HOME TOP | ||
◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表 |
||
10月1日(木) 新湊曳山まつり |
||
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html ○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/ ○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html ○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm ○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/ ○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/ ○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/、 ○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy ○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/ |
||
曇りや雨で、肌寒い日が続いている。半年以上前に撮影した、近所の桜並木の写真をPhoto Albumにしました。こちら。奄美・沖縄は濃いピンクの緋寒桜だったので、白く咲き誇る内地の桜は久しぶりで新鮮だった。 | ||
翁長雄志知事が今月の13日、前知事による辺野古の埋め立て承認を正式に取り消す。これにより、沖縄防衛局による辺野古の海での作業が停止された。 ◯辺野古「移設」 強権ぶりが目に余る |
||
「鬼平犯科帳」等の挿絵で知られる挿絵画家の中一弥さんが、27日に死去された。個人的には作家・逢坂剛さんのお父さんという認識だった。104歳だったそうだ。 |
||
毎日のように使っているデイパックの肩ひもが、しばらく前に切れた。アマゾンで代わりのバックを探そうと思ったけれど、国道8号線にドン・キホーテがあるのを思い出し、安いのがないかと行ってみた。 40分ほど自転車で走って、ドン・キホーテに到着。店内に入るのは初めてだが、以前はパチンコ屋だったかな?1フロアーだけだが、電化製品から食料品までまんべんなくある。平日の昼間だけれど、それなりにお客さんも入っていた。季節柄か入口にはハロウィン関係のグッズがディスプレイされていた。 店内をちょっと歩くと990円のデイパックを発見。消費税を入れて1069円。今まで使っていたのは赤と黒だが、モスグリーンと黒で落ち着いた色のデイパックにする。 ドン・キホーテを出て、来た道を辿って家に向かうと少し茜色に染まった雲が美しい。ひょっとすると今日は、綺麗な夕焼けが見れるだろうか。カメラを持って来ていなかったので、急いで家に戻り、買ったばかりのデイパックにズームレンズを付けた一台を入れて小矢部川の堤防に向かう。 堤防に向かって自転車を漕いでいる途中に、太陽が雲に隠れてしまったのが分かる。堤防に着いたけれど、太陽が沈む山の上には分厚い雲がかかっている。 |
||
夕焼けはちょっと残念な結果になってしまったけれど、堤防から家に戻る途中に見事なお月様と遭遇。まだ暗くなりきらない空の低い位置に、明るいお月様が浮かんでいた。 部屋に戻って調べると、今日は旧暦の9月14日。明日は満月だ。 ←右が、今日買ったデイパック。今まで使っていた左のバックは、2013年10月に、那覇の公設市場で1000円で購入した。 |
||
わたしはその夜、 夕暮れにセンタクしておいた、わたしの夜が、夜に谺して、夜になってから冴えはじめた。 永島慎二さんの『真夜中のせんたく』(創樹社美術出版)に収載されている随想から。何年かおきに、無性に読みたくなる本の一冊。もう一つ、夜の随想から。 家族は皆、ねている。 連続テレビ小説は「あさが来た」ですが、昔から好きなCM曲をYou Tubeから。「夜が来る」。ヴァージョン違いで、もう一つ。 |
||
