HOME TOP  
バックナンバー

◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表
9月1日(火)〜3日(木) 八尾・おわら風の盆
9月4日 (金) 加茂神社 秋の大祭 稚児舞
9月5日(土) 二口熊野社火渡り神事
9月10日(木) 福岡町獅子舞
9月10日(木) 櫛田神社秋季例大祭(火渡り神事)
9月13日(日) 小矢部 埴生護国八幡宮  宮めぐり神事
9月19日(土)、20日(日) 城端むぎや祭
9月21日(月)〜23日(水) 高岡射水神社 式年大祭
9月23(水) 海老江曳山まつり
9月23(水)、24日(木) 高岡市・つくりもんまつり
9月23(水)、24日(木) 五箇山麦屋まつり
9月25日(金)、26日(土) こきりこ祭り
10月1日(木) 新湊曳山まつり
10月10日(土) 10月の第2土曜日、戸出・戸出野神社の秋季例大祭 幌武者行列
10月11日(日) 大門曳山まつり
10月12日(月・祝) 魚津・千光寺 秋祭
10月17日(土) 小矢部 白馬山 慈光院  火渡り法要
10月26日(月)、27日(火) 黒部市・生地たいまつ祭り
11月3日(火) 岩峅寺(いわくらじ) 雄山神社の稚児舞
1月の第4日曜日 魚津・千光寺の火祭り 小川寺の獅子舞
3月12日 魚津・千光寺の春祭 小川寺の獅子舞
4月18日? 黒部・明日(あけび)の稚児舞
4月20日前後の土日 浦田山王社獅子舞
5月3日、4日 鹿嶋神社稚児舞
*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント
○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

9月30日(水)

 今日で、9月も終わり。
 GalleryページのAmami・Okinawaに、しまねこを追加しました。しまねこ写真を眺めるのに何か良いBGMはないかと探したら、こんなのがYou Tubeで見つかりました。「与那国ぬ猫小(まやぐぅあ)」は、ハシケンさんがアルバム『感謝』の中で「与那国の猫ちゃん」というタイトルに代えて唄っている。原曲と歌詞は違っているが、自分にとっては昔から馴染みのある曲。のんびりとした島唄を聴きながら、奄美〜沖縄のマヤ(猫)のゆるゆるな姿をどうぞ。ギャラリーの最後に登場するのは、与那国の猫です。
しまねこのトップページ画面

 その与那国島を、28日〜29日に台風21号が襲った。与那国での最大瞬間風速は81.1メートルを記録。台風通過中はテレビでも情報が入って来なかったが、昨日の午後あたりから被害状況が分かって来た。
台風21号 与那国島で民家10棟が全壊
与那国島ライフラインが壊滅状態 台風21号、海保が調査員派遣
81メートル、烈風の爪痕 台風21号
屋根飛び家財道具全滅、飲料水求め店に殺到 与那国島ルポ
風速81メートルの爪痕、全世帯の半分が今も停電
台風で一時孤立、与那国島で復旧本格化 空の便は平常に

↓は、今回の台風で電気、ガス、水道のライフラインが壊滅状態になったという祖納集落。与那国島には祖納、久部良、比川と3つの集落があるが、祖納が役場などもあり一番大きな集落だ。2014年1月13日に撮影。
与那国島・祖納

 オリンピック招致のための記者会見で「東京は水、食物、空気についても非常に安全なレベル」「福島とは二百五十キロ離れている」と竹田恒和理事長が発言して物議を醸したが、遠藤利明五輪担当相は昨日、追加種目として国際オリンピック委員会に提案した野球・ソフトボールの1次リーグなどを福島県など東日本大震災の被災地を含めた地方で開催することを検討するように要望した。海外のアスリートは、どう思うんだろうか。

 日本政府は今日、5月から中国で日本人2人がスパイ容疑で拘束されていると認めた。菅義偉官房長官は「今日まで邦人保護の観点から、在外公館において適切に支援を行っている」とも述べている。ところで、シリアで拘束されていると思われるジャーナリストの安田純平氏の件は、いつまで放置しておくつもりなのだろうか。
 
 安倍首相が先日、新たな三本の矢を発表した。ところで、最初の3本の矢はどこに落ちたのだろうか。半年前の記事だが「アベノミクス、実感しているのは僅かに2割以下だけ!「景気回復を実感していない」が81%に!各種調査も同様の結果!」。まずは、最初に放った矢の成果を検証するのが先ではないのだろうか。
 今回新たな目標としてGDPを600兆円に増やすと明言しているが、そのために掲げられた新しい3本の矢は、1)希望を生み出す強い経済、2)夢を紡ぐ子育て支援、3)安心につながる社会保障。どれも漠然として方法論としては具体性に欠けるように思う。
 GDP600兆円目標「あり得ない」。さっそく、経済同友会の代表幹事から「あり得ない数値だ。政治的メッセージとしか思えない」と厳しい指摘が出ている。

 その安倍首相が国連での演説で、シリアとイラクの難民や国内避難民に向けた支援に970億円の支援をすると表明。また中東やアフリカの安定化に900億円を拠出する方針も示した。支援が必要ならすればいいと思う。ところで970億円は、どういう試算で出て来た数字なのだろうか。ポケットマネーから支出するわけではないのだから、国民に対しての十分な説明は必要ではないだろうか。
  昨年の国連演説を日刊ゲンダイは「金バラまきの恥さらし…世界が失笑した安倍首相の国連演説」と書いている。

 安倍首相の今回の国連演説の映像がこちらにあった。客席はこちら
  記者会見でロイターの記者から「日本が一部の難民を他の国と同じように受け入れる可能性」について質問されたが、「今回の難民に対する対応の問題であります。これはまさに国際社会で連携して取り組まなけれないけない課題であろうと思います。人口問題として申し上げればですね、我々はいわば「移民」を受け入れるよりも前にやるべきことがあって、それは女性の活躍であり、高齢者の活躍であり、そして出生率を上げていくにはまだまだ打つべき手があるということでもあります」と答えている。
 難民が途中で移民にすり替わり、人道支援についての質問を人口問題として答えている。 相変わらずの安倍話法だ。

 安倍政権 NO! ☆ 1002 大行進 民主主義を取り戻せ!戦争させるな! 2015年10月2日(金) 18:30~ 日比谷野音集会 19:15~ デモ行進

9月27日(日)

 今日は旧暦の8月15日。中秋の名月だ。那覇の首里城公園では中秋の宴が昨日から始まっており、今日は正殿前の御庭で古典舞踊や組踊が披露される。
中秋の名月
 中秋の宴は、那覇に引っ越した2013年に観に行った。その時は単なる観光イベントだと思って観ていたのだが、その後、琉球大学教授の大城学氏の「玉城朝薫と組踊」と題した講座を受講して、中国からの冊封使をもてなすために首里城で開かれたこの「中秋の宴」ほか7つの宴が琉球の芸能を発展させたと知った。
 以下の文章は、大城氏の講座や沖縄の芸能について書かれた書籍を読んで自分なりにまとめたものだ。
↑今日の中秋の名月。明日はスーパームーンで、もっとまん丸らしい。

 嘗て琉球王国では、国王の代替わりがあるごとに中国から冊封使が訪れて冊封儀礼が行われた。冊封使は新国王に授ける王冠を携えて来ることから、彼らの乗る船は冠船(かんせん)と呼ばれた。この冠船の渡来は1404年から1866年まであり、その間に23回の冊封が行われた。中国から一度に500人ほどが渡来したが、船は南からの風で琉球に、北の風で中国に帰るため滞在期間は4カ月から8カ月に及んだ。
 冊封使が渡来すると琉球王府は前国王の弔いの儀式である諭祭之宴、新国王の認証儀式である冊封之宴の他、仲秋之宴、重陽之宴、餞別之宴、 拝辞之宴、望舟之宴といった7つの宴を催した。
 宴では音楽、舞踊、演劇で冊封使を持て成した。これらの芸能を総称して冠船踊、或いは御冠船踊という。王府は芸能を催すために踊奉行を設けたが、玉城朝薫は1718年に尚敬王から踊奉行に任命され、組踊を創作する。1719年の尚敬王の冊封の時に、組踊の初演が行なわれた。

