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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 |
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4月10日(日) 高砂山願念坊祭 記事 4月11日(月) 小矢部市下後亟神明宮 酒とり祭 4月17日(日) 氷見まるまげ祭り 4月17日(日) 黒部・明日(あけび)の稚児舞 4月18日(月) 伏木 氣多神社春季例大祭「にらみ獅子」 4月19日(火) 富山市新庄町(新川神社) どべ祭り 記事 4月20日(水) 相倉集落 五箇山春祭 4月23日(土) 二上射水神社築山行事 4月24日(日) 浦田山王社獅子舞 13時〜16時 4月27日(水) 出町子供歌舞伎稽古上げ 4月29日(金祝) 石動曳山祭 4月29日(金祝)、30日(土) 出町子供歌舞 5月1日(日) 高岡御車山祭 5月1日(日) 御装束祭 射水市 賀茂神社 5月1日(日)、5月2日(月) 福野夜高祭 5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 鹿嶋神社稚児舞 5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 菅沼集落 五箇山春祭 5月3日(火・祝)、4日(水・祝) 朝日町宮崎の獅子舞 記事 5月3日(火・祝) 「賀茂祭」・宵祭 射水市 賀茂神社 5月4日(水・祝) 「賀茂祭」・本祭 やんさんま祭 射水市 賀茂神社 5月5日(木・祝) 「賀茂祭」・裏祭 射水市 賀茂神社 5月4日(水) 滑川 赤浜の菖蒲打(ショーブツ) 5月4日(水)、5日(木祝) 城端曳山祭 5月4日(水)〜5月22日(日) 鋤田正義展 <SOUD&VISION Ver.2> しいのき迎賓館(2階イベントホール) 5月19日(木) お鍬さま祭り 6月 氷見市床鍋地区 虫送り 6月3日、4日 津沢夜高あんどん祭り 6月4日、5日 庄川観光祭 夜高行灯 6月10日(金)、11日(土) となみ夜高祭り 7月 福光 荒木ねつおくりまつり 7月下旬の土日 黒部市 生地えびす祭り 8月5日(金)、6日(土) 魚津 たてもん祭り 8月25日 婦中町 熊野神社の稚児舞 9月30日〜10月2日 築山・新湊曳山まつり 11月第3土曜日 射水市放生津・新湊地区 澗建のえびす様渡し 1月 南砺市利賀村 初午 *とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り *全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧 *とやまの獅子舞百選 *富山県内のお祭り、イベント *とやまの文化財百選シリーズ(2) とやまの獅子舞 *とやまの文化財百選シリーズ(3) とやまの祭り *とやまの文化財百選シリーズ(4) とやまの年中行事 |
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○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
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今日、明日が出町子供歌舞伎の本番。今日は神明宮での奉納歌舞伎を含めて、朝から夜まで5回の公演が行なわれる。せっかくなら16時30分から行なわれる、三町の曳山が揃う若鶴酒舗前での芝居を見ようと自転車を走らせる。 余裕をみて一時間程前に到着すると、会場の近くには西町、東の曳山が既に待機しており、少し離れた所から公演を終えて向かって来る中町の曳山が見えた。 中町の曳山が到着すると、さほど広くはない道路に3町の曳山が綺麗に並べられ、会場に椅子が設置された。やがて芝居の開始時刻になり、先日の曳山会館での稽古上げでは登場しなかった三歳の女の子が舞台に上がって元気いっぱいの声で口上を述べた。 |
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↓会場に向かう中町の曳山。→3歳の女の子が口上を行なった。 |
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午前中は曇りで、一時雨も降ったので心配したが、神明宮での奉納歌舞伎も滞り無くできたそうだ。 | ||
