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バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能
2月3日(土)、4日(日) 菅沼合掌造り集落ライトアップ 日没〜20時
2月4日(日) 富山・発表会 1部12時30分〜 2部18時〜
2月4日(日) 節分祭 富山県護国神社 やいかがし(柊に焼いた鰯の頭を刺したもの)をお供え 11時半〜
2月9日(金)〜11日(日) 南砺利賀そば祭り
2月28日(水) 城端 つごもり大市
3月9日(金) 芦峅寺の山の神の祭り
3月10日(土)、11日(日) 山町筋のひなまつり
3月13日 芦峅寺のおんば様のお召し替え
3月15日 芦峅寺の涅槃会
春彼岸中日(3月21日前後) 芦峅寺の数珠くり(ズズクリ)
3月下旬まで 高岡御車山会館 企画展「高岡御車山祭と二上射水神社

◯与四兵衛祭 関野神社 4月3日
◯4月 埴生護国神社 屋根の葺き替え完成の慶賀祭を予定
◯4月第2土曜?10時〜 小矢部 福町神明宮 春福まつり 神獅子(行道獅子)
◯4月15日に近い土曜日? 楡原の獅子舞
◯4月19日 新川神社 春祭り どべ(猿田彦) 記事
◯4月第4日曜日? 富山市中島の獅子舞
利屋町の天神祭り 5月25日前後の土・日曜日 関野神社から木像天神像が運ばれ、龍雲寺へ。
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯6月2日、3日 国泰寺 開山忌 虚無僧による尺八の奏上
◯6月? 櫟原神社春季例大祭 宵祭に鯛行燈(ヤサコ)や高張提灯の行列が渡る。
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯黒部市中陣のニブ流し
◯福岡町沢川の獅子舞 9月の第4土曜日?
◯加茂神社 出雲へ神を送る神送祭
◯岩稲八幡社の神送り・神迎え 
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
築山行事
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識
山の民の祈り
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

2月28日(水)

 月の最後の日を「晦=つごもり」と言うそうだ。城端では2月の最後の日である28日に「つごもり大市」という350年以上(寛文元年1661年より)続く市が開かれる。12月27日に行われる福野の「歳の大市」とともに、富山では歴史のある市として知られている。
 福野の歳の大市が師走の市なのに対し、城端のつごもり大市は初春の市だ。新暦の2月28日は、旧暦だとまだお正月が明けた頃だろう。もともと城端との繋がりの深かった五箇山の人達が、取引先であった城端へ年賀のあいさつに訪れ、その人達を目当てに市が立ったのが由来とされている。
 『習俗 富山歳時記/漆間元三』(巧玄出版)に嘗ての賑わいぶりが記されているので引用させていただく。
 二月末には、城端で「つぐもり大市」が開かれる。むかしから城端と五箇山とは経済的関係が深く、この二月末には、五箇山の人々が町の取引先へ年賀のあいさつにきて一泊する。五箇山では、最近まで旧暦で正月をする風習があったので、この日に年賀のあいさつも不思議ではなかった。町の宿元では、年酒をだしてこれを歓待し、芸者をよんで大騒ぎした。また、その人手を目当てに市が立った。御坊町・西町通りには露店商が並び、東町通りは村からムシロ・ナワなどのわら工品を売りにくるので、俗に「ムシロ市」ともいわれる。わら工品の中には、北野のふかぐつ、千福のぞうり、金戸のニゴ縄、是安の俵などの特産もある。
 また、『愛蔵版 暮らしの歳時記 富山編』(富山新聞社)によれば嘗ては「つごもり」ではなく「つもごり」と呼ばれていたようだ。
 昔ながらの市と言えば南砺市城端地区に「つもごり市」がある。現在は「つごもり市」と呼ばれるが、年配者は今でも、「つもごり」と言う。こちらは毎年2月28日に開催されている。なぜ2月の晦日の日になったかは五箇山との関わりにある。城端は昔から五箇山の和紙や絹などを買い付けて行き来があったが、冬場は雪に閉ざされる。長い冬が終わり2月末の雪が緩んだ時期に、年始のあいさつと清算に山から人々が訪れた。その人出を目当てに市が立ったのが由来とされる。今は道路事情が良くなり本来の意味はなくなったが、300年余り、形を変えながら今も続く。
つごもり大市01
 こちらのサイトには10時〜16時までと書いてあったので、自転車で戸出まで走り戸出駅を10時25分に発車する電車で11時1分に城端駅に到着した。
 先ずは駅構内の観光案内所に行き、つごもり大市のチラシがないか尋ねたところ、印刷したものはないのでネットからプリントアウトして下さった。
 駅からゆっくり10分ほど歩いて、市の立っている町の中心部へ。
つごもり大市02
つごもり大市03

↑大市の様子。

 テントがいくつも並ぶ市の中に入って行くと、たくさんの小学生が。城端小学校の4年生で、授業の一環として自分たちで作ったものを並べて売っているそうだ。
  小学生の販売は10時45分から11時15分までで、残り時間がわずかなので「40円の商品を30円引きで10円にします」といった声が聞こえてきた。

 テントの中や道路に拡げられた商品を見ながら歩いていたら、ユズ味噌コンニャク1本100円が目に入った。肉厚のコンニャクにユズの香りのする味噌をたっぷりとつけてくれる。
 さっきまで自分たちの作った作品を販売していた子供たちが、今度は通りで民謡を踊る「じゃんとこじゅにあ2017」が11時30分から始まった。
↓→城端小学校4年生による「じゃんとこじゅにあ2017」。
つごもり大市05
つごもり大市04
 しばらく「じゃんとこじゅにあ」の写真を撮ってからお腹が空いたので、100円うどんの列に並ぶ。並んでいると、今度は横でもちつきが始まった。けっこうイベントが多くて忙しい。
つごもり大市06
↑100円のうどんと、きな粉とあんこの餅2つで100円。
つごもり大市07
つごもり大市08

