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バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能

3月9日(金) 芦峅寺の山の神の祭り
3月10日(土)、11日(日) 山町筋のひなまつり
3月13日 芦峅寺のおんば様のお召し替え
3月14日、15日? 芦峅寺の涅槃会
3月17日(土)〜25日(日) 井波のひな祭り 記事
3月21日(水) 芦峅寺の数珠くり(ズズクリ)
3月下旬まで 高岡御車山会館 企画展「高岡御車山祭と二上射水神社
4月3日(火) 関野神社 与四兵衛祭  16時〜
4月 埴生護国神社 屋根の葺き替え完成の慶賀祭を予定
4月14日?(第2土曜)10時〜 小矢部 福町神明宮 春福まつり 神獅子(行道獅子)
4月15日(日)? 福光宇佐八幡宮 春季例大祭
4月15日に近い土曜日? 楡原の獅子舞
4月19日 新川神社 春祭り どべ(猿田彦) 記事
4月第4日曜日? 富山市中島の獅子舞
4月30日(月) 平成の御車山完成披露式
5月1日(火) 高岡御車山祭
5月2日(水)、3日(木) 井波よいやさ祭り *2日は宵祭
5月3日(木) 越中八尾曳山祭
5月3日(木) 氷見 唐島弁天祭
5月4日(金)、5日(土) 城端曳山祭
5月25日前後の土・日曜日 利屋町の天神祭り  関野神社から木像天神像が運ばれ、龍雲寺へ。
6月2日、3日 国泰寺 開山忌 虚無僧による尺八の奏上
6月? 櫟原神社春季例大祭 宵祭に鯛行燈(ヤサコ)や高張提灯の行列が渡る。
7月20日(金)、21日(土) 芦峅寺・雄山神社大例祭(予定)
7月22日(日)〜28日(土) 城端別院善徳寺の虫干法会 *盤持ち大会は22日
7月24日(火) 入善 新屋住吉社 新屋大磐祭り
7月31日(火) 黒部市中陣のニブ流し
8月13日(月) 芦峅寺 御招霊の迎え火 


◯新川神社 御田植祭5月
◯高瀬神社 御田植祭5月 抜穂祭9月
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯福岡町沢川の獅子舞 9月の第4土曜日?
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭 9月30日と10月31日?
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 10月下旬と11月下旬の日曜日 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯2019年 白山宮の本尊。秘仏十一面観世音菩薩をご開帳(33年毎)。
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
立山に生きる村ー宗教集落芦峅寺のくらし

◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

3月31日(土)

 今日で3月も終わり。一年の四分の一が過ぎる。朝の連続テレビ小説「わろてんか」も今日が最終回だった。見始めは??だったが、途中からは毎日楽しみにしていた。広瀬アリスという女優さんはこの番組で知ったが、いいね。
 花粉が恐怖で部屋に閉じ籠って作業をしていたが、昨日は友人が出演するコンサートがあったので、久しぶりに夕方から出かけた。電車で移動しコンサートの会場で大半を過ごしたので、帰って来てから鼻水鼻づまりに苦しむ事はなかったが、やはり目が痒く時おりクシャミを連発する。

 佐川元国税庁長官の証人喚問が終わり、政府はこれで幕引きをはかりたいようだが、昨日も国会前には抗議をするために多くの人が押し寄せた。
 今週の週刊新潮と週刊文春は安倍昭恵総理夫人の特集だ。
週刊新潮
あなたのせいで・・・ゴッドマザー洋子が嫁に浴びせた怒号
彼氏と別れてお見合い暴走ファーストレディ誕生秘話
ジュリアナが原点! 型破りアッキーの酔狂伝説
活動家 元暴力団 大麻常習犯という危ない交友録
余録2600万円でお付き女性職員はローマの休日
心臓に持病の安倍洋子が後継指名に動いた!
佐川喚問では収まらない!逃げる昭恵を誌上喚問他

週刊文春
安倍政権「暗黒支配」と昭恵夫人の嘘を暴く
居酒屋経営でも前言撤回した昭恵夫人
昭恵夫人「麻生が黒幕」を訴える葛飾区議に電話相談他

 その一方、月刊Hanadaで「昭恵夫人叩きは現代の魔女狩り」という記事を有本香氏が書いている。新潮も文春もHanadaも中は読んでおらず目次だけだが、ご本人が公の場で語らない限り疑惑は払拭されないし騒動が終わる事はない。
 一年ほど前の記事だが、<安倍昭恵夫人の中身のない「万能感」がキモチワルイ>というのを最近見つけて読んだ。小見出しにある「善意の暴走族」という言葉が言い得て妙だと思う。
 「ー天皇陛下からホームレスまでー誰とでも話しができる、つながりを作っていけるというのが私の強み」発言や、夫婦の著作を含む日本の書籍を海外の訪問先に贈り昭恵文庫と称する辺りは、やはり善意の暴走族と呼ぶに相応しいように思う。

 ファクトやファクトチェックという言葉をよく聞いたり目にしたりするようになったが、この国の総理も副総理もおよそファクトというものに興味がないようだ。
安倍総理「妻が名誉校長を務めているところがあまたの数ある」→あまたあると言ったが二つで、一つは森友、一つは加計。
麻生財務大臣「TPP11は日本の指導力で間違いなく締結された」→TPP11まだ締結されていない。
麻生財務大臣「茂木大臣が0泊4日でペルー往復」→開催地はペルーではなくチリのサンティアゴ。
麻生財務大臣「日本の新聞には1行も載っていなかった」→朝日、毎日、読売新聞などが9日付夕刊と10日付朝刊で報じた。
 なんだろう、総理、副総理のこのアホ合戦。笑わせようとしているのか。悔しいが笑ったじゃないか。 それにしても、新聞を読まないようにしている財務大臣は、それで職責が果たせるのだろうか?

 昨年の6月11日に撮影した小矢部花菖蒲祭りの写真をPhoto Albumにしました。こちら
金魚の掴み取り大会
↑菖蒲池での金魚の掴み取り大会。

3月29日(木)

 初夏に一歩手前のような暖かな日が続いた。絶好のサイクリング日和だが、花粉が恐怖で家から出られない。
 今日で58歳になった。Facebookの方には朝から「おめでとう」のメッセージが届いた。今年で高校を卒業して40年か。と言う事はT-BIRDもダディ竹千代&東京おとぼけキャッツも、今年でビクターのフライングドッグ・レーベルからデビューして40年だ。あ、今年は戌年か。
お稚児さんの写真

 高岡にあったライブハウス「タムタム」のマスターに紹介されてT-BIRDのローディーを始めたのが卒業した年の夏で、卒業した直後は前年に知りあった大学生を頼って大阪で少し居候をしていた。居候するつもりで大阪に行ったわけではなく、大阪のライヴハウス「バーボンハウス」でビリー・コブハムがドラム・クリニックをするというので見に行った。クリニックと言ってもデモンストレーションで、千手観音のようなコブハムのプレイを呆然としながら見るだけなんだけれど。

 写真はお稚児さんの時の写真。たぶん花祭りかな?白象を引いて歩いた記憶はないけれど、甘茶がとても美味しかったのを覚えている。花祭りは、お釈迦さまの誕生日のお祝い。もう直ぐだ。
 立っている場所は保育園の前で、今は「まちの駅ふくおか」になっている。現在は福岡小学校の横にある林照寺だが、この頃は保育園の斜め前にあった。保育園のお昼寝の時間になると、タオルケットだったか毛布を持ってぞろぞろと林照寺へ行った。ひんやりと涼しかった気がする。

 昨日の事も忘れるのに昔の事を良く覚えているお年寄りを不思議に思っていたが、だんだん自分もその領域に近づいて来た。 昨年亡くなられた鶴ひろみさんも、今年亡くなったECDも今日で58歳。
 昨年の6月10日に撮影した五鹿屋地区の夜高祭二日目の様子をPhoto Albumにしました。こちら
夜高祭二日目01
↑子供たちを先頭に、田んぼの間を練り歩く夜高行燈。↓二日目の夜は、夜高行灯をぶつけ合う「突き合わせ」が行われる。
夜高祭二日目02

