HOME TOP | ||
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 |
||
8月1日(月) 歯医者 10時〜 |
||
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
||
昨日上陸した台風10号は、東北や北海道に大きな被害をもたらしたようだ。 昨日の富山は何度か激しい雨が降っただけで、強風もなかった。そして今日は、朝から台風一過の青空。午前中に、予約してある歯医者へ。今日が治療3回目で、欠けた歯の上に金属を被せた。これで治療は終了だが、2年ほど前に沖縄で歯の治療のついでに歯石を取ってもらったが、そろそろ歯石がついているようなのでこちらの予約をした。 熊本地震を受けて、鹿児島の三反園知事から原発を一時停止し安全性の再点検をするよう申し入れを受けている九州電力だが、今日、一時停止の要請には応じない事が発表された。夜になって、 熊本を震源とする最大震度5弱の大きな地震が起こったのは、凄い偶然だ。 |
||
昨年の10月17日に撮影した、慈光院の火渡り法要の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑木材を八角形に組み、ヒバの枝を被せ5色の紙垂を飾った護摩壇に火がつけられる。 |
||
今日も割かし涼しい一日だった。 午後から、姪っ子が所属する吹奏楽部の定期演奏会を聴きに行く。3年連続で聴きに来たが、姪っ子が出演する定期演奏会は今回が最後。 |
||
先日は、錦糸町の河内音頭大盆踊りの写真がFacebookにいろいろ流れて来たが、今日は朝から浅草サンバカーニバルの写真がよく流れて来る。昨日、35回目のサンバカーニバルがあったようだ。 |
||
湯島にある出版社の仕事をよくしていたので、打ち合わせや写真の納品の後に、浅草まで散歩に行くことが多かった。サンバカーニバルは、2005年に一度だけ見に行った。沿道の人垣が二重、三重になって三社祭よりも人が多かった気がする。 サンバカーニバルを見に行った日は、禁煙を始めてまだ一ヶ月も経っていない頃で、禁煙の後遺症か身体が痺れたり怠かった記憶がある。 もう煙草を止めて11年になる。 |
||
朝から曇りで、時おり冷たい風が吹いて来た。扇風機が無くても過ごせる。なんだか秋の気配。 昨日から、福野のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド2016が始まった。昨年は、スキヤキのフィナーレコンサートを見ようと両親を誘ったら、思いがけず二人とも楽しんでいたので、今年は昨日行なわれたオープニングコンサートを見に行った。 生憎の雨で巨大人形は登場しませんでしたが、強い風雨の中でもコンサートは無事に行なわれた。 |
||
↑雨が降る中、スキヤキ・スティール・オーケストラによる演奏で幕を開けた。 |
||
↓→サカキ・マンゴー氏を講師に迎えた、親指ピアノ・ワークショップの発表。 |
||
↑市民楽団トゥーマラッカによる、パーカッション演奏。 |
||
↓→ソマリランド共和国の、サハラ・ハルガン・トリオ。 |
||
↓→マダガスカル共和国の、ダミリー。 |
||
↓→ピーター・ソロ率いる、ヴォードゥー・ゲーム。 |
||
↓→ベネズエラ共和国の、セシリア・トッド。 |
||
You Tubeから 「HOBAA LAYOOW/SAHARA HALGAN TRIO」、「 Hazo Latsakandoha /Damily」、「Meva/Vaudou Game」、「 La Ballena /Cecilia Todd」。 巨大人形が登場するスキヤキパレードは、今日の午後。予報は曇りなので、一緒に歩くにはちょうどいいかも。 |