 「じゃんとこじゅにあ」の踊りが終わり小学生が居なくなると、ずいぶんと年齢層が上がった。平日の昼なので、やはりお年寄りが中心だ。
 12時からの南京玉すだれ、12時半からのベンチャーズ風のバンドのライブを見学する。
 100円のユズ味噌コンニャク、100円のうどん、2つで100円のお餅を食べてけっこう満腹だが、ピザとかぼちゃスープのセット200円を見つけて1つ注文。

 ピザとスープも食べて満腹になったので、善徳寺へ。善徳寺の山門の下でも市が開かれていた。
つごもり大市09
つごもり大市10
 寺務所へ行き、昨年の9月に撮影させてもらった善徳寺の一心講踊りの写真を事務局長さんにお渡しする。また、一心講でちょんがれの音頭とりをされた3人の方に差し上げるプリントを預けて、渡していただけるようにお願いする。
 善徳寺の対面所の外側の壁にある「城端別院一心講 音頭 千代加礼 五十周年記念」の木額を撮影させてもらう。この額には、歴代の大関になった音頭とりの名前が記されている。
 善徳寺から大市のメイン会場へ戻ると、13時半からCHICO with ヤマダベンのライブが始まった。ボーカル&キーボードのCHICOはアフリカ・コンゴ共和国出身のミュージシャンを父に、人形作家の日本人を母に持つ富山在住のシンガー。ライヴが始まる前に配られたフライヤーの中に3月3日、4日に黒部市のコラーレで開催される「EARTH MOVING 2018 アフリカ」の案内があった。EARTH MOVINGは2003年から始まり、今回で16回目だそうだ。毎回一つの国や地域をテーマにして音楽や舞踏、民俗や歴史を紹介しているそうで、とても興味深い。今回はママドゥ・ドゥンビアによるコラの演奏体験といったワークショップや、様々なアーティストによるライヴも行われる。
つごもり大市11
つごもり大市12
 CHICO with ヤマダベンのライヴは1時間ほどだったろうか。プログラムでは彼女たちのライヴの後、もう一度南京玉すだれが予定されていたが、南京玉ずだれがなくなり15時から予定されていたおまわりさんの防犯寸劇が繰り上げて始まった。
 おまわりさんの寸劇を見てから駅へと向かう。駅の向かいには南砺市の観光案内所があるので、井波のひな祭りのことや、これから行われる南砺市のお祭りのスケジュールなどを教えてもらう。
 城端駅を15時24分発の電車で、戸出駅へ。15時58分に着いて、駅前の駐輪場に置いておいた自転車で家へと帰る。そう言えば今年は雪が多かったので、自転車で遠出したのは今日が初めてだ。
*南砺市の記事、富山新聞の記事

2月25日(日)

 ピョンチャンオリンピックが今日、閉幕した。
 昨日の夜、町内の古民家で行われたライヴを見終えて帰宅すると、ちょうどテレビでカーリング女子の日本対イギリスを放送していた。日本は銅メダルを獲得した。同じ頃に女子マススタートで高木菜那選手が金メダルを獲得しており、今回のオリンピックでは冬季大会としては過去最高のメダル獲得数になった。それにしても高木菜那選手がチームパシュートと女子マススタートで2つの金メダル、高木美保選手がチームパシュートで金、1500mで銀、1000mで銅と金銀銅メダルをコンプリート。高木姉妹恐るべし!だ。銅メダルを獲得したそだねージャパンにはお米100俵が贈られるはずだ(笑)。
 ネット上で広まっていた、カーリング女子のそだねージャパンや、メガネ先輩といった彼女たちのキャラクターも今回のオリンピックを盛り上げたかも知れない。

マーケットプレイスで購入した本
 またアマゾンのマーケットプレイスで、本を3冊ポチッってしまった。
『しあわせーインド大地の子ども/鬼海弘雄』(福音館書店)、『誰をも少し好きになる日 眼めくり忘備録/鬼海弘雄』(文藝春秋)、『日本の民俗<16>富山/大田栄太郎』(第一法規出版』。
 買ったはいいが、いつ読めるんだろう。部屋のアチコチで”積ん読”の山が高くなっている(汗)。
 昨年の5月21日に撮影した氣多神社の慶賀祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
氣多神社の慶賀祭01

↑本殿と拝殿の屋根の葺き替えと参道の改修が完成した祝いの、慶賀祭。写真は国の重要文化財となっている本殿の屋根。サワラの薄い木片を細かく並べた「こけら葺き」が美しい。↓あげもんを担ぎ、3歩進んで2歩下がりながら進むやらやら。

氣多神社の慶賀祭02
 ようやく確定申告の用紙が作成できた。後は郵送するだけだ。
 ところで、今年は昨年新たにお仕事をした出版社や制作会社から源泉徴収書の他にマイナンバーカードのコピーか、個人番号を記載した通知カードのコピーを送って欲しいという案内が届いた。以前からお付き合いのある出版社からは別にない。
 【重要・追記あり】マイナンバー無しでも確定申告は可能ですという記事があるくらいなので、たぶんなくても何とかなるんだろうが、相手方の経理担当者の手間を考えて通知カードと身分証明書のコピーを送った。
 不思議だな〜と思うのは、個人番号の漏えいには罰則が設けられ総務省から通知カードが配布された時は簡易書留で送られてきたはずだが、コピーとはいえ番号を記載した通知カードを個人が取引先に送る時は普通郵便で可能。どんどん個人番号の取り扱いが緩くなっている。この状態だと、流出しない方が不思議だろう。

2月22日(木)

