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○9月3日(土) 十五夜唄あしび〜クニャぬヒギャ節会と八月踊り〜/奄美文化センター野外ステージ 18:30会場、19:00開演 入場料1000円(当日1200円)
○9月8日(木) 秋名のアラセツ行事(ショチョガマ・平瀬マンカイ)
○9月8日(木)、9日(金) 佐仁集落・八月踊り(アラセツ)
○9月10日(土) キトバレ踊り(大和村恩勝集落)
○9月10日(土) ビン類、ペットボトル
○9月11日(日) 大和村 十五夜豊年祭(津名久・大和浜・大棚・大金久・戸円・志戸勘・今里集落)
○9月12日(月) 旧暦8月15日 与論島・十五夜踊り
          油井豊年踊り 瀬戸内町・油井集落
○9月14日(水) 図書館 本の返却期限
○9月14日(水)、15日(木) 佐仁集落・八月踊り(シバサシ)
○9月18日(日) 西阿室テンテン踊り
○9月18日(日) 敬老なくさみ大会(仮称)/午前10時開始予定/東目手久闘牛場(伊仙町東目手久)
○9月24日(土) あまみならでは学舍「夏目漱石の作品と思想」講師:大島高校教諭・福重成美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○10月2日(日) クガツクンチ(国直・湯湾釜・思勝・名音集落)
○10月4日(火) 図書館 本の返却期限
○10月5日(水) 諸鈍シバヤ(加計呂麻島・諸鈍集落)
          実久三次郎祭り
○10月8日(土) ビン類、ペットボトル
○10月8日(土) あまみならでは学舍「海外生活で考えた島のこと」講師:シニア海外協力隊OB・恵原正継/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○10月9日(日) 全島中量級・ミニ軽量級優勝旗争奪戦闘牛大会(仮称)/午前10時開始/伊藤観光ドーム闘牛場(徳之島町亀津)/大人3,000円(高校生)、小人1,000円(中学生)、小学生以下無料
○10月16日(日) 第25回三太郎まつり 午前10時〜/メイン会場:自由広場(木工工芸センター横)
○10月16日(日) 全島一・軽量優勝旗争奪戦闘牛大会(仮称)/午前10時開始/(新)松原闘牛場(天城町松原)/大人3,000円(高校生)、小人1,000円(中学生)、小学生以下無料
○10月23日(日) 第3回島口島唄の夕べ 奄美文化センター開場/17:30、開演18:00 前売り1000円、当日1200円
○10月23日(日) 与路島祭り
○11月10日(木) 旧暦10月15日 与論島・十五夜踊り
○11月11日(金) モチモレ踊り(大和村・湯湾釜集落)
○11月12日(土) あまみならでは学舍「大島紬の魅力」講師:紬ひろば「あまみ〜る」内山初美/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)
○11月12日(土) ビン類、ペットボトル
○12月10日(土) ビン類、ペットボトル
○12月17日(土) あまみならでは学舍「島唄に育まれて」講師:唄者・永井陽子 美香姉妹/県立奄美図書館 午後2時から午後3時30分まで(90分間)

市の広報誌「奄美市だより」12月号に、2011年(平成23年)奄美大島の主な年中行事一覧が載っていたので転載。
○旧正月:旧暦1月1日→新暦2月3日(木)
○歳の祝い:旧暦1月2日/新暦1月2日(日)(※1)
○ナリムチ:(小正月の前日)新暦1月14日(金)
○山神祭り:旧暦1月16日→新暦2月18日(金)
○サンガツ節句:旧暦3月3日→新暦4月5日(火)
○ハマオレ(ハマオリ):旧暦4月の寅の日、あるいは甲の日に行うところが多い。
○ゴガツ節句:旧暦5月5日→新暦6月6日(月)
○七夕:旧暦7月7日→新暦8月6日(土)
○旧盆迎え:旧暦7月13日→新暦8月12日(金)
○旧盆送り:旧暦7月15日→新暦8月14日(日)
○88の歳祝い:旧暦8月8日→新暦9月5日(月)
○アラセツ(※2):旧暦8月11日→新暦9月8日(木)(※3)
○八月十五夜(※4):旧暦8月15日→新暦9月12日(月)
○シバサシ:旧暦8月17日→新暦9月14日(水)
○タネオロシ:旧暦9月の日柄の良い日(地域・集落によって日程が異なる)
○旧暦9月9日(※5)→新暦10月5日(水)

※1‥以前は旧暦の1月2日に祝っていましたが、近年は新暦の1月2日に行う家庭が多いようです。
※2‥秋名アラセツ行事[

平瀬マンカイ]:龍郷町秋名(国指定) 等
※3‥アラセツ行事は、旧暦8月の最初の丙の日に行われます。旧暦8月最初の丙の日が旧暦8月1日になった場合,前日のツカリの日は旧暦7月になってしまい、一連の行事が月をまたがってしまうことになる。このような場合には次の丙の日がアラセツ行事を行う日となるようです。(平成16年にも同じことがありました。)
※4‥油井の豊年祭:瀬戸内町油井(県指定)、十五夜綱引き:小湊 等
※5‥諸鈍シバヤ:瀬戸内町諸鈍(国指定)、クンチ祭り:西仲勝 等

道の島交通では、7月16日より路線バスの乗り放題券を発売しています。大人1日間2000円、2日間2500円、3日間3000円、4日間3500円、5日間4000円、6日間4500円、7日間5000円で協賛施設での特典も付いています。詳細はこちら

