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バックナンバー
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
◯製作中の富山の祭りと芸能

12月4日 「山・鉾・屋台」無形文化遺産記念イベント 高岡テクノドーム
12月25日 下村加茂神社 煤払祭 記事
12月31日〜1月1日 氷見市小境  宮籠もり 記事 記事 記事
1月9日 南砺市利賀村 初午 記事 加越能バス庄川方面 加賀井波線
1月の第2日曜、15日が日曜なら1月15日 入善町巴町 塞の神まつり
3月 井波 お人形さまめぐり
3月13日 芦峅寺のおんば様のお召し替え
5月4日 滑川市赤浜 赤浜の菖蒲打(ショーブツ)
5月5日 氷見市宇波 コウラウラの祭り
5月6日 氷見市小境 エビス祭り
8月6日? 本法寺の曼荼羅絵図風入れ法要
8月6日、7日 魚津 上村木七夕祭
8月中旬 黒河夜高祭
8月下旬の日曜 恵比須祭り

◯お鍬さま 1月11日 記事記事
◯高岡御車山祭 4月30日 二番町の神迎え
◯7年に1度、10月に開催 朝日町山崎 米吊り奉納
◯次は2017年? 布橋灌頂会(ぬのばしかんじょうえ)
◯高岡大仏まつり
◯下タ北部地区 正月の繭玉作り

*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
富山の祭り

◯「沖縄 久高島のイザイホー 第1部」東京シネマ新社1979年製作
◯「沖縄 久高島のイザイホー 第2部」東京シネマ新社1979年製作
久高島の年中行事 平成17年度作成
◯「石垣島川平のマユンガナシー」東京シネマ新社製作
まつりの島 太平山 沖縄県 宮古島」シネマ沖縄1975年製作
◯「与論島の十五夜祭」東京シネマ新社1980年製作
幻想のティダン(太陽) 【沖縄・与那国島記録映画】
村踊 沖縄県伊江村伝統芸能
喜屋武(チャン)の綱引き
与那国島の行事
「沖縄730 道の記録」シネマ沖縄1977年製作
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

12月30日(金)

 夜中、寒くて窓を開けると雪が降っていた。朝、起きると田んぼや屋根が白くなるほど積もっていた。
今日の外の景色
窓から見える雪の立山連峰

 午前中はまだ雪が降っていたが、お昼頃からは晴れ間も出て、午後3時頃にはすっかり雪も溶けていた。窓から近所の家越しに見る立山連峰は白銀に輝いていた。
 買い物のついでに、久しぶりに自転車で堤防を走ってきた。

 今年の6月19日に撮影した金屋町の御印祭の写真をPhoto Albumにしました。こちら

御印祭01
↑拝殿での神事の後、「宵宮の儀」が行なわれる金屋町公民館まで渡御する神輿行列。
↓金屋町の石畳を弥栄節(やがえふ)を踊りながらたくさんの人が流して歩く。
御印祭02
名刺
 名刺が少なくなったのでプリントした。名刺のデザインも写真の絵柄も気に入っているが、両方とも奄美の風景だ。そのうち富山の写真を使って、新しいのを作ろうか。
 今日が命日ですね。亡くなって、もう3年か。下の写真は、1995年4月5日、椿山荘にて撮影。滝の前で、スポーツ新聞を読む大滝さん。撮影に際して、大滝さんからの要望は画面に占める自分の割合を2割り以内にして欲しいだった(笑)。
大滝詠一
 You Tubeから大滝さんの「空飛ぶくじら」。そして大滝さんと言えばフィル・スペクター。彼の代表曲から、ロネッツの「Be My Baby」。

良いお年をお迎え下さい。

12月27日(火)

 クリスマスが過ぎたら、お正月まで一気だろうか。
 昨日、翁長知事は辺野古の埋め立て承認取り消し処分を取り消した。これにより2015年10月以来、約1年2ヶ月ぶりに埋立て承認が復活した。さっそく今日の午後から辺野古の沿岸部の埋め立てに向けた工事が再開されたが、翁長知事はあらゆる権限を使って移設実現を阻止する決意を示している。正直、翁長知事がここまで政府に屈する事なく戦うとは思っていなかった。ネットでの様々な誹謗中傷やバッシングもあり、そのストレスは想像を絶すると思われるが毅然と立ち向かっている。
 3年前の仲井眞前知事の埋め立て承認を錦の御旗に工事を再開するというなら、政府はその時に仲井眞氏との会談で沖縄側に伝えた普天間の5年以内の運用停止やオスプレイの訓練の半分を県外移転、日米地位協定の改善など沖縄の負担軽減策を真摯に実行したらどうか。

 そもそも辺野古埋め立て承認を巡る混乱は、ちょうど3年前の12月27日に前沖縄県知事の仲井眞氏が埋め立てを承認した事に端を発する。米軍基地の県外移設を公約にして再選した仲井眞氏の、この裏切り行為とも言える埋め立て承認は県民の反発を買い、1500人以上が人間の鎖となって県庁を取り囲み、その後、大勢の人が県庁ロビーに雪崩れ込んで抗議を行なった。当初、県庁で開かれる予定だった仲井眞氏の記者会見は急遽知事公舎からとなった。記者会見の様子はこちらにUPされている。
 当日の県庁包囲行動と、ロビーでの抗議行動の様子はこちらこちらに。

2013年12月27日の抗議行動
 埋立て承認が行なわれる2日前の2013年12月25日、安倍首相が仲井眞前知事との会談で伝えた負担軽減策の骨子は、
(1)普天間飛行場の5年以内の運用停止や牧港補給地区の7年以内の全面返還について、防衛省内に作業チームをつくって検討する。
(2)オスプレイの訓練の半分を県外に移転する。
(3)日米地位協定に関連して、基地内の環境保全に関連する立ち入り調査を行えるよう米側と交渉に入る。
 というものだった。
 埋立て承認から3年が経ったが、現在、 沖縄の普天間基地に配備されているオスプレイは24機。負担軽減として浮上した「12機程度の県外配備」は進んでおらず、さらにオスプレイが2機追加配備される事になったようだ。また、先日の日本で初めてとなるオスプレイの墜落事故に見られる日本側の現場検証が行なえない等の日米地位協定の壁はそのままだし、普天間の5年以内の運用停止は政府側の説明がコロコロと変わっている。
  普天間飛行場の5年以内の運用停止についてはこちらに詳細が書かれているが、2013年12月に安倍首相が沖縄政策協議会で「最大限実現するよう努力したい」と述べていたが、2016年5月11日になると中谷元防衛省は衆院決算行政監視委員会で「現在においてはしっかりとした定義はない」としている。