↑一時間程の芝居が終わると、中町の曳山は今日最後の公演場所へ、西町と東の曳山は出町子供歌舞伎曳山会館へと戻って行った。 ←芝居の後、出町神明宮に寄る。この子供歌舞伎は、神明宮の春季大祭として行なわれている。 ↓このところ日差しは春だが、吹く風が随分と冷たい。寒いな〜と思いながら水を張った田んぼに移る夕日を眺めて自転車を走らせた。 |
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朝から雨。今日で熊本大地震の発生から2週間が経過、この間の余震が1000回を超した。一日平均70回にもなり、絶えず揺れている感じだろうか。 |
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昨日は、出町子供歌舞伎の稽古上げを見に行った。稽古上げは、本番前の総合リハーサルといったところか。沖縄の祭りで言う、ウブシクミだ。 | ||
この子供歌舞伎は西町、中町、東の3町が持ち回りで行ない、今年は中町が当番。昨年の東曳山では「絵本太閤記十段目尼崎之段」「釣女」の2本立てだったが、今年は「恋女房染分手綱・重の井子別れの段」を披露する。 稽古上げの始まりは午後2時からとなっていたが、マイクの不調で少し押して始まった。学校の授業の一環だろうか、小学生が見学に来ていた。 ←↑曳山会館での稽古上げの様子。 |
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稽古上げは、場所を変えて17時からもう一度行なわれるが、夕方から雨の予報なので自転車を漕いで家に帰る。 | ||
家に帰る途中、またまた砺波のチューリップの花が撒かれている田んぼに寄ると、新しく捨てられたチューリップが大量にあった。少し前に捨てられた花は腐敗が進み、何とも言えない被写体としての魅力を醸している。 暫く撮影していると、またトラックがチューリップを運んで来た。話しを伺うと、田んぼが均等に肥えるように花を撒く田んぼを変えているそうだ。 暫く経ったら、美しく腐敗する様を撮りにまた来よう。 |
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今日、4月28日はサンフランシスコ講和条約が発効した日。3年前の2013年4月28日、日本政府はこの日を日本が主権回復した日だとして記念式典を開催した。しかし、同時に沖縄や奄美、小笠原がアメリカ政権下に組み入れられ、日本から切り捨てられた日でもある。沖縄ではこの日、宜野湾市の宜野湾海浜公園屋外劇場で「4・28政府式典に抗議する『屈辱の日』沖縄大会」が開かれた。 | ||
↑2013年4月28日に宜野湾市で開催された『屈辱の日』沖縄大会。 |
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◯きょう、沖縄「屈辱の日」 64年前の講和条約発効で米軍集中 ◯[講和発効64年]切実さ増す「自治・自立」 ◯4・28「屈辱の日」 自己決定権回復を誓う日に |
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今日でチェルノブイリ原発事故から30年。ネットのニュースに「事故から30年、チェルノブイリが動物の楽園に」という、ナショナル ジオグラフィック日本版の記事が載っていた。記事中にあった「人間がいなくなったことが、放射能による潜在的影響を相殺してはるかにあまりある効果をもたらしているのでしょう」という指摘に、なるほど、と頷いた。 | ||
22日に一度撮影した、チューリップの花びらを撒いた田んぼがどうなっているか見に行った。 田んぼの中に入って撮影していると、チューリップの花を詰めたビニール袋をたくさん荷台に積んだ軽トラがやってきて、また花を撒いて行った。 このところ雨が降っていないので、古いものはドライフラワーのようになっている。雨に濡れて腐敗していく花びらが撮りたい。 |
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23日は二上射水神社の築山行事、24日は浦田山王社の獅子舞を撮影してきた。これで、富山県で伝わっている行道獅子を全て撮影できたと思う。 | ||
4月23日(土) 二上射水神社の春季例大祭。神事は午後2時からと書いてあったが、12時半頃に着くように自転車で家を出る。2度目なので、前回よりも距離が短く感じられた。 |
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↓二上射水神社。→簾越しに公開された、国指定重要文化財の木造男神坐像。 |
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本殿での神事は午後2時からだが、1時半頃に鳥居の方から露払いのゲンダイジシ(源太夫獅子)が本殿に向かって進んで来た。 | ||
