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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 |
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5月1日(日) 高岡御車山祭 5月1日(日) 御装束祭 射水市 賀茂神社 5月1日(日)、5月2日(月) 福野夜高祭 5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 鹿嶋神社稚児舞 5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 菅沼集落 五箇山春祭 5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 朝日町宮崎の獅子舞 記事 5月3日(火・祝) 「賀茂祭」・宵祭 射水市 賀茂神社 5月4日(水・祝) 「賀茂祭」・本祭 やんさんま祭 射水市 賀茂神社 5月5日(木・祝) 「賀茂祭」・裏祭 射水市 賀茂神社 5月4日(水) 滑川 赤浜の菖蒲打(ショーブツ) 5月4日(水)、5日(木祝) 城端曳山祭 5月4日(水)〜5月22日(日) 鋤田正義展 <SOUD&VISION Ver.2> しいのき迎賓館(2階イベントホール) 5月15日(日) 伏木けんか山 5月19日(木) お鍬さま祭り 6月 氷見市床鍋地区 虫送り 6月3日、4日 津沢夜高あんどん祭り 6月4日、5日 庄川観光祭 夜高行灯 6月10日(金)、11日(土) となみ夜高祭り 6月19日(日)、20日(月) 御印祭 金屋町 7月 福光 荒木ねつおくりまつり 7月下旬の土日 黒部市 生地えびす祭り 8月5日(金)、6日(土) 魚津 たてもん祭り 8月25日 婦中町 熊野神社の稚児舞 9月30日〜10月2日 築山・新湊曳山まつり 11月第3土曜日 射水市放生津・新湊地区 澗建のえびす様渡し 1月 南砺市利賀村 初午 *とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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6年前の昨日、奄美大島に向かって旅を始めた。奄美に到着するまでおよそ半月程の旅は、梅雨に向かって進んで行くようなもので、鹿児島に入って激しい雨の洗礼を受けた。 | ||
6年前の今日、5月31日は京都にいた。京極、先斗町、鴨川の河原をぶらぶらしてから、予約したホテルのある西陣に移動した。久しぶりに、この日撮影したスナップを現像してみた。6年前は西陣らしい写真を選んだが、今日は6年前には選ばなかった普通の街角のスナップに目がいった。 入り口に雑多なものが並べられたおもちゃ屋。西田屋と書いてある。下の写真は、庇に理容室いこいの文字。すっかり忘れていた風景だけれど、こうして写真を見るとなんとなくその時の情景を思い出す。確かに6年前、ここに立って写真を撮っていた。いつかまた、この町をふらっと散歩することはあるだろうか。 |
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◯甘利氏不起訴へ 現金授受問題で東京地検が任意聴取 もう、明日から6月だ。 |
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今日も午後から舛添都知事の記者会見があり、ネットの中継(アーカブはこちら)を観ていたがワジワジするばかり。舛添氏の木で鼻を括るような対応にも、同じことを繰り返し質問するマスコミにもウンザリする。 都民は、次々に登場する金銭の疑惑について全て答えて欲しいのだろうか。例えば、家族旅行で泊まったホテルで会議をしたので政治資金で支払ったという疑惑一つをきちんと解明できれば、随分とスッキリする。 ――家族で宿泊したホテルでの会議には、どういう人が何人きたのか。 政治的に機微に関わるし、相手方のプライバシーもあることだからお答えを差し控えさせていただきたい。人数も控えたい。 こんなものは政治の機微でもないし、会議をしていたというならプライバシーに関わることでもないだろう。会場に詰めかけた記者が一致団結し、会場を封鎖してでも問いつめればいい。 LITERAが舛添の美術館視察を批判した石原伸晃よ、父・慎太郎が四男の美術事業に血税5億円をつぎ込んだのを忘れたかという記事の最後に、セコイ疑惑で袋叩きにあっている舛添都知事と、何をやっても許される石原ファミリー。いったい、この国のメディアの価値基準はどうなっているのだろうと書いている。 |