3月27日(火)

 今日は午前と午後、佐川前国税庁長官の証人喚問が行われた。パソコンで写真の現像をしながら、ネット配信の国会中継を聞いていた。公明や維新の議員の中には、質問をしているのではなく自身の思い描いたストーリーを披露している人もいて、証人喚問になってるんだろうか?と不思議に思う。貴重な時間が勿体ない。
 多くの質問に「刑事訴追の恐れがある」として証言を拒否しているのに、安倍首相や首相夫人の関与については明確に「なかった」と答えているのはやはり不自然だろう。
文書改ざん、解明進まず 佐川氏、証言拒否に終始
野党も泊める昭恵氏・谷氏の喚問・・・官邸幹部「もう終わり」
佐川宣寿・前国税庁長官 証人喚問タイムライン
佐川氏証人喚問 全記録 何を語り何を語らなかったか
佐川・前理財局長が証人喚問で明かさなかった今井首相秘書官の秘密
佐川証人喚問は”出来レース”!補佐人は甘利明や小渕優子の弁護担当、用意された送迎車、不自然すぎる丸川珠代の質問

 話題としては証人喚問の影に隠れてしまったが、天皇皇后両陛下が今日から29日までの日程で沖縄を訪問されている。今日は沖縄戦最後の激戦地である糸満市にある沖縄平和祈念堂や戦没者墓苑を訪れられたそうだ。
 本土のニュースではほとんど触れられていないが、昨日26日は米軍が慶良間諸島の座間味島に初めて上陸した日であり、明日28日は米軍に上陸された渡嘉敷島の住民が集団自決した日だ。座間味島では昨日、渡嘉敷島では明日、慰霊の日の式典が行われる。
 沖縄を気にかけ、今回で11回目の訪問となる両陛下なので、そうしたことも踏まえての旅行日程だったのかもしれない。
 日程表によれば、明日は日本最西端の与那国島を訪問される。 久部良小学校へも行かれるようだ。久部良は与那国島の中でも一番西にある集落で、晴れていれば台湾が直ぐ近くに見える。

座間味の海

 上の写真は、米軍が沖縄で初めて上陸した座間味島にある海岸。海の綺麗さなら奄美大島宇検村の屋鈍海岸、宮古島の前浜、西表島・船浮のイダの浜、波照間島のニシハマなどもあるが、遠浅の海が広がり歩いて行ける場所にサンゴが群生している浜は座間味で初めて見た。シュノーケリングの初心者だったが、ウミガメと一緒に泳いだのもこの海だった。

 備忘録として気になった記事をリンクしておきます。
外国人からみて日本の民主主義は絶滅寸前だ
「森友学園」国会審議 土俵の外から俯瞰せよ=藻谷浩介・日本総合研究所主席研究員
 それにしても「妻に確認した。『そんなことは言っていない』ということだった」「妻がどう答えたのか、どう考えたかについては全て私が答えている。総理大臣の責任として極めて重い答弁をさせていただいている」って、どんな法治国家だよ。とても先進国とは思えず、恥ずかしい。

 昨年の6月9日に撮影した、五鹿屋地区の夜高祭初日の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
夜高祭01
↑四角い田楽行燈を持ってまわる子供たち。↓日が沈み暗い中、明りを灯した大きな夜高行燈が村をまわる。
夜高祭02

3月24日(土)

 朝から青空が広がった。井波で17日から開催されているお雛様を飾るイベントが25日までなので、花粉に怯えつつ見に行くことにした。井波へ行くには戸出駅まで自転車で行き、戸出から福野までは城端線。そして福野駅から自転車で向かう。今年初めての輪行。お天気も良いので、足元は今年初めてのスニーカーにする。
 戸出駅を10時25分に出る城端線に乗るため、家を9時半過ぎに出て自転車で向かう。余裕があると思ってゆっくり漕いでいたら、駅に着いたのが10時15分頃で慌てて自転車を折りたたむ。久しぶりの輪行は思っていたよりも自転車を折りたたむのも、バッグに仕舞うのもスムーズに出来た。
旧井波駅

 10時44分に福野駅に着いて、自転車を組み立てて井波に向かう。
 一応地図は持って来たが井波・庄川方面は今回で3回目なので、 一ヶ所だけ確認したが、もう見なくても大丈夫だ。
 30分ほど走って旧井波駅に到着。瑞泉寺に向かう途中にある観光案内所で「ひなまつり」のチラシを下さいと言うと「お人形さまめぐりです」。お雛様以外の人形も飾ってあるようだ。

自転車と本町通り
↑左は、今年になって初めて輪行して来た自転車。右は、お人形さまめぐりが行われている本町通り。
 一旦瑞泉寺まで行き、ここから旧井波駅へ戻りながら「お人形さまめぐり」をする。瑞泉寺の前には井波彫刻の工房が軒を連ねる石畳の八日町通りがあり、その先に人形を飾っている本町通りが続いている。
お人形さまめぐり01
お人形さまめぐり02
 ウインドーに飾られているのがほとんどだが、特別展示と書かれた家があったので中に入る。チラシを見ると大谷家とある。中には段飾りのお雛様がいくつかあり、お内裏さまだけのものも飾られていた。
 ご夫人に少し話しを聞くと、ここに飾られているのは上新町(旧町名)の方々が持ち寄ったものだそうだ。もともと上新町の女性たちがお雛様を飾るひなまつりを始めたところ、中新町や下新町の方でもやりたいということになり、雛人形だけではなく色んな人形も飾るイヴェント「お人形さまめぐり」になったそうだ。それでも見た限りでは雛人形がほとんどだが。
 イヴェントの開催日も昔は3月3日のお雛様の日に合わせていたそうだが、その頃はまだ雪が残っていたり寒いので人があまり訪れてくれないので、暖かくなる後ろにずらしたそうだ。
 民家にしては入口が広いと思ったら、嘗ては薬屋さんを営んでいたそうだ。飾られている人形は、イヴェントが終わると町内で持っている屋台の蔵に仕舞うそうだ。屋台は、よいやさ祭りで引かれる庵屋台だろう。  
お人形さまめぐり03
大学寮勧学院田址
 大谷家を出て、両脇にイヴェントの幟が立っている本町通りを中新町、下新町と見てまわる。
 なるほど上新町の幟は「上新町のひなまつり」と書かれており、中新町と下新町の幟には「お人形さまめぐり」と書かれている。
 一時間ほど井波に居て、福野駅へ戻る。途中、高瀬神社付近で小さな塚の横を通った。案内板には「大学寮勧学院田址」と書いてある。
 福野駅で自転車を折りたたみ、13時41分の城端線で戸出駅へ。戸出から真っ直ぐに家に帰らず、理容店へ行きバリカンを入れてもらう。頭が軽くなって家に帰る。
 夜、鼻水と鼻づまりで辛い。また花粉にコテンパンにやられてしまった。

3月22日(木)

 一週間ほど前は最高気温が20℃を超え、春を通り過ぎて初夏だろうかという陽気だったが、一昨日くらいから季節は戻り寒い日が続いている。春分の日の昨日、関東で積雪があった。奥多摩では雪のため13人が下山できなくなっていたが、無事にヘリで病院に搬送された。

 昨日は春分の日で、春彼岸の中日。今月4回目、今年に入って5回目の芦峅寺撮影に行って来た。撮影したのは「とやまの年中行事百選」にも選定されている、数珠繰り(ズズクリ)。集落のお年寄りや婦人が閻魔堂に集り、住職を囲んでお堂いっぱいに広がって長い大数珠を念仏を唱えながら繰りまわす。こちらの様子も後々UPいたします。

