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○12月3日(土) ハアサキ成人講座「染め物を楽しもう」江戸時代の奄美の染め〔ヒロキ(ヒルギ)染め・ハックァギ(アカネイヌビワ)染め〕に挑戦!染め物教室3回シリーズの3回目/13時〜16時 1500円(材料代と受講料含む)申し込みは12月1日まで 奄美少年自然の家
○12月4日(日) 「野菜の日」イベント並びに農業ふれあいまつり/9時半〜12時半 奄美市地方卸売市場
○12月4日(日) 奄美歌掛けの夕べ/開場6時 開演6時半 名瀬公民館
○12月9日(金) 図書館 本の返却期限
○12月9日(金) 天体ドーム開放 冬の大三角、冬のダイヤモンドと冬の星座の観察/19時半〜21時 奄美少年自然の家
○12月10日(土) 皆既月食観察会 皆既月食と冬の星座の観察/20時〜1時半 奄美少年自然の家 
○12月10日(土) ビン類、ペットボトル
○12月11日(日) 凧作り&凧あげ教室 飾り凧やダイヤ凧、クラゲ凧などから選んで作り、赤崎公園で凧あげ大会/9時半〜12時半 奄美少年自然の家
○12月11日(日) 郷土コーナー「昇曙夢」シンポジウム/14時〜16時 県立奄美図書館
○12月14日(水) ふたご座流星群観望会 極大日を迎えるふたご座流星群の観望会/19時半〜21時 奄美少年自然の家
○12月17日(土) あまみならでは学舍「島唄に育まれて」講師:唄者・永井陽子 美香姉妹/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○12月17日(土) 第7回オープンデー 天然かずらを使ったリース作りと遊友らんどなどの施設開放/10時〜15時 奄美少年自然の家
○12月18日(日) フリーマーケット(1万人広場)/9時〜奄美文化センター
○12月23日(金) 正月飾りふれあい教室 竹とござによるミニ門松や、わらを使った干支の置物、しめ縄作り/9時〜15時 奄美少年自然の家 
○12月25日(日) 日本復帰記念の日の集い/11時〜おがみ山日本復帰記念碑前(雨天時は名瀬小学校体育館)
○12月25日(日) 奄美群島日本復帰記念講演会 講師:崎田実芳氏 内容:「奄美群島日本復帰運動について」/14時〜15時半 県立奄美図書館
○12月25日(日) 第2回奄美紅白歌合戦/18時〜奄美文化センター
○1月1日(日) 平成3年生成人記念闘牛大会~成人杯・前田村清杯Wタイトルマッチ~/伊藤観光ドーム闘牛場 午後2時開始
○1月2日(月) 第3回全島中量級・ミニ軽量級優勝旗争奪戦徳之島町大会/伊藤観光ドーム闘牛場 午前10時開始
○1月3日(火) 第3回全島一・軽量優勝旗争奪戦平土野大会(仮称)/平土野闘牛場 午前10時開始
○1月4日(水) (新春)全島若手オールスター闘牛大会/伊藤観光ドーム闘牛場 午前10時開始

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2012年(平成24年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦1月23日(月)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月7日(火)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦3月24日(土)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月24日(日)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月24日(金)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月30日(木)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦9月1日(土)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月23日(日)
○アラセツ(※2):旧暦8月7日→新暦9月22日(土)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月30日(日)
○シバサシ:旧暦8月13日→新暦9月28日(金)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月23日(火)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[
ショチョガマ・平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定)、佐仁の八月踊り:笠利町佐仁  等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。(地域・集落によって多少日程が異なる場合もあります。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○Shinya Fujiwara official site Talk&Diary http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima
12月31日(土)
 今日は、朝から暖かな日。午前中から洗濯をし、床を掃いて、窓ガラスを乾拭き。キッチンまわりは昨日磨いたので、大掃除はこんなもんかな?まあ、四角い部屋を丸く掃くという感じの、かなり大雑把な掃除ですが(汗)。
 午後からスーパーや八百屋をアチコチまわって年越そばや、天ぷら、ポンカン、靴下など色々と買物。
 黒糖焼酎は弥生30度がちょびっとになったので、正月用に太古の黒うさぎを購入。これで黒糖焼酎の遍歴は里の曙→れんと→ろくちょう→里の曙 瑞祥→喜界島→緋寒桜→奄美の杜→島のナポレオン→龍宮→じょうご 卯ラベル→瀬戸の灘→あじゃ30度→浜千鳥乃詩30度(飲む前に落下)→浜千鳥乃詩 原酒→加計呂麻→高倉→朝日→あまんゆ→八千代30度→里の曙BIG FISHINGラベル→弥生30度→太古の黒うさぎ。
太古の黒うさぎ

←いつもはコストパフォーマンスの良い一升瓶の焼酎は買うのですが、奮発して720mlの焼酎を。年の瀬は出費が多くなります(汗)。

↓この冬初めて買ったポンカン。5キロ980円。3Lサイズなので1個がかなり大きい。 

↓部屋掃除ができたので、何年かぶりにパソコンの中を開けてクリーニング。想像していた程の埃は積もってなかった。基盤は避けて周辺の埃だけ取る。
 この後、レンズとカメラのボディを軽くお掃除しました。

ポンカン
Mac Proの掃除
↓今日の朝仁海岸。寒くなってからは少し足が遠のくこともありましたが、今年も海を眺めによく来たな〜。大晦日にしては暖かな日でしたが、子供が波打際で寝そべったのは驚きました(゜▽゜*)。
大晦日の朝仁海岸
おきなわの祭り