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昨年9月5日に撮影した二口熊野社の火渡り神事のスナップを、Photo Albumにしました。こちら。 | ||
このところの原発関連の気になったニュース。 伊勢志摩サミットの終了後、アメリカのオバマ大統領が広島を訪れて慰霊碑に献花し、核なき世界を訴えた。全文がこちらにある。 |
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またFacebookに、首を傾げたくなる記事が流れて来た。これを書いた人に想像力はあるのだろうか? 何もしないで在沖米軍による犯罪が減ったわけではない。凶悪犯罪が起こる度に、沖縄の人たちが基地反対の声を上げて来た結果だろう。声を上げ続けた結果、ここまで犯罪が減ったという事がこの人の頭の中には欠如しているのだろうか。そして、これだけ声を上げ続けても無くならない事に怒っているし、上げ続けなければ、また犯罪が繰り返される事を心配しているのだ。 |
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↑このところ家に籠っていたので、昨日は少しの時間だけれど自転車で小矢部川を走って来た。その時のスナップ。ずいぶん日が暮れるのも遅くなった。サイクリングには良い季節。 ←古本漁りが止まらない。先日届いた本も読み終わらないまま、また中古で1冊ポチった。『報道写真の青春時代 名取洋之助と仲間たち』(講談社)。 |
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夜、日米首脳会談後の記者会見をテレビの中継で観る。 | ||
3年前と何も変わらないな、と思う。 2013年6月23日に開催された沖縄・摩文仁の平和祈念公園での「慰霊の日」の式典で、マスコミから一番注目を集めていたのは、ジョン・ルース駐日大使でも安倍晋三首相でもなく、大阪府知事の橋下徹氏だったと記憶している。 |
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2012年10月に本島中部で発生した2人の米兵による集団女性暴行致傷事件を受け、沖縄を含む在日米軍全兵士の深夜外出禁止が実施されていた。そんな中、2013年の5月に普天間基地を訪れた橋下氏は、米軍の司令官に対してアメリカ兵の犯罪抑止策として「風俗業を活用してほしい」と進言し物議を醸していた。その橋下氏が「慰霊の日」の式典に出席するというのでマスコミは待ち構えていた。 ←式典会場に入る橋下氏。 |
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結局、沖縄だけではなく各方面からの抗議を受けてこの発言は撤回されたが、橋下氏は一昨日ツイッターで「やっぱり撤回しない方lがよかったかも」と同じ発言を繰り返している。 SNSのコメントを見ていると、今回の沖縄女性の殺害事件と米軍基地は別問題だとか、基地反対のデモは亡くなった女性の政治利用だという意見があって驚いた。 |
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『沖縄の米軍基地 平成25年3月』という524頁にも及ぶ分厚い資料が手元にある。この本に基地被害の概要という項目がある。例えば平成24年(2012年)に起きた米軍基地関連の事件を抜き出してみた。本には飲酒運転や交通事故、基地内でのオイル流出や火災といった事故も掲載されているが、長大なリストになるので省いた。それでも、これだけの事件が起きている。 2月11日 金武町 米海軍兵が金武町内の民家に侵入し、現行犯逮捕。 2012年の6月の中頃から那覇に住み始めて沖縄のニュースはチェックしていたが、今回改めてリストを作って、こんなにも沢山米軍絡みの事件があったのかと驚いている。 また、米兵を擁護したいのか「沖縄の米兵の犯罪率は沖縄県民の犯罪率よりも少ない 」という記事が再び出回っている。県内刑法犯検挙人員(在沖米軍人によるもの除く) や、在沖米軍人総数比犯罪率 などのデータも添付した記事だが、そもそもこのデータの在沖米軍検挙人員 には米軍基地内での犯罪は含まれていない(上のリストにも基地内での犯罪は含まれていない)。 昨年3月に基地の監視カメラの映像を流出させて米軍海兵隊外交政策部の職を解任されたエルドリッヂ氏にコメントを求めた、幸福の科学出版が発行するThe Liberty webの<沖縄で高まる反米感情 「米軍の犯罪率は少ない」という冷静な目も必要>という記事がネットで広まっているようだ。 |