 辺野古埋め立て承認の記者会見で仲井眞氏は、基地の県外移設という公約と辺野古の埋立て承認の整合性について記者の質問に答えて、このように述べている。
辺野古の建設完了というのはなかなか時間がかかるし、難しかろうというのが現実ですよ。日米両政府は9.5年かかると言っている。ですから9.5年あのまま宜野湾に(普天間飛行場が)あり続けるというのは固定化と変わりませんよ。早く宜野湾から普天間を移設すべきだというのが私のかねてからの主張ですから、9年半より前にもっと短い5年以内に移設してもらいたい。5年以内に辺野古が完了すればこちらの方が早いですよ、ですから現実の見通しの問題です。むしろ(辺野古の工事が)長引く事はあっても短くなる事は苦労がいるだろう。ですから(9.5年以内の)半分位もしくは以下の期間で処理するには県外に移すしかないというのははっきりしているんじゃないでしょうか」。また「一国の総理と話し5年以内に普天間の運用停止状態に持って行くとおっしゃった」とも語っている。
  普天間の5年以内の運用停止と辺野古の埋め立ては、別々に進められるもののはずだった。それがいつの間にか政府は普天間の辺野古への移設が前提と言い出して、県側に責任を負わせようとしている。

 辺野古新基地反対運動のリーダー的存在の山城博治さんが、不当に逮捕拘留されている。釈放を求めるキャンペーンが行なわれている。
購入した本

 年末年始に読もうとアマゾンのマーケットプレイスでポチッとした本が、昨日で揃った。
『Robert Doisneau ロベール・ドアノー/PORTFOLIO』『Robert Doisneau/ICONS』『月光浴/石川賢治』『木々の彩り/前田真三』『写文集 猫と花/武田花』。1円の本が2冊有り、一番高い本が149円だった。送料の257円がなければ、もっと沢山買えるんだが。

 沖縄県立図書館にある自分の本を誰か読んでくれているだろうかと、たまに本の貸し出し状況を見ている。今日チェックすると『琉球弧の祭祀と行事』の【三】、【五】、【七】の3冊が貸出中になっていて嬉しかった。

12月25日(日)

 メリー・クリスマス!
 昨日のイヴは、お昼過ぎからミュゼふくおかカメラ館で開催している『石川賢治月光写真展ー宙の月光浴ー』へ。14時からはロビーで電子オルガンによるミュージアムコンサートが行なわれた。
  一旦家に帰り、18時過ぎにミュージアムコンサートの音響を担当していた村上さんのスタジオでクリスマス・イヴの鍋パーティーに参加。焼き鳥、四川風の鍋、蟹、巻き寿司をご馳走になる。スタジオなので楽器も揃っているので、少しだけセッションもして23時過ぎに帰ってきた。

 今日は射水市加茂神社の、煤払祭を撮影に。煤払いが終わった後、11時から神事が行なわれるので小杉駅南口を10時にでるコミュニティーバスで神社に向かう。加茂コミュニティー施設前で下車して、10時30分くらいに着いた。
 もう既に煤払いは終わり、拝殿の外に煤払いで使われた長い笹竹(清め竹)が立て掛けてあった。
 煤払祭は加茂神社が創建された1066年以来続いた行事で、一年の汚れを落とす煤払の後に、ズイキと黒豆を入れて味噌で味付けした固粥を神饌としてお供えする。神事の後は、神職と氏子が社務所で共に一年の無事を感謝しながら固粥を食す。

↓→煤払いで汚れを落とした神社と、煤払いに使われた笹竹。
煤払いに使われた笹竹
加茂神社
禰宜による祝詞奏上とお祓い

↑11時頃、3名の氏子代表が列席して煤払祭の神事が始まった。宮司の補佐役である禰宜による祝詞奏上とお祓い。

神饌のお供え
↑本殿、拝殿に鎮座する2体の像(写真中央:右大臣、右:左大臣)に神饌の固粥が捧げられる。
↓固粥。→宮司による本殿での祝詞奏上。
宮司による祝詞奏上
固粥
↓玉串の奉納。→撤饌。
撤饌
玉串奉納
↑玉串の奉納。写真を撮っていると「木原さんもどうぞ」と声を掛けていただき、奉納させていただいた。
宮司さんの講話
↑撤饌の後、本殿が閉められ、拝殿で宮司さんの講話があり煤払祭が終了した。
直会

 神事は11時40分頃に終わり、社務所の方で直会があった。氏子の方々に混じって、お供えされた固粥をご馳走になった。粥だけれど少しモチッとした食感も有り、おこわのような感じもある。
 直会も終わりバス停へ。小杉駅行きは13時32分で、30分程本を読んでバスを待つ。小杉駅に到着すると、直ぐにあいの風とやま鉄道の金沢方面行きがやってきた。
 加茂神社でいただいた固粥を、家の神棚に供えてもらう。供えた固粥を、晩ご飯の時に両親が半分ずついただいた。

*富山新聞の記事

12月22日(木)

 昨日、今日と少し暖かい日が続いている。昨日は天気も良かったので、自転車で15分程のところにあるチェーン店の美容室に髪を切りに行った。サイドとバックにバリカンを入れ、トップから伸びる髪を3センチ程切ってもらったのだが、バリカンとハサミを入れる人、あご髭にバリカンを入れる人、顔にシェービングクリームをつける人、パウダーをつける人、顔を剃る人、と入れ替わり立ち代わりで担当が変わる。この方が効率的なのだろうか?
 今日は南からの生暖かい風が吹いていた。高岡でも最高気温21℃を記録した。午後、郵便局まで自転車で行ったが風が強くて少しペダルが重かった。強風は全国的に吹いたようで、新潟県の糸魚川では大きな火災が発生し午後5時半で140棟を焼いた。午前10時に出火した火は、夜9時頃になってようやく鎮圧されたようだ。
美ら海水族館の沖に見える伊江島

 今日、沖縄北部訓練場の約半分が正式に返還され、政府主催の式典が名護市内の万国津梁館で開催された。翁長知事はこの式典には出席せず、同じ名護市内の屋内運動場で開かれたオスプレイ墜落事故に抗議する緊急集会に出席した。