 昨日、スピードスケート女子パシュート(追い抜き)で日本が金メダルを獲得した。今日は朝からテレビもネットのニュースも、その話題で持ち切りだ。たまたま決勝の様子をテレビで観ていたが、確かに面白かった。これから人気が出そうな競技だと思う。そして、日本チームのユニホームがなんだかカッコ良かった。

 今日、2月22日はニャンニャンニャンで猫の日だそう。そこで、ちょっと耳の短い猫の写真を一枚載せてみます。
 2014年の1月30日は旧暦の12月30日でトシヌユル(大晦日)だった。沖縄・久高島の旧正月を撮影するため、この日から島に渡った。宿泊は前年に知りあった区長さんにお願いして、公民館のような総合センターのホールを安くお借りした。寝具はないが大きなソファーを2つくっ付けて、寝袋にくるまれば問題なかった。

久高島の猫
区長さんにご馳走になった晩ご飯
 明日から正月の神事が行われる外間殿や、交流センターでウサイ(ご馳走)を作る子供たちを撮影した後、区長さんの家で晩ご飯をご馳走になった。
 お刺身とサバの煮付け、ご飯は仏壇にお供えしてあったもので、おにぎりの上に小さな丸いおにぎりが3個乗った不思議な形のものだった。
 缶ビールを2本飲んでほろ酔いになっていたところに、尋ねて来たのがこの耳の短い猫だった。

 区長さんは一人暮らしで、春になれば区長を交代するので民泊でもしようかと言っていた。あれからもう4年、民泊を始めただろうか。

「冗談じゃない!」漁師怒り/小川原湖へ米軍機タンク投棄/船まで100メートル、「竜巻かと思った」
「謝罪すらない」漁業関係者に怒りと悔しさ 米軍機タンク投棄で全面禁漁の小川原湖
 普通に考えれば襟裳岬の1180キロ沖に落下する北朝鮮のミサイルより、シジミ漁をしている数百メートル先の湖に燃料タンクを投下する米軍の戦闘機の方がリアルに怖いだろう。

裁量労働制 厚労省ずさん調査 異常データ新たに117件
 誤記や入力ミスで資料に異常なデータが117件見つかり、無いと言っていた資料の元になる調査票が出てきた。働き方改革の前に、”自分たちがちゃんと働けよ、厚労省”ということだな。
 それにしても、無いと言っていた資料が出て来るのは森友問題、自衛隊の日報問題から続いており、またかと思う。資料もまともに作れず、その資料を直ぐに捨てたり失くしたりする国家が、有事の際に他国と渡り合えるとは思えないのだが。

2月19日(月)

 午前中に、先日石川県の奥能登で「あえのこと」を撮影させていただいた家や、年餅づくりや雄山神社のミヤマイリを撮影させていただいた芦峅寺の方に写真やフォトブックを郵便局から送る。
高岡御車山会館
 午後、先日お世話になった射水神社の神職の方に以前撮影した写真などをお渡ししようと高岡へ。駅に着いてお電話すると、今日は15時半から神社に出られるとのこと。2時間半ほどあるので、駅前の市立図書館で本を探し、それから高岡御車山会館へ。
 御車山会館はオープン時の無料開放の時に一度入っているが、人が多くてゆっくり観れなかったのと、現在開催中の企画展に興味があった。
 企画展は「高岡御車山祭と二上射水神社」。二上射水神社の築山行事と、関野神社の御車山祭の繋がりと同時に、関野神社と二上射水神社の関係が知りたかった。展示を見た後、学芸員の方にお話しを伺ったところ御車山祭の行道獅子(源太夫獅子)は射水神社から借りていたこと、そして神仏混淆時代の射水神社の神主は関守一氏(関野神社の神主)が務めていたそうだ。
 築山と曳山の繋がりについては、学芸員の方もよくわからず研究中だそうだ。御車山祭で借りていた射水神社の源太夫獅子は、二上から高岡の古城公園に遷座した時に一緒に移され現在は高岡古城の射水神社(正式名称は越中総鎮守射水神社)にある。この写真にある社宝獅子頭だろうか。遷座した後、二上の氏子の要請で射水神社の分社として二上射水神社(現在の正式名は越中総社射水神社)が建造され源太夫獅子が新たに作られ、御車山祭でも現在坂下町が担当している源太夫獅子を作ったので、少し話しがややこしくなっている。
 15時過ぎに会館を出て、山町筋の商店のウインドーに飾られているお雛様を少し見て歩く。ひなまつりにしては飾っているお店の数が少ない気がして、他にどこでみられるか尋ねたところ山町筋のひなまつりは来月の10日、11日が本番だそうだ。
山町筋のひな人形01
↑↓→山町筋のお店に飾られているお雛様。
山町筋のひな人形03
山町筋のひな人形02
 山町筋からゆっくり歩いて高岡古城公園へ。15時半過ぎに到着し、参拝してから社務所の方へ。神社の敷地にある結婚式場のラウンジで、写真をお渡ししコーヒーをご馳走になる。
 帰り際、射水神社の御神木である梅の木を撮影。開花はもう少し先の様子。
 射水神社から駅へ向かう途中、大和の前を通った。財布の中にしまいっぱなしになっている商品券があるので、地下食料品売り場に入っているドンクへパンを買いに行く。このパン屋さんで何度も商品券を使っているので、パンを2つ選んでレジにもって行くと・・・有効期限のない商品券は昨年いっぱいで使用できなくなり、今年の3月30日までなら事務局などで払い戻しがされるという。現金でお会計を済ましながら、ついてないな〜と思ったが、まあ、今日知れて良かった。
 さっそく買ったパンを一つ食べながら駅へと歩く。17時6分発の金沢行きで家に帰る。   
↓使えなくなった商品券。→射水神社の御神木の梅の木。樹齢400年だそうだ。
射水神社の御神木の梅の木
商品券
今日届いた本
 先日アマゾンのマーケットプレイスでポチった本が届いた。1冊は沖縄の図書館で借りて読んでいる『沖縄道ジュネー 犠牲と抵抗の歳月/浅見裕子』(なんよう文庫)、もう1冊は『岡本太郎が撮った「日本」/岡本敏子』(毎日新聞社)。
『沖縄道ジュネー』の方は借りた時に沖縄戦の記述等で大切だと思う部分をメモしてあり、時々こちらで引用させてもらったりしている。
 改めて届いた本を見て、こんなに本が分厚かったかと驚いた。いつか時間が出来たら読み返したい本だが。