ズズクリ
↑芦峅寺のズズクリ。
 12日に財務省が国有地取引に関する決済文書で書き換えを行った事を認めて以降、テレビやネットで森友学園問題が再燃している。
 その森友問題に隠れて他の大事なニュースが伝わっていない印象もある。この数日で気になったニュースを備忘録として。
500万人分の個人情報が中国業者に 年金情報入力を再委託
線量測定設備約2400台撤去へ
官房機密費「異常な闇ガネ」政権交代6日前に2.5億円
前川氏 文科省の介入「前代未聞」と批判 長野で講演
自民・和田氏の「政権おとしめる」発言、会議録から削除
【報ステ】東京都迷惑防止条例改正に「懸念の声」
都迷惑防止条例改正案委員会可決
米鉄鋼関税、韓国とEUは除外の可能性 米通商代表
安倍応援団が「森友文書の『本件の特殊性』とは同和のこと」なる悪質差別デマを拡散中!発信源は今井尚哉首相秘書官か
 それにしても、この国グダグダだな。
 野党6党が明日、長らく拘留中の籠池泰典被告と接見できるようだ。

3月21日(水)

 芦峅寺の閻魔堂へ、ズズクリ(数珠繰り)の撮影に行く。ズズクリは午後からだが、午前11時から三千仏法要が行われるので、それに間に合うように電車に乗る。
 あいの風とやま鉄道で富山駅に8時55分着。電鉄富山駅まで歩き、9時14分発の立山行きに乗車し、千垣駅に10時に着いた。千垣駅には集落行きのバスが停車していたが、時間に余裕があるので片道200円のバス賃を節約するため歩く事に。
 駅から緩い坂を30分ほど歩いたので、閻魔堂に着いた頃には汗が出ていた。
 お堂の入口前にはたくさんの靴が並び、なんだか静かな気配。ん?と思い入って行くと既に三千仏法要が始まっていた。日程表には11時からとなっていたが、10時半から始まったようだ。
三千仏法要

 お堂の入口横には机が出され、午後からの先祖供養の受付が行われていた。先祖供養で世帯主の名前を書く御茶湯(おちゃとう)が1000円、1年以内に亡くなった人の名前、年忌の人の名前を書く祠堂経(しどうきょう)が1500円となっている。

←三千仏法要が営まれている閻魔堂。住職が壁に掲げた三千仏の掛け軸の前に座りお経を上げる。
↓先祖供養の受付をする氏子代表

先祖供養の受付
 三千仏法要とは過去に自分が犯した罪や穢れを、三千の仏様の前で懺悔し、精進できるように祈願する法要だそうだ。三千仏とは三幅の掛け軸に描かれた仏様で、それぞれ中央に阿弥陀(過去)、釈迦(現在)、弥勒(未来)が大きく描かれ周囲に1000体(厳密には1000体前後のよう)の仏様が配置されている。各地のある三千仏
 芦峅寺の三千仏の掛け軸も元々は三幅あったが、明治の廃仏毀釈や戦争を経て二幅は痛みが激しく廃棄されたそうだ。残った掛け軸の中央に描かれているのは阿弥陀如来かお釈迦様か、どちらだろうか。
↓→芦峅寺に残っている三千仏の掛け軸。
三千仏の掛け軸02
三千仏の掛け軸01
 三千仏法要の読経の後、円隆寺の住職・佐伯光昭さんによる講話が行われた。題材は先日閻魔堂で催された涅槃会の団子撒きと仏舎利についてなど。
 閻魔堂にはこの日、三千仏の掛け軸ともう一つ他の掛け軸が飾られていた。白象のようなものが見えるので、お釈迦さまだろうか。
↓佐伯光昭さんの講話。→掛け軸。お釈迦様だろうか?
掛け軸
講話
 講話の後、高岡南高校の生徒が立山博物館の学芸員の方に引率されて閻魔堂を訪問し、短い講義を受けて行った。 
昼食01
昼食02
↑漬け物と、お弁当が配られる。

 高校生が帰って行った後、お堂の中にテーブルが出されて昼食に。
 市販のお弁当と、行事を担当する9組の女性たちが持ち寄った漬け物がテーブルに並ぶ。嘗ては市販のお弁当ではなく、持ち寄った手作りの料理で昼食にしていたようだ。
 一応コンビニでパンを2つ買って来たが、お弁当をすすめていただいたのでご馳走になる。
 ゆっくりお昼を食べた後、13時からお彼岸の先祖供養が始まった。住職の斜め後ろにテーブルが置かれ、鉦とお香と急須が並べられる。参拝者の中から3名が選ばれて、住職が受付で書かれた名前を読み上げた後に鏧子(けいす)を鳴らすと、続いて一人が鉦を鳴らし、お香を焚き、急須のお茶を小皿に注ぐ。また住職が名前を何名か読み上げた後に鏧子を鳴らすと、鉦、お香、お茶と続く。そうして受付で申請のあった名前が全て読み終わるまで繰り返された。
先祖供養01
先祖供養02
ズズクリ01
 50分ほど名前を読み上げる先祖供養の法要が行われた後、ズズクリが始まった。
 住職がお堂の真ん中に座り、参加者がそのまわりで大きな輪を作るように座る。そして、先祖の供養を念じながら、極楽往生や厄除けを願い「ナムアミダブ、ナムアミダブ」と念仏を唱えてみんなで数珠をまわす。念仏を100万回唱えるとされ、百万遍念仏とも呼ばれているが、実際に唱えている回数はわからない。
ズズクリ02
↓→数珠についている白い房を身体の悪い部分に押し当てる。
ズズクリ04
ズズクリ03
 数珠には白い房が一つ付いており、この房を身体の都合の悪いところに当てると、痛みから解放されるといわれており、それぞれ身体に押し当てたり擦ったりしながら数珠をまわす。
 20分ほど数珠をまわしてズズクリは終了したが、今日はこの後、引き続き今年還暦を迎えた人を祝う還暦法要が営まれた。一昨年まではズズクリの翌日に行われていたが、昨年は還暦を迎えた人から開催の希望がなく取り止めに。今年はズズクリの日に開催して欲しいという要望があり行われた。
還暦法要01
還暦法要02
 今年還暦を迎えた人は11人で、その内の8名が出席された。
 閻魔堂に入り赤いタスキを掛けてもらい、住職による読経が行われ無病息災と長寿を祈願する。
 読経が終わると集落の人と向き合って座り、一人一人が自己紹介を行う。嘗ては当番組の婦人が料理を作り、宴が開かれたようだが、今日はお抹茶とお菓子が出されてしばしの歓談。
 特別に大きなお涅槃団子が贈られ、記念写真を撮影してお開きとなった。
閻魔堂
富山地方鉄道の富山行き
 還暦法要の後、当番組の婦人の方々とお茶を飲んで少しお話しをしてから、閻魔堂を出る。外は濃霧で、ちょっと幻想的な風景。
 有峰口駅から帰るのが続いたので、今日は千垣駅から。
 千垣駅を16時39分発の電鉄富山行きに乗車。17時26分に富山に着いて、あいの風とやま鉄道へ。ヤフーの乗り換え案内では18時8分の金沢行きだったが、改札に行くと17時36分発の金沢行きがあった。  

 今日、円隆寺の佐伯光昭さんにお伺いしたところ、嘗て芦峅寺にあった33軒の宿坊は天台宗だったが、それは正式に宗派から認められた存在ではなかったそうだ。そこで富山市梅沢町の天台宗・円隆寺の下に33の宿坊が入る事で正式に天台宗として認められた。しかし、円隆寺の住職が亡くなられた時に後継ぎがなく、廃仏毀釈後も芦峅寺で残っていた宿坊「泉蔵坊」の光昭さんの祖父が円隆寺を継いだそうだ。
 三千仏法要が何故芦峅寺で行われているのか尋ねてみたが、三千仏の掛け軸があったからだろうと仰る。この三千仏法要も途切れていたときがあり、再開したのは50年ほど前ではないかと話される。
 それにしても芦峅寺の3月は忙しい。3月9日の山の神の祭りに始まり、13日のおんば様のお召し替え、14日のお涅槃団子作り、15日の涅槃会法要と団子撒き、そして今日のズズクリ。女性の会の会長・佐伯照代さんによれば、雪に閉ざされている冬は行事が行えないので、雪が解けて春を迎えた3月に色んな行事が重なったのだろうと話される。

3月16日(金)