←何日も前から読んでいる「おきなわの祭り/沖縄タイムス社編」。なかなか読み終わらない。
 ページ数が多いのもあるが、カタカナがたくさん出て来て、つい止まってしまう。
 例えばこんな文章。
 砂川のミーザスは新里にある長井元(ナガイムト)まで行き最後のダティフを奉納する。それから、隣にあるガーラガーで円陣をつくり、左回りしながら、両手ですそを持ち上げる踊りがなされる。トズミのカギシャのアーグを唱和し、ナーパイは一応終了する。
 
???なにがなんだか(笑)。

 2011年もあと少し。今年もよく聴いたAni DiFranco。 この何年か、彼女の歌を聴いて心を鎮めている。 いつか撮影してみたいミュージシャンのNo.1ですね。
 You Tubeから「Your Next Bold Move /Ani DiFranco
12月28日(水)

 午前中からプリント作業。
 冷蔵庫の中が寂しくなったので、スーパーをまわって食材を調達。八百屋の店頭にはしめ縄がつり下げられ、スーパーのケースには紅白の蒲鉾が並んでいる。お正月用のお餅やら色々と購入。
 冷蔵庫が小さいので空っぽになるのは早いですが、簡単に満タンにもなる。
 自転車で市街を走っていると大掃除をしている家や、会社が。今日が仕事納めの会社も多いのだろうか。
 買物に出たので、部屋の家賃を払って来た。
 今日は日射しのささない曇り空でしたが、夕方になって窓ガラスがオレンジに染まっていたので外を見るとキレイな夕焼け。

 玄海原発の4号機が定期検査に入り、25日の深夜から九州電力管内では6基ある原発が全て止まった。加えて26日には長崎県佐世保市の相浦火力発電所、27日には新大分火力発電所でトラブルが発生して運転停止。
 九州電力は、供給電力の40%を玄海・川内の原子力発電で賄っており、電力会社の中でも原発依存率が高い。九州電力は26日から5%の節電は要求しているが、とにかく全原発が停止しても、今のところ目立ったトラブルも停電もなく街は動いている。
 この夏、電力が足りない足りないと煽いだ東京電力だが、保有している原発(国内の商業用原子炉54基のうち、東電は電力会社トップの17基を保有している)が全て停止しても、来年の夏は火力発電や揚水式発電の増強により、今夏の最大供給力を上回る約5700万キロワットを確保できるとの試算をまとめたそうだ。
 「九州電力の全原発停止でも停電はおきていない」「東京電力は全原発が停止しても来夏の供給は賄える」という事実に、多大な犠牲を強いた今夏の計画停電が本当に必要だったのか、政府はもう一度検証するべきだと思う。

夕焼け
12月25日(日)
 朝の9時から名瀬漁港で、歳末の日曜市というのが行なわれると知って行ってみた。
 寒い中、自転車を漕いで漁港に着いたのは9時半くらいだろうか。場内の様子をササッと見て、500円のエビ汁を食べて帰って来た。
名瀬漁港の魚市01
名瀬漁港の魚市02
エビ汁

↑名瀬漁港の歳末日曜市。500円のエビ汁は、小ぶりな伊勢エビの半身が入っていました。家からタッパーを持参して、持って帰る人も。

 一旦家に帰り、今度は防災無線を使って市民の参加を呼びかけていた『日本復帰記念の日の集い』に参加。
 晴れていれば名瀬小学校の校庭に集合して、おがみ山にある日本復帰記念碑前で開催されるのですが、あいにく朝から降ったり止んだりの天気。昨年と同様、名瀬小学校の体育館での開催となりました。
 奄美群島が日本に復帰したのが、昭和28年の12月25日。今年は58周年となる。

日本復帰記念の日の集い、市長の挨拶
献花
参加者席

↑写真左は、朝山市長の挨拶。写真右上は献花、右下は旗を持って参加した小学生、中学生。

 11時から始まった式典は、正午前には終わり、また一旦家へ。朝起きて作ったホットケーキの残りを一枚、昼ご飯代わりに食べる。
 しばらく部屋でまったりしてから、今度は自転車で奄美図書館へ。4階の研修室で『奄美群島日本復帰記念講演会』を聴講。

奄美群島日本復帰記念講演会

↑奄美図書館で開催された『奄美群島日本復帰記念講演会』。左は第1部で崎田 実芳氏による「奄美群島における日本復帰運動を考える」、右は第2部で久保 和二氏による「軍政下の学制改革 安陵創立110周年・大中の思い出」の様子。この後、日本復帰運動を伝承する会 顧問の大津 幸夫氏からの「奄美群島日本復帰60周年記念行事に関する提案が行なわれた。

 講演会は少し時間がおして、図書館の閉館時間5時を過ぎて外へ出る。
 急いで『奄美紅白歌合戦』のチケットを取りに部屋へ戻ってから、奄美文化センターへ。今回が第2回となる『奄美紅白歌合戦』は某国営放送の番組同様に、奄美の歌い手が男性の白組、女性の赤組に分かれて交互に歌を唄い、それを審査して勝ち負けを競います。ちなみに昨年の第1回は赤組の勝ちだったようです。

奄美紅白歌合戦

↑白、赤それぞれ12組が出場して歌を競った奄美紅白歌合戦。今年は白組の勝ち。「島のブルース」を出演者全員で熱唱してフィナーレとなりました。想像していたより演出が凝っていたり、島唄がなかったり、〆に六調が踊られなかったり、驚くことは色々あったが、一番驚いたのは白組の司会者が昨年名瀬に来て住む部屋を探していた時に担当して下さった不動産会社のMさんだった事だ(笑)。奄美、すごい(笑)。
 You Tubeに奄美紅白歌合戦のオープニングムービーがありました。こちら