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◯「沖縄の米兵の犯罪率は沖縄県民の犯罪率よりも少ない」という言説 奄美大島が日本に復帰した昭和28年の映像が、Facebookで流れて来た。こちら。もう一つ「復興する奄美大島(昭和30年製作)」。 |
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今日は富山で最高気温が28℃、高岡でも25℃の夏日となった。 午後から舛添都知事の記者会見があり、ネット中継(アーカイブはこちら)で後半の部分を観ていたが、記者から出た質問のほとんどの回答が「第三者にしっかりと調査してもらい、信頼回復につとめたい」で、疑惑解明は何もなされなかった。 |
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昨日は、富山駅から高山線に乗り換えて楡原駅へ。布尻と町長地区に伝わるお鍬さま祭りを見に行って来た。 事前に地区の公民館に電話して、お祭りは夜から始まると確認していたが、せっかく遠くまで出掛けるのだから集落の様子をスナップしようと日が暮れる前に到着するようにした。 あいの風とやま鉄道で富山駅へ行き、岐阜方面に向かう高山線に乗り換える。2両編成の電車は、学校帰りの高校生と観光客でいっぱいだった。おわら風の盆で知られる八尾に来る時に高山線に乗るが、乗る度に電車の窓の汚れが気になる。 17時55分に楡原駅に到着。無人駅という事で、車掌さんに切符を渡す。 |
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↑初めて降りた高山線の楡原駅。線路とホームは山の斜面を削って造られたのか、駅舎は階段を下りたところにある。 |
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↓神通川を渡った、写真左の地区が布尻。→神通川を滑るカヌー。 |
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事前にグーグルの地図とストリートビューで、駅から布尻神社までの道を確認しておいたので迷わず着いた。布尻神社まで10分程と聞いていたが、写真を撮りながら歩いたので20分程かかった。 | ||
↓→布尻神社の鳥居と本堂。 |
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お鍬さま祭りは五穀豊穣と無行息災を願い、布尻地区の布尻神社と、隣接する町長地区の町長神社で祀っている御神体を一年毎に移すお祭り。今年は布尻神社に祀られている御神体を、町長神社へと移す。 御神体は、ネットの情報では「木の鍬」だそうだ。20時頃に、この御神体をお神輿に乗せて町長神社に向かう。そして来年は町長神社から布尻へ戻って来る。 明るいうちに集落の写真を撮ろうと布尻神社を出て歩くと、畑の手入れをしている女性がいらしたので町長神社の場所とお鍬さま祭りの事を聞いてみた。田舎に行くほど通りを歩いている人が少ないので、人を見つけたら聞ける事は聞いておくようにしている。 一つのお神輿を使って御神体を移しているのかと思ったら、それぞれの地区がお神輿を持っており、今年は先ず町長地区のお神輿が布尻神社へ迎えに来るそうだ。それなら布尻神社で待っているより、神輿が出発するところからついて行った方がよいと思い町長へ。町長地区に入って出会った男性に町長神社の場所を聞く。神社の場所は直ぐに分かったが、お神輿は神社からではなく町長会館から19時半頃に出発するという。 |
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↑町長神社。↓参道の横、境内には左義長のように、枯れ枝とお守りやお札が、うずたかく積み上げられていた。 |
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しばらく集落の中を散策して、19時頃に町長会館へ。少しずつ人が集まり、中から大きな提灯を出して行列の準備。台車に太鼓が積まれ、笛の練習が始まった。 |
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19時半になり、神輿行列が町長会館を出発する。提灯を持った男性が先導し、二人の男性に担がれた神輿が進む。神輿の後ろから笛と太鼓が音を鳴らしながらついて行く。 布尻神社の手前、布尻会館の前で布尻の人たちが提灯を持って神輿行列を迎え入れ、先導するように神社に入って行った。 |
