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バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能

5月1日 高岡御車山祭
5月1日、2日、3日 福野夜高祭り 3日に曳山記事 曳山は10時〜 福光〜井波路線バス
5月2日、3日 井波よいやさ祭り
5月3日 越中八尾曳山祭り
5月4日、5日 城端曳山祭
5月4日 滑川市赤浜 赤浜の菖蒲打(ショーブツ) 記事 記事  午前9時から八幡社で棒作り 午後4時からショーブツ
5月5日 氷見市宇波 コウラウラの祭り
5月6日 氷見市小境 エビス祭り
5月14日 六渡寺の獅子舞
5月14日 伏木けんか山・宵祭
5月15日 伏木けんか山・本祭
5月15日 新湊・放生津地区の獅子舞
5月17日〜18日 岩瀬曳山車祭
5月20日 売比河鵜飼祭 (めひかわうかいさい) 記事
5月21日 伏木・氣多神社 慶賀祭 やらやら(正午〜)
5月21日 だいもん凧まつり 記事
5月27日(土)、28日(日) 小矢部の獅子舞祭
6月1日 瑞龍寺 ひとつやいと
6月3日(土)、4日(日) 庄川夜高行灯 詳細
6月4日(日) 八乙女山 風神堂祭典
6月21日 宇奈月町・愛本姫社まつり 御影様渡し
6月下旬 黒部市三日市 じんじん祭り 記事
7月13日、14日 氷見祇園祭
7月14日、15日? 富山市梅沢町 円隆寺 さんさい踊り
7月19日? 富山市四方 えびす祭り
7月22日、23日? 芦峅寺 雄山神社例大祭 神輿練り
7月24日 滑川・新屋大磐祭り
8月第1日曜日 6日? 魚津・せり込み蝶六踊り街流し 
8月6日? 本法寺の曼荼羅絵図風入れ法要
8月6日、7日 魚津 上村木七夕祭
8月13日 芦峅寺 オショウライ
8月15日 立山町 米道踊り
8月中旬 黒河夜高祭
8月下旬の日曜 入善町・吉原神社 恵比須祭り
8月第4日曜日 瑞龍寺 薪能
9月 櫛田神社秋季例大祭
9月6日 富山・草島神明社 奴ぶり
9月 海老江曳山まつり
9月20日? 福岡町赤丸・浅井神社 獅子舞と乙女の舞
9月23日、24日 五箇山麦屋まつり
9月24日 布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ) 記事
10月6日 六渡寺の獅子舞
10月 愛本新用水天満宮松明祭
10月 入善町 墓ノ木タイマツ祭り
12月27日 福野 歳の大市

小川寺の獅子舞 宮田・火祭り1月第4日曜日 記事 記事
◯お鍬さま 1月11日 記事記事
◯4月第2土曜?10時〜 小矢部 福町神明宮 春福まつり 神獅子(行道獅子)
◯4月19日 新川神社 春祭り どべ(猿田彦) 記事
◯7年に1度、10月に開催 朝日町山崎 米吊り奉納
◯高岡大仏まつり
◯下タ北部地区 正月の繭玉作り
◯5年に一度、若手神職でつくる県神道青年会が御田植祭

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り

◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

5月30日(火)

自転車01

 新車を購入しました。

 先週の木曜日にネットで注文した自転車が、土曜日に届いた。時間がなくて放っておいたが、今日、ようやく組み立てた。9割りほど組み上がって送られてくるので、ハンドルやペダル、付属のカゴやライトを取り付けるだけ。それでも30分以上かかったか。
 別注文で輪行袋も買った。さすがにカゴを付けたままでは入らないが、自転車を二つに折り、ハンドルを抜けばキレイに収まった。輪行袋に仕舞ったり、出して組み立てるのは、慣れれば2~3分でできそうだ。

 奄美・沖縄では、この20インチサイズの折りたたみ自転車に乗っていた。輪行袋を持っていなかったので、布団袋に自転車を詰めてバスやフェリーに乗せて一緒に旅をした。
 一番最初の遠出は名瀬から住用村のマングローブパークで、片道2時間ほどだった。喜界島と与論島は一周した。
 買って一年ほどで潮風と雨にやられて錆だらけになったが、奄美にいた2年はなんとか折りたためた。沖縄に引っ越してからは、錆で固まって折りたためない折りたたみ自転車になってしまった。
 折りたためなくなっても、那覇から糸満、普天間、嘉手納と自転車を漕いで撮影に行った。折りたたまないで自転車をフェリーに乗せて座間味島に渡り、テント体験もした。
 最後は沖縄からフェリーで奄美大島に渡り、そこで宿泊したゲストハウスに無理矢理自転車を押し付けて来た。今でも島のどこかで動いていたらいいな。

 3年ぶりの折りたたみ自転車。タイヤは小さめだけれど6段変速なので、走りやすい。電車に積み込んで、そこからアチコチに行ける。これで行動範囲がまた広がるかな?

自転車02
↑左は、輪行袋に入れた状態。15〜6キロほどでそれなりに重いが、ショルダーと持ち手が付いているので、運びやすい。右は、奄美大島のホームセンター、ニシムタで購入し、奄美・沖縄で4年間乗っていた折りたたみ自転車。これも6段変速だった。
新しいトップページ
トップ画面の模様替えをしました。奄美大島の名瀬鳩浜にあるヤマダ電機の前で撮影した、夕景。シルエットの船は、鹿児島と沖縄を結ぶ定期航路のフェリー。海が眺められるヤマダ電機は、他にもあるんだろうか?
↓これまでのトップ画面。
これまでのトップページ
 そうだ、7年前の今日、奄美大島に向かって旅を始めたのだった。

5月28日(日)

 今日の魚津桃山公園での全国植樹祭のために、天皇、皇后両陛下が昨日から来県されている。富山での植樹祭は1969年に砺波で開催された第20回大会以来、48年ぶり2回目だそうだ。小学生の頃、国道8号線の沿道に並んで日の丸の手旗を振った記憶があるのだが、この時だろうか?

 昨日、今日はおやべの獅子舞祭だった。初日の昨日は観音寺と福町神明宮で獅子舞の参拝奉納、2日目の今日は商工会館の前で獅子舞大共演会が行われる。競演会は一昨年見に行ったので、今年は昨日の参拝奉納を見て来た。

5月27日
 小矢部市観光協会のサイトには観音寺では朝の7時40分から夕方まで20町の獅子舞が、福町神明宮では9時から3町の獅子舞が奉納されると書いてある。家から近い神明宮の獅子舞を見てから観音寺へ行こうと自転車で向かうが、途中で細かい雨が降ってきた。前方を見ると黒い雲が空を覆っている。とりあえず一旦家に戻ってネットで天気予報。これから晴れになるという。しばらくして雨が止んだので、もう一度神明宮へと自転車を走らす。
 神明宮に到着したのは9時半過ぎで、既に福一(福町一丁目?)、福二の奉納が終わり、社内町の獅子舞が清め祓いを受けているところだった。

↓→福町神明宮での、社内祇園獅子の奉納。
奉納獅子舞02
奉納獅子舞01
奉納獅子舞03
奉納獅子舞04

↑拝殿前での奉納の後、女性神職さんと記念撮影。

 拝殿への獅子舞奉納の後、敷地にある神主さんの自宅前でも獅子舞が行われた。
  4月の北日本新聞に掲載されていた春の例祭の行道獅子について尋ねると、神社で獅子はで所有しておらず、神明宮が最初に鎮座していた社内町の今撮影したばかりの獅子が、行道するということだった。

 神明宮から、今度は石動の町中にある観音寺へ。10時過ぎに到着すると上越前町の奉納が始まるところだった。獅子あやしに先導されて境内に入った獅子はお堂まで駆け上がり、そこで御幣(紙垂)を獅子頭に付け、奉納の獅子舞を踊る。