↓完成された築山(臨時の祭壇)。鳥居から入り本殿に進むゲンダイジシ。 |
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ゲンダイジシの行列の後に、祭獅子が本殿や築山、天の真名井の前で獅子舞を奉納。その後、本殿での神事が始まった。 | ||
↓ゲンダイジシの後、祭り獅子による獅子舞が奉納された(左)。拝殿での神事の際に奉納された、稚児による神楽「末広の舞」(右)。 |
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神事の内容を、境内に立てられていた築山行事を解説した立て札から引用すると、 古代信仰では、神は天上にあり、祭に際して降臨を願うものとされた。この行事は毎年四月二十三日、二上射水神社の春祭に行なわれる。境内の三本杉と呼ばれる大杉の前に社殿に向かって築かれる臨時の祭壇は、幅四間、奥行三間、上下二段になっており、上段中央に唐破風の簡素な祠が置かれ、その前に日吉、二上大神、院内社三神の御霊代である御幣が立てられる。屋根の上には斧をかざした天狗が立ち下段には甲冑に身を固めた四天王の藁人形が置かれ、祭壇のまわりは造花で飾られる。 祭礼の前日の夕刻、頭屋(とうや)にあたる山森氏(御幣ドン)と神主が二上山頂にある奥の御前の日吉社ら御幣に神を迎える。一夜自宅でお護りし翌日築山に移す。院内社は祭の当日迎えられる。 祭儀は、午後二時から行なわれ社殿で例大祭の儀式が済むと三基の神輿が巡行する。ゲンダイジシを露払いに、御幣ドン、神主が続きその後に院内社、二上大神、日吉社の神輿が続く、途中で院内社の神輿だけが一旦鳥居の外に出て、戻って二上大神と日吉社の間に割って入る。これを「院内わりこみ」という。その後、築山の前と天の真名井の前で祝詞が奏上され、本殿の前に戻って儀式が終る。祭儀が終ると築山はただちに解体され片付けられる。遅れると神様が荒れるという。 この行事は、天上から臨時の祭壇に神を迎える古代信仰の本義を良く残している。又動かぬ築山がやがて動く曳山へと発展していったと考えられており、高岡御車山の原初形態を知る上でも貴重である。又社殿の神事と古代信仰の築山神事の二重の神事を同日に行なっている点も興味深い。高岡市教育委員会 |
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↓人形や飾りが取り外される築山。遅くなると神様が荒れるという。 |
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神事の後、直ぐに築山が解体された。嘗ては土台もその日の内に片付けられたそうだが、今は次の日になったようだ。人形や飾りなどは16時までに片付けなければならないようで、慌ただしく作業が行われた。 築山が土台だけになるのを見てから、神社を後にした。近くでは、祭り獅子が地区の家をまわっていた。 |
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4月24日(日) 富山の獅子舞の中で一番見たかった、浦田山王社の獅子舞が行なわれる日。以前、電話で問い合わせた所、神事は午後1時からと教えていただいたが、12時前に着くように電車の乗り継ぎを組む。 |
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↓→幟があがり、祭りの準備が整った浦田山王社。 |
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←拝殿での神事。嘗ては稚児による浦安の舞の奉納もあったそうだ。 ↓神事の後、拝殿から獅子頭と大きな胴幕が入った行李が外に運ばれる。 |
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幟を先頭に、吹き流しの旗を持った子供達、そして前立ちと呼ばれる男性、大獅子、そして笛や太鼓が続く。獅子の前には、獅子頭の目を御幣のついた棒で隠す役の男の子が二人歩く。前立ちの男性は、この日は神役なのでお練りの間は後ろを振り返ることも、話しをする事もできないそうだ。 |
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神社の前の道を、短い休憩を2回挟んで約2時間かけて左右に一往復した後、お宮の周りを3回まわってお練りは終了した。 | ||
