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◯製作中の琉球弧(奄美群島〜沖縄諸島)の歴史年表

6月4日(木)*前夜祭、5日(金)、6日(土) 小矢部市・津沢夜高祭り
6月8日(月) 加茂神社 御田植祭
6月12日(金)、13日(土) となみ夜高祭り
6月19日(金)、20日(土) 高岡市・金屋町 御印祭
7月3日(金)〜7日(火) 高岡市・戸出七夕まつり
7月13日(月)、14日(火) 氷見市・氷見祇園祭
7月24日(金) 入善町・新屋大磐祭り
7月25日(土) メルヘンおやべ源平火牛まつり
7月31日(金) 滑川市・滑川のネブタ流し
8月25日(火) 婦中・熊野神社 稚児舞 詳細
9月1日(火)〜3日(木) 八尾・おわら風の盆
9月4日 (金) 加茂神社 秋の大祭 稚児舞
9月13日(日) 小矢部 埴生護国八幡宮  宮めぐり神事
9月23(水)、24日(木) 高岡市・つくりもんまつり
10月10日(土) 10月の第2土曜日、戸出・戸出野神社の秋季例大祭 幌武者行列
10月12日(月・祝) 魚津・千光寺 秋祭
10月17日(土) 小矢部 白馬山 慈光院  火渡り法要
10月26日(月)、27日(火) 黒部市・生地たいまつ祭り
1月の第4日曜日 魚津・千光寺の火祭り 小川寺の獅子舞
3月12日 魚津・千光寺の春祭 小川寺の獅子舞
4月18日? 黒部・明日(あけび)の稚児舞
4月20日前後の土日 浦田山王社獅子舞
5月3日、4日 鹿嶋神社稚児舞
*とやま文化財百選シリーズ(3)とやまの祭り
*全国祭り情報 富山県 祭り イベント一覧
とやまの獅子舞百選
富山県内のお祭り、イベント

○福島第一原発事故に関するリンク集 http://www.scn-net.ne.jp/~onodak/news/index.html
○DAYSから視る日々 http://daysjapanblog.seesaa.net/
○HIROPRESS.net 広河隆一通信 http://www.hiropress.net/index.html
○独立系メディア今日のコラム 青山貞一・池田こみち http://eritokyo.jp/independent/aoyama-column1.htm
○小出裕章(京大助教)非公式の説きまとめ http://hiroakikoide.wordpress.com/
○やんばる東村 高江の現状 http://takae.ti-da.net/
○辺野古浜通信 http://henoko.ti-da.net/
○チョイさんの沖縄日記 http://blog.goo.ne.jp/chuy
○沖縄はもうだまされない http://www.ryukyu.ne.jp/~maxi/

6月29日(月)

 今日は、梅雨の合間の青空。隣の田んぼの稲も青々としている。
隣の田んぼ
 せっかく晴れたので、日頃の運動不足解消に自転車で戸出まで行くと、来月3日から始まる七夕まつりの飾り付けが行なわれていた。大きな七夕は、クレーンに乗って飾り付けるようだ。土日だった昨日、一昨日が飾り付けのピークだったのかもしれない。雨に濡れてもいいように、提灯や短冊はビニール製だった。
 戸出の七夕まつりは、来月の3日〜7日まで。今まで見に来たことが無いので、楽しみ。
七夕の飾り付け

 25日に行なわれた、安倍首相に近い若手議員が立ち上げた勉強会での発言が、波紋を呼んでいる
  勉強会に出席した議員からは「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番。経団連に働きかけて欲しい」「悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい」など、政権に批判的な報道を規制すべきだという意見が出た。この発言に対して、在京6紙がどう報じたかこちらに纏められている。東京新聞は社説で「自民の報道批判 民主主義への挑戦だ」と書いている。
 マスコミや世論から激しい反発もあり、自民党はこの勉強会 「文化芸術懇話会」の代表である木原稔・党青年局長を更迭した。しかし、自民党が自分たちに都合のいいようにマスコミ報道を規制しようとするのは、今回が初めてではないだろう。
 2011年7月、石原伸晃幹事長(当時)が『自民党の支持が伸びないのは、テレビのせい』と「メディアチェック」の担当議員を新設している。
 言論の自由や報道の自由の議論以前に、「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなるのが一番」「 自民党の支持が伸びないのは、テレビのせい」という余りに短絡的な発想に驚くばかりだ。また、マスコミに対して報道の中立を常日頃から要望している自民党だが、 『朝まで生テレビ!』を自民・公明の全議員がドタキャン! したそうだ。ご都合主義も甚だしい。
 ところで、この勉強会にゲストとして招かれて「沖縄の2紙はつぶさないといけない」と発言した作家の百田尚樹氏は、沖縄タイムスの電話取材で「オフレコに近い発言で、冗談として言った」と語ったが、その後、大阪の講演で「その時は冗談口調だったが、今はもう本気で潰れたら良いと思う」と話したそうだ。しかし、そもそも彼は沖縄タイムスの電話取材で「沖縄の新聞をしっかりと読んだことはない」とも話しており「ネットで読むと、私と歴史認識が違う。全体の記事の印象から私が嫌いな新聞だ」という幼稚な答えしか返していない。しっかり読んだこともない新聞に対して、何がしたいのだろうか。
 もう一つ百田氏の発言で「普天間飛行場は、元は田んぼ」「地主年収、何千万円」という発言に対して、沖縄タイムスが反論の検証記事を掲載している。一部を抜き出すと、
 米軍普天間飛行場が建設された場所は沖縄戦の前、宜野湾村の集落があった。宜野湾市史によると、1925年は現在の飛行場に10の字があり、9077人が住んでいた。宜野湾や神山、新城は住居が集まった集落がほぼ飛行場内にあり、大山などは飛行場敷地に隣接する形で住宅があった。
 飛行場は、まだ沖縄戦が終結していない45年6月、住民が収容所に入っているうちに、米軍が土地を占領して建設を始めた。住民は10月以降に順次、帰村が許されたが、多くの地域は元の集落に戻れず、米軍に割り当てられた飛行場周辺の土地で、集落の再編を余儀なくされた。