○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○Shinya Fujiwara official site Talk&Diary http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式まとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○twitter#genpatsu http://twitter.com/#!/search?q=%23genpatsu
○twitter#fukushima http://twitter.com/#!/search?q=%23fukushima
9月30日(金)

 借りていた本を読み終えたので、新たに本を借りて来ようと図書館に行くが閉まっている。休館日??(ネットで調べたら休館日は月曜日で、今日は整理研修日のためお休みだったよう)。しょうがないので、図書館の先、平田町のニシムタで買物。
 一旦部屋へ戻って、100mmのマクロレンズを付けたカメラを持って朝仁の海岸へ。最近、アダン林で生まれたばかりのオカヤドカリをたくさん見かけるので撮影にチャレンジ。
 アダンの木の下でしばらくジッとしていると、視界の隅で何かが動く。見ると体長5mmほどの貝を背負ったオカヤドカリ。
 静かに砂の上でしゃがんでいるとアチコチで貝が動き出す。中には2mmほどの小さなオカヤドカリもいて、どこからそんな小さな貝を見つけて来たんだろうと不思議にもなる。
 しゃがみ込んでオカヤドカリを撮影していると、海岸に流れ着いた漂流物を棒で探しながら歩いている人がやって来た。んん?と思っていたら「先日の台風12号で流れ着いたモダマを探してる」と自分から話してくれる。住用村のモダマとは違う種類で、台風があると東南アジアの方から流れて来ることがあるとか。
 瀬戸内町の人で、熊本へ出張に行った帰りに寄ったと言う。奄美では、他に龍郷町の円にも流れ着くらしい。
 色んな人がいるな〜と思いながらオカヤドカリを撮影し、近くのスーパーで買物をしてから帰宅。

オカヤドカリ
漂流モダマ
↑小さな枯れ葉の上を歩いているオカヤドカリの赤ちゃん。体長4〜5mmほどか。

←台風12号で東南アジアから流れ着いたというモダマの種子。住用のモダマとは種類が違うそうです。このブログによると、海岸に打ち寄せられた藻といっしょに見つかるので、昔の人が海藻の種か何かと間違えて「藻玉」と呼んだそうです。こちらに、漂着したモダマの写真がたくさんありました。ちなみに住用村のモダマの写真は、こちらにあります。
オカヤドカリのスナップ
 今日撮影したオカヤドカリのスナップをPhoto Albumにしました。こちら。You Tubeで見つけたオカヤドカリの産卵

 読み終えた本から、気になった箇所を抜粋。
「奄美、もっと知りたい/神谷裕司」(南方新社)

〜略〜 
 平家伝説は、奄美大島、喜界島の各集落に残る。かいつまんでいえば、一一八五年、源平の壇の浦の合戦で平家は敗れ、九州南部に落ちた平資盛を総大将とする一団が喜界島に上陸。その後、奄美大島に渡り、平資盛は加計呂麻島の諸鈍に、平有盛は、いまの名瀬市の浦上に、平行盛は、いまの龍郷町の戸口に城を築いたというものだ。その三カ所には、それぞれ三人を祭る神社が存在している。
 高橋さんは、伝承の背後に按司たちの衰亡を見たうえで、「伝承を広く共同体に定着させていく役割に、民間宗教者としてのユタ神たちの影響力も無視できないものがある」と指摘する。「意味の喚起者」として存在するユタが、奄美の伝承世界を固定して色あせることなく語り継いでいるのだとも言う。
 さらに、「なぜ平家伝説が奄美に伝播されたのか」という問いには、こう答える。
 琉球王国の正史では、伊豆大島から逃れた源為朝の子、舜天が王府を開いたとする。奄美の支配層が源家を名乗るのは、琉球王府とのつながりを保証する権威を得ることにあった。だが、薩摩支配が進む中で、王府とのつながりも断ち切られ、新たな権威づけの系図として平家文書が現れてくる、というのである。「平家伝説は当初為朝伝説を背景とする琉球王府とその旧慣に対する、いわば対抗的な権威や意味を持って表れたのではないだろうか。その平家伝説の価値が系図に十分反映されることなく終った時、それは特定の家筋を離れて共同体へ流れ出ていったと想像してみることもできる」

〜略〜
*高橋さん 高橋一郎さん(名瀬市に住む民俗研究家)
第一章 ノロとユタ 平家伝説とユタから

 原告には、クロウサギやアマミヤマシギなど四種の動物も名を連ね、日本初の「自然の権利」訴訟として全国的に知られるようになった。原告側の考えは、野生生物を含む生態系そのものに本来の姿で存在する権利がある、というものだ。

 さて、動物原告については、提訴から約一ヶ月後、三月二十二日付で鹿児島地裁が「動物が訴えることはありえないので、四種の動物表示は余事記載か無意味な記載である」などとして、動物原告部分の訴状を却下する命令を出した。
 それで原告側は、七月三日の第一回口頭弁論では、動物を「代弁」する形で自然保護団体のメンバーが訴えた。この日、アマミヤマシギの「代弁者」として法廷に立った名瀬市在住の常田守さん(一九五三年生)は、奄美大島の野鳥観察にかけては「ピカ一」と言われる人で、野鳥だけでなく奄美の野生生物の生態写真を数多く撮影している。常田さんはヤマシギの思いを、「人間の生活を脅かすつもりはありません。ただ、私たちの生活も尊重して欲しい。先祖代々、この森で食べて、恋をして子どもを育ててきたのです」と切々と述べた。