 昨日、一昨日はお涅槃団子作りと涅槃会の撮影で、芦峅寺へ行って来た。こちらも後々UPいたします。
 二日間とも最高気温が20℃を超える陽気で、杉の木に囲まれた芦峅寺、覚悟はしていたが花粉にコテンパンにヤラレタ。芦峅寺に居るときは目が痒い程度だが、家に帰って寝る頃になると鼻水、鼻詰まりで眠れなくて困った。
 涅槃会はお釈迦さまが入滅した2月15日に行われる法会で、横たわるお釈迦さま(入滅したときの様子)を描いた涅槃図をお堂に掲げてお務めをする。普通は2月15日頃に行われるが、芦峅寺では旧暦2月15日を新暦に直して一ヶ月遅い3月15日に行っている。
 涅槃会の時には涅槃団子が参拝者に撒かれる。この団子はお釈迦さまの骨(仏舎利)を模したもので、この団子を拾うと無病息災、厄除けになると言われている。お釈迦さまの死後、丸い骨が3石6斗もあったという。芦峅寺では14日に公民館でお団子を作ったが、使用した米粉は5斗(1斗が15キロ)だった。
 涅槃とは煩悩が消えた静かな境地を意味するそうで、サンスクリット語(梵語)ではニルヴァーナと言う。
芦峅寺・閻魔堂の涅槃図
↑芦峅寺の閻魔堂に掛けられた涅槃図から。

 アメリカのロックバンド、ニルヴァーナを好きになったのはカート・コバーンが亡くなってからだった。
 1992年2月19日、最初で最後となったニルヴァーナの来日コンサートを中野サンプラザで撮影した。
 音楽雑誌の仕事で撮影に行ったけれど、当時はニルヴァーナの存在も知らなかった。暗い照明の中、ボーカルのカート・コバーンはステージの上で揺れていた。撮影できるのは頭の3曲までで、ちゃんと写っているか心配で撮影を終えたら急いで現像所にフィルムを持って行った。今思えば早く現像所に出しても遅く出しても結果は同じなので、ライブの主催者側にお願いして撮影の後もステージを見せてもらえば良かった。いくらか席も空いていたように思う。
 じゃがたらのメンバーだった南流石、OTOが中心となって結成したTANGOSのライヴが、カートが亡くなった1994年の10月に渋谷クアトロであり撮影に行った。4月に亡くなったカートへの追悼だったのか、ニルヴァーナの「All Apologies」を演奏した。このTANGOSによる「All Apologies」が素晴らしく、これがキッカケでニルヴァーナをちゃんと聴こうとアルバムを買い揃え、そして好きになっていった。

『IN UTERO』に収録されている「 All Apologies」はいつ聴いても切なくなり、美しい曲だなと思う。日本版CDの対訳は、中川五郎さんだったかな。今手元にCDのライナーノートがないので、ネットで歌詞を拾って来た。

カート・コバーン

あんたたちみたいだったらよかったのに
なんでも楽しめる人間だったら
ヘロインの隠し場所をさがす
すべて俺の過ち
どんな責めでもうけるよ
海の泡のような恥辱
冷蔵庫で日焼けをし
敵の遺灰にのどを詰まらせる

陽光の中で
俺はひとつになる
陽光の中で
俺は結婚し 埋葬される

俺たちはみんな かけがえのない存在
俺たちはみんな 何にも勝るかけがえのない存在

 『ニルヴァーナ、ネヴァー・フェイド・アウェイ カート・コバーン・ストーリー/デイヴ・トンプソン著、小山景子訳』(水声社)に、<ニルヴァーナとは何を意味するかとインタヴューで聞かれたカートは、「死後の完全な安息」と簡潔に答えている>という記述がある。それは煩悩が消えた静かな境地=涅槃だろうか。
  なんとなく「All Apologies」の歌詞に、死と安息を見る。

 You Tubeから「All Apologies (Live at Reading 1992)/Nirvana」。

3月15日(木)

 昨日に続いて、今日も芦峅寺へ。今日は閻魔堂で涅槃会の法会があり、お釈迦さまが入滅した時の様子を描いた涅槃図をお堂に掲げて読経が行われた後に、お涅槃団子が撒かれる。ご利益のある団子を拾いにたくさんの人が集まるので、団子撒きはお堂の中と外の二手に分かれて行われる。
 涅槃会自体は13時からだが、準備の様子も見たいので12時頃までに着くように電車の乗り継ぎを選ぶ。
 あいの風とやま鉄道で8時55分に富山駅へ。立山行きの電車に乗り換えるために電鉄富山駅へ。富山行きの電車は9時57分なので1時間ほどの待ち時間。この電車に乗れば千垣駅に10時54分に到着し、歩いて閻魔堂に行っても11時半までには着く。一本遅らせると千垣到着は12時10分で、閻魔堂に着くのは12時半頃になってしまう。
 10時54分に千垣駅に着いて、芦峅寺集落に向かう。時間に余裕があるので常願寺川を渡る橋に行き、立山連峰を少し撮影。昨日も立山が見れたが、今日は一層クリアだった。
↓常願寺川と立山。→常願寺川。
常願寺川
常願寺川と立山
 常願寺川と立山を撮って、再び集落へ向かって歩く。小学校の手前、集落の入口付近に来たところで前方を大きな動物がぴょんと跳ねて行った。山側から常願寺川のある崖へ、2車線の道路を3歩ほどで渡って行った。一瞬のことでカメラを向ける余裕はなかった。熊でも猪でもなかったので、たぶん鹿だろう。気を取り直して閻魔堂に向かって歩くが、昨日以上に良いお天気で汗が出てくる。結局途中で来ていた服を3枚脱いだ。
 そう言えば芦峅寺には庚申塚があるが、見に行こうと思いながらいつも忘れる。時間に余裕があるので探しながら歩くが、それらしい塚が見つからない。少し集落の奥に入ったところで人に尋ねたところ、小学校の隣りだという。駅から集落に向かう道の左側だと思っていたら、右側だった。探しても見つからなかったわけだ。
閻魔堂

←涅槃会の行われる閻魔堂。

 アチコチ寄り道していたので、閻魔堂に着いたのは11時50分頃だった。お堂の中に入ると、正面に涅槃図が二幅掛けられ、座布団が並べられ、すっかり準備が出来ていた。
 お昼ご飯は食べた?と聞かれたので、おにぎりを買って来ましたと答えると、「お弁当が一つ余ってるから食べられ」と手渡される。

涅槃図01
涅槃図02

←お釈迦さまの入滅したときの様子を描いた涅槃図。彩色されたものと、単色のもの2種類が掛けられていた。普段は立山博物館で保管されている。

↓ご馳走になったお弁当。

お弁当
涅槃会01
 12時なると少しずつ参拝者が集り、12時45分頃になるとお堂の中はほぼいっぱいになった。
 閻魔堂での読経は、富山市梅沢町にある円隆寺の住職・佐伯光昭さんが行う。佐伯さんの家は芦峅寺にあった宿坊の一つ泉蔵坊だったが、明治の廃仏毀釈の後、光昭さんが小さい時におじいさんが円隆寺を引き継いだそうだ。引き継ぎの経緯はわからないが、円隆寺も芦峅寺の宿坊も天台宗だ。
↓3月13日にお召し替えが行われたばかりのおんば様。→閻魔様の前に置かれた団子。
涅槃会03
涅槃会02
 住職が閻魔様やおんば様が祀られた祭壇の蝋燭に火をつけて準備が整い、13時から読経が始まった。読経が始まると同時に、香炉が回される。
涅槃会04
涅槃会05
涅槃会06
 20分ほどで読経が終わると、いよいよ団子撒きが始まる。
 お堂の中で団子を撒くのは当番である9組の女性たち。お堂の外にも団子を拾いに人が集まっている。中は女性が多く、外は男性が多い。外でお団子を撒くのは、氏子総代の人達だ。
 閻魔堂の屋根に雪が積もっていれば、屋根の上に昇って団子を撒くが、今年は雪が少なく下からだ。
←閻魔堂の中での団子撒き。
↓外での団子撒き。
涅槃会07
涅槃会08
↓とやまの年中行事百選の選定証。→今年は屋根の残雪が少なかった。
閻魔堂
とやま年中行事百選の選定証
 5分ほどで団子撒きは終了。団子の数が多いので、皆さん袋にたくさん入れていた。拾った団子は無病息災を願って焼いて食べたり、毛糸で袋を編んで団子を入れてお守りにする。
 閻魔堂の中に飾られている賞状などを見ていたら、とやまの年中行事百選に選ばれた「芦峅寺のオショウライ」「芦峅寺のズズクリ」「芦峅寺のおんば様のお召し替え」の選定証が3枚並んでいた。
風景
庚申塚