 この検証記事に対して、百田氏はどう答えるのだろうか。
 百田氏の「普天間飛行場は、元は田んぼ」発言だけでなく、ネット上では根拠の無い発言が数多く存在している。元航空幕僚長の田母神俊雄氏が「沖縄県知事翁長氏の娘さんは中国の北京大学に留学後、上海の政府機関で働く中国人男性と結婚。その男性は中国共産党・太子党幹部の子息だそうです。翁長氏の普天間基地の辺野古移転反対もこれだと理解できますね」とツイッターに書き込んでいるが、実際には翁長氏の娘さんは結婚も留学もしておらずデマだと指摘されている。元海上自衛官の惠隆之介氏がYou Tubeで発言している動画がソースのようだが、惠隆之介氏も田母神氏も謝罪なり弁明はしないのだろうか。
 先日もFacebookに流れて来たが、「福島瑞穂の迷言」という都市伝説。 ネットで様々な情報にアクセスできる時代になったが、その情報は玉石混合。その中から必要な情報を引き出し活用するメディア・リテラシーが、個人個人に求められているように思う。

6月24日(水)

 昨日は、沖縄の慰霊の日の追悼式典が糸満市摩文仁の平和祈念公園で行なわれた。お昼のニュースで翁長県知事の平和宣言と、安倍首相の来賓挨拶が中継で流れた。テレビで観ていても、安倍首相の演説中に会場から激しい罵声が飛んでいるのがわかった。
 追悼の場での野次については賛否が分かれるだろうが、「何しに来たんだ」「嘘言うな!」「帰れ」と叫びたい心情は充分に理解できる。 
 安倍首相のあいさつの全文がこちらにある。
  「平和の礎(いしじ)に刻まれた多くの戦没者の方々が、家族の行く末を案じつつ、無念にも犠牲となられたことを思うとき、胸塞がる気持ちを禁じ得ません」「沖縄が忍んだ、あまりにおびただしい犠牲、この地に倒れた人々の流した血や涙に思いを致し、胸に迫り来る悲痛の念とともに、静かに頭(こうべ)を垂れたいと思います」「今後も引き続き、沖縄の基地負担軽減に全力を尽くしていきます」
 憲法をねじ曲げて安保法案を通し再び戦争のできる国にしようとしている首相の口から、このような言葉を聞かされれば「嘘言うな!」と罵声を浴びせたくもなるだろう。 
 私の対話のドアは開かれている。これからも丁寧に説明していきたい、が口癖の総理だが今回も式典後の翁長知事との十分な会談は行われず空港で5分程会話しただけだった。
平和祈念公園にある平和の広場
↑糸満市摩文仁にある平和祈念公園の、平和の広場。2013年6月23日に撮影。 戦時下、広場から見下ろす海岸は、遺体で埋め尽くされていたと聞く。広場中央にある「平和の火」は、沖縄戦最初の上陸地である座間味村阿嘉島の火、広島の「平和の灯」、長崎の「誓いの火」が合火されている。

 昨年の慰霊の日は、八重山諸島に居た。その日は西表島から小浜島へ向かうために西表島・大原港の待合室にいて、テレビの中継で追悼式の様子を観ていた。
式典に出席する橋下徹氏
 一昨年は実際に摩文仁の平和祈念公園に行き、追悼式に参加した。式典は午前11時50分からだが、慰霊の日の様子をスナップしようと、朝8時半過ぎに沖縄県庁から出るシャトルバスで摩文仁に向かった。この日も安倍首相、北澤外務大臣、小野寺防衛大臣、ジョン・ルース駐日大使などが来賓として出席したが、一番マスコミの注目を集めていたのは米軍の幹部に風俗産業の活用を進言して物議を醸していた橋下徹氏だった。

 福島原発事故:甲状腺がん…19歳以上も医療費全額助成。昨日の毎日新聞の記事だ。読解力に間違いなければ、福島県は甲状腺検査で「がん」や「がんの疑い」があると診断された子供らの医療費について、19歳以上も全額助成する。その対象者は1000人を見込んでいる、と言う。サラッと書いてあるが、「がん」や「がんの疑い」が1000人と言うのは相当異常な事態ではないのだろうか?

 6月7日に高岡市立中央図書館で借りた鬼海弘雄さんの写真集「ぺるそな」の返却期限が昨日だったので、地元の図書館に返しに行ったら定休日だった。改めて今日返却に行き、新たに「1970、二十歳の憧憬/ハービー・山口写真集」「ポートレイト 内なる静寂/アンリ・カルティエ=ブレッソン写真集」を借りて来た。返却期限は7月9日。

6月21日(日)

 一昨日、北陸地方が梅雨入りし、今日は高岡も朝から雨。一昨日の19日は旧暦の5月4日で、沖縄ではユッカヌヒーと呼ばれて糸満ハーレー他、各地でハーリー(爬龍船競漕)が行なわれる。糸満では、ハーレーの鉦がなると梅雨が明けると言われているそうだが、今年は6月11日に早々と梅雨明けした。