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↓布尻神社での神事。 |
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↑布尻神社では宮司さんの祝詞奏上、玉串の奉納があり、お神酒で乾杯してしばし直会が行なわれた。 |
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↓御神体が移された神輿。→布尻神社の拝殿を出る神輿行列。 |
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神社の鳥居を出たところで宮司さんが神輿を祓い、待っていた集落の人達が順番に神輿の下を潜る。神輿の下を潜る事で一年間無病息災で過ごせるという。 宮司さんが道を祓いながら進み、家の前で神輿を待っている人のところで止まり、神輿の下を潜らせる。そしてまた行列は町長神社へ向かう。 |
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布尻神社から布尻地区の外れまでは布尻の人が神輿を担ぐが、町長地区に入ったところで神輿の担ぎ手が交替する。 | ||
↑町長神社の前では迎え火を焚き、青年達が大きな松明を8の字に振り回してお神輿を迎え入れた。聞き取れなかったけれど、松明を降りまわす時に「オッカ様ござった。豊年じゃ、豊作じゃ」と声を上げるそうだ。 |
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↓→炎の上がる横を通り、神輿行列が町長神社の拝殿に入る。 |
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↑布尻神社から町長神社まで、普通に歩けば15分くらいの距離を、30分ほど掛けてお神輿が到着。 ←御神体の入ったお神輿が、本殿に運ばれる。この後、拝殿で神事があり直会が行なわれるが、最終電車に乗るため駅へと向かった。 |
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最終の富山行きは楡原駅を22時18分に出る。19時35分頃に町長神社を出て、少し早歩きで駅に向かったら22時少し前に着いた。駅舎にも、階段を上がったホームにも人気はない。もし電車が来なかったら、ここで一夜を過ごすのだろうかと心配しながら撮影した写真をカメラの液晶で見ながら電車を待った。遠くに電車のヘッドライトらしきものが見えた時は、ホッとした。 | ||
富山駅であいの風とやま鉄道に乗り換えて、金沢行きの最終電車で帰宅。家に着くと日付が変わっていた。ネットのニュースで、先月から行方不明になっていた沖縄の女性が遺体で発見され米軍属の男が逮捕されたのを知る。 | ||
先日、アマゾンのマーケットプレイスで注文した本が届いた。一番値段の高い本が391円、一番安かった本は21円だった。『オキナワ紀聞』と『楽園の原点おきなわ』は図書館で借りて一度読んでいるが、読み返したいので購入した。読み応えのありそうな本ばかりで、しばらくは読むものに困ることはない。 | ||
←昨日届いた3冊。『横木安良夫流スナップショット』(えい文庫)、『眼の狩人/大竹昭子』(新潮社)、『オキナワ紀聞/砂守勝巳』(双葉社)。 ↓今日届いた4冊。『ロバート・キャパ 時代の目撃者』(岩波書店)、『今日の芸術/岡本太郎』(光文社)、『楽園の原点おきなわ/三好和義』(新潮社)『Sebastiao Salgado』(PHOTO POCHE)。 |
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一昨日は、6年ぶり2度目となる伏木けんか山へ。6年前は、夜に行なわれる提灯山車をぶつけ合うかっちゃを見たくて行ったので、昼の花山車は見ていない。今年は提灯がつけられる前の花山から見ようと、お昼から出かけた。 氷見線の伏木駅に14時頃に到着。駅の構内にある観光案内所に曳山の巡行図を貰いに行くが、既になくなっていた。曳山は何処ら辺にいるか訪ねると、駅を出て大きな通りを右に行けば出会えると言われ、トコトコと歩く。途中でお神輿が通って行ったので、曳山探しは後にしてついて行く。 伏木けんか山は伏木神社の春季例大祭。 そのお神輿の巡行で、神幸(みゆき)行列というそうだ。お神輿と一緒に子供達の母衣武者や花傘も一緒に巡行する。 |
