置いた。それは見えない存在へ呼びかける人間の意志の集中点、手がかりである。
 自然木と自然石、それが神と人間の交流の初源的な回路なのだ。
 この素朴な段階でこそ、神と人間は相互に最も異質でありながら、また緊密だった。人間は神を徹底的に畏れ、信じた。
(神と木と石)より

 私を最も感動させたものは、意外にも、まったく何の実体も持っていないーーといって差支えない、御嶽だった。
 御嶽ーーつまり神の降る聖所である。この神聖な地域は、礼拝所も建っていなければ、神体も偶像も何もない。森の中のちょっとした、何でもない空地。そこに、うっかりすると見過ごしてしまう粗末な小さい四角の切石が置いてあるだけ。その何もないということの素晴らしさに私は驚嘆した。
(「何もないこと」の眩暈)より

 そして日本の古代の神も御嶽ように、なにもない空間ではなかったのか。ところが今日の神社と呼ばれるものが、いかつい鳥居が建てられ、イラカがそびえ、コケオドシが造られて神聖感から遠のいていると嘆く。
 また沖縄の御嶽もいつの間にか入り口に門構えが出来たり内地風の鳥居まで建ち始めて、素朴な信仰から国家権力を背景にしたいかめしい神社に至るまでの、日本神道の経て来た道と同じ道を辿っていると語る。

 尚、日本による御嶽の神社化については『母たちの神/比嘉康夫』の中で、海邦市民センター代表理事 ・後田多 敦氏が、「日本は沖縄統治政策の一環で、教育による「日本化」を積極的に押し進めるのと同時に、琉球の祭祀の再編を画策し続ける。1882(明治15)年に沖縄に派遣された参事院議官補の尾崎三良は、聞得大君の祭祀空間でもある聞得大君御殿を官弊社に列し天皇の体系に組み入れようと考え、外にも琉球の祭祀にとって重要な「火の神」を天照大神と関連づけようとする提案などもあった。琉球の祭祀の対象を日本の神々と結びつけて行く仕掛けだ。また、昭和初期に琉球の祭祀を研究し、沖縄県にも勤めた鳥越憲三郎は、祭祀空間の一つ御嶽を神社に作り変えようと主導したりした。
 八重山では昭和期に女神官らが戦勝祈願に駆り出され、御嶽が戦勝祈願の場として使われたりした。このような祭祀の再編、天皇の体系との結合の試みは沖縄戦まで続く。日本は琉球国のために存在していた琉球の祭祀空間、祭祀対象、司祭者などを、改変して日本の祭祀と関連づけ、日本(天皇)のための祭祀へと転換させようとしたのである。
」と述べている。

 奄美・沖縄で暮らした4年間に御嶽、おがみ山、立神、カミミチ、神アサギ、トネヤなど神が降り・通り・集った場所を訪ねて歩いた。それは神々の足跡を探した記録でもある。そんな写真をPhoto Aibumにしました。こちら

奥武島の御嶽
↑南城市奥武島の御嶽。岩肌にガジュマルの気根が絡まり、袂には石の香炉が一つ置いてある。

以下はキャプションです。

琉球弧 神々の足跡

01 奄美市名瀬のおがみ山(うがん山、おぼつ山とも呼ばれる)。おがみ山は、沖縄の御嶽にあたる。名瀬のおがみ山は、伊津部ノロの神山だと言われている。(2012年1月1日)
 名瀬の中央に突き出た山がおがみ山。島人たちの心のよりどころで、御神山か、拝山かでにぎわった山であるが、名瀬の古い人たちは漢字とは関係なくうぐわん山といっていたようだ。「うがん山」か「うぐわん山」かはさておき、見ただけで神山としての山容をそなえている。大正の末頃まではこの山頂の草むらに小さな自然石があった。どんな神であったかはわからないが、ここが伊津部ノロの神山であったことを考えれば、これがいわゆるイビであったのではなかろうかと思われる。
『奄美の伝説・日本の伝説23/島尾敏雄・島尾ミホ・田畑英勝』(角川書店)ー三日打ちごもりーより 
02 おがみ山から見た名瀬市街。(2010年10月2日)
03 名瀬の立神。立神は集落の沖にある小島で、ネリヤカナヤ(海の彼方の理想郷)から神様が訪れる際に一番最初に足を乗せる場所と言われている。名瀬の立神には灯台が建っている。(2010年8月11日)
04 名瀬の立神。奄美少年自然の家から撮影。(2010年10月7日)
05 奄美大島・大和村今里の立神。(2010年8月11日)
06 ユタ神・阿世知照信氏による今井大権現祭にて。沖に浮かぶのが奄美大島・龍郷町安木屋場集落の立神。防波堤で海岸と繋がっている立神は珍しい。(2011年10月5日)
07 奄美大島・瀬戸内町西古見集落の三連立神。(2011年11月2日)
08 加計呂麻島・阿多地集落のアシャゲとデイゴの巨木。アシャゲは沖縄で言う神アサギで、ノロが祭祀を行う場所。平成26年8月の集落人口は4世帯5人となっている。(2011年3月28日)
アシャゲとトネヤ
 大島の各部落にはその中央部に必ずミャという広場があって、最初は宮の意味であったが、後には庭または広場の意味にも用いられるようになった。アシャゲはこのミャの傍に建てた方形の小屋で、多くは四方三本ずつ八本の低い柱の上に茅葺きの屋根を載せただけで、壁も床もない簡単な掘建小屋である。
~略~
 宮城真治氏の解釈によれば、アシャゲは特定の祭礼の日に神々が神職に憑いて光臨し、氏子より饗応を受けもしくは神遊びをする所である。神遊びというのは、神が神職に憑いて神歌を謡い神舞を踊ることで、神自身としての歓喜であり、それによって部落が祝福されたものである。後世神と神職とを区別して考えるようになって、神遊びは神職が神を歓待するための遊びであると解するようになった。が、古くは神自ら姿を表わして歌舞し給うものと信ぜられていた。
 そうして見ると、アシャゲは氏子がそこで氏神を祀る所であるから、大島にはノロが現われる前から村杜もしくは氏神社として存在したものと思われる。今でも時たまアシャゲの隣りにトネヤというのを見受けるが、このトネは里の刀禰のことで、里の長を意味し、トネヤは刀禰屋で里の長の住宅を意味するから、ノロが神職として任命されない以前は里の長老がアシャゲで氏神を祀ったことがわかる。従って里の長老は里の政事と祭事の大元締であったのだ。こう考えると琉球文化の波及以前大島の部落民達は自然発展的な祭政一致の共同社会を形成し、琉球王の祭政一致再組織化を受けるまでは、わが国原始社会の姿をそのまま保持し続けたものと思われる。
 古代においては部落は多く山頂や山腹にあったのが、産業上の利便から後世平地に移るようになったことは、里(山手)とか金久(海岸より)とかいう名称によって知られる。アシャゲも部落とともに最初は山手にあったのが、部落の膨張に伴い、後にはその中央部もしくは海岸寄りに移動した形跡のあるのは、部落の発展過程を示すものとして面白い事実である。
 各部落には必ず一つか二つかのアシャゲがあって、部落の祭事はたいていそこで行なうことになっているが、また広場で何かの催し物でもある時は、その桟敷にも使われる。平日はその中で稲をこいだり乾した藁を積んだりしている。祭礼の時にはアシャゲの周囲を例のサデ(手網)で張りまわしたこともある。
『大奄美史』より