大嶺の地バーリー
  昨年のユッカヌヒーは6月1日で、午前中から糸満ハーリーを、午後から那覇市小禄にある大嶺の地バーリーを見に行った。
 大嶺地区は、旧日本軍によって土地を接収されて、嘗て集落のあった土地は現在、航空自衛隊那覇基地と那覇空港として国有地化されている。海岸から離れた場所に移り住むことを余儀なくされた大嶺の人たちは、地バーリーという陸上でのハーリーを継承し、海の民の記憶を後世に繋いでいる。

 ところで、翁長知事への批判の一つに「辺野古の埋め立て反対の理由に自然破壊を挙げているのに、那覇空港の第二滑走路の埋め立て工事は行なっている」というものがある。しかし、そもそも那覇空港の歴史を辿れば1933年8月に建設された軍用飛行場の小禄飛行場だ。沖縄側が海を埋め立てて那覇空港を建設したのではない。そして現在も民間の飛行機と自衛隊の航空機が共用で使用している。
  Wikipediaによれば、利用者数は日本国内の空港では東京国際空港(羽田空港)、成田国際空港、新千歳空港、福岡空港、関西国際空港に次いで第6位(2013年度、うち国内線旅客数では第4位)。1日300回以上の離着陸があり、年間の発着回数では東京国際空港、成田国際空港、福岡空港に次いで第4位(2010年度)となっている。今月3日には、全日空機の離陸直前、自衛隊ヘリが横切るトラブルもあった。最早、滑走路1本では対応できない混雑ぶりなのだろう。
  実際、那覇に滞在していた2年間に石垣島や宮古島へ行くため何回も那覇空港を利用したが、自衛隊の航空機の離発着により発着が遅れることが何度もあった。なので「辺野古の埋め立て反対の理由に自然破壊を挙げているのに、那覇空港の第二滑走路の埋め立て工事は行なっている」という翁長知事への批判は当たらないと思っている。
  もし仮に批判するなら、泡瀬埋め立て「推進」知事が沖縄市長に意向伝える、こちらだろう。南西諸島でも最大級の泡瀬干潟を埋め立て、スポーツコンベンションや大型ホテルを誘致するという事業で反対運動も起こっているが、今年1月に翁長知事は事業の推進を沖縄市長らに約束した。ただし、泡瀬干潟埋め立てを推進したのだから、辺野古埋め立てに反対するなと言う批判もあたらないと思う。

  横畠内閣法制局長官が、民主党議員の「フルスペックの集団的自衛権は憲法違反にもかかわらず、そのなかから切り出した限定的な集団的自衛権は合憲であるという理由は」と問われて、「(集団的自衛権が)仮に毒キノコだとすれば煮ても焼いても食えないし、一部分かじってもあたります。(集団的自衛権が)フグだとすれば毒があるから、全部食べたらあたりますけれども、肝を外せば食べられる」と答えた。何を言っているのかわからない例えだ。
 例えと言えば、安倍首相の側近の一人で、国家安全保障担当の首相補佐官を務める礒崎陽輔氏がツイッターで、集団的自衛権を「隣の家の火事」に例え〈「うちにはまだ延焼していないので、後ろから応援します。」と言って消火活動に加わらないで、我が家を本当に守れるのかという課題なのです〉などとつぶやき、10代の女性から〈バカをさらけ出して恥ずかしくないんですか〉〈集団的自衛権と個別的自衛権の違いを勉強してください〉とリプライがあり、やり取りの末に論破された。ツイッターでのやりとりはこちらにある。
 自民党に推薦されながら安全保障法案は違憲であると答えた長谷部恭男早稲田大教授が、「今の与党の政治家の方々は、参考人が自分にとって都合の良いことを言ったときは専門家であるとし、都合の悪いことを言ったときは素人だという侮蔑の言葉を投げつける」と厳しい言葉を投げかけ、現在の政府の姿勢を厳しく批判した。
 安全保障法案が合憲だと与党が言うなら、一度憲法学者ととことん国会で論議をすればいいと思う。

24歳女子が安倍総理に物申す!「戦場に安全なんて存在しない。安倍さん、あなたが行って証明してください」
93歳寂聴さん、国会前「命懸け」スピーチ
安保法案、1万5千人が国会囲む
 反対の声は、どんどん大きくなっている。