  ちなみに、玉城朝薫の略年表で1701年、17歳の時に尚貞王の上意により童名(ワラビナー)を文彌と改名されるが、文彌は人形浄瑠璃の岡本文彌にあやかって付けられたと思われるそうだ。

中秋の宴での組踊
↑2013年の中秋の宴で上演された組踊「執心鐘入」の一場面。2013年9月21日撮影。
 この冠船踊の中の舞踊を、宮廷舞踊や古典舞踊と呼んでいるが、それは更に老人踊、若衆踊、二才踊、女踊に分けられる。また古典舞踊に対して、明治20年代以降に創られた舞踊を雑踊と言う。
 冊封使をもてなす目的として、音楽も発展した。御座楽(うざがく、おざがく)と呼ばれる琉球王国の室内楽だ。当時の琉球王国には中国から帰化した人々の子孫、久米三十六性と呼ばれる人々が住む久米村があった。彼らは国王の命令を受けて中国(主に福建)に留学し、中国語や音楽等の中国文化を学んだ。御座楽を伝承した楽師も、久米三十六性の人が多かったようだ。御座楽は現在、首里城公園のイベント「新春の宴」で鑑賞することができる。
 また、室内楽である御座楽に対して、国王の行列が行進する際に演奏される路次楽(るじがく)がある。首里・赤田の祭祀、みるくウンケーでは、みるくの道ジュネーに子供たちの奏でる路次楽が登場する。

 
  昨日は、友人と五箇山こきりこ祭りに行って来た。会場となる上梨の白山宮に到着すると、五箇山民謡競演会の終盤。ちゃんと聴けたのは最後の1曲だった。お目当ての奉納獅子舞、奉納こきりこ踊りまで時間があったので、世界遺産に登録されている相倉集落までドライブ。
 五箇山に来るのは多分2度目で、初めて来たのは中学生時代のオリエンテーリングだったと思う。五箇山のどこに宿泊し何をしたかも覚えていないが、夜にキャンプファイヤーがあったのは朧げに記憶している。
相倉集落
↑相倉集落。↓相倉集落と、上梨集落の白山宮での奉納獅子舞・奉納こきりこ踊り。
相倉集落と、上梨の白山宮での獅子舞とこきりこ奉納
 五箇山も、先日むぎや祭りを観に行った城端も、源氏に敗れた平家の落人が逃げ延びて隠れ住んだ里だと言われている。この地に伝わる民謡の「麦や節」「こきりこ節」は、彼らが嘗ての栄華を偲んで唄ったものだという。五箇山に逃げ延びた落人は、1183年の倶梨迦羅合戦で木曾義仲(源義仲)軍に敗れた平家の残党とされる。
 平家の落人伝説は日本各地にあるが、奄美大島や加計呂麻島にも隠れ住んだとされる集落が幾つかある。
 平家伝説は、奄美大島、喜界島の各集落に残る。かいつまんでいえば、一一八五年、源平の壇の浦の合戦で平家は敗れ、九州南部に落ちた平資盛を総大将とする一団が喜界島に上陸。その後、奄美大島に渡り、平資盛は加計呂麻島の諸鈍に、平有盛は、いまの名瀬市の浦上に、平行盛は、いまの龍郷町の戸口に城を築いたというものだ。その三カ所には、それぞれ三人を祭る神社が存在している。ー「奄美、もっと知りたい/神谷裕司」より。
大屯神社と諸鈍シバヤ
↑左は、諸鈍集落にある平 資盛を奉った大屯神社(おおちょんじんじゃ)。右は、大屯神社で行なわれる諸鈍シバヤの演目からスクテングワ。
 
  加計呂麻島の諸鈍集落に伝わる民俗芸能「諸鈍シバヤ」は、平家の落人・平 資盛(1158〜1185年)が地元民に教えたのが始まりとされる。また、奄美の島唄には京言葉と思われる方言が見受けられる。

◯「平家ぬ世」の島唄
 平家が来島していた約60年間に、言葉は勿論のこと、奄美民謡島唄に大きな影響を及ぼした。「京言葉」の美しいことばが方言として残され、優雅な島唄の歌詞が出来上がったことは言うまでもない。
 何よりも強調したいのは「島唄は方言(島口・しまゆみた)で唄われるから島唄」というのが大原則なのだが、その方言に平家の影響を受けたと思われる言葉がたくさん使われており、今もそのままの形で島唄の歌詞の中に残っている。たとえば、
「ミショウチタボリウ」は「召し候らへ給うれ」
「アスビンショロウヤ」は「遊び候ろうや」
「イモユル」は「行参る」、「ウモオリ」は「御参れ」という意味になろう。
島唄の歌詞の中では、次のような形で出て来る。たとえば、
「何時む今日ぬ如にあらちたぼれ」→イツムキュウヌグトウ二アラチタボリ
「今宵今夜や遊びん候うや」→ユサリユヤアスビンショロウヤ
「何処ちがいもゆる色白女童」→ダカチガイモユルイルジルメラビ
という具合である。
 平家のおかげで、島唄の歌詞は大変気品高く優雅になり、歌詞の「詩型」はしっかり整えられてきたのではないかと思われる。

ー「奄美民謡島唄集/片倉輝男」(南方新社)からー
 日本各地に散らばった平家の落人。彼らがその地で蒔いた民俗芸能や文化の種が見事に花開き伝承されている。
 奄美や沖縄には、日本(大和)ではもう使われなくなった古い言語が残っていると言われる。島尾敏雄氏の「ヤポネシア考」(葦書房有限会社)には、「逆になっている大和口と中国口」という次の様な指摘がある。
  奄美・沖縄の言葉には中国語の影響は少ない、と学者が言ってますが、ぼく自身住んでいてそう感じますね。影響が多いから別に悪いわけではなく、少なくてもどうってわけじゃないですが、実際問題として少ないのです。
 沖縄本島の場合、あそこには琉球王朝があって、宮廷文化があったんです。ですから、宮殿とか宮廷の人たちが着た着物とか宮廷舞踊だとか、そういう関係のものは、中国風の影響が非常に強いと思います。けれども、一般の人たちの家とか服装、それから踊り、歌とかの方は、いわゆる中国の、北部中国の影響は、むしろとても少ないという気がします。
 奄美の人は、本土を大和と言って、その言葉を大和口(ヤマトグチ)というんですけども、ぼくに言わせれば、濃厚な大和口はむしろ奄美の人の方が使っているんです。本土の方は中国口(チュウゴクグチ)を使っていると言っていいと思うんです。漢語を多くまぜなければものが言えませんから・・・・・・
 それに思想ですね、儒教だとか仏教だとかみんな中国から来ている。そういうものを本土から抜いてしまったら、どういうことになるんでしょうか。琉球弧での仏教と儒教、儒教は琉球王朝を通して強くはいっていますが、仏教はほとんど影響がありません。その点でも、大和口はむしろ奄美・沖縄なんですね。奄美の人たちは、自分たちの言葉を島口(シマグチ)、沖縄では沖縄口(オキナワグチ)と言っていますが・・・・・・
 そんな奄美や沖縄の方言も危機に瀕している。ユネスコによれば、日本国内で8つの言語が消滅危機言語とされており、その内の6つが奄美と沖縄地方の言語だ。
◯極めて深刻: アイヌ語 ◯重大な危機: 八重山語(八重山方言)、与那国語(与那国方言) ◯危険: 八丈語(八丈方言)、奄美語(奄美方言)、国頭語(国頭方言)、沖縄語(沖縄方言)、宮古語(宮古方言)

9月24日(木)

 21日に行なわれた射水神社の式年大祭から帰って来たら、α700の前ダイヤルが正常に作動しなくなった。以前から怪しい動きもあったが、完全に故障。しょうがないので夜にパソコンで中古のα700を探してポチった。

α−700
 2012年の5月にも一台故障して中古を購入したので、これでα700は4台目だ。今回の購入価格は、α700が発売されて間もなく新品で買った時の値段の七分の一程だった。今となっては1310万画素は物足りないが、それ以外は使い易いカメラだと思う。
 21日の夜にポチッとして、23日の午前中に到着した。
←ランクは並品だが、目立ったキズもない。