↑獅子のお練りが終った後、拝殿で獅子に頭を噛んでもらい健康を祈願する「おわたまし」が行なわれた。村内を練り歩いた獅子が噛むのかと思っていたが、「おわたまし」にはもっと古い獅子頭が使用された。 | ||
↑お練りの途中、県の指定史跡となっている稚児塚古墳を案内していただいた(左)。古墳の頂部にかってあった、樹齢300年(案内して下さった男性は800年と話されていたが)の杉の木の根っこ(右)。 |
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浦田山王社から寺田駅へ。この駅は、昭和6年に開業したそうだ。本線と立山線が停まるため、駅のホームは意外に大きい。この寺田駅に限らず、富山地方鉄道の駅舎は趣きのあるものが残っているようだ。 | ||
北日本新聞の朝刊を見ていたら、戸出で球根を生産している清都農園が摘み取ったチューリップの花びらを田んぼに撒いたという記事が載っていたので、急いで支度をして写真を撮りに行った。6年前にも北日本新聞の記事を見て、田んぼに撒かれたチューリップの花びらを撮りに行っている。 地図を見ながら自転車を走らせ清都農園まで辿り着くが、田んぼに撒かれた花びらが無い。6年前は清都農園の隣りの田んぼに撒かれていたのに・・・周囲を自転車で走り近くの農家の男性に尋ねると、今は違う田んぼに撒いているようで、その場所を教えてもらい、ようやく到着した。 |
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先日、富山おさんぽ写真部メンバー展「レンズの向こう側」と題した写真展の案内ハガキを戴いたので、午後から電車に乗って富山へ。 せっかくなので、富山市役所で開催されている「AMAZING TOYAMA写真部」写真展を先に見て行く。 2つの写真展を見た後県民ギャラリーに寄ると、パッチワークキルトの展覧会が行われていた。 |
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3つの展覧会を見て、思いがけず長い時間になった。富山駅に着くと、金沢行きの電車が直ぐにあった。車窓から空を眺めると重い雲が垂れ下がった中に、ぽっかりと空間が広がっていた。 | ||
髪が伸びてきたので、午後から散髪に。すっきりした頭で、そのまま二上方面へサイクリング。 |
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↓二上射水神社。→境内に組まれた築山の土台。 |
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せっかくここまで来たので、もう少し自転車を漕いで小矢部川の河口付近まで走ると工場地帯が見えた。なんだか鈴木慶一さんの「LEFT BANK」が頭に浮かぶ。この歌に出て来る左岸は、多摩川かな?向ケ丘遊園に住んでいた頃は、よく多摩川の土手を自転車で走った。河口まで行った事もある。 この河はいつからか水がながれてない ゴミの山とサビついた船があるだけ 苔のように 恐竜の時代から変わってないことは 太陽と空と生と死が在ること 過ぎてしまうこと 向こう岸は昔住んでいた所 左岸をOh〜海に向かって ぼくは歩く 君を愛しながら 〜LEFT BANK〜 作詞:鈴木慶一 |
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帰りは小矢部川の堤防を走る。途中、アスファルトの道が切れている箇所があって少しだけ一般道を走ったが、なかなか快適。川が大きく蛇行しているので走る距離は長くなるが、車がほとんど通らないので安心して自転車を漕げる。 | ||
↑小矢部川の堤防からのスナップ。家の近所の堤防は整備されて雑草も大きな木も少なくなってしまったが、河口の近くには、いくらか木が残っていた。昔は小矢部川の堤防の木にいる蝉やカブト虫、クワガタを捕まえに行った。こういう日常の風景を見ながら、福島や熊本のことを考えると、こんな光景が愛おしくなる。 ←いつの間にか日が長くなり、太陽の沈む位置も変わっていた。 |
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震度1以上の地震の発生回数が630回を越えた。震源が南西方向にも広がり八代市などで震度5弱を記録する地震も発生している。そして、今回の地震による死者は47人となった。また、南米エクアドルの地震の死者が400人を越え、負傷者も2600人以上となっている。 昨日、被災地に支援物資を運ぶためにオスプレイが初投入されたが、オスプレイの投入に賛否両論分かれている。 また、米軍の善意による救援活動への感謝の思いと、救援活動の方法の妥当性をゴッチャにした議論がSNSで流れている。 |
