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◯製作中の富山の祭りと芸能
◯製作中の富山の祭りと芸能歴史年表
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8月30日(金)

 時速15kmのノロノロ台風10号は、四国から東に進んでいるようだ。勢力は少し弱まったようだが、遠く離れた東海や関東でも記録的な大雨を降らせており、東京・世田谷では国道246が冠水したそうだ。また、台風が通り過ぎた九州にもまだ影響を与えているようで、商業施設の休業や交通機関の運転休止が続いているという。明後日には熱帯低気圧に変わるようだが、富山では明日、明後日と雨が予想されている。

 野田佳彦元首相が昨日、立憲民主党の代表選に立候補を表明した。「自民党に失望した自民支持層の心をつかむ」として、日本維新の会や国民民主党も含めた野党連携の強化が重要と述べたが、野田氏が立憲民主の党首になれば今まで自民よりはマシだと鼻をつまんで立憲に票を入れていた支持層が離れるだろう。ましてや共産党と距離を置いて、第2自民を自認する維新との連携強化など立憲支持層は望んでいないと思う。

 この他の気になった記事を備忘録として。
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◯エルヴィス・プレスリー ザ・コンサート

 エルヴィスの代表的なビデオ映像を巨大なスクリーンに映し出し、生前一緒にステージに立っていたミュージシャンが映像の中のエルヴィスの歌声に合わせて演奏するという前代未聞のコンサートが、1997年から2000年にかけて全世界をツアーする形で興行された。
 日本では1999年11月22日と23日に東京千代田区にある東京国際フォーラムのホールAで行われ、その初日に撮影に行った。
 <今世紀来日しなかった唯一の世界的スーパースター、エルヴィス・プレスリーがオリジナルバンドで巨大スクリーンに蘇る!!>と書かれたコンサートのフライヤーには、湯川れい子さんが「スクリーンに残された映像と歌声だけで、アリーナ・クラスのコンサートが打てる人なんて、歴史始まっていらい唯一、エルヴィス・プレスリーただ一人。まさに最初にして最後の夢の初来日です。この声、この顔、この姿。そして魂の奥深くまでしみ込んでくるスピリチュアルな歌声。まさにアーティスト・オブ・ザ・センチュリー。20世紀最大の千両役者の面目躍如といえるコンサートではないでしょうか。私は涙と溜息グシャグシャで、このコンサートが見れたなら、もう死んでもいい!という気持ちです」とコメントを寄せている。
 このコンサートの前日、ギターのジェイムス・バートン、キーボードのグレン・D・ハーディン、ドラムのロニー・タット、ベースのジェリー・シェフというバンドの核となる4人のインタヴューが彼らの宿泊していた全日空ホテルであり、その撮影も担当した。インタヴューアーは萩原健太さんで、『レコード・コレクターズ』2000年5月号に8Pにわたって掲載されている。
 インタヴューは午前11時からで、取材の後はお腹が空いたので帰りがけに萩原健太さん、担当編集者の寺田正典さんと3人で溜池の東芝EMIの近くにできた韓国料理のファスト・フード店に入ったところ、山城新伍さんが後から入店したのを覚えている。インタヴューの内容は覚えていないが、こんなことは覚えている(笑)。
 バンド・リーダーのジェイムス・バートンは「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において2003年は第20位、2011年の改訂版では第19位に選ばれている。
 ドラムのロニー・タットは2021年10月16日、83歳で亡くなった。老衰だったそうだ。

YouTubeから「Elvis The Concert Germany 1999

エルヴィス・プレスリー 公式ウェブサイト

ジェイムス・バートン 公式ウェブサイト

ジェリー・シェフ 公式ウェブサイト

東京国際フォーラム・ホールA 1999年11月22日撮影
溜池・全日空ホテル 1999年11月21日撮影
#エルヴィスプレスリー
#ElvisPresley
#ジェームスバートン
#JamesBurton
#グレンDハーディン
#GlenDHardin
#ロニータット
#RonnieTutt
#ジェリーシェフ
#JerrySheff
#アーカイブ

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エルヴィス・プレスリー ザ・コンサート
浅井健一

◯浅井健一

 1991年にスリーピース・ロックバンド、BLANKEY JET CITYのボーカル&ギターとしてデビュー。BLANKEYは2000年まで活動するが、その間に4人組のオルタナバンド、SHERBETSも結成し並行して活動。
 ブランキー解散後はUAとAJICOを結成し、アルバム『深緑』をリリースする。この後も、JUDE、PONTIACS、ROMEO’s bloodと短期間にバンドを結成、解散を繰り返し、現在は浅井健一&THE INTERCHANGE KILLSとして活動中。また、並行してSHERBETSとしても活動しているようだ。
 彼を撮影したのは2001年9月で、インタヴュアーは今井智子さんだった。取材場所は浅井健一さんが前年に設立したレーベル会社「SEXY STONES RECORDS」だったと思う。この頃はAJICOとしても活動していたはずだが、SHERBETSとしての浅井健一について話を聞いている。
 今井さんが、シャーベッツはあなたにとってどんな存在かと問うと、

「めちゃめちゃ重い。重いっていうか、今、自分自身。大げさに言やあ。最初から自分だよ。ブランキーやっとる時は、ブランキーも大事だし、シャーベッツも大事、アジコやってる時は、アジコも大事だし、シャーベッツも大事。だけど、自分がホントに細部までコントロールできるのは、シャーベッツかなあ。と言うと他のメンバーを俺が操っとるみたいだけど、そんなわけじゃない」「音楽は、自由でしょ。だから誰と音を出しあってもいいと思う。でも…バンドは、ちゃんとメンバー決めて、暫く一緒にやるというのは大事なことだし、楽しい。今はシャーベッツのメンバーが最高だと思ってるから、一緒にやってる」こんな風に話していた。
 この取材は巻頭のグラビアページで、写真は基本ページ全体を使って1カットだけ使用。なのでインタヴュー中は撮影せずに、インタヴューの後にフォトセッションした。ライティングと背景を変えて2パター撮影している。雑誌に掲載されたのは、ウッドベースを背景にしているカットだ。
 カメラはマミヤの645AF。フィルムはコダックのEPPだろうか。

YouTubeから「ロメオ/Blankey Jet City

君の肩にふれて/SHERBETS

SWEET DAYS/浅井健一&The Interchange Kills

SEXY STONES RECORDS  公式ウェブサイト
https://ja.wikipedia.org/wiki/浅井健一

Sherbets   公式ウェブサイト

世田谷・池尻 2001年9月29日撮影
初出『ミュージック・マガジン』2001年11月号
#浅井健一
#KenichiAsai
#ベンジー
#Benzie
#ブランキージェットシティ
#BlankeyJetCity
#シャーベッツ
#Sherbets
#アジコ
#Ajino
#ユダ
#Juda
#ポンティアックス
#Pontiacs
#ロメオスブラッド
#Romeo’sblood
#アーカイブ

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8月28日(水)

 何日か前の予想では今日あたり富山に接近する予報も出ていたが、偏西風に乗りそこねたらしく漸く九州南部に接近するくらいノロノロスピードの台風10号。遅い分、非常に勢力が強くなっているようで、気象庁は奄美を除く鹿児島県に暴風、波浪特別警報を発表、薩摩地方には高潮特別警報も出した。また、宮崎県、鹿児島県に大雨特別警報を出す可能性もあるとしている。
 今日は一日テレビはこの台風10号の情報だったので、昼のニュースが台風情報で延長になって『ちゅらさん』が飛んでしまうんじゃないかとヒヤヒヤした。

 フェイ・ウォンの娘リア・ドウが新曲のミュージックビデオを公開したというニュースが流れて来た。フェイ・ウォンに娘がいることも娘が歌手だということも知らなかった。

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「ラート」と「お笑い」掛け合わせ 奇想天外ラート芸人・ようじ教 全国8位の実績も【動画あり】
750個の石をネックレスのようにつるす万博休憩所、若手20組の1組である工藤浩平氏
現場に社員は1人もおらず…「協力企業任せ」の東京電力 ミスで延期の燃料デブリ試験的取り出し、作業再開は未定 福島第一原発

◯早川義夫

 1960年代後半に活動したサイケデリック・ロックバンド、ジャックスのメンバー。ジャックス解散後はURCレコードのディレクターをしながら、1969年に自身のソロ・アルバム『かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう』を発表する。
 ジャックスも早川さんもリアルタイムでは聴いていないが、ジャックスの「からっぽの世界」や早川さんの「サルビアの花」は耳に馴染んでいてよく覚えている。
 URCのディレクターとして岡林信康、加川良らを担当したが、音楽の世界から離れて1972年に川崎市で早川書店を開店。1982年には晶文社から『ぼくは本屋のおやじさん』を出版した。
 そんな早川さんが1993年9月15日、突如、江古田のバディで20数年ぶりとなるライヴを行い音楽の世界に戻ってきた。2日後の17日には『ミュージック・マガジン』の取材で北中正和さんのインタヴューを受けており、その両方の撮影を担当した。
 バディでのライヴには300人以上のお客がつめかけ客席はギッシリだった。撮影したライブ写真を見返すと同じ場所から撮ったカットばかりなので、人がいっぱいで動けなかったのだろう。最前列で撮影していると近くにいた年配の男性が聴きながら涙を流していたことだけを強烈に覚えている。北中さんのインタヴュー記事によればバディでは17曲とアンコール3曲を歌ったそうだ。バックバンドは渡辺勝(ギター)、森俊也(キーボード)、大久保晋(ベース)、高田正則(ドラム)。
 17日も同席しているが話している写真はないのでカフェでのインタヴュー中は撮影せず、終わってから外でポートレートだけ撮ったようだ。早川さんから自然な自分が良いから笑っていない写真を撮って欲しいと言われ、しばらくカメラ目線の真面目な表情で撮影していたが、本人がやっぱり笑っている方が自然かもしれないと悩みだし、今度は笑顔の写真を撮った。雑誌に掲載されたのは笑っていない写真だった。
 翌年の1994年、ソニーレコードから『この世で一番キレイなもの』をリリース。1995年に早川書店を閉店し、音楽の世界に完全復帰した。
 2000年代になって佐久間正英さんやHONZIと活動されていたようだが、HONZIは2007年に、佐久間さんは2014年に亡くなってしまった。作品としては2008年にリリースしたライブアルバム『I LOVE HONZI/早川義夫+佐久間正英+HONZI名義』が最後で、2018年5月に行った鎌倉歐林洞でのライブを最後に再び活動を休止されているようだ。
 それにしても、あの見た目の雰囲気を裏切るドスの効いた低い歌声はどこから出てくるのだろうか。

YouTubeから「サルビアの花/早川義夫+佐久間正英」「からっぽの世界/早川義夫+HONZI

江古田・バディ 1993年9月15日ライヴを撮影
神保町・カフェTICHANI 1993年9月17日ポートレートを撮影
初出『ミュージック・マガジン』1993年11月号
コンサート評は大里俊晴さん、インタヴュー記事は北中正和さん
#早川義夫
#YoshioHayakawa
#ジャックス
#Jacks
#アーカイブ