↓→獅子舞が奉納される観音寺。門の横には獅子舞の参拝時間が貼り出してある。

奉納獅子舞06
奉納獅子舞05
奉納獅子舞07
奉納獅子舞13

↑上から1段目左:上越前町 右:中.下.飯田.鍛冶町/2段目左:中下新町 右:中新田/3段目左:愛鉄町 右:下新田町/4段目左:今町 右:吉田町

←上新町

 獅子舞の順番は、参拝時間表に掲載されている順と多少前後していた。上新町が終わると2時間ほど空くので、石動駅へうどんを食べに行く。

 お昼休みの時間で観光客や獅子舞の関係者も多いので、駅横の立食いうどんは行列ができていたが、作るのも食べるのも早いので少し待ったら中に入れた。天玉うどんを注文。関西風の、透明感のある出汁。これはこれで美味しい。
 観音寺で舞を奉納した各町内の獅子は、町中を巡行している。自転車でお囃子が聴こえる方へ走って、いくつかの獅子舞を見る。歴代の獅子頭を店頭や玄関先に飾っている町もある。各町では獅子舞の順路を書いた紙が貼り出されていて、朝から夜まで予定がびっしりだ。例えば上越前町では、
8:00市長邸宅(遠征)→9:00町内出発→吉田町→観音寺(10:30休憩)→観音町→中下越前→中町→細工町→光顔寺→13:00道の駅等(遠征)→北上野→南上野→旭町→駅前→本町→市役所(16:30休憩)→小矢部町→中新田→飯田鍛冶町→光顔寺(18:30夕食)→20:00〜22:00町内曵き ・町内巡行順 上の班→中の班→下の班  ・獅子殺し 河原茶店の前にて
となっている。
奉納獅子舞08
奉納獅子舞09
 町中を巡行している獅子舞を少し見て、奉納獅子舞の行われる観音寺へ戻る。予定では14時から始まるはずが、獅子が来ない。お堂の前でカメラを持ってしばらく待っていると、関係者の方がお堂の中へ案内して下さった。
 お堂の中には天神様である菅原道真の掛け軸が飾ってある。僧侶の方にお話しを聞くと、この獅子舞は天神様の掛け軸への奉納だということで、祭りの正式名称も「大威徳天神祭」となっている。元々は5月24日、25日に行われていたのが、現在は5月の第3土曜と日曜に開催されるようになったようだ。明日行われる獅子舞大共演会は、この天神祭に合わせて町起こしのイベントとして生まれたのだろう。
  観音寺のホームページによると<加賀前田藩主前田家は道真公を祖先とあがめ、道真公自筆の自画像を荒木摂津守から入手して当寺に預けられましたので>とあるので、記述通りなら掛け軸は菅原道真自筆の自画像だ。嘗ては1月24日の初天神にも掛けていたそうだが、現在は天神祭の2日間だけのようだ。また、福町神明宮へ奉納している町内獅子も嘗ては観音寺へ奉納していたが、少し離れているので近くにある神明宮へ奉納することになったのではないかと言われた。
↓→観音寺に祀られている菅原道真公。獅子舞は、この掛け軸に向けて奉納される。
奉納獅子舞11
奉納獅子舞10
 予定では14時から旭町、14時30分から糸岡町になっていたが、14時50分頃に糸岡町が奉納し、15時過ぎに旭町の奉納となった。この後16時に北上野町、17時に福三新橋、18時30分に南上野町と獅子舞奉納が行われるが待ち時間も多いので、この辺で撮影を終えて帰ることにした。
奉納獅子舞12
↑糸岡町(左)と旭町(右)の奉納。
縄文遺跡
↑桜町縄文遺跡。↓桜町神社(神明宮)。
神明社02
神明社01
小矢部川
 行きは国道8号線を使ったので、帰りは適当な道を走っていたら名前だけは聞いたことのなるJOMONパークに。近くに桜町遺跡があるというので探したら、それらしい空地が。横に案内看板がなければ縄文遺跡とは思うまい。
 遺跡の先が森のようになっていたので入って行ったら、神社があった。  アウトレットパークの横を通り、小矢部川の堤防を走って帰って来た。
 家に帰ると、2日前にネットで注文した折りたたみ自転車が届いていた。暫くして、やはり2日前に注文した輪行袋も届いた。
*北日本新聞の記事は、こちらこちら

5月26日(金)

 あまり報道されないだけで、原発事故以来、毎週金曜日には国会前で抗議活動が行われている。今日も共謀罪に反対するデモがあった

「デモなんかやっても、何もかわらない」というような意見を、またちょくちょくSNSで見かけるようになった。そうだろうか?

 例えば辺野古の新基地建設反対の闘いは、ここ何年かの話しではない。2004年から続いている。彼らがあの場所で声を上げ、ごぼう抜きにされても座り込んで必死の抵抗をしていなければ、とっくに辺野古の埋め立て工事は始まっていただろう。
 そしてデモに参加する、あるいはSNSやブログで反対の声を上げるのは「社会を変えたい」というだけではなく、「自分が変節」しないための抵抗の声だとも思っている。むしろ個人的には、こちらの方が比重は大きい。
 元経産官僚の古賀茂明さんが、報道ステーション出演の最後だったかに引用したマハトマ・ガンジーの言葉。
あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」。
 
国の辺野古沖掘削 反対派が阻止
 朝日新聞の2005年4月27日の記事に
浜辺のテントで移設反対の座り込みをした名護市の嘉陽宗義さん(82)は「彼ら(施設局)は、やるぞ、やるぞと言いながら、今日も結局できなかった。彼 らの自信のなさの表れ。我々の勝利だ」と話した>とある。当時、反対派の人達は掘削作業用の海上櫓によじ登り、命がけで作業を阻止した。
 2012年9月に初めて辺野古を訪れた時、前日にテント村が台風に直撃されていたが、のんびりした空気が流れ、冷たい水をご馳走になった。2014年の夏までは、反対運動も落ち着いて辺野古の海岸は静かだった。
 記事に出てくる嘉陽のオジーこと、嘉陽宗義さんは辺野古新基地建設反対を訴え続けて昨年の11月3日、94歳で亡くなられた。

「デモなんかやっても、何も変わらない」と思うなら、自分が考える効果的な方法を実践すればよい。デモをくさす行為には何の意味もない。

↓カヌー隊のパレード。→嘉陽宗義さん。
辺野古02
辺野古01
 写真は、2014年4月19日に行なわれた辺野古の海上ボーリング調査阻止の座り込み10周年を記念した集会で挨拶する嘉陽宗義さんと、カヌー隊の海上パ レード。前年に、仲井眞前沖縄県知事が選挙公約を反故にして、辺野古の埋め立てを容認したが、この時点ではまだ辺野古の海岸は静かで落ち着いていた。
 今日、「そもそも」の語意について「首相が自ら辞書を引いて意味を調べたものではない」と閣議決定された。ホントに、この国の出来事だろうか(笑)。凄い勢いでバカが加速している。
クラスター爆弾製造・・・日本が投資1位
クラスター爆弾の製造企業へ投融資 金融機関を発表
 政治も酷いが、企業のモラムも酷い。  
何かおかしいとは感じるが、それらは全て民主党政権時に始まったことで、現政権は軌道修正しようとしていると信じ込んでいるらしい。記憶を書き換えているのか、事実にはあまり関心が無いのか、この国の報道の成果か?
 ネットで拾ったこのつぶやき、ストンと腑に落ちる。

5月23日(火)

 今日は風もあってわりと過ごし易かったが、土・日・月曜日は真夏日や夏日となり暑かった。昨日から扇風機を出している。
 土曜日は売比河鵜飼祭を、日曜日は大門の凧まつりと氣多神社の慶賀祭を見て来た。こちらも後々UPしていきます。

 今日の北日本新聞に<芦峅寺の閻魔様は鎌倉期作  県文化財「木造坐像」>という記事が掲載されていた。
 記事によると立山町芦峅寺の閻魔堂に安置されている木造閻魔王坐像(閻魔様)は、今まで南北朝時代(1336〜1392年)の作とされていたが、立山博物館の学芸員らの調査でもっと古い鎌倉時代(1185〜1333年)に作られたものである可能性が高くなったそうだ。

 この閻魔様は、今年の3月に立山信仰の伝統行事「おんば様のお召し替え」を撮影しに閻魔堂へ伺った時に、一緒に撮らせていただいている。
 行事は、閻魔堂に祀られている豊穣の神であり、女性を成仏に導き守ってくれる「おんば様」と呼ばれているうば尊の装束を、一年に一度芦峅寺の女性たちが感謝を込めて新しいものとお取り替えするというもの。
 興味深いのは、女性たちが閻魔堂で作った新しい装束を近くの雄山神社の境内にある開山堂まで運び、宮司からお祓いを受けた後、再び閻魔堂に行きおんば様のお召替えをする。このお召し替えが終わると、今度は閻魔堂の中で富山市梅沢町にある円隆寺の住職による読経が行われる。
 一つの行事の中に神職による祝詞と、僧侶による読経が存在している。神仏習合時代の名残り、痕跡のようなものが伺える。

 富山の祭祀の中で、このような神仏習合の名残りが見られるものは他に、「小川寺の獅子舞」で知られる白山社の春秋の祭礼や、ごんごん祭りで知られる上日寺の縁日などがある。
 白山社の祭礼では、神輿が行道獅子や天狗、ばば面、あねま面、楽人を伴って隣接する千光寺観音堂の境内を巡行し神事と仏事を一緒に行う。
 ごんごん祭りで知られる4月18日の氷見市・上日寺の縁日は、近くにある日吉神社の春季例大祭の日でもあり、この例祭には上日寺の僧侶が参詣して拝殿で読経し、玉串を奉奠する。神仏習合の時代、日吉神社は上日寺の境内にあったそうだ。

 さて、立山信仰の行事で女人救済の儀式と言われる芦峅寺の布橋灌頂会。明治の廃仏毀釈で中断された行事だが、1996年に復活し、2011年から3年毎に行われるようになった。今年はその年で、9月24日に開催される。

