HOME TOP  
バックナンバー

◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
4月10日(日) 高砂山願念坊祭 記事
4月11日(月) 小矢部市下後亟神明宮 酒とり祭
4月17日(日) 氷見まるまげ祭り
4月17日(日) 黒部・明日(あけび)の稚児舞
4月18日(月) 伏木 氣多神社春季例大祭「にらみ獅子」
4月19日(火) 富山市新庄町(新川神社)  どべ祭り 記事
4月20日(水) 相倉集落 五箇山春祭
4月23日(土) 二上射水神社築山行事
4月24日(日) 浦田山王社獅子舞 13時〜16時
4月27日(水) 出町子供歌舞伎稽古上げ
4月29日(金祝) 石動曳山祭
4月29日(金祝)、30日(土) 出町子供歌舞
5月1日(日) 高岡御車山祭
5月1日(日) 御装束祭 射水市 賀茂神社
5月1日(日)、5月2日(月) 福野夜高祭
5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 鹿嶋神社稚児舞
5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 菅沼集落 五箇山春祭
5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 朝日町宮崎の獅子舞 記事
5月3日(火・祝) 「賀茂祭」・宵祭 射水市 賀茂神社
5月4日(水・祝) 「賀茂祭」・本祭 やんさんま祭 射水市 賀茂神社
5月5日(木・祝) 「賀茂祭」・裏祭 射水市 賀茂神社
5月4日(水) 滑川 赤浜の菖蒲打(ショーブツ)
5月4日(水)、5日(木祝) 城端曳山祭
5月4日(水)〜5月22日(日) 鋤田正義展 <SOUD&VISION Ver.2> しいのき迎賓館(2階イベントホール)
5月19日(木) お鍬さま祭り
6月       氷見市床鍋地区 虫送り
6月3日、4日 津沢夜高あんどん祭り
6月4日、5日 庄川観光祭 夜高行灯
6月10日(金)、11日(土) となみ夜高祭り
7月      福光 荒木ねつおくりまつり
7月下旬の土日 黒部市 生地えびす祭り
8月5日(金)、6日(土) 魚津 たてもん祭り
8月25日 婦中町 熊野神社の稚児舞
9月30日〜10月2日 築山・新湊曳山まつり
11月第3土曜日 射水市放生津・新湊地区  澗建のえびす様渡し
1月       南砺市利賀村 初午
*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
*とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞
*とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り
*とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

4月29日(金)

 今日、明日が出町子供歌舞伎の本番。今日は神明宮での奉納歌舞伎を含めて、朝から夜まで5回の公演が行なわれる。せっかくなら16時30分から行なわれる、三町の曳山が揃う若鶴酒舗前での芝居を見ようと自転車を走らせる。
 余裕をみて一時間程前に到着すると、会場の近くには西町、東の曳山が既に待機しており、少し離れた所から公演を終えて向かって来る中町の曳山が見えた。
 中町の曳山が到着すると、さほど広くはない道路に3町の曳山が綺麗に並べられ、会場に椅子が設置された。やがて芝居の開始時刻になり、先日の曳山会館での稽古上げでは登場しなかった三歳の女の子が舞台に上がって元気いっぱいの声で口上を述べた。
↓会場に向かう中町の曳山。→3歳の女の子が口上を行なった。
子供歌舞伎02
子供歌舞伎01
子供歌舞伎03
 午前中は曇りで、一時雨も降ったので心配したが、神明宮での奉納歌舞伎も滞り無くできたそうだ。
出町神明宮
↑一時間程の芝居が終わると、中町の曳山は今日最後の公演場所へ、西町と東の曳山は出町子供歌舞伎曳山会館へと戻って行った。
←芝居の後、出町神明宮に寄る。この子供歌舞伎は、神明宮の春季大祭として行なわれている。
↓このところ日差しは春だが、吹く風が随分と冷たい。寒いな〜と思いながら水を張った田んぼに移る夕日を眺めて自転車を走らせた。
夕暮れ

4月28日(木)

 朝から雨。今日で熊本大地震の発生から2週間が経過、この間の余震が1000回を超した。一日平均70回にもなり、絶えず揺れている感じだろうか。
 ところで、被災地でのオスプレイの物資輸送の是非について、米軍の善意による救援活動への感謝の思いと、救援活動の方法の妥当性をゴッチャにした議論がSNSで流れていたが、もうそれも止んでウヤムヤになってしまった。
 毎日新聞の記事によると、米軍の救援物資の輸送は18日から始まったが、米軍機の出動要請が減ったことから22日頃には終了したようだ。オスプレイやC130、UC35輸送機を使い米軍が被災地に運んだ救援物資は30トン超だという。
 産経新聞に、一部メディアのオスプレイ叩きに被災者から批判の声 「露骨な政治的パフォーマンスでは…」という記事が掲載されていた。 その中に、<オスプレイを活用しない理由はない。主力輸送ヘリCH46と比べ、速度は約2倍、航続距離は約4倍で、積載量も約3倍といずれの性能も上回るからだ>という文章があるが、自衛隊のCH46はもう引退して、現在の主力はより大型のCH47のはず。使われていないものと比較してどうする。産経新聞は自分で調べる事もしないで、軍事ブロガー氏あたりのコラムを斜め読みして書いているんだろうか。
 また、オスプレイの一回の給油での飛行距離の長さや速度と言った優位性を理解しているから、その能力を発揮する事のない27キロという今回の短距離輸送での活用に他のメディアは疑問を呈している。  
 一部のメディアというが、全国紙は朝日、毎日の他、東京新聞も「日米両政府には強固な同盟関係をアピール、さらに活動を通じてオスプレイの性能の高さを訴え、日本国内に根強い安全性への懸念を払拭したいとの思惑があるとみられる」と書いている。地方紙の北日本新聞も、表層深層でオスプレイ投入に疑問の声を上げている。
 産経新聞のオスプレイに関する偏った記事は他にもあり、日本報道検証機構代表の楊井人文が、オスプレイ事故率 「民間航空機より低い」 産経サイト、一部記述を削除という記事の中で指摘している。
 こうしたメディアが振りかざすオスプレイの危険性も事実からは遠い。米軍は事故について、死者や200万ドル(約2・1億円)以上の損害が出た事故をクラスA、より軽微な事故を順番にクラスB、Cとランク付けしている。米当局が明らかにしたMV22のクラスA事故率は1・93で、海兵隊の平均事故率2・45を下回る。この数字は大韓航空や中華航空よりも低いという>の部分を削除したようだが、もうCH46は引退しているのだらら、<自衛隊の主力輸送ヘリCH46と比べ、速度は約2倍、航続距離は約4倍で、積載量も約3倍といずれの性能も上回るからだ>も削除したらどうかと思う。
 今回の救援活動について、米軍側は「日本からの要請」だとし、日本政府は「米軍からの申し出」だという。この食い違いもウヤムヤにされそうだ。
 ちなみに、あまり話題にされなかったが、韓国政府から支援物資の提供の申し出があり韓国空軍の輸送機が熊本空港まで物資を届けている