*2010年度南西日本プログラム 奄美調査報告書http://www.kisc.meiji.ac.jp/~jkodaken/jpn/activity/publication/pdf/kodaigaku_vol3/amami.pdf
09、10 加計呂麻島・実久集落のアシャゲ。平成26年8月の集落人口は16世帯27人。(2011年2月9日)
11 加計呂麻島・実久集落の、もう一つのアシャゲ?今帰仁村歴史文化センターのサイトhttp://rekibun.jp/kakeroma.htmlには、フードネとコドネと記されている。(2011年2月9日)
12 加計呂麻島・薩川集落の、アシャゲとトネヤ。平成26年8月の集落人口は35世帯59人。(2011年2月9日)
13 薩川集落のアシャゲにあるカマド。(2011年2月9日)
14 薩川集落のカミミチ(神道)。鳥居の先がおぼつ山(神山)に通じている。(2011年2月9日)
15 加計呂麻島・瀬武集落のアシャゲ。平成26年8月の集落人口は23世帯、31人。(2011年2月9日)
16、17 建物の中に刀禰屋(トネヤ)と書かれているが、アシャゲだろうか?加計呂麻島・芝集落。平成26年8月の集落人口は50世帯71人。(2011年2月22日)
18 加計呂麻島・武名集落のアシャゲ。平成26年8月の集落人口は8世帯9人。(2011年2月22日)
19、20 加計呂麻島・三浦集落のアシャゲ。建物の中に大根が干してあった。平成26年8月の集落人口は11世帯16人。(2011年2月22日) 
21 加計呂麻島・須子茂集落のアシャゲ。平成26年8月の集落人口は13世帯18人。(2011年2月3日)
22 須子茂の集落内にあるカミミチ(神道)。(2011年2月3日)
 神山から祭場であるアシャゲに達する道はカミミチと呼ばれる。この道をとおって神は降臨されるのであるから、神聖な道であるとされている。於斉部落では、このミチはクワバンと呼ぶ祭りに使用されていて、部落の人々が通ると神に突き当たるといわれる。俵部落では、このほかにカミミチで不浄なことをするのが禁じられていて、於斉部落でも俵部落でも常の日に通ることは禁じられている。他の部落でも若干の差違はあるが、神聖視されていることには変わりない。『奄美の島 かけろまの民俗/鹿児島民俗学会編』(第一法規)より
23 須子茂集落の、もう一つのアシャゲ。(2011年2月3日)
24 須子茂集落のイビガナシ。横にある説明板には「イビガナシ 須子茂には二ヶ所のアシャゲとトネヤがある アシャゲの隣に建っている石灰石の自然石がイビと呼び島立神として集落を守っている神様であり昔は茅葺きのアシャゲが神事の中心でありホボツ山から神が降りてきて人家の中を通りアナタリのアシャゲに歩いて行ったと言う。六十五歳以上の女性全員が神人で祭りを行っていた。」と書かれている。(2011年2月3日)
25 加計呂麻島・嘉入集落のアシャゲ(手前)とトネヤ(奥)。平成26年8月の集落人口は11世帯13人。(2011年2月3日)
26、27 昭和33年に建てられた、奄美大島・宇検村、阿室集落のアシャゲ。加計呂麻島にはアシャゲがいくつか残っているが、奄美大島では阿室集落が唯一かもしれない。トネヤは大熊集落の他、いくつか存在する。(2012年4月10日)
28 沖縄・南城市の斎場御嶽(せーふぁうたき)。琉球王国最高の聖地で、聞得大君の就任式が行われた。御嶽の中には、六つのイビ(神域)があり、中でも大庫理・寄満・三庫理は、いずれも首里城内にある建物や部屋と同じ名前を持っている。写真は寄満(ユインチ)。(2012年7月15日)
29 斎場御嶽(せーふぁうたき)。三庫理(サングーイ)。(2012年7月15日)
30 三庫理の奥にある遥拝所から、久高島を眺める。(2012年7月15日)
31 沖縄・久高島のイシキ浜へと降りる道。イシキ浜は、五穀が入った壷が流れて来たとされる伝説の場所。ここから久高島、沖縄本島へと穀物が広まったとされている。(2013年9月17日)
 毎年旧暦の四月と九月に来訪するニラーハラーの神々はこのイシキ浜からシマに上陸し、神船はこの浜に係留されると考えられている。「日本人の魂の原郷 沖縄久高島/比嘉康夫」(集英社)より
32 イシキ浜へ降りる途中にある御嶽。(2013年9月17日)
ここがニラーハラーの最高神の一神<東リ大主・アガリウプヌシ>の神職者が司る御嶽である。
久高島の伝承では、この御嶽は、ニラーハラーから神々が神船に乗って来訪するときに、最初に上陸した地点といわれる。~略~毎年旧暦の四月と九月に来訪するニラーハラーの神々はこのイシキ浜からシマに上陸し、神船はこの浜に係留されると考えられている。
「日本人の魂の原郷 沖縄久高島/比嘉康夫」(集英社)より
33 琉球開闢の祖神であるアマミキヨ(アマミク)が初めて降り立った地といわれる、久高島のカベールへと続く道。(2013年9月17日)
34 斎場御嶽と並ぶ琉球七御嶽の一つ、久高島のフボー御嶽入り口。(2013年9月17日)
35 沖縄・南城市の奥武島。観音堂の隣にある御嶽。(2013年6月11日)
奥武島(おうじま)−いずれも沖縄県にある島である。かつて死者を弔った場所であったと云われており、いずれも崇められている。かつての沖縄では、人が死ぬと海岸のすぐ沖の小さな島に船で遺体を運んで、洞窟へと安置する葬送の習慣があった。洞窟の中が黄色い光に満たされていたことから、この島を「青(オウ)の島」(黄色のことを「青」とよぶ場合があった)とよんでいたとされ、そこから「奥武(オウ)の島」と書かれるようになったとされる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/奥武島
36 南城市奥武島の竜宮神。(2013年5月4日)
37 沖縄・うるま市、浜比嘉島の東(アガリ)の御嶽。(2014年5月3日)
38 伊是名島・諸見集落の神アサギ。伊是名島は尚円王の生まれ島。(2013年4月2日)
39 伊是名島・伊是名集落の神アサギ。(2013年4月3日)
40 沖縄本島北部・安田集落の神アサギ。(2013年8月13日)
41 渡名喜島のヘーバラガニク(神様の休憩所)。シマ最大の祭祀、シマノーシの初日はここで神人による神迎えが行われる。台風により枝が折られ葉っぱが落とされたが、元々は小さな杜のようだ場所だったようだ。(2013年6月7日)
42 竹富島のニーラン神石。(2013年7月25日)
その昔、ニライカナイからニーラン神が 舟に幾種かの種子を満載してこのニーラン石にとも綱をかけ、 そこから五穀の種子を抱き下ろし、幸本御嶽にあるクックバーから これらの種子を八重山全体に等しく分配したと伝えられている。
http://www.taketomijima.jp/FAQ/osusumearuki.html
43 豊年祭の2日目、トゥヌイプイの早朝にニーラン神石を拝む竹富島の神司と村の役員。(2013年7月26日)
44 種子取祭の奉納芸能初日、カミミチを歩く神司と村の役員。(2012年11月25日)
45 鳩間島の友利御嶽。(2013年7月20日)
46 池間島のウハルズ御嶽。普段はこの鳥居より先は、神司の承認がなければ集落の人間も入れないが、ミャークヅツの期間は誰でも入る事ができる。(2013年9月25日)
47 ウハルズ御嶽の鳥居から中へ。奥には小さな拝殿があり、その横には砂が盛られた土俵のような場所があった。砂の中にはたくさんの香炉が埋められている。この香炉について「母たちの神/比嘉康夫」の写真キャプションには「香炉は第2次大戦時、出征兵士によって奉納された。」と書かれている。(2013年9月26日)