 美ら海水族館のイルカがジャンプしている先に見えるのが、伊江島。美ら海水族館からも近い本部港からフェリーで約30分、沖縄本島の9km沖合に浮かぶ基地の島だ。
 オスプレイが墜落した後、米軍が事故の前から駐機していた伊江島にあるオスプレイを普天間に戻すため飛行を再開したいと申し立てた事で、今回初めて伊江島の名前と存在を知った人も居るかもしれない。
 辺野古や高江に比べてあまり話題にならないが、伊江島にある米軍の補助飛行場でも着陸帯の工事が進められている。沖縄北東部の辺野古、そのさらに上に位置 する高江、そして沖縄北西部沖にある伊江島。これらが完成すれば、オスプレイを始めとする軍用機が沖縄北部を3つの基地を起点に飛び交うのだろう。
 今日、北部訓練場の半分が返還されたが、上空に飛行制限をかけられない限り寧ろ今よりも住民の負担は増えるだろう。ちなみに、北部訓練場の面積は78,242千㎡で、この内の半分が返還されてもまだ東京と北関東の米軍基地(東京・埼玉・茨城・千葉・福島・群馬・新潟)の15施設を合わせた41,128千㎡に匹敵するほどの面積が残る。
 
 オスプレイの墜落から飛行再開までの間に、ネットでは様々な言説が飛び交っていたが間違った数字が一人歩きして広まっている事も少なくなかった。
 その典型が「オスプレイの事故率は1.92で海兵隊の平均事故率2.45を下回り、大韓航空や中華航空よりも低い」という言説だが、これは今年の熊本大地震の時に産経新聞が書いた記事が広まったものだと思われる。しかし、産経新聞は後にこの記述をこっそり削除している。
 オスプレイの事故率については下記を参照。
オスプレイの事故率は平均以下ではなかった 上昇を把握していた防衛省、新しい数字は開示せず
オスプレイ事故率倍増 普天間配備以降、各地で「重大」続発 
 また、2010年〜12年にかけてアフガニスタンに配備されたオスプレイの運用率の低さと事故率の高さも米海軍安全センターが公表した「海兵隊航空機アフガニスタン事故報告書」で指摘されている。

 ちょっとネットで調べれば産経新聞の出していた数字が当てにならないのが確認できるのに、元ミュージック・マガジン編集者でジャーナリストの西村幸祐氏が得意げにツイッターで棒グラフまで表示してコメントをしている。恥を忍びなくてはならないのは、あなただろう。
 他にも、この数字をそのまま使って山田順というジャーナリストで出版プロデューサーの肩書を名乗る方が<オスプレイ墜落事故に見るあまりにひどい「偏向報道」「情報操作」にもの申す」>という記事をヤフーに書いている。そして、この記事をケント・ギルバート氏がRetweetしているのにも驚く。ケント氏に関しては、以前<ネトウヨ化したケント・ギルバートの文章に“捏造”が発覚、回収へ! ゴーストライター任せの粗製濫造も明らかに>という指摘もある。
 山田氏は記事の中で<オスプレイは日本防衛のための訓練を行なっていたのだ>とも書いているが、この人は沖縄に駐留する米軍の役割を理解しているのだろうか。
 沖縄の米軍基地は、第一義にはアメリカが世界で繰り広げてきた戦争の前線基地だ。1950年代は朝鮮戦争へ、60年代はベトナム戦争へ、90年は湾岸戦争へ、2003年はイラクへと沖縄から軍用機が飛び立って行った。尖閣周辺にスクランブルをかけているのは、那覇空港から飛び立つ自衛隊のスティルス戦闘機だ。
 ちなみにオスプレイは航続距離の長さが特徴で、一回の給油で約3900キロ飛行する。仮に尖閣の防衛というなら給油訓練などしなくても充分に行って帰って来れるだろう。
 1982年にワインバーガー米国防長官が書面証言で沖縄に駐留する海兵隊について「日本防衛の任務は割り当てられていない」と表明した上で、「西太平洋およびインド洋における米海軍第7艦隊の作戦領域のいかなる場所にも配備され得る」としている。 
 <そもそもオスプレイは、通常飛行をするために開発されたものではなく、主に特殊作戦で使用するのを目的とするために開発された。そのため、夜間や低空など過酷な条件での飛行が多い>とも書いているが、日米両政府が合意したオスプレイの運用ルールでは午後10時から午前6時までの間の活動は運用上必要なものに制限するとし、夜間訓練飛行は必要最小限で、できる限り早く終了させる事になっている。今回墜落が問題になっているが、そもそもは夜間訓練自体もっと問題視されるべき事柄のはずだ。

 経済評論家だという上念司氏がツイッターで<オスプレイの戦闘能力は南シナ海、東シナ海を侵略しようとしている支那共産党にとって脅威。だから沖縄に工作員を送り込んで徹底的に妨害している>とコメントしている。
 これに対して<オスプレイは、攻撃機ではなくあくまでも輸送機だ>という真っ当なコメントが多数よせられたが、上念氏は<オスプレイは輸送機なんで普通は積んでるもの指してるに決まってると思うんですよ。クソリプいっぱいきたんですけど、140字でそこまで書けってことですかね?>と子供のような反論をしている。
 積んでいるもの・・・オスプレイには戦車一台積む能力もないんだが。上念氏をフォローするつもりか、オスプレイの高速飛行で尖閣にいち早く完全武装の兵士を送り込めば脅威になるというコメントも寄せられていたが、何もない島で何をするんだろうか。もし実際に戦闘が開始されれば空爆されて終わりだろう。
 オスプレイは南スーダンで米国人を避難させるために現地に向かったが、現地の武装組織に小火器で撃たれて被弾し3機とも撤退した過去がある。

 今までオスプレイが現地の武装組織に小火器で追い払われるというのは俄に信じがたかったが、今回沖縄の海岸で墜落した機体の残骸を見て納得した。日本政府は今回の事故を不時着水というが、海水に不時着しただけで機体が粉々になる強度しかないということだ。ちなみにオスプレイの機体はグラファイトとエポキシ樹脂の複合材料で作られているようだ。
なぜいまだにV-22オスプレイは危険なのか?」と題したレポートには、次のような記述がある。
 機関銃弾には、しばしば曳光弾が組み込まれている。そのうちの一弾でもV-22に命中したら、それは機体に火をつけるかもしれない。炸裂する対空火器と RPG(対戦車擲弾発射器)さえも、V-22に容易に火をつける。潤滑油と油圧配管からの作動油の漏れは、V-22で多数の火災を引き起こした。少なくと も2つのケースでは、それらはエンジンナセルに火をつけ、エンジンと主翼を破損させる火災となった。運よくこれらの事故では、地表近くだったため、パイ ロットはすばやく着地させられた。
 クワンティコ(バージニア州)近辺のV-22の事故では、複合材料の主翼を瞬く間に焼き尽くす火災が発生した。複合材料とプラスチック製の機体が完全に燃え尽きたため、2000年の2つのV-22事故現場の写真はほんの少しの破片しか写っていない。
 V-22の胴体と翼はそれぞれ一体成形されているため、小火災でさえ破滅的な損害をもたらし、修復は不可能となる。少なくとも3機の V-22が、翼の破損のため、ひそかに廃棄されている。

