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バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能

10月5日(木) 愛本新用水天満宮松明祭 19時〜
10月6日(金) 六渡寺の獅子舞
10月9日(月) 高周波文化ホール とやまのたから2017射水x南砺 新湊浜獅子太鼓 越中五箇山こきりこ
10月14日(土) 入善町 墓ノ木タイマツ祭り
10月15日(日) 入善町 新屋住吉社秋季祭礼
10月15日(日) 栃屋の獅子舞
10月 氷見市谷屋 ふなとかめ
10月21日 宇奈月町下立の獅子舞 映像
10月25日(水)? 伊勢玉神社 柿天神 記事
10月29日(日) 浦山 鶏野神社の秋祭り ナガ
11月3日? 砺波・頼成の獅子舞
11月20日 氷見市小杉の恵比寿祭
12月27日(水) 福野 歳の大市


朴谷の獅子舞 1月2日
小川寺の獅子舞 宮田・火祭り1月第4日曜日 記事 記事
◯お鍬さま 1月11日 記事記事
◯2月5日 節分祭 富山県護国神社 やいかがし(柊に焼いた鰯の頭を刺したもの)をお供え
◯与四兵衛祭 関野神社 4月3日
◯4月 埴生護国神社 屋根の葺き替え完成の慶賀祭を予定
◯4月第2土曜?10時〜 小矢部 福町神明宮 春福まつり 神獅子(行道獅子)
◯4月15日に近い土曜日? 楡原の獅子舞
◯4月19日 新川神社 春祭り どべ(猿田彦) 記事
◯4月第4日曜日? 富山市中島の獅子舞
利屋町の天神祭り 5月25日前後の土・日曜日 関野神社から木像天神像が運ばれ、龍雲寺へ。
◯射水市三ヶの十社大神 御田植祭
◯6月? 櫟原神社春季例大祭 宵祭に鯛行燈(ヤサコ)や高張提灯の行列が渡る。
◯7年に1度、10月に開催 次は2022年 朝日町山崎 米吊り奉納
◯黒部市中陣のニブ流し
◯高岡大仏まつり
◯下タ北部地区 正月の繭玉作り
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭
◯33年に一度 庄川の神賑わい 次回は2023年7月

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り
*砺波の獅子舞 各地区の日程
年中行事覚書 柳田国男
田の神祭りに見る日本人の神意識

◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

10月31日(火)

 寒っ。もう少し我慢しようと思っていたが、堪えきれずに今日、湯たんぽを出して来た。

 「自民が質問時間増を要求」と「会期の短さ過去2番目の可能性」という2つのニュースが流れて来た。
 魔の2回生と言われた自民党の若手議員が今回の選挙で3回生になり、「国会で質問をしないと地元で税金泥棒と言われる」ので与党の質疑時間を増やすよう党執行部に提案したそうだ。これを受けて自民党執行部は議席数に応じて与党への配分を増やすよう野党に要求している。
 そんなに自民党の若手議員が国会で質疑したいなら、質問時間の割合よりも、先ずは国会を開かずに逃げ回っている自分たちの総裁にきちんと国会を開くよう要求したらどうか。
 旧民主党が与党の時代に自民党の要望もあり与党2割、野党8割となったのに、自分たちが与党に返り咲いたら議席数に応じてとは虫がいい。選挙後に総理自らが語った「これからも謙虚、丁寧に説明していく」を本気で思っているなら、しっかり野党に質問の時間を与え真摯に答えて行くべきだろう。
 
 戦後、那覇市民の台所を支えた農連市場が、今日を最後に閉鎖される。店子の方々は、新しくできたのうれんプラザで明日から営業を開始するようだ。DEEokinawaの記事によれば、まだ本格的な解体はされていないようだが、やがてトタン屋根を継ぎ足し継ぎ足しした市場は姿を消して行くのだろう。
 農連市場には2年の滞在中に何度も足を運んだが、買い物ではなく、もっぱら猫を撮りに行っていた。市場を寝床にしていた猫たちは、もう次の寝床を探し始めただろうか?

農連市場
↑最後に撮影した農連市場。2014年7月3日撮影。↓農連市場の猫たち。
農連市場の猫
 一昨日の29日、宇奈月町浦山にある鶏野(けいや)神社の秋季大祭を見に行った。富山市教育委員会が製作がした『とやま文化財百選』に、鶏野神社の祭りに登場する天狗の面を被ったナガと、神輿の露払いをする行道獅子が紹介されていて、前から撮影したいと思っていた。
 小雨の降る中、地元の駅まで自転車で走る。今日は一日中雨の予報なので自転車は輪行せずに、駅の駐輪場に置いていく。昨日の内に買っておいた一日フリー切符を使い、黒部駅に9時28分に到着。車内には富山マラソンに出場すると思われる人も何人か居た。
浦山駅01
浦山駅02

←↑富山地方鉄道の浦山駅。

 駅前のコンビニで肉まんやパン、おにぎりを買って電鉄黒部駅へと歩く。電鉄黒部を10時5分発の電車に乗り、10時22分に浦山駅に着いた。先週は下立の獅子舞を見るのに、一つ先の下立口駅で下車した。その一週間前は墓ノ木地区のたいまつ祭りを見るのに浦山の一つ手前の栃屋で下車した。そのさらに前、今月5日には愛本新地区の松明祭を見るのに下立の一つ先、愛本駅で下車している。今月は毎週のように富山地方鉄道に乗っている。

 駅前の道を進み、大きな通りに出たら右折してしばらく歩くと鶏野神社の鳥居が見えた。浦山駅から、ゆっくり歩いて4〜5分だ。鳥居を潜り、長い参道を歩いて境内に入る。社殿には明りがついているが、誰も居ない。神社に隣接する家の人が外に出てこられたので、神輿が今、どの辺りを巡行しているのか尋ねると、たぶんスーパー大阪屋の方ではないかと言う。念のため、宮司さんの家を教えて貰い、訪ねて行くが応対して下さった女性も神輿の巡行位置はわからないと言う。
 スーパー大阪屋は、昨年、栃屋の獅子舞を見に来た時に行っているし、先日の墓ノ木地区のたいまつ祭へ行く時に前を通っている。ちょっと遠いなと思いながら、歩いて向かうと太鼓の音が時々近くから聴こえて来る。
鶏野神社
富山地方鉄道の電車
 浦山駅の近くにある浦山交流センターでもう一度尋ねてみようと歩いて行くと、ちょうどお神輿巡行の一行がセンターの中に入って行くところだった。大阪屋の方へ行かなくて、良かった。
 昨晩は御旅所である下村(したむら)の八幡社でお神輿は泊まり、今日の朝8時から巡行を再開し、11時から13時まで交流センターで休憩するそうだ。それならと、センターのロビーでコンビニで買ったパンやおにぎりを食べ、地鉄の電車の通りそうな時間に駅へ撮影に行って過ごす。
 13時になって昼食を終えた子供たちや、お神輿を引く男性、各地区の宮総代が交流センターの外に出て来た。天狗の面をつけたナガと呼ばれるお神輿の先導役と、露払いをする行道獅子は子供が担当する。
 他にも幟と太鼓を積んだリヤカーを引っぱるのも子供だし、宮司さんを入れて5人の神職には剣を持った子供と榊を持った子供が一人ずつ一緒について歩く。子供がお祭りの中で重要な位置を占めている。
 かつては10月16日、17日に行われていたそうだが、小学校が統合されて子供を平日に休ませるのが困難になったので、近年は土・日曜日に開催されるようになったそうだ。
↓行道獅子の獅子頭。→胴幕を身体に巻きつけ一人立ちの獅子だ。
行道獅子02
行道獅子01
 浦山は6区から11区までと15区がある。昨日は朝9時に鶏野神社で神事を行い、その後、11区(旧大橋)と10区(旧下村)へ行き、家を一軒一軒お神輿と共にまわったそうだ。11区には諏訪神社、10区には八幡社があり、御旅所になっている。昨晩は八幡社にお神輿を安置し、今日は町通りと呼ばれている6、7、8、9区の家を一軒一軒まわる。
 ちなみに1区から5区は下立になり、12区は栃屋だそうだ。昔は栃屋、浦山、下立が一つの共同体だったのだろう。
 また、鶏野神社では3月24日、25日に春季大祭が行われるが、こちらは春休みの期間なので日にちは昔から変わらずに行われているそうだ。春季大祭にもナガと行道獅子は出るそうだが、10区と11区をまわる初日は家々をまわらず諏訪神社と八幡社の御旅所だけだそうだ。
お神輿巡行01
お神輿巡行02
↑激しい雨が降ろうが、強い風が吹こうが、御神体を乗せた神輿は黙々と村をまわる。
お神輿巡行03
 ナガと行道獅子を担当する子供は合羽をつけずに頑張っていたが、激しい雨風に行道獅子はギブアップしてしまった。
↓→予定より30分ほど早い15時半頃に、お神輿が境内に到着した。
お神輿巡行05
お神輿巡行04
 お神輿が拝殿の前につけられ、板が渡される。禰宜だと思われる神職がお神輿から御神体の鏡を取り出し、宮司に手渡す。宮司の手により、御神体は本殿に祀られた。
 お神輿は社殿の横にある神輿蔵に仕舞われる。
御神体の還御01
↑↓御神体の鏡がお神輿から取り出され、本殿にお還りになる。→神輿蔵。
神輿蔵
御神体の還御02
天井絵
↑拝殿の天井に飾られた絵。鶏野神社の山内宮司の兼務社である下立神社にも、天井画があった。
修祓と玉串奉奠
宮司さんの挨拶
 御神体が本殿に祀られた後、祓言葉、修祓、祝詞奏上が行われ、玉串が奉奠された。大人に交じって、子供も男女一人ずつ代表して玉串を納めた。
 神事の後、山内宮司さんの挨拶があり、お神酒が振る舞われて終了した。
 宮司さんには愛本姫社祭りと、愛本新用水天満宮松明祭の際に撮影した写真を交流センターでお渡ししておいた。
 手水舎に鶏野神社の年間祭祀を書いた板があり、天狗祭が8月16日と書いてあるので尋ねると、奉納相撲だそうだ。