 この日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

12月22日(木)

 午前中からプリント作業。外はどんよりとした曇り空。
 作業BGMはエンヤの『Watermark』『The Memory of Trees』『A Day Without Rain』、フィシュマンズ『宇宙 日本 世田谷』、スタン・ゲッツ『Sweet Rain』。

寝たろうさん、アフロさん

 夜7時からビッグマリンで、「守る会」の忘年会。

←寝たろうさんの誕生日ということがわかり、急遽アフロさんがケーキを用意。オメデトウオメデトウ(*´д`*)。

守る会忘年会、記念写真
群島鳥類研究会忘年会の記念写真

↑すっかり飲んで食べて酔っぱらったところで、記念撮影。左の写真は、私撮影。右の写真は常田守さん撮影。

 ビックマリンから家に帰る途中、群島鳥類研究会の事務所におじゃまする。こちらも今日は7時から忘年会で、まだ何人かいらしたので焼酎のお湯割りを1杯ご馳走になって帰って来た。

←群島鳥類研究会のみなさん。ブレと笑顔がいい感じに撮れました。

12月20日(火)

 朝起きると快晴。洗濯をする(*´д`*)。

 久しぶりに自転車で大熊漁港へ。カツオのぼりが上がっていたので直売所に行き、1パック500円のシビのお刺身と、魚コロッケ6個470円を購入。
 初めて買った魚コロッケを、家に帰ってさっそく一つ食べてみましたが、コロッケと言うよりメンチカツ風ですね。これはこれで美味しい。

→大熊漁港直売所の魚コロッケ。

魚コロッケ

 郵便ポストに、9月に撮影した大谷内先生の本が送られて来ていた。
 『ひざ痛、股関節痛は自分で治せる』『股関節痛を自分で治す本』に続く、ひざと股関節の本3部作のラストで『ひざ痛を自分で治す本』。130カット程のプロセス写真を掲載して、運動の仕方がわかり易く紹介されています。

本の中身
大谷内先生ひざ痛を自分で治す本の表紙

○『ひざ痛を自分で治す本/大谷内 輝夫』(マキノ出版
装丁・本文デザイン:目黒 眞/本文写真:木原 盛夫/モデル:三宅 あみ(AIMING)/ヘアメイク:井口 直子(WYNN)/ライティング:竹内 有三/本文イラスト:羽衣 楽子/図版作成:田栗 克己
 この撮影の様子は、こちら

12月19日(月)

 お昼頃になって、北朝鮮の金正日総書記の死亡が伝えられる。ニュースは終日、この話題をトップで報道している。

 昨日は、奄美の自然を考える会の観察会に参加。前回は8月6日に開催された住用地区の夜間観察会なので、4ヶ月ぶりだ。
 今回は笠利町を中心に見て歩いた。

リュウキュウアサギマダラ

←海岸近くの雑木林では、まだ数は少ないもののリュウキュウアサギマダラの越冬風景が見られた。
↓観察会では、様々な植物を栽培されている個人のお庭、宇宿漁港周辺、あやまる岬、用の笠利崎灯台、須野ダム、喜瀬をまわって来た。
 撮影したのはフウセントウワタ、キイレツチトリモチ、オウギヤシ、ハカタカラクサ、ランタナ、オシロイバナ、ツルソバ、トキワギョリュウ、クサトベラ、オオシマノジギク、ヒメキランソウ、リュウキュウコスミレなど。
 観察会の様子をPhoto Albumにしました。こちら

観察会の様子
 観察会の後一旦家に帰り、夕方6時半から屋仁川で自然を考える会の忘年会。
12月17日(土)

 冷蔵庫の中が寂しくなったので、スーパーをまわって食材を購入。
 このところ自炊が続いているので、久しぶりに矢之脇町の食堂へ。日替わりの唐揚げ定食500円。鳥から5個に、副菜としてカボチャと昆布とジャコの煮物、キャベツとワカメと竹輪?の和えもの、生野菜、漬け物2種類、ご飯と味噌汁。

 午後2時から奄美図書館で、あまみならでは学舍の8時間目。23年度最後の授業で、永井姉妹による「島唄に育まれて」。少し早めに図書館に着いて、2階の郷土コーナーに設置された昇 曙夢に関する展示を見てから授業を受けた。
 永井姉妹は、あまみFMでパーソナリティーを努めており、「ディーお茶ど」という番組を持っているそうです。そんなお二人が島唄の演奏を交えながら、歌い始めたきっかけなどを1時間半の授業の中で話して行く。
 島口を使って笑いも誘いながら楽しい島唄話しになりましたが、後半は思いもよらず客席も本人たちも涙を拭いながらの授業になりました。深いい話です。
 奄美には歌半学という言葉がある。いろんな歌を唄ったり聴くことによって、人生の大切なことの半分は学べるということらしい。島唄は音楽であると同時に、先祖が子孫に残してくれた人生の知恵なのだろう。
 しかし、遠い祖先が島口で綴って残してくれたこの島唄を理解するのは大和んちゅーだけではなく、若い島んちゅーにも難しくなっているのかも知れない。
 お話しの合間に彼女たちが今日聴かせてくれた曲は「朝花節」「くるだんど節」「ヨイスラ」「ちゃっきり朝花」。
 You Tubeから「永井姉妹/あさばな節・豊年節」。