||
小矢部市にある大念寺には160体以上のお地蔵さまが祀られており、今日、地蔵盆が開催されるようなので自転車で見に行った。 地図で調べると、大念寺は石動の中心部にある。石動までは小矢部川の堤防を走って行くことにした。このルートが案外早くて、車も通らないので快適だ。何より、景色が好い。 |
||
地図をプリントアウトして持って行ったが、ほとんど迷う事なくお寺に到着。門の横にある地蔵堂の扉が開放されていて、お地蔵さまがぎっしりと並んでいるのが見える。お堂の前には折り畳み椅子が並べられていた。地蔵盆は何時頃から始まるのだろうか、と思いながら境内に入って行くと、住職の方が出て来られた。すかさず尋ねてみると、19時半からお勤めとご詠歌の唱和が行なわれるそうだ。 「とやまの文化財百選シリーズ」には、子供たちが近隣の町内を回り供物等を集め、地蔵盆が開かれる、と書かれているが、現在は子供たちが供え物を集める事はないそうだ。 |
||
お地蔵さまは、この地域に散らばっていたものが集められたそうだ。お供えの下に名前が書いてあるのは、元々の所有者だそうで、20名ほどの名前が記載されている。 ◯北朝鮮、潜水艦から弾道ミサイル発射 500km飛行、日本の防空識別圏に落下 |
||
先月、お世話になった学芸員の方に『琉球弧の祭祀と行事』を送ったところ、そのお礼にとお中元をいただいた。中にはパイナップルと今帰仁の泡盛「美しき古里」が入っていた。パイナップルは直ぐに食べ、泡盛はしばらく神棚の下に置いておいたのだが、今晩封を開けてストレートでちびちびと呑んだ。富山に帰って来てから泡盛を呑んでいないので、2年ぶりだろうか。度数が20度なので、スーッと呑める。 | ||
↓→お中元にいただいた、パイナップルと泡盛。 |
||
台風一過の青空。といっても、高岡は時おり強い雨が降った程度だったけれど。 午前中にプールで1時間ほど泳いで、午後から高岡市中田で行なわれる地蔵盆を見に行く。自転車を1時間ほど漕いで、戸出を通り過ぎて庄川を渡ると中田に着いた。自転車で中田に来るのは2回目だ。 |
||
中田の町に入って最初に見つけたお地蔵さまのお堂(祠)は2つ並んでおり、幕が飾られ、野菜やお菓子が供えられていた。この近くに西三町公民館があり、その中に西町の地蔵盆が設えられていた。 ネットで西町の地蔵盆は男の子用と女の子用の2つあるという情報を見たが、お地蔵さまの近くに住む年配のご夫人に話しを聞くと、お寺のご住職が亡くなり今は一つだけになったそうだ。 |
||
地蔵盆はお堂の後ろや横にテントを張ったりしてするのかと思っていたが、お堂からお地蔵さまを借りて公民館や民家の入り口に設えたひな壇に祀って行なわれていた。 | ||
↓→公民館に設えられた、西町の地蔵盆。 |
||
↓→子供がお参りに来ていた、中町の地蔵盆。 |
||
↓本町の地蔵盆。裏には子供が居らず、お年寄りが鉦を鳴らしていた。祀られているお地蔵さんが2体、その横に日本人形やフランス人形が並んでいる。紅白の鏡餅がお供えされているのもユニークだ。 | ||
↓→コミュニティーセンター近くで見つけたお地蔵さま。 |
||
↓公民館に設えられた、東町の地蔵盆。 |
||
↓→公民館に設えられた、南町の地蔵盆。 |
||
↓→公民館に設えられた、宮町の地蔵盆。 |
||
↓→民家の入り口に設えられた、西中町の地蔵盆。 |
||