 今回の墜落事故について米軍側は、空中給油訓練中にオスプレイのプロペラが乱気流で給油ホースに接触して破損、飛行が不安定になったため起きた。空中給油は引き続き停止するものの、機体自体の原因ではないとして飛行を再開したいと申し立てた。事故直後は「事故原因の究明と日本側への情報提供をもとめ、安全性が確認されるまでは飛行停止するよう申し入れた」稲田大臣は、事故から一週間も経たない19日、「米側の対応は合理性が認められる。空中給油以外の飛行再開は理解できる」と飛行再開を容認するコメントしている。
 日米地位協定によって日本側からは事故の現場検証や状況見聞ができず、稲田大臣は米軍からどんな情報を提供されたのだろうか。 飛行時の高度は?プロペラのモードは?
 米軍側は機体の欠陥ではないと主張するが、東京新聞が社説で「ヘリコプター機能も持つオスプレイは、通常の固定翼機よりプロペラが大きい。空中給油を行えば乱気流時に給油ホース切断の危険性は高まる。操縦の難しさに加え構造上の問題も無視できまい」と指摘するように構造上の欠陥だろう。You Tubeにあがっているオスプレイの給油シーンを見れば分かるように、2つのプロペラの隙間が狭いオスプレイは、給油機との間合いを上手くとれなければ給油ホースがプロペラにぶつかり易い構造になっている。 
 オスプレイ擁護で「iPhoneをコンクリートに落として大破しても、それはiPhoneの欠陥ではないでしょう」という例えをネットで見たが、もしiPhoneが他のスマホに比べて落とし易い構造(素材や形状)になっていればやはり構造上の欠陥品ではないだろうか。

 ハリアーやCHヘリが墜落しても騒がないのにオスプレイの時だけ騒ぐのは偏向報道だという意見もネットで見たが、そうだろうか?先日のハリアー墜落の時も、事故原因も究明されないのに飛行再開されたことに懸念を表す記事は色々と書かれている。
米軍ハリアー、飛行再開=墜落事故と同型機-沖縄・嘉手納
米軍、ハリアー飛行再開を表明 墜落原因不明のまま 県、近く抗議へ
米軍機墜落「基地ある限り起きる」 ハリアー、沖縄で事故18回 
 産経すら「AV8ハリアーが飛行再開 沖縄、反発強まる可能性も」と書いている。  
 また、オスプレイは沖縄が配備を反対している機種であり、政府が配備を沖縄に隠してきた経緯がある曰くつきの機種である以上、大きく取り上げられるのは無理もないだろう。

  2014年の沖縄県知事選の時にポリタスに書かれた<オスプレイと在沖海兵隊は「お守り」にすぎない>という記事がある。海兵隊の役割やオスプレイの能力が、理路整然と説明されている。
実体は何だか分からないが、勇猛果敢だという海兵隊と、凄い新兵器らしいオスプレイを置いておけば、中国が攻めてきても大丈夫」という、御守りを買うようなことは止めたらどうか。1兆円近い金をこんなことに注ぎ込むのは、間抜け極まりないことではないか>。とても言い得ていると思う。

 評論家で沖縄関係の著書も多い篠原章氏が自身のサイトで<「オスプレイ危険論」は反知性主義的>と題したコラムを掲載している。その中で
沖縄タイムスや琉球新報が、ジャーナリズムとしてオスプレイの安全性に警鐘を鳴らす姿勢にケチをつける気は毛頭ありません。だからといって「オスプレイは危険である」という情報だけを発信していればいいことにはなりません。米国にはオスプレイに対する好意的な評価が多いことにも目配りすべきです。科学技術的知見もなく、オスプレイはおろかヘリや飛行機も操縦したことのない、それどころかオスプレイやヘリの搭乗経験もない記者が、「オスプレイは危険」と断定して、「配備反対」を掲げる異常さになぜ気づかないのか不思議でなりません。「オスプレイは誰しも認める未亡人製造機」といった報道が、どんなに世論を歪めてきたかを考えると、大きな憤りさえ感じます>と書いている。確か沖縄タイムスは体験搭乗に参加しなかったが、琉球新報は搭乗した。逆にオスプレイを擁護する産経新聞の中に科学技術的知見があり、オスプレイやヘリや飛行機の操縦経験のある記者がいるのだろうか?熊本地震の際に産経新聞が記した「オスプレイの事故率1.92」の方が遥かに事実を歪めたと思うのだが。そしてこう発言する篠原氏自身に、どれだけの知見があり軍用機への搭乗経験があるのだろうか。
復帰以来、沖縄県民に一人も犠牲者が出ていないのは、たんなる僥倖や偶然なせる技なのでしょうか? パイロットが県民に被害を与えないよう回避行動を取ってきたことをなぜ認めたがらないのでしょうか?>と書いている。認めるも認めないも、パイロットが地元住民に被害を与えないよう回避行動を取るのは当たり前のことではないのか。回避行動を取った事と基地の存在を認める事は繋がらないだろう。また戦後としないで復帰以来という期限を付けたのは、復帰前の1959年に嘉手納所属のジェット機がうるま市の宮森小学校に墜落して児童11名を含む17名の死者、156名の負傷者を出した事故があるからだろう。姑息な文章だと思う。
 最後に<沖縄の「基地問題」は、人命の問題でも平和や安全保障の問題でもありません。政治的・経済的思惑が絡みあった「業」の塊にすぎないのです>とも書かれている。確かに沖縄の基地問題は政治的であり経済的な思惑もあるだろうが、だからといって人命や平和、安全保障を抜きにした問題ではないはず。全てが絡み合った大きな塊だろう。

 基地の政治的・経済的な問題提起なら文谷数重氏の「もしも、嘉手納が使えなくなったらどうなるのだろうか?」という記事が興味深い。政府は米軍の要請を受けてあっさりオスプレイの飛行再開を容認したが、オスプレイの存在が極東最大の空軍基地である嘉手納を不安定化させるという論考は面白く一読に値する。