名瀬の空
永井姉妹

↑今年度最後のあまみならでは学舍は、永井姉妹の「島唄に育まれて」。瀬戸内町出身だそうなので、ひぎゃ唄になるようです。
←今日の名瀬の空。このところ、さえない天気が続いている。

 野田総理が昨日、福島第一原発の「冷温停止」を宣言した。溶け落ちた燃料棒が、どこにあるかすら正確に把握できない状態での冷温停止宣言とはどういうことか、またもや意味がうつらん。
 テレビで記者会見を見たが、現代の「裸の王様」を見せられている気分だった。福島第一が安定した状態で事故が収束して見えるのは、総理と取り巻きの閣僚くらいじゃないだろうか?
 アンデルセンの童話「裸の王様」のあらすじはこちらに。
 総理が裸の王様なら、布織り職人というふれこみで愚か者には見えない布を織ると言って王様たちを騙す二人の詐欺師は、さしずめ東電と保安員だろうか。
 しかし、総理の稚拙なまやかし発言に対して「海外メディア冷温停止を疑問視」「作業員 政府ウソばかり」とすでにアチコチから反発する声が上がっている。
 だいたい昨日の冷温停止宣言の前、9日に発表された原子力安全委員会、班目春樹委員長の「安全対策は問題はないが、原発は壊れているうえ、原子炉内の状況も分からず、今後、何が起こるかを予想するのは難しい。考えられる対策をできるだけ早く行うべきだ」という日本語として理解不能な発言。
 原発が壊れてて何が起こるか分からないが、安全対策は問題ない???£⁂†〒という状況が凡人には理解できない。しかし、この原子力安全委員会の了承によって「ステップ2」を達成する条件はすべてそろったことになり、冷温停止が宣言されるに至ったという。この国の仕組みがホントにわからなくなって来た(;´Д`)。
 「保安員 海への汚染水 ゼロ扱い」。こんなことが世界で通じるのだろうか?
12月15日(木)
 今年もあと半月程になってしまった。
 年末になって慌てなくてもいいように、大掃除の第一弾。散らかっている服をたたみ、掃き掃除をして、トイレ・洗面所まわりを拭き掃除。仕舞い忘れていた扇風機も、ようやく押し入れに。これで年末にキッチンまわりや、窓を拭けば大丈夫かな?
テーブルクロス
←机の上も少し片付けて、テーブルクロスを先日自分で染めたものに替えてみた。布が小さくてツンツルテンですが。
↓ネットで購入したポストカード・ファイルが今日届いた。
ポストカードファイル

 「セシウム汚泥・焼却灰が千葉県民35万人の水源地に埋立てられています
 署名することに、どれだけの力があるかわからないが、しないよりはいい。昨日、オンライン署名をした。
 これから冬を迎えて関東・東北の山々に雪が降る。やがて春が来て雪溶け水が、山を汚染した放射性物質と一緒に流れ、大地を襲うことはないのだろうか。

 今や鶏飯、アマミノクロウサギに並ぶ、奄美大島の名物がパフューム里志だそうです(笑)。今年の春に開催された第1回Y-1グランプリ王者で、奄美大島のお祭りや余興にひっぱりだこ。
 今日放送されたMBCの番組「テゲテゲ」で、パフューム里志の特集が組まれた。You Tubeに1つだけあった映像「GLITTER/パフューム里志」。

12月13日(火)
 コーヒー豆と黒烏龍茶のパックを買いに、平田町のニシムタへ。
 天気予報は午後から雨。平田町は市街の外れで、家から自転車でも20分ほどかかるだろうか。まあ、散歩のつもりでカメラをぶら下げて歩いてみる。
 大きい道は避けて、路地へ路地へと入って行く。別に探している訳じゃないのに、行くところ行くところに猫が現われる。ホントに猫島だ。
 3時頃に家を出てニシムタで買物をしたら、もう5時近く。写真を撮るには暗い感じ。帰りはほとんどシャッターを押さなかったので、6時15分くらいに家に着いた。
 雨は降らなかったので、傘を広げることはなかった。
猫
 散歩に出る前、いつも買いに行くスーパーで食材を色々と購入。1396円の牛肉が→980円→490円になっていたので、これも一つ買っておいた。
 散歩から帰り、明日のおかず用に肉豆腐を作る。そう言えば個体識別番号が付いていたな〜と思い、入力してみる。0835101835。んんん!?鹿児島産薩摩健気黒牛とラベルにあるが、輸入先の国名/オーストラリア。福岡県に来て、H 22.04.30に鹿児島に転入。H 23.10.27 に鹿児島県でと畜とある。とりあえず1年半程鹿児島で育てたから、鹿児島産薩摩健気黒牛なのだろうか。
 鹿児島産薩摩健気黒牛で検索をかけると、国産黒毛和牛の代表格「但馬牛」系列の種とオーストラリアのブラック・アンガスを交配して誕生したとでてくるが、食品の表示を読み解くのは難しい。
 牛肉の放射性物質に関する検索システムにもかけてみましたが、結果は「回収対象外の牛肉です」。
 ラベル表示の仕方に個人的には疑問はあるが、牛の場合は個体識別番号があるので、自分で調べられると言う点で今のところ肉・魚の中で一番安心して食べられる食材かもしれない。流通可能な暫定基準値は高いけれど・・・。
牛肉

←値段が2段階落ちしていたので買った牛肉。鹿児島産薩摩健気黒牛とラベルにあるが、個体識別番号で検索すると輸入先の国名/オーストラリアとは、これいかに。→とりあえず明日のおかず用に肉豆腐を作った。