ひな壇のお供えの下に、名前が書かれている。厄年でお供えした子供の名前だろうかと思ったら、地蔵盆に参加する小中学生全員の名前だという。西中町は二人の名前しかないので、町内に小中学生は二人しか居ないのだ。子供が比較的多い西町は、紙に書かないとも聞いた。 地蔵盆は子供の行事で、昔は子供がお供えを町内から集めて来たらしい。 ←中田の旧街道。旗がたなびき、鉦の音があちこちから響いて来た。 |
||
お地蔵さまの後ろで鉦を鳴らすのは子供の役目だったと思うが、本町の地蔵盆はお年寄りしか居なかった。他も子供達はゲームをして、お母さんたちが鉦を鳴らしていたり。中町の地蔵盆は、子供たちだけだった様子だ。 夕方になれば行灯や提灯にあかりが灯る。南町の父兄の方に聞くと、夜の9時までお地蔵さまの横にいて鉦を鳴らすそうだ。地蔵盆は今日と明日の2日間に渡り行なわれるようだ、各町内の地蔵盆を見て歩いている人は他に居なかったのが残念だったが、情緒のある行事だと思う。個人的にはかかし祭りより面白いと感じた。 午後2時頃に自転車で家を出て、中田に着いたのは3時。それから2時間ほど地蔵盆を探して写真に収めて、5時頃に帰路に着いた。 下の写真は、中田を出て庄川を越えた辺り。ぽっかりと空いた雲の間から、天使の階段が降りて来た。日中は日差しが強くて真夏の暑さだったが、日が傾くとずいぶんと涼しくなった。日が暮れるのも少し早くなって来た。 |
||
午後から、ミュゼふくおかカメラ館で開催されている『岩合光昭どうぶつ写真展ー地球の宝石ー』を見に行く。14時からカメラ館のエントランスで行なわれた、富山市ファミリーパークの山本茂行園長さんのニホンライチョウの人工飼育などの話しを聞いたあと、ゆっくりと館内の写真展示を見て来た。 |
||
↓→山町筋から末広町方面を撮影。人通りが少ない。 |
||
↓土蔵造りの家の一階壁面約1メートル四方に、画像を投影。これをプロジェクションマッピングとは言わないだろうな。 |
||
昨年10月12日に撮影した、小川寺の獅子舞の様子をPhoto Albumにしました。前半はこちら、後半はこちら。 | ||
「小川寺の獅子舞」と紹介されているが、獅子は神輿の露払いで一般的な獅子舞のようには舞わない。獅子頭を左右に振ったりするが、舞うというより型のようなものだ。 旗を持った子供を先頭に、天狗、ばば面を被った2人、2人獅子、あねま面、笛の奏者、神輿が隊列を作って千光寺の千手観音堂の周りをまわる。 |
||
お盆が終わり、今日から高江の抗議行動が再び開始された。今朝、400人、180台の車が高江に終結したようだ。 今日も午前中に1時間ほどドラムの練習をし、午後からプールへ。昨日、プールで水中メガネを装着しようとしたら、ゴムバンドを通すプラスチックの部分がパキッと取れた。しょうがないので、今日プールへ行く前に100均で購入した。 |
||
昨日は『満月の夜に怪しくナイト』というライヴに誘われて、高岡へ。会場は山町茶屋という、古民家を改造したお店。ベトナム料理を食べながら、ブラジルの音楽を楽しむ企画。 18時半にスタートして、途中に休憩を挟んで20時半頃までだったか。ベトナム風サンドイッチとココナッツチップスをつまみに、ベトナムビールを飲んだ。 |
||
↑vo.布上智子、pf.木村郁絵、per. 井上恭子、dance.牧聡子。 |
||
明日の21時から、NHKスペシャル「沖縄 空白の1年~“基地の島”はこうして生まれた~」が放映される。そして明日からおわら風の盆前夜祭が始まる。 | ||
8月16日(火) |
||