 後片付けを少しだけ手伝って、14時10分頃に閻魔堂を後にする。
 写真を撮りながら駅へと歩いて行くと、小学校の隣りに石垣を組んだ塚があった。階段を上がると庚申塚の案内板が設置されていた。

立山町指定 有形民俗文化財
芦峅寺庚申塚の石仏群(石仏17躯、石塔2基、石碑1基)
平成三年十一月二十六日 指定

 庚申塚は芦峅寺集落の入口にある高さ約5mの塚である。広さ約20㎡の塚上には、樹齢四00年余と推定される立山杉の老樹を中心に石造物がコの字状に並んでいる。
 塚の中央に安置された庚申塚の本尊である青面金剛(しょうめんこんごう)は、かつて立山信仰が盛んな頃、村人や登拝者に禍を与える悪霊の進入を防ぎ、長寿・無病息災・五穀豊穣をもたらすといわれていた。疫病等が流行したときは、その悪霊を追い払うために、庚申塚で「ドンドン火」を焚いて送り出すことも行われていた。なお、定例行事として、数百年に渡り庚申の日に講を行っていたが、近年は春秋の二回行われている。
 このように地域と密接に結びついた信仰の対象であり、また、塚上には六地蔵をはじめ旧立山道の石仏が集められており、民間の立山信仰の様相を良く残しているものと言える。
 石碑は尾張の俳人 晩翠の句碑で、「白いみち 来よと 志きりに 呼子鳥」とあり、布橋灌頂会の情景を詠んだものといわれる。

平成二十三年十月 立山町教育委員会

 庚申塚を撮り終えて、駅に向かう。今日も千垣ではなく、常願寺川を渡って有峰口駅へ。

↓→駅舎の中の広告看板は病院ばかり。
有峰口駅02
有峰口駅01
電鉄富山行きの電車
 有峰口駅に着いて駅舎のベンチに座っていると、中の広告看板が全部病院なのに気がついた。
 15時34分発の電鉄富山行きに乗車。16時26分に富山に着いて、あいの風とやま鉄道に乗り換え。
 家に着いたのは17時半頃だったろうか。
 家から芦峅寺までは富山の端から端で随分と遠い印象だった(実際遠いが)が、最近はそれも感じなくなって来た。慣れだな。

3月14日(水)

 明日、芦峅寺の閻魔堂で涅槃会が営まれ、法要の後にお涅槃団子が参拝者に撒かれる。その団子作りが芦峅寺の公民館で行われるので撮影に行く。
 5時45分のあいの風とやま鉄道の始発に乗り、電鉄富山で富山地方鉄道に乗り換えれば最寄り駅の千垣に8時1分に到着する。次の7時22分発のあいの風は富山地方鉄道との乗り換え待ちの時間が少ないので、千垣駅に8時54分に到着する。団子作りは8時頃から始まるそうだが、午前中いっぱいはやってそうなので7時22分のあいの風で富山に向かう。
お涅槃団子作り01

 富山に7時50分に到着し、歩いて5分ほどの電鉄富山駅へ。8時6分の立山線に乗り、千垣駅に8時54分に到着した。駅からバスに乗れば5分ほどで集落に到着する。
 無人駅の改札を出るとバスがやって来たので乗り込むと、このバスが出るのは1時間ほど後だという。えっ!?
 しょうがないので歩いて集落へ向かう。緩い坂道を歩いているうちに汗が出てくる。今日の最高気温は20℃越えだ。

お涅槃団子作り02
 25分ほどで公民館に到着。中に入ると団子作りの真っ最中だった。ブルーシートを広げたホールで、何組かに分かれてプラスチックのタライを囲んで作業をされている。
 涅槃会とはお釈迦さまが入滅した2月15日に行われる法会で、お涅槃団子はお釈迦さまの骨(仏舎利)を模したものだそうだ。これを拾うことで無病息災、厄除けを願う。
お涅槃団子作り03
お涅槃団子作り04

↑色粉を混ぜて練ったお団子の生地。
←こちらのグループは一人が生地を千切り、他の人が丸める役。大きさや形も一人一人微妙に違う。

 お涅槃団子の作り方は米粉に色粉を混ぜ、お湯を加えて練る。
 練った固まりを千切り、手のひらでくるくると丸める。
 丸めた団子を蒸した後、流水で洗って布の上に広げて扇風機を当てて乾かす。

↓→千切った生地を手のひらに乗せくるくる。
お涅槃団子作り06
お涅槃団子作り05
↓→丸めた団子を蒸し器に入れる。
お涅槃団子作り08
お涅槃団子作り07
お涅槃団子作り09
お涅槃団子作り10

↑蒸し上がった団子を流水で洗った後、布の上に広げて扇風機の風に当てる。夕方まで扇風機をまわし、一晩置いて乾燥させる。
←乾燥中のお涅槃団子。

 芦峅寺では米粉5斗(1斗は15キロ)を使って作られる。
 お涅槃団子は赤、白、黄、緑、黒の5色のところもあるようだが、芦峅寺は色粉を入れないプレーンの白と、赤、黄、緑の4色だ。

お涅槃団子作り11
お涅槃団子作り12
 10時前に団子が出来たので、ホールにテーブルを出して賄いを食べる。賄いの料理は蒸した団子と、持ち寄った漬け物。団子は砂糖をつけて食べる。
 甘い団子としょっぱい漬け物を食べながら、話しに花が咲いている。
 涅槃会は今回、9組が担当で、団子作りの準備や片付け、賄いなどは9組の婦人が中心となって行っている。
 大きな団子は今月21日に行われる還暦の祝いで、還暦の方々に贈られる。
 団子作りを撮影し、賄いをご馳走になって、11時15分頃に公民館を後にした。真っ直ぐ駅に向かうのももったいない天気なので、昨年布橋灌頂会が開催された布橋まで歩いて行く。
 布橋は朱色の欄干にブルーシートが掛けられていた。布橋を渡り、嘗てうば堂が在った場所のそばに建てられた遥望館へ。建物の前は、まだ雪がたくさん残っている。
集落から見える立山
布橋
↑集落から見る立山。→布橋。
立山
↑遥望館から眺める立山。
 しばらく布橋の辺りを散策してから駅へと向かう。千垣が最寄り駅だが、有峰口もそれ程変わらないので常願寺川を渡って有峰口まで歩く。レトロな駅の写真を撮りながら、12時45分発の富山行きを待つ。
富山地方鉄道
 富山であいの風とやま鉄道に乗り換えて、家に着いたのは15時頃だろうか。
 芦峅寺に居た時も目が痒かったが、家に帰ってからだんだん症状が重くなり、寝る頃になると鼻水、鼻づまりでなかなか眠れなくなった。

3月13日(火)

 昨日、財務省は森友学園の国有地取引に関する決済文書で書き換えを行った事を認めた。テレビはこの発表を巡り、一日中森友問題で終始した。
政府、財務省理財局の指示認定 森友文書の書き換え疑惑
森友学園への国有地売却の決済文書をめぐる財務省の調査結果
全文掲載「森友」文書書き換え 財務省調査結果

 厚労省のデータ不正、財務省の公文書改竄。もう国民はこの国の省庁の出して来るデータも資料も信用しないだろう。自国の民が信用しないものを、他国の人達が信用するだろうか?
 今回の事件はそれほど重い事案で、犯罪。

 ネットでは<役人の不始末で大臣が辞めていたのでは日本の政治はおかしくなります。ましてや総理まで役人の責任を負って辞任していたら閣僚を辞任に追い込むことなど容易い事になってしまいます。そんな事になったら日本は大変なことになります>という、のんきな書き込みも見るが、こういう人達は、まだ日本が大変な事になっていないと思っているのだろうか。今がまさに国難だろう。

 厚労省のデータ不正や財務省の公文書改竄で、それを犯した省庁や官僚に利益となることはない。
 2014年5月に設置された内閣人事局によって、国家公務員の人事は内閣に権限が移った。任命責任や監督責任を内閣が負わなければならないのは当然だろう。

 ベンチャーズの元リードギタリスト、ノーキー・エドワーズさんが昨日、亡くなった
↓→ノーキーさん。2015年10月5日、白馬チャリティーコンサートにて。
ノーキーさん02
ノーキーさん01
 母校、高岡工芸高校の生徒が「第10回ギターデザインコンテスト」でグランプリを獲得し、彼女のデザインを基に製作された「おさかなギター」が主催者からプレゼントされたそうだ。おめでとう!