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しばらくお神輿について歩いた後、曳山を探しに大きな通りに戻ると、小さな広場のようなところに案内所のテントがあり、そちらにはまだたくさんの巡行図があったので一部いただいた。少し行くと何だか賑やかな音が聴こえて来たので、音のする方へ向かうと曳山が連なって路地を巡行していた。近づくと、巡行が終わり休憩に入った。 30分程休憩していただろうか。やがて巡行が再開したので曳山について歩いて写真を撮る。今年は明治の大火で消失した十七軒町の曳山が復元されて110年ぶりに7基揃ったが、連なって巡行しているのは6基だった。 |
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巡行していた曳山が一基ずつ山倉に帰り、花山から提灯山に変身する。山倉の前で福神や花傘などの飾りが取り払われる。 | ||
↓→飾りの取り外しは、クレーンを使っての作業。 |
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だし(鉾留)を残して飾りが外された上山の4辺に、提灯が取り付けられる。提灯山に変身してからの曵出は18時40分で、だいぶ時間があったので順序が逆になったが伏木神社にお参りに行く。 | ||
↓伏木神社への入り口。→伏木神社。 |
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↑伏木神社から山倉に戻る途中、氷見線の氷見行きが通った。氷見線は民家の間を抜けて行く。 ↓18時40分、提灯を点灯した曳山が順番に山倉を出発する。 |
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山倉を出た曳山は駅前の大きな通りに出て7基揃った後に、2か所あるかっちゃの会場に行くと聞いていたが、ついて行こうにも人が多すぎて途中から道を進めなくなった。天気が良くて日曜日で、凄い人出のようだ。 | ||
↓山倉を出て大通りに向かう石坂町の曳山。→今年復元された十七軒町の曳山。 |
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曳山について行くのは諦めて、かっちゃ会場の一つへ。6年前は2つの曳山がぶつかる正面の場所を確保したが、今回は端から眺めた。最初に十七軒町の曳山が来たが、こちらはぶつかり合いはしないで、先端を軽く当てるだけだった。 場所を少しずつ変えながら一時間程かっちゃを見て、駅へと向かう。途中、提灯や行灯がともる千本格子の家々の写真を撮っていたら地元の男性に声をかけられる。「風情があって良いですね」というと撮ってって下さいと嬉しそう。 |
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帰りの高岡方面の電車は、21時11分。駅のホームは、祭り帰りの人でいっぱいになる。電車は2両編成だったか?こんなに乗車する人が多くて大丈夫かと心配になったが、伏木駅以外から乗る人がほとんどいなかったので、思っていたほど車内は混雑しなかった。 |
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←トップ画面を模様替えしました。那覇から名護に向かうバスの車窓から撮影した風景です。昨日、奄美と沖縄が梅雨入りした。富山はフェーン現象で気温が上がり、扇風機を出して来た。 |
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午後からは薄曇りになったが、お昼頃は初夏のような天気だった。昼ご飯は今年初の冷やし中華、晩ご飯は麻婆豆腐。 舛添要一都知事が、疑惑をもたれている政治資金報告書の件で記者会見を行ない謝罪した。記者会見のようすがネットで中継されていたので、途中からだが視聴していた。そのアーカイブがこちらにある。 この記者会見で疑惑が晴れたかというと、ますます不審に思った人が多いのではないだろうか。一番納得できないのはこの記事にも書いてある、<家族で泊まった部屋を使ったことについては、「反省している」と述べた。しかし、会議に参加したメンバーや人数については「政治的機微にかんする」として明らかにしなかった>という点で、会議の参加人数や顔ぶれが政治的機微で公表できないとはあまりに都民をバカにした話し。返金すれば済む話しではなく、ちゃんと説明責任を果たすべきだろう。 ところで、疑惑発覚後から睡眠障害で国会に姿を見せない元経済再生担当相の甘利明氏は、いつ説明責任を果たすのだろうか。国会に出席しないのであれば、議員を辞職したらどうだろう。 |