今日あたりは、まだお盆休みなのだろうか。沖縄は旧盆で、昨日がウンケー、今日がナカヌヒー、明日がウークイ。沖縄タイムスも琉球新報も、八重山の旧盆行事アンガマの記事を掲載している。 昨日の午前中は、雨の中を4つの墓地をまわって、7つのお墓参りをしてきた。昨年も一昨年も、お墓参りは晴天だった。雨の降るお盆は、ちょっと珍しいかな。 12日に再稼働した伊方原発3号機が昨日発送電を開始したが、さっそく原発の近くにある伊予灘を震源とする地震が発生した。そんな中、今日、四国電力の佐伯勇人社長は「これだけ安全対策をした中で、60年運転というのは念頭に置くべきかなと思う」と言及し、法定の40年を超える運転延長を目指す意向を明らかにした。馬鹿も休み休み言って欲しい。 昨日は、終戦記念日。お昼のニュースで、式典の様子を少しだけ見ていた。 特攻兵機として零戦や人間魚雷の回天は知られているが、奄美群島の加計呂麻島には震洋という特攻艇が配備されていた。加計呂麻島・呑之浦にある作家・島尾敏雄が率いた第18震洋隊で、湾に面した場所に掘られた格納壕には、特攻兵器である震洋のレプリカが1艇設置してある。 震洋艇について島尾敏雄は、対談集「ヤポネシア考」(葦書房)の中で、次のように語っている。 「震洋は04(マルヨン)兵器と呼ばれたもので、形は普通のモーターボート、船体はベニヤ張りです。エンジンは自動車エンジンだと聞いていました。一人乗りで、ボートの舳先の部分に、二百三十キロの爆薬が、鉄の容器に入れられてくっつけてあるんです。舳先に衝撃が与えられると、舳先が引っこむ、すると電気の回路が形成されてボカンと爆発することになっている。ですが、海岸に穴を掘ってその中に隠して置きますと、湿気が多くってベニヤ板の艇体全体が回路みたいになってしまうんです。だからうっかりスイッチを入れたりすると、その場で爆発してしまいます。それで死んだ者も多いんです。近くの基地でしたが、指揮官で行っていた同じ仲間の三木十郎が、そうした事故の誘爆に巻きこまれて死にました。 電気を使うことができなければ、どういうふうにして爆発破壊させるかというと、ぶつかると同時に、目の前の把っ手を引くことにしていました。すると人間もろ共ふっ飛ぶ。まあそういう訓練をしましたけど、はたして実際にやってみて、どういうことになったかは、分りませんね」ーアメリカ軍は自殺艇と呼んだ 作戦変更がもうできなかった日本軍ーより。 |
||
↓格納壕から見た風景。↑→震洋艇のレプリカ。 |
||
昨年10月10日に行なわれた戸出野神社の幌武者行列の写真を、Photo Albumにしました。こちら。 | ||
↑町内を練り歩く幌武者行列。武者に変身した子供は台に乗り、大人が押している。 ↓行列の先頭を露払いをしていた東町の神様獅子。行列の後、神社に戻って拝殿の前で獅子舞の奉納が行なわれた。 |
||
しばらく過ごし易い日が続いたと思ったら、昨日からまた暑さがぶり返してきた。 |
||
沖縄に住んでいた2013年8月5日にも、キャンプ・ハンセン内で米軍のヘリが墜落する事故があった。この事故は地元のテレビが連日報道していたので、よく覚えている。墜落場所が、宜野座村の住民が飲料水として取る大川ダムの近くで、役場の職員が水質検査に入ったが、調査に制限が設けられた事なども報道されていた。これが沖縄の現実なんだと、テレビのニュースを見ながら感じていた。 ところで、最近の中国船の領海侵犯を受けて、普天間の移設反対や高江の工事中止を求める人たちに対して「現実を見ろ」というコメントがネットにたくさん書き込まれている。はて、現実を見ていないのはどちらだろうか。 |
||
昨年10月1日に撮影した新湊曳山まつりの写真をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑新湊庁舎の前にて。↓花山の巡行が終わり、上の花飾りを外して提灯が取り付けられる。 |
||