 昨日は、出町子供歌舞伎の稽古上げを見に行った。稽古上げは、本番前の総合リハーサルといったところか。沖縄の祭りで言う、ウブシクミだ。
出町子供歌舞伎01
出町子供歌舞伎02

 この子供歌舞伎は西町、中町、東の3町が持ち回りで行ない、今年は中町が当番。昨年の東曳山では「絵本太閤記十段目尼崎之段」「釣女」の2本立てだったが、今年は「恋女房染分手綱・重の井子別れの段」を披露する。 稽古上げの始まりは午後2時からとなっていたが、マイクの不調で少し押して始まった。学校の授業の一環だろうか、小学生が見学に来ていた。

←↑曳山会館での稽古上げの様子。

 稽古上げは、場所を変えて17時からもう一度行なわれるが、夕方から雨の予報なので自転車を漕いで家に帰る。
チューリップ01
チューリップ02
チューリップ03
 家に帰る途中、またまた砺波のチューリップの花が撒かれている田んぼに寄ると、新しく捨てられたチューリップが大量にあった。少し前に捨てられた花は腐敗が進み、何とも言えない被写体としての魅力を醸している。
 暫く撮影していると、またトラックがチューリップを運んで来た。話しを伺うと、田んぼが均等に肥えるように花を撒く田んぼを変えているそうだ。
 暫く経ったら、美しく腐敗する様を撮りにまた来よう。
 今日、4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効した日。3年前の2013年4月28日、日本政府はこの日を日本が主権回復した日だとして記念式典を開催した。しかし、同時に沖縄や奄美、小笠原がアメリカ政権下に組み入れられ、日本から切り捨てられた日でもある。沖縄ではこの日、宜野湾市の宜野湾海浜公園屋外劇場で「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」が開かれた。
『屈辱の日』沖縄大会
↑2013年4月28日に宜野湾市で開催された『屈辱の日』沖縄大会。
きょう、沖縄「屈辱の日」 64年前の講和条約発効で米軍集中
[講和発効64年]切実さ増す「自治・自立」
4・28「屈辱の日」 自己決定権回復を誓う日に

4月26日(火)

 今日でチェルノブイリ原発事故から30年。ネットのニュースに「事故から30年、チェルノブイリが動物の楽園に」という、ナショナル ジオグラフィック日本版の記事が載っていた。記事中にあった「人間がいなくなったことが、放射能による潜在的影響を相殺してはるかにあまりある効果をもたらしているのでしょう」という指摘に、なるほど、と頷いた。
戸出のチューリップ01
 22日に一度撮影した、チューリップの花びらを撒いた田んぼがどうなっているか見に行った。
 田んぼの中に入って撮影していると、チューリップの花を詰めたビニール袋をたくさん荷台に積んだ軽トラがやってきて、また花を撒いて行った。
 このところ雨が降っていないので、古いものはドライフラワーのようになっている。雨に濡れて腐敗していく花びらが撮りたい。
戸出のチューリップ02
 23日は二上射水神社の築山行事、24日は浦田山王社の獅子舞を撮影してきた。これで、富山県で伝わっている行道獅子を全て撮影できたと思う。

4月23日(土)

 二上射水神社の春季例大祭。神事は午後2時からと書いてあったが、12時半頃に着くように自転車で家を出る。2度目なので、前回よりも距離が短く感じられた。
 境内に着くと、臨時の祭壇である築山の飾り付けをしている最中だった。 この夏にイタリアで開催される「日本仏像展」に出品される、二上射水神社所蔵の木造男神坐像が御開張されていた。

↓二上射水神社。→簾越しに公開された、国指定重要文化財の木造男神坐像。
二上射水神社02
二上射水神社01
 本殿での神事は午後2時からだが、1時半頃に鳥居の方から露払いのゲンダイジシ(源太夫獅子)が本殿に向かって進んで来た。
↓完成された築山(臨時の祭壇)。鳥居から入り本殿に進むゲンダイジシ。
二上射水神社04
二上射水神社03
 ゲンダイジシの行列の後に、祭獅子が本殿や築山、天の真名井の前で獅子舞を奉納。その後、本殿での神事が始まった。

