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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 ◯製作中の富山の祭りと芸能 |
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12月4日 「山・鉾・屋台」無形文化遺産記念イベント 高岡テクノドーム ◯お鍬さま 1月11日 記事、記事 |
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◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作 ◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作 ◯久高島の年中行事 平成17年度作成 ◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作 ◯ 「まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作 ◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作 ◯幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】 ◯村踊 沖縄県伊江村伝統芸能 ◯喜屋武(チャン)の綱引き ◯与那国島の行事 ◯ 「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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夜中、寒くて窓を開けると雪が降っていた。朝、起きると田んぼや屋根が白くなるほど積もっていた。 | ||
午前中はまだ雪が降っていたが、お昼頃からは晴れ間も出て、午後3時頃にはすっかり雪も溶けていた。窓から近所の家越しに見る立山連峰は白銀に輝いていた。 今年の6月19日に撮影した金屋町の御印祭の写真をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑拝殿での神事の後、「宵宮の儀」が行なわれる金屋町公民館まで渡御する神輿行列。 ↓金屋町の石畳を弥栄節(やがえふ)を踊りながらたくさんの人が流して歩く。 |
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名刺が少なくなったのでプリントした。名刺のデザインも写真の絵柄も気に入っているが、両方とも奄美の風景だ。そのうち富山の写真を使って、新しいのを作ろうか。 今日が命日ですね。亡くなって、もう3年か。下の写真は、1995年4月5日、椿山荘にて撮影。滝の前で、スポーツ新聞を読む大滝さん。撮影に際して、大滝さんからの要望は画面に占める自分の割合を2割り以内にして欲しいだった(笑)。 |
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You Tubeから大滝さんの「空飛ぶくじら」。そして大滝さんと言えばフィル・スペクター。彼の代表曲から、ロネッツの「Be My Baby」。 | ||
良いお年をお迎え下さい。 |
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クリスマスが過ぎたら、お正月まで一気だろうか。 そもそも辺野古埋め立て承認を巡る混乱は、ちょうど3年前の12月27日に前沖縄県知事の仲井眞氏が埋め立てを承認した事に端を発する。米軍基地の県外移設を公約にして再選した仲井眞氏の、この裏切り行為とも言える埋め立て承認は県民の反発を買い、1500人以上が人間の鎖となって県庁を取り囲み、その後、大勢の人が県庁ロビーに雪崩れ込んで抗議を行なった。当初、県庁で開かれる予定だった仲井眞氏の記者会見は急遽知事公舎からとなった。記者会見の様子はこちらにUPされている。 |
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埋立て承認が行なわれる2日前の2013年12月25日、安倍首相が仲井眞前知事との会談で伝えた負担軽減策の骨子は、 (1)普天間飛行場の5年以内の運用停止や牧港補給地区の7年以内の全面返還について、防衛省内に作業チームをつくって検討する。 (2)オスプレイの訓練の半分を県外に移転する。 (3)日米地位協定に関連して、基地内の環境保全に関連する立ち入り調査を行えるよう米側と交渉に入る。 というものだった。 埋立て承認から3年が経ったが、現在、 沖縄の普天間基地に配備されているオスプレイは24機。負担軽減として浮上した「12機程度の県外配備」は進んでおらず、さらにオスプレイが2機追加配備される事になったようだ。また、先日の日本で初めてとなるオスプレイの墜落事故に見られる日本側の現場検証が行なえない等の日米地位協定の壁はそのままだし、普天間の5年以内の運用停止は政府側の説明がコロコロと変わっている。 普天間飛行場の5年以内の運用停止についてはこちらに詳細が書かれているが、2013年12月に安倍首相が沖縄政策協議会で「最大限実現するよう努力したい」と述べていたが、2016年5月11日になると中谷元防衛省は衆院決算行政監視委員会で「現在においてはしっかりとした定義はない」としている。 