しまねこ AMAMI・OKINAWA(2) 写真はこちら

農連市場の猫
↑那覇・農連市場にて。2014年5月31日撮影。

065 沖縄・那覇市開南 (2013年1月6日)
066 沖縄・那覇市開南 (2013年1月6日)
067、068 沖縄・那覇市開南 (2013年1月6日)
069 沖縄・那覇市開南 (2013年1月6日)
070 沖縄・那覇市農連市場 (2013年1月6日)
071 沖縄・那覇市農連市場 (2014年3月15日)
072 沖縄・那覇市農連市場 (2014年3月15日)
073 沖縄・那覇市農連市場 (2014年3月15日)
074 沖縄・那覇市農連市場 (2014年5月31日)
075 沖縄・那覇市農連市場 (2014年5月31日)
076 沖縄・那覇市農連市場 (2014年5月31日)
077 沖縄・那覇市農連市場 (2014年3月15日)
078 沖縄・那覇市農連市場 (2012年11月11日)
079 沖縄・那覇市壺屋 (2014年3月22日)
080 沖縄・那覇市壺屋 (2014年1月5日)
081 沖縄・那覇市開南 (2014年3月15日)
082 沖縄・那覇市三原 (2014年3月22日)
083、084 沖縄・那覇市波の上ビーチ (2014年3月16日)
085 沖縄・那覇市 (2014年3月16日)
086 来間島 (2013年2月5日)
087 沖縄・那覇市壺屋 (2013年11月24日)
088、089 沖縄・那覇市壺屋 (2013年11月24日)
090、091 沖縄・那覇市壺屋 (2013年11月24日)
092 沖縄・那覇市壺屋 (2014年6月30日)
093 沖縄・那覇市牧志 (2012年6月30日)
094、095 沖縄・那覇市牧志 (2012年6月30日)
096 沖縄・那覇市牧志 (2012年6月30日)
097 沖縄・那覇市辻 (2012年6月25日)
098、099 沖縄・那覇市首里 (2013年1月19日)
100 沖縄・那覇市識名園 (2013年3月16日)
101 沖縄・那覇市識名園 (2013年3月16日)
102 沖縄・那覇市首里 (2014年6月16日)
103 沖縄・那覇市古波蔵 (2013年2月1日)
104 沖縄・嘉手納 (2014年2月28日)
105 宮古島平良 (2012年10月9日)
106 宮古島野原 (2013年2月4日)
107、108 池間島 (2012年10月11日)
109 沖縄・国頭郡辺土名 (2013年5月6日)
110 沖縄・南城市奥武島 (2013年5月4日)
111 粟国島 (2013年2月10日)
112 粟国島 (2013年2月12日)
113 浜比嘉島 (2014年5月3日)
114 沖縄・浦添市港川 (2014年1月27日)
115 沖縄・南城市安座真港 (2014年1月30日)
116 久高島 (2014年1月30日)
117 伊是名島 (2013年4月4日)
118 伊是名島 (2013年4月4日)
119 久米島 (2014年6月14日)
120 久米島 (2014年6月14日)
121 久米島 (2014年6月14日)
122 与那国島久部良 (2014年1月9日)
123 与那国島久部良 (2014年1月9日)

6月16日(火)

 大気が不安定なようで、昨日は群馬県や栃木県で突風が吹いて家屋の損壊が相次いだ。富山も、今日は昼前から雨が降り、一時激しい雷雨となった。
 中部電力が今日、浜岡原発3号機の再稼働に向けて審査請求を行なった。
  “日本沈没”の危機 地震学者らが警告「活断層近くにある伊方、川内、浜岡の再稼働は危ない」。地震学者が警告をしても原発を再稼働、憲法学者が違憲だとしても法案を通そうとする、県民が選挙でNOを叩き付けても新基地建設を強行。自分たちに都合の悪い話には耳を貸さず、この政権はどこまで暴走するのだろう。 
  気象庁は今日、浅間山で小規模な噴火が発生したと発表した。

 5年前の今日、鹿児島からの定期航路のフェリーで奄美大島に着いた。右も左も分からないが、奄美に一年住むつもりで来たので、とりあえず名瀬港のコインロッカーに荷物を預け、市役所へ行って市営住宅のことを尋ねたが、空き待ちの状態だと言われた。まだ梅雨の時期、市役所を出ると激しい雨にあった。途方に暮れて歩いていると、その当時、唯一の知り合いだった唄者の築地俊造さんのお店を発見してドアを開けた。これから一年程奄美大島に住む事などを話した後、予約してあったホテルまで車で送っていただいた。
 明けて17日に不動産屋をまわり色々と部屋を見せてもらった。そして18日に、エレベーター無しの5階角部屋で窓を開けると名瀬港が見渡せる部屋に決めて契約し、19日から住み始めた。ホームセンターへ折り畳みの自転車を買いに行き、スーパーで薄い掛け布団を買って帰った。家具も電化製品も無いガランとした部屋で、薄い敷きパットと掛け布団を重ねて、その上で横になって寝た。フローリングの床が少し痛かったけれど、ちょっとした冒険の始まりにドキドキしていた。

 奄美や沖縄では、猫をマヤと呼ぶ。奄美には「マヤマヤするな」という方言があるが、これは「ブラブラ歩き回るな」「ウロチョロするな」という意味で、猫という動物が島人(シマンチュ)からどう思われているかよくわかる言葉だ。尤も「猫の手も借りたい」という諺があるくらいなので、全国的に猫は役に立たない動物だと思われている節がある。でも、その如何にも役に立たなさそうな仕草や振る舞いが愛おしくて、アチコチの島へ行く度に、その姿を追いかけていた。

 2010年10月20日、奄美大島を100年に一度と言われる豪雨が襲った。この豪雨の日から数日は、災害の様子が全国版のTVニュースでも報道された。普段は静かな島に自衛隊が上陸し、ヘリが空を旋回していた。避難所には、多くの報道陣も押し寄せた。
 島の至る所で崖崩れが起こり、道路が寸断され、海岸には大量の流木とゴミが散乱していた。確かに状況は大変だったが、それでも普通に暮らしている地域もたくさんあった。けれど被害の大きかった箇所ばかりが繰り返し報道され、TVニュースを見ていると報道が現実を超えて乖離している感じがして気持ちがヒリヒリした。
  居たたまれず海岸に行くと、コンクリートの護岸の上で、親猫が生まれたばかりの2匹の子猫にミルクを与えていた。その姿を見てなんだか救われた気持ちになった。
 大変な災害だけれど島はなんとか普通に暮らしている。報道と現実が乖離して行く中で、淡々と子猫にミルクを与える猫の姿を見て、その事を確認し安堵したのだと思う。猫はこれといって役に立つ事はしないけれど、そのマイペースな振る舞いが時に救いを与えてくれる。