芦峅寺の閻魔様
中央が木造閻魔王坐像。右下の白装束を着た像が、おんば様と呼ばれる「うば尊」。うば尊はもともと「うば堂」に祀られていたが、廃仏毀釈でお堂が壊されたため現在は閻魔堂に6体、立山博物館に9体安置されている。
おんば様のお召し替え
上段左:閻魔堂で、新しい白装束を縫う芦峅寺の女性たち。
上段右:装束を縫う際、この世に留まることのないように糸の継ぎ足しはせず、糸の最後は結ばない。
中段左:縫い終えた装束を持って、ふれ太鼓を先頭に雄山神社の境内にある開山堂へ向かう。
中段右:開山堂で、宮司さんからお祓いを受ける。
下段左:真新しい装束に着替える、おんば様。
下段右:お召し替えの後、円隆寺の住職が読経を行う。

菅官房長官、国連特別報告者を「個人」呼ばわり、「質問」に抗議
共謀罪に警鐘を鳴らした国連報告者、書簡の中身が判明!翻訳文を公開!「国連が法案改善も」
「共謀罪」書簡の国連特別報告者 日本政府の抗議に反論 
  現在審議されている共謀罪の新設理由の一つに、国連が2000年に採択した国際組織犯罪防止条約を批准するためというものがあったはずだが、その国連の特別報告者から日本政府に、共謀罪によるプライバシーの侵害や規制の激化を懸念する書簡が送られた。
 送られた書簡には、この共謀罪に関する疑念が丁寧に書かれており、それは国民が感じている不安や疑問ともおおよそ一致するし、書簡はその疑念に対する日本政府の回答を求めている。
 ところが菅官房長官は「国際連合人権高等弁務官事務所」のレターヘッドに書かれたものであるにも関わらず、<「特別報告者」という立場ですけども、個人の資格で人権状況の調査報告を行う立場であって、国連の立場を繁栄するものではない」と話し、質問に回答するどころか「外務省が強く抗議を行った」と述べている。
 この政権の国際感覚は、どうなっているんだろうか?
 今日、衆議院を通過したが参議院はこれからだ。国民にも説明できず国連にも説明できないものを、通させてよいわけがない。

 日本時間の今朝6時35分、イギリス・マンチェスターの屋外競技上で開催されていた米歌手アリアナ・グランデさんの公演終了後に爆発が起きた。死者22人、負傷者59人にのぼり、自爆テロと見られる。夜になってISが犯行声明を出した

5月21日(日)

 庄川の河川敷で行われる、越中だいもん凧まつり。名前だけは知っていたが、今年で39回目だそうだ。昼から伏木にある氣多神社の慶賀祭を見るので、午前中に少し行ってみた。
凧祭り01

 あいの風とやま鉄道で、8時40分に最寄り駅となる越中大門に。駅から歩いて20分ほどで会場のカイトパークに到着する。
 すでにイベントは始まっており、9時からは児童クラブ等による連凧揚げ競技が行われていた。
 青空に、幾筋もの長い連凧が風に踊っていた。
 
←駅から会場へ向かう途中。赤い大門大橋の向こう側で開催されている。

 会場は枇杷首神社の前辺りの河川敷で、競技場のまわりは露店と出場団体のテントで囲まれている。見物客というより出場者の数がとっても多いイベントだ。会場に着いて、越中大門駅と会場を結ぶシャトルバスが出ているのを知った。越中大門を11時1分に発車する電車で伏木の方へ行かなくてはいけないので、シャトルバスの時刻表を見ると会場10時20分発、駅に10時30分着の便があった。

プログラムから
8:00〜受付 8:20〜オープニングステージ 8:30〜開会式 9:00〜親子連凧揚げ(児童クラブ等による連凧揚げ競技) 10:00〜全国有名凧揚げ(全国凧愛好者による競技) 11:00〜自由参加凧揚げ(小学生、一般参加による自由凧揚げ) 11:45〜午前の部 表彰式 12:15〜コマーシャル凧揚げ(企業・各種団体による凧揚げ) 13:30〜地元自治会大凧揚げ(第1グループ) 14:20〜地元自治会大凧揚げ(第2グループ) 15:20〜表彰式、閉会式
凧まつり02
凧まつり03
 10時から始まった全国有名凧揚げを少し見て、バスで駅に向かう。下の写真は凧愛好家の方が作られた自転車の形の凧。空を漕いでいるように見えた。飛ぶもんだな〜と感心する。
凧まつり04
*北日本新聞の記事、富山新聞の記事
 越中大門を11時1分発の電車で高岡へ行き、氷見線に乗り換え。氣多神社の最寄り駅である越中国分駅に11時27分に到着。この駅で降りるのは2度目かな?高校の通学は氷見線も使っていたが、高岡の隣りの中川駅で降りていたので、そこから先へはあまり行ったことがなかった。
 線路の先が海へと続く光景と、可愛らしいホーム。昨年初めて降りた時は、芝桜が綺麗に咲いていた。
越中国分駅
↑越中国分駅。
 越中国分駅から氣多神社までは15分ほどだろうか。途中に立て看板があり、神事11時、稚児行列午後1時と書いてあった。
 今日の慶賀祭は氣多神社の本殿、拝殿、境内の40年ぶりとなる改修が終了した記念に行われ、稚児行列の他、やらやら、獅子舞の奉納が行われる。氣多神社への上がり口まで行くと、稚児行列に参加するお稚児さんと父兄の方がバスで集合し始めるところだった。
慶賀祭01
 境内に入り拝殿の方へ行くと、巫女さんがお稚児さんが奉奠する玉串の用意をされていた。宮司さんが近くにいらしたので、少し改修工事のことを伺うと、本殿と拝殿の屋根の葺き替えや、参道の改修をされたとのこと。国の重要文化財となっている本殿の屋根にはサワラの木が使われており、その薄い木片が細かく並べてあり美しい。家に帰って調べると、こけら葺きと呼ばれるものだった。
←拝殿。奥に本殿の屋根が見える。
慶賀祭02
慶賀祭03
↑サワラを使った、こけら葺きの本殿の屋根。改修作業は昨年に終わっていたようだ。
 12時半頃になると、神社へ上がる階段にお稚児さんと父兄の方々が列を作って並んでいた。
 13時になり、階段の上の鳥居の横に神職が立ち、お祓いをし、お稚児さんが境内に入って行く。先頭は役稚児で、男の子は烏帽子を被り、女の子は背中に羽を付けて加茂神社の稚児舞「胡蝶の舞」のような出で立ちだ。
 境内に入ってから神職に先導されて、役稚児、楽人、稚児が続く。
↓羽を付けた役稚児の女児。→鳥居の下でお祓いを受けて、稚児行列が境内に入る。
慶賀祭05
慶賀祭04
慶賀祭06

 拝殿の前で一人一人玉串を奉奠すると、拝殿の横から本殿のまわりを一周して出てくる。そして記念の品をいただいて儀式は終了する。

 稚児行列の間も笛や太鼓の音が聞こえていたので探しに行くと、アゲモンを担いだやらやらの行列と獅子方が神社に上がる階段の下まで来ていた。アゲモンは子供が1基、女性が1基、大人の男性が3基で、神社から少し離れた公民館から、「どっこいどっこいどっこい、あーどっこいどっこい」と声を掛けながら3歩進んで2歩下がりしてここまで進んで来たようだ。

慶賀祭07
↑左は、珍しい女性によるやらやら。右は、鳥居を潜り境内に入るやらやら。

 5基のアゲモンが境内に入ったが、直ぐには奉納せず境内で待機し、先に獅子舞の奉納。奉賛会会長が奉納品の目録を読み上げた後、一宮自治会と館ヶ丘自治会の獅子舞が披露された。