12月20日(火)

 もう奄美の教会ではクリスマスの飾り付けが完成し、馬小屋が置かれている頃だろうか。カトリックの教会では、キリストが誕生した馬小屋を再現してクリスマスを祝うというのを奄美大島に住んで初めて知った。

 あまり知られていないが奄美大島にはカトリックの教会が30ほどある。加計呂麻島にも1つ、喜界島にも1つある。
 元々は薩摩藩による圧政に苦しんでいた島の人たちが、精神的な支柱となる宗教を欲して布教を求めたところ、いち早く要請に応じて来島したのがカトリックの教会だったと言われている。

カトリック教会の馬小屋
大笠利の墓地

↑名瀬の古田町マリア教会の前に作られた、キリストの生誕を再現する馬小屋。2010年12月25日撮影。

 カトリックの布教は1891年に、フェリエ神父が奄美大島に来島してから始まった。2012年末でカトリックの信者数は3471人で、奄美大島の人口の6%強を占める。

←北部の大笠利には、白い十字架が並ぶ、美しいカトリックの墓地もある。

 今朝の北日本新聞に「正月飾り繭玉できた 富山・下タ北部地区住民ら飾り付け」という記事が掲載されていた。記事を読むと、色を着けた餅を丸めて枝に飾り付けて五穀豊穣や家内安全を祝うと書いてあった。
 奄美大島にもナリムチという同じような正月行事がある。ナリムチは小正月の前日にあたる14日に、枝に色とりどりの餅を付けて家の中やお墓に飾る行事。使われる枝は、ぶぶの木(ブブギ)と言われるリュウキュウエノキ。もっとも、奄美大島でも南部の瀬戸内町ではあまりやらないとも聞く。
ナリムチ01
ナリムチ02

↑小正月が近づくと、名瀬の永田橋商店街では、ナリムチ作りの材料や完成品が売られている。2011年1月13日撮影。

←撮影させてもらったオジさんのお店でぶぶの木の枝と、4色のお餅を買って作ってみた。何処に飾ろうか悩んで、トイレの出窓に飾った。名瀬で住んでいた部屋は5階角部屋の1LDK。この日当りの良い明るいトイレが居心地が良くて好きだった。

 今年の6月10日に撮影した、となみ夜高祭りの様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
となみ夜高祭り01
↑行灯曳山の先頭で「五穀豊穣」「祝田祭」と書かれた田楽行灯を持つ子供たち。
↓審査会場の本町交差点でパフォーマンスを行ない、審査員にアピールする大行灯。
となみ夜高祭り02

 ベルリンの中心部、観光客でにぎわうクリスマス市にトラックが突っ込み12人が亡くなり48人が負傷。テロが疑われている。トルコの首都アンカラでは写真展に出席していたロシアのカルロフ駐トルコ大使が銃撃されて死亡した。

 SNSで写真家の桑本正士さんが亡くなったのを知る。今年の9月17日〜10月9日に南青山のビリケンギャラリーで『ミュージシャンと風景』という写真展を開催されたばかりなので、なんだか突然のことに驚いた。
 雑誌レコードコレクターズの大鷹俊一さんの連載「レコード・コレクター紳士録」の撮影を何年か担当していた事があるが、元々は桑本正士さんが撮影をされていた。桑本さんが他の撮影や用事で出来ない時に、代わりに撮影をしていたのだが段々とその頻度が高くなっていつの間にかボクが担当カメラマンになっていた。
 桑本さんにお会いしたのは一度だけ。紳士録の撮影を桑本さんから変わってレギュラーで担当するようになってからだったと思う。来日アーティストの撮影で、ボクがミュージック・マガジン、桑本さんはまた違う音楽雑誌の撮影でレコード会社に来ていて、ライターの五十嵐正さんに紹介されたのだと記憶している。

12月17日(土)

 一昨日、朝起きるとカーテンの向こうが明るい。窓を開けると、今シーズン初の積雪。昨日もほぼ一日中雪が降り続け、本格的な冬の到来だ。
昨日の積雪
 ロシアのプーチン大統領が訪日して安倍首相と会談を行ったが、北方領土返還の話しはすっかりなくなり、<特別な制度>のもとで日本が3000億円を投資して共同経済活動を行なうという話しを<プレス向け声明>という名の記者会見で発表しただけだった。これらの事はLITERAが「プーチン訪日」大失敗をごまかす安倍官邸の情報操作にマスコミが丸乗り!ただのプレス発表を共同声明とで、詳細に辛辣に書いている。

 北方領土返還交渉が進展しないのは予想していたが、驚いたのはこのNHKの記事の中にある<ラブロフ外相は「シリア問題とウクライナ東部の情勢をめぐって両首脳が意見交換をして、両国の立場はほとんどの点で一致している」としています>という発言だ。
  今月7日に、日本を除くG7の6カ国がアレッポの即時停戦を求める共同声明を出し、EUの首脳がウクライナ問題を巡りロシアの経済制裁を半年間延期することで合意した中で、日本とロシアの両首脳がシリア・ウクライナの問題で意見交換して立場を一致するという判断は外交的に問題ないのだろうか?ロシアにもアメリカにもへつらいながら、それでいてどっち付かずの態度で浮いているように見える。こんな国が信用されるのだろうか。

原発国民負担「過去分」2.4兆円 福島第一処理費倍増21.5兆円
新電力の負担は当然…原発処理費に経産省が想定問答
英原発に1兆円支援  政府、日立受注案件に
<福島原発事故>甲状腺がん初の労災認定
 相変わらず原発がらみのわじわじーするニュースが溢れている。

 龍郷湾への巨大クルーズ船の誘致騒動が収まったと思ったら、今度は奄美大島の名瀬勝に産廃処分場建設の計画が持ち上がっている。住民説明会では、本土の災害ゴミが持ち込まれる可能性が示されたそうだ。福島の事故後、放射性廃棄物の埋め立て基準が8000ベクレル/Kgまで引き上げられている。世界自然遺産登録を目指す島に、なぜこんなものを造ろうとするのか。