*この奄美「自然の権利」訴訟を契機に、「自然の権利」基金が設立された。
第五章 自然と開発から

 春、鹿児島県奄美大島を訪れた人は、芸術家の赤瀬川原平氏が「緑のパンチパーマをかけた」と表現した森の豊かさに、まず驚くだろう。
*新緑の椎木で、山がボコボコしている奄美の春。ブロッコリーのようという例えはよく聞くが、緑のパンチパーマ(笑)。赤瀬川原平さん、さすがです。
同じく第五章から。

〜略〜
 戦後の奄美の政争史をたどると、行政分離下の時代に行き着く。
 米軍政下の一九五〇年十月、奄美群島政府の知事選挙が行われた。中江実孝氏と笠井純一氏=いずれも故人=の一騎打ちで、中江氏六万百三十八票、笠井氏四万千九百四十八票、中江氏が初代知事に当選した。この選挙が、激しい政争の発端だったといわれる。ちなみに群島政府自体は、五二年に廃止された。

〜略〜
*奄美群島政府については、こちらに詳しく書かれている。
第六章 ヤスとトク 政争も文化かから

〜略〜
 さて、戦後の米軍支配を終えて、十五年ほどたった一九六九年から米の生産調整が本格的に始まる。群島全体で約四千三百四十ヘクタール(六八年度)あった水田が、減反、減反でどんどん減らされ、その代わりにサトウキビが植えられていく。いまや水田はたった五十九ヘクタール(九四年度)しかない。
 言うまでもなく、水田は、日本の食生活の基礎であるコメをつくる。奄美では、そのコメをほとんど全部外から移入せざるを得ないわけだ。しかも、水田の減少がもたらすものは、コメの不足だけではない。水田には、環境保全作用がある。水をためて乾燥化を防ぎ、用水路などには小魚などが泳ぐ。そうした機能も破壊されてしまった。さらに言えば、日本の民俗文化は水田とともにあった。名瀬市大熊のノロの祭祀にしても、稲穂を使ったりする農耕儀礼であるが、水田の消失とともに消え去りつつある。奄美大島で唯一、ある程度の広さの水田をもつ龍郷町秋名集落で、国の重要無形民俗文化財に指定されている農耕儀礼「ショチョガマ」と「ヒラセマンカイ」が伝えられているのも、水田が残っていればこそのことだと思う。

〜略〜
第七章 紬とサトウキビから

9月26日(月)
 昨日は夜になって何度も防災無線で大雨警報が呼びかけられた後、23時45分に大雨・洪水警報のエリアメールが送られて来た。
 ネットで#amamiのツイッターを見ると、アチコチで冠水や河川の氾濫の報告。昨年10月の豪雨災害を思い出させる。

 一夜明けて、テレビのニュースで災害の様子を知る。昨年10月の豪雨災害は、さして激しい雨ではなかったが長く長く降り続いたために起った。今回は笠利、龍郷で記録した一時間に120mm以上という激しい雨が原因のようだ。
 朝になって雨は弱まってきたが、一日中ほとんど雨模様。明日は全国的に晴れらしいが、奄美だけは雨だとテレビの天気予報・・・orz。
今日の名瀬港
↑今日午前中の名瀬港。↓テレビのニュースで伝えられる奄美の豪雨災害。今回は龍郷町の被害が大きいようだ。昨年10月の豪雨災害による土砂崩れの現場も、まだ修復できていないのに。
ニュース画面

奄美市役所のホームページから

9/26 15:00 避難状況(自主避難)
・芦花部公民館16名
・手花部集会所7名
9/26 10:00 避難状況(自主避難)
・芦花部公民館16名
・有良児童館8名
・手花部集会所2名
・その他避難所20名
9/26 7:00 避難状況(自主避難)
・名瀬中学校2名
・朝日中学校123名
・浦上公民館20名
・芦花部公民館16名
・有良児童館8名
・喜瀬3区集会場7名
9/26 5:00 避難状況(自主避難)
・名瀬中学校2名
・朝日中学校123名
・浦上公民館20名
・芦花部公民館16名
・有良児童館8名
・赤木名里集会場1名
・喜瀬3区集会場7名
9/26 5:10 【被害状況】笠利町喜瀬床上浸水2棟(2世帯3名)
9/26 1:40 笠利町手花部の6世帯8名に避難勧告を出しました。
9/26 1:10 笠利町喜瀬1区の1世帯6名に避難指示を出しました。
9/25 23:15 奄美市に土砂災害警戒情報が発表されました。
9/25 23:15 奄美市災害対策本部を設置しました。
9/25 23:10 名瀬地区で必要がある場合は、近くの避難所まで避難してください。
9/25 22:00 奄美市災害警戒本部を設置しました。

龍郷町のホームページから

●避難者情報(9/26 7:00現在)
秋名カトリック教会 1世帯2名、秋名の郷6世帯63名
嘉渡生活館 12世帯17名
円公民館 6世帯9名
久場へき地集会所 14名
浦生活館 9名
大勝小学校 70名
下戸口公民館 16世帯34名
戸口小学校 29名
上戸口公民館 26名
手広コミュニティセンター 1世帯2名
赤尾木公民館 4世帯5名
りゅうゆう館 53名(愛寿園入所者)、11名
龍郷役場 2名
大勝生活館 1世帯1名
●9/25 23:15 鹿児島県土砂災害警戒情報発令
●9/25 22:30 龍郷集落と瀬留集落の233世帯491名に避難勧告。
●9/25 22:30 龍郷町災害対策本部を設置しました。
●9/25 22:00 龍郷町災害警戒本部を設置しました。