↓待機するやらやら行列。→奉納品を読み上げる奉賛会会長。
慶賀祭09
慶賀祭08
慶賀祭10
慶賀祭11
 獅子舞の後、ようやくやらやら。子供、女性、大人の男性のアゲモンが順に拝殿に奉納される。子供と女性のアゲモンはそのまま拝殿に納められたが、男性のアゲモン3基は奉納する直前に獅子方が飛びかかって担ぎ棒を折って壊してから奉納された。
慶賀祭12
慶賀祭13
 アゲモンの奉納が終わると、今度は拝殿前に設営された紅白の幕で飾った舞台からの餅投げ。これで慶賀祭の行事は終了。
  時刻は14時45分頃で、14時37分の高岡行きの氷見線は出ている。次は16時20分までない。
 最寄り駅は越中国分だが、せっかく時間がたっぷりあるので伏木駅まで歩くことにした。参道の入り口に居たお巡りさんに道順を聞くと、丁寧に地図を書いて下さった。
 さすがにお巡りさんの地図は分かり易く、迷うことなく歩けた。伏木駅に着く手前に勝興寺があったので、拝観して行く。
 本堂の他、12棟の建造物が国の重要文化財に指定されている勝興寺は、平成10年から「平成の大修理」が行われており、受付で工事協力金として大人300円を支払う。本堂と唐門は修理が終わっているが、大広間や書院、鼓堂、経堂など修理中やこれから修理が始まる建物も多く工事は平成32年まで続くようだ。
 勝興寺のホームページには<この境内地は、奈良時代の越中国庁の所在地であり、国守として万葉の代表的歌人大伴家持が5年間(746~751年)この地に赴任し、越中の自然と風土を詠んだ、多くの秀歌が万葉集に収載されております>と記されており、近くには大伴家持の像が立っていた。
 修理が完成し真新しく見える唐門から境内へ。「天から降った石」と書かれた石があり、叩くと空洞のような響きがする。この石の他、「実ならずの銀杏」「水の枯れない池」「屋根を支える猿」「魔除けの柱」「雲竜の硯」「三葉の松」が、勝興寺の七不思議だそうだ。
大伴家持像
勝興寺01
↑唐門(左)と、天から降った石(右)。
勝興寺02
勝興寺03
↑本堂。↓左は、本堂から見た「実ならずの銀杏」の木と唐門。右は、これから修理すると思われる経堂。
勝興寺04
 本堂の中も見たので帰ろうと思っていると、受付の年配の女性が境内に。そろそろ閉館の時間だというのを、知らせにいらしたようだ。柱の猿を見たかと聞かれたので、「いいえ」と答えると案内して下さった。本堂の四隅に立つ柱に、猿の彫刻が隠れキャラのように置かれている。
 本堂の右後ろは工事用の柵がしてあるが、最近修理が完成したので撮影しなさいと言われてシャッターを押す。御内仏という建物だろうか。屋根を見ると薄い木片が並べられており、氣多神社の本殿と同じこけら葺きのようだ。
勝興寺05
↑中央に柱を支える猿がいる(左)。こけら葺きの御内仏?と思われる建物(右)?
 2014年に修復工事が完了したという唐門の屋根も特徴があるので、家に帰って検索するとヒノキの皮を使った檜皮葺(ひわだぶき)といわれるものだった。
勝興寺06
勝興寺07
伏木気象資料館
 勝興寺から伏木駅へ向かう途中、伏木気象資料館があった。中に入れるようだったが、電車の時間があったので外観だけ写真を撮って駅へと歩く。
冷やしきつねチャンポン
 やって来た氷見線に乗車して、高岡駅へ。あいの風とやま鉄道に乗り換えだが、時間に余裕があったので改札を出て駅ビルの中に入っている今庄で冷やしきつねチャンポンを食べる。七味をかけてしまったが、冷やしにはやっぱりワサビだな。
*北日本新聞の記事

5月20日(土)

 富山県の東部、婦中の鵜坂という町で売比河鵜飼祭(めひかわうかいさい)というイベントがあるので、見に行く。
 万葉の歌人で知られ、奈良時代の越中国守だった大伴家持が巡察した際に売比河(神通川の古い名前)に立ち寄り、そこで見た鵜飼の様子を詠んだ和歌「売比河の 早き瀬ごとに篝(かがり)さし、八十伴の男は 鵜川立ちけり」にちなんで催されるイベントで、今回で20回目を迎えるという。
 イベント開始は17時からと書いてあったので、あいの風とやま鉄道で富山駅に15時22分に到着。16時8分発のJR高山本線に乗り換えて、16時18分に婦中鵜坂駅に着いた。おかわ風の盆を見るのに高山線に乗車する時には通り過ぎている駅だが、全然印象がない。調べてみると、当初はJR高山本線活性化社会実験の一貫として2008年の3月15日に3年間の期間限定で設置された駅だが、一定の利用者数があったためか2014年3月15日に常設駅になったようだ。仮設だったためかホームしかなく、駅舎も券売機もトイレもない。
 駅を出た先にイベントの関係者が道案内をされていたので、大伴家持が鵜飼を見たのはどの辺りか尋ねてみると、鵜坂神社の前に神通川が流れており、その辺りだという。鵜坂神社には歌碑もあるという。せっかくなら川も歌碑も見たいと思ったが、歩くと片道30分ほどかかると言われたので諦めた。
 会場は富山イノベーションパーク横にある田島川の川岸で、駅から5分ほどだった。イベントのために川を少し堰き止めているようだった。
鵜飼祭01
 17時になってイベントがスタート。オープニングは地元の鵜坂小学校の6年生による「さんさい踊り」。さんさい踊りは富山市梅沢町の円隆寺で毎年7月14日、15日の祇園会に子供や女性たちによって踊られる盆踊り。
 歌詞の中に「おどるまいか 見まいか おどるまいか 見まいか 島の徳べえの 嫁見まいか」とあり、この唄われている”徳べえ”こと岡崎徳兵衛の屋敷が、この地にあったようだ。
 さんさい踊りに続いて開会セレモニーが行われ、来賓の挨拶の他、売比川鵜飼祭20周年を記念して製作された鵜坂小学校のマスコットキャラクター「うーちゃん」「かいくん」が紹介された。
↓→開会セレモニー。実行委員長の挨拶と、鵜坂小のマスコットキャラクターの紹介。
鵜飼祭03
鵜飼祭02

プログラムから
17:00/オープニング さんさい踊り 17:10/開会セレモニー 17:35/キッズダンス 17:45/津軽三味線 18:45/パフォーマンスステージ 19:05/バンド演奏 19:35/浦安の舞 19:45/越中古さんさい踊り 19:50/鵜飼太鼓 鵜飼実演 20:30/フィナーレ舞台花火 20:45/終演

鵜飼祭04
 下段右の越中古さんさい踊りは、さんさい踊りの原型という説明があった。
 メインイベントの鵜飼は、堰き止めた川の端から端を3往復ほどして実演。篝火を下げた舟に乗って行う川舟漁と、歩きながら行う徒歩(かち)漁を披露した。会場で木曽川うかいのパンフレットが配られており、鵜匠は木曽川からいらしているようだ。
鵜飼祭05
鵜飼祭06
 鵜飼の実演が終わったのは20時40分くらいだった。会場にフィナーレの花火が上がったので、駅へと急ぐ。富山行きの電車は20時49分で、これを逃すと21時33分までない。駅舎のない婦中鵜坂駅のホームには、電車を待つ人が10人ほどいただろうか。
 調べておいた乗り継ぎでは婦中鵜坂駅20時49分発で21時1分に富山駅に着いても、あいの風とやま鉄道の金沢方面行きは22時2分発となっていたが、富山駅に着くと21時45分の金沢行きがあった。家に着いたのは22時20分頃だろうか。

*北日本新聞の記事
*さんさい踊りについては、とやまデジタル映像ライブラリー 円隆寺さんさい踊り”仏の徳兵衛”こと岡崎徳兵衛家島の徳兵衛のものがたり

5月19日(金)

今日の風景01
今日の風景02
 久しぶりに夕焼けを撮ろうと、午後から自転車で小矢部川の堤防へ。快晴だったわりに、空はあまり綺麗には焼けなかった。

 今日、テロ等準備罪を新設する組織犯罪処罰法案が衆院法務委員会で可決されたが、この共謀罪についてどれだけの人が理解できたのだろうか?

 金田法務大臣の国会答弁が粗雑で無茶苦茶なのは本人の能力の問題もあるが、そもそも「テロ等準備罪」が矛盾に満ちたものだからだろう。
 山尾しおり議員の、金田法務大臣への不信任演説。40分程と少し長いので、お時間のある時にどうぞ。
山尾しおり 金田・法務大臣の不信任【全43分】 5/18 衆院・本会議

 ところで、山尾しおり議員、辻元清美議員、福島瑞穂議員などをちゃかしたコメントや記事が時々SNSに流れているが、好き嫌いは別にしても彼女らの答弁は理路整然として的を射ていることが多い。彼女らに追及されている側の支離滅裂な答弁を非難せず、彼女たちをバッシングするその心根が分からない。

 しばらく前にネットを賑わしていた安倍総理の「でんでん」発言。「云々」を「でんでん」と読むことはそれほど非難することでは無いと思っている。自分自身が、漢字の読み間違いや思い込みはたくさんしてきた。「端唄」を「はしうた」、「散居村」を「さんいそん」と読んだこともある。未だに気づかずに間違った読み方をしている漢字もたくさんあるだろう、ただ「云々」が問題なのは、野党に対する答弁も官僚にまかせていたという総理の姿勢だろう。で、あげくの果てには「でんでん」と読んでしまった。
 で、官僚が答弁を用意しなかった安倍首相の発言がどうなるのか。一昨年の辻元議員とのやりとりを映画監督の鎌仲ひとみさんのマネージャー、小原美由紀さんが書き起こされているので、掲載しておきます。
 何度読んでも、安倍首相が何を言いたいのかわからない。金田法務大臣の答弁も酷いが、安倍首相の答弁も輪をかけて酷い。以前にも掲載したが、今一度。

◆安倍首相
「いま、辻元議員の述べていらっしゃることはですね、PKOについて
(辻元「イラクです、もし、よろしければ、(本を)どうぞ」)
あ、あの、あ、イラクですね。イラクのオランダ軍につきましてはです
ね、武力行使をしているところの 後方支援活動ではない、ということ
ですから、
そ、それは、ま、まさに、いわばPKO活動ではございませんが、いわば、
えー、人道、人道復興支援の活動になるわけでございます。
いわば、人道復興支援という文脈においてですね。
いわば、駆けつけ警護的な、そこではちょっと
弱冠正確性にはかけますが、
(辻元、本をどうぞ、と差し出す)
いや、それは結構ですが、
PKOにおける、いわばPKOにおける駆けつけ警護のことも念頭に置きながら、それを述べたわけでございますが、
PKOについても駆けつけ警護等は可能になるわけでございますから
その点は相当改善されたと、いうことにあるわけでございます。
先ほど私が答弁しましたのは
まさに、これは後方支援でありますので 後方で支援をする。戦闘現場
になるかならないかということで、文脈で申し上げている通りです。
いずれにいたしましても、いま私は総理大臣として
この新たな法制について申し上げているわけですから
今までのたてつけのなかとは変わり、新たな仮説の中で私が申し上げて
いることは、その申しあげている通りでございます。