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早川義夫
HONZI

◯HONZI

 HONZIの演奏するヴァイオリンを初めて聴いたのは、1997年に発売されたUAの2枚組ライヴ・アルバム『FINE FEATHERS MAKE FINE BIRDS』だった。そのディスク2に収められたアンコール曲「HORAIZON」の終盤に繰り広げられたメンバー紹介でのヴァイオリン・ソロに圧倒された。弦楽器の技術的なことはわからないが、縦横無尽に駆け巡る音の広がりに揺さぶられた。HONZIについては何も知らなかったので、そのスリリングなソロに男性だと思っていた。
 そのHONZIが目の前に現れたのは、 南青山MANDARAでのRIKKIのライヴだった。ファイナルファンタジーXの主題歌「素敵だね」をリリースしてからのライヴだったと思うが、ピアノの黒田亜樹さんと共にHONZIがヴァイオリンやピアニカ、コーラスでサポートしていた。
 RIKKIのライヴで何度か顔を合わせているうちに、HONZIが『ONE』というソロ・アルバムをリリースしていたことを知った。残念ながら既に廃盤になっていたが、HONZIがカセット・テープにダビングしてくれるというので名刺とテープ代として確か2,000円渡した。けれどテープは一向に送られて来なかった。

 それからしばらくして、雑誌の仕事でHONZIを撮影することになった。ボーカル・ギターの佐藤伸治が急逝して1年半ほど経って企画されたフィッシュマンズの特集で、ドラムの茂木欣一やエンジニアのZAKらと共にフィッシュマンズのサポート・メンバーだったHONZIを撮影した。ちょうどこの頃、HONZIは2枚目のソロ・アルバム『TWO』をリリースしていた。もちろん『TWO』は買ったが、その時、「ONEのテープはどうなった?」とHONZIに催促すると、少しばつが悪そうに笑いながら「送る」と言った。
 この撮影が2000年9月27日だったが、ちょうど7年後の2007年9月27日にHONZIは亡くなってしまった。結局『ONE』のテープは送られてこなかったので、テープ代として渡した2,000円は香典になってしまった。

YouTubeから「FINE FEATHERS MAKE FINE BIRDS /HORAIZON」「みんな夢の中/Honai Solo

目黒・ファイヴ・ディー 2000年9月27日撮影
初出『ミュージックマガジン』2000年11月号
インタヴュアーは土佐有明さん
#HONZI
#本地陽子
#フィッシュマンズ
#FISHMANS
#アーカイブ

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8月26日(月)

  昨日のTBS『世界遺産』は、モロッコのテトゥアンだった。
 1986年にイベリア半島を旅した時に、スペイン南部アンダルシアをグラナダ、コルドバ、マラガとまわり、ジブラルタル海峡に面したアルヘシラスという港町にたどり着いた。この海峡を船で渡ればアフリカかと思い、予定にはなかったが行ってみたくなった。
 アルヘシラスからはモロッコのスペイン領セウタと、タンジェの2つの港へ行くフェリーが出ていて、とりあえずセウタに渡った。セウタで一泊してスペイン領とはいえ北アフリカの大地の様子が少しわかったので、国境付近までバスで行き、歩いてモロッコに入国した。
 国境からベンツの乗り合いタクシーで一番近い町、テトゥアンに。何の知識もなく来たモロッコは、ラマダンに入っていた。半ズボンで歩いていると見知らぬオジさんに怒鳴られたが、気にするなと言ってくれる人もいた。旅行者にはラマダンは関係ないとも言ってくれたが、そういうわけにもいかない。
 夜7時30分に大砲が鳴り食堂が開いたので、地元の人とテレビからコーランが流れる中、一緒にスープとサラダとパンの夕食を食べた。
 ラマダン期間中は日の出から日没までの断食だけではなく、喧嘩や悪口などは慎み欲を絶たなくてはならないそうだが、日没後のカフェではハシシはいらないか?とたくさん声がかかって来た。
 迷路のような旧市街も歩いた。路上に積み上げられた靴はどれも片方ばかりだったし、木の枝を売っている男性にそれは何?と尋ねると歯ブラシという答えが返ってきた。旧市街は魅力的だったが、歩いていると絶えずガイドは要らないかと声をかけられる。ガイドガイド!と声をかけられ、そのしつこさに辟易とした。
 テトゥアンからバスでタンジェへ向かい、ダンジェで一泊し、ジブラルタルを渡ってアルヘシラスに戻ってきた。アルヘシラスは、パコ・デ・ルシアの生まれ故郷だ。

テトゥアン
↑テトゥアンで撮ったスナップ。38年も前のプリントなので、だいぶ退色している。

 総裁選立候補者に安倍派幹部の名前がないことに、「裏金さえなければ」という悔しさを滲ませる声が安倍派議員周辺から上がっているそうだが、裏金をもらったのは自分たちで、まさに自業自得。総裁選どころか、今だに議員を続けている方が不思議なことだし、図々しいにもほどがある。

 この他の気になった記事を備忘録として。
立民代表選、吉田晴美氏が出馬に意欲 党内の中堅・若手に「男性のベテラン議員ばかり」と危機感
「ウクライナやガザと同じことが…マリの実態知って、虐殺止めて」現地ジャーナリストが国際社会にSOS

◯岡本文弥

 新内の語り手、四代目の岡本文弥さんを1991年の秋に3回ほど撮影させていただいた。季刊『ノイズ』という雑誌と、テイチク・レコードから発売される『新内ぶし特集/岡本文弥』というCD及びカセットに使用する写真の撮影だった。
 最初に文京区谷中にある文弥さんのご自宅で、インタヴューの撮影をした。これが10月18日だった。インタヴュアーは編集者・ライターであり自身も大道芸人である上島敏昭さんで、中村とうようさんも同席された。
 当時も今も新内や浄瑠璃など門外漢で、文弥さんが第一次世界大戦を描いた反戦小説「西部戦線異常なし」を新内で語ったり反戦や労働者のための新内を作り、昔は「赤い新内」「新内左翼」と呼ばれていたことは後になって知った。
 インタヴュー撮影の次は、文弥さんの公演の様子を撮影することになったが、本番ではなくリハーサルを撮ることになった。その日程は改めて担当編集者から連絡があると思っていたら、後日、文弥さんから直接家に電話があった。お稽古の日時が決まったという電話だった。リハーサルではなく、文弥さんはお稽古とおっしゃる。新内の重鎮からの突然の電話に面食らったが、文弥さんの話し口はとてもやわらかだった。
 10月24日に行われた国立小劇場での新内公演のお稽古(リハーサル)の撮影が終わり、最後はレコーディング風景を撮影した。これが10月28日で、赤い毛氈の敷かれたスタジオで、本番前のマイクテストを兼ねた練習の時に撮った。
 この時に録音したのは「次郎吉ざんげ」と「行き倒れ淀君」で、どちらも人情話だ。やがて30年ほど前のことなのでレコーディングの様子など思い出せないが、途中でお疲れになったのかスタジオの隅で椅子に座り背を丸めて休まれていた。その文弥さんの姿が、お地蔵さんのように見えた。
 岡本文弥さんは1996年に101歳で亡くなられたが、撮影させていただいた時には既に97歳だった。そして撮影させていただいた直ぐ後にも「ぶんや・ありらん」という新作を発表している。「ぶんや・ありらん」は、元従軍慰安婦の嘆きを歌ったものだ。新聞に載っていた、ある慰安婦の告白記事を元に作られたという。
 You Tubeに永六輔さんが文弥さんにインタヴューしている映像と、「ぶんや・ありらん」の映像があった。たぶん文弥さん98歳頃だと思うが、とても明晰に受け答えをされている。

YouTubeから「至芸の時 岡本文弥(1)」 「至芸の時 岡本文弥(2)

岡本文弥記念館

文京区谷中 1991年10月18日インタヴュー撮影
国立劇場小劇場 1991年10月24日お稽古の撮影
第2共同ビル4Fスタジオ 1991年10月28日レコーディングの撮影
初出『季刊noise』(ミュージック・マガジン)1991/92 No.12
初出『岡本文弥 新内ぶし特集』(テイチク)
#岡本文弥
#BunyaOkamoto
#アーカイブ

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岡本文弥
桃華絵里

◯桃華絵里

 写真は、モモエリこと桃華絵里さん。人気絶頂だった15年ほど前に2回撮影している。
 キャバクラ嬢から雑誌『小悪魔ageha』の専属モデルになり、この頃は自分のアパレルブランド「モエリー」を起ち上げて実業家になっていた。
 様々な企業とタイアップしてイベントや商品開発を行なっていて、飛ぶ鳥を落とす勢いでメディアに露出していた。撮影のために出版社のスタジオに現われた時も、周りのスタッフの人数の多さにちょっと驚いた。
 雑誌の撮影は私服のバストアップを予定していたが、彼女が自分でデザインしたタイトなドレスを着た写真を掲載して欲しいということで、急遽スタジオにあった白のデコラ板でお立ち台を作り全身のポートレートを撮った。
 とりあえず気分をアゲアゲにするため、BGMはiPodに入れてあったキャロン・ウィラーの『UK Blak』をスタジオで流した。彼女の気分がアゲアゲになったかは、わからないが(笑)。

 ライオンにもたれかかっている写真は、「ペットと私」という当時担当していた雑誌の連載用に撮影したもの。静岡にある彼女の会社に行くと、いきなり巨大なライオンのぬいぐるみが鎮座していたので一緒に撮影したが、主役は彼女の指にとまっているインコ。こちらは本物。
 アーカイブするにあたってネット検索すると、「モエリー」は2018年に辞職して、新たに「モコアズ」というブランドを起ち上げたようだ。自分が商品を身につけてモデルになった写真をUPし、こまめにブログを更新している。今もシングルマザーのようだが、母は強しかな。

桃華絵里 オフィシャル・ブログ

桃華絵里 Instagram

文京区・マキノ出版 2009年1月31日撮影
静岡・モエリー 2009年7月17日撮影
初出『ゆほびかGOLD vol.4』(マキノ出版)
初出『ゆほびか』(マキノ出版)2009年11月号
#桃華絵里
#EriMomoka
#モモエリ
#Momoeri
#ペットと私
#アーカイブ

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8月24日(土)

 大谷翔平が今日の試合で大リーグ史上6人目のホームラン40、盗塁40の40−40を達成。前人未到の50−50も現実味をおびてきた。野球に関心のない自分でもワクワクする、まさにスーパースターだ。

 タレントのトラウデン直美さんが、テレビのニュース番組で自民党総裁選のポスターについて「おじさんの詰め合わせ」とコメントしたことが物議を醸しているそうだ。トラウデン直美さんはこれまであまり興味がなかったが、このコメントは的確で上手いこと言うな〜と、彼女への興味が湧いた。おじさんの詰め合わせポスターはこちら