冬晴れの立山連峰
移動した家

 最低気温−3℃、最高気温7℃と相変わらず寒いが、今日は冬晴れの空だったので2時間ほど自転車に乗って来た。防寒ブーツを履いていても、寒さで徐々に足の指が痛くなる。
 先月、隣の敷地に建物ごと移動するため、壁のアチコチに鉄骨を刺されていた家は無事に移動が済んだようだ。
 クリスマスが終わると、一気に年の瀬のムード。テレビも特番ばかり。
 明日から、また天気は荒れ模様のようだ。

 12月24日(水)

 気根を伸ばし、どこまでが一本の樹かわからないガジュマルの巨木。ジャックと豆の木を思わせるモダマの太いツル。カシの木の枝に着生したシマオオタニワタリは、渓流の傍で大きな葉を海藻のように揺らしている。
 一方で道ばたにはオキナワチドリが小さな小さな花を咲かせ、海岸では生まれたばかりのオカヤドカリの赤ちゃんが爪の先程の貝殻を背負って歩いている。
 夜の奄美の森に入れば、世界で一番美しいとも言われるダリの宝石のようなアマミイシカワガエルが道の真ん中でペタンと座り、遠い昔に進化する事をやめたアマミノクロウサギが、草むらから飛び出して車のヘッドライトに可愛い姿を浮かび上がらせる。
 昼間に見ても存在感のあるヒカゲヘゴやガジュマルの巨木は、暗闇の中、ライトに照らされることで威厳と神秘的な美しさを放っている。そのままライトを消して闇の中にジッと耳をすませば、鳥たちのさえずりやカエルの鳴き声が聞こえてくる。夜の奄美の森は、人間以外の動物と植物が支配する世界。ちょっと恐くもあるけれど、ワクワクもするワンダーランドだ。

 奄美・沖縄の森と巨木の写真をPhoto Albumにしました。こちら
奄美大島・宇検村 新緑の山
↑奄美大島の宇検村にて、2012年4月22日に撮影。原生林かと思う新緑の森だが、奄美大島のほとんどの山は人が入り、手つかずの原生林は僅かしか残っていない。この急な斜面を耕した昔の人達のエネルギー、その後原生林かと見紛うばかりに成長した植物の生命力。信じる信じないではなく、神の存在を意識しなければ、この深い杜に分け入る事はできなかったのではないだろうか。

以下はキャプションです。

琉球弧の森と大樹

01 奄美大島・宇検村の新緑の森。(2012年4月22日)
02 奄美大島・宇検村の新緑の森。(2012年4月8日)
03、04 奄美大島・金作原原生林のヒカゲヘゴ。(2012年4月8日)
05 奄美大島・崎原の田原集落にある滝。(2012年5月24日)
06 奄美大島・湯湾川のシマオオタニワタリ。(2011年4月24日)
07 奄美大島・龍郷町、長雲峠から円集落へ続く古道にてオオタニワタリやシダが着生してジャングルのようになっているオキナワウラジロガシ。(2012年2月26日)
08 奄美大島・龍郷町、市理原のオキナワウラジロガシ(2012年1月22日)
09、10 市理原の締め殺しの木(アコウ)。(2012年1月22日)
 絞め殺しの木は着生植物として成長を始める。多くの場合種子は鳥によって散布され、宿主となる植物の樹上の幹の表皮の割れ目などに落ちて発芽する。種子が発芽すると、その苗は地面へと根(気根)を伸ばして地表に達すると幹として太くなり、さらに多くの根が宿主の表面を覆うようになる。その一方、枝は上方へと成長して宿主の樹冠を超え、日光を得る。
「絞め殺し」の結果として宿主側の植物が枯死した場合には、絞め殺しの木の中心部分(宿主植物があった部分)が円筒形の空間となり、しばしば空いたまま残る。
11 市理原の締め殺しの木(アコウ)の内部。(2012年1月22日)
12 奄美大島・住用、市から青久に通じる林道脇のガジュマル。(2012年4月18日)
13 加計呂麻島・武名集落のガジュマル。(2011年2月22日)
14 加計呂麻島・於斉集落のガジュマル。(2010年12月22日)
15 奄美大島・住用、モダマの巨大な根。(2011年4月24日)
16 モダマの蔓。(2011年4月24日)
17 奄美大島・龍郷町、安木屋場集落のガジュマルとソテツの群落。(2011年10月26日)
18 奄美大島・住用のマングローブ原生林。(2010年7月11日)
19、20 奄美大島・瀬戸内町、須佐礼の海岸にあるサキシマスオウ。板根の高さは2メートルほどか。(2012年4月18日)
21、22 喜界島・手久津久集落のガジュマル。(2011年5月14日)
23 喜界島・手久津久集落のガジュマル。(2011年7月7日)
24 喜界島・花良治集落のガジュマル。(2011年5月15日)
25、26、27 奄美大島・大和村の紅葉。亜熱帯の島では紅葉は見られないと思われがちだが、シマサルスベリ、イヌビワ、アコウなどが色付く。(2012年1月21日)
28 沖縄・首里、金城町のアカギ。(2012年8月14日)
29 沖縄・浜比嘉島、東の御嶽のガジュマル。(2014年5月3日)
30、31 西表島・古見集落にあるサキシマスオウの板根。(2014年6月20日)
32、33、34 西表島・仲間川にある日本一の板根を持つサキシマスオウ。樹齢400年、板根の高さは4メートルほどと言われている。(2014年6月22日)

 クリスマス・イヴですね。You Tubeからロータリー・コネクションの「Christmas Love」。ヴォーカルはミニー・リパートンです。

12月22日(月)

 衆議院選挙から、はや一週間が過ぎた。沖縄では自民党候補が全敗したが、なぜか比例区で全員ゾンビのように蘇って来た。この事については、三上智恵さんが連載の中で「世にも不思議なゾンビ議員〜全員当確の怪〜」と題して詳しく書いている。
 ともあれ11月の沖縄県知事選と今回の衆議院選で、沖縄県民は辺野古の新基地建設反対の人を選んだ。すると「辺野古移設反対の候補が当選しても影響しない」としていた沖縄振興費の減額が検討され始めた。これは、露骨な経済制裁だろう。
  選挙で民意を問うと言いながら、自分の思うような結果が得られなければ制裁を課す。その一方で原発が立地する自治体を対象とする電源3法交付金について「原発再稼働の自治体に重点配分」することが検討されている。札束による飴と鞭の使い分け。こんな人達が道徳の必要性を説いているって、ギャグだろうか。
 県知事選と衆議院選を通して沖縄は辺野古に新基地は作らせないと言う意思表示を示したにも拘らず、県外検討は時間の浪費とし、辺野古が唯一の解決策だとする安倍首相。経済政策も「この道しかない」とアベノミクスを推し進めて行く。しかし「唯一」や「この道しか」という言葉に、政治家としての頭の固さと能力の限界が表われてはいないだろうか。或は怠慢とも言い換えられるか。