 亜熱帯のねっとりした空気に包まれて、トロトロと微睡む時間。島の猫たちも住処にしているアダンの繁みを出て、コンクリートの護岸の上で四肢をダランと伸ばして寝そべっている。カメラのレンズを向けても睡魔に勝てないのか、チラッとこちらを睨んで、また夢の中に帰って行く。猫はどんな夢を見るんだろうか。

しまねこ AMAMI・OKINAWA(1) 写真はこちら

奄美大島・大熊漁港の猫

以下はキャプションです。

001 奄美大島・大熊漁港 (2011年1月8日)
002 奄美大島・朝仁海岸 (2011年9月25日)
003 奄美大島・朝仁海岸 (2011年9月25日)
004 奄美大島・朝仁海岸 (2011年7月4日)
005 奄美大島・朝仁海岸 (2010年7月10日)
006 奄美大島・朝仁海岸 (2010年7月10日)
007 奄美大島・朝仁海岸 (2010年6月30日)
008 奄美大島・朝仁海岸 (2010年7月13日)
009 奄美大島・朝仁海岸 (2011年12月31日)
010 奄美大島・名瀬 おがみ山 (2010年7月21日)
011  奄美大島・名瀬 (2010年8月6日)
012  奄美大島・名瀬 (2010年8月6日)
013 奄美大島・名瀬 (2011年1月18日)
014 奄美大島・名瀬 (2011年12月13日)
015 奄美大島・朝仁海岸 (2010年10月22日)
016 奄美大島・朝仁海岸 (2010年10月22日)
017 奄美大島・小宿 (2011年11月26日)
018 奄美大島・小宿 (2011年11月26日)
019 奄美大島・名瀬 (2012年1月26日)
020 奄美大島・名瀬 (2010年8月6日)
021 奄美大島・名瀬 (2010年8月21日)
022 奄美大島・名瀬 (2010年7月13日)
023 奄美大島・名瀬 (2010年8月23日)
024 奄美大島・名瀬 (2012年1月21日)
025 奄美大島・名瀬 (2012年1月21日)
026 奄美大島・名瀬 おがみ山 (2012年1月1日)
027 喜界島・阿伝 (2011年5月15日)
028 奄美大島・名瀬 おがみ山 (2011年10月1日)
029 奄美大島・名瀬 おがみ山 (2011年11月15日)
030 奄美大島・名瀬 おがみ山 (2011年10月1日)
031 奄美大島・名瀬 おがみ山 (2011年10月1日)
032 奄美大島・名瀬 (2010年10月26日)
033 奄美大島・小湊 (2011年3月9日)
034 奄美大島・龍郷町大勝 (2010年11月3日)
035 奄美大島・名瀬 (2010年11月20日)
036 奄美大島・笠利町喜瀬 (2012年4月7日)
037 奄美大島・名瀬 (2011年12月13日)
038 奄美大島・朝仁海岸 (2010年10月30日)
039 奄美大島・朝仁海岸 (2010年10月30日)
040 奄美大島・龍郷町中勝 (2010年7月3日)
041 奄美大島・龍郷町中勝 (2010年7月17日)
042 奄美大島・名瀬 安勝 (2011年3月26日)
043 奄美大島・小湊 (2011年7月3日)
044 奄美大島・小湊 (2012年1月26日)
045 奄美大島・小湊 (2012年4月27日)
046 奄美大島・名瀬 (2011年1月5日)
047 奄美大島・知名瀬 (2011年11月26日)
048 加計呂麻島・諸鈍 (2010年9月17日)
049 加計呂麻島・実久 (2011年2月9日)
050 加計呂麻島・諸数 (2011年2月25日)
051 加計呂麻島・瀬武 (2011年2月9日)
052 加計呂麻島・瀬武 (2011年2月9日)
053 請島・池地 (2012年5月5日)
054 請島・池地 (2012年5月5日)
055 請島・池地 (2012年5月5日)
056 与路島 (2012年4月29日)
057 奄美大島・名瀬 (2010年6月24日)
058 請島・池地 (2012年5月5日)
059 請島・池地 (2012年5月5日)
060 加計呂麻島・瀬相 (2011年3月28日)
061 与路島 (2011年10月23日)
062 奄美大島・龍郷町円 (2011年10月26日)
063 与論島・大金久 (2011年8月19日)
064 与論島・大金久 (2011年8月19日)

6月13日(土)

 安保関連法案に反対する声が、ますます強まっている。「安保法案:長谷部氏、政府見解を批判…違憲論高まる」「山崎拓・元自民幹事長ら4人、安保法案に反対表明」。
 それにしても、4日に行なわれた参院憲法審査会で、憲法を専門とする有識者三人が集団的自衛権の行使は憲法違反だと明言した会見を受けて、「違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と発言した菅官房長官が、10日の衆院特別委員会で辻元清美議員から「違憲じゃないと発言している憲法学者の名前をいっぱい挙げて下さい」と迫られ、3人の名前しか挙げられず開き直って「私は数の問題ではないと思いますよ」と答えたのは何かのギャグだろうか。

 国と東京電力は、福島第一原発の使用済み燃料の取り出しを、最大で3年先送りする事を決めた。廃炉に向けての作業は遅々として進まず、汚染水の浄化装置ALPSは相変わらずトラブル続きだ。そんな状況でも原発再稼働の動きは加速しているようで、中部電力は昨日、浜岡原子力発電所3号機の再稼働に向けて、16日に国の新規制基準への適合審査を原子力規制委員会に申請すると発表した。東海地震や南海トラフ地震の影響をもろに受けると言われる浜岡原発を、何故動かさなくてはならないのだろう。
なにが何でも浜岡原発だけは動かしてはならない理由
富士山噴火と東海地震と原発震災の元祖・浜岡原発
緊急研究 東海大地震「浜岡原発に迫る危機!」
 そもそも、こんなペッラペラな防波壁で審査に通るんだろうか?通ってしまったら、この国や電力会社は3.11から何も学ばなかったんだろうと思う。 