 昨日から地元のお祭り、つくりもんまつりが始まった。昨年は自分の写真展をやっていたので、ゆっくりと祭りを見る事ができなかった。昨日までの天気予報では、24日は曇りだったのに、朝から曇りのち雨。傘をさして、昨日届いたα700をぶら下げ、少しだけ見に行く。途中、つくりもんまつり開催中の2日間入場無料となっているミュゼふくおかカメラ館で、吉村和敏さんの写真展 「MOMENTS ON EARTH」を観て来た。

つくりもん祭り

9月22日(火)

 昨日は曇り時々晴れだったが、今日は快晴。秋晴れの過ごし易い一日だった。家の近所の役場から、中田のかかし祭りの会場まで無料のシャトルバスが運行するので、7年ぶりにかかし祭りを見に行った。
 7年前は、1時間以上かけて自転車で行った。その時は町中にもかかしが立っていたが、今回は中央公園とコミュニティセンターの周りにまとめられている。かかしを見ながら町中を散歩しようと思っていたので、ちょっと残念。
かかし祭り
 ♪山田の中の一本足の案山子♪展示作品の中には寝ているかかしもあり、これはかかしだろうか?と思う作品もある。年金減額は憲法違反「年寄りは死ねと言うのか」全国の年金受給者提訴原発がだめなら小水力発電だよ、といった社会的なメッセージを掲げたかかしもあった。wikipediaによれば、かかしは田の神の依り代だそうだ。
隣りの田んぼ

 中田を15時20分発のシャトルバスで帰宅。かかし祭りに行っていた4時間程の間に、隣りの田んぼの稲刈りが終わっていた。
 明日、明後日はいよいよ地元のお祭りだ。

 沖縄の翁長雄志知事が国連人権理事会で発言。「沖縄の人々の自己決定権がないがしろにされている」と訴えた。

 安保関連法案の成立に関しての、海外メディアの反応がこちらに。
 東京新聞で作家の高村薫氏が、今回の国会答弁で日本語が壊されたと話している。政治家が言う「丁寧な説明」という言葉に、虫ずが走るようになった。「丁寧」が丁寧ではなくて、「説明」も説明になっていない。中身のない呪文になってしまった。

9月21日(月)

 高岡の古城公園にある射水神社の式年大祭が今日から始まった。午後1時半から境内に特設舞台を設営して、管絃舞楽奉納が行なわれると言うので、自転車を1時間強漕いで観に行ってきた。
射水神社

←射水神社の拝殿。

◯プログラム
1.平調音取(ひょうじょうのねとり) 2.越殿楽(えてんらく) 3.陪臚(ばいろ) 4.浦安の舞(うらやすのまい) 5.人長舞(にんじょうまい) 6.蘭陵王(らんりょうおう) 7.長慶子(ちょうけいし)

 演奏が始まる前に、雅楽と使われる楽器についての解説があった。

雅楽
 下段左の写真は笙(しょう)の奏者。笙という楽器は中に水分があるとチューニングが狂うため、乾燥させるために電熱器で炙るそうだ。演奏が終わる度に、こうして炙っていた。笙の音色を聴いているとパイプオルガンに似ていると思ったので、家に帰って検索するとこんなページが見つかった。
 1時間強の舞台が終わったので、自転車で帰る。途中、立野の方で獅子舞に遭遇。2つの獅子が舞っていて、1つは道路に座って休憩していた。
立野の方の獅子舞
 昨日は両親と一緒に城端むぎや祭へ。戸出駅まで車で行って、城端線に乗る。二人とも城端線に乗るのは、50年ぶりとか60年ぶりのようだ。父親が小学生の頃に1、2年ほど城端に住んでいたというのを初めて知って驚いた。駅の近くの官舎に住んでいたと言う。
城端むぎや祭01
城端むぎや祭02
 15時11分に城端に到着し、18時1分に城端を出る電車で帰って来た。アチコチの会場で聴いた、五箇山民謡の「といちんさ」。場所は不明だがYou Tubeから「といちんさー」。小さな女の子が一生懸命踊っている姿が微笑ましい。

9月19日(土)

 今日の2時17分、参議院本会議で安全保障関連法が可決、成立した。その過程をネットの配信で観ていた。この成立を受けて、共産党が他党と選挙協力を行なう方針を打ち出した。詳細はこちらにあるが、

私たちは、心から呼びかけます。〝戦争法廃止、立憲主義を取り戻す〟――この一点で一致するすべての政党・団体・個人が共同して、「戦争法(安保法制)廃止の国民連合政府」を樹立しようではありませんか。この旗印を高く掲げて、安倍政権を追い詰め、すみやかな衆議院の解散・総選挙を勝ち取ろうではありませんか。

この連合政府の任務は、集団的自衛権行使容認の「閣議決定」を撤回し、戦争法を廃止し、日本の政治に立憲主義と民主主義をとりもどすことにあります。

この連合政府は、〝戦争法廃止、立憲主義を取り戻す〟という一点での合意を基礎にした政府であり、その性格は暫定的なものとなります。私たちは、戦争法廃止という任務を実現した時点で、その先の日本の進路については、解散・総選挙をおこない、国民の審判をふまえて選択すべきだと考えます。

野党間には、日米安保条約への態度をはじめ、国政の諸問題での政策的な違いが存在します。そうした違いがあっても、それは互いに留保・凍結して、憲法違反の戦争法を廃止し、立憲主義の秩序を回復するという緊急・重大な任務で大同団結しようというのが、私たちの提案です。この緊急・重大な任務での大同団結がはかられるならば、当面するその他の国政上の問題についても、相違点は横に置き、一致点で合意形成をはかるという原則にたった対応が可能になると考えます。

この連合政府の任務は限られたものですが、この政府のもとで、日本国憲法の精神にそくした新しい政治への一歩が踏み出されるならば、それは、主権者である国民が、文字通り国民自身の力で、国政を動かすという一大壮挙となり、日本の政治の新しい局面を開くことになることは疑いありません。

 ここだけ読んでも共産党の本気度が伝わる。
 自民・公明は強引に法案を通す事はできたが、多くの国民を目覚めさせたのではないか。与党の民意を無視した暴挙がキッカケとなり、国会前の抗議デモを牽引していたSEALDsが目覚めさせた。彼らの行動や主張で、民主主義が何かを真剣に考え始めた人も多いのではないだろうか。

「何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、それで自分たちにとっての良い社会、良い暮らしを求めることは不可能です」(ネルソン・マンデラ)。
 ネルソン・マンデラが亡くなったのは、2013年12月5日。特定秘密保護法が可決、成立する前日だった。そしてSEALDsの前身、SASPLが設立されたのが特定秘密保護法が可決した2013年12月6日。
 
 You Tubeから反アパルトヘイト活動で国外追放された南アの歌姫、ミリアム・マケバの「Pata Pata」。ずいぶんと昔に青山CAYで彼女を撮影できるチャンスがあったけれど、当日になってライヴが中止になったのだった。

 あまり話題になっていないが、来月から職員1800人規模の防衛装備庁が発足する。経団連は武器輸出「国家戦略として推進すべき」と提言している。この国全体が、きな臭くなって来たと思う。

9月17日(木)

 今日の安保法案参院特別委での可決の瞬間を、NHKの中継で見ていた。あまりの事に、一緒に観ていた母親もテレビに向かって怒っていた。デモに誘えば着いてきそうな勢いだった(笑)。
  民主党が提出した鴻池委員長不信任動議が否決された直後、委員長席に着席した鴻池委員長を自民党議員がバリケードになって取り囲み、審議を一切せずに採決(実際には委員長の姿は取り囲んだ議員で見えず、採決の声も聞こえず)を始め、与党の賛成多数で可決された。この時可決されたのは、審議打ち切り動議、付帯決議、そして安保法案の3つだそうだ。与党側の数の暴力と言ってもいいだろう。2013年12月、テレビの中継が一切なくネット配信で観ていた特定秘密保護法の採決を思い出した。
 15日の中央公聴会、昨日の地方公聴会、今日の国会。ネットやテレビで断片的に様子を観ているが、観ているだけでグッタリとなる。
 昨日行なわれた地方公聴会では、公聴会が終了した同日18時から、審議の締めくくりとなる総括質疑が予定されていたため、公述人の水上貴央弁護士は鴻池委員長に「この横浜公聴会は、慎重で十分な審議をするための会ですか、それとも採決のためのたんなるセレモニーですか」と質問。それにも関わらず、審議の報告文章は僅かA4用紙1枚にまとめられた(抗議したら今朝は2枚になったらしいが、お粗末である事には変わりない)。公聴会が単なるアリバイ作りのセレモニーだったと思われてもしかたがない。