崎原・田平集落の滝
↑産廃施設の建設予定地の近くには、崎原・田平集落の滝がある。この滝は林道を下りて沢を歩いたところにあり、あまり観光客も訪れず自然のままの姿を残している。奄美大島にはいくつか有名な滝があるが、個人的には一番きれいな滝だと思う。
 朝日新聞の記事で、奄美大島在住の写真家・常田守さんがこの滝を案内している。
鹿児島)奄美の森で産廃処分場建設計画 住民は反対
バルセロナの白ゴリラ
 琉球新報に「来春 沖縄で会おうね ホワイトライオンこどもの国へ」という記事が載っていた。この記事を読んで東北サファリパークから沖縄こどもの国にホワイトライオンが贈られることより、毎年サファリパークの象が沖縄に越冬で来県していることに驚いた(笑)。
ちなみに、嘗てバルセロナの動物園にはホワイトゴリラがいた。写真は1986年に撮影。1963or64年〜2003年まで生きていたようだ。
 今年の6月4日に撮影した、氷見・鍋床地区の虫送り行事の様子をPhoto Albumにしました。こちらこちら
虫送り01
↑集落の中央から村外れの広場まで、子供達を先頭に大勢の人で曳いて運ばれる巨大な松明。広場の近くまで来たら、松明に火がつけられる。
↓村外れまで運ばれた松明は、広場の中央に立てられて燃やされる。
虫送り02
 夜、パプアニューギニア付近でマグニチュード7.9の地震があった。

12月14日(水)

 昨日の夜、国内では初となるオスプレイの墜落事故が起きた。オスプレイは今月に入り宜野座村の民間地上空で物資のつり下げ訓練を行ない、地元の区長から抗議を受けていた矢先だ。

  今回の事故を最初に知ったのは夜遅くFacebookに流れてきた、NHKのNEWS WEBの「 米軍オスプレイが沖縄県名護市沖に不時着」という記事からだった。しかし夜間のことで映像もなく、どんな事故かわからなかった。
 夜が明けてから様々な画像・映像が流れて、事故の様子が分かってきた。
オスプレイが不時着水 2人けが 沖縄・名護東方沖
オスプレイ墜落 名護東沿岸、夜間訓練中 乗員5人、2人けが
オスプレイ墜落:機体折れ、無残 衝撃の大きさ物語る【写真特集】
 ネットでは不時着か墜落かという議論もあるが、画像を見る限り<不時着に失敗して墜落し大破>という事ではないだろうか。また、この海岸で大破したオスプレイとは別のオスプレイが昨日、普天間で胴体着陸していたことも分かった。
 稲田防衛大臣は今日の未明、在日米軍トップのマルティネス司令官と電話会談し、事故原因の究明と日本側への情報提供をもとめ、安全性が確認されるまでは飛行停止するよう申し入れた。 そのマルティネス司令官は、今回の事故について「空中給油の訓練中にホースが切れて、不具合が生じ、飛行が困難になった」と説明している。You Tubeに、過去にあったオスプレイの空中給油失敗シーンという映像があった。
  また沖縄県の安慶田副知事は在沖米海兵隊トップのニコルソン四軍調整官に対して抗議を行なったが、「パイロットは住宅、住民に被害を与えなかった。感謝されるべきだ」と不満を示したそうだ。

 ネットにはこの事故を受けて早速オスプレイを擁護したいのか「飛行10万時間あたりの事故率」という出典:産経新聞とかかれたグラフが出回っている。この産経のグラフに対する反論がこちらに載っている。沖縄タイムスの今年一月の記事「米海兵隊オスプレイ、アフガンでの運用率1% 事故率は41倍」 でも事故率の高さが伺える。
 沖縄県内で今年発生した米軍機の墜落事故は9月のハリアーに続いて2件目。毎日新聞の記事に詳しく書かれているが、昨年はヘリがうるま市の沖で艦船への着艦に失敗、2013年は5月にF15が本島東沖に墜落し、8月にはキャンプ・ハンセン内にヘリが墜落している。

 昨日、新湊へ出かけて先月19日に撮影した「澗建のえびす様渡し」でお世話になった2軒の頭屋と神事を司る西宮神社へ写真とフォトブックを届けてきた。撮影した全ての祭りや神事の写真を関係者に差し上げる事はできないが、個人の家に上がらせてもらったのでお礼としてお渡ししてきた。 家に伺ったついでにお話しも少し聞けたし、西宮神社ではお神酒を2本頂戴しボンボコ祭りの資料もいただいた。

えびす様渡しの写真とフォトブック
 これまで一年間えびす様を預かっていた頭屋の野村さんが定位置網漁の澗建だというのは聞いていたが、これから一年間えびす様を預かる頭屋の野口さんがどんな漁を行なっているか尋ねたところ小型底引き網の澗建だそうだ。また組合の名前は宮ノ町だという。宮ノ町は屋号のようなものだろうか。嘗ては6つあった澗建は現在5つになり、澗建の種類としては他に籠縄、刺し網、一本釣り・延縄があるそうだ。
新湊の内川の風景
届いた本

↑昨日の小雨が降る新湊。17時半ですっかり暗くなった内川。

←先日アマゾンでポチったLIFEの写真集『with Mother』が昨日、『LAUGHS LAST』今日届いた。

 今年の6月3日に撮影した津沢夜高あんどん祭の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 

津沢夜高あんどん祭01
↑浦町の子供行灯。↓町の中心に向かう蓑輪の大行灯。
津沢夜高あんどん祭02

12月11日(日)

 本格的に冷え込んできた。積もることはなかったが、昨日は富山の平野部で初雪が降った。今まではストーブで過ごしていた居間に、コタツも用意された。ゴロンと寝っ転がる時間が増えそうだ。
12月8日の立山連峰

 上の写真は、8日夕方の立山連峰。この日は一日天気が良かったので、夕方近くになって自転車で小矢部川の堤防を走りに行ったが、空気が冷たくて耳が痛くなった。もう秋から冬へ。

 この2、3日は天気も良くないし寒いので部屋に籠って『報道写真の青春時代 名取洋之助と仲間たち』を読んでいた。大判で255P、写真もたっぷりあり読み応え、見応えのある本だった。
 あとがきで、著者がアート写真と報道写真の違いについて、こんな風に述べている。
 <アート写真は、インストゥルメンタル(歌唱を含まない器楽演奏)の音楽に例えることができると思います。心地よい写真は時代を超えて生きることができます。
 報道写真はメッセージを伴った音楽、歌詞を伴ったかたちの演奏表現である場合が多いように思います。メッセージが付いているばかりに、時代が変わってから聴くと、陳腐になってしまうことがしばしばあります。でも、そのメッセージソングは、その演奏者にとっては時代の言葉、青春の歌なのです。
 現在では時代遅れのビートだけど、写真によっては、撮影者の意思がスイング感とか、ライヴ感となって伝わってきて、つい聴き入ってしまう。
 なぜ、彼はそのメッセージを必死に伝えようとするのか。そのメッセージを聴き取る行為は、その時代について考えることでもあります