↓ゲンダイジシの後、祭り獅子による獅子舞が奉納された(左)。拝殿での神事の際に奉納された、稚児による神楽「末広の舞」(右)。

二上射水神社05
 神事の内容を、境内に立てられていた築山行事を解説した立て札から引用すると、

 古代信仰では、神は天上にあり、祭に際して降臨を願うものとされた。この行事は毎年四月二十三日、二上射水神社の春祭に行なわれる。境内の三本杉と呼ばれる大杉の前に社殿に向かって築かれる臨時の祭壇は、幅四間、奥行三間、上下二段になっており、上段中央に唐破風の簡素な祠が置かれ、その前に日吉、二上大神、院内社三神の御霊代である御幣が立てられる。屋根の上には斧をかざした天狗が立ち下段には甲冑に身を固めた四天王の藁人形が置かれ、祭壇のまわりは造花で飾られる。
 祭礼の前日の夕刻、頭屋(とうや)にあたる山森氏(御幣ドン)と神主が二上山頂にある奥の御前の日吉社ら御幣に神を迎える。一夜自宅でお護りし翌日築山に移す。院内社は祭の当日迎えられる。
 祭儀は、午後二時から行なわれ社殿で例大祭の儀式が済むと三基の神輿が巡行する。ゲンダイジシを露払いに、御幣ドン、神主が続きその後に院内社、二上大神、日吉社の神輿が続く、途中で院内社の神輿だけが一旦鳥居の外に出て、戻って二上大神と日吉社の間に割って入る。これを「院内わりこみ」という。その後、築山の前と天の真名井の前で祝詞が奏上され、本殿の前に戻って儀式が終る。祭儀が終ると築山はただちに解体され片付けられる。遅れると神様が荒れるという。
 この行事は、天上から臨時の祭壇に神を迎える古代信仰の本義を良く残している。又動かぬ築山がやがて動く曳山へと発展していったと考えられており、高岡御車山の原初形態を知る上でも貴重である。又社殿の神事と古代信仰の築山神事の二重の神事を同日に行なっている点も興味深い。
高岡市教育委員会
二上射水神社06
↓人形や飾りが取り外される築山。遅くなると神様が荒れるという。
二上射水神社08
二上射水神社07
 神事の後、直ぐに築山が解体された。嘗ては土台もその日の内に片付けられたそうだが、今は次の日になったようだ。人形や飾りなどは16時までに片付けなければならないようで、慌ただしく作業が行われた。
 築山が土台だけになるのを見てから、神社を後にした。近くでは、祭り獅子が地区の家をまわっていた。
 

4月24日(日)

 富山の獅子舞の中で一番見たかった、浦田山王社の獅子舞が行なわれる日。以前、電話で問い合わせた所、神事は午後1時からと教えていただいたが、12時前に着くように電車の乗り継ぎを組む。
 降り立った最寄り駅である富山地方鉄道の寺田駅は、昭和の香り漂うレトロな建物。駅長さんに教えられた道を進んで、浦田山王社に着いた。幟が立てられ祭りの準備は整っていたが、境内には人は居らず。暫くすると法被を着た男性が歩いてきて、12時半頃には人が集まって来ると話して、またどこかへ行ってしまった。
 浦田山王社の獅子舞は、舞わない獅子舞。芸能化されたものではなく、露払いして練り歩く行道獅子。大獅子の胴幕は全長7m、幅2mで、十数人が中に入って練り歩く。元々はお宮の周りをまわるだけだったのが、この獅子舞を継承している中申会が村内を練り歩く祭りに発展させたそうだ。

↓→幟があがり、祭りの準備が整った浦田山王社。
浦田山王社02
浦田山王社01
浦田山王社03
←拝殿での神事。嘗ては稚児による浦安の舞の奉納もあったそうだ。
↓神事の後、拝殿から獅子頭と大きな胴幕が入った行李が外に運ばれる。
浦田山王社04
 幟を先頭に、吹き流しの旗を持った子供達、そして前立ちと呼ばれる男性、大獅子、そして笛や太鼓が続く。獅子の前には、獅子頭の目を御幣のついた棒で隠す役の男の子が二人歩く。前立ちの男性は、この日は神役なのでお練りの間は後ろを振り返ることも、話しをする事もできないそうだ。
浦田山王社05
 神社の前の道を、短い休憩を2回挟んで約2時間かけて左右に一往復した後、お宮の周りを3回まわってお練りは終了した。
浦田山王社06
↑獅子のお練りが終った後、拝殿で獅子に頭を噛んでもらい健康を祈願する「おわたまし」が行なわれた。村内を練り歩いた獅子が噛むのかと思っていたが、「おわたまし」にはもっと古い獅子頭が使用された。
稚児塚

↑お練りの途中、県の指定史跡となっている稚児塚古墳を案内していただいた(左)。古墳の頂部にかってあった、樹齢300年(案内して下さった男性は800年と話されていたが)の杉の木の根っこ(右)。

寺田駅
 浦田山王社から寺田駅へ。この駅は、昭和6年に開業したそうだ。本線と立山線が停まるため、駅のホームは意外に大きい。この寺田駅に限らず、富山地方鉄道の駅舎は趣きのあるものが残っているようだ。

4月22日(金)

 北日本新聞の朝刊を見ていたら、戸出で球根を生産している清都農園が摘み取ったチューリップの花びらを田んぼに撒いたという記事が載っていたので、急いで支度をして写真を撮りに行った。6年前にも北日本新聞の記事を見て、田んぼに撒かれたチューリップの花びらを撮りに行っている。
 地図を見ながら自転車を走らせ清都農園まで辿り着くが、田んぼに撒かれた花びらが無い。6年前は清都農園の隣りの田んぼに撒かれていたのに・・・周囲を自転車で走り近くの農家の男性に尋ねると、今は違う田んぼに撒いているようで、その場所を教えてもらい、ようやく到着した。
戸出のチューリップ01
戸出のチューリップ02
帰りの電車の窓から
 先日、富山おさんぽ写真部メンバー展「レンズの向こう側」と題した写真展の案内ハガキを戴いたので、午後から電車に乗って富山へ。
  せっかくなので、富山市役所で開催されている「AMAZING TOYAMA写真部」写真展を先に見て行く。
 2つの写真展を見た後県民ギャラリーに寄ると、パッチワークキルトの展覧会が行われていた。
 3つの展覧会を見て、思いがけず長い時間になった。富山駅に着くと、金沢行きの電車が直ぐにあった。車窓から空を眺めると重い雲が垂れ下がった中に、ぽっかりと空間が広がっていた。

4月20日(水)

 髪が伸びてきたので、午後から散髪に。すっきりした頭で、そのまま二上方面へサイクリング。
 今週の土曜日に二上射水神社の春季例大祭があり、築山行事が開催される。どこの駅からも遠いのでどうしたもんだろうと考えていたが、地図を見ると自転車でも行けない距離ではない。車でならすぐ前を通った事があり、坂もなかったはず。とりあえず地図を見ながら行ってみた。小矢部川と山に挟まれた道をまっすぐ走る。自転車では初めて走る道だったので少し長く感じたが、ゆっくり漕いで1時間15分ほど。高岡まで行くのとあまり変わらないかな?
 境内に入るとしめ縄を巻いた3本の大杉の前に、神事で使われる臨時の祭壇(築山)の土台が組まれていた。

↓二上射水神社。→境内に組まれた築山の土台。
二上射水神社02
二上射水神社01

 せっかくここまで来たので、もう少し自転車を漕いで小矢部川の河口付近まで走ると工場地帯が見えた。なんだか鈴木慶一さんの「LEFT BANK」が頭に浮かぶ。この歌に出て来る左岸は、多摩川かな?向ケ丘遊園に住んでいた頃は、よく多摩川の土手を自転車で走った。河口まで行った事もある。