 この他の気になった記事を備忘録として。
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レイクサイド

◯レイクサイド

 アメリカ・オハイオ州出身のファンク・グループ。1969年に結成され、1977年に1stアルバム『Lakeside Express』をリリースしている。
 彼らを撮影したのは『ミュージック・マガジン」1988年2月号の「ひと月10グループ 空前のにぎわいを見せたトーキョー・ブラック・シーン」という特集での取材だった。鈴木啓志さんの執筆で、その原稿の冒頭には87年の暮れに来日したソウル・ファンク系アーティストの来日記録が書かれている。
 11/25~11/27レイクサイド、11/26~12/1リサリサ&カルト・ジャム、12/2~12/3チャック・ブラウン&ザ・ソウル・サーチャーズ、12/8~12/16マンハッタンズ、12/16~12/20アトランティック・スター、12?19~12/24ドラマティックス、12/20~12/22L・L・クール・J
 こうしたブラック・ミュージックのバブルは、個人的な体感では90年代初めまで続いた印象がある。

 レイクサイドのライヴは、原宿のクラブDで行われた。クラブDは、元はピテカントロプス・エレクトスだったハコで、ピテカンが1985年に閉店し、86年からクラブDになっている。9枚目のアルバム『Power』をリリースしたタイミングでの初来日だった。
 同じ号で大場頼茂さんがコンサート評を書いており、鈴木さんと大場さんの原稿によると、最初にステイシー・カーターという女性ヴォーカルのステージがあり、続いてレイクサイドが登場。レイクサイドは1時間弱のライヴだったようだ。元々ディスコなので狭いうえに、ストロボを炊いているカットもあるので照明が暗かったのかもしれない。
 ライヴの撮影は11月25日で、翌26日にクラブDでインタヴュー撮影も行なっている。メンバー9人での来日だったが、リード・ヴォーカルのマーク・ウッド、ギターのスティーヴ・ショックリー、ドラムのフレッド・アレクサンダーに話を聞いている。鈴木さんの原稿によるとこの3人がオリジナル・メンバーで、69年にオハイオでノーマン&ヤンガー・グラウンズとして出発。その後、レイクサイド・エクスプレスと名を改め、72年にウエスト・コーストに出て、オハイオ・レイクサイド・エクスプレス、そして単にレイクサイドとなったそうだ。
 グループがいつ頃まで続いたのかわからないが、1990年に『Party Patrol』というアルバムをリリースしている。
 鈴木さんの原稿ではライヴの日程が11月25~27日となっているが、『ミュージック・マガジン』1997年12月号の来日情報では11月25日、26日の2日間。27日が追加されたのだろうか。
 オープニング・アクトを務めたステイシー・カーターという女性については検索してもわからなかった。
 
YouTubeから「Fantastic Voyage/Lakeside」 「It's All The Way Live On B E T/Lakeside

原宿・クラブD 1987年11月25日ライヴ撮影
原宿・クラブD 1987年11月26日ポートレート撮影
初出『ミュージック・マガジン』1988年2月号
#レイクサイド
#Lakeside
#マークウッド
#MarkWoods
#スティーヴショックリー
#StephenShockley
#フレッドアレクサンダー
#FredAlexander
#ステイシーカーター
#StacieCarter
#アーカイブ

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◯ザ・ドラマティックス

 1964年にミシガン州デトロイトで結成されたソウル・コーラス・グループ。70年代に発売した「In the Rain」「Whatcha See Is Whatcha Get」が大ヒットし、どちらもポップヒットのトップ10にランクインした。
 英語版のwikiにはメンバーの変遷や一時ドラマティックスが2グループ存在したなどのエピソードも載っているが、史上最強のコーラス・グループと言われた彼らの魅力を理解するには代表曲の「In the Rain」を聴いてみる方が早いだろう。また、歌声だけではなく、その振り付けもコーラス・グループの魅力だろう。
 ドラマティックスを最初に撮影したのは、レイクサイド、チャック・ブラウンと共に取り上げられた「ひと月10グループ 空前のにぎわいを見せたトーキョー・ブラック・シーン」という『ミュージック・マガジン』1988年2月号の特集でだった。
 1987年12月18日にビクタースタジオで鈴木啓志さんによるインタヴュー撮影をし、翌日の九段会館でのライヴも撮影している。
 ウィリアム”ウィージー”ハワードは病気のため、フロントはロン・バンクス、L・J・レイノルズ、ウィリー・フォード、スティーヴ・バーネットの4人での来日だった。
 2度目は1994年12月で、こちらは渋谷のオン・エア・ウエストでのステージを撮影。これはwikiで知ったのだが、この前年、スヌープ・ドッグがドラマティックスをコーラスに起用した「Doggy Dog World」をリリースしている。この曲のビデオクリップには彼らも登場する。
 残念ながらメンバーのロン・バンクスは2010年3月4日にデトロイトの自宅で発作を起こし、58歳の若さで亡くなってしまった
 2013年、ドラマティックスはR&Bミュージックの殿堂入りを果たしている。

YouTubeから「In The Rain/The Dramatics」 「The Dramatics Live In Concert 1973」 「Doggy Dogg World (Official Video)/Snoop Dogg ft. The Dogg Pound & The Dramatics

青山・ビクタースタジオ 1987年12月18日ポートレート撮影
東京・九段会館 1987年12月19日ライヴ撮影
渋谷・オン・エア・ウエスト 1994年12月22日ライヴ撮影
初出『ミュージック・マガジン』1988年2月号
インタヴューは鈴木啓志さん、コンサート評を井上厚さん
初出『ミュージック・マガジン』1995年2月号
コンサート評は安斎明定さん
#ザドラマティックス
#TheDramatics
#ロンバンクス
#RonBanks
#LJレイノルズ
#LJReynolds
#ウィリーフォード
#WillieFord
#スティーヴバーネット
#SteveBarnett
#アーカイブ

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ドラマティックス

8月22日(木)

 今日の午前中にお墓参りの後半を済ませた。本当は18日の予定だったが、母親が体調を崩したので今日に延期した。先ずは2019年に亡くなった弟のお墓に参り、同じ霊園にある2018年に亡くなった叔母(母親の妹)のお墓に参った。次に母親の実家のお墓へ行き、最後に昨年亡くなった叔母(母親の妹)のお墓へ。お墓参りの後、お昼ご飯を食べに、小矢部の台湾料理店・福来順へ。相変わらず安い・早い・量がある。
 お墓参りで外に出ていた時も日差しが強くて暑かったが、家の中も強烈に暑い。扇風機を回しても”モワ〜ン ”とした暖かな風しかこない。暑さはまだまだ続くそうで、また秋が短くなりそうだ。個人的には春2ヶ月、夏2ヶ月、秋6ヶ月、冬2ヶ月くらいが良いんだが。
  今日の未明に台風10号が発生し、来週にも日本列島に接近する可能性があるそうだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
ミスで福島原発デブリ初採取中断 東電、2号機の回収装置配置誤る
原発コストは太陽光発電の何倍? アメリカの最新試算でわかった驚きの数字 次期基本計画でどうする日本政府
自民総裁選、裏金向き合わぬ候補者たち「裏金議員の救世主みたいだ」

エターナル

◯エターナル

 1993年にリリースしたデビュー・シングル「ステイ」で注目された、イギリス出身の4人組ヴォーカル・グループ。メンバーはヴァニー・ベネット、エスター・ベネット姉妹に、ケリー・ブライアン、そして唯一の白人ルイーズ・ナーディン。1stアルバム『オールウェイズ&フォーエヴァー』を発売し英米、オーストラリア、ニュージーランド、東南アジアとまわって1994年5月に来日した。
 取材は赤坂の東芝EMIで行われ、インタヴュアーは元アドリブ編集部の松永記代美さんだった。通常は1時間ほどもらえる取材時間だが、人気絶頂でたくさんのオファーがあったのか割り当てられた時間は30分だった。一人一人の顔写真がないのは、松永さんがインタヴューしている間にロビーで撮影のためのライティングや背景布のセッティングをし、取材時間の最後5分ほどで集合写真だけ撮ったのだろう。

 グループの結成について、松永さんの記事の中でルイーズが「私はナイト・クラブに遊びに行った時、そしてヴァーニーはクラブで歌っていた時に、今は私たちのマネジャーをやっているデニス・チャールズと知り合って、私は子供の頃からの友だちケリーを、ヴァーニーは妹のエスターを彼に紹介したの。で、デニスが二組を引き合わせ、1年ほど仲良くしているうちにエターナルを結成することになったの」と話している。
 1995年にルイーズ・ナーディンが脱退し、1998年にケリー・ブライアンが脱退した後も、ベネット姉妹2人で活動を続けたが、2000年に解散。2013年~2014年に再結成したようだが、現在の活動は分からない。
 エターナルを脱退したルイーズ・ナーディンはルイーズの名で1996年にソロ・デビューし、アルバム『ネイキッド』や、収録曲からのシングルが全英トップ20以内のヒットを記録。1998年にはイングランド代表のサッカー選手ジェイミー・レドナップと結婚した。2020年までにソロのシンガーとして4枚のスタジオ・アルバムをリリースしている。
 撮影した時は19歳だった彼女も、現在49歳になっている。2004年にはイギリスの男性誌『FHM』が選ぶ「この10年で最もセクシーな女性」に選ばれたこともあるそうだ。

YouTubeから「Stay/Eternal」 「Naked/Louise

ルイーズ 公式ウェブサイト

赤坂・東芝EMI 1994年6月1日撮影
初出『ミュージック・マガジン』8月号
#エターナル
#Eternal
#ヴァーニーベネット
#VernieBennett
#エスターベネット
#EastherBennett
#ケリーブライアン
#KelleBryan
#ルイーズナーディング
#LouiseNurding
#アーカイブ

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真理アンヌ

◯真理アンヌ

 インド人の父と日本人の母の間に生まれたハーフの女優で、歌手。指揮者の福村芳一氏と結婚し、本名は福村デヴィとなるが、旧姓はワサンティデヴィ・シェス。三姉妹の長女で、次女はモデルのプラバー・シェス、三女は女優の久万里由香。
 山脇学園高校在学中の1964年に東宝映画『自転車泥棒』でデビュー。以降、エキゾティックな顔立ちで魅了し映画、テレビ、雑誌などに多数出演されている。1971年から5年間、深夜番組『11PM』のレギュラー・ホステスを務めており、自分は高校生の頃だがこっそり見た記憶がある。
 ウルトラセブンのアンヌ隊員と真理アンヌさんを混同しがちだが、アンヌ隊員役はひし美ゆり子さんで、真理アンヌさんは第34話にユタ花村で出演している。また、ウルトラマンの第32話には科学特捜隊インド支部・パティ隊員役で出演しているそうだ。
 真理アンヌさんは2005年に健康雑誌の美容特集「ヨーグルトパック」で撮影させていただいた。文京区本郷のご自宅へお伺いしての取材だった。1988年から吉本興業に所属されているそうで、吉本の女性担当者が同席されていた。