2月18日(日)

 テレビは平昌五輪一色・・・とまでは言わないが、それでもかなりの比率でオリンピック報道に染まっている。
羽生と羽生

 昨日はフィギアスケート男子で羽生結弦選手が金メダルを獲得したが、将棋の羽生竜王が中学生棋士の藤井五段に破れた。
 そんなわけでヤフーのトップ画面に「羽生が五輪制覇 宇野が銀」というニュースと「 藤井五段が羽生竜王破る」が並び、何だかややこしく、こんな記事も出た。

 昨日は旧暦の1月2日だった。先日富山県内の漁港等で起舟祭が行われたという記事が地元紙に掲載されていたが、沖縄の久高島や粟国島では昨日、フナウクシ(船起し)という漁師の祭祀が行われたはずだ。富山と沖縄、ずいぶんと離れているが「起舟」と「船起し」という同じ行事・風習が行われていることに驚く。
フナウクシーと起舟祭

上段は粟国島のフナウクシ。朝、船に松飾りや日の丸、万国旗を飾った後、港近くにある竜宮神に祈願。船に戻りお神酒やお米、お刺身を供えて祈願する大信丸の船長。午後は自宅でフナウクシの祝宴が開かれる。2013年2月11日撮影。
 中段は久高島のフナウクシ(ハチウクシー、年頭の仕事始めの儀式)。久高島にはフェリーが発着する徳仁港と漁港の2つがある。それぞれで早朝から各船にお神酒や刺身、お米をお供えして豊漁と安全を祈願する。そしてグループになり、祝宴が開かれる。午後になると三線と太鼓を持った青年たちが漁師の家を一軒一軒まわって祝って歩く。2014年2月1日撮影。
 下段は氷見市小杉地区の起舟祭。嘗ては旧暦の1月11日に行っていたが、現在は2月11日に。菊理媛像石神社(きくりひめかたいしじんじゃ)で祈願祭を行った後、直径約50センチの朱塗りの大盃を呑みまわす。現在70世帯の内、漁師は7人となっており、戦後は地区の新年会を兼ねて行われている。2017年2月11日撮影。


 昨年の5月21日に撮影した越中だいもん凧まつりの様子をPhoto Albumにしました。こちら
越中だいもん凧まつり
↑児童クラブらによる蓮凧揚げ競技。

雲隠れの佐川・国税庁長官を発見 まるで逃亡犯のような行動
 以前、佐川宣寿氏を国税庁長官に充てた人事を野党に問われた安倍首相が「適材適所で行った」と述べたが、適材適所の人事とはこういうことなのか?
日立の英原発建設、日英政府の積極関与が必要=経団連次期会長
 利益は自分たちで享受するが、失敗すれば政府が補填=国民の税金ということか。高いリスクを抱えて他国で原発を建設する意味がわからない。

2月15日(木)

 窓の外はまだたっぷりと雪が積もっているが、気象庁は昨日、北陸地方と中国地方で春一番が吹いたと発表した。なるほど2〜3日前からクシャミが出るのは、やはりそう言うことか。
 昨日のヤフーニュースに、<GDP>年0.5%増 8四半期連続プラス 10~12月<広島県>小学生に朝食無料提供へ 来年度から公民館などでという記事が相次いで流れて来た。これだけ実態のともなわない好景気もないだろう。

 昨日、Change.orgから「奄美大島・西古見集落の素晴らしい自然を残すため、約5000人を乗せた大型クルーズ船の寄港地誘致をやめてもらいたい!」というキャンペーンの案内メールが届いた。そんな計画があるとは知らなかったが、リンクしてあった南海日日新聞の今年1月11日の記事に詳しく書かれていた。
 それにしても、どうしたら奄美大島の最西端で人口30数名の西古見集落に5000人規模の大型クルーズ船を誘致しようと考えつくのだろう。そういえば、一昨年も奄美大島の龍郷町に大型クルーズ船寄港計画が持ち上がったが断念している。
 奄美には時々おかしな誘致騒動が起きる。 2006年には宇検村で高レベル放射性廃棄物最終処分場を受け入れようという話しが持ち上がったが、反対意見が多く断念された。もっと遡れば1973年に宇検村にある枝手久島に東亜燃料工業が石油備蓄基地建設を計画し、反対住民がトカラ列島でコミューンを作っていたヒッピーのポンこと山田塊也氏をシマに招いて長い闘争を繰り広げた歴史もある。
 今回の西古見の誘致計画は、反対という以前にたぶん実現しないと思うのであまり心配していない。ただ、西古見を含め大島海峡沿いの集落や加計呂麻島の集落など、瀬戸内町の多くで過疎化が進み限界集落となっていくのは何か対策が必要だろう。

西古見集落01
西古見集落02
↑奄美大島の最西端で奄美におけるカツオ漁の発祥地。漁業で栄えた時には1000人を超す人口もあったようだ。西古見集落には2度行ったが、サンゴの石垣が残る集落の中はひっそりとしていた。この静かな村と大型クルーズ船はあまりに不釣り合いだ。2012年4月22日撮影。