この河はいつからか水がながれてない ゴミの山とサビついた船があるだけ 苔のように 恐竜の時代から変わってないことは 太陽と空と生と死が在ること 過ぎてしまうこと 向こう岸は昔住んでいた所 左岸をOh〜海に向かって ぼくは歩く 君を愛しながら   〜LEFT BANK〜 作詞:鈴木慶一

小矢部川の河口付近
 帰りは小矢部川の堤防を走る。途中、アスファルトの道が切れている箇所があって少しだけ一般道を走ったが、なかなか快適。川が大きく蛇行しているので走る距離は長くなるが、車がほとんど通らないので安心して自転車を漕げる。
小矢部川の土手からのスナップ
夕暮れ

↑小矢部川の堤防からのスナップ。家の近所の堤防は整備されて雑草も大きな木も少なくなってしまったが、河口の近くには、いくらか木が残っていた。昔は小矢部川の堤防の木にいる蝉やカブト虫、クワガタを捕まえに行った。こういう日常の風景を見ながら、福島や熊本のことを考えると、こんな光景が愛おしくなる。

←いつの間にか日が長くなり、太陽の沈む位置も変わっていた。

4月19日(火)

 震度1以上の地震の発生回数が630回を越えた。震源が南西方向にも広がり八代市などで震度5弱を記録する地震も発生している。そして、今回の地震による死者は47人となった。また、南米エクアドルの地震の死者が400人を越え、負傷者も2600人以上となっている。

 昨日、被災地に支援物資を運ぶためにオスプレイが初投入されたが、オスプレイの投入に賛否両論分かれている。
熊本地震でオスプレイ投入の一方、輸送能力がより高い自衛隊のヘリが棚ざらしに! 安倍-中谷が米軍と裏取引
米軍オスプレイ、初の災害対応 実績づくりに疑問の声も
オスプレイ物資搬送 「政治利用」の声も
「中国刺激」の懐疑的論調はいかがなものか 日米で被災者支援に活躍望む 佐賀県に配備されていれば違った展開も
熊本地震での米軍オスプレイ物資搬送は「茶番」で「政治利用」?

 また、米軍の善意による救援活動への感謝の思いと、救援活動の方法の妥当性をゴッチャにした議論がSNSで流れている。
 個人的には米軍の善意による救援活動に感謝する気持ちは別に置いておいて、オスプレイの投入が妥当だったのか疑問に思っている。
 オスプレイの優位性は一回の給油での飛行距離の長さと速度。しかし、今回の救援活動にその能力が発揮されたとは思えない。今回物資を運んだ自衛隊高遊原分屯地(熊本空港内)から南阿蘇村の白水運動公園まで27キロなら、自衛隊のヘリよりオスプレイが2倍スピードがあっても大した違いはないだろう。それならフィリピンで訓練しているオスプレイをわざわざ呼び寄せるために一日物資の運搬を待たずに、自衛隊のヘリで運んだ方が早く届いていたと思う。
 また、オスプレイが速いのは水平モード(飛行機モード)に転換してからだが、今回は垂直モード(ヘリモード)のまま飛行した可能性もある。オスプレイは垂直モードから水平モード、水平モードから垂直モードに転換している時に事故を起こし易いといわれている。短い距離で転換すると危険はさらに増すので、訓練を終えて普天間に帰るオスプレイが那覇の上空で既に転換モードにしていることは度々ある。27キロの短い距離をわざわざモードを転換して、飛行機モードで飛ぶだろうか。
 また、今回のオスプレイの白水運動公園への着陸には、公園の砂を巻き上げてエンジントラブルを起こさないように、自衛隊がわざわざ散水まで行なっている。
 今回の救援物資のオスプレイの使用を例えれば、石動駅から富山駅まであいの風とやま鉄道の各駅停車で行けば35分で到着したのに、北陸新幹線を使いたいがために一度金沢まで出たので1時間3分かかり、料金も660円が3310円かかったという感じだろうか。
 もちろん米軍の善意を否定するものではないし、今後地震による被害が拡大して緊急に他県への広域避難を余儀なくされた場合には、オスプレイの長距離飛行とスピードが役に立つ事だってあるだろう。ただ、そうなる前にあらゆるリスクを減らすためにも、原発の停止と早めの広域避難を行なったらどうだろうか。もうすでに車中泊でエコノミー症候群で亡くなった方まで出ている。

 昨日は、伏木にある氣多神社春季例大祭が行なわれた。この例大祭では神輿の渡御の際に、行道獅子がお神輿を先導する。そしてお神輿の渡御が済むと、行道獅子は拝殿の前で両側に並ぶ観客の方にゆっくりと頭を振って睨み、集まった人たちの厄を祓う<にらみ獅子>となる。この行道獅子が撮りたくて、ちょっと朝早くに起きて伏木まで行ってきた。
氣多神社春季例大祭01
 神事の始まるのは8時30分から。高岡駅で氷見線に乗り換えて、最寄り駅・越中国分に7時55分に到着。印刷したグーグルマップを見ながら神社に向かう。少し距離はあるけれど、道順がシンプルで分かり易かった。
 高校生の頃は通学に氷見線を使っていたが、越中国分駅で降りたのは初めてだろうか。
 神社に着くと、既に拝殿の前にお神輿が出されていた。
←拝殿での神事の様子。
↓拝殿での神事の後、お神輿の渡御に出発。→神輿を先導する、行道獅子。
氣多神社春季例大祭03
氣多神社春季例大祭02
↓お神輿の露払いをした後、拝殿の前で集まった人たちの厄を祓うにらみ獅子。そして拝殿の前で舞いを奉納した。
氣多神社春季例大祭04
↓祭獅子の奉納。→お神輿の通る道には、お清めの砂が引いてあった。
氣多神社春季例大祭06
氣多神社春季例大祭05
氣多神社春季例大祭07
↑氣多神社での祭礼の後、祭獅子が町内を周るので。しばらく着いて歩いた。神社の近くにある氷見高校でも獅子舞が行なわれたが、そこで小中学校の同級生に会った。もう12年、氷見高校で先生をしているという。
越中国分駅
 1時間ほど獅子舞に着いて歩いてから、駅に向かった。散歩がてら氷見駅でもよかったが、写真を撮りたくて来る時に降りた越中国分駅へ。無人駅で、ホームの上には小さな待合室。ホームの先に海が広がっている。しばらく待ってやって来たのは、忍者はっとり君列車だった。
アマゾンの古書店で購入した本
草餅
↑氣多神社で買ってきた、大きな棒状の草餅。750円。人気があるようで、祭礼が終わった後に、わざわざ草餅を買いに来る人もいた。
 先日アマゾンの古書店でポチッとした本が届いた。『旅ではなぜかよく眠り/大竹昭子』(新潮社)、『サイゴンの昼下がり/横木安良夫』(新潮社)。ともに写真の載った旅行エッセイ、紀行文。読めば、少しは今の気分を解してくれるだろうか。先ずは『旅では・・・』から読み始めようと思う。