9月25日(日)
 午前中から「赤、頑張って下さい。青も・・・」という実況中継が、近くの金久中学から聞こえて来る。このところ横を通ると予行演習をしていた運動会が、今日開催されているようだ。
 お昼ご飯を食べテレビを見て、3時過ぎに買物に出たついでに寄ってみると最後の競技だったらしく、直ぐに閉会式になってしまった。
 天気予報では午後から雨となっていたが、運動会中はなんとかもった。
 入舟町のスーパーを見てから朝仁海岸に行き、猫の顔を見てからスーパーでパンと牛乳を買って家に戻る。
 夜になって、土砂降りの雨。
金久中の運動会
朝仁海岸の猫01
↑近所にある金久中学の運動会。買物に出たついでに寄ってみたが、直ぐに閉会式になってしまった・・・orz。ちなみに正面の山が所々薄らと赤いのは、紅葉ではなく松枯れです(汗)。
←↓久しぶりに朝仁海岸の猫。
朝仁海岸の猫02

 ようやく写真データの現像が追いつきました(*´д`*)。
9月14日 佐仁集落 八月踊り
9月18日 西阿室集落 豊年祭・テンテン踊り

9月23日(金)
 昨日の夜9時頃に、東京で修理に出して来たカメラとレンズが届いた。ソニーのサービスセンターからは13日に、修理が出来たのでこれから発送するという電話があったので、台風15号の影響で鹿児島港辺りで1週間ほど足止めされていたのかな?
 届けにきたクロネコの人は「夜分にすいません」と申し訳なさそうだった。台風で長く船便が停まっていて、届けなくてはいけない荷物が山のようにあるんだろうか。何だかとっても大変そうだった。
 カメラとレンズが届いたのは良いけれど、それと同時に修理代が飛んで行った。カメラボディの方は手振れ防止ユニット、操作スイッチ、バッテリーボックス、スクリーンの交換。レンズの方は中間鏡筒、1群移動枠、ズームラバーの交換。おかげで、ダブル・ズームレンズ付きのミラーレスカメラが新品で買えるほどの修理代になってしまった(汗)。
修理の終わったα700とレンズ
送られて来た箱
↑台風15号で足止めされていたカメラとレンズが、ようやく届いた。
←修理が終わったα700と、18−250mmのレンズ。レンズは望遠側のAFが利かなくなっていた。
箱の中
α700の交換部品
レンズの交換部品
↑緩衝材をいっぱい入れて送られて来たカメラとレンズ。 ↑α700の修理で、交換された部品も一緒に送られて来た。 ↑こちらは18−250mmレンズの修理で交換された部品。

 昨日、今日となかなか良い天気だけれど、すっかり秋の空気に入れ替わったようだ。昼間でも、半袖のTシャツなら扇風機がいらないくらい。夜は半袖のTシャツだと、ちょっと寒いかも。
 夕方、奄美図書館から電話。明日の、あまみならでは学舍の案内だった。毎回前日に電話で知らせてもらえる。今回はすっかり忘れていたので助かりました。明日は「夏目漱石の作品と思想」講師:大島高校教諭・福重成美さんです。
 さて、今日の夜中から明日の朝の間に、宇宙ゴミとなって徐々に高度を下げている大気観測衛星「UARS」の破片26個が落ちて来るそうです。色んな事が起ります(≧▼≦)。

*大熊集落の種下しと、恩勝集落のキトバレ踊りの写真が出来ました。
8月26日 大熊集落・種下し
9月10日 恩勝集落・キトバレ踊り

9月21日(水)

 昨日奄美大島を抜けた台風15号は速度を早めながら九州の東を通り、四国や近畿に大雨を降らせ、今日の午後に静岡県浜松市に上陸。そのまま日本を縦断するように、東海、関東に大雨と暴風の被害をもたらしながら東北に向かって進んでいる。
 首都圏の交通網はズタズタになり、電車の運休が相次いでいる。風も強いようで、神奈川県などでは停電もおきているようだ。こんな大型の台風が、首都圏を直撃するのは久しぶりな気がする。

 奄美は昨日、台風が抜けた後も吹き返しの風が強く、時々サッシを揺らす事もあったが、今日はわりと穏やかな天気になった。
 冷蔵庫の中も淋しくなって来たので、久しぶりに食材の買い出し。いつも買物をする朝仁のタイヨーは乳製品や納豆、パンだけでなく魚や肉も随分と少なくなっていて欲しい物が見つからない。時々買いに行く入舟町のグリーンストアーは、乳製品こそないものの、魚、肉は豊富に揃っていた。お店によって何でここまで品揃えが!?と驚くほど店内の様子が違っていた。

久しぶりにフェリーの入港

 夜8時過ぎと9時過ぎ、続けてフェリーが入って来た。船の入港は15日以来だろうか。
 奄美の近くに台風が居座って海が時化ていたため、フェリーが入港できずに物流がストップしていた。これで明日あたり、牛乳が店頭に並ぶかな?
 長く居座っていたわりに、雨風による影響は少なかったけれど。
↓右は昨日の名瀬港、左は今日の名瀬港。今日は青空も少し顔を見せた。

昨日と今日の名瀬港
 台風が去ったら、なんだか秋の気配も濃くなって、今日は半袖のTシャツでは少し肌寒い時も。暑い時には家で食べる気にならなかった味噌汁を、何ヶ月ぶりかで作る。タマネギとハンダマと油揚げと豆腐の味噌汁。
 野菜を買いに八百屋に行ったら、バンシロウのツーンとくる甘い匂い。小さなタネがいっぱいで食べるのは苦手だけれど、香りはとてもいい。あ、バンシロウはグァバのことです(*´д`*)。