辺野古埋め立て承認の記者会見で仲井眞氏は、基地の県外移設という公約と辺野古の埋立て承認の整合性について記者の質問に答えて、このように述べている。 「辺野古の建設完了というのはなかなか時間がかかるし、難しかろうというのが現実ですよ。日米両政府は9.5年かかると言っている。ですから9.5年あのまま宜野湾に(普天間飛行場が)あり続けるというのは固定化と変わりませんよ。早く宜野湾から普天間を移設すべきだというのが私のかねてからの主張ですから、9年半より前にもっと短い5年以内に移設してもらいたい。5年以内に辺野古が完了すればこちらの方が早いですよ、ですから現実の見通しの問題です。むしろ(辺野古の工事が)長引く事はあっても短くなる事は苦労がいるだろう。ですから(9.5年以内の)半分位もしくは以下の期間で処理するには県外に移すしかないというのははっきりしているんじゃないでしょうか」。また「一国の総理と話し5年以内に普天間の運用停止状態に持って行くとおっしゃった」とも語っている。 普天間の5年以内の運用停止と辺野古の埋め立ては、別々に進められるもののはずだった。それがいつの間にか政府は普天間の辺野古への移設が前提と言い出して、県側に責任を負わせようとしている。 辺野古新基地反対運動のリーダー的存在の山城博治さんが、不当に逮捕拘留されている。釈放を求めるキャンペーンが行なわれている。 |
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年末年始に読もうとアマゾンのマーケットプレイスでポチッとした本が、昨日で揃った。 |
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沖縄県立図書館にある自分の本を誰か読んでくれているだろうかと、たまに本の貸し出し状況を見ている。今日チェックすると『琉球弧の祭祀と行事』の【三】、【五】、【七】の3冊が貸出中になっていて嬉しかった。 |
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メリー・クリスマス! 今日は射水市加茂神社の、煤払祭を撮影に。煤払いが終わった後、11時から神事が行なわれるので小杉駅南口を10時にでるコミュニティーバスで神社に向かう。加茂コミュニティー施設前で下車して、10時30分くらいに着いた。 |
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↓→煤払いで汚れを落とした神社と、煤払いに使われた笹竹。 |
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↑11時頃、3名の氏子代表が列席して煤払祭の神事が始まった。宮司の補佐役である禰宜による祝詞奏上とお祓い。 |
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↑本殿、拝殿に鎮座する2体の像(写真中央:右大臣、右:左大臣)に神饌の固粥が捧げられる。 |
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↓固粥。→宮司による本殿での祝詞奏上。 |
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↓玉串の奉納。→撤饌。 |
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↑玉串の奉納。写真を撮っていると「木原さんもどうぞ」と声を掛けていただき、奉納させていただいた。 |
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↑撤饌の後、本殿が閉められ、拝殿で宮司さんの講話があり煤払祭が終了した。 |
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神事は11時40分頃に終わり、社務所の方で直会があった。氏子の方々に混じって、お供えされた固粥をご馳走になった。粥だけれど少しモチッとした食感も有り、おこわのような感じもある。 *富山新聞の記事。 |
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昨日、今日と少し暖かい日が続いている。昨日は天気も良かったので、自転車で15分程のところにあるチェーン店の美容室に髪を切りに行った。サイドとバックにバリカンを入れ、トップから伸びる髪を3センチ程切ってもらったのだが、バリカンとハサミを入れる人、あご髭にバリカンを入れる人、顔にシェービングクリームをつける人、パウダーをつける人、顔を剃る人、と入れ替わり立ち代わりで担当が変わる。この方が効率的なのだろうか? 今日は南からの生暖かい風が吹いていた。高岡でも最高気温21℃を記録した。午後、郵便局まで自転車で行ったが風が強くて少しペダルが重かった。強風は全国的に吹いたようで、新潟県の糸魚川では大きな火災が発生し午後5時半で140棟を焼いた。午前10時に出火した火は、夜9時頃になってようやく鎮圧されたようだ。 |