4月17日(日)

 春の嵐。台風並みの暴風が吹いて、家が揺れた。お昼頃には30分程だが、停電もあった。熊本の地震で被災された方々の恐怖とは比べものにもならないだろうが、強風で家が揺さぶられる度にヒヤッとした。

  今日は黒部市明日(あけび)にある法福寺で、国の重要無形文化財に指定されている明日の稚児舞が行なわれる日だった。天気予報では風は強いものの、昼からは晴れ。それでも心配なので法福寺に電話して確認したところ、よほど天気が荒れないかぎりは開催するということだったので、カメラをバックに入れて駅へ向かった。
  きっぷを購入してホームで電車を待っていると、反対側に遅れていた金沢方面行きの電車が到着するというアナウンス。え?心配になって富山方面の様子を駅員さんに尋ねると、今度の電車は少し遅れて到着するが、富山から先の電車が大幅に遅れているという。ダメじゃん!きっぷを払い戻してもらって、家に帰る。せっかく朝早くに起きたのに。

 一昨日の夜から昨日の未明まで熊本の地震が気になって、テレビとネットで交互に情報を見ていた。けっきょく朝までテレビをつけっぱなしにして居間でウトウト。昨日の夜中1時25分頃に起きた地震の分布図は、日本最大の活断層である中央構造線に沿って揺れている衝撃的なものだった。これまで本震だと思われていた14日21時26分頃に起きた地震は余震で、この16日の1時25分頃に起きた地震が本震だという。そうなると、まだ本震が来ていない事だってあり得るわけだ。震源が熊本だけではなく大分にも広がり、予測がつかない事になっている。
 地震の情報ばかり見ていると気が滅入ってくるので、昨日は午後から2時間ほどサイクリングがてら砺波のチューリップ畑を見て回った。

チューリップ01
チューリップ02

 気象庁が昼の記者会見で、地震の活動範囲が南西側に広がっていると述べた。また12時9分頃には伊予原発の上にある、伊予灘を震源とする地震も起きている。14日から一連の地震は身体に感じるものが410回に達し、M3.5以上の比較的大きなものも162回となっている。震源の移動と、頻発する余震。昨日の午前に気象庁が、三つの地域で別々の地震が同時多発的に発生しているという見解も述べている。これまで経験した事のない地震だ。
 昨日、フォトジャーナリストの広河隆一さんら文化人6人が、川内原発の即時停止を求める要請文を九州電力に送った。しかし、この状況下でも政府は、川内原発を停止させる必要はないとしている。正気だろうか。
 今年の2月に北朝鮮が宇宙へ向けて飛翔体を打ち上げたが、その時は沖縄の上空を飛行するという事で先島諸島にPAC3を配備した。宇宙に向かって飛んで行く飛翔体に、射程距離20kmのPAC3で何ができるのか疑問に思うが、不測の事態に備えての配備だという。ならば、隣りの県で大規模な地震が頻発している川内原発を不測の事態に備えて、なぜ停止させないのだろうか。
 川内原発を止めると電力が足りなくなるという書き込みが、またSNSで復活している。もともと電力が逼迫するのは夏の僅か数日だけだ。昨年の8月に川内原発の1号機が再稼働するまで、この国は原発なしで何回も夏のピーク時を乗り越えてきた。もうそれを忘れてしまったのだろうか。
 九州新幹線は復旧の目途が立たず、在来線も各地で運休になっている。九州自動車道は道路陥没で通行止めになっており、熊本空港はターミナルビルの天井が崩落して閉鎖になった。長崎の島原と熊本を結ぶフェリーがあったのを思い出して調べたが、16日から20日まで地震による熊本港設備点検のため全便欠航となっている。
 薩摩川内市長の岩切秀雄氏が、原発事故時の住民避難に九州新幹線を活用したいと述べていたが、いかに原発事故対応が机上の空論で作り上げられたものであるか、今回の地震が明らかにした。

 今朝、南米のエクアドルでもM7.8の地震があり、77人が死亡し578人が負傷した。
 写真展『琉球弧 万華鏡』に添える文章の中に、「大地の沈下や海水位の変化で中国大陸や日本列島と着いたり離れたりしていた琉球弧の島々が、完全に独立した島となったのは約100万年前だそうだ」と書いた。100万年前は遥か昔だが、45.4 ± 0.5億年という地球の年齢の中ではつい最近のことなのだろう。つい最近まで、この地球の島々は着いたり離れたりを繰り返していた。そして今もゆっくりと、そして絶えず動いているのだろう。奄美大島に岩や島が流れて来たと言う民話がいくつか語り継がれているのは、嘗てのそうした記憶が微かに残って繋がっているのかもしれない。

 とりあえず、あと二十年長生きして、この時代を見ないとソンしますと、来年の年賀状に書いてしまってから、わたしはほおづえをついて考えてしまった。
 その時、わたしはひどいはなかぜをひいており、原稿用紙の上に鼻水が垂れるのを見ながら考える。
 人間が持った約二十万年の歴史の中の後半の二万年は、これからの二十年に匹敵するのではないのか?というのがわたしの考え方なのだ。そこで、手のかじかむほど寒い夜の仕事場で、まんがを描いている三時間が、三十年の年月に感じられたりもする。人類に未来はあるのかと人に問われたら、即座にわたしは「ないんでしょう」と答えるだろう。
 そしてーーー
 ただし我々が、ちょっと地球に住わしていただいている間に人間がみた夢だけが、永遠不滅かも知れないと答える、用意もしている。