 友人から勧められて始めたヨーグルトパックの仕方について、お話ししていただいている。
「おふろ上がりに冷蔵庫からヨーグルトの容器を取り出し、上澄みをスプーンですくって、小さな容器に入れます。上澄みは、小さじ2分の1くらいの量です。指先に上澄みをつけて、目の下の黒ずんだクマやほおのソバカスの上に、薄く伸ばすように塗りました。上澄みは伸びが良く、ベトつかないので、肌にしっくりとなじみます。塗った直後は少しピリッとしましたが、すぐに治りました。上澄みを塗ってから10分ほどそのままにして、ぬるま湯で軽く洗い流しました。その後、化粧水や乳液などは塗りません」
 これを1週間ほど続けたところ、クマもソバカスも薄くなったそうだ。
 アーカイブを作るために真理アンナさんの映像をYouTubeで探したところ、真理アンヌさんの歌う「ワイルド・パーティー」という曲に出会った。サイケでアバンギャルドな詞と曲にノックアウトされてしまった。

YouTubeから「ワイルド・パーティー/真理アンヌ・西川一也」「嘘でとうした愛だけど/真理アンヌ

文京区本郷 2005年2月25日撮影
初出『ゆほびか』(マキノ出版)2005年6月号
#真理アンヌ
#Marianna
#アーカイブ

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8月20日(火)

 昨日、27インチのiMacに繋げているキーボードのキーがいくつか反応しなくなった。朝は普通に使えていたのが、夜になって急に使えなくなったので、キーボードよりパソコン本体の問題だろうか?と思ったが、古いキーボードを代わりに接続すると普通に使えたのでキーボードの問題なのだろう。壊れたキーボードは2012年に新品で購入したiMacに付属していたものなので、かれこれ12年使っている。その間、ほとんど手入れもしていないので壊れてもしょうがないか。とりあえず普通に動作する古い(20年以上前)キーボードを繋げておくことにする。

Macのキーボード
↑手前が12年使用していて壊れたキーボード。奥が代わりに繋げた20年以上前のキーボード。

 アラン・ドロンの陰に隠れたわけでもないだろうが、高石ともやさんの訃報を伝えるニュースが少ないように思う。ザ・ナターシャ・セブンのレコード、探せば家にある気がする。
 『受験生ブルース』の作詞が中川五郎さんだと、今になって知った。リンクした動画のバック・ギターがやたらに上手と思ったら、Dr.Kこと徳武弘文さんだった。

 テレビも新聞もこのところ連日自民党総裁選について話題にしているが、候補として上がっている顔ぶれを見ると、この中の誰になっても自民党が変わるとは思えない。
 自民党と同じく立憲民主党も来月、党の代表選を行うが、党内から野田佳彦元首相に出馬を要請する声が上がっているという。与党時代の民主党をダメにしたのが野田氏だと思っている人は少なからずいるはずで、こんな人物を再び代表に据えようというセンスがわからない。 ダメだこりゃ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
【速報】辺野古新基地建設 本体工事に着手 大浦湾側の護岸整備でくい打ち作業 沖縄
“幻の珠洲原発”「こんな所につくろうとしていたこと自体恐ろしい…」原発の元設計技術者などが視察 志賀原発の存在に危機感
<独自>在日米軍のPFAS汚染、対策費を日本政府が肩代わり 普天間飛行場で計2.7億円 周辺対策は沖縄県に押しつけ
「山谷えり子氏の起訴議決を」 自民裏金で検審申し立て
旧統一教会の教義に共感する発言は「記憶にない」と小林鷹之氏 自民総裁選に出馬を表明
6日間で建つ3Dプリンター住宅が家を失った人の光に…被災地・能登にモデルハウス 50㎡の家が550万円
議員辞職「広瀬めぐみ氏」を検察は「逮捕せず在宅起訴する方針」 専門家は「詐欺は重罪。一般人なら100%逮捕される」
自民・平井卓也氏、親族も税優遇疑い 党支部に計4000万円寄付

ジャクソン・ブラウン

◯ジャクソン・ブラウン

 アメリカ西海岸を代表するシンガーソング・ライター。生まれは西ドイツ・ハイデルベルクだが、1951年に家族でロサンゼルスに移住したそうだ。
 1972年にアサイラム・レコードから『ジャクソン・ブラウン ・ファースト』でメジャー・デビューするが、その以前からニコやイーグルス、ニッティー・グリッティー・ダート・バンドなどに作品を取り上げられ、名前が広く知られていたという。ローリング・ストーン誌から「1970年代で最も完成された作詞家」と、ソング・ライターとして高い評価を受けている。
 ジャクソン・ブラウンを撮影したのは1998年の来日ツアーで、掲載誌を読み返すと初日のようだ。当時のスケジュール帳には<新宿厚生年金 7:00~ 2曲 モノクロ>とメモされている。来日ミュージシャンの撮影は頭3曲が多いが、ジャクソン・ブラウンの時は頭の2曲だけだったのかもしれない。

 wikiで初めて知ったのだが、1979年にスリーマイル島原子力発電所で起きた放射能漏れ事故に抗議するイベント「ノー・ニュークス」を企画したり、1985年にはB・スプリングスティーンのEストリート・バンドに在籍したスティーヴ・ヴァン・ザントが、南アの人種隔離政策が続くことに抗議するため企画したチャリティ・シングル「サン・シティ」、アルバム『サン・シティ』に参加している。
 2011年には東日本大震災による福島第一原子力発電所事故をうけ、ジョン・ホール、ボニー・レイット、グラハム・ナッシュと立ち上げたM.U.S.E.(安全なエネルギーを求めるミュージシャン連合)として32年ぶりとなる反原発コンサートを開催している。
 2004年にロックの殿堂入りを果たしている。

YouTubeから「The Load Out and Stay Live BBC 1978/Jackson Browne」 「Late for the Sky (Austin City Limits)/Jackson Browne

ジャクソン・ブラウン 公式ウェブサイト

新宿・東京厚生年金会館 1998年4月1日撮影
初出『ミュージック・マガジン』1998年6月号
コンサート評は宇田和弘さん
#ジャクソンブラウン
#JacksonBrowne
#アーカイブ

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エルヴィス・コステロ

◯エルヴィス・コステロ

 昨年2月8日、作曲家のバート・バカラックがロサンゼルスの自宅で亡くなった。94歳。自然死とされているので、老衰だろうか。
 「サンホセへの道」「小さな願い」など数々のヒット曲で知られるが、個人的には1998年にリリースされグラミー賞を獲得したエルヴィス・コステロとの共作『Painted from Memory』が印象深い。オーケストラを起用したゴージャスな音作りと、コステロの慈愛に満ちた歌声で愛聴盤にしている。
 その『Painted from Memory』発売直前の1998年8月3日、フジロックで来日したコステロのポートレートを六本木のマーキュリー・レコードの応接室で撮影した。
 1時間ほどの取材時間の内、インタヴューの後の残り10分ほどが与えられた時間。2台のカメラにポジとモノクロのフィルムを詰める。インタヴュー中にストロボをセッティングしておいて、用意した背景の前に座ってもらう。
 最初にモノクロのポラを一枚。本人に見せて、ライティングのイメージを確認してもらう。この時は「good」だったか「good job」だったか言葉を貰った。

 アップめから少しずつ引いた写真に。ポジとモノクロ合わせて36枚撮り一本を少し超えるほどのカットを撮った。
 撮影前は逃げ出したいほど緊張もするけれど、撮影中は短い時間だけれど被写体の時間を独占できる幸せ。レンズを介して向き合う時間は濃密だ。
 この写真に写ったコステロの前に、カメラを構えた38歳の僕が居る。こうして写真を見ていると、カメラマンという職業はなんて素敵なんだろうと思う。

 コステロを撮影したのはこの1回だけだが、ある出版社からエルヴィス・コステロの本を出すという話があって、コステロ収集家のコレクションを撮影したことがある。撮影はしたが、本の製作が進まないまま話は消えてしまった。本が出ない以上フィルム代、現像代は自分の持ち出しになり、コステロの各国盤やグッズを撮影したポジ・フィルムだけが手元に残っている。

YouTubeから「My Thief Elvis Costello & Burt Bacharach Session at 54th

エルヴィス・コステロ 公式ウェブサイト

初出『ミュージック・マガジン』1998年10月号
インタヴュアーは大鷹俊一さん
#エルヴィスコステロ
#ElvisCostello
#アーカイブ

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8月18日(日)

 今日がお盆休みの最終日という人も多かったのだろうか。まだまだ暑い日が続きそうだが、夜は少しだけ過ごしやすくなってきた気がする。窓を開けて寝ていると、朝方に寒さで目がさめることもある。
 二枚目男性の代名詞だったフランスの俳優、アラン・ドロンが88歳で亡くなった。♪アラン・ドロンのふりなんかして 甘い言葉 ささやくけど♪榊原郁恵さんが歌っていた「アル・パシーノ+アラン・ドロン<あなた」。
岡江美希

◯岡江美希

 ニューハーフの美容研究家。美容に関する著書が多いが、近年は薬膳食の研究家でもあるようで、2019年にはマキノ出版から『お釜ごはん』なる書籍も出している。
 1996年に有限会社「トリプルサン」を設立し、2001年から化粧品「エポラーシェ」を発売。ショップチャンネルや自社のオフィシャル店舗「Triplesun Shop」で販売している。
 岡江さんは健康雑誌の美容特集で、2回撮影させていただいた。最初の撮影は2007年9月で、この時は「洗顔特集」だった。岡江さんの指導のもとモデルさんを使って洗顔の仕方をカラーで10ページ。モデルさんは江尻りょうちゃん。この健康雑誌では度々撮影したモデルさんで、江尻良子の名前(別名アホ)で『恋のから騒ぎ』に4期生として出演している。
 2回めの撮影は2008年の12月で、この時は3つの美容法を2時間ほどで撮影するというもの。前回は出版社のスタジオで撮影したが、この時は担当編集者が探してきたハウス・スタジオ。照明機材は持ち込みだが料金の安いスタジオが見つかったと言われ、行ってみるとマンションの12階にある2LDKほどの部屋だった。たぶんスチール用ではなく、普段はAVの撮影に使われていると思われるスタジオだった。

 この時のモデルさんは田村瑠依子さんで、江尻りょうちゃんと同じくこの頃はAIMINGに所属していたが、現在は田村るいこに改名してSpace Craftに所属しているようだ。ファンケルのCMに出演していた。

YouTube「おかえみきちゃんねる
 
岡江美希 オフィシャルブログ

文京区本郷・マキノ出版 2007年9月19日撮影
新宿・柳町ハウス・スタジオ 2008年12月22日撮影
初出『ゆほびか』(マキノ出版)2008年1月号
初出『ゆほびか』(マキノ出版)2009年4月号
#岡江美希
#MikiOkae
#ニューハーフ美容家
#アーカイブ