 昨年末、仲井眞知事が埋立て承認をした際の政府が提示した予算額について「ごね得」と口汚く言う人もいた。中にはたくさんの振興費を国から貰い軍用地料も支給されて、沖縄県民は優雅に暮らしていると思っている人も居るようだ。しかし沖縄県民の平均年収は日本で一番低く最低賃金時間額も日本で一番低い677円だ。
  もちろん沖縄にも高収入な人はたくさんいる。トリニティ株式会社代表取締役社長/沖縄大学人文学部准教授の樋口耕太郎氏の【総選挙2014】沖縄から基地がなくならない本当の理由:沖縄選挙区で投票する前に考えたいことと題されたコラムの「県内格差の構造」「悪意なき独占」にその要因の一つが提示されている。
 奄美群島にも沖縄と同じように振興予算が配られている。個人的には沖縄と奄美への振興予算は、戦中・戦後の賠償と言う意味合いもあるのではないかと思っている。 戦後アメリカの統治下に置かれ、復興が遅れた事への償い。とりわけ米軍の本土上陸の捨て石にされて激しい地上戦で多くの犠牲を出した沖縄には、その賠償と言う意味合いがあって当然だとも思う。
 首里城が世界遺産だと思っている人は多いが、城は第二次大戦中に日本軍の指令地下壕が作られたため、米軍の攻撃対象となり破壊されてしまった。なので、世界遺産に登録されたのは首里城跡だ。 英祖王と尚寧王が眠る琉球王国の陵墓である浦添ようどれも戦争で破壊されている。
 先の大戦で沖縄は、住民の3人に1人、あるいは4人に1人が亡くなったと言われている。
 日本側の人員の損失は莫大だった:10万7539人の兵士が死亡し、2万3764人が洞窟の中に閉じ込められたか、または日本兵によって殺された。1万755人が捕虜となったか、降伏した。日本軍は7,830機の航空機と16隻の戦闘艦を失った。 沖縄の住民の多くが洞窟に逃げてその後死亡したので、民間人の死傷者の正確な数はおそらく決してわからないが、低く見積っても4万2000人が殺された。民間人のほとんど3分の1が沖縄戦で死亡したという推計もあるが、民間人の10分の1から4分の1が死亡した。作戦の計画段階における米軍の記録によると、沖縄にはおよそ30万人の民間人が住んでいると推定されていた。そして戦闘終了時にはおよそ19万6000人の民間人が残っていた。しかし、米軍は、82日間の軍事作戦で、艦砲射撃、空襲、および日本軍によって強制的に動員されて死傷した人々を含み全体で14万2058人の民間人が死傷した、と結論付けた。
 沖縄の基地問題について「米軍基地があるから沖縄が守られている」とする意見があるが、「基地があるから狙われる」という考え方も当然ある。沖縄には、地下に司令室が作られた為に首里城を破壊されたという過去の体験があるのだから。
 沖縄には今なお、2500トンの不発弾が眠り、年間300回以上の不発弾処理が行われている。沖縄に滞在していた2年間で、何度不発弾発見と処理のニュースを見た事か。口汚い人がごね得と言った沖縄の振興予算には、この不発弾処理に関する25億5000万円も含まれている。リンクは切れているが「見せかけの沖縄振興策 関係薄い予算 多数計上」。

 ところで先に引用した沖縄大学人文学部准教授の樋口耕太郎氏のコラムの中に(社会は「豊かに」なったか?)と小見出しを付けて、「これまでの沖縄の「発展」のあり方を、虚心坦懐に見直してみよう。沖縄県政が本土復帰以来追い求めてきた「本土並み」とは、補助金とコンクリートで日本の平均を目指すという意味だった。選挙では辺野古の埋め立てに伴う環境破壊が問題になったが、沖縄は復帰以来海岸線を容赦なく埋め立ててきた歴史を持つ。結果として現在の沖縄本島で、嘉手納以南に自然のビーチは事実上残されていない」と書かれている。実際、海に囲まれた島でありながら、那覇に至っては目の前に臨海道路が迫って来る波の上ビーチが市内で唯一の海水浴場だ。開発は奄美群島でも同じ事で、コンクリートの護岸やテトラポットのない浜辺はとても貴重なものになっている。
 振興予算による開発に疑問符を投げかけるコラムが他にもある。ポリタスの沖縄県知事選特集の中に掲載されたもので、「自家焙煎珈琲まちぐゎーみちくさ」店主/基地問題冊子「Picnic」発行人の知念正作氏による【沖縄県知事選】結局やる気出すのは俺たち一人ひとりなんだと題されたコラムだ。(ショッピングモールだらけの沖縄)と言う小見出しの下、「沖縄には那覇新都心や北谷アメリカンビレッジなど、いくつかの基地返還地があり、その経済効果は、その土地が米軍基地であったときの非ではないほどの、雇用や税収を生み出している。「基地が不経済」というのはいまや常識となり、基地経済に頼っているのは一部の土木利権など既得権益のある方々である。しかし北谷などの街並みをみていると、これが本当に沖縄の望んだ姿なのだろうかと空しく思うこともある。郊外型の飲食店や量販店が並び、まるでどこにでもある日本の地方のようだ。基地返還を選んだ結果が「凡庸な地方」への埋没だとしたら皮肉である。しかも大抵の場合、それらの店舗は本土資本なのだ」と綴られている。
 沖縄では新都心まで自転車で5分ほどの上之屋に住んでいた。引っ越した晩、とりあえずスーパーで食べ物を買おうと新都心に行き、その余りの都会っぷりに沖縄で何が撮影できるんだろうと途方に暮れたのを思い出す。

波の上ビーチ
↑那覇市内で唯一の海水浴場、波の上ビーチ。2012年6月25日に撮影。
 福島第1原発4号機の核燃料の取り出しが一昨日終了した。建屋が爆発で大きく破損しており、プールに貯蔵されている核燃料が何かの事故で溶け出して放射性物質を放出しないか心配されていたが、これでリスクは随分小さくなった。
  その福島第1で発生している多数の傷病者発生を、東電はほとんど公表せずという記事があった。公表しない事の以前に、その傷病者の数の多さに驚いた。記事によれば、今年4月1日〜9月23日までで熱中症32件、脱水症5件、体調不良18件、ケガ43件(骨折9件、縫合処置9件)、病院への搬送22回(救急搬送13回、業務車による搬送4回、ドクターヘリ3回、搬送方法不明2回)。過酷な現場である事は想像できるが、わずか半年でこれだけの傷病者は多すぎるだろう。東京新聞のリンクは切れているが、「安全二の次 事故頻発 未公表も多数 行程厳守プレッシャー」の記事がここで少し読める。
 今日、辺野古の座り込みが3900日目を迎えた
↓写真は今年の4月19日に行われた、辺野古の座り込み10周年記念の集会。中央でマイクを持つのは嘉陽オジーこと嘉陽宗義さん。
辺野古座り込み10周年の集会

12月20日(土)

 昔、アマミヤ(女神)とシラミキヨ(男神)が東方の海の彼方(ニラーハラー)から久高島にきた。ところが久高島は東の波は西に越え、西の波は東に越え、海水の中にたゆたい、まだ島の形はなかった。そこでアマミヤが持参のシマグシナーと称する棒を立て、神に頼んで天から土、石、草、木を降ろしてもらった。それで久高島ができた。
『日本人の魂の原郷 沖縄久高島/比嘉康夫』(集英社新書)ー創世の神話・島創り神話ーより。