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昨日は、伏木にある氣多神社で春季例大祭が行なわれた。この例大祭では神輿の渡御の際に、行道獅子がお神輿を先導する。そしてお神輿の渡御が済むと、行道獅子は拝殿の前で両側に並ぶ観客の方にゆっくりと頭を振って睨み、集まった人たちの厄を祓う<にらみ獅子>となる。この行道獅子が撮りたくて、ちょっと朝早くに起きて伏木まで行ってきた。 | ||
神事の始まるのは8時30分から。高岡駅で氷見線に乗り換えて、最寄り駅・越中国分に7時55分に到着。印刷したグーグルマップを見ながら神社に向かう。少し距離はあるけれど、道順がシンプルで分かり易かった。 高校生の頃は通学に氷見線を使っていたが、越中国分駅で降りたのは初めてだろうか。 神社に着くと、既に拝殿の前にお神輿が出されていた。 ←拝殿での神事の様子。 |
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↓拝殿での神事の後、お神輿の渡御に出発。→神輿を先導する、行道獅子。 |
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↓お神輿の露払いをした後、拝殿の前で集まった人たちの厄を祓うにらみ獅子。そして拝殿の前で舞いを奉納した。 |
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↓祭獅子の奉納。→お神輿の通る道には、お清めの砂が引いてあった。 |
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↑氣多神社での祭礼の後、祭獅子が町内を周るので。しばらく着いて歩いた。神社の近くにある氷見高校でも獅子舞が行なわれたが、そこで小中学校の同級生に会った。もう12年、氷見高校で先生をしているという。 | ||
1時間ほど獅子舞に着いて歩いてから、駅に向かった。散歩がてら氷見駅でもよかったが、写真を撮りたくて来る時に降りた越中国分駅へ。無人駅で、ホームの上には小さな待合室。ホームの先に海が広がっている。しばらく待ってやって来たのは、忍者はっとり君列車だった。 | ||
↑氣多神社で買ってきた、大きな棒状の草餅。750円。人気があるようで、祭礼が終わった後に、わざわざ草餅を買いに来る人もいた。 | ||
先日アマゾンの古書店でポチッとした本が届いた。『旅ではなぜかよく眠り/大竹昭子』(新潮社)、『サイゴンの昼下がり/横木安良夫』(新潮社)。ともに写真の載った旅行エッセイ、紀行文。読めば、少しは今の気分を解してくれるだろうか。先ずは『旅では・・・』から読み始めようと思う。 | ||
春の嵐。台風並みの暴風が吹いて、家が揺れた。お昼頃には30分程だが、停電もあった。熊本の地震で被災された方々の恐怖とは比べものにもならないだろうが、強風で家が揺さぶられる度にヒヤッとした。 一昨日の夜から昨日の未明まで熊本の地震が気になって、テレビとネットで交互に情報を見ていた。けっきょく朝までテレビをつけっぱなしにして居間でウトウト。昨日の夜中1時25分頃に起きた地震の分布図は、日本最大の活断層である中央構造線に沿って揺れている衝撃的なものだった。これまで本震だと思われていた14日21時26分頃に起きた地震は余震で、この16日の1時25分頃に起きた地震が本震だという。そうなると、まだ本震が来ていない事だってあり得るわけだ。震源が熊本だけではなく大分にも広がり、予測がつかない事になっている。 |
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気象庁が昼の記者会見で、地震の活動範囲が南西側に広がっていると述べた。また12時9分頃には伊予原発の上にある、伊予灘を震源とする地震も起きている。14日から一連の地震は身体に感じるものが410回に達し、M3.5以上の比較的大きなものも162回となっている。震源の移動と、頻発する余震。昨日の午前に気象庁が、三つの地域で別々の地震が同時多発的に発生しているという見解も述べている。これまで経験した事のない地震だ。 今朝、南米のエクアドルでもM7.8の地震があり、77人が死亡し578人が負傷した。 とりあえず、あと二十年長生きして、この時代を見ないとソンしますと、来年の年賀状に書いてしまってから、わたしはほおづえをついて考えてしまった。 |
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昨夜21時26頃、熊本地方で震度7を記録する大きな地震があった。しばらくテレビのニュースやインターネットを見ていたが、夜遅い事もあって被害の状況は分からなかった。 地震のニュースの影に隠れてしまったが、今朝、北朝鮮が金日成主席の生誕記念日にあわせてミサイルを発射したが、失敗に終わったようだ。 |