一昨日、アマゾンでポチッとした初沢亜利さんの写真集『沖縄のことを教えてください』(赤々舎)が、午前中に届いた。297×285mm、176P。150点の写真と2万8000字の原稿が収載されている。手にすると、思っていた以上に大きくて重い。そして本の質量以上に、沖縄の基地問題を中心に語られているあとがきに書かれた文章がズシリと重い。 世界一危険だと言われる普天間基地の移設先について、森本敏元防衛大臣はかねてからこう発言している。「軍事的には沖縄でなくても良いが、政治的に考えると沖縄が最適の地域だ。」海兵隊の基地は沖縄でなくても抑止力として機能するが、他に引き受けるところがないので、沖縄県内に移設するしかない、という意味だ。更に語調を強めれば「本土が引き受けたくない、と言っているのだから沖縄が引き受けるのが当たり前だろう」ということになる。 基地問題に苦しむ沖縄人を直視することは、すなわち彼らの犠牲の上に我々の平和的日常が維持されているという、不都合な真実に向き合うことだ。人が自らを差別者、抑圧者である、と自覚することは大変な心理的負担を伴う。そのためその苦痛を回避すべく様々な理屈がこれまで用意されてきた。沖縄に米軍基地が集中しているのは地政学的な根拠に基づくもので、致し方のないことだ。基地が無くなったら沖縄の経済は破綻し、多くの県民は路頭に迷う。〜略〜沖縄県民自身が基地を必要としているのであり、我々が押し付けている訳ではない。沖縄を中国から守るために基地を置いているのだ。というもっともらしい理屈を並べ「沖縄問題」という言葉を用いることで、日本全体の問題であるという認識を回避してきた。 2001年の9.11直後、沖縄への修学旅行が一斉にキャンセルになったことは記憶に新しい。基地が集中する沖縄がテロにあうかも知れない。そんな危険な場所に大切な子供たちを行かせるわけにはいかない。父兄や教員の善意によるキャンセルだが、そんな場所での生活を強いられている人がいること、そして誰のための基地負担なのか?ということまでは考えが至らない。 少し引用して並べてみたが、ナイチャー(内地の人間)には耳が痛い文章であり、ハッと気付かされる文章もある。 |
||
渋谷区松濤のアツコバルーで、10月31日(土)〜11月22日(日)まで初沢亜利写真展『周縁からの眼差し』〜東北・北朝鮮・沖縄 報告〜が開催される。 11月7日(土)には、渋谷区東にある写真集食堂めぐたまで「沖縄のこと。写真のこと」と題したトークショーが行なわれる。 |
||
◯【沖縄県知事選】沖縄、楽園イメージからの開放 ◯安保の現場とは、すなわち沖縄である。それは我々本土人が最も向き合いたくない事実である ◯写真で向き合う沖縄のこと。初沢亜利が写真集『沖縄のことを教えてください』を語る(その1) ◯写真で向き合う沖縄のこと(その2)。初沢亜利が写真集『沖縄のことを教えてください』と「スナップショット」を語る。 ◯「癒しの島」「基地の島」のステロタイプから離れて 初沢 亜利/青木 理 |
||
雲が多いながらも晴れ。小矢部の慈光院の火渡り法要を見に、自転車で石動へ。ネットの情報では13時半からとなっていたので、13時前には着くように家を出る。 |
||
↓慈光院。→護摩壇。 |
||
13時過ぎから慈光院の奥にある大元堂で信者らの祈願が行なわれ、その後、慈光院から僧侶が境内に下りられて火渡り法要が始まった。 |
||
15時頃に火渡り法要は終了した。慈光院の隣りの神社からは、祝詞が聞こえて来た。例祭の季節だ。石動駅の方に出て、8号線を真っ直ぐ走って家に帰る。 | ||
川内原発の2号機が、今月15日に再稼働した。新規制基準が適用されてからは川内原発1号機に続いて2つ目の再稼働だ。東京新聞が、川内2号機 再稼働 複数炉の危険、想定せずという記事を掲載している。一部を引用すると、
|
||
今日のGoogleのトップ画面が、ヌスラットのイラストになっていた。なぜ?と思ったが、ヌスラト・ ファテー ・アリー ・ハーン 生誕 67 周年を記念してという事らしい。 |
||
↓ヌスラットが描かれたGoogleのトップ画面。→ウォーマッドでのヌスラット。1992年9月に撮影。 | ||
今日の午前、沖縄の翁長雄志知事が辺野古の埋立て承認を取り消した。記者会見の全文が、こちらにある。 "沖縄に基地があるのではなく基地の中に沖縄がある”というキャッチ・フレーズは、決してオーバーな表現でなく、また過去の出来事でもない。戦後65年間、米軍基地は沖縄に居続けている。米軍の戦場は、朝鮮半島からベトナムへと、更にイラク、アフガニスタンへと移り変わった。しかし、前線基地・沖縄の有様は、いまもほとんど変わらない。 ◯ネットのデマはなぜ無くならないのか?「8.6秒バズーカー」「翁長知事の娘」から考えるデマと寄生の関係 ◯百田発言きっかけに琉球新報のドキュメンタリー番組 東京都が東京五輪に向けて作ったロゴが、また騒動になっている。 |
||
昨日は、平安時代から続くという神仏混淆の祭祀、小川寺の獅子舞を見に魚津市へ。事前に観光協会へ問い合わせると神事が14時半からで、獅子舞は15時からとの事だった。小川寺までは魚津駅から路線バスが出ているので、最適な路線を組み合わせると、あいの風鉄道で魚津駅に12時29分着。魚津駅前から12時38分発の富山地方鉄道の大沢行きバスに乗り、小川寺到着が12時54分だった。バス乗り場は駅前らしいが、乗り換え時間9分は余裕がないように思えて、11時46分魚津駅着の電車にした。 | ||