伊方原発3号機が、今日の午前に再稼働した。これで国内で運転中の原発は九州電力の川内原発1、2号機に続き3基になる。 4月16日に起きた熊本地震は、中央構造線に沿って揺れた。もう忘れたのだろうか?伊方原発は、この中央構造線の直ぐ側にある。4月17日には伊方原発の直ぐ上、伊予灘を震源とする地震も起きている。 最近は震度4を超える地震が少なくなっただけで、今も熊本はほぼ毎日揺れている。この地震の履歴を見て、まだこの国で原発を稼働させようと思う神経がわからない。 伊方原発で過酷事故が起これば、豊後水道を泳ぐ関サバや関アジも食べられなくなるのでは? ◯ 伊方、不安置き去り再稼働 周辺自治体に広がる懸念・反対 ◯ 「日本に原発適地ない」 中央構造線の危険強調 伊方原発 |
||
昨年の9月26日に撮影した、相倉集落の写真と、上梨集落の白山宮での奉納獅子舞、奉納こきりこ踊りの写真をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑相倉集落。↓奉納こきりこ踊り。 |
||
昨日に続き、今日も涼しい風が吹き、湿度も低く過ごし易い一日だった。 今日が山の日で祝日だというのは何となく知っていたけれど、山の日が祝日として施行されるのは今回が初めてというのは今日知った。 |
||
昨年の9月20日に撮影した、城端むぎや祭のスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑五箇山民謡の「といちんさ」を踊る子供達。↓駅前ステージでの、むぎや踊り。 |
||
涼しい風が吹き、空気もカラッとしていて過ごし易い一日だった。 昨日パンク修理した自転車の前輪は、朝になっても空気が抜けている事はなかった。午後、プールに行く時に乗って行ったが、途中でタイヤが凹む事もなかった。初めてのパンク修理は成功だろうか。 |
||
昨年の9月13日に撮影した、小矢部の埴生護国神社での宮めぐり神事の様子をPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
↑出番を待つ間、拝殿の縁側に座ってリラックスしている「浦安の舞」を舞う稚児たち。 ↓宮めぐり神事は、道祖神を祀った道祖弊を持った長老を先頭に、古文書箱を捧げ持った小学生の男児、鎧兜に弓矢や刀剣を持った若武者が隊列を組んで拝殿の周りの縁台を7回半めぐり、最後に若武者が大声を上げて拝殿に突入する。 |
||
最近の高江のニュースを備忘録として。 ◯ 【速報!】「現場で何が起きているか知りたかった」安倍昭恵・総理夫人が沖縄・高江を訪問!~新ヘリパッド強行建設工事に反対する市民からは戸惑いの声――IWJが追ったその一部始終 2016.8.6 ◯現地リポート 沖縄・高江ヘリパッド強行“無法地帯”の実情 ◯ 「東京も沖縄も法律は同じはずなのに」〜高江のN1テントと経産省前「脱原発テント」で政府の矛盾が浮き彫りに——小口幸人弁護士インタビュー 2016.8.5 |
||
今日は長崎原爆の日。テレビは朝からリオオリンピックの話題で、早朝に金メダルを獲得した体操男子団体の映像が繰り返し放映される。 |
||
名瀬でお世話になった自転車屋さんのように500円で修理してもらえたらお任せしたいが、町内にある自転車屋さんは1500円らしい。パンクの度に1500円は勿体ないので、チャレンジする事にした。 |
||
↑劣化して破けていた虫ゴム。 |
↑新しい虫ゴムを装着。 |
↑印画紙の水洗用に使っていたパッド。 |
パンクした前輪の虫ゴムを見ると、劣化して少し破れている。修理セットに入っていた新しい虫ゴムと付け替える。ひょっとすると空気が抜けた原因は虫ゴムかな?とも思ったが、一応前輪のチューブをひっぱり出してパッドに溜めた水に付けて確認したところ、やはり小さな穴が一箇所開いていた。ちなみにパッドは、モノクロのプリントをしていた時代に印画紙の水洗用に使っていたもの。また役に立って嬉しい。 |