肉豆腐
 本日のお散歩スナップをPhoto Albumにしました。こちら。猫だらけです(笑)。
12月11日(日)

 昨年は感じなかったが、今年になって奄美でも地震がけっこうある。
 今日の午前10時22分頃に起きた奄美近海を震源とするマグニチュード5.4の地震は、揺れが大きく時間も長かったように思う。その後も、午前中に1回、午後に2回震度1〜3の余震があった。

 午後2時から県立奄美図書館で、ロシア文学者「昇 曙夢」のシポジウム。曙夢の著書も、翻訳した本も読んだことがないが、いい機会なので話を聞きに行って来た。
 昇曙夢の履歴、著書、翻訳本などはWikipediaに詳しい。ロシア文学までは読めそうにないが、奄美関係の書物を読んでいると度々登場する曙夢の「大奄美史」は、一度借りてみたいと思う。
 晩年は奄美群島の日本復帰に尽力した人物として知られるようだが、今月の25日午前11時からおがみ山の日本復帰記念碑前で「日本復帰記念の日の集い」が行なわれ、午後2時から図書館で「奄美群島日本復帰運動について」の講演会が開かれる。

昇曙夢シンポジウム
シンポジウムで配られた資料
芝集落にある昇曙夢の胸像
↑4階の研修室で開催されたシンポジウム。 ↑シンポジウムで配られた資料。 ↑生まれ故郷、加計呂麻島の芝集落にある昇曙夢の胸像。今年2月22日に撮影。

 今日で東日本大震災から9ヶ月。
 放射能の半減期は長いが、人の記憶の半減期は短い。誰が言った言葉かは忘れたが、まさにその通りかもしれない。
 「米の汚染=福島・伊達市の2地区で新たに規制値超え」「明治粉ミルク、セシウム検出 40万缶を無償交換へ
 福島県知事が安全宣言を出した福島の米から次々に基準値を超えたセシウムが検出され、赤ちゃん用の粉ミルクからも基準値を下回る量とはいえセシウムが検出された。
 他にも「大阪府のスーパーが自主回収した乾燥シイタケから基準超えセシウム 最高値1270ベクレル/kg」と言うのがある。シイタケの場合、どこで採れたと言うことと供に、どこの原木を使ったシイタケかと言うのも問題になる。これから鍋物の美味しい季節だけれど、今年は鍋にシイタケを入れるのは諦めようかと思っている。
 粉ミルクにセシウムが混入していることを最初に指摘したTEAM二本松の活動ブログに、牛乳から検出されたセシウムの量が報告されている。暫定基準値を下回ってはいるが、そもそも暫定基準値200ベクレル/1kgと言う数字が、WHO(世界保健機関)の基準値10ベクレル、ウクライナ(チェルノブイリ被災地)の基準値100ベクレルと比べても飛び抜けて高いことを考慮しなくてはいけないだろう。

 「高線量の中で懸命の作業 陸上自衛隊の除染活動
 自衛隊による原発から20キロ圏内の除染活動が始まった。しかし除染したからと言って放射性物質がなくなる訳ではなく、移動するだけだ。高圧洗浄機で洗えば、放射性物質を含んだ水がやがては川へ、海へと流れるかもしれない。汚染された土を丸ごと取り除くと言っても、その土を最終的に処分する場所すら決まっていない。なにより高い放射線量を浴びて作業しなくてはいけない隊員の健康が心配だ。
 「除染はもとより除洗も不要だ」と言う田中康夫氏の意見は、至極真っ当だ。
 語弊を恐れず申し上げれば、桜島の噴火が終息していないのに鹿児島市内で愛車を水洗いしている“滑稽さ”と同一です。人海戦術で駆り出された住民が内部被曝を起こさぬ保証は何処にも無いのです。トンネルじん肺やアスベストの悲劇から何も学ばぬとは。更には、除染の際の水は如何に処理しているのか、杳(よう)として語られません。ここでも、水俣病どころの話では無いのです。が、渡部恒三氏の秘書から参議院議員を経て福島県知事に転身した佐藤雄平氏は、人口が減少すると交付税も減少するので疎開や移転には反対、と高言する始末。笑い話では済まされない日本の政治の機能不全です。

 意味がわからない、理解できないことを島口で「意味がうつらん」という。
 放射能で汚染されたゴルフ場が東電に除染を求めたのに対して、「原発から飛び散った放射性物質は東電の所有物ではない。したがって東電は除染に責任をもたない」とする東電の意見が裁判で通った。
 そんな理屈が通るなら、大声で騒いでも人を罵倒しても「口から飛び出た言葉は私の所有物ではない。したがって私に責任はない」も通るだろう。こんな意味のうつらん判決は初めて聞いた。
 10月に横浜のマンションの屋上でストロンチウムが検出されたが、その後、このストロンチウムは核実験由来のものだと文科省が断定したという。築7年らしいマンションの屋上で、何十年も前の核実験によるストロンチウムが検出されることも奇妙キテレツだが、そもそも政府はストロンチウムやプルトニュウムは重いので遠くへは飛ばないという見解ではなかったか。何十キロ離れた福島どころではなく、何百キロも離れた核実験場から飛んで来るなら、福島の原発事故によるストロンチウムが日本全国に飛散していても不思議ではない。いったいストロンチウムは軽いのか重いのか?政府の見解は意味がうつらん。
 ところで、意味がうつらんのウツランは、写らんだろうか、移らんだろうか、映らんだろうか?