 ちなみに年間の祭祀は、元旦祭(1月1日)、鎮火祭(1月25日)、天満宮祭(1月25日)、山神祭(2月9日)、鶏野神社春季大祭(3月24日、25日)、田祭(8月1日)、鎮火祭(8月1日)、天狗祭(8月16日)、鶏野神社秋季大祭(10月16日、17日)、新嘗祭(11月25日)となっていた。

 鶏野神社を出て、浦山駅へ。次の富山方面行きは17時21分だった。すっかり暗くなり、風と雨が強くなってきた。台風22号が太平洋側を通過している。先週本州を通過した台風21号の時は、県内の交通機関にも運休が相次いだ。無人の駅舎に一人で居ると、ふいに電車が来ないんじゃないかと心配になる。時間になって電車のライトが暗がりから見えたときは、ホッとした。
 17時21分発の電車に乗り、17時35分に電鉄黒部駅に到着。あいの風とやま鉄道も動いているだろうかと、少し心配しながら黒部駅へと歩く。黒部駅に着いて、 改札の掲示板に次の富山行き18時7分が表示されているのを見てようやく安心した。

10月27日(金)

 パソコン作業に飽きて、久しぶりに小矢部川の堤防を自転車で走りに行ったら、見事な鱗雲が。
 先日の台風の影響か、川は茶色く濁っていて水量も普段より多かった。
 秋だな。
小矢部川と空01
小矢部川と空02

 明日は旧暦の9月9日、クガツクンチ。台風22号の影響で今年は中止が決まったようだが、奄美群島の加計呂麻島では例年、平家と源氏にまつわる2つのお祭りが行われる。
 島の東側にある諸鈍集落(「男はつらいよ」の最終話で登場するリリーの家がある集落)では平資盛(すけもり)を祀った大屯(おおちょん)神社で国の重要無形文化財に指定されている諸鈍シバヤが行われる。壇ノ浦の戦いに破れた落人、資盛の一行が諸鈍に居を構え、村人を招いて上演したのが始まりと伝えられている。
 一方、島の西端にある実久集落では実久三次郎祭りが行われる。実久三次郎は鎮西八郎為朝の子供で、鎮西八郎為朝とは源為朝の島での名前だ。為朝が琉球へ渡る途中、奄美の島々に寄った際、島の娘との間に生まれた子供が実久三次郎といわれている。
 同じ日に同じ島の西と東で、平家ゆかりの祭りと源氏ゆかりの祭りが行われるのはとても興味深い。
 ちなみに琉球国ができるずっと前、1187年〜1259年まで3代続いた舜天王統時代というのがあるが、舜天は源為朝の子であるという伝説もある。すると琉球の舜天王と、加計呂麻島の実久三次郎は異母兄弟ということになる。Wikipediaの源為朝のページには舜天王の事は記してあるが、実久三次郎の事が記されていないのは残念だ。
 諸鈍シバヤは、奄美に移り住んだ2010年に観に行った。2011年は実久三次郎祭りを観に行こうと思っていたが、直前になってやはり旧暦の9月9日に行われるユタの祭祀、今井大権現祭があるのを知ってこちらを観に行った。 実久集落を訪ねた時に、実久三次郎が祀られた実久三次郎神社は訪ねたが、祭りそのものは観られずじまいになった。
 今井大権現は奄美大島の安木屋場にある神社だが、こちらは平家の落人、今井権太夫が祀られている。この神社の神主であり、祭祀を司る親ユタの阿世知照信さんが2015年に亡くなられたので、現在この祭祀がどうなっているのかはわからない。
 奄美には他にも落人となって流れ着いた平家の武将がおり、平行盛を祀った行盛神社が奄美大島の龍郷町上戸口に、平有盛を祀った有盛神社が奄美大島の浦上にある。
  奄美には古い日本語(大和言葉)が残っているが、それらは落人となって島に流れ着いた平家の人々が伝えたものだともいわれている。

↓諸鈍シバヤ。写真の演目は「クワワ節」。
諸鈍シバヤ
↓実久三次郎神社。→2015年に亡くなられた親ユタの阿世知照信さん。
阿世知照信さん
実久三次郎神社

10月26日(木)

 昨日の午前、ネットに”エンケン”遠藤賢司が昏睡状態に、というニュースが流れて来た。午後から撮影に出かけて、夜、帰って来ると遠藤賢司、死す。という記事に変わっていた。

 自分自身は熱心な聴き手ではなかったけれど、周りには遠藤賢司さんの熱心なファンが何人か居た。昔よく一緒に仕事をしたan(アルバイトニュース)編集部の干野君もその一人だ。
 エンケンさんが肩にフクロウを載せている写真は、anのインタビューページ用に撮影した。
 撮影した日にちはわからないが、エンケンさんのホームページにある資料室によればanの1990年12月17日号に掲載されている。ライブアルバム『不滅の男』を発表する間際で、湯浅学さんが原稿を書いているが、インタビューと撮影は別の日にそれぞれ行っている。編集の干野君と一緒に渋谷でエンケンさんと待ち合わせて、駅前の陸橋の上で撮った。その頃お気に入りだったのか剥製のフクロウを持参されて、一緒に撮りたいということで肩に乗せてみた。
 干野君がanの誌面に載せたいジャケットがあるので、複写して欲しいとCDを持って来た事がある。それがエンケンさんのシングルCD「史上最長寿のロックンローラー」で、中身は小さなCDなのにジャケットは60センチX60センチで、その中に付録の双六も入っていて撮影するのに難儀した記憶がある(笑)。

 エンケンさんが椅子に座っている写真は、レコード・コレクターズの1997年2月号「遠藤賢司特集」で撮影した。10ページのロング・インタビューで、インタビュアーは北中正和さんだった。撮影した日にちは1996年11月で、場所は移籍した当時のレコード会社ミディ。応接室の横にあった、楽器倉庫のようなところ。
 この号はインタニューの他、<遠藤賢司は日本一富士山が似合う音楽家だ>で始まる湯浅学さんの原稿や、ディスクガイドもあり27ページの大特集になっている。