 ようやく先月の与論島旅行のPhoto Albumができました。
8月18日 与論島へ
8月19日 与論島2日目 大金久海岸 百合ヶ浜
8月20日 与論島3日目 大金久海岸の朝焼け 赤崎・城周辺 土葬と風葬
8月21日 与論島4日目 大金久海岸〜品覇海岸 ハミゴーを探して
8月22日 与論島5日目 ポッポ焼き ドラゴンフルーツ 茶花
8月23日 名瀬へ

9月18日(日)
 朝5時頃に起きると、外は雨。小雨決行とはなっていたけれど、西阿室集落の豊年祭、テンテン踊りは開催されるんだろうか?ちょっと心配になりながら、パソコンで与論島の写真作成作業。
 道の島バスの本社で一日乗車券2000円を購入して、8時31分の古仁屋行きに乗車。天気は次第に回復してきた。
  
大島海峡

 古仁屋漁港に近いコンビニ・エブリワンでお弁当、お茶、飴を購入。台風でフェリーが入って来ないためか、お弁当の種類が少ないですね。
 古仁屋を10時20分に出港のフェリーかけろまで、瀬相港へ。大島海峡内には、台風で避難して来たと思われる船が5〜6隻。
 瀬相港から加計呂麻バスで、西阿室集落へ。乗っている時間は短いですが、右に左にカーブの連続です。   
←外洋から避難して来たと思われる船が何隻も並ぶ、大島海峡。フェリーかけろまで渡っている時は、なんだか空模様が怪しくなりました。

 豊年祭は12時から。ちょっと早く着いたので、お弁当を食べ、集落を少し散歩し、豊年祭の準備の様子を見学。集落の土俵の近くにある西阿室教会の庭では、マリア像の下で青年団が踊りの練習をしている。
 お昼きっかりに豊年祭はスタート。まずは振り出し(相撲の土俵入り)から始まり、テンテン踊りへ。テンテン踊りは里と金久の字に分かれて踊り、花飾りを競うようです。「テンテンテンナーシチュルクテン・・・テンテン」と少しコミカルで不思議な唄が印象的。同じ瀬戸内町の油井豊年祭で唄われる曲も、面白かった印象がある。こんな曲です(You Tubeから)。
 テンテン踊りの後は、豊年相撲と余興。赤ん坊の土俵入り、兄弟相撲、親子相撲、婦人会の踊り、小学生の踊りなどが続きます。写真を撮りながら、頂いた缶ビールを2本飲んで良い気持。朝早く起きたので、ちょっぴりウトウト。
 最後は集落全員による西阿室長寿音頭から、八月踊り、そして万歳三唱で締められました。パラパラっと小さな雨が降る事もありましたが、台風が接近しているとは思えない良い天気でした。
テンテン踊り
豊年祭のスナップ

 帰りは瀬戸内商工会による「地域の魅力でおもてなし」事業(着地型地域中小・小規模企業支援事業)あっぽでぃ!2011のツアーに便乗させてもらって、観光バスとチャーター船で古仁屋まで。
 古仁屋から最終の一つ前、5時45分発のバスで名瀬へ。名瀬市街に入った7時頃には、既に外は真っ暗。日の暮れるのが、随分と早くなりました。

 あっぽでぃ!2011では、ヤドリ浜祭り(9月25日)、スリ浜祭り(10月2日)、島唄・島歌in海の駅(10月15日)の参加者を募集しているようです。また道の島交通でも、有料ですが10月1日、5日「奄美平家物語」ツアー、11月22日「教会建物見学ツアー」などを用意しています。

*さっそく、この日の西阿室テンテン踊りがYou Tubeにアップされていました。早い〜!

*Photo Albumはこちら。9月25日に更新。

9月15日(木)
 台風15号の影響か、雨が降ったり止んだりのお天気。午後からは雷がゴロゴロと鳴り出す始末・・・orz。
 今日は佐仁の八月踊り、最終日。土砂降りの雨の中、見に行こうかどうしようか迷っているうちにバスの時間が来てしまった。気持を切り替えて、今日は写真の現像作業をしようと思ったら、天気は徐々に回復。行けばよかった・・・。
 今回の台風もノロノロスピードらしく、しばらく影響しそうなので、雨の止み間に食材の買い出し。スーパーに行き、近くの八百屋に行き、ついでにガス代も払って来た。
 スーパーでは、早くも牛乳の棚は空。納豆の棚が空になるのも時間の問題かな?
ハンダマ

 八百屋でハンダマを一束購入。奄美ではよく食べられる野菜ですが、自分で買うのは初めて。
 レシピを検索しながら調べると、ハンダマは加賀野菜の金時草(キンジソウ)と同じ物なのですね。なんとなく親しみを感じていたのは、そのせいか。
 オクラと一緒に茹でて、豆腐と混ぜてポン酢をかけて食べました。
 スーパーで買った豚バラのブロックは、半分はカレー用に取って置き、残りで角煮を作る。コトコトと煮込みながら、パソコンで与論島の写真を現像。

↑ハンダマ。イラストの黒い動物がアリにも見えるが、たぶん奄美のクロウサギ?↓8月20日、与論島3日目のスナップから。
8月20日 与論島のスナップ
9月14日(水)

 久しぶりに、道の島バスのフリーパスを購入。いつもは一番お得な7日間乗り放題5000円のチケットを買うのですが、台風15号が発生し、しばらくは荒れた天気が続くという予報なので、2日間2500円のチケットを購入。これで今日と明日行われる佐仁集落の八月踊りを見に行く。
 午後1時50分に港町営業所を出る佐仁行きのバスに乗車。このところ奄美大島周辺の島々をまわっていて、大島の中の集落巡りをしていなかったので、長距離をバスに揺られるのも久しぶりだ。南部に比べて山が少ない北部ですが、それでも揺れますね。
 終点の佐仁に3時半頃到着。佐仁の海岸まで歩くと、相変わらず雲と海がカッコいい。しばらく海岸線から写真を撮った後、集落の中を散歩。