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今日、沖縄北部訓練場の約半分が正式に返還され、政府主催の式典が名護市内の万国津梁館で開催された。翁長知事はこの式典には出席せず、同じ名護市内の屋内運動場で開かれたオスプレイ墜落事故に抗議する緊急集会に出席した。 美ら海水族館のイルカがジャンプしている先に見えるのが、伊江島。美ら海水族館からも近い本部港からフェリーで約30分、沖縄本島の9km沖合に浮かぶ基地の島だ。 ちょっとネットで調べれば産経新聞の出していた数字が当てにならないのが確認できるのに、元ミュージック・マガジン編集者でジャーナリストの西村幸祐氏が得意げにツイッターで棒グラフまで表示してコメントをしている。恥を忍びなくてはならないのは、あなただろう。 経済評論家だという上念司氏がツイッターで<オスプレイの戦闘能力は南シナ海、東シナ海を侵略しようとしている支那共産党にとって脅威。だから沖縄に工作員を送り込んで徹底的に妨害している>とコメントしている。 今までオスプレイが現地の武装組織に小火器で追い払われるというのは俄に信じがたかったが、今回沖縄の海岸で墜落した機体の残骸を見て納得した。日本政府は今回の事故を不時着水というが、海水に不時着しただけで機体が粉々になる強度しかないということだ。ちなみにオスプレイの機体はグラファイトとエポキシ樹脂の複合材料で作られているようだ。 今回の墜落事故について米軍側は、空中給油訓練中にオスプレイのプロペラが乱気流で給油ホースに接触して破損、飛行が不安定になったため起きた。空中給油は引き続き停止するものの、機体自体の原因ではないとして飛行を再開したいと申し立てた。事故直後は「事故原因の究明と日本側への情報提供をもとめ、安全性が確認されるまでは飛行停止するよう申し入れた」稲田大臣は、事故から一週間も経たない19日、「米側の対応は合理性が認められる。空中給油以外の飛行再開は理解できる」と飛行再開を容認するコメントしている。 ハリアーやCHヘリが墜落しても騒がないのにオスプレイの時だけ騒ぐのは偏向報道だという意見もネットで見たが、そうだろうか?先日のハリアー墜落の時も、事故原因も究明されないのに飛行再開されたことに懸念を表す記事は色々と書かれている。 評論家で沖縄関係の著書も多い篠原章氏が自身のサイトで<「オスプレイ危険論」は反知性主義的>と題したコラムを掲載している。その中で 基地の政治的・経済的な問題提起なら文谷数重氏の「もしも、嘉手納が使えなくなったらどうなるのだろうか?」という記事が興味深い。政府は米軍の要請を受けてあっさりオスプレイの飛行再開を容認したが、オスプレイの存在が極東最大の空軍基地である嘉手納を不安定化させるという論考は面白く一読に値する。 |
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もう奄美の教会ではクリスマスの飾り付けが完成し、馬小屋が置かれている頃だろうか。カトリックの教会では、キリストが誕生した馬小屋を再現してクリスマスを祝うというのを奄美大島に住んで初めて知った。 あまり知られていないが奄美大島にはカトリックの教会が30ほどある。加計呂麻島にも1つ、喜界島にも1つある。 |
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↑名瀬の古田町マリア教会の前に作られた、キリストの生誕を再現する馬小屋。2010年12月25日撮影。 カトリックの布教は1891年に、フェリエ神父が奄美大島に来島してから始まった。2012年末でカトリックの信者数は3471人で、奄美大島の人口の6%強を占める。 |
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今朝の北日本新聞に「正月飾り繭玉できた 富山・下タ北部地区住民ら飾り付け」という記事が掲載されていた。記事を読むと、色を着けた餅を丸めて枝に飾り付けて五穀豊穣や家内安全を祝うと書いてあった。 奄美大島にもナリムチという同じような正月行事がある。ナリムチは小正月の前日にあたる14日に、枝に色とりどりの餅を付けて家の中やお墓に飾る行事。使われる枝は、ぶぶの木(ブブギ)と言われるリュウキュウエノキ。もっとも、奄美大島でも南部の瀬戸内町ではあまりやらないとも聞く。 |
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↑小正月が近づくと、名瀬の永田橋商店街では、ナリムチ作りの材料や完成品が売られている。2011年1月13日撮影。 ←撮影させてもらったオジさんのお店でぶぶの木の枝と、4色のお餅を買って作ってみた。何処に飾ろうか悩んで、トイレの出窓に飾った。名瀬で住んでいた部屋は5階角部屋の1LDK。この日当りの良い明るいトイレが居心地が良くて好きだった。 |
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今年の6月10日に撮影した、となみ夜高祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑行灯曳山の先頭で「五穀豊穣」「祝田祭」と書かれた田楽行灯を持つ子供たち。 ↓審査会場の本町交差点でパフォーマンスを行ない、審査員にアピールする大行灯。 |
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ベルリンの中心部、観光客でにぎわうクリスマス市にトラックが突っ込み12人が亡くなり48人が負傷。テロが疑われている。トルコの首都アンカラでは写真展に出席していたロシアのカルロフ駐トルコ大使が銃撃されて死亡した。 SNSで写真家の桑本正士さんが亡くなったのを知る。今年の9月17日〜10月9日に南青山のビリケンギャラリーで『ミュージシャンと風景』という写真展を開催されたばかりなので、なんだか突然のことに驚いた。 |