エンケンさん01
 一番最後に撮影したのは、雑誌「ロック画報」の21号、Japenese Rock存在証明 遠藤賢司 <不滅の男を鼓舞するギター>というページ用で、ボディに直接エフェクターをテープで貼付けた愛用のギターを撮らせてもらった。
 撮影したのは2005年8月9日で、禁煙を初めて10日ほどで身体に力が入らなくて機材を運ぶのが大変だったのを覚えている。
 このギターは映画『エンケン 対 日本武道館』に登場するが、このタイトルだけで痺れる!
エンケンさん02
エンケンさんのギター
 昨日は氷見市にある伊勢玉神社で催される、柿天神と呼ばれる天神祭を撮影に行って来た。伊勢玉神社には天神様である菅原道真公が、相殿に祀られている。
 氷見市立博物館が制作した『氷見の祭りと年中行事』によれば、昭和30年代頃までは氷見の一般の家庭でも毎年10月25日に床の間に天神様の掛け軸をかけ、三方に盛った柿を供える「柿天神」が行われていたそうだ。お供えする柿は「合せ柿」という、小粒の「味正柿・あじまさかき」など渋柿を湯煎して渋みを抜いたものが使われたそうだ。
 一般家庭での柿天神は途絶えたようだが、伊勢玉神社では江戸期から続くとされる天神祭に特殊神饌として柿を供える事から柿天神と呼ばれ、今も毎年10月25日に斎行されている。
 『氷見の祭りと年中行事』には神事は午後7時よりと書いてあるが、何があるかわからないので、少し早めに着くようにした。 高岡から氷見線に乗り換えて、終点の氷見駅に着いたのは16時49分。駅から暑いて5分ほどの伊勢玉神社に行き、案内板を見るとやはり午後7時となっている。
柿天神01
 こちらに上日寺でも柿天神が行われていたと書いてあったので、訪ねてみた。応対して下さった昭和37年生まれだという僧侶の方の話しでは、幼い頃の記憶にはあるが現在は行っていないそうだ。
 まだ神事が始まるまで時間があるので、氷見市立図書館へ。郷土コーナーに広川泰士さんの『南砺』という写真集があったので、眺めて過ごす。
 18時半を過ぎたので、伊勢玉神社の社務所へ行き、鈴木宮司さんに撮影の許可をいただく。
柿天神02
↑社務所の玄関前で行われる手水の儀。
柿天神04
柿天神03
柿天神05
 19時になって宮司、そして氏子である上伊勢町、中伊勢町、下伊勢町、高砂町、松田江町の神社総代が社務所から出て、玄関前で手を洗い口を漱ぐ手水の儀が行われた。
 玄関を出て宮司を先頭に一列に並んだ後、社殿に入る。
 宮司が奏する神楽(太鼓)で神事が始まり、祓言葉、修祓の後、特別な神饌である三方に盛られた柿が氏子らの手に寄ってお供えされる。
柿天神06
柿天神07
 拝殿の端、右大臣の前に用意された神饌の柿を、膳部と呼ばれる氏子の一人が拝殿の中央ジグザグに並んで座る氏子(手長と呼ぶ)の手前の人に渡す。手長から手長へと神饌の柿が手渡しされて、最後に宮司が受け取り祭壇にお供えする。神饌が手渡しで祭壇に納められる事を伝供という。柿を盛った5つの三方がお供えされると氏子は席に戻り、祝詞奏上、玉串奉奠が行われた。
↓祝詞奏上。この後、玉串を奉奠し、宮司が神楽(太鼓)を奏して終了となる。
柿天神09
柿天神08
 宮司による挨拶があり、この後は社務所に戻り直会となる。直会の後、参集した氏子の方々にお供えされた柿がお下がりとして配られる。私にもお下がりの柿を下さったので、ありがたくいただいた。
  甘い食べものが貴重だった時代に、菅原道真が庶民に甘い柿を伝えたことを感謝して行われる柿天神。戦前までは氏子の児童らもたくさん参列し、柿をお下がりとしていただいて帰ったそうだ。
 伊勢玉神社では、かつては5月25日にも天神祭を行っていたそうで、5月は春の天神祭、10月は秋の天神祭ともいうそうだ。そう言えば、小矢部の観音寺の天神祭は5月の第3土曜と日曜に開催されているが、元々は5月24日、25日だった。高岡・利屋町の天神祭も5月25日前後の土・日曜日に行われる。
 天神様の縁日は毎月25日で、Wikipediaによれば菅原道真の生誕は承和12年6月25日(845年8月1日)で、死没が延喜3年2月25日(903年3月26日)となっており、共に25日だ。
 10月の天神祭は、天神様の誕生日という説もあるがよくわからない。
 
柿天神10
↑神事の後、神饌の柿を撮影させていただいた。どれが何かはわからないが、柿は4種類(富有柿・筆柿・水島柿・合わせ柿)を5つの三方に盛ってある。

 いただいた柿を持って氷見駅へ。少し前に19時40分の高岡行きは出てしまったが、次は20時17分の高岡行きがあるので比較的待たずに済む。21時17分の高岡行きに乗車し、高岡であいの風とやま鉄道に乗り換えて自宅に着いたのは21時半頃だった。
*北日本新聞の記事、富山新聞の記事

10月23日(月)

 奄美や沖縄に居た時、大きな台風が来ると住んでいたビルごと揺れるという怖い経験をしたが、今日の未明に上陸して本州を通過して行った台風21号も、富山からずいぶん離れた場所に居ながら家が揺れるほどの暴風を吹かせていたので、ちょっとビビった。台風の吹き荒れる音が凄かったので、寝るときのBGMにビリー・コブハムの『TOTAL ECLIPSE』をかけた。台風の時の定番で、台風に対抗できるのはコブハムのドラムだと思っている(笑)。
 朝、交通情報を見ると氷見線、城端線、高山本線、あいの風とやま鉄道、万葉線が軒並み運転見合わせの中、意外や富山地方鉄道が頑張って平常運転していてビックリした。
 衆院選と高岡市議会選挙の投票は、雨の小降りだった昨日の午前中に父親の運転する車で一緒に行った。衆院選の詳しい結果はこちらに。
 獲得議席数で見れば自民党は横ばいで、公明党は5議席減らしているので与党の圧勝ではないだろう。希望の党が選挙戦の直前に登場した事で、今まで混沌としていた民進党が遠心分離機にかけられてすっきりした。そして、希望の党が失速して立憲民主党が野党第一党となった事は大きな救いだろう。また野党とは言え自民党の補完勢力でもある維新が議席を減らし、日本のこころが政党要件を満たさず政治団体となったので、結果オーライの選挙だったと思いたい。
 沖縄に関しては小選挙区で4区を自民の西銘恒三郎氏に獲られたが、1〜3区は赤嶺政賢氏、照屋寛徳氏、玉城デニー氏のオール沖縄が勝利した。2014年は4区全てでオール沖縄が勝利しているので後退との見方もあるが、2014年は敗退した自民党の議員が全員比例で復活というゾンビ現象が起こったが、今回比例で復活できた自民の議員は国場幸之助氏だけだ。悪い選挙結果ではないように思う。

 吉田秋生氏の漫画家デビュー40周年を記念したプロジェクトの一環で、『BANANA FISH』がテレビアニメ化されることが発表された。40周年か・・・家の本棚にあるマンガで一番場所を占めているのは吉田秋生さんの作品だろうな。『BANANA FISH』も、もちろん揃っている。

 デジタルカメラになって便利だと思う事の一つが、シャッタースピードから絞り、撮影日時といったデータが記録されていることだ。仕事で撮影したミュージシャンのポートレートやライブ写真は、フィルム時代からの分も撮影年月日を記録しているが、それでもわからなくなった写真もある。このa-haの記者会見の写真もわからない一つだ。たぶん90年前後に、ソニー出版の音楽誌『ワッツ・イン』で撮影した残ポジ(選ばなかったポジフィルム)。

↓→a-haの記者会見。
a-haの記者会見02
a-haの記者会見01

 昨日、 <33年前にリリースされた「Take On Me」、アコースティックバージョンが登場>という記事がFacebookに流れて来た。
 1986年にスペインとポルトガルを旅した際にマドリードの蚤の市へ出かけたら、安い値段でミュージックテープを売っている若い子がたくさんいた。当時流行っていた曲の音楽テープが並べられている中から、a-haの『Take On Me』とマドンナの『Like a virgin』の2本を買って4ヶ月ほどの旅行中に聴いていた。だから今でも『Take On Me』を聴くと、30年ほど前の記憶が、”ふっ”と蘇って来る。小林麻美の「雨音はショパンの調べ」もこの頃か。
 さて、アコースティックバージョンの「Take On Me」、個人的には微妙かなとも思うが、あいかわらず綺麗な声です。

下立の獅子舞
 ザッ、ザッ、ザッ。ショッカー軍団にちょっと似ていますが、下立の獅子舞に登場する天狗です。魚津、黒部、入善に見られる下新川型と呼ばれる獅子舞では、天狗がたくさん登場し獅子舞と言うよりも天狗舞のような趣きがある。一昨日、下立神社の秋季例祭が行われ、下立の獅子舞を見て来た。こちらの様子も後々UPいたします。

10月21日(土)