 セバスチャン・サルガドの作品のように、優れた報道写真でありながら高いアート性を持つ写真もあるのでスッパリと分けることはできないが、なるほどと思うところもある。そして一番印象に残ったのが<筆者は報道写真は「見届ける意思」の実行行為だと考える>という言葉だった。
 この本の巻頭ページ <若き報道写真家たちに、そしてネガを守って下さった方々に感謝をこめて。皆が夢みた報道写真の理想の言葉を>として、1936年、ヘンリー・R・ルースの『LIFE』誌創刊の予告の辞を載せている

人々の暮らしを見るために。
世界を見るために。
大事件を見届けるために。
貧しき者の表情を、傲る者のしぐさや態度を見つめるために。
不思議な様々なもの、機械、軍隊、大群衆、密林や月面の陰影までも見るために。
人が成し遂げた行為や作品、絵画や巨大な塔、偉大な発見を見るために。
何千里の彼方にある物事を、壁や密室の中に隠れている物事を、
近寄るにはあまりに危険な物事を見るために。
それらすべてを見ることによって喜びや新鮮な驚きを得、目が啓かれんことを。

 本棚からLIFEの写真集を取り出して、久しぶりに見た。LIFEの写真集は『SMILE BACK』『CARRIES ON』の2冊を持っているが、他も見たくなってアマゾンで探して『LAUGHS LAST』と『with Mother』をポチった。
 名取洋之助は昭和8年に写真家を集めて報道写真の仕事をする日本工房を設立するが、 事務所は銀座の交詢ビルにあった。バー「サン・スーシー」は、交詢ビルが落成した昭和4年にオープンしている。名取洋之助らが、このバーで呑むことはあったのだろうか。

サン・スーシー
 今年の5月19日に撮影した布尻と町長地区に伝わるお鍬さま祭りの様子を、Photo Albumにしました。こちらこちら
お鍬さま祭り01
↑家の前をお神輿が通ると、無病息災を願い下を潜る。↓お神輿は迎え火が焚かれた境内を進み、拝殿に入って行く 。迎え火は左義長のように、枯れ枝とお守りやお札をうず たかく積んだものを燃やしていた。
お鍬さま祭り02
 SNSに<公園のベンチが人を排除する? 不便に進化するホームレス排除の仕掛け>という記事が流れていた。ネットのニュースでは、<日本で生まれ育ったタイ人高校生に強制退去、二審も覆らず「悔しいし悲しい」>という記事が。弱者をとことんいじめる国になってきた。
 南方新社よりオーストリアの民俗学者、ヨーゼフ・クライナー氏が半世紀前の加計呂麻島を撮影した『加計呂麻島 昭和37年/1962』という写真集が発売になった。

12月7日(水)

 今日は二十四節気の一つ、大雪だそうだ。朝、Facebookを見ると2年前の自分の投稿が流れてきて、外に雪の積もった写真が貼ってあった。この年は12月3日に高岡で初雪が降って、7日に雪が積もった。
 下の写真の左が今日の景色、右が2年前の景色。
今日と2年前の外の景色

 先日、アマゾンで写真集を3冊ポチった。購入したのは『もうみんな家に帰ろー!26歳という写真家〜一ノ瀬泰造/一ノ瀬信子編』『スモールプラネット/本城直季写真集』『Father/橋口譲二』。2冊は一昨日には届いたが、『Father』が昨日になっても来ないので、今日も郵便受けを覗くが入っていない。まだかな〜と思いながら、ふと玄関ドアの下の方を見ると封筒が立て掛けてあった。たぶん昨日のうちに配達されたが、大きくて郵便受けに入らないのでドアの下に置いていったのだろう。
 一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらさようなら』は、10代の後半か20代前半に読んでいる。『もうみんな家に帰ろー!』は、一ノ瀬泰造の母・信子さんによって作られた写真集で、写真の他に日記やデータなどが掲載されている。
 レンズの逆あおりで極端に被写界深度を浅くして、現実の世界を箱庭のように写した本城直季氏の写真集『スモールプラネット』。この写真集が発売されて、もう10年が経つようだ。当時、カメラ雑誌や広告で何点か写真を見ているが纏まったものを見るのは初めてだ。
 『Father』は柔道家の山下泰裕、ジャーナリストの筑紫哲也に始まり有名無名の父親が登場する肖像写真集。一番最後のページには、38歳の忌野清志郎がFatherとして登場している。

購入した本
 今日、郵便局にハガキを出しに行った帰り、スーパーに寄ってロッテのラミーを買って来た。ちょっと値段が高いので毎シーズン1個〜2個くらいしか買わないのが、今年はもうすでに4個目か5個目だ。姉妹品のバッカスも1個買っている。
 L⇔Rのボーカル、黒沢健一さんが亡くなった。L⇔Rの音楽はあまり聴いていないけれど、雑誌レコードコレクターズの「コレクター紳士録」という大鷹俊一さんの連載で黒沢さんを撮影したことがある。何ヶ月か前に脳腫瘍を公表したという記事は読んでいたが、それにしても48歳は若すぎる。
↓今期ハイペースで食べているラミー。→黒沢健一さん。2001年に撮影。
黒沢健一さん
ラミー
 今年の5月15日に撮影した、氷見けんか山祭りの写真をPhoto Albumにしました。こちらこちら
伏木けんか山祭り01
↑けんか山祭りで知られているが、正式には伏木神社の春季例大祭。お神輿と一緒に母衣武者に扮した子供達が巡行する。
↓昼の花山から提灯山に変身して山倉を出発する曳山。この後、けんか山の由縁となる曳山のぶつかり合いが繰り広げられる。
伏木けんか山祭り02

 このところ、まとめサイトの盗用問題が話題になっている。今日は、DeNAが3時間に及ぶ謝罪会見を行った。こちらにその中継映像があり、アーカイブが観れる。
DeNAの「WELQ」はどうやって問題記事を大量生産したか 現役社員、ライターが組織的関与を証言
DeNAが「MERY」全記事の非公開化を発表「厳正かつ公正な調査」のため
まとめサイトの盗用、ある“浴衣画像”探してみると…「盗まれすぎて収拾つかない」事態に
  著作権の侵害や盗用疑惑があるのはDeNAだけではなく、他のまとめサイトでも「?」と思うような事例はいっぱいある。自分の写真もアチコチのまとめサイトで勝手に使われている。一番反応が多いのは、これだろうか。一応出典は明記してあるが、こちらに問い合わせもなく、もちろん承諾もしていない。
キュレーションメディアに写真をパクられたら請求書を送ることにした」という方もいる。