 明日21時から、NHKスペシャル「沖縄戦 全記録」が放送される。

戸出駅

 昨日はとなみ夜高祭りへ。夕方自転車で戸出の駅まで行き、城端線で2つ先の砺波駅へ。砺波は何回も自転車で来ているが、駅で降りた記憶が無い。ひょっとすると初めてだろうか。
 18時半過ぎに着いて駅を出ると、さっそく”イヤサーイヤサー”の掛け声とともに練り歩く行灯を発見した。

←木造の駅舎が良い味を出している戸出駅。城端線や氷見線の駅舎には、こうした古い建物がまだ残っている。

 となみ夜高祭りは昨日と今日の2日間で、昨日はぶつかり合いはなく、行灯コンクールの審査があった。それまで町内を流していた行灯が、21時過ぎから審査会場の交差点に順番に入って来てアピールする。
  夜高行灯と言うのは部分を見れば万華鏡のようでもあり、離れて見るとデコトラのようでもなるな〜と思った。どれも精緻なデザインで美しい行灯ばかりだった。個人的にはLEDよりは、電球の色味の方が好きかな。
砺波夜高行灯祭りの様子

 行灯コンクールが終わり、砺波駅へ。21時41分発の高岡方面行きに乗り、2つ目の戸出駅で降りる。40分程かけて自転車で家へ帰る。風はあるが、半袖のTシャツにヨットパーカー、ハーフパンツで丁度いい。

 5年前の今日、富山から奄美大島へと向かう途中に、桜島へ行った。桜島の野尻という場所が父方の祖父の生まれ故郷で、戦争で出てから一度も帰ることはなかったらしい。家族の誰も今まで来た事がない。奄美大島に行くなら寄ってみてはどうかと言われ、祖父の実家を探しに行った。この日は手掛かりがなく、次の日に市役所に行くと、祖父の本籍として記されている番地は野尻から持木という町名に変わったと教えられた。再び桜島に渡り、持木を尋ねて雑木林になっていた祖父の実家を探し当てた。
 翌年の4月、奄美大島へ遊びに来る両親を鹿児島まで迎えに行き、3人でもう一度桜島へ渡り、雑木林を尋ねた。そして鹿児島市内で、分からなかった曾祖父のお墓を見つけた。

5年前、桜島にて
↑桜島の野尻。3時間ほど散策しているうちに、カメラにはうっすらと火山灰が付いていた。身体がなんだかザラザラし、目もチクチクした。

6月9日(火)

 ちょうど一年前の今日、2年近く住んだ那覇の部屋を引き払ったのだった。そして一ヶ月近く、八重山諸島を中心に安宿を泊まり歩いて旅をした。先日、You Tubeで懐かしくなる映像を見つけた。この部屋で暮らして、ここのベランダから那覇の街を眺めていた。

 昨日は、穀物の生育と豊穣を祈願して行なわれる御田植祭を見に射水市の加茂神社へ。ネットで見つけた情報では、神事は午前10時からとなっていた。これに間に合うように公共交通の便を組み合わせると、最寄りの駅を7時22分に出る電車に乗り、7時39分に小杉駅到着。小杉駅南口を8時2分に出る15番のコミュニティーバスに乗車し、加茂神社に近い加茂コミュニティー施設前に8時23分に到着。
  神事の1時間半以上前に着いてしまうが、昨日図書館で借りた鬼海弘雄さんの写真集を眺めていようと思っていたら、拝殿の中で氏子の方々が神事に使う真菰で作る真菰の神様と真菰の大男(おおおとこ)を製作されていた。宮司さんに許可をいただいて、拝殿に上がって撮影させていただいた。早く着いたお陰だ。

真菰の神様・大男ほか、神事の準備
↑上左 神事に使われる苗の泥を洗う。使われるのは、うるち米の苗/上右 真菰の神様を作る氏子の方々/中左 真菰の大男を作る氏子の方々/中右 真菰の神様/下左 近くの小学校の生徒も真菰の神様を作り、神事に参加した/下右 手慣れた様子で真菰の神様を作る氏子の方々。
御田植祭神事の様子
↑上左 本殿から出られる御神体。加茂神社の御神体は御幣を重ねたもので、3体ある。今日の神事では1体が渡御される/上右 拝殿を出られる御神体。砂利で土手を作った畦道を通り、境内にある御旅所へ向かう/中左 御旅所で祝詞をあげる神職/中右 御旅所の前に造られた2間四方の仮の田を、エブリと言う道具でならす氏子の方/下左 田に後ろ向きで苗を置いて行く宮司さん/下右 最初の苗は中央、次に御旅所に向かって右側、左側と苗を置いて行く。
↓2体の大男。→宮司さんが一体ずつ後ろ向きで投与する。
大男を後ろ向きに投与する宮司さん
真菰の大男
 宮司さんが真菰の大男を一体ずつ田の中から後ろ向きに投与すると、集まった氏子の方や小学生が縁起物だと言う事で真剣にキャッチする。この場面が神事のハイライトだろうか。
 この後、御神体は本殿に還られ、小学生の子供たちは自分の作った真菰の神様をそれぞれ持ち帰った。
本殿に還られる御神体