 今年は富山県の東部、呉東(呉羽山より東)の祭りをけっこう撮影している。今日は黒部市宇奈月町下立にある下立神社の秋季例祭で行われる、下立の獅子舞を見に行く。下立の獅子舞は、下新川型の獅子舞で天狗がたくさん登場する。
 ネットで調べた情報では朝の8時頃に神社で奉納した後、地区をまわり、19時から神社の境内で全ての演目を披露するということだった。
 朝8時に神社は厳しいが、せっかくなら午前中から獅子舞に着いて行こうと早めに家を出る。
 前日に買っておいた一日フリーきっぷを使い、あいの風とやま鉄道の黒部駅に9時28分に到着。自転車を組み立てて駅前のコンビニでパンやおにぎりを買って、電鉄黒部駅へ向かう。
下立口駅
 10時5分の電車で下立口に向かう。下立地区には下立口と下立の2つの駅がある。黒部からだと下立口は410円、下立は520円なので、下立口で下車。
 後で地区の人に教えて貰ったのだが、下立地区の人が11月20日に出稼ぎに行っていたエビス様を提灯を持って迎えに行ったのは、この下立口駅だそう。
 先ずは下立神社に向かう。途中、柿の実がなった景色が目に入り、秋の風景をカメラに収める。
↓柿の実がなって秋の景色。→下立神社。祭礼の幟が揚がっている。
下立神社01
秋の景色
下立神社02
↑下立神社の社殿。
 下立神社に着くと鳥居の前に祭礼の幟が揚がっているが、境内にも拝殿にも誰も居ない。少し離れたところで2人で話し込んでいた主婦の方に獅子舞はどこをまわっているか尋ねたがわからないと言われ、神社の裏手に3区の集会所があるので行ってみたらとアドバイスをもらう。
 下立は1区から5区まであり、神社の辺りは3区なのだろう。3区の集会場へ行くと、女性たちが料理の仕込みをしている最中だった。獅子舞を見に来た事を伝えると、現在は「おらはうす」という老人ホームに居るという。自転車で来たと話すと、車で連れて行ってあげるから、ここに自転車を置いていきなさいという。
 獅子舞が何時にどこへ行くか書いたものはありませんか?と聞いてみると、集会場の中に貼り出してあるというのでカメラで複写させてもらった。

午前の部
時間    場所    演目
8:30  下立神社  ・獅子起こし ・竹の天狗舞
8:50  姫神社前  ・獅子起こし ・花笠音頭 ・国せん ・鳴子音頭 ・竹の天狗舞 ・玉遊び
10:20 おらはうす ・獅子起こし ・新東京音頭 ・傘の天狗舞(保育所男子) ・花笠音頭 (保育所女子) ・大神楽(保育所男子) ・千鳥の舞
11:15 松本家   ・傘の天狗舞 ・花笠音頭 ・猩々舞
11:45 上島家   ・頭切り ・鳴子音頭 ・花の舞

午後の部
13:20 屯所前   ・竹の天狗舞 ・新東京音頭 ・大神楽
13:50 紙家    ・頭切り ・花笠音頭 ・球遊び
14:30 5区三叉路 ・獅子起こし ・鳴子音頭 ・竹の天狗舞 ・花の舞
15:10 4区集会場 ・獅子起こし ・国せん ・新東京音頭 ・傘の天狗舞(保育所男子) ・花笠音頭(保育所女子) ・大神楽(保育所男子) ・千鳥の舞
15:40 此川家   ・傘の天狗舞 ・花笠音頭 ・猩々舞
16:20 全龍寺   ・頭切り ・鳴子音頭 ・花の舞

夜の部
19:00 体育館   ・獅子起こし ・竹の天狗舞 ・新東京音頭 千鳥の舞
19:40       ・黒田節 ・大神楽 ・団長挨拶 ・傘の天狗舞(保育所男子) ・花笠音頭(保育所女子) ・大神楽(保育所男子) ・国せん ・春の雨 ・玉遊び
20:30       ・傘の天狗舞 ・団長の手踊り ・花の舞 ・頭切り ・お祭りマンボ ・猩々舞

下立の獅子舞01

↑が複写した獅子舞の予定表。夜の部の神社での奉納は雨が降る可能性もあるので、今年は体育館で行う事になったそうだ。

 お言葉に甘えて車でおらはうすまで送っていただくと、丁度獅子舞が終わり、移動するところだった。
 連れて来て下さった女性のご主人に紹介され、ここから先は獅子舞の一行に着いて歩く事にする。

 おらはうすから車で町の本通りに戻り、ここからは歩いて地区をまわる。今年で3年連続、岐阜から見に来ているという方と一緒になった。
下立の獅子舞02
↑上段左:11時15分からの松本家へ向かう獅子舞の一行/上段右:獅子舞の入場の際には、天狗が4人ずつ対面に並び竹を打ち鳴らせて歩いて来る/中段左:青年団による傘の天狗舞/中段右:青年団女性による花笠音頭/下段左:願念坊による花の披露/下段右:猩々舞
下立の獅子舞03
下立の獅子舞04

↑左は松本家から上島家へ移動する、獅子舞の一行。右は上島家での演目、頭切り(ずきり)。

 午前中最後の上島家での獅子舞が終わると一旦体育館へ荷物を置きに行き、それから昼食を食べに3区の集会場へ。
「一緒に食べましょう」と声を掛けていただき、集会所の2階でトンカツやハムカツ、サラダや刺身、押し寿司、ビールをご馳走になる。

 せっかくなので食事の合間に、下立のことを色々と伺う。エビス様迎えは下立駅ではなく、下立口駅へ提灯を持って迎えにいったようだ。今は昔のようにお風呂を沸かし、料理を出して見えないエビス様を持て成す家はないようだが、11月20日にご馳走を用意して神棚の下にお供えする家は残っているという。
 食事と休憩が終わり、集会所から体育館へ行き、準備を整えて午後最初の消防署(屯所前)へ向かう。ここで獅子頭の顎が外れるという思いがけないハプニング。とりあえずなんとか獅子舞を踊り、急遽古い獅子頭を手配した。
下立の獅子舞05
↑上段左:昼食を終え体育館で準備をして午後の部最初の訪問場所、屯所前(消防署)へ向かう/上段右:屯所前での青年団女子による新東京音頭/中段左:ジジ(左)とババ(右)のお面を被った願念坊。獅子舞の一行の先頭を歩き、竹箒で道を掃き、獅子舞では道化役として登場する/中段右:軒下に柿を吊るした家が何軒かあった/下段左:5区の三叉路での獅子舞。演目は青年団による花の舞/下段右:移動中も囃子方が賑やかに笛と太鼓を奏でる。音につられてか、子供たちが着いて来る
下立の獅子舞06
下立の獅子舞07

↑上段左:5区の三叉路から4区集会場へ移動/上段右:青年団女性による新東京音頭/中段左:屯所前での獅子舞で獅子頭の顎が外れて急遽持ち出された古い獅子頭。呉西の獅子舞ではよく神の御霊(依り代)として獅子頭の角に紙垂を取り付けるが、下新川型の獅子舞では見られない気がする/中段右:保育所男子による小天狗の入場/下段左:保育所男子による傘の天狗舞/下段右:保育園女子による花笠音頭/大きな写真は、青年団による千鳥の舞。下新川型の獅子舞では、天狗による前方宙返りが頻繁に登場する。中には獅子が前転する地区もある。

→4区集会場から、次の家に向かう獅子舞の一行。遠くに見えるのは、先週行った墓ノ木地区の辺りだろうか。

↓15時40分からの、此川家での舞い。左は青年団女子による花笠音頭、右は青年団による猩々舞。

下立の獅子舞08
下立の獅子舞09
↓町場としては最後となる全龍寺での獅子舞。写真は頭切り。
下立の獅子舞10
 全壟寺での獅子舞が終わると、夜の部が行われる体育館へ。体育館の中には演出用にススキが飾られている。夜の部の準備を終えると、下立神社の裏にある3区の集会場へ戻り食事。また、お刺身やとん汁、ます寿司などをご馳走になる。
 夜の演舞は19時からなので、18時半頃に集会所を出て体育館に向かう。開演時間が近づくにつれて地元の人が集まり、ゴザ席、椅子席とも満席になった。
下立の獅子舞11
↑上段左:青年団による千鳥の舞/上段右:青年団女子による黒田節/中段左:青年団長による手踊りは「憧れのハワイ航路」/中段右:ジジババが2組登場して花の披露。この後、ジジババ4人による獅子舞が行われ、キレッキレの舞が披露された/下段左:青年部による花の舞/下段右:青年団女子によるお祭りマンボ
下立の獅子舞12
下立駅

↑最後の演目、猩々舞。お囃子の笛がこんなにたくさん居る獅子舞も珍しいと思う。かつて獅子方を演じていた人達が、囃子方にまわる。

 猩々舞の途中で体育館を出て、直ぐ近くの下立駅へ向かう。駅のホームで電車を待っている間も賑やかなお囃子が聴こえてきた。終わって静かになったのは、21時15分頃だったろうか。
 21時25分発の電鉄黒部行きの電車が来たので、自転車を積んで乗車する。

 電鉄黒部で降りて黒部駅へと自転車を走らせる。 駅に着いたのが21時50分で、急いで自転車を畳んで輪行袋に入れ、21時53分の高岡行きに乗車した。

10月19日(木)