 大気が不安定なのか、夜になって雷がゴロゴロと鳴っている。
<高知県沖>米軍機が墜落 パイロット1人が緊急脱出
パキスタンで国内線旅客機が墜落、乗客乗員47人搭乗
  最近、飛行機の墜落事故のニュースが多いような気がする。先月の28日にも、ブラジルのサッカー選手ら77人が搭乗した飛行機が墜落している。

12月4日(日)

 これから冬に向かって寒さが厳しくなり、だんだんと自転車に乗る機会も減るだろうから、晴れていれば運動と日光浴を兼ねて乗るようにしている。昨日は片道一時間程かけて、高岡の古城公園まで行ってきた。もう紅葉は9割りほど終わっていた。地面に落ちている葉も、なんだか乾燥して丸まっていたり縮こまっていた。
 下の写真は、公園の駐車場に部分的に残っていた紅葉。紅葉の写真としては微妙だが、アブストラクトとして観ると面白いかもしれない。
紅葉
 今日は砺波市美術館で開催されている『写真家 高道宏追悼展』へ。14時からギャラリートークがあるので、余裕をみて12半頃に家を出る。途中は、いつもと違う道を自転車で走ったらまた迷子になるそうになったが上手く軌道修正できて、13時40分頃に到着。砺波市美術館はチューリップ公園に隣接しており、前を通った事はあるが中に入るのは初めてだ。
 ギャラリートークの始まる前にササッと一通り観て、1時間強のトークを聞きながらもう一度会場をまわる。トークの終了後、もう一度ゆっくり写真展示を眺めて会場を出た。
 500円のチケットには常設展の入場料も含まれているので、2階で開催されている無料の企画展と一緒に常設展も観て美術館を後にした。2時間半程居たのだろうか。美術館の中には画集や図録を置いた小さな図書室があった。ちょっと棚を覗くと、写真集はJean Loup Sieffの『40 Years of Photography 』と、比嘉康雄さんの『母たちの神』が目についた。久しぶりに『母たちの神』を見る。手元に欲しいが余りに高くて買えない
砺波市美術館
 16時を過ぎて、だいぶ外は暗くなっていた。また一時間強をかけて自転車を漕いで家に帰る。下の写真は家から砺波市美術館へ向かう途中に撮影したスナップ。全てモノクロのプリントによる写真展を観たので、モノクロにしてみました。
風景スナップ
 今年の5月5日に撮影した城端曳山祭りのスナップをPhoto Albumにしました。こちらこちら
城端の曳山行事01
↑横笛、三味線、太鼓といった囃子の入った庵屋台。↓日が暮れ始め、曳山に提灯が飾り付けられる。
城端の曳山行事02
 朝本浩文さんが亡くなった。朝本浩文さんといえば、個人的にはUAとの仕事かな。You Tubeから1曲「ミルクティー/UA」。作詞:UA、作曲:朝本浩文。映像が途中で切れているけれど、素敵な曲だな。

12月2日(金)

 昨日のお昼、NHKのサラメシを観ていたら「あの人が愛した昼メシ」に冨田勲さんが登場。どこに通っていたのだろうと眺めていたら、「しながわ翁」で驚いた。2004年の1月に『こだわり蕎麦屋を開く』という書籍の表紙の仕事をいただいて撮影したのが、しながわ翁のもりそばだった。

 1990年頃から2000年代の初め頃まで、柴田書店の雑誌やムックを中心に料理の撮影が多かった時期がある。その頃、被写体として難しいな〜と思っていたのが、もりそばやアーリオ・オーリオのようなシンプルなパスタ、マルゲリータのような素朴なピザだった。
 この表紙のもりそばは、マミヤの645で撮影。ライティングはシンプルにバンクを付けたストロボ1灯で、レフを置いたのと無しの2パターンを撮影。現像はバックの白抜けを良くするのに1/3増感している。
 店名からもわかるように、しながわ翁のご主人は山梨県・長坂の名店「翁」で高橋邦弘さんの元で修行した方だ。
 高橋邦弘さんの門下生は全国に散らばっていて、富山にも「富山 達磨」がある。

 しながわの翁は、撮影した後しばらくして一度食べに行っている。物腰の柔らかいご主人だったと記憶していたが、番組を観ていると12年経っても同じ印象だった。

こだわり蕎麦屋を開く

 先日、「池田浄瑠璃公演」の写真を文庫サイズ36ページのフォトブックにして新瀬戸公民館に送ったところ、お礼の手紙が届き、子供達や親御さんが喜んでいたと書いてあった。そして、この手紙と一緒に『新瀬戸地区のうつりかわり』と題した郷土誌が同封されていた。A4サイズ126ページのしっかりしたもので、村のおいたち、池田城と越中瀬戸焼など地区の様々な事が記されている。さっそくパラパラと捲って読んでいると廃県変遷表というのに目が止まった。
  廃藩置県が実施されたのは明治4年の7月14日だが、この時点で越中国(現在の富山県)の婦負郡(ねいぐん)と新川郡の一部が富山県となり、新川郡の大半と砺波郡、射水郡は金沢県になっている。調べ物をしていて、つい先日新川郡が嘗て金沢県だったと知って驚いていたのだが、砺波、射水もそうだったのか。
 もっと驚くのは廃藩置県の実施された4ヶ月後の明治4年11月20日に射水郡は七尾県、射水郡以外は新川県となり、県庁所在地が魚津になっている。そして翌明治5年9月27日に射水郡も含む嘗ての越中国が全て新川県となり、明治9年4月18日に今度は丸々石川県に組み込まれている。越中国が現在の形の富山県になるのは明治16年5月9日からだ。
 こんな事、学校で習っただろうか。授業をサボってたんだろうか。それにしても、明治は激動だな。

↓→公民館から送っていただいた郷土誌。
郷土誌01
郷土誌02
 今日でSACO合意から20年が経った。沖縄タイムスは「きょうSACO合意20年 沖縄への基地集中変わらず」という記事を書き、琉球新報は「日米、97年にオスプレイ協議 沖縄配備10年まで隠す」という記事を書いている。

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