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久石譲

◯久石譲

 宮崎駿監督の長編アニメ映画の音楽担当などで知られる作曲家、編曲家、指揮者、ピアニスト。ジブリ作品だけではなく、様々な映画音楽やテレビ主題歌、CMソングも手掛けている。また、多くのアーティストに楽曲提供を行なっている。
 久石譲さんを撮影したのは、1987年に設立されたNECグループのレコード会社、NECアベニューから久石さんのCDがリリースされる頃だった。1988年8月21日に「Night City」というソロ・シングルCDが発売されるが、その発売の少し前に関係者向けのお披露目が行われて、オフィシャル・カメラマンとしてそのライヴを撮影した。撮影のオファーはレコード会社ではなく、久石さんの事務所、ワンダーシティからだった。
 久石さんを撮影するのもお会いするのもこの時が初めてだったが、ALI PROJECTの作詞とボーカルを担当する宝野アリカが久石作品で歌っていたり、作曲とキーボードを担当する片倉三起也が久石さんの手伝いをしていたこともあり、二人から久石さんのことを聞いていた。

 このお披露目ライヴがいつだったか、当時のスケジュール帳を見てもはっきりしない。<7月5日久石譲写真プリント><6日NECアベニュー写真届ける>とメモが残っているが、撮影という書き込みがない。6月30日に<1時30分、スパイラルCAY>というスケジュールがあるので、この日の青山CAYではないかと思う。
 「Night City」はシティ・ポップで、久石さん自身が歌っている。久石さんの歌っている姿も珍しいし、この撮影から何年か後に今のスキンヘッドになっているので、スキンヘッド以外の久石さんの写真も貴重かもしれない。

YouTubeから「Night City/久石譲

久石譲 公式ウェブサイト

青山・Restaurant Bar CAY 1988年6月30日撮影?
#久石譲
#JoeHisaishi
#アーカイブ

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8月16日(金)

 朝からテレビは、台風7号情報ばかり。当初の予測よりは右寄りに進んで関東や東北への影響は小さくなったようだが、一番近づくのは今夜なので、どんな被害をもたらすかは明日になってみないとわからない。高岡は台風7号の影響かはわからないが、涼しい風が吹いて過ごしやすい一日だった。明日も交通機関に乱れが予想されている。交通情報のまとめはこちら。この台風情報で、またしても『ちゅらさん』の再放送が飛んでしまった。この一週間ほどで3回目だ。

 今日は旧暦の7月13日で、奄美や沖縄は旧盆の迎え日、ウンケーだ。ご先祖様にご馳走を用意するため、那覇の公設市場はたくさんのお客さんで賑わったそうだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
ビーチ閉鎖、電車減速…どこまで必要だった? 南海トラフ臨時情報、対応は「受け手まかせ」の大問題
9割以上のサンゴが完全に白化 連日の猛暑で鹿児島・奄美大島の海に異変

金田龍之介

◯金田龍之介

 東京生まれ、大阪育ちの俳優。1933年に大阪天満八千代座にて子役として初舞台を踏む。悪役から善人まで幅広い役柄を演じ、舞台・映画・テレビと活躍したが2009年3月31日に慢性腎不全のため80歳で死去された。
 NHKアーカイブスによると、1964年の『赤穂浪士』以降、『天と地』『国盗り物語』『独眼竜政宗』『春日局』『秀吉』『葵 徳川三代』など、大河ドラマだけで13本に出演しているそうだ。
 1969年に日本放送作家協会賞、1970年に第10回日本放送作家協会男性演技者賞、2001年に文化庁長官賞、2004年に第25回松尾芸能賞優秀賞などを受賞している。
 金田さんは健康雑誌の<「水」こそ名医だ!>という特集で、10年ほど続けていらっしゃる水中ウォーキングについてお話ししていただいた時に、インタヴュー写真とポートレートを撮影している。場所は金田さんの方からの指定で、浅草の観音通りにある「浅草うまいもん あづま」というお店だった。

「25年ほど前、公演中にアキレス腱を切ってしまい、しかもその後ひざも痛めてしまいました。以来、ずっとひざ痛に悩まされてきました。それが10年ほど前、殺陣師の方に、水の中を歩くのがいいですよ、と水中ウォーキングを勧められました。ものは試しと、さっそく実行してみたところ、これが実に気持ちいいのです。それからは、暇さえあればプールの中を歩くようになりました。ゆっくりと30~40分ほど、休まず歩きます。距離にすると1000mぐらいでしょうか。頭のなかで舞台の台詞を繰り返してみたり、いろいろ芝居のことを考えたりしながら、ただひたすら歩きます。水中ウォーキングを続けているうちに、悩みの種だったひざの痛みがいつの間にかすっかり消えていました。それに、水の中を歩いていると、気分が晴れ晴れしてきます」
 インタヴュー中の写真は窓からの自然光で撮影しているようだ。また、インタヴューが終わってから観音通りに出て何枚かポートレートを撮影させていただいた。金田さんの装いと商店街の雰囲気があっていて、好きな写真だ。

オフィス天童による公式プロフィール

東京・浅草 1999年5月24日撮影
初出『ゆほびか』(マキノ出版)1999年8月号
#金田龍之介
#RyunosukeKaneda
#アーカイブ

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広瀬隆

◯広瀬隆

 1987年4月に八月書館から発売された広瀬隆さんの『危険な話 チェルノブイリと日本の運命』は衝撃的だった。この本に衝撃を受けた人が多かったからだろう、本の発売後、全国各地で広瀬隆さんの講演会が開かれた。
 その中の一つ、埼玉県新座市で行われた講演会に、10代の女の子向け雑誌『ポップティーン』の取材で撮影に行った。今の『ポップティーン』と違って、この頃はファッションよりも暴走族やロック・バンドについての記事が多く、時々このような社会性のあるテーマの記事も掲載されていた。たぶん担当編集者は、後に『Quick Japan』を創刊する赤田祐一君だったと思う。ライターの記名がないので、文章も彼が書いているかもしれない。2ページの記事で、アーカイブのために確認すると蛭子能収さんがイラストを添えていた。欄外に<撮影 きはらもりお イラスト 蛭子能収>のクレジットがあるのに今になって気がついた!
 この『危険な話』をキッカケに、広瀬さんの著書を『東京に原発を!』「ジョン・ウェインはなぜ死んだか』『億万長者はハリウッドを殺す』と遡って読んだ。

 1988年には講談社から月刊誌『DAYS JAPAN』が創刊され、創刊号は広瀬隆さんと広河隆一さんによる大特集「四番目の恐怖」だった。チェルノブイリ、スリーマイル島、ウィンズケールに続く四番目に危険視されていたのが青森の六ヶ所村だった。現実には、六ヶ所村の代わりに2011年3月11日の東日本大震災により福島第一原発が大爆発し過酷事故を起こした。もちろん六ヶ所村の危険は今も消えたわけではない。
 最近はどうされているかと検索すると、YouTubeで「広瀬隆の地球千一夜物語チャンネル」というのを開設されていた。
 日本でインターネットが普及したのは90年代に入ってからで、『危険な話』はダイヤモンド社にあったデータベースを活用して世界の情報を集め、執筆されたのではなかったかと思う。

広瀬隆 ダイヤモンド社の著者ページ

新座市東北コミュニティセンター 1988年1月31日撮影
初出『ポップティーン』(飛鳥新社)1988年4月号
#広瀬隆
#TakashiHirose
#危険な話
#アーカイブ

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8月14日(水)

 例年なら1日で4ヶ所の墓地や霊園をまわってお墓まいりを済ますのだが、今年はドライバーの妹が忙しいので2日に分けてお参りすることになった。今日は午後から山の方にある木原家のお墓と、町の中にある霊園の2ヶ所をまわった。木原家のお墓のまわりの雑草を手でむしり取って、気持ちだけキレイにしてから神道の二礼二拍手一礼でお参りした。町中の霊園には親戚のお墓が4つあるが、毎年お墓の場所がわからず探すことになる。

 今日の午前、岸田首相が派閥の裏金問題のけじめとして、9月の自民党総裁選に出馬しない意向を示し、記者会見を開いた。いやいや、誰が裏金作りを始め、その裏金がどのように使われたかも解明されておらず、その事とあなたが総裁選に出馬しないことは全然関係ない。こんな事で「けじめ」がついたと済ませてもらっては困る。
 首相を辞任したという話でもなく、亡くなったという話でもなく、ただ次期総裁選に出馬しないという記者会見に、NHKはこれまでの功績なども織り交ぜながら昼のニュースを延長し、なんども同じ映像を流していた。おかげで最近の癒し時間である『ちゅらさん』の再放送が飛んでしまったじゃないか。
 ”自民党が変わることを示す最初の一歩”などというが、こんなもの、賞味期限の切れた食材のラベルを張り替える単なる偽装工作でしかない。

 台風5号は熱帯低気圧に変わって過ぎ去ったが、今度は台風7号が16日から17日にかけて東日本や北日本に接近する恐れがあるそうだ。交通機関にも影響が出そうだ。交通情報まとめ

 この他の気になった記事を備忘録として。
島にガソリンが来た 1カ月ぶり船入港、「在庫ゼロ」解消 南大東島 久しぶりの給油に「ほっ」 沖縄
広瀬議員「秘書実態ない」と説明 特捜部に、詐欺容疑詰めの捜査
福島第一原発2号機 放射性物質含む水 約25トン 建屋に漏れ出る
上関中間貯蔵完成に10年以上か 福井県外への核燃料搬出は不透明に
内訳はブラックボックス それってドンブリ勘定では? 国のシステム経費 批判受け8月末からデジタル庁が公表へ

アイス・キューブ

◯アイス・キューブ

 ロサンゼルス生まれのラッパー、俳優、映画監督。
 1994年に六本木にあったクラブ、ジャングルベースで撮影したが、人混みの多さと暗い照明で撮りにくかったことだけを覚えている。
 掲載誌を確認すると印南敦史さんがコンサート評を書いている。日付が7月2日になっているけれど、自分のスケジュール帳を確認するとジャングルベースは7月1日で、7月2日は18時から砧スタジオで西田ひかるさん、22時からテレビ東京で森末慎二さんを撮影している。アイス・キューブのステージは2DAYSあったのかもしれない。
 印南さんの記事に「今回の公演の目玉は言うまでもなくブーツィー・コリンズとの共演だが、なんとバーニー・ウォーレルまでが登場」と書かれている。えっ!そんなこと初めて知った。

アイス・キューブ 公式ウェブサイト

アイス・キューブ 公式YouTubeチャンネル

六本木・ジャングルベース 1994年7月2日
初出『ミュージック・マガジン』1994年9月号
#アイスキューブ
#IceCube
#アーカイブ

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さとう珠緒

◯さとう珠緒

 1995年にスーパー戦隊シリーズ『超力戦隊オーレンジャー』に丸尾桃(オーピンク)役でドラマデビュー後、様々なテレビ番組、映画、CMなどで活躍。
 オーレンジャーは知らないが、初代ミニスカポリスというのはなんとなく記憶にある。
 健康雑誌の『タマネギショウガ湯ダイエット』特集で撮影した。wikiによると、昔は料理が苦手でテレ朝系のバラエティ番組『愛のエプロン』で数々の迷料理・珍料理を作ったそうだが、取材した時は食材の処理から調理まで慣れた感じで話されていた。
 両手を拳にして「ぶん!ぶん!」と怒りを表す元祖ブリッ子の彼女も今は51歳だが、最近も自身のSNSに制服姿をアップするなど、そのキャラクターは健在のようだ。