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花粉症のせいか目の疲れと痛みでなかなか読み進めなかった『岡本太郎の東北』を、昨日ようやく読了。興味深かった箇所を、引用させていただく。 馬はシャーマニズムとも深い関係がある。これは全アジア的な現象であるが、わが国でも明らかにこの動物は宗教的神秘に結びついていた。 呪術には矛盾がある。 |
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昨年の7月31日に撮影した、滑川のネブタ流しのスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
福岡さくらまつりのチラシに、今日の午前10時から白象町内おねりがあると書いてあった。これは、4月8日のお釈迦様の誕生日を祝う花祭りの行事だ。おねりとは、沖縄風にいえば道ジュネーのこと。子供達が白い像を引っぱって町内を練り歩いた後、お釈迦様の像に甘茶をかける。由来は、こちらに詳しく書かれている。 10時少し前に出発地点となる長安寺に行くと、境内には白象が待機していた。しばらくすると福岡幼児学園の子供達が先生に連れられてやってきた。 |
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↓スタートとなる長安寺。→白象の背中に乗るお釈迦様の像。 |
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40人程の園児が白象を繋いだ紅白の紐を持ち、町の中心部をまわる。長安寺に戻ると白象を本堂に上げ、白象の背中に乗っていたお釈迦様を降ろし、園児の代表が甘茶を掛ける。その後、紙芝居風のお釈迦様についての講話を聞いておしまいになった。おねりから終了まで一時間程だろうか。 幼稚園の頃に、この花祭りに参加した事がある。その時の写真が右で、今は「まちの駅」というリサイクルショップになってしまった当時の幼稚園の前で撮ったものだと思う。白象を引いて歩いた記憶はないが、甘茶を掛けたような記憶はある。なにより鮮明に残っているのは、戴いた甘茶がとても美味しかったことだ。 昨日で日米両政府による普天間飛行場の返還合意から20年が経ち、沖縄県庁前では集会が開かれた。映画監督・三上智恵さんが、琉球朝日放送でこの出来事を報じた当時の事を「20年間果たせない約束」として、沖縄撮影日記の連載に書いている。 |
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今日の昼過ぎ、新宿のゴールデン街で火事があり3棟が焼けたようだ。ゴールデン街で昼から営業しているお店はほとんどないだろうから、人的な被害が最小限で済んだのは不幸中の幸いだろうか。ゴールデン街に馴染みの店はないけれど、何度か呑みに連れられて行った事はある。 昨日は小矢部市無形民俗文化財になっている奇祭・酒とり祭を見に、下後亟(しもごぜ)神明社へ。朝から弱い雨が降っていたが、午後からは雨も上がり時々日も射して来た。それでも気温は余り上がらず、久しぶりにダウンジャケットを羽織った。 |
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上段左:下後亟神明社の入り口/上段右:拝殿での神事/中段左:獅子舞の子供達/中段左:杓子を両手に持ち、鳥居から拝殿まで下帯姿で駆け抜ける男達/下段左:杓子に入れたお神酒を見物客に配る/下段右:用意された一升瓶17本がなくなるまで続けられる。 | ||
17時半頃に祭りが終了。来た道を辿りながら、のんびりと自転車を漕いで家へと帰った。北日本新聞の記事、北日本放送のニュース配信。 | ||
備忘録として、最近の気になった記事。 来日した元ウルグアイ大統領、ホセ・ムヒカ氏のニュースと、パナマの法律事務所モサック・フォンセカから流出した文書により各国の政府や富裕層、大企業がタックスヘイブンを利用して租税回避をしていたことが公になったニュースが並んでいた。 |
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昨日と今日は、地元の<さくらまつり>。昨日は正午からイベント広場で能楽公演を見てから、ミュゼふくおかカメラ館で新しく始まった木村芳文写真展『天と地と白山』へ。 | ||
↑↓→昨日の能楽の舞台。下の演目は昨年も演じられた「土蜘」。 |