 奄美から沖縄に続く琉球弧の、海と空と雲の写真を並べてPhoto Albumにしてみました。こちら
嘉徳の海岸
↑奄美大島・瀬戸内町にある嘉徳集落の海岸。嘉徳は歌手・元ちとせの生まれシマ。奄美大島の人が住む集落の海岸で、コンクリートの護岸やテトラポットといった人工物がないのは、もはや嘉徳の浜くらいかもしれない。

以下は、写真のキャプションです。

琉球弧 海と空と雲と

01、02 加計呂麻島・西阿室から見る与路島。(2010年12月28日)
03、04 渡名喜島の西海岸。(2013年6月8日) 
05、06 奄美大島・名瀬あかさき公園から。(2010年7月16日)
07、08 奄美大島・名瀬の大熊展望台付近から。(2010年7月21日)
09、10 奄美大島・名瀬の大熊展望台付近から。(2010年11月11日)
11 大神島の遠見台から。(2012年10月10日)
12 フェリー波之上から見た伊江島。(2013年4月25日)
13 加計呂麻島・安脚場戦跡公園から。(2011年2月23日)
14 伊江島のフェリーから水納島を見る。(2013年11月9日)
15 奄美大島・笠利町佐仁集落の海岸から。(2010年9月14日)
16 徳之島付近。(2011年6月12月)
17、18 奄美大島・笠利町佐仁集落の海岸から。(2010年9月14日)
19、20、21、22 奄美大島・瀬戸内町嘉徳集落の海岸。歌手・元ちとせの生まれシマ。奄美大島でもコンクリートの護岸やテトラポットのない浜は貴重。(2012年1月14日)
23 奄美大島・用安海岸付近?(2010年12月6日)
24 奄美大島・大和村、知名瀬の海。(2012年2月14日)
25、26 座間味島。サンゴの群落。(2014年5月29日)
27、28 西表島・船浮集落のイダの浜。(2014年6月21日)
29、30、31 波照間島。(2014年6月27日)
32 フェリーから見た与論島。(2011年8月18日)
33 奄美大島・屋入峠へ向かう途中から、喜界島を見る。(2010年10月6日)
34 奄美大島・名瀬の朝仁海岸。(2010年7月16日)
35 石垣島・唐人墓附近から。(2012年11月23日)
36 渡名喜島の西海岸から。(2013年6月8日)
37 奄美大島・名瀬の朝仁海岸。(2010年9月21日)
38 奄美大島・名瀬の山羊島附近の夕焼け。(2010年8月11日)
39、40 奄美大島・朝仁海岸の夕暮れ。(2010年7月22日)
41、42 奄美大島・名瀬港の朝焼け。(2010年7月26日)
43 渡名喜島から沖縄本島へ向かうフェリーから。(2013年6月9日)

12月16日(火)

 52.66%と戦後最低の投票率を更新した衆議院選挙から2日が経った。ちなみに富山の投票率は47.46%で青森、徳島に次いで全国で3番目に低かった。
 備忘録として、この2日ほどで読んだネットの記事をリンクしておきます。

自民横ばい、自公3分の2維持 民主は11増
後継代表選び、今夜協議=海江田氏、辞任表明へ
「支持政党なし」党、10万票獲得 比例区北海道
渡辺喜美氏(無所属)落選 栃木3区
総選挙「唯一の敗者」とは?「次世代の党」壊滅の意味とその分析
共産、議席倍増へ 志位氏「政権に対案、評価された」
辺野古移設に「ノー」 沖縄で全敗の自民に衝撃
沖縄は全9候補当選 辺野古反対が選挙区全勝
辺野古、8隻海上作業へ ゲート前には80人
池上彰氏が安倍晋三首相に「おじいちゃんコンプレックス」を直撃
安倍首相VS村尾キャスター 問いかけにイヤホン外しフル無視対応
県外検討は「時間浪費」 首相「辺野古が唯一」
石原慎太郎が政界引退表明、心残りは憲法改正

 6月22日に撮影した、西表島・仲間川クルーズと日本一の板根を持つサキシマスオウのスナップをPhoto Albumにしました。こちら
サキシマスオウの板根
↑板根だけで高さが4メートルほど有ると言われる、仲間川のサキシマスオウの木。↓仲間川。
仲間川

12月14日(日)

 また積もった。早朝に除雪車が通って道路に雪はないが、除雪車のお土産が道ばたに小さく積もっている。玄関前から道路までの雪と、除雪車が置いて行ったお土産をスコップで隣りの田んぼに捨てる。雪かきをするのは、何十年ぶりかもしれない。今日の雪はサラサラで、重くないのが救いだろうか。
 雪かきの後、衆議院選挙と最高裁判所裁判官国民審査に行った。住民票は2010年に神奈川から富山に移してあったので、2012年12月の衆議院選挙と2013年7月の参議院選挙は高岡市選挙管理委員会に不在者投票用紙を送ってもらい、那覇で不在者投票を行った。
 富山で行われる選挙で投票所に直接入れに行くのは今回が初めて。投票入場券が届くまで家から歩いて5分ほどの町役場で投票するのかと思っていたら、歩いて20分ほどの所にある集落の公民館が投票場所だった。
 靴下2枚履き、Tシャツの上にトレーナー、さらに長袖シャツとヨットパーカーを着て、白のダウンジャケット。マフラーをグルグル巻きにして手袋をはめて、頭には毛糸の帽子。コロコロの雪だるまのような格好に傘をさし、カメラをぶら下げて投票所へ向かった。
 小学生の高学年から高校一年生くらいまで、新聞配達のバイトをしていた。今では考えられないが、朝起きてこんな雪の日にも自転車で或は歩いて新聞を配っていたのか。
スナップ
 投票所から帰り、早めにお風呂に入って暖まる。コタツに入り、缶ビールを飲みながら夜中まで選挙速報を観る。

12月12日(金)

 今日の午後、来週月曜日からスタートする写真展の設営をしてきた。
 一週間程前に、地元の銀行の方からロビーで写真を展示しませんかというお誘を受けた。9月〜10月に開催した写真展の中からピックアップして展示するというのも考えたのだが、せっかくなら新しい写真を観ていただこうと思い、獅子舞をテーマに写真をセレクトしてプリントしてみた。
 高岡ケーブルネットでは「おしえて!獅子舞テレビ」と言うユニークな番組が放映されているし(密かにフアンです)、地元福岡町でロケが行われた市川徹監督の映画「獅子舞Boys」も来春上映される。予告編はこちら
  高校生の時に一度だけ地元の獅子舞の太鼓を叩いたことがあるけれど、富山がこれほど獅子舞が盛んな地域だと言うのは今年帰って来てから知った。
  富山では春と秋の祭礼に踊られる獅子舞だが、全国的には縁起ものとしてお正月に行われることが多いようだ。来週月曜日から、お正月を挟んで来年の1月末までの展示なのでタイムリーかな〜とも思っている。
 富山は地元福岡町の他に新湊、越中八尾、城端の獅子舞を26枚。また、沖縄でも獅子舞は十五夜(旧暦の8月15日)や豊年祭の時に行われているので、この機会に紹介しようと思い沖縄本島、石垣島、西表島の獅子舞を8枚プリントしてみました。

○木原盛夫 写真展「獅子舞の日」
*富山(福岡・新湊・越中八尾・城端)、沖縄(沖縄本島・石垣島・西表島)の獅子舞34点を展示
2014年12月15日(月)〜2015年1月30日(金)
富山第一銀行 福岡支店(タピス内)ロビーにて展示。平日9時〜15時、土・日・祝日休み