 先日産経新聞が昨年12月に沖縄で起こった多重衝突事故の記事に関して、誤報があったと謝罪した。この産経の報道と謝罪に関して江川紹子さんが「産経新聞はなぜ間違ったのか〜沖縄メディアを叩いた誤報の真の理由」という記事を書いている。
 文中の<Facebookの主は「日本のこころを大切にする党」から選挙に出馬したことのある人でもあり、産経新聞の紙面に名前が登場したこともあ る>は、ボギーてどこんのことだろう。産経新聞も八重山日報も、いいかげんFacebookでネタを拾い伝聞で記事を書くのをやめたらどうか。
 一昨日放送されたNO HATE TVが「産経新聞はまとめサイト」のタイトルで産経を取り上げている。


 昨年の5月20日に撮影した売比河鵜飼祭 (めひかわうかいさい)の様子をPhoto Albumにしました。こちら
鵜飼の実演
↑メインイベントの鵜飼の実演。
 奄美大島から315km沖で沈没したタンカーから流出したと原油だと思われる黒い固まりがウミガメやコウノトリにも影響を及ぼしている可能性がある。また、漂着物が奄美だけではなく沖縄でも見つかっている。
油漂着 沖縄本島西海岸で拡大 県など緊急会議、11管調査
油の塊、新たに60個漂着 沖縄で212個確認 沈没タンカーから流出か

2月13日(火)

 今朝、部屋の窓を開けると立派な氷柱が出来ていた。せっかくここまで育っているので、手を伸ばしてポキッと折りたいのをグッと堪えたが、午後になるとほとんどが落ちてしまっていた。
↓→青空と氷柱は相性が好い。でも氷柱と書いて、何故つらら?
氷柱02
氷柱01

 国際政治学者を名乗る三浦瑠璃氏が、フジTVの「ワイドナショー」に出演し、北朝鮮のテロリスト分子が日韓に潜んでおり、とりわけ大阪が危険だと発言した。この発言に対してSNSでは批判が殺到しているが、その批判に対して「仮にこのレベルの発言が難しいのであれば、この国で安全保障について議論をするのは正直、不可能です」と答えている。
 不思議なことを言う人だと思う。国の安全保障に関わることを、なぜテレビのバラエティー番組で話さなくてはならないのか。ましてや具体的な根拠も示せないことを。

 昨日から「下町ボブスレー」という単語がやたらと目につくと思ったら、こういうことか。下町ボブスレーだけでなく、三菱航空機が開発中の小型ジェット機「MRJ」の受注でキャンセルが出て、神戸製鋼所や三菱マテリアル系、東レ子会社など一流企業のデータ改ざんが次々に明らかになった。「ものづくり日本」の根幹がグラグラになっている。
荒川静香さん

 平昌五輪が始まって、テレビで荒川静香さんを見かけることが多くなった。なんだか随分とキレイになったな~と思う。ショートにした髪がとても似合っている。
 結婚されたのは知っていたが、今では女の子のお母さんになっているそうで、そんなことも顔の表情に現われているのだろうか。

 2009年の5月に、当時担当していた雑誌連載の撮影でお会いした。六本木のサントリーホールの裏、スペイン大使館近くのオープンカフェで待ち合わせて、カフェの前で撮影。やがて9年も前のことなので、ヘアメイクが誰だったかも忘れたが、お母さんが同伴されていたのはよく覚えている。ステージママという風でもなく、その場にいらした。
 取材が終わり荒川静香さんは次の場所に移動したが、お母さんは一人で駅へ向かうのに場所がよくわからないというので、六本木一丁目駅までご一緒した。駅までの道すがら、同行したライターの女性と気軽に世間話をされていたが、オリンピック金メダリストの母親というより人の良い近所の小母さんの風情だった。

 彼女のお父さんはサラリーマンで、お母さんは幼稚園の先生だったそうだ。一般的なサラリーマン家庭でフィギュアスケートを続けるのは大変なようで、wikipediaによればお母さんが衣装を手作りして活動を支えた時代もあったそうだ。 
 もともとスポーツ観戦をあまりしないし、この撮影当時も彼女のファンだったわけではないが、最近のテレビで見る姿や発言にちょっと魅かれている。

 窓の外は雪ばかりで冬真っ最中だけれど、昨日あたりからクシャミが(汗)。花粉か?

2月12日(月)

 また富山を寒波が襲っている。さすがに雪、飽きてきた。
 先日、財務省が2017年12月末時点での国の借金が1085兆7587億円で過去最大を更新したと発表。日本の総人口1億2659万人で割ると、国民1人当たり約858万円の借金を抱える計算になる。
 そして今日の朝日新聞によれば、国の奨学金を返せずに自己破産する人が増えており、過去5年間で延べ1万5千人に上るという。
 国の財政も個人の財政も逼迫している中、防衛費は6年連続で増加しており、2018年度予算案は過去最大の5兆1911億円となった。政府は今後、1機当たり146億円の最新鋭ステルス戦闘機F35Bを多数導入する検討もしている。 
 他国からの侵略や攻撃以前に、この国は財政が破綻して崩壊しないだろうか?