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今日は正午から洋遊会の雅楽公演、そして地元のマジシャン、コンプレッサーさんのマジックを見て来た。 | ||
↓春庭花(しゅんていか)。→蘭陵王(らんりょうおう)。 |
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↓岸渡川の舟下り。だいぶ葉が目立ってきましたが、桜吹雪の舞う中を舟で下るのも風情がありますね。 | ||
しばらく暖かい日が続いていましたが、明日は季節が逆戻りして寒い一日になるようだ。 | ||
昨日の雨と強風で葉桜になっていないか心配しましたが、岸渡川の桜も小矢部川の土手の桜もまだまだ花を咲かせていました。 | ||
↓小矢部川の土手の桜。→岸渡川の桜。 |
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夜は、昨年亡くなった羊毛とおはなのヴォーカリスト、千葉はなさんを偲ぶメモリアルコンサートへ。 | ||
コンサートの前に、先ずはせっかく高岡に来たのだから駅ビルに入っている今庄で、うどんとそばが半分半分入った「天玉チャンポン」で腹ごしらえ。うどんだけ、そばだけより手間がかかる気もするが値段は同じです。やっぱり今庄、汁が美味しい。すっかりお腹も満足したので、コンサート会場のウイング・ウイングへ。ステージのスクリーンには、千葉はなさんのライヴ映像が流れていた。 | ||
コンサートは19時から始まった。今日は千葉はなさんの縁のある人たちが出場する。先ずは、彼女が富山大学の学生時代に所属していたジャズ研(上左)による演奏、そして富山で嘗て結成して活動していた女性ボーカルグループ、grava(上右)の演奏。そして彼女の友人達によるセッションバンド、マギースペシャルの演奏の後、最後は出演者全員による「アメイジンググレイス」で終了した。 | ||
コンサートの後、ステージとステージの前に出演者、スタッフ、来場者が揃って記念撮影。せっかくなので私も入れてもらった。(↓Facebookに写真が上がっていたので拝借) |
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You Tubeから「all you need is love/羊毛とおはな」「 falling/羊毛とおはな」「こきりこ/grava」。 | ||
ちょっと雲が多かったけれど、日差しが射せば部屋に居るより暖かな天気。明日は花散らしの雨が降る予報なので、昼前から桜を見に自転車を走らせた。先ずは、小学校の裏手の土手の桜並木へ。本数は多くないけれど、樹齢30年程の桜は元気に咲き誇っていた。満開の一歩手前だが、明日の雨が心配。 小学校裏の土手から山裾へ。杉花粉の発生源に飛び込んで行くようなものだが、マスクをしているせいか、もう花粉が少なくなったのかクシャミを連発することもなかった。 |
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自転車を漕いでいるとジーンズのポケットに入れていた携帯が鳴る。高校の先輩からで、朝掬ってきたホタルイカをお裾分けして下さるという。 家に戻ってホタルイカをありがたく受け取り、冷蔵庫に仕舞ってから、今度は高岡の古城公園の桜を見に自転車を走らせる。満開は過ぎていたが、たくさんの人が見にきていた。 ←富山の春の味覚。戴いた生のホタルイカ。 |
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せっかく高岡まで来たので、まじまでソフトクリームを食べる。10段はヘビーなので、110円の小児サイズを注文。小児サイズが、一般の普通サイズだろうか。ソフトクリームで燃料をチャージして、一時間程かけて自転車で家へと帰る。 |
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↓満開が過ぎて、散り始めの古城公園の桜。 |
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Facebookのラインは、色んな人の撮った桜でいっぱいになっている。毎年春先になると聴きたくなるのが、さざ波のような弦楽器のリズムが心躍らせるブラジルのショーロや、インドネシアのクロンチョン。満開の桜の下で、生のショーロなんて聴けたら楽しいだろうと思う。You Tubeからショーロを1曲。「NOITES CARIOCAS」。 沖縄の米軍基地に関する噂や誤解を解くための冊子が作られた。「それってどうなの? 沖縄の基地の話」。 |