||
←トップページの模様替えをしました。今回はキャンプ・ハンセンのゲート前に広がる、金武社交街の広場で水遊びをする子供達です。服を着たまま水遊びする子供達を見ていると、やはりここが東南アジアの入り口だと思えて来る。 ↓これまでのトップページ。 |
||
昨日、天皇陛下が「象徴としてのお務め」についてご自身で述べられた。宮内庁のホームページにビデオと文が掲載されている。 | ||
今日は、広島への原爆投下から71年の「原爆の日」。そして現地時間5日の午後8時、日本時間の今日午前8時、リオオリンピックの開会式が行なわれた。新聞のテレビ欄にはリオの文字がいっぱいだ。 昨日は魚津のたてもん祭りを見に行って来た。祭りの開会式は20時、たてもんの奉納は22時30分からとなっていたが、ネットで検索していると昼間にはお神輿の町内渡御が行なわれと書いてあったので、少し早く着くようにする。 |
||
ネットで調べて滑川駅であいの風から電鉄線に乗り換えるが、乗り換え時間が6分なのに富山駅で少し出発が遅れたので、滑川駅では少し走った。 |
||
駅で諏訪神社の場所を確認して、祭場となる海岸へ歩く。 20分ほど歩いただろうか。海岸に着くと、道路に組み立て中のたてもんが並んでいた。土台には心柱が取り付けられており、これから提灯などの飾り付けをするところだった。 | ||
↑諏訪神社の前の道路でたてもんがで組み立てられていた。たてもんのちょうちんに、ローソクが仕込まれる。 |
||
たてもんの完成まで少し時間がありそうだったので、諏訪神社のお神輿を探しに漁港の方へ歩いて行くと、たてもんの倉庫があり、人がいらしたので話しを聞いてみたら、お神輿は7日と8日に出ると言う。 もともとたてもん祭りは8月7日、8日だったようだが、現在は「じゃんとこい魚津まつり」の中にたてもん祭りが組み入れられて毎年8月第1金曜と第1土曜に行なわれるようになったそうだ。それでも神輿の渡御は本来の祭り日である7日と8日に行なっているという事らしい。Wikipediaによれば、たてもん祭りも2006年までは8月7日と8日に開催されていたようだ。 |
||
漁港に行くと、豊漁と航海安全を願う祭祀だけに、漁船には日の丸や大漁旗が飾られていた。漁港の隣りでもたてもんが一基組み立てられていた。これは港町のものだろうか。 暫く眺めて、また諏訪神社の方へ行くと、こちらに並んでいたたてもんは提灯が飾り付けられほぼ完成していた。 |
||
↓→心柱に提灯を取り付けて完成。 |
||
↓諏訪神社。→日が暮れる頃、提灯のあかりがつく。 |
||
20時に、諏訪神社の境内で開会式が始まった。来賓の挨拶や祝電の披露の後、奉納順が決められる。順番は町名を書いた札が入れられた箱と、順番を書いた札が入れられた箱が用意され、それを二人で引く。町名札が港町で、番号札が5番なら港町の奉納は5番目となる。 | ||
今回の奉納順は二区が一番、五区が二番、一区が三番、四区が四番、港町が五番、元町が六番、3区が七番となった。奉納順が決まった後、諏訪神社の宮司さんから、各代表に札が渡された。 | ||
20時半になって、たてもんの奉納が始まった。最初のたてもんが境内に入って来る。土台の部分には笛や太鼓を鳴らす子供達が乗っている。ぶら下げられた提灯の数は明治時代は25張り、大正時代は約50張りだったのが、現在は町内によって違いはあるが多いものでは90張りほどあるようだ。 境内の所定の位置に運ばれたたてもんが、土台の担ぎ手と心棒の上部に繋げられた綱の引き手によって勢いよく回される。綱の引き手は遠心力でメリーゴーランドのように回転して、ところどころで宙に浮いていた。 |