 神事が終わったのは、11時半頃だったろうか。加茂神社を出てバス停へ。帰りのバスは12時6分で、小杉駅には12時30分に到着した。電車の時間を調べると、12時40分。なんだか今日は、順調に移動している。前回、加茂神社に来たのは5月4日のやんさんまが行なわれた日で、この時は帰りのバスがなくなり暴風雨の中を2時間近く歩いて小杉の駅に着いた。駅に着くと直ぐに高岡方面の電車が出てしまい、次の電車まで50分程びしょ濡れのままで待った。

 今日の宮司さんの後ろ向きに苗を田に並べる姿を見て、奄美と沖縄の2つの神事を思い浮かべた。一つは沖縄北部にある安田(あだ)のシヌグで、神アサギの横にある広場で腰を屈めた集団が列をなしてタンクサトエー(田の草取り)という動作をしながら進む。もう一つは奄美大島の南部、瀬戸内町の油井集落で行なわれる豊年祭で土俵を田んぼに見立てて稲刈りの動作が行なわれる。草刈り、苗植え、稲刈りという農作業の動作で、共に豊年の予祝が行なわれている。
 先日の北日本新聞に「大たいまつに豊作願う 氷見・床鍋地区で虫送り」と言う記事が掲載されていた。沖縄には、害虫を捕まえて草や木で作った小舟に乗せて海に流すアブシバレーと言う行事がある。祈願の方法は異なるが、共に作物の害虫防除と豊作を願う農耕儀礼だろう。You Tubeに金武町伊芸区のアブシバレーの映像があった。

安田のシヌグと油井の豊年祭
↑左は、安田のシヌグで行なわれるタンクサトエー(田の草取り)。右は、油井の豊年祭での稲刈り。

6月7日(日)

 晴れたので、運動がてら自転車で高岡まで。15時から駅ビル・クルン高岡の地下で、地元の50歳以上の女性たちが結成したOXIESというグループのライヴがあるので拝見。
↓→1時間近くステージに立ったOXIES。
オクシーズ02
オクシーズ01

 ライヴの後、駅前のビルに入っている高岡市立中央図書館へ。今まで利用した事がなかったので、どんな蔵書があるのか見学に入ってみた。グルッと一回りしてから、返却は地元の図書館でも可能だと言うので鬼海弘雄さんの写真集「ぺるそな」を借りて来た(返却期限は6月23日)。写真集の蔵書は少ないが、どう言う訳か梅加代さんの写真集は4冊と充実している。

 昨日は津沢の夜高あんどん祭りへ。石動駅から津沢まで臨時のシャトルバスが出るので、あいの風とやま鉄道で石動駅へ。最初のバスは17時出発だが、電車は16時28分に石動駅に到着する便しか無い。早く着き過ぎたが駅の横にある観光案内所へ祭りのチラシを貰いに行ったら、バスまで時間がありますからとコーヒーを出して下さった。
 バスは途中、クロスランド小矢部に寄って津沢の町中へ。津沢に来るのは初めてかもしれない。夜高あんどんの練りまわしは19時からとなっていたが、暗くなる前に町中を散歩する。ぶらぶら歩いていたら、18時半頃に浦町の出陣式に出くわす。あんどんの前で円陣を組み、一升瓶を回し呑みして気合いを入れている。

↓一升瓶を回し呑みしての出陣式の後、神社で祈願。
神社で祈願
出陣式

 浦町のあんどんの後をついて行くと、他の町の出陣式にも遭遇。あんどんの灯りが見える方をアチコチ歩いて練りまわしを撮影。津沢の夜高あんどんは一昨日が前夜祭、そして本祭は昨日と今日の2日間ある。あんどんのぶつかり合いは昨日が21時から、今日が20時半からとなっていたのでぶつかり合いが行なわれる消防署の前へ。あんどんや曳山のぶつかり合いはスタートが遅いので中々見れないのだが、20時半からなので1時間程見ても帰りのシャトルバスも電車もあるのでありがたい。

夜高あんどん祭りの様子
↑↓夜高あんどんの練りまわしとぶつかり合い。
あんどんのぶつかり合い
 ぶつかり合いを22時頃まで見学してから、22時半の石動行きのシャトルバスに乗るため歩いて5分程の郵便局へ。すでに何人か並んでいる。21時半のバスは満席で乗れない人もいたそうだ。バスが来るのを待っている間にも人の列が伸びて行く。バスが到着して乗車が始まると、やはり満席で乗れない人が出て来た。シャトルバスは23時半にももう1便出るが、接続する電車が無いかもしれない。他人事ながら心配になる。
 石動駅に着いて電車の到着を待っていたら、先程のバスに乗れなかった人たちが遅れて到着して来た。関係者か誰かが、車で送ってくれたのだろうか。これでバスに乗れなかった人も、富山行きの最終電車に間に合った。やれやれ。
 
  4日の午前に行なわれた参院憲法審査会で、憲法を専門とする有識者三人が集団的自衛権の行使は憲法違反だと明言した。この三人の中には自民党が推薦した早大教授の長谷部恭男氏も含まれる。これに対して菅官房長官は「全く違憲との指摘はあたらない」とし、「違憲でないという著名な憲法学者もたくさんいる」と述べた。たくさんいるのなら、なぜ違憲でないという著名な憲法学者を推薦しなかったのか?明日の自由を守る若手弁護士の会は、戦争法案は合憲って語る憲法学者、「たくさん」いるなら出てこーいと書いており、LITERAは保守系学者までが違憲と・・・「安保法制が合憲」だという憲法学者は3人しかいなかった?と書いている。また、違憲とした三人の内の一人、慶応大学名誉教授の小林節氏が、学生らが主催する国会前の抗議集会で「憲法を無視する習慣がついてしまうと、民主国家ではなくて、独裁国家になってしまう。次の世代のために戦ってほしい」と訴えている。 
 中谷防衛大臣の「現在の憲法をいかにこの(安保)法案に適応させていけばいいのかという議論を踏まえて閣議決定を行った」と言う答弁は、首を傾げるばかりだ。憲法よりも法案が重要だと考えているのだろうか?
 防衛省は、米国がサイバー攻撃を受けた場合に、日本の存立が脅かされるなど武力行使の新3要件を満たせば集団的自衛権を行使する可能性があるという見解を明らかにした。集団的自衛権に歯止めがなくなっている。