↓今日、窓口業務が終わった16時半頃から設営して来ました。
写真展の案内
写真を展示したロビー

写真展に添えた説明文です。
獅子舞

◯起源はインド

 富山では豊作祈願や五穀豊穣への感謝として春祭り、秋祭りで行われる事の多い獅子舞ですが、全国的にはお正月などの縁起の良い日に、幸せを招くと共に疫病退治や悪魔払いとして舞われるようです。
 獅子舞の起源は、インド地方の遊牧民がライオンを神秘的な力を持つ霊獣と崇めて偶像化したのが始まりと言われています。それが仮面舞踊となり中国から朝鮮半島へ渡り、7世紀のはじめに仏教の伎楽と一緒に獅子舞が日本に伝来したと考えられています。
 その頃の日本列島には縄文の猪送り、アイヌの熊送り、東北の鹿踊り等のように、動物を大自然の神として敬う精神文化が既に有り、さらにお祓いの人生観とも結びついて、獅子舞を日本独特の文化へ熟成させました。

◯最初の獅子舞は16世紀初めの伊勢の国

 日本での獅子舞の始まりは、16世紀初めに伊勢の国で飢饉、疫病を追い払うために獅子頭を作り、正月に獅子舞を舞わせたのが最初だと言われています。その後、17世紀に伊勢から江戸へ上り、悪魔を払い、世を祝う縁起ものとして江戸に定着し、祝い事や祭り事で舞われるようになりました。
 日本の各地に広まったのは室町時代から江戸時代の初期に「江戸大神楽師(えどだいかぐらし)」「伊勢大神楽師(いせだいかぐらし)」と呼ばれる団体が、獅子舞を踊りながら全国をまわり悪魔払いしたのがきっかけだと言われています。

◯獅子ごろし

 福岡町の一区と二区の獅子舞は、町内をまわり終えた夜に天狗によって獅子ごろしが行われます。これは獅子そのものを倒すのではなく、獅子舞で各家々の災厄を祓った際に獅子に取り憑いた厄を取り除くと解釈できます。天狗によって倒された獅子は、その後災厄が消し去られて復活します。
 福岡三区の獅子は雌獅子なので、獅子ごろしは行われません。

◯沖縄の獅子舞

 沖縄でも獅子舞は、悪霊を祓い、弥勒世(ミルクユー・豊年の世の中)を招来し、五穀豊穣や地域の繁栄をもたらすとされ、十五夜(旧暦8月15日)や豊年祭の時に各地で行われます。また、八重山諸島の石垣島では旧盆行事(旧暦7月13、14、15日)の翌日に行われるイタシキバラ(獅子祭り)で獅子舞が踊られます。これはお盆が終わっても残っている迷い霊や悪霊を獅子舞で追い払い、地域住民の無病息災と繁盛を願うものです。 
 沖縄の獅子舞が本土の獅子舞と異なるのは、胴体が幕ではなく、胴も足も芭蕉の繊維や藁で作られた着ぐるみ風の獅子の中に二人一組で入る所です。
 歴史の古いとされる首里・汀良町の獅子は、約500年の歴史があると言われています。

*参考文献 
○新湊の獅子舞(富山県)http://www.skg.sakura.ne.jp/shishimai.html
○獅子魂 富山の伝統文化、獅子舞を世界へ http://shishi-kon.com/history
○日本文化いろは事典 獅子舞http://iroha-japan.net/iroha/C03_show/07_shishimai.html
○獅子舞の意味と由来 http://www2.odn.ne.jp/kai-kaon/sub6-4.html
○石垣島なんでも図鑑 イタシキバラ http://isigakijima-navi.seesaa.net/article/287851099.html
○那覇まちのたね通信 首里の獅子舞のルーツを探る http://naha.machitane.net/column.php?id=2

獅子舞の写真
↑展示した写真の中から8枚載せてみました。

一番上左、越中八尾の曳山祭りにて。2010.5.3。 一番上右、福岡町二区。2014.9.10。 上から2段目左、福岡町一区。獅子ごろしの後、復活した獅子を天狗が拝殿に誘導する。2014.9.10。 上から2段目右、新湊の獅子舞。2010.5.15。 上から3段目左、城端の曳山祭りにて。2010.5.5。 上から3段目右、西表島・祖納集落の節祭(シチ)にて。2013.10.1 下段左、糸満市米須の十五夜にて。2013.9.19。 下段右、石垣市登野城のイタシキバラにて。2013.8.22。

12月9日(火)

 今日、仲井眞知事の退任式が行われた。「県民裏切りを許さないぞ」「県民の声を聞け」といった市民団体からの怒号が飛び交う中、県庁舎を後にしたようだ。琉球新報の記事、沖縄タイムスの記事退任会見の全文
 4日に遊説先の香川県で「(アベノミクスで儲かっていない)経営者は能力がないか、運がないか。ほとんどの企業はもうかってますよ。2年前より悪くなっている会社がいたらぜひ教えて」と述べた麻生太郎財務省が、今度は「高齢者が悪いみたいなイメージを作っている人がいっぱいいるけど、子どもを産まないのが問題なんだからね」と発言(You Tube)。批判を浴びて発言の真意は「人口減はものすごく国力に影響する大きな問題。経済的事情で産めないのは、放置できる話ではない」と釈明した。いったい何回暴言と釈明を繰り返すのだろうか。
  「GDP悪化 年1.9%減 大企業の富、零細に回らず」。政府は緩やかな回復基調が続いていると言い、安倍首相は「この道しかない」と叫んでいるが、景気が良くなったと言う実感はなかなか感じられない。
 安倍政権になって2年が経ったが、なんだかアベノミクスが福島第一の凍土壁のような結末にならないかと心配だ。凍土壁は凍結管だけでは凍らすことができず、氷やドライアイスを投入するも凍結しないことから作業を断念。結局、机上の論理(単なる思いつき?)でしかなかった。
 日刊ゲンダイの記事、経済学者伊東光晴氏「聞きかじりだから安倍首相は嘘をつく」。 

アマゾンから届いたプリント用紙とインク
 アマゾンに追加でポチっとしたインクとプリント用紙が、一昨日届いた。富山に帰って来てから買ったものは、プリント用紙とインクばかり。
  橙色(金赤)と水色が上手く出ない。アチラをたてれば、コチラがたたず。プリンターの印刷設定を色々変えて、久しぶりにプリントと悪戦苦闘している。
←一昨日届いた用紙とインク。
 6月21日に撮影した西表島・船浮集落と白浜集落のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
船浮集落にあるイダの浜
↑船浮集落にあるイダの浜。↓ウトウトと昼寝をしているような自動販売機。
お昼寝しているような自動販売機
 明日から特定機密保護法が施行される。安倍首相は盛んにこの法律は一般の人には関係ないのですと力説していたが「海外経験は漏えいリスク 秘密保護法で内調」と言う記事が出ている。 
 衆院選と同時に行われる最高裁国民審査について琉球新報が「沖縄密約、高江を判断 2氏、県関連で判決」と言う記事を掲載している。個人的に「鬼丸氏はことし6月、第2小法廷の裁判長として、東村高江での米軍ヘリコプター着陸帯(ヘリパッド)の建設現場で反対運動を続ける住民に対し、沖縄防衛局が通行妨害禁止を求めた訴訟で、国から訴えられた住民の上告を棄却した。山本氏も裁判官として関わった」という一文を参考にしようと思う。東村高江の反対運動は映画「標的の村」で。 
JTB、社員に公明党支援を要請 創価学会から依頼受け」。旅行業は国土交通省が所管しており、太田昭宏国交相は公明党公認で東京12区から立候補している