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昨年の9月4日に撮影した加茂神社の稚児舞のスナップを、Photo Albumにしました。稚児の村内練行から胡蝶舞まではこちら、中入りから陪臚まではこちら。 | ||
↑稚児の村内練行。宮司さんの家を出て、途中何軒かの家で休憩を入れながら村内を歩いて、稚児舞が奉納される神社に向かう。↓蛭子の舞。 | ||
明日で熊本大地震から一ヶ月となるが、今日の未明にも震度4の地震が起きるなど一向に余震のおさまる気配がない。この熊本大地震に触れて、滋賀県の三日月知事が「熊本地震のように余震が連続すると、屋内にとどまれるのか」と屋内退避の課題を指摘し、大津市の越市長も「予測していなかったことがあり、(原発再稼働の)新基準を見直すべきだ」と述べた。 今回の地震で分かったことは、いざ大きな地震に見舞われたら交通インフラは破壊されて緊急避難が困難なこと、そして余震が続く中では屋内退避すら侭ならず、原発事故が起これば被曝の危険性が大きいことだ。 |
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アマゾンから来たおすすめ商品のメールに、2,995円のインクジェットプリンターがあってビックリした。付属の純正ブラックインクとカラーインクの値段だけで2,995円以上するようなので、インクが無くなればインク付きの本体を新しく買った方が安いようだ。なんだか物の値段がわからない世の中になって来た。 |
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ようやく『旅ではなぜかよく眠り/大竹昭子』(新潮社)、『サイゴンの昼下がり/横木安良夫』(新潮社)の2冊を読了した。 写真家は、目で世界を観察するけれど、空気の匂いや流れ、鳥のさえずり、木々のそよぐ音、その土地の味、そして座り込む地面の感触にも敏感だ。理屈でなく、五感のセンサーをフル動員して、回りを見回す。陽の昇る時間、沈む時間、光の方角、順光、逆光、サイド光、トップ光、フット光、水面の輝き、木々の陰。雲の流れ。 一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨウナラ』は、ずいぶん昔に読んだ。ひょっとすると写真を始める前に読んでいたかも知れない。沢木耕太郎訳の『キャパ その青春』と『キャパ その死』は買って少し読んで本棚の中に入ったままだ。 |
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昨年の8月25日に撮影した熊野神社のスナップを、Photo Albumにしました。準備から、神社までのお練りの様子はこちら、稚児舞の様子はこちら。 | ||
↑肩に担がれ、公民館から神社へ向かう稚児たち。↓神社の特設舞台での稚児舞。 |
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ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが沖縄進出を断念したようだ。予定では沖縄北部の名護で建設するという案だったと思うが、ほぼ車での移動手段しかない沖縄で、これ以上大型のテーマパークが出来ると交通渋滞は目も当てられない程の状況になるのでは。今でも朝夕の国道58号は、バスの時間も読めない。宜野湾市長選の時に、普天間の跡地にディズニーランドを誘致するという話しが出ていたが、那覇から嘉手納に至る道の混雑状況を考えると、その間にある普天間に大型のテーマパークなど無謀としか思えないのだが。 | ||
朝から曇り空で、夕方には小雨がパラついた。昨日届いたフォトブックの料金をコンビニに払いに行き、100円ショップでファイルやフォトフレームを購入。後はパソコンの前に座り、ひたすら昨日撮影した写真の現像。 |
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昨日は、昨年に続いて城端の曳山祭へ。昨年は夕方に帰って来て提灯山を撮影していないので、今年は午後遅くに行って夜まで見て来た。 自転車で戸出の100円ショップへ行き、ペットボトルのお茶とキャラメルを買って戸出駅へ。14時45分発の城端行きはだいぶ前に出て、次の15時58分までにはだいぶ時間がある。駅舎の椅子に座って本を読んでいると城端方面のホームに電車が到着。駅員さんが臨時列車だというが、まだ切符を買っていないので間に合わない。惜しいことをしたなと思ったら、臨時列車ではなく回送列車だった。駅員さん・・・。 城端の駅を降りて、曳山祭が開催されている市街地へと歩く。午後の曳山は終盤で、出丸町でのUターンがそろそろ始まるところだった。 |