 3.11以降、この国を、社会を動かしているのは誰だろうと時々考える。 そうした時、「制御されている私たち 原発推進の内なる空気/金原ひとみ」(東京新聞)の文章がしっくりと気持になじむ。
 彼女の小説を読んだことはないが、「それは主人すらいない奴隷である」という強烈な言葉は、凄い洞察力と表現力だと感心させられた。
 しかし多くの人が癌で死ぬ可能性よりも、個々の人間とは無関係、無慈悲に動いていくこの社会に対して、私たちが何もできないことの方が、余程絶望的かもしれないのだ。

 私たちは原発を制御できないのではない。私たちが原発を含めた何かに、制御されているのだ。人事への恐怖から空気を読み、その空気を共にする仲間たちと作り上げた現実に囚われた人々には、もはや抵抗することはできないのだ。しかしそれができないのだとしたら、私たちは奴隷以外の何者でもない。それは主人すらいない奴隷である。

12月9日(金)

 今日が本の返却期限なので、図書館へ。読み終えた4冊を返し、1冊を延長。新たに2冊借りて来た。
 全国的にこの冬一番の寒さになったようで、関東や西日本でも初雪が降った。yahooの天気予報によると、名瀬の今日の最低気温は14度、最高気温は18度。風があるので、Tシャツにトレーナー、その上にヨットパーカーを着ても自転車に乗ると少し寒い。
 隣のガソリンスタンドで、石油ファンヒーター用の灯油を購入。昨シーズンは灯油タンクを持って行って直接入れて貰ったのだが、どうも違法らしいので、ポリタンクをニシムタで買って来た。さすがに18ℓのポリタンクでエレベーター無しの5階はキツいだろうと思い、10ℓ用のを購入。場所も取らないし、これくらいが丁度いい。
 とりあえず暖房の準備は完了。部屋に居る分には、まだトレーナーを着ていればなんとかなる寒さ。まだスイッチは押さずに頑張ろう。

借りて来た本
←「水が育む島 奄美大島/写真・文 常田 守」(文一総合出版)、「世界遺産 屋久島/三好 和義写真集」(小学館)。

↓灯油10ℓで、1008円。
灯油
 文房具屋さんのサイトでポストカードファイルをたくさん、ポチッ(*´д`*)。う〜ん、これも纏まるとけっこうな額だな(汗)。
 明日の夜は、皆既月食ですね。名瀬の天気予報は曇り、見れるだろうか?
12月8日(木)

 日曜の夜にアマゾンでポチッとしたインクと用紙を、今日受け取る。昨日の昼頃に一度配達に来たようだが、気付かなくて今日の午前中に再配達してもらった。9色パック1つと、単色で4つ。KGサイズの用紙200枚入りを1つ。纏まるとけっこうな額になります(汗)。
 9色パックは使わないマットブラックが入っているのでホントは買いたくないんだが、8色単品で揃えるより安いのでしょうがない。
 頂き物のお礼にポストカードより少し大きめのKGサイズに、自分で撮影した奄美の写真をプリント。その後、少しテストプリントをしていたらインクが2本同時になくなった。さっそく届いたばかりのインクと交換する・・・orz.

プリントしたポストカード

←夏から秋にかけて撮影した中から20枚を選んで、KGサイズにプリント。

↓今日受け取ったインクと用紙。さっそくインク2本が交換。

アマゾンで買ったインクと用紙
 ほとんど一日中パソコンの前に座り、年末に向けてアレコレ作業。でも進まない(汗)。
 You Tubeで『1973ラブ・ジェネレーション・ライヴ・コンサート 日本武道館』の音源をいくつか発見。こちら。2枚組のLPで発売されたこのコンサートには、他に杉田二郎、リリィ、吉川忠英さんのいたEAST、ザ・ラニアルズも出演していた。
 このLPは未だにCD化されていないと思うが、もったいないですね。加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンドの「ピクニック・ブギ」、イルカと現マネージャーでもある神部和夫のデュオ、シュリークスの「私は好奇心の強い女」なんて貴重だと思うけれど(と思ったら、こんなの発見。しかしCD9枚組、特典DVD、CD各1枚付きで2万1千円は・・・)。
12月7日(水)

 戦後に「ブンガワン・ソロ」を歌って大ヒットした松田トシさんが、今朝、老衰で亡くなられた。
 「ブンガワン・ソロ」は、インドネシアの作曲家グサン・マルトハルトノさんが作ったクロンチョン(インドネシアの大衆音楽)の代表的な曲の一つ。この曲に日本語訳をつけて、松田トシさんが1948年に歌った。
 You Tubeから「ブンガワン・ソロ/松田トシ」。
 このブンガワン・ソロの作者、グサンさんも昨年の5月に92歳で亡くなられている。
 You Tubeからグサンさんが歌う「ブンガワン・ソロ」。こちらはクロンチョンらしい、小鳥のさえずりのような笛の旋律、さざ波のようなギターのカッティングが聴けます。
 松田トシさんがこの曲を歌っていたのは、リアルタイムでは知らない。生まれる12年も前の事だもの。確かグサンさんが1994年に来日してコンサートとレコーディングを行ない、その時に撮影で同行し、松田トシさんもかつて歌っていたのを知ったのだと思う。
 リアルタイムで知っている松田トシさんは、スター誕生の審査員だ。1971年の10月にスタートしたこの歌番組、日曜の午前中で、わりと見ていたように思う。小学生で、まだレコードもそんなに買えない。平凡と明星があって自分で買ったり友達に見せてもらったり、古本屋さんで付録の歌本だけを買った記憶もある。
 あの頃、歌手はテレビの世界の人だった。
 スター誕生がスタートした前後の歌謡曲は、今聴いてもなんだかトキメキますね。そう言えば、今年は由紀さおりさんが、ピンク・マルティーニとコラボしたアルバム『1969』が世界各地で発売され、話題になっている。そんな訳で、最近テレビで由紀さおりさんを見ることも多いけれど、お顔が変わりませんね。小学生の頃にテレビで見ていた印象からあまり違わない。
 左下の写真は、たぶん20年以上前に撮影させていただいたものだけれど、テレビで今の由紀さおりさんを見ていても顔や肌の感じが変わらない気がします。