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午前中は曇りだったが、午後からは快晴。ドラッグストアーでマスクを買って、口と鼻を防御して花見へ。町の中心に自転車をとめて、2時間ほど岸渡川の両岸を写真を撮りながら散歩。もう満開に近い、9分咲きだろうか。 | ||
岸渡川の桜は、昭和25年から28年にかけて植栽されたそうだ。両岸約1kmに渡ってソメイヨシノが植えられているが、古い樹は樹齢60年になる。もう老木の域だが、頑張って花を咲かせている。 | ||
なんだか、あっという間に4月。もう一年の四分の一が過ぎたのか(汗)。 ちょっと前まで寒い寒いと言っていたのに、今日は扇風機を回したくなるような暖かさで、晩ご飯は冷たい茶蕎麦を食べた。天気予報では最高気温18℃となっているが、20℃以上はあったんじゃないだろうか。 用がない限り外には出ないようにしていたが、窓から見る遠くの桜並木が薄いピンクに色づき始めているので、勇気をだして並木の下を自転車で走ってきた。予報では、今日も花粉の飛散は多いと書いてあったが、夜になってもクシャミは出ない。少し目が痒いかな?と思うが、鼻や口の奥が痛痒い嫌な感じもそれほどない。だいぶ花粉も少なくなってきたのだろう。あと少しの辛抱だ。 |
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↑岸渡川(がんどがわ)の桜並木。満開に近い木もあるが、全体的には6分咲きくらいだろうか。 |
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友人のブログを見て、かつて博多にあったライヴハウス『多夢』のオーナー、菅忠雄さんが亡くなったのを知った。ネットで検索すると、2010年8月29日に一周忌追悼ライヴが行なわれているので、亡くなって6年程が経つのだろうか。その友人から菅さんが病気かなにかで足を悪くしたと言う話しを聞いたのは、その頃だったかもしれない。 『多夢』に初めて行ったのは、1978年の夏。ビクターからファーストアルバムを出したばかりの金沢のロックバンド、TーBIRDの全国ツアーにローディーとしてついて行った時だから、もう38年も前になる。その翌年か翌々年にダディ竹千代&東京おとぼけキャッツのツアーで、やはりローディーとしてついて行った。その次は、島(島村英二)さんのローディーをしている時に、吉田拓郎さんの全国ツアーで福岡に行った際に、コンサートが終わってから遊びに行った。 3〜4回しかお店に行っていないけれど、その博多出身のミュージシャンの友人と会って呑んだりすると、多夢や菅さんの話しが出る事もあった。 |
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←↑1978年、T-BIRDのライヴで多夢に行った時に撮影した記念写真。多夢の隣りは黒木屋という楽器屋だったかな。右端の黒のTシャツに長髪、ヒゲを生やしているのが多夢のオーナー、菅忠雄さん。 |
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あの頃、地方のライヴハウスにツアーで行くと、宿泊費がないのでオーナーの家や、プロモーターの家にお世話になる事が多かった。多夢も菅さんの家にメンバー全員で泊まらせてもらったと思う。そんなわけで、数える程しかお会いしていないのに、当時知りあった方々には勝手に強い親しみを持っている。 |
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大阪は梅田にあった『バーボンハウス』、京都は『拾得』『磔磔』『サーカス&サーカス』、岐阜の『キャスパー』。九州は長崎の『カボ』に行った。もうなくなってしまったお店もかなりある。 1983年に日本交通公社から発売された「別冊るるぶ ライブハウスカタログ」というムックの製作で、東京近郊のライブハウスの取材やデータ集めをした。新譜ジャーナルを発行していた自由国民社にいた人たちが中心になって作った、ブルーリバーという編集プロダクションの仕事だった。実際に企画をし編集作業をしていたのは、フリーの編集者だった岩永文夫さんだったと思う。その岩永さんも、昨年亡くなったようだ。 |
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昨年の7月25日に撮影した、メルヘンおやべ源平火牛まつりのスナップをPhoto Albumにしました。こちら。 | ||
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