「真夜中のせんたく/永島慎二」より。 

4月15日(金)

 昨夜21時26頃、熊本地方で震度7を記録する大きな地震があった。しばらくテレビのニュースやインターネットを見ていたが、夜遅い事もあって被害の状況は分からなかった。
 今朝、居間へ降りて行きテレビをつけると大分状況が明らかになっていた。現在までに死者9人、負傷者は1000人となっている。朝日新聞がこの地震のまとめサイトを作っている。
 今回の地震は、中央構造線の延長線上にある布田断層帯と日奈久断層帯で起きたと思われるという。 日本最大の活断層である中央構造線の上には伊方原発があり、西の端には川内原発がある。熊本と同じ内陸直下型の地震が、伊方原発や川内原発で起こっても不思議はないだろう。今日は途切れ途切れにテレビのニュースで被災地の様子を見ていたが、もし地震と原発事故がダブルで起こった場合、余震が続く中で大規模な住民の避難などできるのだろうかと改めて思う。
 SNSで、福島第一原発の事故は津波によるもので地震で原発は壊れていないという書き込みが流れてきて驚いた。原発の内部は高い放射線量で未だに調査に入れず、地震で何が起こったかさえ分かっていないのが実情だ。津波による外部電源の喪失がメルトダウンの引き金になったが、津波以前に地震で原発内部の配管がズタズタになっていたという証言もある。地震で原発は壊れていないとは何を根拠にしているのだろうか。
 一昨年の11月には、糸魚川ー静岡構造線の上にあった長野県の白馬村で震度6弱の地震が起きている。 活断層だらけの日本列島では、今回のような地震がどこで起きてもおかしくないのだろう。
関連あるのか?熊本地震直前の東京の揺れ・・・「中央構造線で起こってる」
日本最大の活断層「中央構造線」が動いた!?「南海トラフ地震」まで残り時間は30年?関西学院大学災害復興制度研究所客員研究員・青木正美氏に岩上安身が直撃取材!
再稼働で揺れる川内原発の地震対策は、まったくなっていない!
中央構造線リアルタイム
糸魚川-静岡構造線で地震断層の出現を確認

 地震のニュースの影に隠れてしまったが、今朝、北朝鮮が金日成主席の生誕記念日にあわせてミサイルを発射したが、失敗に終わったようだ。

 花粉症のせいか目の疲れと痛みでなかなか読み進めなかった『岡本太郎の東北』を、昨日ようやく読了。興味深かった箇所を、引用させていただく。

 馬はシャーマニズムとも深い関係がある。これは全アジア的な現象であるが、わが国でも明らかにこの動物は宗教的神秘に結びついていた。
 御神体が馬だったり、或は神が馬に乗ってくるという伝説は極めて多い。雨乞いにも馬が使われた。馬の首を切って神に捧げた、いけにえの神事が、首なし馬の伝説になって残っている所もすくなくない。すべてシャーマニズムの痕跡である。
 後世は生きた馬を奉納して神馬とした。やがて木像、石像になり、ついに板きれ一枚の絵馬となった。更にその絵づらからも姿は消え失せて、絵馬の名だけ残る。それでも霊界、神の国と交通するかつての役割は、かすかに保っているわけだ。
 シャーマニズムでは、馬は人間を死の国に運び、またつれもどしてくる。シベリアのバイカル湖付近に住むブーリアット族では、これは八本足の馬である。凄みのあるイメージだ。
(岩手 57P)

 呪術には矛盾がある。
 効果、力があらわれるという前提がなければ成り立たない。少くともそれが示現する、した、と思われることがなければならぬ。しかし同時にそれが必ずあらわれるのでは、やはりいけないのである。カクすれば、必ずカクなる、というんだったら、それは実用的約束であって、呪術でも何でもないからだ。
 当たるも八卦、当たらぬも八卦、というといささかヒヤカシ気味の文句だが、これは意外にも、その本質を鮮やかについているのである。
 芸術の場合も、まさに同じメカニズムがある。相手に何らかの形で認められるという要素がなければならない。それがなかったら、働きかける力をもたない。だが全面的に受け入れられ、好かれてしまったら、また呪力を失ってしまう。ともに芸術として無存在だ。
 絵画なんて、すでに好かれるという要素のかたまりのようなものだ。したがって逆に、猛烈に好かれない工夫をしないかぎり、呪術的エネルギーは生かされないのである。あたかも色、形、その美しさで人を説得しているように見えるかもしれないが、実はそうではなく、裏にひそんだ、外貌とはおよそ違ったもの。それが力となって、受けるもののまったく油断し、自覚してない場所でひっ捉えてしまうものなのだ。
(青森 94P)

 
滑川のネブタ流し
 昨年の7月31日に撮影した、滑川のネブタ流しのスナップをPhoto Albumにしました。こちら

4月13日(水)

 福岡さくらまつりのチラシに、今日の午前10時から白象町内おねりがあると書いてあった。これは、4月8日のお釈迦様の誕生日を祝う花祭りの行事だ。おねりとは、沖縄風にいえば道ジュネーのこと。子供達が白い像を引っぱって町内を練り歩いた後、お釈迦様の像に甘茶をかける。由来は、こちらに詳しく書かれている。 
 10時少し前に出発地点となる長安寺に行くと、境内には白象が待機していた。しばらくすると福岡幼児学園の子供達が先生に連れられてやってきた。
↓スタートとなる長安寺。→白象の背中に乗るお釈迦様の像。
白象町内おねり02
白象町内おねり01
白象町内おねり03
白象町内おねり04

 40人程の園児が白象を繋いだ紅白の紐を持ち、町の中心部をまわる。長安寺に戻ると白象を本堂に上げ、白象の背中に乗っていたお釈迦様を降ろし、園児の代表が甘茶を掛ける。その後、紙芝居風のお釈迦様についての講話を聞いておしまいになった。おねりから終了まで一時間程だろうか。

 幼稚園の頃に、この花祭りに参加した事がある。その時の写真が右で、今は「まちの駅」というリサイクルショップになってしまった当時の幼稚園の前で撮ったものだと思う。白象を引いて歩いた記憶はないが、甘茶を掛けたような記憶はある。なにより鮮明に残っているのは、戴いた甘茶がとても美味しかったことだ。