 昨日は高岡駅前で行なわれた、安保法案反対のデモに参加して来た。18時半から1時間弱のデモ行進。参加者は400人程だったろうか。「戦争法案絶対反対」のコール&レスポンスをしながらの行進だが、自分自身はプラカードも持参せずレスポンスもしないで隊列に加わって歩いた。政府の言う平和法案か、野党側が主張する戦争法案かと問われたら戦争法案だと思う。しかし戦争法案と声高に叫ぶ気にならないのは、この法案が通った後の反動が心配だからだ。
  たぶんこの法案が通ったからと言って直ぐに日本で戦争が始まる事はないだろうし、自衛隊が戦争に巻きこまれる事もないだろう。戦争という言葉を強めると反動で与党の「だから法案が通っても戦争なんか起きないでしょ」と言う声に、安保法案反対の機運がその分トーンダウンするのではないか。それが心配だ。
  法案が通っても直ぐには生活は変わらないだろう、でも政府の見解一つで自衛隊が他国の戦争に参加できる(しなくてはならない)法案だということ。そんな事態が訪れるのが何年も先か、僅か1ヶ月後かもわからない。

安倍のパネル説明は、ウソだった~集自権行使に邦人救出も相手国要請も必要なし?
ホルムズ掃海を事実上撤回 首相「極めて例外」と明記 
 集団的自衛権行使の前提となる2つの事案を、政府自らが取り下げた。これまで国会で審議していた時間はなんだったのだろうか。

  本当に与党の方々は、この法律が通ったらどんなことが起こるのか、理解しているのでしょうか、想定しているのでしょうか。先日言っていた答弁とはまったく違う説明を翌日に平然とし、野党からの質問に対しても国会の審議は何度も何度も速記が止まるような状況です。
 このような状況で一体、どうやって国民は納得したらいいのでしょうか。

 一昨日開かれた、参議院「安全法制特別委員会」の中央公聴会に出席したSEALsの奥田愛基さんの発言だ。彼の中央公聴会での意見陳述の全文がこちらにある。動画はこちら

 最後に、私からのお願いです。SEALDsの一員ではなく、個人としての、一人の人間としてのお願いです。
  どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の『個』であってください。自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に思考し、判断し、行動してください。
  みなさんには一人ひとり考える力があります。権利があります。政治家になった動機は人それぞれ様々あるでしょうが、どうか、政治家とはどうあるべきなのかを考え、この国の民の意見を聞いてください。
  勇気を振り絞り、ある種、賭けかもしれない、あなたにしかできないその尊い行動を取ってください。日本国憲法はそれを保障し、何より日本国に生きる民、一人ひとり、そして私はそのことを支持します。
  困難な時代にこそ希望があることを信じて、私は自由で民主的な社会を望み、この安全保障関連法案に反対します。

 2015年9月15日、奥田愛基。ありがとうございました

 凛とした美しい文章だな、と思う。

備忘録として、気になった記事を貼付けておく。
安保法案、参院特別委が今夜に最終質疑-次世代など3野党が賛成表明
安保法案:合言葉は「賛成議員を落選させよう」
早稲田大学教授・長谷部恭男氏が安保法制への反対を訴え路上でスピーチ 「この法案は必要性も合理性もまったくない」
<安保法案>参院特別委ドキュメント 

安保関連法案以外で。
関東・東北豪雨:不明の15人全員無事 茨城・常総
チリ地震:津波20cmから1mが明朝に日本到達の可能性

9月14日(月)

 今日の午前、阿蘇山が噴火した。全島民が避難している口永良部島、7月末に噴火した諏訪之瀬島、警戒レベルを3に引き下げられたとはいえ内部には巨大なマグマだまりを抱えている桜島、火山性地震の発生が続いている霧島連山のえびの高原。川内原発を囲む山々が、活発な火山活動を行なっている。
 今日の安全保障についての国会答弁で安倍首相はお得意の「安全保障に想定外は許されない」と語ったが、ならば何故、多くの学者が指摘する火山噴火が川内原発へ及ぼす危険な想定を無視するのだろうか。

 政府との協議が物別れに終わった沖縄の翁長知事が、辺野古埋め立て承認を取り消す手続きに入った。翁長知事の記者会見の全文。この承認取り消しで、実際に埋め立てが阻止できるのかはわからないが、一昨日は辺野古新基地建設に反対する市民ら2万人が国会議事堂を囲むデモがあった。キャンプ・シュワブ前だけでなく本土にも抗議の輪が広がっている。

仲井眞・前沖縄県知事

 政府は前知事・仲井眞氏の埋立て承認を錦の御旗のように掲げるが、その埋め立てのための工法変更2件は、仲井眞氏が知事選で翁長雄志に破れて退任する4日前に承認したものだ。

←2014年2月14日に撮影。沖縄県議会の2月定例会が行なわれたこの日、仲井眞知事に対して百条委員会を設置する緊急動議が提出された。この人は今どこで何をしているのだろうか。

 辺野古新基地(政府は移設というが)建設は、危険な普天間飛行場の固定化を避けるためというが、普天間のある宜野湾市でも翁長氏が仲井眞氏より3000票多かった。衆院選でも辺野古新基地建設反対派が6000票多かった。普天間基地の固定化は嫌だが、それ以上に沖縄に新基地を造って欲しくないという声だろう。

 昨日は広島で、7000人が人文字で「NO WAR NO ABE」を描き、大阪でも2万人が安保法制反対を訴えてデモ行進を行なった。そして、今日も国会前では4万5000人(主催者発表)が集まる大規模な抗議集会が開かれた。画像はこちらこちらに。国会前のデモには参加できないので、今日も『アベ政治を許さない!!」をこちらに掲げておきます。

安倍政治を許さない
 昨日は小矢部の埴生護国神社で行なわれる、宮めぐり神事へ。朝方に一時激しい雨が降ったが、少しずつ天気は回復して午後には秋晴れとなった。雨が降っていたら電車で石動駅まで行き、駅から神社まで(ネット情報で約20分)歩こうかと思っていたが、晴れたので自転車を漕いで行く。家から自転車で40分程だったろうか。
 13時半少し前、護国八幡宮に着いて境内に入ると神事の準備中だった。拝殿の太い柱に進行表が貼り出してあった。
 本日の例祭 午後二時 例祭式 二時半 浦安の舞 二時五十分 みこし帰座祭 三時十分 浦安の舞 三時半 宮めぐり神事
↓→埴生護国八幡宮。
埴生護国八幡宮02
埴生護国八幡宮01
 神事が始まるまで時間があったので、町内を巡行している神輿を探す。太鼓の音が聞こえる方に自転車を走らすと、直ぐに子供神輿が見つかった。
↓子供神輿の巡行。→巡行を終えて、神社に戻って来た神輿。
お神輿の宮入
子供神輿の巡行
 子供神輿を暫く見学してから神社に戻る。拝殿での神事の後、3人の稚児による「浦安の舞」が奉納された。続いて子供神輿、本神輿が参道から境内に続く階段を一気に駆け上る。
浦安の舞と階段を駆け上がる神輿