↓佐仁の海岸線から。この海岸線からは四季を通じて夕日が見れるようです。

佐仁の海と空
 防災無線が、今日のシバサシの踊りへの参加を呼びかけている。聞いていると「・・・踊りは6時頃にスタートしたいと思います」。えっ?名瀬に戻る最終バスは6時半頃。30分しか見れないの?確か昨年は5時頃に始まったはず。ガーーーン(@_@;)!!と思いましたが、佐仁集落は2つの班に分かれて踊り、6時スタートは2班で、1班は5時から踊るとわかり安心しました。
 5時から踊り始める1班は、佐仁の海岸線を少し屋仁の方へ歩いた楠野地区からスタートと聞く。歩くと少し距離があるな〜と思っていたら、先日あまみならでは学舍「佐仁八月踊りについて」で講師を務められた佐仁八月踊り保存会会長・前田和郎さんと道でバッタリお会いして、楠野まで車に乗せてもらった。
 「楠野地区は大島紬の泥染発祥の地」と書かれた案内板。その案内板の向かいの家の前の道路で、八月踊りが始まった。女性がチヂンでゆっくり静かにトン・・・トン・・・とリズムを打ち出す。少しずつ唄が加わり、声が重なり、テンポが早くなり佐仁独特の高揚感が生まれて行く。
八月踊り全景
↓踊りの合間にお酒を飲み、料理を頬張る。私も佐仁の郷土料理をいくつかご馳走になりました。
八月踊りスナップ
写真展の案内葉書

 楠野から佐仁まで歩き、6時34分の最終バスで名瀬に戻る。街灯のほとんどない道を走るバスは、日が沈んだらどこを走っているのかわからない。
 名瀬市街に入り、郵便局の前で降りて自転車で帰宅。

←神奈川の住所から転送されて「雪のむこうに」いはら ほつみ写真展の案内が届いた。10月4日(火)〜17日(月)新宿Nikon Salon。同封されていた2枚のポートレート、良いですね。

*Photo Albumはこちら。9月25日に更新。
9月13日(火)

 昨日出来上がった写真データをDVD-Rに焼いて、サンプルのプリントと一緒にレターパックで出版社に送る。翌々日には着くと言うので、15日には納品完了かな。
 郵便局から図書館へ行き、先日借りた本3冊の貸し出し期限の延長をしてもらう。東京に行っていたのもあって、ほとんど読めなかった(汗)。
 一旦部屋に戻ってからスーパーで買物をし、部屋の掃除。データ作成優先で、東京から送った機材も段ボールに入ったままだった。出しっ放しの物を仕舞い、ホウキとチリトリで掃き掃除。裸足で部屋を歩いていると足の裏が黒くなるので、また本格的に拭き掃除もしなくては(;´Д`)。

 仕事のデータ作成が終わったので、与論島へ旅行に行った時の写真を現像。撮ったはいいが、未現像の写真データがかなり溜まっています。

8.19与論島のスナップ
↑8月19日、与論島2日目のスナップです。まだ一ヶ月も経っていないのに、随分前の気がします(笑)。
9月11日(日)

 午前中から、2日に撮影してきた大谷内先生の書籍用写真の画像処理。夜になって、ようやく運動85カット、著者プロフィール用顔写真2カットが完成。バックを白飛ばしで、尚かつ人物が馴染むように若干影を残して処理。久しぶりに切り抜き、合成、コピー&ペーストの嵐。明日、サンプルをプリントして最終チェック。

 昨日も午前中から画像処理をしていましたが、5時半過ぎから大和村・恩勝集落のキトバレ踊りを見に行って来ました。「キトバレ=祈祷祓い」でしょうか?
 6時頃に集落の公民館に人が集まり、そこからトネヤへ。青年団の代表の方々がトネヤの神棚に祈願し、お神酒をいただいて、トネヤの庭で八月踊りがスタート。
 踊りの途中、花(寄付)の披露があり「○○様より、金百万両いただきました〜」と寄付した家庭の名前が読み上げられ、その度にキトバレと書いた旗を持った花走りがグルグル回る。一通り花の披露が行われた後、踊りに戻り、最後は六調で締めて、次の会場に向かいます。
 トネヤの後、第5会場までまわって踊るそうですが、第4会場での踊りの途中まで見て帰って来ました。

キトバレ踊りトネヤにて
トネヤの祭壇
↑トネヤの神棚。
←踊りはトネヤの庭からスタート。その後、集落内に設けられた5つの会場をまわって踊る。
↓日が暮れて、静かな集落にチヂンの音と唄声が響く。
第一会場でのキトバレ踊り
*Photo Albumはこちら。9月23日に更新。
9月7日(水)

 前日に、ホテルのフロントに頼んでおいた朝3時30分のモーニングコールで目覚める。まだ少しボーッとする頭で、奄美に帰る荷造り。
 奄美までは、羽田9時5分発の鹿児島行きSKY301便に乗り、鹿児島空港で11時40分発の奄美行きSKY361便に乗り換え。
 羽田には2時間程前に着いてのんびりしようと思い、ホテルを5時前にチェックアウトして都営浅草線の駅へ。浅草駅6時4分発の羽田空港直通の電車で、国内線ターミナルに7時前に到着。
 しばらくしてチェックインが始まったので手続き。羽田〜鹿児島、鹿児島〜奄美も窓側の席が取れた。