3月11日(日)

 2011年の3月11日は、家から自転車で10分ほどの朝仁海岸へ味噌汁に入れるアオサを採りに行っていた。
 海に入っている最中に防災無線から何か聞こえてきたが、スピーカーの声がワンワン回っていて何を言っているかわからなかった。その後、市役所からのエリアメールで津波情報が届いたので、アオサ採りは止めて部屋に帰った。
 大した事はないだろうと高をくくって部屋に帰り、テレビのスイッチを入れて飛び出てきた映像と文字に衝撃を受けた。
 ちなみに奄美大島でもこの日の17時41分に小湊で1.1メートルの潮位が観測された。
朝仁海岸

 日本にはもんじゅや常陽など廃炉や解体中のものも含めると59基の原発があるが、現在可動しているのは川内原発の2基、伊方原発の1基、高浜原発の2基の計5基だ。この5基が作り出す電気と、他の原発を維持するために使われる電気ではどちらの量が多いだろうかと考えることがある。或は、福島の汚染水対策として作られた凍土壁を維持するための年間の電気量は、いかほどなのか。
 福島の原発事故が起こる前、推進派の言い分は原発が無ければ電気が足りないだった。しかしそれは、もともと夏の僅か数日の話しでしかなかった。
 実際に福島の事故が起こり全原発が停止した2011年、夏の電力ピークの時期を原発無しで過ごした。15%の節電を義務付けたからだろう?と言う人もいるだろう。
 この時に東電の発表していた電力供給力と、毎日のピーク時の使用電力量をチェックしていた。7月15日が一番多くて4627万キロワットだった。これに15%の節電分を加えても5321万キロワットで、この月の東電の供給力は5680万キロワットだった。実際、この頃に東電管内では余裕があり、関電に電力供給するという話しもあった。
 2011年の3月から川内原発1号機が再可動する2015年8月11日まで、この国は原発ゼロで過ごした事を忘れてはいけない。

 原発を考える時、別役実の短編童話集『淋しいおさかな』の中の一篇「工場のある街」を思い出す。それは、要約するとこんなストーリーだったと思う。

ある日、街に工場ができた。
街の人々は、煙突から上がる黒い煙りを見ながら
どんな素晴らしいものを作っているんだろうと
噂をしていた。
工場は煙突を増やして、ますます黒い煙りを上げていく。
それでも街の人達は、工場で何が作られているのか
わからない。
ある日、街の人の中に目が痛いと言う人が現れ、
やがてそれは街全体に広がった。
そんな折、工場長が街の人に向かって
「みなさん喜んで下さい。
私たちは貴方たちの目の痛みを治す薬を
ようやく完成させました」
街の人達は、なんて素晴らしいものを作ってくれたんだと
大喜びした。
ところで、こんな素晴らしいものを作るには
やはり煙突が何本も必要なんですね?と
街の人が工場長に尋ねた。
「いえ、煙突は黒い煙りを出しているだけです」

 原発は、総括原価方式という仕組みを使い国民から吸い上げたお金を原子力村という既得権益集団に分配するための装置ではないだろうか?

 今日は、昨日と今日の2日間開催されている山町筋のひなまつりへ。天気予報を見ると雨雲が県内を通り過ぎるようだが、小雨で短時間なので自転車で行く。
 早めに昼ご飯を食べて出発。久しぶりの高岡までのサイクリングは快調だったが、高岡に着いた途端に小雨がパラついた。
山町筋のひなまつり01
 商店やスーパーでは店内やショーウインド、民家では玄関や座敷に様々なお雛様が飾られている。高岡御車山会館の近くから見学を始め、山町ヴァレーまで来たところで知りあいに遭遇。中庭でコンサートをやっているから観てってと声をかけられる。
山町筋のひな祭り02
 山町ヴァレーに入ると玄関ホールに雛飾りが。ホールを抜けた中庭でコンサートが行われている。14時からは高岡西高校の合唱部による合唱だが、雨風が強くなってきたので一曲歌ったところで場所を中に変更。
 ちょっと時間がかかりそうだったので、またお雛様巡りを再開。土蔵造りのまち資料館へ。こちらには高岡市立博物館所蔵のものや、個人所蔵の珍しいものが飾られている。
山町筋のひなまつり03
山町筋のひなまつり04
山町筋のひなまつり05

↑土蔵造りのまち資料館にて。
←山町筋の街並み。

 資料館を出て、今度は自転車で母校である高岡工芸高校にある青井記念館美術館へ、北日本新聞に掲載されていた写真家を目指す生徒の写真展を観に行く。本人が居なかったのでわからないが、この写真展の企画は卒業制作が発展したものだろうか。
 写真展を見終えて、再び山町ヴァレーへ向かう。

山町筋のひなまつり06
 山町ヴァレーに到着すると、ケルト音楽をレパートリーにするポットスチルバンドの演奏が始まっていた。富山でケルト音楽は珍しいなと思ったら、POT STILLというお店のハウス・バンドだそう。
 コンサートが終わり自転車に乗って帰宅しようと少し走ったら、雨足が強くなった。10分ほど雨宿りして雨雲の通り過ぎるのを待って再びペダルを漕ぐ。帰りは逆風で、ちょっと足が重かった。
*北日本新聞の記事

3月9日(金)

 3月9日は芦峅寺・雄山神社の境内にある神秘社で、猟師や山岳ガイド、炭焼き、伐採業者、山小屋、工事関係者など山に従事する人達がその年の安全を祈願する山の神の祭りが行われる。神事は早朝から行われるため、前日の夕方から芦峅寺の撮影でいつもお世話になっている方の家に泊めていただいた。
 8日の17時13分に電鉄富山駅を出る電車で千垣駅へ。18時1分に千垣駅に着き、バスで芦峅寺の集落に向かう。ご夫婦とお婆さんの3人暮らしの家にお邪魔して、おでんや牛すじをご馳走になり22時頃までビールを飲みながら芦峅寺のことを教えてもらう。芦峅寺の行事は当番制で、1〜9に振り分けられた地区が担当する。今年の山の神の祭りは4組が担当で、6時からの神事が始められるように5時頃から準備をするそうだ。
 準備の段階から撮影したいので携帯のアラームを4時30分に設定する。

 4時30分に携帯のアラームで起床。リビングに行くと、もうご主人が起きていらした。外は雨が降っているという。ご主人は5時半頃に行くそうなので、4時50分頃に家を出て先に雄山神社に向かう。
 5時を少し過ぎて神社の奥、祈願殿の左側にある神秘社に到着すると、既に篝火が焚かれほぼ準備が整っていた。雨が降ったので少し早めに来て作業されていたようだ。これまで雪の降った日はあるが、雨の日は記憶にないという。
 昨年までは5時過ぎから集落内を太鼓を叩いて祭りを知らせる「ふれ太鼓」が行われていたが、今年から廃止になった。太鼓を叩いても聴こえない家があったり、当番組の人手不足が要因だ。こうして祭りの簡略化が進む。
  もっと遡れば、30年ほど前までは前日から当番組の組頭の家に集まり入浴して身を清めてからお供えの鏡餅を搗いたそうだが、現在お供えの鏡餅は購入している。