 神輿が拝殿に入り中で祈願が行なわれている最中、拝殿横では男性が鎧兜を身に着けて宮めぐり神事の用意をしていた。

宮めぐり神事の準備
 祈願が終わって神輿が拝殿から出た後、もう一度「浦安の舞」。先程は拝殿の中で稚児3人によって舞われたが、今度は拝殿の縁台から境内に向かって7人で舞われた。宮めぐり神事は江戸時代から行なわれているというが、「浦安の舞」の歴史は浅く、1940年に日本の初代天皇である神武天皇の即位から2600年を祝った紀元二千六百年記念行事に合わせて作られた神楽舞だそうだ。
 ↓2回目の浦安の舞。本来は8人で舞うようだが、今日は7人だった。
浦安の舞02
浦安の舞01
 浦安の舞の後、宮めぐり神事へ。道祖神を祀った道祖弊を持った長老を先頭に、古文書箱を捧げ持った小学生の男児、鎧兜に弓矢や刀剣を持った若武者が隊列を組んで拝殿の周りの縁台を7回半めぐり、最後に若武者が大声を上げて拝殿に突入して儀式は終わった。
 この神事は木曾義仲が埴生八幡宮に戦勝祈願し、倶利迦羅合戦で大勝を果たした後のお礼参りの様子を再現したそうだ。この合戦で義仲が相手を倒すために用いたのが、牛の角に松明を括り付けて敵陣に向かわせる火牛の計という戦法だとされる。実際にそんな戦法が行なわれたか真贋はわからないが、小矢部の石動では7月に源平火牛まつりも行なわれている。また、小矢部市は木曾義仲と巴御前を主人公にした大河ドラマ製作をNHKに働きかけるプロジェクトを行なっている。
宮めぐり神事01
宮めぐり神事02

9月12日(土)

 台風の影響で、一昨日と昨日は関東と東北で記録的な大雨が降り、あちこちで川の堤防が決壊。多くの家が浸水し、中には濁流に流された家もあった。これまでに亡くなられた方は4人、行方不明者は15人となっている。
 テレビのニュースで見る限りは、今日になってだいぶ水は引いたようだが、床上まで浸水した家屋も多いようで今後の復旧作業には多大な時間と労力が必要だ。
 2010年の10月、奄美大島に100年に一度といわれる豪雨が降って多くの家屋が浸水したり裏山が崩れて家を押し潰す被害が起こった時に、一日だけボランティア活動の復旧作業に加わった。 お年寄りの男性がお一人で住む家に派遣され、裏山から庭に流れ込んだ土砂や石をスコップですくい、一輪車に乗せて捨てるという作業だった。たった一日の作業で翌日からしばらく筋肉痛になった。
 この夏、日本の各地が50年に一度の豪雨に見舞われた。日本全国どこの場所でも、今回のような災害が起きる可能性があるのだろう。もし自分たちの家が川の濁流で倒壊したり流されたりしたらと想像すると、途方に暮れるしかない。
 途方に暮れると言えば、この大雨により福島の除染で出た汚染廃棄物を詰めたフレコンバッグが流された。流れた数は、昨日は82袋という事だったが、今日になって240袋であることがわかった。このうち113袋を回収したが、一部の袋は破れて中身が空になっていた。そもそもフレコンバックの耐用年数は、3年とも5年ともいわれている。原発事故から4年あまりが過ぎて、耐用年数の期限が来ている袋も大量にあるのではないか。そういった汚染廃棄物が入った袋が、大量に野積みにされている現状。政府は原発の再稼働を進めたいようだが、汚してしまった大地を片付ける方が先だろう。

 この豪雨災害に目を奪われている間にも、色んな動きがあった。
政権崩壊の決定打…税金還付システムに「血税3000億円」の愚
改正労働者派遣法が成立 受け入れ期間、事実上撤廃
武器輸出「国家戦略として推進すべき」 経団連が提言
日本公館への攻撃呼び掛け=インドネシアなどで-「イスラム国」
政府、辺野古海上作業を再開 沖縄と攻防は最大のヤマ場に

 五輪組織委もエンブレム撤回前の記者会見で、第三者が撮影した写真を無断使用していたとわかった。組織委は「事務的なミス」だとしている。
 そのエンブレムのデザインを取り下げた佐野研二郎氏が、報道機関に「万が一、本書簡到達後も適切な取材に基づく客観的な報道が為されず、同様の取材・報道態勢が続くのであれば、名誉棄損等の法的責任を伴うものと判断した段階で、直ちに法的措置を講ずると共に、関係機関等に対して人権侵害を理由とする申立てを行う予定であることを、念のため申し添えさせていただきます」という警告文を送付していたと報じられた。
 自分で火に油を注いでいるように思えてならない。
 警告文を送るなら < 佐野研二郎 今度は秋田県横手市の団扇展のデザイン盗用疑惑><佐野研二郎にメガネ写真を盗用されたGLAFASが反撃開始 「メガネは1つ1つ異なり同じ写真を撮るのは不可能」>といった疑念に対して記者会見を開いて回答する方が先では?

 GalleryページのAmami・Okinawaに、通り過ぎた風景と記憶の断片を追加しました。You Tubeを検索したらジョン・レンボーン本人が奏でる「South Wind」が見つかった。例えば、こんな曲を聴きながら写真を捲ると、また印象が変わるだろうか。
通り過ぎた風景と記憶の断片のトップ画面
 沖縄の祭祀研究をされていた、湧上元雄さんが亡くなられたそうだ。著書を読んだか調べてみたら、奄美の県立図書館で「沖縄・奄美の民間信仰/湧上 元雄・山下 欣一共著」(明玄書房)を借りて読んでいる。詳細は覚えていないが山下 欣一さんが奄美、湧上 元雄さんが沖縄の民間信仰について書かれていたのだろう。 
 スニーカーの底が薄くなったので、新しいのを買おうと自転車で片道1時間強かけて砺波の量販店まで行って来た。遠くまで自転車を漕いだかいがあって?黄ばみがあるためディスカウントになっていたスニーカーをゲット。レジの店員さんに黄ばみの箇所を聞いたが、店員さんも直ぐにはわからないほどの薄く小さな汚れ。
 早朝に東京で震度5弱の地震、夜は北海道で震度4の地震。

9月9日(水)

 朝、閉め忘れた窓から強い風と雨が部屋に入ってくる音で目が覚めた。
台風一過の景色
 午前10時に愛知県知多半島に上陸した台風18号は、午後には石川県の小松市の海上に抜けて行った。 台風から遠く離れた関東で大雨が降っているようだが、富山では隣の石川県を台風が通過している時も天気はわりと穏やかで、少し拍子抜けするほどだった。
 日本海に抜けた後は、台風一過で久しぶりに青空が広がった。
 
←台風一過の青空。
昨年の城端むぎや祭り
 来週末は、城端のむぎや祭。昨年のむぎや祭のスナップをPhoto Albumにしました。こちら

9月6日(日)

 朝から一日中雨。Tシャツにハーフパンツだとさすがに寒く、薄手のパーカーと長ズボンで過ごす。

 昨日は、二口熊野社の秋季例大祭で行なわれる火渡り神事を撮影に。ネット情報では火渡りは17時半からとなっていたが、午前中から巡行があると書いてあったので少し早めに着くようにする。
 最寄りの駅を14:15分発の電車に乗り、越中大門駅に14:27分着。駅から徒歩約10分という事だが、人に道を尋ねながら歩いたらもう少し時間がかかった。普通に歩いても15〜20分ほどかかりそうだ。
 熊野社に着くと火渡り神事が行なわれる参道の両脇に何人ものカメラマンが居て、撮影場所を確保していた。空いている場所で撮影できそうな所にカメラバックを置き、一台だけカメラをぶら下げて巡行を見に行く。

越中大門駅と熊野社
↑左:初めて降りた?越中大門駅。右:参道の両脇に並ぶカメラマン。
獅子舞と神輿の巡行
藁の用意

↑3頭の百足獅子が480戸ある町内を露払いし、その後を神輿が巡行する。
←17時過ぎ、参道入口に藁が用意された。
↓18時少し前に火渡りが始まった。キリコが火の横を走り抜け、天狗、百足獅子が炎の中に飛び込む。3頭の獅子が火渡りした後、お神輿がゆっくりと火の上を渡った。