 雨が降ったり止んだりで、今日も肌寒い一日。東京は12月中旬並みの寒さで、最高気温が13℃を下回って60年ぶりの寒さとなったようだ。
 16日に発生した台風21号「ラン」が、発達しながら本州に近づくおそれ。あと3日後となった衆院選の投票日も天気は荒れ模様となりそうだ。
 朝、救急車のサイレンの音が聞こえたと思ったら、あいの風とやま鉄道で人身事故があった。
 今年の4月16日に撮影した、明日(あけび)の稚児舞で知られる法福寺の観音祭の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちらこちら
法福寺01
↑折り本をぱらぱらと落とすようにして速読し、大般若経を短時間で読み上げる大般若転読法要
 ↓射水神社の稚児舞、熊野神社の稚児舞と共に「越中の稚児舞」として重要無形民俗文化財に指定されている明日の稚児舞。
法福寺02

10月16日(月)

 朝から雨で気温も上がらず肌寒い一日。腰が痛かったのでしばらくドラムを叩いていなかったが、腰の調子が良くなったので久しぶりに練習。叩いていないと手首が固くなる。練習しているうちに手首が解れて来ると、リズムを刻むのが気持ち良くなる。
 昨日高岡市議会選挙の公示があり、さっそく名前を連呼するだけの選挙カーが走り回っている。
 一昨日、入善町の墓ノ木地区に伝わるたいまつ祭りを見に行った。

10月14日(土)
 今月の5日に黒部市の愛本新地区で行われた松明祭を見て来たが、今日は愛本新地区に隣接する入善町の墓ノ木地区で行われるたいまつ祭りを見に行く。隣接すると言っても愛本新地区は高台にあり、墓ノ木地区はその下にある。愛本新地区は富山地方鉄道の愛本駅が最寄り駅で、墓ノ木へ行くのも愛本駅で降りて行こうと考えていたら、愛本新地区の人が栃屋駅から行った方が近いとアドバイスして下さった。なるほど地図を見ると栃屋からも近く、坂を上り下りしなくて済む。
 祭りは18時30分からとネットの情報に書いてあったが、明るいうちに集落の風景も撮っておこうと早めに家を出る。
 前日に購入しておいた、あいの風とやま鉄道の一日フリーきっぷで黒部駅へ。14時34分に黒部駅に着いて自転車を組み立て、少し離れた電鉄黒部駅へ走る。
 切符を購入して、自転車を畳まずにホームへ。富山地方鉄道は、土日は輪行袋に入れなくても自転車を電車に乗せられるのでありがたい。
電鉄黒部駅
↑電鉄黒部駅。左が正面、右がホーム側。大きな柿の木に実がついていた。
↓初めて畳まずに自転車を持ち込んだ。→駅舎と自転車の色がお揃いで記念写真。
栃屋駅と自転車
電車と自転車
水護神社
 15時25分に栃屋駅に着いて電車を降りたら、ホームの待合室と自転車のフレームの色が同じで思わず記念写真を撮影。栃屋駅で降りるのは、昨年秋に栃屋の獅子舞に来て以来で一年振りだ。その栃屋の獅子舞は明日行われるようだ。
 栃屋駅から墓ノ木地区にある水神社に向かう。黒部川を渡り、堤防を愛本方向に走れば着く事をグーグルでシュミレーションして来たので、迷う事なく20分ほどで到着した。
←水神社(水護神社)。
 水神社は大松明が奉納される場所で、松明が出発するのは神明社だ。水神社はグーグルで検索して場所が分かったが、神明社は検索しても出て来なかった。とりあえず集落の方へ神社を探して自転車で向かうと、ちょうど家から出ようとする車があったので場所を尋ねると案内するから車について来るように言われて速度を落として走る車の後をついて行った。
↓大松明が出発する神明社。境内の灯籠に松明が立て掛けてある。
松明
神明社
大松明
 鳥居の横には大松明が2つ寝かせてあった。重さは愛本新地区と同じく450〜500キロほど。
 拝殿に宮総代の方が居られたので祭りの進行をお聞きすると、18時30分に神事が始まり、19時に大松明が出発。21時頃に水神社に到着し、神事と花(祝儀)の披露。その後、大松明を土手に持って行き燃やす。そして公民館で直会が催される。
 神事の開始までかなり時間があるので、集落の中を自転車で走る。 
墓ノ木地区の風景01
↑下が墓ノ木地区で、上が舟見野台地にある愛本新地区。上は利水、下は治水に感謝して松明を燃やす。
墓ノ木地区の風景02
 黒部川の堤防で地元のスーパーで買って来たオニギリやいなり寿司を食べたり、写真を撮って過ごす。山の上の方はもう紅葉が始まっている。2日程前の天気予報では小雨が降る予報も出ていたので、晴れてよかった。
たいまつ祭り01
 神明社に戻ると宮司さんがいらっしゃた。今年6月にじんじん祭りを見に行った、三島神社(八心大市比古神社)の桜井宮司さんが兼務されていた。
 土曜日とあって祭りが重なり、今日はこれで5つ目だそうだ。
 18時30分になり神事が始まった。
お神楽の太鼓が奉納され、祓言葉、修祓、そして祝詞奏上が行われた後、拝殿の御神火が小さな松明に移された。その火が大松明まで運ばれて点火された。
↓大松明をお祓いする宮司さん。→祝詞奏上。
たいまつ祭り03
たいまつ祭り02
たいまつ祭り04
↑拝殿の御神火が小さな松明に移される。
たいまつ祭り05

 祝詞奏上の後、拝殿の御神火が小さな松明に移され、その火が境内に寝かせてある2つの大松明まで運ばれて点火された。また子供が持って歩く松明にも火が移されて、子供たちは一足先に水神宮へと行進を始めた。
 天辺に火がついた大松明を、担ぎ手たちが縄を引っぱって起こす。愛本新地区と同様に一つは担ぎ、もう一つは台車に乗せて水神社へと向かう。女性たちが一升瓶を持って担ぎ手たちに酒を注いでまわる。「流れ〜流れて〜」と木遣りがひとくさり唄われてから大松明が担がれ、「どっこい どっこい」の掛け声と共に進む。

たいまつ祭り06
たいまつ祭り07
たいまつ祭り08
 少し進んでは止まり。お神酒を呑んで木遣りをひとくさり唄って、また担ぐ。松明を担いで歩く距離は、愛本新地区の祭りより少し長いように思う。
 愛本新地区の大松明は藁の周りを竹で囲っていたが、墓ノ木の大松明は竹の芯に藁を被せて巻いてあるので火の燃え方が早く崩れて来るので、時おり松明に水をかけながら進む。
 水神社の100メートルほど手前で、大松明の火が、小さい松明に移された。
たいまつ祭り09
 大松明の火が小さな松明に移され、その火が水神社の拝殿に運ばれて神事が開始される。宮司さんによれば「河原祭」と呼ぶそうだ。神事が斎行されるなか、20時半過ぎに大松明が水神社の鳥居の前に到着した。今年は天気も良くて、早く着いたようだ。
たいまつ祭り10
 神社の前に到着してから周辺を担いでまわったり、松明が燃えて短くなっていれば鳥居の下を潜って境内に上がる事もあるそうだが、今年は鳥居の前に置かれて動かなかった。
たいまつ祭り11
たいまつ祭り12
 境内の端で笛と太鼓のお囃子が演奏される中、鳥居の下では花(祝儀)披露が行われた。
 花の読み上げが終わると、大松明は近くの黒部川の土手に運ばれて、防火シートを広げた空地に転がされる。これで墓ノ木たいまつ祭りは終了となる。
 愛本新地区の大松明は燃え尽きるまでに朝までかかると言っていたが、墓ノ木の大松明は藁の周りに竹を巻いていないので23時頃には燃え尽きるそうだ。
たいまつ祭り13
たいまつ祭り14
栃屋駅
 燃える松明の横を通り、黒部川の堤防を自転車で走り、橋を渡って栃屋の駅に着いたのは21時25分頃だった。
 21時52分の電車に乗るつもりだったが、1本早い21時32分の電鉄黒部行きに乗車出来た。21時45分に電鉄黒部駅に着いて、あいの風とやま鉄道の黒部駅へ急ぐ。電車は21時53分発車なので8分しかない。5分ほど自転車で走り、黒部駅の構内で輪行袋に自転車を入れたら、直ぐに電車がホームに入って来た。