12月7日(日)

 やっぱり積もった。巨大な雪だるまが作れそうだな・・・作らないけど。
今日の積雪
 6月20日に撮影した浦内川クルーズや古見集落のサキシマスオウの群落ほか、西表島のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
古見のサキシマスオウ
↑古見集落にあるサキシマスオウの板根。↓路線バスの時間調整の間に撮った、由布島へ渡る水牛車。
由布島へ渡る水牛車

 衆議院議員総選挙が一週間後に迫った。朝日新聞DIGITALの2014衆院選、朝日・東大共同調査[政党・候補者のスタンスは]が地域と地区を選択するだけで各候補者の主張がわかりやすく比較表示されて参考になる。
 沖縄県知事選の特集に続き衆議院選挙の特集を組んでいるポリタスに、衆議院選と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査についての記事が掲載されている。  

12月5日(金)

 冷えるな〜と思って窓を開けたら、もの凄い勢いで雪が降っていた。吹雪だ。今日の最低気温は1℃、最高気温は5℃。明日の予想は0℃と4℃なので、雪が積もるかもしれない。
今日の雪景色
アマゾンから届いた商品
 正月を富山で過ごすのは5年ぶりだが、冬をまるまる富山で過ごすのは高校生の時以来なので35年以上ぶりだ。大丈夫だろうか・・・。
  2日の午後にアマゾンでポチっとした商品が、今日届いた。プリント用紙やインク、ファイルの他に本が2冊。「沖縄文化論ー忘れられた日本/岡本太郎」(中公文庫)、「沖縄の歴史と文化/外間守善」(中公新書)。

 昨日、辺野古工事変更申請の承認阻止を求めて2200人が県庁を包囲して抗議を行ったが、仲井眞知事は退任4日前の今日、埋め立て工事の変更申請3件のうち、(1)中仕切り護岸の追加(2)仮設道路の新設―の2件を承認した。
 先月の沖縄県知事選で翁長氏に10万票の大差で破れた知事が、退任の間際に民意を無視する形で今後の辺野古新基地建設に影響する重要事項を判断していいのだろうか。
 三上智恵さんの連載「沖縄撮影日記」の18回(文子おばあのブローチ)に、先日基地建設反対の座り込みで怪我をされた島袋文子さん(84)のロングインタビューが掲載されている。ビデオの中で「(仲井眞知事の任期が)あと一ヶ月あるからね、その一ヶ月に何かの悪巧みをやらないかなと思ってるわけ。こう言うことしたら生かしちゃおかないよ。だから政府が圧力をかけようとすれば沖縄の人間は強くなっていく。」と語っている。
 仲井眞知事は昨年の12月25日、入院中に安倍首相と会談し、政府の示した基地負担軽減と沖縄振興予算確保について「有史以来の予算だ。長年の基地に絡む性格の違う内容のものの解決をお願いしたら、早く取りかかっていただいて前に進み始めた実感がある。いい正月になるというのが実感だ」と語ったが、最後の最後まで県民の民意を裏切った今年は、どんな正月を迎えるつもりなのだろうか。

 ウソかホントか麻生太郎財務省が昨日、遊説先の香川県で「(アベノミクスで儲かっていない)経営者は能力がないか、運がないか。ほとんどの企業はもうかってますよ。2年前より悪くなっている会社がいたらぜひ教えて」と述べたそうだ。
 1ドル120円に突入した今日、ロイターは「2倍の速度で進む円安、前回円高時に比べ関連倒産件数は3倍超」と言う記事を掲載している。

 10年前の昨日、初めてデジタル一眼レフを買ったのだった。そう思うと、色々あった10年でもあるし、あっという間の10年でもある。

12月3日(水)

 昨日は霰、今朝は雪。朝、窓を開けると向かいの家の瓦屋根に薄らと雪が積もっていた。富山市は昨日が初雪だったようだが、高岡市は今朝が初雪だろうか。雪を見るのは、やがて5年ぶりだ。寒い・・・さすがに湯たんぽだけでは過ごせなくて、昨日から石油ファンヒーターを使っている。
霰と雪
↑左は大粒の霰が降る昨日、右は瓦屋根に薄らと雪が積もっていた今朝。
泊外人墓地のメモリアルデー
 沖縄の日の丸の次は、沖縄の中のアメリカと言う括りで写真を並べてみた。こちら
 以下は、キャプションです。

01 普天間飛行場のフェンス。(2012年7月14日)

02、03 夏祭りin那覇2012一万人のエイサー踊り隊。国際通りにて。(2012年8月12日)

04 普天間飛行場。那覇から関西空港へ向かう飛行機から。(2012年8月29日)

05、06 辺野古キャンプ・シュワブのフェンス(2012年9月17日)

07 嘗ては黒人街だった照屋一丁目界隈。辛うじて壁に直書きされたHOTEL PRINCEの文字が見える。(2012年9月23日)

08、09 那覇大綱挽。(2012年10月7日)

10 嘉手納(2013年1月24日)

11 普天間(2013年2月26日)

12、13、14 メモリアルデーの泊外人墓地(2013年5月27日)

15 慰霊の日の平和祈念公園。中央、両手を前で組んでいるのがジョン・ルース米駐日大使(2013年6月23日)

16、17、18、19 慰霊の日の平和祈念公園。(2013年6月23日)

20、21、22 辺野古の社交街、アップルタウン。(2013年10月12日)

23、24、25、26 伊江島行きのフェリーにて。(2013年11月9日)

27 伊江島にはアメリカ海兵隊の飛行場・演習場である、伊江島補助飛行場がある。

28、29、30 港川外人住宅

31 普天間を飛び立ったばかりの、オスプレイの隊長機。(2014年1月27日)

32、33、34 嘉手納(2014年2月28日)

35、36、37 2015年3月に返還予定の、西普天間住宅。(2014年3月19日)

38 西普天間住宅。(2014年3月29日)

39 北谷町。(2014年5月21日)

40 嘉手納。(2014年5月21日)

 ポリタスが、沖縄県知事選の特集に続き衆議院選挙の特集を組んでいる。

12月1日(月)

 12月は、土砂降りの雨で始まった。天気予報によれば、明日の富山の最高気温は6℃。しばらく荒れた天気が続くようだ。
 先月10日に高倉健さんが亡くなられたばかりだが、今日は菅原文太さんの訃報が伝えられた。日本を代表する大物俳優が相次いで逝去されて、なんだか昭和がまた一歩遠くになった気持ちがする。
 ちょうど一月前に開催された、翁長雄志氏の支援団体による「オナガ雄志 うまんちゅ 1万人大集会」での菅原文太さんの演説が、You TubeにUPされている。こちら。「政治の役割はふたつあります。ひとつは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと!」「沖縄の風土も、本土の風土も、海も山も風も、すべて国家のものではありません。そこに住んでいる人たちのものです。辺野古もしかり!勝手に他国へ売り飛ばさないでくれ」。演説の全文がこちらにあります。
塩屋ウンガミでの日の丸をつけた爬龍船
 米軍のキャンプで、祭祀の中で、政治運動の中で。沖縄に住んだ2年ほど日の丸を目にした事はなかった。
 沖縄の歴史を振り返ると、琉球王国時代から廃藩置県後の琉球処分で大和世(やまとゆ)に。その後、太平洋戦争で激しい地上戦が繰り広げられた戦世(いくさゆ)を経て、アメリカ軍政下に置かれたアメリカ世(あめりかゆ)となった。そして1972年に日本復帰を果たす。この繰り替えされた世替わりは、沖縄に様々な矛盾を生んだ。その矛盾の中に日の丸もあったように思う。意識して、あるいは意識せずに写した沖縄の日の丸の写真をPhoto Albumにしてみた。こちら
 以下は写真のキャプションです。