由紀さおりさん

夜明けのスキャット/由紀さおり」「手紙/由紀さおり」「雨の御堂筋/欧陽菲菲 」「虹色の湖/中村晃子」「終着駅/奥村チヨ」「ブルー・ライト・ヨコハマ/いしだあゆみ」「愛の奇跡/ヒデとロザンナ」「雨のバラード/湯原昌幸」「さらば恋人/堺正章」「また逢う日まで/尾崎紀世彦
 この頃の歌謡曲は一曲がわりと短いですね。

→グサン・マルトハルトノさんのレコーディング風景。1994年4月1日に、青山のビクタースタジオで撮影。
←由紀さおりさん。もう20年以上前だろうか。

グサンさん
欧陽韮韮さん
奥村チヨさん
ロザンナさん
↑欧陽韮韮さん。撮影したのは25年ほど前だろうか。 ↑奥村チヨさん。1999年5月に撮影。 ↑ロザンナさん。2000年6月13日に撮影。

 ところで、自分のハジレコ(初めて買ったレコード)は何だったろうと考える。
 シングル盤は小学校の高学年に買った「木枯らしの少女/ビョルン&ベニー」か、ビートルズの「レット・イット・ビー」?「17才/南沙織」という可能性も案外あるか。
 たぶん東京堂という町の電器屋さんの中にあるレコード売り場で買ったのだと思う。
 アルバムは・・・フォークのオムニバスか、アグネス・チャンの『ひなげしの花』の気がする。自分でギターを弾きながら歌うアイドルの登場は、ちょっと鮮烈だったかもしれない。
 アルバム『ひなげしの花』では、「サークル・ゲーム/アグネス・チャン」も歌っている。そんな時代。
 作曲したジョニ・ミッチェルと、ジェームス・テイラーによる「The Circle Game」、「映画いちご白書/Buffy Sainte-Marie」。良い曲だな〜。

*オマケ「いちご白書をもう一度/バンバン」。

→2009年5月8日、ご自宅で撮影。

アグネス・チャンさん
12月4日(日)
 朝から快晴。日射しが強く、半袖のTシャツでも暑いくらい。
 自転車で2〜3分のところにある奄美市地方卸売市場(青果市場)で、イヴェントがあると言うことなので行ってみた。
農業ふれあいまつり

↑餅つき、丸太切りトーナメント、競り等のイヴェントも行なわれた「農業ふれあいまつり」。この奄美市地方卸売市場は、昨年の10月に今の場所に移転してきた。まだオープンして1年ちょっとの新しい施設。

→ぐるっと会場内を見て歩いた後、せっかくなので、みかん100円、ツワブキのつくだ煮250円、パパイヤの漬け物150円を買って来た。

みかん他買った物
 市場で買って来たものを一旦部屋に置いて、ダイエーへ。先日はケララカレーを作ったので、今日はキーマカレーを。
 プリンターのインクが無くなった来たので、アマゾンで注文した後、さっそくキーマカレーを仕込む。ケララカレー同様に炒め用、煮込み用、辛み用など様々なスパイスが小袋に入れられパッケージになっている。それをレシピに従って投入。化学実験か工作をするような感じで料理ができる。トマトの酸味が利いたキーマカレーが完成。
屋宮理容所
 玄関のポストにおまわりさんからの巡回カードが入れられていたので、名前や連絡先を記入して屋仁川交番へ届けに行く。
 日が暮れた街中を少し自転車でプラプラしてから、名瀬公民館へ。6時30分から、第8回となる「奄美歌掛けの夕べ」が開催される。
 島口で歌われる島唄を理解するのも難しいが、歌掛けは歌詞をアレンジして、あるいは即興で作った詞で唄のやりとりをするので、さらに大和んちゅーには難易度が高い。
 島唄の一番手で登場したのは、築地俊造さんと西和美さん。島唄のコンサートで必ず初っぱなに歌われる「朝花節」の歌詞をアレンジして、歌の掛け合いが始まった。途中から客席にいた若手の唄者、前山真吾さんをステージに呼び込んで三人での歌掛けとなった。50、60、70という歌詞が何回も出て来て年齢を題材にしたコミカルな歌掛けなんだろうと想像する。客席のアチコチで笑いが起こっているが、島口のわからない大和んちゅーには少々難しい。
大熊八月踊り
紅白の餅

↑オープニングで踊りを披露した奄美八・六会の方が、客席に降りて餅投げ。赤と白の餅を2個ずつゲット。
←最後は大熊青壮年団の八月踊り〜六調。

プログラムから 1.挨拶 奄美歌掛け文化保存会会長・奥山恒満 2.オープニング 踊り、奄美八・六会 3.築地俊造・西和美 4.あやまる会 5.日置幸男・梶原英世 6.長雲会 7.福山幸司・平久美 8.渡哲一・富田謙良・林和子・藤岡俊一・里美加 9.山田武和・松山美枝子 10.昇喜代子・昇和美 11.坪山豊・山元俊治 12.大熊青壮年団八月踊り