 ところで、墓ノ木たいまつ祭りの由来だが、<250年ほど前に黒部川の大洪水で堤防が崩壊し、村人は下流の村々に応援を頼み、堤防工事を急いだ。夜になったので神明社の前で松明を作り、夜通し堤防へ運んだ。それが10月9日の夜だったので、それから毎年10月9日にたいまつ祭りを行っていたが、新しい入善町が生まれてからは10月13日に変更となり、現在は10月の第2土曜となった>とネットの情報では書かれているが、水神社の前にある案内板には少し違った由来が書かれている。
 要約すると、昔、黒部川が豪雨のために氾濫し、村が流失寸前で村人ももはやダメかと思った時に、一人の逞しい男が激しい水流の中に入って行き仁王立ちになった。すると水の流れが変わり村は水害から免れることが出来た。翌日村人が川に行くと男の姿はなく、黒御影石があった。村人たちはこの自然石を御神体として神社を建立した。そして灌漑用水の守り神として祀り、春と秋に祭りを催し、このうち旧暦9月9日に行われる秋祭りには洪水からの無事と利水の恩恵に感謝して、来年まで用水を水神にお返しするという意味で産神社である神明社から水神の祀られた水神社へ川の流れを表した松明の行列を作って歩いた、という事のようだ。尚、現在の水神社は昭和30年10月に新築されたもので、昔はもっと小さな社だったそうだ。
 なるほど、こちらの方が祭りの意味が伝わってくる。以下に、案内板の記述を掲載しておきます。

水護神社の由来とたいまつ祭りの起源について(昭和四十五年 宮腰由則編述)

氾濫する黒部川のあらみず(洪水)を鎮めこわみず(灌漑用水)の護り神として往古よりこの村に伝わるたいまつ祭りは神秘な年中行事として、今日もなお近郷近在の衆目を集めている。
この由来について昭和初期の最古老(西島亀次翁)の口述によれば、その昔豪雨のため黒部川が大洪水となり随所に氾濫してこの村も流失寸前の水勢に村人どもも、もはや手の施すすべもなく台地にたたずみ水煙り立つ濁流を無念に見入るばかりなり、このとき一人のたくましいばんどりを着た男がカヤケの方位(この神社より百五十米上流崖下)より洪水の中に勢いをこぎ分け仁王立ちに水勢を制し、やがて水の勢いは次第に西方にかわり、村は水害からまぬがれることができたと言う。翌朝洪水が次第におさまり水煙りもすっかり晴れ上がり村人どもの関心を集めた仁王立ちの姿は、今この神社の御神体であらせられる黒御影の自然石に化されていたと言う。
これは神の化身である事から近郷近在のものどもは神社を築き、ここにあらたかに安置したもので以来今日まで幾度の黒部川の洪水にもこの村は水害がなかったと言い伝えられている。
さらにまた、村人が難儀する灌漑用水の守り神として敬神のまこと捧げ春秋おこなわれる祭りのうち秋の(十月十三日 旧九月九日の宵)お祭りは洪水からの無事を利水の恩恵を感謝し来年まで水神に用水を一時お返しすると言う意味で行われた、たいまつ行列は、お返しする川の流れを表ししも氏神様より取り入れ口のこの神社に奉納されるもので神秘な笛や太鼓とともに御神火の列が異様に衆目を集めている。

10月13日(金)

 13日の金曜日か。
 一昨日、東村高江の集落に近い牧草地に米軍のCH53E大型輸送ヘリコプターが不時着し、炎上した。このところ普天間所属のオスプレイやヘリの事故が立て続けに起きている。
 先日の報道ステーションの党首討論で安倍首相が「籠池さんは詐欺を働く人間。昭恵も騙された」と発言した事に対し、弁護士の郷原信郎氏が、法治国家において絶対に許せない「首相失格の暴言だ」と強い非難をしている。まあ、”首相失格の暴言”は、今に始まった事ではないが。
 有人島としては日本最南端の島・波照間へ大型高速船が就航したという記事が、琉球新報に掲載されていた。時化で何度も渡れなかった経験があるので、これはありがたいと思う。
 一昨日アマゾンでポチった外付けのハードディスクと本が、今日届いた。
↓→購入した外付けHDD。Sandyと名付けた。
Sandyのアイコン
購入した外付けハードディスク
神々の古層
 アマゾンで購入した外付けHDDはこちら。3TBで9,579円だった。さっそく接続し、アイコンにSandyと言う名前を付けた。サンディ・デニーのサンディからとった。
  対応するmacのOSは10.9以上のようだが、メーカーのホームページを見ると、10.10以前のフォーマットの仕方が記載されていたので10.7でも使えるだろうと購入した。データをコピーしているが問題ないようだ。

 アマゾンのマーケットプレイスで購入した本は『神々の古層 女が男を守るクニ 久高島の年中行事2/比嘉康雄』(ニライ社)。12巻ある神々の古層シリーズは沖縄の図書館で全て借りて読んでいるが、やはり手元に置いておきたい本だ。時々チェックして、安い値段で出たら買っている。これで5冊揃った。

 今年の4月9日に撮影した全日本チンドンコンクールの様子をPhoto Albumにしました。こちら

チンドンコンクール01
↑トーナメント形式で行われたコンクールで、見事優勝したチンドン芸能社美香。
↓コンクールの後、総曲輪の平和通りで繰り広げられたチンドンパレード。
チンドンコンクール02

10月10日(火)

 今日の高岡の最高気温は28℃。蒸し暑くて扇風機をつけたり消したりしている。このところの激しい気温の変化に、身体がついて行けない。
 衆院選が公示され、選挙戦が始まった。1100人を超える候補が、465議席を争う。各党の党首らの第一声がこちら
 批評家の東浩紀氏が「今回の選挙、くだらなすぎる」として投票の棄権を呼びかけ賛同署名を集めているという記事が、HUFFPOSTに掲載されていて驚いた。声を可視化するための署名の目標が5000人って、そもそもの目標数値も低過ぎるだろう。子供のような批評家だな。この人は今回の選挙が下らないと思うなら、選挙の棄権を呼びかける前になぜ解散を宣言した総理に先ず強い抗議の意志を示さないのだろうか。
 これまでの選挙でも積極的棄権として投票に行かなかったり白票を投じた人は居ただろうと思うが、それでは何も変わらないから今の酷い政治状況が生まれたのでは?
 棄権をしても白票を投じても政治は変わらない、例え消去法の選択であっても選んで投票することでしか自分たちの意志は示せないだろう。

 体育の日だった昨日、射水市にある高周波文化ホールで「とやまのたから2017射水x南砺」と題した民俗芸能のイベントを観て来た。射水の演目は「新湊浜獅子太鼓」と「新湊横町獅子舞」、南砺は「越中五箇山こきりこ」で、庄川の河口にある新湊と上流にある五箇山の競演だ。こきりこは一昨年、五箇山で見たが、新湊の浜獅子太鼓は見たことがないので楽しみだった。 
 14時30分開場、15時開演だったが14時頃に文化ホールに行き、事務所でチケットを購入してから撮影できないか交渉。一番後ろからストロボを使わないことで許可が出る。
 最初は南砺の「越中五箇山こきりこ」。演舞はこの「こきりこ」1曲だけだったが、この曲に使われる楽器の紹介と、実際に客席に楽器を配って使い方を知ってもらう短いワークショップが行われた。
こきりこ01
↑「こきりこ」の演舞。
↓楽器の紹介。中央が板ざさら(びんざさら)。→棒ざさら(摺りざさら)。
こきりこ03
こきりこ02
こきりこ04
 棒ざさらは、ラテン・パーカッションのギロみたいなものだろう。五箇山の板ざさらは煩悩の数と同じ、108枚の板を編んで作られるそうだ。
 こきりこは、筑子と書き竹で出来た楽器の名前だ。左の写真の男性2人が持っている棒で、<筑子の竹は七寸五分じゃ 長いは袖のカナカイじゃ>と歌われている通り23センチ(七寸五分)に作られている。
 You Tubeから「こきりこ節」。
 南砺の「こきりこ」の後は10分ほど休憩を挟み、新湊の「浜獅子太鼓」が始まった。新湊地区の獅子舞を浜獅子と言うそうで、その獅子舞の太鼓部分を取り出して発展したのが「浜獅子太鼓」という事だろう。漁師町らしく、大漁祈願太鼓として伝わっている。
 ネットで検索しても由来や起源は出て来ない。一番詳しく書かれているのはmixiの書き込みで、こう書かれている。
濱獅子太鼓は三日曽根や新町の人達を中心とした集まりで、現在二代目とのことです。
天狗二人、鬼二人、篠笛一人の5人で構成され、一人が刻み打ちをし、残りの三人が交互に入って二人打ちをします。
御神楽→大廻り→十四 が演奏曲となっており、お囃子は三日曽根稲荷町と横町の音だと思われます。(私の聴く限りでは)
事の起こりは昔、北陸の太鼓を競う大会があり、そこで毎回優勝していたのが石川県の御陣乗太鼓でした。その御陣乗太鼓を破るため、初代の濱獅子太鼓が作られたそうです。
そして濱獅子太鼓は初めて御陣乗太鼓を破って優勝したと聞きました。