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曳山が一基ずつ出丸町でのUターンを終えて街の中心部に引き返し、提灯をつけて提灯山の準備をする。提灯山の巡行は19時からで、一時間程空きがあるのでどうしようかと思っていたら、獅子舞が始まった。 |
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↓→城端の獅子舞は、胴幕が太い。天狗が胴幕に観客を連れ込んで、笑いを誘う。 | ||
一通り舞うと獅子舞一行は帰って行ったので、少し離れた肉屋さんで手作りのカレーパンとコロッケを一つずつ買って店の前の歩道の端に座って食べる。先頭の曳山の提灯が灯って、庵屋台に先導されて巡行が始まった。 | ||
提灯山の巡行は22時過ぎまで続くが、20時40分発の電車で帰宅。21時14分に戸出駅に着いて、駅前に停めていた自転車に乗って家に戻ったのは22時近くだったか。 家に帰ると、先日しまうまプリントに注文していた、加茂神社の4大行事を纏めたフォトブック『射水市・加茂神社の祭祀 鰤分け神事・やんさんま祭り・御田植祭・稚児舞』24冊が届いていた。 A5版でも24冊となると、ズシリと重い。 |
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明け方に激しい雨が降っていたように思うが、目覚めてからは青空が広がる快晴。天気予報の最高気温は26℃となっているが、トタン屋根の2階の部屋は夏のような暑さだった。昨日に引き続き強風が吹いているようで、風の音とともに、時折家が揺れる感じがした。昨日より風が強いように思うが、あいの風とやま鉄道は動いていた。 一昨日は福野の夜高祭、昨日は鹿嶋神社の稚児舞を見に行ったが、昨日の強風で電車が運転を取りやめてちょっと大変な思いをした。 |
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5月2日(月) | ||
6年ぶりに福野の夜高祭を見ようと思い、午後に自転車で出かける。戸出まで自転車で行き、戸出から城端線で福野へ行くのが速くてお金もかからない。戸出駅に行く途中に、チューリップの花が捨てられた田んぼに寄って写真を撮ろうと思ってバックを開けるがカメラが入っていなかった。しょうがないので、カメラを撮りに引き返す。父親に忘れ物を取りに戻ったと話すと、晩ご飯の後に車で一緒に見に行こうということになった。 両親と3人で福野に来るのは、昨年のスキヤキ・ミーツ・ザ・ワールド以来。スキヤキの会場でもあるヘリオスの近くに車を停めて、夜高あんどんが通る街中へ歩いて行く。 |
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夜高あんどんを互いに引き合う喧嘩祭りを見ようかと思っていたが、引き合いが始まるのは22時頃から。母親は、100円ショップで150円だったという小さな折り畳みのイスを持って来ていたが、人混みも大変そうなので早めに帰って来た。 |
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5月3日(火) | ||
富山県の東端、朝日町にある鹿嶋神社で行なわれる稚児舞を見に行く。最寄り駅を9時57分発の電車に乗り、泊で一度乗り換えて越中宮崎に着いたのは11時53分。ほぼ、あいの風とやま鉄道の端から端を電車で移動した感じだ。 駅を降りて海岸沿いの道を暫く歩いて鹿嶋神社に着いたが、稚児舞も獅子舞の音もしない。境内にシートを広げて、法被姿の人たちがお弁当を食べていた。午前の稚児舞が終わり、午後は13時頃から始まるようだ。神社の隣りの家では、お稚児さんが着付けを直してもらったり、簡単なメイクをしてもらっていた。 |
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↓鹿嶋神社の隣りで支度中。→鹿嶋神社。 |
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午後1時になり、稚児舞が始まった。順番としては、獅子舞が家々をまわった後に、小槍を持った男児による槍舞、次に日の丸の扇を持った女児による扇舞が行なわれる。お祝い事のあった家では、男児と女児が一緒に舞うこともあった。こうして、2日間に渡って一軒一軒家をまわるそうだ。粟国島の旧正月から元旦の未明にかけて、塩売りが用意されたお盆の上に塩を置いて口上を述べた後、小さな子供達が舞を披露して家々をまわるマースヤーを思い出した。 |