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一昨日、朝起きるとカーテンの向こうが明るい。窓を開けると、今シーズン初の積雪。昨日もほぼ一日中雪が降り続け、本格的な冬の到来だ。 |
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ロシアのプーチン大統領が訪日して安倍首相と会談を行ったが、北方領土返還の話しはすっかりなくなり、<特別な制度>のもとで日本が3000億円を投資して共同経済活動を行なうという話しを<プレス向け声明>という名の記者会見で発表しただけだった。これらの事はLITERAが「プーチン訪日」大失敗をごまかす安倍官邸の情報操作にマスコミが丸乗り!ただのプレス発表を共同声明とで、詳細に辛辣に書いている。 | ||
北方領土返還交渉が進展しないのは予想していたが、驚いたのはこのNHKの記事の中にある<ラブロフ外相は「シリア問題とウクライナ東部の情勢をめぐって両首脳が意見交換をして、両国の立場はほとんどの点で一致している」としています>という発言だ。 ◯原発国民負担「過去分」2.4兆円 福島第一処理費倍増21.5兆円 龍郷湾への巨大クルーズ船の誘致騒動が収まったと思ったら、今度は奄美大島の名瀬勝に産廃処分場建設の計画が持ち上がっている。住民説明会では、本土の災害ゴミが持ち込まれる可能性が示されたそうだ。福島の事故後、放射性廃棄物の埋め立て基準が8000ベクレル/Kgまで引き上げられている。世界自然遺産登録を目指す島に、なぜこんなものを造ろうとするのか。 |
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↑産廃施設の建設予定地の近くには、崎原・田平集落の滝がある。この滝は林道を下りて沢を歩いたところにあり、あまり観光客も訪れず自然のままの姿を残している。奄美大島にはいくつか有名な滝があるが、個人的には一番きれいな滝だと思う。 朝日新聞の記事で、奄美大島在住の写真家・常田守さんがこの滝を案内している。 ◯ 鹿児島)奄美の森で産廃処分場建設計画 住民は反対 |
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琉球新報に「来春 沖縄で会おうね ホワイトライオンこどもの国へ」という記事が載っていた。この記事を読んで東北サファリパークから沖縄こどもの国にホワイトライオンが贈られることより、毎年サファリパークの象が沖縄に越冬で来県していることに驚いた(笑)。 ← ちなみに、嘗てバルセロナの動物園にはホワイトゴリラがいた。写真は1986年に撮影。1963or64年〜2003年まで生きていたようだ。 |
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今年の6月4日に撮影した、氷見・鍋床地区の虫送り行事の様子をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑集落の中央から村外れの広場まで、子供達を先頭に大勢の人で曳いて運ばれる巨大な松明。広場の近くまで来たら、松明に火がつけられる。 ↓村外れまで運ばれた松明は、広場の中央に立てられて燃やされる。 |
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夜、パプアニューギニア付近でマグニチュード7.9の地震があった。 | ||
昨日の夜、国内では初となるオスプレイの墜落事故が起きた。オスプレイは今月に入り宜野座村の民間地上空で物資のつり下げ訓練を行ない、地元の区長から抗議を受けていた矢先だ。 ネットにはこの事故を受けて早速オスプレイを擁護したいのか「飛行10万時間あたりの事故率」という出典:産経新聞とかかれたグラフが出回っている。この産経のグラフに対する反論がこちらに載っている。沖縄タイムスの今年一月の記事「米海兵隊オスプレイ、アフガンでの運用率1% 事故率は41倍」
でも事故率の高さが伺える。 |
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昨日、新湊へ出かけて先月19日に撮影した「澗建のえびす様渡し」でお世話になった2軒の頭屋と神事を司る西宮神社へ写真とフォトブックを届けてきた。撮影した全ての祭りや神事の写真を関係者に差し上げる事はできないが、個人の家に上がらせてもらったのでお礼としてお渡ししてきた。
家に伺ったついでにお話しも少し聞けたし、西宮神社ではお神酒を2本頂戴しボンボコ祭りの資料もいただいた。 |
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これまで一年間えびす様を預かっていた頭屋の野村さんが定位置網漁の澗建だというのは聞いていたが、これから一年間えびす様を預かる頭屋の野口さんがどんな漁を行なっているか尋ねたところ小型底引き網の澗建だそうだ。また組合の名前は宮ノ町だという。宮ノ町は屋号のようなものだろうか。嘗ては6つあった澗建は現在5つになり、澗建の種類としては他に籠縄、刺し網、一本釣り・延縄があるそうだ。 | ||