“元祖ブリッ子”さとう珠緒、51歳の制服姿に「全然違和感無い」などの声

YouTubeから「オーピンク変身」「ミニスカポリスOP

さとう珠緒 Instagram

カフェ・ミヤマ渋谷東口店 2008年10月28日撮影
初出『ゆほびか』z(マキノ出版)2009年2月号
#さとう珠緒
#TamaoSatoh
#ミニスカポリス
#アーカイブ

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8月12日(月)

 台風5号が今朝8時半頃に、岩手県大船渡市付近に上陸した。川の氾濫や交通機関の乱れなどがニュースで流れてくるが、大きな人的被害は今のところ伝えられていない。台風5号は今夜にでも日本海側に抜けて、その後、熱帯低気圧に変わる予想だが引き続き東北の方に雨を降らすようだ。この台風5号の影響でNHKのお昼のニュースがのびて、最近の癒しになっている『ちゅらさん』が飛んでしまった。まあ、台風に直面している人にはドラマどころではないだろうが。
 また、台風7号も発生し、こちらも今週後半には関東から東北に近づく可能性があるという。
 今日で日航機墜落事故から39年が経った。

 この他の気になった記事を備忘録として。
過激パフォーマンスで米兵に愛された沖縄ロックのレジェンド 女性写真家が見つめた素顔 #戦争の記憶
津波で消え、よみがえった 「キリコ祭り」など能登の風景写真展

スヌープ・ドッグ

◯スヌープ・ドッグ

 日本時間の今日未明にパリ五輪の閉会式が行われた。今回も競技の生中継は一切観ることはなかったが、ニュースやワイドショーでなんとなく結果だけ知っているという感じだ。
 今朝も起きたらワイドショーで録画された閉会式の様子が流れていて、パリからの引き継ぎにラッパーのスヌープ・ドッグ が登場してビックリした。パリ五輪で新しい種目に加わったブレイキンの開会儀式にも、スヌープが登場していたそうだ。
 スヌープはカリフォルニア出身のラッパー、俳優、プロデューサーで、最近は『スヌープ・ドッグのお料理教室』という本も出版して料理研究家にもなったようだ。
 スヌープを撮影したのは1996年の暮れも押し詰まった12月30日で、この頃は、スヌープ・ドギー・ドッグを名乗っていた。いわゆるギャングスタ・ラップの人、ちょっと強面の人というイメージがあった。実際1996年に正当防衛だったとして無罪判決を受けているが、93年に拳銃での殺人容疑で逮捕されている。他にも暴力事件や薬物使用で何度か逮捕されているようだが、ヒップホップ界のスーパースターとして絶大な人気を誇っている。

 ギャングスタ・ラップとは一般的には暴力的な日常をテーマにしたラップで、ギャングスタとは本来はストリートギャングやヤクザ者のことを表すスラングだそうだが、ギャングスタ・ラップとはどのようなものかというインタヴュアーの松永記代美さんの質問に、
「音楽に乗せて自分自身を表現する自由。自分が経験したことや、これから先こうしていきたいのだということ、感じたままをラップしていく・・・自分が言いたいことを訴えていける自由がギャングスタ・ラップなんだ。言いたいことを言えないでいるラッパーが少なくないが、ギャングスタ・ラッパーは違う。言いたいように言い、やりたいように表現する」と答えている。
 インタヴューの後にポートレートを撮影したが、その最中にスヌープがデニース・ウィリアムスをかけたことが、松永さんの原稿を読み返して分かった。
<写真撮影の間は音楽を、と迷ったあげくデニース・ウィリアムスをかける。その時の様子は買い込んだCDを見せた時と同じく、ごく普通の音楽好きに戻る瞬間を垣間見せた。鍵が束になったキーホルダーには、ラミネート加工された男の子の写真。息子さん?とってもキュート、と言った時に返ってきた、フニャ〜っとした父親以外の何者でもない満足げな笑顔。様々な表情を見せたスヌープに人を威圧する感じはまるでない。が、それでも、彼の持っている雰囲気は特別で、これをカリスマ性というのだろう、と思えた>
 取材をした時、来年2月の下旬に二人目の子供が生まれると話していた。その子供も、もう27歳になっているのだろうか。当時3歳だった彼の長男は30歳になるのだろうか。スヌープが昨年、息子と共に「デス・ロウ・ゲームス」というゲーム会社を設立したそうだが、その息子が彼らのうちのどちらかだろうか。

YouTubeから「 Vato (Official Music Video) ft. B-Real/Snoop Dogg」 「“伝説的ラッパー”スヌープ・ドッグがブレイキン開会の儀式に登場

スヌープ・ドッグ 公式ウェブサイト

横浜インターナショナル・プラザ・ホテル 1996年12月30日撮影
初出『ミュージック・マガジン』1997年3月号
インタヴュアーは松永記代美さん、通訳は藤林初枝さん
#スヌープドッグ
#SnoopDogg
#スヌープドギードッグ
#SnoopDoggyDogg
#カルバンブローダス
#CalvinCordozar
#アーカイブ

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エリック・ダーリン

◯エリック・ダーリン

 1933年9月25日、メリーランド州ボルチモア生まれのフォーク・シンガー。タリアーズ、ルーフトップ・シンガーズ、ウィーバーズに在籍し、1950年代後半から1960年代前半にかけてフォークシーンに大きな影響を与えた。以上がネットで検索したエリック・ダーリンの簡単なプロフィールだ。タリアーズ時代の「バナナ・ボート・ソング」はビルボードチャートで4位を記録したという。
 エリック・ダーリンを撮影したのは2000年の春、37年ぶりのソロ・アルバム『チャイルド・チャイルド』をリリースしたタイミングでの来日の時だった。『チャイルド・チャイルド』の帯には浦和フォークロアセンター監修と書かれている。雑誌の仕事ではなく、塚田千春さんからの依頼で、オフィシャル・カメラマンとして宣材用のポートレートとライヴ写真を撮っている。
 ライヴは下北沢のラ・カーニャで行われ、塚田さんから送られてきたFaxには16時くらいからリハーサル、本番は19時スタートと記されている。リハが終わってステージが始まる前に、お店の中でポートレートを撮った記憶がある。

 スケジュール帳には4月23日(日)に撮影と書かれているが、4月28日に『ミュージック・マガジン』の仕事で今野雄二さんとピーター・バラカンさんの対談を撮っていて、塚田さんからバラカンさんにエリック・ダーリンのライヴに来て欲しいというメッセージを預かっていた。バラカンさんは予定があって行けないという返事だったが、28日にもライヴがあって撮影しているかもしれない。
 メモによると塚田さんからの依頼はモノクロなので、このカラー・ポジは自分の記録用に撮っておいたものだろうか。掲載誌は『アコースティック・ギター・マガジン 2000年SUMMER ISSUE』(リットーミュージック・ムック)しか献本されていないので、他にどんな媒体に使われたかは分からない。
 こちらの「Discogs」の写真も自分が撮影したものだろう。
 尚、エリック・ダーリンは2008年8月3日に74歳で亡くなっている。

YouTubeから「Walk Right In/The Rooftop Singers 」 「The Banana Boat Song/Erik Darling

下北沢・ラ・カーニャ 2000年4月23日撮影
初出『アコースティック・ギター・マガジン 2000年SUMMER ISSUE』(リットーミュージック・ムック)
#エリックダーリン
#ErikDarling
#タリアーズ
#TheTarriers
#ルーフトップシンガーズ
#TheRooftopSingers
#ウィーバーズ
#TheWeavers
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8月10日(土)

 今日からお盆休みが始まり帰省ラッシュもピークを迎えているようだが、一昨日の日向灘を震源とする地震で南海トラフ地震臨時情報が出されており、さらに12日には台風5号が東北に上陸し大雨や暴風による災害も心配されている。気の休まらないお盆休みになりそうだ。
 ところで、臨時情報(巨大地震注意)が出され、企業や個人で地震への備えをする動きがあるが、一番肝心の南海トラフ地震の想定震源域周辺にある九州電力の川内原発と、四国電力の伊方原発をなぜ運転停止させないのだろうか。原発は原子炉内の温度が100℃以下の冷温停止状態にするには、約1日半かかる。地震が起きてからでは間に合わない。

 先月の中頃、毎日新聞が富山県内での配送を9月末で休止するというニュースがあったが、今度は産経新聞が富山県内での発行を9月末で休止すると発表した。サンケイスポーツ、夕刊フジも同じく休止し、宅配のほか駅売店などでの販売も終了するという。原材料費の高騰や輸送コストの上昇に対し、経営合理化などの努力を進めたが、休止という判断に至ったそうだ。「報道機関としての社会的使命はいささかも変わりません」と述べているそうだが、産経新聞の場合は報道機関としての社会的使命をいうなら、まずは紙面の内容の正確性などの見直しが必要だろう。ちなみに6月度の富山県内での産経新聞の部数は246部だそうだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
島に「ガソリンがない」 南大東島で在庫尽き、車両動かせず 需要超過影響か 沖縄
小池都政の“土地狂った”築地跡地再開発 三井不動産などへの借地料が不当に安すぎる根拠

ロザンナ

◯ロザンナ

「ヒデとロザンナ」で知られる、ロザンナさん。
 イタリア・ヴェネト州出身の歌手で、1967年に17歳で来日。翌1968年に出門英とデュオ・グループ「ヒデとロザンナ」を結成。デビュー・シングル「愛の奇跡』が発売されると大ヒットとなり、一躍人気歌手となる。70年に発売した「愛は傷つきやすく」が初のオリコンシングルチャート1位を獲得し、この年のNHK紅白歌合戦に出場。以降もヒット曲を生み1975年に二人は結婚し夫婦デュオとなる。
 二男一女を授かるが、1990年に夫のヒデが結腸ガンにより47歳で死去。以降、タレント、ソロ歌手として活動する傍ら、イタリア料理のレシピ本などを執筆する。
 ロザンナさんには健康雑誌の<おかず食べ放題「主食断ちダイエット」>特集で撮影させてもらった。取材場所は彼女と娘でモデルの万梨音が所属する事務所、クリーム・カンパニー。この特集で、炭水化物と糖類を極力抑えるダイエットで、ワインはやめず半年間で5キロ痩せたと話している。

 wikiによると長男の士門(しもん)は音楽家・画家で、クリエイター集団風の人、三味線ユニットエツナブメンバー。次男の来門(らいもん)はミュージシャンで、smorgasのメンバー。長女の万梨音(まりおん)はモデル。
 今年5月、「徹子の部屋」に出演した際、3年前に未破裂脳動脈瘤の手術をしたが、術後は順調に回復し経過も良好と話している。現在、ロザンナさんには孫が7人いるそうだ。