 奄美では、崖や岩を横に掘り込んだ墓をトゥール墓と言う。徳之島に行った時に、宿泊した民宿のおじさんが島を車で案内してくれて、トゥール墓にも連れて行ってくれた。

徳之島のトゥール墓
↑徳之島のトゥール墓。2011年6月11日撮影。

 おじさんが言うには、昔は人骨の残っているトゥール墓はもっとあったが、研究者が持ち去ってここだけになってしまったそうだ。
 昨日の琉球新報に<「尊厳ある埋葬を」琉球・アイヌ遺骨 返還求め那覇で集会>という記事が掲載されていたが、学術研究のために人骨が持ち出されたのは沖縄やアイヌだけではなく、奄美でも行われていたのだろう。

 昨年の5月5日に撮影した氷見市宇波地区に伝わるコウラウラの祭りをPhoto Albumにしました。こちらこちら

コウラウラの祭り01
↑幟がたなびく道を、アゲモンを担いだ子供たちが薬神社へ向かう。↓薬神社での獅子舞の奉納。
コウラウラの祭り02

2月10日(土)

 昨日、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)の開会式が行われた。今日の新聞のテレビ欄には平昌の2文字が踊っている。
 今日からミュゼふくおかカメラ館で開催される『シマタエコ写真展 ココロノモヨウー卒業ー』のギャラリートークを聞きに行った以外は、部屋に籠って昨日撮影してきた奥能登の伝統行事、あえのことの写真を現像していた。パソコンでの現像作業は2台のモニターを並べてやっているが、そのせいで首に負担がかかるのか、このところ首や肩が痛い。
 あえのことは、田の神様に一年の収穫の感謝と五穀豊穣を願う農耕儀礼で1977年に重要無形民俗文化財に、2009年にユネスコの世界無形遺産に登録されている。あえ=もてなし、こと=祭りを意味する言葉だそうだ。
 12月5日に田んぼに出向き土の中で稲の生育を見守って下さった田の神を家にお連れしてもてなす「迎え」と、お正月をゆっくり家で過ごしていただいた田の神様に、また土の中で稲の生育を見守っていただけるよう2月9日に田んぼにお連れする「送り」がある。
 昨年の11月に宇奈月町下立で見学した「おーべっさま」や先月富山市岩稲で見せていただいた「お鍬さま」と同じく目に見えない神をおわすが如くにもてなす民間信仰で、いつか撮影できたらと思っていたが富山県内の祭祀でいっぱいいっぱいなのと取材先の当てもなかったので諦めていた。
 ところが8日の午後、岩稲の本芳彦弘さん宅でお鍬さまを見学した時にお会いした越中国一宮の権禰宜の方から電話があり、明日行われる奥能登のあいのことを見に行きませんかとお誘いしていただいた。富山の神社にお勤めだがご実家は石川県の七尾にあり、今日のうちに七尾の実家に行って翌朝奥能登へ向かうというスケジュール。願ってもないお話しで、急いでカメラと歯ブラシやタオル、寝間着代わりのジャージを用意する。
 18時15分頃、神社の仕事を終えた権禰宜の方に家まで迎えに来ていただき七尾へ向かう。七尾のご実家に到着して、お酒とお料理をご馳走になりながら、祭祀についての様々なことを教えていただいた。
千枚田

2月9日(金)
  一日で三ヶ所をまわるそうで、最初に伺うのは輪島市白米町にある川口喜仙(よしのり)さんのお宅。
 午前6時30分に携帯のアラームで起床し、歯を磨き顔を洗って朝食をいただいた。
 7時過ぎに七尾を出発し、白米町に着いたのは8時25分頃だった。
 せっかくなので、白米町の観光スポットになっている千枚田の写真を少し撮影してから川口さんのお宅にお邪魔した。 

 既にテレビカメラが2台スタンバイしており、その後も新聞社の記者やカメラマンが訪れる。
 9時になり喜仙さんが「始めます」と声をかけ、2対のロウソクに火を灯してあえのことの送りがスタートした。
↓床の間のある奥座敷。→ロウソクに火を灯して儀式がスタートする。
川口家のあえのこと02
川口家のあえのこと01
川口家のあえのこと03
 床の間の前には種籾の入った俵が3つ。2つ並んだい草の座布団にはアテの葉が置かれている。アテの木は石川県の県木で、ヒノキアスナロのことだそうだ。田の神様をこのアテの葉に見立てているとも、田の神様がこのアテの葉に乗っているとも考えられているようだ。アテの葉は神霊の降りる依り代とも考えられるし、神霊を乗せる輿(御輿)のようなものにも思える。
 一般にあえのことの田の神様は夫婦神で二神と考えられているようだが、中には一神や、家来を連れた三神の場合もあると聞いた。
 12月5日の迎えの日に田んぼにアテの葉を挿し、田の神様を乗せて自宅にお運びする。そしてお正月を過ごしていただくが、こちらのかみしばいでは家に招かれた田の神様は送りの日まで、種籾俵の中で休まれることになっている。

 正座した喜仙さんが「田の神様、今日は2月9日、田の神様を田んぼに送る日になりました」と口上を述べる。そしてい草にお座りになっている田の神様をコタツのある部屋にお運びし、お茶を差し上げて休んでもらう。
川口家のあえのこと04
 田の神様がお茶を飲んでいる間に風呂場へ行き、湯加減を確認。湯温が丁度になると、田の神様をお風呂場へお連れする。
↓田の神様をお連れする。→お風呂でくつろぐ田の神様。この日はミカン風呂。
川口家のあえのこと06
川口家のあえのこと05
川口家のあえのこと07
 田の神様がお風呂に入ってくつろいでいる間に、喜仙さんが御膳の用意をする。料理の他に、家で採れた果物等を供える。12月の迎えの時は、果物ではなく野菜が盛られる。料理の内容やお風呂と食事の順番等は、地域や家庭によって異なるそうだ。
 御膳の用意が整うと喜仙さんは田の神様の横に座り、料理の説明をする。『暮らしの歳時記 石川編』(北國新聞社)によれば、これは神様への畏敬に加えて田の神様が稲の穂先で目を突くなど農作業で目が不自由になったと信じられているからだそうだ。
↓目の不自由な田の神様に料理の説明。→甘酒をお注ぎする。
川口家のあえのこと09
川口家のあえのこと08
川口家のあえのこと10
川口家のあえのこと11
↑右はおはぎ、豆腐とエノキの汁、おひら(煮しめ)、和菓子、カブのナマス。ドラムのスティックのようなものは、栗の木を削ったお箸。左はハチメ(メバル=芽が張る)、ブリの刺身、茶碗蒸し。
 田の神様が食事を終えられたタイミングを見計らい、いよいよ田んぼにお送りする。
↓→家を出る田の神様。喜仙さんの手には鍬、アテの葉、お神酒やお米を入れた籠。
川口家のあえのこと13
川口家のあえのこと12
 家からゆっくりと歩いても5分とかからない棚田に到着し、送りの儀式が行われる。あらかじめ雪がよかされた場所にアテの葉と鍬を置き、お米やお神酒を撒く。その後、田んぼに3回鍬を入れて豊作を祈願する。
↓→海が眺められる喜仙さんの棚田。
川口家のあえのこと15
川口家のあえのこと14
川口家のあえのこと16
川口家のあえのこと17