羽田〜鹿児島の景色01
羽田〜鹿児島の景色02
↑羽田から鹿児島までの飛行機の窓から。場所はわからないが、台風12号による災害の跡だろうか。
↓鹿児島から奄美までの飛行機の窓から。桜島、大隅、薩摩半島。俯瞰からの眺めは新鮮だ。
鹿児島〜奄美大島の景色
 羽田での出発が少し遅くなった分、奄美にも10分ほど遅れて到着。空港のインフォメーションで、名瀬までのバスの乗車券を購入。
 午後1時10分奄美空港発のバスで、名瀬市街へ。終点のウェストコートで下車し、家までの途中にある矢之脇町の食堂でオムライス。500円なのに、副菜に麻婆豆腐とひじき煮、漬け物と味噌汁が付く。
 部屋に帰って、溜まった洗濯物を洗ってから布団にゴロンとなって暫しお昼寝。起きて、冷蔵庫の中に食材がほぼないので買物に。朝仁海岸に寄ると、前方から自転車に乗ったさばくりにんさん。買物を終えて、また海岸の横を通るとやどかりのご主人・豊田さんに話しかけられる。
 薄曇りだったから夕焼けは期待していなかったが、海岸からの帰り道、空がキレイに色付いていた。空気が乾いていて、涼しい。東京に一週間ほど行っている間に、奄美も少し秋の気配。
 シャワーを浴びて、ご飯を食べて、東京で撮影してきた写真データをメインのMac Proにバックアップ。明日からデジタル暗室の作業。
 いつの間にか、台風14号が発生していた。進路がちょっと気になる。
9月6日(火)
 11時頃にホテルを出て、都営浅草線の駅に向かう。途中にあったマックで、100円バーガーを買って遅い朝食。
 都営浅草線で、浅草から新橋へ。新橋で降りて、メガネのバリミキを探す。
 今かけているメガネは向ケ丘遊園のパリミキで購入したのですが、ちょっとメガネのつるが歪んできた。そこでネットで調べて、行きやすいお店を探したら新橋店だった。
 向ケ丘遊園店で購入した事など説明したら、快く対応して直していただいた。
中吊り広告
↑東京に来て、一番懐かしかったのが電車の中吊り広告。

 銀座線で新橋から表参道、表参道から千代田線に乗り換えて乃木坂へ。
 東京ミッドタウンのインド料理店NIRVANA New Yorkで、デザイナーの石井さんと昼食。ランチは2000円のビュッフェスタイル。料理のお皿をお替わりして、小さいデザートを4つ食べる。1時半過ぎにお店に入って、3時頃までゆっくり食べた。

カレー01
←↓→NIRVANA New Yorkのビュッフェ。カレーはバターチキン、豆のカレー、トマトとナスのカレーを食べた。バターチキンがとても美味しい。ゆっくり食べる時間があるなら、2000円でも満足。
デザート
カレー02
スナップ
 石井さんの会社に少しお邪魔してから乃木坂、六本木周辺を散歩して浅草に。駅からホテルまでの途中の酒屋さんで、ビールとお茶を買って帰る。
 今日も湯船にお湯を張って入り、ビールを飲んで早めに就寝。
9月5日(月)
 朝起きて、パソコンで日記を書いたりネット検索したり。
 HARUKI君が作った朝食のパンと目玉焼き、ポテト、サラダ、味噌汁をいただく。ご馳走さまでした。
 今日と明日泊まるホテルへ行くため、荷造り。午後3時チェックインにしておいたので、2時頃にHARUKI邸を出る。お世話になりました。
 銀座線で、渋谷から浅草へ。先週4泊したホテルは駅から5分ほどでしたが、今回のホテルは10分ほど。ちょっと遠い。
 チェックインを済ませ、部屋に荷物を置いて外出。銀座線で上野広小路に出て、歩いてソニーのサービスセンターへ。α700のボディ1台と、レンズ18〜250mmを修理に出す。
 サービスステーションからぶらぶらと歩いて、先日撮影した出版社へ。撮影のために実家から送ってもらったストロボ1200w2台4灯、そのスタンドと傘。奄美から送ったモノブロックや外付けHDD、自分で飛行機で運んで来たスタンドと傘、三脚の入ったバックを宅急便で送る作業。 
修理明細書
←奄美を沖縄だと思っている人は案外多いが、この間違いは・・・。→今回の撮影に使った機材を実家と奄美に送る荷造り。↓街灯とネオンが消された様は、東京のスッピンを見ているようで、ちょっと侘しい。
撮影機材の荷造り
秋葉原
 出版社のある湯島から散歩がてら秋葉原まで歩いて、ヨドバシへ。ピクトラン局紙の、ポストカード用紙をまとめて購入。ついでに、無くしたポイントカードを再発行してもらう。
 つくばエクスプレスで浅草へ。奄美ではなかなか食べられない立ち食いそば屋で、ゲソかき揚げに生卵を乗せたうどんを注文。
神谷バー
立ち食いのうどん
↑神谷バーの向かいの立ち食いそば屋で。