||
→奉納の直前、灯りの消えた提灯のローソクを代える男達。 |
||
回転奉納が終ったたてもんは拝殿の前に移動し、次のたてもんが境内に入る。奉納が終った町内の担ぎ手たちは拝殿に入り、神職のお祓いを受け、代表者がお参りをする。 | ||
たてもんの回転奉納は1基あたり5分ほどだろうか。その後、拝殿の前に移動してお祓いを受ける。お祓いの後に、奉納を終えたたてもんが境内を出て行き、次の町内の回転奉納が始まる。そうして7基全ての奉納が終るのが23時頃だと聞いた。 | ||
最後まで見たいけれど帰りの電車の時間を考えて、21時半過ぎに境内を出る。海岸沿いの道路を歩いていると、端の方で待機していたたてもんが、境内に向かって移動していた。たてもんは、富山の曳山や夜高あんどんよりも、能登のキリコに似ているように思う。 |
||
あいの風とやま鉄道の魚津駅からの方が乗り換えが少なく料金も安いが、諏訪神社から歩くには遠いので来た時と同じ電鉄魚津駅へ。22時27分発の電車で滑川駅へ行き、あいの風とやま鉄道に乗り換える。家に着いたのは、日付が変わった頃だった。 | ||
今朝、北朝鮮がミサイルを発射。最初は能登沖に落下したというニュースが流れたが、後に秋田県の男鹿半島の西、およそ250キロの日本の排他的経済水域(EEZ)に落下したと報道された。北朝鮮のミサイルがEEZ内に落下したのは初めてだが、今のところ日本政府はこれまでと同じで強い抗議も対策も行なっていないようだ。 |
||
姪っ子に貸していたローランドのV-Draumsが、何年ぶりかで返って来た。昨日組み立てて、さっそく2時間ほど練習したら、左手の人差し指に豆が出来て水ぶくれしている。 |
||
今日の沖縄タイムスに興味深いコラムが掲載されていた。安田浩一氏の「沖縄ヘイトを考える(上) 差別主義者のはけ口に 勢い増す地域分断の動き」「沖縄ヘイトを考える(下) 偏見生むデマ次々と 事件被害者も攻撃対象に」。 このコラムの中で安田氏は、私の網膜には、あの日の光景が焼き付いている。2013年1月、沖縄の市町村長や県議たちが東京・銀座でオスプレイ配備反対のデモ行進を行ったときのことだ。日章旗を手にして沿道に陣取った集団が、沖縄のデモ隊に向けて「非国民」「売国奴」「中国のスパイ」「日本から出ていけ」と、あらん限りの罵声をぶつけた。彼ら彼女らは、日ごろから外国人排斥運動に参加している者たちだったと書いている。 |
||
↑2012年12月23日の「御万人大行進 愛と怒りのサウンドパレード」にて、日章旗などを掲げた集団が待っていた。 |
||
ところで、ヘイトスピーチを繰り返していた集団が「一万人もいないじゃねーか」と叫んでいた。御万人大行進を一万人の行進だと思っていたらしい。御万人は(うまんちゅ)と読み、民衆や大衆の事を言う。 |
||
もう8月だ。 昨日は都知事選が行なわれた。テレビの開票速報は観なかったが、パソコンのニュースで開票直後に小池百合子氏に当確が出たのを知った。こちらに開票結果が載っている。小池氏が2位の増田氏を100万票以上の差をつけて291万2628票で当選しているのも驚きだが、山口敏夫氏が1万5986票に対して、在特会の初代会長・桜井誠氏が11万4171票を獲得しているのも驚きだ。 |
||