火渡り
 火渡りは、正味5分もないくらいだろうか。この後、拝殿で神事が催され、獅子舞が奉納された。3頭の獅子が順に獅子舞を奉納し、最後に舞った獅子で獅子ごろしが行なわれた。
↓獅子舞の奉納。→火渡りが終わり、境内の倉に納められた御神輿。
倉に納められた神輿
獅子舞の奉納
獅子ごろし
↑左:獅子ごろしで、拝殿の前に倒れた獅子。獅子ごろしは町内をまわって獅子に取り憑いた悪霊を殺すのであって、獅子そのものを殺すのではないのだろう。だから天狗が悪霊を退治した後に、獅子は復活する。右:復活して、キリコの子供2人を乗せて立ち上がった獅子。獅子ごろしは、この後、花を打った家でも行なわれる。

 一応神社の横には消防車が一台用意されていたが、何事も無かった。これまで、綿でできている衣装や胴幕に火がついた事は無いそうだ。ただ天狗の髪の毛が縮れる事があるそうで、よく見ると火を渡る時に天狗が髪の毛を持ち上げていた。

 8月30日の国会前大抗議行動に続き、今日も雨の中、各地で抗議が行なわれた。
新宿で安保法案反対集会 雨の中、歩行者天国埋め尽くす
新宿の大通り埋め「憲法守れ」 シールズと学者の会が集会
 創価学会の会員が署名7000人集め、公明党に直訴自民広島県議ら安保法案撤回申し入れ。NNN電話世論調査で安保法案の今国会での成立反対が65.6%となった。安保法案、元最高裁長官「違憲」と明言。
 橋下氏が、デモでは何も変わらないと言ったとか。でも確実に動いている。ひょっとすると安保法案が通ってしまうかも知れない。しかし民意を無視する形で法案を通せば、自民・公明の与党は孤立するのではないだろうか。そうなってからが本当の戦いで、抗議行動で声を上げながら選挙で民意を示せばいい。
 小林よしのり(マンガ家)X 奥田愛基(SEALDs)対話

9月4日(金)

 先日は熊野神社の稚児舞を観に行ったが、今日は加茂神社の稚児舞。朝方は激しい雨が降っていたが、出かける頃には晴れた。それでも用心して傘を持って行く。
 稚児舞奉納は14時頃からだが、その前に道行きがあるようなので早めに神社に着くように電車と路線バスを組む。その結果、最寄り駅を10:38分に出て小杉駅に10:56分着。小杉駅南口11:08分の15番のコミュニティーバスで加茂コミュニティー施設前に11:29分着。
 バス停から 歩いて5分程の神社に着くと、既に舞台は設営されていた。ネットの情報では、稚児たちの道行きは当番宿から出発と書いてあったので、社務所で当番宿はどちらか尋ねると宮司さんの家だと教えて頂く。
 社務所の前には丁寧な進行表が貼り出してあった。
稚児の村内連行12:30〜 社参・修祓14:00〜 鉾の舞(ほこのまい)14:10〜 林歌(りんか)14:40〜 小奈曽利(こなそり)15:00〜 加古の舞(かこのまい)15:20〜 天の舞(あまのまい)15:40〜 胡蝶の舞(こちょうのまい)15:55〜 中入り・例祭式に参列 大奈曽利(おおなそり)16:50〜 蛭子の舞(えびすのまい)17:10〜 陪臚(ばいろ)17:30〜
 また、境内で配られていた資料には稚児舞の説明がこう書かれていた。
秋祭りは、年穀の報謝を主眼とし、神徳に感謝するとともに、国の平安と氏子・崇敬者の平穏を祈る祭祀である。『稚児舞』は、その神慮を慰めることを目的として奉納している。この『稚児舞』は、稚児の披露として大人の肩車に乗って、当番宿を出て村内の連行(れんこう)する。そして「舞が終了するまで土を踏まない禁忌の姿を伝承している」ことなど古い民俗的特色をもっている。化粧は、稚児の額や両頬などの紅のつけ方が奈良時代のもので、実に1200年以上の伝統の化粧法を今日なお厳守している。舞は、上方系の舞楽が地方化した技法の特色とともに、稚児舞の典型例として貴重である。京都加茂御祖神社(下鴨神社)から平安時代に伝承したものと伝えられており、境内に特設された舞台で毎年奉納されている。一般には祭りばやしの音から転じた「カットンド」の名称で親しまれている。奉仕する稚児は、地内から選ばれた10歳から11歳の男児4人(大稚児2人、小稚児2人)で、当番宿で潔斎、化粧、衣紋を終え、稚児担ぎの肩車に乗って村内を連行したのち、社参し「鉾の舞」など9曲を舞う。
◯昭和40年1月1日 富山県指定・無形民俗文化財となる。 ◯昭和57年1月23日 国指定・重要無形民俗文化財となる。

 当番宿である宮司さんの家の前で、連行(道行き)の出発を待つ。時間になって玄関から担がれた稚児が出て来て、宮司さんから一人一人に長柄の傘を手渡される。
 先日の熊野神社の道行きは神社裏の公民から出発して10分ほどだったが、今日の道行きは5か所ほどある「御小休み所」で短い休憩をいれて1時間半程歩いた。稚児たちを担ぐ男性は重労働で、役を交代しながらの道行きだった。

↓加茂神社。→連行のため、宮司さんの家を出る稚児。
宮司さんの家を出る稚児
加茂神社
↓→御小休み所で短い休憩を何回かはさんで一時間半ほど連行して神社へ。
連行02
連行01
拝殿の神事と稚児舞奉納
↑上左:稚児舞奉納の前に行なわれた神事 上右:鉾の舞 中左:林歌 中右:小奈曽利 下左:胡蝶の舞 下右:師匠と稚児たち
↓中入りの神事。→拝殿から舞台へ、肩に担がれて戻る稚児。
拝殿から舞台に戻る稚児
中入りの神事
稚児舞
↑上左:肩に担がれ、休憩中に社務所のトイレへ行く稚児 上右:大奈曽利 中左:蛭子の舞 中右:陪臚 下左:陪臚 下右:奉納が終わり衣装を脱いだ稚児
↓奉納後すぐに舞台の解体。→神から人に戻り、草履を履く稚児たち。
神から人に戻り草履を履く稚児
舞台の解体
 進行表では最後の演目「陪臚」は17時半からとなっていたが、中入り後の進行が少し早くなって17時半頃に「陪臚」が終了。ギリギリになるかと思っていた18時4分発の帰りの最終バスに余裕で乗車できた。

9月2日(水)

 今年はあっけなく夏が終わった。青々としていた隣りの田んぼは稲穂が実り、もう直ぐ収穫の時期を迎える。
隣の田んぼ
 沖縄から戻って一年以上が経ち、何十年ぶりかで富山の四季を身をもって体験した。あ〜こうして季節が過ぎて行くのかと感じている。

 この数日、東京五輪のエンブレム問題が慌ただしい。佐野研二郎エンブレム原案はヤン・チヒョルト展からパクったことが判明!五輪エンブレム展示例のイメージ図もパクリであることが判明。そして一昨年、大会組織委員会は佐野氏デザインのエンブレムの使用中止を決定した。
 組織委の武藤敏郎事務総長による記者会見の詳細はこちらに、佐野氏のコメントは自身のデザイン会社のホームページに掲載されている。
 新国立競技場に続き、五輪エンブレムのデザインまで白紙撤回という前代未聞の異常事態。撤回になり無駄に使われたお金は税金で賄われるのだろうが、まだ誰も責任を取った人はいない。

 昨日の国会審議で、共産党が自衛隊の内部文書とみられる資料を提出し波紋を呼んでいる。昨年の12月、河野統幕長が訪米し、米国陸軍参謀長と会談した際の会談内容だとされ、その中で安保法制の見通しについて「衆院選での与党の勝利により、来年夏までには終了するものと考えている」と述べたことが書かれている。また、オスプレイへの日本国民の不安が低減したか尋ねられた際、「オスプレイの不安全性をあおるのは一部の活動家だけだ」と述べた事もわかった。