小川寺のバス停を降りたら、目の前に獅子舞が行なわれる千光寺があった。その隣りには、神輿が出発する白山社が。魚津駅に着いた頃から、弱い雨が降り初めていた。神社に集まった人は、神輿が濡れないか心配な様子だった。 | ||
↓千光寺の参道入口。→白山社の参道入口。 |
||
↓左は千光寺での神事、右は白山社での神事。 |
||
最初に千光寺の方で神事が行なわれ、14時半頃から白山社の方でも宮司さんの祝詞奏上が行なわれた。祝詞の後、お宮の下に置かれたお神輿に、宮司さんの手によって拝殿の鏡が入れられる。 |
||
「小川寺の獅子舞」と紹介されているが、獅子は神輿の露払いで一般的な獅子舞のようには舞わない。獅子頭を左右に振ったりするが、舞うというより型のようなものだ。 旗を持った子供を先頭に、天狗、ばば面を被った2人、2人獅子、あねま面、笛の奏者、神輿が隊列を作って千光寺の千手観音堂の周りをまわる。 4回まわったところで、観音堂の前で宮司さんが祝詞を奏上し、また3周半する。そして白山社へ戻り、宮司さんによる祝詞とお祓いが行なわれて神事は終了した。 |
||
春と秋の祭礼に行なわれるので五穀豊穣を願ってだろうと想像するが、ネットで検索しても神仏混淆の祭祀である事と、観音堂を7周半することは載っているが、祭祀の目的や、なぜ神社から観音堂へ移動するのかといった事までは出て来ない。 |
||
帰りは小川寺16時18分の最終バスで魚津まで行こうと思っていたが、これまでアチコチのお祭りでお見かけしていたビデオを撮影している男性が富山まで乗せて下さる事になり、ご一緒させていただいた。 |
||
昼過ぎから雨。今日は大門曳山まつりだが、部屋に籠ってパソコン作業。 | ||
昨日は、戸出にある戸出野神社の秋季例大祭。幌武者行列を一度見てみようと、自転車で行って来た。途中、小伊勢領の方にある八坂神社の横を通ると、鳥居の横に幟が立ち、境内に神輿が置かれていた。 ネットで探した情報では13時半頃に 幌武者行列が境内を出発すると書いてあったので、13時少し前に神社に到着。拝殿での神事は既に始まっていた。 ←八坂神社。 |
||
拝殿の前には神輿が置かれていた。参道の横には秀吉や、源義経などに扮した子供たちが待機している。巴御前役の女の子は、椅子に座ってスマートフォンをいじっている。wikipediaによれば、巴御前は戸出地区の村娘であったとの伝承があるようだ。 拝殿での神事の後、殿の階段から神輿の前まで白い布が敷かれ、その上を御神体を抱えた宮司さんが歩いて神輿の中に御神体を奉った。そして幌武者行列の出発。 |
||
↑左は、拝殿の前に置かれたお神輿。右は、出発までの待ち時間にスマートフォンをいじる巴御前。 |
||
行列の先頭は、露払いして歩く東町の神様獅子。驚いたのは、獅子頭は漆を塗っていない木目のままだったこと。幌武者行列に使われるのは、昔から神獅子と呼ばれるこの獅子頭だそうだ。塗装のないすっぴんの獅子頭だけれど、彫りの美しさがダイレクトに分かり、これはこれで美しい。そして表情が何だか可愛らしく感じられる。 写真を撮りながら幌武者行列について歩いていたら、馬場町公民館で獅子舞が行なわれた。道路に面した部屋が開けられ、中に人形が見える。奥の大きな人形が沖縄でよく見た弥勒(みるく)を思い出させるので、どのような人形か尋ねてみると布袋様だという。布袋様は弥勒の化身とされているので、雰囲気が似ていて当たり前か。布袋様の前には、カラクリ人形も並べられていた。嘗ては曳山の上に飾られていた人形だそうだが、山はなくなり人形だけが残っているそうだ。 |
||
↓露払いをする神獅子。→馬場町公民館の布袋様。 |
||
幌武者行列は13時半頃に神社を出発し、途中、戸出駅の前で15分程休憩し17時頃に神社に戻るまで続いた。想像していたよりも長時間の道行きだった。台車の上に武者に扮した子供を乗せ、お年寄りが引いて行列をしている。 神社に戻ってからは、境内で獅子舞が奉納され、続いて境内をお神輿が3回まわる。町内行列の時は台車に神輿を乗せていたが、この時は獅子舞の若連中も加わり肩に担いでまわった。 神輿から御神体が宮司さんの手によって取り出され、拝殿での神事が行なわれた。神輿は本殿の横にある蔵に仕舞われた。 神事の後、拝殿の前でもう一度獅子が舞い、万歳三唱で行事は終了。17時半過ぎだった。暗くなった道を自転車で帰る。来た道をなぞって帰ると、来る時に境内に神輿が置かれていた八坂神社の近くで、賑やかな笛と太鼓の音。神輿が家をまわっていた。獅子舞はなく、神輿だけが家をまわるようだ。 |
||