山の神の祭り01
←雨の中、準備をする当番組の人達。

 5時半頃になると、一人二人と山に従事する人達が集まってきた。
 一人一人ローソクを灯し、祭壇の前に置かれた甕に持参した徳利からお酒を注いで参拝する。
 芦峅寺の行事は女性が中心となって行われるものが多いが、山の神様は女で、女性が参加すると山神様が嫉妬して祟りをもたらすというので、男性だけで執り行われる。
山の神の祭り02
山の神の祭り03
 6時になって空が少し白ばんできた頃、神事が始まった。例年なら宮司さんは社の前、外で修祓や祝詞奏上を行うが、今日は土砂降りの雨になったので社の中から。
↓→雨が降っているので社の中から宮司が修祓を行う。
山の神の祭り05
山の神の祭り04
↓→祝詞奏上。
山の神の祭り07
山の神の祭り06
山の神の祭り08
山の神の祭り09
 宮総代、氏子総代、組頭などが玉串を奉奠。ふれ太鼓がなかったからか、雨が降ったからか例年よりも参加者は少なかったそうだ。
 神事は20分ほどで終了した。神秘神社を下りたところにテーブルが出され、当番組の人達が参列者にお神酒を振る舞う。この山の神の祭りが終わると芦峅寺に春が来るといわれ、山に入っての作業が解禁される。
→神事が終わり、帰りがけにお神酒が振る舞われる。
山の神の祭り11
山の神の祭り10
山の神の祭り12
 撮影が終わったら、そのまま千垣駅へ行こうと思っていたら、朝ご飯を食べて行きなさいと声をかけられ家に戻る。
 普段はトースト1枚で済ましているが、卵焼き、おひたし、納豆、味噌汁の朝食をご馳走になる。
 集落を7時32分発の千垣駅行きのバスに乗るため、ご飯を食べて直ぐにおいとまする。出掛けに2冊の本をいただいた。どちらも非売品でありがたい。

 千垣駅を7時41分発の電車で電鉄富山へ。車中で『霊峰に抱かれて生きる人々と伝統ー立山町の調査記録ー/富山大学人文学部文化人類学研究室』と『立山信仰曼荼羅の里 史跡を訪ねる/立山風土記の丘』をパラパラと捲って過ごす。

 ところで一般的に山の神祭りは2月9日に執り行っているところが多いようだが、芦峅寺は3月9日。お釈迦様の入滅した日とされる涅槃会の行事も2月15日前後に行われることが多いが、芦峅寺では3月15日だ。これらは旧暦2月9日、2月15日を一ヶ月ずらして新暦の3月9日、3月15日に開催しているのだろう。

 春の初めと冬の初めの二回、山神祭を催すことが中部地方全般に見られる。ここにいう山の神とは、山を支配する神である。祭日は一定しないが、祭は二月と十月、旧暦で九の日が多い。
 二月九日は山の神の日として、みな仕事を休む。 とくに山師・猟師・炭焼きなどは、酒盛りをして祝う。やむをえない理由で、山仕事にでかけるときは、紙に包んだ米を木の枝につりさげて仕事をすれば、山神様もお許しくださるといって、いまも厳守している。
『習俗 富山歳時記/漆間元三』

 県内で炭焼きや木挽きを生業とする者は、一般に12月9日または3月9日を山の神の祭日とし、この日は山の神が木の本数を数えたり、種をまいたりするので、山に入ってはいけないという禁忌を守ってきた。今も各地で山の神に山仕事の安全と豊かな山資源を祈願する「山の神祭り」が行われている。
 2月9日、入善町舟見地区の山神社では、地元の森林組合員や製材業者が参加して神仏混淆の祭りが行われる。朝日町笹川では、宮総代と住民が諏訪神社に参拝する。黒部市宇奈月町下立の住民は、家の近くの田に雪で祠を作ってお神酒を供え、家の中の山側の部屋にご馳走を置いて、山の神がそこにいるかのように丁重にもてなす。
 立山町芦峅寺は3月9日が祭日で、 前夜に男衆が祭主の家に集まって夜を明かし、未明に入浴して餅をつき、触れ太鼓を打ち鳴らして雄山神社に詣でる。
 南砺市利賀村では、2月から6月にかけての山開きの日に、山中で最大の木を山の神の依代である「カミサマギ」とみなし、しめ縄を張り、お神酒や御幣餅、米、野菜などを供えて事故のないことを祈る。山の神信仰が深い利賀村では、山中で突然太鼓の音が聞こえたり、材木を転がす音がしたりすると、山の神の仕業であると考えられていた。
『暮らしの歳時記 富山編』(富山新聞社)

山の神様 上新川郡大沢野町旧下タ村をまわると、ずいぶん祀られてあり、よく禅僧などのつける不老帽のようなものをかぶり独鈷を持った石刻の姿がある。
 祭り日には高岡市手洗野では神棚に餅を供えこの日、女は山へ入ってはならぬという。西砺波郡福岡町沢川でも山の神の祭りには山をまわって歩きなさるから、山へ入ってはならぬという。二月九日と十二月九日に祭りをし、ことに十二月九日には炭も焼かず、刃物も持ってはならぬという。
 黒部市前沢でも、二月九日の山の神の日には、天狗さんの祭りといって山へ決していかない。この日山へ行くと天狗さんに捕えられるとか、たべられるといっている。
 魚津市池谷ではこの日は雉子や兎を捕えてできるだけの馳走をたべる。
  西砺波郡福岡町山手でも十二月九日の祭りには、酒と干し鰯とを神棚に供え、ことに炭焼きはそのかまどを休み、炭俵などつくる人もあったが材木に刃物をあててはいけないという。
『日本の民俗 富山/大田栄太郎』(第一法規)

 昨年の10月に「浦山のナガ」で知られる秋季例祭を撮影させていただいた鶏野神社でも、年間の祭祀として2月9日に山神祭を行っている。

*北日本放送のニュース、チューリップテレビのニュース、北日本新聞の記事記事

平成30年〜平成31年2月 芦峅の行事
3月9日   山神様(雄山神社)
3月13日  お召替え(閻魔堂)
3月14日  涅槃だんご作り(公民館)
3月15日  だんごまき(閻魔堂)
3月21日  祠堂経・お茶湯・三千仏法       要・数珠繰り・還暦法要
       (閻魔堂)
4月8日   花祭り・甘茶(閻魔堂)
4月16日  春祭り(雄山神社)
4月18日  志鷹神社春祭り
5月10日  琴平様春祭り(琴平様)
6月24日  閻魔様月法要(閻魔堂)
7月15日  閻魔様月(例大祭前の
       日曜日、草むしりの日)
       予定(閻魔堂)
7月20日  雄山神社大例祭(予定)
7月21日  雄山神社大例祭(予定)


8月13日  お盆 御招霊の迎え火
8月14日  盆踊り(公民館前)
8月16日  お盆送り火(お墓参り)
       地獄のふたがあく日、お       参り (閻魔堂)
9月2日   敬老会(公民館)
9月23日  閻魔様月法要(閻魔堂)
9月30日  地区住民運動会
10月10日 琴平様秋祭り(琴平様)
10月16日 秋祭り(氏神様)(雄山       神社)
10月18日 志鷹神社秋祭り
10月24日 閻魔様月法要(閻魔堂)
11月4日  文化祭予定(公民館)
11月24日 閻魔様月法要(閻魔堂)
 

 

12月24日 閻魔様月法要(閻魔堂)
12月28日 年餅作り予定(公民館)
12月31日 大晦日 役員人足
1月1日   初詣 役員人足、お守り       売り1日、2日、3日
       (雄山神社)
1月2日   芦峅寺42歳の祝い
1月24日  閻魔様月法要
2月6日   火祭り
2月16日  閻魔堂地獄のふたがあく       日、お参り(閻魔堂)

 

 


近畿財務局職員自殺か 森友国有地問題で対応
佐川氏、辞任の最大の理由は「決裁文書」
トランプ氏と金正恩氏、5月までに会談へ 韓国高官
 色々と劇的に動いた一日だった。

3月7日(水)