一昨日の土曜日、生地のえびす祭りに行って来た。プログラムには、海上バレードは19時からとなっていたが、魚の駅生地に18時頃までえびす様と大黒様が飾られているとも書いてあった。 最寄り駅を15時37分発の電車に乗り、富山で一度乗り換えて生地駅に到着したのが16時46分。駅の待合室に置いてあった周辺地図をもらい、駅員さんに魚の駅の場所を確認。駅員さんがしばらく待てばバスがあると教えて下さるが、節約と土地勘を掴むのに歩いて向かう。生地駅から魚の駅まで約25分と書いてあったが、だいたいそんなものか。 魚の駅生地の手前にあった黒部コミュニティーセンターへ寄って祭りのパンフレットを貰おうと思ったが、花火のプログラムしかなくて困っていたら、通りかかった魚の駅の女性スタッフが海上バレードなどの時間表が事務所にあると案内して下さった。 事務所でいただいたスケジュール表には、海上パレードに出る船の名前や出発時間が書いてあった。そして、お神輿が巡行する時間も載っていた。 |
||
↑左は、あいの風とやま鉄道の生地駅。ここも初めて降りる駅だった。右は、魚の駅生地の中庭に飾られていたえびす様と大黒様。えびす様と大黒様は、このあと漁船に祀られて海上パレードに出発する。 | ||
↑18時少し前に、飾られていた大黒様が車に乗せられて正栄丸へ運ばれて行った。その後、えびす様が車に乗せられて政栄丸へ運ばれて行った。 | ||
↓→それぞれの船に祀られたえびす様と大黒様。 |
||
←漁港と外洋の途中にある移動式の中橋が開けられて、満船飾をつけた漁船がパレードをするため出て行った。漁船が全て出て行った後、また中橋は90℃移動して閉じられた。 ↓この漁港と外洋を繋ぐ水路に合流する小さな川から、紙で作った灯籠が流れて来た。子供たちが手作りした灯籠を、川の中に入った男性が受け取り、ゆっくり海の方に流している。 |
||
お神輿の巡行は19時20分に緑町鳥居前となっていたが、どこかわからないので本部のテントに聞きに行くと神明社だと言われたので、神明社まで歩いて行く。少し遠かったが神明社に着いて、通りかかった人にお神輿は今から出ますか?と尋ねると、お神輿は随分前に出たと言われる。緑町鳥居と言うのは神明社の事ではなく、海岸沿いに提灯で作られた特設の鳥居の事だった。後でお神輿行列の方に聞いたところ、お神輿の巡行は朝から西の宮を出発して町内をまわり、御旅所となっている神明社で休憩し、日が暮れてから緑町鳥居を出発して西の宮へ帰るそうだ。また。緑町鳥居から出発する時は、漁船が神輿に随行してついて行く。 | ||
↑神明宮から浜に出ると、ちょうど緑町鳥居を出発したお神輿の行列が歩いて来た。お神輿に随行する形で、飾りをつけた漁船も西の宮へ向かう。 | ||
→神輿を先導する猿田彦。地元では「めんだら」と呼ばれているようだ。 |
||
西の宮に到着して、宮司さんがお神輿から御神体を取り出し、本殿に返された。そして神輿行列に参加していた氏子の方々が拝殿に座り、神事が始まった。 | ||
西の宮での神事が終る頃、目の前の海岸で花火大会が始まった。 | ||
↓→海岸が長く、どこからもよく花火が見えそうだ。 |
||
花火大会は30分ほどだったろうか。西の宮のある阿弥陀堂浜から駅までは、一旦漁港の方へ行くより近いはずだけれど、暗くて慣れない道を歩くよりは遠回りでも歩いた事のある道がよいと思い、来る時に通った漁港まで戻った。 漁港の前の少し広い道をまっすぐ歩けば、生地の駅に着く。 漁港近くのコンビニで、コーヒー牛乳のパックを買って、飲みながら駅まで歩く。蒸し暑くて、Tシャツもタオルも汗でグッショリだ。 |
||
花火の終った後、えびす様と大黒様が西の宮に戻って来て飾られるそうだ。せっかくならその姿も撮りたかったが、帰りの電車に間に合わないと困ると思い、諦めた。 生地からの最終電車は22時56分だが、一つ早い21時49分の電車に乗り、帰路に着いた。 えびす祭りの由来などはこちらにある。 |
||
7月へ |