 西和美さんのお店「かずみ」にて、築地俊造さん、前山真吾さん、西和美さんが歌合わせをしている映像がYou Tubeにありました。こちら
 笠利町・節田に伝わる旧正月の唄掛け遊びの行事「節田まんかい」の映像がありました。こちら

12月3日(土)
 久しぶりに奄美少年自然の家のイヴェントに参加。「染め物を楽しもう」江戸時代の奄美の染め、と題された講座で、染め物教室3回シリーズの最終回。1、2回は参加していないのでわかりませんが、今回はヒロキ(ヒルギ)染め・ハックァギ(アカネイヌビワ)染めだそうです。
 ヒロキ染めはマングローブの幹と葉を、ハックァギ染めはアカイヌビワの幹と葉を使った方法。この2つの染め方で、テーブルクロスを作ります。
織機の実演
左源太の描いた織機
←↑染めの講座の前に、資料で配られた名越左源太の描いた織機の実演がありました。門外漢には、縦糸と横糸の関係がチンプンカンプンでしたが、身体全体を使っての織り方でした。
染めの行程
完成品

1 糸で色の境界線を縫ってから布を絞り、染めない方にビニール袋を被せる。染める部分をハックァギ染めの液に10分ほど浸ける。
2 水洗。
3 石灰の媒染液に5分ほど浸ける。
4 水洗。
5 染めた場所にビニールを被せ、ビニールを被せていた所をヒロキ染めの液に10分ほど浸ける。この後、水洗、媒染。
6 布全体を水洗し、乾燥。
←左がヒロキ染め、右がハックァギ染めの色。

 1時に受付開始、1時半から講座を開始して4時終了となっていましたが、行程がシンプルだったためか3時半頃には終わりました。
↓奄美少年自然の家からの帰り。赤崎公園の入口に石碑が建っているのは認識していましたが、よく見ると「島育ち」の碑でした。先日は田端義夫さんの島育ちをリンクしたので、今日は子供たちの「島育ち〜島のブルース〜安里屋ユンタ」をYou Tubeから。
赤崎公園の展望台から

←せっかくなので赤崎公園の奥にある展望台へ。今日も朝仁、小宿の沖は波が高いですね。

↓帰りは千年松の横を通って朝仁に下りて、スーパーで買物をして帰宅。なぎさ園はすっかり更地になっていました。

島育ちの碑
更地になった、なぎさ園
 今日はず〜っと曇り空だったのに、夕方になって急に山の空が赤く焼けだした。ホント〜に島の天気はわからない(゜▽゜*)。
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら
夕焼け
12月1日(木)
 今日から師走。
 大熊集落の写真を撮りに行こうとさばくりにんさんから電話。そんな訳で昼から大熊へ。
 集落を見下ろして漁港が見える写真が撮りたいと言うことで、展望台へ行く道を上がり、途中から林道に入り集落の背後にまわる。何時の大雨で崩れたのか分からないが、崩落した斜面をよじ登って撮影。何回も滑って、ジーンズもスニーカーも泥だらけ。
 集落と漁港の見える写真は一応撮れましたが、手前の木がちょっと入り過ぎますね。他に撮影スポットはないだろうかと、龍王神社、神社の奥の山を上った段々畑にも行って撮影。龍王神社からは集落、漁港、そして山羊島まで見渡せますが、もう少し高さが欲しい。段々畑からは高さはバッチリですが、山羊島がキレイに入らない。どこも一長一短ですね。
大熊集落
センネンボク
安木屋場のカトリック教会
↑林道の斜面を登って撮影した、大熊集落。 ↑大熊にて、センネンボクの花。 ↑安木屋場のカトリック教会では、クリスマス用に馬小屋のディスプレイを製作中。
 大熊集落を撮った後に嘉徳集落へ行ってみようと思っていたのですが、あんまり天気が良くないし日が暮れるのも早くなったので、もう少し近場の安木屋場集落へ。途中、浦上にあるsonokaで、コーヒーとケーキの休憩。ご馳走さまですm(_ _)m。
 浦から龍郷湾沿いに走って安木屋場へ。集落の中にあるカトリック教会では、クリスマス用のディスプレイに馬小屋を製作中でした。
 集落の背後の山を上がり、今井大権現に。10月5日に安木屋場の海岸で開催されたユタの祭祀、今井大権現祭は見ましたが、神社へ来るのは今日が初めて。
 鳥居の前まで車で来て、そこからは歩いて階段を上ります。階段の数の多さもさることながら、一段一段が高いのと、崩れている箇所もあるので大変です。
 今日は東京辺りでも、かなり寒い一日になったらしいが、大熊の林道の斜面や今井大権現の階段を上って、半袖のTシャツでも汗をかきました。
今井大権現
安木屋場の海1

↑安木屋場集落の背後にある山を登ったところにある、今井大権現。龍郷町のホームページには、「大島代官職,今井六衛門が1726年に石碑を寄進し平家の落人伝説の今井権太夫をまつったのがこの神社である。この神社の石段は薩摩から持ち込まれ物である。ここに平家の落人が見張り所を設けたと伝えられる」と書かれている。
 今井権太夫は遠見番として、この場所で源氏の船を見張っていたようだ。

←↓安木屋場の海。この後、土砂降りの雨が降った。

安木屋場の海2
↓安木屋場の海岸沿いに建つ民宿なべき屋にて、晩ご飯。ビールにワインもいただいて、またまたご馳走さまでしたm(_ _)m。
 どうした成り行きか、帰りは宿のご主人に車を運転していただいて名瀬へと帰って来た(笑)。
晩ご飯
 本日のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

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