↑昨日の小雨が降る新湊。17時半ですっかり暗くなった内川。 ←先日アマゾンでポチったLIFEの写真集『with Mother』が昨日、『LAUGHS LAST』今日届いた。 今年の6月3日に撮影した津沢夜高あんどん祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 |
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↑浦町の子供行灯。↓町の中心に向かう蓑輪の大行灯。 |
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本格的に冷え込んできた。積もることはなかったが、昨日は富山の平野部で初雪が降った。今まではストーブで過ごしていた居間に、コタツも用意された。ゴロンと寝っ転がる時間が増えそうだ。 | ||
上の写真は、8日夕方の立山連峰。この日は一日天気が良かったので、夕方近くになって自転車で小矢部川の堤防を走りに行ったが、空気が冷たくて耳が痛くなった。もう秋から冬へ。 |
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この2、3日は天気も良くないし寒いので部屋に籠って『報道写真の青春時代 名取洋之助と仲間たち』を読んでいた。大判で255P、写真もたっぷりあり読み応え、見応えのある本だった。 |
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人々の暮らしを見るために。 本棚からLIFEの写真集を取り出して、久しぶりに見た。LIFEの写真集は『SMILE BACK』『CARRIES ON』の2冊を持っているが、他も見たくなってアマゾンで探して『LAUGHS LAST』と『with Mother』をポチった。 |
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今年の5月19日に撮影した布尻と町長地区に伝わるお鍬さま祭りの様子を、Photo Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑家の前をお神輿が通ると、無病息災を願い下を潜る。↓お神輿は迎え火が焚かれた境内を進み、拝殿に入って行く 。迎え火は左義長のように、枯れ枝とお守りやお札をうず たかく積んだものを燃やしていた。 | ||
SNSに<公園のベンチが人を排除する? 不便に進化するホームレス排除の仕掛け>という記事が流れていた。ネットのニュースでは、<日本で生まれ育ったタイ人高校生に強制退去、二審も覆らず「悔しいし悲しい」>という記事が。弱者をとことんいじめる国になってきた。 南方新社よりオーストリアの民俗学者、ヨーゼフ・クライナー氏が半世紀前の加計呂麻島を撮影した『加計呂麻島 昭和37年/1962』という写真集が発売になった。 |
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今日は二十四節気の一つ、大雪だそうだ。朝、Facebookを見ると2年前の自分の投稿が流れてきて、外に雪の積もった写真が貼ってあった。この年は12月3日に高岡で初雪が降って、7日に雪が積もった。 下の写真の左が今日の景色、右が2年前の景色。 |
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先日、アマゾンで写真集を3冊ポチった。購入したのは『もうみんな家に帰ろー!26歳という写真家〜一ノ瀬泰造/一ノ瀬信子編』『スモールプラネット/本城直季写真集』『Father/橋口譲二』。2冊は一昨日には届いたが、『Father』が昨日になっても来ないので、今日も郵便受けを覗くが入っていない。まだかな〜と思いながら、ふと玄関ドアの下の方を見ると封筒が立て掛けてあった。たぶん昨日のうちに配達されたが、大きくて郵便受けに入らないのでドアの下に置いていったのだろう。 |
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今日、郵便局にハガキを出しに行った帰り、スーパーに寄ってロッテのラミーを買って来た。ちょっと値段が高いので毎シーズン1個〜2個くらいしか買わないのが、今年はもうすでに4個目か5個目だ。姉妹品のバッカスも1個買っている。 L⇔Rのボーカル、黒沢健一さんが亡くなった。L⇔Rの音楽はあまり聴いていないけれど、雑誌レコードコレクターズの「コレクター紳士録」という大鷹俊一さんの連載で黒沢さんを撮影したことがある。何ヶ月か前に脳腫瘍を公表したという記事は読んでいたが、それにしても48歳は若すぎる。 |
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↓今期ハイペースで食べているラミー。→黒沢健一さん。2001年に撮影。 |
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今年の5月15日に撮影した、氷見けんか山祭りの写真をPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑けんか山祭りで知られているが、正式には伏木神社の春季例大祭。お神輿と一緒に母衣武者に扮した子供達が巡行する。 ↓昼の花山から提灯山に変身して山倉を出発する曳山。この後、けんか山の由縁となる曳山のぶつかり合いが繰り広げられる。 |