10月5日に、長野の白馬村にあるウイング21文化ホールで「白馬・小谷 震災復興支援コンサート 絆 」とタイトルが付けられたチャリティー・イベントが開催された。イベントを企画したのは白馬でシャモニールというペンションを経営している新田さんで、撮影を頼まれたので行って来た。 4日の遅い午後、イベントのPAを担当する近所の村上さんの車にピックアップしてもらって白馬へ。シャモニールに到着したのは、19時過ぎだった。夕飯とビールをご馳走になって、この日は就寝。 |
||
オーナーの新田さんは、明日のメイン・ゲストのギタリスト、ノーキー・エドワーズさんのライブが富山県であり、その送迎で戻って来たのは夜中だったようだ。 ノーキー・エドワーズさんは、ベンチャーズの初期に活躍したギタリストで、今年80歳。今回は赤坂を本拠地に活動しているエル・カミーノというバンドをバックに演奏する。 |
||
↑5日の午前、ペンションからの風景。紅葉はもう少し先のようだ。 | ||
5日のイベントは18時30分開場、19時開演。頼まれたのは撮影だが、昼前から機材の搬入とドラムのセッティングをお手伝いする。今回、シャモニールの新田さんが講師をしている白馬Jr.ドラムスクールの生徒たちが前座で演奏する事になっており、5台のドラムセットがステージに並ぶ。これに、ノーキー・エドワーズさんのバックバンドのドラムが加わり、ステージ上には6台のドラムセット。なかなか壮観です。 |
||
↑上段は、ノーキー・エドワーズ。中段は、めおと楽団ジキジキ。下段左は、アンコールで出演者全員によるベンチャーズ・ナンバーの演奏。下段右は、イベント後の記念撮影。 イベントが終わり、楽器やPAを撤収して、ペンション・シャモニールで打ち上げ。ビールから赤ワインを一口、そしてバーボンへ。 |
||
↑囲炉裏で焼く縄文おやきと、大根おろし、鰹節が乗ったおろしソバ。 |
||
6日の朝食の時、めおと楽団ジキジキの世田谷キヨシさんと音楽話しをしていたら、GONGのデイヴィッド・アレンが亡くなったという。 白馬から家に帰り、ネットで調べてみたら、今年の3月13日に77歳で亡くなっていた。 左の写真は1996年6月8日のライヴ撮影。この時がGONGの初来日だったか。右は、2日後の6月10日に宿泊していた六本木のホテルアイビスにて。自分が撮影したポートレートの中でも好きな一枚。 |
||
デイヴィッド・アレンは音楽性より何より、元祖ヒッピーというイメージに強く魅かれた。ライヴの映像を見ても、ちょっと変わったオジさんだ。You Tubeから「You Can't Kill Me/GONG」「I Never Glid Before - Live 1973/GONG」。 |
||
10月3日(土) |
||
秋晴れ。昨日から高岡古城公園で、万葉まつりが開催されている。まつりのメイン・イベントは、水上に浮かべた特設舞台で三昼夜に渡って万葉集全20巻、4516首を歌い継ぐ朗唱の会。これまで生で見た事がなかったので、お天気も良いし午後から自転車で出かけて行った。 うまいそばを食わせてくれる店は東京には何軒かはあるし、知ってもいる。そこまで出かけて行けば、けっして裏切られることなくうまいそばが食えるわけだが、なかなかそのためにだけ出かけられるほどの余裕はない。そこでたいがいは、とびこみでそば屋にはいることになり、その結果ぐちゃぐちゃのそばを食わせられるはめになる。そのつどはげしい怒りとともに、また、わが身をもふり返らざるを得ない。この一パイのそばの代金X円也をかせぐために、自分の仕事を通して僕がもった誠意がどれほどのものだったかと。まずいそばを食うたびに、僕は、もっと良い仕事を、自分を全部ぶつけて悔いのない誠実な仕事をしたいと思う。 精進しよう。 |
||
とりあえず、気を取り直して古城公園へ。募集に応募した朗唱者がリレーのように舞台に登場し、歌っては舞台を降りて行く。 |
||
昨日で沖縄にオスプレイが配備されて3年となった。 ジャマイカを訪問した安倍首相が、日本時間の昨日の午前、ボブ・マーリー博物館を視察した。記事には、代表曲「ONE LOVE(ワン・ラブ)」が流れると、シンプソンミラー首相に誘われ安倍首相も一緒に踊る場面もあった、と書かれている。なんだか好きな曲が汚されたような気分になる。 |
||
昨日は、新湊の曳山まつりに行って来た。あいの風鉄道で高岡に出て、高岡から路面電車の万葉線に乗り換える。富山に帰って来てから、万葉線に乗るのは初めてだ。曳山まつりのホームページに「新湊庁舎前・新町口・中新湊で下車の方は帰りの乗車券進呈!!」と書いてあったので新湊庁舎前で降りる時に運転手の女性に伝えると、帰りに使える無料乗車券が貰えた。350円の事だけど嬉しい。これは射水市が負担してくれるのだろうか。 |
||
9月へ |