01 本島北部、大宜味村の塩屋湾で開催されるウンガミ(海神祭)。湾に浮かぶ爬龍船。(2012年9月11日)

02 神人による御願の後、御願バーリーが行われる。(2012年9月11日)

03 爬龍船のスタートに合わせて女性たちが海に入り御願をする。海の中で踊り、水を掛け合いながら到着する爬龍船を迎える。(2012年9月11日)

04 糸満市で開催された「おきなわ豊かな海づくりフェア in 糸満」のために来県された天皇皇后両陛下を歓迎する、天皇陛下奉迎大パレード。日本会議のホームページには7000名が参加したとされるが、記事として県内のメディアで大きく扱われた印象はない。(2012年11月18日)

05 緑ヶ丘公園からスタートし、国際通りを歩く。(2012年11月18日)

06 後ろの建物は新しい那覇市役所。2012年12月18日に本庁舎竣工、22日に落成式となっているので、まだ完成前だ。(2012年11月18日)

07 この大パレードが行われることは、市内を走る宣伝カーで知った。テレビや新聞といったメディアでの告知は見なかった。

08 パレードの終点である奥武山公園から、対岸の両陛下がお泊まりになっているホテルに向かって旗を降る参加者。

09 オスプレイ配備反対、米軍基地の撤去を求める「御万人大行進 愛と怒りのサウンドパレード」。抗議集会が行われた宜野湾海浜公園を出て直ぐ、参加者にヘイトスピーチが浴びせられた。(2012年12月23日)
2013年1月27日、オスプレイの配備反対を訴えて沖縄の全市町村長、議会議長、県会議員らが日比谷公園で集会を開き、銀座へ向けてデモをした際に罵声を浴びせられた事が報道されたが、ウチナーンチュへ向けてのヘイトスピーチは、こちらの方が先だった。

10 大山ゲートへ向かうサウンドパレードのトラックと、街宣車がすれ違う。(2012年12月23日)

11 旧正月の2日目、フナウクシ(舟起こしと言った意味だろうか)。粟国島の大信丸の船長さんが、船の上から塩を撒き安全祈願をする。船には松、日の丸、大漁旗、万国旗が飾られている。(2013年2月11日)

12 メモリアルデー(アメリカの戦没将兵追悼記念日)の泊外人墓地。(2013年5月27日)

13 メモリアルデーの式典が終わった後、退役軍人と思しき二人の男性が星条旗と日の丸を下ろした。(2013年5月27日)

14 平和祈念公園での慰霊の日の式典。献花を終えて席に戻る安倍首相。(2013年6月23日)

15 祭壇に献花をするジョン・ルース米駐日大使(左端)。(2013年6月23日)

16 式典の後、一般参加者の焼香が行われた。(2013年6月23日)

17 与那原の大綱曳き。雌綱の頭に飾られた日の丸。(2013年8月4日)

18 久高島の祭祀・八月マティの最終日に行われたテーラーガーミの儀式。テーラーは太陽、ガーミは神で太陽神となる。太陽の霊威を受けた大主ウプシュ(50~70歳の男)が島を祓って歩く。
祭場であるハンチャアタイ(神の畑)に日の丸の扇を持ったウプシュが集まりティルル(神歌)を歌う。白の神衣を身につけているのは現在久高島ではただ一人の男神職者である外間根人(ニーチェ)。(2013年9月16日)

19 ウプシュの持つ日の丸の扇には、ティルルが書いてあった。(2013年9月16日)

20 テーラーガーミの最後の儀式は、イザイホーの祭場として知られる久高御殿庭で行われた。神女が見守る中、外間根人とウプシュが一列にならんでティルルを歌う。(2013年9月16日)

21 池間島のミャークヅツ(豊年祭)あら日(初日)。ムトゥ(元家)にてミルク酒(泡盛のコンデンスミルク割り)を飲み、長老の前で踊りを披露する男性。池間島には4つのムトゥがあり、写真は前里ムトゥ。他のムトゥにも万国旗が飾られていた。(2013年9月25日)

22 池間公民館前の広場に日の丸の旗が立てられ、この旗を中心にクイチャーが踊られる。(2013年9月25日)

23 宮古島西原のミャークヅツ。西原は池間島から分村した人達の村。ナカマ御嶽からジャーまで男たちのパレードが行われる。黒の背広を着ている男性は、今年からミャークヅツに参加できる年齢になった初親(ハツウヤ)。初親になる年齢は、池間島が数え年で55歳、西原が50歳。(2013年9月26日)

24 パレードの所々で立ち止まり、クイチャーが踊られた。(2013年9月26日)

25 白い神衣の神司を中心に、女性たちが日の丸の扇を手に持ってパレードの男たちをジャーに続く路地へ導く。(2013年9月26日)*ジャーは沖縄本島で言うミャー(庭)と思われる。いわゆるアシビナー(遊び庭)だろうか。

26 伊良部島佐良浜地区のミャークヅツ。佐良浜も池間島から分村した人達が移住して出来た地区だ。真謝ムトゥから本村(池間添)ジャーへ向かう男たち。青い服の男性が初親。佐良浜の初親は本村が47歳、仲村が50歳となっている。(2013年9月27日)

27 仲村(前里添)ジャーのニガイ。後ろに並ぶ女性が仲村の神司。(2013年9月27日)

28 本村ジャーのニガイ。ニガイの後、仲村、本村それぞれのジャーでクイチャーが踊られる。(2013年9月27日)

29 本島北部、久志集落で行われたカジマヤー祝いのパレード。カジマヤーは数え年で97歳の長寿を祝う行事。(2013年10月12日)

30 旧正月の前日、久高島の外間殿で日の丸の旗を用意する郵便局長さん。(2014年1月30日)

31 元旦の日の朝。日の丸の旗を揚げた久高ヌル殿内。(2014年1月31日)

32 元旦の儀式が行われている外間殿。二人ずつ殿に上がり神人からシャクトゥイ(盃事)を受け、シャクトゥイが済んだ者はミャー(庭)でカチャーシーを踊る。(2014年1月31日)

33 久高島で一番古いムトゥと考えられている大里家(ウプラトウ)の拝殿。(2014年1月31日)

34 元旦の久高島漁港。対岸の島影は沖縄本島。(2014年1月31日)

35 辺野古埋め立て承認に関する仲井眞知事への証人喚問が行われた日。傍聴席に入りきれなかった人達は、議会棟1階のロビーで中継を見守った。(2014年2月21日)

36 キャンプ・ハンセンのゲート前に広がる、金武社交街入り口。(2014年5月6日)

37 浦添市にあるキャンプ・キンザー。(2014年5月21日)

38 久米島博物館の展示。(2014年6月11日)

39 有人島としては日本最南端の波照間島にある日本最南端之碑。(2014年6月26日)

日本の国旗
沖縄とは何か「日の丸焼き捨て事件」の知花昌一さんに聞く

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