 撮影許可を下さった方は、歴史的には40〜50年ほどだと仰っていたが、ステージで司会者と話していた保存会の方が初めて参加してから45年経つそうなので45年以上の歴史はあるようだ。
 般若の面が2人、天狗が2人の4人が勇壮な所作を交えて一つの太鼓を叩く。ちょっと能登の御陣乗太鼓に似ているが、こちらの方が太鼓が大きいのか低い音で迫力があるように思う。また、一人で奮闘する笛の演奏が見事で驚いた。
浜獅子太鼓01
浜獅子太鼓02
 15分ほどの「浜獅子太鼓」が終わり、休憩を挟んで横町の獅子舞が最後に行われた。獅子は客席の後方から登場。ステージに上がった獅子舞を見るのは初めてかもしれない。路上で見るのと違い、冷静に芸能としての獅子舞の動きの美しさを再発見。そして、新湊の獅子舞は鮮やかな花笠を被ったキリコと呼ばれる子供の獅子あやしが魅力だと思う。
横町獅子舞01
横町獅子舞02
↑横町の獅子舞。アンコールが起きるほど好評だった。
新町口と電車
夕暮れの風景

 終演予定16時30分となっていたが、終わったのは17時だった。
 歩いて7〜8分の万葉線の新町口のホームへ。やがて17時15分の高岡行きが来たので乗車する。
 新町口を出て直ぐにキレイな夕焼けが見えた。夕焼けをバックに工場の煙突から煙が出ている。電車の窓ガラス越しに撮影。キレイに窓ガラスを拭いてあるせいか、思っていたより鮮明に撮れた。
 You Tubeから「浜獅子太鼓」「御陣乗太鼓」。

10月7日(土)

 曇り空だが、昨日までの寒さがなくてわりと暖かな一日だった。
 今日からミュゼふくおかカメラ館で、高岡市出身の写真家・鳥飼祥恵さんの写真展『けんちゃんーamputee boyー』が始まり、午後2時からのギャラリートークを聞きに行った。
 家に戻るとお囃子が聴こえて来た。今日は地元の例祭で、獅子舞が地区をまわっている。

新党ブームで経済が停滞したという安倍さんの噓
安倍首相「新党ブームは経済の低迷を生み出した」→正確ではない
衆院解散は憲法違反に当たらず 政府答弁書
首相演説、ヤジ懸念し場所変更
秋葉原演説がトラウマ 安倍首相が恐れる「こんな人たち」
政府、平和賞にコメント出さず 外務省「立場違う」
 どれだけ情けない国になったのか。
 安倍首相が読売新聞のインタビューに応じて「北朝鮮の脅威と少子化にどう立ち向かうかが最大の争点になる。日本の未来を決める選挙だ」と強調したが、少子化問題は20年以上も前から言われているし、北朝鮮の脅威はノドンが日本海側に向けて配備された10年以上も前からの問題で、この間自民党は何をやってたんだという話しでしかない。古い蛍光灯のような提言で、お前が国難と揶揄されてもしょうがない。
 自公連立政権は今回の衆院選の演説でも雇用状況の改善、就業率の向上をドヤ顔で語っているが、少子高齢化が進み労働力人口も減少しているので、何もしないでも就業率はアップする。
 また、就業率が増えたというがその中身は正規雇用者が36万人も減り、非正規雇用は187万人増加している。企業は人手不足に向かっているが、だからといって儲かっているわけではないので、雇用は非正規になり、賃金も上がらないという事だろう。こうした事を考えれば、 就業率が増えたのはアベノミクスの成果というより、変動する人口構成の影響の方が大きいのではないだろうか。たぶんこれからは、企業が人材を確保するのが難しいという問題の方が深刻になる。そんな状況で就業率のUPをドヤ顔で語っているのも、やはり古い蛍光灯並にズレた認識というほかない。
 安保法制に反対していた民進党の議員が、踏み絵を踏んで希望の党に入党したのは批難されるべきだと思うが、TPP断固反対と言っていた自民党はどの口で彼らを批難するのかと不思議に思う。
 相変わらず政局は混乱を極めているが、共産党は終始大人の対応をしている。さすがに共産党が政権を獲ったら引くと思うが、もう少し議席が増えた方がバランスは良いと思う。

 今週から、ブラタモリが3週連続で富山を放送する。今日は黒部ダムだった。
 一昨日の5日、黒部川の最下流にある愛本発電所に近い愛本新地区の愛本新用水天満宮松明祭を見て来た。江戸時代、高台(舟見野台地)にある愛本新地区は田畑を拓く水がなく困窮していた。そこで当時、十村であった伊東彦四郎氏がこの惨状を救うには黒部川より一大用水を通すしかないと考え、加賀藩十一代藩主であった前田治修公に願い出た。
 寛政10年(1798)に工事を始め、享和2年(1802)に12kmの用水が完成。松明祭は用水の完成を祝い、村人が松明をかざして水を迎えに行ったことが起源とされ、高さ4メートル、重さ450キロの巨大な松明2本を担いで愛本新天満宮に奉納する。こちらの様子も後々UPいたします。
愛本新用水天満宮松明祭
↑12人で、重さ450キロの大松明を「どっこい どっこい」の掛け声とともに担いで歩く。

10月5日(木)

 黒部市宇奈月町の愛本新地区で行われる、巨大な松明を担いで神社に奉納する松明祭を見に行く。祭り自体は19時からだが初めて行く場所なので明るいうちに場所の確認をしようと思い、早く出る。
 14時20分にあいの風とやま鉄道で滑川駅に到着。富山地方鉄道の滑川駅を14時51分の電車に乗って、最寄り駅である愛本駅に15時38分に着いた。
 電車の中から停車する駅のホームを撮影したが、香ばしい駅舎ばかりだ。高山線、城端線、氷見線など富山には趣きのある駅舎が残っている鉄道は他にもあるが、この富山地方鉄道の香ばしさは特別だ。いつかこの香ばしい駅と、その周辺にある眠そうな町を撮影したいと思う。
富山地方鉄道の駅
 愛本駅で自転車を組み立てて、愛本新地区にある天満宮へ向かう。昨年、明日(あけび)の法福寺で開催された稚児舞を観に愛本駅で下りて愛本橋を渡って坂を上ったところまでは来たが、今日は坂を上がって真っ直ぐ走り舟見まで。舟見で左に曲がったところに愛本新地区がある。
 愛本橋から一本道なので迷うことはないが、左折する場所がわからないので人に尋ねて教えて貰った。目指す天満宮は、田んぼの中にポツンとあった。参道には鮮やかな祭礼の幟が揚がっていた。
愛本新天満宮01

 拝殿の中には年配の男性が一人。暫くして青年団の男性たちも境内にやって来て、祭りの準備を始めた。祭りの進行を尋ねると、19時に大松明が置かれた路上で神事が始まり、19時10分に少し離れた場所から小さな松明を持った子供たちが出発。19時20分に大松明に火がつけられて神社に向かって出発。大松明が神社に向かっている間に、神社では神事が行われる。20時半頃に大松明が境内に入り、社殿をまわる。花(祝儀)の読み上げの後、ジジとババの面を被った願念坊が松明を担いで境内を走り、最後に燃え残っている大松明を境内にある石碑の前に奉納するということだった。
 大松明の火が完全に消えるのは朝方のようで、それまで消防団員が拝殿で番をしているというので、もし電車に乗り遅れたら朝まで拝殿で休ませてもらえますか?と聞くと、「いいですよ」という返事だった。 
 拝殿入り口には松明祭の概要を書いた案内板が掲げてあった。
黒部市無形民俗文化財 
一、名称 愛本新用水天満宮松明祭
二、指定年月日 昭和五十六年一月十日
三、概要
 愛本新で十月五日に行われる奇祭である。
 寛政年間には用水辺の雲雀野一帯は水がなく、 まったくの荒野で村民が困りはてていたのを、当時 朝日町泊の十村役人であった伊東彦四郎氏が、加賀 藩十一代藩主前田治修公に建言して用水をつくるこ ととし、寛政十年(一七九八)に着工した。難工事 に悩まされながら五年の歳月を費して、享和二年 (一八〇二)十一月六日、三里に及ぶ用水を完成し、 念願の水が通り、約四百町歩が美田化された。喜ん だ村民は手に手にタイマツをかざし、水の流れを 追って貫通を祝った。
 それ以来毎年用水完成日にタイマツ祭りを催し 治修公の遺徳をしのぶならわしとなった。この日は 長さ8米、重さ四五〇キロという大タイマツ二基を 村の若衆二十余名によってかつぎ、ほかに子供たち が小タイマツ約二百本をもち夜空を輝かせながら 用水ぞいに下る終夜火の祭典がくり広げられた。