 今年の5月にハワイでオスプレイが着陸に失敗し、1人が死亡21人が搬送される事故が起こったのも記憶に新しい。共産党によれば、乗組員の死亡は空軍仕様のCV22を含めて累計40人に達した。
 オスプレイの問題点を琉球新報の普久原均氏が、日刊ゲンダイのインタビューで<軍産複合体の巨大利権><オートローテーション機能が働かない構造的な問題><日米合意を無視した運用>など解り易く指摘している。こちら
 オスプレイの飛行に関する日米合意のルールに「通常,米軍の施設及び区域内においてのみ垂直離着陸 モードで飛行し,転換モードでの飛行時間をできる限り限定する」「低空飛 行訓練の間,原子力エネルギー施設,史跡,民間空港,人口密集地域,公共の安全に係る他 の建造物(学校,病院等)といった場所の上空を避けて飛行することは標準的な慣行である」といった記述があるが、実際には守られていないのが現状だ。
 沖縄に住んでいた2年間は那覇の新都心に隣接する場所に住んでいたが、ベランダから人口密集地で病院もある新都心の上をヘリモード(垂直離着陸モード)で飛行するオスプレイを頻繁に目撃した。
 沖縄県が運用ルールに違反すると指摘した318件の飛行について、防衛相は「合意違反の確証は得られていない」とする検証結果を出した。オスプレイの飛行そのものよりも、明らかな違反があるのにその事実検証を積極的に行なわない防衛省の姿勢の方が恐ろしい。

転換モードで飛行するオスプレイの隊長機
↑嘉数高台公園の展望台へ普天間基地を見に行った時に、ちょうどタイで行なわれていた多国間軍事演習を終えたオスプレイが帰って来た。市街地の上空を転換モード(プロペラ飛行モードとヘリモードの転換時)で飛行する隊長機。オスプレイの事故は転換モードとヘリモードの時に多いとされている。2013年2月26日撮影。

 基本的に輸送機に過ぎないオスプレイが、なぜ抑止力になるのか理解できない。また、災害の救助活動や離島での救急搬送に活用できるというが、今年5月のネパール大地震で救援活動に参加したオスプレイが物資の輸送中に住宅の屋根を吹き飛ばし地元紙から「役立たず」と批判されている。 これは5月にも書いたが、オスプレイは猛烈な下降気流と200℃以上の熱風を発生させ、その熱で訓練中に地面の草が燃える火災が発生したこともある。ヘリコプターのように垂直離着陸が出来る事で活動範囲が広いと言うが、実際にはかなり離着陸できる場所を選ぶのではないだろうか。
  そんなオスプレイ17機を日本政府は、関連装備も含めて30億ドル(約3600億円)で購入する。
 奄美群島:3島の警察署に「爆発音がした」通報相次ぐ。 現地のツイート。何が起こったんだろう?

 GalleryページのAmami・Okinawaに、琉球弧曼荼羅【四】参考文献リストを追加しました。
琉球弧曼荼羅【四】の画面

 近くにある市立図書館で本を借りて来た。「東京人生/荒木経惟」(バジリコ株式会社)、「私が見た戦争/石川文洋」(新日本出版社)。返却期限は9月18日。

 先日借りて読んだ「日本の民俗 沖縄/源武雄」の気になった部分の続きを備忘録として。

今日借りて来た本

十 人の一生

2 厄年と生年祝い

沖縄のトゥシビー
~略~
 八十八歳・九十七歳の祝いは、たんなる長寿祝いではないことがわかった。たくさんの御客を招いて盛大な御祝いをするが、実はその前の晩の夜中に家族近親だけでやる秘密の御願があることがわかった。八十八歳あるいは九十七歳のトゥシビーの祝いの前の夜中、本人に白衣を着せ西方を枕にして寝かせ、枕元には枕飯を供え香炉に線香を立てて本人を死者と見なし、家族・近親がその死をいたむ模擬葬式をする。皆が必ずその人の名をよび、すすり泣いた。その擬死者にもっとも近い者が御願の言葉を述べるが、その内容は「もうこの人はいい年になっておりますから早くあの世へ連れて行ってください」ということであることが、全琉にまたがる比較研究によって判明した。
 沖縄本島北部地区の村々のうちには、家で夜中、枕飯・御願をやるばかりでなく、さらに当人を乗物に乗せて七つの橋または、七か所の十字路を通り近親が墓まで連れてゆく模擬葬列をやった。先頭には箒持ちが立ち、村人はこの行列をグショウジタクだといい、道で会うのを極度に忌んだという。

3 婚姻

那覇のニービチズリ
 沖縄の首都那覇には今はないが、ニービチズリという特殊な風習があった。ズリとは遊郭の遊女のことである。ミジナディー(水撫で)・ユレーブン(寄合い盆)の夫婦固めの儀礼がすむと、ミーユミ(花嫁)は里帰りをしたが、花婿は友人を引きつれて、かねて打ち合わせてある遊女のもとへ行き、そこで三、四日ほど遊女と枕を並べて過ごし、新妻とほんとうに同棲生活にはいるのは四、五日あとからであった。その花婿の相手役をつとめる遊女を、ニービチズリ、またはミームクズリとよんだ。いずれにしても今から考えると珍しい風習であった。

4 葬祭・墓制

葬列
 葬列のことをダビという。この言葉は全琉的に使用されている。野辺送りには小さな部落だと各家々から会葬者が出る。納棺がすむと僧の読経があり、棺は母屋の前のナー(広場)に準備されているガン(龕)に納められる。僧の読経はなくてニンブチャー(念仏者)といわれる者が鉦を叩いて浄土念仏を唱えるところもあったが、戦後は見られなくなっている。また沖縄本島近くの離島などで古くは仏式によらず、オモロをうたって死者を送る儀礼をやったという報告もある。
 沖縄本島はじめ宮古・八重山地方のおもな島には、どこの村にも葬式用のガンというのがあり、部落はずれにはそれを納めるカンヤ(龕屋)というのがあった。このガンというのは八人かつぎの入母屋型の大きな乗物で、宝珠・しゃちほこ等の装飾があり、その他壁などの絵画図案は禅宗的色彩のものだという。沖縄の墓には大きくて広大なものがあるが、この死者を運ぶガンもまた豪華なもので、おそらく他府県の庶民階級の間では、こんな豪華な葬具はなかったことと思う。たぶんはじめは首里の王族・大名階級のみが使用していたのが、だんだんと地方の庶民の間にも、この豪華な葬具を普及させるようになったのであろう。
 なお、このガンと対をなす葬具にティンゲーというのがある。もともといわゆる天蓋で僧侶の頭上にかざすものであったと思うが、後世たんなる持ち歩き用の葬具となっている。ティンゲーの竿の頭には龍頭がついている。沖縄の葬式に使われる葬具のガンは元来禅宗の葬式に用いられたもので、天蓋もおもに禅宗の儀式に導士の頭上にかざしたものだというが、一方、鉦を叩いて念仏を唱えるニンブチャーは元来浄土宗ものである。だから宗派を超越している。ガンの屋根には擬宝珠と両端に龍をかたどった鯱が飾られている。それから、死者を入れる棺を包む布地は、本土では白地であるが、沖縄の上流階級は白地は用いずに金襴を用いている。これは中国の葬法の影響だろうといわれている。葬列の順序に地域差はあるが、だいたい次のとおりである。
 弔旗(四本旗) ティンゲー(天蓋) 白位牌(長男が持つ) 身内の男 ガン(龕) 身内親戚の女 一般会葬者 
 葬列で身内の女は芭蕉衣を頭からかぶり、墓場に着くまで泣き続ける風習があったが、明治の末・大正の初めごろまでに、風俗改善運動でこの風習もなくなってしまった。

十一 年中行事

 年中行事を意味する沖縄の方言にはウイミ(折り目)とシチビ(節日)というのがある。中央では両方併存して使われているが、中央を隔てた遠い地域ではウイミという言葉が多く使われるところを見ると、シチビよりもウイミという方言が古いような気もする。