 シュールな落語のような会話だ。こんな粗雑な答弁で国の大切な事項が決定されて行く。自民党支持者は、不安ではないのだろうか?
 書き起こしの全文は、こちらにある。

 昨年の11月19日に撮影した、澗建のえびす様渡しの様子をPhoto Albumにしました。こちら
えびす様渡し
↑一年預かった頭屋から次の一年預かる澗建の頭屋へと、厨子に入れられたえびす神像が運ばれる。

5月16日(火)

 今朝、Facebookを見たら伏木の曳山祭りと放生津(新湊)の獅子舞の画像・映像にずいぶんと占拠されていた(笑)。
 昨日、7年ぶりに放生津の獅子舞を見に行こかとも思っていたが、4月からアチコチ出かけた疲れが取れなくて、結局家のパソコンの前で作業していた。六渡寺は春と秋に獅子舞があるようだが、放生津は春だけだろうか?
 下の写真は、7年前の放生津の獅子舞。カラフルな花笠を被り、背中に色とりどりの紙垂(シデ)を付けたキリコが新鮮だった。この子達も、もう中学生か高校生くらいだろうか。

↓→カラフルな花笠を被り、獅子をあやすキリコ。
放生津の獅子舞02
放生津の獅子舞01
放生津の獅子舞03

 昨日の5月15日は、沖縄の本土復帰45年目にあたる日だった。Facebookにワタブーショーの映像でもUPしようとYou Tubeを探したら、照屋林助さんと前川守康さんの音源を使って民謡歌手の平良大さん、前川守賢さんによる「再現ワタブーショー」という映像が見つかった。昨年の8月に公開されているので、近年のものだろう。

 照屋林助さんと一緒に伝説のワタブーショーをやっていた、漫談家の前川守康さんが亡くなられたのは2013年の7月28日だった。守康さんの漫談を生で聴くことは一度も出来なかったが、代わりにご子息で「遊び庭」や「かなさんどー」などのヒット曲を持つ民謡歌手の前川守賢さんのステージは沖縄滞在中にたくさん見ることが出来た。

前川守賢さん
↑は2013年11月に開催された、那覇・栄町市場の市場屋台祭りの締めとなる感謝祭でのステージ。翌年、宜野湾市のカフェで「みんなでどんとをうたおう!」というイベントがあって、そこに前川守賢さんがゲストで出演すると書いてあったので、この写真を守賢さんに届けに行った。「いい瞬間撮りますね〜」と、気に入ってもらえたようだった。

 ところで、沖縄の慰霊の日に追悼式が行われる糸満市の平和祈念公園には資料館がある。その中に戦後の沖縄の暮らしを再現したコーナーがあり、そこにワタブーショーのポスターが貼ってあった。貼ってあった場所は外観が再現されたアーニー・パイル国際劇場。このポスターが当時の物なのか、復刻した物かは分からないが、ボクが思っていた以上に照屋林助さんのワタブーショーは当時人気があったようだ。ポスターには”照屋林助ワタブーの実演、ワタブーショウ”と書かれている。
 ちなみにアーニー・パイルは、沖縄の地上戦で亡くなったアメリカの従軍記者。現在のてんぷす那覇の付近に、アーニーパイル国際劇場という映画館があったらしい。当時は何もなかったこの通りに劇場が出来た事で、現在の国際通りという名前が付いたそうだ。

ワタブーショーのポスター
 「再現ワタブーショー」と映画『ウンタマギルー』の中のワタブーショーの映像。敗戦後のアメリカ世の沖縄で、笑いを忘れずに暮らした人々の記録。でも、なにより意味は分からないが陽気な呪文のようなウチナーグチ(沖縄方言)が心地よいし面白い。

 救急搬送の要請を受けて出動した自衛隊の飛行機が昨日から消息を絶っていたが、今日、山の斜面に激突した飛行機の残骸と乗員4名の遺体が発見された。
 このニュースを聞いて、真っ先に思い浮かんだのが奄美大島の名瀬にある蘭館山(らんかんやま)の「くれないの塔」だった。
 市街地の直ぐ裏手にある蘭館山の入り口には2つの案内板が立っている。一つは、かつてこの辺りに白糖工場があったというもの。もう一つは、山の上の方に建てられている、「くれないの塔」の由来について。

昭和三十七年九月三日午後四時五十五分、一婦人の生命を救うべく急患用血液を輸送してきた海上自衛隊鹿屋第一航空群のP2V機が、突如この地に接触し大破炎上するという、一大惨事が発生いたしこの事故で十二人の搭乗員と一人の市民が尊い犠牲者となりました。
善意に充ちた愛の飛行が不測の災難と変り人の世の運命とはいえ誠にいたましい限りです。
この美しい人道的行為を永遠に讃え、異郷の地に果てた十二柱の隊員と一柱の市民の霊を慰めるために、全国の心ある人々の愛情と良識を寄せてこのゆかりの地に記念塔を建立し此れをくれないの塔と名づけました。
現在、奄美市が毎年9月3日を献血の日と定めた由来である。

 くれないの塔の近くには、飛行機の車輪と思われるタイヤのモニュメントが置かれている。今回自衛隊機が墜落した現場にも、何か慰霊のモニュメントが建立されるのだろうか。
くれないの塔で慰霊式

くれないの塔
タイヤ
↑くれないの塔。↓蘭館山からの風景。→タイヤのモニュメント。
蘭館山からの風景

 雑誌で美容法や健康法の撮影を沢山していた時期がある。その雑誌の特集記事が、何年か経って書籍やムック本になることもよくある。
 7年半ほど前に出版社のスタジオで撮影した「足もみ」の写真が『足をもむと病気が治る!』というムックに使われ、発売日の昨日送られて来た。「足もみ」の特集は3回ほど撮影していて、先の丸い棒で足の裏のツボを自分でグイグイと押してやる。
 撮影の時に先生からもらったツボ押し用の棒が机の上に転がっていて、時々目についた時にグイグイ押している。

5月13日(土)

 ようやく日記が追いついた(笑)。
 今日は雨のち曇り。外に出る用事のない日は、もっと雨が降ってくれててもいいかな。昨日は最高気温が25℃以上ある夏日で、トタン屋根の下の2階の部屋はムンムンだった。

3年前の那覇の空

 写真は3年前の5月11日、那覇の空。国道58号沿いにあるビルに借りていた、8階の部屋からの眺め。ベランダは海側ではなく市街地向きに付いていたので、毎日住宅の超密集具合を見ながら過ごしていた。西日に当たってオレンジ色に輝くビルと、梅雨らしい上空の雲。なんだかドラチックな空模様を不思議な気分で眺めていた。
 写真の左側、高いビルとビルの間に塔が見える。新都心にあるNHKで、お昼のニュースだったか天気予報の時間に、この塔に取り付けられたカメラから那覇の街が映し出された。時々住んでいたビルが小さく写ることもあったので、何回かベランダに出て手を振ってみたことがある(笑)。
 今日、沖縄と奄美が梅雨入りした。

 Facebookに、ローマ法王が今日、ポルトガルの聖地ファティマを訪問したという動画が流れてきた。ネットで調べると、5月13日は聖母マリアがファティマに最初に現われた日だった。
 バジリカ(大聖堂)がこんなに大きかったっけ、そしてバジリカの前の広場がこんなに広かったっけ?と、その動画を見て、昔、旅をした時のことを思い出した。

 1986年にスペイン・ポルトガルを4ヶ月近く旅した時に、海辺の町ナザレから日帰りでファティマに行った。いくつかの町を通り、途中バルで休憩もしながらのバス移動で、片道300エスクード(300円ほど)だった。
 3つの礼拝堂を備えたバジリカの前の広場を塔に向かって膝を着いて歩く膝行をしている人の姿と、町中に沢山お土産屋さんがあったのを覚えている。
 お土産に絵葉書を3枚買った。一枚は聖母マリアの予言を聞いた羊飼いの子供が写った絵葉書だった。

ファティマのバジリカ
ファティマのバジリカ。1986年6月15日に撮影。
安倍首相 「そもそも」用法、政府が答弁書で正当化 
政府答弁書「そもそも」は基本的に 文法的にどだい無理 
 共謀罪を巡る答弁で首相の発した「そもそも」には「基本的に」という意味があるというトンデモ発言を正当化するため、政府が「そもそも」→「土台」→「基本的に」という訳のわからない論法を閣議決定した。この内閣、国語まで壊すのか。 
 毎日新聞・校閲グループが、今回の事についてブログで異論を唱えている。文筆家、編集者、国語の先生、言葉に関わる人達はこの閣議決定に対して抗議するべきだろう。