 そして愛本新用水天満宮はこのサイトの記述によれば、住民が前田治修公の行いに感謝して建立し、前田治修公を生きながらに祀り、産土神とするとともに用水の守護神として崇敬したということのようだ。
 祭りの進行がわかったので、神社から700メートルほど離れた田んぼの中を通る道路に置かれた大松明を見に行く。横には用水が流れている。松明は高さ4メートル、直径1メートル、重さは450キロほどだそうだ。制作するのは日曜日で、日曜日が祭りの日なら当日の午前中、今回は直前の日曜である10月1日に作ったそうだ。芯(竹?)のまわりを藁で包み、その上から竹で巻いているそうだ。

↓→祭りで担ぐ大松明が、道路に鎮座している。
大松明02
大松明01
高台からの風景
 祭りの神事が始まるまで2時間以上あるので、自転車でぶらっと近くを走ると、愛本新地区が高台なのがよく分かる景色に出会った。
 帰りの電車は最終が愛本駅を21時44分発。来る時は20分程だったが、もう一度確認のために途中まで自転車で走ってみる。帰るときは暗くなっているので、帰り道の感覚を確認しておく。
 松明の置かれている場所から舟見の商店街を通って、法福寺へ行く三叉路まで10分程だった。
 途中に松の木が一本立っており、少し離れた場所に案内板が立っていた。愛本新御前林の松と言い、 かつて三日市〜浦山〜愛本〜舟見〜泊と続いた街道に植えられた松並木の名残りのようだ。
↓商店に貼られていた、松明祭のポスター。→街道に残っている松の木。
街道の松
松明祭のポスター
 帰り道の確認をして神社の方に戻って来ると、17時をまわったばかりなのに夕暮れだ。日が短くなったのを実感する。
愛本新用水天満宮とお月様
松明祭01
 拝殿にいらした年配の男性が、中に入ってお休み下さいと声を掛けて下さった。拝殿の中に入れてもらい、お茶をご馳走になって、少し話しを伺った。
 昔はアスファルトの道路などなく、道なき道を松明を担いで走ったそうだ。
 18時半を過ぎたので、神事の行われる松明の方へ自転車で向かう。拝殿の後ろにある本殿に灯りがついている。明日が満月の丸い月も空に浮かんでいる。
 松明の前に祭壇が設けられ、篝火が焚かれている。19時になって宮司さんが神事を始める。宮司さんは愛本姫社の祭祀でお会いした方で、浦山の鶏野神社の山内宮司さんとおっしゃるそうだ。祓言葉、修祓、祝詞奏上、玉串奉奠の後、大松明に火がつけられる。その間に、少し離れた場所から子供たちが小さな松明を持って歩いて来る。<子供たち が小タイマツ約二百本をもち>という記述があるが、今は10人もいただろうか。子供たちの松明は大松明と合流し、その後、田んぼで燃やされてしまったようだ。
↓宮司さんによる祝詞奏上。→大松明に火をつける、点火式。
松明祭03
松明祭02
↓トラックの荷台に積んだ太鼓と笛のお囃子が、大松を先導する。
松明祭05
松明祭04
 大松明が神社に向かう間に、出発式を終えた関係者と宮司さんが神社に戻って神事を行うというので自転車で見に行くと、本殿の前に農業関係者や祭り保存会、議員さんなどが並び玉串を捧げている最中だった。
松明祭06
松明祭07
 玉串奉奠が終了するのを見て、また大松明の方へと自転車で戻る。450キロの大松明を12人で担ぐので、単純に割ると一人当たり37.5キロの負担で、やはりかなり重い。大松明は2つあり、若い担ぎ手が多かった昔は2つとも担いで走っていたのだろうが、今は一つを青年団が担いで走り、もう一つは壮年の男性たちが荷台に乗せて運んでいる。
 大松明の横にはジジとババの面を被った二人の願念坊がホウキを持って付き添い、落ちて来る火の粉や藁を払ったり見物人に邪魔にならないよう促したりしている。
松明祭08
松明祭09
松明祭10
 大松明は少し走ると立ち止まり、気合いを入れるためにお神酒をまわし呑みする。そして木遣りをひとくさり唄って、また担いで走る。一緒について歩く子供たちが担ぎ手の足もとに爆竹を投げるので、けたたましい。
 しばらく松明の行進を見てから、また神社の方へ戻ると、今度は拝殿で玉串の奉奠が行われている最中だった。
 大松明が神社に入ったのは20時40分頃だった。荷台に乗せられていた大松明も、ここからは担がれるようだ。  
松明祭11
松明祭12

 参道を走って来た大松明は、鳥居の手前で一旦並んで止まる。
 お神酒を口にし休んだ後、一気に境内に入り社殿のまわりをグルグルと走り回る。回数は2回、3回と決まっていないと言っていたが、4回ほどまわっただろうか。
 走り終えた大松明は拝殿の前に並んで置かれた。この後は花の読み上げがあり、願念坊が松明を担いで境内を走るようだが、もう21時で駅に向かわなくてはいけない。  

↓ジジ、ババの面を被った願念坊。→願念坊が担いで走る松明。
松明祭14
松明祭13
松明祭15
 最後まで見て消防団の人と一緒に始発まで拝殿で休ませてもらおうかとも思ったが、まだ腰も痛いし明日が辛くなるので帰ることにした。
 暗い道を愛本駅に向かって自転車を漕ぐ。ほぼ一本道なので迷うことはない。
 帰りは下り坂が多いので漕ぐのも楽だ。やはり20分程で駅に到着して、輪行袋に自転車を仕舞う。
 21時44分発の富山行きの最終で滑川駅へ行き、あいの風とやま鉄道に乗り換える。  
 乗り換えの待ち時間が50分近くあって、家に着いたのは24時を過ぎていた。
 今月14日には愛本新地区に隣接する入善町の墓ノ木地区でも松明祭が行われる。こちらは250年程前に起きた黒部川の大洪水から始まった祭りで、治水への感謝を表して神社に奉納されるようだ。
 こうして見ると呉西の方は松明行列が田楽行燈になり、やがて大きさと美しさを競う夜高行灯祭りに進化して行ったが、呉東の方は松明がそのまま巨大化して祭りになったと言えないだろうか。そう言えば、滑川のネブタも行燈ではなく巨大な松明を海に浮かべて火をつける。

10月4日(水)

 今日は旧暦の8月15日、中秋の名月だが、満月は明後日のようだ。
 ようやく日記が追いついた(笑)。

 一昨日ラスベガスでホテル近くにあるコンサート会場を狙った銃乱射事件があり、59人が亡くなり、527人以上が負傷した。犯人はホテルの32階からコンサート会場に向けて撃ったそうだが、まるで空襲のようなものだ。こんな惨劇が起こっても、銃規制に対して意見が分かれることに、アメリカという国の病の深さを思う。
 衆議院選に向かって、ますます混迷している日本の政治だが、枝野幸男氏が新党「立憲民主党」を立ち上げ、昨日設立の届け出を出した。その立ち上げたばかりの立憲民主党の公式ツイッターが凄い勢でフォロワーを獲得して注目を浴びている。現在(23時24分)、11万1126人に達している。
 原子力規制委員会が今日の定例会合で、東京電力柏崎刈羽原発6、7号機が原発の新規制基準に「適合」しているとした審査書案を了承した。

10月1日(日)

 ひよっこが昨日で終わり、今日から10月。
 射水市の下村加茂神社で昨日、出雲大社に神々が集まるとされる神無月に因んで、神々を見送る神事「神送祭かみおくりさい」が行われ、神社近くの小川に小鮒を放流する儀式が斎行されたという記事が北日本新聞の朝刊と、富山新聞のネットに掲載されていた。神々が出雲大社から還るとされる10月31日には「神迎祭」が営まれるそうだ。
 一昨日から腰痛に悩まされている。4日間程パソコンの前に座って作業していたのが原因か、それとも折りたたみ自転車を運んでいる時に痛めたのか?とりあえず湿布を貼って痛みを凌いでいる。
 旧暦8月15日の「中秋の名月」、今年は10月4日だが、南砺市の高瀬神社では昨日、一足早く月を愛でる「観月祭」が行われたので見に行った。神饌のお団子を供えられた拝殿で神事が執り行われた後、島根県出雲に伝わる国指定重要無形民俗文化財・大土地神楽が奉納された。こちらの様子も後々UPいたします。
大土地神楽
↑高瀬神社の観月祭にて奉納された、出雲の大土地神楽。

9月へ