YouTubeから「愛の奇跡/ヒデとロザンナ」 「愛は傷つきやすく

渋谷区南平台・クリーム・カンパニー 2000年6月13日撮影
初出『ゆほびか』(マキノ出版)2000年9月号
#ロザンナ
#Rosanna
#出門ヒデ
#HideDemon
#ヒデとロザンナ
#HideRosanna
#アーカイブ

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コモドアーズ

◯コモドアーズ

 ライオネル・リッチーが在籍したアメリカのファンク・バンド。彼らも渋谷の「LIVE INN」がオーガナイズしていたミッドナイト・ソウル・パーティーに出演している。
 「LIVE INN」のスタッフから、イヴェントの取材をしてくれる雑誌を探してくれと頼まれ、何のツテも無かったが、企画書を書いて平凡パンチの編集部へ持って行った。結果、<LEAD PUNCH>というコーナーに3ページで掲載された。自分で撮影と文章を担当するつもりで企画書を書いたが、原稿は平凡パンチの嘱託ライターが書くことになり、タイトルは<『MIDNIGHT SOUL PARTY』ブラザー・ギャルの暑い夜!>となっていた。
 ライヴの写真は少しで、大半は集まった女の子の写真。女の子に声を掛けなくてはならないので、スーツを着て撮影に行った。
 10月8日~11日までの4日間開催されたが、スケジュール帳を確認しても撮影日が分からなかった。<ポップギア、コモドアーズ、ポジ1点押さえる>というメモがあるので、『POPGEAR』にも掲載されているかもしれない。

YouTubeから「Slippery When Wet/Commodores

コモドアーズ 公式ウェブサイト
https://www.commodoreslive.com

渋谷LIVE INN 1987年10月撮影
初出『平凡パンチ』1987年11月5日号
#コモドアーズ
#Commodores
#ミッドナイトソウルパーティー
#MIDNIGHTSOULPARTY
#アーカイヴ

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8月8日(木)

 今日の午後4時43分ごろ、宮崎県南部で震度6弱の地震があった。震源地は日向灘で、地震の規模はマグニチュード7.1。宮崎県で約50センチ、高知県で約20センチの津波が観測された。夕方のニュースはほぼこの地震に関することで埋まってしまった。今のところ地震の被害はあまり伝わってこず、宮崎日日新聞によれば負傷者12人、家屋倒壊2棟だという。被害の全容がわかるのは明日以降だろうか。
 東海沖から九州沖にかけての震源域で発生が懸念される南海トラフ地震との関係を、専門家による臨時の評価検討会が審議し、19時過ぎに「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」が発表された。巨大地震注意については、こちらを参照。

 明日9日は長崎の「原爆の日」だが、長崎市がイスラエルを平和祈念式典に呼ばなかったことに米国のエマニュエル駐日大使が懸念を示し、式典を欠席するとしている。また、日本を除くG7と欧州連合の駐日大使や代表が、イスラエルを招待しなかった長崎市に懸念を表明する書簡を送っていたことがわかった。彼らの主張は、イスラエルを招かなければ、ウクライナ侵攻を理由に招待していないロシアやベラルーシとイスラエルを同列に置くことになるというものだが、どう考えてもロシアとイスラエルは同列だろう。

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自民党裏金事件で石川知事らに告発状 政治資金規正法違反容疑
日銀の政策正常化に早くも試練、市場急変動で追加利上げ観測が後退
日銀副総裁「市場が不安定なら利上げせず」 金融緩和継続の意向
火に油注ぐつもり? 株乱高下のさなか投資「助言クーポン」を提案する岸田政権 「金融教育」か「詐欺的政策」か
加藤鮎子こども担当相側を検察審査会へ申し立て 「起訴相当」/政治資金規正法違反で/200万円余りの“裏金”収入か

シェリー・サンダー

◯シェリー・サンダー

 レゲエ・ジャパンスプラッシュ’90で来日した、レゲエ・シンガー。1988年にリリースした「クフ」が大ヒットしたそうだが<シェリー・サンダー>で検索しても、<Shelly Thunder>で検索しても、彼女の詳しいプロフィールが書かれたサイトにたどり着けなかった。彼女の公式ウェブサイトや彼女自身のSNSはもちろん、日本語のWikipediaだけでなく英語のwikiにも彼女の名前がなく、なんだか不思議な気持ちだ。
 彼女のポートレートを撮影したのは、ジャパンスプラッシュ最終日の翌日、8月12日だった。ミュージック・マガジンの取材で、インタヴュアーは高橋健太郎さん。もう34年も前のことなので記憶があやふやだったがアーカイブするにあたって掲載誌を確認すると、レコード会社の会議室で撮影したと思っていたら新宿ワシントン・ホテルで、高橋健太郎さんの単独インタヴュー記事かと思っていたらECDによる「NYのクラブ・ピープルをレゲエの”歌”が魅了する ラップ/ハウスとレゲエの出会い」という特集の中の囲み記事だった。

 高橋さんがインタヴュー記事の中で<ステージのシェリー・サンダーは貫禄があった。オフのシェリー・サンダーはお茶目で可愛かった>と書いているが、確かにフォトセッションしている時の彼女はキュートだった印象がある。ジャマイカで生まれ、高校生の時に家族と一緒にニューヨークに移り住んだジャマイカンだそうだ。
 特集タイトルの横にECD 写真=きはらもりお と並んで名前が記載されているのも感慨深い。ECDこと石田義則さんとはほとんど接点がなかったが、共に1960年3月29日生まれ。

YouTubeから「”KUFF”/Shelly Thunder

新宿ワシントン・ホテル 1990年8月12日撮影
初出『ミュージック・マガジン』1990年10月号
インタヴューは高橋健太郎さん
ライヴは1990年8月11日レゲエ・ジャパンスプラッシュ’90にて
#シェリーサンダー
#ShellyThunder
#レゲエジャパンスプラッシュ90
#REGGAEJAPANSPLASH90
#アーカイブ

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◯チエコ・ビューティ

 女性レゲエ・シンガーの草分け。1992年に元MUTE BEATのこだま和文をプロデューサーに迎えて、1stアルバム『BEAUTY’S ROCK STEADY』でメジャーデビュー。
 この1stアルバム発売直前に、アルバイト情報誌『an』のグラビア・ページで撮影した。著名人が案内する街特集の企画で、チエコ・ビューティが案内する<吉祥寺の歩き方>。井の頭公園からお団子屋さん、骨董品店、古着屋さんを彼女が案内しているカットを撮影している。 
 前日にプロモーションビデオの撮影を終えてタイから帰国したばかりで、当日は夕方から吉祥寺のライヴハウス『曼荼羅』でライヴという、彼女にとってハードなスケジュールの中での取材。
 撮影したカラー・ポジフィルムは編集部に渡して手元にないが、タイトル周りにモノクロの写真に着色して昔の絵葉書風な写真を使おうというアイデアを出したので、モノクロフィルムで撮影した写真だけが家に残っていた。
 この著名人の案内する街特集は他に、楳図かずおさんの案内する吉祥寺や、ゼルダの小嶋さちほさんの案内する鵠沼海岸などもあった。楳図さんの回では、高田馬場にあった事務所から等身大のまことちゃん人形を持ち出して撮影。小嶋さんの回では、一緒に住んでいたどんとが途中から参加した。
 当時の記事に掲載されているチエコ・ビューティのプロフィールは「いとうせいこう、近田春夫&VIVRA STONEらのステージのオープニング・アクトで活躍。KYON2やモックンのバックコーラスを務めるなど前歴は多彩。日本で唯一の女性レゲエシンガー」と書いてある。記事中のインタヴューによれば、実家は信州だそうだ。
 撮影日がハッキリしないが、当時のスケジュール帳の6月25日に<チエコ・ビューティLive>とメモ書きがあるので、この日だろうか。

YouTubeから「Chieko Beauty & The Nyahmans-『The End Of The World』@横浜Thumbs Up

チエコ・ビューティ 公式ウェブサイト

吉祥寺・井の頭公園 1992年6月25日?
初出『an(日刊アルバイト・ニュース)』(学生援護会)1992年7月19日~25日号
#チエコビューティ
#ChiekoBeauty
#アーカイブ

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チエコ・ビューティ

8月6日(火)

 アメリカが原爆を投下して、今日で79年。広島平和祈念公園では、今年も平和記念式典が行われた。朝日新聞による速報、原爆の日の一日
広島平和記念公園
↑富山から奄美大島に向かう途中に寄った広島にて。2010年6月7日撮影。
 今日は北東の涼しい風が吹いていて、少しだけ過ごしやすかった。
小野真弓

◯小野真弓

 雨男や雨女、晴れ男に晴れ女という区分があるなら、わりと晴れ男だと思っている。旅行雑誌の仕事も近ツリの『ジョイフル』、JTBの『るるぶ』、双葉社の『格安航空券ガイド』などで色々撮影したが、雨でロケが出来なかったという記憶がない。
 アコムのお姉さんこと、グラビア・アイドルの小野真弓さんを撮影した日も最初は雨で彼女の所属事務所サンミュージックの会議室で撮っていたが、雨の止んだ隙に外に出た。近くの交差点の中央に僅かな繁みがあって、そこに立ってもらった。
 これも健康雑誌の連載「ペットと私」での撮影で、愛犬を抱えてもらっている。明るい笑顔が彼女の持ち味だが、個人的には笑顔と笑顔の間、真顔に戻った時の写真がこの中では好きだ。雑誌に掲載したのは笑顔の方だけれど。
  wikiによればトリマーや動物介護士の資格を持っているそうで、2019年には東京から千葉県木更津市の一軒家に移住し、犬や猫に囲まれて暮らしているという。

YouTubeから「はじめてのアコム」 「春/小野真弓

小野真弓 Instagram

四谷・サンミュージック 2009年5月7日撮影
初出『ゆほびか』(マキノ出版)2009年8月号
#小野真弓
#MayumiOno
#アコムのお姉さん
#NOPETNOLIFEペットと私
#アーカイブ

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レゲエ・ジャパンスプラッシュ '90

◯レゲエ・ジャパンスプラッシュ'90

 一番最初に聴いたレゲエの曲は、エリック・クラプトンの『461オーシャン・ブールヴァード』に収録されていた「ゲッド・レディ」と「アイ・ショット・ザ・シェリフ」。たぶん同世代の多くの人がそうじゃないだろうか。
 自分で初めて買ったレゲエのアルバムはジミー・クリフの『ザ・ハーダー・ゼイカム』だが、なんで買ったのかは忘れてしまった。
 そして、初めて聴いたボブ・マーリーのアルバムは『エクソダス』だと思う。もう40年以上前なので思い違いもあるかもしれないが、横浜・関内に「ファーイースト」というライブハウスがあって、そこが野毛ハーレムバンドの拠点のような感じだった。野毛ハーレムバンドのドラムを透さんがやったのか、リハーサルを見にいっただけだったか忘れてしまったが、その時にパーカッションの野毛ゆきお(NOGERA)さんがお店で『エクソダス』を流してくれたと記憶している。
 初めて自分で買ったボブ・マーリーのアルバムは『レジェンド』で、これはバリ島に遊びに行った時。レコードでもCDでもなくカセットテープ。ボブ・マーリーの顔がプリントされたTシャツと一緒にボブ・マーリーSHOPで買ったのか、ダンドゥットやクロンチョンのテープと一緒にテープ屋さんで買ったのかは忘れてしまった。