5月11日(木)

 連日部屋に籠もり、撮影した写真を見て思い出しながら日記を更新している。

 福島の山林火災はようやく鎮火したけれど、<浪江・十万山の山林火災 放射性セシウム、3〜9倍に上昇>という記事が昨日出ていた。この記事の中で県放射線監視室が「 強風により、測定地点の周辺の土ぼこりや焼却灰の舞い上がりの影響も否定できない」とコメントしている。火災じゃなくて強風が吹いても放射性セシウムが上昇するということなら、余計に問題では?墓穴を掘っているとしか思えない回答だ。あらためて山側の除染を行わない福島の除染作業とは何だろうと思う。
 <除染事業で業者が費用不正請求か>。こんな記事もある。

 沖縄県立図書館に献本した後も、自分の本の貸し出し状況が気になって時々チェックしている。わりと興味を持ってもらえるのか、1〜2冊貸し出し中になっていることも多いのだが、現在【1】〜【7】まで7冊全部が貸し出し中!作って良かった。

5月6日(土)

 今日は朝から時おり激しい雨が降っていたが、昨日、一昨日は初夏のような日差しだった。また3日続けて祭りを撮影していて、顔がいい色に日焼けした。お祭り焼けだな(笑)。
 3日は福野の曳山祭り、4日は滑川市赤浜地区に伝わる伝統行事のショーブツ、5日は氷見市宇波のコウラウラの祭りだった。下の写真はコウラウラの祭りの様子。奉納された5色の幟がはためく道を、子供たちが4基のアゲモンを担いで厄神社へと歩いているところ。詳細は、後々UPしていきます。

コウラウラの祭り

5月5日(金)

 氷見市宇波地区に伝わるコウラウラの祭りを見に行く。薬(厄)神社の祭礼で、コウラウラとは神社のある宇波村字高良浦という地名に由来するようだ。子供たちがアゲモンを担いで奉納することから、アゲモン祭りとも呼ばれている。
 正式には厄神祭と言い、江戸時代に疫病が流行った際に神様を祀って鎮まったことを感謝する祭りで無病息災を祈って行われる。その発祥について氷見市立博物館製作の『氷見の祭りと年中行事』には、こう書かれている。
安政2年(1855)、当地域を襲った疫病鎮静を祈願して、翌安政3年に「厄除けの神」として勧請という。文久3年(1836)に拝殿建立され、毎年5月5日を定祭日と定めた
 また、厄神祭の後に数え年で25歳の男性と19歳の女性が出席して厄年の祓いが行われる。
 5月5日という日にちは分かっているが、何時から始まるか確認するため前日に宇波公民館に電話すると、13時に宇波の公民館からアゲモンの巡行が始まるということだった。

 宇波へは高岡から脇行きの路線バスに乗る。10時48分着と12時20分着があり、13時スタートなら12時20分着でも充分間に合うのだが、何があるかわからないので10時48分着にする。高岡駅前4番乗り場で10時丁度の脇行きに乗車。50分ほど乗って料金は430円。距離のわりに安いので利用者の多い路線なのだろうか。
  海岸沿いにあるバス停を降りて、集落の中に入るとやがて公民館があった。4基のアゲモンが建物の横に置かれ、公民館の前の川には鯉のぼりが泳いでいた。

コウラウラの祭り01
 公民館の前の川沿いの道に5色の幟が立っている。これまでに厄年を迎えた男女と、薬神社に祈願して病気が治癒した人が奉納した幟だ。
 幟のたなびく道を進むと、薬神社があった。階段を上って境内に入って写真を撮っていると、女性が3人上がって来た。お婆さん、娘さん、お孫さんで三世代が揃って参拝にいらしたそうだ。お婆さんが宇波出身で、この薬神社のご利益を熱く語っていた。
↓奉納された幟がたなびく道。→薬神社の入り口。
コウラウラの祭り03
コウラウラの祭り02
 アゲモンの巡行は公民館から集落の産土社(産土神、その土地の守護神)である宇波神社、そして薬神社へと向かうそうだ。まだ始まりまで時間があるので、今度は宇波神社へ行ってみる。
コウラウラの祭り04
↑宇波神社。公民館から海岸の方へ戻り、少し入ったところにあった。
コウラウラの祭り05
 12時半を過ぎて、法被を着た子供たちが少しずつ公民館に集まって来た。今日は20人ほどで4基のアゲモンを担ぐが、20年ほど前に作られた『氷見の祭りと年中行事』では6基のアゲモンが奉納されており、もっと子供が多かった戦前は2つの少年団から12基のアゲモンが奉納されたという。
 13時少し前に公民館の前で少年団による子供獅子の奉納があり、その後アゲモンの行列が宇波神社へと向かった。
コウラウラの祭り06
↑左は、公民館での獅子舞奉納。右は、公民館から宇波神社へ向かうアゲモンの行列。4基のアゲモンには、鯛、一斗桝、行灯、花笠が乗せられている。

コウラウラの祭り07

↑宇波神社での子供獅子舞の奉納。子供獅子舞というわりに、ずいぶん大きい人達ばかりだと思って聞いてみたら、本来は中学生の少年団による獅子舞だが現在は中学生が2人しかいないので青年団が手伝っているということだ。祭りはどこも少子高齢化の影響を受けている。
コウラウラの祭り08
コウラウラの祭り09
 宇波神社での獅子舞の奉納が終わると、今度は薬神社へ向かって行列が進む。4基のアゲモンの後に、太鼓台、獅子が続く。太鼓台に乗せられた小さなカセットテープからは「あげもんのうた」が流れている。本当は、このテープに合わせて子供たちも歌うはずが、曲が難しいからか子供たちの口からは♪屋根より高い こいのぼり♪と「こいのぼり」の唄が。
 薬神社に到着すると、参拝なのか見物なのか多くの人が集まっていた。
 先ずは子供獅子の奉納が行われ、続いて厄神祭の神事、そして獅子が拝殿に入り清め祓いを受ける。神事を執り行っているのは伊勢玉神社の鈴木宮司だった。
 3年ほど前に能登の方からいらしていた宮司さんが亡くなり、鈴木さんが引き継がれたそうだ。宇波に近い小堺の朝日神社も鈴木さんが引き継がれている。宇波の隣りにある脇方集落の今蔵神社も、鈴木さんが神事を執り行っているそうだ。
 疫神祭の神事の後は、アゲモンが奉納された。1基ずつ順番に拝殿に上げられるのだが、子供たちが上げようとすると「まだまだ〜」と声がかけられ後ろに下がる。奉納しようとまた前に出ると「まだまだ〜」と声がかかり、アゲモンを担いだ子供たちは行ったり来たりを何回か繰り返す。この辺りは、やらやらに少し似ているかもしれない。また、巡行の時は歌わなかった「あげもんのうた」を歌っていた。
コウラウラの祭り10

 アゲモンは順番に拝殿に奉納されるが、置いておく場所がないのでそのまま拝殿横に降ろされ、次のアゲモンを受け入れる。

コウラウラの祭り11
 昔は一度奉納したアゲモンは捨てていたそうだが、今は全ての神事が終わったら拝殿に仕舞って次の年も使用するそうだ。
  アゲモンの奉納が終わると、拝殿では厄年の男女のお祓いが行われる。今年は男性2人、女性4人が厄年だった。祓いの神事の横では神饌のお下がりの「お洗米」を、小分けして紙に包んでいる。お米を掬うのに榊の葉が使われる。小分けした「お洗米」は参列者に配られる。
↑厄年の祓い。↓→お洗米。
コウラウラの祭り13
コウラウラの祭り12

 厄年の祓いが終わったのは14時40分頃だろうか。この後、先程浄め祓いを受けて頭に紙垂を付けた獅子の舞が20分ほど演じられる。獅子舞の最中にアゲモンは拝殿に仕舞われ、後片付けが始まった。

コウラウラの祭り14
 片付けも済むと獅子は集落の中に戻り、3ヶ所ほど路上で舞って花(祝儀)を集め、最後に宇波神社で獅子舞の奉納を行って終わった。薬神社から公民館までの道に立っていた幟は、参列者が1本ずつ公民館まで持ち帰って既に撤去されていた。集落の人が多かった頃は、幟を立てるのは厄年の男女の仕事で、幟を片付けるのは厄年の女性の仕事だったそうだが、今はみんなで手分けして行う。
コウラウラの祭り15
 宇波神社での獅子舞奉納が終わったのが16時半頃。公民館の方へ戻ると、前の川を泳いでいた鯉のぼりも片付けが始まっていた。帰りのバスは18時2分、あと1時間半ほどある。
 宇波の人から明後日、5月7日に隣村の脇方でもお祭りがあり、アゲモンが行われると聞いたので脇方まで歩いてみる。
コウラウラの祭り16