 帰る途中、ホテルの近くのコンビニで飲み物やおにぎりを購入。久しぶりに湯船にお湯を張って、ゆったりする。缶ビールを2本飲んで就寝。
9月4日(日)
 起きたのは限りなくお昼に近い?HARUKI君が用意してくれた、パンとサラダと目玉焼きとスープと牛乳の朝食をいただく。
横浜散歩
 朝食を食べた後、晩ご飯用にカレーを作ってからぶらぶら撮影散歩。とりあえず横浜に出て、適当に歩いて浅間神社近くの住宅地へ。そこから桜木町方面に歩いていたら、水天宮・平沼神社の例大祭に遭遇。縁日のにぎわい。
 散歩の途中に携帯からニュースを何回も見ていたが、その度に台風12号による死者、行方不明者の数が増えて行く。
 京急の戸部駅あたりまで散歩して、また横浜駅まで歩いて戻る。
お散歩スナップ
 帰りがけ、渋谷のビックカメラでワールドターキー、スーパーでビールとつまみを買ってHARUKI邸へ。スーパーの焼きそばをつまみにビール、バーボン。昼間に作ったカレーを食べて、就寝。
9月3日(土)
 時間ギリギリにホテルをチェックアウト。フロントに大きなバックを1つ預かってもらい、近くのコインランドリーへ。東京に来てからの着替えた服を洗濯。
 洗濯が終わって乾燥機にかけたいが、2つある乾燥機を一人のおじさんがフルに使用中。当分空きそうにないので、他を探す。
 六区にある交番でコインランドリーがないか尋ねると、蛇骨湯という銭湯の横にあるという。場所を確認して、まずは近くの松屋でカレーと生野菜と味噌汁のセットで昼食。教えてもらったランドリーで、洗濯した服を乾燥。

 ぶらぶら歩いて浅草寺へ。休憩所でノートパソコンを開いて、麹町のJCIIフォトサロンで午後2時〜3時まで芳賀日出雄氏講演会”「1955−1957自然と文化 奄美」を語る”があるのを思い出した。事前に電話予約が必要と記載されていたので、電話をして、場所の確認。
 浅草から銀座線と半蔵門線で麹町へ。少し早く着いたので、1階の写真展を一通り見てから、2階で講演会を聞く。今年90歳になられたそうですが、しっかりとわかりやすい言葉でプロジェクターに映し出された写真一枚一枚の解説をされていました。
 写真の何点かは、奄美の図書館で借りて来た本の中で見た事のあるものでした。写真展は9月25日(日)まで開催されています。
 麹町から渋谷に出て、今日から泊めてもらう写真家・HARUKI邸へ。まだ遅い午後ですが、さっそくビールで乾杯。その後バーボン。ちょっと酔ってきましたが、7時から以前音楽雑誌の連載でご一緒させていただいたメンバーの方々と飲み会をするので、一人高円寺へ。
 やっぱり濃〜い音楽話しに花が咲く(*´д`*)。帰る時には既に他にお客さんはおらず、5時間近く飲んで話して楽しみました。

 夜中、HARUKI邸に戻り、またビールとバーボン。寝たのは、明け方近かったか?

芳賀日出雄さん講演会
9月2日(金)
 銀座線で、ホテルのある浅草から上野広小路へ。上野広小路から、湯島の出版社まで歩く。
 撮影は、大阪からいらっしゃる著者の大谷内先生がスタジオに到着する12時半からですが、ヘアメイクとモデルさんは11時集合。私は、それより前にスタジオに入って撮影のセッティング。
 担当編集者の一條さんが作成した進行表通りに撮影はスタート。途中撮影データのバックアップを兼ねた短い休憩を2回ほど入れ、16時半までの約4時間で運動85カットと、先生の顔写真を撮り終える。
スタジオ記念写真01
←前列が「ゆうき指圧整体院、膝・股関節研究所」の大谷内輝夫先生と奥様。後列右から書籍編集部の一條さん、モデルの三宅あみちゃん(事務所はAIMINGです)、ヘアメイクの井口直子さん。
スタジオ記念写真02
 スタジオを片付け、出版社の近くにある「天庄」で打ち上げ。イカの塩からから始まり、天ぷらはエビ、イカ、キス、アナゴ、メゴチ、サツマイモ、シシトウ、レンコン、ナス。〆は小エビの天丼にお新香とみそ汁。最後にアイスクリーム。生ビールも2杯いただきました(*´д`*)。
 天庄で記念写真
エビの天ぷら
←Photo by料理人さん。↑↓始まりのエビと、〆の天丼。
天丼
 ホテルに戻られる大谷内先生ご夫妻と別れ、湯島のショットバーへ。ソルティードッグとジントニック。楽しく酔っぱらいました。
 上野広小路から、銀座線で浅草へ。ホテルに着いて、バタンキューで就寝。
9月1日(木)
 今日から9月。早めに起きたので、浅草寺の周辺を散歩。部屋に戻り、2度寝。ウトウト気持ちよかったが、清掃スタッフのドアノックで起こされる。
 お昼ご飯に雲呑麺を食べ、鷲神社の辺りまで散歩に行って戻って来る。
 部屋で明日撮影の資料を確認し、夕方、一昨日めぐりんさん達と約束していたご飯を食べに出る。今晩は、浅草でフレンチ
 天気のせいもあるんだろうが、なんだか町が暗いですね。節電の影響もあるのか?昨日歩いた西新宿も、そんな印象。
 街灯が少なく普段から夜は暗い名瀬を歩いていても、そんな気分にはならないけれど、暗い東京は、歩いていて少し気分が滅入る。
ホテルの部屋から見たスカイツリー
↑宿泊したホテルの部屋から。
↓浅草寺の五重塔。→お店の廊下をスキップしながら疾走する(@_@;),めぐりんさん。
スキップするめぐりんさん
浅草寺 五重塔
 ビールと白ワインを飲んで、12時過ぎにホテルに戻る。
 台風12号は進路を西に。明日、四国に上陸するかもしれないとニュースが伝える。埼玉、群馬の方で大雨を降らせているようだが、東京はまだそれほどの影響はないようだ。
8月へ