 田んぼでの儀式が終わると、またアテの葉と鍬、お神酒やお米の入った籠を持って自宅に戻る。
 この田んぼでの儀式を撮影中に、雪で滑って転んでしまいジーンズが泥だらけに。幸い寝間着代わりのジャージを持って来ていたので、納屋で着替えさせていただいた。
 座敷に戻り喜仙さんから色々とお話しを聞かせてもらう。帰り際、お土産におはぎをいただき、恐縮する。

 白米町の川口さん宅を出て、名倉の方へ海岸沿いを走っていると木造船が一隻見えた。北朝鮮からの漂着船だろうか?写真を何枚か撮ってから南惣美術館に連れて来てもらった。あいにく美術館は休館しているようだったが、美術館前にある松の木の枝振りが見事だった。
漂着船と南惣美術館
↑左。北朝鮮からの漂着船?右は南惣美術館。↓美術館の松。
美術館の松
上時国家
 南惣美術館から、次に国指定重要文化財になっている上時国家へ。
 こちらのお屋敷では田の神様をお風呂に案内したり、田んぼへ送ったりといった儀式は行われないが、あえのことの料理がお供えされると聞いて来てみた。しかし主が高齢のため最近は簡素に済ませているそうで、神棚の下にお餅とお神酒があり、この後お赤飯が出来あがったら供えるという。
 せっかくなので屋敷の中や展示品を見せていただいた。  
 上時国家の次は珠洲市若山町にある田中茂好さん宅のあえのことを見に行くのだが、始まりまでまだ時間があるので塩田見学に。NHKの連ドラ「まれ」のロケで使用された塩田や、道の駅になっている塩田村を見学して来た。
塩田
↑上段左:「まれ」のロケで使われた塩田/上段右:その近くの海岸/中段左右:塩田村の釜屋での作業/下段左:塩田村の塩田/下段右:海水を撒く実演。

 道の駅すず塩田村は売店の奥に資料館「揚浜館」があり、入場料は大人100円。資料館の展示を見ながら進むと屋外に出て、そちらに体験塩田がある。誰も居ない塩田にいると声をかけられ、釜屋でかん水を焚く作業を見せてもらった。
 しばらくして、観光バスで訪れた大勢のお客さんが塩田に。スタッフの女性が海水を浜に撒く実演を1回行った後、塩ソフトクリームをアピールしていた。
 塩田村を出て珠洲市内へ。途中、運転している権禰宜の方が何か気になる看板か旗が目に入ったようで寄ってみると新宮神社の大杉だった。御神木だろうか。大きさもさることながら、上の方で見事な枝分かれをしており、千手観音のよう。
 雪が積もっていて近くに行けそうにないので、離れたところから撮影した。

↓→枝が千手観音のようになっている、新宮神社の大杉
神宮神社の杉02
新宮神社の杉01
 田中家のあえのことは15時からで、まだ時間があるので珠洲市内の道の駅すずなりに寄り、その後道の駅で教えてもらったレストランで昼食。
 ちょっと早いが余裕をみて14時にレストランを出る。田中家の近くに車を停め、歩いて向かう。家に到着したのは14時20分頃で、玄関を開けて土間に入ると「ん?」既に始まっていた(汗)。
 開始時間を1時間間違えていたようで、 田の神様はもう食事を済まされ、お風呂にも入り、囲炉裏の前に座って暖をとっていらした。開始時間を間違えたが余裕を見て早く着くようにしたので、それでも囲炉裏で休んでいる場面から撮影することができてよかった。
田中家のあえのこと01
田中家のあえのこと02
↑囲炉裏の火を起こしている田中茂好さんと、座布団に座って暖をとっている田の神様。