 こちらの祭祀は集落に悪いものが入って来ないように祈願するものだという。神事が行われる今蔵神社へ行き、近くに住む方に祭りのことを伺うと13時に公民館に集まり、そこから村内を小さなお神輿と獅子が巡行し今蔵神社に入るそうだ。
  昔は4基のアゲモンがあったが、20年ほど前に小さなお神輿を手に入れてアゲモンの代わりに担いでいるそうだ。

 宇波がアゲモンで、こっち(脇方)はマネモンですと笑って話された。そう言えば、最近は祭りが行われなくなったが脇方の少し能登よりにある小堺集落でも、5月6日はえびす祭りが行われアゲモンが奉納されていた。
コウラウラの祭り17
↑宇波漁港。
 帰りは脇方のバス停から乗車する。脇方のバス停の前は宇波漁港で、脇方と宇波のバス停は200mほどしか離れていない。宇波バス停が18時2分で、脇方は18時1分だったか。このバスが高岡方面行きの最終なので待っている間は不安だが、ほぼ時刻通りにやって来た。
薬神社祭の唄(あげもんのうた)
一、
五月なー 五日はよー こうらうらのまつりー
やまいなー なおしのよー あらがみさまだあよー
二、
さいたなー さかづきよー なかみてあがれー
なかはなー つるかめよー やれごようのまつよー
三、
さくらなー 三月よー あやめは五月ー
ひとのなー こころはよー やれ二、三月よー
四、
めでたなー めでたのよー わかまつさまはよー
えだもなー さかえるよー やれはもーしげるよー
五、
たかいなー 山からよー たにそこみればー
うりやなー なすびのよー やれはなざかりよー
六、
山のなー あけびはよー なにみてひらくー
下のなあー まつたけよー やれみてひらくよー
七、
うめとなー さくらとよー りょうてでもてばー
どれがよー うめやらよー やれさくらやられよー
*北日本新聞の記事、富山新聞の記事

5月4日(木)

 滑川市赤浜地区に伝わる伝統行事で、五穀豊穣とモグラの退散を願って子供たちが菖蒲の葉に藁を巻いた棒で地面を叩き、家々をまわるショーブツというものがあるのを知って、前から一度見たいと思っていた。菖蒲を打つから、ショーブツらしい。
 先日、市の無形民俗文化財にもなっているので何時に何処に行けば見られるのか観光協会に問い合わせたが、地区の細かな行事まではわからないので滑川市立博物館に聞いてみることを薦められた。さっそく電話してみると、ショーブツは午後4時に赤浜公民館からスタートするとのこと。藁で棒を作る時間も尋ねると、こちらは朝の9時から公民館の前にある八幡社で行うと教えて下さった。棒を作るのと実際に棒を持って家をまわるまでの間隔が長いが、せっかくなら両方見たいと思って早起きして出かけて来た。
ショーブツ01
 前日に一日フリーきっぷを購入しておいたあいの風とやま鉄道で、滑川駅に8時40分到着。富山地方鉄道に乗り換えて中加積駅に8時57分に着いた。プリントして持って来た地図によれば、赤浜公民館まで駅から徒歩20分ほどだ。
  そう言えば前日の北日本新聞に<駅ノートで交流の輪 滑川・中加積駅 見知らぬ同士が心通わせ>という記事が載っていた。
↑↓→中加積駅の待合所とノート。富山地方鉄道は、レトロな駅が多い。
ショーブツ03
ショーブツ02
 八幡社に着くと、境内で子供とその父兄の方々が棒を作っている真っ最中だった。来るまでは拝殿の中で作るのかと思っていたが、境内にある杉の木を上手く利用して棒を作っている。
ショーブツ04
ショーブツ05
↑↓→神社でのショーブツの棒作り。
ショーブツ06
ショーブツ07

 さっそく公民館の館長さんに撮影の許可をいただいて、作り方を撮り始める。作り方自体はシンプルで藁束の中に菖蒲の葉を一枚入れて、杉の幹に片方を固定した縄で巻いて行くというものだ。この場合の菖蒲は、魔除けのようなものだろうか。
 『習俗 富山歳時記』には、こんな記述がある。
宵節句の四日に、軒端にショウブとよもぎとをさす風習は広く、軒につりさげると、虫がはいらないという。ショウブで鉢巻きをしたり、痛みどころのある者は、そこをショウブでなでたり、ショウブ湯にはいると治るといったりする。
〜略〜
ショウブは五月節句につきものだが、富山市、石動末友、氷見市池田、黒部市石田では、ショウブとカンゾを混ぜてわらで包み、長さ一寸五尺くらいにし、これを六尺余りの竹の先に取り付けたものを子どもたちが持ち歩いて、地面を打って遊んだ。
 
ショーブツは、端午の節句の行事でもあるようだ。出来あがった藁の棒を触らせてもらったが、力を込めて縄を巻いているのでスッコンコンでとても固い。頭に軽く当ててみたが、痛かった。

 10時頃に棒作りが終わった。子供たちにジュースが1本ずつ配られる。撮影していたボクとケーブルテレビの女性にも配られたので、ありがたくご馳走になる。
 子供たちが棒を持って家々の地面を叩きながら地区をまわるのは16時からで、6時間ほど間が空く。館長さんと話していたら、毎年8月13日にオショーライがあり、近くの上市川の河川敷で左義長のように様々なものを高く組んで燃やすという。今日作ったショーブツの棒も、その時に燃やされるようだ。先祖の霊(精霊)を迎える篝火だろう。富山県の東部にこのお盆行事のオショーライが多く見られるようで、2月におんば様のお召し替えで撮影に行った立山の芦峅寺でもオショーライがある。こちらは松明を振り回しながら「オショーライ オショーライ」と言って精霊を迎える。

ショーブツ08

 時間はたっぷりあるし、せっかくなのでオショーライの篝火を焚く河川敷を見に行き、しばらその周辺を散歩して神社に帰って来た。
  想像していた通り集落の中にはお店もないようなので、神社の縁側のような場所に腰を下ろし、持って来た文庫本を読んだり、ウトウトしながら過ごしていた。
  拝殿の前にたくさんの野菊の花。小さな女の子が摘んで、置いていったのだろうか。

ショーブツ09
 16時近くになり、午前中に作った藁の棒を持った子供が父兄と一緒に少しずつ神社に集まって来た。先ずは手分けして家々をまわれるように、3つの組に分けられた。そして境内で、地面を棒で叩く練習。小さい子供が楽しそうだ。
ショーブツ10
 神社の前で、それぞれの方角へ分かれて歩いて行く。新聞社もケーブルテレビの取材もつかなかった、女の子の多いグループを追って撮影することにした。
ショーブツ11
 赤浜地区はおよそ90世帯なので、各30世帯ほどまわることになる。玄関の前で「ショーブツ来ました」と子供が声をかけ、家の人が出て来たら、大人の合図で「ゴガツノショーブツ ゴガツノショーブツ」と声を出しながら藁の棒を地面に叩き付ける。3〜5回ほど地面を叩いたら終了で、家の人からお礼にお菓子の詰まった袋をもらう。これを繰り返して家々をまわる。いわゆる門付けのようなものだ。もらったお菓子が溜まると、公民館へ運ぶ。
 17時過ぎには地区をまわり終わった。最後に公民館の前に並んで、子供たち全員で「ゴガツノショーブツ」と声を出して地面を叩いた。
ショーブツ12
  昔は18時頃にスタートしたそうだが、日の暮れる前に帰れるよう早く始めるようになったという。公民館にはもらったお菓子が集められ、父兄が小分けしている。子供たち用の袋には番号が記され、くじ引きでどれが当たるか決まる。子供たちにお菓子の袋が行き渡ると、残りはお手伝いした父兄に。またまた最後までいたボクとケーブルテレビの女性にも一袋ずつ配られた。
ショーブツ13
↑たくさんのお菓子を前に、嬉しそうな子供たち。
ショーブツ14
ショーブツ15
 公民館の館長さんにお菓子のお礼を言って、駅へと歩く。帰りの電車は中加積駅を18時11分。少し余裕があるので、もらったお菓子を食べながら、風景を撮りながら歩く。
  富山の東部に来る度に、立山連峰が近いなと思う。
 中加積駅で乗車し、滑川駅であいの風とやま鉄道に乗り換え。家に着いたのは19時40分くらいだろうか。

←中加積駅のホームにて。
*北日本新聞の記事、富山新聞の記事

5月3日(水)

 今日は午前10時から、福野の曳山祭りが行われる。昨日と一昨日が福野の夜高祭りで、こちらの方が有名になり新聞やテレビにも取り上げられるのだが、どちらも福野神明社の春季例大祭で、夜高は前夜祭で曳山が本祭りになる。
 夜高は津幡や砺波、庄川など他にもあるが、これらは田に神を迎える田祭りの田楽行灯が進化し巨大化したものだろう。一方福野の夜高は、福野開町の際に伊勢神宮からの分霊を迎えるにあたり、行灯を手に手に持って出迎えたのが由来となっている。伊勢神宮の分霊を迎える行灯と田の神を迎える行灯。福野の夜高は神事のための、他は田祭りの行事のための行灯で、行われる時期も性質も少し違うように思う。