 なんだか目がショボショボするのはパソコン画面の見過ぎじゃなくて、やはり花粉か。
 花粉症デビューは2009年の春で、それまでは何ともなかったのに突然発症した。発症するまでは花粉症?と舐めていたが鼻水、鼻づまりが酷くて夜中に目が覚めたりと、こんなに大変なのかと思い知った。なるべく外出しないようにしたが、撮影が入ると部屋から出ないわけにはいかない。
山本梓さん

 2009年の3月12日は当時担当していた連載の仕事で、グラビアアイドルの山本梓さんの撮影だった。待ち合わせた都内の喫茶店の中で少し撮った後に、外に出て彼女の愛犬と一緒に撮影した。彼女の飼っている犬はポヂュギース・ウォーター・ドッグという珍しい種類だった。
 撮影は10分ほどで終わり、機材を片付けて彼女の方を見るとマスクをしている。聞いてみると、彼女も今年から花粉症デビューしたという。スチールやムービーで撮られることが仕事のタレントさんは、花粉症だと大変だろうなとこの時に思った。

 2009年にデビューだから今年で花粉症歴10年ということになるが、奄美大島と沖縄に住んでいた4年間は花粉症ではなかった。奄美も沖縄もほとんど杉がないので、症状が出ないのだ。その4年を引けば、花粉症歴は6年ということになる。
 富山に帰って来て再び花粉の洗礼を受けているが、突然発症したんだから、ある日突然治ってくれないだろうかと願っている。できれば明日にでも。

 三上智恵さんのコラム「軍隊とともに心中する覚悟がありますか?〜島に軍隊が来るということ〜」に掲載された映像で流れる、元陸自レンジャー隊員・井筒高雄さんの「アメリカは戦争を公共事業だと思ってますから」という発言はとても興味深い。
 自分もアメリカからもし軍隊というものがなくなれば、もの凄い人数の失業者が出るんじゃないかと昔から考えていた。だからアメリカは戦争をし続けなくてはいけない。そのアメリカが行っている死の公共事業に、自衛隊を加担させるのが集団的自衛権。
<集団的自衛権を発動しているアメリカがこの70年ずっと戦争し続けている一方でこれまで集団的自衛権を発動しなかった日本が一度も戦争してないという事実があるにもかかわらず、集団的自衛権が戦争抑止案とはこれいかに? >という野間易道氏が以前発したツイートは的を射ている。
 昨日の毎日新聞にも、「<自民党>改憲案に私権制限明記へ 緊急事態条項で方針転換」という何やらキナ臭い記事が掲載されている。

あのですね皆さん、政局っていう以前に犯罪なんです。わかってください
 ネットで拾ったツイート。簡潔で当たり前のことを言ってるツイートだが、忘れられがち。森友も加計も与野党とか右派左派とか政局の問題じゃなくて、犯罪の追及。

 昨年の6月3日に撮影した庄川観光祭の夜高行灯の写真をPhoto Albumにしました。こちらこちら

庄川の夜高行燈01
↑庄川の河川敷に設けられた祭壇で執り行われた、御神燈点燈式。↓町練りの後、出来映えを競う行燈コンクールが催される。
庄川の夜高行燈02

“目に見える”放射性物質の粒、福島の川で確認
新燃岳 爆発的噴火相次ぐ、噴煙は高さ3000m
来月末に開催合意 北朝鮮が非核化言及 軍事演習に「理解」韓国発表
トランプ米大統領、輸入関税推進を明言ー下院議長が反対表明でも
米軍また部品落下 嘉手納所属F15、1.4キロのアンテナか 日本側に通報なし
空自ヘリの落下ドアを発見 沖永良部島基地近くの草地

3月5日(月)

 今日は朝から雨。隣りの田んぼも、昨日一昨日の春のような陽射しですっかり雪がとけた。
 3.11が近づいて、震災に触れるテレビ番組が多くなってきた。
雪が溶けた田んぼ
 今日のNHK「あさイチ」では原発特集が放送されたが、コメンテーターとして登場したエネルギー政策の専門家だという女性のコメントが酷く、未だに原子力が一番安定した電気の供給源という発想に驚いた。福島の1回の事故で、全国の原発が全て止まったという事実を認識していないのだろうか。
 こんなトラブルは石油や石炭、火力、水力、風力では無いんじゃないだろうか。電気の供給源として一番コストが高く不安定なのが原発だと思う。

 備忘録として。
詳報 東電刑事裁判「原発事故の真相は」
どうする核燃料サイクルーー”プルトニウム大国”日本の今後

 昨年の5月27日に撮影した観音寺の大威徳天神祭の写真をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら。観音寺のお堂にある天神様(菅原道真)の掛け軸に、朝から各町内の獅子舞が参拝奉納する。この掛け軸に描かれている天神様は菅原道真による自画像だと言われているそうだ。また、嘗ては全ての町内が観音寺へ参拝奉納していたが、現在は福一、福二、社内の3つの町内は近くにある福町神明宮に奉納している。001〜011までが福町神明宮での撮影。

観音寺での参拝奉納
↑観音寺での獅子舞の参拝奉納。↓この大威徳天神祭の時だけご開帳される天神様の掛け軸。
菅原道真の自筆の自画像

 今日の沖縄タイムスに「産経、3記事とも当事者に取材せず痛烈批判 沖縄めぐるネット報道」という記事が掲載されていた。産経の沖縄に関する記事は、報道ではなくネット掲示板の書き込みレベルだろう。
  <批判する場合、公平性を担保するため相手の言い分を聞くのが報道の原則だ。だが、敵対記事を書くためには事実が明らかになっては困る。根底から崩れてしまう。だからあえて当事者に聞いていない。産経新聞はメディアであることを自ら放棄したに等しい
 文中の大谷昭宏氏のコメントから。

3月3日(土)

 今日は、ひな祭り。県内でもアチコチで催し物があったようだ。地元では、雅楽の館でひな飾りを前に洋遊会による雅楽の演奏が行われた。
 家でもしばらく前から座敷にお雛様が出してある。段飾りではなく、テーブルの上に色んな人形と一緒に並べてある。今年は、先月亡くなった叔母の遺品のお雛様も飾られている。
家のひな飾り

3月2日(金)

 3月は春の嵐で始まった。
 昨日は全国的に荒れた天気で、北海道では数年に一度の猛吹雪となり、苫小牧市の林道で動けなくなった車を助けに行ったロードサービス会社の男性が亡くなった富山も昨日の日中は暴風が吹き、2階の部屋に居ると風で揺れた。電車も遅延や運休が相次いでいた。

 この国の劣化を思わせるニュースが次々に流れて来る。
森友文書、財務省が書き換えか 「特例」など文言消える
 文書・資料の破棄や隠蔽に留まらず、書き換えまで。異常事態だな。この国の公的文書の信用を一気に下げる事案だろう。そこに関わる人物が国税庁長官に就任するって、どんな地獄だろう。
「左翼を意識し、炎上による拡散を」憲法改正に向けた青年会議所キャラ、流出資料に書かれていたこと
 ツイッターで「宇予くん」と称するキャラクターが不適切な発言を繰り返していたとして、日本青年会議所がお詫び文をホームページに掲載。既にツイートは削除されているが、スクショが残っている。
川重、作業支持に反し鋼材削る 新幹線台車製造で、146台交換

 昨年、沖縄の基地問題に関する放送でBPOから「重大な倫理違反があった」と指摘された東京MXの番組「ニュース女子」が3月末で放送を打ち切りとなる。

アマゾンのマーケットプレイスで購入した本
 アマゾンのマーケットプレイスでポチった『とやま民俗文化誌/富山民俗文化研究グループ』(シーエーピー)が、昨日届いた。面白そうだが読めるのは当分先かな?
 昨年の5月21日に撮影した勝興寺と伏木気象資料館の写真をPhoto Albumにしました。こちら
勝興寺の唐門
↑勝興寺の唐門。屋根はヒノキの皮を使った檜皮葺(ひわだぶき)。↓伏木気象資料館
伏木気象資料館
 明日、明後日は富山の最高気温も15℃、20℃まで上がり、春の陽気になりそう。

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