 やがて茂好さんが神棚の下に設えられた御膳のところに行き、「田の神様、若松さんへどうぞお乗りくださいませ。これより田んぼの方へお送りいたします」と声をかける。そして俵の中央に置かれた若松様(松の若木)を外して、鍬、お神酒と一緒に持って外へ出ていく。
 午前中に見た川口家の場合はアテの葉を神に見立てていたが、こちらは松の若木を神に見立てている。そして「若松さんへどうぞお乗りください」という台詞は、「依り代に降臨」とも「輿に乗る」という意味にもとれそうだ。
↓裃の正装で田んぼに向かう茂好さん。
田中家のあえのこと04
田中家のあえのこと03
田中家のあえのこと05
 家から2〜3分の田んぼに到着。予め雪かきがされていた場所に行き、若松を立て、三回鍬入れをした後にお神酒を振りまき「田の神様、今年もどうか豊作でありますよう、よろしくお願いいたします」と述べて儀式は終了した。
 川口家は田の神様を送った後、神様を乗せたアテの葉を家に持って帰ったが、田中家では若松様を田起こしの時期までそのままの状態にしておくそうだ。
 田中さんの家に戻りまだ撮影していなかった御膳の写真を撮り、お話しを伺った。
田中家のあえのこと06
田中家のあえのこと07
↑左はヒラキ盆。盛りつけは下記を参照して下さい。黒豆の下には滑らないように餅粉が敷いてある。右の神膳は小豆飯、汁、おひら(煮しめ)9品、ブリとダイコンのナマス、メバル。イワシ2尾とブリの切り身。
↓新聞の取材を受ける茂好さん。→田中家のあえのことのお供えを記したイラスト。
田中家のあえのこと09
田中家のあえのこと08
 田中家のあえのことのお供えを、イラストをつけて記したプリントがあったので複写させてもらった。以下はその内容。
田中家 田の神様まつり「春のあえのこと」2月9日(午後2時から)
上段 種籾俵・・・左右に二俵宛横並びにウスベリの上に置く。
   俵の直径約30cm・長さ60cm
   中央 若松様 三階松に梅・竹・ユズリハ・モチバナ(ハナモチ)を結んでつくる。豆ガラ(まめまめし(働く)も使わ   れて来たが作付なく今は使用しない。

中段 中 上に甘酒(合鹿椀) 外側神膳・・・省略。上に栗箸
   ヒラキ盆 ヤスマの二枚脚ご膳に白紙を敷き正面に鏡餅を重ね据えミカンを載せる。その西側にユズリハを立てた銚子を   供える。 手前に1.2升の白米を盛り頂上に松竹梅枝をユズリハで包み立てる。白米の左斜面は黒豆(ザンゾ?豆)、正   面切りコンブといり栗・右斜面干し柿数個を載せる。
下段 はしり大根 まっすぐな大根 まっすぐな(質の良い)作物がとれますようの意 
   中 火打ち石  

 ところで、田中家のあえのことで田の神を乗せる若松様は<めでためでたの若松様よ 枝も栄えりゃ 葉も繁る>と歌われる「花笠音頭」や各地の祝い目出度と関係はあるのだろうか。
  田の神を乗せる若松様と各地の目出度の若松様が直接関係はなくとも、歌われている若松様とは、松の若木ではないだろうか。こちらには「日本人は昔から、天から降臨してくる神は、常緑の木や季節の草花に宿ると信じてきました。特に松は神聖視され、お松様とあがめられてきました」と書かれてある。正月には門松や松迎えで年神様を迎える。松は神聖でめでたいものなのだろう。

 茂好さんに色々とお話しを聞かせていただいて、田中家を後にしたのは16時頃だろうか。こちらでもお土産にと、お餅をいただいた。
  珠洲から高岡へ寄り道をせずに真っ直ぐ帰る。道中、車内で権禰宜の方に神事についてのアレコレを教えていただき、楽しい時間を過ごす。家に到着したのは18時過ぎで、ほぼ24時間お世話になった。ありがとうございました。また改めてお礼を。

神様、雪の田んぼへ 奥能登で「あえのこと」(北國新聞)
「雪は豊作のきざし」 奥能登で「あえのこと」(北國新聞)
豊作祈る 田んぼの神様に感謝 輪島で「あえのこと」 2018.2.9放送(北陸朝日放送)
あえのこと 今年1年の豊作に感謝 2017.12.5放送(北陸朝日放送)
あえのこと
奥能登に伝わる あえのこと「かみしばい」
2017年 田中家の送り
田の神祭りに見る日本人の神意識

2月7日(水)

 昨日からまた、北陸に強烈な寒波が襲来。Facebookには雪の積もった写真と、雪かきの苦労話が続々と流れて来る。北陸では昭和の38豪雪56豪雪に続く、平成の30豪雪だ。38豪雪の時はまだ3歳で覚えておらず、56豪雪の時は富山に居なかった。昔は豪雪でなくても雪は多かったけれど、今回がほぼ初めての豪雪体験だ。
 昨日から福井の国道8号線で、およそ1500台の車が立ち往生しているというニュースがテレビで報道されているが、今日になっても解消していないようだ。県内の公共交通機関も運休や遅延で、ズタズタだ。
今朝の雪景色
↑今朝窓を開けて外を見ると雪が止んで青空も見えたが、その後は降ったり止んだりの天気。明日も雪だるまのマーク。

 撮影に行き、撮った写真を現像して整理し、また撮影に行って。そうしているうちに1月が終ってしまった。そして2月もはや一週間が過ぎる。
 先日、母親の妹、叔母が急に亡くなり遺影をプリントしたり、告別式に出席したり、その合間に楽器店の発表会の撮影があったりで、ホームページの方はホッタラカシになってしまった。ホッタラカシにしている間にも世の中は目まぐるしく動いており、沈没したタンカーからと思われる油状の固まりが奄美大島に漂着し、名護市長選では現職の稲嶺さんが敗れレッツゴー三匹の長作さんが亡くなり、佐賀で自衛隊のヘリが民家に墜落し、台湾では地震でホテルが倒壊した。

 昨年の5月4日に撮影したショーブツの写真をPhoto Albumにしました。こちら
 ショーブツは滑川市赤浜地区に伝わる伝統行事。菖蒲の葉を藁で巻き縄できつく縛って棒を作り、その棒で子供たちが家々の地面を叩き五穀豊穣とモグラ退散を願う。
赤浜のショーブツ01
↑縄の一方を神社にある杉の木に固定して、きつく藁束を縛り棒を作る。
赤浜のショーブツ02
↑玄関の前で「ショーブツ来ました」と子供たちが声をかけ、家の人が出て来たら、大人の合図で「ゴガツノショーブツ ゴガツノショーブツ」と声を出しながら藁の棒を地面に叩きつける。

1月へ