福野曳山祭り01
 家から一番近い城端線の駅、戸出駅まで自転車で行き、9時15分の電車に乗って9時35分に福野に到着。10時に北陸銀行のある四つ角に4基の曳山と1つの庵屋台が揃うというので歩いていくと、途中で四つ角に向かっている最中の新町の曳山と出会った。向かっている曳山を撮影しながら四つ角に到着すると、既に他の3基の曳山と庵屋台は到着していた。
  
←四つ角に向かう新町の曳山。
  4基の曳山が揃い、10時になったところで出発式が始まった。今年は曳山巡行が始まったとされる1818(文政元)年から200年目に当たる節目の年だそう。
福野曳山祭り02
福野曳山祭り03
↑四つ角に集合した4基の曳山と1つの庵屋台。
 式では福野曳山保存振興会の会長や来賓の方々の挨拶の後、福野庵唄保存会が1曲演奏。20分ほどで出発式は終わり、庵屋台を先頭に曳山が100mほど離れた福野神明社へと巡行する。
↓→福野神明社に向かう庵屋台と曳山。
福野曳山祭り05
福野曳山祭り04
 神明社の参道を通り鳥居の手前に庵屋台と4基の曳山が揃う。鳥居の下には祭壇が設けられており、神事が始まった。祝詞が奏上され、神職が曳山を1基ずつ修祓していく。各曳山の代表が玉串を奏上したあと、庵唄保存会による演奏があり、お神酒が配られて乾杯となった。
福野曳山祭り06
↑神明社の参道に集まる曳山。↓各町の曳山が順に神職から修祓を受ける。
福野曳山祭り07
↓→庵唄保存会による奉納演奏。
福野曳山祭り09
福野曳山祭り08

 神明社の鳥居の前での神事は30分ほどだったろうか。この後、曳山は町内に戻りそれぞれの町内を引き回される。各自の町内しか巡行しないので16時くらいには終わり、その後はそれぞれが直会を行うということだった。
 いくつかの曳山について撮影して歩こうと四つ角のところに行くが、先ずはどこもお昼の休憩をするようなので、また神明社に戻る。神明社の境内に入って社殿の写真を撮っているとトラックに5色の幕が張られ、神輿が乗せられている。12時半頃から神明社で神事があり、その後お神輿の巡行が行われるという。社務所の奥では獅子も準備をしている。曳山の撮影をやめて、お神輿について歩くことにする。

福野曳山祭り10
↑神明社と、5色の幕を張った2台のトラック。左の車には太鼓、右にはお神輿が乗っている。
↓12時半になり、神事が始まった。→お神輿の浄め祓い。
福野曳山祭り12
福野曳山祭り11
↓→本殿に祀られたご神体が、拝殿前につけられたトラックのお神輿に移される。
福野曳山祭り14
福野曳山祭り13
福野曳山祭り15
 お神輿を乗せたトラックが、拝殿の前につけられる。
 12時半頃になり、神事が始まった。神職が拝殿の前まで出て来て、お神輿の浄め祓いをする。そして本殿に祀られているご神体が、お神輿に移された。
 30分ほどで神事が終わり、お神輿の巡幸が始まった。幟を持った男性達の後に、獅子、神輿を乗せたトラックと続く。
 獅子は、形態的にはお神輿を先導する行道獅子だ。胴幕の中に人は入るが、獅子頭は手に抱えられて歩く。巡行中に何ヶ所か頭を振って舞のようなものを披露するが、舞獅子ではない。
福野曳山祭り16
↑↓→巡行に出発。お神輿の通る道には、塩で白線が引かれている。
福野曳山祭り18
福野曳山祭り17
↓→天狗も獅子取りも居ない行道獅子。
福野曳山祭り20
福野曳山祭り19

↓→お神輿を追いかけていると、巡行している曳山ともすれ違う。

福野曳山祭り22
福野曳山祭り21
福野曳山祭り23
 獅子方の人に話しを聞くと、獅子自体は神明社所有のもので、昨年までは浦町が毎年獅子の担当だったが、今年から各町内が輪番で行うことになったそうだ。
 2時間ほど獅子やお神輿について歩いたが、そろそろ足もくたびれたので帰ることにする。
 15時39分発の高岡方面行きの電車を待っていると、駅前をお神輿の行列が通り過ぎて行った。
 戸出駅で降りて自転車で家に帰る途中、チューリップ農園に寄って行く。今年は春祭りを見るのが忙しくて、あまりチューリップを撮影できなかった。
チューリップ01
↓→捨てられたばかりの花も、枯れて朽ちた花も、ともにフォトジェニック。
チューリップ03
チューリップ02
夜高
 火については、また先祖様がこの国土へ来臨する折の目印になった。天空から来臨する折下りやすい処は山頂であるが、お盆に山頂で火を焚く風習があった。
 一方田に迎えるものもあった。農村に夜高祭が多い。砺波地方の夜高はすでに知られているが射水平野では小杉町黒河に8月23日夜、村あげて大人も子供も夜高行事を楽しんでいる。更に夜高伝説としての岩見重大郎ヒヒ退治を子供達が演劇化している。
 夜高は夜高く火を掲げ神を迎えるものであるが、火は誘蛾灯の役目も持っていたようである。
 能登半島に広く分布するキリコ祭りもこの夜高と同じ民俗であって、越後弥彦神社灯籠祭らとともに広い範囲での比較研究が課題になるであろう。

聖なる火の祭り 〜御神灯とおしようらい〜 より。 
*北日本新聞の記事、富山新聞の記事。 砺波の田祭り一覧

5月2日(火)

 あっという間に、5月になってしまった。
 ゴールデンウイークは、春祭りの週でもある。富山では連日お祭りで、4月29日は富山市四方の子供曳山祭りと石動の曳山祭りを撮影。4月30日は高岡御車山祭りの宵祭と、二番町の神迎えを撮影。5月1日は御車山の巡行を撮影。ホームページの更新をしている余裕がない。
四方子供曳山祭り
↑4月29日に撮影した、四方子供曳山祭り。
 落ち着いたら、ゆっくりと更新いたします。

5月1日(月)

 朝方はそれほどでもなかったが、昼に近づくにつれ雨が激しくなる。御車山保存会のページに、最初は「午前11時の「坂下町曳揃」は中止となりました。正午の勢揃式(片原町交差点)については雨の状況をみながら各山町が判断することとなりました。町によって組立に要する時間が異なるため7基が揃わないこともあります。現在ライトアップ用臨時山倉に置かれている「御馬出町」「木舟町」および御車山会館に展示していた「一番街通」の3基は奉曳(巡行)の準備をしております」という案内が。次に「午後3時より奉曳(巡行)いたします。坂下町曳揃および正午の勢揃式(片原町交差点)は取りやめ、午後の奉曳(巡行)コースを回ります。午後2時頃から高峰公園、高岡郵便局付近に集合し、山町筋からスタートします」と発表された。勢揃式がなくなったのは残念だが、午後だけでも曳山の巡行があって良かった。

 15時からの巡行を見るために、あいの風とやま鉄道で14時23分に高岡駅着。駅の改札を出たところにテーブルを出して御車山祭の案内をしていたので、遅く始まった分、終わりも遅くなるのか尋ねると、午前中の巡行を飛ばして午後からの巡行だけを行うので終わりの時間は変わらないとのこと。

↓先頭の坂下町の源太夫獅子。→最後尾の二番町の曳山。
御車山祭り02
御車山祭り01
↓→二番町の曳山。カラスには紙垂が付けられ、後ろには大きな御幣が飾られている。
御車山祭り04
御車山祭り03
 巡行がスタートする山町筋に行くと凄い数の見物客だった。既に曳山の露払いをする源太夫獅子が先頭に立ち、曳山が揃い始めていた。最後尾に二番町の曳山が控えていた。やがて時間になり、巡行が始まった。
御車山祭り05
御車山祭り07
↓嘗て御車山行列の先導をしていたと言われる、母衣武者の鎧や兜が元町と平米町の母衣宿に展示してあった。
御車山祭り06
 17時過ぎに町内の巡行を終えた曳山が一台ずつ順番に関野神社の前に入り、お参りをしてから各自の町内に戻って行った。
御車山祭り08
御車山祭り09
↑↓→関野神社の手前で参拝した後、各自の町内へ戻る曳山。
御車山祭り10

 各町内へ戻る曳山を見送りながら、一昨年オープンした高岡御車山会館の裏手へ。この会館の1階には曳山の展示スペースがあり、順繰りに曳山が入れ替わる。裏手の入り口に行くと、会館の方が曳山の到着を待っていた。展示の入れ替えは年に一度、御車山祭りの時だけかと思っていたら4ヶ月に一度入れ替わっているそうだ。今回はどの曳山が展示されるのか尋ねると、二番町の曳山だった。

↓→巡行を終えて、御車山会館の展示スペースに入る二番町の曳山。
御車山祭り12
御車山祭り11
 二番町の曳山が展示スペースに入れられるのを見てから、高岡駅へと向かう。途中の路地では、早くも曳山の解体が行われていた。昨日、一昨日とずいぶん歩いたので、今日は早めに帰ろうと思っていたが、結局片付けまで見てしまった。
御車山祭り13

4月へ