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このところ、まとめサイトの盗用問題が話題になっている。今日は、DeNAが3時間に及ぶ謝罪会見を行った。こちらにその中継映像があり、アーカイブが観れる。 ◯ <高知県沖>米軍機が墜落 パイロット1人が緊急脱出 ◯ パキスタンで国内線旅客機が墜落、乗客乗員47人搭乗 最近、飛行機の墜落事故のニュースが多いような気がする。先月の28日にも、ブラジルのサッカー選手ら77人が搭乗した飛行機が墜落している。 |
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これから冬に向かって寒さが厳しくなり、だんだんと自転車に乗る機会も減るだろうから、晴れていれば運動と日光浴を兼ねて乗るようにしている。昨日は片道一時間程かけて、高岡の古城公園まで行ってきた。もう紅葉は9割りほど終わっていた。地面に落ちている葉も、なんだか乾燥して丸まっていたり縮こまっていた。 下の写真は、公園の駐車場に部分的に残っていた紅葉。紅葉の写真としては微妙だが、アブストラクトとして観ると面白いかもしれない。 |
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今日は砺波市美術館で開催されている『写真家 高道宏追悼展』へ。14時からギャラリートークがあるので、余裕をみて12半頃に家を出る。途中は、いつもと違う道を自転車で走ったらまた迷子になるそうになったが上手く軌道修正できて、13時40分頃に到着。砺波市美術館はチューリップ公園に隣接しており、前を通った事はあるが中に入るのは初めてだ。 ギャラリートークの始まる前にササッと一通り観て、1時間強のトークを聞きながらもう一度会場をまわる。トークの終了後、もう一度ゆっくり写真展示を眺めて会場を出た。 |
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500円のチケットには常設展の入場料も含まれているので、2階で開催されている無料の企画展と一緒に常設展も観て美術館を後にした。2時間半程居たのだろうか。美術館の中には画集や図録を置いた小さな図書室があった。ちょっと棚を覗くと、写真集はJean Loup Sieffの『40 Years of Photography 』と、比嘉康雄さんの『母たちの神』が目についた。久しぶりに『母たちの神』を見る。手元に欲しいが余りに高くて買えない。 | ||
16時を過ぎて、だいぶ外は暗くなっていた。また一時間強をかけて自転車を漕いで家に帰る。下の写真は家から砺波市美術館へ向かう途中に撮影したスナップ。全てモノクロのプリントによる写真展を観たので、モノクロにしてみました。 | ||
今年の5月5日に撮影した城端曳山祭りのスナップをPhoto Albumにしました。こちらとこちら。 | ||
↑横笛、三味線、太鼓といった囃子の入った庵屋台。↓日が暮れ始め、曳山に提灯が飾り付けられる。 |
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朝本浩文さんが亡くなった。朝本浩文さんといえば、個人的にはUAとの仕事かな。You Tubeから1曲「ミルクティー/UA」。作詞:UA、作曲:朝本浩文。映像が途中で切れているけれど、素敵な曲だな。 | ||
昨日のお昼、NHKのサラメシを観ていたら「あの人が愛した昼メシ」に冨田勲さんが登場。どこに通っていたのだろうと眺めていたら、「しながわ翁」で驚いた。2004年の1月に『こだわり蕎麦屋を開く』という書籍の表紙の仕事をいただいて撮影したのが、しながわ翁のもりそばだった。 | ||
1990年頃から2000年代の初め頃まで、柴田書店の雑誌やムックを中心に料理の撮影が多かった時期がある。その頃、被写体として難しいな〜と思っていたのが、もりそばやアーリオ・オーリオのようなシンプルなパスタ、マルゲリータのような素朴なピザだった。 しながわの翁は、撮影した後しばらくして一度食べに行っている。物腰の柔らかいご主人だったと記憶していたが、番組を観ていると12年経っても同じ印象だった。 |
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先日、「池田浄瑠璃公演」の写真を文庫サイズ36ページのフォトブックにして新瀬戸公民館に送ったところ、お礼の手紙が届き、子供達や親御さんが喜んでいたと書いてあった。そして、この手紙と一緒に『新瀬戸地区のうつりかわり』と題した郷土誌が同封されていた。A4サイズ126ページのしっかりしたもので、村のおいたち、池田城と越中瀬戸焼など地区の様々な事が記されている。さっそくパラパラと捲って読んでいると廃県変遷表というのに目が止まった。 |
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↓→公民館から送っていただいた郷土誌。 |
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今日でSACO合意から20年が経った。沖縄タイムスは「きょうSACO合意20年 沖縄への基地集中変わらず」という記事を書き、琉球新報は「日米、97年にオスプレイ協議 沖縄配備10年まで隠す」という記事を書いている。 | ||
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