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↑獅子は2頭。1頭がお神輿を先導して、町内を巡行する。もう1頭が稚児舞の前に、家々を祓って歩く。 |
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↑お神輿の屋根には亀が乗っており、吊るし雛が飾られている。 |
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↑宮崎地区の獅子舞は、一人が獅子頭の中に顔を入れ、もう一人が胴幕を捩った尻尾を持って舞う二人獅子。結婚や出産といったお祝い事のあった家では天狗も登場するが、高岡や氷見の獅子舞のようにアクロバティックな動きは無く、ゆったりとした踊りのようで、台詞こそないが狂言を見ているような感じもした。 | ||
熊野神社や加茂神社、明日の法福寺のような舞台で奉納する稚児舞とは違い、稚児踊りといった感じだろうか。 こちらの記事によれば、 起源は700〜800年前にさかのぼり、約400年前に現在の形となったと言われ、海の安全や豊漁、豊作を願って踊られたようだ。また、「稚児舞の起源は定かではないが、宮崎の豪族宮崎党と深い関わりがあり、いつの時代か、都から宮崎党に連れ立って来た京舞に通じたものが、これを完成したのではないかと推測されている。その歴史は古く、鉾(ほこ)舞と巫女(みこ)舞に属するものである」と、こちらに書かれている。 |
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↑70歳になるという男性が、自宅の前で獅子を舞った。ゆったりとした動きだが、体力を使う舞だと思われる。 |
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3時に30分程休憩しただけで、獅子舞も稚児舞も律儀と思える程に短い舞を披露しては家々をまわっていた。たぶん夕方6時くらいで今日の舞は終了だと思うが、5時台の電車に乗ろうと少し後ろ髪が引かれたが駅へと向かった。ずっとついて歩いて足も痛くなった。 結局、翡翠の原石が採れることで有名なヒスイ海岸も見なかったと思いながら駅に着くと、強風のために泊と糸魚川の間で15時以降の全ての列車が運転を取り止めたという張り紙がしてあった。稚児舞について歩いている時も、今現在もさほど強い風が吹いていないので、その文面にリアリティーを感じられないが、何度読み返しても運転を取り止めますと書いてある。越中宮崎駅は無人駅なので、張り紙以上のことはわからず途方に暮れる。 |
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↓越中宮崎駅。→駅舎に貼られていた、運転取り止めの張り紙。 |
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駅周辺には旅館がいくつかあったが、宿泊できるほどの持ち金はない。いざとなれば、駅舎で横になって始発を待てばいいか。1986年のイベリア半島の旅では、スペインのアルカサル・デ・サンファン駅に着いた時、安宿がどこも満室で駅に泊まった。奄美大島の秋名集落のショチョガマを見に行った時は、早朝の祭祀に間に合うバスがなくて、前日に集落に入りハブにビビリながら海岸の堤防の上に寝袋を敷いて過ごした。 とりあえず家に電話をして事情を話すと、車で迎えに来るという。富山県のほぼ端から端で、片道2時間程だろうか。 駅舎の椅子に座って持って来ていた本を少し読み、暮れかかったヒスイ海岸を眺め、また駅舎に戻って本を読む。途中、富山行きの電車の発車案内があったが、誤報だったのか、そんな電車は走って来なかった。 |
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19時過ぎに車が到着した。母親も一緒に乗っていた。ドライブインで、名物のタラ汁でも食べて休んでから帰ろうと提案したが、そのまま8号線に出て帰路に着いた。高岡の羽広を過ぎて、8番ラーメンに寄ってようやく遅い晩ご飯を食べた。 父親は、ほとんど休まずに往復4時間程運転した。昼は母親と一緒に砺波のチューリップフェアに行っていたので、ぐったりと疲れているか聞いたが、しばらくテレビを観てから寝室に上がって行った。 先日は明日(あけび)の稚児舞を見に行こうと思ったら、やはり強風のため電車がストップしていた。この日は、強風の影響で北陸発着の特急列車も一部運休したようだ。北陸を走る電車は、こんなにも風に弱い乗物だったか。 |
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