 初めて生で見たレゲエは、1990年の「レゲエ・ジャパンスプラッシュ’90」で来日したミュージシャンたちだった。
 7月29日長崎・伊王島特設ステージ、8月3日大阪・万博記念公園特設会場、8月5日夕張・石炭の歴史村野外大劇場、8月11日東京・よみうりランド・イーストで行われ、8月11日のよみうりランドを撮影した。
 ステージ真下の柵の中での撮影だったが、すぐ後ろにノリの良い女の子たちがいて、踊るとタンクトップがズリズリ下がるので気が散ってしょうがなかった(笑)。

YouTubeから「JAPAN SPLASH 1989/NAHKI 」 「JAPAN SPLASH 91 Pt.2

東京・よみうりランド・イースト 1990年8月11日撮影
初出『ミュージック・マガジン』1990年10月号
コンサート評は備前貢さん
#レゲエジャパンスプラッシュ90
#REGGAEJAPANSPLASH90
#シェリーサンダー
#ShellyThunder
#ナーキ
#NAHKI
#デルロイウィルソン
#DelroyWilson
#ビッグユース
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#サンチェス
#Sanchez
#レディG
#LadyG
#ホームT
#HomeT
#フレディマクレガー
#FreddieMcGregor
#ココティー
#CocoTea
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8月4日(日)

 今日は、朝9時から地区の班長が集合して集会所の清掃。9時少し前に着くと、すでにほとんどの人が掃除を始めていた。掃除の後、今年後半の集落行事についての班長会議。10時頃には終わり、暑い中、自転車で帰宅。昼間は暑すぎて、扇風機を回しても熱風しか来ない。午後遅くに激しい雨が降り、少し気温が下がったようだ。
フランソワ・アジ=ラザロ

◯フランソワ・アジ=ラザロ

 内山くんをちょっと怖くした感じのフランソワ・アジ=ラザロは、ピガール というフランスのバンドのヴォーカルであり、フランスのオルタナティヴ・ロック・シーンに重要な役割を果たしたインディ・レーベル、ブーシェリー・プロダクションの設立者だった。
 だったと言うのは、1986年に設立されたブーシェリー・プロダクションは約100枚のアルバムを製作したが、1995年以降財政難に陥り、2011年に破産宣告したから。また、アジ=ラザロ自身も敗血症により2023年2月25日に66歳で亡くなっている。
 アジ=ラザロを撮影したのはF.F.F.と同じく『ミュージック・マガジン』1992年5月号の「イキのいいのがワンサカいる!!レコードでインディ・ロック総まくり」と題した田口史人さんによるフランス音楽特集の中の囲み記事として。インタヴュアーは土屋早苗さんで、田口さんの原稿によれば彼女は『GALOPIN』というフレンチ・ロック専門のミニコミ誌を編集されていた方だそう。

 原稿にはインタヴュー場所が渋谷ルノワールと記されているが、写真を撮った場所は渋谷の東武ホテルの敷地だと思われる。アジ=ラザロが持っている傘はたしか撮影に同行していた田口さんのもので、何か小道具があった方がポーズを作り易いかと思い彼に渡した。
 田口さんの原稿には10種類以上のリード楽器を操ると書かれているが、wikiでは約20種類の楽器をマスターしたマルチ演奏家と書かれている。独特な風貌で俳優もしていたようだ。

YouTubeから「Pigalle/Pigalle」 「Dans la salle du bar-tabac de la rue des Martyrs /Pigalle

渋谷・東武ホテル 1992年3月29日
初出『ミュージック・マガジン』1992年5月号
#フランソワラジアザロ
#FrançoisHadjiLazaro
#ピガール
#Pigalle
#ブーシェリープロダクション
#BoucherieProductions
#アーカイブ

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ティムバック3

◯ティムバック3

 1984年にパット・マクドナルドとバーバラ・マクドナルドの夫婦ユニットとしてスタートしたテキサスを拠点とするロック・バンド。1986年から1995年までの活動期間中に6枚のアルバムをリリースしている。初期は夫婦2人とリズム・ボックスによる編成が注目を集めた。wikiによればパットはアコースティック、エレクトリック・ベース、MIDIギター、ハーモニカ、ボーカル、ドラムプログラミング、バーバラはエレクトリック・ギター、アコースティック・ギター、マンドリン、バイオリン、リズムボックスプログラミング、ボーカルと、夫婦揃ってマルチプレイヤーのようだ。
 写真は1992年3月、彼らが3年半ぶり2度目の来日を果たした時のもの。前年にドラムのウォーリー・イングラム、ベースのコートニー・オーデインを加えて4人編成のバンドとして録音した4枚目のアルバム『BIG SHOT in The DARK』をリリースしており、その4人揃っての来日だった。
 来日スケジュールは3月25日~28日が東京・ルミネホール、30日が大阪・IMPホール。

 ティムバック3というバンド名の由来について、パットが渡辺亨さんのインタヴューで宗教聖地の名前からとったと答えている。
「ごく身近な友人からインスパイアされて曲を書くことが多い。これまで僕は3人の友人のアーティストに影響を受けた。ジェイムズ・スペンサー、ブレイズ・フォーリー、シルヴィア・プライスというのがその3人だけど、彼らはみな悲劇的な死を遂げた。例えばシルヴィア・プライスというのはオクラホマ出身のピアニスト/ソングライターなんだけど、彼女は自殺未遂を繰り返したあげく、最後には溺死した。
 彼らは色々な意味で、僕に影響を与えてくれた。実はティムバック3というグループ名は、ジェイムズ・スペンサーと関係があるんだ。というのは、生前、彼はワズラム教という怪しげな宗教の布教活動をしてたんだけど、その宗教の聖地の名前が”ティムバック3”というんだ。僕たちはジェイムズ・スペンサーが亡くなった後、彼へのトリビュートという意味を込めて、ティムバック3と名乗ることにした。そもそも僕は地名をバンド名にするのが好きなんだ」

YouTubeから「The Future's So Bright (I Gotta Wear Shades) /Timbuk 3」 「Big Shot In The Dark /Timbuk 3

テイムバック3 公式ウェブサイト

パット・マクドナルド 公式ウェブサイト

新宿・ルミネACTホール 1992年3月25日ライヴ撮影
新宿・ルミネACTホール・ロビー 1992年3月27日インタヴュー撮影
インタヴューは渡辺亨さん
初出『ミュージック・マガジン』1992年5月号
コンサート評を和田静香さん
初出『ミュージック・マガジン』1992年6月号
インタヴュー記事を渡辺亨さん
#ティムバック3
#Timbuk3
#パットマクドナルド
#PatMacDonald
#バーバラマクドナルド
#BarbaraKMacDonald
#ウォーリーイングラム
#WallyIngram
#コートニーオーデイン
#CourtneyAudain
#アーカイブ

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8月2日(金)

 昨日、富山も梅雨明けした。平年より遅い梅雨明けだが、梅雨入りも遅かったので梅雨期間の長さはほぼ平均並みだという。週間天気予報は雲もあるがお日様マークがズラッと並んでおり、毎日が猛暑日一歩手前だ。
 今年の7月は気象庁が統計を取り始めてから最も暑い7月で、昨年に続いて2年連続の記録更新だそうだ。これから毎年記録を更新していったら、恐ろしいことになる。もう、災害級の暑さだ。

 この他の気になった記事を備忘録として。
自民議員、不祥事は急いで離党の「しっぽ切り」ばかり 茂木幹事長のコメントも「コピペ」で済ます
「男女平等」名目で給付を減らしたいだけじゃ…政府の遺族厚生年金見直し案 「賃金格差是正が先」の声
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◯レ・ネグレス・ヴェルト

 1987年にパリで結成されたミクスチャー・バンド。デビュー・アルバム『Mlah』を発売した翌年、1990年に来日した際にライヴを撮影した。ちょいワル風な伊達男たちがフロントに立ち、フラメンコにワルツ(ミュゼット)、ライにポルカなど様々な要素をゴッタ煮にした音楽を奏でていた。それはザワザワとした街の喧騒のような音楽だったかも知れない。
 同じくフランスのバンド、マノ・ネグラと共に人気を博していたが、人気絶頂期の1993年1月22日にヴォーカルでバンドの中心人物だったエルノがオーバードーズで死去。それでもバンドは残ったメンバーで活動を続け、2001年に解散するまで4枚のスタジオ・アルバムをリリースしている。
 2016年に一時再結成され、2018年にはデビュー30周年を記念するベスト&未発表+ライヴからなる『C'est Pas La Mer A Boire (1987-1993)』が発売された。

YouTubeから「Zobi La Mouche - Live 1988 - Me Sounds Good/Les Négresses Vertes

渋谷クラブクアトロ 1990年3月11日撮影
初出『ミュージック・マガジン』1990年5月号
コンサート評は田中勝則さん
#レネグレスヴェルト
#LesNegressesVertes
#エルノ
#Helno
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レ・ネグレス・ヴェルト
F.F.F.
◯F.F.F.
 
 F.F.F.はFédération française de fonckの略で、日本語に翻訳するとフランス・フォンク連盟といった意味のようだ。フォンクとはファンクとロックを組み合わせた造語で、彼らの音楽性を表している。ミクスチャー・ロック・バンドと紹介されることもあるようだが、ミクスチャー・ロックという言葉は便利すぎて曖昧なので、ファンク・ロックバンドがイメージし易いかと思う
 1991年にビル・ラズウェルのプロデュースでデビュー・アルバム『ブラスト・カルチャー』をリリースし、翌、1992年に来日。3月24日の夜に渋谷クラブクアトロでライヴを行ったが、その当日のお昼過ぎにポートレートを撮っている。田口史人さんによるインタヴューが渋谷のルノアールであり、その後に近くの路地で撮影した。階段に立ってもらって俯瞰から撮影したが、メンバーが6人もいる上に好き勝手に動くので収拾がつかない写真になっている(笑)。
 写真は撮っていないが、確かクアトロのライヴも見たと思う。

 英語版のwikiによればツアーや内部対立に疲れ果て2001年にバンドは消滅したそうだが、正式には解散していなかったとのこと。2013年に再結成し、2014年にはフランス・ツアーを発表。2017年には新しいキーボーディストを迎えてフランス全土をツアーした。2023年にスタジオ・アルバムとしては5枚目となる『I Scream』をリリースしている。
 「イキのいいのがワンサカいる!!レコードでインディ・ロック総まくり」と題したフランス音楽特集の中の囲み記事としてF.F.Fのインタヴューが使われている。

YouTubeから「New Funk Generation/F.F.F.

F.F.F. 公式ウェブサイト

渋谷・宇田川町 1992年3月24日撮影
初出『ミュージック・マガジン』1992年5月号
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