 昨日で日米両政府による普天間飛行場の返還合意から20年が経ち、沖縄県庁前では集会が開かれた。映画監督・三上智恵さんが、琉球朝日放送でこの出来事を報じた当時の事を「20年間果たせない約束」として、沖縄撮影日記の連載に書いている。

自分のお稚児さんの写真

4月12日(火)

 今日の昼過ぎ、新宿のゴールデン街で火事があり3棟が焼けたようだ。ゴールデン街で昼から営業しているお店はほとんどないだろうから、人的な被害が最小限で済んだのは不幸中の幸いだろうか。ゴールデン街に馴染みの店はないけれど、何度か呑みに連れられて行った事はある。

 昨日は小矢部市無形民俗文化財になっている奇祭・酒とり祭を見に、下後亟(しもごぜ)神明社へ。朝から弱い雨が降っていたが、午後からは雨も上がり時々日も射して来た。それでも気温は余り上がらず、久しぶりにダウンジャケットを羽織った。
 ネットの情報では16時半から神事、17時から獅子舞、17時20分から酒とり祭となっていた。初めての場所なのでグーグルの地図をプリントして、少し早めに自転車で向かう。能越自動車道の小矢部インター近くなので、自動車道に沿った一般道を走り45分程で着いた。

酒とり祭01
上段左:下後亟神明社の入り口/上段右:拝殿での神事/中段左:獅子舞の子供達/中段左:杓子を両手に持ち、鳥居から拝殿まで下帯姿で駆け抜ける男達/下段左:杓子に入れたお神酒を見物客に配る/下段右:用意された一升瓶17本がなくなるまで続けられる。
酒とり祭02
 17時半頃に祭りが終了。来た道を辿りながら、のんびりと自転車を漕いで家へと帰った。北日本新聞の記事、北日本放送のニュース配信

備忘録として、最近の気になった記事。
15年度6兆円も吹っ飛び…GPIFが姑息な「年金大損隠し」
GPIF 15年度損失は4兆7000億円 民進党試算
安倍晋三が今度はTPPで「反対と言ったことは一回もない」と大嘘答弁! マスコミはなぜ安倍の嘘を放置するのか
安倍応援団「視聴者の会」がテレビ局スポンサーへの圧力を公言! ネトウヨを集め“電凸”計画も進行中
「パナマ文書」何を明らかに
パナマ文書とは?日本人&日本企業リストの影響と報道しない理由
世界最大級のリーク「パナマ文書」とは? アイスランドでは首相辞任に発展
パナマ文書が暴露! タックスヘイブンで“税金逃れ”していた日本の大企業とは…文書に「DENTSU」の名前
ムヒカ氏、安保法「大きな過ち」 「世界で一番貧しい大統領」
「世界一貧しい」前大統領「富に縛られず、幸せの道を」
「世界一貧しい大統領」ホセ・ムヒカ来日 経済格差を「愚かな過ち」と批判

 来日した元ウルグアイ大統領、ホセ・ムヒカ氏のニュースと、パナマの法律事務所モサック・フォンセカから流出した文書により各国の政府や富裕層、大企業がタックスヘイブンを利用して租税回避をしていたことが公になったニュースが並んでいた。
「“私たちは今幸せに生きているのか”ということを常に考えることです。私たちは多くの富を抱え、科学技術が進歩した時代に生きています。150年前と比べて人間の寿命は40年も伸びた一方で、軍事費に毎分200万ドルもかかるようになり、世界で最も裕福な100人ほどが人類の富の半分を所有するようになってしまいました。こうした不均衡を作りあげたルールが支配する世界になっています。若い人には私たちの愚かな過ちを繰り返さないでいただきたいです」
 ムヒカ氏のこの言葉とパナマ文書の問題は、見事に繋がっている。

4月10日(日)

 昨日と今日は、地元の<さくらまつり>。昨日は正午からイベント広場で能楽公演を見てから、ミュゼふくおかカメラ館で新しく始まった木村芳文写真展『天と地と白山』へ。
能01
能02
↑↓→昨日の能楽の舞台。下の演目は昨年も演じられた「土蜘」。
能03
 今日は正午から洋遊会の雅楽公演、そして地元のマジシャン、コンプレッサーさんのマジックを見て来た。
↓春庭花(しゅんていか)。→蘭陵王(らんりょうおう)。
雅楽02
雅楽01
↓岸渡川の舟下り。だいぶ葉が目立ってきましたが、桜吹雪の舞う中を舟で下るのも風情がありますね。
雅楽03
 しばらく暖かい日が続いていましたが、明日は季節が逆戻りして寒い一日になるようだ。

4月8日(金)

 昨日の雨と強風で葉桜になっていないか心配しましたが、岸渡川の桜も小矢部川の土手の桜もまだまだ花を咲かせていました。
↓小矢部川の土手の桜。→岸渡川の桜。
桜02
桜01
 夜は、昨年亡くなった羊毛とおはなのヴォーカリスト、千葉はなさんを偲ぶメモリアルコンサートへ。
今庄の天玉チャンポン
 コンサートの前に、先ずはせっかく高岡に来たのだから駅ビルに入っている今庄で、うどんとそばが半分半分入った「天玉チャンポン」で腹ごしらえ。うどんだけ、そばだけより手間がかかる気もするが値段は同じです。やっぱり今庄、汁が美味しい。すっかりお腹も満足したので、コンサート会場のウイング・ウイングへ。ステージのスクリーンには、千葉はなさんのライヴ映像が流れていた。

千葉はなメモリアルコンサート01

 コンサートは19時から始まった。今日は千葉はなさんの縁のある人たちが出場する。先ずは、彼女が富山大学の学生時代に所属していたジャズ研(上左)による演奏、そして富山で嘗て結成して活動していた女性ボーカルグループ、grava(上右)の演奏。そして彼女の友人達によるセッションバンド、マギースペシャルの演奏の後、最後は出演者全員による「アメイジンググレイス」で終了した。
千葉はなメモリアルコンサート02

 コンサートの後、ステージとステージの前に出演者、スタッフ、来場者が揃って記念撮影。せっかくなので私も入れてもらった。(↓Facebookに写真が上がっていたので拝借)

記念写真
 You Tubeから「all you need is love/羊毛とおはな」「 falling/羊毛とおはな」「こきりこ/grava」。

4月6日(水)