6月3日(水)

 今日、中国・四国・近畿が梅雨入りしたと気象台が発表した。富山も久しぶりの雨で、連日の蒸し暑さにちょっと一息。梅雨に入って雨が続くとうんざりもするだろうが、今日は空気がしっとりして過ごし易い。

 集団的自衛権 首相見解 日本攻撃意思不明でも行使。安全保障関連法案に関する安倍首相の答弁が、無茶苦茶になって来た。この朝日の記事によれば、米国などを攻撃した相手国が日本を標的にする意思を持つかどうか不明な場合でも、集団的自衛権に基づく武力行使は可能との見解を示し、「国民の生命、権利が根底から覆される明白な危険がある」などに該当するかの判断は、政府の裁量次第ということらしい。これのどこが専守防衛なのだろうか。
 以前、母子らが乗った米艦のパネルを示して集団的自衛権の行使容認の辞令について安倍首相は説明していたが、「邦人なしでも米艦護衛」。あのパネルは何だったのだろう。 挙げ句の果てに、「我々が提出する法案についての説明は全く正しい。私は総理なのだから」。
 政府は、自衛隊の活動範囲や内容の拡大によって、敵国から攻撃されるなど自衛隊のリスクが高まる可能性について、改めて「隊員のリスクを高めるものではない」と述べているが、常識的に考えてリスクが増えないわけが無い。法案を通したいがために詭弁を弄するのは、自衛隊員を軽視している事にはならないだろうか。
 現役の自衛隊員がテレビのコメントで「リスクは確実に高まります。問題なのは、それでも自衛隊がリスクを超えて活動しなくてはならない意義や根拠についての説明や議論がなされていないこと」と話していた。これが正論だろう。派遣自衛隊員の自殺者はイラクで29人、インド洋25人自衛隊「イラク派遣隊員」帰国後に28人が自殺してた!恐怖と緊張解けず精神不安や睡眠障害。そしてアメリカでも、米兵の自殺、戦死より多く 長期化で心の傷深刻。リスクが高まる事は無いと語っている人たちが、戦闘の現場に立つ事は決して無い。
 「存立危機事態」についての議論を見ていても、あまりに曖昧で理解ができない。そもそも憲法解釈の変更で集団的自衛権を行使できるとした閣議決定に無理があるわけで、時計の針を一年前に戻したらどうだろうか。

 一昨日は日枝神社の春季例大祭、山王祭へ。富山駅の観光案内所では山王祭の詳細がわからなかったので、日枝神社の社務所で祭事の案内パンフレットをもらう。
  家から持って来た5月29日の新聞広告に、午後3時半から氏子神輿の巡行と書いてあったので、太鼓の音が聞こえる方ヘ歩いて探す。山王祭の神輿は、はだか神輿と女神輿が有名らしいが、今年は理由はわからないが出ないそうだ。しばらく氏子神輿の後をついて歩いてから、宮神輿を探す事にした。
  社務所でいただいたパンフレットには宮神輿の順路と時間が書いてあるが、富山の地理に詳しくないので分からない。それでもほっつき歩いていると、宮神輿の露払いをして歩く獅子舞に遭遇。しばらくついて回ったが、休憩に入ってしまった。それにしても大きな獅子頭で、普段目にする獅子頭の1.5倍程ありそうだ。この獅子頭はレプリカで、本物は日枝神社の拝殿に飾ってあった。本物はもっと重いのでレプリカを作ったようだが、それでも一人で持つには重いそうだ。
 獅子舞が休憩したので、来た道を戻って宮神輿の渡御を探す。太鼓の音が聞こえる方角に道を曲がると、御神輿が見えた。御神輿は大きな車輪の付いた台に乗せられている。進行が予定より遅れているようで、御神輿も神職の方も所々で小走りになって渡御をされていた。

御神輿渡御と獅子舞
 18時半頃、休憩していた獅子と御神輿が合流して、御神体が神社に戻られる還御が行なわれた。そのままついて行って、山王神社へ。露払いの獅子舞が鳥居から拝殿へと駆け抜けて、その後に御神輿が拝殿の前へ。神職の手で御神輿の中から御神体が出されて神社にお戻りになった。
参道を舞う獅子
↑露払いの獅子が、鳥居から拝殿までを駆け抜けるように舞う。↓神輿から御神体が出され、本殿に還られる。
還御された御神体
 19時過ぎに御神体が戻られて、神事が無事に終了した。次に、境内の特設会場で魚津市から招待した演舞の奉納が行なわれた。19時半からは「魚津せり込み蝶六」、20時半から「小川寺の獅子舞」で、それぞれ30分程のステージだった。小川寺の獅子舞は二人で演じるのだと思っていたが、今回は一人で舞っていた。獅子頭は少し小振りで、動きが激しい。でんぐり返しをする獅子舞は、初めて見た。
↓→小川寺の一人で演じる獅子舞。でんぐり返しもできる。
小川寺の獅子舞02
小川寺の獅子舞01

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