(6)六月の行事
 プーリヨイ
 八重山群島では沖縄本島の六月ウマチーにあたるものをプーリヨイ(豊年祝い)とよんでいるが、今日でもなお盛大である。四日あるいは五日にわたる昔ながらの神祭りをしているところもある。
 村々によって祭りの形式内容はいくらかちがうが、まずオン(御嶽)で行なうオンプーリと、各ヤマニンジュの総本家トゥニムトゥで行なうトゥニムトゥプーリがなされる。祭りの司祭はチカサである。花米(精白米)を盆に盛りミシャグ(神酒=沖縄のウンサク)をオンのイビ(御神体)に供える。オンヌヤー(オンの入口の前にある拝殿)には、ヤマニンジュの代表者たちが、いろいろな神への供物を供える。ここでミシャグの献酬があるが、その時、次のアヨウ(八重山の古謡)を歌ったりする。
 ケーラマイヌウユワイ シヌグマイヌウユワイ ユカニアル ミンバタス ダイザラス ウサンダイアギル云々
 トゥニムトゥでの儀式はトゥニムトゥ家の神棚のある座敷で行なわれる。ここでは「クヌトゥチヌ、シュヌメージラバ(この殿内の主ぬ前シラバ)」というのが歌われる。ジラバも古謡の一種である。
 プーリの時は各戸から五勺米というのが徴収され祭りの司祭者チカサに献上される。これは国頭地方のチカトゥイというのが六月二十五日の折り目に稲束をノロに献上するのと同じ意味である。八重山群島のプーリ祭りには、いろいろな芸能が見られる。石垣島白保のプーリ祭りには綱引きやミルク踊りがある。この綱引きは神占いの意味で古来行なわれている。 
 八重山群島のプーリ祭りに、来訪神アカマタ・クロマタ神を迎えての来訪神祭りをする村々がある。西表島の古見・小浜島・新城島・石垣島宮良などで現在でも行なわれている。八重山群島のプーリ祭りは旧六月の壬・癸の日が選ばれるので毎年日がちがう。このアカマタ・クロマタ神は一名二ロー神というところもあり、ニライカナイから来る来訪神と信じられている。そして巨大な草装神のいでたちで村人に迎えられて、村人から拝まれる。アカマタ・クロマタのマタは面のことらしい。
 この来訪の草装神は、まずトゥニムトゥといわれる村建ての家に現われ、順次各戸を訪問する。アカマタ・クロマタと二体現われるので
各戸訪問の時には二組に分かれて行なわれる。ただし古見では各戸訪問はなくトゥニムトゥだけを訪れ、そこで村人から拝まれる。神出現の形式は海を渡ってきて特定の聖地に出現する形式をとる。
 この祭りは村の秘密結社組織、すなわち、男子のみの祭祀組織によって行なわれるのが特色である。十五、六歳の青年から入団資格があるが、長老組・中老組・青年組とでもいうべき組織があり、入団者は三段階のきびしい査問を受けて入団が許されるという。はじめて入団する者を古見ではウイタビというが、きびしい作法を長時間行なわせたり、さては意中の愛人まで告白させるという。村々によって、いろいろきびしい掟があるが、それはすべて、この祭りの内容を外にもらさないという誓約を取るためのきびしい掟らしい。

(7) 七月の行事
 ウンジャミ
~略~
 ウンジャミとシヌグの行なわれているところは次の地域である。国頭村の安田・安波・奥・辺戸、名護市の汀間、本部町の渡久地・伊野波・崎本部、上本部村の具志堅・備瀬、伊是名村の伊是名・仲田・諸見、与那城村(伊計島)、勝連村の浜などがある。各地のウンジャミ祭りはみないくらかちがう地域差があるが、大同小異である。ただ戦後は行事の日程が短縮され、行事も本格的なググんが省略されて余興の芸能面が大きく取り扱われたりして質的変化をきたしている。
~略~
 ウンジャミに迎える神が、どこから来臨するするかについては、まだ充分な確定資料を得ていないが、ニライカナイから来臨すると信じられているようである。それは紙送りが浜辺で行なわれるからである。神を迎えての儀式は村カミアシャギで行なわれる。祭りを行う神女は村によって数に相違があるが、ノロ・ワキノロ・ニーガン、それに遊び神(躍りなどする)たちが主である。ところによっていろいろな名がついている。初めの儀式はカミアシャギの建物内で行なわれる。ウミジナデー(御水撫で)の潔斎をして生き神さまとなったノロ以下の神女たちと、村のハラニンジュ(氏子)の代表たちとの間にミキ(神酒)の献酬がなされるが、これはノロ神を氏子たちが生き神として拝礼するという形式である。ミキはウンサクともいい未婚の処女たちが米をかんで水にとかし発酵させたもので昔は作られた。
 このカミアシャギ内での儀礼がすむと、屋外の広場に出てナー(広庭)アシビというのが演じられる。アシビという言葉は遊びという字を当てるが、その内容は神を慰める舞や踊りであったり、猪をとったり魚をとったりする豊年予祝の模擬演技であったりする。これらの演技をする神女たちをアシビタムトゥという。だいたいどの村でも二種目のアシビがある。猪を捕獲する演技と魚を捕獲する演技である。その方法も地域差があるが、要するに山の幸・海の幸を予祝する行事である。狩猟と漁撈で生きていた昔の山村の信仰を表現しているのである。また、このナーアシビをユンクイアシビともいう。ユンクイは世乞いかと思う。大宜味村塩屋のウンジャミは部落の発生移動の関係からと思うが、田港・屋古・塩屋の三つの村が祭りの舞台になる。ユンクイアシビの行なわれるところは屋古の部落である。神送りはここから相当離れている塩屋の海岸で行なわれる。
 屋古のカミアシャギでの行事がすむと、ノロは籠に乗って塩屋に出かける。沿道の住民は道に出てそれを見送るが古老たちは土下座し低頭して、この籠を送る。けだし古老たちにとって、この籠のノロはまさしく生き神さまだからである。明治の頃まではノロは白馬にまたがり白衣をつけ蔓草のかぶり物をして威風あたりを払って粛々と行進したという。
 ノロ以外のニーガン・アシビタムトゥたちは籠に乗らず三艘の船に乗って塩屋に向かう。田港・屋古・塩屋の神女が分乗して、ボートレースの競船行事をやry。糸満のハーリー船行事の名をかりて、これを近頃はハーリーとよぶのがいる。塩屋で三村の女たちが海岸で自分の属する船が勝つようにと盛んに声援して待っている。船が近づくと女たちは海にはいり歌ったり踊ったりする。鼓を打ち鳴らしとてもにぎやかである。
 ウンジャミの神送りは塩屋の海岸でノロ以下の神女、そのうしろには村人が居並んで送りの儀式が行われる。ウンジャミの翌日は塩屋で、いわゆるムラアシビというのが行なわれ、さまざまな芸能が披露さsれて、ウンジャミ祭りの幕を閉じる。

(十) 十月の行事
 タントゥイ
 琉球列島は沖縄本島から与那国島まで南北に長く続く島々である関係上、穀物の種子の播種の時期にはいくらかの差がある。ただし、種蒔き儀礼(種おろし)行事は全琉ほとんど旧十月に行なわれた。戦後は稲など品種改良が行なわれたので種蒔き収穫の時期が明治・大正までの古い稲作行事とは一致しない。稲作儀礼としての種おろし(沖縄本島ではタントゥイ、八重山群島ではタニドゥル)は古い稲作行事の期日に合わせて行なわれている。沖縄本島中南部では明治になってから水田が芋作やきび作に転換した関係もあり、タントゥイの儀礼古俗は早く消失し、また北部でも戦後は急速に影がうすくなった。古い稲作儀礼を伝承していたのは八重山群島だが、それも近ごろは衰えつつある。
~略~
 竹富島の種取り祭りは同島のシチ祭り終了後四九日目から四日間行なう。まず第一日目は各戸へらを持って各自の畑で棚巻きの儀礼行事をする。翌日から三日間はムヌンソージ(物忌精進)・である。その期間中はにんにくを食べ塩水を飲む。期間中は一切鳴物禁止。三日目には神司たちが各戸をまわってユー(豊作)を配る。四日目をソージバリといって物忌が解禁になる。竹富島の種取り祭りは島最大の行事で今なお盛大に行なわれている。棒踊り・マミドーマ踊り・狂言その他多彩な芸能行事が催される。

8月へ