 ちょっと雲が多かったけれど、日差しが射せば部屋に居るより暖かな天気。明日は花散らしの雨が降る予報なので、昼前から桜を見に自転車を走らせた。先ずは、小学校の裏手の土手の桜並木へ。本数は多くないけれど、樹齢30年程の桜は元気に咲き誇っていた。満開の一歩手前だが、明日の雨が心配。
 小学校裏の土手から山裾へ。杉花粉の発生源に飛び込んで行くようなものだが、マスクをしているせいか、もう花粉が少なくなったのかクシャミを連発することもなかった。
小学校裏の桜並木
 
ホタルイカ
 自転車を漕いでいるとジーンズのポケットに入れていた携帯が鳴る。高校の先輩からで、朝掬ってきたホタルイカをお裾分けして下さるという。
 家に戻ってホタルイカをありがたく受け取り、冷蔵庫に仕舞ってから、今度は高岡の古城公園の桜を見に自転車を走らせる。満開は過ぎていたが、たくさんの人が見にきていた。

←富山の春の味覚。戴いた生のホタルイカ。

 せっかく高岡まで来たので、まじまでソフトクリームを食べる。10段はヘビーなので、110円の小児サイズを注文。小児サイズが、一般の普通サイズだろうか。ソフトクリームで燃料をチャージして、一時間程かけて自転車で家へと帰る。

↓満開が過ぎて、散り始めの古城公園の桜。
古城公園

 Facebookのラインは、色んな人の撮った桜でいっぱいになっている。毎年春先になると聴きたくなるのが、さざ波のような弦楽器のリズムが心躍らせるブラジルのショーロや、インドネシアのクロンチョン。満開の桜の下で、生のショーロなんて聴けたら楽しいだろうと思う。You Tubeからショーロを1曲。「NOITES CARIOCAS」。

 沖縄の米軍基地に関する噂や誤解を解くための冊子が作られた。「それってどうなの? 沖縄の基地の話」。

4月5日(火)

 午前中は曇りだったが、午後からは快晴。ドラッグストアーでマスクを買って、口と鼻を防御して花見へ。町の中心に自転車をとめて、2時間ほど岸渡川の両岸を写真を撮りながら散歩。もう満開に近い、9分咲きだろうか。
岸渡川の桜01
岸渡川の桜02
 岸渡川の桜は、昭和25年から28年にかけて植栽されたそうだ。両岸約1kmに渡ってソメイヨシノが植えられているが、古い樹は樹齢60年になる。もう老木の域だが、頑張って花を咲かせている。

4月2日(土)

 なんだか、あっという間に4月。もう一年の四分の一が過ぎたのか(汗)。
 ちょっと前まで寒い寒いと言っていたのに、今日は扇風機を回したくなるような暖かさで、晩ご飯は冷たい茶蕎麦を食べた。天気予報では最高気温18℃となっているが、20℃以上はあったんじゃないだろうか。
 用がない限り外には出ないようにしていたが、窓から見る遠くの桜並木が薄いピンクに色づき始めているので、勇気をだして並木の下を自転車で走ってきた。予報では、今日も花粉の飛散は多いと書いてあったが、夜になってもクシャミは出ない。少し目が痒いかな?と思うが、鼻や口の奥が痛痒い嫌な感じもそれほどない。だいぶ花粉も少なくなってきたのだろう。あと少しの辛抱だ。
岸渡川の桜

↑岸渡川(がんどがわ)の桜並木。満開に近い木もあるが、全体的には6分咲きくらいだろうか。

 友人のブログを見て、かつて博多にあったライヴハウス『多夢』のオーナー、菅忠雄さんが亡くなったのを知った。ネットで検索すると、2010年8月29日に一周忌追悼ライヴが行なわれているので、亡くなって6年程が経つのだろうか。その友人から菅さんが病気かなにかで足を悪くしたと言う話しを聞いたのは、その頃だったかもしれない。
 『多夢』に初めて行ったのは、1978年の夏。ビクターからファーストアルバムを出したばかりの金沢のロックバンド、TーBIRDの全国ツアーにローディーとしてついて行った時だから、もう38年も前になる。その翌年か翌々年にダディ竹千代&東京おとぼけキャッツのツアーで、やはりローディーとしてついて行った。その次は、島(島村英二)さんのローディーをしている時に、吉田拓郎さんの全国ツアーで福岡に行った際に、コンサートが終わってから遊びに行った。
 3〜4回しかお店に行っていないけれど、その博多出身のミュージシャンの友人と会って呑んだりすると、多夢や菅さんの話しが出る事もあった。
博多の多夢01
博多の多夢02

←↑1978年、T-BIRDのライヴで多夢に行った時に撮影した記念写真。多夢の隣りは黒木屋という楽器屋だったかな。右端の黒のTシャツに長髪、ヒゲを生やしているのが多夢のオーナー、菅忠雄さん。
  You TubeにあったTーBIRDの音源をいくつか。「1977大阪 to step from Blues」「Jet Plane」「197?関西TV 誰がかばやねん T-Bird LIVE」。

 あの頃、地方のライヴハウスにツアーで行くと、宿泊費がないのでオーナーの家や、プロモーターの家にお世話になる事が多かった。多夢も菅さんの家にメンバー全員で泊まらせてもらったと思う。そんなわけで、数える程しかお会いしていないのに、当時知りあった方々には勝手に強い親しみを持っている。
 大阪は梅田にあった『バーボンハウス』、京都は『拾得』『磔磔』『サーカス&サーカス』、岐阜の『キャスパー』。九州は長崎の『カボ』に行った。もうなくなってしまったお店もかなりある。 
 1983年に日本交通公社から発売された「別冊るるぶ ライブハウスカタログ」というムックの製作で、東京近郊のライブハウスの取材やデータ集めをした。新譜ジャーナルを発行していた自由国民社にいた人たちが中心になって作った、ブルーリバーという編集プロダクションの仕事だった。実際に企画をし編集作業をしていたのは、フリーの編集者だった岩永文夫さんだったと思う。その岩永さんも、昨年亡くなったようだ。
ライブハウスカタログ
 昨年の7月25日に撮影した、メルヘンおやべ源平火牛まつりのスナップをPhoto Albumにしました。こちら
火牛まつり

3月へ